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年が明けてひと月経ちましたが、我が家には今もクリスマスカードや年賀状がポツポツとですが届きます。さらには、中国系の人にとっては来週が正月のようですし。 僕は外国に住んでいるので、「年賀状は元旦に届かなきゃイカン」という日本の習慣からは一応は免れてる(と思います)。出すのも受け取るのも。 そもそもお年玉付き年賀はがきを外国で手配して日本に出すのは非現実的。そこで僕はクリスマスカードで代用することになるわけですが、となると、ちょっとぐらい到着が早くても遅くても許される(はず)。そのへんの特権には素直に甘えてます。遅れたら「国際郵便事情のせい」とかシラ切って責任転嫁しちゃえばいいし。 それにしても、アメリカ人って、あんまりクリスマスカードに凝らない人が多いみたい。一応は用意するものの、市販のカードを適当に束で買ってきて、自分の名前だけ署名して投函。近況報告も書かなければ、「新年もよろしく」の一言すらない。 もらったほうも淡白。中のカードだけを抜き出して家の中に飾ったりはするけど、年が明けたら撤去。日本みたいに、お年玉当選番号の発表を心待ちにしながら保管、なんてこともない。***** メールや携帯電話のテキストなどで電子的に新年の挨拶を交わすのが主流になりつつある昨今でありますが、それでもこの年末年始も多くの方からクリスマスカードや年賀状を頂戴しました。ありがたいです。 この人、こんなに字が上手かったんだ、などと新鮮な驚きもありましたし。←メールでしかやりとりしたことなかった。 それに、日本式の個性溢れる賀状をいただくとやっぱり「文化」を感じます。しかも筆で書かれた縦書きの賀状などもらった日には涙モン。 12月に一旦クリスマスカードをくださったうえ、正月に改めて年賀状をくださる方も何人かいらっしゃいました。恐縮であります。 細かいことですが、日本のハガキって、大きさが同じなのが嬉しい。クリスマスカードだと大きいのもあれば小さいのもあって保管に困る。それに、封書郵便として送れる最大限の大きさの基準が国によって違うみたいで、追加料金を請求されたり、請求させちゃったりします(←こら)。 ちなみに、こちらでは現在、あちこちの店頭で去年のクリスマスカードの売れ残りを激安販売してます。干支という概念もないし、今シーズンの残りを来シーズンに使い回しできるのはすごく便利。 ただ、同じ人に同じカードが二年連続で届かないように細心の注意が必要です。←僕、前科あります。
Jan 31, 2008
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「トランペット吹きの休日」 スメタナと言えば「我が祖国」。あと、渋めのところでは、バイオリン/ピアノの二重奏曲「我が故郷から」。 そして「我がもの」三部作のもう一曲がこのカルテット「我が生涯から」。←ご、強引な前振りっ……。 パトリシア(第1バイオリン)、自分(第2)、マリオン(ビオラ)、チャールズ(チェロ)の四人で、1楽章と2楽章を練習した。 ビオラがいきなり派手に旋律を弾く1楽章。締め付けるような緊迫感。 恐れおののいてたわりには、思ったより難曲でもない。音程やリズムを正確に、かつ弓の配分に気を遣ったりするいい訓練になる。 さすが「モルダウ」の作曲家だけあって、情景描写に富んでいる。なんかの映像が勝手に浮かんでくるし。 さて、問題なのは2楽章、踊りの音楽。 基本はポルカ。途中、できそこないのアルゼンチンタンゴみたいな部分もある。(別にけなしてるわけぢゃなく) 非常に音程が取りにくく、ときにフラット大増殖(Des dur 変ニ長調?)。世にも奇妙な現代音楽を奏でてしまった僕たち。 あと、面白いのは、ビオラとセカンドに quasi Tromba という楽想指示が出てくるとこ。確かにファンファーレっぽくドミソしか出てこないのだけれど、果たして、トランペット風にとはどう弾けばいいのか。ビブラートや強弱のムラを最小限に抑え、筒抜けに聞こえるように? そもそも、低い音域(G線)で弾かせといて、ラッパごっこをせよと言うのは無理があるよーな……。 それぞれの楽章にクセがあって、実に弾き応えのある曲。この続きは来月ということで解散した。 正直言って、スメタナをやる前にドボルザークのカルテットをどれか一曲練習してみたいというのが本音。作品51あたり。
Jan 27, 2008
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「オスティナート ~執拗なる反復。」 今年最初のカルテットの練習。 この面子で定期的に練習していくことがなんとなく決まりつつある。果たして今度こそ継続なるか? 無謀にもベートーベン後期135に挑戦。吉と出るか凶と出るか……。(第1バイオリン:僕、第2:パトリシア、ビオラ:マリオン、チェロ:チャールズ) 番号的にはベートーベン最後のカルテットではあるけれど、きちんと四楽章構成なのが嬉しい。それだけで近づきやすいように錯覚してしまう。実際、大曲と呼べるほどの長さではないのは意外。 1楽章を中心に練習した。何度も停まりながら、音程や和音やリズムを確認。これ、ツラいようでいてなかなか楽しい作業。思ったより明るい曲だし。 テンポの解釈をめぐって、僕だけがちょっと孤立してしまった。アレグレットだし、もうちょっと速く弾いてもいいんぢゃないかって思ったけど、彼らは「やっぱり重量感が欲しい」そうで。 予断を許さぬ唐突な展開。楽器の受け渡しとか、こう来るかな?と予想しながら弾くと裏切られることが多い。断続的にズバッと切り落とされてばかりで、気がつくと終わってる。 なにげない装飾音符が実はいい味出してて、計算され尽くしてる感じ。 ベートーベンの波乱の人生には敬意を表しつつも、この晩年の作、思い切って肩の力を抜き、気ままに弾いたほうがいいのかもしれないというのが僕の結論。この楽章、吹っ切れたというか開き直ってる感がある。***** 2楽章スケルツォも一応練習した。三拍子をひとつで数え、モーレツな速さで弾かなければならない楽章。 この楽章で特筆すべきは47小節の刺客。第1バイオリンがアクロバティックに上下(しかもヘミオラ)している下で、他の三人がユニゾンで同じことを47小節繰り返すという修羅場。 当然、不協和音になってしまう小節も出てくるわけで、なにがなんだかわかんなくなる。悲鳴、狂乱、混沌。 今回覚えた音楽用語「オスティナート ostinato」。執拗なまでに同じことを繰り返すこと。 パッヘルベルのカノンとかラヴェルのボレロとかもオスティナートの一種らしい。 曲は引き続きシンコペ大合戦が繰り広げられ、結局最後はフォルテでやはり唐突に切り落とされる。 ちなみにチェロのチャールズったら、この曲、弦を押さえる左手の指が足りなくなるみたいで、アゴで弦を押さえるという必殺技を披露してくれた。一同大爆笑!
