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いやすごいですね。25歳の東大院生女子 新潟・津南町議にトップ当選だそうです。いずれ民主党から野田ガールとして国政へ進まれるのでしょうか?こういうニュースはたいていこのビルからでしょうね。汐留にある共同通信社のビルです。
Oct 31, 2011
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日本テレビは汐留にあります。これが日本テレビのビルです。なかなかの高層ビルですね。変わった時計もありました。でもやっぱり高いビルですね。テレビ局の権威ですかね。
Oct 30, 2011
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もう10月も終わりですか。光陰矢の如し、今年もあと残すところ2ヶ月となりました。そして、もう土曜日。一週間も経つのが早いですね。季節は10月の初めに遡りますが、汐留あたりをブラブラしながら撮影しました。これは再現された旧新橋停車場駅舎です。中には鉄道歴史展示室があります。1872年10月14日(明治5年9月12日)に日本最初の鉄道路線の起点として開業した新橋駅(初代)は、リチャード・ブリジェンスの設計による木造石張り2階建ての西洋建築の駅舎だったそうです。こちらはプラットホームの一部を再現したものです。線路も一部残されているみたいですね敷設されている線路は当時のものらしく、また、車止めに隠れていますが、鉄道の起点であった「0哩(マイル)標」も再現されています。本当にこの位置にあったそうです。跡地は、1996年(平成8年)12月10日に「旧新橋停車場跡」として国の史跡に指定されたそうです。発掘調査の後、風化を防ぐために埋め戻されたので、このように、埋め戻された部分の一部を見ることができるようになっています。
Oct 29, 2011
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友部で常磐線に乗り換えて、これは常磐線のホームにある看板です。土浦駅で上野行きの常磐普通列車E531系に乗り換えます。取手から上野までは常磐線快速とも呼ばれています。常磐線は取手以南は直流電化、取手以北は交流電化されているため、取手までは直流のE231系の常磐線快速(緑色のラインが入った車両)で、取手以北へ向かう列車には直交流用のE531系(写真のように青いラインが入った車両)が使われています。この車両になる前は、「白電」と呼ばれていた白い塗装に青い帯が入っていた415系が使われていました。さらにその前は403系であずき色の塗装だったので「赤電」と呼んでいました。この列車を我孫子で乗り換えて、成田線に乗り成田駅に出ました。成田駅には、ちょっと傷んでいたけど成田山の提灯が吊るされていました。そして、横須賀線へ直行しているE217系に乗って、東京駅まで出て、秋葉原に戻ってきました。この車両も以前はE113系で、クロスシート(向かい合わせに腰掛ける)の車両だったのですが、ロングシート車両と一部クロスシートになったセミクロスシート車両が千葉よりの先頭3両に使われています。旅行気分を出すのなら、クロスシートがいいですよね。
Oct 28, 2011
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運賃計算の特例としてJR東日本のホームページでも紹介されている「大都市近郊区間内のみをご利用になる場合の特例」 http://www.jreast.co.jp/kippu/1103.html大都市近郊区間内のみを普通乗車券または回数乗車券で利用になる場合には、実際の乗車経路にかかわらず、最も安くなる経路で計算した運賃で乗車することができるので、上野から秋葉原に行くだけでも、小山~友部~我孫子~成田~秋葉原でも130円で行けるというわけです。水戸線に乗り換えて新治駅を過ぎるあたりから稲刈りの終わった水田やいつも眺めている筑波山を反対側の西側から眺めたりできます。そして、列車は友部の水戸線用ホームに到着しました。
Oct 27, 2011
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On a dark desert highwayCool wind in my hairWarm smell of colitas Rising up through the airUp ahead in the distanceI saw a shimmering lightMy head grew heavy and my sight grew dimI had to stop for the nightThere she stood in the doorwayI heard the mission bellAnd I was thinking to myself"This could be heaven or this could be hell"Then she lit up a candle And she showed me the wayThere were voices down the corridorI thought I heard them sayWelcome to the Hotel CaliforniaSuch a lovely placeSuch a lovely facePlenty of room at the Hotel CaliforniaAny time of yearYou can find it here Her mind is Tiffany-twistedShe got the Mercedes-BenzShe got a lot of pretty, pretty boysThat she calls friendsHow they dance in the courtyardSweet summer sweatSome dance to rememberSome dance to forget So I called up the captain"Please bring me my wine"He said, "We haven't had that spirit hereSince 1969"And still those voices are calling from far awayWake you up in the middle of the nightJust to hear them sayWelcome to the Hotel CaliforniaSuch a lovely placeSuch a lovely faceThey're living it up at the Hotel CaliforniaWhat a nice surpriseBring your alibis Mirrors on the ceilingThe pink champagne on iceAnd she said, "We are all just prisoners hereOf our own device"And in the master's chambersThey gathered for the feastThe stab it with their steely knivesBut they just can't kill the beast Last thing I remember, I wasRunning for the doorI had to find the passage backTo the place I was before"Relax," said the night man"We are programmed to receiveYou can check out any time you likeBut you can never leave!"
