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死んだ祖父母は皇室写真集を買うぐらいの天皇崇拝派で祖父の仏壇写真は文化勲章を貰った時のたすき掛けの写真だ。死んだ叔父も右翼っぽいほどに天皇を崇めていた。逆に僕は毛嫌いするほど皇室制度に反感を覚えていた。亜無亜危異(アナーキー)の歌にもあるように(放送禁止曲)「ただその家に生まれただけで・・・」という思いだった。ところが海外を旅するようになって外から日本を見て皇室への反感というものは序々に消えていった。タイ国王に対するタイ国民の敬意に感動したからだろう。随分昔ならこのような記事を読んだところで「へっ!」程度しか思わなかったのだろうが最近では天皇の存在もいいもんじゃないか、と思うようになった。もちろん皇室写真集なんて買おうと思わないし皇室アルバムなんていう番組も絶対見ない。(笑)近所に来ることになっても沿道で旗振ろうとも思わないし君が代斉唱問題なんてどうでもええやん、とも思う。僕にとって問題なのは、今って平成何年?と悩むことだ。元号は廃止してくれるともっとありがたいんですけど。でも今回の避難所ご訪問は被災者にとって慰めになっただろうなあ。
2011年03月31日
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昨日の日記でアジュラマラカイトのことを「宇宙から見た地球のような石」と表現したが紺桔梗さんのコメントを読んで考え込んだ。そうだ、人類が初めて宇宙から地球を見てからまだほんの50年しか経っていないのである。 ~以下、wikiで検索~ガガーリンの言葉として有名な「地球は青かった」は「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」とか「空は非常に暗かったが地球は薄青色だった」を短縮して伝えられたともいわれている。 ガガーリンの地球周回中の言葉で有名になったものとして「ここに神は見当たらない」というものがある。宇宙から帰還したガガーリンの歓迎パーティにロシア正教のモスクワ総主教アレクシー1世が彼に尋ねた。総主教「宇宙を飛んでいたとき、神の姿を見ただろうか」ガガーリン「見えませんでした」総主教「神の姿が見えなかったことは自分の胸だけに収めておくように」しばらくしてフルシチョフがガガーリンに同じことを尋ねた。総主教との約束を思い出したガガーリンは違うことを答えた。 ガガーリン「見えました」フルシチョフ「同志よ、神の姿が見えたことは誰にもいわないように」(レーニン主義は宗教を否定している)
2011年03月30日
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店頭で販売している天然石リングを磨いていてそういえばこの石は、と思い出した出来事がある。もう20年近く前のネパールでのことだ。深夜に降り立った空港で客引きの誘いのまま泊まった宿はカトマンズのタメル地区にあるフジ・ゲストハウスだった。⇒【詳細は「ネパール集団食中毒事件」参照】タンカや仏具、民芸品、カーペット店が立ち並ぶその地区には大人が抱え込めない程の巨大な水晶が陳列されていたり透明度抜群のヒマラヤ水晶やガネッシュヒマールのようなレアな水晶など天然石の好きな人にとっては飽きの来ない石屋が軒を連ねていた。ある夜、例の如く停電のために談話室に集まった宿泊客達の会話は蝋燭の灯りの下でまるで内緒話でもするような感じだったのだが何かの拍子にこの宿の周辺の店の話題になった。「ここを出てすぐの天然石屋の石で凄いのがありますよ」「あ、知ってる!「地球の石」でしょう?」「そうそう、アレ凄く欲しいけど1万円以上するってさ」「ここの宿代が¥500だから、20泊分かよ」「しかしあの石、見てると吸いこまれそうになりますよ」翌日、僕は噂の「地球の石」を見に行った。確かにそれはまさしく「地球の石」であった。球状に研磨された石はまるで宇宙から地球を見下ろしたそのままで海の青と陸の緑が見事に調和されていた。当時の僕はその石の名前も知らなかったしもちろん1万円も出して買ってくるほどではなかった。今から数年前、僕はそれと同じ石を使ったリングをタイで見つけた。「アジュライト」または「アジュラマラカイト」と呼ばれるそれはラピスラズリとマラカイトが混じり合った希少な石だと分かり大事に10点ほど仕入れて来て販売している。 僕の店で販売しているリングがコレ。サイズ11号から15号まで対応のフリーサイズ。石の周りは925シルバー製で、石のサイズは1.8x1.3cm。価格:¥5,900~¥7,800。
2011年03月29日
