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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。このあたりの住所って新宿区舟町になるんですね。近くに海もないし、川もないのに舟町と呼ばれるのは、江戸時代初期には全勝寺一帯に杉林が存在し、伐採されて四谷丸太として売り出されていて、木材は舟板としても利用されていたことから、舟板横町と呼ばれていたので、それに因んでの町名らしいです(→→→こちら)。そしてこの舟町にあるのが、この西迎寺(さいこうじ)です。このお寺には、新宿区指定有形文化財の「阿弥陀如来座像」と新宿区登録有形文化財の「梵鐘」がありました。こちらが西迎寺の阿弥陀如来座像です。そしてこちらが、西迎寺の梵鐘です。西迎寺の境内です。西迎寺は、西迎法師(明応8年1499年寂)が、延徳2年(1490年)、太田道灌の菩提を葬うため西光庵と号して江戸城紅葉山の地に創建されました。しかし、江戸城拡張工事のため寛永12年(1635年)にこの地に移転したそうです。人気ブログランキング新宿彷徨(その86) 西迎寺
Mar 31, 2026
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。外苑東通りをさらに北へ、靖国通りの方へ向かっていくと、靖国通りへつながる坂道がありました。新宿区が設置した標柱では「新坂」と記されていました。説明は次のとおりでした。全勝寺から靖国通り手前まで下る坂道で、明治30年代後半の道路新装によりできた坂道である。江戸時代には、甲州街道から全勝寺まで杉の木が連なる「杉大門」通りが延び、新坂ができて靖国通りまで通じることになった。「今は杉樹は伐採し、其の路は新道に通じて、直ちに市谷に達せり」という光景であった(「新撰東京名所図会」)。新坂の近くにある全勝寺(→→→こちら)への入り口です。お寺だから山門と言うべできでしょうが、雰囲気は普通の門です。門柱の脇にあった説明板には、「山県 大弐(やまがた だいに)の墓」とありました。山県大弐(→→→こちら)は、江戸時代中期の兵学者・尊王論者として著名な人物だったみたいですね。こちらが本堂です。本堂の寺号額には「全勝禅寺」とあって、曹洞宗系の禅寺であることがわかります。本堂の前にあった、こちらが、多分、山形大弐の墓でしょうか。しかし、よく見ると碑文が削られたようになっていて、この人には、諸々の政治的な背景があるんでしょうかね?人気ブログランキング新宿彷徨(その85) 新坂と全勝寺
Mar 30, 2026
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。外苑東通りと新宿通りが交わる四谷三丁目交差点にやって来ました。四谷三丁目交差点に面して建つ、屋上にヘリコプターがあるこの建物は、東京消防庁消防防災資料センター(→→→こちら)、四谷消防署、四谷消防団本部です。まあ、東京消防庁消防防災資料センターというより消防博物館と言った方が知っている人は多いかも。ここから外苑東通りを靖国通りに向かって歩くと、アンパンマンショップ(→→→こちら)があります。ちなみに「あんぱん」は売っていませんよ。人気ブログランキング新宿彷徨(その84) 四谷三丁目交差点
Mar 29, 2026
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3月24日、新宿区下落合にある「おとめ山公園」(→→→こちら)を通りかかった時に撮影した桜です。東京の桜の開花宣言は、3月19日でしたが、この日は三分咲きといったところでしょうか。桜の花を撮影しようしてスマートフォンでズームしてみましたが、MoMo太郎の使っているスマートフォンはデジタルズーム、つまり、撮影した画像の一部を切り抜いて拡大する方式のようで。画質は凄く悪いですね。やっぱり、撮影するならちゃんとした光学ズームがあるデジタルカメラで撮影すべきだったです。日当たりのいい所にある桜は、このようにほぼ満開といったところで、やっぱり太陽の力って偉大ですね。人気ブログランキング新宿区おとめ山公園の桜
Mar 28, 2026
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すみだの桜の名所巡りは、隅田公園(→→→こちら)にやって来ました。もう桜も花開いているのもあり、その下でみんなピクニックを楽しんでいました。ちょっと赤みの強いエドヒガンサクラでしょうね。こちらのサクラでは皆さん写真を撮影していました。この桜はヨウコウ(陽光)ですかね。やっぱり隅田公園は人が多いです。こちらはやっぱりソメイヨシノなんでしょうね。芝生で覆われたそよ風広場で皆さん楽しまれていますね。こちらは隅田川沿いの桜。ミヤビという品種だそうです。隅田川沿いの桜はまだ準備中でした。でも今日あたりは満開でしょうね。人気ブログランキングすみだの桜の名所を巡る(その3) 隅田公園
Mar 27, 2026
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錦糸公園(→→→こちら)にやって来ました。こちらでは「桜まつり」が開催されていました。公園の広場の桜は少し咲いていて、桜の下でお花見を楽しんでいるグループが沢山いました。次に大横川親水公園(→→→こちら)にやって来ました。ここでは白しだれ桜も満開の下でフリーマーケットが開催されていました。東京スカイツリーに向かって大横川親水公園を歩いて行くと、まだ桜は開花していないようでした。その代わりに、白いユキヤナギが咲いていました。途中、数輪の桜が咲いているのがわかりました。蕾も膨らんできているようですね。また、花壇には白いアリッサムとデイジー(ヒナギク)が咲き誇っていました。ヒナギクというとこの丸い花形ですね。東京スカイツリーが見える東武橋までやってくると、桜が咲いていました。これは河津桜でした。すっかり葉桜になっていました。人気ブログランキングすみだの桜の名所を巡る(その2) 錦糸公園と大横川親水公園
