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「夢ふくらむ」新成人の大凧完成 来月11日に大空へ 成人式を迎える若者が完成させた20畳敷大凧(東近江市建部上中町・ウェルネス八日市) 来年1月の成人式で、滋賀県東近江市の新成人が揚げる20畳敷大凧(おおだこ)が8日夜、同市建部上中町のウェルネス八日市で完成した。 大凧は先月8日から新成人22人が夜に集まり計20日間で制作した。「夢ふくらむ」を、服を着たヒツジ(ラム)の絵「判じもん」で表している。 8日は、ヒツジの目を描いた後、凧の安定を保つために重要な「つり糸調整」を行った。新成人6人と東近江大凧保存会のメンバーが、凧の中心を見極めながら糸の長さのバランスを緻密に合わせ、完成させた。 大学生新島知佳さん(20)=布引台1丁目=は「絵柄がおしゃれで気に入っています。一生の思い出になる」と喜んでいた。凧は1月11日午後1時から聖徳中グラウンド(聖徳町)で揚げる。京都新聞より
2014.12.10
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明治に作られた「近江国赤神山阿賀神社全図」の復刻版=太郎坊宮司が史跡案内 23日午前9時半・八日市駅集合= ◇東近江 清水・小脇街づくり委員会は、二十三日に実施する「みつくり山ハイキング」の参加者を募っている。 ふるさとの良さを自然の中から見直そうと毎年、春と秋に行われているイベントで、今回は、「古版画で巡る太郎坊宮」と題して太郎坊の歴史を紐解きながら、その現場を探訪する。 古版画は、委員の自宅から見つかった明治三十三年発行の「近江国赤神山阿賀神社全図」で、参道の第二鳥居から山腹の本殿までの参道脇に祀られている地蔵尊、宿坊、熊野権現、釣鐘堂、薬師堂、八角灯籠、十二社などの名所や全国でも珍しい割れた二つの巨岩でできた夫婦岩、明治建立の鳥居などの史跡を太郎坊宮司の解説に耳を傾けながら訪れる。 参集殿で昼食を囲んだ後、秋の深まりで紅葉が見頃になった箕作山頂から小脇山頂まで尾根のハイキングコースを往復して秋を満喫。帰路は瓦屋禅寺、延命公園を経て午後三時頃、八日市駅に戻る。総距離約八キロ。集合は、八日市駅に午前九時半。小雨決行。 参加費五百円(保険、マップ、記念品代)。持ち物弁当、水筒、雨具等。参加申し込みは、谷口さん(080―5316―4805)または、柳川さん(TEL090―1444―0888)へ。メール(mitukurikun@yahoo.co.jp)でも可。定員八十人。to滋賀報知新聞
2014.11.17
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県下最大のトチノキ=長浜市余呉町の高時川源流で=◇長浜 長浜市余呉町の高時川源流域でこのほど、県下最大のトチノキの巨木が確認された。 森林と共生した山村文化とともに、トチノキやブナなどの巨木が残されてきた。このような巨木群と山村文化を地元が主体となって保全していくために、森林所有者を中心に構成する「高時川源流の森と文化を継承する会」が設立され、保全活動を行っている。 一方、県では、琵琶湖森林づくり税を活用した巨樹・巨木の森整備事業を導入し、長浜市とともに高時川源流域における巨木の保全活動事業を支援している。 「森と文化を継承する会」ではこのほど、同事業の一環として巨木の計測をした結果、県下最大トチノキなどを確認した。 確認された巨木は、幹周が八百十一センチのトチノキ(県下最大)と、四百二十七センチのミズメ(全国最大級)。なお計測値は、樹木の山側の地面から樹木に沿って高さ百三十センチの位置における幹周りの値である。(石川政実)to滋賀報知新聞
2014.11.17
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紅葉の深まる湖北路を力強く駆け抜けるSL北びわこ号(16日午前10時39分、長浜市湖北町・JR河毛駅付近)観光イベントの季節列車「SL北びわこ号」の秋の運行が16日、滋賀県のJR北陸線(米原-木之本間、22・4キロ)で始まった。大勢の鉄道ファンや家族連れを乗せた蒸気機関車が晩秋の湖北路を力強く走った。 16日の第1便は満席で米原駅を出発した。沿道には、煙を上げる機関車の勇姿を捉えようとカメラを向ける多くの鉄道ファンも待ち構えていた。 SL北びわこ号は12月14日までの毎週日曜に1日2便(米原午前10時9分発と同午後1時16分発)で運行する。全席指定で乗車券と指定席券が必要。to 京都新聞
2014.11.17
