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私の両親は、今年80歳です。コロナ前は海外旅行などしていましたが、コロナ後は国内旅行を楽しんでいます。車で九州や中国地方などを旅しており、最近は城崎温泉、天橋立、別府温泉、宮島などに行っていました。2023年9月29日、旅行会社のミステリーバスに乗るとのラインが、親から来ました。バスは高速道路を進み、大分県の中津に着いたそうです。天気がよく、食事も良かったとの事でした。2019年10月30日、私が上海行飛行機の機窓で撮影した中津上空写真があるので、紹介します。ーーーーーーーーーーーーー2023年9月29日。私、妻、私の両親のライン。↓ 私の父から、ミステリーバスに乗るとのラインが来た。↓ 中津に着いたとのライン。↓ 中津城。ーーーーーーーーーー↓ 2019年10月30日、私が上海行飛行機の機窓で撮影した中津上空写真
2023.11.30
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2023年10月頃から、山口の田舎に住む両親から、クマ目撃ニュースの連絡が頻繁に入るようになりました。最初は、田舎の家から数キロ先でクマを目撃した人がいたという話だったのですが、その後、家から500メートル先の道路をクマが歩いている姿が2回目撃され、そこは両親の毎日の散歩コースだったので、散歩を控える事にしたそうです。そして最近になり、家から数百メートル先の近所で、庭の柿がクマに食べられ、根元にクマの糞があったそうです。その家にそれ以外の被害はなかったそうなのですが、私の両親はびっくりして、自分の家の庭の柿を全部取って、急遽、私の家に送ってきました。熊は歩くのが速く、一日に20~30キロは山中を移動するらしいのですが、クマの目撃情報地図の範囲に、田舎の家が入っていました。クマに襲われたら大変なので、音を出したりして気をつけてと、両親に言っています。ーーーーーーーーーーー↓ クマに関する両親とのラインのやりとり。(私、妻、私の田舎の両親)クマの目撃範囲の中に、田舎の家が入っている。↓ 親の住む田舎ですが、近所の庭の柿がクマに食べられたそうで、クマが柿目当てに来てはいけないと、両親が自分の庭の柿を全部取って、私の家に送ってきました。
2023.11.29
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2023年10月6日に、虎ノ門ヒルズのステーションタワーが開業したので、2023年10月10日夕方、ステーションタワー45階に上がり、景色を楽しみました。ーーーーーーーーーーー↓ 虎ノ門ヒルズのステーションタワー。↓ ステーションタワー45階(東京ノード)。↓ 東京ノードへ。↓ 東京タワー。↓ エレベーターで45階の東京ノードへ上がる。↓ 45階。↓ 東京スカイツリー。↓ 東京都庁。↓ 森ビル。↓ グラスロック。↓ 森ビル。
2023.11.28
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2023年10月6日に、虎ノ門ヒルズの「ステーションタワー」が開業したので、2023年10月10日午後に行きました。建物の中には、日比谷線虎ノ門ヒルズ駅の改札口があり、プラットホームや車両、乗客の姿がガラス越しに見る事ができました。ーーーーーーーーーー↓ N.S.ハルシャ(N.S.Hasha)の作品「Matte」2014年。↓ 左から、「ビジネスタワー」、「森タワー」、「ガーデンハウス」、「レジデンシャルタワー」、「グラスロック」、「日比谷線虎ノ門ヒルズ駅」、「ステーションタワー」、「江戸見坂テラス」。全てがつながっている。↓ ステーションタワー。↓ ステーションタワーのガラスに、東京タワーが映っている。↓ 「ぼく、トラのもん」。↓ 日比谷線虎ノ門ヒルズ駅の改札口。↓ 画面中央部分に、日比谷線虎ノ門ヒルズ駅のプラットホームがみえる。↓ 日比谷線虎ノ門ヒルズ駅のプラットホーム↓ 日比谷線の車両に乗車する人たち。↓ 地下鉄車両が良く見える。↓ 虎ノ門ヒルズ ステーションタワー 2023年10月6日開業。
2023.11.27
