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2018年12月24日、東京タワーの展望台から夜景の写真を撮りました。↑ 東京タワーから見える夜景。 桜田通り、三田方面。↑ 山の稜線に富士山が小さく見える。↑ 東京タワーの脚。↑ 東京タワーの下の広場がライトアップされている。↑ レインボーブリッジ。↑ 羽田空港へ向かう飛行機の光が4つ並んでいる。↑ お台場のパレットタウン大観覧車。↑ 観覧車に、トナカイやサンタクロースの姿が投影されていた。↑ 床から下を見ることができる。↑ ノッポン兄弟。
2018.12.31
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2018年12月24日午後、久しぶりに東京タワーに行きました。昭和33年(1958年)にできて、今年60年になります。展望台から景色を楽しんだ後、富士山が見えるかもと思い、窓際で日が沈むのを待っていました。日没後、雲が切れて富士山が見えてきました。街の灯と富士山のシルエットを見ると、なぜかほっとします。入社した時、会社の人たちと東京タワーのボーリング場に行った記憶があります。子供が小さいとき、東京タワーに連れて行きました。タワー内に似顔絵ブースがあり、子供の絵を描いていただきました。その時の絵が家に飾ってあります。↑ 東京タワー。↑ 東京タワー 60年記念。↑ ワンピースの特設会場の紹介。↑ 東京タワーのマスコット「ノッポン兄弟」。↑ 展望台からの景色。東側。↑ 南東。 下は東京プリンスホテル。↑ 南。 下は増上寺。↑ 左は愛宕グリーンヒルズMORIタワー。 奥には東京スカイツリーが見える。↑ 東京スカイツリー。↑ 埠頭。↑ 右はレインボーブリッジ。左奥はフジテレビ。↑ 日が落ちてくる。↑ 東京タワー展望台。↑ 雲が切れ、富士山が見えてきた。
2018.12.30
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2018年12月28日夜、快晴だったので、ウィルタネン彗星を撮影しました。彗星はぎょしゃ座とやまねこ座の境界近くにいました。12月18日に見た時より、暗くなっています。おうし座のゼータ星近くにあるM1「カニ星雲」も写真に撮りました。暗い所ならば双眼鏡でも見つけることができますが、街路燈、防犯灯に囲まれている街中では、本当にかすかな姿しかわかりませんでした。私が小学5年生の時、ビクセンのポラリス8L(8センチ屈折赤道儀望遠鏡)を購入し、晴れた時には望遠鏡を庭に出して、星雲星団を探していました。北極星が見えない場所なので、「最新版 全天恒星図 1950年分点/誠文堂新光社」の恒星図を見ながら、ファインダーで星をたどっていきます。ファインダーが逆像なので、上下左右を反対に考えて望遠鏡を動かしました。恒星図に線を引いたり、色を塗ったりし、自分で使いやすいようにしており、この歳になってもこの恒星図を使っています。「カニ星雲」は小学5年生の冬に、望遠鏡で見ました。よほど嬉しかったのか、恒星図に「カニ星雲」と手書きをしています。↑ ウィルタネン彗星。2018年12月29日の位置。12月15日、18日はおうし座にいたが、今はぎょしゃ座を通過し、やまねこ座との境界近くにいた。↑「最新版 全天恒星図 1950年分点/誠文堂新光社」。ぎょしゃ座とやまねこ座付近。小学5年生の時に恒星図を購入し、星座の線を引いたり、色を付けたりした。ボロボロになったが、とても愛着があり、いまだに使っている。↑ ウィルタネン彗星。2018年12月28日。 前回よりもかなり暗くなっている。↑「最新版 全天恒星図 1950年分点/廣瀬秀雄 中野繁共著/誠文堂新光社」。↑ おうし座のM1「カニ星雲」の位置。↑ 恒星図のおうし座。中央はヒアデス星団。右上はすばる(プレアデス星団)、左側にゼータ星( ζ )があり、その近くに「カニ星雲」がある。↑ おうし座ゼータ( ζ )星近くの「M1カニ星雲」。小学5年生の時に8センチ屈折望遠鏡で見つけ、嬉しくて星図に記入した。↑ M1.かに星雲。 矢印の横に、本当にうっすらと写っている。街中で街灯が光っている状態では、かすかにしか見えない。画面右上の明るい星が、おうし座のゼータ星。それを基準にして「かに星雲」を探す。星雲はぼやけた菱形をしており、暗い空ではカニの手のような模様が見えるので「かに星雲」と名付けられた。約900年前に爆発した超新星の残骸で、藤原定家が書いた「明月記」に、2年間輝いた後に消えていった事が記述されている。↑ 星雲・星団ガイドブック/藤井旭/誠文堂新光社/1974年3月29日第4版発行。星に興味が出てきた小学4年生の時に購入した。夜露で本が濡れてごわごわになるため、当時対策としてセロテープで本の表紙、裏表紙を張り、補強した。↑ M1 カニ星雲の記載。P98~99。 掲載されている星夜写真は、ファインダーで星雲・星団を探すときに参考になる。↑ 「「藤井旭の星雲星団観測教室/藤井旭/誠文堂新光社/1982年6月20日発行。↑ P55。 藤井旭さんの解説。↑ M1カニ星雲の写真あり。↑ 20センチ反射ドブソニアン望遠鏡。 公園の防犯灯の光の影に望遠鏡を置いている。↑ 中央のぎょしゃ座は、天の川が流れており、星団がその中にある。↑ M38 ぎょしゃ座の星団。↑ M37 ぎょしゃ座の星団。↑ 中央のオリオン座を中心にした、冬の星座。↑ M42 オリオン座大星雲。↑ ふたご座。↑ M35 ふたご座の星団。↑ おおいぬ座ととも座。小学5年生の時に望遠鏡で見て嬉しかったので、丸をしたのだと思う。↑ M41 おおいぬ座の星団。↑ M46 とも座の星団。
