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河合奈保子さんの6枚目のシングルは、1981年9月1日発売「ムーンライト・キッス (作詞:松本礼児、作曲:馬飼野康二、編曲:竜崎孝路」でした。5枚目のシングル「スマイル・フォー・ミー(1981年6月1日発売)」が大ヒットで、その流れを受けて発表された歌です。私はこの「ムーンライト・キッス」が大好きで、カスタネットを叩きながら「Don't don't don't don't don't you know」と歌う奈保子さんが、ますます愛らしくて魅力的に見えました。河合奈保子さんの野球チーム「ダックリン」の事を書こうと思っていましたが、そのためには、やはり1981年10月5日に発生した奈保子さんの転落事故、入院、療養、芸能界復帰、受賞、紅白歌合戦出場、コルセット、運動、ダックリンという順番で、当時の事を振り返ってみようと思いました。まずは、転落事故が起こる時期に歌っていた、奈保子さんの「ムーンライト・キッス」を紹介します。↓1981年9月1日発売「ムーンライト・キッス(作詞:松本礼児、作曲:馬飼野康二、編曲:竜崎孝路」
2023.04.30
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河合奈保子さんが1981年6月1日にリリースした「スマイル・フォー・ミー」に続いて、1981年9月1日には「ムーンライト・キッス」が発表されました。「奈保子しんぶん Vol.4 (発行 芸映プロダクション・芸映友の会・河合奈保子FC編集部)」には、「ムーンライト・キッス」の記事があるので、紹介します。秋風に吹かれて奈保子の新曲「ムーンライト・キッス」TVやラジオで奈保子の軽快な歌声が心良く流れている。新曲はその名も「ムーンライト・キッス」。お陽様ポカポカムードが多かった奈保子のシングルの中に、今回はガラリと変わってお月様の下をテーマにした歌だ。アップテンポな曲調な中に、ちょっぴり大人のエッセンスが入った「ムーンライト・キッス」。秋にぴったりの歌ということで、今や話題騒然!「何故?」「う~ん」、奈保子の口調が最高!♪Don't don't don't don't don't you know・・・アップテンポなサビからはじまる「ムーンライト・キッス」。「スマイル・フォー・ミー」よりも少しだけ大人を感じさせる詞に、ちょっぴりドキッだね。全体的に聞きやすくて、なんといっても覚えやすいメロディが嬉しくなっちゃう。きわめつきは、「何故?」「う~ん」の奈保子の口調。聞いてる方が、ほんとに奈保子に話しかけられているみたいで最高。ヒットの要素がふんだんに盛り込まれて、秋の注目局は「ムーンライト・キッス」に決定!おニューの衣装は、ブルーのミニワンピースデビュー当時より、ほんのちょっぴり細くなった脚を見せてくれるのが、「ムーンライト・キッス」のミニワンピース。スカートがティアードになっていて、色もブルーのグラデーションに分かれているんだ。奈保子がステップを踏むたびにサラサラっとスカートが揺れて、美しさの極致!奈保子からあなたへ(奈保子さんのコメント)「ムーンライト・キッス」は、今までになかった歌だと思います。月の下で恋人同士が愛を語り合う、っていうとてもロマンティックな歌。すごくステキでしょ?このあいだの日比谷野音で歌った時、会場のみなさんがすぐに覚えてくれて、みんなで大合唱したんですけど、そのとき「ムーンライト・キッス」が何倍もステキな歌に聞こえて嬉しかったな。あんなふうにみんなで歌えたらステキですね。私としては、とても歌いやすい曲なんですけど、環状の入れ方がすごく難しいなっておもいます。「スマイル・フォー・ミー」ほどの振りはないんですけど、ステップもけっこう難しくって・・・まだ完全にマスターできないんです(笑)。あとカスタネットもたいへん・・・。コーラスさんと合わせなきゃいけないんですけと、たまに会わなくなっちゃって・・・(笑)。でも最高な気分で歌っています。あなたも好きになって、奈保子と一緒に歌ってくださいね!」1981年7月26日 日比谷野外音楽堂 奈保子初の野外コンサートにて発売に先がけて「ムーンライト・キッスの歌唱指導を当日にタイトル名が決定されたホヤホヤの新曲「ムーンライト・キッス」の披露宴のとき、みんなでいっしょに歌いたい、ということで、奈保子自ら歌唱指導をする。「いいですか・・・ドンド、ドント、ドント・・・手拍子もお忘れなく!」勘のいいお客さんばかりなのか、はたまた覚えやすいメロディなのか、会場全員すぐ覚えてくれて、見事すばらしい大合唱。夜の野外ステージにぴったりな歌だった。ーーーーーーーーーーー↓ ムーンライト・キッスを歌う河合奈保子さん。ーーーーーーーーーーーーーーー1981年7月26日、日比谷野外音楽堂の河合奈保子さんのコンサートで、初めて新曲「ムーンライト・キッス」がお披露目された。↓ 日比谷野外音楽堂で歌う奈保子さん。ーーーーーーーーーーーー「奈保子しんぶん Vol.4 (発行 芸映プロダクション・芸映友の会・河合奈保子FC編集部)」↓ 河合奈保子さんの「ムーンライト・キッス」の紹介記事。↓ ムーンライト・キッスを歌う奈保子さん。↓ 1981年7月26日、日比谷野外音楽堂の河合奈保子さんのコンサートで、初めて新曲「ムーンライト・キッス」がお披露目された。
2023.04.29
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2023年2月から4月までに、購入して読んだ本です。備忘として残します。↓ シティ・ポップとラジカセ 70~80年代のカセットテープ・カルチャーを振り返る/徳間書店↓ 80年代アイドル総選挙! ザ☆ベスト100 総選挙結果発表/1980-1989 アイドルこころのベストテン/HERITAGE↓ 江戸の女子旅 旅はみじかし歩けよ乙女/谷釜尋徳著/晃洋書房↓ イギリス花粉学者の科学捜査ファイル 自然が明かす犯罪の真相/パトリシア・ウィルトシャー/訳・西田美緒子/白揚社↓ 2016年の週刊文春/柳澤健/光文社未来ライブラリー↓ 週刊誌風雲録/髙橋呉郎/文春新書/文藝春秋↓ 誰もしらないジブリアニメの世界/岡田斗司夫/SB新書/SB Creative↓ グループサウンズ/近田春夫/文春新書/文藝春秋↓ 詞と曲に隠された物語 昭和歌謡の謎/合田道人/祥伝社新書/祥伝社↓ 「シティポップの基本」がこの100枚でわかる!/栗本斉/星海社新書↓ ビートルズ/北中正和/新潮新書/新潮社↓ 松本隆 言葉の教室/延江浩/マガジンハウス↓ アメリカの大学生が学んでいる本物の教養/斉藤淳/SB新書/SB Creative↓ 牧野富太郎の植物愛/大場秀章/朝日新書/朝日新聞出版↓ ポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の誕生/稲田豊史/朝日新書/朝日新聞出版↓ シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界/立花隆/文春学藝ライブラリー/文藝春秋↓ 地理学者、発見と出会いを求めて世界を行く!/水野一晴/ちくま文庫/筑摩書房↓ 菅江真澄 図会の旅/菅江真澄/編・解説 石井正己/角川ソフィア文庫/KADOKAWA↓ 誰が日本のテレビを創ったのか 放送作家ほぼ全史/太田省一/星海社新書/星海社↓ ドリフターズとその時代/笹山敬輔/文春新書/文藝春秋↓ 私が愛した映画たち/吉永小百合/取材・構成 立花珠樹/集英社新書/集英社↓ 「仮面」に魅せられた男たち/牧村康正/協力・山田哲久/講談社↓ シン・仮面ライダー 映画パンフレット。↓真・英文法大全/関正生/KADOKAWA ↓ 激走!日本アルプス大縦断 密着、トランスジャパン アルプスレース 富山~静岡415㎞/NHKスペシャル取材班(著)/集英社文庫/集英社↓ 日本アルプス再訪/ウォルター・ウェストン/水野勉訳/平凡社ライブラリー/平凡社↓ 萩原編集長の山塾 実践!登山入門/萩原浩司/山と渓谷社↓ マンガでわかる 新しいランニング入門/中野ジェームス修一/マンガ 梓川ななぎ・サイドランチ/池田書店↓ 戦争案内 ぼくは二十歳だった/戸井昌造/平凡社ライブラリー/平凡社↓ 哀しいドイツ歴史物語 歴史の闇に消えた九人の男たち/菊池良生/ちくま文庫/筑摩書房↓ 昭和史の一級史料を読む/保坂正康/広瀬順晧/平凡社新書/平凡社↓ 艶本紀行 東海道五十三次/林美一/河出文庫/河出書房新社↓ 名城をゆく① 熊本城/小学館「名城をゆく」編集部・編/小学館101ビジュアル新書/小学館↓ 河童の対談おしゃべりを食べる/妹尾河童/文春文庫/文藝春秋↓ 河童のタクアンかじり歩き/妹尾河童/文春文庫/文藝春秋↓ 河童が語る舞台裏おもて/妹尾河童/文春文庫/文藝春秋↓ 週刊朝日 ’23.5.5 - 12 合併号。