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2018/12/17
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カテゴリ: 徳川家康
数日前ネットオークションで写本を落札した。


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落札価格300円+送料360円
久しぶりに安い買い物だった。

届いた商品はこんなもの




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徳川家康の生まれてから死ぬまでの年譜。
著者は 家康の九男 尾張徳川家初代 徳川義直である。

空欄に「大正2年 神戸の寓居にて浅井★之」と写本者名がある。


rblog-20181217113200-01.jpg

漢字ばかりで完全には読めない。

眺めていると意味は 7~8割くらいわかる



上の写真は家康数え19歳、永禄3年(1560)5月
織田・今川が戦った桶狭間の合戦の折

今川義元本隊に先行して大高の丸根砦を攻めたこと。

義元討ち死に後 岡崎大樹寺に引き上げたこと。
その後 岡崎城に入ったことが書かれている。

面白いのは 
前年の永禄2年に大高城へ兵糧を運んだとある。
高名な「神君 大高城兵糧入れ」である。

諸説あって 通説では
永禄3年桶狭間合戦の前日のこととなっている。

しかし危険な敵前兵糧入れのすぐ翌日 

この年譜にある前年のこととした方が自然な気がする。


適当に読み進めていくと慶長9年(1604)の閏8月14日

「朝鮮人来聘(僧松雲 孫文い或 金孝舜 来請文禄之因 公許之)
という文があった。

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この僧松雲というのは 当時の朝鮮にあって傑出した人物で


朝鮮の僧侶をまとめて日本軍と果敢に戦っている。

一旦、休戦後の慶長の役では 
加藤清正に対して朝鮮の立場を説明し講和の働きかけをしている。

秀吉の没後、渡海した全将兵の引き上げ、関ケ原合戦と続き徳川の天下となった。

慶長8年(1603)征夷大将軍となった家康の働きかけで
朝鮮国王が日本の情勢探査を兼ね 松雲大師を日本に派遣した。

伏見滞在中の家康が使節一行と会見したのが この記事。

これが文禄・慶長の戦後処理となり
松雲大師は 日本軍に連れ去られた朝鮮人捕虜のうち
1340人を故国に連れ帰っている。

これより後 
慶長12年(1607)には 朝鮮通信使一行が来日
以後 徳川時代には将軍の代替わりに全12回の通信使来訪があった。

慶長12年5月の記事(第1回朝鮮通信使節)
rblog-20181217113200-03.jpg

朝鮮からの征夷大将軍秀忠への贈り物 大御所家康への贈り物の数々
将軍からの返礼品、大御所からの返礼品が記されている。



参考   
家康と松雲大師





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最終更新日  2018/12/17 07:55:42 PM
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