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2019.06.18
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カテゴリ: 独生女考
​​​お父様のダンベリー収監、その時お母様が「真の母」としてシッカリと立たれていたからこんにちの「家庭連合」があり、お父様聖和後も「中断なき前進」とお父様の意志を継承されていかれた。
もしもH3やH4がなっていたならば、真の父母様主義ではなく、自分勝手な教義でますますの混乱は避けられなかっただろう。

以下もまた 「真の父母様の生涯路程10」 からだ。




ダンベリーでの最初の面会後の真のお母様のみ言

 真のお父様がダンベリー刑務所に入所された翌日の一九八四年七月二十一日、真のお父様に面会して帰ってこられた真のお母様は、ニューヨークのイースト・ガーデンに集まった食□たちに、「お父様の代身者になろう」という題目のみ言を語ってくださった。

 きのう出発される直前、お父様は、御自分が住まわれていた部屋の中を見回されながら、過ぎし日を回想するかのようにされ、手あかのついた一つ一つのものを真心を込めてなでてから出てこられました。お父様は、淡々とした姿勢を見せられましたが、妻である私は、平然としようと努力しても、そのようにすることができませんでした。私がお父様を慰めてさしあげなければならなかったのですが、むしろ私がお父様から慰められました。そのようにお父様を送り出さなければならなかった私自身の無力さが、この上なくもどかしく感じられました。
 きょうは、いち早く、子供たちと一緒にお父様に面会するために行きました。お父様に会ってから二時間ぐらいすると、そこの看守長という責任者が来て、「十二時が過ぎたら席を外してもらえるか」と言ってきました。ちょうどその時、何はともあれお父様に昼食を召し上がっていただかなければならないと思って、サンドイッチを召し上がっていただいてもよいかを聞くと、「そのようにしなさい」ということでした。それで、孝進にサンドイッチを買ってこさせてお父様に差し上げました。
 そのようにしていると、きょう一日は、お父様のなさる仕事が何もないではありませんか。それで、あまり早く出てくるのもいけないと思って、三人の子供は先に帰しました。そして、機関にいる人々がお父様と交わす話があるということで、少し席を外してあげなければなりませんでした。孝進を通して、隅のほうで待っていてもよいかと伺ったところ、「そのようにしなさい」ということでした。
 私は、お父様のそばを離れたくなくて、何度もドリンクを買って飲んだり、電話をかけるために小銭を替えたりしながら時間を引き延ばしました。そのようにして、わざと時間を長く遅らせました。
 お父様は、サンドイッチを召し上がりながらも、「神山氏が一人で長く待っているはすだが、私だけこれを食べるので、のどを通らない」と、神山氏のことを思われるのです。それで私が、「神山氏は、あした面会がありますから、心配なさらすに召し上がってください」と言いました。
 そのようにしているうちに、ケース・マネージャーが来たということで、その人に会いました。そこに入ってくる人は、誰もが仕事をしなければならないようです。お父様も仕事をしなければならないのですが、工場のような所に行かれるようになれば、このように面会に来て奪われる時間を補充勤務しなければならないということです。
 そこでは八時間労働をするようになっているのですが、短い時間の間に受け持った仕事をさっさと片づけてしまう仕事場を受け持ったらどうかと尋ねてきたのです。受け持った仕事を早めに終えて、自由時間を継続してもつほうが良いではないかと、様々な面から便宜を図ろうと努力してくれました。親切で有り難い人だと思いました。
 彼らも、お父様が来られる前にもいろいろと考えていたようです。普通の方とは違うので、正しくお迎えしなければならないと考えている姿を見ました。しかし、彼らの中にもお父様に対する偏見をもった人がいるかもしれないので心配になります。
 私たちに、「何日か過ぎてから来なさい」と言いました。お父様のために、一人の息子が霊界から積極的に保護してさしあげていると思うと、少し心が楽になりました。また、今、お父様はイースト・ガーデンにいらっしゃいませんが、孝進がお父様の代わりに責任をもつ立場で私たちによく侍り、「自らの本分を果たします」と繰り返し申し上げながら、お父様に、「心を楽にしてくださり、安心していらっしゃってください」と慰労してさしあげる時は、この上ない喜びを感じました。