Jan 27, 2008
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月に一度、ニューヨークリンカーンセンターで日曜の朝に催される「モーニングコーヒーコンサート」シリーズ。休憩なしの一時間一本勝負。 今日は、イタリア系スコットランド人バイオリニスト、ニコラ・ベネデッティ氏がなかなか強気な演目をご披露くださった。彼女、は、ハタチ?www.nicolabenedetti.co.uk ブラームス:スケルツォ楽章(FAEソナタより) ブラームス:ソナタ3番 サン=サーンス:序奏とロンドカプリチオーソ ラヴェル:ソナタ (アンコールは「タイスの瞑想曲」) 堅実な演奏というのが第一印象。音が硬くて輪郭がハッキリとしていた。特に1曲めのブラームス「ファラミの歌」。 ラヴェルのソナタも、一音一音、流されずにキチッと弾いてて、ピチカートも痛々しいまでに気合いが入ってた。 こんなに正統派だったなんてちょっと意外。 ……なんて偉そうなことを書いてしまったものの、実のところは彼女の美貌に悩殺されてしまい、音楽的なことはあんまり覚えてなかったりするのも事実(笑)。胸元といい背中といい、激しくお肌を露出なさってたし。 彼女と対照的だったのがピアニストのアレクセイ・グルニュク氏 Alexei Grynyuk。学級に一人はいるタイプ。長髪に眼鏡で、地味な風貌なのは否めない。 ニコラ嬢って、ビボーを武器に世界を席捲する女王様キャラなのか思いきや、立ち振る舞いは実に謙虚。舞台上から観客に律儀にご挨拶。ぶりぶりブリティッシュな話し方。 終演後には、隣接するギャラリーで演奏家を囲んで簡単な懇親会が開かれるのもこのシリーズの魅力。僕は午後にオケの本番を控えていたので泣く泣く退散した。(於: ニューヨーク、リンカーンセンター内ウォールターリードシアター)
Jan 27, 2008
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今日はブルックリンの教会にてオーケストラの演奏会に出演しました。合唱団と合同でバッハのロ短調ミサ全曲。僕はビオラの1プルト裏で弾きました。 ここだけの話、数え間違えて飛び出したり落ちたりして、隣で弾いてる首席のマイケル氏に睨まれた箇所もあったものの、個人的には満足。なんとか無事に二時間強の本番を終えられました。 明日も同演目で本番です。マンハッタンに会場を移します。 それにしてもスンゴイ曲です。 単純なドミソの主和音ですら独特の響きに聞こえる。深淵、幽玄、荘厳。 オケや合唱が一体となり、音程もビシッと合って、でもってフェルマータの締めがバシッと決まると、それはそれは鳥肌が立ちます。教会内に余韻が響き渡って、ここはどこ、わたしは誰?状態。 独唱あり、管のソロ、弦のソロあり、大合唱、大合奏あり。手を変え品を変え、いろいろな種類の音楽が27曲も提示されるこの曲。今日本番を踏んでみて、やはりどれもがいとおしく、一曲たりとも抜けてはならないものであることを再認識したわけで。 この冬の練習の苦労が報われた気がしました。暖房のあまり効かない練習会場でみんなで凍えながらこの大曲と格闘したことも、今となっては大切な想い出です。 終演後、アルフレード君(ビオラ)とR子さん(バイオリン)とともに帰路につきながら、やっぱり本番の演奏が一番良かったねーということで意見が一致。こんな大曲に取り組めたなんて、僕らは恵まれています。
Jan 26, 2008
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「バロックンロール」 これ、モーヲタなら絶対に外せない隠れた名曲かもしれない。 今日練習したモーツァルトのソナタは、珍しく楽章がひとつしかない。実は未完で、誰かが補筆したらしい。 ゆっくりとしたテンポの前半部分も渋いけれど、なんてったって後半、一転してアレグロとなってからがいい。短調。フーガ。ほとんどバロック音楽。バイオリンが独りで弾き始めて、声部がどんどん増えていく。 もうどうにも止まらない切迫した感じが魅力。 実際、このフーガはピアノパートが難しいらしく、ピアノ弾きセスさんのご希望によりテンポをかなり落として練習した。複数の声部を同時に弾かなきゃならず、ちょっと手こずっていらっしゃった。 短い曲だし知名度は低いものの、フーガ好きの僕としては、早速お気に入りの曲として登録決定。***** ところで、モーツァルトが書いたバロックちっくな曲と言えば、「アダージョとフーガK546(ハ短調)」が思い浮かぶ。 ↑弦楽合奏や四重奏で弾かれる曲だとばかり思ってたら、二台ピアノ版が原曲だそうで(K426)。最近発見した。
Jan 25, 2008