2018.12.29
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2018年12月23日、東京丸の内界隈を散歩し、色々なクリスマスツリーを見ました。新丸ビル、丸の内オアゾ、丸ビル、KITTE、丸の内ブリックスクエアのツリー写真です。↑ 新丸ビル3階の「SILVER LAKE」ツリー。白と銀を基調に、森と湖の国フィンランドの湖畔を表現してある。↑ 新丸ビル。↑ 丸の内オアゾ。 時々、ここの丸善で本を買う。↑ 丸の内オアゾの「LUCKY HORSE TREE」。スウェーデン・ダーラナ地方発祥の伝統工芸品「ダーラナホース」があしわわれている。↑ ダーラナホース。↑ 丸の内オアゾ前の広場。↑ 東京駅に行く。↑ 東京駅。↑ 水たまりに映る東京駅。↑ 東京駅から皇居方向を見る。 向かって左が丸ビル、右が新丸ビル。↑ 正面はKITTEビル。↑ KITTE。↑ KITTEビルの中にあるクリスマスツリー。↑ 丸ビル。↑ 丸ビル1階 丸キューブのクリスマスツリー。北欧のクリスマスを表現してある。↑ 通りからもツリーが良く見える。↑ 丸の内仲通り。ライトアップされている。↑ 丸の内ブリックスクエア。↑ 丸の内ブリックスクエア 1号館広場の「BRIGHT HIMMELI」ツリー。幸運のお守りとも呼ばれるフィンランドの伝統的なモビール「ヒンメリ」をモチーフにしたツリー。
2018.12.28
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2018年12月23日、東京・丸ビル3階の「ユーミン ポップアップギャラリー」を見ました。1973年から2017年までのユーミンのツアー写真が展示されていました。ユーミンがリリースしたジャケットデザインがTシャツになっており、ユーミンファンなら欲しくなるかもと思いました。家にユーミンのCDが少し残っています。当時よく聴いていました。①「悲しいほどお天気」 : 岩手に行くと、3曲目の「緑の町に舞い降りて」を口ずさむ。ユーミンが作詞中、歌詞の地名を花巻から盛岡に変えた話を聞いた事がある。②「SURF & SNOW」 : 6曲目の「恋人がサンタクロース」、8曲目の「サーフ天国、スキー天国」は繰り返し何度も聴いている。③「NO SIDE」 : 2曲目の「ノーサイド」、3曲目の「DOWNTOWN BOY」、4曲目の「BLIZZARD」は、ウォークマンに入れている。④「DA・DI・DA」 : 5曲目の「メトロポリスの片隅で」だが、資生堂のコスモアイカラーのCMで曲が流れていた。「水金地火木土天冥海」というキャッチフレーズが印象的で、CDを買った。太陽からの冥王星と海王星の距離が逆転したので「海冥」ではなく「冥海」になっている。6曲目の「月夜のロケット花火」は、自転車で北海道旅行中、洞爺湖の湖畔で野宿をしていると、花火が打ちあがったので思わず歌った曲。7曲目の「シンデレラ・エクスプレス」は、JR東海のCMに流れていた。横山めぐみさんがプラットフォームでの別れのシーンを素敵に演じており、大変印象的だった。⑤ 「YUMING NEUE MUSIK」 : この発売がニュースになっており、すぐに購入した。上記以外でも、山梨、長野方面に中央自動車道で登山に行くときは、必ず「中央フリーウェイ」を歌い、東京の環状8号線を運転するときは「カンナ8号線」を聴きます。ジブリ映画「風立ちぬ」を見れば、「ひこうき雲」を聴き直し、あらためて良い歌だなと感じます。↑ ユーミン。↑ ユーミン ポップアップギャラリー 丸ビル3階。↑ ユーミンのCDジャケットデザインTシャツが並ぶ。【家にあるユーミンのCD】↑「悲しいほどお天気」↑「SURF & SNOW」↑「NO SIDE」↑「DA・DI・DA」↑「YUMING NEUE MUSIK」
2018.12.27
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2018年12月23日、東京丸の内にある丸ビル1階で、ユーミンの「恋人はサンタクロース」の曲にあわせた光と音のツリーイルミネーションを見ました。高さ8メートルのメインツリーは、雪の結晶やトナカイなどの柄を幾何学模様と組み合わせた、北欧の伝統的なパターン「ノルディック柄」をモチーフにしているそうです。ミラーボールの光が流れ、ライトアップの光の色がどんどん変化し、ユーミンの曲とマッチしていました。↑ 東京・丸ビル1階 丸キューブのクリスマスツリー。↑ 「MARUNOUCHI BRIGHT CHRISTMAS 2018 北欧から届いたクリスマス」↑ 北欧とユーミン。丸ノ内で出会ったら どんなクリスマスになるんだろう?↑ ユーミンの「恋人はサンタクロース」が流れる。↑ 曲のサビの部分は、ミラーボールの光が回る。
