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いろいろあった一年だったけど、とりあえずは笑顔で年を越せそうです。 嫌なことは忘れることにいたします。アメリカ人を見習って、臭いものにはフタ。いちいち気にしてもしょうがない。 それにしても、この師走はいろんな食事会にて激しく呑み喰いしまくりました。 景気が悪いためか、去年までだったら店を借り切っての豪勢な晩餐会だったものが、個人のお宅での pot-luck パーティー (ひとり一品持ち寄り式)になったりして、それはそれで楽しい集いとなりました。 どこの国にも鍋奉行みたいな仕切り屋さんはいるものです。 夏だったらバーベキュー奉行、冬だったらチーズフォンデュ奉行でしょうか。
Dec 31, 2008
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昨日、思わず「橋」について熱く語ってしまったけれど、今日も強引に橋ネタ。 橋に関する映画がけっこうあったように思うので、ちょっと書き出してみようかと。■マディソン郡の橋 The Bridges of Madison County(1995年アメリカ) 映画を観たんだったか原作を読んだだけだったか、あんまり記憶なし。不倫をここまで正当化しちゃった作品は後にも先にもこれだけ。 ちなみに、この映画の題材となってる橋は、covered bridge(屋根つきの橋)。僕の住んでるとこからちょっと車を走らせれば同様の橋がある。■橋の上の貴婦人 The Bridge(1992年イギリス) これも不倫ものだったような。橋の上にたたずむ女性を描いた一枚の絵をもとに作られた映画だとか。イギリスのカルト女優サスキア・リーブスが主演。■橋の上の娘 La Fille sur le Pont(1999年フランス) 橋から飛び降り自殺しようとして命を取り止めた少女が、曲芸師(ダニエル・オートゥイユ)とともに巡業の旅に出る。 パトリス・ルコント作品。わざと白黒で撮っていて、ますますおフランス的。ちょっとやりすぎ?■ポンヌフの恋人 Les Amants du Pont-Neuf(1991年フランス) 内容はほとんど覚えてないけど、セーヌ河にかかる橋(ポンヌフ)の映像が美しく撮れてる映画だったと記憶している。でも、実はパリでロケをしたんじゃなくて、地方のどっかに大掛かりなセットを作って撮影したのだとか。■ブリッジ The Bridge(2006年アメリカ、ドキュメンタリー) 二週間にひとりの割合で投身自殺者が出ると言われるサンフランシスコのゴールデンゲート橋。その瞬間の現場を映像にとらえようと、一年間にわたりカメラを回し続ける。超ヤバイ映画。 衝撃的な映像ばかりではあるけれど、遺族へのインタビューとか、奇跡的に生還した人の話とかがきちんと取材されている。
Dec 30, 2008
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突然ですが、今日のお題は「橋」。なんとなくまとめておきたくなったので。 数ヶ月前にニューオーリンズを訪ねたとき、空港に降り立つ直前に眼下に長ぁーい橋が見えました。ポンチャートレイン湖コーズウェイ橋、38km。世界で一番長い橋なんだそうで。 僕はそれまで、カナダのプリンスエドワード島のコンフェデレーション橋やフロリダのキーウェストのセブンマイル橋あたりが北米最長かと思いこんでたので、意外や意外、かなり驚きました。 一方、2006年のアメリカ映画「ブリッジ」を観たときは絶句。サンフランシスコの巨大な吊り橋、Golden Gate Bridge 金門橋 から飛び降り自殺しようとする人を撮影したR指定ドキュメンタリー。 実は「橋フェチ」の自分なわけで。 建築とかの難しいことはわからないものの、橋って、いろんな形があって見てて飽きません。それぞれの橋にそれぞれの歴史があり、特に欧州の都市を訪ねると、テムズとかセーヌとかドナウとかラインとかモルダウとかに架かる橋はどれも見事で見とれてしまいます。 ニューヨークにいたっては二つの川に挟まれてるため、数多くの橋を見ることができます。どれもが重厚で壮麗。 実際に橋上を歩いて、恐る恐る真下の川面を見下ろすのもまた一興。 以前にロンドンのタワーブリッジの近くに住んでたときは、橋の開閉の瞬間をこの目で見ようと毎晩のように橋のたもとに通ったものです。実際に見られたときはほんとに感動もんでした。あんな重い鉄だか石の塊がゆっくり持ち上がるのですから。 本屋で「世界の橋」とかいう写真集や図鑑を見ると思わず買ってしまいます。我が家には既に五、六冊あります。日本の橋もけっこう載ってます。 そんなこんなで、今までいろんな橋を見てきましたが、橋ヲタクといたしましては、以下の三つが萌えスポット。何でこんなところに?という意外性のある立地に惹かれます。 カナダのバンクーバー郊外、カピラノ吊り橋 Capilano Suspension Bridge フランスのポンデュガール水道橋 Pont du Gard 徳島県大歩危(←オーボケ)のかずら橋 っていうか、オレって高所恐怖症だったよーな。