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「ふぞろいな音符たち」 今日はピアニスト(セスさん)とピアノ/バイオリンの二重奏の練習をした。 まずは、半年前にやりかけたままになってたエルガーの1楽章を。 なかなか強烈な出だし。ピアノの下降音型は、ブラームスのバイオリンソナタ3番の冒頭を思わせる。 あと、強引なまでに音が上下に跳ぶのがこの曲の特徴と言っていい。出だしだけでなく全編について言える。移弦がきちんとできないと雑音が入ったり音にムラができたり。 移弦といえば、分散和音らしきものをうねうねと弾くとこもあってタイヘン。しかも音量指定はピアニッシモとかピアノなので、一音一音を均一に弾くのに苦労する。 もしかしてバイオリンパートよりもピアノのほうがずーっと面白く書かれてるのかもしれない。 でも、ピアニスト氏曰く、「そんなにいい曲とも思えないけど」。 エルガー好きの僕としてはちょっとムッとしたものの、彼を説得できるほど当方も弾きこなせてるわけではないのが悔しい。 いつの日かピアニスト氏を見返してやりたく、再度持ち帰って(猛)練習するゾと誓った次第。 曲は短調で険しく語り続け、ピカルディ終止で半ば強引に幕を閉じる。
Jan 25, 2008
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今週末は合唱団と一緒にロ短調ミサ(バッハ)の本番 in ニューヨークです。かなりの小編成でして、弦なんて各パート三、四人ずつ……。 バッハの声楽曲にこんなにマジメに取り組んだのは初めてでして、いろいろと勝手がわからず。 先週のリハーサル この曲、全部で二時間の長丁場。一曲一曲は短いものの、全部で27曲もあります。 実際には曲によって編成が異なるため、オケや合唱の全てのパートが全27曲に参加するわけではありません。低弦はおそらくそうでしょうけど、僕ら(=ビオラ)は弦のなかでは最も出番が少ない。半分ぐらいは休みです。 で、これが意外にツラいのであります。休みが多いぶんラクなはずなのに。 そもそも我々弦楽器奏者は休むことに慣れてないし、弾きっぱなしのほうがなぜか疲れない。 アタッカでそのまま次の曲に突入する場合も多いので、曲がまるまる休み(タチェット tacet)であっても、いつ終わるかはきちんと把握しておかなきゃならない。しかも、どの曲も起承転結なくまったり進行するので、耳で覚えにくい。やっぱりきちんと数えるしかないのです。休みの曲だからといってこっそり仮眠をとることも許されないのであります。 交響曲などの練習でときどき打楽器や金管の奏者が嘆いてる理由がようやくわかりました。 これまで四半世紀近くオーケストラで弾いてますけど、こんなに体力的、精神的に疲れる曲はなかったかも。第九やメサイアとかとも大違いです。譜面づらは全然難しくはないのに120%集中してなきゃいけないのって、なんか損した感じ。合唱の人たちの息継ぎの場所も一応は把握して弾かなきゃいけないし、いろいろ気を遣います。 なにより、文字通り短調の曲が多く、地味、暗い、重苦しい。スカッと爽やかな音楽が恋しくなる。 思わずまわりの仲間たちに愚痴ってしまいます。すると、「んー、でも、受難曲に比べればまだマシだよー」と慰めてくださいます。←ぢゅ、ぢゅなんきょくっ……?***** ま、文句ばっか言ってないで、せっかくの機会ですから本番は存分に楽しむつもり。 音楽的には実に奥深くて、いろいろ研究できそうです。曲ごとに調性(というかシャープの数)があんまり変わらないし、一貫した音楽性が保たれてる点もスゴい。しかもピカルディーの三度で終わる曲も多く、その点ではビオラも活躍します。
Jan 23, 2008
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「昼下がりの上司。」 デンマーク映画界の奇才、鬼才、鬼門?、ラース・フォン・トリアー監督の映画 The Boss of It All を鑑賞した。「奇跡の海 Breaking the Waves」や「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の監督。 www.direktorenfordethele.dk/index_uk とある会社が舞台のコメディ。社長不在のその会社で「社長のふりをしてくれ」と雇われた俳優が主人公。奇人変人の集まるオフィスで彼が経験する日常、非日常が描かれている。 コメディのはずなのに正直言って全然笑えなかった。デンマーク流ユーモアなのかもしれないけど、あまりにブラック。 例えば、アイスランド人とデンマーク人との確執、みたいなのも要素のひとつにあって、お笑いの難度高し。 独特の「間(ま)」といい、皮肉めいた台詞といい、頭のいい人ぢゃなきゃ理解できなさそう。笑えない自分がもどかしくもあり哀しくもあり。 ほんとにデンマーク国民はこのテのコメディを観て笑うのだろうか。それともこの監督が「狙いすぎ」なだけ? いや、あるいは、僕自身が単純明快でアメリカンなコメディに慣れてしまってるせいで、ちょっとひねった笑いを理解できないのか。 完敗。映画全体を支配している感性が自分と異なっていた。 ちなみにデンマーク語って、固すぎず柔らかすぎず、なぜか眠気を誘ったりもし。***** 同様に会社を舞台にしたブラックなコメディといえば、近年では英国のテレビ「オフィス The Office」。アメリカでも異例の大ヒット、しかもリメイク版まで出た。 会社員生活を少しでも経験したことのある人なら共感できるはず。勘違い上司ってどの会社にもいるし。 www.wowow.co.jp/drama/office
Jan 20, 2008