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2023年10月10日午後、虎ノ門ヒルズの森タワーを散策しました。↓ 虎ノ門ヒルズの森タワー↓ トラのもん。(虎ノ門ヒルズのマスコット)↓ スペインのアーティストであるジャウメ・プレンザの「ルーツ」像。↓ 森ビルと「ルーツ」像。↓ 「ルーツ」像と「ステーションタワー」。↓ 「ぼく、トラのもん」。
2023.11.26
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2023年10月6日、虎ノ門ヒルズの「ステーションタワー」が開業しました。ビルに日比谷線・虎ノ門ヒルズ駅の出入り口があります。2023年10月10日午後、霞ヶ関から歩いて、ステーションタワーに向かいました。虎ノ門ヒルズでは、森ビルとステーションタワーの間の道路に、連絡橋が架けてあります。道路の側にある「グラスロック」(ガラスの岩)という建物のエスカレーターで2階の連絡橋に移動しました。ーーーーーーーーー↓ 霞ヶ関ビルの広間(2023年10月10日午後)。↓ 左側が虎ノ門ヒルズの「ステーションタワー」。↓ 奥がステーションタワー。↓ 左は虎ノ門ヒルズの「森ビル」。右は「レジデンシャルタワー」。その下は「グラスロック」。↓ 奥に東京タワーが見える。↓ 森ビル。↓ 森ビルとグラスロック。↓ グラスロック。↓ 森ビルとステーションタワーの間の道路に、連絡橋が架けてある。↓ 虎ノ門ヒルズ。↓ ステーションタワー。↓ グラスロック 入口。↓ グラスロック 入口。↓ グラスロックの中。↓ 連絡橋。↓ ステーションタワー。
2023.11.25
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2023年度の定期健康診断の結果、腸の再検査をすることになりました。病院での事前説明で、腸の洗浄のため、10月9日21時頃と、10月10日7時頃に薬を入れた水を飲むように言われました。しかし、10日午前は私が司会をする会議があり、会議中はトイレに行けないため、前倒しで9日19時頃と10日3時頃から飲み始めました。2リットルの洗浄剤を飲んでいくと、何度もトイレに行くことになります。会社に行く途中の電車の中でも、トイレに行きたくなり困りました。9時からの会議もなんとか乗り切り、昼から病院で腸検査を受けました。大腸カメラで腸を検査していただいたところ、4ミリのポリープが見つかりました。小さいので、取らずに様子を見る事になりました。ーーーーーーーーーー↓ 2023年10月9日、19時から飲み始めた。ーーーーーーーーーーー↓ 2023年10月10日3時から、2リットルを飲み始めた。
2023.11.24
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今年も山口県の田舎から栗が送られてきました。私は栗の皮をむく作業を行い、妻はゆでた栗の中を取る作業をしました。夜は早速、美味しい栗ご飯でした。ーーーーーーーーー↓ 田舎から送られてきた栗。ーーーーーーーーーーー↓ 私は栗ばさみで栗の皮をむいた。ーーーーーーーー↓ 妻はゆでた栗を半分に切り、中を取りだした。ーーーーーーーーーー↓ 夜は美味しい栗ご飯。
2023.11.23
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TOMOOさんのファーストアルバム「TWO MOON」CDを購入したところ、抽選券を貰いました。インターネットで抽選発表を見ると当選していたので、2023年10月29日、パワーレコード新宿店に行き、パネルをいただきました。パネルを地方に住む長男に送ると、とても喜んでいました。ーーーーーーーーー↓ 今回当選したTOMOOさんのパネル。↓ 当選した抽選券。ーーーーーーーーーー↓ タワーレコード新宿店のTOMOOさんのブース。(2023年10月7日)
2023.11.22
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2023年10月7日、タワーレコード新宿店でTOMOOさんの1st ALBUM 「TWO MOON」のCD+Blu-rayを購入し、封を開けました。長男は音楽のサブスクリプションを利用しているので、CDを買う事は全く無いと言っていましたが、私は考えが昭和なので、CDとして形があると嬉しいし、CDブックレットが付いているのが良いです。ブックレットにTOMOOさんの写真が入っていると、イメージが湧きます。購入したCDは、地方で働いている長男に送りました。ーーーーーーーーーーーーー↓ TOMOOさんの1st ALBUM 「TWO MOON」のCD+Blu-ray。
