全32件 (32件中 1-32件目)
1

千葉地方は朝からけっこう激しい雨が降っていたが、久しぶりに横浜線淵野辺にあるストーンマジックにクライミングにいった。先生がヨーロッパから帰国され、この悪天候で甲斐駒赤蜘蛛のルートガイドが中止になったので、臨時的に講習会の連絡があり、家でじっとしているのが苦痛になっていた私は喜んで参加したのだった。夏休み最後の日曜日、子ども会のお楽しみ会のようなグループも見かけたものの、ストマジは思いのほか混んでなくて良かった。 ルーフを登る先生5.8からアップして10.aまであまり難しくないルートをたくさん練習した。どういう訳か、今日はあまり苦しんだり疲れたりすることがなかった。けっこう体が動いて気持ちく登れたので、一日中かなりの本数を登った。 やはり自動ビレイで一人黙々と練習するより、きちんと人にビレイしてもらって、アドバイスも頂きながら登るほうがいろいろなルートにトライできるし面白い。久しぶりに人と登る楽しさを味わった。
2008年08月31日
コメント(19)
今日は8月30日土曜日。目標を失った八月が過ぎ去ろうとしている。ヨーロッパから帰国して、腑抜けのような1ヶ月を送った。およそ2年近い準備をして臨んだマッタホルン登攀が未踏に終わってから、心の心棒が抜けてしまったのである。辛いとか悲しいとか悔しいとか虚しいというような感情ではない。自分を支え、精神を構築していた核が無くなって、心の中が無秩序、混沌状態に陥っているのである。マッターホルンというひとつの岩山がそこまで私に行動力と精神の高揚を与えてくれていたのだった。そこに登るという夢と目標があったからそれに近づいていくトレーニングを組み立て、あらゆる努力をすることで私は輝いていられたのだ。八月は毎日が休みだったにもかかわらず、近くの山に向かう事すらできなかった。心の空洞を埋めようとして音楽や絵画や本に気を向けた。どれも慰めにはなったが、これらの世界だけではもはや心の充足が得られないということが一層はっきりした。これからどうしようか。自分はなにを求め、どこをめざしていきたいのか?この答えが出てこない。
2008年08月30日
コメント(13)

以前、放浪の達人さんのブログで青山圭秀 著「アガスティアの葉」について紹介していたので、非科学的なことが大好きな私はこの本を探した。3軒の書店で尋ねたが無く、結局また図書館で探してもらった。やっと手にした本は分厚くしっかり活字で埋まっていて、一読するのに時間がかかった。さらに、想像を絶する驚愕の話だった。 要するにインドで4千年前にアガスティアという聖人が予言をやしの葉っぱに残していて、それを探しに東大大学院を卒業した科学的知識と思考の権化ともいえるような著者が出かけるのである。その葉を捜し出す方法を専門的に継承している家系があり、莫大な葉っぱから本人の葉っぱを引き出してくるのにまず指紋を取るという。これには驚いた。現代の認証方法と同じではないか。ナディリーダーがさらに質問をして、それに合致した葉っぱを取り出してくるのだ。 その葉っぱはそこを訪れる人の分だけがあるという。つまり誰がいつ探しに行くか最初から解っているということだ。 予言が記されたアガスティアの葉 ナディリーダー著者に関して、様々な予言が語られ、しかもそれが細部にわたって当たっているのである。四千年前のインドで現在を予言したものがあるということすら驚異なのに、それが現在生きている人に当たっている!?そんなことが本当にありえるか???。いくら非科学的なことが好きと言っても、とうてい信じられない。しかしこの著者がウソを書く必要は全く無いし、でっち上げて書いているとも思えない。事実だったんだろうと思うしかないが、私の頭の中は混乱して整理がつかないままである。この本のテーマは「人間の生き方は運命か自由意志か」ということである。人生は予め決められているものなのか。はたまた自分の意思で自由に決められるものなのか。この本は予め決められているものであるという結論である。アガスティアが数千年前に予言していることがほとんどその通りであるということは既に決まっていたということである。では決めるのは誰か?前世、現世、来世とそもそも輪廻転生は真実なのか。人はほんとに転生しているのか?科学的にも非科学的にも証拠がない。しかしホロスコープに示されているという。ホロスコープなんて星占いで非科学的なものの代名詞だと思っていた。自分の無知を思い知らされた。もし転生しているとすると私の前世は何だったのか?おそろしい疑問と関心が湧きあがった。人間、それとも動物?、そして死後は何に転生するのだろう、現世での行いが悪いからねずみとか言われたら死んだほうがましと思っても、死んでも転生する。なんという恐ろしさ、この無限に続く輪廻の輪から抜け出す方法はないのか?アガスティアの葉にはその方法が記されている。でもそれで本当に輪廻の輪が無くなるのか?つきぬ疑問!ああ、すごい世界に触れてしまった。しばし忘れて頭を平常に戻そう。
2008年08月29日
コメント(10)

今日はまた一人でランナウトへクライミングの練習に出かけた。受付のお兄さんともすっかり顔見知りになった。10人くらいの人が来ていた。自動ビレーで疲れないように休憩しながら練習したが、最後のほうになると疲れた。10aの手足限定と手足自由ではかなりリズムの流れが違ってしまう。10aの限定をしっかりやろうと思っていたが、結果的には3本しか登ってなかった。しかし本数だけはこなした。3時間コースでやっているので、はじめは易しいルートをばんばん、中間はメインを休み休み、最後の30分は不足していると思うルートとクールダウンで一生懸命、5分前に後始末という流れである。 10.b 10.a 10.a 10.a (限定) 10.a 10.a 10.a 10.a (自由) 5.9 5.9 5.9 5.9 5.9 5.9 5.9 5.9 5.8 5.8 5.8 5.8 5.9 10.a (ショートルート)5.9はかなりリズミカルに登れるようになった気がした。10.bを少し触ったが、もちろん上までは抜けられない。室内ジムに4回来たが、あまり上達したようにも思えない。でもムーブや腕力をキープするという意味では来ないより確かに良い。前腕のパンプの前に指の皮膚が痛くてホールドを持つのが苦痛になっていたが、皮膚が筋状に硬くなってジムのホールドに適応した。 室内左ロングウオール 外の壁を登る人たち8月の室内ジムは多分今日で終わりだ。
2008年08月28日
コメント(10)

ヨーロッパアルプスの山小屋に四ヵ所泊まった。まず昨年モンブランに登るため泊まったテートルース小屋である。 小屋の側面にはサンヨービスタ(?)完備 小屋内部(食堂)眺望のいい場所に建ち、グーテ小屋に続くクーロワールや岩稜の登り、氷河などがよく見える。 室内は全面フローリングでこざっぱりしていた。小屋側面にソーラーシステム完備で「これは日本のサンヨー製だろう」とか勝手に想像してしまった。この小屋から落石の多いクーロワールを超え、岩稜を登りきるとグーテ小屋に着く。 小屋内部 二段ベッドの寝室 どんぶりコーヒーここのトイレは有名である。便座の下が直接崖になっているため、下から風が吹き上げてくると悲惨である。寝室も大部屋一つで多分80人くらいが一部屋で寝るので、殆ど眠れない。でもオムレツがおいしかったが、コーヒーはどんぶりのような大きさだった。今年泊まったコスミック小屋は新しく綺麗で、夕食に手の込んだおいしい料理が出た。 入り口靴脱ぎ場 寝室 美しく描かれた食堂の装飾画この小屋はとても合理的だった。まず入り口で登山靴を日本の山小屋ように棚に置くのでなく、鉄の棒に靴底が手前になるように掛けるのである。これで少しでも乾く。さらにアイゼンやスパッツなど濡れたものも掛けられる。他の小屋でもこれは共通だったが、ハーネス等登攀用具は箱や篭に入れて入り口に置き、室内に持ち込まない方式である。寝室は上下2段で一部屋12人で快適だった。ヨーロッパの寝室はほとんど一人1個のマット、枕、毛布というのがどこの小屋も共通している。日本のような雑魚寝スタイルとは基本的に異なり、一応自分のテリトリーは確保されるので、私のような小さくて非力な者も左右の屈強な男の登山者に圧迫される恐怖なく安心して眠れる。ガイドは基本的に別室だが、ここだけはガイドも同じ寝室だった。続いてマッターホルンヘンリ稜に建つヘルンリ小屋 にぎわう小屋前のテラス そして誰もいなくなった? 出発後の閑散とした食堂 寝室 トイレヘルンリ小屋の早朝は独特である。一刻も早く出発したい登山者でひしめき、殺気立っている。早く取り付いて登らないと時間切れで頂上まで行けなくなるからである。寝室は2段ベッドで1室16人、日本人だけをまとめて入れてくれる配慮があった。トイレも清潔だった。どの小屋にもいろいろなエピソードや思い出があり、私にとっては宝物のような大切な場所になっている。
2008年08月27日
コメント(8)