Dec 29, 2008
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「Use me, choose me」 今日はミュージカル「コーラスライン」を鑑賞。 前にも観たことがあるから今回は遠慮しようと思ってたけど、結果的に新鮮な感覚で観られた。配役が違うとここまで印象が変わってしまうとは。 ミュージカルはあんまり詳しくないものの、一緒に観た芝居好きの方がたに言わせると、この演目は the best musical ever。そこまで絶賛しない人であったとしても、「シカゴ」に次ぐ名作、などとおっしゃる。 今日の公演も確かに見応えのあるものだった。 個人的に注目したのは、後半のヤマ場であるキャシーの独演。ソリストとしてのキャリアに挫折し、コーラス(群舞)要員として再起を図る彼女が、演出家(しかも元恋人)に懇願する、いわゆる「私を雇って」の舞ひ。このご時世、失業者の悲痛な叫びともとれて、決して人ごとではない。 ちなみに、ここまで有名な演目ともなると、客もだいたい話の内容は知っている。次にどんな台詞や歌、踊りが来るか知ってるものだ。 そうなると、要はいかに演出するか。 おそらく前回観たときとほとんど同じ演出のはずなのに、客を笑わせるべきところできちんと笑わせる、泣かせるところで泣かせるといったことがいかに大変なことか、観てて痛感した。 客から拍手が来るかもしれない場所をあらかじめ考慮して「間」を持たせるべきかとか、音楽と台詞がかぶる場合の音声上の電気処理をどうするかとか。 広い舞台で多くの人が踊ってる場合、観客に誰を見てもらうか。振り付けや照明でどのように客の目を誘導するか。 あるいは、もっと基本的なところで、生オケを使うか空オケにするか。 こういう演出って、現実的にはどのぐらい予算があるかにもよるし、景気の悪い昨今、良質の舞台芸術に触れる機会は確実に減っていくんだろうなーなんて思ったり。 そういえば、今年はオペラを一本も観なかった。来年は是非。
Dec 27, 2008
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今日はピアノで「トロイメライ」なぞ練習してみた。この曲をさらうのは四半世紀ぶり。当時はただがむしゃらに弾いてて何がなんだかわからなかったけれど、改めて譜面を見てみると、いかにもシューマンのピアノ曲って感じ。感動。 例えば、この曲を四つの声部に分解して弦楽四重奏に編曲したらどうなるか。考えるだけで頭痛がしてくる。各声部は決して難しくはないはずなのに、感情移入してテンポを揺らそうとすると合わせるのが大変そうだから。 シューマンって、ピアノを弾く人じゃないかぎり身近に感じにくいのでは。 僕が過去にバイオリンで挑んでみたシューマンのいくつかの室内楽曲は、どれもスコアなくしては合わせの練習がしにくいものばかり。結局仲間どうしで喧嘩になってしまう。ブラームスのほうがずっと弾きやすい。 強拍が1拍めに来ない楽章が必ずひとつはある。一拍ずつずらして譜面を書き換えればずっと弾きやすくなるのにといつも思う。今は市販のソフトでそうゆう編曲もできる時代なはず。←こら 今回久しぶりに楽譜を見てみて、「トロイメライって、四拍子だったんだー」と初めて気がついた。←おい どのように記譜されてるか、どこに小節線が来てるかをあんまり意識しすぎないほうがいいのかもしれない。ゆるぅーく分解しちゃって、ジャズ風にすると意外に面白いことを発見。 シューマン「こどもの情景」ほか by Klazz Brothers ↑クラッツ(クラズ)とは、どうやらクラシックとジャズとを合わせた造語? 今年は全くと言っていいほどシューマンを練習しなかったけど、来年は是非挑戦してみたい。追記: 愛国心あふれるアメリカ人さんたちの間では、シューマンと言えば、ロベルトじゃなく、ましてクララでもなく、現代作曲家のほうの、なんとかシューマンさんを指すことがある。って、それもどうかと。
Dec 27, 2008
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ここの日記に、さんざん偉そうに日本未公開映画の感想を書いといて今さら愚痴るのもかっこわるいけど、英語の映画を日本語字幕なしで観るのはやっぱりツラい。 どの程度細かいとこまで筋を理解してるのか自分でもわからない。 難解な推理ものだったりすると、終映後に周りの人に大声で、「で、犯人は誰だったの?」と聞いて呆れられてしまったこともあったっけ。今でこそ、帰宅後にこっそりインターネットで復習できる時代にはなったけど、それでもネタばれが配慮されてて調べきれないことも多々ある。 もっと悔しいのは、喜劇映画を観てて周りと一緒に笑えないとき。仕方ないから一応はみんなに合わせてゲラゲラ笑っておいて、そのあと何が可笑しかったのか黙々と考える(笑)。 字幕といえば、英語圏の民族は字幕に慣れてない人が大半。外国の映画を鑑賞するのがかなり苦痛らしい。字幕を読む速度も意外に遅い。