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2023.05.27
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真の父母
1998年3月10日
リトルエンジェルス芸術会館

 ソウルで「世界化時代に向かう指導者大会」が開かれ、その席上、真のお母様が「文鮮明先生み言主題別精選」第10巻の『真の父母』から抜粋したみ言「真の父母」を訓読されました。その「真の父母」を翻訳、整理したものです。


 私たち統一教会員が日ごろ使う言葉のなかで、「真の父母」という言葉があります。この言葉は、世界のどこの図書館を探しても見当たりません。「真の父母」という言葉は、簡単で易しい言葉のようですが、驚くべき内容が秘められています。

 人類の先祖が堕落したとすれば、その堕落した父母は悪の父母、偽りの父母であり、堕落していない父母は善なる父母、真の父母であるということを、キリスト教二千年間の歴史を経るなかで、知ることができたはずです。しかし、それを今まで悟ることができなかったのです。それを究明し、発表できるこの時を待ってきたのです。

 過去の歴史時代において、「真の父母」ということを考えた人はいたかもしれませんが、その背後がどのようなものであったかということまでは、解くすべがなかったのです。統一教会の膨大な原理が明かされる前には、それを明確に解くことができなかったので、だれも「真の父母」という言葉を使うことができませんでした。

 私たちが知っている統一教会の歴史観、また、人類の本然的な根源に関することを明らかにしたということは、驚くべき事実です。

 「真の父母」という言葉をはっきりと知ることによって、人類始祖の堕落が不倫な愛によるものであったことが明らかになりました。このような堕落によって、神様が創造理想として打ち立てようとされた真の父母と、関係ない血統的な因縁を残したのです。すなわち、誤った血筋を受け継ぐようになったのです。

 それゆえ、人類始祖から歴史上、すべての人間が誤った血統の中で生きてきたことを清算して、神様を中心として、新しい本然の根となる、愛と生命と血統がつながることを意味する言葉が「真の父母」です。これは本当に驚くべき言葉です。

    「真」とは

 この天地間に、真なるかたがいるとするならば、そのかたはどなたでしょうか? 絶対者です。この絶対者を、今日、韓国語で言えば「お一人しかいないご主人様」ということです。これをもっと縮めて言えば、神様(ハナニム)になります。



 それでは、どうして悪いことを多くして死んでいく立場にある人も、神様の前では、良い心で再出発を誓うのでしょうか? また、神様の前に最高に寄与し、頼り、そのかたとともにいたく思い、内心では父母と兄弟よりも切に事情が通じる関係でいたく思うのです。これは、神様が「真」であられるからです。

 「真」なるかたは、好きな者だけを愛するのではなく、自分に死ぬようにと言う怨讐までも愛さなければなりません。彼の前には、すべてを任せることができ、すべてを相談したく、すべてを願うこともできる立場にある人であってこそ、「真」なる人と言えるのです。

 自分を憎む人に、三回以上、良く接してあげれば、その人は頭を下げるようになるのです。本当かどうか、一度やってみてください。人には良心があって、自分が誤ったのか、そうでなかったのかが分かるのです。

    「真」の起源

 「真」の起源は、神様であられます。神様がおられることによって、「真」が成り立つのです。神様が離れるようになるとき、「真」も離れるようになります。そこは「真」ではなく、悪の起源となり悪が生じるのです。

 「真」があってこそ、「真」なる結果をもたらすことができます。言い換えれば、神様がおられることによって、神様の願いが成し遂げられるのです。それゆえ、「真」や「善」という名詞は、人間を中心として成立したのではなく、神様を中心として成立したのです。

 このような観点から見ても、「真」は、人間が勝手に考えることができるものではありません。すなわち、堕落した人間が勝手に管理することのできる位置に従属しているのではなく、「真」が私たちを主管しているということを知るべきです。それゆえ、私たちはいつも「真」の前に屈伏しなければなりません。「真」を立てて、そこに順応すべきなのです。

 皆さんの現実的な生活、あるいは良心生活を注意して調べてみても、「真」は完全に天に属しているということは否定できないでしょう。

 人間自体からは、「真」の起源をつくり出すことはできません。「真」には、必ず絶対的基準が必要です。それゆえ、絶対者、あるいは神様という問題が、ここに登場せざるを得ません。それは、今まで地上に真の人がいなかったからです。