↓ 山と渓谷 2023年3月号/山と遭難 生きて帰るためのケーススタディ/山と渓谷社↓ 山と渓谷 2023年4月号/山岳装備大全2023/山と渓谷社↓ 山と渓谷 2023年4月号付録/登山者のための膝痛解決BOOK/山と渓谷社↓ 山と渓谷 2023年5月号/上高地案内/山と渓谷社↓ 捨てなくても大丈夫 愛するモノの囲まれて生きていく/宝島社↓ サライ 2023年5月号/地図でニッポン再発見/小学館↓ 葛飾北斎「東海道名所一覧」/サライ付録/絵堂から京都の全宿場を一望する鳥瞰図の傑作。↓ マンガと鉄道 鉄道が舞台のマンガを一挙紹介! 追悼 松本零士/旅と鉄道 増刊5月号/天夢人↓ 月刊天文ガイド 2023年3月号/誠文堂新光社↓ 月刊星ナビ 2023年3月号/アストロアーツ↓ 月刊天文ガイド 2023年4月号/誠文堂新光社↓ 月刊星ナビ 2023年4月号/アストロアーツ↓ 月刊天文ガイド 2023年5月号/誠文堂新光社↓ 月刊星ナビ 2023年5月号/アストロアーツ↓ 東京異景散歩 昭和20~30年年代の東京の闇を歩く!/辰巳出版↓ 幕末維新・明治・大正美人帖 愛蔵版/ポーラ文化研究所編/新人物往来社↓ 日経ビジネス 2023年2月6日号、2023年2月13日号/日経BP↓ 日経ビジネス 2023年2月20日号、2023年2月27日号/日経BP↓ 日経ビジネス 2023年3月6日号、2023年3月13日号/日経BP↓ 日経ビジネス 2023年3月20日号、2023年3月27日号/日経BP↓ 日経ビジネス 2023年4月3日号、2023年4月10日号/日経BP↓ 日経ビジネス 2023年4月17日号、2023年4月24日号/日経BP↓ the Japan teimes alpha / Feb 3, 2023, Feb 10, 2023 Feb 17, 2023, Feb 24, 2023↓ the Japan teimes alpha / Mar 3, 2023, Mar 10, 2023Mar 17, 2023, Mar 24, 2023↓ the Japan teimes alpha / Mar 31, 2023, Apr 7, 2023Apr 14, 2023, Apr 21, 2023↓ the Japan teimes alpha / Apr 28, 2023
2023.04.28
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「月刊平凡 GOLDEN BEST!! Vol.1 河合奈保子写真集 再会の夏/マガジンハウス/2016年8月31日 第1刷発行」を持っています。「購入者特典!! 河合奈保子B2特大ポスター10+3タイプが購入できる!」という企画が帯に記載されており、ポスターの写真が紹介されています。この「再会の夏」(河合奈保子写真集)ですが、奈保子さんの野球チーム「ダックリン」のユニフォームを着た奈保子さんの写真が掲載されています。ーーーーーーーーーーー↓「月刊平凡 GOLDEN BEST!! Vol.1 河合奈保子写真集 再会の夏/マガジンハウス/2016年8月31日 第1刷発行」。↓ 野球チーム「ダックリン」のユニフォームを着た奈保子さん。
2023.04.27
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「音楽専科臨時増刊 アイドルNo.1 part7 河合奈保子 チェリーピンクのプチハート/音楽専科社/昭和58年(1983年)2月23日発行」を持っています。河合奈保子さんの素敵な写真が沢山入っていますが、その中に、自分の野球チーム「DUCKLIN:ダックリン」のユニフォームを着てポーズをとっている奈保子さんの写真があります。↓ 自分の野球チーム「DUCKLIN:ダックリン」のウェアを着てポーズをとっている奈保子さん
2023.04.26
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1982年に結成された、河合奈保子さんの野球チーム「DUCKLIN : ダックリン」について、手元にある雑誌の切り抜きに記事がありました。奈保子さんの発言を記事にした形になっていますが、雑誌記者がほとんど作文をしているなと思います。記事を紹介します。”DUCKLIN”(ダックリン)って知っていますか? 訳するとヒヨコブタではありませんよ。アヒルの子。奈保子の野球チームの名前で~す。奈保子にピッタリでしょ。奈保子はねェ、野球がとても好きなんです。プロ野球はもちろん巨人ファン。お父さんは阪神ファン。プロ野球12球団の球団名だってちゃんと言えますよ。でもネェ、奈保子が一番好きなのは高校野球です。一生懸命グラウンドで汗をかいている高校野球児を見ていると胸がキュンと熱くなってしまいます。もし奈保子が男だったら、間違いなく野球をやっていたでしょうネ。(ダレ、運動神経がないから無理なんていう人は。努力すれば、為せば成るもんですよ)なんで、野球に対する思いがつのって、奈保子の新チームができました。まだ一度も試合をやったことがないんですけど、練習だけは十分こなしています。春のコンサートで地方にいった時も、スタッフの人たちと三角ベースで野球をやっているくらいウォーミングアップ十分です。奈保子ねェ、もう試合がしたくて、ウズウズしているんです。試合の申し込みはいっぱい来ているんですけど、初戦の相手は弱い方がいいですよネ。まず一勝したいもの・・・。皆さん知っていますよネ。奈保子7月24日で19歳になりました。もう10代もあと1年。少しは女らしくなんて思ってはいるんですが、やっぱり奈保子らしく、あと1年思いっきりいたずらをします。急におしとやかになったらおかしいですよネ。ァッそうだ。7月21日にLPがでました。「サマーヒロイン」聞いてくれました?いまとっても充実しています。だって7月25日(沼津市民会館を皮霧に全国18カ所)から、奈保子が大好きなコンサートが始まります。夏休みにあなたのもとへ19歳の奈保子がお伺いします。待ってて下さいネ。↓ ユニホームできた! 気分は原選手。特訓が終わったら、晴れ姿みせますよォ。↓ ”ダックリン”のエースで4番はもちろん奈保子、ユニフォーム姿もバッチリ決まってるゾ。チームの牽引者ともなると、秘密の特訓でレベルアップ、汗にまみれた奈保子カワユ~イ。
2023.04.25
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河合奈保子さんが野球を楽しむ記事の切り抜きがあったので、紹介します。「ナイス・ヒット! 河合奈保子野球チーム誕生」「日ごろからなにかスポーツをやりたい、といっていた奈保子ちゃんが、はじめて野球に挑戦!ユニフォームもビシッときめてグランドにさっそうと登場して、みんなの先頭をきってランニング開始。いつもは走るのが嫌いで最後をヨタヨタと走っているのが奈保子ちゃんんなのですが、今日は自分から言いだしたことなので、はずむような走りっぷりでランニング。終わったあとはキャッチボールで肩ならし。でも、はじめての野球なので、ボールを投げても相手にとどかなかったり、投げる方向がバラバラでひと苦労。つぎはバッティング。5回振ったら1回はかするかナアっといった感じの打撃ぶり。でもボールになれるにしたがって、外野へライナーがとんだりしてごきげん。体力にものをいわせて飛ぶんですよね。次回が楽しみ! (フォト本紙/瀬志本邦彦氏、協力/美津濃スポーツ)」野球チームの帽子を見ると、河合奈保子さんが当時歌っていた時に、マイクスタンドに付いていた黄色いハートマークがあります。また、奈保子さんのシャツの腕の部分にも付いています。1981年夏頃に撮影されたのではないかと思います。奈保子さんは1981年10月5日、NHKホールの「レッツゴーヤング」のリハーサル中、舞台にあった迫(せり)だし部分の穴から4メートル下に落ちて、第一腰椎圧迫骨折となり、入院しました。この切り抜き記事は、その事故より前の撮影だと思います。奈保子さんは入院、療養から復帰し、1981年末の紅白歌合戦も、コルセットを付けたまま「スマイル・フォー・ミー」を歌いました。奈保子さんの野球チーム「ダックリン:DUCKLIN」は、復帰後の1982年に結成されました。ーーーーーーーーーーーーー手元にある雑誌の切り抜きより。↓ バットを振る河合奈保子さん。↓ 「ナイス・ヒット!」河合奈保子野球チーム誕生。↓ かまえはよさそうだけど、なんかグリップがゆるそうで、打てばボールよりバットが飛んでいきそう。ピッチャーも奈保子ちゃんの笑顔を見れば、スピードもゆるくなっちゃってヘナヘナボールでヒュルヒュル。そこを見逃さずバシッと打てば、ボールがバットにあたっていって(!?)”ナイスバッティング!”↓ 運動神経ゼロを自認(!?)するだけあって、奈保子ちゃんの野球は、ハチャメチャ! 何回空振りしてもバッターボックスから離れようとせず、結局あたるまでビュンビュン。あたったらハシャイじゃって走るの忘れてアウト! ベンチの白ーい目を、ニコヤカに受けるからみんなガクッ!「野球って楽しいわァ」。↓ オッドロくほどおしとやかにかまえて「ハーイ、いくわよおー! アッ、ごめーん。またボールがそれちゃったァ」キャッチボールも一方通行。投げる目標が定まらないから、結局うける方は3人がかり。あっちこっちよーく走ってたよねえ。また奈保子ちゃんが受けるときがたいへん。グローブを持ってても、素手の方でボールを捕りに行っちゃうからヒヤヒヤ。奈保子ちゃん、グローブでボールを受けてから手をそえるんだよ。手の平が丈夫なのかなあ。↓ 帽子とシャツの肩に、黄色いハートマークが付いている。↓「勝った!負けた!なんて、問題じゃないの。スポーツをやることが大事なのよネ!」ニコニコ顔の奈保子ちゃんのあとを行くチームメートの足は、心なしか重たそう。勝負の結果は・・・? それは聞かない方がよさそう。なんてったってデビュー戦だもんね!ーーーーーーーーーーー当時、河合奈保子さんが舞台で歌っていた時に、奈保子さん用マイクスタンドに付いていたハートマーク。奈保子さんの服の色に合わせて、黄色や赤色のマークに変わった。↓ 「スマイル・フォー・ミー」を歌う奈保子さん。赤い衣装なので、スタンドマイクのハートマークは、目立つ黄色。↓ マイクスタンドに黄色のハートマークが付いている。マイクもスタンド部分も黄色。