母国語の文章なのに。 吹き替えのほうがいいって言い張る人もいるけど、僕だったら、むしろ頑張って字幕を読むほうを好む。 無難な声の無名な声優さんがアテレコしてるんだったらまだしも、「あ、この声、峰不二子と同じだ」みたいに気になってしょうがなかったり。 いずれにせよ改めて感じるのは、日本の字幕文化の水準はずば抜けているという点。日本で観る外国映画の字幕は、音声と文章のタイミングがピタッと合ってて感動する。長い台詞には長い字幕、短い台詞には短い字幕。思い切って省くとこは省く。リアルタイムで映画に没頭できるのは素晴らしい。 外国語字幕だとこうはいかない。音声とずれまくってたりして、なんかイライラしてしまう。 ほんと、日本の字幕翻訳者ってスゴい。言葉の魔術師。ちょっと誤訳するだけで世間から叩かれてしまうタイヘンな職業みたいだけど、是非とも世界に誇りたいところ。 翻訳者の名前がきちっと紹介されるのも日本ならでは。実際、それだけの待遇は受けて然るべき。(フランス映画などを英語字幕で上映する場合、こちらでは字幕翻訳者の名前は紹介されない) なにはともあれ、改めて、Viva ニッポンの字幕文化! あの独特の字幕フォントも超かっこよいし。
Dec 26, 2008
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いきなりハードコアなジャズピアノの世界に飛び込んだものの、今まで慣れ親しんできたクラシック音楽とあまりに違うことに動揺を隠せない昨今の自分。 そんな僕を見かねたのか、先週のピアノの稽古のときに師匠がひとこと、「理論を覚えようと頭で考えるのが辛かったら、ビリー・ジョエルなどで気分転換してみては?」 おぉっ、ビリー・ジョエル! ジャズの音楽を、閉ざされた排他的な世界と捉えて勝手に畏れおののくより、むしろ、ジャズ以外でもいいから、いろんな曲に挑戦してピアノと慣れ親しむのが近道? 肩の荷が下りた気がした。 ビリー・ジョエルと言えば、実は僕も既に譜面持ってるし、弾きたい曲は山ほどある。 っていうか、以前なんかの夕食会の余興で、ピアノ弾き語りを披露しようと無理したら、途中で止まって赤っ恥かいたことあるよーな(「ララバイ」という曲)。 かなり前に、彼の来日公演を聴きに行ったことがある。東京ドームで。 当時の自分は、のちにアメリカに移り住むなんて全く思ってなかったし、そもそもニューヨークがどこにあるかも知らなかったけど(笑)、「ニューヨークの反逆児」ジョエルの音楽は、遠い異国の、しかも未だ見ぬ大都市を勝手に妄想させるに充分なものだった。ガラスのニューヨーク、怖そうだけど面白そうな「眠らない街」。 ビリー・ジョエルって、例えばギター弾きがエリック・クラプトンを神格化するのと同様に、ピアノ弾きなら誰でも一度は弾きたくなるアーティストなのでは。 実際、今までにニューヨークほかいろんな街のピアノバーに行ってみたけど、どこでもお約束のようにジョエルが演奏されてる。 客が黙っちゃいない。必ずと言っていいほど「ピアノマン」がリクエストされる。 なにはともあれ、ビリー・ジョエル、師匠から正式な許可が出たわけだし、ちょっと練習してみようかと。 夜のピアノ弾きの定番、「ピアノ・マン」(at バブリー酒場) アカペラおたく、ドゥワップおたくの定番、「ロンゲスト・タイム」(笑える動画) 和音の微妙な動きがお見事、「ララバイ(Goodnight, My Angel )」
Dec 23, 2008
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なにかと会食の多い時期。 ときどき(オケや)室内楽の練習などでお会いしている美女の皆さんたちとも、改まって呑み喰いを共にする機会がある。 彼女たちって、いつも楽器とか楽譜とか譜面台とか大量の荷物を抱えている。だから、たいてい軽装、動きやすい格好をしてるという印象を受ける。 「あー、練習してきてないわ、やばぁーい」とか言いながらアタフタして駆けずり回ってる図。 でも、楽器を弾く予定のない状態で彼女たちとお会いすると、何かが違う。 例えば、チェロ弾き。合奏の練習で会うときは(脚を開いて弾くから)ジーンズなのに、今日はタイトで短めなスカートをお召し。 例えば、ピアニスティン。今日は指輪をキラリと輝かせてる。いかにも運指の邪魔になりそうなやつ。 例えば、バイオリン奏者。今日は巨大なイヤリングをぶら下げている。 楽器を弾かなくていいとなると、いきなり「じゅわいよくちゅーる化」する乙女たち。 そして、そんな彼女らの変貌ぶりに勝手に動揺しつつ、なにげを装う殿方たち。 ↑っつーか、殿方って死語?***** いよいよクリスマスの喧騒も佳境。 僕としては、冬至も過ぎて、これから少しずつ日が長くなっていくことが何よりも嬉しい。
Dec 22, 2008
