全31件 (31件中 1-31件目)
1

早いもので、2月は逃げるように去って行くのでしょうか? もう2月28日となってしまいました。そして、3月、3月と言えば、「卒業式」。「卒業式」と言えば「贈る言葉」。3年B組金八先生のテーマソング?(あの番組、余り知らないんです)そして、金八先生のオープニングは荒川の土手を歩くシーンですね。そして、これが荒川です。正確に言えば、これは荒川放水路で、荒川は、江戸時代初期以前は現在の元荒川の川筋を通っていた。つまり関東平野に出たのち東へ下り、武蔵国・下総国境付近(今の越谷市・吉川市周辺)で南流していた利根川と合流、そこから合流と分流を繰り返しながら江戸湾(現在の東京湾)に注ぐ川でした。1629年(寛永6年)に関東郡代の伊奈忠治らが現在の熊谷市久下で河道を締切り、和田吉野川の河道に付け替えて入間川筋に落ちるようになった。元の河道は、熊谷市で荒川から離れて吉川市で中川と合流する元荒川となっています。付け替え後の荒川(元の入間川)は、下流で現在の隅田川の河道を通っていましたが、たびたび洪水による被害があったため、荒川のうち、岩淵水門から、江東区・江戸川区の区境の中川河口まで開削され、足立区千住地区、および墨田区・葛飾区の区境を経由し、全長22km、幅約500mを誇る荒川放水路となりまた。詳しくは、この写真で確かめて下さい。その工事は、内務省によって調査、設計の準備を進め、土木技官の青山士らを責任者に進められ、1913年(大正2年)から1930年(昭和5年)にかけて、17年がかりの難工事だったそうです。今の荒川水系はこうなっています。「荒川放水路」は1965年(昭和40年)に正式に荒川の本流とされ、それに伴い岩淵水門より分かれる旧荒川全体が「隅田川」となったそうです。それまでは現在の千住大橋付近までが荒川、それより下流域が隅田川と区別されていました。まあ、そんなこととは関係なく、鴨はのんびり水面で泳いでいますね。
Feb 28, 2011
コメント(8)

江東区の運河めぐり、荒川放水路の方に行ってみました。ところで江東区の運河ってどうなっているか。それを示すのが下の写真です。横十間川と小名木川が交差するところに小名木川クローバー橋があり、中川を分断するように荒川(放水路)が掘削され、江東区を流れる中川は旧中川と呼ばれています。とりあえず、歩くと距離があるので都営地下鉄新宿線で東大島駅まで行ってみました。東大島駅は旧中川をまたぐように作られています。この橋は中川大橋とありますが、亀有にある中川大橋とは違いますよ。この橋のたもとにあったのが中川船番所。このような公園が整備されています。そして、江東区立中川船番所資料館高校生以上は入場料200円、小中学生なら50円です。船番所とは、江戸幕府が河川水運によって江戸に出入りする人や物を検査するために、小名木川の中川口に設けた川の関所です。ちなみに、浦賀にも船番所があり東京湾に出入りする船を調べていたそうです。
Feb 27, 2011
コメント(4)

横十間川を南に向かって歩くと、小名木川クローバー橋とは、横十間川と小名木川が交差する地点にあって中央部で十字に交差する構造になっている歩行者・自転車専用橋です。横からみるとこんな感じです。橋の上ではのんびりと人が歩いてます。橋の上から西にある隅田川の方を見ると、小名木川の浚渫工事が行われていますね。南の方は、水門がありますが、横十間川親水公園として整備されています。荒川につながる東の方には、背の高いトラス橋は総武本線 貨物支線(越中島支線)の鉄橋です。どちらに行ってみましょうか?
Feb 26, 2011
コメント(2)

横十間川の側にある猿江恩賜公園は、このあたりの貴重な緑地として区民には愛されていた公園です。休日ともなると公園の周りをジョギングする人や園内にあるテニスコートや野球場でスポーツを楽しむ人が多い区民に愛される公園です。元々は、江戸時代から続く徳川幕府による貯木場でしたが、その後、明治政府御用達の貯木場になり、その後、1924年に 皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の成婚を記念して、猿江貯木場の一部を東京市に下賜されたことにより、一般の人々に開かれた公園になりました(現在の新大橋通りの南側にある南園部分)。公園の北側の地区は、戦後しばらく貯木場として使用されていましたが、これも江東区潮見に移転されたので、1981年に追加開園されました。その貯木場の面影をのこすためにミニ木蔵と呼ばれる池が設けられています。恩賜というのは、日本では天皇から賜ったものを指すそうですが、上野公園、井の頭公園なども恩賜の公園です。ミニ木蔵のフェンスには都鳥と呼ばれるユリカモメがたたずんでいました。
Feb 25, 2011
コメント(4)

