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今更いうこともありませんが、日本橋とという地名は、東京都中央区の日本橋川にかかる中央通りの橋。日本橋があるあたりのことです。これが日本橋川です。この川は東京都千代田区と文京区の境界にある小石川橋で神田川から分流し南東へ流れ、中央区の永代橋付近で隅田川に合流する川ですが、このようにほぼ全区間がが高速道路の高架下を流れています。そんなわけで、日本橋の上も高速道路が走っています。日本橋が「日本」と大げさな名前をつけている理由は、江戸時代にここが五街道(東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道)の起点されたことで、現在でも日本の道路元標があり、日本の道路網の始点となっています。橋の中央部のここに道路元標が設置されています。これは橋のたもとにある道路元標のレプリカです。その隣には、道路元標についての解説を記した銘板がありました。この道路元標について目を止める通りがかりの人は多いようですね。
May 31, 2011
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虎ノ門にあるそば屋さんです。外観は旧態以前の木造三階建ての蕎麦屋さん「大坂屋砂場」。蕎麦屋と言えば、藪蕎麦とか更科という屋号も多いですが、この「砂場」というのも結構ありますね。この店は江戸時代から続く「麹町砂場藤吉」(現在は南千住で命脈を保っている砂場総本家)より、明治の初めに暖簾分けした由緒ある店。店名に「大坂屋」が付けられているのは、名称の由来が、豊臣秀吉が大坂城築城の折り設けた「砂場」にお蕎麦屋さんが出店したとのこと。こういう名店の蕎麦って美味しいのでしょうか?
May 30, 2011
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TBS系で日曜午後9時から放映されているドラマ「仁-JIN-」で江戸の脚気予防のために売り出されていた「安道名津(あんドーナツ)」がコンビニで売っていました。MOMO太郎も脚気予防のために購入しました。ちょっと変わった味でしたが、江戸時代なら甘くておいしい菓子だったかもと思わせる味でした。
May 29, 2011
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最近、こんな本を読みました。ザ・タイガースといえば、1967年~1971年に活躍した伝説のグループサウンズ、今でいうバンド。MoMo太郎が小学生のころ親戚のお姉さんが大ファンで、お姉さんはテレビに紙テープをつないで、「ジュリー」とか「トッポ」って叫んでいました。「ジュリー」とは、ボーカルの沢田研二。「トッポ」はリード・ギターとボーカルの加橋かつみ。「サリー」はベースの岸部おさみ(今は岸部一徳)。「タロー」は森本太郎でサイド・ギター。「ピー」こと瞳みのるはドラム担当であまり歌ったりしている印象はまりませんでした。そして、「トッポ」が脱退して、「シロー」こと岸部シローが加入しました。岸部シロー、ギターは弾けないのにギター担当だったんですけど、いのまにかタンバリンに変わっていました。で、ピーはタイガース解散後慶応大学に進んで、中国語を学び、慶応高校の先生をされていたそうです。なんか人生を二度生きたみたいでカッコいいですね。そして今は高校の先生も定年で退職して、今一度還暦過ぎたタイガースとして復活しようとしているみたいです。そんなわけで、タイガースの解散コンサート、1971年1月24日に開催された日本武道館での「ザ・タイガース ビューティフル・コンサート」から、ピーの歌です。ちよっとわからないでしょうけど原曲はこんな曲です。Herman's Hermits I'M Henery The VIII , I am映像は「エド・サリヴァン・ショー」に出演した時のものですね。"Henry"ではなく訛って"Henery"と書くのが味噌ですか。ピーは中国語の先生で、英語は得意ではなかったので、歌詞も上げときます。I'm Henry the 8th I am,Henry the 8th I am, I am,I got married to the widow next door,She's been married 7 times before,And every one was a Henry (Henry),She wouldn't have a Willy or a Sam (no Sam)I'm her 8th old man I Henry,Henry the 8th I amSecond verse same as the firstI'm Henry the 8th I am,Henry the 8th I am, I am,I got married to the widow next door,She's been married 7 times before,And every one was a Henry (Henry),She wouldn't have a Willy or a Sam (no Sam)I'm her 8th old man I Henry,Henry the 8th I am(shouts)(guitar solo)I'm Henry the 8th I am,Henry the 8th I am, I am,I got married to the widow next door,She's been married 7 times before,And every one was a Henry (Henry),She wouldn't have a Willy or a Sam (no Sam)I'm her 8th old man I Henry,Henry the 8th I amH-E-N-R-YHenry (Henry) Henry (Henry)Henry the 8th I am, I am,Henry the 8th I am.