Mar 26, 2026
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3月22日、三連休の最後の日に墨田区の桜の名所を巡ってみました。最初に訪れたのは両国駅近くの旧安田庭園(→→→こちら)です。その旧安田庭園に入る前に、報知新聞社の入っている国技館ビルの前にある「舟橋聖一生誕の地」の碑がありました。舟橋聖一(→→→こちら)の代表的な作品で幕末の大老井伊直弼の生涯を描いた「花の生涯」と刻まれた碑がありました。碑文には次のように記されていました。舟橋聖一生誕記念碑作家舟橋聖一は明冶37年(1904)12月25日に、本所区横綱町二丁目二番地に生る。作家、國文学者として盛名高く、数々の名作を遺すも、その七十二年の生涯は權威に屈せず、市井の文人、文学者として独自の風格を以て貫かれている。代表作の一つ、「花の生涯」は伊井大老の生涯を綴った醇乎たる逸品であるが、文学者、文化人として、前人未踏の道を歩いた作者の人生行路もまた、そのまま花の生涯と呼ぶにふさわしいものである。 井上靖 代表作:「木石」「川音」「悉皆屋康吉」「ある女の遠景」「好きな女の胸飾り」等 略歴:東大卒・明大教授・日本文芸家協会理事長・国語審議会委員・横綱審議委員長・等 日本芸術院会員・文化功労者」また、旧安田庭園の門の近くにあったこの食堂。下総屋食堂といいますが、このちょっと古びた食堂、よくテレビドラマのロケで使われているそうです。でも、この店構えだとちょっと入って食事するのは勇気が必要かも。こちらが旧安田庭園の入口です。東京都指定文化財(名勝)になっているそうです。まだ桜は開花していなかったようで、その代わり、木瓜(ボケ)の花は見事に咲いていました。果実は木瓜(もっか)と称される生薬になるそうで、「木瓜(もっか)」とよばれたものが「ぼけ」に転訛としたとも言われています。ということで、桜が咲いていないのは寂しかと思って、近くにあった日大一中・一高の前に咲いていた桜を撮影しました。この桜は「エドヒガン」という品種の桜です。ちなみにここには、「ソメイヨシノ」や「八重桜」など何種類かの桜が植えられていて、開花時期がそれぞれ違うので長い間、桜を楽しむことができるようです。人気ブログランキングすみだの桜の名所を巡る(その1) 旧安田庭園
Mar 25, 2026
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亀有が生んだ著名人の両津勘吉氏が勤務する亀有公園前派出所。公園前派出所があるということは、亀有駅の周辺にも公園があるはず。ということで駅前にあるのが「亀有リリオパーク」(→→→こちら)です。イベント会場として使用される広場が中心の公園です。夏の時期には水遊びができるように噴水の施設もあります。ということで、リリオパークの前に建つ両津勘吉像も祭り姿でした。駅の北側に行ってみると、正真正銘「亀有公園」(→→→こちら)がありました。ちなみに亀有公園前派出所はありませんでしたが、両さんの銅像はありました。こちらの銅像は「ダブルピース両さん像」。こちらの両さんはベンチに座っている「ひとやすみ両さん像」。ベンチに座って両さんとツーショット写真も撮影できそうですね。こちらは、2025年3月に新しく完成したフォトスポットです。漫画の中にいる自分の姿の写真が撮影できますね。このフォトスポット、亀有南口にオープンしたこち亀記念館の場所案内図も兼ねています。(亀有開運巡りのコース)【了】人気ブログランキング亀有開運巡り(その14) 亀有の公園
Mar 24, 2026
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こちらの「ゆうロード商店街(→→→こちら)」を歩いて亀有駅に向かいます。ゆうロードは、亀有駅の南側、約200mにわたり約110軒の店が並ぶ賑わいのある商店街です。ここも「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の舞台でもある商店街です。そんな商店街で遊んでいた両津勘吉少年の銅像が設置されていました。主人公の子供の頃の両さんと親友の戸田豚平、千田珍吉がモデルになっています。こちらは葛飾伊勢屋亀有本店。こちらの名物はだんごやどら焼き。一本140円のだんご。なかなかの絶品でしたよ。そして亀有駅に到着しました。(亀有開運巡りのコース)【つづく】人気ブログランキング亀有開運巡り(その13) 少年時代の両さんは商店街で遊んでいた
Mar 23, 2026
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こちらの旧水戸街道を亀有駅の方に向かって行きます。旧水戸街道は、亀有上宿町(現亀有1・2・3丁目の複合域)の北部を西から東に貫いています。そして、このような「旧水戸街道 亀有上宿」という標柱も建てられています。また道沿いには「亀有七福神」と染め抜かれたのぼりがあって、その位置には小さな七福神の石像が置かれています。この石像は毘沙門天でした。こちらにも七福神の一人が祀られているようです。旧水戸街道沿いの商店街である上宿商店会が、旧水戸街道をはじめ周囲の道路が拡幅され便利になったのを機に、亀有及び葛飾地域のますますの発展を願い、守り神として設置されたものです。こちらで祀られているのは「寿老人」でした。こちらにも亀有七福神の幟が立っています。そして、ここには3つの顔が彫られたモニュメントがありました。これは水戸黄門、格さん、助さんの石像になっているようでした。そして、「一里塚跡」という案内板が建てられていました。旧水戸街道と上宿との関係で最も深いつながりは、上宿の旧水戸街道上に「一里塚」が置かれていたことです。「一里塚」は江戸時代、街道上の往来の目安として、江戸日本橋を中心に1里(約4km)ごとに終着駅まで設置されたものです。ここ亀有は江戸日本橋から三里の距離に位置しているそうです。そして一里塚跡の石碑もありました。こちらは、都内から水戸へ向かう下り車線側に建てられた旧水戸街道亀有上宿の標柱です。(亀有開運巡りのコース)【つづく】人気ブログランキング亀有開運巡り(その12) 旧水戸街道の上宿亀有七福神