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=新成人が「のりつけ式」 約1か月かけて20畳敷製作= 滋賀報知 成人式実行委員会メンバーによる「のりつけ式」――東近江大凧会館で――◇東近江 来年の成人の日(一月十一日)に新成人を祝って東近江市立聖徳中学校グラウンドで新成人の手で揚げられる二十畳敷東近江大凧の製作が、八日から始った。約一か月かけて東近江大凧保存会の指導の下、新成人自らの手で完成させる。 八日夜には大凧づくり開始の儀式「のりつけ式」が東近江市東本町の世界凧博物館東近江大凧会館であり、成人式実行委員会(十八人)のメンバーが古式に則り、二人一組で和紙を張り合わせた。年祝新成人東近江大凧「夢ふくらむ」の図柄 2015年祝新成人飛揚大凧の図柄は、市内野口町の会社員、森嶋貴亮さん(26)が来年の干支「未(ひつじ)」を題材に、朱文字の「夢」に「服」を着た小ヒツジ「ラム」の絵で、絵に意味をもたせる判じもんを『夢ふくらむ』とした。「夢」の文字は、市内五個荘竜田町の淡海書道文化専門学校書道研究科二回生の嘉本ゆずりさん(20 島根県松江市出身)が新成人の一人として書道の腕をふるった。 墨入れ、色付け、骨組み、絵骨、切り抜き、つり糸調整などの行程を連夜行い、最後に新成人の「二十歳の想い」の願い札を貼って、来月十一日に完成する。図柄を考案した森嶋さん(左)と書道の腕をふるった嘉本さん(右) 今回の大凧には、奈良時代からの歴史をもつ三重県鈴鹿市の伝統工芸品「鈴鹿墨」が使用され、石榑トンネル開通でこれまで以上に身近な存在となった滋賀県と三重県の交流・友好の発展への願いも込められている。
2014.11.12
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西堀 栄三郎(にしぼり えいざぶろう、1903年(明治36年)1月28日 -1989年(平成元年)4月13日)は、日本の登山家、無機化学者、技術者。従四位。滋賀県東近江市にある西堀榮三郎記念探検の殿堂京都府出身。京都一中、三高を経て、京都帝国大学理学部化学科卒業。京大講師、助教授を歴任した後、東京電気(東芝)に移る。1936年、京都大学より理学博士。論文の題は 「分子線による化學的研究 」。東芝技術本部長時代には海軍の要請を受けて真空管「ソラ」を開発し、技術院賞を受賞した。材料不足の状態でも大量生産できるように、微細な部分に至るまで製造マニュアルを完備し、"新橋の芸者を集めてでも製造可能"とされた。戦後は独立コンサルタントとして統計的品質管理手法を日本の産業界に持ち込み、デミング賞や電電公社総裁賞を受賞。戦後日本の飛躍的な工業発展の礎の1つとなった。京大に助教授、教授として復帰してからも精力的に活動し、第一次南極観測隊の副隊長兼越冬隊長や日本山岳協会会長を務める。日本初の8000m級登山であるマナスル登山計画時にはネパール政府との交渉役として活躍。日本原子力研究所理事や日本生産性本部理事も務めた。統一協会と深い関係を持っており、日本での日韓トンネル研究会設立に関与した。1973年、勳三等旭日中綬章受章。エピソード鹿沢温泉において、「雪山讃歌」を作詞したことでも知られる(メロディはPercy Montross作曲の「クレメンタイン」)。京大の学生時代から旧制中学以来の親友である桑原武夫(後にフランス文学の研究で文化勲章を受章)や今西錦司(後に生態学の研究で文化勲章を受章)と共に登山家として活躍した。語学にも堪能であり、アインシュタインが来日中に京都見学をした際には、3日間通訳として同行した。南極横断を生涯の夢とした植村直己に六分儀等の天測装置とその使用法を教えるなど、植村の有力な支持者の一人でもあった。妻は今西錦司の妹。妻が「結婚してからも、西堀に聞いたことがあるんですよ。あなた今西の兄と私とどっちが好きなの」と問い詰めた、というほど今西と親しかった。
2014.09.01
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=伝統の暮らしから今のスタイルへ =外村繁邸の「うちわ・扇子展」3館がそれぞれのテーマで展示会◇東近江 東近江市と一般社団法人東近江市観光協会は、五個荘近江商人屋敷(外村繁邸、外村宇兵衛邸、中江準五郎邸)の夏季企画展「伝統の暮らしから今のスタイルへ」を、八月三十一日まで開催している。同企画展は、伝統工芸品の展示を中心に、三館それぞれがテーマに沿って展示会をしている。 外村繁邸で開いている「うちわ・扇子展」では、「高島扇骨」を使い、滋賀の風景などが描かれた色鮮やかな「近江扇子」や、昭和の銀幕スターが描かれたうちわ、水に浸して使う「水うちわ」など約二百点のうちわを展示している。 東近江で受け継がれてきた伝統の技や、新しい世代の手仕事が見学できる「東近江スタイル」を紹介している外村宇兵衛邸では、東近江で作られた木工や工芸品のほかに、「近江の麻」を使ったのれんやストール、障子に麻の蚊帳地を張り付け作られた「涼障子」は、目にも涼やかな印象を与えてくれる。 「心を包む風呂敷」を開いている中江準五郎邸では、近江商人の商いの必需品だった風呂敷を展示しており、江戸時代の五個荘商人の「外宇」や「塚本」などの名前の入った一反風呂敷や、普段の生活で使われた刺し子風呂敷などが展示され、また、鞄にして風呂敷を使う以外にも、ティッシュ箱やペットボトルなどを包み持ち運べる包み方を紹介し、販売も行っている。 会期中、「商家の夏のコンサート」として十二日、笛吹童爺による「葦笛コンサート」を外村繁邸で開き、十九日には外村宇兵衛邸で、びわ湖アンサンブル彦根の女性による昭和の曲をメインに演奏する「マンドリンコンサート」を開催する。開催時間は午後一時と三時の二回で、入館料が必要。 入館料は三館共通で六百円(小中学生三百円)。問い合わせは、同観光協会(TEL0748―48―2100)まで。BY 滋賀報知