新大橋通りが横十間川を渡る本村橋から東京スカイツリー方向を撮影しました。左側の樹木があるのは猿江恩賜公園です。右側は川沿いを歩ける遊歩道が整備されています。遊歩道を歩いていると、横十間川のコンクリート水路の側壁の写真です。かっては水に接触していたコンクリートの表面はかなり劣化しています。よく見ると、セメントモルタル部がはがれてコンクリートの中にある骨材の玉石(このコンクリートが造られた頃は、今のような砕石ではなく玉石が骨材として使われていたことがわかります)。また、このようなモルタルがはがれた部分は常に水没しているところではなく、湿潤と乾燥が繰り返される。喫水線部に起こっているようです。多くの人は、水の勢いでコンクリートの表面が浸食されて、このような状態になったのだと思われるでしょうが、この川の河床こう配から考えて、コンクリートを浸食するほどの流速で水が流れることは考えられません。詳しい説明はコンクリート工学の専門書に譲りますが、乾湿が繰り返されることによりセメントのカルシウム分が水和反応により溶け出溶脱してしまった結果、セメント部がはがれ骨材が表面に現われてきたということのようです。
Feb 24, 2011
コメント(8)

横十間川の総武線の鉄橋と京葉道路の松代橋を過ぎて見えてくるのが都立墨東病院です。都立墨東病院、実はなかなか有名な病院で、特に、マラリア、腸チフス、パラチフス、コレラ、旅行者下痢症、デング熱など、熱帯や亜熱帯地域で感染するいわゆる輸入感染症の診療を得意分野としているそうです。MoMo太郎はまだ診察してもらったことはないのですが、むかし、うちの賢妻(自称)が海外から帰国した時に、成田の検疫所に提出する申告書に「下痢ぎみ」と記入した時、当時は入国時、厚生省の係官がその内容をチェックしていて(今は紙を提出するだけです)、賢妻(自称)を別室に呼び込んで事情を聞いたそうです。そして、「江東区にお住まいなら、異常があれば墨東病院をお勧めしますよ」言われたそうです。実際は、単にジャカルタで食べ過ぎただけで、別に大したこともなく、賢妻(自称)はそのまま行くこともなかったので、墨東病院の実力はまだ未体験ですが、まあ、それだけ、輸入感染症については、知れ渡っている病院ということなんでしょうね。墨東病院を過ぎると、竪川とその上を走る首都高小松川線の橋脚が見えてきます。竪川は、中川と隅田川を東西に結ぶ運河として、1659年(万治2年)に起工されました。江戸城に向かって縦(東西)に流れることから竪川の名称となったそうです。今では、上空に高速道路が走り、大横川の交点からは蓋をかけられて、ほとんど全線暗渠になっていますが、隅田川と中川(今の荒川放水路)を結ぶ直線航路として利用され、物資の輸送はもとより、成田山、香取、鹿島神宮への参詣路としても親しまれたそうです。
Feb 23, 2011
コメント(6)

上野駅から向かったのは、そのまま山手線に乗り込んで総武線・成田線経由で西日暮里です。途中下車しなければ、大都市近郊区間の運賃計算の特例でキセルにはなりません。http://www.jreast.co.jp/kippu/1103.htmlまず成田駅の成田線ホーム。こちらは鹿島神宮行きの209系、地方のローカル線なのに京浜東北線など同じ車両が使われているのは、なかなかのものですね。こちらは我孫子行きですこちらに乗るのですが、E231系です。同じ成田線といいながら、こちらは我孫子(あびこ)支線と呼ばれていて車両の運用も違います。また成田から常磐線経由で上野への直通列車も運行されています。成田を出て次の駅は「下総松崎(しもふさまんざき)」です。普通は、「しもふさまつざき」と読むでしょね。次の駅の写真は停車時間中に看板が撮影できなかったのですが、「安食(あじき)」と読むそうです。これは「木下(きおろし)」です。普通は「きのした」でしょう。次は「布佐(ふさ)」です。これもなかなか難しいですね。そして、次の「新木(あらき)」最後は、常磐線と成田線の乗り換え駅の「我孫子(あびこ)」です。我・孫・子でどうしてあびこと読むのか不思議ですね。
Feb 22, 2011
コメント(12)