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「最初はG(ゲー)」 ここ数日の積雪で路面は凍結。しかもあまりに寒いので今日は全ての外出予定をドタキャン。家に引きこもり、バイオリンを練習して過ごす。 っていうか、バイオリンに触るのはかなり久しぶり。←おい 今日練習したのは、たまたま楽譜棚から発掘されたブルッフの協奏曲。無謀。 一応、若かりし頃の自分が全楽章さらった形跡はあるものの、指があんまり覚えててくれてない。せっせとゼロからさらってたら日が暮れてしまった。今日は冬至? しかも、いきなり大曲をガン弾きしたもんだから、肩が痛い、腰が痛い、首が痛い。 今から外に出て雪かきしなきゃいけないというのに、既にお疲れのご老体。 この曲、弾くのも疲れるけど、聴く人をも疲れさせる、妙な難曲だと思う。何がイヤって、重音がキツい。 1楽章の、音符をいっぱい詰め込んでたりするとこも強引。むしろ3楽章のほうがテキパキしててかっこよい。 2楽章アダージョはまぎれもなく名曲。美しい。 二ヶ月前にクレモナで立ち寄った楽器関連の見本市を思い出す。バイオリンを試奏する人たちが、こぞってブルッフの1楽章を弾いてたのがなんか可笑しかった。 最低音Gの開放弦で始まり、四本の弦を順に鳴らしながら高音へと昇っていく冒頭の一節。 楽器の特性を試すに最適な節、と言われてるのは知ってたけど、ここまで世界的に神格化され、「試奏の儀」に取り上げられてる曲だったとは。ほんと、会場ではあちこちでブルッフ大合戦だった。猫も杓子も、あんたもあたしも、みんなも社長さんも。 ビオラやチェロ、あるいはピアノなどの楽器にも、試奏/試弾に適した曲というのがあるのだろか。***** ところで、ブルッフって、一発屋と呼ぶにはかわいそうで、ほかにもいろいろ曲があるような気がする。個人的には、スコットランド幻想曲の3楽章を好んで弾いている。三連符でオケとねちねちと絡むとことかは萌えどころかと。 室内楽にも隠れた名曲がありそう。 去年ドイツを旅行中に楽譜屋をのぞいたときのこと。ブルッフのピアノ五重奏曲の中古譜が格安で売られてて、手にとってしげしげと眺めてたら、店員のお兄さんがブルッフについていきなり熱く語り出した。全然聞き取れなかったけど、Sehr gut! みたいなことを言ってた(ような気がした)ので、「あっそう、ゲナウ」とか申し上げて思わず購入してしまった。 いつか挑戦してみたい曲のひとつ。
Dec 21, 2008
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「クライム of クライミング」 そういえば、今年六月に、ニューヨークタイムズ社の52階建て新社屋の外壁を屋上まで素手で登って話題になった人がいた。「フランスのスパイダーマン」ことアラン・ロベール Alain Robert とかいう人で、結局、建造物侵入罪だか「お騒がせ罪」だかなんかで屋上で逮捕されることになるわけだけれど、高所恐怖症の僕としては、想像するだけで恐ろしい。 今日観たドキュメンタリー映画「マン・オン・ワイヤー」も、 やはり「アメリカのパリ人」高所ヲタクの話。 今はなきニューヨークの世界貿易センター。あのツインタワーズが建ったばかりの1974年、二つのビル間を綱渡りしようと、こっそりとビルに忍び込んだフランス人らがいた。曲芸師フィリップ・プティ Philippe Petit。良い子のみんなは真似しないで! 日本では来年公開(公式サイト) 高層ビル間を綱渡りするだけでもタイヘンな話なのに、事前にビル側や警察からの許可を得ずに、秘密裏に実現まで漕ぎつけるのがスゴい。当時の裏話をプティ自身と周囲の仲間らがそれぞれにカメラの前で回想する。 フランス国内で何年もかけて構想を練り、視察で何度も渡米する彼ら。 そして、本番前日の夕方、関係者に変装して門番をまんまと騙すことに見事に成功。入館した後は、巡回する警備員の目を盗みながら、エレベーターで行けるとこまで行き、そこから屋上までせっせと階段で登る。鉄のワイヤーとかを背負って。 夜を徹して準備を進める。夜明けも近づき、60メートル離れているもう片方のビルへとワイヤーを渡そうと弓矢を放つが……。 見応えのある、よくできたドキュメンタリーだと思う。同時多発テロに敢えて触れていないとこも気に入った。 映画のなかでは、命知らずの無謀な企画と知りながら彼に共感し、その手助けをしようとする仲間たちの心境も丁寧に描かれている。プティ本人が飄々としているのとは対照的。 そして仲間うちでの微妙な確執もさりげなく匂わしている。 なんとなくルパン三世の仕事っぷりを思い出した。五右衛門や次元のような有能な共犯者がいて、そして謎のオンナ峰不二子に惑わされる。 プティ氏は今でも世界のあちこちで当局の目を盗みながらの綱渡り人生を過ごしているのだろうか。 ちなみに、この事件でニューヨーク当局がプティ氏に下した刑罰の内容が微笑ましかった(とある奉仕活動)。 この映画、敢えて難を言えば、背後に流れる音楽がちょっと邪魔だった。エリック・サティはまだしも、マイケル・ナイマンのは強烈すぎ。ピーター・グリーナウェイそのもの。追記: 衝撃のドキュメンタリーという意味では、「ブリッジ」という2006年の映画を思い出した。サンフランシスコの金門橋 Golden Gate Bridge から飛び降り自殺する人たちを描いた作品……!
