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PeaceTV>真の父母>み言(2017-07-31、要ログイン)実際の映像は要ログイン後に見れます。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓にほんブログ村ランキング参加中。 応援クリックお願いします。 ↓↓
2017.07.31
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世界平和統一家庭連合 NEWS ONLINE(2017-07-31)家庭連合の理想を掲げ、実体的成長を成し遂げよう北海道・帯広で「天運相続 孝情 還元祈願聖火式」真の父母様の恩賜と計らいの中で7月23日、北海道帯広市の郊外、霊峰・剣山の中腹に位置する「聖火の郷」で、「天運相続 孝情 還元祈願聖火式」が盛大に行われ、地元の教会員を中心に全国からおよそ3300人が参加しました。<続きはこちらから>より多くのフォトは天宙清平修練苑HP>photo in C> 日本 北海道 聖火式から見ることが出来ます。
2017.07.31
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SEGYE.com(2017-07-27)停戦協定記念参加した6・25参戦勇士たち27日、ソウル松坡区オリンピック公園ハンドボール競技場で国家報勲処の主催で開かれた6・25戦争停戦協定と国連軍参戦の日記念式に出席した6・25参戦勇士たちリトルエンジェルス団員と一緒に記念撮影をしている。一緒に守ってきた大韓民国、一緒に進む統一韓国をテーマに開かれた今回の記念式には、国内外の6・25参戦勇士と遺族、参戦国の外交使節、学生、将兵など3000人余りが参加した。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓にほんブログ村ランキング参加中。 応援クリックお願いします。 ↓↓
2017.07.31
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光言社ポータルサイト>中和新聞(2017年07月28日(陽暦)通巻981号)からです。会長メッセージ世界平和統一家庭連合会長 徳野英治マディソン・スクエア・ガーデン 2万人大会の恩恵 本シリーズでは、最新の天の摂理とみ言の要点、祝福家庭や教会員がもつべき信仰姿勢などのポイントについて、世界平和統一家庭連合・徳野英治会長のメッセージをお伝えします。U-ONE TV動画版と併せてご活用ください。(編集部) 続きは、会員登録されておられる方はログイン後に動画版と併せてご覧ください。上記の中から、すでに当ブログで紹介していた小説「預言」については間もなく日本語訳も出版されるとのこと。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓にほんブログ村ランキング参加中。 応援クリックお願いします。 ↓↓
2017.07.30
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最初は小魚が網目にチョコチョコ、今日は? の思いが頭をよぎる。しかし、最後はアジの大群でドッサリ大物ではなくとも、二世・青年伝道勝利を思わせる瞬間であった。 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓にほんブログ村ランキング参加中。 応援クリックお願いします。 ↓↓
2017.07.30
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HOPE氏の「父子協助時代の天路歴程 - 天宙史的葛藤を克服するための歴史の理解と教訓 (1)・(2)」について。http://blog.goo.ne.jp/day_of_hope/e/c34763c490c45bb5b106eebfd8a2aa3ahttp://blog.goo.ne.jp/day_of_hope/e/2f8a5ecd09a284cd1589891d49b85cd4最初に結論あり。それに沿って文章が構成され、また、お父様のみ言引用(出典の年月もバラバラで都合のいいところを引っ張ってきたようなみ言)と続く。これまでのHOPE氏には「長子」とは具体的には誰を指してのものなのかの提示をお願いしてきた。そのみ言の繰り返しが無くなったかと思えば、チョン・マンヘのパイオニアカフェへの寄稿の転載だ。その中の一部を引用(以下)。3.表面上に現れた天宙史的葛藤 しかし、真のお父様の胸には誰にも語ることのできない痛恨の障害[16]があった。真のお父様は、神様との約束を成就するための根本的土台、神様のみ旨を中心とした真なる夫婦が愛と信頼でひとつになることが最も困難な茨の道であったと告白され、お父様の苦しい心情を吐露された。それはまさに父子協助時代[17]を遮って真の家庭の長子権を否定[18]し、真のお父様のみ旨に反する[19]真のお母様との深刻な葛藤[20]であった。神様のみ旨を知らず[21]、真のお父様のみ旨に反旗を翻す真のお母様[22]と準備の整わない家庭を考えた時、真のお父様の懸念はますます強くなられた。父子協助時代[23]を拒否する真のお母様の問題[24]を静かに解決[25]しようとされた真のお父様の必死の努力[26]が無となり、統一家全体の表面上に露出したのが2008年に始まった真の家庭と統一家の天宙史的葛藤である。真のお父様は、真の家庭と統一家の試練を収拾しようと深く苦悩[27]された。 4.神様の警告と回復 2008年7月19日、真の父母様を乗せたヘリコプターが墜落した事件で奇跡的に生還されたことは、神様の厳重な最後の警告だった。真の家庭の長子権を揺さぶる真のお母様と二人の弟、そしてUC指導者による不義なる企みによって、神様に整列できず、まったく準備のできていない、不純で分別のない二人の弟を持ち上げて長子権を揺さぶるという画策によって、真のお父様の心までも揺すぶらせてしまったことに対する天の最後の警告だった。真のお父様は、ヘリコプターの事故から生還するという奇跡が神様の最後の警告であったことを直感され、深刻に受け取られたに違いない。2008年7月21日、病院のベッドで、真のお父様は顯進様を中心に立てて、二人の弟を左右に立たせ、お父様が地上からいなくなれば継代を顯進様が受け継ぐことを祝祷された。変わることなく顯進様は神様と約束した目標を成就するため、ただ神様のみ旨のみに整列され、GPF[28]世界巡回をされながら神様が準備された世の中の義人たちを収穫[29]するという驚くべき実績[30]を収められた。2008年12月24日、真のお父様は、世界指導者たちの集まる天正宮で、全体の前に顯進様を立てられ、顯進様がお父様の代身者であることを強く語られた。2008年は私tomy4509も何度も掲げているごとく大きな変化の時であった。2008年3月17日、長男の孝進様の聖和によって真のご家庭の後継者・相続者の争いが頭をもたげてきたのだろう。同年4月6日がハワイ・キング・ガーデンでの特別な式が行われた。この「母を中心としてカインアベルとなったので」は、その後どうなったのだろうか?ブログ・侍さんの記事「真のお父様が文亨進様を世界会長に任命された訓読会の映像を見て感じること」では2008年4月16日の動画が紹介されていた。また、それに続く「2008年4月18日は(七男さんが)世界平和統一家庭連合の世界会長に就任された。」であった。2008年7月19日、真のご父母様のヘリコプター事故。上記引用文からは21日に三男さんを中心に祝祷とあるがどこにそのみ言(事実)があるのか疑問が残るところだ。むしろ、当ブログでは22日に三男さんを呼んで以下の祝祷をされた記事(こちらの記事末尾)を紹介していた。この祝祷からは三男さんの名前一つもなく、継承どころか御父母様の「地上再臨完成時代」の宣布であり、人類救済へ向けた並々ならぬ決意があふれていた。三男さんはじめ真の子女様に願われたのは、このような父母様との一体圏の確立であったようだ。三男派の勘違いにもほどがある。さて、お父様のみ言でのお母様を中心としてのアベルカイン、特には、女性時代到来を迎えてのものであるが、『祝福 78号』(1993年秋号)ではすべての女性は真のお母様のお腹に入らなければならない、アベルカインもお母様のお腹に入ってお父様の種とお母様の種が一つになって出て来なければならないと書かれていた(重生・復活)。アベルカイン、お母様のお腹が絶対的に必要なのである。祝福式もお母様のお腹なしには不可能であった。(アベルの真の子女様とカインの祝福家庭が双子として生れたという条件を立てるために)。2008年4月6日の儀式もまたアダム当時、エバがサタンに引っ張られていき、カインもアベルを殺害したので、その逆の経路を辿って行くことによってお父様と一体圏をなしたという条件を立てようとされていた。ところが、聖書ではアベルカインの失敗によってみ旨に対する絶対性からセツ(七男さん)を立てることによって連結されようとした。それが侍さんブログの映像だ。映像冒頭からは皮肉なことに、三男さんの義父・カクチョンファン氏に三度以上もどうするべきかを尋ねていた。これがダメ押しとなって、三男さんは南米からインターネットで七男さんの就任式の様子を視聴することとなった。ヘリコプター事故後の三男派のいう祝祷があったのであれば七男さんとの交代もあって然るべきだが……。蕩減原理が残っている。カインはアベルと一つとなってお母様、そして、お父様だ。祝祷で三男さんに示されたものは、イエス様の十字架を生きて越えられた再臨主・真の父母としての勝利宣布であったはずであり、お父様お一人ではなく、父母様の実体復活の勝利圏を人類を代表して相続されようとされた意図があったのでは。ところが、ヘリコプター事故後退院されたあと、子女様方を代表して三男さんに語るように言われたとき、「お父様」のみで「真の父母様」としての勝利宣布の証は聞かれなかった。ブログ記事「ヨンギさんへの回答 」(以下)からの嘘つき映像。上記はヘリコプター事故に関する「2008年8月7日文顕進会長のスピーチ 」映像(2015/05/12 に公開)です。その映像最後がブログ「平和の主人 血統の主人」の記事「このままでは、顕進様は盗賊になってしまう・・・「もう無理だと」サタンが笑っている!!(草束事件から10年、「文顕進会長公開書信」から8年近く経っているのに・・・)(https://heiwanosyujin.muragon.com/entry/680.html)」からも「盗賊」発言を否定する何ものも見出すことが出来ない。その後、七男さんが世界会長でお母様を介してお父様にお願いしたときは、「家庭連合」も「統一教」への変更も許諾された経緯もある。一方、それに外れたときは激しくお母様をして怒られたりもした。2009年の束草事件も「GPFを1年間停止してお父様のもとでアベルカインについて勉強しなさい」であった。その後も「4本の矢(5本の矢)」が放たれたという。全てのキーワードは「アベルカインの原則」に尽きる話だ。カインはアベルを通してお母様、お父様へと連結されるようになっている。原理原則を離れては神様は役事されない。お父様の聖和式直後、三男さんは家庭連合(当時は七男さんの「統一教」)とは別の「独自路線」を行く声明を出していた。新東亜10月号 - 文顕進様の決断、郭グループの選択?!ムンヒョンジンさんの声明についてのご意見アベルカイン、一つとなるべきは三男さんと七男さんであったはずだ。三男さんの独自路線といっても、当時は七男さんが主管されていた「統一教」からであった。お母様が第二教祖となっての「家庭連合」ではない。三男さん、七男さんともに矢を向ける方向が違っている。しかも、銃やナイフではなく「真の兄弟愛」で一つになることではないか。アベルカインが一つとなってお母様のもとへ来てこそ、お父様に連結されるのであって、お父様は常に原理原則を示しておられた。悔い改めよ!!世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓にほんブログ村ランキング参加中。 応援クリックお願いします。 ↓↓
2017.07.30
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韓国・毎日宗教新聞(2017-07-29)コラムの記事(google翻訳)を紹介する。最近、キム・ジンミョン氏の小説「予言」が韓国で話題となっており、それをあつかったものである。キム・ジンミョン「予言」に再照明される文鮮明総裁の冷戦終結歴史的真実KAL襲撃扱った長編「予言」発行小説家キム・ジンミョン... 文総裁の「共産主義70年の」予言的中「ムクゲの花が咲きました」、「高句麗」、「サード」などでよく知られているミリオンセラー小説家キム・ジンミョン(60)の最新作「予言(PREDICTION)」が話題だ。この本が話題を呼んでいるのは、1983年9月1日の航空(KAL)旅客機007がソ連の戦闘機のミサイル攻撃を受け、296人の乗客全員が死亡した事件を素材にしているという点である。ところが、主人公であるジミンが刑務所でドア先生に会ってから、話の流れが変わることになる。この小説の後半では、主人公 文が登場するが、これは誰が見ても統一教会(世界平和統一家庭連合)の創設者の文鮮明(文鮮明)総裁を描写していることが明らかである。小説の中で、文は、ソ連解体7年前にそれを事前に予測し、そのまま実現した。統一教会レジスタンスを養成して後援して勝共(勝共)のための過去(至難)闘争を支援して行なう。この本を読んで感想をブログに掲載した独自の文が視線をドラッグすることで見る。何よりも、まだいくつかの論争の中の統一教文鮮明師の20世紀の冷戦終結に関するファクト(fact)が含まれているなんて、全くソルギトハン感情的に読んで見るようになった。 小説「予言」は血気幼いジミンが子供の頃、米国養子縁組に別れた妹が搭乗したKAL 007旅客機がソ連の戦闘機に襲撃されて死亡しながら始まる。 ソ連戦闘機のパイロットの復讐を米国で準備したジミンは思いがけずスパイに集まっ米国連邦ダンベリー刑務所に収監され、ちょうど1984年前に収監されている統一教文鮮明師と会って縁を結ぶことになる。続いて彼の世界勝共、冷戦終結の過程であった1985年、共産主義の終焉(終焉)宣言、1986年中南米カウ社(CAUSA)の動き、1987年にベルリンの壁の解体デモと共産圏宣教」蝶作戦」、1990年にゴルバチョフソ連大統領の出会いとソビエト連邦解体、そして最後に、1991年、金日成北朝鮮主席との出会いに同行しながら、ついにジミンは敵を許し、この民族の統一という新たな希望を持つようになる。 「真実は沈没していない」という命題のもとファクションに歴史的事実暴い しばしば小説はフィクションというフィクションとが、キム・ジンミョンの「予言」はフィクション(小説)の事実(ファクト)を加えたファクション(faction)で呼ばれる歴史的事実を暴いた。そのようなプロセスの中で、今まで私たちの既成社会で頑張って埋葬しまったかの歴史的な出来事が大きくあらわれた。それはこれまで、キリスト教的偏見により、そして1980年代、私たちの社会に攪拌打っいわゆる運動圏熱風によって埋もれてしまっても、歪みれた統一教会の文鮮明師の冷戦終結の動きである。いくらその真実をカバーするためにも、上書きされないことが歴史の宿命かより。すでに宗教的偏見から自由人であれば、文鮮明師が20世紀冷戦終結のために何をしたか、彼は身震い打っ行跡を知らないはずがないだろうどうしても尊敬の本音を私映らないことがないというのが歴史ある良心であり、宿命である。最近「ソユル号」の痛みの中で作られた「真実は沈没していない」という命題が多分文鮮明師も決してそのことを確信もここにある。しかし、普段尊敬するキム・ジンミョン作家が今回の作品「予言」を介して再び私たちの社会の純真な宗教的偏見のまな板の上に上がって、彼の名声と名誉が毀損されるか極めて慎重だ。事実、これまで統一教文牧師の真実を認めながらも、社会的偏見に自分自身を隠すた知識人たちが、そのどのようマンアトドンガ。そして、これまで宗教的偏見に無条件統一教会文牧師に石を投げた数多くの既成既得権層にも文鮮明師の明らかになるその間の真実は、一方で、不快な真実で近づくことなので心配にもなる。これらの不毛(?)した私たちの社会環境の中で、今回の「予言」は「果たして作家キム・ジンミョン」である、という賛辞をするしかないという気がする。キム・ジンミョン作家の「予言」の序文で、彼は「実在していたこれらの(統一教会文鮮明牧師など)の行為を無視するのは、「共産主義崩壊」の真実を上書きしまう不作為の作為になってしまうと思った」という言葉のように、彼良心に満ちた筆致を作品「予言」に加減なしに明らかに出た。 彼は私たちの社会ではまだ宗教的教義が違う理由だけで「カルトと異端」として非難されている、その偏見を離れて、歴史的の良心に従ったものである。キム作家の真の勇気に大きな拍手を送りたい。そして喜んで私は彼の良心と一緒にしたいという話も伝えたい。 時代は本当に多くも変わった。20世紀冷戦も行った。今残るのは、北朝鮮だけだ。しかし、北朝鮮は共産主義国家ではない。通常の共産主義国家であった場合、過去1989年のベルリンの壁の崩壊に続く東欧の民主化、ソビエト連邦解体の一環として韓国と北朝鮮も当時統一がなされたものである。しかし、残念ながら、北朝鮮は宗教国家だから、今日も彼らは「宗教的首領」を決死擁護するための核兵器開発に執着している。かつて統一教会文鮮明師は、「共産主義は、70年を行けないよ」は、いわゆる「共産主義70年ハンギェロン」を数回ボール・私的な席で表明している。そして、その方法論的に「真の愛統一論」を提示した。ところが、彼は言葉だけにとどまらなかった。自分の言葉を証明するかのように、彼は情熱に満ちた世界的な動きに70年ぶりに共産主義を崩すための世界が認めてくれない激しい道を歩いてきた。 時には「カルト異端の教主」として石投げを叩かれ、時には「救国の愛国者」として世の注目を受けながら、彼は享年93年の疲れ人生を勝利に導いた。なぜなら、ついに彼の言葉のように、1922年に発足した小連邦(ソ連)が1991年、正確に70年ぶりに解体された歴史を、最終的に作成したからだ。彼はまさに「歴史の神(神)」を証明したものである。これが本当であり、ファクトがなければ何だろうか。この否定することはできないという事実を見たとき、さすが彼疑似宗教の教主か世の中に質問をしてみことになる。正気の人間なら誰もが認める歴史的真実ではないだろうか。文鮮明師は、共産主義の終焉を絹神の歴史のみ見ておらず、人間と神の合同作品で見た。例えば、ジンインサデチョンミョン(盡人事待天命)であった。人間の精神を尽くし、空の意を待つという意味である。もし人類の歴史の神の摂理のみ動く場合。人間は神のロボットになる運命論に包まことができる。だから文鮮明師がその人間の責任の道理を果たす93年の生涯を、なぜ戦争に走ってきたのかを理解できるだろう。 次に、南北統一の時期2025年はどのような意味なのか?答えはすでに、上記の文の中に込められているので、よく解釈もよいでしょう。最後にキム・ジンミョン作家は、1983年にソ連の戦闘機に襲撃された大韓航空搭乗客269人に深い条(弔意)を示した。私はここで、過去8、90年代、共産圏の崩壊のための宣教方針である「蝶作戦」で犠牲になった統一教会圏地下宣教師たちも胸の深い敬意と敬意をしたい。これらの麦的な犠牲がなかったら、決して歴史を転換させた共産圏の崩壊もなかったことを思いながら、私は深くその方に感謝の気持ちだけだ。是非これからエボルレで目を覚ます蝶となり、私たちの時代の最後の南北統一のために棚を飛んでいただき分断祖国青年の一人としてお願いし。ファクション「予言」はついに「真実は沈没せずに、夢と希望を作る」は、歴史的事実を私たちに見せてくれた。 文鮮明総裁「ソ連7年內敗亡「予言現実に... 2025年ごろ統一扉消灯し推測小説家キム・ジンミョンが新しい長編「予言」を発行した。1983年搭乗客269人全員が死亡したKAL 007機襲撃事件を題材に大国の間で綱渡りする韓半島の運命を再び眺望する小説である。当時のソ連は、自国の領空に入ってきた民間航空機をミサイルで撃墜して世界の人々の怒りを買っが、結局崩壊の道に入ってから端緒になった評価だ。なぜどのようにアラスカを経由してソウルに来た民間航空機が長いソ連領空を飛行するのにも、米国はじっとたのか、ソ連が誘導着陸メッセージを送ったが、その内容を削除したまま発表した米国の意図は何だったかは、この過程で共産主義の終焉を予言した宗教指導者の発言は、どのような意味を持つのか、作家は特有の可読性の高い筆致で目まぐるしく続いていく。キム・ジンミョンは朴政権末期核兵器開発関連素材を取り上げ、600万部を超える超ミリオンセラーを記録した「ムクゲの花が咲きました」を、1993年に初めて出版した以来、今までに20パスポートに至る長編を出版した。チュルガンジャクに話題を起こし通算販売部数は1500万部を上回る。彼はインタビューを通じて韓半島の現状と進むべき方向について、落ち着いた口調で吐露した。 -34年も過去KAL 007機襲撃事件を今改めて取り上げている理由は?「韓国人は恨みをあまりにも早く忘れるようだ。日本にそのように惨めにされて連行され、性奴隷をしたにもかかわらず、日本がしようというよう合意した。歴史的に見ると、日本に侵略された回数だけ700回がわたり、韓国が日本を侵略した回数はゼロである。北朝鮮の核は90%程度完成されたし10%だけが残った。北朝鮮はどんな妥協もなく完成まで行く。米国も今最終的であるため、そのまま置くことができないだろう。韓半島にとても大きな軍事的危機が迫ったと報告している。このような時、私たちは、今までのように水にアルコール弾よう弱いに行く途中には、最終的に旧韓末のように悲惨にされてしまう。その点でKAL機事件を思い出してみようということだ。」 -小説ではKAL 007機ソ連領空飛行した謎を明らかに解明する。米国がスパイ飛行を誘導したという陰謀論も否定し、ソ連が誘導着陸メッセージを送信したことも確認する。戦闘機のパイロットの会話内容を盗聴した日本がこれをどのように活用したのかも示す。何を言ってたいと思った。「この小説を通し「歴史の痛みを覚えていることと、複数が重要で、その過程で結実を得ることができる」は、視覚を提示したかった。もう一つは、KAL機の問題をめぐり、大国間に起こる歪み、特に日本、米国、ソ連の3大強国によって実体が歪む過程を通じて、私たちの社会の自覚を促したいと思った。米国がKAL機撃墜したソ連戦闘機のパイロットオシフォービーチと軍指令室との間の対話した詩を除いて発表することにより、どのように実像を歪曲したのかだようみようというものである。今は彼と似たような状況である。何米国の話すると確認できず、ついていけしかない現実である。日本のであれ米国でも、中国でも同じだ。私たちの社会が先見の明を持って強大国が言うと金科玉条(金科玉條)であると信じによってはならない。」 -この小説は、KAL機襲撃事件と家庭連合創始者文鮮明総裁がソ連大統領ゴルバチョフと生前の金日成主席に会う話がもう一つの軸だ。いくつかの背景のか。「1983年KAL機襲撃された時、当時、韓国は、全斗煥前(前)大統領がほうきて奉仕するニュースが最初蛇口に出るほど情けない社会だったが、このような状況で文総裁をはじめとする統一教会(家庭連合)の人が共産主義に対抗南米やヨーロッパのようなところすばらしい規模で闘争しており、文総裁は「ソ連が7年以内に滅びる」という内容を碩学などの学術集会で発表した。このようなものは無視することができなかった。私はインテリジェンスのことだと思うので、宗教を嫌う。KAL機撃墜の対価として、ソ連が滅びということ書いて見たかったこれ書く過程で、文総裁と関連実在していた事実の中で最小の客観的事実だけ採用したものである。これらの行為を無視するのは、「共産主義崩壊」の真実を上書きしまう不作為の作為になってしまうと思った。」-小説の最後の部分には、文総裁の発言形式で韓半島が2025年に統一される予測する。いくつかの根拠なのか。「それは作家の見解である。1984年文総裁は、米国デンバーリー刑務所にいるときに、7年後に共産主義が滅亡するとしたのは、結果的に正確な予測だった。文総裁が北朝鮮を訪問した時、「私全権を与える3年以内に、南北統一をさせる」とした。金日成が、その直後に死亡した。金日成が生きていたら、何か多く変わったことがあります。第判断で今、核問題を含めて、すべてのことを見たとき、2025年はなければならない統一の扉が爆発すると推定したものである。20余年前「ムクゲの花が咲きました」を書きながらから北朝鮮の深さ調査し、核問題をはじめ、米・中・日・露韓国の関係などを丁寧にのぞきながら、南北システムが今のように行くのは2025年くらいが終わりという考えをするようになった。」 <続きを原文で読む>世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓にほんブログ村ランキング参加中。 応援クリックお願いします。 ↓↓
2017.07.30
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忠南新聞(2017-07-27)http://www.ccsimin.com/sub_read.html?uid=106451<続きを原文で読む>発行日2017-07-28第14面)ピースロードKOREA 2017」来月2日、京畿道議会で出発式韓半島の統一と世界の平和を念願し、全世界の人々が一緒に走る「ピースロード(Peace Road)KOREA 2017」が来月2日、京畿道議会1階の大講堂で出発式を有する。「ピースロード2017組織委員会」が主催し、(社)南北統一運動国民連合と平和大使協議会、UPF(天宙平和連合)が主催し、統一部、京畿道が主催する「ピースロード2017、京畿道統一大長征」は、全世界を一つの道接続することにより、世界の紛争と葛藤を解消し、人類をした家族で縛って地球村の平和の時代を開こうという意味を含んでいる。過去2013年の「韓日3千800㎞平和の自転車統一大長征」に出発したピースロッドは2014年14カ国、2015年には120カ国、2016年には125カ国が参加する世界的プロジェクトで拡大した。今年も去る2月2日113カ国450人の現職国会議員が参加した中、国会で世界出発式のに続いて、7月にヨーロッパを皮切りに、アジア、北米、南米、オセアニア、アフリカなどで125カ国、40万人が参加してている。韓国では8月2日都議会で出発式の後、同月14日に釜山から出発して、坡州臨津閣まで自転車国土縦走を展開する。また、21日には、ピース数の参加代表者500人余りが坡州臨津閣に集まって縦走完了式を持って、韓半島の統一を念願し、韓国の行事を終える予定だ。日本でも7月5日、北海道の宗谷岬を出発している。日本のピースロードオフィシャルサイトはこちらから。これまでも多くのニュースがUPされており、関心を持ってご覧いただきたい。八幡濱新聞に掲載されました世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓にほんブログ村ランキング参加中。 応援クリックお願いします。 ↓↓