上野駅の中央改札の風景です。随分明るくていいですね。最近はこんなモダンな喫茶店もできてでもこの壁画は昔からのような記憶があります。
Feb 21, 2011
コメント(6)

上野駅15番線のにある石川啄木の歌碑です。『ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく』1886年(明治19年)2月20日に石川啄木は生まれたそうです。
Feb 20, 2011
コメント(4)

上野駅で乗り換えをする間じかんがあったので、フレッシュひたちが停車しているのを撮影しました。わざわざ「フレッシュひたち」と「スーパーひたち」に分けているのは、使っている車両も違うし、「スーパーひたち」だといわき駅いまでは行くし、水戸まではノンストップ(基本的に)ということなのでしょうか。この編成の配色はグリーンですが、編成によっては、赤、オレンジ、黄色とあるそうですね。ところで、2012年春以降、ひたちには新型車両が投入されて、常磐線の特急はいわき駅で分断されるダイヤとなり、現在3~4往復ある上野~仙台間の直通特急列車が廃止となるそうです。http://www.jreast.co.jp/press/2010/20101206.pdf
Feb 19, 2011
コメント(4)

上野駅地平ホームに飾ってあった牡丹。つくば市にあるつくば牡丹園の提供でしょうか。すごく写真の水平が傾いていますね。日頃の姿勢の悪さがそのまま反映されていますねストロボを使うとなんとなく自分の思った色と違う写真になりました。そして白い牡丹駅の地平ホームは、暗いのでカメラのオートだとストロボを使ってしまいますが、これはこれで白さがくっきりして色は好みです。ストロボを使わず、駅の蛍光灯の照明だけで撮影しました。花の色はいいのですが、葉っぱの色をもう少し落ち着いた色になるように撮影すべきでした
Feb 18, 2011
コメント(4)

JR両国駅の団体・臨時ホームに上がる階段に雛人形が飾られていました。なかなか、豪華ですね。これだけの人数が集まると、主役の男雛、女雛も目立たないです。
Feb 17, 2011
コメント(4)

今は昔、といっても昭和の終わりくらいから平成10年くらいまで、江東区の運河を水上バスという船が走ってました。亀戸から夢の島までかな、料金は200円くらいだったと思います。どういうわけか廃止になってしまいましたが、多分、運行本数が少なかったのと利用する人もいなかったんでしょうね。その時、利用していた水上バスの乗船場が横十間川の総武線の鉄橋の近くに残っていました。水上バスはなくなったけど、今では時々、ボートを漕ぐ人が運河を利用しているみたいです。
Feb 16, 2011
コメント(0)

今日は昨夜降った雪が残っていました。雪ダルマなんか作って子供たちは遊んだかな。うちの会社の大人たちも雪ダルマ作って遊んでいました。ところで、雪を撮影する時に気を配るのは、露出補正ですね。以前、実験したホワイトバランスの使用頻度はあまりないですが、露出補正はよく使っています。ISO80 絞りf11.0 シャッタースピード1/640s 露出補正-1ISO80 絞りf11.0 シャッタースピード1/320s 露出補正0ISO80 絞りf4.0 シャッタースピード1/1000s 露出補正+1最初の露出を-1にしてものは、やっぱり暗くて雪もくすんだ感じですね。2枚目の露出補正をしていないものは、通常撮影する時はそれほど感じませんが、ややどんよりと暗い印象ですね。露出を+1にした3枚目は、雪が明るい白色に見えています。どうしてこうなるかというと、「雪はとても明るい」ということが原因です。明るいということは、光の反射が強いということで、これがカメラの露出の読みを誤らせて、結果として見た目よりどんよりと暗い写真になったということですね。雪を写す時は、露出補正を+にすることが必要ですね
Feb 15, 2011
コメント(14)

今夜(2月14日)はつくばも雪です。なかなか味わいのある空からのバレンタインディのプレゼントでしょうか?いつも持ち歩いているコンデジで撮影しました。写真の白い点はストロボに雪が反射しているんでしょうね。寒いので手も震えてプレプレ写真でした。今度は根性入れて、ストロボなしで撮影しました。全体的に青味があるのは街灯の蛍光灯のせいでしょうか。こういうシーンを上手く撮影するにはどうすればいいんでしょうか(^_^;)ちなみに、下の写真はストロボをスローシンクロさせずに撮影した失敗作です。問題は明日の通勤です。多分、車は使えないし、バスは満員で遅れるだろうし、一層、早起きして歩いていくか片道6キロ。
Feb 15, 2011
コメント(10)