Dec 20, 2008
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今日はジャズの稽古日。 チャーリー・パーカー「ヤードバード」のコードについて、和声の理論を再確認しながら弾いてみる。 思い起こせば、最初に与えられた曲はマイルス・デイビスだったため、B(ベー)管もの。今回は嬉し恥ずかしハ長調につき、理論を学ぶのには便利。 今日は、例えばD7→G7→Cmaj7のコード進行について、II→V→I(ツー、ファイブ、ワン)と実際に声に出して歌いながら弾くという訓練をやった。 調はどんどん変わっていくので、必ずしもCのコードがI(ワン)ではない。この曲の場合だと、Emになる展開部はEがI(ワン)になる。 師匠に激しく強調されたのは、コード移動をさりげなくということ。IIからVへの移動、あるいはVからIへの移動をいかに優雅に行なうか。このへんは基本中の基本であるとともに、奏者の信念、美学にも関わる大切なことらしい。 あと、Cmaj7の場合、ルート(根音)はド。このとき、3rdと7thの和音としてミとシを弾くわけだけれど、そこをひっくり返してシとミとする場合の利点についても触れた。 もっとくだけて言うと、ドミソと弾かずにミソドと弾く。いかに響きが変わるかをいきなり熱く語り出すデイビッド先生。この人、語り始めると止まらない。やはり、奏者の「美学」の世界か。 稽古の後半は、曲全体の大きな流れについて学ぶ。 8小節を1フレーズとする、A→A→B→Aという形式。32小節形式とも呼ばれ、二部形式の一種? 日本語(だか中国語)でいうところの「起承転結」みたいなものと思われる。←なんか違う いずれにせよ、Bの箇所でどこまで大胆に「転ぶ」かが曲の印象を決定づけるとのことで、師匠は何通りか即興で弾いて聞かせてくれた。おぉっ……。 実際に自分で弾いてみようとも努めてみたものの、うーむ、降参! 今日の稽古はここまで。***** 相変わらず、容赦なく多くのことを教え込もうとなさる師匠。それはそれで光栄なのだけれど、自分としては、はっきりと「わかりません!」と遠慮なく言い張るようにしている。でもって、ときどき平行線のまま稽古が進むわけで。 僕がちょっとでも弱音を吐くと、師匠は励ましの言葉をかけてくださるものの、それがいつも意味不明。「ベートーベンのソナタを32曲弾くより、ジャズを1000曲弾くほうがずっとラクなんだぞ!」とか……。<次回までの宿題> 今後二ヶ月は師匠と僕とで予定が全く合わず、次回の稽古はかなり先になりそうなので、大量の宿題を出された。 一、チャーリーパーカーのコード進行を、ルートを弾かずに3rdと7thだけで伴奏する練習をする。 一、その場合、前後のコードも考慮して「ミとシ」と弾くか「シとミ」と弾くか考えながら弾くこと。 一、曲中でコードの響きが最良となる箇所を(オクターブ上げるとか下げるとか)見つけ出す。 一、AABAのBの部分で自由に発展させてみる。 一、AABA形式の曲の別の例として、新曲「エンジェル・アイズ」をさらってくる。←おぉっ、マイナー(短調)曲に初挑戦!