2014.07.11
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滋賀・瀬田の唐橋綱引き、今年も合戦 東西の引き手募る多くの観客が見守る中、東西に分かれて繰り広げられた大綱引合戦(昨年10月、大津市・瀬田の唐橋) 「唐橋を制するものは天下を制す」とされ、数々の戦の舞台となった瀬田の唐橋(大津市)で10月19日、「勢多唐橋東西大綱引合戦」が開かれる。昨年に続いて2回目で、全国から引き手を募り、橋の上で東西両軍が力を競い合う。28日に地元自治会や観光協会などでつくる実行委員会が設立された。 綱引きは昨年3月に橋の修復工事が完了したことを記念し、10月に初めて行われた。承久の乱(1221年)や本能寺の変(1582年)の舞台の一つとなった唐橋の歴史にちなみ、参加者計200人が東西両軍に分かれ、甲冑(かっちゅう)柄のTシャツを着て全長約200メートル、総重量約350キロの綱を引き合う。昨年は引き分けに終わった。 大津市内で開かれた実行委の設立総会では、西軍代表を務める晴嵐学区自治連合会会長の目片允章さん(72)が「地元住民あげての大会にしたい。今年は西軍が勝ちます」、東軍代表の瀬田南学区自治連合会事務局長の木村武史さん(60)は「世代間で意思疎通しながら、前回を上回る盛大な行事になれば」と話した。 今年は地元の小学生らが競う綱引きも計画しているという。 綱引きは午後2時から。橋の周辺では午前10時から物産展なども催され、限定2千食で近江牛の無料配布も予定している。綱引きは中学生以上が対象で、参加費5千円。申し込みは専用ホームページから。問い合わせは実行委TEL077(537)1105。(京都新聞)
2014.06.03
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リトル比良に登山標識板 滋賀・高島の15カ所に設置リトル比良の案内標識板を設置する高島ロータリークラブの会員ら(高島市)=同クラブ提供夏山シーズンを迎え、高島ロータリークラブ(吉田近博会長)はこのほど、比良山系の「リトル比良」と呼ばれる登山ルートのうち滋賀県高島市南部の15カ所に案内標識板を設置した。 リトル比良は高島市南部と大津市北部をまたぎ、比良山系の北東に延びる稜線を縦走するルート(総延長約10・5キロ)。途中、奇岩や滝などの景観に富み、標高も500~700メートルと登りやすい印象から多くのハイカーが訪れる。 標識板は、高島市音羽から岳山、鳥越峰、見張山を経て勝野へ下りる約6・5キロ間に設置。NPO法人高島トレイルクラブの協力を得て、ロータリーの会員約20人が実際にルートを歩き、迷いそうな場所に立てた。登山者カードの提出を促す表示板も設けた。 ちょうど1年前、同市マキノ町の赤坂山周辺で大阪市の児童2人が一昼夜不明となり、その後も比良山系で遭難や事故が相次いだため、設置を決めた。リトル比良も場所によって道が分かりにくく起伏も大きいといい、吉田会長は「標識板を見て安全に登山を楽しんでほしい」と話す。(京都新聞)
2014.06.03
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=あいとうマーガレットステーション=ヨシペン画の作品◇東近江 あいとうマーガレットステーション(東近江市妹町)は、売場の一角で琵琶湖ヨシペンスケッチ同好会会員(代表・井上弘)による「ヨシペン画&絵手紙作品展」を、十三日まで開催している。 同会は、琵琶湖に群生しているヨシを原料としたヨシペンを使い、湖国の原風景画や絵手紙といった作品を描く活動をしている。 今回展示しているのは、昨年十月頃に描かれた会員二十二人の作品で、同館と一緒にコスモスやヒマワリといった花畑などを描いた作品が中心で、ヨシペン画十四点と絵手紙十九点が、実際に使われたヨシペンとともに紹介されている。 ヨシペン画は、ペンを削って線の太さなどを調整しながら描くもので、各作品独自の線の面白さが魅力。 また、菜の花やイチゴなど季節の花や果物が描かれた絵手紙は、鮮やかな色合いで、足を止めて作品を見入っている観光客も多く見られた。 開催時間は午前十時~午後五時で、休館日は火曜日。 問い合わせは、同館(0749―46―1110)まで。(滋賀報知)
2014.06.02
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=大賞に近江八幡市のNPO法人エナジーフィールド=エナジーフィールドの「BIWAKOビエンナーレ2012」(近江八幡市、旧中村邸)◇全県 文化・経済フォーラム滋賀はこのほど、「文化で滋賀を元気に!賞」の大賞に近江八幡市のNPO法人エナジーフィールドを選び、二月十一日の総会の席上で表彰すると発表した。文化・経済フォーラム滋賀が2月に総会表彰式と田村孝子氏の基調講演 同賞は、文化の力で活力あふれる地域社会の実現に貢献している団体・個人に贈られるもの。今回は三十三件の応募・推薦の中から、五団体一個人が受賞した。 