江東区は、昭和22年に城東区と深川区会が合併してできました。しばらくは、この江東区にめぐらされた運河を散歩してみます。ちなみに、江東区の「江」は深川、「東」は城東の意味も含んでいるそうです。錦糸町駅と亀戸駅の間にある横十間川横十間川といいますが、自然の河川ではなく人工河川です。この横十間川沿い亀戸2丁目の住宅・都市整備公団団地のある付近にあるのが、これ、寛文3年(1663年)から天和3年(1683年)まで、ここで寛永通宝銭が造られ、「亀戸銭座」と称しました。江戸時代に銅銭が本格的に鋳造されたのは、寛永13年(1636年)に始まります。そのため、幕末までに造られた銅銭は全て寛永通宝と称し、「寛永通宝」の文字が打ち出されています。寛永通宝の裏面は無印のものが多いのですが、造られた場所の文字などが入ることがあり、この時造られた銅銭には「文」の文字が入っており、「背文銭」といわれているそうです。
Feb 14, 2011
コメント(8)

今日は雲ひとつない快晴でした。小名木川沿いを歩い見つけました。寒い季節から少し春の兆しですかね。それでも、鳩は日当たりの良いところで温まっていました。ちょっと、野鳥の会風にハトのアップを狙ってみました。
Feb 13, 2011
コメント(6)

今日は蔵前橋からみた東京スカイツリーです。やっぱり雲でスカイツリーは隠れていましたね。雲がかかるくらいスカイツリーが高いってことがわかりました。
Feb 12, 2011
コメント(2)

せっかくの三連休なのに、日本中、雪が降って大変ですね。東京でも今日(2月11日)は雪でした。雨みたいに見えるけど、雪です。写真が下手ですみません(^_^;)いつもこの方向に見える東京スカイツリーも見えません。そして、朝から長いこと駐車していた車には、雪が積もっていました。都会のドライバーは雪に慣れていないので、こういう日は運転あまりしたくないですね。
Feb 12, 2011
コメント(6)

映画「あしたのジョー」がいよいよ公開されるそうですね。そして、「あしたのジョー」といえば、東京都台東区と荒川区の境にあるここ泪橋(なみだばし)が舞台で、泪橋の下に丹下段平がジムを構えていたという設定になっています。漫画の中では、この泪橋は実際に川が流れその上に橋が架かっている設定になっていますが、現実の泪橋交差点には川は流れていません。もともとは思川という川が流れていたそうですが、今は明治通りの下を流れる暗渠になっているそうです。「あしたのジョー」が連載されていた当時の週刊少年マガジンには、同時に「巨人の星」も連載されていて、当時、小学生だったMoMo太郎は、毎週欠かさず、近所の児童館においてあった「週刊少年マガジン」を読んでいました。考えてみれば、かなり強力な連載を2本ももっていたんですね。小学生だったMoMo太郎が、その少年マガジンで気にっていたのが、マイナーで話題にのぼりませんが、「ホモホモセブン」。この作品の特徴は、なんといっても劇画調と漫画調が混在する、当時としては革新的な作風でした。ホモホモセブンなど、男性キャラは劇画調と漫画調を行き来するのですが、女性キャラは、ほとんどが劇画調の美人に描かれています。 そして、その両方のキャラが、同じ場面、同じコマに同居するのが、「ホモホモセブン」という漫画の革新的な魅力でした。さて、泪橋の周辺は、山谷と呼ばれる日雇い労働者の滞在する場所、俗に言うドヤ街として知られています。町を歩くと、こんな感じのも簡易宿泊所の施設が多く建っています。
Feb 11, 2011
コメント(6)