Dec 17, 2008
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今日は友人らとアパラチアの山奥に日帰りの遠足。 ひょんなことで知り合ったリチャード氏(通称「教授」)を含む悪友四人組。リチャードはいわゆる後期高齢者アラエイ(around 80)。奥さんに先立たれ、今は高齢者用施設で独りぐらし。ご友人も多くが他界し、最近は滅多に外出せずに引きこもりがちという彼を連れ出し、我々は山へと向かう。彼にとって亡き奥さんとの思い出の場所なんだそうで。 ちなみに、ハイキングや野鳥観察の季節は11月末で終了するため、この時期に山に入る人は少ない。むしろ、山によっては(鹿などの)狩猟をしてる人もいて危険なので、誤って撃たれないように気をつけないと! まだ開いてないスキー場の反対側に廻ると、森を切り拓いて建てられたリゾート施設、その背後にはいきなりカジノが聳え立っている。 我々はそこでのんびりとギャンブルごっこをすることに。リチャード教授ってば、それなりにカジノがお好きらしい。 僕は本場ラスベガスには行ったことはないけど、最近はどのカジノも雰囲気が変わってきてるらしく、ここも清潔で健康的な雰囲気。 もちろん、怖い顔した警備員のお兄さん(制服、私服)は健在だし、露出しまくりお姉さんが「お飲み物はいかがぁ~ん?」と腰振ってクネクネ巡回してるあたりは、やっぱり異様。 そんな場内では、平均年齢高めのおじさん、おばさんらが、黙々と賭けごとに没頭している。なんとも不思議な光景。 今どきのカジノ、なにがスゴいって、あらゆる機器がデジタル化してるとこ。一昔前のカジノのように、スロットマシーンの回転する音とか、硬貨がジャラジャラ出てくる音のような機械的な音が全くしない。怖いぐらいの静寂。ときどきピピッと電子音。 運良く大金を勝ち得た場合であっても、画面にピッと数字が出て、結果が小さな紙切れに印字されるだけ。別の場所で精算。 ブラックジャックやポーカーなんて、本物の人間のディーラーさんがそれぞれの卓についてるわけじゃなく、参加者は液晶大画面を相手にプレイする。役者さんが画面に現れ、台本棒読み。何通りも録画されてるものの、やっぱり臨場感に欠けてて興ざめ。 で、適当に少額をちびちびと賭けては負けてばかりの僕ら。これ以上損失が増える前にさっさと切り上げた。 それにしても、全てがコンピューター制御されてるってことは、もしかして、運だとか確率次第でいつかは勝てるってわけでもないのかもしれない。実は精巧にプログラムされていて、絶対にカジノ側が損しないようになってる? 人生一度きりなんだし、やっぱり時には一獲千金を狙って綱渡りする生きかたもいいかなとも思うし、いや、はらたいらさんや竹下景子さんと共に堅実かつ慎重に人生を歩んでいくのが一番とも思うし。 今日は、いわゆる独居老人さんを外に連れ出すという企画だったのに、ちゃっかり自分が一番楽しんでたような気もする。 ま、別れ際にリチャード教授が「外出するのはやっぱり楽しいのぅー」とおっしゃってくださったので救われた。 今日はほんとは別の団体で正装着用のお堅い晩餐会に招かれてたのだけれど、そっちに出るよりもずっと意義のある一日を過ごせたと思う。 っていうか、亡き妻との思い出の山、とかのたまうから、心温まる昔ばなしを聞かせられるのかと思ってたら、カジノで遊んだことが思い出だったとは。
Dec 13, 2008
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アメリカ国内で車を運転していて、たまぁーに路上で見かける光景。親指立てて、ヒッチハイクをしている人。 希望の行き先を書いた板を掲げ、安上がりな移動手段を求めている、いわゆる真のヒッチハイカーさんも見ないことはないけれど、僕が見かける人の大半は、ご自分の車が故障するなどして交通手段を失ってしまった人かと思う。 携帯電話がつながる場所だったらまだいい。でも、暗くて寒いこの時期、ときに摂氏で零下20度ぐらいにもなる深夜早朝の山奥の道ばたで必死に同乗を求めてる人を見ると、心から同情するし、思わず車を停め、その人を乗せてあげたくなる。自分が同じ立場になることもありうるわけだし。 しかし、僕は乗せてあげない。非情と非難されるだろうけど、決して。 乗せるべきか、乗せざるべきか。このネタは僕のまわりでも、ときどき話題に上り、激しく議論が白熱する。 何が問題かって、親切に乗せてあげたら、ナイフを突きつけられ、金を出せと脅されたり、あるいは、蹴られ殴られ、車ごと盗まれたとかいう話は珍しくないから。逆に、知らない人の車に乗ったヒッチハイカーのほうが強奪されてしまったという話も聞く。 どこの国でも多少はある事件だとは思うけど、アメリカはやっぱり怖い。たしか州によってはヒッチハイクという行為自体が違法? 若かりし頃、友だちとカナダのロッキー山脈を車で廻ってたとき、一回だけヒッチハイカーを乗せてあげたことがある。当方も複数で旅してたから心強かったし、あんまり深く考えずに乗せてあげた。その旅人も、パッと見た感じ、信頼できそうな若者だった。 旅人とは車中での会話も盛り上がり、結局意気投合し、しばらく仲良く一緒に旅したと記憶している。 でも、それが最初で最後。以来、僕はヒッチハイカーを乗せてあげてはいない。 