 私自身、一つ希望に思えることは、それが法的にどのようになっているのかは分かりませんが、仮釈放というものが三ヵ月後に可能なようです。仮釈放が可能かどうかに対する最初の対話がすぐにあるということです。そこの機関員がそのような話をしてくれながら、「レバレンド・ムーンに対する仮釈放問題は相当に重要で、関心ある問題になるだろう」と言っていました。その時のそのような様々な態度を見て、お父様にとても協力的な人だという良い印象を受けました。
 そこに入っていけば、一週間はオリエンテーションを受けるということです。ところで、ほかの人々、入所してから何力月かたった人々を見ると、囚人番号がありませんでした。ズボンの後ろ側に番号があるのですが、何度も洗っているうちに消えて見えなくなっていたのです。お父様は、入所してから一日しかたっていらっしゃらす、まだ番号を受けていらっしゃらないようでした。お父様が囚人番号をつけて歩くことを思うと、この上なく耐え難い思いになりました。いったい、お父様が何の罪を犯したということで、刑務所に入っていかなければならす、凶悪犯などがつけて歩く囚人番号を受けなければならないのでしょうか。
 何よりも心配になることは、お父様がそこで生活する間に起こるかもしれない不慮の事故、すなわち身辺問題でした。私が心配すれば、常にお父様は「心配するな」とおっしゃいます。超然とした態度で、むしろ私を安心させてくださいました。
 お父様がお休みなって生活される部屋は、四十、五十人ぐらいが寝起きすることのできる所だということです。現在は、四十数人が一緒に生活しているということです。お父様は、神山氏と共に二段ベッドを使用なさるそうです。それは、そこの責任者の配慮があったからだそうです。
 お父様の横のベッドで生活する人が、朝来てあいさつをしながら「握手しましょう」と言って、お互いにあいさつを交わされたそうです。ちょうどその人も、夫人が面会に来て面会室に現れたのですが、ミスター金がお父様と話をしている間、その人と少し話を交わすことができました。その人は私に、「きょうの朝、レバレンド・ムーンとあいさつをしました。今から毎日一緒に運動をするだろうし、レバレンド・ムーンのおなかの肉も取ってさしあげる考えです。また、英語も教えてあげます」と言ったのですが、この上なく有り難く思いました。
 今でこそ皆さんに言いますが、お父様がダンベリーに出発される時は、本当に大きな挫折と痛みを味わいました。生き別れするかと思うと、目の前が真っ暗になって全身の力がすべて抜けていってしまいました。それで、お父様に向かって「私は、本当にこのようになるとは夢にも思いませんでした。まさかお父様がダンベリーにまで行かれるとは思いもしなかったのですが、このように現実として訪れてくるのを見ると、今、私自身もどうすることもできません」という内容の言葉を申し上げざるを得ませんでした。しかし、きょう一日中お父様が子供たちと対話されながら、また、「私は現実の中でも絶対に損をしないので、心配するな」と重ねてお願いされるのを聞き、心を少し楽にすることができました。
 お父様は、私に、「今から成されることを見て、今後、いくらでも感謝の祈祷を捧げなければならないだろう」とおっしゃいました。お父様のみ言の中には、苦難を勝利に変えてしまおうとされる意志が確固としてあり、「むしろアメリカと世界が救援を受けることができる道が開かれるだろう」とおっしゃいました。
 現在、皆さんに内的な決意をすべて話すことはできませんが、これまで外的な面において私が目立って活動したのでもないので、皆さんが一致協力して助けてくださらなければなりません。突然お父様の仕事を引き受けるようになり、心の準備もしなければならないので、少し時間をもちたいと思います。そして、この期間は、子女たちをお父様の立派な子女として教育して立てたいと思っています。特にお父様の願いがあったのですが、「孝進を教育する時間にしなさい」ということでした。
 また、内的な面で直接判断し、教会のことや、今までお父様が心血を注いで推進してこられた人類救援の事業に対して、すべての報告を聞いて対策を立てていこうと思っています。いつもお父様がいらっしゃる時と同じように、朝、全員来てください。毎朝会って話し合う中で一日を出発し、成されることに対して成果を検討していこうと思います。
 皆さんが、受け持った分野において責任を全うして大きな実績を積めば、お父様は、ダンベリーにいらっしゃる間に多くの慰労を受けられるでしょう。また、それが、子女の道理を全うすることだと思います。すべての人がお父様の代身者となって、お父様がお喜びになることができる孝子、孝女となってくれればと思います。