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面倒な免許更新のために地元の警察署に行って来た。しかし月曜日のせいか警察署の敷地内は大混雑。(隣りの図書館だか美術館が閉館日で駐車場がない)署内の駐車場が空くめどが立たないので頓挫して帰ってきた。今回はあの眠くなるようなビデオを1時間ぐらい観るだけで即日更新可能であるが、過去に3ヶ月の免停を喰らったことがある。たった48キロオーバーしただけなのにである。今はもっと高いが、罰金は当時8万円。簡易裁判所みたいな所に出頭し、罰金額を知らされた。「24回払いできますか?」と冗談で言ったらクスリともされずに事務的に「できません」と却下されたのであった。講習を受ければ1ヶ月に短縮されるとのことだったが講習代が1万円ぐらいしたので受けなかった。3ヶ月間運転せずにいるのは辛かった、と言いたいところだが翌日から免許なしで通勤していたことはココでは極秘にしておく。
2011年03月28日
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福島第1原子力発電所2号機のタービン建屋にたまっていた水は表面の放射線量が毎時1シーベルト以上だそうである。1マイクロでも1ミリでもない。桁が違う。 ⇒【その情報】では過去の放射能関連事故のデータ。何を基準にMAXとされているのかは分かりません。(各文章をクリックするとリンク先に飛びます)スリーマイル MAX 1ミリシーベルト福島第一 MAX 1シーベルト チェルノブイリ MAX 1750シーベルト(このリンク先情報はホントか!?)広島原爆 MAX 爆心地 103シーベルト(ガンマ線)、141シーベルト(中性子線)爆心地500m地点 MAX 28シーベルト(ガンマ線)、31.5シーベルト(中性子線)広島原爆についてのガンマ線や中性子線というのは僕には全く分からないのであるが福島原発の3号炉はプルサーマルなので中性子を検出されたという報道が数日前にあった。中性子はコンクリートでも何でも通過しちゃうみたいね。ま、あくまでもデータを調べてみました。データやマスコミ、口コミやこのブログを鵜呑みにするのではなく各人で色々調べてみると為になるかもね。このネタでチェーンメール送らないように。
2011年03月27日
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仲良くしていた知人が2年前に自殺していたことを知った。車を買う時は中古車業を経営している彼から買っていた。以前ブログにも書いたが現在僕は中古車の輸出もかじっておりその件で彼に訊きたいことがあり何度も携帯と店舗に電話した。それでも連絡が取れないので不審には思っていた。それで別の知人から彼の自殺を知ったのである。リーマンショックで経営不振になり自殺したそうだ。その頃、時々僕の店に遊びに来ては「経営が苦しい」と笑って話していたがそこまで思い詰めていたとは。以前彼はBARを経営しており、深夜0時を過ぎるとシャッターを閉めて常連だけで煙会宴会をしていた。その店舗の2階が彼の住居になっており夜中に電撃訪問してドアの前で「警察です!」と言うと「斎藤ちゃん、シャレにならんわ。トイレに流すとこだった」とまあ、そんな感じの昔からの付き合いだったのである。彼は決してクリーンな人生を送ってきたわけではない。檻の中の住人になったこともある。(笑)しかし僕らの中では真面目で優しい人物だったのだ。彼の自殺を聞いて無性に腹が立った。生きたくても死んでしまった2万人以上の被災者もいるのにたかが事業にしくじっただけで自ら命を絶つとは腹が立つ。死にたい奴は死ねばいい、そうやって人類は淘汰されるのだ、自殺する奴はそこまでの人間だったのだ、というのが僕の持論だ。死ぬほどに辛い体験をしたのだということは分かるがお悔やみ申し上げます、なんてキレイごとの言葉なんて要らない。いくら知人といえども僕から彼への言葉はこうだ。「馬鹿!馬鹿だな・・・」
2011年03月25日
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先日、岡崎美術博物館に行ってきた。「SWINGING LONDON」という展示会が開催されていて美術館関係者から無料招待券を2枚貰ったからだ。レッド・ツェッペリンやビートルズ関連の展示物開示と共に定員80名で「レッド・ツェッペリン 狂熱のライヴ」というフィルム・コンサートを観ることが出来るということでベリーくんを誘ったのである。東北地震直後ということで、気の優しいベリーくんは「俺達だけ楽しむのは失礼で気が引ける」と言っていたのだが「ここにいても何も助けれん、だったら行こうや」と半ば強引に誘い出したのである。レッド・ツェッペリンは高校時代にベリーくんの部屋で何度も聴きほとんど知っている曲なので是非観たかったのだ。特にファースト、セカンドアルバムは好きなんだよなあ。フィルム・コンサートの会場(セミナールーム)に入ると大きなスクリーンが設置されていて僕達は1番前に陣取った。昔、バンドを結成してボーカルをやっていたベリーくんのことなので始まるや否や当時のように雄叫びをあげながら頭を振り回しまさに狂熱のライヴ状態になりはしないかと危惧したが何とか暴走せずに座って観ていてくれたのでホッとした次第である。レッド・ツェッペリン/レッド・ツェッペリン 狂熱のライヴ価格:999円(税込、送料別)
