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2月3日の文鮮明・韓鶴子総裁のご聖誕日に合わせて本が出版されていた。以下はそれを紹介したものである。私自身はその時にこの記事を見ていたのだが、出すのが遅れていたものである。(google翻訳)SEGYE.com | 2017-02-03http://www.segye.com/content/html/2017/02/03/20170203002493.html?OutUrl=daum世界平和統一家庭連合(家庭連合)を創始した文鮮明・韓鶴子総裁生誕に合わせて出した本である。 国内外の指導者72人がそれぞれの視点から見た感想と感じが盛り込まれている。 これらの見解を介して文・韓総裁の思想を間接的に垣間見ることができる本である。 ハーヴェイコックス(88)ハーバード大学の社会倫理教授は進歩神学的に有名な人物である。 彼は1977年のある日家庭連合が用意した修練会に行った。 当時疑似階層的に噂になったレバレントムーン実体を覗いて見るためだったとした。 しかし、彼は修練会で人生最大の経験をしたと述懐した。 ホビーコックスの話だ。 「いわゆる統一教会に若者たちが集まる魅力は洗脳作用の結果ではない。 彼らは自分自身放棄されたクリスチャンと思っているという事実にある。 それは空虚な心理状態にもたらされた結果だ。 今日の若者たちが興味を持つことのひとつが、飲酒と立身出世主義という言葉は嘘である。 少数を除いて、ほとんどの若者たちは、信頼できる宗教的な根拠を探している。 " それとともに神学的な知識をもとに、それなりの宗教観を確立した。 彼は「文総裁の試みは、歴史的な、キリスト教の特殊性を超越し、偉大な宗教観念を一つに融和させるというものである。 宗教と科学の二元性を超越高座努力するということだ。 特に宗教教育を通じて経済的、文化的な生活を神聖化誘導するということ」と定義した。 彼は神の存在にも修練会講師の話をそのまま移し証言した。 「講師はこう証言した。 「神は悲しい心情を持っている。 数千年の間、痛みをされながらも、私たちが責任を尽くして、天国を建設するのを待っておられる」と講義した後、涙声で話した。 続いて私の周りにいたほとんどの人たちも泣きながら神様のために献身することができてほしいと祈った。 " 前ローマカトリック大司教のエマニュエル加工とは、2001年聖マリアと魂結婚をした人物として知られている。 フライスとも何度か議論と講義後の書いた感想を伝えた。 「2001年5月27日日曜日、私は神が愛される使徒であるマリア成果祝福結婚を受け取る。 私の花嫁((神父)であるため、結婚とは関心外のことであった。私はしばらくの間、心の中で、この問題に取り組むた。最終的には私の将来の妻と私のリクエストに文総裁ご夫妻は、祝福式を主宰して、複数の宗派の聖職者たちと一緒に私たちの誓いを宣誓させ、結婚を宣言するものである。」 フライスと大司教は、「私は操縦当該の道の影響を受けたと主張する人もいるだろう」とし「私は何よりも、イエス・キリストに従う。 文総裁ご夫妻は、私にカトリックの信仰を拒否したり、放棄するようにしたことがない」とした。 続いて「神の国を建設することは、真の家庭を介して行われることを明らかに目撃した」と述べた。 このほか、本にはマーガレット・サッチャー元英国首相が米国ワシントン・タイムズ創刊記念日に送った手紙も紹介される。 取り組みは、「文総裁がワシントン・タイムズを創設したときにも容易ではないものだったが、今でも容易ではない」とし「しかし、私は確信している。 文総裁がおられたワシントン・タイムズは生きている、この新聞社が繁栄しているし保守主義的な見解は、曇らない」とした。 ジョージ・ブッシュ元米大統領も「家庭崩壊に米国はもちろん、世界全体が10代の妊娠と中絶、青少年犯罪、社会のアムジョク存在である麻薬など大きな困難に直面している」とし「この問題の解決のための活動が文鮮明・韓鶴子総裁の真の家庭運動を介して開始された」と明らかにした。 ジョンスンウク選任記者jswook@segye.com
2017.02.28
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以下は韓国・クリスチャンフォーカス|2017-02-26に掲載された「特別寄稿/韓国教会は、持続可能な改革DNAを持っていますか?」の一文である。2017年、今年はルターの宗教改革500周年に当たる。真のお父様・文鮮明総裁聖和前に語られ、真のお母様もまた、私たち食口に「中断なき前進」を訴えてこられた。この特別投稿もまた、「韓国教会」を「家庭連合」に置き換えて読むことも出来るのではないかと思い、ここに紹介する次第である。細かくチェックしている時間もない故、ほとんどがgoogle翻訳によるものであることをご承知おきくださり、その主意をくみ取ってくださることをお願いする。「信仰の世界」が宗教改革500周年を迎える2017年新年号を宗教改革と関連して議論をしようとしたのは、非常に意味のあることです。