2017.07.28
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統一教会の経典の秘密のブログのビデオを見ての感想--あまりにもズサンな「独生女批判理論」の続き。それを前に、第2弾ビデオ「真のお母様の独生女問題 2 - 真のお母様の‘主管性転倒’問題」(約1時間)を見られた方は、実に無駄な時間と労力を浪費したと申し上げておく。なぜなら、第1弾ビデオの続きから「主管性転倒問題」を取り上げているが、これは、原理の堕落論からの『堕落性本性』の一つを扱ったものに過ぎないからだ。では、堕落性本性とは何か?(六) 堕 落 性 本 性天使が神に反逆して、エバと血縁関係を結んだとき、偶発的に生じたすべての性稟を、エバはそのまま継承したのであり、こうして天使長の立場におかれるようになったエバと、再び血縁関係を結んだアダムも、またこの性稟を受け継ぐようになった。そして、この性稟が、堕落人間のすべての堕落性を誘発する根本的な性稟となってしまったのである。これを堕落性本性という。その堕落性本性を大別すると神と同じ立場に立つことが出来ない自己の存在位置を離れる主管性転倒犯罪行為を繁殖でもって「主管性転倒」は三番目。ところが、堕落性本性も順をおって提示されているものであり、その一番目が「神と同じ立場に立つことが出来ない」、ちょうど三男さんがご父母様の元を離れていく過程を見るがごとくである。二番目は「自己の存在位置を離れる」である。三男でありながら「長子」を固持しようとした。そして、三番目が「主管性転倒」だが、三男さんがお母様を逆主管しようとしているのが今日の分派活動ということだ。そして、四番目の「犯罪行為を繁殖」だが、その例の一つに「責任転嫁」が挙げられていた。まさに、三男派のいうところのこの「主管性転倒」こそが私のいう「責任転嫁」ということだ。第一弾、第二弾までもビデオを見られた方々、無駄骨お疲れさまでした。三男さん(祝福権を有しない天使長)がアダム・エバ当時のエバを誘惑している(引きずり降ろそうとしている)ような光景を連想するのは私一人だろうか?!第一弾のビデオ「独生女批判理論」にもどっての話をしよう。語っている講師の前半の部分から、原理理解の幼稚さ加減にも呆れるばかりである。上記映像画像「性の役割による四大心情圏の完成」の説明で、男性は男性で、また、女性は女性でそれぞれに四大心情圏を完成するということだが、それぞれが単独で「愛を完成」することが出来るだろうか? といった疑問すらわいてこないのも当たり前だ。主体・対象の授受作用によって可能なのであって、それすら分からずに語っているとは馬鹿げた話だ。これを拡大解釈すれば、同性愛も容認しているような内容だ。「祝福と理想家庭」からの引用を出されているのであれば、当然、お父様の語られた「無原罪・独生女」のみ言もしっかりと見られているはず。これを隠しての「独生女批判理論」講義に真実性はない。お父様がお母様が「無原罪・独生女」だと語られたみ言が「祝福と理想家庭」にシッカリと印刷されていた。当ブログでは今年2月「独生女考(23)ーー「お母様は原罪なし お父様は原罪あり」はお二人だけの「秘密」 」の末尾で紹介していた。韓日対訳なので日本語ページは奇数ページとなるが、特にはP.279 を読まれて皆さんはどう思われるか!! ビデオのような数行の抜き出し文ではないからその真偽も自ずと理解することが出来るだろう。ビデオ講義では「祝福と理想家庭」のみ言を隠している。ほか、本全体の流れで「独生女」について書かれていた。手元にある方は確認されることをお勧めする。【参考記事】独生女考(21)-- 独生子といえども「罪人」として歩まざるを得なかった理由独生女考(22)-- 『独生女理論』は存在しない。ーーデマねつ造である!!独生女考(23)ーー「お母様は原罪なし お父様は原罪あり」はお二人だけの「秘密」「バカか?!」というには失礼に当たる方ーー能登家庭教会 郭 炳憲教会長へ独生女考(24)ーー 「独生女」、その前に「独生子(ひとり子)」とは?独生女考(25)-- ヤコブ家庭におけるエバ(独生女)復帰パイオニアカフェ、「原理講論」改ざんに向けての情報操作開始か?冒頭には、聖書解釈の逐語霊感説をあげては「原理講論」も同様で文字の虜になっていないかといっては原理自体を否定しようとしている。また、別の観点からも時代的にそぐわなくなってきているとも書いていた。信仰面においてもその主体が「神さま」や「真の父母様」ではなく「個人」に重点を置くよう仕向られており、「み旨」や「摂理」を忘れさせようともしているようである。 赤・天聖経のときはあれほどまでに分派の方々は黒・天聖経を「改ざんした!」と騒いだではないか。 ところが、今回はその逆である。三男派が今度は言われることになろう? 「臭い物に蓋を」ではないが、独生女を批判されている方々にとっては原理講論やお父様の「独生女」発言は「目の上のたん瘤」であり、この情報操作を通していつしか過去のものとして片づけてしまおうとされているようだ。 「独生女」、これは真のお母様が真新しく語られたみ言ではない。真のお父様も「独生女」について語られている。これについては、すでに当ブログでもお父様のいくつかのみ言を列挙しており、独生女の無原罪についても語っておられた。 分派の方々はお母様の発言だけを取り立てて、お父様のそれを見ようともしない。 偏向、偏見による偽情報にも注意を要するところだ。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓にほんブログ村ランキング参加中。 応援クリックお願いします。 ↓↓
2017.07.27
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統一教会の経典の秘密のブログ記事『人類史上最も邪悪な金振春の「独生子・独生女・真の父母論」』のビデオを見ての感想というよりは途中下車の報告を申し上げておく。その理由の一つとしてみ言の抜き出しのズサンさからだ。画像からは「祝福と理想家庭」P.145 となっていたが、手持ち(韓日対訳)のそれを探してみてみればP.281 にあった。ここでも「完成したエバを復帰」して完成していたなら、「エデンで失った最初のアダムの家庭を復帰していたでしょう。」イエス様お一人で来られるのではなかったことが書かれていた。また、これの次ページといってもP.283 なのだが、再臨の目的はまさに、完成したエバを復帰して「子羊の婚宴」をされるとも書かれていた。……このような終局的な最高の頂点が、黙示録に予言されています。これがすなわち「子羊の婚宴」です。再臨される主は、まさにその子羊であり、完成したアダムです。主は完成したアダムとして来られ、完成したエバを復帰されるでしょう。このとき、彼らは人類の最初の父母となり、神の喜びも完全に成就するでしょう。抜き出し文だけでの誤魔化しがここにある。さらには、私のブログ記事で「祝福と理想家庭」からお父様の「独生女」み言も挙げていた。それも見られてのものであろう。これを隠されずに出されたらいかがか。ほか、原理講論の予定論の一文。日本語の原理講論とページ数が違うところを見れば、韓国語版からのそれを自分のいいように翻訳して掲載したもの。日本語版に書かれた予定論本来の意味合いからは大きく外れているようである(原理講論の改ざん?)。日本語の原理講論の予定論からは、メシヤの使命についてではなくみ旨の絶対性について書かれていたものであり、アダムの失敗によってその代理者イエス様、さらには、再臨主を立ててまでしてみ旨成就をなさろうとされる神の意図が書かれていた。では、神が創造目的を復帰されるみ旨を予定されるに当たって、どの程度にまで予定されて摂理なさるのだろうか。神は唯一であり、永遠であり、不変であり、絶対者であられるので、神の創造目的もやはりそのようにならざるを得ない。したがって、創造目的を再び完成させようとする復帰摂理のみ旨も唯一であり、不変であり、また絶対的でなければならない。それゆえ、このみ旨に対する予定も、また絶対的であることはいうまでもない(イザヤ四六・11)。このように、み旨を絶対的なものとして予定されたのであるから、もしこのみ旨のために立てた人物がそれを完成できなかったときには、神はその代理として、他の人物を立ててでも、最後まで、このみ旨を摂理していかなければならないのである。その例を挙げれば、アダムを中心として創造目的を完成させようとしたみ旨は達成できなかったが、このみ旨に対する予定は絶対的なので、神はイエスを後のアダムとして降臨させて、彼を中心としてみ旨を復帰させようとされた。そればかりでなく、ユダヤ人の不信によって、このみ旨がまた完成できなかったので(前編第四章第一節(二))、イエスは再臨されてまでも、このみ旨を必ず完遂することを約束なさったのである(マタイ一六・27)。また、神はアダムの家庭で、カインとアベルを中心とした摂理において「メシヤのための家庭的な基台」を立てさせようとされた。しかし、カインがアベルを殺害することによって、このみ旨は成し遂げられなかった。ゆえに、その代理にノアの家庭を立てて摂理されたのである。更に進んでノアの家庭が、またこのみ旨を完成できなかったとき、神はその身代わりにアブラハムを立ててでも、どうしてもそのみ旨を完成なさらなければならなかった。神はまた、アベルによって成就できなかったみ旨を、その身代わりとしてセツを立てて成し遂げようとされたのであり(創四・25)、また、モーセによって成し遂げられなかったみ旨を、その身代わりにヨシュアを立てて、成就させようとされた(ヨシュア一・5)。そして、イスカリオテのユダの反逆によって完成できなかったみ旨は、その身代わりとしてのマッテヤを選んで成し遂げようとされたのであった(使徒一・26)。ここでもズサンな引用としか言いようがない。次に、「独生子」(男性)があれば「独生女」(女性)もあって然るべき、が原理である。ビデオでは、お父様の語られた新たな「独生女」(以下)も紹介されていた。この抜き出し文も前後がどうなっているのか怪しいものである。というよりは、創世記からのそれと同じで、アダムは(神様に代わって堕落前の)エバを創造するようになっていたのであり、堕落したので、独生子はエバ(独生女)を「再創造」しなければなりません。ということだ。以下もまた悪意ある身勝手な原理解釈としか言いようがない。お父様の語られたアベル・カインは上記は2008年4月6日の映像であるが、「顯進任をカインの立場、國進任をアベルの立場に立たせられ」、「二人が一つになり、その土台の上で真のお母様を通じてお父様に来なさい。」はどうなったというのか? お母様お一人に罪を擦り付けようとする「責任転嫁」というものである。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓にほんブログ村ランキング参加中。 応援クリックお願いします。 ↓↓
2017.07.25
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ママさんが金沢のある婦人から紹介されて購入した本が教会を通じて届いた。https://www.kogensha.jp/shop/list.php?search%5Bform%5D=1&search%5Bsort%5D=&search%5Blimit%5D=&search%5Bq%5D=%E3%81%BF%E8%A8%80%E3%81%AE%E8%A8%BC&search%5Bname%5D=&search%5Bauthor%5D=&search%5Bpublisher%5D=&search%5Bcategory%5D=&search%5Bcategory2%5D=&search%5Brelease%5D=&search%5Bprice%5D=本書は史吉子先生が真のお父様から直接受けたみ言や、侍る中で感じられた内容に原理的解釈を交え整理されたものです。 原理講論の章構成に沿う形でまとめられており、原理の深い理解とともに原理的信仰が学べ、...私も気にかかるタイトルを数十ページほど読ませていただいたが、なるほど! と感じるものが多くあった。原理講論には書かれていない内容も少なからずあり、これを読まれて私たちの知らないお父様を感じていかれたらよいと思い、ここに紹介する。ひとつに、「独生女批判理論」を推進される方々は下記をもって非難されておられる。「私は腹中から3代一人娘の母系として血統転換し、原罪を清算して純潔で誕生した独生女だ。ところがお父様は原罪を持って生まれた。私は一人娘として生まれたが、お父様には複数の兄弟がいる。お父様が原罪なく生まれたなら、その兄弟たちも原罪がないという話になる。したがって、お父様は原罪なく生まれたのではないということだ」「原罪を持って生まれたお父様は、原罪なく地上で生まれた独生女に会って原罪を清算した。したがって、お父様は私に会う前に、他の女性との結婚をしてはいけなかった」これに対しての回答とまではいかないが参考となる文も発見すことが出来た。これらに対しては、全体を読まれて祈りの中で判断されるべきものと思う。以下もその中の一例としてだ。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓にほんブログ村ランキング参加中。 応援クリックお願いします。 ↓↓ 以下もまた、過去記事からの参考文章。Family 2009年1月号のお父様のみ言『「原理本体論」について」』(2008.8.31 天正宮博物館での訓読会で)からの一部である。サンクに行かれた原理本体論の講師の方も講義をされながら、結果的にはその本体(実体)が真の父母様であられることを悟ることが出来なかったようだ。P.48~末尾から49にまたがっての文も紹介しておこう。世界平和統一家庭連合とは何ですか? 先生の代身者が、サタン世界で金城金壁の、万年たっても壊すことのできない城を築くものではないですか?現在、世界平和統一家庭連合(家庭連合)の旗印を再び掲げられたのはどなたですか?!家庭連合を否定される方は、その方向がどちらにむかっておられるのか、である。分派の方々は、家庭連合をを目の敵であるかのようにされては「家庭連合」(FFWPU)を語ろうとはされないが、果たして「先生の代身者」として資格をもって鉄壁の城が築けるとでもいうのだろうか。
2017.07.23
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天一国経典「天聖経」の文庫版(全5冊、初版2000セット)が8月4日発売されるということだ。https://www.kogensha.jp/shop/detail.php?id=3734上記URLからは「立ち読み」もあり、文庫本とあって片手でも読みやすい構成となっていた。家庭にまだない方は、毎朝の訓読会にも活用していけるものと思われますので、ご検討ください。
2017.07.23
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私が「独生女理論」なる言葉を聞いたのは2015年4月、郭炳憲元能登教会長からだった。当時は鮮文大の教授のそれとか言っていたが、最近の「独生女論」は2017年4月のものを指してのものらしい。批判される方々にとっては、それが何であってもお構いましということらしい。ところが、今回のビデオ「独生女批判理論」を見る限りにおいても、お父様が御言葉集で180回「独生女」を語っておられたということだが、その一つの提示もなされないままのそれこそが批判するためだけの何物でもないことを物語っていた。そもそも「独生女」についても聞きなれない言葉としてのみで批判が先行するばかり、それについての説明がない。ブログ「侍さん」の記事からは、「独生子」は韓国の聖書によるもので「独生女」はお父様の造語という話だ。これの意味、位置づけが欲しいものである。私の過去記事からはお父様の語られた「独生女」を8個挙げていた。一つは天聖経(黒表紙)韓国語版のP.177の記載文(以下)から3個、そして、「独生女考(13)-- 「独生女」は「黒・天聖経」のほかにも!!」(以下に抜粋)からは5個だ。さて、今回は別の書物からの「独生女」の記述の紹介である。これも真のお父様のみ言である。 出典は『祝福と理想家庭 -韓日対訳No.1-』(1989.12.20発行)のP.268、P.269である。以下はそれの拡大したもの。5個もの「独生女」を発見することが出来る。 今日、キリスト教で言うひとり子とは一体どんな意味を持っているのでしょうか。また、ひとり娘とはどこにいるのでしょうか。イエス様がひとり娘を探し出していたなら、今日の摂理歴史は新しい転換点を迎えていたでしょうが、ひとり娘を探せ出せなかったことが歴史的な悲劇となったのです。 再創造の歴史の中で、ひとり娘はどのようにして探し出すべきでしょうか。ひとり娘はアダムによって再創造されなければなりません。神はアダムのあばら骨を取って配偶者をつくったという事実に留意すべきです。それは、実際にアダムのあばら骨を取ったのではなく、アダムに似せた相対者としてつくられたという意味なのです。だからみ旨にかなうように育てなければならないのです。そのために、ヨセフ家庭とザカリヤ家庭、洗礼ヨハネ家庭とヨセフ家庭が必要だったのです。ほかにも「独生女」の日本語訳「一人娘」ということで、『真の御父母様の生涯路程 (10) 』からのお父様のみ言葉を挙げていた。一人娘(独生女)について――真のお父様のみ言から お母様になる人は、血統的にどのような過程を経なければならないでしょうか。お母様を選ぶにおいては、すべての条件が合わなければなりません。それは簡単ではありません。前後で合わなければならず、左右で合わなければならず、上下で合わなければなりません。お母様の顔がかわいらしいからということで立てたのではありません。条件が合わなければなりません。その第一の条件は、どのような血筋に生まれついたかということです。サタン世界から讒訴され得る血統の因縁をもって生まれたのか、そうでなければそれを乗り越えることができる血統的内縁をもって生まれたのかということが重要です。 それゆえに七代続きの一人息子としてかろうじて続いてきて、その七代続きの一人息子の前に、三人の娘をもったそのような家に天地が訪ねてくるのです。そのような内容をもった三女、次女、長女の三人が一つになり、その父母まで合わせてすべて愛で一つになり、推戴することができる基盤になるようになれば、お母様がそこから選択されるのです。それは天の法度になるのです。 お母様は世界の女性たちの代表です。全人類の女性を代表して一人の女性がつながって、お母様に連結させるのです。ですから、お母様になられる背後においては、三代が連結されなければなりません。本来は一人息子、一人娘にならなければなりません。アダムも一人息子でしょう?イエス様もひとり子ではありませんか。再臨主も、神様のみ旨から見れば一人息子と同じです。一人息子のみ旨を立てていくからには、長女である一人娘がいなければなりません。それゆえに復帰摂理において、男性と女性が相対的な立場で一つになって連結され、この世のサタン世界を越えて天国に行かなければなりません。 エバがアダムを通して造られたように、お母様は、全く分からないところから出てこなければなりません。親戚が多くてはいけません。三代があとについてきてはいけないのです。普通であってはいけないのです。まさしく今のお母様がそのようなお母様です。お兄さんもいない上に父親もなく、独りです。母子二人しかいません。 み旨のために、幼い時も支援を受けずに独りで生きた一人娘です。七代続きの一人息子の家系だと言ったでしょう。そのような一人息子にしたのは、サタンの血統をごちゃごちゃと残さないためです。それで、このおばあさんも一人娘です。お母様も一人娘です。三代が巻き込まれていくのです。ですから、お母様は三代の受難を受けました。祖母と母親の二人が信仰に狂って歩いたので、おしめにしても満足に当ててもらい、御飯にしても満足に食べさせてもらったでしょうか。上記はお父様がお母様の血統にまで触れていた。このように、独生女批判理論を振りかざされるのであれば、お父様のみ言についても明示されていかれてこそ理論として認められるというものだ。ところで、独生女批判理論をされておられる方々を見ていると、ふと、ある聖書の場面が脳裏に浮かんできた。ヨハネによる福音書/ 08章 01節~11節イエスはオリブ山に行かれた。 朝早くまた宮にはいられると、人々が皆みもとに集まってきたので、イエスはすわって彼らを教えておられた。 すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、 「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。 モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。 彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。 そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。 そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。 女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。〕イエス様が黙々と地面に書いておられたのは、そこに集った人々の罪の数々であったのではないか、という礼拝を受けたことがある。当時、律法学者やパリサイ人たちが一人の女性の淫行でもってイエス様を試されたものであった。今日も一人の女性(お母様)を取り囲んでその罪(?)を暴こうとされておられるのが、批判者の方々の姿だ。このイエス様のみ言葉を思い起こして欲しい。批判される方々の中で、誰がお母様に石を投げつけることが出来るというのか。「罪のない者」--その人こそが「独生子」「独生女」である。もしもそのような人があれば、私ほかみんながその人に付き従うだろう。また、キリスト教とは罪のないイエス様が「私」(人類)のその罪のあがないとなって十字架の道を行かれたものだ。2008年7月19日のヘリコプター事故は、まさに、真の父母様お二方で超えていかれたゴルゴダの丘であった。ところが、イエス様のように死んでよみ返った(霊的に)のではなく、本体(実体)そのものが生きてそのゴルゴダを超えられたのだ。それを私たちは信じることができるか?!以下、ヘリコプター事故後の真のお父様の祝祷。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓にほんブログ村ランキング参加中。 応援クリックお願いします。 ↓↓
2017.07.22
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まず結論から申し上げる。これまでも私が主張してきたように「独生女理論」も、また、最近は「独生女論」となっているようだが、それらはありもしない。あるのは、家庭連合批判のために作りあげられた造語でしかない。最近の独生女批判のビデオも見た。そこにはお父様が「独生女」の言葉を180回も語られていたという字幕も目にした。ところが、次の画面ではお母様によってデビューしたかのように論法がすり替えれれていた。お父様の180回の「独生女」一つの紹介もない。よって、これこそが「独生女批判理論」としか言いようがないのである。以下の字幕スーパーを見れば、それが歴然としている。果たして、私たちが初めて聞く主張なのだろうか?原理講論からは「無原罪の父母」が書かれており、お父様も無原罪の「独生女」と語っておられた。180回語られたというお父様の「独生女」のみ言、全てを提示してこそ、それが真実かどうか分かる話だ。どなたか、それが出来ますか?世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓にほんブログ村ランキング参加中。 応援クリックお願いします。 ↓↓
2017.07.22
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韓国FFWPUホームページ(要ログイン)からのニュース。「米国マディソンスクエアガーデン特別集会祝勝会、200指導者参加」からの一部(google翻訳)が以下です。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓にほんブログ村ランキング参加中。 応援クリックお願いします。 ↓↓ 今日付けで「自称ルポライター米本氏、師観さんへ 早速ですが!! 」に以下のコメントがありました。奇知外記さんへこの記事を書かれた奇知外記さん、赤線の次をよく読んでください。あなた様の解釈が間違いですぞ!!違いますか??また、この様な、部分的な抜出をして、一過性扱いで、それだけで、結論付けること、まさに、気違いじみた、信ぴょう性に欠けた記事になりかねません。この様なことを記事にするなら、時系列に整理して、多方面からの御言葉を取り上げて、誰が読んでも、なるほど・・・、と思える記事にすることが必要とおもいますが・・・。 (Jul 21, 2017 04:53:54 PM)これに対しての私からの回答は藪から棒さん訪問ならびにコメントありがとうございます。祝福家庭19号のP.9フォトを見ても、P.18からは興進様のご家庭が前に立たせられたということ、P.22~のお父様の祝祷では興進様以外の三男さんの名は発見することが出来ませんでした。過去記事で郭錠煥氏の語った内容も紹介していました、そちらもご確認お願いします。https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201706250000/ 念のために記載しておきますが、祝福家庭P.99下部の左側3行目からです。> 過ちを犯し、完全になれない祝福家庭をこの清平を通して再び教育し、指導する、このような全権を真の父母様が興進様に相続委任をされる式が、きょう行われたのです。(引用終わり)郭錠煥氏も清平の素晴らしさを語っておられました(当時)。清平を否定すれば三男さんの祝福権も遠のいていっている事実には変わりありません。 (Jul 21, 2017 09:38:29 PM)>この様なことを記事にするなら、時系列に整理して、多方面からの御言葉を取り上げて、誰が読んでも、なるほど・・・、と思える記事にすることが必要とおもいますが・・・。三男さんの祝福権の移譲(委譲)がなかったことは、誰が読んでも明らかにしました。藪から棒さん、私tomy4509の部分的な抜き出し、一過性のものではないことを確認されたでしょうか?一方、部分的な抜き出しによる誰を指しているとも分からない「長男」を扱ったHOPEさんのそれに対しての批判はどうなのですか?