Mar 22, 2026
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再び曳舟川親水公園に戻って来ました。訪れた時期は1月だったので、散策道沿いの桜並木は枯れたままですが、春になると見事な桜を咲かしていることでしょう。こちらはトイレと休憩所です。こういう施設があるのも散策には大事ですね。曳舟川の歴史を記した案内板がありました。これを読むと江戸時代から現在までのこのあたりの水利状況がよくわかります。 曳舟川の由来曳舟川の名は、江戸時代中期から、明治15年頃まで、篠原村(現四つ木)~亀有村間の28町(約3km)でサッパ船という小舟に乗せた人を、船頭が土手から舳先につけた縄を引いたことにちなんでいます。曳舟川は江戸時代当初は、干拓・埋立が進んだ葛西領沿岸部の本所・深川地域へ、飲料水を供給した水路でした。成立は万治3年(1660)で亀有上水・本所上水などといわれていました。水源は、元荒川に設けられた瓦曽根溜井(現埼玉県越谷市)で、亀有以南は古墨田川から引いた東側の中井堀と四つ木付近まで並んで流れていました。享保14年(1729)、葛西領の用水溜井が、小合溜井(現水元公園)に変わると、すでに享保7年に廃止されていた上水路は葛西用水の水路として再利用され、古上水堀と呼ばれます。曳舟は、江戸東郊の風物として人気を呼び、多くの紀行文や初代歌川広重の「名所江戸百景」などに描かれています。昭和33年(1958)中井堀と古上水堀が一本化されて以降は、曳舟川の名のみが残り、げんざいの曳舟川親水公園へと受け継がれています。東京と埼玉周辺の地理に詳しくないとよくわからない内容ですが、今の足立区、葛飾区、江戸川区、墨田区そして江東区における近世の水利開発の様子が示されていて土木史の勉強になりました。ちなみに「溜井」とは、用水を確保するために河川を堰き止めて作った用水池のことです。また「古墨(隅)田川」は利根川の下流に位置しており、武蔵国と下総国の境界線となっていたと考えられている川です。現在で、古隅田川は埼玉県と東京都にある2つに分かれていますが、かつては利根川-隅田川の一部であり、現在の河川に則すれば、古利根川から古隅田川(埼玉側)、元荒川、中川、古隅田川(東京側)、隅田川という流れが利根川及び荒川の本流であったと考えられているそうです。「葛西用水」とは江戸時代初頭の(万治3年(1660年)に江戸幕府が天領開発の一環として、関東郡代の伊奈忠克に開発させた灌漑用水路であり。埼玉県東部および東京都東部を流れる灌漑用水路です。この用水は現在でも行田市にある利根大堰から取水し足立区まで水が流れています。そして、曳舟川親水公園の起点にある旧水戸街道との交差点には、石碑が建てられいます。石碑には、曳舟古上水橋と刻まれ、その裏側にはこれより水戸佐倉街道と刻まれていました。茨城県の水戸へ向かう街道と千葉県の佐倉へ向かう佐倉街道は、日本橋から亀有を過ぎ葛飾区新宿(にいじゅく)にある新宿追分までは同じ道となっていて、佐倉街道は新宿追分から南方に分かれて柴又をとおり市川を経て船橋、八千代、臼井を経て佐倉に至ります。そんな歴史の上にある曳舟川親水公園でした。(亀有開運巡りのコース)人気ブログランキング亀有開運巡り(その11) 曳舟川の由来
Mar 21, 2026
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この道は旧水戸街道です。今回は旧街道を歩かず、住宅街の中を真っ直ぐ東に向かって歩いて、この公園に向かいました。この公園は「西亀有せせらぎ公園」。かつて農耕地の水路として使われていた場所を付近の公園をつなぐ散策道として整備された公園です。せせらぎと言いながら、冬なので水は流れていませんでした。北側にある藤塚西公園と藤塚東公園。西側には中道公園、そして東側には上千葉砂原公園があり、それらの公園と一体となって遊ぶことができます。さらに東に向かって行くと東京都立農産高等学校(→→→こちら)があります。昭和23年(1948年)に創立した東京東部地区唯一の農業高校。約4万平方メートルの校地には農場や実習棟があり、充実した農業施設を有する学校だそうです。野菜や草花、果樹の栽培から、フラワーデザイン、造園などを学ぶ園芸デザイン科とパンやジャム、お菓子などの食品製造技術や、食品の栄養・成分、衛生管理について専門的に学べる食品科があるそうです。こちらが正門のようですが、日陰になって上手く撮影できませんでした。こういう専門的なことを教える学校の先生って大変でしょうね。古文なんか新しい教材が増えるわけでもなし、数学だって微分積分の解き方が昔と今で変わっているわけでもないでしょう。しかし、農業を教えるとなれば、日進月歩のバイオテクノロジーや、最近、導入が進むスマート農業等、教えなければならない内容は毎年増えて行くので先生も普段から学生さん以上に勉強しないといけませんからね。(亀有開運巡りのコース)【つづく】人気ブログランキング亀有開運巡り(その10) 西亀有せせらぎ公園と都立農産高校
Mar 20, 2026