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来週末、オケの本番でバッハのミサを弾くことになっている。合唱団と共演するのはなかなか面白い。 合唱団って、何十ものパートが入り乱れてるオーケストラとは異なり、基本的には混声四部SATBの四パートのみ。第九やメサイアなどで、これまでも日本やヨーロッパ、アメリカでいろんな合唱団を見てきたけど、オケ同様、合唱団にもパートごとに共通の特徴があるようだ。 極言を恐れずに一般論と称して書き出してみると、例えば……、* ソプラノは金髪。化粧が派手。ショールとかの羽織りものを好んでご着用。* アルトは我が道を進むタイプ。東欧とかの出身で、翳りのあるオンナ。* テノールはやせてる。いつもご機嫌でノリがいい(軽い)。そばかすに眼鏡。* バスは黒髪、あごヒゲ。南欧か南米出身。いつもタートルネック。 以下も筆者の独断と偏見につき。 合唱の人って団結力がある。気がつくと一緒に体操したり発声練習してる。 それにすごく礼儀正しい。いつも笑顔。周りにも気を遣ってる。 指揮者の指示にもきちんと頷いて反応するだけでなく、「はいっ、わかりましたぁ、マエストロ!」だの、律儀に声に出して反応するのも合唱隊。我々オケも見習わないと。 指揮者のくだらない冗談にもいちいちケタケタ笑ってあげるのもたいてい合唱の人。偉すぎ。人間ができてる。 オケの人でちゃんと笑ってるのは、金管とコントラバスの一部ぐらい? あと指揮者の至近距離にいる弦の1プルトの人も強制的に笑わされてる。 考えすぎかもしれないけれど、声楽をやる人って、宗教曲は絶対に避けて通れないぶん、自ずと神の加護とか人類愛とかに包まれた優しい人間になってしまうのであろう。 合唱団員は練習後も社交的。指揮者に差し入れしたり、オケの人に「お疲れさまでした」と温かく声をかけまくる。 一方、オケメンたちは練習が終わったら即退散。楽器をひょいっと背負って夜のしじまへと消え去ってゆく。***** 何年か前にアメリカの片田舎で、チャイコの「1812年」序曲を合唱付きという珍しい版で演奏したことがあった。しかもご丁寧に児童合唱まであって。 普段からアメリカのガキんちょの奔放ぶりにいたく感心申し上げていた筆者としては、児童合唱団との共演は不安であり、決死の覚悟でリハーサルに臨んだが、あまりにおマセで大人な態度の彼らには拍子抜けしてしまった。 そーいえば日本でも、なんとか少年少女合唱団だったかN児だったかは、徹底的に礼儀作法から鍛えられるみたいで、共演する国内外の団体から高い評価を得ているらしい。恐るべしお子ちゃまたち。 結論。あらゆる分野のあらゆる音楽家のなかで、最も行儀がいいのは児童合唱の子たちである。
Jan 17, 2008
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僕のまわりでは、室内楽の練習をする場合、たいてい誰かの家が会場となります。 日本の住宅に比べれば豪邸級の家も多く、そういう点ではアメリカの楽器弾きたちは恵まれてると言えましょう。 今までもいろんな人のお宅にお邪魔して練習させてもらいました。狭いながらも我が家が会場になることもたまにあります。 誰の家で集まるかというのは意外に難しい問題。 一番理想なのは、譜面の蔵書が充実している家。例えばカルテットで誰かが遅刻したりドタキャンした場合、トリオの譜面があれば便利。それに、次回の練習予定をたてるときも、曲をその場で決め、直ちに譜面を配布できれば手っ取り早い。 あと個人的に思うのは、練習室の床は、カーペットよりは板張り/コンクリートのほうが適してるということ。特にブラームスのような「1拍めのない音楽」を合わせるときに、足を踏み鳴らしてカウントすると練習がはかどるのです(笑)。絨毯だと足を鳴らせない。 だから履き物は大切。スニーカーではなく、ちゃんと音の鳴る革靴などを履くように心がけましょう。究極はタップダンス用の靴でしょうか(←半分マジです)。格好の武器になります。オレ様のテンポに従えぃー、みたいな。***** さて、ヒトサマの家で練習するからには、ちょっとした心がけが大切。他人の家に土足で入り、騒音を掻き鳴らすわけですから、意外な言動が命取りになりますし。 円滑な人間関係を維持するコツは、ずばり演奏活動を楽しむためだけに集まると割り切ってしまうこと。音楽以外の「その他のこと」を極力排除した時間の使い方および人づきあいを意識したほうが無難。そのヘンは日本的な感覚とは全然違うかもしれません。 正直、あまりに淡白すぎて、ちょっと寂しいなと思うこともあります。まわりの音楽仲間のなかには、お互いの私生活のことを実はよく知らない人も多いのです。決して立ち入った話をしない、でも一応は何年も長続きしているから、それでいいのかもしれませんけど……。 以下、誰かの家に集まって練習をする場合の心得(アメリカ編)。一、練習開始時間のみならず、終了時間もあらかじめ決めておく。一、その家の住人側は「おもてなし」用のお茶やお菓子などを自発的には用意しない。一、招かれる側もわざわざ手土産など持参しない。自分用の飲み物などは最低限持参。一、譜面台、鉛筆、チェロのエンドピン受け(ストッパー)などは各自で持参。←これヒジョーに大事。一、その家の家族やペットと仲良くしておく。彼らの理解を得るのは絶対に必要。しかし、終了予定時間が来たらさっさと退散。***** 最近、ちょっとした事件がありました。 あるお宅で定期的に室内楽の練習をさせてもらっておりました。その家の奥さんがおもてなし好きの人で、練習のたびにせっせとお茶だの夕食だの用意してくださってました。こちらは別に頼んではいなかったのですが、せっかくご用意いただいたのでありがたくいただいてるうちに、練習後はみんなで食卓を囲むという習慣ができあがってしまいました。こっちは「お構いなく」と何度も申し上げてたのに。 そしたら彼女、いつのまにかそれが苦痛になったようで、結局我々は立ち入り禁止になってしまったのであります……。