八月も残り少なくなり、やっと歩く山にでも行こうかという気になったのに、今週金曜日まで雨模様という予報がでている。なんということだ。天気のよい日にぐだぐだ遊んでいた天罰がきた。ではと気を取り直し、話題のフェルメール展に行こうとしたら、月曜日でここも休館日。ああ~、することがない不幸!仕事がない不幸! と思ってはこれまた天罰がくる。しなければならない事も仕事もないこの幸せ!またしても本に救いを求め、利倉 隆 著の「フェルメールの秘密~イメージの森の中へ~ 」を見る。フェルメールの作品では「牛乳を注ぐ女」と「真珠の耳飾の少女」が有名である。「牛乳を注ぐ女」は昨年秋、オランダのアムステルダム国立美術館で本物を見た。キリマンジェロからの帰途、アムステルダムで飛行機の乗り継ぎ時間が8時間あったのでアムステルダム美術館とゴッホ美術館を訪ねたのだ。 牛乳を注ぐ女 真珠の耳飾りの少女「牛乳を注ぐ女」はそう大きい作品ではない。でも絵から伝わってくる表現しようのない魅力があって、絵のまえから動きたくないという気分にさせられた。特に美しいともスタイルが良いとも思えない普通の女性が牛乳を注いでいる風景。でもなんという安定感!、自然な空気感!。「真珠の耳飾りの女」の本物は見ていない。オランダでもハーグのマウリッツハイス美術館にある。私はタイトルにある真珠の耳飾りよりブルーのターバンと少女のくっきりとした瞳にすごく惹かれ、是非本物をみたいと思っている。今回のフェルメール展でもこれは来ない。この本で著者は作品をばらばらに切り取ってパーツで見せ、解説をしてくれる。ただ絵を見るのが好きというだけで、何の知識もなく感覚だけで見ている私には見えなかった絵の細部が見えてとても理解が進んだ。そこに描かれているものが何を意味するのかというようなことが少しわかったりもした。そうなると一層絵を見る楽しみは増大する。 音楽の稽古この作品も好きだ。美しく装飾されたチェンバロのような楽器とチェロ、レッスンしているバッハスタイルの男性、窓から入ってくる穏やかな光、陰影に富んだ室内、女性は後ろ向きだが鏡の中にほのかに顔立ちが映っている。次、海外に行く時はやはりKLMオランダ航空を使うツアーがいい。
2008年08月26日
コメント(10)

ランナウトに行く電車の中で遠藤由加さんの「ロッククライミングタクティクス50」を読んだ。この間、パンプ2で会ったあの遠藤由佳さんの本である。実は以前にもこの本を手にしたことがある。最初名前を見て女性だと思ったが、写真を見てからずっと「遠藤由加は男性だ」と思い込んでいた。名前も「ゆか」じゃなく男性のような読み方があるんだろうと思っていた。実際2回目に見ても男性に見える。そう思ったのは体全体が筋肉質で脂肪がそぎ落とされていて、手にも足にも体全体にも曲線的な部分がない、顔も小さくボーイッシュで表情も中性的というより男性的だからである。 でも女性のようにも見えるパンプ2でまじかに見た本人は写真以上にもっと鍛えた体だったが、声がやわらかいアルトだった。疑いもなく女性だった。大きなかん違いをしていた。この本は質問形式即ちQ&A方式で書かれているので、質問ごとに前後をあまり気にせず読むことができる。興味のある部分や自分に必要のある部分から読み始めるが、内容が関連しているので結局は全部を読むことになる。 質問がクライミングの技術面は勿論のこと、生活しながらどうクライミングを続けていくかとか、フリーとアルパインの両立とか、栄養・体重管理など広範囲に展開されている。写真や図が豊富に挿入されているのもわかりやすい。初心者用には書かれてない。そのため私がこれを読んですぐ実践に移すということはない部分もあったものの、表現が簡潔・明瞭、無駄がなく必要な事はすべて含まれていて、実戦的で役にたった。
2008年08月25日
コメント(10)

山野井泰史さんと夫人の妙子さんがグリーンランドルミネ島の大岩壁「オルカ」に挑むDVDを見た。先日小川山合宿でご一緒してお世話になったYさんがわざわざダビングして送って下さったものである。 オルカを登攀中の二人 オルカ泰史さんについては講演会に行って実際にお会いしたし、「凍」「垂直の記憶」などで知っていて、最も関心のある登山家だった。しかし彼以上に私が関心を寄せていたのは、その著書に登場する妙子さんについてである。自分自身もクライマーとして一流で、これまで困難なルートに挑み記録も残している妙子さんは山野井泰史という稀有なクライマーと結婚する。また、ギャチュンカンなどの登攀で手足の指を殆ど凍傷で失ってしまった。泰史という個性的で山のことしか頭にないクライマーと日々生活し、家事全般をきりもりしてなおかつ自分もクライマーとして活躍し、情熱を傾けている人。「一体どんな女性なんだろう」とその存在が気になり、知りたいと願っていた。このDVDで初めて妙子さんの姿を映像として見ることができた。一言でいえば何という素晴らしい人!としか表現のしようがない。同姓として尊敬できる。指だけでなく鼻も凍傷でダメージを受け、ノーメイクで何の飾りもない姿は外見だけを見るとどこにでもいる50代のおばさんに見える。でも山にいる時はまるで少女のように無心で輝いている。もの静かででしゃばらないのに確固とした存在感が感じられ、精神的強靭さがにじみ出る。しっかりと大地に足を据え、自分にとって何が最も大切かということを突き詰めて自然に力まず生きている。即ち彼女にとっては夫泰史さんとの生活とクライミングが最も大切にすべきもので、その他のことは気にならないのである。いわく「山にはお金をかけるけど、ほかのことはどうでもいいんです」 最強の夫婦~ 妙子と泰史~「最強の夫婦」という表現があったがまさに最強のカップルである。自分の生き方から余分なものを削っていくとこのような結びつきと生き方が可能になるのだろう。それにしても驚異的な結びつきと思うのは私だけだろうか。これこそ神が引き合わせた究極の結びつきのように思えた。
2008年08月24日
コメント(14)

これといってしなければならないこともなくて、また一人でランナウトにクライミングに出かけた。行ってみたら何とすでに登っているiceさんがいた。これで2回連続偶然の一致!。思わず「何月生まれ?」とか聞いてしまった。わかったことはお互いに3月生まれだった。(関係ないかもね) 足が長い!今日も人は少なく、そのほとんどが自動ビレイ使用者だった。今日は涼しくて助かった。前回の記録と反省から、回数稼ぎだけでなく手足限定と自由を区別してきちん練習しようと決心。しかし結果として本日のルートと回数は以下の通り。 10.a 10.a 10.a 10.a 10.a 10.a 10.a 5.9 5.9 5.9 5.9 5.9 5.8 5.8 5.8 5.8 5.85.8,5.9、10.aのショートルートを計4本登ってアップした。次に前回みたく同じグレードをまとめて何本も登らず、5.8,5.9,10aと異なるグレードを交互に登った。手足自由はなしにした。手足限定だと、私の手足では遠いホールドが必ず出てくる。これを取ろうとしてリズムが止まり、腕力を使い、時間もかかる。結局これで疲れ、10.bにちょっとさわったものの手も足も届かずすぐ敗退。計17本。2時から5時の3時間で終了。指が痛い。でも大分皮膚が硬くなって以前ほどではない。9月の北岳バットレスまでにもう一度は来たい。
2008年08月23日
コメント(12)

音楽が好きである。好きな音楽に踊りが加わる舞台芸術はもっと好きである。というより好きを超えて熱狂的になる。舞台芸術のなかでもバレーと能が特に気にいっている。以前は生の舞台にけっこう足を運び、シュトットガルトバレエ団の「ロミオとジュリエット」に熱狂したり、能楽堂で「道成寺」に陶酔していたが、クライミングを始めてからは山ばかり行ってどちらもとんとご無沙汰である。舞台を見て酔いしれるだけの受動的鑑賞と実際に自分が体を使って活動する能動的クライミングとの吸引力の差は大きく、舞台にはこの1年、妹を連れて行ったミュージカル「キャッツ」1本以外全く行っていない。ここのところ時間がたっぷりある毎日なのでバレエの本を借りてきた。熊川哲也「プリンシパルへの道」とニジンスキーの写真集である。どちらも魅力的な舞踊シーンが豊富に入っていてわくわくした。ニジンスキーは希代の興行師ディアギレフとの関係で有名だが、踊っていた期間は短く、最後は統合失調症で亡くなったという。あの男性とも女性とも思える姿、というより男性の体の中に女性が宿っているような独特の雰囲気と「空を飛んでいる」と言われた跳躍力の高さの裏にこんな悲劇が隠されていたとは知らなかった。 とても魅惑的なニジンスキーの姿 「牧神」を踊る熊川哲也はハイジャンプに定評がある現在人気・実力NO.1のダンサーであり、Kダンスカンパニーの芸術監督でもある。この人の驚異的な高さのジャンプ、「海賊」の連続するターンを寸分のゆらぎも見せず軽々と踊る姿、激しい動作のあとにピタッと着地して微動だにしない完璧なポーズを一度見て、とりこになってしまった。(全く私は年甲斐もなくすぐのぼせてしまう) 「テツヤ」をおっかけているわけではないが、憧れるものがあるということは生活に潤いをもたらしてくれる。今年もあと4ヶ月だが、何とかして一度くらいは生のバレエと能を観にいきたい。
2008年08月22日
コメント(5)