 それゆえ、「真」を指向しながら生きる人間自体は、「真」の動機になり得ません。その動機は、神様でなければなりません。宗教や人類歴史において、最後の重要な分岐点に至れば、必ず神様が登場します。絶対者が必ず必要になるのです。

 哲学が追求する目標、すなわち、最後の目標について真理を通じて追求したり、あるいは、存在の起源を究明していっても、必ずそこには神様、超越者、絶対者という名詞が介在するのです。

 絶対者と関係を結ばなければ、すべての学問や、存在価値の起源は解決できないからです。それで人間は深刻な場では必ず、「真」を通じて解決しようとしたのです。



 では、「真」がとどまることのできる場所とは、どのような所でしょうか? もちろん、天を起源として「真」の位置を地上に立てようとされるでしょう。これは、神様の願いです。それで、どこにとどまるのかということが問題になります。私たちの生活の周辺にとどまるのです。イエス様も「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」と言われました。真なる国である天国は、心の中にあります。何らの邪心もない、限りなく深い谷のような所にあるのです。

 私たちの心を分析してみると、知・情・意になっています。知・情・意のなかで、何が根本であるかといえば、「意」でもなく、「知」でもなく、「情」なのです。

 皆さんは、自分にいちばん貴いものがあれば、それをどこに置きたく思うでしょうか? 自分だけが知っている所に置きたく思うでしょう。そこはだれも触れることができず、関与できない、すなわち自分だけが絶対的に管理し得る所です。そこがどこでしょうか? 心の深い所に埋めておくのです。「ここであれば安心だ」と言える所に置くのです。

    真の原器

 愛には革命もなく、変化もありません。変わるものには、貴いものがありません。ダイヤモンドは、硬さが変わらないために宝物の扱いを受けるのです。黄金は、黄色い色が変わらないということが貴いのです。真珠は、調和した色、優雅な色が変わらないために貴いのです。貴い宝物を、なぜ変わらない特性を中心として定めたのでしょうか? それが、宇宙の万物の存在価値を比較できる基準であるからです。

 それでは、この宇宙のすべての測定で、全体を測定し得る価値基準において、いちばん最初の基準が何になるでしょうか? それが問題です。金でしょうか、ダイヤモンドでしょうか? それは変わらない愛、壊れない愛です。愛は勝手にしているようですが、思い通りにはできないのです。自分もそのような存在なのです。



 神様もその標準を変更させることができず、人間も変更させることができません。永遠不変でありながら、宝物の価値を持ち、地の果てや、地獄や、天上世界や、どこにおいても昼夜を克服し、地域、距離、時空を克服して、絶対的な測定の基準、比較の基準になり得るものとは何でしょうか?

 地球にも緯度、経度において零度の基準があります。それは、英国のグリニッジ天文台が、経度の基準になっています。いくら変えようとしても、変わらないのです。そのような基準があるべきではありませんか? それがなければ、世界の秩序が形成されないのです。

 神様は、もちろん愛も創ることができると思いますが、その愛を所有するということは、独りではできません。ふたりで所有しなければならないのです。愛は、神様も独りでは見いだせないのです。

 それゆえ、その基準、測定原器は何でしょうか? 宇宙万象の存在世界だけではなく、永遠の世界においてすべてのものを測定し得る基準、絶対的に一つしかないその原器とは何でしょうか? それが根本問題です。それが「真の愛」というものです。それで、愛は、春夏秋冬という季節の変化に影響を受けないのです。

 皆さん、真理とは何でしょうか? 「真」です。「真」とは何でしょうか? それ以上の基準でうち立てることができないという位置に立ったものを真理といいます。ここには物理学博士もおられますが、物理学を勉強するには、自然世界のすべての動きを知らなければなりません。その動くものは、漠然と動くのではありません。

 真理の中には、何があるのでしょうか? 真理の中には、必ず東西南北の四方があるのです。真理があるときは、そこには必ず環境があるのです。それでは、環境が先ですか、真理自体が先でしょうか? これが問題となるのです。環境が先なのです。

 私たち人間を見るときは、どうでしょうか? 人間を中心として見るとき、真なる人間は、縦横の標準にならなければなりません。「縦に見ても合う。横に見ても合う」と言える基準にならなければならないのです。

 縦横が一致してこそ、公式的法度において、前後・左右・上下の差異がなくなるのです。同じです。これを、どこに持っていって合わせてもきっちりと合うのです。東にも合い、西にも合い、北にも合い、南にも合い、地上世界にも合い、霊界にも合うというとき、「真である! というのです。