同賞の大賞はエナジーフィールド、文化賞は新江州(株)循環型社会システム研究所のM・O・H通信(長浜市)▽びわこJAZZフェスティバルin東近江実行委員会(東近江市)▽NPO法人甲賀文化輝き(甲賀市)▽伊吹の天窓実行委員会(米原市)▽森野秀三氏(甲賀市)-となっている。同(近江八幡市、村雲御所瑞龍寺門跡) 文化・経済フォーラム滋賀では二月十一日、大津市の大津プリンスホテルコンベンションホール「淡海」で総会を開き、グランシップ(静岡県コンベンションアーツセンター)館長の田村孝子氏による基調講演「文化のチ・カ・ラ」後に、受賞者・団体を表彰する。入場は無料。参加希望者は二月十日までに、FAX(077-522-9647)、またはメール(bunka-keizai@shiga-bunshin.or.jp)で申し込む。 なお、総会後の午後五時半から立食パーティーの交流会も予定されている。交流会の参加の場合は、一人六千円が必要。詳しくは、「文化・経済フォーラム滋賀」事務局(TEL077-522-8369)へ。 なお、受賞団体・個人は次の通り。 ▽NPO法人エナジーフィールド(近江八幡市、大野木啓人理事長)=近江八幡幡市にある国の重要伝統的建造物保存地域を中心に、現代アートによるまちづくりをテーマにした国際芸術祭「BIWAKOビエンナーレ」を定期的に開催。平成十三年にびわ湖ホールで開催したのを手始めに、以降、近江八幡市の町家で定期的に開催し、昨年で五回の開催を数える。特に昨年度は、会場に近江商人屋敷が並ぶ東近江市五個荘地域も加え、国内外から多くの作家の参加を呼び込み、関連イベントも多彩で、地域を大いに盛り上げることに成功した。M・O・H通信循環型社会目指す「M・O・H通信」 ▽新江州(株)(本社・長浜市、草野勉代表取締役社長)循環型社会システム研究所M・O・H通信(長浜市)=「もったいない」のM、「おかげさま」のO、「ほどほどに」のHという循環型社会を目指そうと、「M・O・H通信」を発行している。現在四十二号を既刊。3万人が来場のびわこJAZZフェスティバル ▽びわこJAZZフェスティバルin東近江実行委員会(東近江市、蔭山啓介実行委員長)=昨年で五回目の開催となった同フェスティバルは、市内三十五か所を会場として、出演バンド百六十組以上、二日間の公演で延べ三万人が来場するイベントにまで成長。市民ミュージカルの「甲賀文化輝き」 ▽NPO法人甲賀文化輝き(甲賀市、松島津由子理事長)=甲賀に関わりの深い題材をテーマとした市民ミュージカルの制作と公演を住民参加により成功させるとともに、地域文化をまちづくりに活かす講座やシンポジウムにも取り組む。森野氏の展覧会(琵琶湖博物館)石橋研究の森野秀三氏 ▽森野秀三氏(甲賀市)=二十年以上にわたり全国各地の石橋八百か所を現地調査している石橋研究者。湖南市の大沙川燧道が日本最古の隧(ずい)道であることを検証した。文化的価値の高い社寺等の石橋の写真を納め、琵琶湖博物館などで展覧会を開催している。「伊吹の天窓」のライブまちおこしの「伊吹の天窓」 ▽伊吹の天窓実行実員会(米原市、早川鉄兵実行委員長)=過疎・高齢化が進む米原市・伊吹北部地域で、地域住民とともに地域の魅力を伝えるまちおこしイベント「伊吹の天窓」を主催する。昨年は、地元食材を用いた「星空食堂」やライブなどを成功させた。http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014777
2014.01.25
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=市教委と消防署が31か所で 26日の文化財防火デーを前に=査察を行う消防署員--石塔寺で--◇東近江 二十六日の文化財防火デーを前に、国・県・市指定の文化財を所管する東近江市内の神社・寺・公民館などで、二十一日から市教育委員会と東近江行政組合消防本部との合同文化財防火査察が行われている。今年は二十四日までに蒲生・能登川・五個荘・愛東・八日市・永源寺の六地区の三十一か所を査察する。 市教委文化財課職員と管内消防署の担当署員が査察場所を訪問し、宮司や住職、責任者の立ち会いのもとで、消火器の点検日や使用期限をはじめ、消火栓や火災感知器のチェック、断線や漏電などの電気配線、可燃物の管理、火器や燃料の保管などについて、点検や聞き取り調査を行い、不備な点についてアドバイスしたほか、火災や自然災害などが発生した時の文化財の持ち出し方法や役割分担などの確認を行った。また、消火器の悪質訪問販売などへの注意も促した。 東近江市には平成二十五年三月三十一日現在で、国指定文化財が百十三件、国選択文化財が二件、県指定文化財三十五件、県選択文化財三件、市指定文化財が三百件の、計三百五十三件の有形・無形の文化財が指定されている。 文化財防火デーは、昭和二十四年一月二十六日に法隆寺金堂で火災が発生して壁面がしたことと、この時期が一年でもっとも火災が発生しやすいことから、昭和三十年に定められた。この日を中心に、全国各地で文化財防火査察や文化財消防訓練などが実施される。http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014772
2014.01.24