クライミングをするため西国分寺のランナウトに行くには片道約2時間、何と往復4時間もかかる。睡眠と読書の時間にあてている。昨日は竹内 薫・茂木健一郎 共著「脳のからくり」を読んだ。前半三分の一は脳の構造とか神経の解説で眠かった。しかし後半になってがぜん面白くなって夢中になった。あやうくお茶ノ水駅で電車を乗り換えそこねるところだった。 脳の比較何に興味をひかれたかというと、脳と意識の関係である。人間には意識がある。では地球やコンピューターや虫や魚には意識があるか?最先端の脳科学研究者は「ある」というのである。オカルト信奉者ではなく、脳科学のエキスパートが言うのである。DNAが二重らせんであることを発見した著名な科学者クリックは「人間の魂とか意識も、結局は脳内現象にすぎず、科学的には単なるニューロンのかたまり」だという驚異の仮説を唱えて一大衝撃を与えたが、今やそれが当たり前に受け入れられていると言う。脳は物質(ニューロンのかたまり)からできていてその神経ネットワークから意識が生まれるという。ネットワーク上のエネルギーの相互作用から意識が発生するらしい。この理論で進めるとネットワークが働いているところではごく希薄であっても意識があるというのである。意識とか霊とか第六感とかこれまで非科学的と考えられてきた領域が脳科学の研究分野に組み込まれ、科学として研究されている。驚くべき事ではないか。神、霊魂、テレパシー、輪廻転生、科学的に説明がつかないものはいかがわしいとずっと否定されてきた。私は科学的なことは全くわからないが、非科学的なものにとても興味がある。科学的に証明されないものでも私個人は自分の体験から「有り得る」と信じたりしてきた。ただ証明されないのが悔しい。また、脳の中がセロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンなど脳内物質の生産・リサイクル工場というのも以前から大変興味ある分野だったので面白かった。思うに何もしないと冬期うつ病になる私の脳はもともとセロトニン生産量が少ないに違いない。セロトニン不足にならないよう、ウオーキングやジョギングをしたり、山に登ったりして精神的健康を維持しているのだから。私の登山は単なる趣味を超えて自己治療ともいえる。面白い話題満載の本だった。
2008年08月21日
コメント(8)

毎日が日曜日なのに、この暑さで縦走する山に出かける気にならず、どんどん体がなまっていく。 思い切って自動ビレーがあるランナウトへ一人で行った。中に入って見ると、なんとiceさんとばったり出会った。「あーら、来てたの?」とお互い偶然の一致に驚いた。でもよかった。知っている人がいた。お盆あけのせいか、人が少なく講習会もなくフロアはゆったり使えた。 右側の壁今日は一応目標を「やさしいルート20本は登る」ということにした。愛読書ヤマケイ登山技術全書7「フリークライミング」によれば「クライミングそのものがもっともよいトレーニングである」であるからとにかく登れば良いのである。そしてそのルート選びの原則は「あるグレードに対してアルファベット1つ下のグレードの本数が2倍になるよう登るルートを選択する」のがよいと学習してきた。 この理論でいくと私の場合、10.bが目標となりグレードピラミッドは以下のようになる。 10.b 10.a 10.a 5.9 5.9 5.9 5.9 5.8 5.8 5.8 5.8 5.8 5.8 5.8 5.8 私が実際に登ったグレードと本数 10.b 10.a 10.a 10.a 10.a 10.a 10.a 10.a 10.a 5.9 5.9 5.9 5.9 5.9 5.9 5.7 5.7 5.8 5.8 5.8 5.8まず基本の壁のショートルートで5.7、5.8、5.9をそれぞれゆっくり2回ずつ登ってウオームアップ。その後普通のルートに移動して5.8を2本、5.9を4本、5.10aを8本登った。10.aは手足自由、手足限定がごちゃ混ぜである。最後に5.10bに取り付いたがホールドがすごく甘くてなかなか持てず、体が浮いてしまい終了点まで抜けられなかった。ひとつグレードがあがるだけでこんなにも違う。それに最も疲れた状態で最も難しいグレードに取り付く愚かさ!!。頭をつかわなきゃ。「クライミングで最も重要な筋肉は頭脳だ」と誰か有名なクライマーが言ってたではないか。記録に基づいて書いてみたが、そのいびつな形に思わず笑ってしまった。でもこうして自分の練習グレードと本数を客観的に把握したことは一度もなかったので、とても参考になった。また自分の登りやすい好きなルートを多く登って本数かせぎをしていたことも認めざるを得ない。しかし目標の20本はかろうじてクリア。まあ、よしとしよう。iceさんに「リードのビレーをします」と言ったが「自分ひとりだと思ってロープを持ってきてない」ということで、結局二人とも自動ビレーで黙々と練習した。2時過ぎから5時まで練習して本日の練習は終了。自分一人で孤独に練習するのも悪くなかった。また一人で来よう。いつも人ばかり頼りにしているのでは、いつまでたっても自分の頭で考えて登るクライマーにはなれないもの。
2008年08月20日
コメント(13)

市内の図書館で司書に蔵書調べを依頼し、やっとウインパーのマッターホルン登攀記を捜し出した。これも近藤 等さんの名訳である。優れた画家であったウインパー本人の手による細密な絵も挿入されていて、これを見るだけでも価値がある。 ウインパーの描いたマッターホルンウインーパーは1865年7月14日8回目の挑戦で、当時難攻不落、かつ初登争いの感もあったマッターホルン登頂に成功した。一行は「輝かしい生涯を圧縮したようなひととき」を味わった。しかしその下山中に事故がおきて7人中4人が遭難して亡くなったのだった。その様子を描いた絵がツエルマットの山岳博物館に展示してあったのを昨年見た。遭難の痛ましさより絵としての緻密な美しさを感じていた私は今思えば軽薄だった。事故後、天空に霧が湧き出て、そこに十字架が3本現れたという。実に不思議な話であり、遭難という事実と考え合わせると暗示的にも思える。 不思議な十字架の出現 そこまでは知っていたが、その後のことは全く知らなかった。下山後すぐにウインパーたち主に英国人が事故現場に行き、倒れている3人を発見し、そのままそこの雪の中に埋葬した。しかしその後政府から厳重な遺体収容命令が出され、今度はツエルマットの村人たち21人が遭難者を捜索にいって遺体を収容し埋葬した。相当な危険をともなう作業だったという。1800年代当時、まだ一時に多くの人命が失われたことがなかった小さな山村ツエルマットでは人々がどんなに恐怖にさらされ、生存したウインパーたち3人もさぞいたたまれなかったことだろう。さらにスイス政府の予審裁判が開かれてウインパー達3人はその席で取り調べを受けた。強いロープを持っていたにもかかわらずなぜか最も弱いロープを使用し、それが切れて死亡事故になった点に疑惑が持たれた。状況の説明や弁明とかいろいろつらいことが続いたという。シャモニーでウインパーのお墓を探しあてた時、ロンドン生まれでスイスのマッターホルンを初めて登攀した彼がどうしてフランスのシャモニーに墓があるのか素朴な疑問をもったことは前に書いた。その理由がわかった。遭難事故は長く彼を苦しめ、アンデスやグリーンランド等他の地で登山家として活躍したが、傷心のツエルマットを訪れることはなかった。彼がツエルマットを再訪したのは1911年老境に達した72歳の時であったという。何とマッターホルン登攀の46年後である。その後シャモニーに移動し宿舎で客死したのである。遺骸はシャモニーのガイドたちに担がれ、モンブラン山麓のあの墓地に埋葬されたのであった。彼が残した言葉は私の心に深く沈み、これからの登山の戒めとなろう。「勇気も力も慎重を欠いたら何にもならない。ほんの一瞬でもこの注意を怠ると一生の幸福をも打ち砕くことになるかもしれないのだ。どんなことも急いではいけない。一歩一歩しっかり見極めたまえ。ことのはじめにあたって結果がどうなるかを常に考えよ」 悲喜こもごもの歴史を秘めて 煙るマッターホルン 2008.7.27
2008年08月19日
コメント(15)