 ところで、ミリメートル単位で測定して、違いが一ミリメートルの半分にも満たなかったとしても、それらは全部、否定されるのです。不完全なのです。何か測定する基準がなければならないのです。

    「真」と真の愛

 皆さん! 今、世界には五十億の人類が暮らしていますが、この地球村に暮らす人たちの先祖がどれほど多く、地上で生活して死んでいったでしょうか? 少なくとも現在に暮らしている人の何百倍、何千倍の人々が死んでいったのです。それでは、その人たちの中で、人類が願う真なる人は何人いたでしょうか? 「真」なるということは、千年前も、今も、いつでも「真」であるということです。

 それと同じで、私たち人間において、千年、万年、億万年変わらない色を持った、そのような真なる男性がいるでしょうか? これが問題です。このような真なる女性がいるでしょうか? どう思いますか?

 宗教世界では、人間は堕落したと見ています。もちろん、背景が異なる宗教もありますが、すべて救いを受けるために、価値のある新しい人間を捜し求めています。その言葉は、どのような意味を持つのでしょうか? 真なる本然の人間像に及ばなかったために、それをいつも追求するのです。それは、千年前も、何億万年前も、今も同じです。今後も、いかなる環境や時代にかかわらず、人類が存続する限りそれを追求するようになっています。

 皆さんも、その真なる人を捜しているのです。真なる男性、真なる女性を捜しているのです。歴史上、生命を持って生まれた男女は自他を問わず、そこに命をかけるようになっています。それゆえ、部落で暮らすようになれば、その部落でいちばん真なる人になろうとするのです。

    二つの石板と「真の父母」

 神様はイスラエル民族を荒野で導かれるとき、火の柱と雲の柱を与えられました。昼に導くのが雲の柱で、夜に導くのが火の柱でした。それは何を意味するのでしょうか? 男女を代表して終わりの日に父母が来て、イスラエル民族から侍られる姿を象徴的に見せてくれたのです。この火の柱と雲の柱の導きに従わない人は、みな滅亡するのです。

 また、イスラエル民族が荒野に出て四十年間さすらい、方向が分からないので、その民族が滅亡するのを心配されて、神様がモーセをシナイ山に呼ばれ、四十日間モーセに断食をさせて二つの石板を与えられました。それが何であったのかといえば、アダムとエバ、「真の父母」を象徴していたということを知らなければなりません。契約の箱の中に、どうして二つの石板を入れたのかということが問題です。二つの石板は、神様のみ旨を終結させることができる中心としてのアダム・エバを象徴したのです。それで、契約の箱の中に入れたのです。

 私たちの願いは、何でしょうか?  ​神様は縦的な父母であり、アダム・エバは横的な父母​ です。その縦横の父母が一つになって、喜びの中で、愛を受けることのできる子女になることが願いです。ところが、そのようになれなかったことが恨なのです。そのような愛を一度、受けてみたいという熱望を皆、持っているのです。すべての宗教もそれを願っているのです。

 縦的な神様と横的な面で一つになって、愛することのできる父母がこの地上にいたでしょうか? いませんでした。人類の始祖が堕落したために、彼らは偽りの父母になりました。アダム・エバが偽りの父母になったために、「真の父母」は存在しなかったのです。それで、「真の父母」が、歴史上に現れなければならないのです。

 そのような歴史的使命を代行する存在に一つの名詞をつけて、何と呼ぶでしょうか? そのかたが正に救世主であり、メシヤです。救うためには、何を救ってあげるのでしょうか? 体を救うのではありません。救いとは、理想的な愛の願いを叶えてくれるということです。

 そうすれば、メシヤはどのような存在として来られなければならないでしょうか? 間違いなく、メシヤは「真の父母」として来られなければなりません。キリスト教では、イエス様をメシヤ、救世主として信じています。

 「真の父母」は、どのように来られなければならないのでしょうか? 一人ではだめなのです。真なる父に代わる一人の男性として、現れてこなければならないのです。今まで数多くの宗教は、一人の男性を捜してきたのです。男性の中でも、礼儀正しい生活をする男性を捜してきたのが、儒教の教えと見ることができ、霊界を中心にした男性を捜してきたのが、仏教の教えと見ることができます。