2023.11.21
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2023年10月7日、タワーレコード新宿店に行き、TOMOOさんのファーストアルバム「TWO MOON」のCD+BLU-LAYを購入しました。長男がTOMOOさんのファンなので、こっそりCDをプレゼントして驚かせようと思ったからです。CD購入時に、パネル抽選券を1枚頂きました。TOMOOさんのパネルが店内に展示され、一部のパネルはサイン付です。ーーーーーーーーーーーー↓ TOMOOさんのCDコーナー。(タワーレコード新宿店)。ーーーーーーーーーーーーーー↓ TOMOO Major 1st Album 「TOW MOON」発売記念パネル展。ーーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子さんのCD部分。タワーレコード新宿店に行くと、必ず河合奈保子さんのCDを確認する。
2023.11.20
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2023年10月7日、タワーレコード新宿店に行く途中、AINZ&TULPE(アインズ&トルペ)新宿東口店の大型ビジョンに、オードリー・ヘップ・バーンの美しい笑顔が映っているのを見ました。何度も書きますが、オードリー・ヘップ・バーン、メーテル、河合奈保子さんは、私の青春でした。↓ タワーレコード新宿店。
2023.11.19
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Hogaleeさんの巨大な作品「Entanglement - Shinjuku III」が、新宿3丁目交差点にあったので紹介します。(2023年10月7日)作品を見た後、新宿駅の方に歩いて行きました。ーーーーーーーーーーー↓ Hogaleeさんの巨大な作品「Entanglement - Shinjuku III」。
2023.11.18
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2023年10月7日午後、都電荒川線・学習院下駅付近で、都電車両を撮影しました。都電8500系、8900系、7700系の写真を紹介します。ーーーーーーーーーーーーー↓ 都電8500系。↓ 学習院下駅。ーーーーーーーーー↓ 都電8900系。ーーーーーーーーー↓ 都電7700系。
2023.11.17
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イラストレーター/アーティストのJUN OSON(ジュン・オソン)さんの作品が、西武池袋本店のショールームに展示されていました。(2023年10月7日撮影)ジュン・オソンさんは、「鎌倉在住のイラストレーターでアーティスト。ニヒルでポップな作風が特徴。アジアやヨーロッパ、アメリカ、中東などで精力的に個展を開催している。クライアントワークとして広告やアニメ、装丁やグッズデザインなども数多く手がけている」と紹介されています。ーーーーーーーーーーーーー↓ JUN OSON(ジュン・オソン)さんの作品。西武池袋本店のショールーム。↓ JUN OSON(ジュン・オソン)さんの紹介。ーーーーーーーーーーーー↓ 池袋駅周辺。
2023.11.16