2017.07.21
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以下、師観のブログから。どのようにして清平役事ははじまったのか。(A氏の証言)http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-208.html参考:昔米本ブログに載った清平誕生の話(A氏の証言) 証言いたします。 清平の役事は、もともと会議で決められて始まったものです。1993年に、お父様が「韓国は独立経済でやるように」とおっしゃり、運営に困った幹部の方々が私的な会議を何度か持ちました。最初の会議は1994年の夏のことでした。(以下、省略)如何にも(悪意に満ちた)妄想癖のある自称ルポライター米本氏に唖然とするばかりだ。文章自体がルポライターとは思えない「駄文」、作り話そのものである。さて、原理講論を捨てたUCIグループの師観さんほか三男派は清平を否定すればするほどに三男さんが天地人父母様や天の父母様から遠のいていくばかりか、祝福権すらないことを証明しているようなものだ。原理講論を捨てた上に霊界までも否定しようとしていること自体が共産主義と何ら変わり映えしない。2000年9月の三時代転換式でのお父様のみ言をまったく無視したものである。興進様が兄、顕進様が弟の立場で、顕進様の祝福権は「興進様が持っていた権限を弟に与え……(以下)」上記文章を見る限りでは、「弟である顕進を立てたとすれば」と仮定形になっており、郭錠煥氏が当時三男さんへの祝福権の移譲(委譲)を否定していたことを裏付けている。2000年9月のお父様のみ言からは清平(興進様)についても多く語られていた。祝福家庭18号、19号、20号をお持ちの方は一読をお勧めする。cocoaさん、2015年の祝福式は無効ということです。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓にほんブログ村ランキング参加中。 応援クリックお願いします。 ↓↓
2017.07.19
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自称ルポライター米本氏への謝罪文掲載から4年が経過した。現在も米本ブログに残る謝罪文(画像にて)この謝罪文に関してはすでに「国内外の拉致に国境はない!! --Part.67-- 米本和広氏への謝罪文撤回、削除します!!」「自称ルポライター米本和広様へ--「謝罪文撤回宣言文」(再) 」で撤回・削除をしていた。事の発端は2013年1月にtomy4509の別ブログに不正アクセスがあった。しかも二か所から。その一つはすでに警察の捜査によって2014年4月に人物(キジ氏)が特定されたが、もう一つの不正アクセスのIPアドレスから「島根」「自称ルポライターY氏」(匿名)を挙げてていたためだ。2013年4月には本部教会を介して米本和広氏から「不正アクセスの潔白」を訴える連絡があり、ブログ記事「”石をパンに変えてみろ” ?! 」で不正アクセス記事の自粛を伝えていたが、その7月には米本和広自身から以下の手紙を受け取った。謝罪文撤回・削除宣言文からもあるように、手紙文にあるtomy4509を「名誉毀損」で訴える具体的な事例文、つまりは米本氏(実名者)名指しでのそれが何一つ提示できなかった。その9月の「氏名公表」(米本ブログ削除済み記事)自体も契約違反・詐欺行為そのものであった(過去記事で掲載済みは省略する)。これを理由に、ブログ「火の粉」20記事弱がFC2事務局様を介して既に削除済みである。さて、不正アクセス関連に戻る。ブログ「火の粉」のカテ「下劣な食口たち」(別名、ヘドロシリーズ)記事群が不正アクセス情報によるデマねつ造記事であることも当ブログで訴えてきた。下劣なヘドロシリーズに残る画像(以下)自体が、まさにID/パスワード無しには得ることが出来ないものであり、不正アクセス情報の証拠物として挙げていた。米本氏はこれをも未だに認めようとしてはいない。http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-388.html2014年4月に特定された不正アクセス者(キジ氏)からも米本氏への情報提供を認めた証言もあったにもかかわらずだ。このように社会的既得権を持たれた米本氏の不正を風化させないようにしたい。また、今後もブログ「火の粉」の不正やデマにも監視の目を怠らないようにしていこう。同時に、改めてブログ村のカテゴリー「家庭連合」は適正かの論議も高めていけたらと思う。問題画像では「人権」への強制移動をブログ村へお願いしていた。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓にほんブログ村ランキング参加中。 応援クリックお願いします。 ↓↓
2017.07.19
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류문명사로 본 하늘의 섭리와 미국의 사명참부모님 매디슨스퀘어가든 특별평화집회 말씀천일국 5년 천력 윤5월 22일(양, 2017.7.15), 미국 뉴욕 매디슨스퀘어가든존경하는 내외귀빈, 평화대사, 학계·정계 지도자, 미국성직자회의(ACLC) 성직자 여러분, 세계평화통일가정연합의 축복가정 식구 여러분, 미래의 지도자로 성장하고 있는 세계평화청년학생연합의 학생 여러분! 나는 오늘 축복받은 미국의 책임에 대해서 얘기하고자 합니다. ‘인류문명사로 본 하늘의 섭리와 미국의 사명’이라는 제목이 되겠습니다. 하나님의 뜻과 기독교 역사오늘날 세계를 둘러보게 될 때 도처에서 종교분쟁, 사상분쟁, 더 나아가서는 천재지변이 벌어지고 있습니다. 인간에 의해서 만들어진 공해로 1년에 우리 새싹들 70만 명이 죽어가고 있는 현실을 놓고 볼 때, 우리의 미래 희망은 어디에 있습니까? 어떤 이유에서 출발하고 어디에서 출발되었든 간에 종교의 목적은 하나여야 합니다. 우리는 하나님을 알아야 합니다. 본래 우주의 주인 되시는 창조주 하나님께서 천지만물을 창조하시고 인간시조 남자와 여자를 창조하셨습니다. 그들에게는 특별히 성장기간을 통해서 책임을 할 수 있는 시간을 주셨습니다. 하늘은 그들이 하나님과 절대사랑·절대복종으로 하나되어 아름답게 성장하기를 바랐습니다. 그래서 그들은 하나님으로부터 ‘너희는 인류의 참부모가 되어라.’ 하는 축복을 받아야 했습니다. 그러나 불행하게도 성장기간에 욕심이 생겼습니다. 그것이 오늘날의 인류를 만들었습니다. 전지전능하신 하나님께서는 창조원칙에 의해서 인간을 지으셨기 때문에 인간 스스로 승리한 자리에 나아가야 했습니다. 그러나 하나님을 모르는 인류는 하늘의 뜻을 받들어 나아가기가 쉽지 않았습니다. 하나님께서는 이스라엘 민족을 택해서 당신의 뜻을 이루려 하셨습니다. 4천 년이라는 기나긴 기간을 통해 잘못된 것을 개인에서부터 민족에 이르기까지 탕감복귀해 나오면서 보내준다고 하신 구세주 메시아 예수 그리스도를 보내주셨습니다. 그런데 어떻게 됐습니까? 예수님께서는 하나님의 독생자로 탄생되셨습니다. 하나님께서는 창조할 때 남자와 여자를 창조하셨습니다. 그러면 예수님께서는 남자이시니 여자를 만나야 합니다. 그러한 준비를 해야 할 마리아, 사가랴 가정, 유대교, 이스라엘 민족이 책임을 못 했습니다. 예수님 혼자서는 뜻을 이룰 수 없습니다. 십자가에 돌아가실 수밖에 없는 자리에서 예수님께서는 다시 온다고 하셨습니다. 다시 와서는 어린양 잔치를 한다고 하셨습니다. 기독교 역사는 다시 온다고 하신 주님을 기다리는 믿음에서 성령의 역사로 시작된 것입니다. 그러나 초기에는 극심한 핍박과 몰이해를 당했습니다. 300년이 지나서 로마에서 공인을 받고 이탈리아 반도를 지나 유럽 대륙을 거쳐 섬나라 영국에 전파된 것입니다. 기독교를 중심하고 영국과 그 주변의 나라들이 대서양문명권 시대를 열어 세계로 향했습니다. 그러나 그들은 예수님의 본질을 몰랐습니다. 하나님의 섭리를 바로 알지 못했습니다. 결국 후퇴하고 말았습니다. 그리하여 정신문명보다는 물질문명의 발달을 추구해 나온 것입니다. 그것이 오늘날의 현대문명입니다. 참부모의 현현과 승리17세기 영국 킹 제임스에 의해서 성경이 영어로 번역되면서 새로운 신교운동이 일어나게 됐습니다. 그래서 세워진 대표적인 나라가 미국입니다. 하늘이 다시 온다고 하신 재림메시아의 기반을 준비하기 위해 축복한 나라가 미국입니다. 미국은 건국한 지 200년이라는 짧은 기간에 강대국이 됐습니다. 그것은 하늘의 축복이 있었기에 가능했습니다. 예수님께서는 다시 온다고 하셨습니다. 영적으로만 오셔서는 인류의 참부모가 될 수 없습니다. 육신을 쓰고 오셔야 하는 것입니다. 다시 와서 어린양 잔치를 한다고 했으니 기독교문화권 안에서 독생녀가 탄생되어야 하는 것입니다. 하늘은 독생녀 탄생을 위한 준비를 시작하셨습니다. 책임 못 한 민족이나 나라나 중심인물은 다시 들어서 쓰시지 않으십니다. 왜냐하면 탕감이 남아 있기 때문입니다. 우리는 역사를 통해서 그런 민족이나 나라나 중심인물이 어떤 탕감을 치렀는지 알고 있습니다. 하늘은 아시아의 한민족을 선택하셨습니다. 그리하여 기독교 기반을 중심하고 1943년에 독생녀를 탄생시켰습니다. 한국은 1945년 해방됐습니다. 해방과 더불어 남북으로 갈라졌습니다. 민주주의와 공산주의로 나뉘어졌습니다. 북한은 공산주의 한 체제로서 남침할 준비를 하고 있었습니다. 그러나 남한은 민주주의가 아직 체계를 잡지 못하고 있던 때였습니다. 창조원칙에 성장기간이 있는 것과 마찬가지로 탄생한 독생녀에게도 성장기간이 필요합니다. 하늘은 위험한 지역에 독생녀를 놔둘 수 없어서 남한으로 내려오게 하셨습니다. 남한으로 내려왔는데 1950년 6·25동란이 일어났습니다. 당시 남한은 이북을 상대할 능력이 없었습니다. 그때 하늘은 기적과 같이 유엔군을 동원하셨는데, 16개국이 참전하여 선의 피를 흘렸습니다. 그래서 오늘날 민주주의 한국이 있게 된 것입니다.세계 문제를 해결하기 위해서는 참부모가 현현해야 되는데, 1960년 참부모가 나타난 것입니다. 그러나 기독교권이 환경이 되어 주지 못했습니다. 참부모는 밑에서부터 밟아 올라와야만 했습니다. 그래서 민족을 대표할 수 있는 430쌍 축복까지 완료했습니다. 그런 와중에 하늘이 축복했던 미국이 병이 났습니다. 1971년 참부모는 미국에 와서 미국의 모든 문제들을 치유하고 회복하는 일에 앞장섰습니다. 그리하여 많은 의로운 사람들과 청년들이 레버런 문을 따르게 되니 이해를 못 한 몰지각한 일부 정치인들이 레버런 문을 미국에서 쫓아내려고 했습니다. 그 결과로 댄버리에 간 것입니다. 참부모의 사명이 아니었더라면 미국에 올 필요가 없었습니다. 참부모였기 때문에 온 것입니다. 미국을 구하고, 세계를 하나님의 품으로 인도해야 되기 때문에 댄버리의 고난을 감수하고 미국에서 40여 년간 피와 땀과 눈물을 흘렸습니다. 미국이 하늘의 축복을 받은 나라로서 책임을 해야 되는데 개인주의, 가정파탄, 청소년 문제로 한 치 앞도 내다볼 수 없는 상태였습니다. 거기에 공산주의로부터 위협을 받고 있었습니다. 참부모는 미국을 살리는 길은 세계를 살리는 길이라고 봤기 때문에 유명한 정치학박사에게 공산주의의 멸망을 발표하라고 했습니다. 1985년 그 발표가 있는 후 공산주의는 5년 후에 막을 내리게 됐습니다. 여기서 끝나는 것이 아닙니다. 소련의 청년 3천 명을 미국에 데려다가 교육했습니다. 그리하여 그들이 공산주의의 위협에서 나라를 수호한 것입니다. 이러한 세상이 알지 못하는 일들이 많습니다. 참부모였기 때문에 나라가 협조 안 하고, 미국이 협조 안 하는 가운데서 이루 말할 수 없고 형언할 수 없는 어려움을 극복한 것입니다. 그래서 오늘 이 자리에 서기까지 50여년이 걸렸습니다. 그동안에 세계평화통일가정연합은 세계 120개국 이상에서 축복가정을 탄생시켰습니다.참부모와 하나되어 세상을 밝히는 빛이 되어라타락한 인류는 하나님 앞에 돌아갈 수 없습니다. 인간은 승리한 참부모로 말미암아 거듭나야 된다는 것입니다. 거듭나게 하는 것이 세계평화통일가정연합의 축복입니다. 축복가정들이 이 나라에 차고 넘치며 세계에 차고 넘칠 때 하나님과 참부모와 인류의 소원인 인류 한 가족의 꿈이 실현되는 것입니다. 그날이 멀지 않습니다. 섭리의 중심인 한국과 일본 그리고 참부모에 의해서 장자국으로 축복받은 미국, 이 세 나라가 하나가 되어 효정의 심정문화혁명을 기반으로 하여 아시아·태평양문명권 시대를 열어 오대양 육대주에 축복가정들의 발걸음이 끊이지 않아야 합니다. 그리고 세계평화청년학생연합의 젊은이들이 세계 앞에 등불이며 빛이 될 때 74억 인류가 그 빛을 향해서 하나로 모일 수 있는 환경을 만들어야 되겠습니다. 진정한 자유·평등·평화·통일·행복의 세상은 멀리 있는 것이 아닙니다. 오늘 여기에 모인 여러분이 참부모와 하나되어 위하여 사는 삶과 참사랑을 여러분의 주변에서, 종족에서, 교회에서, 나라에서 실천할 때 하나의 세계는 기필코 우리 손으로 만들 수 있습니다. 여기에 모인 여러분! 나와 하나되어 세상의 등불이 되어 어두운 세상을 밝히며 하나님의 품으로 인도하는 여러분 모두가 되기를 바랍니다. 하나님께서 축복하신 이 미국에 진정으로 ‘갓 블레스 아메리카(God Bless America)’를 빌겠습니다. 그 본질을 잊지 말고 여러분이 용기백배하여 세상에 빛이 되기를 축원합니다. アメリカ和合統一前進大会および孝情文化祝祭での真の父母様のみ言天一国5年 天暦閏5月22日(陽7.15)マディソンスクエアガーデン尊敬する内外の貴賓、平和大使、学界、政界の指導者、ACLC聖職者の皆様!家庭連合の祝福家庭食口の皆さん!未来の指導者として成長している青年連合の学生の皆さん!私はきょう、祝福をうけたアメリカの責任について話そうと思います。「人類文明史の視点から見た摂理とアメリカの使命!」です。今日の世界を見回してみると、戦争、宗教紛争、思想紛争、それに加えて天災地変、人間によって、とても言葉にできない公害によって、我々の新芽が、(毎年)700万名が死んでいく現実を見る時、私たちの未来に希望をどこに見出すことができるでしょうか?宗教世界もそうです。原因はどんな理由から、どこから出発したにせよ、目的地は一つでなければなりません。私たちは神様を知らなければなりません。本来宇宙の主人であられる創造主神様が天地万物を創造され、人間始祖となりうる男性と女性を創造されました。神様と絶対愛・絶対服従で美しく成長し、神様が「あなたたちは人類の真の父母となりなさい」とおっしゃった祝福を受けなければなりませんでした。しかし不幸にも、成長期間に欲心が生じました。それが今日の人類を作り出したのです。神様は、4000年という長い期間に過ちを個人から民族に至るまで、蕩減復帰させてこられながら、約束された救世主、メシヤ、イエス・キリストを送ってくださいました。ところがどのようになったでしょうか?イエス様は、神様の独り子として誕生されました。神様は創造の際、男性と女性を創造されたと言いましたね。とするならば、イエス様は男性ですから、女性に出会わなければなりません。イエス様お一人では、み旨をなすことはできないのです。十字架に亡くなられるしかない状況の中で、イエス様は「また来る」と言われました。また来て、「小羊の婚宴をする」というのです。「小羊の婚宴!」キリスト教の歴史は、「また来る」とおっしゃった主を待ち望む信仰から、聖霊の復活から始まります。しかし、草創期には、激しい迫害と無理解に遭いました。300年を経てローマによって公認され、イタリア半島を越えヨーロッパ大陸を経て、大西洋文明圏時代を開き、世界へと向かいました。しかし、彼らはイエス様の本質を知りませんでした。神様の摂理を正しく知りませんでした。そうして、精神文明に対することよりも物質文明の発達を追及してきたものが今日の現代文明です。そのような渦中で、17世紀にイギリスのキング・ジェームズによって、ヘブライ語(とギリシャ語)で記された聖書が英語に翻訳されることで、新しい新教運動が起こるようになりました。その代表的な国がここ、アメリカです。天は「また来る」とおっしゃられた再臨のメシヤの基盤を準備する祝福した国としてアメリカを立てられました。建国から200年という短い期間に世界の強大国となりました。天の祝福があったがゆえに可能でした。イエス様は「また来る」と言われました。霊的にのみ来られては、人類の真の父母となることができません。肉身をまとって来られなければならないのです。再び来て「小羊の婚宴」をするというので、キリスト教文化圏内から独り娘が誕生しなければなりません。天はこの独り娘の誕生のための準備を始められます。アジアに韓民族を選ばれました。キリスト教基盤を中心として、1943年に独り娘を誕生させました。天はこれ以上待つことのできない世界の問題を解決するためには、真の父母の顕現が必要でした。そうして1960年に真の父母が誕生しました。しかし、キリスト教圏が(真の父母の)基盤となることができませんでした。底から這い上がってこなければなりませんでした。民族を代表しうる430双の祝福家庭を完了されました。そのような渦中で天が祝福したアメリカが病にかかりました。(真の父母様は)1971年(12月)にアメリカに来られました。アメリカのあらゆる問題を治癒し、回復するために、先頭に立たれました。そうして多くの義人たちが、また多くの青年たちがレバレンド・ムーンに従っていくようになったので、それを理解できず、分別のない政治家は、レバレンド・ムーンをアメリカから追い出そうとしました。その結果がダンベリーでした。しかし、真の父母であるがゆえに、アメリカを救い、世界を神様のもとに導かなければならなかったので、ダンベリー(の受難)を甘受し、アメリカで40余年の間血と汗と涙を流されたのです。アメリカが天の摂理の前に、祝福を受けた国として責任を果たさなければならないのに、個人主義、家庭破綻、青少年問題で一寸の先も見えない、そのような状態でした。そのうえ、共産主義の脅威にさらされていました。アメリカを生かす道は世界を生かす道であると看破された(お父様は)、有名な政治学の博士を通して共産主義の滅亡を発表しなさいと言われました。1985年のことです。どのようになったでしょうか?共産主義はその5年後に幕を下ろすことになります。ここで終わりではありません。共産世界のソ連の青年たち3000名をアメリカに連れてきて教育しました。そして彼らが共産主義の脅威から国を守護するようになったのです。このように世が知らず、国が協助できず、アメリカが協助できない中で、真の父母であるゆえ、言葉に言い表せない困難を克服し、今日この立場に立つまで50余年がかかりました。これまで家庭連合は世界120カ国以上に祝福家庭を誕生させました。堕落した人類として、神様の前に帰って行くことはできません。人間のうちで勝利した真の父母によって生まれ変わらなければならないということです。それが家庭連合で行う祝福です。この祝福家庭たちがこの国に満ち溢れ、世界に満ち溢れる時、その時、まさに神様の夢、人類の願い、真の父母様の願い、人類一家族の夢が実現されるのです。その日は遠くありません。摂理の中心である韓国と日本と、真の父母様によってアメリカを長子国家として祝福しました。この三カ国が一つとなり、孝情の心情文化革命を基盤とし、アジア太平洋文明圏時代を開き、五大洋六大州に祝福家庭たちの足取りが、青年連合の若者たちが、世界の前に灯火、光となる時、世界74億人類がその光に向かって一つに集うことの出来るそのような環境を作っていかなければなりません。真正なる自由・平等・平和・統一・幸福な世界は遠くにあるのではありません。きょうここに集まった皆さんが真の父母と一つとなり、ために生きる真の愛を、皆さんの周辺で、氏族で、教会で、国で実践する時、一つの世界は必ずや私たちの手で作ることができます。この場に集まった皆さん!私と一つとなり、世界の灯火となり、暗き世の中を照らし神様の懐に導く皆さんとなることを願います。神様が祝福されたこのアメリカが、まちがいなく「God Bless America!」その本質を忘れず、皆さんが勇気百倍で世の中の光となることを祝願いたします。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.07.18
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HOPE氏へ以下の「長子権」、「長子」とはどなたでしょうか?ハッキリとさせてください。出典は1986年01月31日です。当時の三男さんの立場は……。三男さんを指しての「長子権」ではないと思いますが、いかがでしょうか。み言に混乱をきたすばかりです。今後は明示してのUPをお願いします。<長子権を持って立っているここに対峙すれば粉々になるのです。それが原理観です>金容成氏の記事に引用された真のお父様のみ言葉を読んで(8)http://blog.goo.ne.jp/day_of_hope/e/c967ef50d3baf2fc3f909c382234a53b?fm=rss2017-07-18 18:42:30 | み言から摂理の進展を見る<長子権を持って立っているここに対峙すれば粉々になるのです。それが原理観です>金容成氏の記事に引用された真のお父様のみ言葉を読んで(8)より 皆さん、アベル圏はこれまで追われる場所にありましが、今、天の国の長子権を持って立っているここに、サタン天下は崩れ落ちていかなければならないというのです。後退のみです、ここに対峙できるものは何もありません。対峙すれば粉々になるのです。それが原理観です。出典:み言選集139巻278ページ、1986年01月31日<蕩減復帰路程における責任分担>世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.07.18