16世紀にあった宗教改革を正確ヒン理解した後は、私たちがその精神からプロテスタント(Protestant)、すなわち抵抗する者として、持続可能な改革のDNAを持っているかを確認することも意味します。 しかし、この質問に対しては基本的に否定的な答えをすることから始めていないことができません。腐敗した韓国教会はその自らが改革の対象となったことをほとんど誰もが話をします。したがって、我々は、すべて悔い改める事を開始する必要があります。「いいえ。」(No、Nein!)私たちは、むしろ後悔します。何を?どのように? 以前の神社参拝を行った罪と聖書を完全にすべて受け入れられない立場を容認したものと、それに相手にして本格的な主義的立場をこう言った正統主義に固執していないだけでなく、愛がないことを後悔することはもちろんのこと、近に私たちが拡大再生産して出しているすべての罪を悔い改めが必要です。第一は、根本的に神を完全に愛していない神に完全に依存していない罪を悔い改めが必要です。 そして聖徒たちはこのごろ多くが熱心に出さずに、ただ日曜日の朝の礼拝に参加することで満足しており、それも時には礼拝にも参加していない様子を示されているが、深刻な問題を悔い改めが必要です。これ解決しない場合表面上にも、私たちは非常に柔らかい教会の姿を見せるようになるだろう。 70-90年代の韓国の教会が表面上は熱心に集まって、日曜日の朝の礼拝、日曜の夜の礼拝、需要祈祷会など、すべての公的な会議が参加しようとしエスドンとはかなり対立する姿を示されているので、これは全く正常ではありません。 今日の教会は、信仰の影響力を社会的にも露出しなかった70〜90年代の問題に加えて、今一生懸命集まらもない内外的に柔らかく、悪姿を現わしています。第二に、そのすべての事の源である私たちの心の中にあるひどい高慢を悔い改める必要があります。 その高慢のためにどのような状況でも、悔い改めもなく、その根本的な問題を修正しようもないことです。だから言葉を学ぶために集まることをする必要がないと思いながら誤った意味の自給する態度を続けながら、最終的にはすべての問題を生み出すことです。 第三に、少し熱心という聖徒たちは完全に聖書の教えに基づいて、信仰生活をすることなく、非聖書的な信仰生活の様子を見せていることを悔い改めが必要です。 特に個人的な諸問題に聖書の教訓を正しく適用していないだけでなく、社会政治的な問題や文化の問題に対してどのように適用して生きなければならかの意識がほとんどないか、非常に不足している姿を見せていることを悔い改めが必要です。一言で、キリスト教の世界観的な考慮がない熱心を示しなんて、まさにそれが改革の対象となるのです。 第四に、「新約聖書が言う教会の姿」をこの世によくあらわれないその姿を悔い改めが必要です。 具体的な事情は違っても、私たちの教会の姿が新約聖書が言う教会の姿と違う共通の問題を表わしているのです。いくつかの教会共同体は、財政が透過的に管理されず、どのような教会共同体は、教権があまりにもいくつかの人に集中しており、いくつかの教会共同体は聖書の教えに忠実でなく、いくつかの教会共同体は愛が不足して等も様々な面私たちの教会が、聖書が言って、その姿と乖離現象を示されています。 第五に、することができず、多くの異端がこの世そう流布させることも、私たちの大きな責任です。 これは、異端だけの問題ではなく、異端を有することができるいくつかの条件を作っておいた既成教会が大きな責任を持たなければならない問題です。よく言及されている<統一教会>、<チョンブギョ>、<新天地>、<神の教会>のように、今はほとんど他の宗教になった異端者、<クリスチャン福音チムリェフェ>という兪炳彦派<大韓イエス教チムリェフェ>というありされた波、そしてバクオクス波(<朗報宣教会>)のような救援派的な異端者、屋根裏部屋、大きな信頼教会(愛する教会)、エホバの証人、モルモン教、アンシクギョなどの異端者の責任です。 だけでなく、宗教多元主義のなど聖書に忠実でないいくつかの他の福音が私たちの周りに、キリスト教の名前で隆盛するのは、私たちが聖書の教えに忠実でなく、それを熱心に教えて転倒しないで現れた現象です。 どのように悔い改めなければかって?(1)私たちは、正常ではないことを確かに認めて、(2)それから、聖書と聖霊様の導きれることによって、外の努力を全く必要があります。罪の真の認定がなく、悔い改めはありません。罪を認めるとしても、聖書の教えと聖霊様によってそれから抜け出そうとしないのは真の悔い改めはありません。 悔い改めて立てなければなら宗教改革教会の姿 そうすれば、真の教会がこの地にすることができますか?例えば、そのことができます。私たちの主イエス・キリストは、この地には常に真の教会があるものであり、その教会をハデスの門害しモトハリとしたから(マタイ16:18)私たちは、この地に、イエスはつきにくく、今も支配して行かれるイエスが "私の教会"とされる教会があることを主張します。 世界中誤った教会だけが周辺に流布すること、目遠く、私たちは、イエスの言葉をその廃棄しないで。