2011年03月24日
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以前、店に置いておいた募金箱を盗まれたことがある。その時はもう怒りを通り越して情けないやら悲しいやらただただ茫然としてしまった。先日、相模原市中央区でこんな事件があった。⇒【16歳の少女が東北地震の義援金募金箱を盗む】親はどんな育て方をしたんだろう。ニッポンの恥である。お金を盗んだだけでなく、人々の善意を盗んだのだ。それに対してバンコクからこんなニュースが。⇒【タイのスラム街でも日本への募金活動】失礼な言い方だが、よりによってクロントイのスラム街だ。バンコクのスラム街を歩いたことがあるが、本当に荒れている。トタンで出来た掘っ建て小屋で家族が寝起きし年頃の少女は家族を養うために売春すらするという地区である。確かにバンコクでも強盗などの犯罪はある。このニュースだけでバンコクを美化するわけではないがこの2つのニュースを見て僕の心は揺れた。何でもかんでも募金すればいいってもんじゃないが早速店の商品でも在庫が多い商品(正直言って売れない商品(笑))を「この商品の売り上げの100%を地震の義援金にします」とした。
2011年03月22日
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都心の計画停電で交通渋滞が酷いシーンを見ていると駅前のタクシー乗り場も長蛇の列が出来ていた。しかもそれらのタクシーには乗客が1人ずつ乗るだけなのだ。ああいう場合に「相乗り」をすればいいのになあ、と思う。タクシー乗り場に「〇〇方面行き」とバスのように表示して各タクシーに同じ方向に帰る人が3~4人相乗りすればそれだけで交通量が減るし、支払う運賃も割り勘になるではないか。ところで、ヒッチハイクとは心のゆとりの産物だと思っている。俺は数々の国でヒッチハイクをしたことがあるがそれらの国は統計的にいえば日本よりも貧しい。貧しいが助け合う。(貧しいがゆえに、と言った方が適切か)現在、日本でヒッチハイクは案外難しそうだ。高速道路のSAでヒッチハイクをしている若者や外国人は見かけるが一般道では皆無なんじゃないだろうか。過去日記で昔書いたことがある俺のヒッチハイク失敗談を今日発売の雑誌「リバ」に掲載した。 ⇒ 【ヒッチハイク】
2011年03月21日
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Hi, I don't have any word to give you.Because people got lot of problem with last week.God bless you....My English is not good. Any mistake please to forgive me. タイ バンコク sasiさんよりDear Saito,We are so sad about your country attack tsunami & earth Quack,I hope your country recover soon.we every body pray to god every one.Take Care. タイ バンコク rafiさんより Hi..., Mr.Saito and your familyI'm so sad for the north of japan ..and very great to know that you and your family is ok.i'm tell all my staff and they're very happy too to know as well.All the best to you and your family. タイ バンコク Ao & all staffさんよりdear mr. saito about one month am not use inter net.so i can not send to mail u.i think u and ur familly safe from earth quick and thsunami.all ways i'm regarding japan news.if u can send me mail now japan condisation. i will hope visit japan soon.i wish u all the best and good bless u and ur familly. スリランカ コロンボ mangalaさんより dear saito san namaskar ! how are you all ?hope every thing is good with you all. i am so sad about japan and all japanese people. let god be honesty for all worlds.i pray to god for you and your family and all japanese people. ネパール カトマンズ vishnuさんより以上、各国の友人から安否を気遣うメール(原文のまま)を戴きました。