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「平和は私から... 真の愛の実践を通して、人類が一つに "http://www.segye.com/newsView/20170716001713世界平和統一家庭連合(家庭連合)が15日(現地時間)、米国ニューヨーク・マンハッタンで「平和は私から始まる」をキャッチフレーズにした「韓・米・日の希望前進大会」を開催した。この日の行事は、マンハッタンの大規模なイベントホール」マディソン・スクエア・ガーデン」で、午後2時から3時間以上行われた。2万人がマディソン・スクエア・ガーデンを埋め尽くした中で合唱団3000人の迷惑を提唱などで始まったイベントは、主要人物の基調講演と歓迎の言葉、祝辞、合唱などにつながった。今回の行事には、キリスト教、仏教、イスラム教、カトリック、ヒンズー教、ユダヤ教など、各宗教指導者たちが大挙参加した。43カ国で超宗教指導者と100以上の終端の代表が参加した。韓国では200人の宗教指導者たちが席を一緒にした。韓鶴子家庭連合総裁は基調講演「希望と平和のメッセージ」で「摂理の中心である韓国と米国、日本の3カ国がアジア・太平洋時代を開く」とし「私たちの足取りが若者たちに光を提供し、世界74億の人類が一つに集まることができる環境を作って行かなければならない」と述べた。韓総裁はまた、「真の自由、平等、平和、統一、幸せな世の中は遠くにあるのではない」とし「真の愛を自分の周りの教会、社会の中で実践していくとき、私たちの手で、このような世界を作ることができる」と述べた。韓総裁はまた、「私たちのすべてが一つになって、暗い世の中を明らかにし、神の懐に導くことができなければならず、我々は勇気百倍して世の中に光になることを望む」と強調した。アンホヨル統一財団大会協力本部長は、同じ集団や組織でも葛藤が蔓延時代に、私たち自ら「静かな革命」に出て分裂面を克服しようというのが、この日の前進大会開催の趣旨と説明した。 ギムギフンアメリカ大陸会長は、韓総裁の基調講演に先立って歓迎の言葉を介して「今日会場を見つけてくれた方々に感謝を申し上げる」とし「家族や社会、国、世界の正しい価値を実現するために、私たちのすべての努力しよう」と明らかにした。金会長はまた、「すべての心を開いて耳を開き、すべての五感を開き、神の言葉を聞くことができる準備をしよう」と提案した。この日の祝辞をするために会場を守っイヴェット・クラーク米連邦下院議員は、「家連合が愛と平和、団結を成し遂げるために常に努力する姿を見守っている」とし「米国聖職者協議会のメンバーの資格で、この特別な大会に出席し光栄だ」と語った。クラーク議員は続いて「憎悪と不平等がある所に平和ができない」とし「総裁の教えを受けて、今日、ここに集まった私たちから「平和は私から始める」との決意をして欲しい」と提案した。ニューヨーク=パク・チョンヒョン特派員bali@segye.com世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.07.17
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今朝4時からの『マディソンスクエアガーデン 真の父母様特別集会 生中継映像』がPeaceTVホームページ(会員向け)に配信されていた。マディソンスクエア・ガーデンに1万5千人が集った大会だ。1974年9月18日、真のお父様もこのマディソンスクエア・ガーデンで大会をされたが、それを彷彿させるような大会となった。今回のお母様のマディソンスクエア・ガーデンの大会から、私が考えさせられたことはお父様がマディソンスクエア・ガーデンで語られたみ言と、今日のお母様が語ったみ言が重なっているように思えたことだ。当時、お父様がキリスト教伝道(米国)を主眼として「再臨の主」を証しすべく語られたそのみ言、神様の願いとイエス様の本来の来臨の使命とその失敗の要因が何であったのか、そして、第三アダム・エバとして再臨主の到来を宣布されていかれた。クリスチャンたちがこれまで考えていたように「雲に乗って」ではなく、2000年前のイエス様の時と同じように、肉身をもって来られるということを「新しい真理」として紹介していかれた。今日の分派の「独生女」批判を見ても、まさに、2000年前の洗礼ヨハネと重なって見えてくるのは私一人ではないはずだ。イエス様と最後まで一つとなっていくことが出来なかったヨハネはつまらないことで首をはねられてしまった。ために、イエス様も十字架の道を余儀なくされることとなった。今日のお母様のみ言からも、当時ご父母様に付き従ってくる米国の青年たちの数が増えることをよく思わなかった米国政治家たちがお父様をダンベリ刑務所へと追いやった。ところが、ダンベリーの中でも「共産主義の終焉」を宣布され、また、共産主義国の青年たち3000名を米国へ呼んでまで教された。のちにこの青年たちがソ連崩壊に際し、ゴルバチョフ書記長の命まで救っていったのであった。お父様が再臨主の到来訴えられて行かれた如く、お母様も「独生女」としてそれを訴えられた。ところが、今日の米国でのマディソンスクエア・ガーデンでの反応は大きく変化し、米国全体がそれを受け入れるまでになっていたことを実感するものであった。これからは分派は後退していかざるを得ない状況にある。分派がお父様の(偏向した)み言をどのように語ったところで、マディソンスクエア・ガーデンに集ったのは食口だけではない。信徒を数千名・数百万名を抱える牧師たちもその場にあった。2000名の聖歌がお母様を賛美したのだ。分派はそれを受け入れなけらばならない。1974年当時のお父様のみ言にもう一度目を通していただきたい(以下御言葉集から)。悔い改めよ、天国は近づいた。キリスト教の新しい未来1974年9月18日 ニューヨーク マディソン・スクェア・ガーデン 紳士・淑女の皆様、私は今夜この場に立ちました皆様に心から感謝申し上げたいと思います。私達はこうして今夜、このマディソン・スクェア・ガーデンの印象深い情景の中に、神の名の下にひとつに集わしめられたのであります。 今晩、私は「キリスト教の新しい将来」と題して語りたいと思います。しかし、その本論に入る前にひとつの前置きしておきたいと思います。私は皆様がすでに知っておられるようなことをくり返し言うためにこの場にやって来たのではありません。私はある新しいことを明らかに示すためにやって来ました。私は、神からの新しい啓示を皆様に分かちたいのであります。 神は唯一であり、キリストは唯一であり、聖書は唯一であります。しかしながら、今日、キリスト教界ひとつとってみても、そこには、四〇〇種以上の異った宗派があり、それらはすべて同じひとつの聖書を、非常に違った観点から、様々な解釈をもって見ているのであります。そせて、今日の我々の関心事は、もはや、聖書に対する人間の解釈ではなく、神のどのように聖間を説かれ、何が本当の神のみこころであるか、ということになってきています。この問題に対する解答は神から啓示というかたちでもならされなければなりません。その啓示を、私は今夜、皆様に分かちたいのであります。このメッセージは、神から来たものであり、神の観点より示されたものでありますから、その内容は、人間の理解してきたものとは、違ったものであって、当然と言えましょう。故に、それは皆様にとって、きわめて新しいものであると思います。しかし、我々が必要としているのは、新しい思想――神の思想――なのですあります。なぜなら、人間は、すでに、自らが創りあげた思想のすべては、研究し尽してしまったからであります。私が今夜、皆様にお話するために、この場にやって来ました理由は、ここにあるのです。故に、私は、神の霊が直接、皆様に語りかけることが出来ますよう、皆様ひとりひとりが、思いをひらき、心をひらいて下さるようお願いするものであります。 神の目的 歴史を通して、世界のクリスチャン達は、ひとつの重大な絶頂の日、すなわち、聖書に預言されているところの主の再臨の日を待ち望んで来ました。これは、神の約束でありますから、キリストの再臨は、必ず成就されるのであります。 では、何故主は、再び来られるのでしょうか?彼は、神の目的を成就するために来られるのであります。では、神の目的とは何でしょうか?神は、永遠であり、不変であり、唯一であります。そして神は一つの目的を持たれ、その目的も又、永遠、不変、唯一なのです。神ははじめに、すなわち、全天宙を創造される前に、ひとつの明確な目的を持っておられました。そして、その目的が、創造の根拠であったのであります。神は、その目的を成就するために、宇宙と人間の創造を始められたのであります。 聖書によると、はじめの男と女-すなわち、アダムとエバが創造された後、神は、彼らにひとつの戒めを与えられました。その戒めとは、「善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう。」-創世記二章十七節-というものでありました。神は、彼らに、御自身の与えられた戒めに従うよう求められました。神は、アダムとエバのこの戒めに対する従順が、神御自身のの目的成就につながるということは、暗示としてしか示されなかったのでありますが、戒めに対する不従順の及ぼす結果については、非常に明確に示しておられました。神は、「それを取って食べるときっと死ぬであろう」と言われたのであります。不従順の結果として示されていたものは死でありました。 しかるに、アダムとエバは、神に対すて不従順を犯してしまいました。その結果が、人間の堕落であります。霊的死が人間に訪れ、神の目的は実現されなかったのです。彼等は、誤った選択をなし、その結果として生じたものは、神が、はじめに意図されたものとは、全く逆のものでありました。彼等が不従順を犯した後、神は、この男と女をエデンの園から追放する以外、仕方がなかったのでした。エデンの園は、地上の神の国の象徴的表現であります。アダムとエバは、もはや、神の国の住民としての資格を喪失してしまったために、自ら創り出した邪悪なる王国、すなわち、生き地獄に投げ入れられてしまったのであります。 地上天国 もし、アダムとエバが、神に従順に従ったならば、彼らは、地上に天国をもたらしたでありましょう。その天国とは、どのようなところなのでしょうか。アダムとエバは、完成されるべきものとして創造されました。そして創造されました。そして彼等は神の戒めに従うことにより、成長し、完成するようになっていたのです。彼等が、完成された男性と、完成された女性になるまでの成長期間に於いては、彼等の関係は、兄妹の関係でなければなりませんでした。彼等は、兄弟関係というものの真の伝統を立てるべく期待されていたのです。 神はひとりの男とひとりの女を創造されました。何故でしょうか?神は、彼等が完成の基準に達した時に、天的婚姻という祝福によって、彼等を天的夫婦としてひとつにすることを願っておられたのです。神は、神の国を、このアダムとエバを最初の夫婦として立てて、出発しようと計画しておられたのでした。もし、それが実現されていれば、神の“生めよ、ふえよ”という祝福は、成就されたはずであります。神は、彼らに、神の子を生みふやす力を与えられたはずであります。そしてそれらの子供達は、罪なき完全なものであったはずであり、それ以外の何ものにもなり得なかったはずであります。罪は決して、人類の中に入りこむことはなかったはずなのであります。子供を生むことによって、アダムとエバは、神を中心とした父と母、すなわち、人類の真の父母となったはずであります。 もしアダムとエバが、この最初の、神を中心とした家庭を形成していたならば、、そこから、神を中心とした民族、神を中心とした国家が生れ、さらには、神のみが、支配する神を中心とした世界がいち立てられるはずでありました。そして、はじめから、永遠にわたって、完全なる世界となったはずなのであまます。 もし、このようなことが、そのはじめのときに成就されていたならば、我々は、今日、このような、多くの異った言語をもつことはなかったでありましょう。我々はすべてアダムの立てたひとつの伝統の下に、アダム族というひとつの民族に属していたでありましょう。そして、アダムのひとつの言語が、我々すべての言語となっていたでありましょう。そして、実に、全世界が、神のもとにひとつの国であったはずであります。 このように、神の御計画に於ては、すべての人々が、地上の神の国に生まれるべく定められていたのです。我々は、地上に於いて、天国生活を楽しむべき存在なのです。そして、地上で肉身の寿命が切れたときに、霊界にある神の国に上り、そこに於て永遠に生きることになっているのです。これが神の、はじめ青写真でありました。その世界には、サタンも悪も、存在し得ないはずなのであります。神は御自身の子供のために、地獄を創造されるようなことは決してなさいませんでした。善良な父親が、自分の子供が、生れるやいなや、その子供の為にろう獄を建てるなどということはあり得ないのです。ましてや、神が、御自身の子供のためにどうして、地獄などを必要とするでありましょうか。天国のみが、神の本然の目的であったのです。しかしながら、罪の故に、人間はその本然の価値を失い、塵のような存在になってしまったのです。地獄は、その塵のような存在を入れておく神の監のようなものです。しかし、それは、人間堕落の後にはじめて必要となったものなのであります。 地上地獄-失楽園 それでは、堕落した人間と、堕落した世界の状態を、さらに調べてみましょう。ヨハネによる福音書八章四四節に於いて、イエスは、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきたものであって、…」と言っています。堕落により、人間は、サタンという偽りの父の下に、ひき連れていかれてしまったのです。人間は、その父親をとりかえてしまったのです。我々は、真の父、偽りの父、すなわちサタンとひとつになってしまったのです。このようにして、はじめの男と女とは、サタンの子となってしまったのでありました。サタンという偽父の下に、アダムとエバは、神の祝福も、ゆるしもなしに、不法にも、夫婦として一体になってしまったのです。そして、彼等が子供をふやしていくときに、その子供達もまたすべて同じ偽父の下に生れることになったわけであります。彼等はすべて、神の子としてではなく、罪の子として生まれてきたのです。このようにして、アダム以後、時代から時代へと、罪の子を生み殖やし続けて、この堕落した罪悪世界が、もたらされて来たのでありました。 我々が、神を中心としないが故に、罪の世界、不信の世界、犯罪の世界、憎しみと争いの世界が生れてきたのです。そして、この世界に住む我々も、我々の国家も社会も互いに、破壊し合いながら、何の苦痛も感ずることがないのであります。これが、まさしく、地上の地獄であります。実にこの世界の主人は、神ではなく、サタンなのであります。ヨハネの福音書十二章三一節に、サタンがこの世の支配者であることが示されているのは、そのためなのです。我々は、この宇宙が神によって創られたということを知っています。我々は、神が人間を創られたということを知っています。しかし、今、神は人間の主人ではないのです。何故なら、人間が、自ら、その主人を替えたからであります。人間は神を裏切り、偽りの主人サタンと結んでしまったのです。そして、このサタンが、ずっと、今に至るまで、人類の父となってきたのであります。 救いとは復帰である 全能なる神は、愛の神であり、あわれみの神であります。神の心は、御自身の子の生きながらの死に、深く病まれ、悲しまれました。神は、いかなる人であっても、自らの力で罪のなわめを断ち切り、罪を取り除くことはできないということを知っておられます。神は、人間を救いに導くことの出来るただひとつの力は、神御自身であることを知っておられるのです。そして神は、あわれみによって、この世界を救う決意をされたのでありました。 救いとは、何でありましょうか?救いとは、すなわち、復帰であります。医者は、患者を救うために何をするでしょうか?彼は、患者を正常な健康状態へと復帰していくのであります。それが、治療であります。あなたは、溺れかかっている人を救うときに、どうしますか?彼を水からひきあげて、乾いた陸地に帰すでしょう。それが救助であります。 これと同様に、神の人間に対する救いとは、人間を異常な逸脱した状態から、本然の善なる状態かへと復帰すること以外の何ものでもありません。故に、救いとは、復帰なのであります。神は、地獄を天国へと復帰しようとされているのです。神は、御自の決意を聖書に於て明確に示されています。「わたしはこの事を語ったぬえ、必ずこさせる。わたしはこの事をはかったゆえ、必ず行う」(イダヤ書四六章十一節)神は、行うかもしれないと言われたのではなく、必ず行うと言われ、人間とその世界を本然の姿に復帰するという御自身の絶対的決意を示しておられるのです。 では、どのようにして、それをなそうとされているのでしょうか?メシヤによってであります。人類を救うために、神はそのひとり子イエス・キリストを、救い主として、メシヤとして、この地につかわされたのでありました。 二千年前、イエス・キリストは生命の創造主として、この世界に来られました。彼は、すべて罪人達を、キリストの如き人に造り変えるために来られたのであります。彼は、その第一の福音として「悔い改めよ、天国は近づいた」と宣言されたのであります。イエス・キリストの降臨よって、人々は、事実、そのとき、天国の入口まで来ていたのであります。 メシヤを迎える準備 しかしながら、神は、世界を復帰するべく、そのひとり子をつかわす前にそのメシヤをことの出来る信仰の基台を立てるために、個人からはじめて、国家へと拡大して、その道を一歩一歩整えて、準備しなければならなかったのであります。 結局のところこの世界は、今日まで、ずっとサタンの世界でありました。もし、メシヤが、この地上に準備された基台もなく来られるならば、サタンは彼を殺してしまうにちがいないのです。故に神は、ひとつの国家、すなわち、御自身が支配することの出来るひとつの主権をうち立てるために、こつこつと、注意深く働いてこられたのであります。イスラエル選民は、そのメシヤを迎えるための準備の結果として生まれたのでありました。神は、イスラエルの国を、メシヤの“着陸地”として準備されたのです。イスラエルの信仰の基台の上に神の最後の勝利者-メシヤを送ることが出来たのできたのでありました。 イエスは死ぬために来られたのではない 今だかつて解かれたことのない、ひとつの歴史的ななぞがあります。イエス・キリストの降臨の四千年前に、神は、前に述べたように、メシヤのためにイスラエル選民を準備しておられました。預言者を通して、神は選民に対してメシヤのために備えるよう、あらかじめ知らせておかれました。神は人々の間にそういう期待を築き上げるよう働かれ、事実イスラエルには、メシヤを待望する非常な熱意が見られたのであります。そして、その定められた時に、神は御自身の約束を成就されたのでありました。神のひとり子イエス・キリストは時至って、御自身の民の上に降臨されたのであります。 そして、そこで何が起ったでありましょうか。歴史は事実を証すものであります。人々は彼を知りませんでした。彼等は彼を否定し、彼に反対し、最後には彼を十字架に釘づけてしまったのであります。何故なのでしょうか。キリスト教の教会は「その問に対する答は、神がイエス・キリストを十字架上で亡くなるべくつかわされたからと言うことが出来るでしょう。十字架ははじめから予定された神のみ旨だったのです」と言うのです。 では、そう言うクリスチャンに「イエス・キリストが今日、あなたのもとに再び来られたら、あなたはどうしますか」を尋ねてみましょう。すべてのクリスチャンは、間違いたく「私達は彼を受けいれるでしょう。彼を迎え、彼とひとつになり、彼に従って行くでしょう」と答えるにちがいありません。さらに、「キリストら現われたら、あなたは彼を十字架につけますか」を尋ねてみましょう。あなたの答は「ノー」と言うにきまっています。 もしそうであるならば、二千年前のイスラエル選民達はどうだったのでしょうか。もし彼等がイエスを受けいれたならば-あなたが今日受けいれるように-彼等はそれでも、彼を十字架につけなければならなかったのでしょうか。いいえ、それは誤りだったのです。彼等はその無知ゆえにイエス・キリストを殺してしまったのです。 神の選民がメシヤを受けいれることが、神のみこころでありました。しかし、彼等は受けいれるどころか彼を十字架につけてしまったのです。そしてクリスチャン達は、それは神のみこころであったと言って責任逃れをしてきたのでした。何というばかげたことでありましょうか。これは我々の論理に合わないことであります。何かが恐ろしく間違ってきたにちがいありません。それは何だったのでしょうか。 無知がイエスを殺した 人々はナザレのイエスがどういう方であるかを知らなかったのであります。彼等は、彼が神のひとり子であることを知らなかったのであります。もし、彼等は、彼等が、イエスが神のひとり子、メシヤであることを明確に知っていたならば、彼等は彼を十字架につけはしなかったでありましょう。「彼は自分のところに来たのに、自分の民は彼を受けいれなかった」(ヨハネ 福音書一章十一節) また、聖パウロの証言に傾けて下さい。「この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし知っていたなら、栄光の主を十字架につけはしなかったであろう」(コリント人への第一の手紙二章八節) もし彼等が、彼が誰であるかを知ってさえいたならば、彼等は栄光の主を十字架につけはしなかったでありましょう。それは誤りだったのであります。イエス・キリストを殺したのは人々の無知と盲目であったのであったのです。 世界のクリスチャンはイエスの時に実際起ったことが何であったかという事の真相に目ざめていないのです。もし、神のひとり子をつかわす唯一の目的が彼の十字架に釘づけにすることであったとするならば、なぜ神は、まずはじめに、イスラエルの選民を備えるために時を費やされたのでしょうか?神にとってはそのひとり子を不信者やあるいは野蛮人達の中に送った方がずっと簡単であったでありましょう。かれらはもっとすみやかに殺し、救いはもっとすみやかにもたらされたでしょう。メシヤを殺すためならば、選民もイスラエルも何も必要ではなかったはずであります。旧約聖書に於て、神はくりかえしイスラエルが神の子の降臨によって栄光を受けるであろうことを約束しています。しかし、メシヤが来られた後、その選民の上に何が起ったのでありましょうか?かれらは罰せられ信じ難いまでの苦しみを受けたのであります。彼らの国は滅ぼされ、その民は世界中に散らされたのです。しかしそれはただ彼らが神のみこころにかなって生きなかったからなのであります。彼らは、メシヤを受け入れることが神のみこころであったときに、彼を拒否してしまったのです。 旧約聖書の文字の奴隷 さて、そこで問題はイスラエル民族がイエスがどういう方であるかということをなぜ知らなかったのか、ということであります。信じていただけないかもしれませんが、神の選民がイエスをメシヤであることを認めなかった第一の理由は旧約聖書の故なのです。こう言えば皆様は驚かれるかも知れません。しかし、イスラエル選民は旧約聖書を文字通りに解釈していました。彼らは聖書がひとつの暗号であることを知らなかったのです。彼らは聖書を文字通り、一言一言、一字一字解釈していました。言葉を換えて言うならば、彼らは旧約聖書の文字の奴隷になっていたのであります。 それに対する証拠をあげてみましょう。旧約聖書のマラキ書は、新約聖書の黙示録と類似した意味をもっています。それは、メシヤがどのようにしていつ来られるかというプログラムと終りの時のようすを明確に示しています。マラキ書四章五節から六節に「見よ、主は大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる」という言葉があります。ではエリヤはどういう人だったのでしょうか。彼はイエス・キリストより九百年ほど前に生まれた人であります。そのため人々は、エリヤが旧約聖書の文字通り、青い空から火の戦車に乗って再びやって来て、神の子の到来を告げるであろうと信じていたのであります。