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「東海道新幹線歴史散歩/一坂太郎/中公新書/中央公論新社/2007年9月25日発行」という本を持っています。他の人に貸したことがあり、買い足して2冊になりました。本の帯に、次の紹介があります。「新幹線の窓からなにが見えるだろうか。縄文時代の貝塚から昭和の歴史遺産まで、見どころ満載なのが、東海道新幹線だ。田子ノ浦や老鮮の森に古代の貴族たちが読んだ風景を想像し、清州城や関ケ原の古戦場に戦国大名の栄枯盛衰をたどる。明治の先取の気質を豊田佐吉の生家や井上勝の墓に感じ、熱海城や八ッ山橋にゴジラの悲哀を思う。車窓に拡がる歴史的スポット百ヵ所以上を全線地図とカラー写真を付して詳述。乘り越し注意」昔は新幹線の車窓から富士山が見えただけで満足でしたが、この本を読んでから、新幹線から見える城や歴史の舞台に気を付けるようになりました。5年前に40倍ズームのポケットカメラを購入したので、少しずつ車窓を撮るようになったのですが、いまだに写真が撮れない城がいくつかあります。大垣城はまだ写真が撮れていません。「東海道新幹線歴史散歩」p133には「大垣城:大垣市街遠方に見える白い四角いビル(大垣共立銀行本店)のやや北西約1.6キロ」とあり、「車窓から1.6キロほど離れた大垣市内に、大垣城の復元天守閣が頭を覗かせている。周囲が高いビルに囲まれているので、見つけるのはなかなか難しい」と記載されています。この本は2007年9月25日発行なので、13年以上前の記述であり、それからビルやマンションが建てられて、大垣城が見えなくなっている可能性もあります。私は、大垣城の近くにあるNTT西日本の電波塔を目印にして写真を撮るのですが、城らしきものは写っていません。本当に見えないのか、一瞬でも見えるのかが分からないのですが、今後も新幹線の車窓から、大垣城を探して行こうと思います。ーーーーーーーーーーーー↓「東海道新幹線歴史散歩/一坂太郎/中公新書/中央公論新社/2007年9月25日発行」↓ p133。「大垣城:大垣市街遠方に見える白い四角いビル(大垣共立銀行本店)のやや北西約1.6キロ」/2007年9月25日発行時点の情報。ーーーーーーーーーーーーーー2023年9月18日、私が新幹線の車窓から撮った写真。画面右側の「NTT西日本の電波塔」の右側近くに、大垣城があると思う。↓ ゴルフ練習場の奥辺りに写ってないかと思って見るのだが、大垣城はよく分からなかった。
2023.11.15
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2023年9月18日、山口県から新幹線で東京へ戻りました。途中、京都鉄道博物館のある梅小路運転区付近で「森の京都QRトレイン」を見たので、写真を撮りました。森の京都QRトレインは、JR嵯峨野線などを走る観光列車で、QRはQuality and Relaxing(上質でくつろいだ気分)を表しています。223系4両編成です。ーーーーーーーーーーーー↓「森の京都QRトレイン」(梅小路運転区付近)ーーーーーーーーーーー↓ 新幹線の車窓。京都・梅小路運転区付近。↓「森の京都QRトレイン」↓ 扇形車庫(梅小路蒸気機関車車庫)
2023.11.14
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2023年9月18日、山口県の田舎から、新幹線で東京に移動しました。広島駅を過ぎると、マツダスタジアムが見えてきます。昔の広島市民球場はよく行っていましたが、マツダスタジアムは一度も入ったことがありません。私の両親は何度か行ったと言っていました。その後、広島市南区の黄金山が見えます。黄金山の二つのピークには、昔は電波塔が建っていましたが、今はありません。無いと淋しい感じがします。ーーーーーーーーー↓ 2023年9月18日。マツダスタジアムが見えてきた。↓ 黄金山が見えた。↓ 黄金山。↓ 姫路城。
2023.11.13
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小学3~4年生の頃は、母方の祖父に買ってもらった顕微鏡に夢中で、植物、昆虫の標本をプレパラートに固定して、毎日のように覗いてはスケッチしていました。植物の茎や葉を薄く切って、染色液で染めて覗きます。昆虫の死体などをスンプ法で型を取って見たりしました。色々な花の花粉を見比べて、形が違う事を不思議に思いました。近所の池やドブで水を採取し、凹みのあるプレパラートにスポイドで水を垂らし、ミジンコやワムシなどの姿に驚いていました。当時、ブラインシュリンプを卵から孵化させて育てていましたが、少しずつ大きくなる姿を顕微鏡で観察していました。毎日、宇宙塵(うちゅうじん)が宇宙から地球に降ってきていると本に書いてあったので、プレパラートにワセリンを塗って、庭に置いて行くと、一ミリ程度の黒い球体の粒がいくつも付いています。