May 28, 2011
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中央区教育委員会による小網神社の紹介です。その昔、太田道灌はこの神社に崇敬し、ときどき参拝し、社地を奉じ、社殿を造営したと言われ、小網の名も彼が付けたといわれているようですね。 またこありたを「小網町」というのもこの神社から付けられたそうです。戦時下において、この神社の「強運厄除守」を奉載した者の多くが無事帰還したことから、各地から強運厄除けの授かりをうける参拝者が多かったそうです。そして、証券取引所もある兜町にも近い土地柄でしょうか「萬福舟乗弁財天 銭洗い水」がありました。当然のことながら、持っていた五百円玉洗わせていただきました。
May 27, 2011
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日本橋(「にほんばし」と発音するのが正しいと思う)小網町にある小網神社にお参りしてみました。結構、有名なんでしょうね。こんな若いお嬢さんもお参りしていましたよ。構えは立派な神社ですね。まず鳥居をくぐる時は一礼してから、そして、額束の文字は読みづらいですが「小網神社」と書いてあります。ここで気をつけないといけないところは、参道の真ん中は神様のエネルギーが通るところ。端を歩くようするそうです。そして、手水舎で手と口を清めましょう。神殿です。お賽銭は投げ込むのではなく、そっと賽銭箱に置きましょう。やっぱり、お金を神様に投げ入れるのは、ちょっとお行儀が悪いですよ。鐘をならしたら2礼2拍手をし、その後手を合わせて普段の暮らしに感謝の祈りをしましょう。その際、名前と住所を伝えることを忘れずに。参拝といえば、普通は「仕事がうまくいきますように」「健康でありますように」「金運がよくなりますように」「結婚できますように」などと実利的なことを願いますが、それよりも今、元気にいることなどへの感謝を伝えるそうです。神様へは、感謝と「世のため人のため神さまのためにがんばります」という誓いを述べて下さい。利己的な我欲はやっぱりいけません。【つづく】
May 26, 2011
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「玉ひで」から日本橋川の方へ歩くと目立たないようにありますが、小説家の谷崎潤一郎生誕の地の碑があります。有名な小説家ということは知っているのですが、どんな小説を書かれていたのか知りません。ということで、日本橋に来れば、ここにお参りしましょう。ビルの谷間の小さな神社ですが、強運と厄除けで有名な東京下町八社福参りのひとつ、かつ、日本橋七福神のひとつとされている。小網神社です。【つづく】
May 24, 2011
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単に東京人という東京で生まれて育った人というニュアンスですが、「江戸っ子」というと特別な響きがありますね。先祖代々、杉並区で生まれ育っても「江戸っ子」という感じはしないですが、ここ日本橋で生まれ育ったたら「江戸っ子」という称号を名乗ってもいいかも。まあ、江戸っ子だからどうなんだという気もしますが。ということで、休日に日本橋人形町にある親子丼の有名店「玉ひで」に行ってみると、いやすごい行列でした。気が短い「江戸っ子」なら並ばないかなと思って、近くのファーストフード店「なか卯」の親子丼を食べました。値段は490円ですが、なかなかいい味でした。日本橋界隈を移動するなら、中央区コミニュテイバスの「江戸バス」が便利です。料金は100円でPASMOやSuicaが利用できます。そんなわけで、日本橋界隈を散歩してみました。【つづく】
May 24, 2011
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このあたりを深川というのでしょうか。西深川橋という名前の橋です。この橋の下を小名木川沿いの遊歩道が通っているのですが、よく見ると、遊歩道がぐっと下にもぐりこんで浮橋になっていました。水位が高いと水面下に潜ってしまうのでしょうね。
May 23, 2011
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扇橋閘門の東側にある小松橋から眺めた小名木川です。川の両岸にはマンションが建っていますね。以前は工場なんかだったのが、工場は郊外に移転してマンションに建て替わったんですね。ここは大横川と小名木川が交差するところです。東京スカイツリーも見えますね。