このようなことを人々は期待していたのです。 しかし、エリヤは来ましたか。問題は、エリヤが彼らが期待していたような形ではやって来なかったということなのであります。イスラエル選民は、エリヤのその奇跡的な再臨の知らせも何も聞いていませんでした。しかるに、ある日、彼らは、ひとつの並はずれた宣言を耳にしたのです。ナザレから来たイエスという名のひとりの若い青年が、神の子メシヤでするとして、世に向って宣言されていたのです。それは実に信じがたい宣言でありました。 そして、それに対する人々の即座の反応はどうだったでしょうか。“そんなことはありえない!”と彼らは彼らは言ったのです。“どうしてナザレのイエスが神の子であるはずがあろうか。我々はエリヤについて何も聞いていないではないか。“エリヤが来なければメシヤは来ないというのであります。エリヤが再臨するというマラキの預言は、実にイエスの使命遂行の障害になったのであります。イエスの弟子達が、イスラエルの町々で福音を述べ伝え、イエスを神の子として証して行ったときに、人々は「もし、あなたの先生が神の子であるなら、エリヤはどこにいますか。聖書に、エリヤが先ず来なければならないと書いてあります」と言って、彼らの言葉を拒否したのです。 バプテスマのヨハネがエリヤ イエスの弟子たちは、この質問に答えるだけの十分な備えがありませんでした。事実、彼らは旧約聖書の知識をもっていなかったのです。すなわち、彼らはガリラヤの身分の卑しい漁師であり、取税人であり、売春婦でした。そこで、困った弟子たちはある日、このことについてイエスに教えを乞うために彼のもとに行くことに決めました。マタイによる福音書十七章十節から十二節にはこう書かれています。 弟子たちはイエスにお尋ねして言った、「いったい律法学者たちはなぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか」。答えて言われた、「確かに、エリヤがきて、万事と元どうりに改めるであろう。しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでに来たのだ」 これは弟子たちにとって本当にショックでした。そしてその時彼らはイエスが、バプテスマのヨハネのことを言われていることを理解しました。弟子たちは、「バプテスマのヨハネがエリヤなのですか」と聞きました。するとイエスは「そうです」と言われました。しかしイスラエル選民は決して納得しませんでした。彼らは「そんなはずがない」と言ったのです。こうした事柄を現代に置きかえて考えてみましょう。二千年前のバプテスマのヨハネは非常に影響力のある人で、偉大な預言者、神の人としてイスラエル全土に大いなる信望をもった人でした。それはちょうど現在の、偉大なキリスト教の指導者であるビリーグラハムのような人です。 ところが、ある名もない青年が突如として現われ、世に対して自分こそ神の子であると宣布しだしたとしましょう。あなたが聖書を学んでいる人であればきっとこう尋ねるでしょう。「もし、あなたが神の子ならば、聖書に、キリストより先に来ると記してあるエリヤはどこにいますか」。もしこの青年が「ビリーグラハムがだということを知らないのですか」と答えたなら、あなたは、どんな反応を示すでしょう。 あなたは、間違いなくこういうでしょう。「そんなことはありえません。どうしてビリーグラハムがエリヤであると言えましょうか。彼は青空から降りて来なかったではないですか。彼はノースカロライナの生まれであることは我々皆が知っています」あなたはこうしたことを認めることはありえないでしょう。 まさに、これと同様の不信仰が我らの主イエス・キリストに対すてなされたのです。人々は、バプテスマのヨハネがただ、天から降ってこなかったという理由だけで、彼が、エリヤであることを認めることができなかったのです。二千年前の選民たちは、エリヤの再臨の預言が、聖書の文字通り実現されなければならず、したがって天より降臨しなければならないという信仰にかたくなに固執しました。彼らは旧約聖書の文字の奴隷だったのです。 失敗者、バプテスマのヨハネ それでもなお、イエス・キリストは嘲笑する大衆のば声を受けながらも力と権威をもってイスラエル全土で伝道を続けました。人々はそういう人間をそのままにしないわけにもいきませんでした。彼らは、自分が正しいという確信を欲しました。そこで彼らはバプテスマのヨハネのところに行って尋ね、彼らがいろいろな疑問に最終的な決着をつけようと決心しました。そして、ヨハネ福音書の一章十九-二十一節にあるように彼らはそのごとくに行ったのです。彼らはヨハネを尋ねました。「あなたはどなたなのですか」彼は告白して否まず「わたしはキリストではない」と告白した。 そこで彼らはさらに問うた。「それではどなたなのですか。あなたはエリヤですか」。彼は「いやそうではない」と言った。「では預言者ですか」彼は「いいえ」と答えた。このようにバプテスマのヨハネはすべてを否定しました。彼は「私はエリヤではない」と言いました。彼は預言者としての立場さえも否定したのです。誰もが彼は神の預言者であることを知りかつそう認めていました。しかし彼は「私は預言者などではない」と否定しました。何故でしょうか。 彼は当時の状況を判断しイエス・キリストが彼の属する社会からのけ者として扱われているのを知っていました。イエスは負け犬のように見えました。そこでヨハネはイエスの側に立つまいと決心したのです。彼はすべてを否定する立場の方がずっと得策であると考えたのです。そうすることによってバプテスマのヨハネはイエスを隅の方に追いやり、彼を誰からも擁護されない大イカサマ師に仕立ててしまったのです。ヨハネに否定されたイエスは、このことに関してヨハネ以上に頼みとする人はいませんでした。 それでは、何故イエスは十字架につけられたのでしょう。第一には彼は、聖書の文字通りの解釈の犠牲者となったのです。第二にバプテスマのヨハネが使命成就を矢敗することによって捨てられ、ついには十字架につけられたのです。 我々はマタイ十一章一-三節、牢獄で首をはねられるのを待っていたヨハネが彼自身の弟子のなかの二人をイエスのもとに遣わして次のような質問をさせたのを知ることができます。 「『来たるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきなのでしょうか。」(マタイによる福音書十一章三節) これはイエスが神の子であるという信仰をもった人の質問でしょうか。バプテスマのヨハネは以前にヨルダン川でイエスを(神の子としての)証をしたことがあったのです。 わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである〉(ヨハネ一章三十四節) ところが、その同じ人間がその同じ口で今度は「あなたは本当にメシヤなのですか、それとも誰か他の人を捜すべきでしょうか」とイエスに迫ったのです。この質問はイエスにとって失望をもたらしたことでしょうヨハネは、何と信仰の薄い人間だったのでしょう。 ヨハネの使命成就を願っていたイエス バプテスマのヨハネの使命は、メシヤの使命を成就するために非常に重要なものでした。神は「主の道を直くし、備えられた民を整えるため」に特別にマタイを送ったのです。それが、キリストに先立つ者としてのヨハネの使命でした。イエスはバプテスマのヨハネが使命を成就することを心から頼みとしていました。ですからバプテスマのヨハネその人が、イエスのもとに来て「あなたは本当にメシヤなのですか」と言った時、それは、彼がイエスをナイフで刺したより以上の苦痛をイエスに与えたのです。 イエスがどんな心情であったか、あなたは想像できますか。彼の心は打ちのめれたのです。怒りに震えたに違いありません。イエスはこのあまりに心外な質問に対して「イエス」とも「ノー」とも答えられませんでした。そのかわりにこう言ったのです。「私につまづかないものは幸である」マタイ十一章六節) これは、彼の惨めな失敗を知ったイエスのヨハネに対する慰めのことばでした。イエスは本当はこう言いたかったのです。「あわれなヨハネ、失敗した男よ。あなたはもはや私に対する信仰を失ってしまった。あなたは神の子につまづいてしまったのだ。かわいそうなヨハネよ」 したがって、イエスはマタイ十一章十一節でこう言われたのです。「よくよくあなたがたに言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし天国では最も小さいものも、彼よりは大きい。」 ヨハネは、天国では最も小さいものも彼よりは大きいといわれるところまで落ちてしまったのです。イエスのこのことばの意味は今まで定かではありませんでした。クリスチャンは、バプテスマのヨハネが、その使命を失敗した人間であることに気づかなかったのでこのことばの真意を理解できませんでした。今夜我々はその真意を知ることができるのです。 バプテスマのヨハネは神の子を直接に証しするがゆえに、女の産んだ者の中で最も大きいものでした。それまでのすべての預言者達も同じような使命を与えられてきました。しかし、ヨハネより前に来た預言者は彼らと主の間に時間的隔たりをもってメシヤを証ししてきました。 ヨハネはイエス・キリストと同時代の人として生まれたのです。ゆえに、キリストが姿を現わした時に“生けるキリスト”を証しする特権をもっていました。彼の使命に関する限り、バプテスマのヨハネはすべての人のうち最も偉大な、栄えある人物でした。かくして、イエスは彼を、女の産んだ者の中で最も大きい人物であると言われたのです。 しかし、彼の使命の成就という点では、ヨハネは最も小さい者であり、すべての人のうちで最も惨めな敗北者でした。彼より前に存在したすべての預言者たちは、霊界で天国にいました。彼らはイエス・キリストが誰であるか知っていました。しかし、ヨハネは知りませんでした。彼は疑ったのです。彼は懐疑的になり、とうとうイエスの身分がわからなくなってしまいました。遂には、神の子であると自ら証したことさえ確信できなくなったのです。彼は失敗者となり、従って天国にいるすべての者のうちで最も小さい者となってしまいました。 バプテスマのヨハネは首をはねられるという最期を逐げました。もし、彼が天命を行い、世人に対してイエス・キリストこそ神の子であると証しをし、宣布していたがために首をはねられたとしたなら、彼は栄えある最初の殉教者となりえたでしょう。しかし、ヘロデ王の個人的な愛情問題のスキャンダルに関わったという理由のみで彼は首をはねられたのです。 そういうことはヨハネの為すべきこととは全く関係がなかったのです。神の子に仕えることが、彼の唯一の使命でした。しかし、ヨハネはこの聖なる使命から離れて、無意味な破廉恥とさえいえる死に方をしたのです。この真実は、それがたとえいかに心苦しいことであっても言明されなければならません。 もし、バプテスマのヨハネが偉大な信仰者であったなら、その結果はどうであったでしょうか。彼は実際、神の子イエス・キリストの第一弟子となっていたでしょう。もし、イエスが王であったなら、バプテスマのヨハネは首相になっていたでしょう。それこそ、神がヨハネに予定した地位でした。その場合には、イエスが選んだ十二使徒、七十人門徒、百二十人の弟子達はすべて、ヨハネ自身の弟子の中から選ばれたでしょう。ヨハネはイスラエルの選民と神の子の間に、統一の隔和をもたらす仲立ちとしての役割を果したでしょう。そうなれば、その情況のもとで、誰が敢えてイエスを十字架につけたでしょう。誰もいません。十字架による刑は決して起らなかったでしょう。 あなたはこういうかも知れません。「文先生、あなたは何の権威によって話されているのですか。何故あなたはそんなに確信をもっておられるのですか」と。 私はまさにこれらのことを言う権威をもっています。神が私にこの真理を示されたのです。私はイエスに会いました。イエス自身が私にこの真理を示されました。そして私はバプテスマのヨハネにも霊界で会いました。彼自身、この証しの真実性を証言してくれました。このような特別な霊的体験をした後、私が現実の世界に戻った時には、私はそれまで読んでいた同じその聖書が今度は、全く新しい意味をもつようになりました。たとえ、あなたが今、私が話したこれらのことを真理と認めることができなくても、少なくとも是否の判断を保留すべきだと思います。いつの日か、我々すべてが真理を知るようになるでしょう。最終的には我々は全て死んでゆくのです。誰もが霊界に行きつきた時、そこでは真理が太陽の如く輝いています。そこでは唯一人、真理から免かれることはできません。その日こそ我々は全き真理をまのあたりに知るでしょう。 しかしながら、この地上に生きてうる人間に、真理を受けいれるほど謙虚さを持ちうる人は幸いです。真理と神に対するこの地上の知識があなたの永遠の生命を決定するのです。 イエスは天の雲に乗って来ると思われていた イエスがメシヤとして受けいれられなかったもう一つの決定的な、三つ目の理由があります。それは、二十年前選民イスラエルはダニエルの預言に従って、神の子が天の雲に乗ってくると思っていたからです。 「わたしはまたしはまた夜の幻のうちに見ていると、人の子のような者が天の雲に乗ってきて…」(ダニエル書七章十三節) しかし、イエス・キリストは天の雲に乗って奇跡的に現われては来ませんでした。彼は、ヨセフの妻であるマリアから生まれました。人々は言いました。「どうしてこのイエスが神の子などといえようか。彼は私とかあなたと全く同じ人間に過ぎないではないか」 これこそ選民がイエスを見捨てたもう一つの動かしがたい理由でした。 ダニエルの預言はイエスの伝道に非常な困難をもたらしました。我々はヨハネの第二の手紙の七節にこのことを見ることができます。そこで使徒ヨハネはこうして驚告しています。 「なぜなら、エバイエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白しないで人を惑わす者が、多く世にはいってきたからである。そういう者は、惑わす者であり、反キリストである」 これは、キリストが肉体をとって来られたということだけで彼を見捨てた、イエス・キリストを信じない人々に対して、二千年前にヨハネが述べていることばです。彼らは、誰かこの世のものでない者が天に乗って現われることだけを待っていたのです。ゆえにイエスを受けいれませんでした。ヨハネはこれらの人々のことを「そういう者は反キリストだ」と言って厳しく糾弾したのです。このような歴史的事実がキリスト教の世界から隠されてきました。現在、初めて、このイエスの伝道にまつわる、これらの全ての情況が白日の下に明らかにされたのです。 では何故、この時に、こういう真実があからさまにされたのでしょうか。それはキリストの再臨が近いからです。そして神はイスラエルが犯したのと同じあやまちをクリスチャンにさせたくないからです。天の父からの明々白々なる真理の啓示によってのみ、全てのキリスト教会は一つになることができるのです。そうです。真理が我々を一つにするのです。もし、我々が真理を知るなら、その真理が我々を誤った不一致から自由にするでしょう。そして神の明白なる真理が今、明らかにされているのです。 十字架、それはイエスの二次的使命 十字架の死は全く神の子の本来的使命ではなく、予定された路程の変更されたものでした。それは二次的使命だったのです。それは変貌山上で決定されました。このことに関する記述が、ルカ福音書九章三十、三十一節にみられます。 「すると見よ。ふたりの人がイエスと語り合っていた。それはモーセとエリヤであったが、栄光の中に現われて、イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて話していたのである。」 イエスの第一弟子のペテロが、イエスから彼がエルサレムで苦しみを受け、十字架につけられるであろうということを知らされた時ペテロは、マタイ十六章二十二節にみられるように、激しく反対しました。 「主よ、とんでもないことです。そんなことはあるはずはございません」 するとイエスは彼に強く迫ってこう言われたのです。 「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで人のことを思っている」(マタイ十六章二十三節) クリスチャンはイエスが十字架上で死ぬために来られた証拠として、この件をよく引用します。多くの人がこう言います。「イエスの言われたことを聞きなさい。彼は死ぬために来られたと言われた。だから、彼はペテロをとがめ、彼をサタンと呼んだのだ。なぜなら、ペテロはイエスが十字架につくのに反対したからです」 しかし、現在その解釈は一つの核心的な点を見落しています。イエスは神がその御計画を変更され、イエスの使命を変えられたことを知った後に、ペテロをとがめたのです。イスラエルがイエスを拒んだので、神は地上天国実現というイエスの本来的使命を成すには、民の協力が必要である以上もはやイエスがそれを続けることができない、ということを知っておられたのです。 それで、イエスの伝道の終りの時点になって、神は彼に霊的救いという限られた目標のみを達成するように願いました。イエスは従ってこの二次的目標達成のための準備をしていました。しかし、あわれなペテロは、イエス・キリストの使命がこのように変更されたことについて何も知らなかったのです。 イエスは、ペテロの慰めときこえる言葉が、その時にはすでに神のみこころと何の関係もなくむしろ妨げとなったので彼を「サタン」と呼んだのです。ペテロは無知蒙味から語ったのです。しかし、イエスは、この二次的使命を失敗することは決してできませんでした。というのは、そうなれば、彼が来たことが全く無に帰してしまうからでした。 イエスを受け入れれば神の国は実現していた もしイエスが、イスラエルの民によって受け入れられていたなら実際には何が起ったか、ということを考えてみましょう。そうなれば、イスラエルの王として、彼は彼の弟子達と、ヤコブの十二の部族と、全てアラブの部族とを含むアブラハムの全ての子孫とを統合したことでしょう。彼らの全ては、神の子を中心とした一家族となったはずであります。 イエス・キリストは、イスラエルの選ばれた民族を中心として神の主権をうちたてたでしょう。神の国の憲法が、イエスの時代に発布されたでしょう。神の主権が現実化された無敵の国家が建てられたことでしょう。神のもとにある一つの国家、それは、人類始祖・アダムがうち建てるべきであったのですが、それは後のアダム、イエス・キリストを王として実現したことでしょう。ローマ帝国でさえ、神の王国の前にはひざまづいたでしょう。これが、イザヤ書九章七節の預言なのです。 「そのまつりごとと平和とは増し加わって限りなくダビデの位に座して、その国を治め今より後とこしえに公平と正義とをもってこれに立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをされるのである」 イエスは死んだ後でさえ、彼の弟子達は、何も持たず苦しみをうけ血を流しつつ、ローマに向って進軍しました。しかし四〇〇年以内に、ローマ帝国はこの何も持たない軍隊の前に崩壊しました。もし、イエス・キリストが十字架につけられず、生きてこの聖なる軍隊の指令官であったなら、その時には全ローマ帝国はイエス自身が生きている間に神の下に入ったことでしょう。 当時、偉大なるローマ帝国は世界の中心でした。神の救いの御計画は全世界を復帰することでした。一旦、神の王国がローマにできたならそれが全世界に容易にもたらされるように神はローマを全ての国々の中心として備えられました。もし、イエスが、ローマ帝国に彼の王国の建設することができたなら、その時、ローマの力の影響によって、イエスが地上に生きている間に、世界の隅々までイエス・キリストの福音が宣べ伝えられたでしょう。イスラエルの国は、神の王国の栄えある中心となったのです。今日、キリスト教は最早存在しなかったでしょう。ローマンカトリックも、長老派教会もメソディスト教会も、キリスト教も存在しないでしょう。これらのうちのどれも必要ではなかったでしょう。あなたが既についていればそのめの車は必要ないからです。 我々は既に、神の王国の市民となっていたでしょう。キリスト教の歴史には流血とか、殉教者はなかったでしょう。そして、教会の尖塔には十字架はなかったはずです。そうなれば、キリストの再臨の理由もなかったのです。なぜならばメシヤの使命は既に完成されているだろうからです。 しかし、悲しいかな、現実はイエス・キリストは反逆に会いました。アダムとアダムの従順なくして神はエデンの園にその御理想を実現することはできませんでした。そして、イエス・キリストも選民の協力なくして、地上天国を建設することはできなかったのです。 十字架は霊的救いのみをもたらした それでイエスは、彼の第二番目の使命であった霊的救いに移ったのです。選民であるイスラエル民族の無知もうまいのために、イエス様の犠牲が必要になり、仕方なく神はそうされることを許されたのです。そこが十字架の重要なところなのです。神はサタンに払う身代金として、イエスが十字架でなくなられることを許されたのです。それと引き換えに、イエスの復活の時に、神は身体の贖いは出来なくとも、魂は要求することが出来たのです。ですから、神の勝利は十字架にあったのではなく、復活にあったのです。これがキリスト教の救いなのです。 イエスの十字架と共に、キリスト教も十字架にかかりました。主が苦境におられる時誰も彼に信仰をたてなかったのです。誰もがイエス様を裏切ったのです。あのペテロでさえ、イエスを否定したのです。しかし、イエス様の復活と共にキリスト教も息をふき返したのでそれから四十日間というもの、イエスはちりぢりになったキリスト教の残骸を集められ一つにまとめられました。それが今日のキリスト教の始まりであったのです。我々の救いは勝利された復活からきているのです。これは、サタンの力の及ばないキリスト教の勝利なのです。しかしイエス・キリストの身体は牲牲として、またつぐないとして取り去られてしまいました。御自身の肉体をとられた故、人間の身体についても同様にあきらめざるを得なかったのです。ですから我々の救いは魂のあがないのみをもたらし、限界があるのです。この理由は、二千年前に肉身のあがないが成されなかったからであります。この世はいまだにサタンにじゅうりんされています。この世界ではいまだに罪は私達の身体を通して荒れ狂い、私達を支配しているのです。聖パウロは、ローマ人への手紙七章二十四-二十五節で苦悩のうちに次のように叫んでいます。 「私はなんとみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだからわたしを救ってくれるだろうか。わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして私自身は、心では神の律法を仕えているが、肉では罪の律法につかえているのである」 聖パウロは主の恵みの中に生きた人です。しかし、彼のような人でさえ、心では神につかえることができても、身体は罪の律法につかえていると告白しているのです。彼の肉体は救われていなかったのです。依然として、罪の中で苦悩していたのです。それは私達にとっても同じです。キリストを受け入れることによって我々は霊的救いを受けました。しかし、私達の肉体はキリストが再び来られて、我々を罪の束縛から解放されるまで、サタンの支配する罪の法則につかえているのです。 再臨の主は全き救い、すなわち霊的な救いと肉的救いの、その両方を与えることの出来るたった一人の御方であります。今日のキリスト教は霊的救いを与える力しか持たないのです。その当時のイスラエルと違って、キリスト教は実体的な国の基盤を持っておりません。