たとえ今の問題があっても全く後悔している教会は主の統治を受けていることを明らかになります。したがって、真の教会は、常に後悔する教会であり、常に聖書の教えをしっかりと受けながら、その教えに基づいて、自分自身を常に修正していく教会です。 これより具体的に表現したのが、宗教改革者たちとそれらに続く方のまとめです。(1)聖書が語る正しい福音、すなわちこの正統の福音が正しく宣言されているか?(2)この福音を目に見える形で提示する仙骨が忠実に施行されているか そして(3)誰が仙骨にふさわしい参加者であるかを規定する治めるが正しく行われているか これは、説明を必要とするもので、言葉に基づいて聖徒たちは神の御言葉の通りに生きれるように努力するすべてのことが多ちりに対応します。その日がよく行われない場合最終的には罰を与えても、神様の御言葉通り生きることをするでしょう。この3つのが行われている場合、今は少し不足しても、教会とすることができます。 したがって、我々は常に私たちの教会の中で正統の福音が正しく宣言されて信じてなり、これらはすべて、深く感謝しながら楽しんで献身することになるのかを観察しながら、最初にそのように反応して出てきた人々に洗礼を実施し、それらのような聖餐に、私たちはそのような恵みの中に入っていることをもう一度示して、よりして正統で、ますます神の教会らしくなるように力を入れていかなければならなります。 このように、真の悔い改めがある場合希望はあります。それが唯一の持続可能な改革のDNAです。 韓国教会は、持続可能な改革のDNAをもっていますかという質問に、私たちは、否定的に答えざるを得ませんでした。別の答えをするこれはまるで昔のユダの地で「平安である、平安である」を叫ぶ偽預言者たちと似たような存在である。 私たちの状況は絶望的です。ただ、聖書が証する三位一体神に悔い改めて立ち返ることだけが、私たちの生きる道です。神に戻って行くとき、私たちは買うことができ、持続的改革を行うことができます。 しかし、主はあなた様の恵みと栄光を収めなら、私たちは希望がありません。ただ主に戻って、主の言葉に照らして、私たちを直していかなければなり。悲しく泣きながら悔い改めする教会だけが生きている教会です。 イスング教授/合同神学大学院大学、組織神学世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.02.26
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「バカか?!」というには失礼に当たる方ーー能登家庭教会 郭 炳憲教会長へ分派だけでなく、今もどこかで私のブログもチェックされておられることと思います。さて、19日の日曜礼拝では信徒の生命を預かる牧会者として、やってはならないことをされました。それが「正しいこと、間違っていること」についてです。統一原理・文鮮明総裁はメシヤ、これは「正しい」と前置きしての「独生女批判」の説教でした。私はその公の場で「間違っていることは間違っている」と、ハッキリと申し上げました。ところが、周りの方々はその状況がよくつかめていない様子で、私が悪者扱いにされたままとなっています。 「独生女考(23)ーー「お母様は原罪なし お父様は原罪あり」はお二人だけの「秘密」」でも述べた如く、分派の方々をはじめとする「独生女批判」は、統一原理と矛盾しており、また、文鮮明総裁が「独生女」についても語られていましたが、「無原罪」だとまで話されていました。統一原理の素晴らしいところは、「堕落論」でもなければ、「人間に責任分担がある」ということを発表されたことでもありません。まさにそのみ言の核心は、再臨主もまた地上降臨される、しかも、無原罪の「真の父母」として来られる「成約のみ言」です。ところが、日曜礼拝で教会長は、原理・真のお父様は「正しいこと」としながらも、独生女批判でもって統一原理・真のお父様のみ言・独生女は「間違っている」と言われたも同然のことでした。その二日後の21日付での「声明文」です。もしも、それが単に「組織批判」を理由としたものであれば、個人それぞれの考えということもあるでしょう。しかし、それが統一原理、教義に関するものともなればサンデー食口の私であってもそれを見過ごすわけにはいきません。「正しいことを間違っている」と言われたのは「み言の認識不足によるもの」であったとすれば、教会長の良心において正していく道もあるでしょう。それでもなお、教会長の信じる方向を変えようとされないのであれば、「統一原理」を信じることが出来ない文鮮明総裁のみ言「独生女」は信じることが出来ないの第二声明文を出してくださるようお願いします。教会長(元リージョンリーダー)として郭教会長ファンも全国に少なからずいることを知っています。「独生女批判」は明らかに教義を否定するものであり、それを知らずに間違って教会長に付き従う方がいないとも限りません。第二声明文を出されることで、それも整理されていきます。また、能登家庭教会でも離任式を準備されているとのことですが、その場でも「正しいこと、間違っていること」、教会長の「独生女批判」立場を明示していただければ幸いです。