May 22, 2011
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江東区を流れる運河「小名木川」にも閘門があります。扇橋閘門という名前です。隅田川と荒川、東京湾に囲まれた江東デルタ地帯は地盤沈下によって東京湾の満潮水位より地盤が低い、いわゆる「ゼロメートル地帯」になっていますが、とりわけ東部地域の沈下が激しく、最大で約4.5メートルも沈んだ地点もあります。そのため、東部地域では東京湾の満潮位どころか干潮時の最低水位(A.P.±0メートル)よりさらに低い土地もあります。これらの土地は絶えず水害の危険にさらされているわけですが、江東デルタの外郭を高い堤防や防潮水門で囲むだけでなく、デルタ内の河川のうち東側を流れる部分については人工的に水位をA.P.-1メートルまで下げる措置をとっています。小名木川についても西側は隅田川を通じて潮の干満の影響を受け、水位はA.P.0メートル~A.P.+2.1メートルの間で変化しますが、東側は常にA.P.-1メートルで一定しています。東西で最大3.1メートルの水位差が生じることになります。この両区間を隔てている水門が扇橋閘門なわけですが、この水位差を維持するためには水門を開けることができなくなり、したがって船の通航も不能になってしまいます。そこで、水門を二重にして、二つの水門の間の水路(閘室)の水位を調整することで、水位の異なる両区間の間を船が往来できるようにしています。水位調整はバイパス管を通じて水を出し入れすることで行っています。 扇橋閘門は長さ90メートル以下、幅員8メートル以下の船が8時45分から16時30分まで無料で通航できますが、日曜・祝日と年末年始はお休みです。これは隅田川川にある前扉の方から撮影したものです。後扉は橋の上から撮影すると近すぎて水門全体は写せませんでした。ここは管理事務所の入り口これが管理事務所の建物、事務所の隣は公園になっていました。建物をよく見ると、休日にもかかわらず、人が働いていました。ご苦労様です。
May 21, 2011
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もうタンポポも綿毛になっていますね。さて、横利根閘門はこのように二重のゲートになっています。利根川は明治の初め頃には、現在の横利根川筋から北利根川・常陸利根川を流れていました。1900年(明治33年)から始まった利根川改修工事により現在の利根川筋へ流れが移されそうです。利根川増水時に横利根川を通じて霞ヶ浦沿岸に氾濫をもたらしていたことから利根川と霞ヶ浦を分断するため、また増水時にも舟運に支障を来たさないように、第2期改修工事の一部としてこの横利根閘門が建設されました。1914年(大正3年)に着工し7年後の1921年(大正10年)に完成したそうです。通船用の水路は幅11m、長さ91mあり、深さは平均低水位以下2.6m。当時就航していた船舶で最も大きい通運丸や銚子丸などを基準に設計されたとか。全体が煉瓦というわけではなく、要所要所には強度の大きい花崗岩のブロックを埋め込んでいるようです。この川が横利根川で霞ヶ浦につながっています。この横利根川が需要な運河として利用されていたのは、江戸時代、東北地方の物産を江戸に運ぶ航路は、東北地方の沿岸を南下し、那珂湊に至ります。しかし、ここから先の鹿島灘から利根川河口、房総沖は波が高く、当時の船では航行が危険だった。このため、船は那珂湊から涸沼川を遡り、涸沼へ至り、そこで荷物を一度陸揚げした。陸路を北浦あるいは霞ヶ浦へ運び、再び船積みして、利根川・逆川・江戸川を経て江戸へ向かうという複雑な経路をとっていたそうです。明治に入っても、利根川下流部を利用しての輸送の重要性は変わらず、この横利根川が利用されたそうです。横利根川から閘門を見たところです。周辺には釣りを楽しむ人が。東北地方太平洋沖地震の影響はこの横利根閘門にありました。横利根閘門ふれあい公園として整備されている閘門の周辺の写真ですが、液状化の跡と思われます。液状化(えきじょうか)とは、地震の際に地下水位の高い砂地盤が、振動により液体状になる現象です。これにより比重の大きい構造物が埋もれ、倒れたり、地中の比重の軽い構造物(下水管等)が浮き上がったりする現象です。
May 20, 2011