これが日々、世界中に降り注いでいるというとは、中々信じられませんでした。ビーカーに水を入れて庭に出していたところ、水面に浮かんだ花粉が色々な方向に激しく動いたのでビックリした事があります。後から、それがブラウン運動だということを知り、理科がますます好きになりました。顕微鏡以外にも、この時期は簡単なラジオを造ることに夢中でした。「子供の科学」のラジオ作成記事を読んで、広島の第一産業に行き、パーツを購入しました。ハンダこてでハンダ付けをして簡易ラジオの完成です。イヤホンでラジオが聞こえた時はうれしかったです。その後、学研のマイキットを購入して、電子回路実験など色々行いました。長く顕微鏡を使っていたのですが、小学4年の頃から天体望遠鏡に興味が出てきました。小学5年生の時に、ビクセンのポラリス8Ⅼを買ってもらい、興味が天体に移りました。↓ 小学3年生の頃。私と弟。毎日、顕微鏡を覗いていた。
2023.11.12
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2023年9月に山口の田舎に帰りました。母が古いアルバムを断捨離し、写真をファイルにまとめていました。中には、広島半兵衛遊園地でミラーマンショーを見た時の写真が残っていました。当時の半兵衛遊園地は、25メートルのウォータースライダープールがあり、夏になると必ず泳ぎにいきました。庭園もあり、小路を歩いた記憶があります。ミラーマンショーなのですが、母は「広島遊園地へスペクトルマンが」と書いており、ミラーマンとスペクトルマンを間違えているところはご愛敬です。わたしは両方の番組を毎週見ていました。写真は1972年頃だと思います。ミラーマンはレコードを買ってもらい、繰り返して聴いていたので、1番から3番まで歌詞を歌うことができます。「朝焼けの光の中に 立つ影はミラーマン」で始まる歌ですが、カッコイイです。ミラーマンは大好きでした。ーーーーーーーーーーーーー↓ 1982年頃。 広島半兵衛遊園地の「ミラーマンショー」。↓ 母親が間違えて、ミラーマンではなくスペクトルマンと書いている。ーーーーーーーーーーーーー↓ ミラーマンOP。↓ 主人公の鏡京太郎。(俳優の石田信之さん)
2023.11.11
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1973年頃に親が私を撮った写真です。テレビの上には、「レッドバロン」と「ジャンボマジンガーZ」の人形が置いてあります。当時、テレビで毎週見ていました。それぞれの主題歌は、いまだに歌えます。「レッドバロン」は、「ぼくらの地球は美しい 鉄面党にゃ渡せない」で始まりますし、マジンガーZは「空にそびえるくろがねのしろ、スーパーロボット マジンガーZ」です。ーーーーーーーーーーー↓ 1973年頃 私と「レッドバロン」、「ジャンボマジンガーZ」の人形。↓手前「レッドバロン」、後ろ「ジャンボマジンガーZ」。ーーーーーーーーーーーー↓「レッドバロン」ОP。ーーーーーーーーーーーーー↓ 「マジンガーZ」前期ОP。¥
2023.11.10
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2023年9月15日に山口県の田舎に帰省しました。母親が古いアルバム類を断捨離して、クリアファイルに写真をまとめてくれていました。私が幼稚園児の頃、家の庭で怪獣人形を並べた写真が残っていました。昭和46(1971年)9月12日と日付が書いてあります。弟が生まれて5カ月の頃です。ブルマアクなど、怪獣人形を買ってもらい、集めていました。小学生低学年の時期まで集めていたので、段ボール箱が3箱になっていました。両親が広島から山口県の田舎へ引っ越す時、怪獣人形を全て、子供が多い隣の家にプレゼントしました。私は当時、海外赴任をしていたのですが、もし日本におれば、手放さないでほしいと言っていたと思います。両親はその後、テレビ番組「お宝探偵団」で古い怪獣人形の価値を知り、ショックを受け、手放したことを後悔したそうです。ーーーーー↓ 昭和46(1971年)9月12日。家の庭で、私と怪獣人形。↓ 生後五か月の弟と一緒に。ーーーーーーーーーーーー↓ 家の庭で。近所の友達兄妹が遊びに来た。カラー写真になっている。私は右端。弟は左端。
2023.11.09