Oct 26, 2011
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栃木県小山市と茨城県水戸市を結ぶJR水戸線に乗りたくて、130円切符を購入して上野駅から東北本線に乗りました。特急ひたちの途中の連結部です。電車がキスしているみたいで可愛らしいです。よく見ると東北本線ではなく宇都宮線と呼ぶのですね。宇都宮から先は東北本線というのでしょうか。まあ、国道6号線を東京都内だと「水戸街道」、水戸から仙台までは「陸前浜街道」と呼ぶのと同じでしょう。この宇都宮線を小山(おやま)で乗り換えます。写真は水戸線のホームにある駅名板です。水戸線の列車はE415系です。むかし常磐線を走っていたタイプですね。知らなかったんですが白鴎大学っていうのは小山駅前にあったんですね。
Oct 26, 2011
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駅の立ち食い蕎麦といえども結構名店みたいなものがあります。ここ常磐線の我孫子駅にある弥生軒は、常に混んでいます。この店は常磐線の上りホームにあったものですが、その他にも常磐線の下りホームや成田線ホームにも店を出しています。元々は我孫子駅の駅弁屋さんだつたそうですが、現在は駅構内の売店と立ち食いそば中心だそうです。ちなみに、昭和17年頃には画家の山下清さんが約5年間働いていたということで、店には「ぼくがはたらいていた弥生軒のおそばおいしいよ 山下清」という看板が店内に飾ってあります。今回はちくわ天を頼んだのですが、丼からはみ出す長さがいいですね。ここのお店で有名なのは唐揚げそば(うどんもあり)で、ケンタッキーフライドチキンのような唐揚げがのっているものです。唐揚げ2個入りなんて頼むと、下の蕎麦が見えないほどです。ちなみに、この唐揚げはお土産でも持帰りできるそうです。
Oct 25, 2011
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立ち食い蕎麦といえば、駅のホームでフウフウ言いながら食べることが多いですね。これは土浦駅にある立ち食い蕎麦屋さん。ここで一番プッシユしていたのは、コロッケ蕎麦。かなり大ぶりなコロッケがドーンと。でも、コロッケと蕎麦の出汁はなんとなくミスマッチな感覚があると思って、食べたことはなかったんですが、いや、コロッケのジャガイモが出汁に溶け出して、なんなく新しい味覚の世界が、・・・・。
Oct 24, 2011
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最近、立ち食い蕎麦に凝っています。値段も安いし、どこでも手軽に食べられる。これぞ究極のサラリーマン食。まず、立ち食いソバと言えば、富士そばですね。富士そばで食べた、鶏天ぷら蕎麦です。鶏の天ぷらのボリューム感が言うことなしでお腹が満たされます。
Oct 23, 2011
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大人の遠足 足利市へ(番外編)です。渡良瀬川で魚を採る様子です。
Oct 22, 2011
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八木節の発祥については諸説あるそうですが、通説は現在の栃木県足利市にあった八木宿において、 初代堀込源太(本名渡辺源太郎)が歌っていた歌がそのルーツであると考えられています。ということで、足利市福居にある八木節発祥の地へ歩いて向かいました。このあたり、距離感がなくて、気軽に歩いて行けると思ったのは大間違いでした。JR足利駅から国道50号線のバイパスまで往復で歩いて、考えてみれば、東武鉄道伊勢崎線の二駅分の距離なんですね。堀込源太さんは、その名の通り市内堀込町の生まれだそうで、50号線バイパス近くの地方卸売市場あたりにあった交番が堀込町交番だったので、このあたりが、堀込町でしょうか。いよいよ、八木節発祥の地に近づいてきた感じです。この看板、50号線のバイパスを横切って、パチンコ屋さんの前を左に曲がって、しばらく歩くとありました。いよいよですかね。この看板を過ぎて、しばらく歩くと、ありました八木宿という名前の交差点。しっかり書いてありましたね、八木節のふるさと、旧例幣使街道八木宿本陣跡。例幣使街道とは、江戸時代、京都の朝廷から日光東照宮参詣のため、年に一度派遣された例幣使の通った道で、中仙道を倉賀野で東に分かれ日光に向かう街道のことです。この石碑のあるところが、八木節振興センター、八木節資料館があります。そして、この直線の道が旧例幣使街道です。この建物が八木節資料館です。そして、この裏が八木節振興センターでした。