ところで、郭教会長の大学でのお母様をお迎えしての大会、(外的)勝利の自慢話を何度か礼拝で聞きましたが、今となってはその時に個人的(内的)にはお母様と一体となることが出来なかった落伍(落語)話でしかなくなりました。お母様の胎を中心としてアベル・カインが一つとなり、お父様の種(み言)を受けて重生していく大会ではなかったでしょうか? お母様を(無原罪の)娘の立場から夫婦、父母、そして、国家的「母」の立場から世界的「母」へ成長させる責任を負ってこられた真のお父様の摂理的背景があったと思います。そして、女性連合時代の到来でした。また別の話をします。郭教会長は「二世教育」にも関心をもって教会運営をされておられたようですが、その二世に対して「親の言うことを聞くな!」との教育もされておられたようです。それによって、迷惑を受けた家庭も記憶にとどめておいてください。三男さんにしても然りです。「真の父母様宣布文」 から 「まず、全食口は、永遠・永生の世界にたった御一人である真の父母様の指示と命令に絶対に服従しなければならないことを忘れてはならない!これが統一家の永遠の伝統であり、信仰である!この点については、天宙的に真の子女も、一般食口も同様である。」この真の父母様の「伝統」を足で蹴っていかれた方です。それと同じ教育を、郭教会長も二世にされておられたということですか?私からはこれ以上話すことはありません。また、話したくもありません。郭教会長の「良心」に従って行動されることを祈る(私の場合は「オイネリ」ですが)ばかりです。2017-02-25 真夜中by 能登家庭教会・サンデー食口より追伸:一年程前ですか、天聖経の伝授式がありました。普通ですと伝授だけで終わっていたのですが、私たちの家庭だけは特別に「写真を撮る」といっては記念写真を撮ってくださいました。「火の粉を払え」の一件もあり、「教会を離れないように」といっては「その証拠写真だ!」の1枚でした。過去から現在まで伝授式でのフォトは、私たち家庭の1枚だけではないでしょうか。証拠写真が残っています。これを決して忘れないでください。
2017.02.25
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昨日の続き、『「正しいこと」、「間違っていること」』。今回は特に「独生女」に見るその矛盾性についてだ。分派の方々、韓鶴子総裁の「独生女」批判されておられる方であっても、『原理講論』と文鮮明総裁は「正しい」と否定される方はいない。ところが、『原理講論』、特には「キリスト論」の中からの 第4節 重生論と三位一体論 に「善の父母」――「独生子」「独生女」のことが書かれていることをこれまでも指摘してきた。ここでは「イエスと聖霊」という言葉もそれに置き換えて読むことが出来る。我々を生んでくださるのは、父母でなければならない。それでは、堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。彼は堕落した子女を、原罪のない善の子女として新しく生み直し、地上天国をつくるその目的のために真の父として来られた方であった。……ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントⅠ一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。ところが、いつからこの聖霊(独生女)が原罪があるということになったというのか。分派の方々は文総裁お一人の「独生子」は肯定されておられるが、韓総裁の「独生女」を否定されるのであれば、まずは上記の教理が間違っていると言われるのが筋である。原理講論は「正しいこと」としながらも、韓総裁の言われる「独生女は間違っている」、ここに一つの矛盾を感じる次第である。次に、文総裁は「正しい」、韓総裁の「独生女」は間違っている。これにも別の矛盾を発見することが出来る。文総裁のみ言の中には、「独生子」という言葉が千数百回、「独生女」も百回あまり語られているという話だ。文総裁み言の中から「独生子」だけでなく「独生女」もあるということだ。その「独生女」を文総裁がどのように語っておられるか、である。分派の方々はそれを論じようともしない。文総裁は「正しい」、としながらもその語られた『「独生女」は「間違っている」』とハッキリ言われたらどうか!!ところで、私のまわりにも韓総裁の「独生女」だけは信じられない、「バカか?!」というには失礼に当たる方がいる。韓国語も分かるだけに、どこかの大学教授の書いたそれが「独生女理論」だと言っては吹聴して回り、「その理論が信じられない」といっては騒いでいる。私自身の意見は「独生女考(22)-- 『独生女理論』は存在しない。ーーデマねつ造である!! 」で書いた通りであり、それが「独生女理論」などではないということだ。そんなもの(韓国語で書かれたもの)を見せようか、といっても私にすれば、即・ごみ箱行きである。彼はまた、その大学教授の名を挙げては語るが、その根底には個人的な偏見も感じ取れる。