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「お花茶屋」って、ちょっと素敵な名前の町ですね銭湯の煙突からモクモクと煙がのぼっています。上千葉小学校、校章の由来は「葛飾」の地名は、昔この地域一帯に、葛の葉が繁茂していたという事にちなんでつけられた為、本校の校章もこの事を考慮し「葛の葉の繁り如く反映する」事を願って制定されたそうです。現在の住所は堀切となっていますが、このあたり、昔は千葉村と呼ばれていたそうですね。東京なのに千葉なのは、葛飾区史(→→→こちら)によると、このあたりはその昔「木庭袋」という地名で、それが転じて「千葉袋」→千葉村という流れになったからだとか。開運巡り、上千葉香取神社(→→→こちら)にお参りしました。鳥居が二基あるのはこの神社の格式が高いということでしょうか。二の鳥居の先に社殿があります。現在の社殿は平成5年(1993年)の造営だそうです。社号額も新しいですね。こちらの香取神社社殿御造営記念碑によると、香取神宮から御分霊を勧請し、宝徳3年(1451年)創建と伝えられています。また境内には、以前境内の池の小島に祀られていた弁財天を中心にとして七福神が祀られています。七福神がまとめてお参りできるのは、福徳を授かる上で便利ですね。(亀有開運巡りのコース)【つづく】人気ブログランキング亀有開運巡り(その9) 上千葉香取神社
Mar 19, 2026
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葛飾区郷土と天文の博物館の郷土展示室の展示を紹介します。こちらにあるのは葛飾区で発掘された土器です。縄文時代は葛飾区は海の底だったので、縄文時代の土器は展示されていないようです。弥生時代の土器が展示されていました。こちらは中世の葛飾区を紹介している展示でした。こちらは近世、江戸時代の葛飾区に関する展示です。明治以降の葛飾の暮らしを紹介する展示です。「文化フライ」という小麦粉を練ったものをパン粉をつけて揚げたもの。昔はこんな食べ物が人気あったんですね。葛飾区では染め物も盛んだったようです。こちらは葛飾区にあった町工場の様子です。昔の葛飾区の庶民の住宅の様子。なつかしいオート三輪。MoMo太郎の子供の頃はこの車が活躍していました。葛飾区郷土と天文の博物館、またゆっくり見学に来たいと思います。(亀有開運巡りのコース)【つづく】人気ブログランキング亀有開運巡り(その8) 葛飾区郷土と天文の博物館の展示を見学
Mar 18, 2026
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曳舟川親水公園通りにあるドームが目立つ建物があります。「ドームかつしか」というモニュメントがありました。ここが「葛飾区郷土と天文の博物館」(→→→こちら)です。郷土の歴史を学ぶ施設と宇宙への知識を得るプラネタリウムがある博物館。ちょっと変わった取り合わせのように思いますが、一度に両方の勉強ができるというのは、なかなかお得な施設です。ということで、入館料100円を払って入ってみました。プラネタリウムは別に350円が必要です。上映時間もあるので、プラネタリウムは次回ということにしました。入って目についたのはこの「フーコーの振り子」(→→→こちら)です。フーコーの振り子は、地球の自転現象を示す演示実験になるそうです。自転運動する物体上で、長い弦をもつ周期の長い振り子を長時間振動させると、次第に振動面が変化することが観察できるということです。どういう理屈か理解するのは、難しいですが、この振り子の錘が円運動していくことはわかりました。(亀有開運巡りのコース)【つづく】人気ブログランキング亀有開運巡り(その7) 葛飾区郷土と天文の博物館
Mar 17, 2026
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道の中央部が歩道になっている道にやって来ました。曳舟川親水公園通りです。曳舟川親水公園(→→→こちら)は、曳舟川(葛西用水)の面影を残し、水をテーマとして整備された公園です。亀有から四つ木まで南北延長約3kmにわたり、水遊び場、自然景観水路、芝生地ゾーンなどの施設があります。曳舟川は、江戸時代に農業開発のために築いた「葛西用水」の葛飾における呼び名。太平洋戦争後に下水道が整備されると曳舟川は埋め立てられて川が姿を消した後に、旧流路に沿って公園が整備されたそうです。冬ということでしょうか、水は流れていませんが、所々に水が残っています。こちらは、農業用水であった名残を示すものでしょうか、稲が植えられていたようです。南北に長い公園のため、ウォーキングに利用している人も多いそうです。江戸時代には徳川家の鷹狩地であったこの辺りの歴史を示すため、鷹狩の様子を示す銅像がありました。曳舟川の名称は、舟に縄をかけて人や牛馬が舟を引いた川であることに由来します。その引き船の様子を示すための銅像もありました。(亀有開運巡りのコース)【つづく】人気ブログランキング亀有開運巡り(その6) 曳舟川親水公園
Mar 16, 2026
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街角にあるスナック、店名も「街角」でした。夜は近所の人が集って楽しく過ごしているんでしょうね。大きな幹線道路がありました。水戸街道です。この水戸街道沿いを南西方向に向かって歩いて行きます。水戸街道を右に折れて西に向かうと、住宅街の中にあった雀荘。昔はよく友達とこんな感じの店で麻雀を打ちながら、お腹が空くと出前の焼きそばなんか食べて時間を過ごしていたなと思いながら通り過ぎました。今でもこのような店で麻雀を楽しんでいる人もいるんでしょうね。こちらには小学校。白鳥小学校という優雅な校名。このあたりの住所が白鳥(しらとり)というのは、大正初期までこの地に存在した「白鳥沼」に由来するそうです。白鳥沼には鳥類が多く訪れ、江戸時代には徳川家の鷹狩地だったそうです。(亀有開運巡りのコース)【つづく】人気ブログランキング亀有開運巡り(その5) 葛飾の街角