時間も5時を過ぎていて閉まっているとは思いましたが、改装作業中で、閉館中でした。この辺りがかつては旅籠が並び遊女がいて宿場町として賑わったところで、宿場の上下に四本ずつ八本の松の木があったことから『八木』の地名がつけられたそうです。そして、当時、例幣使が宿泊した『寺山本陣』に越後生まれのお雪なる飯盛り女(女郎)が居て、彼女が故郷恋しさに口ずさんだ唄が例幣使の耳に入り、『その唄は何という唄か』と聞かれ、八木宿で歌ったので『ハイ八木節です。』ととっさに口から出た事からその名がついたというそうです(八木節宗家のホームページhttp://www.geocities.jp/yagibushi_soke/index.htmlからの引用です)最初は七・七口調の悠長な口説節だったそうですが、この地方の盆踊り唄として流行したそうです。明治中頃テンポの速い現代調の八木節に作り替えたのが初代堀込源太だそうです。初代源太師は、当代稀な美声の持ち主で、大正年間にはレコードの吹込みやラジオ放送にと活躍し八木節を日本の三大民謡の一つにあげられるまでの功績を残したということです。
Oct 21, 2011
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足利市の観光の拠点がここ太平記館。足利学校の近くにあります。中には、足利市内の観光名所の各種案内パンフレットが揃えられ、紹介ビデオも上映されています。足利に行けば是非訪れて欲しいところですね。そして、この太平記館の側の広場では、11月までの土日に『八木節』が披露されています。八木節は、この足利市が発祥の地だそうですね。知らなかった。てっきり、上州(群馬県)の民謡だと思ってました。ということで、たっぷり一時間、八木節を聞かせていただきました。この着流しのおじさんが、八木節を歌うのですが、最初は浪曲でもやるのかと思いました。内容はやっぱり、国定忠治やそして、木桶を太鼓がわりにして、仲間の人と掛け合いで歌う場面もありました。きっと、この人たちはカラオケボックスなんかに行っても、八木節を歌って自慢ののどを鍛えているんでしょうか。写真は、北関東一円でチェーン展開されているカラオケボックス「まねきねこ」です。足利市にもありました。そして、地元のお姉さま方も踊りで花を添えています。しばらく見ていると、音頭に合わせて、着物を・・・・脱ぎ始めて、ちょっとお色気があり過ぎ・・・・なんて思っていると。と会の名前を示して、ポーズを決めてくれました。参考によかったら聞いて下さい。二代目堀込源太による八木節 国定忠治。ちょっと音は悪いですけど
Oct 20, 2011
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足利でおすすめのグルメ「ポテト入り焼きそば」です。焼きそばの中に茹でたポテトが入っています。ソースが独特の味わいでした。そういえば、ソースかつ丼というのも名物らしく、地元で有名なソースでもあるのでしょうか。これで腹ごしらえをして歩き続けました。なにやら、古びた建物ですが、足利陣屋跡の看板がありました。このあたりに足利藩の陣屋(江戸時代に、城を持たない大名の藩庁が置かれた屋敷)があったそうです。一体、どんなことを調べているのでしょうか、足利水土里探偵団クラブ真麗という建物です。ちょっと雰囲気のある夜の社交場でしょうか。これは足利商工会館(友愛会館)です。足利銀行の元本店だったそうで、なかなか重厚なデザインで、いかにも銀行という感じです。内部はこんな感じで、奥の金庫は改装されてギャラリーに活用されていました。これは足利まちなか遊学館という建物で、中には大型の「八丁撚糸機」という織物の機械が展示され、手織り体験などもできる「織物のまち」足利を紹介する施設です。
Oct 19, 2011
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足利市内をブラブラと歩くと色々と発見しました。これは織姫神社をイメージしたからくり時計です。これは水を使ったからくり時計です。水といえば足利市は湧水に恵まれているようで、からくり時計の横にあった水飲み場、人が近づくと水が出てきました。そして、こんな名前のお店が、デパートといっても、衣料品だけを売っているようでした。
Oct 18, 2011