明治通りを泪橋の方へ歩いて行く途中で見つけました。平賀源内の墓しかし、平賀源内といえば、江戸時代の日本の本草学者、蘭学者、医者、作家、発明家、画家(蘭画家)というマルチタレント。「夏バテ防止のために土用の丑の日にウナギを食べる」風習は、夏場の売り上げ不振に悩んだ鰻屋に請われて、平賀源内が考案した「本日土用丑の日」という広告キャッチコピーが元といわれています。科学者としての業績には、オランダ製の静電気発生装置エレキテルの紹介、火浣布(かかんぷ)の開発があります。火浣布とは火で洗える布、火に燃えない石綿のことです。平賀源内は秩父山中で鉱山開発中、この石綿を発見したそうです。そんな天才のお墓が道端にあるとは、悲しいものだなと思ったのですが、調べてみると、墓そのものはこの近くの総泉寺にあって、総泉寺がここから浅草に移転した後も、墓だけはこの近くにあるそうです。
Feb 10, 2011
コメント(4)

明治通りは、東京都江東区夢の島から、墨田区、台東区、荒川区、北区、豊島区、新宿区、渋谷区を経由して港区南麻布2丁目に至る総延長約33.3kmの道路の通称です。どうして明治通りと呼ばれるのかは不思議ですが、多分、明治神宮の近くを通るからなのでしょうが。ということで、白鬚橋から泪橋の方へ向って歩いて行きました。途中には、東京ガスの球状タンクなんかもあります。明治通りは、実際は、都道306号線、都道307号線、国道122号線、都道305号線、都道416号線という道路から成り立っています。このあたりは都道306号線王子千住南砂町線になります。明治通りは、1927年(昭和2年)の都市計画に基づき、東京初の環状道路となる「環状5号線」として位置づけられているとのこと。環状1号線は、内堀通り。環状2号線は、外堀通り。環状3号線は、目白通りや青山ツインビル裏交差点(青山一丁目交差点の1つ南側の交差点)から芝公園グランド交差点に抜ける都道319号環状三号線。環状4号線は、外苑西通りや不忍通り。環状6号線は、山手通りが相当するそうです。また、環状7号線や環状8号線はそれぞれ環七通り、環八通りと呼ばれてます。
Feb 9, 2011
コメント(0)

白鬚橋のたもと、荒川区側には2つの案内板が立っていました。白鬚橋ある場所は、もともとは橋場渡しがあった所で、橋場の地名は今でも西岸に残っています。昔の奥州街道は京都から常陸の国府(茨城県石岡市)を結んでいました。浅草御門から蔵前、鳥越、駒形、馬道、今戸を通り、ここ橋場の渡しから隅田川を渡り下総国へ出ていたそうです。しかし、文禄3年(1594)千住大橋が架設され、道筋は浅草追分(言問橋西詰め交差点)から小塚原.千住と変更になったそうです。橋場の渡しがあったあたりには、今は屋形舟の泊地になっていました。もう一つの案内板には、明治維新の元勲で、明治政府の最高権力者太政大臣三条実美(1837~91)の別荘であった対鴎荘のことが書かれています。政府部内で征韓論をめぐって激しく対立が続いていた頃。三条実実は心労のあまり倒れ、この対鴎荘で静養をしていたそうです。明治6年12月19日、両国橋から舟に乗り、吾妻橋をくぐって明治天皇は病床の実実を見舞いに訪ねられたそうです。新政府成立後の最大の危機に際して、明治天皇は三条実美を最も頼りにしていたそうです。明治天皇の行幸を記念した石碑が白鬚橋の台東区側に立っていました。その対鴎荘ですが、昭和3年、白髭橋架設工事のため多摩聖跡記念館(多摩市連光寺)に移築されたそうです。京王線の多摩聖蹟桜ヶ丘の地名は、明治天皇が三条実美の対鴎荘をこの地を狩りのため度々訪ねられたことから付けられたそうです。
Feb 8, 2011
コメント(8)

白鬚橋(しらひげばし)は、隅田川にかかる橋で、明治通りを通す橋です。西岸の荒川区南千住三丁目と台東区橋場二丁目と東岸の墨田区堤通一丁目と二丁目を結んでいます。橋名は東岸にある「白鬚神社」に由来しています。この橋がはじめて架けられたのは治承4年、源頼朝が旗揚げした時で、この時’江戸太郎・葛西三朗’に命じて数千の船を集めさせてこの近くに架けさせた船橋でした。そんな昔に遡らなくても、最初に橋が架けられたのは、1914年(大正3年)5月。近在の人々が基金を募って資本金を作り「白鬚橋株式会社」を設立し、大正2年4月に着工して約一年で完成した木橋だったそうです。 橋に番小屋を置き、大人一人1銭の通行料を取っていたそうですが、当時は渡し舟も多く走り、経営は苦しかったそうで、後に2銭に値上げするも間に合わず橋の維持に支障をきたすようになり、1925年(大正14年)に東京府が買い取り、関東大震災後の震災復興事業の一環として現在の橋に架け替えられたそうです。
Feb 7, 2011
コメント(6)