Mar 15, 2026
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青砥神社から西に向かい環七を渡るところに公園があります。こちらの公園は葛西城址公園(→→→こちら)です。葛西城(→→→こちら)とは、関東管領上杉氏が築いた葛西城を、小田原北条氏が攻め落とし、その後、北条氏が滅亡し、徳川氏により「青戸御殿」として再興され、お鷹狩りの折の休憩所として使われましたものです。明暦3年(1657年)頃、明暦の大火で焼失した江戸城再建の資材のために破却されたのだとか。そして、環状7号線建設工事の際に、堀・柱跡などの遺構や漆器類などの遺物が出土されていたことから、公園として整備されたそうです。また、環七道路を挟んだ向かい側にも公園があります。こちらは御殿山公園(→→→こちら)です。こちらも葛西城の主郭跡の公園のようです。ちょっと判読できなかったのですが、石碑がいくつか建立されています。おそらくこの地の歴史を記したものではないでしょうか。こちらは公園整備に至った経緯を記したものでしょう。葛西城址の発掘調査についての情報もありました。葛西城、歴史上では名のあるお城だったのでしょうが、その所在地が明らかでなかったためか、環七道路が通り、また周辺の住宅街の地下にも色々な遺物や遺構がまだ残されているのかもしれませんね。(亀有開運巡りのコース)【つづく】人気ブログランキング亀有開運巡り(その4) 葛西城跡
Mar 14, 2026
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亀有エリアの開運巡り、環七を南に向かって歩いて行きます。次に訪れた神社は、環七と中川の中間付近の住宅街に鎮座する青砥神社(→→→こちら)です。社号碑には「青砥神社」と表記されていますが、このあたりの住居表示は「葛飾区青戸7丁目」になります。このあたりの地名は、古くは「青津」「大戸」「大津」とも記され「おおと」と発音されていたようです。また、地名に使われる戸は、渡し場や水門を表すためなので、徳川入府以前は港があったと推測されます。一方で社号に使用されている「青砥」は、鎌倉時代後期の武士・青砥藤綱(→→→こちら)を由来としているそうです。青砥藤綱はこの神社からほど近い葛西城址付近に屋敷を構えていたという伝承があります。また京成電鉄の青砥駅の駅名も同様に青砥藤綱を由来としているそうです。一段高くなったところに立派な拝殿が。御祭神は猿田彦命・建御名方命・宇迦之御霊命・伊邪那美命・高皇産霊神・誉田別尊・菅原道真公・彌都波能目神・青砥藤綱公と全部で9柱あります。社伝によると、天正4年(1576)に創建と伝わりますが、その時点では、白髭大神(猿田彦命)、諏訪大神(建御名方命)そして稲荷大神(宇迦之御霊命)の3柱でしたが、明治以降に多くの神を合祀したため現在は9柱の神を祀っているそうです。神輿庫にある御神輿。四尺千貫の大神輿で安政年間(1855年-1860年)のもの、墨東随一といわれているそうです。南向きにあるこちらが表参道。「万葉集」巻十四の東歌に 「にほどりの葛飾早稲を贄すとも そのかなしきを外に立てめやも」 とありますが、この地は米どころとして葛飾の野に実った早稲の新米を神様に供して新嘗の祭事を営んでいたことが窺えます。また青戸付近は良質粘土の原産地として早くも古墳時代より土器作りを主要とした人々の生活の地でもあつた青戸の町の歴史を感じる神社でした。(亀有開運巡りのコース)【つづく】人気ブログランキング亀有開運巡り(その3) 青砥神社
Mar 13, 2026
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葛飾亀有エリアの開運巡りということで、まずお参りしたのが、こちらの亀有香取神社(→→→こちら)です。亀有開運巡りに行ったのは1月16日だったので、まだお正月の飾りが残っていました。亀有香取神社大鳥居横の境内には、パティスリー ラ・ローズ・ジャポネというカフェがあるのも面白いですね。とりあえず、拝殿に参拝して、今年一年の開運厄除け、そして足腰健康を祈願しました。亀有香取神社は鎌倉時代建治2年8月19日(西暦1276年)に香取大神宮の神領地であったこの地に本宮の御分霊である経津主大神(ふつぬしのおおかみ)を村の鎮守様としてお祀りし、その後、相殿に鹿島神宮の武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)と息栖神社の岐大神(くなどのおおかみ)の両大神を合わせてお祀りしています。経津主大神と武甕槌大神はいずれも武神であることから、「何事にも打ち勝つ、除災招福開運厄除の神様」「スポーツの神様」であり、岐大神は道案内・道を導く、また集落の外部よりの災いを防ぐ「足腰健健康の神様、家内安全の神様」といわれています。そして境内には、やっぱり「こち亀」の主人公、両津勘吉巡査長の銅像がありました。こちらには、亀有周辺の案内図が設置されていて、両津勘吉の銅像の位置も明示されていました。狛犬ならぬ、狛亀(?)が置かれております。狛犬と同じように阿吽で一対として置かれていました。参拝を終えて、神社を出るころには、鳥居に新年の飾りの取り外しが始まっていました。亀有香取神社の近くには大きなイトーヨーカドー(アリオ亀有)もあります。亀有の人ってイトーヨーカドーが好きなんですかね。(亀有開運巡りのコース)【つづく】人気ブログランキング亀有開運巡りく(その2) 亀有香取神社
Mar 12, 2026