この日曜日、私からは「間違っていることは、間違っている」と彼に申し上げた。教会長の説教のこのことをもう一度思い起こして欲しいものだ。もしも、「間違っていることを、正しい」とするなら彼の認識不足によるものということだ。原理講論と真のお父様は信じるが、韓総裁の「独生女」は信じられないと言っては、ネットで調べた情報まで持ち出して周りに触れ回るのもどうかとも思う。他の「信仰の生命」にも関わる問題だ。さて、話を戻して分派の方々にも何度もお伺いするが、私のブログで取り上げている黒・天聖経P.177(以下)は、この文章末尾には「1972.6.11」の日付が書かれている。45年前の文総裁のみ言で語れれていたものだ。大学教授の「独生女理論」(?)よりはるか昔に文総裁が「独生女」について話されていたということだ。私からは『独生女考(13)-- 「独生女」は「黒・天聖経」のほかにも!!』ということで、『祝福と理想家庭 -韓日対訳No.1-』(1989.12.20発行)のP.268、P.269もあげていた。この後を読み続ければ、ここでもハッキリと第三のアダムの相対者について、「堕落前のエバ」「堕落していないエバを探し出さなければ」と書かれていた。今日、韓総裁の無原罪の「独生女」を裏付ける一文である。ところが、「お母様は原罪なし お父様は原罪あり これは本当ですか はっきり答えよ!」などと松濤本部前で騒ぎ立てている話も聞く。第三アダム--再臨主の相対はキリスト教圏から探し出さなけらばならなかった。無原罪の「独生子」「独生女」が出会って「子羊の婚宴」のはずであった。ところが、文総裁の第1番目、2番目が失敗し第3番目に韓総裁が来られた。統一原理の蕩減原則から、誰かがこの失敗を蕩減しなければならない。2000年前のイエス様と同じだ。イエス様自身、神のひとり子として来られながら洗礼ヨハネの失敗によって、サタンからも試練を受けイエス様自らが洗礼ヨハネの立場から出発しなければならなかった。原理講論にもそれが書かれている。今年私の教会では、ご聖誕日記念礼拝では教会長が貴重な映像だといっては1960年当時のご聖婚式の様子を視聴した。私は既成教会から反対される中、数度に分けて式を行わなければならなかったと聞いてはいたが3度であった。失敗したアダム家庭、イエス様家庭、そして、再臨主の家庭と衣服を着替えては復帰段階を経たもののようだ。「お母様は原罪なし お父様は原罪あり」について騒がれること自体もナンセンスだ。上述の原理講論や文総裁の「独生女」のみ言まで無視しての騒ぎに何の「道理」があるというのか?!これは、ご聖婚式の後の初夜、お二人だけの「秘密」である。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.02.22
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「正しいこと」を「正しい」というのは「〇」。「間違っていいること」を「間違っていいる」というのも「〇」。これに異論を唱える人は(余程のへそ曲がりを除けば)、まずいないだろう。では、「正しいこと」を「間違っている」、あるいは、「間違っていること」を「正しい」ということはどうか?また、「正しいこと」を「間違っている」というのと、「間違っていること」を「正しい」、というのでは「どちらが悪か?」これが昨日の日曜礼拝の中で出てきた。皆様は、これについてどう思われるか。以下に私なりの意見を連ねてみようと思う。「正しいこと」を「間違っている」という時には、言う本人にはそれに対する認識不足も考えられる。「間違っていること」を「正しい」とする場合でもそれが考えうる話だ。ところが、明らかにそうだというにもかかわらずの場合は、他人だけでなく自分をも騙すこととなるのではないか!!その自分を許すことが出来るか。それが「良心作用」というものだ。原理講論 P.52 から:第一章 創造原理 第二節 万有原力と授受作用および四位基台 古今東西を問わず、いくら悪い人間であっても、正しいことのために生きようとするその良心の力だけは、はっきりとその内部で作用している。このような力は、だれも遮ることができないものであって、自分でも知らない間に強力な作用をなすものであるから、悪を行うときには、直ちに良心の呵責を受けるようになるのである。もしも、堕落人間にこのような良心の作用がないとすれば、神の復帰摂理は不可能である。では、このような良心作用の力はいかにして生じるのであろうか。あらゆる力が授受作用によってのみ生じることができるのだとすれば、良心もやはり独自的にその作用の力を起こすことはできない。すなわち、良心もまた、ある主体に対する対象として立ち、その主体と相対基準を造成して授受作用をするからこそ、その力が発揮されるのである。我々は、この良心の主体を神と呼ぶのである。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.02.20
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地方紙朝刊から。そういえば、この地球儀も?