2023.04.24
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河合奈保子さんがバットでソフトボールを打つシーンが、雑誌の切り抜きにありましたので紹介します。1981年春の奈保子さんです。記事には下記記載がありました。雑誌記者が書いたもので、奈保子さんのコメントではないと思います。「わたしってねエ、”運動神経まるでダメ!”みたいに言われていますけどね。ホントはそうもないんですよ。バレーボールだってソフトボールだって、ホラこの通り、うまいもんでしょう。格好もサマになっててピタッと決めちゃうんだから。バットとボールがぜんぜんかすりもしないなんてことはありませんよ。体で打つからすぐホームランだろう、なんて言うのダレ!?半ズボンで動き回ってもすぐに額から汗が・・・。いい運動してるわよ!」↓ 河合奈保子さん。リフレッシュ!春いっぱいすいこんじゃえ。河合奈保子・オフのシーン。
2023.04.23
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1980年4月に松田聖子さんが「裸足の季節」でデビューし、同年6月には、河合奈保子さんが「小さな森の小さなお家」でデビューしました。そして、2人ともそれぞれ野球チームを持ちます。松田聖子さんは「PePe : ぺぺ」で、河合奈保子さんは「DUCKLIN : ダックリン」です。まずは松田聖子さんの草野球チーム「PePe」について、切り抜き記事があるので紹介します。ーーーーーーーーーーー草野球チーム"PePe"第1戦 完全独占中継 松田聖子「3打数2安打。聖子の笑顔、快晴!」ファン・クラブのメンバーといっしょに、草野球チーム”PePe : ぺぺ”を結成して、さっそく第1戦にのぞんだ。相手はかなり強豪。さあ、聖子監督のプレーと采配ぶりにシッカリ注目。「小・中学生の頃に、授業でソフトボールはやったことがあるけど、野球はまるで初めてなの」という聖子。だけど、経験の無さはやる気でカバーして、走・攻・守に大ハッスル。~ソフトボールでは強打者だったというだけあって、聖子のバッディングセンスはかなりのもの。珠にさからわず、確実に右方向へ飛ばしていく。もっとも、聖子だけは三振なしの特別ルールだけれど・・・。ベンチにいても聖子はいつも声を出して選手を応援している。それに、フライをぽろっとやるごあいきょうもあったりして、何とも楽しい試合だったよ。 ↓ 松田聖子さんのヒッティング。↓ 一回表、トップバッター打席に登場した聖子。みごとライト前ヒットを打ち、そのあと二塁へ盗塁。3番バッターの二塁打で、三塁ベースをけってホームへ突入。チーム最初の得点は、聖子自身で手に入れたよ。↓ フライをポロリ。↑ みなさん お元気ですか。みなさんのおかげで、トップアイドル賞をいただくことができました。本当にありがとうございました。この賞は一番欲しかった賞なので、それをみなさんに投票していただいて一位になれたということは、本当にうれしいです。みなさんの応援にどうお応えしようかと、いろいろ考えたんです。そして、野球チームを作って、みなさんといっしょに楽しもうと決めました。私、ぜんぜん上手じゃないけど、あなたの街で試合する機会があったら、いろいろ野球のこと教えて下さいネ。楽しみにしています。本当にありがとうございました。これからも応援してください。松田聖子
2023.04.22
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2023年大リーグが2023年3月30日(日本時間31日)に開催しました。2023年3月28日付朝日新聞朝刊に、大リーグで活躍する日本人選手のリストがあり、参考になります。また、オリックスやエンゼルス、マリナーズで投手として活躍した長谷川滋利さんのコラムがありました。
2023.04.21
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2023年3月21日、第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本が米国に3対2で競り勝ち、優勝しました。色々な新聞で、必ず「栗の樹ファーム」の事が記されているので、一部を紹介します。ーーーーーーーーー1)2023年3月23日付朝日新聞朝刊 (一部抜粋)栗山流「一丸」の結晶 少年野球場が原点 つないで力に(マイアミ=山口史朗氏)「あれ(栗の樹ファーム)をつくっていなかったら、僕はきっと監督になっていない」札幌市から東へ、車で約1時間。北海道栗山町の丘陵地にある少年野球場のことだ。東京都出身で、北海道にゆかりのなかった栗山が、この地に居を構え、「栗の樹ファーム」を開いたのは20年ほど前になる。1999年。「同じ名前」だという縁で、街の青年会議所(JⅭ)から観光大使を依頼された。栗山も町が気に入った。現役選手を引退して以来抱いていた「夢」を、地元の人たちに語った。映画「フィールド・オブ・ドリームス」のような、緑豊かな野球場をつくりたいと。主人公の男性が、トウモロコシ畑をつぶして野球場をつくる。その球場に過去の野球選手や試合を観戦する人ら、大勢の人が集まってくる物語だ。亡くなった主人公の父親も現れ、親子でキャッチボールをする一幕がある。父とのキャッチボールは、栗山にとっても野球をはじめた原点だった。栗山は米アイオワ州の映画ロケ地を訪ねたことがある。日本と台湾、米国の子供達がいた。気がつけば、言葉の通じない子ども同士が、試合のような形で遊んでいた。その光景が忘れられないでいる。「野球の意味を感じさせられた。外国の人も、みんなが仲間なんだと」栗山は私費を投じ、町の人たちの協力もあって荒れ地を整えた。2002年、芝を種から育てた両翼70メートルの野球場が完成した。野球教室や大会を開いた。誰でも気軽にキャッチボールしてほしいと、球場入口にグラブやボールを置いた。2011年秋、日本ハムから監督就任の要請が届いた。栗の樹ファームでの活動、スポーツキャスターとして野球に真摯に向き合う姿が、誰よりも野球を愛していると映ったからだという。そんな人が率いる日本代表に、ダルビッシュ有(パドレス)、大谷翔平(エンゼルス)ら最高の選手が集まった。日系米国人の大リーガーも初めて代表に入った。栗山の肝煎り、ラーズ・ヌートバー(カージナルズ)は日本語を話せない。9日にあった中国代表との大会初戦。一回、1番打者ヌートバーのヒットにベンチも観客も沸いた。その一体感は、栗山がアイオワで見た子供たちの姿に通じるものだった。↓2023年3月23日付朝日新聞朝刊。 ーーーーーーーーー2)2023年3月23日付スポーツニッポン 一部抜粋(秋村誠人氏)名前が同じ縁で交流が始まった北海道栗山町に野球場を造ったのは2002年。その背中を押したのが、映画「フィールド・オブ・ドリームス」だった。1999年、映画の舞台の米アイオワ州のトウモロコシ畑の中の野球場を訪れた時に「違う国の子供たちが、言葉が通じないのに仲良く野球をしてた。野球って凄い」と感激。私財を投じて映画と同じ天然芝の野球場を造り「栗の樹ファーム」を開場した。アイオワを訪れてから24年。栗山監督はマイアミで同じ言葉を口にした。準決勝の劇的な逆転サヨナラ勝ちに「野球ってすげえな」と、この夜も大谷対トラウトでのゲームセットに「野球って凄い」と。映画のような夢を見せてくれる野球に心酔した。映画はケビン・コスナー演じる主人公が「それを造れば、彼が来る」という声を聞いて野球場を造ると、往年の名選手がやってきて最後に「彼(仲たがいしたまま他界した父)」が現れる。栗山監督は、栗の樹ファーム開場の10年後に日本ハム監督、その10年後に侍ジャパン監督に就任した。「それを造ったら、ユニホームを着た自分と、”監督と野球ができて良かった”と言ってくれる全ての選手たちが現れた」。大谷と出会い、メジャーへ巣立った愛弟子と米国を倒して世界一になった。それは「フィールド・オブ・ドリームス」そのものだ。(秋村誠人氏)【フィールド・オブ・ドリームス】1989年公開の米国映画。ケビン・コスナー演じるアイオワ州の農民レイ・キンセラは「それを造れば、彼が来る」という不思議な声を聞く。周囲の反対を押し切り野球場を造ると、シューレス・ジョー・ジャクソンら、伝説の選手たちがトウモロコシ畑から現れる。その中に若き日の父親を見つけてキャッチボールをするという、野球の題材に夢や希望、親子の絆を描いた幻想的な作品。アカデミー賞3部門ノミネート。↓2023年3月23日付スポーツニッポン↑ 1999年、トウモロコシ畑の中へ消えていく栗山監督(中央)ーーーーーーーーーーーーー3)2023年3月23日付日刊スポーツ魂を次世代に 栗の木に込めた使命 (古川真弥氏)昨秋、栗山監督は大忙しだった。代表監督としてではなく、大自然で暮らす一人の人間として。「ネズミにかじられないようにね。全部、巻いたよ」。名字が同じ縁で北海道・栗山町に住む。町の人たちと力を合わせて開いた「栗の樹ファーム」は、天然芝の球場とともに緑にあふれている。昨年5月、新たに100本の栗の苗木を植えた。1本1本に動物よけのす巻きを施した。冬の間、餌代わりにかじられないよううに。苗木はドラマ「北の国から」で知られる脚本家の倉本聰氏から送られた。日本ハム監督を10年率い、北海道を盛り上げてくれたことへの感謝だった。その1本を、ファーム入り口脇に植えた。送り主への敬意をこめて「聰師栗木」の看板とともに。↓ 2023年3月23日付日刊スポーツ↑ 北海道・栗山町の栗の樹ファーム入口脇に植えられた、倉本聰氏寄贈の栗の木。