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いささか古くなりましたが、去る1月16日に、JR東日本の駅からハイキング「葛飾区亀有エリアの開運巡り~歴史と文化を感じるコース」に参加した報告です。ということで、常磐線亀有駅にやって来ました。亀有といえば、この銅像の方、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(→→→こちら)の主人公、両津勘吉氏ですね。駅前にある案内図には青い二重丸のついているところに両津勘吉の銅像が建てられているそうです。駅からハイキング、亀有駅南口からスタートです。南口の前にも両津勘吉巡査長、中川圭一巡査、そして秋本 カトリーヌ 麗子巡査が警備にあたっていました。これだけお巡りさんが町に立っていると、亀有はさぞかし治安のいい街なんでしょうね。駅前には大きなスーパーマーケット、イトーヨーカードーがありました。この建物はリリオ館という建物で、商業施設だけでなく、かめありリリオホール(葛飾区亀有文化ホール)などの文化施設も設置されています。こちらには、亀有に因んででしょうか、亀の石像がありました。亀の後ろには「亀有の由来」と題された石碑がありました。この碑文にはこう記されていました。亀有の由来私達の町 亀有は今から約七二六年前鎌倉時代建治二年(西暦一二七六年)当時下総国葛西御厨亀無村と呼ばれており香取神社の神領地でありました関係から多くの神領民が移り住み発展し今日に至った町です。なお香取神宮の神様が鎮まります山を亀甲山と呼ばれています。由来の通り亀に縁の深い町で亀は中国古代四霊(東方青龍西方白虎南方朱雀北方玄武亀と蛇)に数えられ亦吉凶の占術で用いられていました。御伽ばなしで浦島太郎の話にも窺えるように人々をメルヘンの世界に誘い今日では鶴は千年亀は万年と云うように長寿の証とされております。非常に縁起の良いもので一般の人々の守護神としても崇められております、昔から亀に手をふれて擦ればきっと良い事があると謂い伝えられています。平成十四年五月吉日亀有香取神社宮司 唐松豪夫リリオ自治会々長 西江峰夫リリオ商店会々長 石岡子介寄贈リリオ弐番館管理組合 理事 松澤三喜男また、こちらの建物には、亀有公園前派出所とありますが、こちら葛飾区亀有公園前派出所の世界観が体感できる観光施設「こち亀記念館」(→→→こちら)だそうです。ちなみに、日本の警察組織では交番の正式名称として1994年までは派出所を使用していましたが、今は交番となっています。しかし、交番の出張所的な役割の施設に警備派出所の名称が用いられていたり、他署との統合前の旧警察署に対して幹部派出所という名称を用いている例もあります。(亀有開運巡りのコース)【つづく】人気ブログランキング亀有開運巡り(その1) 両さんの街
Mar 11, 2026
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はじめて気がついたんですが、MoMo太郎のブログが登録している「人気ブログランキング」(→→→こちら)には、このブログのここがポイントというのが付けられていて、こんなことが書いてありました。★このブログのここがポイント どんなブログ? 多彩なトピックを鋭く切り込む描写日常や都市の風景、歴史、食事情まで多岐にわたり、鋭い視点と具体的な体験談を交えて読者を引きつける構成です。テーマごとに奥深い情報と生き生きとした描写を融合させ、新しい発見と好奇心を刺激します。充実した内容は、好奇心旺盛な読者層に向けて繊細かつ正確な情報を伝えます。なんかいいようにコメント解説されていました。多分、生成AIかなにかで書かれているんでしょうけど、このコメント信じていいんでしょうかね。さて、今日も食事情の話題です。職場に近い松屋で朝定食を食べることが増えたような気がします。本日食べたのは半熟卵かけ朝定食(350円税込み)。ご飯を特盛にしても値段が同じなのはうれしいです。朝からしっかり食べて、元気に働こう。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 朝は松屋で
Mar 10, 2026
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3月になって花粉が飛ぶようになって、毎日鼻水が出るようになり、しみじみ思ったのは、人間って健康と感じる日は一年のうち何日もないなということです。しばらくは花粉症で気分がすぐれず、花粉症の季節が過ぎたら、肩こりで辛い日があったり、夏になると冷たい物を呑み過ぎて、お腹の調子が悪くなる時もあり、スポーツの秋だとか言って、たまに運動すると翌日は筋肉痛だったりと、年中何か身体の調子を崩すこともあって、本当に健康だなと感じる日は少ないように思います。さて、古い話ですが、昨年末に出張の途中で立ち寄った、埼玉県のJR東北線・東武伊勢崎線の久喜駅に近いこのお店で「塩あんびん」(→→→こちら)を購入しました。値段は一個220円(税抜き)で、買う時にお店の人に「お客さん、塩あんびんは初めてですか?」と聞かれたので、「そうです」と答えると、「柔らかいうちはそのまま食べてもいいですし、硬くなったらオーブントースターで焼いて食べて下さいね。食べ方を書いた紙も入れときますから」と言われました。ここで「塩あんびん」を買う常連客がいるので、他所者ってわかるんですかね。こちらの包みに「塩あんびん」が入っています。一応自分だけ食べると文句が出ると思ったので、配偶者の方が美味しかったらもっと食べたいと言われると困るので3個買ってきました。包みをあけると、白いお餅と「塩あんびんのしおり」が入っていました。このしおりによると、「塩あんびん」は、久喜市をはじめ埼玉県北部の農村に昔から伝わる郷土のお菓子です。かっては、田植や稲刈が終わった後、農作業を手伝ってもらった家々に配ったり、お祭やお祝い事など特別な日の御馳走のひとつとして振舞われていました。砂糖をまったく使用せず塩だけで練り上げた小豆あんをやわらかなお餅で包み込んだ、素朴で懐かしい味わいをお楽しみください・とありました。早速、柔らかいうちに食べようということで、半分に割って、食べてみました。甘くない小豆あんをそのまま食べたのですが、それはそれなりに小豆の風味みたいなものが感じられて、MoMo太郎的には気に入ったのですが、やっぱり甘くないのはお気に召さないのか、配偶者の方は砂糖をまぶして食べました。結局、一個余ったので、冷凍保存しました。それは後でオーブントースターで焼くか、網焼きにし、砂糖醤油につけるか、いそべ巻きや大根おろしをまぶすか、或いはお雑煮風にして食べてもよいそうです。またしおりには塩あんびんぜんざいにして食べる方法も書いていました。もし、埼玉に来られることがあれば試しに召し上がってみるのもいいかもしれませんよ。人気ブログランキング孤独のグルメ 塩あんびん