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足利には織姫神社という神社があります。鳥居からこの本殿に続く石段は229段あるそうです。ここには太古の昔より機織を司る天八千々姫命(アメノヤチチヒメノミコト)と天御鉾命(アメノミホコノミコト)を祭神としています。足利市は織物の産地として歴史が古いことからこの足利の守護神として祭られているのでしょうね。この徳富蘇峰撰文による「造営碑」によると、産業振興の神社として、さらに縁結びの神社として、広く信仰を集めているそうです(別に、この碑文が読めたわけではありませんが、神社のパンフレットによります(^_^;))。そんなわけで、境内では結婚式が行われていました。MoMo太郎も「縁結び」を祈願してまいりました。「縁結び」といっても、別に男女のことだけではなく、よき健康と縁結び、よき仕事と縁結び、よき経営と縁結び、そして、よき人生と縁結び。という「縁結び」ですよ。そして、社殿からは関東平野が一望できました。
Oct 17, 2011
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足利市といえば、やはり、この人いなくては有名にならなったでしょうね。「足利尊氏」足利尊氏の像です。足利学校から鑁阿寺(ばんなじ)に向かう途中にありました。そしてこれが鑁阿寺の山門です。濠を渡る橋が太鼓橋になっているのが、特徴ですね。鑁阿寺は、源姓足利氏二代目の足利義兼(あしかがよしかね)が、建久7年(1196年)に、邸内に持仏堂(じぶつどう)を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりといわれています。その後、三代目の足利義氏(あしかがよしうじ)が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺としました。 周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、約40,000平方メートルあり、鎌倉時代の武家屋敷の面影を今に伝えています。 境内には重要文化財の本堂など貴重な建物が多く、このことから大正11年に国の史跡に指定されています。市民からは「大日様」として親しまれています。まだ、イチョウの木は色づいていませんでしたが、時期になると見事な紅葉で楽しませてくれますね。そして、真言宗のお寺だけに、弘法大師の像がありました。これは、栃木県指定有形文化財の多宝塔です。そして、国指定の重要文化財の本堂です。
Oct 16, 2011
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改めてご冥福をお祈りします。柳ジョージさん。ついでにこれもお聞きください。
Oct 15, 2011
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足利学校の施設を紹介します。ちなみにプールや体育館というのはありません。ここは衆寮(しゅうりょう)と呼ばれる寮生が生活したり勉強したりしたところです。建物の中はこんな感じでした。そして、学生の講義や学習、学校行事や接客のための座敷として利用された方丈(ほうじょう)です。この方丈の裏にあるのが、北庭園です。この池には湧水がひかれています。やはり、江戸期の学校に欠かせないのが、孔子廟です。これは孔子廟に入るための杏壇門(きょうだんもん)です。杏壇門を抜けると、見える孔子廟です。寛文8年(1668)に徳川第4代将軍家綱の時に造営されたもので、中国明時代の聖廟を模したものと伝えられています。そして、中にあるのが孔子像です。そして、学校に付きものの裏口入学のための裏門です。まあ、裏口入学というよりも学生や一般客の通用門として使われていたそうです。さて、足利学校というのは具体的にどんな学校だったんでしょう。創建は、諸説あるそうです。(1)奈良時代の国学(こくがく)というものであるとの説。国学とは、律令制において、官人育成のために各国に設置された地方教育機関のことだそうです。(2)平安時代の小野篁(おののたかむら)によって839年(または842年)ごろに創設されたという説。江戸期の足利学校ではこの説を採用しているらしく、孔子廟には小野篁の像が安置されています。しかしながら、小野篁は設立年とされる年には流刑になっていることから、この説には信憑性がないという主張が強いそうです。(3)鎌倉時代、12世紀末に足利義兼によって設立されたという説。また、国学起源説、小野篁創設説の場合でも、足利義兼は学校を復興させた人物とされているそうです。歴史的に明らかになるのが、1432年(永享4年)、上杉憲実が足利の領主になって自ら再興に尽力し,鎌倉円覚寺の僧快元を庠主(しょうしゅと読み、校長のこと)に招いたり、蔵書を寄贈したりして学校を盛り上げたあたりで、天文18年(1549)には、キリスト教の宣教師フランシスコ・ザビエルは「日本国中最も大にして最も有名な坂東のアカデミー(坂東の大学)」と記し、足利学校は海外にまでその名が伝えられたそうです。授業内容は、孔子の教えである「儒学」が中心だったそうですが、創設以来「易学」、つまり占いを重視し、戦国時代には「兵学」や「医学」も教えられていたそうです。また、特別な教科書があるわけではなく、主に中国の古い本を、書き写して、それを学んでいたそうです。明治5年(1872)に廃校になり、以来孔子廟などわずかな建物を残すのみであったが、1990年に方丈や庭園が復元され、公開されたそうです。一応、世界遺産の登録を目指しているそうです。