被災地の惨状はニュースの通り酷いもので各国からの救助隊が活動し関東地方では当番制で停電をおこなっているため電車の本数が減りガソリンや食糧が供給されていない地域もあるが日本で暴動、略奪は起きておらず、国民全員が助け合い、原発事故は現在自衛隊や消防が懸命の消火活動をしています。あなた達の国からの援助、支援に心から感謝しております。 このような返信をしておきました。タイの人達へは俳優達の大々的なチャリティーイベントと義援金及びタイ王国からの大量の毛布支援をありがとうございました。それらは既に受け取りました、と追記しておきました。
2011年03月20日
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ここ数日ブログ更新をしなかったのだが別に忙しかったとか体調が悪かったわけではない。関東地方の計画停電の映像をテレビで観ていて1人ずつが節電することによって停電のリスクが減るということで及ばずながらブログを更新しなかったのである。僕のどうでもいいようなブログを読むことに関東地方の人が1人につき30秒ほど時間を取られなければそれだけパソコン開けてる時間が減って済むとかそうすればいつもより早く消灯出来るのでは、と思ったのだ。それが関東地方の節電に間接的な協力につながるのかなと。まあ、そんなことを突き詰めてしまうと「生きてるのが罪」に突き当たってしまうが。(笑)ここ中部地方は電力も足りていて問題ないので全く自由に電気を使っていられる。皆さんのブログはいつも通り読ませていただいている。【追記:支援物資受け付け始まりました。⇒ リンク先参照下さい】
2011年03月19日
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昨日はなんかとんでもない外国人達が来店した。髪型があんなんなったりこんなんなったりしていて服装も黒の革ジャンにバッジがいっぱい付いてたり鋲(びょう)っていうかスパイクがいっぱい付いててズボンもビリビリで靴もボロボロのブーツである。店の外を見ると日本人だか外国人だか識別不能の青や赤や金や茶の髪の色をした男女が大勢いる。皆さん黒の革を基調にしたファッションで何だかおそがい。はは~ん、雷に打たれた挙句に崖から落ちたんだな、と思いつつそういえば昨日は岡崎のBOPPERSでライヴがあったなあと思い店に貼ってあったチラシを確認してみた。NERVESKADE、from USA とある。そうか、もしかしたらこいつらがそのバンドメンバーか、と思い昨日のライヴはどうだった?と訊くとお客のノリがすごかったぜ、と言う。メンバー達は当店で軍用ジャケットやネックレスなんかを買ってくれて見た目とは裏腹ですごく爽やかでいい奴らだった。隣りの中古CD屋で買った商品を俺の店に忘れてっちゃっておおい、これ忘れてったぞ~、と追いかけるハメになったりメンバーが俺のサングラスどっか行っちゃったよ~、アメージング~、とか大騒ぎした挙句に、あ、ズボンのポケットに入ってた!なんて正直アメージングと言いたいのはこちらであった。(笑)帰り際になんでか知らんけどメンバー達が握手を求めて来て怒涛の30分は終わったのであった。で、ライヴ会場がいっぱいになるなんてあいつらどんな音楽やってんだ?とNERVESKADEと検索してみたらこんなのがyoutubeにアップされてた。おそらくここの訪問者さん達は最後まで試聴することに耐えられないだろう。そもそも何と歌っているのか全く意味不明である。(笑)ではどうぞ5秒から10秒ほど耐えて試聴して下さい。(笑) ⇒【NERVESKADEのプロモーションビデオ 2分58秒】(1分10秒を過ぎたあたりから本演奏が始まります)
2011年03月15日