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2023年9月15日から18日まで、山口県の両親の家に帰省していました。母親が古いものを捨てて断捨離をしており、私や弟の小さい頃の写真を貼った分厚いアルバムから写真や台紙を取り出し、薄いクリアファイルにまとめてくれていました。懐かしかったので、一部を写真に撮りました。【ゴジラのポスター】昭和46(1971)年3月とあります。私が幼稚園児の時の写真です。家の壁にはゴジラポスターが飾ってあり、大喜びの私です。この頃は、ゴジラ、ガメラ、ウルトラシリーズに夢中でした。小さい頃に興味があった事は、この歳になっても興味があります。↓ ゴジラ、キングギドラ、ラドンの写真を持って。ーーーーーーーーーーーー「怪獣怪人大全集1 ゴジラ/ケイブンシャ」を親に買ってもらい、繰り返して読んだ。↑「怪獣怪人大全集1 ゴジラ/ケイブンシャ」。ゴジラ、キングギドラ、ガイガン、アンギラス。↑ ゴジラ。↑ ゴジラ、ミニラ、カマキラス、クモンガ。↑ ゴジラとモスラの卵。↑ ゴジラ。↑ ゴジラとヘドラ。
2023.11.08
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2023年9月17日、18日は、山口県の両親の家に帰省しました。両親、私、妻、長男、長女が集まり、バーべキューをしたり、母親の手作り料理を食べました。田舎の家は両親が自分たちで造りました。私が小学生の頃、広島市南区に住んでいましたが、毎週末は車でこの場所に来ては、少しずつ家を造っていました。結局、10年近くかかったと思います。当初、土地の一部には池があり、ゲンゴロウなど水中生物を採っては水槽に入れていました。小さいミキサーがあり、木型にセメントを入れてはブロックを作り、鉄筋コンクリートの基礎ができました。木材もカンナで削ったりしていました。全て自分たちで行ったので、修繕も自分たちで行っています。今でも父親が新しい部屋を造ったりしています。父は物を作るのが得意で、機械の分解、修理など、毎日のようにしています。自動車関連は特に強く、いまだに耕運機などが壊れたら全てばらして、修理して組み立てています。バーベキューができる建物も自作です。毎回、ここで肉や野菜を焼きます。お盆前には、肉などの食材を車で買い込んでいたそうですが、台風のため帰省できず、9月になってから皆で食事をすることができました。両親は80歳ですが、元気です。年に二回は、田舎に帰ろうと思っています。ーーーーーーーーーーーーー↓ 山口県の両親の家。↓ シイタケ栽培。↓ バーベキューをする場所。↓ 父親の手造り。↓ バーベキューのための火おこし。↓ 部屋に戻る。 妻より長女の方が背が高かった。↓ カニを食べる。ーーーーーーーーーーーーーーー↓ 田舎で母親の料理を食べた。↓ 私は母親の作ったハンバーグが大好きで、田舎に帰ったら必ず食べる。
2023.11.08
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2023年9月15日、妻と一緒に山口県の私の実家に帰省しました。夜に長男、長女がやって来て合流しました。翌日2023年9月16日は、皆で妻の実家に移動して宿泊しました。私の田舎と妻の田舎は、車で30~40分程度の距離です。食事と酒で、盛り上がりました。ーーーーーーーーーー↓ 妻の実家で食事をした。
2023.11.07
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2023年9月15日、広島駅から山陽本線で西に移動し、山口県のJR岩国駅で、美しい黄色の115系国鉄車両・編成N-21に乗車しました。この黄色の車両を見ると、山口県に帰ったなあという気持ちになります。ーーーーーーーーーーー↓ 岩国駅。115系電車・編成Nー21。
2023.11.06