2018.12.26
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2018年12月20日に「週刊ポスト2019 Jan. 1. 1/4 年末年始スーパーゴージャス合併号」が発売されたので、早速購入しました。本屋の雑誌棚に奈保子さんの笑顔が並ぶのを見ると、この一年、仕事で嫌な事がいっぱいありましたが、少しの間忘れることができるから不思議です。1980年代に、近代映画が河合奈保子さんの写真集を発行していましたが、電子書籍版で続々と復刊するそうです。近代映画の写真はどれも美しく、日本、グアム、バンコク、オーストラリア、モルジブ、アメリカでの奈保子さんの楽しい姿を見ることができます。奈保子さんの写真集はすでに持っていますが、ページをめくりすぎて紙がボロボロになってきているので、電子書籍版も買いたいと思います。↑ 週刊ポスト2019 Jan. 1. 1/4 年末年始スーパーゴージャス合併号。袋とじ2 河合奈保子「4万円写真集」復刻。↑ 河合奈保子さん。↑ 週刊ポストの広告。 2018年12月20日 朝日新聞。↑ 河合奈保子の「別冊近代映画」が電子書籍で一冊まるごと甦る!! 4万円の値が付いた「お宝雑誌」を電子書籍化! 弾けるビキニグラビアから旅ロケ、青春感度インタビュー 部屋の間取り図、自身が選ぶ楽曲ベストテンまで、19歳の伝説が袋とじの中に!↑ 河合奈保子x近代映画のお宝雑誌・写真集は電子書籍版で今後も続々と復刊!ネット書店にてご購入のうえ、パソコンやスマホ、タブレットでお楽しみください。河合奈保子x近代映画のシリーズ全7巻を購入した方全員に、『別冊近代映画 河合奈保子スペシャルパート3』の付録だった特大ポスターを完全復刻してプレゼントします。各巻の最終ページ(奥付)下に記載のひらがな1文字を配信順に並べた7文字が応募キーワードです。応募方法の詳細は本誌2019年2月18日発売号にて改めて発表します。【家にある奈保子さんの近代映画写真集】↑ 別冊近代映画 河合奈保子特集号/昭和56年(1981年)1月15日発行/近代映画社多摩川散歩、北海道の牧場、西新宿、大阪の実家、赤坂ショッピング、マンガ生いたちストーリー、秀樹の弟・妹募集全国オーディション決勝大会、レコード大賞おめでとうなど。↑ 別冊近代映画 KAWAI 奈保子 フォトメッセージ/昭和56年(1981年)8月5日発行/近代映画社グアムのシャイニングビーチ、東京散歩、スプリングコンサート、茅野市八ヶ岳麓のペンションライフ。個人的には、この写真集が一番気に入っている。下はお気に入りのカット。↑ ペンション「ORGAN」での奈保子さん。↑ テニスコートでの奈保子さん。↑ 別冊近代映画 河合奈保子スペシャル PART3/昭和57年(1982年)7月1日発行/近代映画社沖縄の海、ペンションライフ、箱根路の旅、生い立ち写真館など。↑ 別冊近代映画 河合奈保子写真集 PART4 NAOKO IN BANGKOK /昭和58年(1983年)4月5日発行/近代映画社タイのバンコク、パタヤビーチ、コラン島など。↑ 奈保子 二十歳のメモリー NAOKO IN AUSTRALIA 河合奈保子写真集 PART5/昭和59年(1984年)4月15日発行/近代映画社全てオーストラリアでの写真。牧場、ビーチ、シドニーの街、ヨットハーバー、コアラやカンガルーと一緒。↑ 奈保子 河合奈保子写真集 PART6/昭和60年(1985年)7月15日発行/近代映画社モルディブのビーチ、ダイビングで水中散歩をする奈保子さん。現地の人との交流。↑ NAOKO TRANS AMERICA 河合奈保子写真集 PART 7/昭和61年(1986年)1月15日発行/近代映画社奈保子さんがアメリカを横断した時の写真が満載。ロスアンゼルス、アイロンスプリングス、デンバー、コロラドスプリングス、アルバカーキ、ダラス、ヒューストン、ニューオーリンズ、ワシントン、ニューヨーク。ニューヨークでは、マジソン通りにある42階建てのビルの屋上にピアノが置かれ、奈保子さんがピアノを弾きながら歌い、周りでダンサー達が踊り、それを上空からヘリコプターで撮影していた。【 参考資料を下記紹介します 】↑ 河合奈保子写真集 /昭和61年(1986年)6月25日発行/近代映画社1980年から近代映画写真集に掲載された奈保子さんの名場面を、1冊にまとめている。22歳の奈保子さんのインタビューが載っている。↑ 近代映画 1981年1月号/昭和56年(1981年)1月1日発行/近代映画初初しい奈保子さんが表紙に載る。