ですから、キリスト教における神の支配圏は霊的な国のみであります。従って人間のもっとも大きな希望はメシヤの再臨なのです。これはアメリカの希望であり、世界の希望でもあります。アメリカ-このユニークなキリスト教国は今、目覚め、メシヤの到来の日に備えなくてはならないのです。 アメリカのキリスト教国は今日、二千年前のクリスチャンと同じ霊的な立場に立っております。アメリカははメシヤが二十世紀に足をおろす場所に定められているのです。神は世界に救いの手をさしのべたいのです。しかし、そうするためには、神はまずアメリカから着手していかなければならないのです。アメリカの役割は二千年前のローマ帝国のそれと同じです。ローマがその当時の世界の中心であったように、アメリカは現代の世界の中心です。イエス様はローマに目をつけられました。ですから、キリストが来られる時、彼はアメリカに目を注がれるのです。 再臨は如何になされるか 今日、我々は論理なくして何事も信ずることが出来ません。真理は論理的であります。無知には完全というものがあるはずがありません。キリスト教の祈りだけでは、ニール・アームストロングをして月を踏ませることは出来なかったのです。科学的真理が必要だったのです。私自身は、かつて科学部の学生でありましたし、神が科学の神であるということを知っています。このように神の言われることは二十世紀の人間にとって、科学的であり、論理的であり、説得力のあるものでなければなりません。 さて、キリストの再臨がいかになされるかを語ることによって今夜の話の頂点に移りたいと思います。聖書のマタイによる福音書二十四章三十節を読んでみますと、 「そして力と大いなる栄光をもって、人の子が天の雲に乗ってくるのを、人々は見るであろう」とあります。また、黙示録一章七節には「見よ、彼は、雲に乗って来られる」とあります。ところが、テサロニケ人への手紙五章二節には 「主の日は盗人が夜くるように来る」 となっています。ある預言書には、主は天の雲とともに来ると言っており、また別の預言は少しく矛盾しています。もし彼が盗人のごとく来るなら、同時に雲の中に現われることなど出来ません。では一つとって別の預言を捨ててしまいましょうか。 二千年のイスラエルの選民は神のお告げが象徴で表わされていることがわかりませんでした。彼等のお告げを文字通り解釈したのです。それは重大な誤りでした。我々、クリスチャンが新約聖書を読む時には、同じあやまちを犯してはなりません。我々は神の側に立って聖書を読むべきであり、比喩や象徴の真なる意味を知るべきであります。二千年前、すべての人々が、エリヤが青空から現われることを期待していました。しかし、彼はそのようには来ませんでした。また、彼等はメシヤが天の雲と共に来ることを期待しましたが、そのようには来られませんでした。今日、クリスチャン達は再臨の主が雲に乗って来ることを期待しています。しかし、あなたにはこの時代にそのような期待が裏切られないという保障がありますか。 主はいかに来られるか では、天の雲に乗ってくるというのと盗人のごとく夜来るという、二つの可能性を謙遜に、そして心を開いて受けいれてみることにしましょう。もし、あなた方が、主が雲に乗って来られるのみと考えているならば、肉体をもった人の子として到来というのはあなた方の期待にそわないでしょう。あなた方はきっと二千年前ユダヤ教信徒達が犯したのと同じ罪を犯すようになるでしょう。けれども、もしあなたが謙遜であって、肉体を持った人の子としての主を敢えて受けいれるならば-それは主が盗人の如く来ることの出来る唯一の方法なのですが、-あなたは見失うことはありません。どのような方法で来られようとも、主にお会いすることを確信するでしょう。もし、あなたが主を全く見失うということがあるなら、それは彼が盗人のごとく来られた時のみでしょう。もし、彼が雲に乗って来るなら心配するには及びません。誰でもその時、彼を見るからです。テレビ放送がこれを確めてくれるでしょう。 しかし、私は皆さんに、神は彼の息子を文字通り雲と共に送りはしないだろうということを言わなければならないのです。 主の再臨を待ち望んで空を見上げていても失望するばかりです。彼はもう一度、肉身を持った人として来るからです。これは神の啓示であります。聖書の要な預言を読むことによってそれを証明させて下さい。ルカ福音書十七章二十節には、 「神の国はいつ来るかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、』神の国は、見られるかたちで来るものではない』」 とあります。誰もが天の雲を見るでしょう。しかし、イエス様は「我々は御国の到来は見ないだろう」と言われました。ユダヤ教信徒達はメシヤの到来を見たでしょうか。いいえ、見ませんでした。なぜなら、彼は肉体を持った人の子として来るからです。 次にイエス・キリストのもっとも驚くべき発言を見てみましょう。たいていの人は「聖書はそう言っていますか」と聞きます。ルカの十七章二十五節を見ますとイエス様はこう言っておられます。 「しかし、彼(再臨の主)はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない」 主がもし、誰が敢えてその方を拒絶したり、苦しませたりするでしょうか。あなたでしたらそうしますか。これはイエス様の語られた言葉です。その方の苦しみ拒絶されるのです。なぜなら、その方は肉体を持った人の子として来られるからです。最初はその人をキリストとして認めることはむずかしいでしょう。全キリスト教会、そして全キリスト教会献身者達は天の雲に乗って主が来られることを待ち望んでいます。彼等は空を見あげ、そのお方の現われるのを待ってするのです。しかしもし、その期待がはずれ、丁度イエス様がこの世に初めて来られた時のように、人の子として突然現われたら、どうでしょうか。 まず初めに、人々は彼を拒絶し苦しみを与えるでしょう。最初はキリストを受けいれはしないでしょう。多くのクリスチャンは石をとって彼にむかって投げるでしょう。また多くのクリスチャンは、その方を不敬な者とか異端者と呼び、また悪魔にとりつかれていると言って非難するでしょう。これらは二千年前、イエス様に対してなしたと同じ罪であります。 しかしながら、イエス様は十字架にかかるために再び来られるのではありません。彼は栄光の主として来られるのです。この世を審判し、善と悪を分け、神の国を創るために来られるのです。神の義が地上に広がるようにされるのです。ルカ福音書十七章二十六節、二十七節を読んでみますと、 「そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう。ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした」 これが人の子の時のあらましです。そして、これは主が肉身をもって人の子として来られる時おこるのです。 一人の人間として、来臨されるイエス様は天国を唱えるでしょう。しかし、誰も耳を傾けはしないでしょう。きっと彼を笑いあざけり、あらゆる悪いことをやるでしょう。そうして主が審判の座にひきあげられるまで、この世は、その常のごとく肉欲的なもの――食い、飲み、めとりなどを続けるのです。世が彼を審き主としてみとめる時はもう遅すぎるのです。箱舟は閉まり、審きがまさに始まらんとしているでしょう。 さあ、イエス様が言われているこの一節を聞いて下さい。 「あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいて下さるであろう。しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」(ルカ十八章八節) イエス様は、キリストがもどられた時地上に信仰があるかどうか問われました。何故でしょうか?歴史は繰り返すかも知れません。二千年前、十字架イスラエルには、すさまじい程の信仰がありました。彼らは朝に昼に夜にユダヤ教会で祈りをささげました。彼等は絶えず経典を読み、えりにそれをしるし毎日暗唱していたのです。又、彼等は十戒を守り、あらゆる律法に従いました。農作物の十分の一をささげ、断食に断食を重ねました。それでも、神の子が現われた時彼をみとめることができず、十字架につけてしまったのです。イエス様は信仰を見たでしょうか?イエス・キリストの目には、地上に全く信仰が見られなかったのです。 ですから、彼が再び肉身をもった人の子として現われる時、地上に信仰が見られないかもしれません。何百万ものクリスチャンや何千万もの教会は、人の子の到来を決して見ないかもしれません。なぜなら主が肉身を持ってこられるからです。 では、最後にマタイ七章二十二節、二十三節を読んでみましょう。 「その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い事し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。」 これはどういうことでしょうか。何故これらの主の名を尋ねる献身的なクリスチャンが悪を行なうとして非難されるべきなのでしょうか。どんな悪事を犯したというのでさょうか。歴史を通して、多くの重大な罪が神の名のもとに犯されてきました。それは生命の創造主を殺そうとたくらんだ祭司であり、長老でありました。彼等はそれを神の名においてやったのです。 キリストがもう一度肉身を伴った人の子として来られる時、まず第一に、彼は二千年前来られた時と同じようにあつかわれるでしょう。しかし彼は十字架をくり返すために来られるのではありません。この時は、神の力が明らかに現われるでしょう。再臨の主は本当に審きの場につかれ、審き主として審判されるでしょう。 彼がその座にひきあげられる時誰もが彼を見るでしょう。彼が誰であるか、、誰でも間違いなく、はっきり知るでしょう。そしてすでにそのお方を非難したり、拒絶したりした人達はそのお方になした悪事のために泣き叫び、深く悲しむようになるでしょう。しかし、その時はもう遅いのです。主は彼らにこう言われるでしょう。「あなた方を全く知らない。不法を働く者どもよ行ってしまえ」 主は来られます。そして主は、人として来られるのです。そのうえ神の力と栄光を持って来られるのです。そしてこの世を審判されるのです。柔和な者達だけが祝福されるでしょう。ごう慢な者達は消すことのできない火を見ることでしょう。 神の目的は成就される 第一のアダムとエバ : 御存知のように神は創造の初めから、地上の天国を最初のアダムとアダムと共に造る計画でした。彼等がもし神に対して本当に従順であったなら、彼等は完成し、また神は彼等に天的な結婚をもたらし、神の意志のごとく地上に最初の家庭を造られたでしょう。この家庭は地上天国の基いとなり、アダムとエバは人類の真の父、真の母となられたでしょう。エデンの園というのは、そういう国の象徴的表現であります。そして、この世は神の喜びの世界になったでありましょう。 このとどまりは、子羊の婚宴の話として、黙示録に預言されています。再臨の主はその子羊であり、その完全なるであり、その完全なるアダムであります。主は完全なるアダムとして来られるのです。そして彼は完全なエバを復帰されるのです。それから彼らはひきあげられ、人類の真の父母となられるのです。そしてついに、神の喜びは完壁なるものとなるのです。 第二のアダムとエバ : しかし第一のアダムとエバは失敗してしまいました。しかし神の理想は変わりませんでした。神は初めに計画されたように神の国を実現し、喜びの世界を創ろうと決心されました。そして、聖書の歴史で四千年後に、神はもう一人の完全なアダムを通じて地上の神の国を復帰しようと計画されたのです。イエス・キリストがその完全なアダムであります。聖書のコリント人第一の手紙十五章四〇五節には、イエスは「最後のアダム」、すなわち第二のアダムであるとあります。彼は失敗した最後のアダムのかわりに二千年前に、完全なアダムとして来られたのです。 アダムだけの復帰では、神の国は出来ません。花嫁であり、母親である第二のエバがいなくてはなりません。ですから神は、この第二の完全なるアダムであるイエス・キリストに彼の嫁となる人、完全なるエバを復帰する予定でありました。これがエデンの園失われた第一の家庭の復帰でありました。 第三のアダムとエバ : しかしながらイスラエル選民の反逆のために、これは達成できませんでした。それにもかかわらず神は御自身の意志を成就することを決心されたです。そうしてキリストの再来を約束されたのです。 イエス様がなくなられてから、約二千年が経ちました。そして、今、神はもう一度、第三のアダムの立場で神の息子を送られたのです。歴史を通して、神は常に三度目でその目的を果して来られました。教字の(三)が完成の数であるというのは本当です。この時、神は完全なるアダムとエバに天的な結婚をあげさせて、神の長い間の理想を確実に成就され、地上の天国の基いを敷かれるのです。 十字架にかけられる少し前、イエス様はペテロにこう言われました。 「わたしはあなたに天国の鍵を授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは、天でも解かれるであろう」(マタイ十六章十九節) この地上で失敗したのです。罪はこの地上で犯されたのです。ですからそれは、この地上で償われ根絶やしにされなければならません。イエス様は私達にこう祈るよう言われました。 「み国が来ますように。みこころが天に行われ通り、地にも行われますように」 地上に天国実現 地上が問題なのです。それが何故キリストが地上に帰って来られなければならないかの理由であります。 世の終りが来る時、神はすべてを破壊され、日は暗くなり、星は落ち、わずかひと握りのクリスチャン達が空中に引き上げられ、キリストと共に至福千年を迎えるということを多くのクリスチャンは信じております。 しかし、もし神がそうされるなら神は失敗の神になってしまいます。というのは神の本来のみこころが、この地上において決してなされないからであります。サタンのためにこの地上を見捨てることになるからであります。それではサタンは事実上の勝利者となってしまって神は敗者になってしまうからです。そのようなことは決して起らないでしょう。神の国はそう計られた故、成るのです。このニユーヨークもまた神の国となりましょう。もしあなた方がメシヤのおとずれを見るなら、あなた方は神の国の住民となれるでしょう。彼はあなたの希望であり私の希望であり、アメリカそしてこの世界の唯一の希望なのであります。 しかし、もし私達が彼を見ることが出来なかったら、その時キリスト教にはもはや希望がなくなるでしょう。キリスト教は衰えるでしょう。その神霊の火は消えてしまうでしぺう。教会は古い遺物の墓と化してしまうでしょう。その時には、この世は暗い運命を持つようになるのです。 皆様、今夜私は神の命令によって、ここマディソン・スクェア・ガーデンに来ました。聖書の使徒行伝二章十七節にはこうあります。 「神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたの息子娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう」 私達は、新しい時代の誕生というとてつもない時代に今生きているのです。天国は非常に近づいております。そしてもしあなた方が熱心に神に求めるなら神はあなた方に答えてくれるでしょう。ただちに神にたずねなければなりません。「文師が、真実を語っているかどうか、どうしたらわかるでしょうか?」どうか私や誰か他の人にその答を聞かずに、神が直接あなたに答えるようにして下さい。心静かに、そして神に熱心に、心を込めてたずねて下さい。祈りの中で神と対決して下さい。神は答えられるはずです。 人類にとって新しい希望は、メシヤであります。主の大いなる、かつ恐しい日はすぐそこに近づいているのです。その日が素晴らしい日か恐しい日かは、あなた方次第です。もしあなた方が救い主に会うなら、あなた方にとってその日は素晴らしい日となるでしょう。しかしもし、救い主に会うなら、あなた方にとってその日は本当に恐るべき日となりましょう。 神の祝福がありますように。御静聴ありがとうございました。カンサハムニダ!ありがとう。そしてよき晩でありますように。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.07.17
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以下の揮毫掛け軸は50年前、文総裁がされたもの。今回、記念メッセンジャー・横井捷子先生の自宅にあったものをお借りしてのものとか。1967年7月、文鮮明総裁が金沢教会を訪問された。以下週報から。ダンス(青年部)横井捷子先生 記念メッセージ
2017.07.16
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実際は4時からか。http://www.ipeacetv.com/live/live_jp.asp2000名の合唱隊マディソンスクエア・ガーデンをいっぱいに埋め尽くしている。「紳士淑女の皆さん」これを今日で最後にしよう。今日からは「兄弟姉妹です。」真の父母様の宗教統一運動についても語られた。この方は、一度離婚された方でその結婚が元に戻るように文総裁夫妻によって祈っていただき、ここに夫婦でいることを証していた。真の父母様登壇。基調講演。お母様の基調講演は後日公式的なものが発表されると思います。・イエス様の失敗・1943年、韓国に独生女が誕生・1952年、韓国動乱。国連が16ヶ国を派遣。・神様が世界の問題を解決するためには真の父母の顕現が必要・1960年、「子羊の婚宴」。されど、キリスト教の迫害。・1972年、真の父母様渡米。青年たちが伝道される。・政治家たちはRev.Moonを追い出そうとした。それがダンベリー。・アメリカが責任を果たさなければならなかったにもかかわらず……・ダンベリーの中から「共産主義の終焉」を宣布。共産主義国の3000名を米国に連れてきて教育。・その青年たちが共産主義から守られた。・父母様は表現できないくらい多くの問題を克服された・いままで家庭連合は多くの祝福家庭を誕生させた。・この祝福家庭がこの国に、世界にあふれる時、神様の夢である一家族世界が実現・日韓米を中心として環太平洋時代・真なる自由・平和は遠くにあるわけではない。真の父母と一つになって……・ここにいる皆さん、私と一つとなって世界の光、灯台になって……基調講演後、祝福三世の子供らがお母様に花束を贈呈。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.07.16
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今朝方(今しがた)、不思議な夢を見たので書き記す。私の通う学校へカクチョンファン氏が特別講師として招かれた。時に私tomy4509を見つけては殺すような勢いで組みかかかってきた。「貴方は天使長です!!」と申し上げたところ、態度が急に穏やかになった。実は、お母様からも同じことを言われたばかりだったとのこと。私からはピースカップ(サッカー)のファンであったことも告げた。ところ変わって、空から飛行機が爆弾を投下し始めた。戦争である。敵はVIPを探しては、反対するものを処刑しようとしていた。カクチョンファン氏もそのなかにあったが、身分を明かしその難を免れた。ところが、その後同時に敵が同士討ちを始めた。また、ところ変わって。私たちが陳述書を書いて送ろうとしている場にもカクチョンファン氏がいた。彼も手紙を書きそこにはカクチョンファン氏の名(名だけ大きくしたなか、悔い改めの一文がしたためられていた。ここで目が覚めた。USAからは大会の映像を配信し始めたようである。それのメールがこれを書いているなかにあった。
2017.07.16
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2017.07.15
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原理講論を捨てたUCIグループのパシセラ氏、いつまでありもしない「独生女論」にこだわり続けるのか?そもそも、ありもしないものは隠すこともできない。それくらいは誰の目にも明らかなことだ。もしも、「独生女論」を隠しているというのであれば、ペアシステムの原理からして「独生子論」もあってしかるべきである。パシセラ氏、もったいぶって隠さず「独生子論」を提示してください。さて、お父様のみ言を見る時に二面性をもって語られているものも少なからずある。今日のお母様の語っておられる「独生女」、これはお母様が最初ではない。お父様ご自身がお母様について語られたものである。お母様の「独生女」に対して否定的なみ言ばかりを並べることで偏向した考えに導こうとしていないだろうか。まずもって、原理講論そのものに「原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、……」と書かれている。以下P.264~。我々を生んでくださるのは、父母でなければならない。それでは、堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。彼は堕落した子女を、原罪のない善の子女として新しく生み直し、地上天国をつくるその目的のために真の父として来られた方であった。ゆえに、ペテロⅠ一章3節に、「イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ」というみ言がある。イエスは、アダムによって成し遂げられなかった真の父としての使命を全うするために来られたので、聖書では、彼を後のアダムといい(コリントⅠ一五・45)、永遠の父といったのである(イザヤ九・6)。また、神は、預言者エリヤを再び送り、彼の力で堕落した人間の心を、父母として降臨されるイエスの方へ向けさせることによって、彼らをその子女となさしめると言われた(マラキ四・6)。そして、イエスが再臨されるときも、父の栄光のうちに来られる(マタイ一六・27)と言われたのである。 ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。 このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントⅠ一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。半世紀以上も前に書かれたこの原理講論によって信仰を持ち、現在もFFWPUに名称が変更されてもこの原理講論である。ところが、UCIグループはその「原理講論を捨てた」立場で何が言えるというのか?原理講論だけでなく、原理本体論に関してのお父様のみ言(Famlyの2009/1月号(P.44~)に掲載)もある。お母様のように堕落していない本然の息子、娘を生むことができますか? それは真の父母の種を受けて一体圏にいなければ不可能です。永遠にありえないことだというのです。真の父母様宣布文公式サイト、7月13日付は以下より。2017.7.13 UCI側が広める金鍾奭著『統一教会の分裂』の〝虚偽〟を暴く(7)―― 金鍾奭氏が主張する「アイデンティティ」の誤り・その6 を掲載しました。ここでも「種(血統)」「祝福式」の話がされていたが、原理本体論に関するみ言からも「真の父母の種を受けて」と書かれており、公式サイトの主張を裏付けたものであった。在りもしない「独生女論」を取り出して批判されるのであれば、お父様がイエス様の出生の秘密について語られたようにお父様の「独生子」としての出生の秘密について何か特別なものがあるのか?私の記憶では、氏名「龍明」の由来についてぐらいでは。お父様が独生子だと言える(世界が納得する)何かがあるとでもいうのか。もしも、それがあれば2000年前のイエス様のときに世界平和は訪れていたはずだ。そのような「独生子論」があるというならば、すぐにでも提示願いたい。クリスチャンの信仰は「イエス様をメシヤ・神の独り子」と信じる信仰であって、今日のFFWPUにしても、文鮮明ご夫妻を「真の父母」と信仰する宗教団体である。「独生子」「独生女」、信仰以外になにがあるというのだ。原理講論を捨てたUCI、「子羊の婚宴」がなされてのご父母様の「初夜」それがいかなるものであったかは、今日、お母様しか知らない。理論理屈を並べて「独生女批判理論」を展開していかれたいのであれば、お父様の「独生女」発言にも言及されていかれるべきである。「善悪知るの木」が何であったかは、それといっしょにあった「生命の木」について調べていった。同様にして……世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓にほんブログ村ランキング参加中。 応援クリックお願いします。 ↓↓