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=新春凧揚げ大会=◇東近江 新春恒例の凧揚げ大会が東近江市聖徳町の市立聖徳中学校グラウンドで12日開かれ、大勢の家族が凧揚げに興じた。 手づくり凧や市販の凧を持ち寄って、子どもたちが元気よくグラウンドを駆け回ると、色とりどりの凧が絶好の北風に乗って大空を彩った。 体が冷えると、東近江大凧保存会や市観光協会の豚汁サービスで体を温めて、再びグラウンドに飛び出し、家族で凧揚げを楽しんだ。http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014769
2014.01.23
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=能登川博物館 市内小学3年生が体験中=火のしの使い方を教わる箕作小学校の3年生ら◇東近江 東近江市山路町にある能登川博物館で、市内の小学三年生たちが、教科書に載っている本物の道具を使って、昔の暮らしを体験している。 小学三年生の社会科「今にのこる昔とくらしのうつりかわり」の単元"昔の道具と人びとのくらし"に合わせて、同博物館では、開館以来、毎年一、二月に館蔵資料を使った企画展開催と児童の体験活動の受け入れを続けている。 今年は、市内の小学校全二十二校と市外五校の三年生千人以上が、二月末までに順次訪れる。 館内には、企画展「バタバタに乗って...-ちょっと昔の道具たち-」の一角に昔のくらし体験コーナーが設けられており、おもりを使うはかりや足踏みミシン、石臼、蓄音機、火のし、火鉢、近江商人になりきれるてんびん棒、大八車などがスタンバイ。 訪れた児童は、博物館学芸員(能登川博物館・近江商人博物館・西堀榮三郎記念探検の殿堂)や地域学芸員、ボランティアである昔のくらし体験サポーターの説明を受けながら、実際に道具を使うことで当時の生活を疑似体験し、便利さだけでなく昔の道具に隠された知恵と工夫も吸収している。http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014740
2014.01.21
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=「近江八幡おやじ連作品展」近江八幡図書館で28日まで=近江八幡図書館で開かれている第8回近江八幡おやじ連作品展◇近江八幡 近江八幡市在住の男性定年退職者らでつくる趣味や地域活動の仲間「近江八幡おやじ連」の第八回作品展が近江八幡図書館で開かれている。二十八日まで。入場無料。 おやじ連は、定年後の第二の人生を元気に楽しく活動するグループ組織で現在、青少年向けの自然学習、ウォーキングなどの健康増進、地域の清掃や景観を良くするボランティアなど二十四団体で構成。男性だけでなく女性グループも加盟している。 作品展はそれぞれのグループが取り組んでいる活動の成果を広く知ってもらおうと毎年開催しているもので、今回は、仲間百五十六人から人物や風景画、写真、竹や古木の工芸作品、書など合わせて一七三点の作品が持ち込まれ、並べている。 中には、八千八百本の楊枝で組み上げた白雲館や一万二千五百本を使った彦根城のミニチュア、木に細工が施された灯り工芸、八幡山のジオラマ、神輿などコツコツと時間をかけた作品がほとんどで、来場者の視線を集めている。 また、歩いて琵琶湖一周を成し遂げた記録などグループ活動を紹介するパネル展示も行われている。 代表の高橋作榮さん(70)は「市の講座を卒業した者が母体となっておやじ連が発足されたが、年々加入団体が増え、女性グループも仲間になっている。現在は講座に参加する人達を支援したり、参加活動を紹介する相談にも乗っており、展示作品を通しておやじ連の活動と新たな取り組みにも関心をもって頂けばうれしい」と話している。図書館は月曜日休館。作品展の開場時間は、午前十時から午後五時まで。http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014663
2014.01.10
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=東近江市が隊員2人募集=「地域おこし協力隊」を受け入れる奥永源寺地区◇東近江 東近江市は少子高齢化が進む奥永源寺地区七自治会に、中山間地域の振興に意欲と情熱をもって活動できる「地域おこし協力隊」隊員を、都市住民から募集している。奥永源寺地区へ都市住民から将来の定住、地域活性めざし 住民として三年程度生活してもらい、決められた活動内容に従事し、任期後の定住をめざす。地域の担い手確保や地域資源を活用した活性化に向けた、市としてはじめての取り組み。地元では昨年九月から説明会やヒヤリング、導入検討会などで、期待の声があがっている。 具体的には、七自治会での巡回と声かけ、地域課題の発見などの見守り活動の「集落支援活動」(活動時間の概ね三分の一)と、奥永源寺の地域資源を活用して地域の活性化を図る活動や三年後の定住のための起業をめざす「企画提案活動」(活動時間の概ね三分の二)を行ってもらう。 活動時間は一か月に百六十時間程度。