山に行かない土日が連続2週続き、久しぶりにコンサートに出かけた。30代に5年間同じ職場で仕事した同僚が指揮者で、私が住んでいるN市の文化ホールで定期演奏会を開催したのである。 プログラム ラフマニノフ作曲 ピアノ協奏曲2番ハ短調 作品18 ショスターコビッチ作曲 交響曲第五番二短調 作品47 演奏 ちば室内管弦楽団 指揮 高橋利行 ピアノ独奏 中村洋子 指揮者 高橋利行 ちば室内管弦楽団まず久しぶりに聴くこのアマチュアオーケストラが以前より飛躍的に成長していたことに驚いた。特にフルート、オーボエ、ファゴットなど木管楽器のセクションはどのパートも安定して音色が美しく、全く危なげない演奏を聴かせた。金管セクションも大胆な音で充実した響きを出していてよかった。さらにオーケストラとしての表現力が豊かになり、単なる強弱ではなく微妙で高度な曲想を息切れせずこなすようになっている。アマチュアオーケストラにありがちな技能上の不安は全く感じない。1曲目ラフマニノフのピアノ協奏曲はおなじみの哀愁を帯びた名旋律が次々と出てきてとても楽しめた。ピアノ独奏の中村洋子さんは美しい音色でそつなく演奏していた。ショスターコビッチの交響曲第5番ニ短調「革命」、これには心奪われた。第1楽章のあの象徴的な主題が丁寧かつ慎重に始まった。私には心理的描写とも思えるこの主題は初めはひそかにゆっくりと心の隙間に入ってくるが、じわじわとその浸透力を増大させて最後には心の隅々まで占領してしまう。最後の第4楽章が圧巻だった。冒頭のあの「革命」的で爆発的力を持つフレーズがティンパニーとともに完璧な響きで登場し、それだけで圧倒された。フレーズが複雑にからまり、音色が次々と入れ替わり、激しい強弱の変化が展開しつつ曲が進行していく。エネルギーが渦巻き、見事な音楽に仕上がっていた。陶酔した。この曲は大変複雑な大作で、こんな曲を作曲するショスターコビッチという人の頭の中はどうなってる?と思うが、その一つ一つの音符をすべて音に変換し、芸術音楽としてまとめあげるというのも又至難の業である。指揮者と楽団員はどれだけの練習を重ねてきたことだろう。指揮棒が静止すると同時に「ボラボー!」という声がホールにいくつも飛び交った。私も「ブラボー」と叫び、スタンディングオベイションしたい気分だった。演奏に熱狂していた。プロでなくアマチュアオーケストラである。こんなことはめったにない。こころゆくまでオーケストラの魅力を楽しみ、「音楽への愛」を確認した半日だった。
2008年08月18日
コメント(8)

やっと映画「クライマーズハイ」を見た。御巣鷹山の航空機墜落事件の報道をめぐって新聞社内部の様々な軋轢、葛藤がとても激しくリアルに表現されていた。女性記者もがんばっていたがほとんど男の仕事場の話としか思えなかった。 全権デスクの悠木(堤 真一)過去の大事件を象徴する「大久保・連赤」という言葉が何度も出てきて時代を感じさせた。新聞作りの現場における主義・主張、プライドのぶつかり合い、過去の栄光ある実績と現在の安住など新聞社の人間模様は生々しかったが、お互いが歯に衣着せず過激にやりあったりぶつかりあっていく姿は、ねちねちせず、かえって小気味よくすら感じた。 御巣鷹の墜落現場また新聞社で仕事する人たちのすさまじい上下関係、家庭や労働環境というものも描かれていて人間ドラマにもなっていた。いつもながら山崎 努の演技には感心した。堤真一と小澤征らによる谷川岳一の倉沢衝立岩の登攀が回想的に挿入されていた。谷を大きく俯瞰するカメラが衝立岩の登攀に臨場感と高度感を見事に映し出していた。たくさんのカラビナやヌンチャクがカチャカチャと音をたて、ロープが流れ、アブミがひるがえる。そんな登攀シーンを見ていると自分がそこにいるようにドキドキしてしまった。悠木の息子が打ち込んでいったというハーケンに悠木があぶみをやっとかけるシーンには、いつも届かなくて苦労した自分の姿が重なったりもした。 谷川岳一の倉沢出合い 衝立岩の登攀一つ違和感があったのが、初めに悠木と安西が谷川に行こうとする場面でキスリングを持っていたことである。御巣鷹の事件が起きた当時、ザックは縦型でスマートになりキスリングは縦走でもほとんど見なくなっていたと思う。特に谷川のロッククライミングでキスリングというのは何か特別のこだわりがあったのだろうか。また、悠木の息子ジュンのことは原作にはあったが、この映画では具体的に登場しない。ジュンが体力の衰えた父のために打ったハーケンや悠木がニュージーランドに会いにいく場面などは映画だけを見た人にはワケがわからなかったと思う。主役を演じる堤真一が力強くかっこよかった。10月は私も再び谷川岳一の倉沢だ。「さあ、頑張ろう」という気持になった。
2008年08月17日
コメント(8)

久しぶりにランナウトへクライミングに出かけた。iceさんが仕事が休みでビレイしてもいいよと声を掛けてくれたのだ。お盆で、みんなあちこちに遠出しているのだろう。ランナウトはすいていた。はじめは3,4人しかいなくて、いつも混雑しているフロアも空き空きしていてどこの壁でも心置きなく使えた。はじめにオートビレイで3本ほどアップし、あとはiceさんにビレーしてもらい、たくさん練習した。ルートが空くのを待つ必要がないのでどんどんはかどった。室内の冷房(?)は扇風機だけなので風が抜けず、痛烈に暑い。普段あまり汗をかかない私も額から汗がぽたぽた落ちた。 グレードを記入した黄色のテープ この黄色のルートがオートビレイで登れるiceさんはリードで難しいルートにトライしている。私のビレーじゃ不安だろうが仕方ない。 さあ、どう登ろうか? ルートのライン取りを考えるiceさん休憩中は、私のヨーロッパこぼれ話、九月からのアルパインの予定などいろいろな話題に花がさいた。いつも講習会など先生やYさんの指導のもとでしかクライミングしたことがなかったが、自主練習もとても楽しく気軽に沢山練習できてよかった。iceさん、ありがとう。次は一人で来ます。
2008年08月16日
コメント(10)

小川山ソラマメスラブで復活した翌日、Mさんと再会すべく韮崎まで出かけた。その日はMさんのお宅に泊めていただき、Tさんも加わって5年分の話に花が咲いた。Mさんは5年前の秋、北アルプスは剣岳で出会った女性である。その時私は仕事のストレスを解消しようと、一人で剣岳に入っていた。予約無しで剣沢小屋に行き、運良く4人組の部屋に滑り込ませてもらった。そのうちの一人がMさんで唯一の男性がTさんだった。「女一人で剣に来る人ってどんな人?」とTさんに顔を覗き込まれてしまった記憶がある。翌日私は一般ルートの剣に、皆さんは源次郎尾根にと袂を別ったが、どういうわけか帰りに黒四ダムでまた会ったのである。皆さんとても親切で韮崎まで車に同乗させてもらった上に、Mさんは私の忘れ物を韮崎駅のホームまで届けてくださったのであった。このようないきさつでその後Mさんとは文通をしていた。お互い仕事が忙しく会う機会が無かったが、この度やっと再会にこぎつけたのであった。翌日はTさんも一緒に瑞牆山(2230m)東尾根を登った。富士見平から左にルートをとって八丁平までは一般ルートを楽しく歩いた。苔がびっしりと地面を覆い、きのこがあちこちに顔を出していた。崩れ落ちた伐採小屋でおびただしい焼酎の空き瓶を見、湿地帯を過ぎた。 富士見平小屋 瑞牆山遠望しかし、そこから先は道なき道を地図を見ながらの藪こぎになった。いかにも奥秩父という原生林が深山幽谷という雰囲気をかもし出し、足元はふかふかの苔と落ち葉でやわらかかった。しかし瑞牆らしく、森の中に突如大露岩が現れ、その基部を巻きながらあるかなきかの踏み後を探してけっこうさまよった。石楠花の大群落が道をふさぎ、枝に阻まれて難渋した。前日の雨のしずくが残り、膝から下が濡れそぼった。藪こぎの末、やっと一般道の最後10メートルに合流、頂上に着いた。 山頂にてMさんと「やったあ、着いた!」思わず叫んでしまった。先客が4,5人いた。頂上は曇っていてあまり眺望はきかなかったが、見覚えのある大岩壁が迫っていた。 圧倒的な迫力でせまる大岩壁
2008年08月15日
コメント(12)