Jan 15, 2008
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「年の差なんて」 なんとも静かで渋ーい映画だった。 昨日の日記に書いた「シックス・フィート・アンダー」で不良少女を演じたローレン・アンブローズが、今回は一転、文学少女役。 彼女を含め、登場人物はわずかに三人(プラスアルファ)。年老いた作家(妻とは離別)、彼のひとり娘(40歳独身)、そして修士論文の取材と称して作家に近づく女子学生。 http://www.startingoutfilm.com/ ニューヨーク在住の老作家と若者との交流を描くという設定は、ショーン・コネリー主演「小説家を見つけたら Finding Forrester」(2000年アメリカ)とダブる。でも、もっと切なく苦しい大人な映画。 僕の気に入っているアッパー・ウェストサイド地区の日常風景も満載で、その点は単純に親近感を持てた。 印象に残った場面はいくつかあるけど、興味深かったのは、学生が作家に突っ込んでいくところ。小説の登場人物って、作家自身(あるいは作家の家族や知人など)が少なからず投影されるはず。そして、無意識のうちに作家の私生活が作品に反映されてしまうもの。 あと、ひとりの作家、ひとつの小説が読者の人生に多大なる影響を与えることがあるという事実を踏まえながらも、この現代社会で小説を読む人は確実に減っていくだろうと警鐘を鳴らしてる場面もあった。 女学生は老作家に対して思慕以上の感情を抱いてるようでもあった。そして、作家はそれに応えるべきか葛藤。そのへんの描写が個人的にはちょっと抵抗があった。 役者陣が地味だし、題名が長ったらしく意味不明なので敬遠されそうなものの、なんか大きな賞でも獲れば日本や海外で配給される可能性はあるかも。今日の映画館、一応混んではいた。 トリビアとしては、作家の娘役のリリ・テイラー、やはりドラマ「シックスフィートアンダー」に重要な役どころで出演していたので、ローレン・アンブローズとは再共演ということになる。
Jan 12, 2008
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「死と乙女」 2001年から五シーズンに渡って全米で放映された「シックスフィートアンダー」は、自分がアメリカに住むようになって初めてハマッたドラマ。 日本でDVD化されてるのかはわからないけど、「24/トゥェンティフォー」のスピード感とは対照的に、ねちねち、どろどろと物語が進行していく。テーマはずばり「死」。シックスフィートアンダーという題も、棺桶を地中に埋める深さ(6フィート)に基づいてる。 www.hbo.com/sixfeetunder ロスアンジェリス郊外に住むある家庭が舞台。大黒柱を失った未亡人とその子ども三人(長男次男は既に成人)に襲い掛かる悲劇。皮肉にも葬儀屋を営んでる家族で、とにもかくにも暗い。笑顔の全くない家庭。 人類はみな平等であるべきかもしれないけど、実際はあまりに不公平。誰もが死と隣り合わせ。 思いつく限りのあらゆる人間の欲望、そしてそれによってもたらされる不幸が次々と描かれており、観てて気持ち悪くなるのだけれど、放映当時はご丁寧に毎週観ていたワタクシ。 しかも日曜夜のコマ。翌朝から爽やかな一週間が始まるはずの週末最後のひとときに、せっせと他人の不幸話を垣間見ていたわけで……。 脚本がすごくよく書けてるし、見事に芸達者な役者ばかり。そして何よりオープニングが秀逸。エミー賞だかを受賞したほどの名作! ←強烈な印象の残る映像と音楽(動画) ピアノの不協和音、弦の乾いたピチカート、オーボエの冷たい旋律。変拍子。 一羽のカラス。枯れゆく花。目を開いたままの死体。 そして、この木なんの木、気になる木……。 見事としか言いようがない。NHK大河ドラマみたいに荘厳なオープニングもいいのだけど、こうゆう不気味な音楽と映像美にも唸らされる。***** 主役の家族四人のうち、このドラマの真の主役だと僕が勝手に思い込んでるのが末娘のクレア。どうしようもない不良少女なのだけれど、最終回で彼女の人生がすんごい展開になることが明らかになって感慨にふけってしまう。 クレア役のローレン・アンブローズはほんとに存在感のある役者で、僕が現在最も注目しているアメリカ人女優。たまにニューヨークの舞台で芝居している。 ちょうど今、彼女の出演する映画が公開されてて、このたび観に行く予定なのであります!