2017.02.18
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2017-02-17、米本ブログコメント欄への文章(以下)。18日夕方の確認で「荒らし博物館」へ移動となっていた。ルポライター職にありながらも、これまで同様に私から指摘された間違いに対しては何一つの訂正削除もしようとはしない。下部に転載した文章のリンク先(ブログ記事)も要チェックです。併せてご確認ください。まだ高飛車姿勢を続けられますか?貴殿はまだ高飛車姿勢を続けられますか?> どうするか。 > 使用者責任がある教団本部に相談しようかと考えています。「教団本部に…」、口先だででなくどうぞご自由にされてください。本部からの返答はおおよその見当は付きますが、その結果報告もお忘れなくお願いします。参考までに、2013年4月の私のブログにも個人ブログへの本部の対応が書かれていました。http://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201304070000/> 今回の件でこちらが把握しているのは、peaceさまのブログとY氏のブログでそれぞれ主張されている内容のみです。> 教会としましては、当法人に対する深刻な権利侵害や事実誤認などがないかぎり、> 教会員の個人的なネット上の活動には干渉する立場にはないと考えております。> 当件に関しては、双方の話し合いにて解決をしていただくようお願いいたします。また、2014年8月にも同じようなことを貴殿は書かれていたようですが、その結果報告はありませんでした。http://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201409140001/>本部に要望書を提出しました。適切な処理をしなければ、……(2014/08/30登録)ところで、上述の「使用者責任」とはどういう意味でしょうか? 私が「教団職員」とでも言いたいのですか。別記事にも「教団職員」だといっての中傷文もありましたが、貴殿のデマであり訂正削除を求めていたはずです。さて、一般的には「個人情報流出」だけでも大きな事件です。まして、それが犯罪に悪用されればなおさらです。ところが、このことがまさに貴殿のカテ「下劣な食口たち」記事群(別名:「ヘドロシリーズ」)だと私から申し上げています。ID/パスワード無しには見ることが出来ない非公開グルッぽは個人情報に当たります。これをルポライターを名乗る貴殿のブログでその一部を公開、悪用してはメンバーを「ブログ村で強制移動を組織的にしている犯罪者だ」などと事実無根の罪を擦り付けられたのでした。さらには、ブログの裏に回っては「謝罪文を書け。さもないと氏名をブログで公表するぞ!」といった脅迫までもしていました。不正アクセス(情報)自体が違法行為です。キジ氏が貴殿との関係を証言しており、私のYahooブログへの2件の不正アクセス、そして、その一つがキジ氏とIPアドレスが一致でもってメンバー全員のパスワードの変更をし、「内通者はいない」といった暗黙の了解もしていました。一歩譲って貴殿の「内通者情報」(内部告発)であると言われるなら、すぐにでもそれが誰なのか公開して然るべき時を迎えています。これまで「火の粉」(貴殿への批判)を振り払ってきたかもしれませんが、今、貴殿が目の前にしているのは宙にフワフワと舞う「火の粉」ではなく、熱く燃えたぎる「火の玉」です。覆水盆に返らず -- 火の玉(事実)は火の粉(虚偽)も焼き尽くす http://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201606190000/4年期間、これは天が貴殿に反省の機会を与えられたものです。もはや、その時は過ぎようとしています。グレーゾーン(たとえば、有らぬ噂)といえども、既得権者には「ブラック」同然です。FC2事務局様への貴殿の上述記載の回答は一旦は保留、21日までの期限となったのでしょうか?私からはこれが最後通牒です。介護のお母さんのことも考えられますように。(▲削除されたコメント。スクリーンショットにて)世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ [18日夜追記]米本ブログコメント欄へ警告文:
2017.02.18
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元々『独生女理論』などというもの自体は、存在しない。デマである。もしも『独生女理論』というものがあるとすれば、『独生子理論』もあって然るべきである。どなたかその『独生子理論』とかを見られた方がいるか?それがあったとすれば、その理論に基づき「クローン・独生子」が次々と聖誕して…この世は既に平和世界が構築されていただろう。私の話が理解できますか?分派が真のお母様の「独生女」発言を非難・批判するために流したものだ。私の周りにも、どこかの大学教授が書いたとかいう「独生女理論」があると言ってはそれに踊らされているお方もいる。「バカか!」と言っては失礼にあたるが……その以前に真のお父様・文鮮明総裁が「独生女」の言葉を過去百数十回も語っておられるということだ。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 『独生女理論』だといっては批判すること自体がナンセンス。「独生女」批判をされている以下のブログ記事、「原理?」を語りながら「穴だらけの自己解釈」でしかない。独生女の原理的誤り(1) メシヤ(アダム)が先に誕生され、エバは後で復帰されるこれ以降も読む価値もない。例えば、ヨハネ福音書の第1章1節~初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。…(以下省略)この聖句すら理解していない一文であるからだ。