合宿二日目はエンジェルフェイス効果(?、私は晴れ女)で真っ青な空が広がった。一晩眠れたのでやっと普通に戻った。みんなでソラマメスラブに繰り出した。参加者は老若男女、善男善女約10名である。 真っ青な空が広がる小川山ここは昨秋10月初めて小川山に来た二日目の岩場である。先生がヨーロッパに行ってらっしゃるので、MさんやAさん、Yさんがリードしてそれを私たちがトップロープで登らせてもらった。まずそらまめ下部スラブの「生木が倒れたよ」「三色スミレ」「甘食」と登った。昨秋これらのルートを登るのはとっても辛かった。全力を投入して体を引き上げなければならなかった。前腕がパンプしたし、指も腫れた。 三色スミレをリードするYさん 甘食を登るiceさんあれから10ヶ月ちかく経っているが、そう楽に登れるようにはなっていない。あまり進歩が無かったといういうことになる。でも少し余裕ができたのと力を抜いて登れた。それに今回は上のそらまめスラブにも行ってチャレンジできた。「ロングロングアゴー」を粘った。5.10bでルートが長く、下部はこのグレイドにしてはテクニカル。私にとっては出だしから核心だった。中間部に象の鼻のようなピンチで掴む部分があり、クラックが走っていた。指に握力がないのでピンチは苦手である。何度ももがきながら試行錯誤した。どうしてこんなにテンションをかけつつも止めないで岩にしがみついているのか自分でも不可解だった。きっと意地になっていたのだ。力を使い果たしてこれを登りきり、ある思いとあるこだわりを振り切りたかったのだ。何とか上まで抜けられた。自分でもよく諦めなかったと思う。ビレーヤーには迷惑だっただろうが、何か吹っ切れた。その後下部スラブに降りて分不相応だけど「スラブの逆襲」(5.11c)の困難さを味わいに出た。中間の真っ白になっているスラブ、何の手がかりも足がかりも見つけられない。あれこれ試みたが結局今回はそれ以上できず降りた。目的どおり逆襲の困難さを味わった。最後は「そらまめ」と「やわらかソラマメ」のスラブを2本登って終了。一日お日様にあたって体を動かしたので、やっと時差ぼけから抜け出せた。エンジェル フェイス復活!。皆さん、有難う。
2008年08月14日
コメント(14)

8月2日から3日の土・日にYさんのご好意で今年第2回目の小川山合宿が実施された。私は帰国直後なので始めから不参加と決めていた。しかし自宅でブル-フェイスになって沈殿しているところへ前日iceさんから誘いがあった。山でブルーになったものは山でエンジェルに戻るしかない(?)と思い、思い切って参加したのだった。1日目は時差ボケで2時間しか眠れなかったため意識朦朧としていた。目が半分しか開いてなかった。マガスラブで眠りながら「ウルトラセブン」「可愛い女」など2,3本登ったような気がする。皆さんは「高い窓」「オーエンのために祈りを」などを登っていたようだった。 マガスラブ夜はバーベキューとダッチオーブンで、すごく栄養たっぷりの料理がふるまわれた。アルコール類もあったし、Yさんがゆでたそうめん1キロもあった。トマト味のダッチオーブン料理のシチューにそうめんをつけて食べるとけっこういけた。10名くらいの参加者は寛いだ雰囲気で談笑し、小川山の夏を楽しんでいた。 アイスドラゴンさん指導のダッチオーブン バーベキューはお手の物ICEさん私はまたぞろ禁酒を破ってワインを飲み、半分眠りながらICEさんにマッターホルンの感想とも愚痴ともつかぬことをあれこれ話したような気がする。若い二人は童心にかえって花火をしていた。閃光が浮かび上がり、闇を彩った。 楽しい雰囲気の中にもっといたかったが、私はその頃やっと睡魔に襲われ、シュラフにくるまって眠ってしまった。Yさんに「そんな疲れた顔は始めて見た」と言われたから相当ひどい顔になっていたにちがいない。とても忙しく猫の手もかりたい状態だったのに、何もせずYさんには誠に申し訳なかった。夢うつつに皆さんが後片付けをしている物音を聞きながら爆睡していた。
2008年08月13日
コメント(11)

早いもので9日間があっという間に過ぎ去り、7月30日帰国の途に着いた。ささやかな土産を買った。みやげ物を買うのはなかなか骨が折れる。骨を折って買っていっても必ずしも喜んでもらえるとは限らない。家族に用意した土産はいつまでも部屋の隅に放置されっぱなしになっていることがあった。要するに不要なのだ。それで最近は使えば形が消える消耗品中心にしている。ツエルマットで電車を待つ間にスイスフランを使い切ろうとベガでほとんどの物を買い、シャモニーではワインを買った。 自分も愛用するエーデルワイスのバンダナ スイスのチョコレートは濃厚でおいしい エーデルワイス押し花付き温度計 やけ酒と息子のねぎらいにこのワインを3本 角笛それとも?自分は旅行をして最大の恩恵にあずかっているので基本的に自分への土産はなし。いつも訪れた各国の民俗楽器を1個記念に買っていくことにしている。昨年はエーデルワイスの押し花付きオルゴールを買ったので、今回はエーデルワイスの絵入りの角笛にした。それを見た先生、涼しい顔で「ペニスケースみたいですね」ギャフン!!!ウーン。まいった。センセイ!!私だって一応まだ女性なんですけどその話題ってあり?・・・。「そう言われてみればアフリカのペニスケースみたいに見えなくもないですけど・・・・でもエーデルワイスの絵もついてるし・・・・・・」。 しどろもどろ・・・・・・。スイスエアラインの乗務員はていねいな日本語で接客してくれるので気持がいい。機内で夜を過ごし順調に成田に到着。とうとう日本に着いてしまった。成田は蒸し暑かった。ああ、日常が始まる!!
2008年08月12日
コメント(9)

ガイアンのクライミングが午前中に終わってしまって、またしても午後はすることが無い。シャモニー滞在最後の日に一人ぽっちというのは寂しい。でもここで感傷的になっているのは私らしく無いと気を取り直し、午後遅くにメール・ド・グラス氷河とドリュを訪ねた。モンタンベール駅から赤い登山電車で急勾配の線路を登ること30分、メール・ド・グラス氷河駅に着いた。正面にドリュがあの鋭い三角形で君臨していた。ほんとに目の前だった。雲がかかったり晴れたりして陰影がつき、さらに魅力的だった。まるで恋人を見つめるように見とれてしまった。「そうだ、山は私にとって恋人なんだ」今更ながらの思いだった。恋人に会うためなら世界の果てまで行っても咎める無粋な人はいないだろう。マッターホルンを見て「この山に登りたい」と思ったが、さすがにこの「ドリュに登ろう」という発想は湧いてこない。それほど鋭角的な二等辺三角形であり、雲の上の存在である。でも私はどうしてこんな尖った形の岩稜にばかり心奪われるのだろう。右に目をやるとメール・ド・グラス氷河が見える。茶色の地面がわだちのように続きはるか奥の方にやっと白い氷河が見えた。さらにもっと奥にグランドジョラスが折りたたんだ屏風のように小さく見える。氷河がこんなに後退してるなんて!。愕全とした。これまで見た写真の氷河と大きく異なっていた。こんなことがあっていいはずがない。でも50年後にはヨーロッパアルプスの氷河は消滅するとTVで言ってた。なんという酷い環境の変容!!。そこにいた少女と一緒に写真を撮らせてもらった。フランス語は全くわからないが和やかな雰囲気を感じた。 フランスの少女と 赤い登山電車おびただしい観光客とともに再び赤い電車に乗ってシャモニーに戻った。最後の日が平和に暮れていった。
2008年08月11日
コメント(13)

ランデックスのクライミングが午前中に終わってしまって、午後はすることが無い。観光客でにぎわうシャモニーの街で一人ぽっちというのも身にこたえる。 昇己先生はボルダーに行かれた。じっとしているのももったいないと考え、午後遅くにウインパーとガストン・レビュッファのお墓を探しにいった。暑い日差しの中、モンタンベール駅を過ぎ、道路を渡ったところが墓地になっていて自由に入れた。かなり広く管理人が作業をしていた。沢山の墓碑が並んでいた。日本のそれとは違い、墓碑のデザインもキリストや十字架がたくみにレイアウトされ、色とりどりの鉢植えや写真が墓石を飾って綺麗だった。 お墓も様々なデザインがある 1800年代の墓石案内図にしたがって二人のお墓を探したが見つからない。墓地の端から端を歩き回った。随分昔のお墓がひっそりと残っていた。1800年代のものは質素で墓石だけだった。200年近くここにあったことを思うと敬虔な気分になった。散々歩き、暑さに負けて「もう帰ろう」と思った頃、やあっとウインパーのお墓を見つけた。墓石の文字が彼の全生涯を表現していた。彼はロンドン生まれでスイスのマッターホルンの登攀に初めて成功した人であるが、どうしてこのフランスのシャモニーに墓地があるのだろう。でもこんなすばらしい山々に囲まれた地に眠れて羨ましい。 EDWARD-WHYMPER AUTHOR-EXPLORER-MOUNTAINEER BORN IN LONDON 27TH APRIL 1840 しかしレビュッファはどうしても見つけられず、諦めて帰った。
2008年08月10日
コメント(10)