Jan 11, 2008
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「今日の論点。」 二年前にやりかけて中途ハンパになっていたモーツァルトの三重奏。その後もジェーン(ビオラ)とケーティー(チェロ)とは、顔を合わせるたびになんとなく話題にはなっていて、ついに本日この曲の練習を再開することになった! それにしても長大な曲。全六楽章、一時間近くもかかる曲をたった三声でやらなきゃないなんて、ちょっと強引。であるからして、難しい楽章はさっさと諦め、第1、4、6楽章のみに取り組むことにした僕ら。 いやぁ、実際に弾いてて自分の心拍数がいつもより上がってるのがわかる。 なんとか楽しく弾けたのは終楽章(6楽章)。モーツァルト以外の何者でもない8分の6拍子。「狩り」のパクりとも言える。 今日の論点は4楽章の変奏曲。ミノーレのフラット軍団がはけて、ビオラが勝利の旋律を弾くマジョーレ部分。 えーっと、こういう箇所で奏者間の力関係や各人の俺サマ度が明らかになるわけで、誰が主導権を握るかで、僕らはちょっともめてしまった。 メロディーを弾いてるのはビオラ。 そして、最も細かい音を弾いてるのはバイオリン。 だけど、ベースのリズムで支えてるのはやっぱりチェロ。 そーいえば以前、「死と乙女」の2楽章を練習中、こうゆうとこで大喧嘩になったのを思い出した。 だから、僕は今日はおとなしく流れに身を任せつつ、さっさと弾き逃げ。 特定の人が仕切るのでなく、どうせ三人しかいないんだし、ちゃんとインテンポのまま仲良く弾いていこう、みたいに丸く収めて。 実際、考えようによっては四重奏よりも弾きやすいのかもしれない。自分のほかには二声しかないわけだから、あんまり耳を澄まさなくても自然に両者の音が聞こえてくる(はず)。 カルテットばかりに慣れちゃうと、良くも悪くも、自ずから各パートの主従関係を把握しながら弾くクセがついてくる。 白黒はっきりさせながら弾くことも大切だけど、メロディーと伴奏という図式が成り立たず、メロディーかつ伴奏というようなのが多いのが弦楽三重奏の特徴と言ってもいい。 ……いろいろ考えてたら、どっと疲れた。また二年間封印することになりそう。
Jan 10, 2008
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「反転ワールド」 モーツァルトのクインテット集のなかからハ短調のを弾いた。Vn1トーニー、Vn2ジェニー、Va1マーティン、Va2僕、Vcピーターの五人で。 弦楽四重奏にビオラがもう一本加わっただけで楽しみかたが180度変わるのには改めて驚いた。カルテット特有の角ばった四角形の緊張感から解放され、五角形というか円い世界に生きる安心感、安定感がそこにはある。 それに、このハ短調K406って、ト短調K516とかハ長調K515の陰に隠れながらも、ほんとは名曲中の名曲。中低弦が厚く重くなりすぎないようにうまく処理されてるのもお見事。 冒頭の「いかにも」なハ短調音型(ドー♭ミーソー)をユニゾンで弾くのはなんか照れくさいのだけれど、次から次へといろんなフレーズが出てきて飽きることがない。そしてどれもが耳に優しい。「運命」の動機とか小ト短調交響曲とか、どっかで聞いたことのあるようなフレーズばかりで親近感を覚える。 特筆すべきは3楽章メヌエット! スコアをボーっと眺めてるだけでも頭の体操になる。 まずはカノン。ハイドンの「五度」カルテットのメヌエット楽章のパクり? 何がスゴいって、第1バイオリンとチェロの輪奏を軸としながら、ほかのパートが心憎い動きをしてるところ。 そしてトリオに突入すると、今度はなんと上下反転攻撃。 ところでこの曲、自身の別編成の曲K388を編み直したものらしいけど、弾いててそんなに違和感はなかった。 強いて挙げれば、全曲にわたり基本的にフラット三つ(ハ短調または変ホ長調)のままで書かれてるのが「らしくない」ように思ったし、第2ビオラを弾いた自分としては、休みが何十小節も続いて完全に蚊帳の外になるトリオ部分(上記)が、ちょっと寂しかったことぐらい。***** そんなこんなで、みんなでワイワイしゃべりながら楽しく弾けた。弾いてる時間よりウンチク垂れ合ってる時間のほうが長かったかも(笑)。 このテの「室内楽パーティー」は、そう気軽に参加できるものでもない。準備もすごく大変だし、知らない人と弾くのは緊張する。でも、今日もいろんな人と知り合えて有意義だったと思う。 またいつの日か是非! ショスタコを練習してる人びと
Jan 6, 2008