ニューヨーク地区の中心食口集会

​ 一九八四年七月二十二日、ニューヨークのイースト・ガーデンにおいて、真のお母様は、ニューヨーク地区の中心食□が集った聖日の夕拝を通して、ダンベリー刑務所に面会に行ってこられた内容を中心として、「誇って、見せてさしあげる実績をもとう」という題目のみ言を語ってくださった。​

真のお母様のみ言
 私が思うとき、これまで皆さんは、とても多くの愛のみ言を受けてきました。その価値と比重は計ることができません。皆さん自身をおいて考えてみてください。真実の命令一つだけおいてみても、皆さんは責任を全うしたとお思いになりますか。今までしてきたとおり、会議も良く、み言を聞くのも良く、再度決意することも良いのですが、今はもう、皆さんが何かお父様の前に見せてさしあげる実績をもたなければならないと思います。
 一九八四年七月二十日は、本当に、永遠の歴史の中から取り去ってしまいたい日でもありました。お父様は、ダンベリーに出発される瞬間から皆さんを激励され、皆さんに希望を吹き込んでいかれました。
 二十日の晩十時にイースト・ガーデンを出発して、キャンプ・オフィス(ダンベリー刑務所)までお連れしてさしあげました。何度も唇をかみしめながら、心を強くもたなければならないと誓いましたが、我知らす流れてくる涙を抑えることができませんでした。
 車から降りられる前までも、御自分の前に迫ってくることに対しては少しも心配なさらす、むしろ私を慰めるためにすべての神経を遣っていらっしゃるのを見るとき、私はどうしてよいか分かりませんでした。
 お父様が入っていかれると、警備員たちが、「あの方はわなにかけられました(He is in the trap)。あの方がわなにかけれたことははっきりとしています」と言っていました。
 お父様は、出発される前に、「私は監獄まで解放するために行くのだ」とおっしゃいながら、「私のために泣くのではなく、み旨成就のために祈祷しなさい」というみ言を何度も語られました。なぜかその言葉を聞く時、自分でもどうすることもできない抑えられない悲しみが込み上げてきました。なぜ私がこの話をするのかというと、皆さん全員に、「本当に責任をもって仕事してください」というお願いをしたいからです。真の父母と同時代に共に呼吸しながら、共に働いた皆さんは、歴史の記録となるでしょう。しかし、このようになった事実をおいてみるとき、皆さんは、皆さんの子孫に何か言う面目があるでしょうか。
 最低の立場から出発した統一教会の歴史は、国家的基準を越えて、世界的基盤と言うことができるアメリカで十四年間役事してきました。
 けさ早く、お父様が私に電話をかけてこられて皆さんにお願いされたことは、ほかでもなく、「神様の召命を受けた者として、キリスト教にのろしの火をつけなさい」というみ言でした。
 お父様に対する自由の保障は、皆さんの意志にかかっているのです。今は、神様が私たちに下さった最後の機会だと思います。今まで成してきたことと、また、今指示しているすべての内容を、精誠と積極的な活動で必ず成就させてください。皆さんの精誠に神様が感動され、サタンが降参し、歴史は新時代を迎えるでしょう。お父様のみ言は、「今後四十日以内で、神様が役事なさることのできる祝福の期間をつくりなさい」ということでした。
 お父様がお願いされたことの中の一つは、今、アメリカでは多くの日本の食□が来て活動しています。韓国の幹部はもちろんですが、特にアメリカの食□たちは、日本の食□と一つになりなさいということでした。お父様は、避けることができない牢獄の身となられ、苦痛を受けていらっしゃいますが、日本の食□たちは、この時代において、世界的な経済的十字架を背負っています。そのような点から見るとき、この機会は、アメリカの食□の皆さんが日本の食□と一つになることのできる機会なのです。「この機会を皆さんが逃せば、歴史をおいてどのように言い訳することができるのか」とおっしゃっていました。