2023.04.20
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2023年3月23日付日刊スポーツで、栗山監督と京セラの創業者・稲盛和夫氏に関する記事(古川真弥氏)があり、とても興味深く、何度も繰り返して読みました。私も人生でやりたいことは、いつかやろうという気持ちだと後悔する事になるので、積極的にどんどんやるべきだと思いました。記事を紹介します。ーーーーーーーーー目の前の光景は、栗山監督の想像を超えた。「野球って本当にすごい。人生を表現している。翔平が頑張ってきた形がつながった」。大谷が同僚トラウトを空振り三振に仕留め、世界一に。「去年からいろんなことは考えていた」が、自身も驚く劇的なフィナーレだった。原動力は、痛烈な”後悔”だった。2019年1月29日。その日付を忘れられずにいる。京セラの創業者・稲盛和夫氏に会えるはずだった。著書を読み込む人生の師、ぜひ会いたかった。日本ハム7年目の指揮を終え、ついにアポが取れた。だが前日に稲盛氏が体調を崩し、キャンセルになった。「俺の行動が遅れたからだ。亡くなられて、もう会えない。人としてダメ出しされた。『あなた、大変なこと、しましたよ。早く行動しないために、人生で一番大事なものを失いましたよ』と」せめてもと京都の本社に行き、周りの人に話を聞いた。それでも悔恨の情は消えない。それからだ。「やらなきゃいけないことは確実に早くやる」。WBCも、そう。「勝ち負けは分からないけど、大会までに必要と思うことは絶対にやり切る」と自分に誓った。プロアマ問わず現場に足を運んだ。安易な道は選ばない。昨年3月の強化試合では大学生も選出。「正直言えば、無難にやっておく方が文句も言われない。だけど、それは失礼。代表監督に信任された。やる責任がある」。「侍」に学生野球の父・飛田穂洲の言葉「無私道」を重ねる。10年間の激務からか、日本ハム監督を勇退後、心臓の手術を受けた。それでも重責を引き受けたのは、”私”よりも大事なことを感じたから。2月の宮崎強化合宿集合日、選出1人1人に直筆の手紙を送った。筆を執り、和紙に期待する役割をしたためた。2023年3月21日。日本では同22日。あの日から1513日。”後悔”は”歓喜”に変わり、マイアミに10度、舞った。「最後のユニホームだと思っている」と明かすと「これ以上ない、最高のサムライです!」と締めた。悔いなく、戦いを終えた。【古川真弥氏】ーーーーーーー↓ 2023年3月23日付日刊スポーツ栗山監督引退。「痛烈な後悔を胸に重責はたし マイアミの歓喜10度舞い」
2023.04.19
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2023年3月18日付朝日新聞朝刊の「時々刻刻」で、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)空前の盛り上がりの裏に何があったのかとして、プロ野球取材班、編集委員・稲垣康介氏の記事があり、面白く拝見しました。記事の中で、今回のWBC日本代表監督がどのように決められたかが書いてあります。一部を紹介します。球界に東京五輪金メダルの余韻が残る2021年9月。プロ・アマでつくる「侍ジャパン強化委員会」が開かれた。この第5回WBCに臨む日本代表の編成が議題だった。大会創設から2連勝した「侍ジャパン」は、13年の第3回大会、17年の第4回大会と4強敗退。五輪の優勝で、WBCでの3大会ぶり世界一への期待は膨らんだ。球界関係者によると、東京五輪監督・稲葉篤紀の後任選びは、プロ側が主導権を握った。10月まで数回開催された「小委員会」で、50~60人の名前が挙がったという。上原浩治、藤川球児、松坂大輔、江川卓・・・・。年齢や指導者経験の有無が考慮された。残った候補は、髙橋由伸、工藤公康、緒方孝市、秋山幸二といったプロ野球の監督経験者ら10人程度。その中で白羽の矢が立ったのが、栗山英樹だった。ナショナルチームを率いるには、選手時代の実績が乏しい印象だ。だが、21年まで10シーズンにわたって日本ハムを率い、12球団の選手の特徴をよく把握している。日本ハムで、栗山が監督、稲葉は選手という間柄だったため、引き継ぎもスムーズ。なにより、栗山以外に持ち得ない「人脈」への期待が大きかった。日本ハムで「投打二刀流」への道筋をつけた大谷翔平(エンゼルス)との「師弟関係」である。ダルビッシュ有(パドレス)も日本ハム出身。それでも、過去の大物大リーガーの動向からすると、2人がWBCに出場することはなさそうだ、とみられていた。日本代表監督に就いた栗山は、米国にいる彼らを訪ねた。そして事態が動き出す。22年11月、大谷がインスタグラムでWBC出場を表明。後に「決断する容易さ、しやすさは栗山監督だったからこそ」と語った。12月にはダルビッシュもツイッターに「栗山監督に『来年のWBCに出場しなさい』と言われた」とつづった。この2人の目玉選手の参加により、WBCへ注がれる世間の熱は高まった。↓ 2023年3月18日付朝日新聞朝刊の「時々刻刻」。
2023.04.18
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第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本3ー米国2として、日本が優勝した事を受け、2023年3月23日付のスポーツニッポンに、栗山監督の「本紙に寄せた色紙」と、独占手記の紹介がありました。色紙には「至誠にして動かざる者はいまだ之れ有らざるなり」という言葉が書かれています。中国の孟子の有名な言葉で、誠意を尽くして接すれば、動かない人など今まで誰もいない」という意味です。スポーツニッポンに記載されている独占手記の一部を紹介します。夢だったのか、イメージしていたのか自分でも分からない。最後のマウンドで翔平がガッツポーズしているシーンは以前から頭にあった。それが現実になってくれた。でも、実は肝心の最後の巣g多は見ていない。トラウトが空振り三振したのを確認し「よっしゃー!」って、ベンチでコーチたちと抱き合った。想像していたのは、ダルビッシュが両手を広げて喜ぶ2009年のWBC決勝のシーンの姿だ。後で、翔平がクラブと帽子を投げ捨てて派手に喜んでたと聞いて、本当に良かったなぁと改めて思った。1点リードの9回。ダブルプレーで2死となり、最後の打者がトラウトとなった時、「あっ、これは勝つんだろうな」と自然に思った。翔平がトラウトを打ち取って世界一が決まるこんな場面は誰が意図してもつくれない。きっと翔平たちが苦しみ、頑張ってきたことを野球の神様が認めてくれたからなんだろう。~ それにしても、これだけのメンバーがよく集まり、みんなが一体となり、ひたすら一生懸命に野球をやってくれた。今回の手記にあたり、吉田松陰が好んだ言葉「至誠にして動かざる者はいまだ之れ有らざるなり」を書かせてもらった。誠意をもって伝えれば、あれだけの選手が動いてくれる。人って凄い。そう感じた大会でもあった。不振で苦しんだ宗隆(村上)とは話し、メールも送った。準決勝の1点差の9回。無死一、二塁の場面、送りバントで牧原も用意させていた。でも、違う。自分の中にふっと降りてきた。「最低でも外野フライで走者を三塁に進めてくれる」と。それに最高の形で応えてくれた。そして今日の同点アーチ。彼は世界が驚く打者なんだ。ーーーーーースポーツニッポンでは、色紙の言葉について、次の紹介がありました。吉田松陰が好んだ孟子の一節「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」幕末の志士、吉田松陰が特に好んだ孟子の一節として知られる。「精いっぱいの誠意を持って尽くせば、動かなかった人など、今まで誰もいない」という意味。栗山監督は歴史上、最も好きな偉人として吉田松陰を挙げている。↓ 2023年3月23日 スポーツニッポンより。