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煉瓦造りのレトロな横利根閘門は、千葉市と水戸市を結ぶ国道51号線が利根川を渡るところにあります。これは、昭和46年(1971年)に逆流防止のために建設された新しい横利根水門です。横利根水門から撮影した利根川の景色です。利根川の広々した感じ、日本の大河という雄姿です。この横利根水門の脇を通りぬけ、左に回り込むと横利根閘門公園に着きます。このレトロなレンガ造りの水門が横利根閘門です。平成12年5月、横利根閘門は近代土木技術の発展を伝える歴史遺産として国の重要文化財に指定されました。そして今は、周辺が「横利根閘門ふれあい公園」として整備され、市民の憩いの場ともなっているそうです。【つづく】
May 19, 2011
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産経新聞によれば、「東電株 1カ月半ぶりに400円台 格付け引き下げなどで売り加速」だそうです。東電株は東日本大震災前の2000円台から、原発事故で大きく値を崩しているんだそうです。株主さんは大損ですね。写真は、内幸町にある東京電力本店です(本社といわないんですね)。
May 18, 2011
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諺に「いずれアヤメかカキツバタ」というのがありますが、これがアヤメです。そして、これがカキツバタ。見分け方は、まずアヤメは、このような乾燥したところに育ちます。そしてカキツバタはこのような湿地に育ちます。「アヤメとカキツバタの見分け方のまとめ」カキツバタ 花弁に白い斑紋、葉の主葉脈細い、水中や湿地に育つハナショウブ 花弁に黄色い斑紋、葉の主葉脈太い、湿地に育つアヤメ 花弁に網目模様あり、葉の主葉脈わからない、乾いた所に育つ
May 17, 2011
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旧古河庭園にある心字池で日向ぼっこする亀です。この日本庭園は、この心字池を中心に、大滝、枯山水、茶室等を配する本格的な回遊式庭園でとなっています。また、台地という地形を生かして滝も作られています。この滝付近の植え込みが深山の趣を醸し出しており、庭園の構成に深みを与えています。そして、茶室。抹茶一杯500円でした。日本庭園は近代日本庭園の先駆者として数多くの庭園を手掛けた京都の著名な庭師、植治こと小川治兵衛小川治兵衛(1860~1933)により作庭されたそうです。そして、この崩れ積みと呼ばれる石積みも小川治兵衛の工夫だそうです。でも園内にある書庫は小川治兵衛とは関係はないでしょうね。
May 16, 2011
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見たところなんの変哲もないような石灯篭ですが、よく見ると、灯袋に牡丹、唐獅子、雲、七宝すかしが彫り込まれ。中台に干支の模様があります。と手込んだものとなっています。
May 15, 2011
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洋風庭園から、本館を見たところです。どこか欧米の貴族が現れて来そうな雰囲気ですね。庭園は、このような西洋風のものだけでなく、純和風のこのような庭園も配置されています。日本庭園の作庭者は、京都の庭師植治こと小川治兵衛(1860~1933)です。彼は当園以外にも、山県有朋の京都別邸である無鄰菴、平安神宮神苑、円山公園、南禅寺界隈の財界人の別荘庭園などを作庭し、造園界に多大な貢献をした方だそうです。この雪見灯籠に見とれているカップル、どこかで見た覚えがと思ってみると、先ほどの六義園にもいたカップルでした。ちょっと、構成がちぐはぐなカップルなので覚えていました。
May 14, 2011
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旧古河庭園の洋風庭園で有名なのはバラの花です。漢字で書くと「薔薇」、難しいですね。このバラは、「プリンセス・オブ・ウェールズ」という名前で、ダイアナ元妃に因んで命名されたそうです。そういえば、ダイアナ元妃は、この間、結婚された英国王室のウィリアムス王子のお母さまですね。ということは、王子と結婚されたキャサリン妃の名前に因んだバラもそのうち現れるのでしょうか?このバラの名前は、「黒真珠」です。ビロードのような花弁が特徴的な気品のある花でした。一番、目立ったのは、この黄色いバラです。中国原産のバラでキイロモッコウバラ(黄色木香茨)です。は、秋篠宮家第一女子・眞子内親王のお印だそうです。お印は、皇族の方が、身の回りの品などに用いる徽章・シンボルマークのことです。ちなみに、敬宮愛子内親王のお印は、ゴヨウツツジ(五葉躑躅)だそうです。洋風庭園から、本館を見たところです。日本とは思えないほど洋風な場所に思われますね。