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無いなら無いで済むモノというものは色々あるが1度手に入れてしまったらもう「無ければ不便」と感じる。その主たるモノは携帯電話やパソコンだろう。ほんの50年ほど前までは手紙や電報で連絡をしていたのに今や「電報」なんて打つ人はいるのだろうか?今日から関東地区全域で輪番停電が実施されるそうだ。そのパニックぶりは先進国がいかに電気に頼っているかが分かる。(それを批難、否定しているのではないので念のため)風任さんが電気について書いているがネパールでは停電が当たり前のように起こっていて「今夜はキャンドルナイトの日だ」と平然としている。カトマンズのスラム街のアパートの4階で居候していた時5階の屋上に上がってダルバール広場の方を見下ろすとロウソクの灯りが至る所でぼんやりと揺れていて地面にカーペットやら雑貨やら衣類やらを並べて露店が出ており異国で強烈なデジャヴーを味わいなぜか涙ぐんだこともある。そんな夜、フッと停電が回復することもあり本来それはありがたいことなのであるが映画館から出た時のような、ラブホテルから朝出てくるような(笑)言いようのない興醒めを味わったのが懐かしい。東海地区には幸い輪番停電はないが、僕はあってもいい。不便だろうが受け容れられる。それが本来の人間の営みなのかも知れないのだから。
2011年03月14日
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チェーンメールがどんどん出回っている。「このメールを出来る限りの人に転送して下さい」というやつだ。皆さんのところにも回って来てるだろう。東北の各県庁宛てに日用品を送って下さい、というのもあるがそもそも道路が寸断されているので届けようがないというかそれ以前にヤマト、佐川、郵便局などは配達業務を停止している。これはヤマトのHPにも最新情報として更新されているし毎日集配に来てくれているヤマト配達員さんからも直接言われた。やみくもにチェーンメールを送るのもいかがなものか?もちろん救援物資が必要なことは分かっている。何かしたいという気持ちも皆同じだ。支援は一刻を争うし、実際に日用品は不足しているだろう。けれど東北各県庁に送って下さい、というのは現実的に考えて無理なのではないか?そこんとこどうよ?追記:⇒【岩手県庁HP 支援物資について】「受け付けておりません」だそうです。
2011年03月13日
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東北地方全域を襲った巨大地震。ありえない程の惨状がテレビ画面で流れている。もちろん被災者にとって代わることは出来ないし救助の手伝いをすることも出来ない。布団で眠れる、蛇口をひねれば水が出る、電気が点く、温かいご飯が食べれる、そんな当たり前のことが実はとても幸せなことなんだと痛感する。現在でもこうやってパソコンの前に座っていられるのだ。何か出来ることはないか?正直、ない。テレビを観て被災者の無事を心から祈っていようがそれで被害が少なくなることはないのだ。とりあえずどこから手をつけていいのか分からないほどで復興なんて言葉すらまだ出て来ない状態。レジ前に義援金BOXを設置したがそれすら偽善的な自己満足に思えるほどである。でも、やらないよりやった方がいいと思って。これから国民みんなで少しでもいいから義援金を送ろう。パソコンからでも送れるようになっている。貯まってるポイントで寄付出来るようになっている。そんなことしか出来ないって歯痒いなあ。国民ひとりひとりがほんの少しずつでもいいから小さな善意を見せる、それしかないじゃん。前を向くしか。
2011年03月12日
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御在所岳の中道を歩くと地蔵岩とキレットの中間点に立岩という岩のタワーがそびえている。そこに行く道はなく、踏み跡もない雪の斜面を下りて行く。ニホンカモシカの新しい足跡が雪の上に残っているだけだ。 小さな森を抜けるといきなり視界が開ける。次男は「すげえ!」と感嘆の声を洩らす。崖の手前に巨岩群が林立しており、その向こうに谷が見える。岩のタワーに手をかけ登ろうとするがあえなく断念。このエリア、野営してみたいなあ。雪の斜面で次男が人拓を作っていた。てかこれ、宇宙人みてえじゃん。
2011年03月11日
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昨日は岐阜県の山に行く予定だったが天気を見て予定を変更し次男と三重県の御在所岳までピクニックに行ってきた。冬期通行止めの鈴鹿スカイライン手前に車を停め今回初めて歩く登山道から登った。途中でいつもの中道に合流してサイコロ岩(地蔵岩)に到着。次男をこの上に登らせようと思ったがここは風が強いので断念。この裏には去年娘と行った大展望スポットがあるのだが急斜面に雪が積もっていてアプローチ出来なかった。更に10分ほど歩くとキレットと呼ばれる場所がある。切り立った岩場を鎖を使って降りる。岩には雪が積もっていて凍っている場所もあるので時々滑る。右手にデジカメを持って撮影しながら降りてみた。午前中は快晴だった空も昼近くになって曇ってきた。この季節の曇天日、樹氷は終わりだし花が咲くにもまだ早いのでロープウェイに乗っている人は非常に少ない。登山道脇に雪だるまを作った。次男も僕も笑い転げながら遊んだ。下山時には猛吹雪になり楽しい雪遊びができた。
2011年03月10日