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FIVBパリ五輪ワールドカップバレー2023「広島から世界へ刻むバレーボールの歴史」が、JR広島駅ビルの工事場所の壁に紹介されていました。(2023年9月15日撮影)↓ 左から、井上愛里沙さん、関菜々巳さん、髙橋藍さん、古賀紗理那さん、石川祐希さん、西田有志さん、石川真佑さん、関田誠大さん、林琴奈さん。↓ 多田徳雄氏(1889年~1976年)草創期の日本バレー普及に尽力したバレーボール選手、指導者、日本男子代表初代監督。1917年、東京で第3回極東選手権(現アジア競技大会)が開催された。開催国日本も出場する流れとなったが、当時はバレーボールチームや専門家がいなかった。そのため、海外から専門家を招き、急遽他スポーツの選手を集め出場したが、試合は大敗に終わった。しかし体育指導者たちはバレーボールに興味を持ち、普及に努めた。特に広島師範学校(現広島大学)の教師たちは体育教材に取り入れるなど、熱心に研究、そこで学んだ多田徳雄は日本初のバレー専門チームを結成するなど、バレーボールの普及に尽力した。↓ 広島が誇るボールメーカー。「ミカサ」、「モルテン」。「ミカサ」1917年 広島護謨株式会社設立。1935年 「ミカサボール」の商標で販売開始。1964年 東京オリンピックで、ミカサバレーボールが採用(日本製として初採用)される。1969年 国際バレーボール連盟から公式球と認定され、更に国際大会唯一の公式試合球として認められる。「モルテン」1958年 モルテンゴム工業株式会社 設立。1959年 第1号ボール完成。スポーツ事業に参入。1960年 日本バレーボール協会より検定球として認められる。1969年 国際バレーボール連盟より公式球として認められる。「ボールの聖地」広島そのルーツは伝統産業「広島針」。江戸時代、武士の内職として「たたら製鉄」の鉄を使った針作りが盛んになった。明治時代に入ると機械化が進み、広島針は地域経済の中で重要な位置を占める一大産業へ。朝鮮戦争で、その需要は一層拡大した。戦地の服を直すため輸出が大幅に伸び、帰りの便を使った輸入が増加。多く持ち帰られたのが「生ゴム」であった。ゴムを利用して手縫いされたボールの製造が始まり、広島のボール産業が成長した。↓ 猫田勝敏氏広島が生んだ「世界一のセッター」猫田勝敏。専売広島(現JTサンダース広島)に所属 広島で生涯をバレーボ-ルに捧げた。オリンピックに4大会連続出場し、金・銀・銅のメダルを獲得。日本バレーを世界の頂点に導いた。↓ 左から、小野寺太志さん、石川真佑さん、西田有志さん、古賀紗理那さん、石川祐希さん、関菜々巳さん。
2023.11.05
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2023年9月15日、JR広島駅そばの広島電鉄・広島駅で、広島電鉄1000形電車・グリーンムーバーLEXを見たので写真を撮りました。LEXは、Light Eexcursion (ライトエクスカーション:小旅行)から付けられており、超低床車です。ーーーーーーーーーー↓ 広島電鉄1000形電車・グリーンムーバーLEX 路面電車。↓ 広島電鉄3900形電車 ぐりーんらいなー。
2023.11.04
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2023年9月15日、工事中のJR広島駅を出て、バス停を通り、広島JPビル郵便局で広島カープの「カープ坊や」ポストの写真を撮りました。昔は、広島駅前郵便局という名前だったと記憶しています。雰囲気がかなり変わってきました。広島市内を走る「青バス(広電バス:広島電鉄株式会社)」と、「赤バス(広島バス株式会社)」も写真を載せます。ーーーーーーーーーーーー↓ 広島JPビル郵便局の「カープ坊や」ポスト。↓ 広島JPビル郵便局。↓ 広島JPビルとJR広島駅ビルの間に、広島テレビのビルが見えた。↓ 広島テレビ。↓ 工事中のJR広島駅ビル。↓ 福屋広島駅前店。↓ 青バス(広電バス:広島電鉄株式会社)。↓ 赤バス(広島バス株式会社)。
2023.11.03