May 13, 2011
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旧古河庭園の入り口です。入り口に自転車がなにげに止めてあるのを見ると、近所の人が自転車に乗って遊びに来るような普段着の庭園のようです。この庭園は、武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の小高い丘には洋館を建て、斜面には洋風庭園、そして低地には日本庭園を配したのが特徴です。入口から洋館がもう見えてきました。 この洋館と洋風庭園の設計者は、英国人ジョサイア コンドル博士(1852~1920)です。博士は当園以外にも、旧岩崎邸庭園洋館、鹿鳴館、ニコライ堂などを設計し、我が国の建築界に多大な貢献をしたそうです。洋館の入り口には人が並んでいました。この洋館を見学したい人は、事前に往復はがきで申し込んでおくそうです。ちなみに料金は525円です。洋館の中の喫茶店は予約不要で利用できますが、コーヒー一杯840円するそうです。
May 12, 2011
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この赤松は「吹上の松」と呼ばれる柳沢吉保が自ら植えたものだと言われています。このアーチ状の岩は蓬莱島と呼ばれている石組でできた島です。本当はこの岩の上に松が植わっていたそうですが、東北地方太平洋沖地震の時に倒れてしまったそうです。岩の背後に見える赤い毛氈を引いたところが吹上茶屋で抹茶などが味わえます。また、お土産用の「しだれ桜羊羹」も売っていました。ところで、地震の被害といえば、これ、ボートの置いてある左側に臥龍石と呼ばれる竜の背のような姿を見せる石があったのですが、今は沈んでしまいました。その他、藤代峠という築山もあるのですが、地震のせいで所々で崩れて立ち入り禁止になっていました。早く復旧してほしいものですね。次回からは、旧古河庭園を訪れた時の復命をします。
May 11, 2011
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庭園の中心は、やはりこの泉水と呼ばれる中心部の池ですね。そして、池に欠かせないのは錦鯉。六義園にも立派な鯉が泳いでいます。都会の中のオアシスなのは、カワウにとっても同じですね。池の中の岩で羽根を休めていました。そして、この泉水に水を補給するのは、園内にあるこの滝です。この滝とそれに続く渓流を楽しむために、滝見茶屋という四阿(あづまや)もありました。【つづく】
May 10, 2011
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六義園が江戸時代の大名屋敷であることを感じるのは、庭園内にこんな長いストレートの場所があることです。これは、「千里場」と呼ばれる馬場跡です。やはり、ここで武士の皆さんは乗馬の練習をされたのでしょうね。また、庭園内を歩くと一瞬、深い山の中に来たかのような錯覚を覚えます。広い庭園内を歩くと疲れるのでしょうか。こんな建築物もありました。これは「つつじ茶屋」と名付けられています。建てられたのは明治年間ですが、ツツジの古木材を用いて建てられたものです。季節になると周囲にあるモミジが色づいてきれいなものでしょうね。今の時期は、まだ色づいてはいませんが。しかし、ツツジの木というのはこういう建物の材木に使えるほど大きくなるものでしょうか。普段目にするツツジというの植え込みに使われている低木のばかりですから。しかし、庭園内には、かなり大きくなったツツジの古木がありました。今がツツジの花ざかりですね。江戸時代という時代は植木や園芸というものが、大名から庶民まで広く愛好されていた時代だったのでしょうか。下谷の朝顔市なんかも江戸時代から始まっているのですから。この紫のツツジはちょっと見慣れないと思いますが「紫琉球」という品種だそうです。鹿児島か沖縄あたりにあったものを持ち込んできたのでしょうね。【つづく】
May 9, 2011