春場所中止、正式に決定 日本相撲協会の臨時理事会日本相撲協会は6日の臨時理事会で、八百長問題を受けて来月の春場所(大阪)の開催中止を正式に決めた。八百長問題で取組への信頼感が揺らぐ中、特別調査委員会の調査が長期化する見通しとなっており、開催に向けた準備を進めるのは難しい状況になっている。 といううわけで、今日の両国国技館には、にはたくさんの報道陣が集まっていました。テレビの中継車も出張ってきていて、本当に日本は平和ですね。TPP参加とか、エジプトの反政府デモとか、日本のマスコミは、そういうの疎いので、まあ、マスコミがこの程度だと、首相もこの程度ですってことか。
Feb 6, 2011
コメント(12)

今朝、散歩の途中で撮影しました。段々と高くなっていますね。
Feb 6, 2011
コメント(4)

今日のお昼は海鮮丼です。これで525円(消費税込)とは安くないかと。ところで、海鮮丼っていつも思うんですが、どうやって食べるのが正解なんでしょうか。1) 上の具だけをとって、ご飯と別に刺身として食べる。2) わさび醤油を上からかけて、刺身をご飯の上にのせて一緒に食べる。3) わさび醤油とご飯と刺身を混ぜ合わせて、ちらし寿司のようにして食べる。4) 寿司屋により違うので、板前さんに食べ方を聞く。MoMo太郎の家では、カミさんは1)の食べ方、MoMo太郎は3)の食べ方です。
Feb 5, 2011
コメント(10)

駅の自動販売機を見ていると、結構、見慣れない商品置いてあるもんですね。おしることかコーンポタージュはよく見ますが、みそ汁もあるんですか。そしてこれは、カレーリゾットは初めて見ました。どんな味がするのでしょうか、今度、食べてみよう。しかし、大相撲の八百長。あるかもとは思ってましたが、やっぱりあったんですね。格闘技のプロというわけでもはなく、演技のプロだったんですね。
Feb 4, 2011
コメント(6)

今日は節分ですね。豆まき、恵方巻きなど季節の行事が各地で行われているとことと思います。我が家はなぜかそういう季節の行事をしないのはなぜなんでしょうか。多分、面倒だからですね。それにそんなことを準備していても、旦那さんは家に帰ってくるのが、いつも、午後10時は過ぎているのが当たり前なので、やらないのでしょうね。そんな我が家でもやってみたい縁起かつぎみたいなものが、出かける前に耳元で火打石を鳴らすことです。火打石、両国で初めて見かけました。火打石といいながら、石と鉄を打って火花を散らすんですね。知らなかった。そんな両国をチィさんぽする時に役立ちそうなのが、ここ、両国観光案内所です。案内所にいる人は親切で、どこどこへ行きたいと尋ねれば、親切に教えてもらえます。是非、両国に来た時はお立ち寄り下さい。
Feb 3, 2011
コメント(6)

両国国技館前でみかけました。両国さかさかさこれは、雨水を集めて貯めておく施設だそうです。墨田区というところではこういう雨水利用を進めているようで、これは民家の屋根に降った雨を貯めておく、天水尊(てんすいそん)です。天水尊は向島百花園をはじめ、墨田区内のあちらこちらの民家で使われています。ちなみに墨田区役所の水洗トイレの流し水も雨水が利用されているそうです。こうやって雨水を貯めておくと、例えば、夏の暑い時の打ち水や、庭の作物の水やり、まあ、飲み水以外に利用できて水道代の節約にも役立ちますね。また、雨を一時的に貯水するので、多くの人で取り組めば、洪水の軽減になることも期待できるでしょう。
Feb 2, 2011
コメント(6)

両国にある安田庭園(入場料は無料)です。庭園の南側には両国国技館があます。真ん中にある心字池は かつて汐入池として隅田川の水を直接ひき入れていましたので、川の潮位に従って 池の水も満ちたり引いたりしていましたが、現在では 隅田川とは直接つながっていません。赤い橋は池の周りをめぐる回廊の一部で紅橋と呼ばれています。もう水仙が咲いていました。春は近いのかも。
Feb 1, 2011
コメント(10)
全31件 (31件中 1-31件目)
1
![]()