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昨日は次男の中学校の卒業式だった。参列したヨメは感動して泣いたと言っていたが僕が中3の卒業式の日はちょっとした余興があった。まあ荒れていた時代だったので卒業式当日は式が終わると生徒指導の先生なんかは卒業生からリンチされないようにとっとと雲隠れし教員用駐車場は車がボコボコにされないように立ち入り禁止となっていた程度である。しとしと雨の降る卒業式だったのでそれらの余興は実施されなかったのだが卒業式自体は荒れるどころか大爆笑の式だった。友人のミッチャキ(すみやみつお)はヤンキーでまあ中学時代からシンナー中毒だったのだが彼は式当日に額のソリコミをとんでもなく深くしおまけに眉毛も剃って来たのである。これはいくら何でもイカン、と怒った先生がミッチャキを押さえつけてマジックで眉毛を描いたのだがそれがとんでもなく漫画みたいに太い眉毛になってしまい退場時には在校生や親達の爆笑を誘ったのである。さて、我が家の次男は明日から春休みだし高校も推薦合格してるので今日は一緒に雪山に行ってくる。今年初めてのハイキングなので嬉しいぞ。
2011年03月09日
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我が家では犬コロを2匹飼っている。ごそごそしてて独り言をブツブツ言うルティーさんとその息子のルークさんである。息子のルークさんがおとなしい性格なのでこの2匹が喧嘩したことは1度もない。こうやって並んで寝ていると双子のようでもある。さて、前にも書いたと思うがこの2匹は甘えん坊でいつも台所に立っているヨメの近くに寝ているのでヨメが足を動かす時に犬コロ達を踏んでしまい「キャン!」と叫ぶことがしばしばある。「グギャン!」「クゥワン!」などと叫び声がして「あ、ゴメン!」なんて謝ってる声がするとああ、また踏んだな、と分かるのである。時々内臓が飛び出したり粉砕骨折していたり死んじゃうこともあるが、次の場面では治って走っている。我が家の犬コロは不死身なのだ。(左が父親のルティー、右が息子のルーク)
2011年03月08日
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店のPOP(商品説明の看板)は直筆で書いている。ワードを使って色んな書体で書いたこともあるがやっぱり手書きの方が味が出て良い気がする。 僕の店は外国人のお客さんも多い。よって英語表記やポルトガル語表記のPOPもある。 以前バンコクのどこかの店で商品を買ったらその店のビニール袋に「BUY ME!」と印刷してあった。そういう店の名前なのかどうかは分からなかったがその袋をさげて街を歩いても「買います」という声は掛からなかった。
2011年03月07日
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昔から3月といえば海外に出掛けることが多かった。正月で商品が売れて在庫品薄になったけれども1月は寒いし2月は中華街の問屋が正月休みだし、ってことでそろそろ春夏商材仕入れるか、ってことなんだろう。去年も息子とタイに行っていた。薄寒い季節にアジアに行くのは面倒である。なるべく薄着で家を出て駅に行ってエアポートバスに乗る。バスに乗ってしまえばもう寒くはない。あとは空港に着いて飛行機に乗ってれば現地に着く。現地に着くと早速空港の外で薄い長袖を脱ぎ靴下を脱いで草履に履き替えて市内に向かうバスに乗る。現在のタイのスワナントカ空港は面白くない。以前のドンムアン空港の方が情緒があった。バスや電車で市内に向かうのが一般的だが僕は一時期ある裏技を使っていた。深夜に到着すると市バスは面倒だし電車は走っていない。カオサンから深夜便あるいは早朝便に乗る旅行者を乗せたミニバスは空港の到着ゲート前に横付けされるのであるが旅行者を降ろしたミニバスは空のまま市内に帰るのである。そいつを捕まえて格安で市内まで乗せてってもらうのだ。ドライバーと話をしながらカーステレオの音量を勝手に上げて深夜の街を走るのは面白いものであった。
2011年03月06日
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去年から利用している人達も結構いたが今年になってから爆発的な拡がりを見せているのが皆さんご存知のFacebookだろう。エジプトの民主革命を「Facebook革命」と呼んでいるほどだ。その影にはアメリカの引導があるということは置いといて日本でも急速にFacebook登録者数が増え現在150万人とも200万人ともいわれている。僕も海外で知り合った女の子から登録招待状が来たが当然全員外国人の集まりだったので面倒で登録しなかった。日本国内からも登録のお誘いがあるが面倒なのでやろうと思わない。Twitterのように「今どこどこにいます」みたいな単なるつぶやきは「で?それがどうした?」と感じるだけで終わってしまうのである。Facebookに登録してもそんな「今〇〇やってま~す」的な内容なら全く興味がないし、ただ流行りに便乗して登録することになるだけだ。「じゃあアンタ、何でブログなんかやってんの?」と言われれば返答に窮するのであるが...。要するにFacebookの用途が分からずに手が出せないだけなんだろう。時代の流れについて行けてないということなんだろうな。ていうか、俺そもそもケータイすら持ってねえのだ。(笑)で、ここを訪問されている皆さんはFacebookに登録してるんだろうか?「登録して何かビジネス的にメリットがある」なら教えて欲しい。メリット、デメリットだけ考えてちゃ何も出来ないんだけどさ。