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六義園に入ると最初に目につくのが、この枝垂れ桜。さすがに桜は咲いてませんが、高さ15m、幅20mの大木です。例年、3月下旬に開花するそうです(ピントが甘い、日光の手前写真で恥ずかしい)。枝垂れ桜の近くの目立たないところにありますが、六義園の紹介をした石碑があります。漢文で難しく書いてありますね。この石碑の裏にも六義園の歴史が記されています。この六義園は造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられている名庭園でした。元禄8年(1695年)、五代将軍・徳川綱吉より下屋敷として与えられた駒込の地に、柳沢吉保自ら設計、指揮し、平坦な武蔵野の一隅に池を掘り、山を築き、7年の歳月をかけて「回遊式築山泉水庭園」を造り上げたものです。柳沢吉保というと、将軍・徳川綱吉の側用人として権勢をふるったどちらかというと悪役キャラですが、実際は文学的造詣の深い、文化人の側面もあったのでしょうか。庭園の名称は、中国の古い漢詩集である「毛詩」の「詩の六義」、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之が転用した和歌の「六体」に由来しいるそうです。庭園は中之島を有する大泉水を樹林が取り囲み、紀州(現在の和歌山県)和歌の浦の景勝や和歌に詠まれた名勝の景観が八十八境として映し出されています。写真は、大泉水のほとり、出汐湊からみた妹山・背山につながる田鶴橋です。下の写真は、渡月橋と呼ばれる橋から大泉水の紀川と呼んでいるところを撮影したものです。さすがに、これだけ庭園を明治時代になっても維持するのは大変だったのか、明治時代に入り、岩崎弥太郎氏(三菱創設者)に売り払われました。さらに、昭和13年に東京市に寄付されて一般公開されることになりました。昭和28年3月31日に国の特別名勝に指定されいます。【つづく】
May 8, 2011
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ゴールデンウィークの復命ブログになりますが、ここが六義園(りくぎえん)の染井門。JR駒込駅に近いのですが、普段は閉まっているそうです。いつも開いているのはこの正門。駅から南の方、不忍通りに向かって進んだところにあります。入園料は300円、近くにある旧古河庭園(入園料150円)とセットになった入園券を買うと400円で両方回れます。そして、正門から入ると赤い毛氈を敷いた縁台があって、丁度、記念撮影にはいいところですね。日曜祝日には、午前11時と午後2時の2回。ボランティアガイドさんが園内を案内してくれます。1時間くらいで回ってくれます。丁寧な説明でわかりやすいですよ。帽子をかぶってこちらを向いている男性がガイドさんでした。ここでもみつけました。シャガの花。白くてきれいですね。しかし、この時期、六義園で美しくあでやかに咲くのは、ツツジです。明日から六義園の中を紹介していきます【つづく】
May 7, 2011
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山手線の踏切めぐりをしました。めぐるといっても、ここ一カ所しかありません。場所は、駒込と田端の間にあります。本当に山手線が走っているでしょ踏切の名前は、「第二中里踏切」ということは、第一中里踏切っていうのがあるんじゃないか。と思われるかもしれませんが、実は、この踏切よりもっと駒込よりに人専用の踏切として第一中里踏切があったそうです。確か、拙が大学生になった頃くらいにはまだあったと思いますが(30年くらい前)、いつのまにか廃止されていました。ということで、山手線踏切めぐり旅を終えて、目的地は六義園と旧古河庭園です。【つづく】
May 6, 2011
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天神様と言えば、牛。なぜ牛かというと、菅原道真公の生誕年が丑年である。「この身を京に帰すことは願わない」と言っていた道真公が亡くなった時、遺体を乗せた牛車が、今の太宰府天満宮のあたりで動かなくなり、そこが今の太宰府天満宮となったとか。ということで、神牛というものがあります。この神牛に触ると病が治り、知恵を授かるとされています。知恵を授かりたい人が多いのか、頭のあたりに触る人が多くて、頭の方が光ってます。意外と知られていませんが、興味深いのがこの燐寸(マッチ)塚です。日本で初めてマッチ(燐寸)を国産化した清水誠氏の碑です。明治9年に今の都立領国高校のあたりでマッチの製造を始めたそうです。まあ、最近はマッチというのも余り見かけませんが、むかしはよく使われていましたね。そんな貴重な産業発展の歴史を示すものですね。亀戸天神から見えるスカイツリーの写真です。最後の写真、下の方に人の頭が入っていますね。日光の手前(今市)写真でした【完】