Mar 9, 2026
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渋谷川の上にかかる金王広場です。この広場ではマルシェ・ビアガーデン・地域交流・体験教室・マーケットなどのイベントを開くために借りることができるそうです。こちらにも東急東横線の架線支柱が残されていました。その支柱の横にあるのが金王桜。源頼朝が鎌倉の亀ヶ谷の館(現在の壽福寺)から渋谷にある金王八幡神社に移植させた桜と伝えられています。文治5年(1189年)、奥州征伐に出陣した頼朝は、金王八幡宮に立ちより太刀を奉納し、その際、父義朝に仕えた金王丸を偲んで桜を移植させ「金王桜」と名付けたのだそうです。八重と一重が混生する珍しい桜で、江戸三名桜の一つに数えられており、渋谷区指定の天然記念物だそうです。ちなみに江戸三名桜とは、金王八幡宮の金王桜、円照寺の右衛門桜そして白山神社の旗桜だそうです。左側の建物が渋谷ストリーム(→→→こちら)という、東急東横線の旧渋谷駅地上駅舎ホーム南部の線路跡地及び周辺地域を再開発して開業した高層ビルです。渋谷ストリームからこちらのガラス張りの建物の中にある階段を登って、国道246号と首都高速3号線の間を抜ける歩道橋を渡って、渋谷スクランブルスクエアの中を抜けていけば、JR渋谷駅の南改札に到着しました。これで、雨で歩けなかった恵比寿渋谷間も歩き、山手線一周をコンプリート出来ました。(恵比寿から渋谷コース)【了】人気ブログランキング山手線100周年(補足) 恵比寿→渋谷(その7) 渋谷ストリームから渋谷駅へ
Mar 8, 2026
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並木橋からは、渋谷リバーストリートと呼ばれる遊歩道を歩きました。渋谷リバーストリートは、渋谷三丁目から東一丁目まで続く600mの鉄道の記憶を活かした遊歩道です。さらに足を延ばせば、代官山・恵比寿方面への散策を楽しめます。確かに、歩道の舗装には色違いの舗道ブロックで線路の跡があるようにデザインされています。また所々に高架橋の支柱の番号が残されていました。高層ビルの渋谷スクランブルスクエアを目指して歩いて行きます。これは、株式会社「KISS TOKYO」と、一般財団法人「渋谷区観光協会」、東急株式会社が 2020年12月25日に、渋谷の新たな観光名所となる「KISS,TOKYO👄」のロゴを形どったベンチオブジェ を設置しています。「KISS,TOKYO」は、「I♥NY」に着想を得て、東京を愛する気持ちを表現しているんだとか(→→→こちら)。こちらには、ちょっと渋めの石碑がありました。碑文にはこう刻まれていました。渋谷駅南街区土地区画整理事業竣功記念碑事業の主旨本事業は、共同ビル事業と一体的に都市基盤と街区の整理を務行い、公共施設の整備改善と宅地の利用増進を図り、渋谷駅周辺の交通結節点機能の強化と市街地整備の一端を担うことを目的とする。確かに、東急東横線とJR山手線に挟まれたこの地域、なんとなくゴミゴミとして妖しい雰囲気の飲食店などがあった所だったような記憶があります。それが、この区画整理事業のおかげで今はオシャレな場所に変わっていますね。こちらは、多分渋谷川を清掃したりして拾った流木や、見つけた魚類などが展示されています。(恵比寿から渋谷コース)【つづく】人気ブログランキング山手線100周年(補足) 恵比寿→渋谷(その6) 渋谷リバーストリート
Mar 7, 2026
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明治通りの並木橋交差点です。並木橋交差点の近くを流れる渋谷川です。まあ、河川という雰囲気はあまりないですが、二級河川として指定されている河川です。下水を高度処理した再生水を流して清流を復活させる取り組みが行われているようでした。また、交差点の一角に「鎌倉道」という案内板がありました。案内板に次のように記されていました。この右手の細い道を、古くから鎌倉道と呼び、源氏が鎌倉に幕府を開いて以来、東日本の各地に設けた軍道のひとつといわれています。ここから西へ行くと、渋谷川を渡って目黒川にくだり、後楽塚の二つの築山の間を抜けて神奈川県にいたります。また、東に進むと、青山学院の付近を通り、千駄ヶ谷方面に達し、さらに東北地方に向かっていたといわれています。大永四年(一五二四)に、相模の北条軍がこの鎌倉道を通って江戸に攻めのぼり、その時の戦火が渋谷地域にも及び金王八幡宮付近にあった城館が焼失したと伝えられます。渋谷区教育委員会「この右手の細い道」というのがこれです。こちらの鎌倉道に架かる橋が、本来の並木橋だったんですね。(恵比寿から渋谷コース)【つづく】人気ブログランキング山手線100周年(補足) 恵比寿→渋谷(その5) 並木橋・渋谷川・鎌倉道
Mar 6, 2026