今回のヨーロッパアルプスの山旅には鈴木昇己先生をガイドとしてお願いした。A・T社は「鈴木ガイドと登るマッターホルン」と銘打っている。先生は登山家でありクライマーであり国際山岳ガイドである。カンチェンジュンガ北壁無酸素登頂や1983年の無酸素エベレスト登頂を初めとして国内外の困難な山や壁にたくさんの初登記録をお持ちで名実ともに日本を代表する登山家である。これまで私のブログで「先生」と表現している方はこの鈴木昇己先生のことである。昨年9月にクライミングスクールに入門して以来、ずっとクライミングの指導と雪山・岩稜のルートガイドをお願いしてきた。 前穂北尾根で 小川山レイバックを登る先生先生は常に沈着冷静である。鍛え抜かれた体が実にかっこいい。クライミングのスタイルは優雅でありながら力強くかつ自然でリラックスしている。私が第1回目の講習を受けて即座に入門を決めたのはそのクライミングの美しさと具体的にわかりやすく教えて下さることに魅力を感じたからである。普段はとても寡黙で静かな方であるが、必要な時にはビシッとした発言や指導が入るので圧倒的存在感があり、カリスマ的オーラが漂っている。(と私は感じている)私の自慢は「昇己先生に八の字結びから教えて頂いた」ことである。60歳の秋からクライミングを始め、握力も筋力もなく八の字結びから学び始めた私が、たかだか10ヶ月程度のクライミング経験でヨーロッパの岩場を登攀できたりしているのは、よくよく冷静に考えて見れば「驚くべき」ことではないだろうか。そもそも身長が141センチしかなく、どのホールドを取りに行くにしても手も足も届かないハンディが最初からあった。何もかもクライミングには不利な状態でよく投げ出さずここまで続けてきたと、自分でも思うときがある。「クライミングは面白い」「少しづつでも前に進んでいる」「私でも頑張ればできそう」という実感を得なければ劣等感と挫折感だけを残して止めていただろう。これは一重に先生の指導のたまものである。ご自分がクライマーとして優れているだけでなく指導者としても大変優れているということである。まず一つずつ確実に身につくように指導法の組み立てがきめ細かい。必ず先生ご自身が模範クライミングを示して下さるので視覚的に把握できる。次に手間を惜しまずその人にあった指導をして下さる。指示どおりにうまく動けない人にも丁寧に粘り強く指導されている姿にはいつも敬服する。私は小さいので特に手間をかけさせているのではないかと思うが、甘えている。なのに一度教えてもらったことでもしばらく期間をおくと見事に忘れていて、いつも申し訳なく思っている。先生は実に忍耐強い方である。さらにフリー、アルパイン、アイス、高所登山、ガイドの育成とどの分野も得意でエキスパートである。中でもヨーロッパアルプスはご自分の庭のようなものであろう。 グランドフローリアで マッターホルンで登山にはリスクがつきまとう。先生の安全管理は気象の把握から始まって総合的な判断がなされ万全である。マッターホルンに関してもシャモニーで天気予報を見たときから先生は「登頂は無理」という判断だったが、初めての私はどうしても自分の目で見なくては納得できず連れていってもらったのであった。また驚いたことの一つは睡眠をコントロールする力である。就寝時刻になるとすぐ眠って翌朝食事の10分まえにぱっと起きる。睡眠能力の高さとでも言おうか、とにかく驚異的である。先生とはいくつもの偶然が重なった出会いだったが、偶然は必然である。私にはもったいなさすぎる先生とも思えるが高齢者こそ卓越した指導者が必要である。学ぶ時間、登る時間、生きる時間が限られているのだから。これからも身近にいて少しでも学び、岩を攀じ登るスリルと冒険心を抱いて心豊かに生きていきたい。
2008年08月09日
コメント(2)

7月29日 第8日目 いよいよシャモニー滞在最後の日になった。明け方シャモニーの空を稲妻が光り、雷鳴がとどろいた。針峰群の上に黄色い稲妻がピカッピカッと走る光景はとても迫力があった。続いて雨が降ってきた。久しぶりの雨だった。今日はガイアンの岩場に行く予定だったが、この雨で岩が濡れてだめだろうなと思っていた。しかし予想より早く陽が照り始めた。9時ころにスネルスポーツ前から、瀟洒なホテルや古風な雰囲気の民家を見、道角にキリスト像が建てられている趣のある道を歩いてガイアンの岩場まで行った。 大勢の人でにぎわうガイアンの岩場 既に何人もが登っている手前に透明度が高いガイアン湖が静かに広がり、その後方にはボソン氷河が迫っている。シャモニーの休日を楽しむには絶好のロケーションである。もう沢山の人が岩に取り付いていた。岩はほとんど乾いていて問題はなかった。ここはシャモニーから歩いていける岩場で、子どもからお年寄りまで誰もが楽しめることで有名な岩場である。小さな子どもがヘルメットをかぶって岩に取り付いていた。まだ筋肉がつく前のやわらかくふっくらした可愛いアンヨが見える。 かわいい!! ボクの将来はガストン・レビュッファ?こんな小さな頃から岩で遊ぶなんて何とすばらしい環境だろう。ガイドの話によれば学校でクライミングの授業もあるということだった。はじめは手前の岩で4本ほど登り、あまりに暑いので上の岩場に移動した。ここでも4本ほど登って終了。岩は硬くガイドのルート選択が適切なので苦しむようなこともなく、本当にシャモニーの休日を満喫した。特筆すべきは新しく買ったクライミングシューズ・アナサジベルクロをこのガイアンで始めて履きおろすというグッドタイミングに恵まれたことである。間違いなく忘れられない記念日になるだろう。 緑の芝生の先に岩場が広がり、すぐそこまでボソン氷河が迫る
2008年08月08日
コメント(12)

8月7日(木)クライミングというスポーツはなかなか不便なスポーツである。なぜならビレイ(確保)が必要なため、ビレイヤーが居なければ登れないからである。そのためジムにトレーニングに行きたいと思っても一人では行けない。今日はいつもお世話になっているYさんが「ビレーしてもいいよ」と言ってくださったので、南部線中野島にあるパンプ2まで出かけた。相変わらず上手な皆さんが美しいムーブを展開していた。Yさんの交友関係が広く、書物で知っている有名なクライマーや新進気鋭の若いクライマーと出会うことができた。遠藤由佳さん。まずすばらしいボディに見とれてしまった。登山界のいろいろな話を聞くことができた。赤岳鉱泉で出会ったアイスクライミングの石川さんからはおいしいスイーツをご馳走になった。一方の足を骨折した石川さんが片足でスイスイと壁を登っていくのには驚いた。お二人とも背中の筋肉が鍛えられていて美しかった。さらに菊地敏之さんには3回もビレーして頂いた。菊地さんは「われわれはいかにして石にかじりついてきたか」、「クライマーズボディ」などの著者である。 「われわれは~ 」はとても面白い本で私は繰り返し5回は読んた。この本のおかげでたくさんのクライマーの名前、ルート名、フリークライミングの歴史等を知った。その菊地さんに超初心者の私が恐れ多くもビレーしてもらうなんて何というラッキー!!。ビレーはとてもきっちりしていた。最後のルートは「かぶっている壁の下に青いホールドがあるんだけど、見えにくい。そこに足を置く事を忘れないように」というアドバイスを頂き、苦労しないで終了点まで行けた。夏休みで小・中学生も多く、ママがビレーして長時間登っていた。すごいなあ。あの頃から鍛えて将来はクライマーにするんだろうか。楽しい半日を過ごした。
2008年08月07日
コメント(0)