May 6, 2011
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亀戸天神社の続きです。亀戸天神に来たんですから、藤の花だけ見て帰るというわけには行かないでしょう。やはり、商売繁盛、家内安全、いや、天神様ですから、学問の神様ですよね。境内には、五歳の時の菅原道真公の銅像があります。賢そうなお子様ですね。その隣には、「鷽(うそ)の碑」があります。鷽というのは、実在する鳥です。日本海沿岸に生息するスズメ科の鳥で、太宰府天満宮のお祭りの時、害虫を駆除したことで天神様とご縁があります。又、鷽(うそ)の字が學(がく)の字に似てることから、学問の神様である天神様とのつながりが深いと考えられています。亀戸天神社では、例年1月24日 - 25日「鷽替え神事」が行われて。縁起物である木彫りの鷽(ウソ)が授与されます。「去年の悪(あ)しきはうそ(鷽)となり、まことの吉にとり(鳥)替えん」との言い伝えによる神事ですね。さすが「亀」戸天神社というだけあって、手水鉢にも亀があしらわれていますね。池にも、こんなに沢山いえ、石ではなくって本物の亀です。亀以外にも、ゴールデン・ウィーク中の特別行事として、猿回しのお猿さんもおりました。このお猿さん、猿回しのお姉さんが「美人の猿回しの○○」と言うと、このように突っ込みをいれるという芸を披露していました。勿論、竹馬に乗って、ハードルを越えるという芸も披露してくれました。【まだ、まだ、続く】木彫りの鷽は、高さ5 - 22cmくらい、白木の円柱に上部3分の1位が荒削りされ、頭部と腹部となり、背後は削り掛けの手法で尾羽が切り込まれる。彩色は頭が黒、胸は朱、背の羽は緑と黒である。
May 5, 2011
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安近短といっても地元しか行かないのではないか、という家人からの文句がありますが、そういう家人こそ、休みの日は10時過ぎまで寝ているので、あまり遠くへは出かけられないのですが。そんなわけで、今日は地元の亀戸天神社に藤の花を見に行きました。亀戸天神社。わざわざ観光バスでやってくる人も多く、神社の前の蔵前通りには観光バスがたくさん止まっていました。参道には出店も、人出も多かったですね。長い藤の花見事ですね。そして、藤の花だけではなく、ツツジも咲き誇っていました。見事に咲いた藤の花を撮影しようとする、カメラ愛好者も多かったですね。特に、拙のようなおじさんだけでなく、女性の方も熱心に撮影していましたね、しかも一眼レフデジタルカメラなんかを使っていました。こういう人も増えているんですね。中には、普通のフィルムカメラを使っている男性のマニアの人も多かったです。そんな中に混じって、拙も撮影していました。太鼓橋の上から東京スカイツリーと藤棚を撮影しました。【つづく】
May 5, 2011
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ゴールデンウィーク後半の5月3日は午後から雨模様でした。そんな中、浅草にある今戸神社に行ってみました。今戸神社、浅草七福神の福禄寿をお奉りしています。さらに、招き猫発祥の地でかつ沖田総司の終焉の地として知られています。それにも加えて、最近は若い女性の信仰を集めているようで、それは、御祭神に伊弉諾尊・伊弉冉尊の夫婦の神様を祀っている事から、縁結びに霊験がある神社として知られているからだそうです。雨にもかかわらず、列を作って参拝の順番を待っています。婚活中の方でしょうか。MoMo太郎も、こういう若い女性の方と縁を結びたい。というわけでもありませんが、一応お参りさせていただきました。絵馬も、円と縁の語呂合わせで、円盤状になっています。ちなみに、今戸神社の住所は、「台東区今戸1-5-22」、これも語呂合わせで「いいごふうふう(いいご夫婦)」いうことだそうです。お守りも結構人気ですね。婚活中の善男善女の皆さん、婚活に成功したら、是非お礼参りに来てくださいね。