Oct 14, 2011
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足利学校の庭園を紹介します。この木は、なんでしょう。よく見ていると赤茶色の実がついている棗(ナツメ)でした。こけはムラサキシキプですね。足利学校の庭園は、なかなか行き届いています。これは南庭園にある池と築山です。
Oct 13, 2011
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足利学校に入るとまず目につくのは孔子像です。やはり、孔子様といえば、『論語』、『儒教』というところで、やはり、それが教育の中心だったのでしょうか。孔子像を眺めて、学校門を抜けて校内に入ります。入って最初に目についたのは、この旧遺蹟図書館です。足利学校が閉校になったのは、明治5年(1872)だそうです。以降明治36年(1903)に遺蹟図書館が開設され、足利学校の旧蔵書を保存するとともに一般の図書を収集して公開したということで、栃木県内で初の公共図書館ということです。学校の裏手に回ると、庠主(しょうしゅと読み、校長のこと)の墓、石塔がありました。まあ、普通の学校では校長先生のお墓までは面倒見ませんから、立派な校長先生の指導の下、多くの学生が勉学に励んだのでしょうね。
Oct 12, 2011
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「足利市、意外と教育熱心な町では」と言いましたが、ここには日本最古の学校、足利学校があったんですね。足利学校の全景です。茅葺の建物は江戸中期の学校の姿を再現したそうです。足利市まで来た目的はなんといっても、日本最古の足利学校で学問を修めることでもありましたから、なんとしてでも足利学校へ入学することにしました。この足利学校のある町名は「昌平町」でした。「昌平」とは、孔子が生まれた村の名前ですから、まさに学校のある地名としてはふさわしいですね。ここが、正門の「入徳門」で、額の「入徳」は天保12年(1840)に掲げられたものです。ここを入って受付で入学金400円を支払うと足利学校への入学が許可されます。明日は、足利学校の内部を紹介します。
Oct 11, 2011
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足利市へ行くには、東武の他にもJRも使えます。これがJR足利駅です。足利市は、織物産業など昔から盛んだったので、鉄道の敷設も早かったのではないのでしょうか。明治21年には、小山-桐生間、翌年には前橋まで開通しているそうです。現在は東京に行くには東武鉄道を利用するのがメインかもしれませんが。駅前に置かれていた電気機関車です。運転台に入れるようにしているようですが、柵の扉には鍵がかけられていました。町の中心をとおる旧国道50号線です。今は県道になっています。町は賑やかな印象でした。東横インがあるので、ビジネスで来られる方も多いのでしょうね。むこうに大きな緑の看板があるが栃木県にもかかわらず「群馬銀行」でした。もちろん栃木県で一番の銀行「足利銀行」もありました。それより気になったのは、交差点にある予備校の広告看板。なぜか、この町から、鹿児島にあるラサール高校に2名も進学していました。早稲田、慶応、上智大学にはこの町から54人も合格しているというのは、町の規模から考えて、大したものですね。意外と教育熱心な町ではないでしょうか。
Oct 11, 2011
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今回の『大人の遠足』は栃木県足利市です。東武伊勢崎線浅草駅から東武鉄道で足利市へ向かいました。浅草駅というか浅草松屋は、今、改装工事中なんですね。東武隅田川橋梁を渡り、鉄橋の上からは隅田川の眺めがいいですね。電車に揺られること約1時間半くらいで、足利市駅に到着しました。特急を使えば、もっと早いかもしれませんね。駅前には、足利市内の観光案内図とそして、風速計と乙女の銅像がありました。足利市内はこの渡良瀬川で二つに分かれているようでした。足利市内の中心部には、この渡良瀬川にかかる中の橋を渡って左岸側に行くのですが、まず、足利市内の名所めぐりの一発目は、森高千里の歌で有名な『渡良瀬橋』を渡りましょう。まあ、当然のことながら、森高千里が橋を渡っているのには出会えませんでした(^_^;)