2011年03月05日
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山岳写真家の鈴木毅氏からある依頼を受けた。今度岡崎市で写真展を開く際にキャッチコピーとして先月僕がブログの中で書いていた「イエローバンド」というエベレストの地層独特の用語を使いたいという。先月東京で写真展を開いた際には山岳関係者も多数来場され少々専門的な会話も出たらしいのだが鈴木氏は山登り自体をされるわけではないので「こりゃ山のことをもっと調べにゃいかん」と思ったそうだ。しかし「イエローバンド」という用語を辞書で調べてもそんな用語は載ってないというのだ。「じゃあエベレストをパソコンで調べてプリントアウトしときます」と昨夜はwikiをはじめイエローバンドのことを検索してみた。イエローバンド周辺は化石の宝庫として有名であるが僕もアンモナイトの化石を探しに行ったことがある。エベレストじゃなくアンナプルナ山麓だったが。エベレストは飛行機の中から2回と、カトマンズ近郊のナガルコットの丘からしか見たことがない。僕も間近でイエローバンドを見てみたいものである。
2011年03月04日
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甥がやっている行政書士事務所のHPを初めて見た。30歳だがヒゲ面で何ともヤバそうな顔立ちになっていた。(笑)幾多の修羅場をかいくぐって来たのだろう。そのHPの中でこんなご相談承りますってコーナーがあった。・友人にお金を貸したのですが返してくれません。・余命半年と宣告されました。・訪問販売で押し売りされました。・父が愛人に財産を全部あげて死んでしまった。・妻には話していませんが隠し子がいます。認知可能ですか。当てはまる人は⇒【のぞみ行政書士事務所】まで。
2011年03月03日
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「ねえ、つけて下さる?」時々こんなことを言う奥様がいる。彼女からは微かな香水の香りがする。僕はそれをつけてからこう言う。「どう?大きくないですか?」「いいえ、ちょうどいいわ」コトが終わった後、彼女が言う。「おいくらかしら?」僕はお金をもらった後、出て行く彼女の後ろ姿を見送る。これらの言葉だけを読むと少々エロティックである。まるで僕が奥様相手のホストに聞こえるが、真相は下記なのである。 ↓「ねえ、(老眼でブレスの留め具が見えないので)つけて下さる?」時々こんなことを言う(推定年齢65歳の)奥様がいる。彼女からは微かな(白粉だか椿油だかわからんけど)香水の香りがする。「どう?(ブレスレットのサイズが)大きくないですか?」「いいえ、ちょうどいいわ」(僕:それ一応男性用サイズの太いブレスなんだけどなあ)
2011年03月02日
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なぜか外国人の友人がたくさんできる。去年からスリランカ人と車の輸出を始めて既に無事数台の中古車を輸出している。日本語の読めない彼の代わりに僕がつたない翻訳をしてそれを彼がスリランカ語に直して本国から受注をとる。まだまだ小遣い稼ぎの域を出ない副業だがいずれ何かの拍子で本業になるかもしれない。先日は片言の日本語を話すネパール人が店にやって来て「安いノートパソコンどこ買えますか?」と言われた。僕はあるパソコンショップの名前と地図を書いて「他の店よりも安い有名なパソコンショップだよ」と言った。すると彼は「他の、は何のことですか?」と訊く。僕は「アナザル(another)」とネパール発音で答えた。インドやネパールではRはもろに「アール」なのだ。Mr.も「ミスタル」あるいは「マスタル」と発音するのである。「有名、はドリーム(dream)、夢のことですか?」と訊いてくる。ああ、「YUUMEI」と「YUME」の違いが分からないのか。「有名はfamousのこと」「ああ、そうですか!」(と紙にネパール語でメモる)日本語を覚えかけの外国人ってなんかかわいいなあ。
2011年03月01日
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