2017.02.15
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一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.02.12
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毎日宗教新聞|2017-02-09 http://m.dailywrn.com/a.html?uid=9890/
2017.02.09
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SEGLYE.com | 2017-02-09http://www.segye.com/content/html/2017/02/08/20170208002474.html?OutUrl=daum真の家庭の希望オンヌリに... 人類の絶対値呼び起こす [世界日報創設者生誕・ギウォンジョル4周年記念】 ……世界平和統一家庭連合(家庭連合)が、天一国の起源としているギウォンジョル(基元節)が9日(音1月13日)4周年を迎える。 家庭連合でギウォンジョルは最も希望的な日である。 ギウォンジョルを基点に、世界は段階的に平和世界に向けるされ、人類は一つの家族のように生活することを期待している。 今年ギウォンジョルイベントは3月まで続く。 ……
2017.02.09
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2017-02-08/東亜日報 http://v.media.daum.net/v/20170208093705406
2017.02.08
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天聖経から。「暗示や夢の啓示を無視してはいけない」ということで、最近見た夢の話をしよう。我が家の二階にある日「盗人」が住み着いては悪さをするようになった。その盗人がいつしか一階に降りてきて「謝罪」をしてきたので彼を許した、という夢が一つ。また別の夢は。ヘビが出てきて一匹のカエルを飲み込んだ。そして、二匹目、三匹目と三つのカエルを飲み込んだのだ。ところが、そのヘビは三匹を飲み込んだあと、その三匹とも吐き出してしまった。そして、そのヘビの姿を見ればもはやヘビではなく、スナック菓子のような袋みたいに変身していた、という夢。意味の深い夢と思いませんか?!
2017.02.07
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「逐語霊感説」というのがあるが、今日のブログ村もその風を否定できない。真のお母様が語られた「独生子」「独生女」をおいて原罪の有無を云々しているからである。単に表面的な文字列に囚われることなく、深い意味を祈りをもって尋ねていくべきである。サタンの誘惑に対してエバはアダムに、また、神様に尋ねていれば悲劇は起きなかった、と原理でも書かれている。今日の姜先生の行動もまた、自己の判断によるものであったのではないか?「独生子」「独生女」--真の父母様については原理講論(P.263~)にもハッキリと記されている。(一) 重 生 論 1. 重生の使命から見たイエスと聖霊 イエスは、自分を訪ねてきたユダヤ人の官吏ニコデモに、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできないと言われた(ヨハネ三・3)。重生とは二度生まれるという意味である。では、人間はなぜ新たに生まれなければならないのであろうか。我々はここで、堕落人間が重生しなければならない理由について調べてみることにしよう。アダムとエバが創造理想を完成して、人類の真の父母となったならば、彼らから生まれた子女たちは原罪がない善の子女となり、地上天国をつくったであろう。しかし、彼らは堕落して人類の悪の父母となったので、悪の子女を生み殖やして、地上地獄をつくることになったのである。したがって、イエスが、ニコデモに言われたみ言どおり、堕落した人間は原罪がない子女として新たに生まれ直さなければ、神の国を見ることができないのである。我々を生んでくださるのは、父母でなければならない。それでは、堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。彼は堕落した子女を、原罪のない善の子女として新しく生み直し、地上天国をつくるその目的のために真の父として来られた方であった。ゆえに、ペテロⅠ一章3節に、「イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ」というみ言がある。イエスは、アダムによって成し遂げられなかった真の父としての使命を全うするために来られたので、聖書では、彼を後のアダムといい(コリントⅠ一五・45)、永遠の父といったのである(イザヤ九・6)。また、神は、預言者エリヤを再び送り、彼の力で堕落した人間の心を、父母として降臨されるイエスの方へ向けさせることによって、彼らをその子女となさしめると言われた(マラキ四・6)。そして、イエスが再臨されるときも、父の栄光のうちに来られる(マタイ一六・27)と言われたのである。ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。我々を生んでくださる父母、つまりは、「独生子」「独生女」は原罪なく来られる方でなければならない。ところで、分派の「独生子」のみで「独生女」を否定される方々にお伺いするが、黒・天聖経の「独生女」記述だけでなく原理講論自体をも無視されるおつもりか?「独生子」だけでなく「独生女」もまた天から来られる無原罪でなければならない。そうでなければ、原罪のない子女を生むことが出来ない。