2023.04.17
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2023年3月11日、第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本対チェコ戦が行われました。試合中、佐々木朗希投手の投げた162キロのボールが、チェコのウィリー・エスカラ選手の膝に当たりました。エスカラ選手は痛みをこらえながらも、歩けるアピールをしたので、皆安堵して拍手を送りました。3月13日に、チェコチームがバスで球場に行く前、佐々木朗希投手がホテル前でエスカラ選手に会い、ロッテのお菓子を2袋渡して、直接謝罪しました。サインしたボールを渡し、2人で記念写真をしました。これについて、チェコ野球協会のツイッターにも記載されました。二人の笑顔の写真を見て、なんだか嬉しくなりました。↑ チェコ野球協会 @Baseball Czech佐々木朗希さんは、オフの日にもかかわらず朝早くに起きて、チェコチームが野球場に出発する前に、ウィリー・エスカラさんに会うためホテル前で待っていた。彼はウィリーさんの膝に「ロケット」球を誤って当ててしまったことを個人的に謝罪し、お菓子の入った袋を2つも持って来た。尊敬だ!↓ 佐々木朗希さんとウィリー・エスカラさん。
2023.04.16
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2023年3月25日、東京ドームに併設されている野球殿堂博物館に行き、「2023 WBC 日本代表 侍ジャパン」として、メンバーの写真が掲示されていました。
2023.04.15
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2023年3月25日、列に3時間以上並び、野球殿堂博物館で2023年第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)優勝トロフィーを見ました。トロフィーの上部には、手垢が付いています。ガラスケースには、2023年、2006年、2009年の優勝トロフィーが並んでいました。記念ボールも展示されています。以前のブログで、中国、韓国、チェコ、豪州、イタリア戦のウイニングボールを紹介した事があるので、今回はメキシコ、アメリカ戦のウイニングボールを紹介します。ーーーーーーーーーーーー↓2023年第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)優勝トロフィー。上部右側に、手垢が付いているのが見える。↓ 優勝トロフィー。(前)2023年優勝トロフィー、(左奥)2006年優勝トロフィー、(右奥)2009年優勝トロフィー。↓ 侍ジャパン 栗山英樹監督ユニフォーム。2022年モデル(ホーム用)ーーーーーーーーーー↓ 2023WBC 準決勝 メキシコ戦。村上宗隆 サヨナラヒットのボール。日本は4回に3ランホームランで先制を許す苦しい展開になるも、7回に吉田正尚の3ランで同点とした。しかし、直後の8回に2点を許すも、その裏、山川穂高の犠飛で1点を返した。4-5で迎えた9回裏、大谷翔平が二塁打で出塁しチームを鼓舞すると、村上宗隆が逆転のサヨナラ二塁打を放ち、日本が6-5で3大会ぶりの決勝進出を決めた。ーーーーーーーーーーーーー↓ 2023 WBC 決勝 アメリカ戦ウイニングボール。日本は2回にターナーのソロ本塁打で先制されるも、その裏、村上宗隆のソロ本塁打とラーズ・ヌートバーの内野ゴロの間に1点を追加し逆転に成功した。4回には岡本和真のソロ本塁打で3-1とリード。投げては先発今永昇太から4投手がつなぎ8回はダルビッシュ有、9回は大谷翔平が抑えて3-2で3回ぶり、3度目の世界一を獲得した。ーーーーーーーーーーーーーーー↓ 野球殿堂博物館を出た。↓ 東京ドーム。
2023.04.14
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2023年3月25日、WBC優勝トロフィーを見るため野球殿堂博物館に行きました。博物館内は人だらけで、通路には歩くルートがテープで貼ってありました、それに沿って少しずつ前に進みます。途中で殿堂入りされた方のプレートが並んでいました。私は広島に住んでいたことがあり、広島市民球場にはよく試合を見に行きました。広島カープに関係する方で、気が付いた方の殿堂プレートを写真に撮りました。(プレートに気が付かなかった方も数名おられますが、ご容赦下さい)↓ 野球殿堂博物館の一角にある、殿堂プレート。ーーーーーーーーーーーーー広島カープに関係する方で、気が付いた方の殿堂プレートを写真に撮りました。↑ 【石本秀一】大正初期、広島商業の投手として全国大会で活躍、大正12年から母校の監督となり、卓抜した精神教育で選手を指導し、長らく同校に栄誉をもたらした。のちプロ野球界に入り、阪神、金鯱、旧大洋、旧西鉄、太陽、広島の監督を歴任。また数球団のコーチをつとめた。多年にわたり球団の指導強化につくした功績は大きく、その門下から数多くの逸材が生まれた。↑【廣岡達朗】実力と人気を兼ね備えた遊撃手として、早大から昭和29年、巨人に入団。同年112試合出場、107安打、本塁打15、打率.314で新人王となり、その華麗な守備がさらに人気をよんだ。現役引退後、巨人、広島、ヤクルトのコーチを経て、昭和53年ヤクルト監督として球団史上初のリーグ優勝と日本一を達成した。また昭和57年、58年には西武で日本シリーズを制覇し、両リーグにわたる優勝で指導力を高く評価される。↑ 【古葉竹識】カープの黄金時代を築いた名監督。日鉄二瀬から昭和33年に広島カープに入団。昭和45年、南海に移籍、盗塁王2回、ベストナイン1回獲得。コーチを経て昭和50年にカープの監督に就任したが、早くもこの年、球団創立後初のリーグ優勝を果たした。カープ在任11年でリーグ優勝4度、日本シリーズ制覇3度、昭和62年からは、3年間横浜大洋監督を務め、監督通算873勝利を記録した。↑【根本陸夫】法政大学からノンプロを経て、昭和27年近鉄に捕手として入団。実働年数は4年と短かったが、昭和37年から近鉄、広島でコーチ、昭和43年から広島、クラウンライター、西武、ダイエーの4球団で監督を務めた。その手腕は、現場の指揮官からフロント入りしてさらに発揮された。西武、ダイエーでチームづくりの責任者として、幅広い人脈や行動力を駆使して基礎を築き、のちに訪れる黄金時代に導いた。↑【長谷川良平】ノンプロから昭和25年、広島カープ創立とともに入団。1年目に早くも15勝をし、以後8年連続2ケタ勝利をあげる。昭和30年には30勝し、最多勝を獲得。身長167cmの小柄ながら、切れ味鋭いシュートを駆使して、「小さな大投手」と呼ばれ、エースとして長年にわたりチームを支えた。実働14年で197勝、1564奪三振、防御率2.65を記録した。昭和40年途中から3年間、広島の監督を務めた。【松田耕平】昭和45年に広島東洋カープのオーナーに就任するや、大リーグの教育リーグへの選手派遣、球団初の海外キャンプの実施、球界初の外国人監督の起用など、大リーグを手本に球団改革を推し進めた。平成2年にはドミニカ共和国に「カープ・ベースボール・アカデミー」を設立、国内外での選手育成に力を注ぐなど先駆的な球団経営を推進した。球団創設26年目の昭和50年に悲願の初優勝を成し遂げ、リーグ優勝6度、日本一に3度輝くなど「赤ヘル黄金時代」を築いた。↑【関根潤三】法政大学時代に来日したサンフランシスコ・シールズ戦に、六大学選抜軍の投手として出場し、延長13回を投げたが2-4で惜敗する。昭和25年に投手として近鉄に入団し、昭和32年からは打者に転向した。防御率ベストテン入り1回、打撃ベストテン入り5回、オールスター出場5回のうち、昭和28年は投手で、昭和38年は打者としてファン投票で選出された。引退後はコーチ、監督として若い選手の育成に努めた。監督を退いてからは、テレビ解説者として、長年にわたり活躍。↑【山本浩二】大学時代は、田渕、富田と共に「法制三羽ガラス」と呼ばれ、黄金時代を築く。1969年ドラフト1位で広島に入団し、1年目からレギュラー選手として活躍。1975年には打率.319、30本塁打を記録して首位打者を獲得、広島を初優勝に導き、MVPに選ばれた。1977年からは5年連続40本塁打以上をマークし、本塁打王を4回獲得するなど「ミスター赤ヘル」と呼ばれ、球界を代表する選手として活躍した。↑【北別府学】1976年に都城農業からドラフト1位で広島に入団。3年目に10勝をあげ、以来エースとして11年連続2桁勝利をあげる。チームが初の日本一となった1979年は、チーム最多の17勝。1982年に開幕から11連勝、初の20勝をあげ最多勝を獲得、沢村賞にも選ばれる。1986年には最多勝、最優秀防御率、MVPを獲得し、チームのリーグ優勝に貢献、2度目の沢村賞を獲得する。抜群の制球力で、球団初の200勝投手となり、引退後は広島で投手コーチを務めた。↑【津田恒実】南陽工業から協和発酵を経て、1982年にドラフト1位で広島に入団。1年目から19試合に先発し、11勝6敗で新人王を獲得。肩の故障から復活後、1986年にリリーフに転向、4勝22セーブでカムバック賞を受賞。1989年には12勝28セーブで最優秀救援投手のタイトルを獲得した。オールスターにも5回出場、10回1/3を投げ失点0、12奪三振を記録。攻めに徹した投球は、”炎のストッパー”と呼ばれた。1993年7月、脳腫瘍のため32歳の若さで帰らぬ人となった。↑【大野豊】軟式野球の出雲信用組合から、1977年にドラフト外で広島に入団した左腕投手。先発、リリーフとして活躍。1988年に防御率1.70で最優秀防御率のタイトルを獲得し、沢村賞に選ばれる。1991年に6勝26セーブ32セーブポイントで最優秀救援投手となる。1997年は防御率2.85で2度目の最優秀防護率のタイトルを獲得。実働22年間で広島の3度の日本一と5度のリーグ優勝に貢献した。↑【外木場義郎】1964年に広島に入団。1965年、プロ初勝利をノーヒットノーランで飾る。1968年には完全試合、1972年に3回目のノーヒットノーランを達成。完全試合1回を含む3回の達成は、プロ野球史上初となる。1975年には20勝、193奪三振で最多勝、最多奪三振のタイトルを獲得し、沢村賞にも選ばれる活躍で、広島球団創立以来初のリーグ優勝に貢献した。