7月28日7日目 晴れ昨日はマッターホルンのヘルンリ小屋に連泊する予定であったが、早く下山したため再びツエルマットから電車を乗りついてその日のうちにシャモニーに帰ってきた。今日はシャペル南稜のクライミングを楽しむことになっていた。しかし天気の状態でランデックスに変更になった。プラまでバスに乗り朝一番のロープウエイに揺られ、雪とガラガラの斜面を登り、グリーンベルトをトラバースしてランデックスの取り付きまで登る。約30分。ここからロープを結んでクライミング開始。先日のフローリアよりレベル的にはやさしくガイドはアプローチシューズのまま登り始める。全体で5ピッチ。 グリーンベルトが印象的なランデックスたしかに手・足ともにホールドはたくさんあり、岩はしっかりしていてけっこうすいすい登れた。途中で1パーティを追い越す。ぐんぐん攀じ登って最後の5ピッチ目になった。ここはものすごくダイナミックな地形だった。まずトラバースして更に下におり、そこからやせて急なリッジを最高地点まで登り返す。1ピッチの距離が長い。ロープをたくさんくり出してそのロープが岩の上を流れるのではなく空中にずっとのびていく。前方にガイドがクライミングする姿と地形を見ていて「私にあそこまでいけるだろうか」と少し不安になったが、いざ行ってみると案外楽にいけた。 ランデックス終了点 後方の景色がすばらしいここでクライミングシューズをアプローチシューズに履き替え、鉄の輪が設置されている下降ポイントまで下る。切り立った断崖で下は全く見えない。「まさかここから懸垂下降?、こわいよお、懸垂下降はもうずーとやってないし」とひやひやしていたら、案の定懸垂下降だった。落ち着いて考えれば当然である。この断崖絶壁をクライムダウンするはずがない。ガイドがあっという間に下降し、私の番になった。これまで自分ひとりだけの状況で懸垂下降したことがない。必ず後で私をチェックしてくれる人がいたのに、今日は自分だけ。もたもたしていたら「降りてー」という声が聞こえこわごわ下降開始。ガイドの指示どおり岩と岩の間にロープが入るようにして左に回りこみ、途中からはするするとスムーズに下降できた。はるか下にガイドの姿が小さく見える。 地面に着いて降りてきたほうを見ると、ものすごく男性的なかっこいい岩がそそり立っていた。これをロープ1本で降りるんだから少々怖くてもしかたがないと自分を慰める。 ここで休憩し、下山にかかる。岩ばかりで「どこを降りるの?」という所だったがよく見るとしっかりルートがあって案外楽に下れた。岩が終わるとまたガラガラの道で最後は雪。でも30分くらいでロープウエイに戻れたので楽だった。懸垂下降にスリルがあったが、楽しい半日のクライミングだった。
2008年08月07日
コメント(2)

7月27日 6日目 晴れ時々曇り ヘルンリ稜から山頂をめざして登攀朝3時起床で3時半から朝食。食事の10分前に起きるようにとの指示だったが、私の部屋の日本人はみんな3時には起きて静かに準備を整えていた。食堂であわただしく朝食をとり、ハーネス、ヘルメット、ヘッドランプ、スパッツなどを身につけ、みんな競って外に出て行く。小屋中が緊張してぴりぴりしている。「焦って出て行ってもどうせ取り付きのところで渋滞になるから、焦らなくてもいいですよ」というガイドの声で落ち着いて準備し、ロープをアンザイレンして4時半に小屋を出発した。空には満天の星が輝き、風もあまりなく、雪をまとっているマッターホルンがおぼろに見える。外は真っ暗で先に登っている人のヘッドランプが山肌にチラチラと光っていた。雪を踏んで昨日下見した取り付きの岩壁まで歩き、補助ロープを掴んで登攀開始。この垂壁を左に回りこんで登っていくのだが、ヘッドランプをつけているとはいえかなり暗くて足元はあまりはっきり見えない。暗くて岩がよく見えずルートファインディングも難しい。しばらくは岩だけのルートで傾斜は急だが面白く登れた。そのうちに稜に固定ロープが出現し、それを掴んでしばらく登る。なかなか楽しく高度を稼げた。もう下山するパーティも見かけた。 ヘルンリ稜下部狭い凹角に入ったり出たりトラバースしたりしながら攀じ登っていく。1時間くらい攀じ登ったあたりから雪が出てきて岩の上にも地面にも雪がついている。次第に岩を掴む手も滑るし、足を置く岩も滑るという状況になってきて、これはけっこう危険な状況で登っているということを実感した。ソルベイ小屋のオレンジ色の建物が上のほうに小さくハッキリ見えるが、なかなか近づけない。 雪の斜面を下る人1時間半くらい登ったところで「これ以上は危険だからこの辺りで下山しましょう」というガイドの指示で登攀は終了。比較的安定した場所で休憩した。ツエルマットの街がはるか下に見える。人が住んでいる温かい場所である。クラインマッターホルン、ブライトホルン、モンテローザなど周辺の山々が純白に輝いている。マッターホルンも朝焼けで一刻焼けるようなオレンジ色に染まった。写真でよく見てきて姿だけど実際に自分の目でみると胸にくるものがあった。黒い岩肌と朝日が当たったオレンジ色との対比が鮮やかで、とても刺激的だった。有無を言わせず人を魅了する力を持っていた。真っ青な空に白い雪とオレンジと黒の岩。こんな真っ青な空が広がって朝焼けに岩がオレンジに染まっても頂上まで登れない山、マッターホルン。何という気難しい山なのか。一度雪がつくとそれが溶けるまで晴天が2,3日必要という。溶けなければひと夏登攀のチャンスが巡ってこないとも聞いた。 右上に赤いソルベイ小屋が見える休憩のあとは下山にかかった。足元に雪があったり凍っていたり滑ったりする状況で着地する場所が見えないような急な岩を下降しなくてはならない。登るより数倍も危険だった。慎重に慎重を重ねて下降する。ガイドもロープをものすごくタイトにしていて、滑落防止に神経を張り巡らしているのがわかる。まず私をビレイして安全に下ろし、ビレイのないガイド自身も安全に降りなければならないわけだから、一歩一歩が命に関わってくる。途中二度くらい滑ったが、ガイドのビレイで全く大丈夫だった。下が見えないため早くは降りれない。そうこうしているうちに次第に高度が下がって傾斜もゆるみ、ヘルンリ小屋の屋根が眼下に見えるようになった。無事ヘルンリ稜を下って小屋に到着した。八時近くになっていた。ほっとして気が緩んだ。マッターホルンの手ごわさを体験した。 無事下山できてほっとしたガイドと私 (思わず笑顔が)
2008年08月06日
コメント(12)

7月26日(金) 第5日目 昼間は晴から曇り、夜は雪と雷今日はマッターホルンの麓ツエルマットまで電車で移動し、マッターホルンの登山基地ヘルンリヒュッテまでハイキングする。シャモニーを8:10の電車で出発し、途中3回も乗り換えをして、12:15にツエルマットの街に着いた。 駅とは思えない洒落たシャモニー駅 独特の赤い電車に乗って一年ぶりのツエルマットだった。駅前は相変わらずの賑わいで日本人の姿がすぐ目についた。電気自動車が走り、色とりどりの花が街を美しく飾っていた。 ふんだんに飾られた花が美しいツエルマット駅電気自動車明るい日差しと洒落たホテル群を横目にツエルマット行きのロープウエイがある街の外れまで歩いた。そこでマッターホルンに登るという日本人数名に会った。ロープウエイを二つ乗りついで、シュバルツゼーまで眼下に広がる緑の牧草地を見ながらのんびりと揺られて登った。展望台や瀟洒なレストランがあり、目の前に雲がかかったマッターホルンが聳えていた。シュバルツゼーの展望レストランしばし休憩して、クラインマッターホルン、ブライトホルン、モンテローザ、ゴルナーグラード氷河などバリス山群の名峰のたたずまいをなつかしく楽しんだあと、ヘルンリヒュッテまで山道をハイキングした。ゲンチアナなど高山植物が可憐に咲く道をしばらく登り、途中からは岩山を巻き、最後のやや急坂を登りきるとヘルンリヒュッテに着いた。約2時間。 各国からの登山者で賑わううヘルンリ小屋 マッターホルンマッターホルンが首が痛くなるほどの角度で目の前に聳えていた。北壁は言うまでも無く東壁にもかなり雪がついていた。時折雲がまといついて全貌を隠したりもした。登れるかどうかわからないものの、取り付き地点の岩壁を確認しようということで取り付き地点まで行った。雪が地面を覆っていた。いつもならこんな所に雪なんかないというガイドの説明だった。垂直の岩壁に補助ロープが付いていた。「先陣争いをしながらこれを登っていくんだなあ」と明日の登攀の実感が湧いた。 補助ロープが下がる取り付きの岩壁明日の準備をして食堂で夕食をとった。日本からも何人も来ていたが世界各国からの登山者で食堂は賑わっていた。それでも天候が思わしくないので少ないということだった。地元シャモニーのガイドは登攀は無理だとして誰も上がってきてないということも聞いた。 夕食は得体のしれない味でさすがに我慢しながら食べた。コメがまずいし、カレーだと言うのだが色はクリーム色で味はないし、どうしてかパインにさくらんぼだし。 ヘルンリ小屋の食堂 見かけは良かったが味は今イチの夕食夕食後、外を見ると真っ暗でみぞれのような雪が降り風も出ていて、さすがにこの状態では「明日は無理だな」というより諦めの気持を確定的にした。日本人ばかりが入った部屋で気楽に眠った。でも夜中に窓の外を見ると星がまたたいていた。
2008年08月05日
コメント(2)