Oct 10, 2011
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『カップヌードルごはん』というものを食べました。作り方は簡単で、水を入れて電子レンジで温めるだけです。確かにカップヌードル味のチャーハンみたいなものが出来ました。試しに一度は食べてみられるのもいいかも(^_^)v
Oct 9, 2011
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この花の季節になりましたね。キンモクセイの二人のアカボシ。いえ間違えました。この花です。
Oct 8, 2011
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最近、流行っているらしいですね。なんか、こんなのテレビに普通に出していいんですかね。
Oct 7, 2011
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大阪ノースゲートビルディングで咲いていた「ナデシコ」です。やっぱり、可憐な可愛い花ですね。「ナデシコジャパン」の乙女たちとはちょっと違いますね。このビルの上には、天空の農園というのがあって、こんな草花も楽しめますし、そして、なんと、田んぼまでありました。そして、このノースゲートビルデイング、この「時空(とき)の広場」で大阪駅をまたぐ橋上駅屋上5階でサウスゲートビルディングとつながっています。
Oct 7, 2011
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大阪駅にできたノースゲートビルディングからの梅田貨物駅が眺めです。貨物列車の出入りがよく見えます。こちらは向こうにそびえる北摂の山々です。新淀川の水面がビルの隙間から見えます。爽やかな秋空と建設中のビルのクレーンです。
Oct 6, 2011
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関東鉄道常総線にある『小絹駅』です。小絹という雅な響きの名前にふさわしいデザインの駅舎では。ICカードのPASMOやSUICAも使えますよ。ホームは静寂な感じがして、なんとなくいい雰囲気の駅では。
Oct 5, 2011
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Whenever I want you around, yeah.All I gotta do,Is call you on the phone,And you'll come running home,Yeah, that's all I gotta do. 傍にいて欲しい時はいつでも、僕がすることといえば、電話すること。そして、君が僕の家まで駆けつけるそう、それが僕がすることの全てさAnd when I, I want to kiss you, yeah.All I gotta do,Is whisper in your earThe words you long to hear,And I'll be kissin' you. そして、僕が、僕が君にキスしたい時僕がすることといえば、君の耳元で囁いて、君が聞きたがっている言葉をね。そして、君にキスするんだよ。And the same goes for me,Whenever you want me at all.I'll be here, yes I will, whenever you call.You just gotta call on me, yeah,You just gotta call on me. 僕にとっても同じこと君が僕を欲しい時はいつも僕はここにいる。そうだよ、僕はそうする。君が電話する時はいつもね。君は電話するだけでいいよ君は電話するだけでねAnd when I, I want to kiss you, yeah.All I gotta do,Is call you on the phone,And you'll come running home,Yeah, that's all I gotta do. そして、僕が、僕が君にキスしたい時僕がすることといえば、君の耳元で囁いて、君が聞きたがっている言葉をね。そして、君にキスするんだよ。And the same goes for me,Whenever you want me at all.I'll be here, yes I will, whenever you call.You just gotta call on me, yeah,You just gotta call on me.僕にとっても同じこと君が僕を欲しい時はいつも僕はここにいる。そうだよ、僕はそうする。君が電話する時はいつもね。君は電話するだけでいいよ君は電話するだけでね