2017.07.13
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「cocoaさんもコスモスさんも女性でしょ!!」の補足です。訪韓修練会御言集 十六万女性修練会(web み言集) からです。姜先生、櫻井夫人、cocoaさん、コスモスさん、全世界の女性の皆さん、ご確認ください。全世界の女はお母様の分身になるのです。分かりましたか? ……だから、「お母様の分身になりなさいー」と言うのです。全世界の女は一人のエバだというのです。分かりましたか?……そうなるというと、真の父は二人ではないのです。分かりますか? 女はみな真のお母さんの腹とつながった糸みたいに、電線でつながって電気がつくのと同じように、その腹の中に子供をはらんで、家庭的な父母は、家庭でのカイン・アベルを中心として、氏族的なメシヤのお母さんの腹に入るのです。氏族的なメシヤのお母さんの腹を通して、民族的なお母さんの腹、それで先生を中心として、一六〇か国のお母様までつなぐのです。それは民族から、国家、世界、天宙まで、三段階をつなぐようになっているのです。蘇生、長成、完成です。ここだけをつないでおけば、すぐに神とつながるのです。一六〇か国です。分かりましたか? (はい)。「家庭的な父母は、家庭でのカイン・アベルを中心として、氏族的なメシヤのお母さんの腹に入るのです。」の意味は、ではなかったでしょうか。また、「氏族的なメシヤのお母さんの腹」の中にもカイン・アベルがあり、民族、国家、世界、天宙までつながっていったのではないかと思います。お父様の「オモニがいない」のみ言の意味は、母親とならしめる子女(カイン・アベル)がいない、とつながりるのではないですか?2008年4月6日、結果はどうなりましたか。お父様の種を中心としてお母様のお腹にカイン・アベルが安着したでしょうか、しなかったでしょうか?カイン・アベルが、オモニが夫を追い出してしまったという話です。これは私の見解ですが、女性の皆さん、それが本当かどうか祈ってみてください。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.07.12
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私の記事後も、HOPE氏の07/10付の記事「<オモニは長子権を復帰し、長子はオモニを復帰しなければなりません。世界的基準でアボジに侍らなければならないのです>金容成氏の記事に引用された真のお父様のみ言葉を読んで(8) ~」がありました。出典は「み言選集314巻264ページ、2000年01月09日<千年王国時代の到来>」と、相変わらずのものでした。この「長子」が誰なのかの明示がありません。2000年のお父様のみ言であれば、長男の孝進様も居られました。「長子?」、果たしてお父様がどなたを指して語られたものでしょうか。ハッキリさせてください。また、HOPE氏の「原理講論を捨てたりはいたしません」については、コスモスさんの記事タイトルの間違い「原理講論を捨てたUC」から出てきたものです。いうなれば「瓢箪から駒」というところでしょうか。三男派・UCIグループに属される方々全般に言えることです。詳しくは以下記事にてご確認ください。コスモスさんへ 訂正をお願いします!!コスモスさんへ--「原理講論を捨てたのはUCか? UCIか?」原理講論を捨てたUCIグループのパシセラ氏の「独生女論」と「独生女理論」cocoaさんもコスモスさんも女性でしょ!!原理講論(book)そのものを指してのものではありません。UCI(三男さん)が成した行為を指してのものでした。HOPE氏のそれからは「原理本体論」の話も出てきました。「原理本体論」についてのお父様のみ言もFamlyの2009/1月号(P.44~)に掲載されていました。もう少し先に書こうと思っていましたが、ここで紹介しておきます。「原理本体論」の講義を任されながらサンクチュアリに行った講師も、結果的にはお父様の意向を理解することが出来なかったということです。お母様のように堕落していない本然の息子、娘を生むことができますか? それは真の父母の種を受けて一体圏にいなければ不可能です。永遠にありえないことだというのです。真の父母様と一体圏にいない三男さん、あるいは、七男さんの相対者にそれが出来ますか?!原理講論だけでなく原理本体論も捨てて「独生女」批判、まだ続けられますか?「家庭連合、分派ともにーー「釜山港へ帰れ」を合言葉に!! 」原理講論に帰りましょう。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.07.11
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原理講論を捨てたUCIのパシセラ氏・HOPE氏のお父様のみ言引用についてですが、少しおかしくありませんか?以下にパシセラ氏記事引用されたお父様のみ言から「長子」「長子権」、そして、出典に黄マーカーを入れてみました。長男の文孝進様の聖和は2008年3月17日ですが、出典の年月を見ればいずれもそれ以前のものです。さてさて? この「長子」とはどなたを指されてのものでしょうか。パシセラ氏記事「オモニを中心に蕩減の道を超えた後は」から:http://ameblo.jp/pacificera/entry-12290933070.html文先生のお話からです。「血統を連結するのは女ではなく長男なので、父子協助時代になると自動的に血統が整備されひとつになるというのです。オモニを中心に蕩減の道を越えて父子摂理時代に入るのです。血統圏です。 血統圏を連結すると女を通さなくても強制的にでも祝福するのです。アボジが祝福して長男が祝福家庭として祝福の権限を持って血統を連結すると、サタン側の世界全体が神側に移行されてくるのです。」出典:み言選集467巻40ページ、2004年09月02日『神様の血族と血統』」「天父主義です。天父とは何ですか。天の父です。アボジの継代を継ぐのは長子権しかありません。ですから天父主義時代、その時になったので、今日、はっきりと語るのです。母子協助の蕩減救援時代は過ぎ去り、父子関係の父子協助時代に移る!(中略)真の父母がソウルで王権即位式をしたので、長子を立てて次子を率いて行くことのできる時代に移るのです。 出典:統一世界10-2004、38〜39ページ、2004年09月01日『第16回天父主義宣布式典』」「国と世界を通して行くことのできる第4次アダム圏の確立が国家上で始まるのです。(中略)皆さんの家庭がそのモデルとなっているので、国家基準の内的モデルの形態にあって、それぞれの家庭がそれを越えることのできる条件がオモニと息子がひとつになることです。母子協助でしょう。こうしてひとつになるとオモニは長子に任せるので父子協助時代に移るのです。父子協助時代になると、そこですべてが終わるのです。分かりますか。「はい」出典:み言選集314巻229ページ、2000年01月05日『新千年天国完成は祖国光復から』」「ですからオモニは長子権を復帰し、長子は。『オモニ復帰です』オモニを復帰するのです。ひとつになるのです。エデンの園でこれが割れたのです。オモニによって堕落し、そのオモニが生んだ息子娘たちが殺戮戦を行ったので世の中が破壊され地獄が生じたのです。それを平準化させるためには、オモニは長子権を復帰し、長子はオモニを復帰しなければなりません。完全に二人がひとつになって国家基準を超え、世界的基準でアボジに侍らなければならないのです。出典:み言選集314巻264ページ、2000年01月09日『千年王国時代の到来』」さらに続けてはデタラメそのものです。2000年までの7年は、文先生が「女の時代」と呼んだ、母が世界で活躍した時代でした。それが終わって、父子協助時代になるというお話をしていたのが、上記のように2000年、あるいは、それ以降の数年です。この時代を過ぎて、文先生が他界した後は、独生女時代になると思えるでしょうか?流れからしても、長子権という原理からしても、合致しないことです。「長子はオモニを復帰しなければなりません」というお話は、奇異に聞こえるかもしれませんが、文先生は、長男である文顕進会長に、母のことを相談していました。長男は、「国家基準を超え、世界的基準でアボジに侍」ろうとしても、母に独生女論の芽が生まれていて、「私がしなければならない」と思えば、父と一つになることができません。そうではないでしょうか?そなれば、父に侍ろうとする長男は、とても難しい立場に立つようになります。それが、皆さんがみたことの背景である、と私は思います。まずもってして、三男さんが「長子権復帰」を勝利したという話を聞いたことがありません。誰一人として相談相手がいなかった孤独なお父様が三男さん(長男ではありません)に相談? ですか。「独生女時代」? お母様がそのような話をいつされたでしょうか。私からは「独生女論」も「独生女理論」も存在しないことを何度も語っています。もしも、それがあるというのであれば、「独生子論」「独生子理論」をまず見せてください。2008年4月6日は、モーセ路程で「ペリシテ人の国の道」を通っていくか、40年荒野路程かのような岐路のときではなかっただろうか。三男さんは一時期は重要な役職を担当されたかもしれませんが、2008年4月をもって大きな変化がありました。その時、何があったでしょうか。2008年3月17日、長男の孝進様が聖和されて霊界では興進様とのカインアベルの一体化のもとに、地上でも「2008年の4月6日、 真のお父様はハワイのキング・ガーデンで、顯進任をカインの立場、國進任をアベルの立場に立たせられ、「二人が一つになり、その土台の上で真のお母様を通じてお父様に来なさい。」と特別な御指示」をされました。ここに「カイン・アベルの原則」でもって「長子権復帰」をして「オモニ復帰」--韓国の「祖国光復」を願われていたのではないでしょうか。ところが、結果はどうなりましたか。4月18日、「顯進任をカインの立場、國進任をアベルの立場」のどちらでもなく、七男さんの世界会長就任式を迎えることとなりました。そして、2008年7月19日の真の父母様のヘリコプター事故でした。お父様が清心病院から郭錠煥氏に電話をされ、三男さんを呼び出されて特別な祝祷をされました。当時世界会長の七男さんではなく、です。では、特別な祝祷とは何だったでしょうか。三男さんに関してのものではありませんせんでした。真の父母様の「地上再臨完結時代」の到来を宣言するものでした。2008年4月に失った基台を父母様のゴルゴダの丘を越えての勝利宣言でした。以下Famlyの2008/10月号からです。世界会長の七男さんではなく、三男さんを呼び出されてのそれでした。ここにも悟らせるべき何かがあったのではないでしょうか。その後、映像「2008年8月7日文顕進会長(会長ですか?)のスピーチ」です。ここでもう一度確認しておきますが、「7番目のヘリコプター事故(ゴルゴダの丘)は真の父母様お二人で!! 」からこれはヘリコプター事故の後の「2008年8月7日文顕進会長のスピーチ 」最後の映像説明だ。「このような顕進様が/お父様の前で自己否定できずに/UCIの財産を奪って/自分勝手な道を行くことにしたのだと/皆さんは本気で思われますか。。。」ですか。では、「2008年4月6日は? /束草事件は?」どうだったのか。 真の父母様宣布文でも三男さんはUCIを手放そうとはしなかった(お父様の前で自己否定できなかった)。三男派宣伝で作った「嘘つき映像」だ。2008年4月、カインアベルが一つとなっていれば汝矣島裁判もなければUCI裁判もなかったはずだ。 その裁判(無駄な軍事費)に天文学的数字が投入されているという。まさに、「王子の乱」(後継者争い・財産争い)が 全世界の食口たちを不幸に陥れていることを (分断して犠牲にしていることを)、 子女様方はいつ悟られるのか? アダム家庭でのアベル・カインの失敗でノア家庭まで1600年、アブラハム家庭家庭までが400年、さらに、イエス様までが2000年、さらに、再臨主まで2000年。 神様が6000年待っての創造本然のアダム・エバ「真の父母様」の誕生だ。 ヘリコプター事故(真の父母様の十字架)後、お父様は三男さんにスピーチの場を与えられた。何を語るべきかはお父様は何も語られなかった(三男さん自身が悟った世界があるだろうからと)。「家庭連合、分派ともにーー「釜山港へ帰れ」を合言葉に!! 」原理講論に帰りましょう。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.07.10
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原理講論>第2章 堕落論>第四節 人間堕落の結果 からです。(四) 善神の業と悪神の業 善神というのは、神と、神の側にいる善霊人たちと、天使たちを総称する言葉であり、悪神というのは、サタンと、サタンの側にいる悪霊人たちを総称する言葉である。善と悪とがそうであるように、善神の業と悪神の業も、同一のかたちをもって出発し、ただその目的のみを異にするものなのである。善神の業は、時間がたつにつれてその個体の平和感と正義感を増進せしめ、その肉身の健康をも向上させる。しかし、悪神の業は、時間がたつにつれて不安と恐怖と利己心を増進せしめ、また健康をも害するようになる。それゆえに、このような霊的な業は、原理が分からない人にとっては、それを見分けることが非常に困難であるが、時間が経過するに従って、その結果を見て、その内容を知ることができるのである。しかし、堕落人間は、神もサタンも、共に対応することのできる中間位置にあるので、善神が活動する環境においても、悪神の業を兼ねて行うときがある。また悪神の業も、ある期間を経過すれば、善神の業を兼ねて行うときがときたまあるから、原理を知らない立場においては、これを見分けることは難しい。今日において多くの聖職者たちが、これに対する無知から、善神の働きまでも悪神のそれと見なし、神のみ旨に反する立場に立つようになるということは、実に寒心に堪えないことといわなければならない。霊的な現象が次第に多くなる今日において、善神と悪神との業の違いを十分に理解し、これを分立することができない限り、霊人たちを指導することはできないのである。赤字の「聖職者たち」は、当時は既存の牧会者等を指してのものであったが、今日にあっては長く家庭連合(統一教会)の牧会をされてこられた方々にも言えることだ。cocoaさんの「真の祝福を行える方 」からの一部引用。今後、祝福を行うことが出来るのは誰か ?これは誤魔化しがきかない。祝福を行う権限を引き継いだのは、文顕進会長である。 祝福の主礼を行うことが出来るのは、肉体を持ったご父母様。あるいは、長子の立場の文顕進会長夫妻。お母様ひとりでは出来ない。ましてや末っ子の亨進様ではいけない。残念ながらこのことについては、すでに2000年9月に郭錠煥氏が否定していた。当然のことながら2015年三男さんの祝福式「聖酒の種」も偽物であったということだ。私の記憶では、真の父母様の許諾の元で子女様として祝福式をされたのは霊界では2000年9月の興進様、地上では2008年4月、七男さんの世界会長就任式を前後してのそれが最初であった。その後は三男さんへの祝福権の委譲も聞いてはいない。「聖酒の種」の伝授などは問題外であった。それどころか「異端者・爆破者宣布文(2010.6.5) 」「真の父母様宣布文公式(2011.5.25)」があるだけだ。コスモスさんも「コスモスさんへ--「原理講論を捨てたのはUCか? UCIか?」」の回答はキチガイ記さんへわざわざありがとうございます。でも訂正いたしません。でした。真の父母様宣布文公式サイトからのUCIのそれを確認されたでしょう。UCIが原理講論を捨てたことに反駁する余地はありません。自称ルポライター米本氏もUCI裁判結果を取り上げています。駄文ですが……さて、姜先生、櫻井夫人然り。cocoaさんにコスモスさんも女性でしょお父様が「女性」に願われたことは何だったでしょう。お母様の分身となって世界平和への貢献を願われたはずです。お父様に侍りながら夫、息子、娘を教育しなさいとのことでした。「世界平和女性連合」大会のおり、また、「16万の訪韓女性修練会」において語られたのがそれでした。2000年9月の「三時代転換式」も女性が21日修練会を受けて(女性が中心となって)のものでした。それを忘れてしまわれたのでしょうか。「平和神経」ーーヘリコプター事故後には「平和訓経」から「平和神経」へとタイトルの変更の指示を出されメッセージの追加もされていきました。――の平和メッセージ13、平和メッセージ16からは、今は、天宙的女性時代を代弁する海洋時代が開かれました。……真のお母様を中心としてすべての娘たちが一心一体となり、勝利的産苦を完成完結するための機関車の使命を果たさなければならないという点を、肝に銘じてくださることを願います。ヘリコプター事故を挟んでのメッセージ13とメッセージ16、同じタイトルでありながら13と16ではその重みが全く違います。2007年3月17日、環太平洋時代(女性時代)の到来を宣布され、2008年3月17日に文孝進様の聖和されました(「深天解放苑忠孝開門主」)。その後2008年4月6日、ハワイ・キング・ガーデンでの映像です。詳細はFamlyの2008/6月号・7月号に書かれているので、確認をお勧めします。以下は6月号の30・31ページ。それで、今から式の進行はお母様がします。二人の息子、娘(父母様)を代表してするのです。あなたたちカインとアベルが(顕進様と国進様)、お母様の言葉に絶対服従しなければなりません。……今までお父様やお母様と一つになってきていませんでした。あなたたちは、お母様を中心として、孝子として育てられ、わたしがそこであなたたちを、…あなたたちの息子、娘を祝福してこそ、天国に入っていくのです。2008年7月号12ページからは、真の家庭の子女様であってもエバを中心として、母を中心として、カインとアベルが争ったのです。カインとアベルが争ったのです。カインとアベルが争い、夫のアダムを家庭の外に追い出してしまいました。……母(エバ)が生んだ息子、娘は本来の息子、娘ではありません。母(真のお母様)を通して再び生まれなければならないのです。統一家も、そのようになっているというのです。……お父様とお母様が一つになっていない、の言葉を出しては批判される分派の方々もいるが、その父母様を一つになさしめるのは「カイン・アベルの原則」によるものです。ところが、アダム家庭でのカイン・アベルの失敗でセツ(七男さん)が2008年4月18日、突然に世界会長に就任しました。これら女性たち、祝福権も有しない天使長たちに引っかかってどうするというのでしょうか。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.07.09
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コスモスさんのタイトルの間違いからUCIグループを適切に語るフレーズ「原理講論を捨てたUCIグループ」なるものが浮上してきた。「原理講論を捨てたUCIグループのコスモスさん」、ありがとうございます。さて、「原理講論を捨てたUCIグループのパシセラ氏」の記事の記述を見て少し不思議を感じたので書き連ねてみたい。それは「独生女理論」と「独生女論」である。つまりは、「ーー理論」と「ーー論」では少しニュアンスが違ってくるように思われる。パシセラ氏の記事の記述を見れば「独生女論」が用いられている。一般的には「ーー論」といえば、「ある事象に対し順序立てられた思考・意見・言説をまとめた物である。」比較的肯定的に受け止められるニュアンスがある。ところが、「ーー理論」となれば、「対象となる事象の原因と結果の関係を説明する一般的な論述である。自然科学、人文科学、社会科学などの科学または学問において用いられている。」とある。そこには仮説もあり、その原因と結果が結びつかない場合もあり、必ずしも正しいとは限らないといったニュアンスも含まれているように思う。「独生女理論」言葉を用いてのお母様の「独生女」批判の意図もそこにある。ところが、パシセラ氏は「独生女論」である。似ているようで受け止め方が違ってくる。パシセラ氏には、その立場をハッキリとしていただきたいものである。もちろん、「独生女理論」も「独生女論」も存在しないという私の主張は変わらない。原理講論を捨てたUCIの方々には到底理解はできないだろうが、原理講論を見れば、「生命の木」と一緒にあった「善悪知るの木」とは何かについて調べる時、まずは聖書に書かれていた「生命の木」について言及していった。同じように、「独生子」は韓国の聖書からであり、「独生女」はお父様の造語ということだ。この造語ともいうべき「独生女」がいかなるものなのか、それを知る術もまた、「独生子」がいかなるものなのかといった「独生子理論」「独生子論」があって然るべきである。どなたかそれをご覧になられたか、というのだ。原理講論を捨てたkimuchi氏からは「お母さまの無原罪発言は光言社『世界家庭』5・7月号に掲載」http://kimuchi.muragon.com/entry/303.htmlのこれを見ても、あたかも鬼の首でも取ったかのような勢いである。果たして?これも原理講論を捨てられたUCIの皆さんには理解できないだろうが、原理講論には半世紀以上前から「無原罪の父母」(無原罪の独生子、独生女)が印刷物として書かれてきた。統一教会の信徒たちはこれを読んで信仰してきたし、現在、FFWPUになってもこれを信じている。しかし、未だに統一教会(UC)を卒業することが出来ずにいる(家庭連合をFFWPUと書くことも出来ない)分派の方々は、明らかに「原理講論を捨て」ておられるということがここでも理解することができる。姜先生や櫻井夫人とて同じことだ。大先輩に対しては大変失礼なことかもしれないが、2000年前のイエス様の時のパリサイ人や律法学者と同じである。お父様・御父母様を再び十字架につけようとでもしておられるのか。クリスチャンとして新約聖書(イエス様の概念)の壁を超えることが出来ずにおられる。「新しいぶどう酒は新しいかわぶくろに」である。『家庭連合、分派ともにーー「釜山港へ帰れ」を合言葉に!! 』でも書き記したが、原理講論にもう一度帰って考えられることをお勧めする。また、「独生女理論」があるとすれば、その造語の主(あるじ)が「無原罪独生女」のみ言を語っていた。当ブログでもそれは掲載済みである。https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201705200000/お母様お一人が「無原罪独生女」を語っておられるのではない。お父様のそれもある。kimuti氏は、FFWPUがこれまでお母様の「無原罪発言」を隠していたというのであれば、お父様のそれをもFFWPUに代わってブログにて書かれたらいかがが?!世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.07.08