記事は河合奈保子・のんびり旅の宿。↑ 近代映画 1981年6月号 特別第3付録 河合奈保子ブックスプリングコンサートのインタビューがある。3月24日が初日のコンサートだったが、最初の日なので緊張のため奈保子さんは足がガタガタ震え、舞台のそでからも足の震えがよく分かったとか色々書いてある。↑ 近代映画 1981年6月号 特別第3付録 河合奈保子ブックに紹介されている写真。↑ アイドル水着100人 Part 2 /昭和59年(1984年)12月25日/近代映画社↑ アイドル40年 Part 6 昭和55~60年代編/昭和61年(1986年)7月25日/近代映画社↑ 河合奈保子さんと松田聖子さん。「聖子さんが歌手としてデビューしたのが昭和55年(1980年)4月、奈保子さんは同年6月。年も聖子さんが1つ年上、まるで姉妹のような2人。 デビュー前の2月の写真」。
2018.12.22
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2018年11月25日の岡部隕石落下60年記念イベントですが、本物の岡部隕石を見る事が出来ました。記念講演会でも面白い話をいっぱい聞くことができ、勉強になりました。・「落下が目撃された貴重な隕石ー岡部隕石の価値」:米田成一氏(国立科学博物館物理化学グループ長)・「60年ぶりの新証言ー岡部隕石落下経路の再検討」:佐藤幹哉氏(日本流星研究会)・「隕石はどこからやってくる?-岡部隕石の成分」:三河内岳氏(東京大学総合研究博物館教授)・「岡部隕石が導く宇宙ー岡部隕石と太陽系」:渡部潤一氏(国立天文台副台長)・ 前田知恵さん(古天文愛好家)挨拶。↑ 岡部隕石の紹介。↑ 東京科学博物館の本物の岡部隕石を見ることができた。 酸化するので手で直接触ってはいけない。↑ ギベオン隕石。これは触っても良い。「落下が目撃された貴重な隕石ー岡部隕石の価値」:米田成一氏(国立科学博物館物理化学グループ長)↑ 東京科学博物館から持参された本物の岡部隕石。↑ つくば隕石落下の様子。つくば隕石は分散して落下した。↑ 小牧隕石。屋根に落ちた。↑ 日本に落ちた隕石の紹介があった。↑ 861年に落下した直方隕石。↑ 南野隕石。↑ 隕石の落下に驚く人々。尾張名所絵図付録。↑ 気仙隕石。↑ 三保関隕石。 民家の屋根を突き破った。↑ 田原隕石。↑ 船の甲板に落ちた。↑ 根上隕石。 車に落ちている。↑ 白萩隕石。↑ 隕石で刀が作られた。「60年ぶりの新証言ー岡部隕石落下経路の再検討」:佐藤幹哉氏(日本流星研究会)↑ 寄せられた2つの証言では、放射点が合わなかった。↑ 向きを変えて検討すると、放射点があった。↑ 新証言がでたので推定経路を再検討。「隕石はどこからやってくる?-岡部隕石の成分」:三河内岳氏(東京大学総合研究博物館教授)火星にもたくさん隕石が落ちている。南極の氷の上に、沢山隕石が落ちている。「岡部隕石が導く宇宙ー岡部隕石と太陽系」:渡部潤一氏(国立天文台副台長)小惑星の接近は予定されており、背広で事前にビデオ撮影されていた。隕石落下は予定されておらず、急遽インタビューを受けており、背広ではなかった。前田知恵さん(古天文愛好家)挨拶。
2018.12.21
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月刊星ナビ2018年12月号に、岡部隕石・落下60年記念イベントの紹介があり、2018年11月25日、埼玉県深谷市の埼玉工業大学会場へ行きました。60年前の昭和33年(1958年)11月26日午後3時頃、岡部村(現在の深谷市今泉)で畑仕事をされていた山﨑政雄さんと父・吉作さんの間に隕石が落下しました。人のそばに落ちた世界的にも珍しい隕石です。埼玉工業大学60号館で、発見者の山﨑政雄さんと写真家の飯島裕さんのトークが始まりました。午前中に隕石落下地点での記念碑建立式が行われた報告があり、山﨑さんの隕石発見の話を聞くことができました。親子で農作業をしていると、急に空から不思議な音がして隕石が落ちてきたそうです。匂いとか衝撃波は感じなかったとの事で、土から掘り出した隕石を国立科学博物館の村山定男先生に見せると、「本物だ」と言われ驚かれたそうです。隕石発見のニュースを聞きつけ、高額で隕石を買い取りたいとの話が来ましたが、山﨑さんの父・吉作さんが「売ってお金になってもそれきりだから、国に役立ててもらい、岡部の地名が残るほうが良い」と言い、国に隕石を無償提供することになりました。村山先生から今後は国立博物館の入場はフリーにしますと言われたが、その後もお金を払って国立博物館に入場していますとの山﨑さんの話があり、笑いを誘っていました。学校の先生をされていた田嶋嶽さんが、岡部隕石について当時8ミリフィルムに記録を残されており、それも紹介されました。↑ 月刊星ナビ2018年12月号/アストロアーツ。↑ 岡部隕石落下60年記念イベントの広告。↑ パンフレット。↑ 岡部隕石の落下地点。向かって右が山﨑政雄さん、左が父の吉作さん。