「独生子」がその「独生女」をこの地上で探して結婚式を挙げるのが「子羊の婚宴」ということになる。ところが、2000年前のイエス様はどうだったのか?聖書の記述についても、原理講論では「(五)十字架に対する預言の両面」、また、「(六)十字架の死が必然的なもののように記録されている聖句」ということで書かれていた。聖書の預言、一つは「苦難の主」として、そしてもう一つは「栄光の主」として。メシヤがどの道を歩むかはイエス様自身だけでなく「人間の責任分担」の遂行如何にかかっていた。そして、実際には「苦難の主」の道を行かれたのが歴史であった。原理講論P,410~を見てもひとり子・イエス様はは罪無くお生まれになった。ところが、罪人のようにサタンの三大試練を受けなければならなかったのは何故か?それは洗礼ヨハネの失敗した(実際にはヨセフ家庭、特に母マリアが責任を果たさなかった)ためにあらかじめ神様が準備した基台(三大祝福)を蕩減復帰して来なければならなかったということだ。では、今日の真のお父様はどうだったのか。本来天の父母様が予定してこられたのは、キリスト教であった。その摂理的新婦格から実体新婦「独生女」を探して「子羊の婚宴」をなさるはずであった。ところが、そのキリスト教の失敗によってその基台が失われた、というのがこれまでの摂理観であった。そのエバの失敗を誰が蕩減しなければならなかったか。そもそも、6000年前にエバ一人が堕落してアダムが堕落しなかった場合、どのように展開されていったか考えたことがあるか。サタンによって奪われたエバをアダム自身がエバに代わって「人間の責任分担」を復帰して来なければならなかった。そして、再びエバ・「独生女」を探し出していくべきがその展開であろう。ところが、アダムまで堕落しサタン圏に陥ってしまったためにそのアダムをアベル・カイン(善悪の表示体)に分立してそのアダムをも復帰して来なければならなかったのが天の父母様の悲しみであった。聖書は男性記述が中心であり、原理講論の復帰原理もアダム復帰、そして、メシヤ、再臨主も男性中心に書かれていた。当ブログでは、「アダム復帰だけでなくエバ復帰の摂理もこれまでなされてきた」と聖書や原理講論を通して垣間見ることが出来るとしてきた。アブラハムの時は、アダムの代身として「象徴献祭」「イサク献祭」前にはサタン圏からの「エバ復帰」行事があったりもした。これを聞いたあなたは不思議には思わなかっただろうか?さて、2000年前の第二のアダムとしてこられたイエスのときイスラエル選民(摂理的新婦格)あった。しかし、洗礼ヨハネの不信によってそれが失われてしまった。ゆえに、罪のない「独生子」の立場から不信した洗礼ヨハネに代わって「罪人」の立場でサタンから三大試練(「石をパンに変えてみろ」等)を受けながら再度「独生子」の立場を復帰して来なければならなかった。ところが、その時遅しであった。「十字架の道」を決意しながら、第二次・第三次の霊的カナン復帰路程を行かざるを得ず、再臨の約束をされていかれたのだ。文総裁も第一・第二のお母様の失敗ゆえに、45度以上に顔を挙げられない「罪人」のように過ごされた期間があったと聞く。「独生子」として来られた文総裁ではあったが、「原罪ある罪人の位置」を再度通過されて真のお母様を探し出された、ということではないだろうか。五度の牢獄生活を経て今日の真のお母様との「子羊の婚宴」がなされた。文亨進師はかつて「七死復活」を悟られたというが、六度目の「ダンベリー収監」は内的心情において文総裁だけでなく真のお母様、そして、真のご家庭や全食口がそれを共にした時であった。そして、そのアベル圏とキリスト教のカイン圏が一つとなったのがダンベリー解放日の瞬間であった。ここでも見落としてはならないことは、真のお母様の「絶対信仰」と「母子協助」があったればこそだ。第七死目の復活「ヘリコプター事故」はどうだったか。お母様、お孫さんも同乗されゴルゴダを超えて復活されておられる。これもまた、誰も否定することは出来ない。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.02.06
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以下は最近UPされた「真の父母様宣布文ホームページ」からの映像です。「6マリヤ」「血分け」は存在しない-【第三弾】朴正華氏による『私は裏切り者』出版報告会(1995年11月18日、松濤本部)の映像一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ ↑↑ 多くの方に見ていただけるようにクリック応援お願いします ↑↑
2017.02.04
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2017.02.04
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SEGYE.com(韓国・世界日報)2017-02-03 19面。‘인류 한 가족’ 큰 꿈 향해… 8일간 평화축제 펼친다一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.02.04
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2017.02.03
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2017.02.03
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2017.02.02
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2017.02.02
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