集落支援員の指導を受け、活動報告を毎月行う。報償は月額十六万六千円。住居も提供される。募集対象は都市地域(三大都市圏など総務省が決めた条件不利益地域以外)在住の二十歳以上五十歳未満で、募集人員は二人。任期は今年四月から平成二十九年三月までの三年間(一年ごとの更新)。 募集の締め切りは、一月二十四日まで。選考は、企画提案書と応募用紙による書類選考と面接で行う。二月中旬ごろ最終決定し、二月下旬からの研修後、四月一日から着任の予定。応募方法や事業の概要については、市のホームページ(http://www.city.higashiomi.shiga.jp/)で。問い合わせは、東近江市企画課(TEL0748-24-1234)まで。 「地域おこし協力隊」は総務省が平成二十一年度からはじめた事業で、財源が手当てされる。平成二十四年一月末時点で約七割が定住に至っている。県内では米原・彦根・近江八幡・湖南・多賀・愛荘の四市二町の六自治体で二十一人が取り組んでいる。 http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014660
2014.01.09
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=9、10日 能登川恵比須神社で=福銭(5円)入りもちをつかもうと手を伸ばす参拝者ら(昨年の福もちまきで)◇東近江 JR能登川駅近くの能登川恵比須神社で、九日に「宵えびす神事」、翌十日に「本えびす神事」が催される。 この初えびすは、本町自治会の有志らが能登川恵比須宮奉賛会を結成し、地域の年頭行事として受け継いでいるもので、新年の幕開けに福を求める大勢の参拝者でにぎわう。 両日とも、祭典や福もちまき(九日=午後四時、十日=午前十一時三十分)、福もちつき(九日=午後八時頃、十日=午前十時三十分)、甘酒奉仕のほか、福娘による吉兆頒布(九日=午前九時~午後九時、十日=午前九時~午後五時)が行われる。 また、特別祈祷は、十日午前十一時から午後三時までの間に随時行い、当日午後二時まで受け付ける。滋賀報知http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014653
2014.01.08
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=19日から 市内3会場で開幕 近世城下町のルーツの魅力発信=黒田官兵衛(福岡市美術館蔵)◇長浜 秀吉の軍師、黒田官兵衛(一五四六~一六〇四)にスポットをあてた「黒田官兵衛博覧会」が今月十九日から、長浜市内で開幕する。会期は十二月二十八日まで。黒田家は同市木之本町黒田が発祥とされ、官兵衛は長浜を足掛かりに天下人に駆け上った秀吉を支えた。今年は大河ドラマでも「軍師官兵衛」が放映され、北近江・長浜がますます盛り上がりそうだ。 官兵衛は播磨姫路の生まれ。織田信長が畿内で台頭すると、同国御着城主で主君の小寺政職にすすめて信長に通じ、毛利への中国攻めで播磨に入った秀吉に従った。大河ドラマ館内イメージ 軍師としての才能は、敵方の部将などを説得工作で味方に引き入れ、切り崩しを図る「調略」を得意とした。秀吉の天下統一事業では、天正十五年(一五八七)、秀吉が九州攻めしたとき、官兵衛は事前に九州に入って諸大名を説得して足場を固め、秀吉は難なく薩摩の島津氏を降伏させることができた。関東の小田原城攻めでは、単身で小田原城へ出向いて北条氏政・氏直父子に開城を説得し、同意を取り付けた。黒田家御廟所(長浜市木之本町黒田) これらの功績から、秀吉の前半生を支えた名軍師・竹中半兵衛とともに「両兵衛」と並び称される。 官兵衛と長浜市のつながりは、曾祖父の高政の代まで伊香郡黒田村に居住していたことや、嫡男の松寿丸(後の長政)が信長への忠誠の証しとして長浜城に人質として滞在したこと、そして官兵衛が賤ヶ岳の戦いに参陣したことだ。 同博覧会の展示部副部会長で、北近江史に詳しい長浜城歴史博物館副館長の太田浩司さん(52)は「官兵衛は秀吉の後半生において、脇から出世を支えた人物であり、分かりやすく例えるならば秀吉出世物語の裏バージョン。彼にスポットライトをあてることで、秀吉や長浜が浮かび上がる」と話す。 そんな長浜の魅力を太田さんは「江戸時代に続く近世城下町のルーツ。秀吉は初めて城持ち大名になった長浜で、先駆的な城下町(現存最古)の経営、石高制、検地をテスト的に行い、この仕組みを全国へ押し広げ、江戸幕府もこれを踏襲した。博覧会では、その後の日本史に影響を与えた長浜のまちづくりや人材にもスポットをあてたい」とPRしている。 同博覧会の三会場は、<1>「大河ドラマ館」(長浜市木之本町木之本)<2>長浜城の「歴史館」(同市公園町、長浜城歴史博物館)<3>城下町を案内する「城下まち館」(同市元浜町)。 「大河ドラマ館」の木之本エリアは、黒田家発祥の木之本町黒田のほか、官兵衛が参陣した賤ヶ岳古戦場、北国街道木之本宿が見どころ。館内では、ドラマの映像や衣装を展示するほか、合戦の模様をジオラマなどで再現する。 「歴史館」と「城下まち館」は、長浜の城下町にある。歴史館では、秀吉の戦いを実物資料と復元イラスト、写真パネルで紹介。城下まち館では、城下町とゆかりの武将を紹介するほか、ガイドツアーを催す。滋賀報知http://www.shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014634