二人の間に隕石が落下した。↑ 岡部隕石落下地点に記念碑が建立された。↑ JR岡部駅(埼玉県深谷市)。↑ 岡部駅。↑ 埼玉工業大学キャンパス。岡部駅から歩いて20分程度。↑ 写真家の飯島裕さん。↑ 飯島さんが撮られた岡部隕石落下地点風景。手前は落下場所。↑ 岡部隕石落下地点記念碑建立式。↑ 記念碑が建った。↑ 岡部隕石 1958年11月26日 (Okabe Meteorite)↑ 岡部隕石発見者の山﨑政雄さん。↑ 山﨑政雄さんと飯島裕さんのトーク。↑ 岡部隕石が落下した60年前である昭和33年の出来事が紹介された。↑ 学校の先生をされていた田嶋嶽さんが、山﨑さん家族にインタビューなどして8ミリフィルムに岡部隕石の記録を残されていた。息子さんの提供により、その映像が紹介された。記録を残されていた事に驚くとともに、その重要性を改めて感じた。↑ 岡部隕石の大きさ。↑ インタビューされている山﨑政雄さん。↑ 国立科学博物館の村山定男先生。↑ 国立科学博物館に展示された岡部隕石。
2018.12.20
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ウィルタネン彗星ですが、2018年12月16日にすばるへ近づくので写真を撮影しようと思っていましたが、残念ながら空が曇っていました。週末にかけて天気が崩れる予報があり、12月18日23時頃から公園に望遠鏡を持ち込み、彗星の写真を撮りました。その後、下記の撮影をして終了しました。オリオン座 Ⅿ42(オリオン座大星雲)オリオン座 Ⅿ78(ウルトラマンの故郷の設定になっている星雲)おおいぬ座 Ⅿ41(シリウスの下にある散開星団)ふたご座 Ⅿ35(ふたごの足の部分にある散開星団)ぎょしゃ座 Ⅿ36(散開星団)↑ ウィルタネン彗星の位置。12月15日と18日を比較すると、彗星が北に移動していることが分かる。2018年12月18日23時41分。↑ ウィルタネン彗星。2018年12月28日23時30分。↑ ウィルタネン彗星。2018年12月18日23時30分。↑ 天文ガイド2018年12月号のウィルタネン彗星位置図/誠文堂新光社。↑ 2018年12月18日の位置。↑ すばる(プレアデス星団)2018年12月19日00時06分。↑ ヒヤデス星団。 2018年12月19日00時09分。↑ Ⅿ42 オリオン座大星雲 2018年12月18日23時50分。↑ Ⅿ78星雲 2018年12月18日23時58分。中央やや向かって左側に、淡く小さなM78星雲が見える。星雲の内部には小さい二つの星がある。ウルトラマンの故郷の設定になっている。↑ シリウス。 おおいぬ座の一等星。 2018年12月19日00時38分。 ↑ Ⅿ41 おおいぬ座の星団。 2018年12月19日00時38分。↑ Ⅿ35 ふたご座の星団。 2018年12月19日00時39分。↑ Ⅿ36 ぎょしゃ座の星団。 2018年12月19日00時51分。
2018.12.19
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46P/ウィルタネン彗星がおうし座を移動中なので、2018年12月15日22時すぎに、マンション近くの公園で、望遠鏡とカメラで彗星を撮影しました。マンションの防犯灯やクリスマスイルミネーションライト、街路燈の光害がひどく、肉眼ではオリオン座がやっと見える状態ですが、望遠鏡のファインダーを見て、すばるからおうし座37、39番星に鏡筒を動かし、そこから西側に直角に振ると、淡いウィルタネン彗星が視野に入ってきました。予想していたよりも暗く感じました。46P/ウィルタネン彗星は、1948年1月17日にアメリカのカール・ウィルタネンさんが発見しました。5.4年の周期で地球に来ています。山奥で見たら、きっと美しい姿が見えると思うのですが、街中では存在を確認するだけで精一杯でした。彗星は年末、年始にかけて北に動いていくので、定期的に見ていきたいと思います。望遠鏡 : 国際光器のWHITEY DOB 口径20センチ、焦点距離120センチ ドブソニアン。カメラ : Canon SX720 HS (ISO3200、シャッター速度1秒に設定。シャッター速度を1秒より長くすると、カメラが勝手にISO80に変わってしまうのが残念。仕方なく1秒にしている)撮影方法: 望遠鏡の接眼部に「PHOTON 32mm 70° 2.0”アイピース」を差し込み、アイピースにカメラを近づけ、コリメート方法で撮影。このアイピースと望遠鏡の接眼部のサイズが違ったので、アイピースにテープをグルグル巻いて太くし、接眼部のサイズに合わせている。↑ 2018年12月15日(土)22時26分に撮影した星空。ファインダーを見ながら、すばる(プレアデス星団)からアルデバランの方向に望遠鏡を下ろしていくと、おうし座37、39番星が見えるので、そこから西側に90度動かしていくと、淡いウィルタネン彗星が視野に入ってきた。↑ 2018年12月25日 22時20分 ウィルタネン彗星。 彗星の核の周りに、淡いコマが見える。↑ 2018年12月25日 22時20分 ウィルタネン彗星。↑ 2018年12月25日 22時21分 ウィルタネン彗星。↑ 2018年12月25日 22時24分 ウィルタネン彗星。↑ 月刊天文ガイド2018年12月号/誠文堂新光社。↑ 12月16日に最接近 「肉眼高度になるウィルタネン周期彗星」。↑ ウィルタネン周期彗星の位置図。 おうし座からぎょしゃ座に移動していく。↑ おうし座を北上中の彗星。↑ 国際光器のWHITEY DOB 口径20センチ、焦点距離120センチ ドブソニアン。画面の奥の空には、半月と火星が写っている。↑ オリオン座、ふたご座付近を見る。↑ 定番のM42・オリオン座大星雲を撮影。