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2023年9月15日、広島駅で特殊詐欺撲滅ポスターを見ました。JR広島駅は工事中で、工事現場の壁に掲示されています。全国ポスター展282億円!これは何の金額がわかりますか?昨年、全国で発生した特殊詐欺の被害総額です!そして広島県でも昨年、5億円近くの被害がでています。1件あたりにすると約250万円。ものすごい金額ですよね。全国の都道府県警察でも色々工夫を凝らして「特殊詐欺被害防止ポスター展」を作って被害を防ごうとしています。特殊詐欺の手口は全国共通です。この度は全国警察が作った様々なポスターを楽しみながら眺めていただき、さらに被害防止に必要な対策や知識も知っていただこうと考え「全国特殊詐欺被害防止ポスター展」を開催することとしました。またポスター展の実行に当たっては、この趣旨に賛同いただいた西日本旅客鉄道株式会社広島支社様の全面的なご協力をいただいており、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。それでは日本全国からの特殊詐欺撲滅に向けた熱いメッセージを旅気分で最後までご覧ください。ーーーーーーーーーーーー↓ 広島県 達川光男さん。↓ 長崎県 前川清さん。↓ 佐賀県 コロッケさん。↓ 高知県 吉田類さん。↓ 大阪府 NMB48 小嶋花梨さん、NMB48 塩月希依音さん。↓ 愛知県 「南知多の具志堅」こと海苔漁師の森下さん。↓ 長野県 ニッチローさん。↓ 新潟県 稲垣啓太選手(パナソニックワイルドナイツ)↓ 山形県 テツandトモさん。↓ 福島県 城島茂さん。↓ 東京都 警視庁犯罪抑止対策本部 ストッポ君。↓ 宮城県 楽天イーグルス 早川隆久選手。↓ 青森県 梅沢富美男さん。↓ 富山県 高原兄さん。↓ 工事中のJR広島駅。
2023.11.02
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2023年8月のお盆に、山口県に帰省する予定でチケットを購入していましたが、台風7号のため交通網が大混乱になる予想がでたため、キャンセルしました。田舎の親が首を長く伸ばして待っているので、改めて帰省することにしました。2023年9月15日早朝、妻と一緒に新幹線で東京から広島に移動します。社会人の長男、長女は、それぞれ別便で移動し、山口県で合流することになりました。母方の祖父母の墓が三滝にあり、墓参りのため広島駅で可部線に乗り換え、三滝駅で下車しました。祖父は1945年8月6日原爆投下前後で、色々な体験をしたのですが、孫の私には話をしませんでした。祖父が亡くなる少し前に、私が祖父に質問し、1時間程度、当時の事を教えてくれました。内容については、このブログの中で少し記載しておきます。三滝墓園で墓参りをした後、再び広島駅に戻ります。往復は、JR西日本227系・ レッドウィング(Red Wing)に乗車しました。広島は、どこにいっても広島カープの赤が基調色です。↓ JR西日本・可部線 三滝駅。 JR西日本227系・ レッドウィング(Red Wing)。↓ JR西日本・可部線 三滝駅。 ↓ 可部線。↓ 太田川放水路。↓ 三滝マップ。三滝墓園に行く。↓ 三滝墓園。母方の祖父母が眠っています。祖父は戦前、広島の中国憲兵司令部に勤務していました。呉上空で交戦して墜落した米軍機の米軍兵達を司令部内で捕虜としていました。祖父は毎日、米兵と会って話をしていたそうです。祖父は米兵について報告をするため、原爆が落ちる数日前に、東京の司令本部に出張しました。そして東京にて、広島が爆弾により壊滅したとの情報を聞きます。広島の状況を調査するように命令が出て、祖父はすぐに広島に戻ります。海田あたりで鉄道が不通になり、徒歩で広島市内に入ります。市内は建物がほとんど無く、海まで見渡せる景色にショックを受けたそうです。市内の人々悲惨な姿、そして死体の山々。夜は死体を燃やす火とリンによる人魂のような光を見て、涙が止まらなかったそうです。司令部も壊滅し、勤務者も米兵も死んでいました。米兵の識別票のようなものを見つけました。(その後、GHQにそれを渡したそうです)米軍機墜落で亡くなった米兵のため、祖父は墓を作ってGHQに報告したとのことです。広島で調査を行っていたため、被爆したので、原爆手帳を持っていました。もし祖父が原爆投下前に東京に出張していなければ、祖父は原爆で亡くなり、今の私はいなかったことになります。祖母はその頃、岡山県の総社市に疎開していました。色々な事がありましたが、祖父は90歳で亡くなりました。↓ 三滝駅に戻る。↓ 太田川放水路。↓ 横川駅。↓ オタフクソースの看板。↓ 本川。↓ 新白島駅。昔は、広島城が見えたと記憶しているが、今は見えない。↓ 広島駅 ekieにて。 広島カープグッズ。
2023.11.01
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