2023.04.13
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2023年3月25日、野球殿堂博物館に行きました。大谷翔平選手が日本ハムファイターズで活躍した時の、ユニフォームやボールなどが展示されていました。2015年のWBSC プレミア12のユニフォームもありました。ーーーーーーーーーーーーー野球殿堂博物館(2023年3月25日)日本ハムファイターズ時代の、大谷翔平選手の用具類。↓ 大谷翔平選手の日本ハムファイターズ着用ユニフォーム(2014年)↓ 大谷翔平選手のサイン。↓ 大谷翔平選手 使用バット。↓ 大谷翔平選手 サイン。↓ 大谷翔平選手 プロ野球先発第一球。2013年5月23日、札幌ドームで行われたヤクルト戦でプロ野球初登板初先発。5回2失点で勝敗は付かず。↓ 大谷翔平選手 2017年最終登板使用球2017年10月4日、札幌ドームで行われたオリックス戦に「4番・投手」で先発。9回を投げて2安打10奪三振で完封し、打っては4打数1安打で先制の得点を上げるなど投打で活躍。メジャー移籍前最後の登板を飾った。↓ 大谷翔平選手 使用スパイク。ーーーーーーーーー大谷翔平選手。後ろは来日ベーブルースのポスター。ーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 2015年のWBSC プレミア12 大谷翔平選手のユニフォーム(ホーム用)。
2023.04.12
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第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本が優勝しました。優勝トロフィーが野球殿堂博物館に、期間限定で展示されると聞いたので、2023年3月25日午後に博物館へ行きました。野球殿堂博物館の入り口は長蛇の列ができており、最後尾はドームの2階でした。14時50分頃に並び始め、博物館の入り口は17時頃でした。ところが博物館の中も列ができており、トロフィを見たのは18時過ぎでした。行列に並んでいる時、ドームの上部から垂れている幕を見ていました。「読売ジャイアンツ 日本一」の幕で、1963年から1989年の日本一垂れ幕を撮影したので、記録に残しておきます。一部取り忘れた垂れ幕があるかもしれません。 ↓東京ドームの遊園地。2023年3月25日。↓ 東京ドーム。↓ 1953年 巨人日本一 水原茂監督。↓ 1955年 巨人日本一 水原茂監督。↓ 1963年 巨人日本一 川上哲治監督。↓ 1965年 巨人日本一 川上哲治監督。↓ 1966年 巨人日本一 川上哲治監督。↓ 1967年 巨人日本一 川上哲治監督。↓ 1968年 巨人日本一 川上哲治監督。↓ 1969年 巨人日本一 川上哲治監督。↓ 1971年 巨人日本一 川上哲治監督。↓ 1972年 巨人日本一 川上哲治監督。↓ 1973年 巨人日本一 川上哲治監督↓ 1981年 巨人日本一 藤田元司監督↓ 1989年 巨人日本一 藤田元司監督↓ 野球殿堂博物館入口。
2023.04.11
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2023年3月22日(米21日)第5回WBA(ワールド・ベースボール・クラシック)決勝戦があり、日本が3対2でアメリカを破り、優勝しました。試合後のインタビューで、大谷選手がエー・ロッドさん、オルティーズさんに囲まれてインタビューを受けました。エー・ロッド(A・Rod)さんは、アレックス・ロドリゲス(Alex Rodriguez)選手の愛称で、ニューヨーク・ヤンキーズで大活躍されました。オルティーズ(デビッド・オルティーズ:David Ortiz)さんは、愛称がビッグ・パピ(Big Papi)で、ボストン・レッドソックスで永久欠番となっているほど有名な選手でした。インタビューの最後で、エー・ロッドさんが大谷選手に、日本にいた頃に憧れていた大リーグ選手は誰かと質問しました。大谷選手が日本語で答え、通訳の一平さんが「ミスター・エー・ロッド、ミスター・ビッグ・パピ」と言うと、インタビューをしていたその二人が、自分たちの名前が出たことで大はしゃぎをし、満面の笑顔で大喜びでした。ビッグ・パピことオルディーズさんは大谷選手に抱きつき、インタビュー中なのに、スマホを取り出して大谷選手と記念写真をしました。往年の大選手2人は本当に嬉しかったと思います。2人の名前をコメントに入れた大谷選手も上手だし、一平さんの通訳も素晴らしいと思いました。【エー・ロッドさんの質問】Hay, one fan question for OTANI, growing up in Japan, who were some of the players in America that you admired and looked up to ?【一平さんの通訳】日本時代、アメリカの野球、メジャーリーグを見てて、すごい憧れた選手とか参考にした選手は誰だったんでしょうか?【大谷選手の返事】もうこの二人もそうですし、今日いたケン・グリフィー・ジュニア選手もそうですけれど。もうエー・ロッド選手、オルティーズ選手、本当に僕が小さい頃見ているような選手が同じフィールドに立って、今こうやって(お二人の)インタビュー受けているのも正直信じられないような感覚ではあるので、もっともっと自分がそのような立場になれるように、頑張りたいなとは思っています。【一平さんの通訳】I mean it's got to be Mr. A.Rod, Mr.Big Papi, Ken Griffey Jr. And I mean I always watch you guys growing up.ーーーーーー一平さんの通訳は途中でしたが、「ミスター・エー・ロッド、ミスター・ビッグ・パピ」と言ったところから、インタビュアーの二人が大はしゃぎをし、嬉しさ爆発の状態になりました。↓ エー・ロッドさん、一平さん、大谷選手、オルティーズ(ビッグ・パピ)さん。↓ 大谷選手の肩を叩くオルティーズ(ビッグ・パピ)さん。↓ エー・ロッドさんが大谷選手に対して、日本にいるときに憧れた大リーグ選手は誰かと質問し、大谷選手の答えを通訳する一平さん。↓ 一平さんが「エー・ロッドさん、ビッグ・パピ(オルティーズ)さん」と通訳すると、インタビュアーの二人は、自分たちが憧れの対象であったと分かり、大はしゃぎし、大喜びする。↓ 満面の笑顔のエー・ロッドさん。↓ ビッグ・パピ(オルティーズ)さんも、大喜び!↓ 思わず大谷選手に抱きつくオルティーズさん。↓ オルティーズさんと大谷選手。↓ エー・ロッドさん、大谷選手、オルティーズさん。↓ オルティーズさんが自分のスマホを出して、大谷選手と記念撮影。
2023.04.10