2018.12.16
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新京成電鉄で「ドラゴンボール超(スーパー)・ブロリー」電車が走っているので、2018年12月15日、千葉県松戸市の新京成電鉄松戸駅に行き、車両の撮影をしました。12月14日に封切られた映画のフルラッピング広告電車です。
2018.12.15
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2018年12月9日、熊本城にある熊本県立美術館本館で、「漫画界のレジェンド・松本零士展」を見ました。会場に入ると、一部撮影可の場所がありました。記念写真を撮りたかったので、来場者が来られたらカメラのシャッターをお願いしようと思い待っていると、いきなりメーテルが入場してきたので本当にびっくりしました。メーテル役は「美坂美沙」さんというモデルの女性で、熊本を中心に活躍されている美しい方でした。記念撮影をせず、そのまま会場の奥に入っていたら、多分メーテルと逢えなかったので、とてもラッキーな気分でした。美坂美沙さんに確認し、写真はブログに載せても良いと言われたので掲示します。↑ メーテル役の美坂美沙さん。↑ 撮影OKだったので、このパネルの前でカメラのシャッターを押してくれる人を待っていたら、メーテルが出てきてびっくりした。↑漫画界のレジェンド 松本零士展 熊本県立美術館本館 (2018年12月9日撮影)
2018.12.14
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佐賀県鳥栖市のJR新鳥栖駅新幹線構内に、鳥栖市に関連するスポーツの紹介と展示がされており、いつも新幹線を待つ間、ショーケースを覗いています。写真は2018年12月11日に撮影したものです。広島東京カープの緒方孝市監督は鳥栖市出身で、1986年に鳥栖高校からカープへドラフト3位で入団しました。サガン鳥栖ですが、今年はスペインのアトレティコ・マドリードからフェルナンド・トーレス選手が加入しました。何度もスペイン代表としてワールドカップに出場した選手です。女子バレーの久光製薬スプリングスは、V1リーグに所属し、鳥栖市と神戸市の2か所が本拠地となっています。↑ JR新鳥栖駅。↑ JR新鳥栖駅・新幹線プラットフォーム。↑ 新幹線構内のショーケースに展示されている。↑ 広島東洋カープの緒方孝市監督の紹介。鳥栖市出身。↑ 2017年度セントラル・リーグ連盟特別表彰 最優秀監督賞。↑ 緒方監督のサインボール。↑ サガン鳥栖の紹介。↑ 2018年にスペインのアトレティコ・マドリードからサガン鳥栖に移籍したフェルナンド・トーレス選手。背番号は9。↑ サガン鳥栖のマスコットである「ウィントス」。↑ 女子バレーボールチームの「久光製薬スプリングス」。
2018.12.13
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2018年12月11日夜の、博多駅前の様子です。イルミネーションがとても美しかったです。
2018.12.12
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2018年12月2日、妻と一緒に江戸城天守閣跡を見ました。1457年に太田道灌により城が作られましたが、その後徳川家康が入城し、徳川時代に3度天守閣が建て替わりました。1607年に徳川家康が5重の「慶長天守」を造り、2代将軍・秀忠はこれを解体後、1623年に「天和天守」を造りました。さらに3代将軍・家光が1638年に「寛永天守」を再建しています。1657年の明暦の大火で天守閣は焼失してしまいました。天守台は再建されたものの、天守閣は再建されることが無く、富士見櫓が天守閣の代わりとされました。↑ 特別史跡 江戸城跡。江戸城は1457年に太田道灌によって創築されたが、1590年に北条氏が滅亡し、徳川家康が以上をここに定めた。以来、家康、秀忠、家光の三代に渡って西の丸、北の丸の増設や外郭の整備が行われ江戸城の総構が完成した。明治維新後、江戸城は皇居となり、昭和24年(1949年)に西の丸下および現在の皇居を取り巻くお濠の地域が「国民公園皇居外苑」として一般公開され、昭和44年(1969年)からは北の丸地域が加えられた。