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承久の乱
において同月に幕府側は御家人を参集させ京へ向けて軍勢を発し、甲斐源氏の
武田信光
・
小笠原長清
は東山道大軍将を任命されており、東山道軍は主に甲斐・信濃の武士で構成されている。
承久の乱が平定されると公卿の内、前権中納言・ 藤原光親 を信光が預かり、 源有雅 を長清が預かる。吾妻鏡』によれば、光親は同年7月12日に鎌倉へ連行される途中、駿河国車返において鎌倉使による命令を伝えられ、甲斐 籠坂峠 で処刑された。一方、有雅は甲斐 稲積荘 古瀬において処刑されている。論功行賞においては甲斐源氏の一族は畿内・西国の守護職に補任され、甲斐源氏の西国進出のきっかけとなった。
甲斐源氏の信仰
平安時代後期から鎌倉時代にかけて、甲斐源氏の一族は 仏教 に帰依し、本拠地に数々の寺院を創建した。
特に源氏の氏神である 八幡神 を勧請した 八幡信仰 、八幡神の 本地仏 とされた 阿弥陀信仰 、平安後期の 末法思想 に伴う 浄土信仰 は盛んで、甲斐源氏の頭領である 武田信義 は本拠の武田郷に 武田八幡宮 ( 韮崎市 )を創建したという。
また、武田八幡宮に近接する 願成寺 (韮崎市)を再興したとされ、願成寺には本尊の阿弥陀三尊像が伝来しているほか、 甲斐善光寺 にも同様の阿弥陀三尊像が伝来している。
峡東地域においては 安田義定 が創建したとされる 放光寺 (甲州市)に本尊の大日如来像のほか 愛染明王 像、不動明王像など 密教 に関する諸仏が残され、特に愛染明王坐像は遺例の少ない「天弓愛染」像として知られる。 加賀美遠光 の進出した西郡地域では 宝珠寺 ( 南アルプス市 )に大日如来及四波羅蜜菩薩坐像が伝来しており、大聖寺(身延町)に伝来する不動明王像は遠光が 高倉天皇 から下賜されたとする伝承を持つ。
ほか、甲斐源氏の一族は 時宗 や 日蓮宗 など 鎌倉新仏教 にも帰依し、時宗では二世 他阿真教 が甲斐を遊行している様子が『 一遍上人絵伝 』などに描かれ、真教に帰依した 一条時信 の弟 一条宗信 (法阿朔日)が 一蓮寺 ( 甲府市 )を創建している。
日蓮宗 の開祖である 日蓮 は『 立正安国論 』を著し 鎌倉幕府 へ進言を行うが、 文永 8年( 1271 年 )に 鎌倉 から佐渡島へ追放される。日蓮は文永11年( 1274 年 )に赦免され鎌倉へ戻ると、同年5月に南部光行の子息・ 波木井実長 に招かれ波木井郷へ居住し、弘安5年( 1282 年 )まで同地で過ごしている。甲斐国には日蓮直筆の 曼荼羅本尊 などが伝来している。
武術 [ 編集 ]
武術 ・礼法にも優れ、逸見氏は武田氏の家臣に組み込まれていったが、甲斐に住した逸見氏は 武田信虎 と対立して流浪の末、 武蔵国 秩父郡 に住んだ。
子孫は江戸時代後期に 溝口派一刀流 の剣術を身に付けて、甲斐源氏の血筋にちなんで 甲源一刀流 を開いた。
さらに鎌倉以来、武田氏と並ぶ勢力を築いた小笠原氏は室町幕府において礼法の家柄として確立した。
小笠原流礼法 と弓術を確立した。公家の竹内氏の傍流の 美作 の竹内氏は、捕手・腰之廻を編み出し、現存最古の 柔術 流派である 竹内流 を開いた。また、 大東流合気柔術 の実質的な創始者で近代最強の武術家とも称される 武田惣角 も甲斐源氏の系譜を称した。
甲斐源氏の一族
甲斐源氏の一族として、南北朝期に陸奥国へ移住した 南部氏 や出羽へ移住した 浅利氏 、始祖武田信広が若狭武田氏の後裔を称する蝦夷の 蠣崎氏 (松前氏)、土佐の 香宗我部氏 らの一族がいる。
また、近世期には甲斐国主となった 柳沢氏 が甲斐源氏・武田氏の後裔を称している。
横田河原の戦い (よこたがわらのたたかい)は、 治承・寿永の乱 の中の戦いの一つ。 信濃 で挙兵した 源義仲 らの諸 源氏 に対して 平氏 方の 越後 の 城助職 が攻め込んで発生した戦い。
治承 4年( 1180 年 )9月頃には源(木曾)義仲、 源(岡田)親義 、 井上光盛 などの信濃の源氏が 以仁王 の令旨を報じて挙兵した。これを受けて市原(現長野市若里市村)の渡し付近で平氏方の 笠原氏 と源氏方の 村山氏 や 栗田氏 との間で前哨戦があったが決着が付かなかった( 市原合戦 )。
それに対して、平氏は信濃に隣接する越後の実力者 城助職 をもって対抗させようとした。
翌治承5年( 1181 年 )6月、城助職は大軍を率いて信濃国に侵攻し、 雨宮の渡し の対岸に位置していた 川中島 平南部の 横田城 に布陣する。それに対して義仲は上州に隣接する佐久郡の 依田城 を拠点に、木曽衆・佐久衆(平賀氏等)・上州衆(甲斐衆とあるが、甲斐衆は頼朝・北条時政方として黄瀬川に参陣しているため誤記と思われる)を集結して北上、 6月13 日 横田河原において両者が激突する。
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