自分自身、日本国内や海外でヒッチハイクで旅した経験がないわけでもないし、そのとき乗せてくださった方がたのご厚意には感謝しているけど、やっぱり今は自己防衛を真っ先に考えてしまう。 我ながら矛盾してるし、良心の呵責も感じる。 とにかく、道ばたでヒッチハイクしている人を見るたびに心が痛むわけで。 そして、見て見ぬふりをし、大急ぎで通過するようにしている……。***** Into the Wild(予告編) さて、強引に映画ネタ。 本日のお題「ヒッチハイク」とは微妙にずれるけど、ショーン・ペン監督の映画「イントゥー・ザ・ワイルド(荒野へ)」(2007年アメリカ)は衝撃的だった。 裕福な若者が、全てを捨てて(名前や現金も!)旅に出る話。南東部を発ち、米国内を激しく放浪の末、北西アラスカの荒野で過酷な自給自足生活を始める。 とんでもないR指定な人生。 ま、物質文明を否定する彼の信念は一理あるし、出費のかさみがちなこの時期に観るとちょうどいいかも(笑)。
Dec 11, 2008
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年末が近づくと、第九、第九と強迫観念のように思ってしまうわりに、なかなかアメリカでは聴く機会も弾く機会もないのが現実。 しょうがないから、独り寂しく第九のオケのパート譜を取り出しては、せっせとさらって年越ししたこともあったっけ。しかもセカンドバイオリン……。 っていうか、こちらでは第九ではなくメサイアが主流。 教会の主催、あるいはオケ/声楽愛好家有志の自主企画による大初見大会「メサイアの夕べ」が年末のウラ風物詩となりつつある。 それぞれの曲は短くてわかりやすいし、なんてったって英語だから、アメリカ人にとってメサイアが好まれるのは当然といえば当然。 でも、ワタシとしたことが、ここ数年誰からも「歳末メサイア」に誘われず、寂しい思いをしている。今年は自分で企画しようかともマジで思ってたけど、もう年の瀬。 結局は、やはりオケのパート譜を独りでさらって年を越すことになるのだろうか。ま、二幕のバリトン独唱、Why do the nations so furiously rage together とかみたいに、伴奏部分だけで楽しめそうな曲も結構ありそうだし。←開き直ってる そもそも、ヘンデルって、ほんとはすんごい作曲家なんだと思う。彼を積極的に好んでる人は少ないかもしれないけれど、積極的に嫌ってる人もいないのでは。ヘンデルおたくって結構いるに違いない。隠れ切支丹のようにひっそり棲息してるから、なかなか表面化しないだけであって。 バッハほど重苦しくなく、ビバルディほど慌しくない。 健康的で文化的な最低限度の音楽なのに、ちゃんとクセもある。 ドイツ生まれのくせしてイギリスに帰化っていう人生も、なんか怪しすぎ。 「調子の良い鍛冶屋」なんていう曲名をつけるのもなかなかの商売人。***** さて、彼の原曲でパッサカリアという作品がある。ノルウェーの作曲家ハルボルセンの編んだバイオリンとビオラ、またはバイオリンとチェロの二重奏曲。これがまた名曲。ごーじゃす。 しかもト短調萌え。最後はピカルディの三度でばっちり決める。 なかなか演奏会でとりあげられないのは残念。 現実的には、モーツァルトの協奏交響曲とかブラームスのドッペル協奏曲の独奏者らが、アンコールとして取り上げるのが定番となっている(?)。 一回だけ生で聴いたことがある。数年前にバイエルン放送交響楽団がNYカーネギーホールで公演したとき(ロリン・マーゼル指揮)、ブラームスのドッペルを弾いたユリア・フィッシャーとハンナ・チャンちゃんが、やはりアンコールでこの曲をご披露。あの巨大ホールを鳴らしまくっててたのが強烈に印象に残っており。 この曲を最も頻繁に弾いてる二人組は、おそらくパールマンとズーカーマン。 ジャニーヌ・ヤンセンも、共演者のジュリアン・ラクリン(またはマキシム・リサノフ)とよく弾くみたい。あとはカピュソン兄弟か。 またいつか生で聴いてみたく。 ←双子じゃなく、どうやら同じ人? すごすぎ<気になる作曲家シリーズ> ショスタコービチ エルガー シベリウス アルボ・ペルト
Dec 8, 2008
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12月に入った途端、家じゅうをクリスマス用に装飾しはじめるアメリカ人さんたち。その労力には素直に感心してしまう。 今年も既に何軒か訪問させてもらった。どの家も気合い入りまくり。基本的に例年同じ装飾を使いまわすので、そんなに金はかかってないと彼らはおっしゃるものの。 今日は、ビリー/レネーご夫妻主催の夕食会に招かれ、賑やかなひとときを過ごした。 さて、彼らのお宅のように、ピアノのある家に招かれると、ちょっと緊張してしまう。 僕に向かって「そー言えば、お前ピアノ弾けるんだろ?」みたいなことを言う奴がいる。それに続く恐怖のひとこと、「なんか弾いてくれよ、一曲でいいから!」 こうゆうの、すごく苦手。酔いも一気に醒めてしまう。 ピアノ弾けるんです、と今までいたるところで偉そうに言いふらしていた自分を悔やむほかない。 バイオリンだったら、暗譜してる曲(レパートリー)がないこともない。でも、ピアノに関しては、僕は楽譜がないと何にも弾けない。せめてコード譜があれば何とかなるのに。 ピアノの前で真っ青になって固まってる自分。情けないし、恥ずかしい。 こうゆうときのために常に譜面を隠し持っておくというテもあるけど、「いかにも」な感じでかっこわるい。一曲でいいから、最初から最後まで楽譜を見ずに弾けるようになるまで習得しておきたい。 理想としては、季節や場面に応じて、クリスマスの曲とか誕生日祝いの曲とかをササッと弾ければ申し分ない。 個人的な趣味として黙々と弾いて独りで楽しむのもいいけれど、こうゆう場面で自分の趣味をちょっとだけ活かすのって、「人づきあい」的にすごく効果的だったりするわけで。