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「め組のひとびと」 今日は「ザ・新春大室内楽祭り」なるものに参加してきた。個人的には、既に元旦に弾き初め大会をやったばっかだし、今日のパーティーは遠慮しようと思ってたけれども、ニューヨーク近郊の名手が多く集まるらしいとの噂を嗅ぎつけ、結局ご出陣。お祭りは嫌いぢゃない。 実際、すごく賑やかな催しとなった。しかも、ワタシとしたことがいつの間にか仕切ってるし。←ちょっと後悔。***** さて本日の一曲め、このテの集まりでは絶対に外せないメンパチ先生。お約束。 1楽章のみを練習した。 今日の面子は、トニー、クローディア、ジェニー、僕の四人がバイオリン、ブライアンとセスがビオラ、ピーターとクリスチャンがチェロ。一部の人とはちょうど二ヶ月前に集まったときに一緒に弾いている。 第1バイオリンだけが別格の感がある楽章だけど、でも各パートがそれぞれ充分に楽しめて、あんまり不公平には書かれていない。そのあたりがメンデルスゾーン少年のスゴいところ。この曲をきっかけにメ組に入門する人は多い(はず)。 常にいろんなことに気を配りながら弾かないといけない。一体誰とハモるのか予断を許さないし、突然超ド級のソロが出てきたりして気が抜けない。 僕が今日弾いた第4バイオリンには、1楽章後半に実においしい旋律が回って来る。この曲のハイライトのひとつかと勝手に思う。 ほかの要注意箇所といえば、うねうね攻撃のとこ。第2バイオリン奏者のウデの見せどころ。やがてほかのパートの人も合流して大ユニゾンになるのだけど、シンコペを従えてこれを独りで弾き始めるのには意外に度胸がいる。 モーツァルトのディベルティメントK136のセカンドに似てるよーな似てないよーな。 みんな「おぉー、カールフレッシュだぁっ!」と叫びながら弾いてるし。←バイオリンの教則本のひとつ。***** この曲って、なんていうか人生の縮図みたい。基本的には八人八色。たくましくソリスティックに歩んでいかなきゃいけない。でも、誰かをそっと支えたり、かと思ったらみんなで手を取り合っての共同作業。均衡感覚も当然大事。それに、このご時世、空気も読まないといけないわけだし。 年明け早々、いろいろと考えながら弾いたのでありました。↑一方、弦楽六重奏曲1番に取り組んでいるブ組のひとびと。
Jan 6, 2008
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米週刊誌「ニューズウィーク」年末年始号に興味深い記事を発見した。特集2008年を斬る!この人に注目(音楽編)。 ずばり、今年はアメリカ国内でクラシック音楽が大流行するのではないかという大予言。 その根拠は、日本で言うところの「のだめ」や「熱狂の日」のような類いのものではなく、なんと指揮者グスターボ・ドゥダメル。この記事では彼を神童 Wunderkind と祭り上げ、バーンスタインの再来とまで言いかけてる。そこまで言う……。 http://www.newsweek.com/id/81375 彼が注目されてる理由は、その若さと才能。そして、ユースオーケストラを熱心に指導していて、かつ出身が南米(ベネズエラ)である点。アメリカ国内の人口の多くを占めている中南米系がもっとクラシック音楽を聴くきっかけになるかも、と記事はほのめかす。 なかなか考えさせられる。 これまでのアメリカ社会においては、クラシックは白人富裕層が聴くものという暗黙の前提があった。事実、演奏会の入場料収入よりも、スポンサーによる寄付で運営が成り立ってるわけだし、業界が白人富裕層を対象に働きかけてきたのは当然と言えば当然。「移民and/or庶民」はなんとなく無視されてきた客層かも。 僕の勝手な印象だけど、プロオケを見てると、アジアやロシア/東欧出身と思われる奏者がどんどん増えてきてる。演奏会場において、聴衆の人種分布と奏者の人種分布が微妙に異なってるような気がするのだ。アメリカだけの現象だろうか。 そして、そうこうしているうちにラテンの時代がついに到来? 確かに、ピアソラやオズワルド・ゴリホフなどの作曲家のおかげで、以前からなんとなく中南米ブーム到来の機運は漂っていた。 勝手ながら密かに注目してみたい。***** そういえば、僕の所属してるニューヨークのオケでも、最近はチラシや招待状を英語とスペイン語の二ヶ国語表示にしている。 昨秋のブルックリン会場での公演では、中南米系と思われる方がたが大勢聴きに来てくださってたのをふと思い出した。
Jan 5, 2008
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2008年がいよいよ始動。新しい手帳を使いはじめて一週間が経つ。 近年うすうすと感じてたことだけど、周りの友だちはどんどん電子手帳派に改宗している。携帯電話と一体化してるやつで、バリバリ仕事がデキると周りに思わせるにもってこいの小道具。 今どき僕みたいに紙製の手帳とペンで予定管理してる人なんて少数派? 自分でも古風で保守的かと思う。でも、誰に何と言われようと手帳だけは電化したくないのだ。ただでさえ手でモノを書くことが少なくなってきてるわけだし、最後の砦のような気がして。 そういえば、英語の表現で to pencil in というのをよく聞く。「予定を入れる」という意味で、文字通り鉛筆で手帳に書き込む画が浮かぶ。 改めて考えてみると、なかなか味のあるイキな表現。 じゃ、今度の月曜、押さえとくね。Let me pencil it in for Monday. ……電子手帳派の奴がそう言ってるのを聞くと、思わず突っ込みたくなる。鉛筆使ってないやん、お前。 最近、日本語でも外国語でも、こうゆうちょっとした言い回しが時代とずれてるのに気づいてハッとすることが多くなってきたよーな。***** さて、手帳の話に戻すと。 