 それでは、最初の日に面会した内容を報告いたします。譽進、孝進以下、上から六人の子供たちを連れて、朝八時に面会に行きました。
 お父様が出てこられる前に面会者名簿に署名し、心の中で、お父様を待つ私の姿がどうなのかと、焦る思いで隅に場所を取って座っていたのですが、出てこられて最初に御覧になった人がデイビッドでした。お父様は、デイビッドに握手をされてから私と子供たちが座っている所に来られました。その心や表情を見ることはできませんでしたが、お父様はとても自然でした。
 皆さんは、お父様がどのような姿で出てこられたのかが最も気になるでしょう。一言で簡単に表現すれば、濃いベージュ色系統、力ーキ色というよりもベージュ色が強い予備軍のような服装をしていらっしゃいました。履物も、もちろんそこで出してくれる履物を履かれ、それは、コットンとポリエステルを混ぜた布で作ったようなスリッパに似た青緑色の履物でした。
 朝八時三十分から面会が始まったのですが、その日だけは、朝の食事が十時三十分に始まるということでした。それで、食事を召し上がることができなかったのですが、食堂はカフェテリアだということです。それで、「何か少し召し上がらなければならないでしょう」と言うと、「あー、私は食べてきた」とおっしゃるのです。それで、「まだ朝食が始まっていないのに、何を召し上がったのですが」と聞くと、クッキ-とティーなどを召し上がってこられたということでした。それで、「それでは、どのようにして召し上がったのですか」と聞くと、その横にいる方々が、それぞれ来て、「これも召し上がってみてください」「あれも召し上がってみてください」と言って何でも持ってきてくれるので、食事をなさったというのです。そのように与えたいと思い、助けてさしあげたいと思う、そのような雰囲気だとおっしゃいました。
 一晩を過ごされたのですが、その中に一緒にいる人々がレバレンド・ムーンにとても積極的で協助的だという報告がなされたようです。一つの部屋に四十、五十人がいるので、全員がみな良いと言うことはできないでしょう。ですから、私たちが多くの精誠を尽くして、霊的にでも最善を尽くさなければならないという気がします。
 ところで、本来そこは、女性の囚人たちのために造られていた所ですが、女性の囚人が少ないので男性の収容所にされたということです。それで、お父様が出てこられておっしゃったことは、「男性のためのトイレが一つもなく、すべて女性のためのトイレだった」ということです。
 けさ、お父様は電話で、「私は食堂で仕事をするようになった」とおっしゃっていました。
 私が知るには、入っていかれた日、ベリータウンから何人かの食□がアメリカの国旗をもってきて、お父様の乗られた車が過ぎる直前に、そこに横になって絶対に入っていくことができないようにしようとしたということです。それで、ようやくやめさせて帰したということです。そのようにしてでも入っていかないのであれば、私たち全員でそのようにするかもしれませんが、そのようにすることができないところでは、そんなことをしても何の助けにもならないと思います。
 お父様の天的な使命と全体的になしてこられた業績など、様々なことを見るとき、その場所に長くいらっしゃるようにすることはできません。一日が急がれます。皆さんの精誠が天に届き、神様が生きてレバレンド・ムーンに直接役事なさることを、満天下に見せてあげる役事が継続して起こり、未来の歴史に大きく記録されるように、受け持った仕事を、最善を尽くしてT生懸命にしてくださることを願います。



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2019.06.18 19:50:18
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