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この川は渋谷川(→→→こちら)です。元々は、新宿御苑に水源を持ち、渋谷区・港区内(港区内は「古川」と呼ぶ。)を通って東京湾に流れ込む全長約10㎞の川でした。しかし、戦後になって渋谷川は宮益橋から上流の区域を暗渠化して、下水道幹線として使用することが決まり、国道246号から下流側にしか河川は残っていません。この渋谷川沿いにかっての東急東横線の高架橋が通っており、平成25年(2013年)に地下化された跡地が遊歩道として整備されており、その遊歩道沿いを歩いて行きます。そして、歩道の端には、高架橋の橋脚の基礎が残っていました。基礎の土台には番号が書かれており、これが橋脚の番号だったのでしょう。並木橋に架かる八幡通りのところには、当時の橋脚がモニュメントとして残されています。旧東横線橋脚し記された説明板が設置してあります。八幡通りを挟んだ向こう側にも60と数字の打たれた橋脚が残っていました。こちらには旧並木橋駅(→→→こちら)という説明板があります。並木橋駅は、渋谷川沿いに相対式ホーム2面2線を有する高架駅として開業した駅で、駅周辺の実践女学園、常盤松女学院、國學院などの利用があったため、渋谷駅に近い場所に駅が設置されたのです。しかし、昭和20年(1945年)5月24日・25日の空襲により駅舎が全焼したため休止され、翌年正式に廃止されたそうです。駅の廃止後も高架自体残っていたため、ホームの側壁が平成25年(2013年)の線路の付け替え時点まで残っていたそうです。(恵比寿から渋谷コース)【つづく】人気ブログランキング山手線100周年(補足) 恵比寿→渋谷(その4) 旧東横線橋脚
Mar 5, 2026
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都バス渋谷営業所と道路を挟んだ向い側のこの建物。渋谷区ふれあい植物センター(→→→こちら)という渋谷区の施設です。日本で一番小さな植物園と言われている施設です。渋谷清掃工場においてゴミを焼却する際に発生する熱を蒸気として回収してタービンを回す「ゴミ発電」により、こちらの温室でみかんやライムなどの柑橘類、マンゴーやグアバなどの熱帯果樹を中心に栽培するとともに、カフェなども併設されていて「農と食」を感じる施設だそうです。そして、この施設の近くにあるのが、渋谷ブリッヂ(→→→こちら)という複合施設です。東京メトロ副都心線との相互直通運転による地下化に伴い廃止された東急東横線旧高架線路跡地のうち、カーブしていた曲線部分の跡地に建てられたものです。中に入ってみると、かっての東急東横線がカーブしてあとを感じる事ができます。こういう時計もかっての鉄道の駅にあった物を利用しているんでしょうか。(恵比寿から渋谷コース)【つづく】人気ブログランキング山手線100周年(補足) 恵比寿→渋谷(その3) 渋谷区ふれあい植物センターと渋谷ブリッヂ
Mar 4, 2026
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恵比寿駅から山手線沿いを渋谷に向かいます。この先に見える高層ビルがあるのが渋谷駅方面ですね。ちょっと寄り道で発見した、ネコを抱いた女性の銅像。台座には、「古流曙会会長 家元 たまの会 吉野理里之像 吉野信昭 建立」という銘板が着けられてました。古流曙会って生け花の流派らしいことしかわかりません。建立した吉野信昭さんはこの吉野理里さんに縁のある方なんでしょうね。都バスの車庫がありました。都バスの車庫の壁には、インクールシブアート・プロジェクト(→→→こちら)で描かれた壁画がありました。インクールシブアート(inclusive art)って障がいの有無、年齢、性別、国籍などに関わらず、誰でも参加できる芸術活動のことなんですね。ちょっと勉強になりました。都営バス渋谷自動車営業所の正門です。渋谷区東部・港区の都バスは大体この営業所の管轄みたいですね。(恵比寿から渋谷コース)【つづく】人気ブログランキング山手線100周年(補足) 恵比寿→渋谷(その2) 吉野理里之像
Mar 3, 2026
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山手線一周の駅間歩きで、雨のため歩けなかった恵比寿・渋谷間を紹介します。スタートは恵比寿駅です。開業時には「ヱビスビール」を製造した日本麦酒のビール工場が隣接していましたので、最初1901年に開業した時はビール出荷専用の駅であったそうです。旅客営業の開業は1906年になります。駅名はヱビス(YEBISU)ビールに因んでつけられたのに、駅名のローマ字表記は「EBIS」でした。なお、現在工場の跡地は恵比寿ガーデンプレイスとなっています。駅ビル「アトレ恵比寿」があって、お買い物にも便利な駅です。恵比寿なのでやっぱり恵比寿像が置かれていました。駅の傍を通る駒沢通りのガードしたには、ポップな感じの壁画が描かれていました。恵比寿の町に因むものが色々と描かれているんでしょうね。(恵比寿から渋谷コース)【つづく】人気ブログランキング山手線100周年(補講) 恵比寿→渋谷(その1) 恵比寿駅から
Mar 2, 2026
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立ち食い蕎麦のチェーン店「ゆで太郎」で朝ラー(450円税込み)を食べてみました。トッピングにつけたワカメはクーポン券で購入しました。ゆで太郎、月初めに行くとトッピングが無料でもらえるクーポン券を配っていることが多いです。朝からラーメンってどうなのかと思いましたが、和風ベースのラーメンスープであっさりしていて、朝から食べてもあまり胃腸への負担は軽かったです。ちなみのラーメンには付き物のナルトやチャーシューはなくて、あっさりとほうれん草のお浸しが具材としてのっているだけでした。人気ブログランキングへ朝からラーメン
Mar 1, 2026
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