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韓国・BreakNews(2017-07-04)以下、google翻訳。韓日海底トンネルは、夢のプロジェクト「南北平和統一の鍵」北朝鮮の核とミサイル問題の解決は、将来のアジア諸国連合主導の方策ジョンホソンコラムニスト ㅣ 記事入力 2017/07/04 [17:11来る7月7日、ドイツで主要20カ国・地域(G20)会議を契機に、ムン・ジェイン大統領と安倍晋三(安倍晋三)日本の首相との初の首脳会談が行われたものであり、安倍首相は日本大使館の前の少女上の早期撤去を要求する慰安婦、日韓合意の着実な履行を促すことが分かった。ムン・ジェイン大統領は韓米首脳会談で知恵を発揮して、南北問題の主導権をガトゲトダとしたかのように阿部との会談でもG20丁寧がカムジャク驚く通大きい提供を行う必要がある。北朝鮮核とミサイル問題を含む独島、慰安婦、歴史歪曲問題をすべて含むた。首脳会談で「韓国 - 日本の海底トンネルをツルジャ」と提案する。将来の主役である私たち若い世代のために「韓国 - 日本の海底トンネルを掘っうと提案してみよう。私たち韓半島は海上勢力と大陸勢力が衝突する地域である。現在もアメリカ・日本の海上勢力と中国・ロシア大陸勢力が北朝鮮の核を理由に緊張を高めている。これらの力の衝突をなくすためには、コミュニケーションをしなければならない。 最近、中国が急速な経済成長に基づいて軍事力を強化し、米国の世界戦略とぶつかりながら、東アジア地域が不安定な情勢を見せている。フランスとドイツが和解の努力を通じて、戦争の歴史を清算して、ヨーロッパ共同体の建設の主役になったかのように、21世紀に韓国と日本が歴史和解と海底トンネルの建設を通じて緊密な協力体制を構築する場合、共生共栄の1つ。仕事新時代が開幕されるだろう。英国とフランスの間のドーバー海峡の幅は34kmである。フランスのナイフレス(Calais)で、英国のフォークストーン(Folkston)まで海底トンネルが建設された。1987年9月に着工し、1994年5月に完成し、160億ドルの予算を入れた。このトンネルは、毎日片道600本の列車が時速130kmで走っており、両国の経済はもちろん、欧州経済にも大きく寄与している。 韓国と北朝鮮はもちろん、4つの大国の共同繁栄のためには人的、物的資源の交流が拡大されるべきである。今、北朝鮮との関係をさらに改善し、統一への列車が走り続けることができるようしなければならない。大陸横断鉄道が活性化し、中国のTCR(Trans China Railways)とロシアのTSR(Trans Siberia Railways)の接続は、我々の経済に大きな役割をするものである。したがって、南北鉄道の運行は、輸送手段として鉄道の価値を国民に大きく認識させ、鉄道が効果的であると判断をするようにするものである。 これまで韓国は、南北鉄道が詰まって大陸に進出していないていたが、2007年5月17日、57年の間に失われたの南北鉄道が続いた。京義線と京元線が復元開通した。南北鉄道の開通で釜山からヨーロッパに行く新しい「鉄(鐵)のシルクロード」が誕生したわけだ。困難結実された5.17南北鉄道試験運行が1回限りのイベントで終わってはならない。南北鉄道の開通につながり、開城工業団地の通勤や物流輸送、金剛山列車の旅などに活用されるべきである。そして、北朝鮮の鉄道近代化を経て韓日海底トンネルと連携されて発展して行かなければならない。 私たち朝鮮半島が北東アジアの物流中心国家になるために、日本との海底トンネルの建設が不可欠である。また、日本はアジアの国でありながら、島国という考えに脱アジア政策を書いてきた。海底トンネルを開けて、英国が欧州大陸に接続されたように、日本をアジア大陸に接続させてなければならない。韓国と日本の海底トンネルの場合、釜山と対馬の間の距離が50km、対馬と日本本土まで121Kmので、私たちが担当する区間は、釜山と対馬の間の半分である25kmである。英・仏海底トンネルの建設コストは、1kmあたり3.2億ドルがかかるたという。 韓日海底トンネルと大陸鉄道連携プロジェクトは、南北朝鮮と米国、中国、ロシア、日本、EUが参加する国際的なコンソーシアムを構成して推進するだろう。南北鉄道連結で韓国と北朝鮮は、物流通関費用だけでも多くの利点を見る。韓国の技術と資本と北朝鮮の労働が結合すると、巨大なシナジー効果が発生するだろう。韓日海底トンネル計画自体だけでも南北の鉄道連結事業は活発になり、北朝鮮を改革開放の道に導くだろう。 韓日海底トンネルは、将来の若い世代のためのギフトである。北朝鮮を通過して間島、沿海州はもちろん満州原野、モンゴルとの接続されることにより、私たちの子孫の事故の地平が無限に大きくなることができる。鉄のシルクロードに乗って日本 - 釜山 - ソウル - 開城 - 平壌を撮っ中国、モスクワ、パリに進もう。 韓日海底トンネルの最初の構想は、世界平和統一家庭連合文鮮明総裁が1981年11月、ソウル第10回国際科学統一会議(ICUS)でノーベル賞受賞者をはじめとする各分野の学者720人が参加した中で「国際ハイウェイ・韓日トンネル構想」を明らかにしたことがあることから始まった。鉄道と自動車道路、電線・油類などの補助トンネルを一緒に建設するというのが基本的な構想である。 韓日海底トンネルは、その出発点として、釜山 - 対馬(対馬) - 壱岐島 - 九州を海底トンネルにつながる鉄道・道路を置く大規模な建設プロジェクトだ。1982年4月に日本で国際ハイウェイ建設事業団を発足し、1983年5月に北海道の大学の名誉教授である師事康夫氏を中心に「日韓トンネル研究会」を設立した。日本政府は、2000年に森喜朗首相がアジア・欧州首脳会議(ASEM)に出席するため訪韓した桁で韓日海底トンネルの建設を公式提案している。また、2003年に、日本の自民党は、韓日海底トンネルの建設を、100年の間に成し遂げなければならする3大国家の課題として選定した。 韓国でも韓日海底トンネルの大統領の関心が高かった。1990年5月、盧泰愚大統領が韓日海底トンネルの必要性を最初に言及した以来、金大中(1999年9月)、盧武鉉(2003年2月)、李明博大統領も海底トンネルについて肯定的意思を示した。2003年、盧武鉉政府と2008年、李明博政府の時、韓日海底トンネルと関連研究を行ったが、経済的な側面から否定的な結論が出て、具体的に推進されなかった。 しかし、日韓トンネルの経済性に対する否定的評価は、建設業とその他の産業での波及効果を考慮せずに、単純に海底トンネル自体の費用と便益だけ計算した結果との反論も出た。単に旅客と貨物量をもとに、時間とコストの節約に伴う費用便益分析をすると、経済性が低く表示され、雇用創出、建設景気刺激などの波及効果を考慮すると、十分な妥当性があるということである。 北朝鮮核とミサイルを解決し、国家間の葛藤を減らし、平和を達成するには、お互いに交流できる「道」が必要である。全世界が一つになるための「心の道」を掘削作業は、「最も近いながら遠い国」である韓国と日本を結ぶ海底トンネルから始めなければならない。 韓日海底トンネルを掘った先決されるべき両国国民の心理的な距離感は、大韓海峡の距離よりも遠くに見える。最近になって、独島問題、慰安婦問題の歴史歪曲など両国間の関係が悪化した韓日過去史による歴史的沈殿物もさらに厚くなったためだ。両国の国民の間の感情のゴールが障害である。今韓日両国が過去の沈殿物を打ち明けなければならない。韓日海底トンネルは、南北関係の改善効果が大きい。北朝鮮の開放と経済協力にも緊密に協議しなければならない。 南北対話と交流協力が活発になれば、4大大国の間でも、政治的協力が行われて、結果的に韓半島での安定はもちろん、アジアの平和と世界の平和につながるものである。韓日海底トンネルは、夢のプロジェクトであり、南北平和統一の鍵であり、アジア諸国連合の開始である。 ムン・ジェイン大統領の通大きな決断だけが残っている。ムン・ジェイン大統領はG20首脳会議では、世界の首脳がカムジャク驚くべき話で、北朝鮮の核とミサイル、韓国サード問題を解決し、北朝鮮と1国2体制で統一して、DMZ世界平和公園、CCZ世界平和都市建設で韓国 - 日本の海底トンネルですべての問題を解決すると電撃的に提案しましょう。私たち国民は、南北のノーベル平和賞受賞の運動を広げていこう。 *筆者/ジョンホソン。前慶北大教授、15代国会議員、憲政会政策諮問委員、韓国ノーベル財団理事長、コラムニスト。 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.07.04
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HOPE氏「完全「逃げ」の家庭連合」の私の個人的意見。家庭連合がわざわざ真のご父母様の無原罪について一つ一つ答えなければならないのか?「無原罪の父母」、原理講論に書かれた通りだ。「独生女」批判をされたいのであれば、今後はお父様の元祖「独生女理論」についても語られることだ。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.07.03
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「コスモスさんへ 訂正をお願いします!! 」でコスモスさん、タイトルを間違えています。訂正をお願いします。「原理とみ言を捨てたUC 」ではなく「原理とみ言を捨てたUCI」です。UCIグループを自認される方であれば、常識中の常識ですコスモスさんは、この明らかな間違い(常識中の常識)に対してエジプトのパロ王のように心を頑なにして「訂正はしない」とのこと。三男派のgildong氏・郭炳憲氏・コスモスさんのいずれの方々も、私からの間違いの指摘に対しては訂正されようとはされなかった。gildong氏は「サムネールねつ造」の一件がある。元能登家庭教会長は「正しいこと、間違っていること」-- 原理講論に記された「無原罪の父母」(独生子・独生女)、また、お父様の元祖「独生女理論」が正しいかどうかの声明文も出されずにいる。彼のいうところの「独生女理論」など最初からなかった。ただ、三男さんを崇めお母様を貶めるための「独生女批判理論」の風評を流されただけだった。コスモスさんも然り。何故に「UCIグループ」と呼ばれるようになったかも知らなかったようだ。これら明らかな間違いの指摘に対しても訂正しようとはしないことが、エジプト・パロ王への忠誠心か、あるいは、パロ王の理念(教育方針)そのものか?「烏は白い」の話も聞いたことがあるが、昔のUCそのもののようだ。その一方では、UC(FFWPUではなく)を批判していることに矛盾を感じる。(表記も「UC」と「UCI」では紛らわしいから、家庭教会を指しての英語明記は「FFWPU」でお願いしたいものである。)コスモスさんに、もう一度問いただす。決して曖昧にされることなく、これにハッキリと答えられて今後の道を行かれることだ。「原理講論を捨てたのはUCか? UCIか?」世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.07.03
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まずは、真の父母宣布様宣布文公式サイト>新着NEWS の最新記事を紹介しておく。2017.6.30 UCI(いわゆる「郭グループ」)側の「独生女」批判に関する見解を掲載しました。2017.6.30 UCI側が広める金鍾奭著『統一教会の分裂』の〝虚偽〟を暴く(6)― 金鍾奭氏が主張する「アイデンティティ」の誤り・その4を掲載しました。2017.6.28 「UCI側が広める金鍾奭著『統一教会の分裂』の〝虚偽〟を暴く(5)――書籍に散見する〝み言改竄〟の問題・その1」を掲載しました。分派侍JINさんの『今話題の「独生子・独生女」論』からは「独生子」「独生女」のルーツの旅が書かれていたので、そちらも参照されてみては如何なものか。侍さんからは、「独生子」は韓国語の聖書に書かれていたもので日本語聖書では「ひとり子」として訳されていた。また、「独生女」についても1960年に初めて語られたお父様の「造語」ということだった。さて、私tomy4509が初めて「独生女理論」という言葉に触れたのは以前にも紹介したように、2015年3月に能登教会長として就任してきた郭炳憲氏の口からであった。就任期間中、幾度もどこかの大学教授の出した理論だといってはお母様の「独生女」批判を繰り返したりもしていた。そもそも、「独生女理論」があるとすれば「独生子理論」もあって然るべきだ、というのが私の主張であった。一方的な「独生女」批判のみの分派の方々でどなたか「独生子理論」というものを目にされたことがあるか2000年前のイエス様の「独生子」がいかなるものであって、今日の真のお父様の「独生子」、また、その相対としての造語「独生女」の認識がなされていってこそ論理的な展開(「理論」)といえるはずだ。イエス様はヨセフ家庭に生まれ他にも兄弟がいた。今日、お父様も沢山の兄弟姉妹の中に生まれた。それが「独生子」、分派の方々はどのような定義によってこれが「独生子」と呼ばれるのか、これからまずひも解いていかれるべきである。次には、お父様が語られた造語「独生女」とはいかなるものか。もしも、「独生女理論」というものがあるとすれば、お父様が語られた元祖「独生女理論」をも論じて批判していかれるのが本筋である。実際には、1960年にお父様が造語「独生女」を始めとして、後にも無原罪独生女のみ言もある。分派の「独生女」批判はお父様のそれを語らず(隠して)のものであり、悪意に満ちた中傷としかとることが出来ないものである。私だけでなく、侍さんからも最後に原理講論p264に次のように書いている。「原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間の中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのである」(p264)よって、「独生子・独生女」である「善の父母」は天から降臨されるのである。よって「お父様には原罪を持って誕生され、お母様には無原罪で誕生し、お母様がお父様の原罪を清算した」という分派の主張は原理的にも合わない。どこまでも、無原罪で生まれた「独生子・独生女」が「真の父母様」であり「無原罪の真の父である文鮮明先生と無原罪の真の母である韓鶴子女史」が地上に誕生され1960年に聖婚されたのである。のように、原理講論の記述を提示していた。分派の方々はこの「原理講論」のそれをも批判されるおつもりか世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓コーヒー専門店のストレートコーヒー豆/ハワイコナ・エクストラファンシー/200g
2017.07.03
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今日の大雨で電車が終日運休。 週末で少しは良かったものの、平日ならば電車の通勤通学客は大混乱してた。 私も休みで、子どものバイト先までの送り迎えをば…
2017.07.01
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cocoaさんの「しつこい~と、お思いでしょうが仕方ありません。」は、奇知外記「三男さんの「祝福権移譲(委譲)」を義父・郭錠煥氏が否定していた」記事に対するものだった。cocoaさんの次の記事「祝福2周年」からは彼女の娘さんが2015年の三男さんがされたという『祝福式?』に参加しておられたようで、それが本当であって欲しいと思う親心からだった。ところが、事実とは無常なもので、2000年9月のそのときには三男さんへの祝福権の移讓も委譲もなかった。もしもそれがあったならば、当時の主礼は三男さんがされていただろう。主礼は郭錠煥氏夫妻がされた。上記cocoaさんのコメント欄にも入れていたが、『祝福家庭』19号読まれましたか?>お父様はハッキリと、霊界においては興進様、地上においては顕進会長が お父様の代身として祝福をすることが出来ると語っておられます。(2000年9月24日・天宙清平修練苑)1・2行の文章のみを取り出しての主張はどうかと思ういます。『祝福家庭』19号読まれましたか?特には、P.10~13。「それゆえ、先生が伝授式の祝福をしてあげなければならないのです。わかりますか? 先生が持っていた権限、興進君がもっていた権限を弟に与え、弟も同じことができるという権限を興進君を通して、神様の許諾を受け、真のご父母様の許諾を受けるのです。……」(P.13から)まずは、興進様からの許諾が不可欠であることが書かれていました。ために2000年9月の式では霊界では興進様が、地上界では郭錠煥氏が真のご父母様の代行をされました。それ以降、三男さんが興進様から許諾をうけられたという話は聞いていませんが。このように、三男さん派が清平役事を否定すればするほどに三男さんの祝福権(委譲)から遠ざかっていくということだった。『祝福家庭』19号には郭錠煥氏の言葉、サブタイトル「真の子女様は私たちの命の綱」(P.108~)があり(参考記事はこちら)、真の子女様の些細な話を聞いたとしても批判してはいけないと書かれていた。だからといっても以下の映像もある。お父様が七男さんをして言わせたものである。2015/09/04 に公開<文亨進(문형진)様のみ言>真の父母様を否定するようなことがあればそのような指導者達に従ってはいけません真の家庭も同様です誉進お姉さんが真の父母様を否定するなら統一教人は従ってはいけません孝進お兄さんが真の父母様を否定するなら統一教人は従ってはいけません仁進お姉さんが真の父母様を否定するなら統一教人は従ってはいけません興進お兄さんが真の父母様を否定するなら統一教人は従ってはいけません恩進お姉さんが真の父母様を否定するなら統一教人は従ってはいけません顕進お兄さんが真の父母様を否定するなら統一教人は従ってはいけません国進お兄さんが真の父母様を否定するなら統一教人は従ってはいけません権進お兄さんが真の父母様を否定するなら統一教人は従ってはいけません善進お姉さんが真の父母様を否定するなら統一教人は従ってはいけません栄進お兄さんが真の父母様を否定するなら統一教人は従ってはいけません私(亨進様)が真の父母様を否定するなら統一教人は私に絶対従ってはいけません妍進が真の父母様を否定するなら統一教人は従ってはいけません情進が真の父母様を否定するなら統一教人は従ってはいけません2009年11月15日 日曜礼拝父母様と連結していない「祝福権」を有しない天使長に命の綱を預けたとして、その命の保障がどこにあるというのか?よく考えて見られることをお勧めする。2015/09/26 に公開<真のお父様がお母様と顕進様、國進様に語られたみ言>カインとアベルが闘ったので夫であるアダムを追い出しました母を中心としてカインアベルとなったので地上を超え孝進が行った霊界にもカインアベルが一つになれなかった2つの世界の平衡全てアベル的興進が今まで天上世界の王になりましたが国家基準までは全てアベル的興進が行って全て清算しましたが、アベル圏を中心にこれが連合して二つが一つになり、父母を中心にこの式をすることが、分かれたことが兄が今まで身勝手に愛して血統を分けて、地獄に行って血統転換、アダム血統カインアベルこれが全て一つになって愛して、母を中心にこの地で母が産んだ孝進を送れば孝進を中心に興進、孝進が霊界で統一されるのですこれが今日の行事に結ばれたので、ここに霊肉界一つになり、地上も一つになって上下が逆になったことをまっすぐにしてひとつになり母を中心に行事をしてひとつになり今から韓国の選挙活動全て神主管圏で超えていきますサタンが自分たちの身勝手な心でしたいですが自分たち今まで罪を犯した泥棒たちが身勝手にできません「カイン・アベルの原則」を離れて後は、坂道を転げるように落ちていくしかなかった。この動画は何度も当ブログで取り上げているが、統一家の分派問題、それを遡っていけば子女様方の兄弟喧嘩が原因のようだ。この「カイン・アベル」が祝福家庭を巻き込んで不幸に陥らせているという事実を子女様は認識しておられるのだろうか?!「ワンファミリー アンダー ゴッド」と叫んでみたところで、まずは、三男さんと七男さん(四男さん)が一つとならずしては何を言っても始まらない。「カイン・アベルの原則」によって、まずは分派の方々でよく話し合われることだ。家庭連合を目の敵にしたところで方向が間違っている。女性を妻にならしめるのが夫、女性を母にならしめるのが子女である。お父様が語られた「オモニがいない」、はその子女がいないということだ。お父様の「オモニがいない」の真意は神様が懐くことのできる真の息子・娘がいないということでもある。血統がなんだというのだ? 天の父母様が懐くことのできる真の息子・娘がいない。真の父母様は今も「独生子・独生女」を語り続けなければならない悲しみを誰が解放して差し上げることができるというのか。孝子・孝女以外にはない。孝子・孝女がいてオモニ、そして、お父様だ。「カイン・アベルの原則」ーー「信仰基台」「実体基台」は「メシアを迎えるための基台」でもある。未だにメシア(再臨主)迎えていないということなのか。2008年4月6日、数日後には韓国国会議員選であった。ここに一人でも食口の国会議員が立てば摂理はもっと早く展開していただろう。家庭堂も党としての承認の元、大統領選にも臨むことができたはずだった。郭錠煥氏が党首として出たかもしれないし、あるいは女性連合のどなたかが……。それら準備されたものも兄弟間の争いで流れていった。摂理は一瞬の判断にして決まる。家族間の争いで南北間の争いで、世界戦争まで引き起こそうというのか。三男派のある人は、子女様たちをアブラハム家庭のヤコブだ、モーセ路程のヨシュアだと持ち上げたところで、イサクのようなアブラハムとの一体感もなければ、カレブ・ヨシュアのような偵察の信仰的報告も聞かれることもなかった。絶対信仰、絶対愛、絶対服従はいずこに、だ。!!世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ロイヤルコナコーヒー ハワイ コーヒー お試し 送料無料 おためしセット ミニパック2袋 ハワイコナ ROYAL KONA COFFEE ホット ドリップ ロイズ マウンテンロースト 珈琲 coffee 水出しコーヒー 豆
2017.07.01
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