Oct 4, 2011
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東北出張復命も今回がとりあえず最後です。最後は盛岡から東北新幹線「はやて」に乗って帰りました。しかし、「はやて」ってどうして全席指定なんでしょうかね?以前は全席指定だった東海道新幹線の「のぞみ」でも今は自由席があるのに、まあ、「のぞみ」の指定席特急料金は「ひかり」のそれとは違うけど。そのあたり、料金設定ってどんな考えでやっているのでしょうか。JR各社で違うってことですかね。とにかく「つなげよう日本」。震災の被災地の一刻も早い復興を望みます。
Oct 4, 2011
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盛岡は麺どころ。わんこ蕎麦、ジャジャ麺そして盛岡冷麺というところが有名です。その盛岡冷麺発祥の店がここ、食道園です。お店の看板は「元祖平壌冷麺」となっていました。この店を訪れたのは朝の9時、さすがに朝から盛岡冷麺というわけにはいかず。別の店で頂きました「盛岡冷麺」盛岡冷麺の正当な食べ方は、「スープをひと口啜り、お酢を加えて味を調整して、専用のキムチを麺にからめて豪快に食べる。キムチの出汁が命なので、キムチの汁も残さず飲み干して下さい」ということだそうです。
Oct 3, 2011
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岩手県の産んだ先人で著名なのは、やはり「石川啄木」ですね。そんなわけで啄木を記念する銅像がありました。少年啄木像です。盛岡市のメインストリート大通二丁目に建つ「少年啄木像」の台座には、 「新しき明日の来るを信ずといふ、自分の言葉に嘘はなけれど」の歌が刻まれています。そして、五千円札になるまで知らなかったけど、この人も盛岡の産んだ偉人です。「新渡戸稲造」です。新渡戸稲造は、1862年、 盛岡市に生まれました。札幌農学校に進学し、 そこで生涯を通じた合理主義・自由主義・国際人としての基礎を培いました。 卒業後はアメリカ、ドイツへ留学して農学・経済学などを学んだあと、 国際的な教育者として多くの人材を育てました。 また、「武士道」に代表されるような著作活動によって日本文化の海外紹介につとめました。 当時立ち遅れていた女子教育にも取り組み、東京女子大学初代学長となり設立に尽力しました。 国際連盟事務次長をはじめとする要職につき、国際平和に貢献、カナダのビクトリア市で亡くなりました。 現在、盛岡市とビクトリア市は新渡戸を縁として姉妹都市となっています。 ビクトリア市の太平洋を望む丘には、盛岡の岩手公園にある記念碑と同じものがたてられています。 西洋の文明を日本へ、日本の文化を西洋へとの彼の願いを象徴した、 「われ太平洋橋の橋とならん」という言葉は、あまりにも有名です。 新渡戸こそ、日本を代表する初の国際人といってもよいでしょう。つまり、石川啄木よりも遥かに偉大な5千円札ではなく10万円札くらいにする価値のある人物ですね。
Oct 3, 2011
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盛岡地方裁判所の構内にある石割桜は、「石割桜こそ日本一の名桜」などといって、 よく取り上げられる珍しい桜です。 巨大な花崗岩の岩の狭い割れ目に直径約1.35メートル、 樹齢が360年を越えるといわれるエドヒガンザクラが生育しているのです。 1923(大正12)年、国の天然記念物に指定されています。
Oct 2, 2011
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盛岡にはシブイ建物がありました。旧岩手銀行旧本店本館です。明治44年に建てられた洋風建築で、煉瓦造1部3階建てルネサンス様式の建物。設計は辰野金吾と葛西萬司の両氏によるもので、東京駅同様当時の建築様式を伝えるものとして平成6年に国重要文化財に指定されているそうです。盛岡市の指定では昭和52年でしかも1番です。赤煉瓦を主体とし白色の花崗岩をライン状に嵌めこむというデザイン。窓も一階と二階でデザインを違えるのもオシャレですね。右側は建物の正面となるそうでが、六角形でしかも屋根にはドーマを始め、展望台や手摺など変化に富み印象深い建物ですね。こちらは、今の岩手銀行本店です。
Oct 1, 2011
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