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2023年3月23日、スポーツニッポンの記事で、大谷翔平選手が花巻東高校3年生の時に記した「人生計画表」が紹介されていました。新聞には、大谷選手の「人生計画表」と、実際のこれまでの野球人生が比較されています。花巻東高校3年生時では、「27歳の目標:WBC日本代表 MVP」と書かれていますが、本当の野球人生では、「27歳:46本でMVP」、「28歳 WBC 日本代表MVP」とあります。ほぼ「人生計画表」通りになっており、驚嘆です。2023年3月23日 スポーツニッポンには、大谷選手の「人生計画表」について書かれているので、一部を紹介します。「かなえた花巻東3年時の『人生計画表』」。大谷は花巻東3年時欄に「WBC日本代表MVP」と記した。計画表より1歳年を重ねたが、初のWBC日本代表入りだけでなく、MVPまでも達成した。「人生が夢をつくるんじゃない!夢が人生をつくるんだ!!」「人生を野球に」「俺がやらなくて誰がやる!?」の力強い言葉とともに書き込んだ。このオフ、大谷と連絡を取った野球部同期で当時三塁コーチャーだった皆川清司さんは「何が凄いって、これを本当にかなえたことです」と驚いていた。人生計画表を活用した野球部の恩師・佐々木洋監督は「日本のこれからの野球を左右する大事な大会で、優勝してくれたことをうれしく、そして感謝の気持ちでいっぱいです」と語った。その他に「マンダラチャート」と呼ばれる目標達成のためのシートを活用。大谷が右横マスに「スピード 160キロ」と書き込み、3年夏の岩手大会準決勝で高校生初の160キロを計測した。この日の米国戦を前に「声出し」で語った言葉は、佐々木監督から「”超えたい”と思ってやらないと目標に届かない」と諭された経験から自然に出た言葉だった。入部当初、先輩の菊池雄星(現ブルージェイズ)を目標に「雄星さんみたいになりたい」と掲げると、「○○みたいになりたい、ではそのちょっと下で終わる」とダメ出しされた。ーーーーーーーーーー大谷翔平選手が花巻東高校3年生の時に作った「人生計画表」2023年3月23日、スポーツニッポンより。18歳 メジャー入団19歳 3A昇格 英語マスター20歳 メジャー昇格 15億円21歳 ローテーション入り16勝22歳 サイ・ヤング賞23歳 WBC日本代表24歳 ノーヒットノーラン 25勝達成25歳 世界最速175キロ26歳 ワールドシリーズ優勝。結婚。27歳 WBC日本代表 MVP28歳 男の子誕生29歳 ノーヒットノーラン2度目の達成30歳 日本人最多勝利31歳 女の子誕生32歳 ワールドシリーズ2度目の制覇33歳 次男誕生34歳 ワールドシリーズ3度目の制覇35歳 WBC日本代表36歳 奪三振数記録達成37歳 長男 野球を始める38歳 結果が出ず引退を考え始める39歳 来年での引退を決意40歳 引退試合ノーヒットノーラン41歳 日本に帰ってくる42~56歳 日本に米国のシステムを導入57歳 プロ野球界から引退58歳 岩手に帰ってくる59歳 リトルリーグの監督になる60歳 ハワイ旅行61歳 リトルリーグで日本一になる62~64歳 3年間 岩手の野球向上のため野球を考える65歳 メジャー年金3000万円66~69歳 世界旅行70歳~ 毎日スポーツを続けて元気で明るい生き方をする!!人生計画表(比較)18歳~20歳。人生計画表(比較)21歳~23歳。人生計画表(比較)24歳~26歳。人生計画表(比較)27歳~28歳。↓ 2023年3月23日、スポーツニッポン。
2023.04.09
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2023年3月22日、第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)決勝戦(日本対アメリカ)が、アメリカ・マイアミのローンデポ・パークで行われました。試合に先立ち、クラブハウスで初めて声出しを任された大谷選手が、メンバーの前で素晴らしい「声出し」をしました。シンプルなのに、選手の心に響くメッセージだと思います。よく考えられているなと感心しました。記録に残しておきます。「僕から一個だけ。憧れるのをやめましょう。ファーストにゴールドシュミットがいたりとか、センターを見たらマイク・トラウトがいるし、外野にムーキー・ベッツがいたりとか、まあ野球をやっていたら誰しもが聞いたことがあるような選手たちがいると思うんですけど。今日一日だけは、やっぱ憧れてしまったら超えられないので、僕らは今日超えるために、やっぱりトップになるために来たので。今日一日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけ考えていきましょう。さあっ、行こう!!」2023年3月23日のスポーツニッポンに、大谷選手の声出しの記事がありますが、2006年大会のイチロー選手の声出しについても記されていました。「2006年大会、同じ米国戦前にイチローが浮足立つナインを集め『一打席目に本塁打を打つから期待してほしい』と宣言。初回に有言実行の先頭打者弾を放ち勇気を与えた」また同紙で、試合後の記者会見での大谷選手の話が書いてあります。ー試合前の声出しで伝えたかったことー「僕らは知らず知らずのうち、米国の野球に対してかなりのリスペクトを持っている。尊敬のまなざしが逆に弱気な気持ちに変わってしまうケースが多々ある。今日一日だけはそういう気持ちを忘れて、本当に対等な立場で必ず勝つんだという気持ちをみんなで出したいなと思っていた」↓ 2023年3月23日のスポーツニッポン
2023.04.08
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2023年3月21日(日本時間22日)、第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の決勝戦がアメリカ・マイアミのローンデポパークで行われ、日本3-アメリカ2として、日本が優勝をしました。日本は2006年の第1回、2009年の第2回大会を制覇して以来、14年ぶり3回目の優勝を果たしました。前日の3月21日は祝日だったので、日本対メキシコ戦はテレビで見ることが出来ました。しかし、22日は出勤日だったので、テレビは見ておらず、日本優勝をウェブニュースで知りました。仕事が忙しく、試合の再放送を見ることが出来ず、テレビニュースでハイライトだけ見ました。村上選手、岡本選手がホームランを打ち、最後はエンゼルスの大谷投手とマイク・トラウト選手が対峙しました。手に汗握る場面です。フルカウントから大谷投手が投げたスライダーをトラウト選手が空振りし、三振しました。まるで漫画のような劇的な瞬間で、日本の優勝が決まりました。新聞の記録を残します。ーーーーーーーーーーーーーー2023年3月23日 朝日新聞朝刊。2023年3月23日 朝日新聞朝刊。侍J世界一奪還。WBC 米破り14年ぶり。↓ 強振 世界打ち抜く。↓ WVPに選ばれた日本代表の大谷(中央)。↓ 二回裏日本無死、村上は右越え本塁打を放つ=時事。↓ 四回裏日本無死、岡本和は左中間に本塁打を放つ=西岡臣氏撮影。↓ 9回表米国2死、トラウト(右上)を空振り三振に打ち取り、優勝を決めた大谷(背番号16)。捕手中村=時事。↓ 無敵 侍J最強証明。↓ 決勝で先発し、2回を1失点に抑えた今永。 ↓ 三回表米国2死一、二塁、ターナーを三振に打ち取った戸郷=いずれも西岡臣氏撮影。↓ 山田 元盗塁王の足。六回裏日本2死一塁、山田(背番号1)は盗塁に成功。↓ ヌートバー 笑顔の中心。試合後、胴上げされる日本代表のヌートバー。↓ 栗山流「一丸」の決勝。↓ 優勝し、トロフィーを手に記念撮影をする栗山監督(手前中央)=西岡臣氏撮影。ーーーーーーーーーー2023年3月23日 スポーツニッポン。胸熱!世界一 米国撃破 大谷MVP!↓ 栗山監督 夢は正夢に翔平 ガッツ出た。↓ 村上弾!! 世界最速1号 / 岡本弾!!雪辱の追加点。今永、戸郷、髙橋宏、大海、大勢、ダル、大谷 若手4人 無失点リレー↓ ヌートバー万感胴上げ。 吉田正尚 打のMVP。↓ 日本中が燃えた14日間。侍JAPAN 世界一への軌跡。ーーーーーーーーーー2023年3月23日 日刊スポーツ大谷と侍たちへ 世界一カッコイイ 夢の時間をありがとう。↓ 世界一を決め、優勝トロフィーを手に笑顔を見せる大谷(撮影・菅敏氏)↓ 「So much proud of Japanese」ヌートバー。↓ MVP 大谷「こういう経験もう1回したい」↓ 吉田WBC新13打点 侍から2人選出 ベストナイン(大谷、吉田)最後のユニホーム 栗山勇退。↓ 村上1号 苦しんだWBC最後に出た。ーーーーーーーーーーーthe Japan times March 23, 2023.For Japan, the WBC is everything.Japan's win over the U.S. in the World Baseball Classic on Tuesday ended the side's 14-year wait to lift the trophy it last held in 2009. KYODOーーーーーーーーーーーThe New York TimesOhtani's star outshines Trout's↑ Shohei Ohtani, center, was mobbed by his teammates after closing out Japan's win in the World Baseball Classic final by striking out his Los Angeles Angels teammate Mike Trout.ーーーーーーーーーーーーーーーーthe Japan times aⅼpha March 31, 2023.Japan defeats US 3-2 to win World Baseball Classic.