↑ 皇居東御苑へ進む。↑ 江戸城 天守台。↑ 1657年・明暦の大火で「寛永天守」が焼失した。その後、1659年に加賀藩4代藩主の前田綱紀によって天守台が再建された。しかし、天守については、4代将軍・徳川家綱の後見役である会津藩主・保科正之が、「天守は近世の事にて、実は軍用に益なく、唯観望に備ふるのみなり。これがために人力を費やすべからず」と意見し、再建されなかった。↑ 天守台のスロープ。↑ 天守台の広場。↑ 北桔橋門が見える。↑ 江戸城天守台から見た江戸城本丸御殿跡。天守台近くから「大奥」、「中奥」、「表」と続く。「大奥」は、御台所と呼ばれた将軍の正妻、家族、女性達の生活の場。「中奥」は、将軍の日常生活、政務を行う場。「表」は、将軍の謁見など公式な儀式・行事、幕府諸役人の執務の場。「表」の右側には赤穂事件で有名な「松の廊下」があった。1701年、播磨赤穂藩主の藩主・浅野内匠頭が、松の廊下で吉良上野助を斬りつけ、浅野内匠頭は即日、第五将軍・徳川綱吉の命で切腹させられた。吉良上野助にはお咎めなく、喧嘩両成敗がなされなかったということで、筆頭家老であった大石内蔵助を含む47人が1703年に吉良邸にて討ち入りを行った。↑ 天守台で記念撮影。↑ 桃華楽堂。香淳皇后の還暦を記念して昭和41年(1966年)に建てられた。↑ 同心番所。↑ 大手門。↑ 大手門。↑ 巽櫓。
2018.12.08
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2018年12月1日から9日まで、東京・皇居乾通りを一般公開しているので、12月2日に妻と一緒に見に行きました。前日の12月1日は快晴でしたが都合がつかず、2日に行くと曇っており残念でした。↑ 馬場先濠から見た景色。 曇りで残念。↑ 馬場先口・江戸城の石垣。↑ 皇居外苑案内の看板。↑ 皇居外苑と、皇居の二重橋方面。↑ 皇居正門。↑ 持ち物検査。カバンの全てを開ける。ペットボトルは封を開けて一口飲む必要がある。↑ 金属探知機で身体検査を受ける。↑ 江戸城の石垣。↑ 坂下門へ向かう。↑ 皇居乾通り一般公開の案内板。↑ 坂下門。↑ 宮殿。↑ 宮殿入口。↑ 宮内庁。 昭和10年(1935年建築)。↑ 三重の富士見櫓。↑ 蓮池参集所。↑ 局門(つぼねもん)。↑ 富士見多門(ふじみたもん)。↑ 門長屋。↑ 四季桜。
2018.12.06
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2018年11月30日、東京・憲政記念公園の紅葉です。↑ 国会議事堂といちょう。↑ 国会議事堂。↑ 外務省。↑ 憲政記念公園を散歩する。
2018.12.03
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2018年11月25日、12時15分から18時まで、NHK-FMで「今日は一日○○三昧」という番組がオンエアされました。司会はクリス松村さん、鈴木万由香さんで、デビュー40周年になる竹内まりやさんの特集でしたが、15時前後に河合奈保子さんの肉声メッセージが流れました。竹内まりやさんが奈保子さんに提供したシングル曲「Invitation」の歌をバックに、「まりやさん、デビュー40周年おめでとうございます」と奈保子さんの声が流れます。奈保子さんにとってまりやさんが人生の大きな存在、憧れである事、初めてスタジオで会ったとき、緊張して戸惑っていた奈保子さんにまりやさんからやさしくアドバイスがあった事、まりやさんが提供した楽曲「けんかをやめて」は、バックコーラスにも参加して歌っていただき、今でもずっと奈保子さんの宝物になっている事、公私ともに長く付き合っていただいていることに感謝している事、いつかまた、時間を忘れるほどお話ができたら嬉しいという内容の話がありました。21年ぶりの肉声でした。ラジオでは、その後、竹内まりやさんが奈保子さんに提供した「けんかをやめて」と、竹内まりやさんの「Longtime Favorites」から「風のささやき」が流れました。奈保子さんの声を聴いていると、昔と同じく、真面目で誠実な奈保子さんの姿が心に浮かんできました。私は、奈保子さんのシングル曲の中では「Invitation」が一番好きで、奈保子さんの声と相まって、とても良かったです。竹内まりやさんの2008年12月21日のブログに、まりやさんと奈保子さんが久しぶりに会った時の事が書いてあるので、URLを紹介します。https://mariya30th.exblog.jp/9109988ラジオで流れた「けんかをやめて」は、服部克久さんが編曲されたバージョンで、芝郵便貯金ホールのコンサートで奈保子さんがピアノを弾きながら歌いました。これは「河合奈保子ライブ・ベスト けんかをやめて/日本コロムビア」に収録されています。このDVDを買ったとき、奈保子さんの生写真がついていました。