Dec 6, 2008
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どんより曇り空。丘の上にポツンと建つ白い教会。 今日は、こないだ亡くなった友人のお葬式に行ってきました。 ガンを患っていて、今年の春に、余命六ヶ月と宣告されていたエディーおじさん。ほんとに六ヶ月後に亡くなってしまいました。まだ50代という若さ。 この日が来ることは僕らも覚悟しておりましたが、ほんとに来てしまうとは。 教会に入ると、奥さんと息子さんらが出迎えてくれました。あまりに気丈に振る舞っていらっしゃるので、こちらが恐縮してしまいます。 故人エディー氏は、迫り来る死を誰よりも潔く受け止め、この六ヶ月間、自分の葬式をどう進めるか、自分の遺体をどう処理するかなど細かく決め、葬られる準備を自ら着々と整えていました。 今日の葬式は彼のご遺志どおり、前向きかつ和やかに進められました。 牧師さんのお話も、賛美歌の選曲も、決して悲しみに打ちひしがれるのではなく、生きる喜びを前面に出したもので、葬式というより結婚式のような雰囲気。 なんと、僕ら参列者も派手な服を着てきてよいと言われてました。 式の中盤では、親族や友人何人かが故人の思い出を語りました。飛び入り参加も自由で、みんなここぞとばかりに登壇、在りし日の故人のことをしゃべってました。原稿を読む人もいれば、即興の人も。 故人のモノマネをする人、故人の知られざる過去を暴露する人、故人の遺品(ガラクタ)を競売にかける人もいて、会場は爆笑の渦。こうゆう明るい弔辞もいいなーと思いました。 これも全てエディー氏の遺志どおり、こんなに楽しく笑い声の絶えない葬式って、いくらアメリカでも珍しいほうではないでしょうか。 で、息子さん(20歳前後?)がしゃべる番になり、やはり心温まる弔辞をゆっくりと読み始めました。しかし、いきなり言葉に詰まったかと思うと、彼はその場で大声で泣き崩れてしまったのであります。 びっしりと書かれた原稿をほとんど読み上げることなく、彼はしばらく壇上で号泣してました。ときどき、I miss him... と言うのが精一杯……。 ついさっきまであんなにゲラゲラ大笑いしてた僕らでしたが、みんなで一緒に泣きまくりました。二、三分、それぞれ思い思いの泣きかたで。 ほんとに惜しい人を亡くしました。 最後に、友人のひとりがピアノを演奏。やはり故人の指定した曲「主よ人の望みの喜びよ」。 全然調律されてないピアノだったし、かなり危なっかしい演奏だったけれど、死にゆく友のために六ヶ月猛練習したというバッハの調べは、素直に心に染みました。
Dec 4, 2008
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「めざせモスクワ(もすかう)」 真冬のシベリア越えの映画。日本ではたぶん未公開。 北京からモスクワまで何日かかけて列車で移動することになったアメリカ人夫婦の話。車内で謎めいた男女と知り合い、いつのまにか麻薬密輸の犯罪に巻き込まれてしまう。 予告編 こうゆう映画は、暑苦しくて寝られない熱帯夜用にとっておきたい。背筋が寒くなるような残虐な場面もある。 いろんな観方ができて面白い。舞台がシベリア鉄道だけあって、鉄っちゃん、鉄子さんらのヲタク心をくすぐるだろうし、基本的には列車という閉ざされた空間での密室劇なので、観ていて精神的に追い詰められてしまう。登場人物が突然行方不明になったり。 屋外の場面もあるものの、外は氷点下。しかも果てしなく広いロシアの大地。逃げようにも逃げられない。彼らは無事にモスクワへたどり着くことができるのか。 ときどき気の利いた(やや哲学的な)台詞が出てくるのも気に入った。ソ連時代と現ロシアとの違いに関する台詞も興味深かった。 夫婦役にウディ・ハレルソンとエミリー・モーティマー。 モーティマーは、Dear Frankie とかいう英国映画に主演してた女優。てっきりスコットランド人かと思ってたら、ここではアメリカ人役、しかもこの映画で最も重要で難しい役どころを演じている。後半、ベン・キングズレーの強烈な存在感に押され、主役の座を奪われてしまっている。それに、「過去のある悪女」っぽく見えないところも惜しい。***** シベリア鉄道って、僕も死ぬまでに一度は乗っておきたい路線のひとつ。以前に何気なく調べてみたこともあった。ウラジオストクから乗るのとかウランバートルとか。 この映画を観て、また急にその野望が沸々と……。 ↑きわめて単純な反応
Dec 1, 2008
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