2014.01.06
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=看板照らして東近江PR 見える化で普及拡大図る=設置された発電用水車を視察する福井自治会長(昨年12月中旬)◇東近江 国道421号を三重県側から石榑トンネルを抜けて滋賀県に入ってはじめての集落がある東近江市杠葉尾町地先の国道沿い、銚子が口岳への登山道入り口まで車を走らせると、ドライバーの目に「ようこそ清流の里 東近江市杠葉尾町へ」の看板が飛び込んでくる。夜になると、暗闇の中に照明に照らされたこの看板が浮かび上がる。 看板の下に設置された小型の水車で発電した電気がこの看板に供給されている。県の農業用水を生かした小水力発電「農村地域再生可能エネルギー活用推進事業」の一環として県内六か所で取り組まれている事業のうちの一つ。 エネルギー問題が高まる中、農業用水を活用した小水力発電の情報が少なく、県内での導入も進んでいないことから、農村で未利用の自然の力を生かした小水力発電の「見える化」による集落に近いエネルギーへの関心を高め、普及拡大を図るねらいがある。 「地域に秘めた未利用の自然の力を生かしましょう」と東近江市農村整備課が、一年中途切れることなく流れる山からの自然水があり、農業用水にも利用されているこの地は、小水力発電に最も敵した地であるとして、同町自治会(福井隆会長)と協議を重ね、県内企業が製作した直径一メートル二〇センチのステンレス製上かけ型水車を縦一メートル・横三メートルの看板と共に町内の三希土木(小口喜三男社長)の施工で昨年末に設置した。総事業費は二百五十万円。 五メートルほど上にある水路から水を誘引して水車を回し、水車から落ちた水が再び水路に戻る仕組み。発電量は五〇ワットで小水力発電の中でも最も小規模のクラスの「ピコ水力発電」(一万キロワット未満の小水力発電・一千キロワット未満のミニ水力発電・百キロワット未満のマイクロ水力発電・一キロワット以下のピコ水力発電)でも、年間・一日を通じて安定して発電することができ、昼間は蓄電もできる、すべて地元で調達・使用する電力の地産地消だ。 滋賀県に入って一番最初の集落で東近江市をアピールすると共に、自然の再生可能エネルギーを使った発電で看板を照らすことで環境に取り組む市のイメージをPRできる。年間を通じて地元で管理、検証ができることから、課題や展開を洗い出し、今後の他地域などへの普及・啓発や新たな活用につなげていく。杠葉尾町では、町内の街灯や牛の放牧時の獣害防止柵の電源供給や、建設が計画されている道の駅のPRアイテムとしての活用にも期待が広がる。滋賀報知http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014625
2014.01.05
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=退職後の男性たち、整備に汗流す=竹林整備の中心メンバー(バンブーハウス内) 湖南市の菩提寺学区まちづくり協議会(山口道夫会長)は、荒れ果てた竹林を整備し、住民憩いの場に活用する「地域活性化推進事業B・B(バン・ブー)作戦」に取り組んでいる。中心メンバーは、定年退職した六十歳代~七十歳代の男性たち。今春には地域住民を招待できる見込みで、「区民の健康増進や交流の場として活用したい」と張り切っている。「基地みたい!」児童ら大はしゃぎ 「まるで基地みたい!」。昨年五月、バンブーハウスの竣工披露会。招かれた菩提寺小学校の児童二百人は、東南アジアにあるような高床式ハウスに大はしゃぎだった。釘を使わずに建てたバンブーハウス 同作戦は、地域で共有する竹林三千平方メートルを手入れし、全長五百メートルの遊歩道のほか、バンブーハウスやふれあい農園、竹細工工房などを整備するもの。 同事業のメインとなるバンブーハウスは、県立大学環境建築デザイン学科の陶器浩一教授の助言をもらい、さらに同大学の学生の協力を得て、昨年四月下旬に完成した。 竹林に生えている竹十九本を柱に利用して、釘を一切使わずロープだけで固定した。間口約一・五メートル、最大幅約四メートル、奥行き約十メートルで、大人三十人が入れる強度で設計されている。 この事業は平成二十三年度から始まり、翌年から市の助成を受けて弾みがついた。活動は月一回、常時平均十五人が参加する。チェーンソーといった不慣れな電動工具はなるべく使わず、のこぎりなど専ら人力に頼った工具で汗を流す。このため進み具合はマイペースで、「ぼちぼち楽しみたい」と自然体だ。 竹林環境を上手に生かしたふれあいファームでは、たけのことしいたけを栽培。地域のイベントにあわせた即売会で、あっという間に完売した。この盛況ぶりにメンバーは「今年はどれだけ収穫できるのか楽しみ」と、竹林の清みきった空気を胸いっぱい吸いこんで、少年のように目を輝かせた。滋賀報知http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014627