 では、キリスト教は何でしょうか? 神様の息子となって、愛する家庭を作ろうとするものです。より具体的な内容を持って来たのがキリスト教です。それゆえ、神様の前において「私は独り子だ」とイエス様は言われたのです。

独り娘 がいなければなりません。それで、独り娘を捜して、神様を中心として、独り子と独り娘が愛し合う位置において結婚しなければならないのです。それで、神様が縦的な父母として喜ばれ、その独り子と独り娘が横的な父母として喜ぶことのできる新郎新婦になり、地上で子女を産まなければなりません。そうしてこそ初めて、一族が広がり始めるのです。​

 それゆえイエス様にとって、イスラエルの国を失ったとしても、ユダヤ教を失ったとしてもいちばん必要としたものは何であったのでしょうか? それが女性なのです。男性の前に女性が、いなくてはならないのです。

 イエス様は、そのみ旨を成せなかったために死んでいかれながら、「私は新郎であり、あなたがたは新婦だ」と言われたのです。それで、キリスト教では二千年間、新郎であられるイエス様を待ち、キリスト教信者たちは新婦になろうと、苦しんできたのです。

 その標準とは何でしょうか? それがメシヤなのですが、真なる父母の位置につくようになるのです。それが小羊の婚宴です。

    「真の父母」という言葉は福音中の福音

 皆さんがユートピア世界を捜そうとすれば、どこへ行かなければならないでしょうか? 本然の家庭の愛を経ずしては、行く道がないということを知らなければなりません。先生が直接主管圏内と間接主管圏内を神様の愛と「真の父母」の愛でつないだ基準があるので、今日、霊界と肉界が、その愛の橋を通じて往来できる道が生じたのです。

 私たちの原理で言っているように、神様が創られた被造万物は、神様の直接主管圏か間接主管圏内にいます。それでは、それをどのように一つにするのでしょうか? それは、真の愛によってのみ可能なのです。これが一つになるときは、人間アダム・エバが成熟するときだけです。そのようなときは、自動的に水平的な真の愛が現れるのです。

 その位置で、「おお、あなたは私の同伴者です! と抱き締めるようになるとき、真の愛がそのふたりの中心に現れるのです。プラスの愛が完成して現れるようになれば、マイナスはすぐに現れるようになっています。プラスの愛がマイナスの愛に降りてきて、運行するようになれば、真の愛の標準を描いていくのです。そうすれば、終わるのです。

 真の愛が現れれば、すべてのものがみな自動的についてくるのです。真の愛だけが、すべてのものに作用するのです。それで、世界がユートピア圏に転換されるのです。

 歴史過程において、悲しみがあれば最高の悲しみ、困難があれば最高の困難、血の代価を払ったなら、最高の代価を払ったその結果として見いだされたのが、この「真なる家庭」なのです。

 この真なる家庭が見いだされることによって、歴史的な悲しみが解怨成就され、歴史的な死の代価が解怨成就されるために、歴史はこのような悲惨な蕩減の条件を払ってきたのです。したがって、この真なる家庭がこの地に顕現したという事実は、人類において、それ以上の喜びはなく、それ以上の価値もないのです。

 そのような真なる家庭を成すためには、真なる父母がいなければなりません。真なる父母がいなければならないと同時に、真なる夫婦が成立しなければならないのです。真なる夫婦が成立して、そこに真なる子女が誕生しなければならないのです。

 今日、皆さんは、「真の父母」という名詞を知っています。この「真の父母」という言葉は、歴史時代において、だれも呼んでみることができず、だれも考えられませんでした。しかし、今日、私たちは呼ぶことができ、知ることができ、侍ることができる栄光の位置に立っています。このように私たちは、歴史時代のだれよりも幸福な位置に立っているのです。歴史時代のだれよりも高貴な位置に立っているということを、皆さんは知らなければならないのです。

 「真の父母」という名前とともに、歴史は今まで苦労してきたし、「真の父母」の勝利の基盤を備えるために、歴史的な数多くの犠牲の代価を払ったということを考えるとき、「真の父母」という名詞こそ、今日、私たち人類には福音のなかの福音であるということを知らなければなりません。

 「真の父母」というその名前を考えるとき、「真の父母」によって歴史が治められ、「真の父母」によって新しい世界の起源が生まれ、「真の父母」によってサタンを屈伏させることができる内的な因縁が決定されるのです。「真の父母」によって、外的な世界を占領しているサタンを征服して、初めて神様を解怨成就してさしあげることのできる中心が決定されるのです。それゆえ、「真の父母」とともに暮らし、「真の父母」の願いに従って行動することができる、この驚くべき恩賜に、皆さんはまず感謝しなければなりません。