さて、招き猫の発祥のいわれは、招き猫の登場は江戸時代で、一方、人形としての招き猫はここ今戸の地で十六世紀から焼かれていた今戸焼が始まりといわれております。焼物として使うこの土地の粘土が良質の物だったそうで、今戸焼が栄えた事そうです。伝わっているところによると、江戸時代末期、界隈に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、夢枕にその猫が現れ、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言ったので、その猫の姿の人形を今戸焼の焼き物にして売ったところ、たちまち評判になったということだそうです。拝殿には大きな招き猫、そして、お花の飾りとしても重宝ですねしかも、ラッキー池田さんの振り付けで「福よ来い、福よ来い、招き猫音頭」なるものがあるそうです。例大祭は毎年6月の第一土曜日と日曜日、境内には御神輿の保管庫もありました。今戸神社は東京下町八福神のひとつでもあるそうです。東京下町八福神とは、今戸神社 (縁結び)のほかは、1) 住吉神社 (交通安全)佃にある神社です。 2) 小網神社 (強運厄除) 日本橋小網町にある神社です。 3) 水天宮 (安産子授け) 日本橋人形町にある神社です。 4) 第六天榊神社 (健康長寿) 蔵前にある神社です。 5) 下谷神社 (円満融和) 台東区東上野、というよりも地下鉄銀座線の稲荷町駅の近くです6) 小野照崎神社 (学問芸能) 地下鉄日比谷線の入谷駅の近く、富士山をかたどった築山があります。 7) 鷲神社 (商売繁盛) 浅草にある神社で毎年11月の酉の市で有名です。 だそうです。この中で行ってないのは小網神社だな、だから運がなくて、麻雀やパチンコに勝てないのか・・・。
May 4, 2011
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「今年のゴールデン・ウィークは安近短で」というテーマ。うちの奥さんによると、「あんた、ここ10年くらいずっとそのテーマじゃないの」と言われました。そんなわけで、今日の昼食は、これすき家の豚しょうが焼き定職680円でした。拙は、結構、肉食系男子だったんですね。
May 3, 2011
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今年のゴールデンウィークは安近短で済まそうということで、墨田区にある徳之山稲荷神社にお参りしました。もともとは屋敷内にあった神社なので、拝殿はやや小ぶりですが、神社の由緒は明暦の大火後、幕府は本格的な本所の開発に乗り出します。万冶三年(1660)、本所築地奉行に任命された一人が徳山五兵衛(重政)です(もう一人が山崎四郎左衛門)。堀割の開拓や湿地の埋め立て、道路整備と市街地の造成などで、今の本所の基礎を作り上げました。その功績により、この地に屋敷を賜りました。五兵衛の死後、屋敷内に祀られていた稲荷と五兵衛の御霊が合祀され、徳山稲荷神社となっています。また、孫の徳山五兵衛(秀榮)は、火付盗賊改方の在任中、歌舞伎の白波五人男の一人、日本駄衛門のモデルになった盗賊、日本左衛門らを捕えたことで有名です。ということで、日本左衛門首洗い井戸跡之碑というのもありました。石碑によると、侠骨剣豪の日本左衛門を徳山五兵衛が捕えた際、思い残したことを尋ねると、日光を見たことがないというので、処刑する前に日光参拝を許したということでそうです。日本左衛門とは何者かというと、日本左衛門(にっぽんざえもん、享保4年(1719年) - 延享4年3月11日(1747年4月20日))は、江戸時代中期の大盗賊。本名は浜島 庄兵衛ということです。詳しくは池波正太郎の「おとこの秘図」という小説に紹介されているようです。
May 3, 2011
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曳舟のイトーヨーカードーから見える東京スカイツリーです。曳舟の街から見えるスカイツリー。なんとなく下町でどつらかというと殺風景だったこのあたりもスカイツリーがあるせいでなにやら変わった町に見えてきます。
May 2, 2011
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最近目に付くのでまた撮影してしまいました。シャガの花です。撮影 2011年4月30日 横網町公園にて
May 1, 2011
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