自分の場合、この十年ほどイギリスの某メーカーの手帳を使いつづけてきた。知人に勧められて使い始めたもので、意匠が妙に気に入っている。 外側の革のカバー部分はそのまま。中身の冊子だけを毎年差し替える。イギリスからわざわざ取り寄せる年もあれば、訪英した際に店頭で買ってくる年もある。 でも、今年はその手帳を買うのをやめた。たまたま見つけた別の種類のもの(北欧製の)に変えた。 今までのに不満があったわけじゃないけど、そろそろ潮時かと思ったから。慣れきった日常と敢えて訣別することも意外に大事なことだったりするし。 手帳そのものの電子化とまでは踏み切れない僕が言うのもナンだけど、そんなわけで、ちょっとだけ心機一転な新年を迎えることができたのでありました。追記: 手帳、すなわち自分の今後の予定を記すものを、イギリス英語圏だとダイアリーと呼ぶ。 ダイアリーって言ったら、過去のことを記録しておくものだとばかり思ってたのに。 じゃあ「日記」のことを何と呼ぶか。(たぶん)ジャーナル。
Jan 4, 2008
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「兵士の物語 Histoire du Soldat」 クリスマスから年末年始にかけ、こちらアメリカのニュース番組とかで必ず放映されるお約束映像がある。 戦地に出向いてて家族と離れ離れになっている兵士からの「ビデオレター」。 あるいは、一時的に帰国、帰省する兵士を、空港で妻と幼な子が出迎えて再会する場面。 映像はうまく編集されてて、スローモーションになったり、背後に感動的な音楽が流れてたり。 スタジオのキャスターったら涙ぐんでるし。 アメリカ人って、こうゆうのにマジで弱いみたい。一方で、「なんだかなぁ」と冷めた目で見てる非国民の僕。***** で、突然ながら「運命の絆」という映画を思い出した。 七人の息子を持つ母親をスーザン・サランドンが主演。 長男だか次男だかは兵士として戦地に行っている。ある日、その戦地にて爆撃があったとの知らせが入り、揺れ動く家族。しかも当人の安否はなかなかつかめず。 愛と感動のお涙ちょーだい的な場面は、もちろん言及に値するけれど、ここでは割愛。 僕が最も印象に残ってるのは、父親のアレルギー体質について描かれてるとこ。 原因不明の症状に悩む父、何に対してのアレルギー反応なのかがわからず、家族全員をも不安に陥れる。 ワタクシごと。 アメリカに住むようになって半年だか一年経った頃、僕もいきなり湿疹が出て悩んだことがある。一種のアレルギー反応だろうと医者はいろいろと調べてくれたけど、結局はっきりしなかった。で、いつのまにか治って、ほんとに一時的な症状だった。 僕の周りのガイジン仲間でも似たようなナゾのアレルギー体験を持つ人が多い。 海外での新生活において、例えば水とか花粉とか、身体が慣れ親しんでないその国の何かが少しずつ体内に蓄積され、あるとき一気に「アレルギー反応」となって現れる、という説がいちおう有力。あくまで僕の周りでは。 この映画でも、息子のひとりが父親のアレルギーの原因を大解明する名場面があって、なんか妙に強く印象に残っている。 って、そうゆう内容が本筋の映画ぢゃないんだけど。
Jan 3, 2008
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「私は下位になりたい」 正月という概念があんまりないこの国では、元旦といえども世の中は普通に動いてる。お店もだいたいやってるし。 今日は音楽仲間で賑々しく集まってお茶(&お酒)。互いの近況や今年の抱負なぞ語らいながらの緩く暖かい昼下がり。 で、そのまま解散するわけなどなく、さっそく有志で新春弾き初め大会。ピアノ五重奏。 当初予定していた奏者がドタキャンしたものの、急遽近所のファゴット吹きを強引に呼び出し、シューベルト「鱒」を演奏。(ピアノ:ジョアン、バイオリン:僕、ビオラ:セス、チェロ:ルース、コントラバス/ファゴットで代吹き:ジム) ジョアンと僕は昨年の九月にこの曲に挑戦しているのだけど、チェロのルースは初挑戦とのことで、かなり気合いが入っていた。そしたら彼女、妙に居心地の悪さを感じる曲だとおっしゃる。 どういうことかというと、彼女はいつもカルテットとかでベース音を弾いてアンサンブルを下から支えることに慣れている。なのに、この曲のチェロパートの音域はいわばブービー。自分よりも低い音を担当する人がいるのが新鮮であり、同時にちょっと戸惑ってるみたい。「最低」なほうが好きかもというチェリストの心理って面白い。***** でも、チェロ弾きにとってはやっぱりおいしい曲。ベース音をコントラバスに任せて、気ままに旋律を奏でられるとこも多いわけだし。 ウィーンの(19)世紀末を予知してるかのような音楽が一瞬登場する。例えばクリムトとかの芸術観(=官能と退廃?)。 もしかしてシューベルトって意外に前衛作曲家なのかもしれない。 この曲で言えば2楽章。 ここ、ブラームスだったらビオラとチェロを逆転させる可能性あり。 こういうウィーン世紀末系、マーラーの巨人3楽章「雪の降る街を」(笑)の雰囲気をも彷彿させる。
Jan 1, 2008
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