 自分の人生をみな犠牲にする恨があっても、「真の父母」の行く道に同調できる道があるならば、私たち人類の前に、これ以上の幸福なことはないということを知らなければなりません。「真の父母」の願いに従って、敵陣に向かって行進する兵士がいるならば、彼は人類が願う最高の希望の頂上において、天と地が直視し、歴史が注目する聖なる勇士であるということを、私たちはよく知らなければならないのです。

    真の父母の価値

 神様の摂理の目的は何でしょうか? それは、一つの焦点とも言えるものです。神様の理想が実現される場も、正にその場所です。私たちが失ってしまった父母、失ってしまった真の父母に会うことができる所も、正にそこです。それゆえ、その基台がすべての中心となるのです。その立場、それが「真の父母」というものです。歴史上に多くの立場がありましたが、この立場が最も価値のある立場なのです。

 それが、どれほど重要なものであるのか考えてみてください。すべての聖人たちがこの基台、この問題のために戦いました。神様がこれを重要に考えられ、霊界にいるすべての霊人たちも、そのように考えています。それゆえ、この地上のすべての人類も、これを重要であると認識しなければなりません。

 皆さんは、これの本当の価値を知ることができませんでした。これは、広大な土地を与えても替えられません。国土ほどのダイヤモンドを与えたとしても替えることができません。アメリカ全体を神様に祭物としてささげるとしても、皆さんはそれを得ることができないのです。

 このような観点で歴史を見るようになれば、今までの歴史は「真の父母」と何の関連もありません。この立場は、堕落する以前の人間の最初の先祖のための立場であるために、これ以後には堕落したいかなる歴史もあり得ないのです。

 そうであるなら、民主主義の終末はどのようになるのでしょうか? 民主主義もこのような観点によって、真のご父母様によって認められるということを考えてみるべきです。では、共産主義はどのようになるでしょうか? 彼らには歴史がありません。

 真の父母、ここから新しい内容が出発するでしょう。すなわち、すべての中心、すべての内容、そして、すべての結果がここから出発するのです。ここに参与することができる者たちが、地上の最初の勝利者になるでしょう。ここから神様の愛を中心として家庭を形成し、サタンの主権を追い出し、この地上に新しい天国を建設するために出発することができます。また、ここから歴史の実が結ばれるようになるでしょう。この場が、全世界の中心点です。

 この位置が未来のための出発点になるでしょう。ここから過去の歴史の完成が成されるでしょうし、現在の歴史の完成が保全されるでしょうし、未来世界の完成が始まるでしょう。この点、この位置をつかむことができるならば、皆さんは一人の人間としてすべてを征服した征服者になることができるのです。

 その価値がどれほど大きいでしょうか? それがどれほど素晴らしいもので、皆さんがそれをどれほど愛し、どれほどたたえ、どれほど尊重し、また、どれほど好むようになるでしょうか? この位置は、最高に高い位置になるべきであり、歴史において最高の高い位置に置かれなければなりません。すべての偉大な人たち、彼らがいくら偉大だといっても、これには比較できません。

 父母になろうと思えば、天地が和答(互いに応じて答えること)しなければなりません。天上世界に行って、神様を降参させなければなりません。アダムは、神様が「違う」と言われることを「はい」と言って、事実を事実でないことにしたために、事実でないことを事実として肯定させることのできる方法を執らなくては、本然的基準に入ることはできないのです。

 天地の間において、「真の父母」になるための過程からすべての問題を実体的に解決し得るその内容が、天地を明らかにするのであり、すべての歴史的な曲折を解放させるのであり、神様の心中に打ち込まれている釘を抜くことができるのです。神様が願われる愛の解放は、このような息子・娘を抱いて愛しながら、喜び、踊り、笑うことです。すべて全部が歓喜に満ちて、千年万年その喊声が、被造万物から全天地にいっぱいにならなければならないのです。

 神様の創造理想には、言葉で言えない心情があります。このみ旨をアダムが完成期に自ら悟って、悪魔を屈伏させなければならないのです。解放の主権者にならなければなりません。万国の統治者であり、救いの主人であり、全兄弟の長男(子)権を備え得る人がアダムなのです。

 サタン世界が反対することにより、四十日間霊界が混乱の中に陥るのです。そこでは、神様が審判官であられるために、神様から正義の判定を受けなければなりません。そこで文総裁が勝利の判決を受けて、地上に来るのです。

    感謝すべき私たち

 神様に対する感謝を、どのようにささげることができ、真の父母に対する感謝を、どのようにささげることができるでしょうか? 私たちの教会に対する感謝をどのようにささげることができ、私たちを再創造してくれたことに、どのように感謝をささげることができるでしょうか?