7月25日 4日目シャモニーでは天気予報が街のショップの窓ガラスに張り出される。フランス語と英語の二ヶ国語表記である。昨日の午後、天気予報を見に行くとなんと晴天率100%から一転、曇りで60パーセント、3600以上の山岳地帯では雷という予報になっていた。更にマッターホルンアタック日はもっと悪い予報が出されているではないか。 天気予報が張り出されている店先この時点でガイドから予定通りツエルマットへ移動するかまたは計画を見直すか打診され、判断に苦しんだ。しかし、悪天候を予想しながら行くのも賢くはないと考え、一日ずらして移動する事にした。そこで今日はシャモニーからすぐ行ける岩場グランドフローリアでクライミングを楽しむ事になった。シャモニーからバスでプラまで行き、ロープウエイを二つ乗りついて岩のふもとまで移動した。ガラガラの道や雪渓を歩いて岩の取り付きまで行く。岩はとてもしっかりしていて手も足もホールドは豊富で攀じ登るのに苦労するようなところはあまり無かった。しかし7月以降クライミングから遠ざかっていたので、あれこれ忘れていて登攀マルチモードに切り替わるのに時間を要し、またしてもガイドに迷惑をかけた。約2時間で登攀終了。 終了点まで行くと反対側の山並が見渡す限り広がっていた。絶景だった。 ツール氷河 メール・ド・グラス氷河とグランドジョラスボソン氷河とシャモニー針峰群・モンブラン方面、シャモニーの街並四大氷河即ちツール氷河、アルジェンチェール氷河、メール・ド・グラス氷河、ボソン氷河が一望できた。その氷河の上にベルト針峰、ドリュ、シャモニー針峰群、エギュー・ド・ミディ、モンブランと名だたる高峰が聳え、本当に息をのむ一大パノラマで圧巻だった。至福の時間だった。景色を堪能して下山した。この下山は急斜面の雪渓にザクザクのモレーン地帯の急下降が続き、中々のものだった。何回か滑って倒れたりしつつ、やっとプラのバス停に着いた。時間があったのでプラの教会をじっくり見学し、バックのドリュとの美しい風景を楽しんだ。
2008年08月04日
コメント(10)

7月24日(木) 第3日目 コスミック山稜の登攀7:00 朝食。硬いパンと生ぬるい紅茶で夕食に比べてとても質素だった。8:00 ガイドとともにコスミク小屋を出発、コスミック山稜に向かう。今日も真っ青な空と見渡す限りすべてくっきりと見えるアルプスの峰々、白銀のバレブランシュ雪原とすばらしい景観である。人生の中でこんな風景を見ることが再びあるだろうかと思うくらいの山岳美を味わった。 コスミック小屋前からの朝焼け マッターホルンも遠くにはっきり見えた小屋前からアイゼンを履き、ヘルメット、ハーネス、サングラス、ピッケルのフル装備でコスミック山稜に取り付く。岩稜、雪、ミックスと変化に富んだルートでダイナミックな岩は見るだけでも面白かった。 「こんな岩をどこから登るの?」というようなところもあったが、そこに行ってみるとちゃんとルートがあって見るよりは登るほうが易しかった。スピード=安全のヨーロッピアンタイルで、ぐんぐんと登っていくつもの岩を超えて行った。中々スリルのあった岩壁の下降 このクラックをアイゼンで登る ほっと一息できる地点最後にミディ展望台前の鉄のはしごを乗り越えると終了だった。展望台で私たちの登攀を見ていた一般観光客が盛大な拍手をしてくれるという事前の情報だったが、なぜか誰も拍手をしない。少々拍子抜けした。登攀時間約2時間。 一般観光客で賑わう終了点のテラス再びロープウエイを乗り継ぎ、花がふんだんに飾られた美しい街に戻った。
2008年08月03日
コメント(4)

7月23日(水) 第2日目 すばらしい快晴 朝4時に起き、ホテルの近くを散歩。8:00からホテルレセプションにてガイドと打ち合わせをする。久しぶりに鈴木昇己先生と再会する。これまではクライミングの先生だったが、今日から7日間専任ガイドとしてお世話になる。身支度を整え、11時にエギュー・ド・ミデイのロープウエイ駅で合流しする。ミディ駅はたくさんの観光客や登山者で大混雑していた。日本人にもたくさん会った。ロープウエイを二つ乗りついてエギュー・ド・ミディ展望台まで登る。ここですでに富士山より高く3842mである。氷河から渡る風が涼しい。ミディ展望台トンネルを出てアイゼンを装着し、ロープをアンザイレンして傾斜の強い急な細い雪稜を下る。ロープウエイから急に環境がシビアになるのでここは昨年も緊張したところである。 グランドジョラス ダン・デ・ジェアン慎重に雪稜を下ってバレ ブランシュの大雪原に辿り着く。晴天率100パーセントの予報でこの上望むべくもない絶景が展開していた。正面にメール・ド・グラス氷河を従えた憧れのグランドジョラス、ダン・デ・ジュアンの鋭い岩峰、ツールロンド、グラン・キャピサン、どっしりとしたモンブラン・ド・タキュールなどなど、あまりのすばらしさに息をのむ。フランスからイタリアへ空中テレキャビン今日は体慣らしの日なので日程がゆったりとしていてすぐ休憩になる。氷河歩行トレーニングをしながらも、フランスのミディからイタリアのエルブロンネルへ空中を移動するテレキャビンがゆらゆらと動いているのがくっきりと見える。真っ青な空に赤いテレキャビン。バレ・ブランシュにてガイドと バックの雪山はモンブラン・ド・タキュール 右はミディ南壁ミディの展望台直下にものすごい大迫力の岩壁ミディ南壁が聳えている。赤茶色の岩肌で既に何人か登攀している人が蟻のように小さく見える。ミディ南壁 この圧倒的存在で迫る大岩壁を登攀できる日がいつか来るだろうか。いや来てほしい。周辺には何組ものパーティがテントを張っていて賑わっている。しばらく雪原を歩いてコスミック小屋へ到着。(標高3616m)攀じるものなら攀じてみなさいと言わんばかりの1本のクラックが走るコスミックバットレスコスミック小屋は最近建て直されたということでとても綺麗で洒落ていた。宿泊者は若い人が多く、大半はモンブラン三山即ちモンブラン・ド・タキュール~モン・モディ~モンブランの縦走をする人たちであり、一部が私のようなコスミック山稜を登攀する人である。岩の上に建つコスミック小屋アルプスの山小屋で最もおいしいという夕食を頂き、就寝。しかし、またしても眠れない。眠れないままに夜が更ける。
2008年08月02日
コメント(6)

7月22日(火) 晴れ成田空港からスイスのチューリッヒへ向けて出発。約11時間のフライトで飛行機はインターナショナルスイスエアラインである。これに乗るのは初めてだった。 スイス航空機 チューリッヒ空港少し気がかりだった乗り換えもうまくゆき、チューリッヒから1時間でジュネーブに着いた。そこでアルプスプランニングジャポンの神田美智子さんの出迎えを受け、タクシーに乗ってスイスから国境を越えて一路フランスのシャモニーへひた走る。約90分。シャモニーに到着したのは時刻的には夜だったが、太陽が輝いて昼の雰囲気だった。モンブランが白銀に輝き、針峰群は鋭く天を突いていた。1年前より良く見える。ああ、私はこの風景を見たくて再びここに来たのだ。宿泊先はホテル バレブランシュホテルでこじんまりした可愛いホテルだった。部屋が4階で左手にシャモニの中心街が広がり、正面にはシャモニ針峰郡とモンブランが広がっている。山好きには絶好のロケーションである。 ホテル バレブランシュ 部屋から見たシャモニ中心街パルマ広場 白銀のモンブラン方面(手前がボソン氷河) 残照のシャモニー針峰群日本を出てから16時間位が経過していて、夜中の2時頃のはずである。明日早速ガイドとの打ち合わせが8時からあるので、荷物を手際よく片付け、ベッドに入った。ベッドに横たわった状態で窓からシャモニー針峰群がくっきりと見える。しかし2時間ほど眠ったら目が覚めてしまった。日本で起床している時刻になっていた。人間の体は実に不思議に満ちている。眠れないままシャモニーの夜が更けていった。
2008年08月01日
コメント(2)
全32件 (32件中 1-32件目)
1