奈保子さんのお嬢さんの「kaho」さんはシンガーソングライターで、2013年10月~12月のフジテレビドラマ「ミス・パイロット」の主題歌「Every Hero」を15歳で作り、歌っていました。堀北真希さんが演ずる女性が全日空のパイロットになっていくドラマです。この kahoさんですが、2013年12月26日22時~24時まで、「kahoのオールナイトニッポンDOLD」で話をしていました。東京生まれで3歳からオーストラリアで生活をし始め、いつもは英語で話し、両親と話すときだけ日本語を使っており、好きな料理は母親が作る野菜の入ったトマトスープと言っていました。面白い話としては、修学旅行でタスマニアに行ったとき、ゴーストツアーがあり、夜に廃墟の家を見に行ったが、先生が撮った写真に幽霊が写っていた事、タスマニアデビルが10匹集まって餌を食い荒らす姿が本当にデビル(悪魔)に思えた事、牡蠣を食べようとしたら、大きいミミズが指に巻き付いてきたのに気が付き、それから牡蠣が食べられなくなった話が印象に残りました。↑ コンサートでピアノを弾きながら「けんかをやめて」を歌う奈保子さん。2018年11月25日、12時15分から18時まで、NHK-FMの「今日は一日○○三昧」で竹内まりやさんの特集があった。↓ 今日は一日 竹内まりや三昧。 デビュー40周年を迎えた竹内まりやさんの特集。 ↓ 司会はクリス松村さん、鈴木万由香さん↑ 「Mariya's Songbook / WARNER MUSIC JAPAN INC.竹内まりやさんが他のシンガーに提供した100曲以上の中から選曲したCD。河合奈保子さんには6曲を提供しており、そのうち「けんかをやめて」、「Invitation」が入っている。↑ 河合奈保子さんのシングルレコード「Invitation / 竹内まりや作詞・作曲 大村雅朗編曲」↑「Mariya's Songbook / WARNER MUSIC JAPAN INC.」の歌詞カードにある、「Invitation」に関するまりやさんの思い出エピソード。↑ 河合奈保子さんのシングルレコード「けんかをやめて / 竹内まりや作詞・作曲 清水信之編曲」↑「Mariya's Songbook / WARNER MUSIC JAPAN INC.」の歌詞カードにある、「けんかをやめて」に関するまりやさんの思い出エピソード。↑「河合奈保子ライブ・ベスト けんかをやめて/日本コロムビア」↑ ラジオで流れたコンサートバージョンの「けんかをやめて」が収録されている。↑ 奈保子さんの生写真付き。↑ 生写真。↓ 2013年10月~12月のフジテレビドラマ「ミス・パイロット」、主人公役の堀北真希さん。↑ kaho/Every Hero/ Strong Alone / Sony Music Records INc. 奈保子さんのお嬢さんのkahoさん。ミス・パイロットの主題歌を作り、歌った。↑ 2013年12月26日 kahoのオールナイトニッポンGOLDの録音テープ。
2018.12.02
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2018年11月25日午前、埼玉県行田市の忍(おし)城を見に行きました。忍城は室町時代に成田氏により築城されました。豊臣秀吉が北条氏の小田原城を攻めた時、石田三成は2万人の兵を率いて忍城を包囲し、豊臣秀吉が岡山の備中高松城で行ったように水攻めにしました。忍城主の成田氏長は小田原城に籠っており、代わりに忍城は成田長親が守り抜きました。石田三成軍2万人に対し、成田長親側は500人とされています。結局小田原城が開城されたので忍城も開城しましたが、北条氏の支城で落城しなかったのは忍城だけでした。この時の戦いについては、和田竜さんが「のぼうの城」という本に書かれ、野村萬斎さんが成田長親役をした映画も公開されました。JR行田駅で無料の自転車を借りて、水城公園を通り忍城に行きました。今度行くときは、ゆっくり街を巡ってみたいです。ちなみに行田市は池井戸潤さん原作TBSドラマ「陸王」の足袋製造会社「こはぜ屋」でも有名ですし、さきたま古墳(丸墓山古墳)は石田三成の陣があったところですが、埼玉の名前の由来になったと言われています。↑ JR行田駅。(埼玉県)↑ 上野駅から高崎線で移動。↑ JR行田駅前。 「足袋蔵のまち行田」。↑ 駅の観光案内所で、無料の自転車を借りる。↑ 途中で見つけたマンホール。忍城の絵。↑ バスのラッピング。↑ 水城公園。↑ 借りた自転車と公園。↑ 水城公園周辺案内図。↑ 忍城が見えてきた。↑ 城のそばにある忍中学校と天鼓門跡。↑ 忍(おし)城。↑ 忍城址。↑ 映画「のぼうの城」。野村萬斎さんが成田長親役をした。↑ 城窓から景色を見る。↑ 西側。富士山や秩父連山が見える。↑ 北側。赤城山、尾瀬、男体山が見える。↑ 忍城で記念写真。↑ 上越新幹線。 自転車で行田駅に戻る途中。↑ 楽しい自転車の旅。
2018.12.01
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