2023.04.07
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2023年3月20日、第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)準決勝が、アメリカ・マイアミのローンデポ・パークで行われました。メキシコに3点先制されるも、吉田選手が同点ホームランを打ちます。9回裏、5対4でビハインドでしたが、村上選手がセンターフェンス直撃のヒットを打ち、6-5でサヨナラ逆転勝ちをしました。妻と一緒にテレビで見ていましたが、テレビの前で大騒ぎでした。本当にドキドキした試合でした。↓ 始球式。松坂大輔さん。↓ 佐々木朗希投手先発。ーーーーーーーーーー↓ 吉田正尚選手、同点になる3ランホームランを打った。ーーーーーーーーーーー↓ 9回裏、日本4-メキシコ5。↓ 大谷選手。↓ 大谷選手 2ベースヒット。↓ 吉田選手。↓ 村上選手。↓ 1塁代走は周東選手。↓ 村上選手。ノーアウト1塁、2塁の場面。↓ 逆転サヨナラ。日本6-メキシコ5。
2023.04.06
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2023年3月20日、第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)準決勝が、アメリカ・マイアミのローンデポ・パークで行われ、日本6-メキシコ5で、日本が逆転勝ちしました。新聞記事を記録として残します。ーーーーーーーーー↓ 2023年3月22日 朝日新聞より。↓ 2023年3月22日 朝日新聞朝刊。↓ WBC 日本 決勝進出。メキシコに逆転サヨナラ勝ち。↓ 吉田(正尚)一発、空気一変。 準決勝 息吹き返す3ラン。↓ 七回裏日本2死1、2塁、同点となる3点本塁打を放ちチームケートに迎えられる吉田正尚(手前右)=西岡臣氏撮影。↓ 二回表を無失点に抑え、ベンチに引きあげる佐々木朗。佐々木朗 重圧耐え力投。↓ 九回裏日本無死、二塁打を放ち、ヘルメットを脱ぎ捨て、一塁へ向かう大谷=西岡臣氏撮影。ーーーーーーーーー2023年3月22日 日刊スポーツ。生き返った村神様 侍生き返らせた吉田様同点弾。世界一劇的な逆転サヨナラ打。↓ 大谷から逆転!!↓ 世界に朗希 力むなは無理。重圧の経験は財産 きょう今永冷静に賢くそして最後は全員野球。↓ 日本対メキシコ 逆転2点適時二塁打を放った村上は、佐々木と山本にスポーツドリンクを浴びせられる。手前は大谷(撮影・菅敏氏)ーーーーーーーーーーーーー2023年3月22日 スポーツニッポン↓ 逆転サヨナラ村神様 生き返った。
2023.04.05
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2023年3月19日、妻と野球殿堂博物館を見学した後、東京ドームシティの観覧車ビッグ・オーに乗りました。観覧車から、併設してあるジェットコースターの軌道を見ていると、黄色いサンダードルフィンの車両が、無人のまま走行していました。サンダードルフィンがあまりに怖いので、誰も乗車する人がいないのではと最初は思っていましたが、無人の車両が何度も繰り返し走行するので、新車両の試運転をしているのだと気が付きました。今度乗車するか、妻と相談をしたのですが、乗車中に恐怖で心臓が止まったらどうするのかという話になりました。昔は富士急ハイランドに行ってジェットコースターに乗ったりしていましたが、歳をとると、ビビりになって怖気ついてしまいます。↓ 試運転中の黄色い新型サンダードルフィン。無人。ーーーーーー↓ 観覧車からサンダードルフィンの軌道を見る。ーーーーーー地上から撮影。
2023.04.04
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2023年3月19日、妻と一緒に東京ドームにある野球殿堂博物館を見た後、東京ドームシティの観覧車ビッグ・オーに乗りました。天気が良く、景色を十分堪能しました。
2023.04.03
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2023年3月19日、妻と一緒に、WBC1次リーグB組、準々決勝の試合が行われた東京ドームに行きました。WBCのモニュメントを見たかったのですが、試合の舞台がアメリカに移ったため、すでに撤去されており、撮影できませんでした。東京ドームの一角にある「野球殿堂博物館」に入場し、WBC1次リーグB組、準々決勝で日本が勝った試合のウイニングボール(栗山監督のサイン入り)を見ましたので記録に残します。ーーーーーーーーー2023年3月19日、東京ドームに行った。↓ 東京ドーム。↓ 野球殿堂博物館。↓ 2023 WBCウイニングボール展示。ーーーーーーー↓ 2023 WBC1次ラウンド 中国戦 ウイニングボール。↑ 日本は初回に押し出しで先制し、4回に大谷翔平のタイムリーで2点を追加した。投げても先発大谷が4回無失点と好投。終盤に追加点を重ね、日本が8-1で初戦を飾った。↓ 2023年3月9日 日本8-中国1 ウイニングボール 栗山英樹監督サイン。ーーーーーーーー↓ 2023 WBC1次ラウンド 韓国戦 ウイニングボール。↑ 日本は3回表に3点を先制されるも、その裏、ヌートバー、近藤健介、吉田正尚のタイムリーで逆転。中盤以降得点を重ね、13-4で韓国に勝利し、2連勝とした。↓ 2023年3月10日 日本13-韓国4 ウイニングボール 栗山英樹監督サイン。ーーーーーーーー↓ 2023 WBC1次ラウンド チェコ共和国戦 ウイニングボール。↑ 日本は初回1点を先制されるも、3回に吉田正尚、山田哲人のタイムリーで3-1と逆転。4回にも大谷翔平のタイムリーなどで4点を追加するなど、10-2で3連勝となった。↓ 2023年3月11日 日本10-チェコ2 ウイニングボール 栗山英樹監督サイン。ーーーーーーーーーー↓ 2023 WBC1次ラウンド オーストラリア戦 ウイニングボール。↑ 日本は初回、大谷翔平の特大3ランホームランで先制し、5回までに7点をリード。投げては山本由伸、髙橋奎二らの好投で7-1で勝利し、4連勝でプールB1位通過を決めた。↓ 2023年3月12日 日本7-オーストラリア1 ウイニングボール 栗山英樹監督サイン。ーーーーーーーーーーーー↓ 2023 WBC準々決勝 イタリア戦 ウイニングボール。↑ 日本は3回、大谷翔平のセーフティバントを足掛かりに吉田正尚の内野ゴロの間に先制、続く岡本和真の3ランホームランで4-0と先行した。村上宗隆も2本の二塁打で1打点を挙げた。先発大谷は5回途中2失点の力投を見せ、ダルビッシュ有ら計5投手の続投で9-3と勝利。米国マイアミで行われる決勝ラウンド(準決勝)進出を決めた。↓ 2023年3月16日 日本9-イタリア3 ウイニングボール 栗山英樹監督サイン。↑ 侍ジャパン 栗山英樹監督ユニホーム 2022モデル(ホーム用)。↑ 2023 WBC1次ラウンド 韓国戦メンバー表。↓ 記念撮影。
2023.04.02
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第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ですが、1次ラウンドB組(日本、韓国、豪州、中国、チェコ)の試合が、東京ドームで2023年3月9日~12日で行われました。会社から帰る時間が遅いので、中国戦は観ることが出来ず、韓国戦は途中から見ました。一部を写真に写したので、記録に残しておきます。ーーーーーーーーー2023年3月10日(金) 日本対韓国戦。ーーーーーーーーーーーー2023年3月11日日本対チェコ。ーーーーーーーーーーーー2023年3月12日(日)日本対オーストラリア。
2023.04.01
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