 私が経てきた後には、真の家庭が現れるのです。さらに一段階進めば、真の氏族が現れ、さらに一段階進めば、真の国家が現れるのです。さらに一段階進めば真の世界が現れ、さらに一段階進めば真の宇宙が現れ、さらに一段階進めば真の天宙が現れ、さらに一段階進めば真の神様が現れるのです。これが私たちの最終目標なのです。

 人間は、堕落した後にサタンの血統を受け継ぎました。数千万代にわたって、神様の血統ではないサタンの血統を受け継いだのです。どのようにこのサタンの血統を清算するのでしょうか? アダムとエバが堕落した以後に受け継いだ汚れた血統を、どのように清算するのでしょうか?

 そのような内容を清算するために、真の愛、真の生命、真の血統を中心として現れられたかたが、「真の父母」です。サタンの血統を肥料として、生命を育ててきたのです。しかし、新しい復活の時代には、体が神様の愛と生命と血統を中心として、真の愛を肥やしにして大きくなっていくのです。そうしながら、一方は消え、一方は繁栄してくるのです。ここから神様がともにおられ、サタンとは永遠に離別するのです。

 神様の心の中に苦痛があるとは、だれも知らないのです。歴史上に、今ここに真の父母を通じて神様の心情が現れ、真の父母の深い使命を明らかにしたから分かるのであって、そうでなければ分からないのです。イエス様もそれを知りませんでした。分かったとしても、心にあることを言うことができなかったのです。また、宗教指導者のうち、だれもそのように隠された宇宙の秘密が分かりませんでした。歴史上初めて、世界の前に真の父母が現れ、宇宙の秘密が明らかにされたのです。

 今から個人的基盤でなく、国家的基盤に方向を変えなければならないのです。一国家の指導者も、過去を悔い改めて改心すれば、神様が許されるのです。

 それは、神様の新しい伝統に属するのであり、新しい血統を意味するのです。そうでなければ、サタンを分立することができないのです。また、それは統一教会の祝福式以前にある血統転換式を意味するのです。

 人間始祖が堕落して、その真の愛、真の生命、真の血統が堕落世界の汚れたものと連結してしまいました。しかし、今は、神様の真の愛、真の生命、真の血統を中心として、横的に連結されているのです。これは百八十度転換されたのです。サタン側と連結された韓国や、この世界には、希望を託してはいけません。全世界の人類が、初めから最も邪悪なサタン側の父母に従っていったのです。

 百八十度生まれ変わるのです。生まれ変わるということは、再び生まれるということです。その最初が父母です。国ではなく、その次は、兄弟です。では三番目は何でしょうか? 夫婦です。四番目は子女です。

 神様は、三世代を願われているのに、この三世代を持つことができませんでした。一代は神様、二代はアダムとエバ、三代は今まで持てなかったのです。今まで人類は、神様を中心として繁栄できず、サタンに属するようになったのです。そのサタンは、愛の怨讐です。

 この血統をどのように清算することができるのでしょうか? 「自分」は韓国人でも、どの国の人でもない、神様の民として生まれたのです。神様の愛、神様の生命、神様の血統、この三つの根源が標準なのです。

 戦争で負けた敗残兵が血を流し、倒れていれば、それをだれが葬りますか? だれが敗残兵を教育して、再び正規軍にするでしょうか? また、食べるものがなければ、その人たちをどのようにするでしょうか? ただ殺してしまうのですか? 勝てばすべてがよいと思ったのに、もっと大きな十字架を背負うようになるのです。感謝するとき、何を感謝しなければならないのでしょうか? 豊かに暮らすようになることは、感謝すべきことではありません。十字架を背負ったことを感謝しなければなりません。それを皆解決してから、それを再び建設した後にこそ、自分の「時」というものが来るということを知るべきなのです。

 自分が新しい家庭を立て、新しい国家を建て、新しい世界を立てた後にこそ、自ら幸福に暮らすことができるのです。



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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