2014.01.04
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=管理栄養士集団 おいしく楽しく発信中=講習会でおいしい腎臓病食を伝授「患者さんを放っておけない」。そんな思いに駆られて、自分たちにできることは何かを模索している管理栄養士たちがいる。その名も、滋賀・奈良県の管理栄養士八人でつくる"びわこ腎臓病食研究会"(中村恵代表)だ。 全身の器官が働き続けられるよう▽老廃物や毒素の排泄▽水・電解質・酸アルカリの調節▽ホルモンの分泌と調節-の役割を担う腎臓。機能低下で人工透析を受けている国内患者数は三十万人を突破、糖尿病に続く第二の国民病とも言われている。腎臓内科医の権威・出浦照國氏 発症や重症化の抑止で重要なのは、腎臓に負担をかけない減塩・低たんぱく質の"食事"。この点を五十年近く患者に説き続ける腎臓内科医・出浦照國氏(昭和大学客員教授)の講演を聞き、中村代表が衝撃と感動を覚えたのが同研究会の始まり。 腎臓病患者にとって、食事療法は生命線である一方、栄養管理の難しさにストレスを抱えやすい。そこで、中村代表は仲間に声を掛け、一昨年七月から始めた"調理実習主体の講習会"(奇数月開催)で「調理しだいで簡単においしく、楽しく食べられる腎臓病食」があることを発信している。楽しみながら調理する工藤さん夫妻(草津市立市民交流プラザで) 透析導入を遅らせようと、兵庫県加古川市から通う工藤年生さん(69)は「仕事人間だったが、支えてくれる妻に楽をさせてあげたくて料理を覚えた。情報を知ることが自分のためになり、納得して実践もできる」と笑みをこぼし、妻・夢美さん(66)も「小旅行気分で楽しんで来ている。夫のように食事療法で誰もが自分の体を守っていけることに気づいてほしい」と話す。 昨年九月一日には"市民講座in滋賀"を初開催。患者や家族、管理栄養士ら約百七十人が、「自分の体の状態と病気の現実を受け入れることが正しい治療の第一歩。食事療法は一〇〇%患者が自分でやる治療」だとムチを入れつつ、腎臓病の食事療法の仕組みを力説する出浦医師の患者愛あふれる講演に聞き入った。腎臓病患者や家族、管理栄養士ら約170人が参加した市民講座(滋賀県立男女共同参画センターで)滋賀報知http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014617
2014.01.03
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=安土まち協バンドの児童たち=◇近江八幡 地域の小学生が演奏する「安土・老蘇まち協バンド」が2月に開催される「滋賀県吹奏楽フェスティバル」への初出場めざして練習に励んでいる。 安土小学校がクラブ活動として取り組んでいた金管バンドが、5年前から教員の異動などにより活動を休止。東近江地域に数少ない小学生バンドを存続できないものかと、音楽関係者が尽力し、児童に呼びかけて安土と老蘇のまちづくり協議会のバンドとして誕生させた。 現在、4年生以上24人がトロンボーン、トランペットなど、5種類の金管楽器に取り組んでいる。毎週水曜日の夜、学校の先生や会社員らがボランティアで指導にあたり、基礎練習に力を入れている。子たちは日々、上達しており美しいハーモニーを奏でる日は近い。 http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014614
2014.01.02
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=翦風号を甦らせる会 中島 伸男=後列中央が熊木九兵衛。その下(中央)は、妻・志津と思われる。民間飛行場の夢に全資産を賭けた熊木九兵衛■幼名は亀之助 熊木九兵衛は明治二十一年(一八八八)、金屋大通りに面した油商「油九」の長男として生まれた。幼名を「亀之助」といった。油九は八十軒余の借家を所有する資産家であった。亀之助は県立第一中学校(現・彦根東高校)を卒業後、一年間軍務に服し、予備役少尉の肩書きを得たのち家業に励んだ。 亀之助二十二歳のとき父が亡くなり、「九兵衛」を襲名した。翌年、二十三歳で坂田郡六荘村室(現・長浜市室町)の旧家から妻・志津を迎えた。■荻田常三郎と九兵衛 熊木九兵衛の運命を大きく変えたのは、荻田常三郎の沖野ガ原での飛行会である。当時、九兵衛二十六歳、常三郎二十八歳。 二人の最初の出会いが、いつどこであったのかは分からない。おそらく、荻田がフランス帰りの新進飛行家として京都で活動をはじめたころ、九兵衛は荻田に積極的に接近していったのであろう。 九兵衛は荻田の信頼を得て、鳴尾(西宮市)から八日市駅まで、翦風号を貨車輸送するさいの責任者になっている。 十月二十二日、沖野ガ原での荻田常三郎の飛行会は、数万という大観衆をあつめ成功した。祝賀会席上、横畑耕夫(よこはた・たがお)町長が「沖野ガ原を民間飛行場とする」ことを主唱、その場で熊木九兵衛は幹事にえらばれた。 十一月には「翦風飛行学校設立期成同盟会」が結成され、飛行場用地の買収がはじまった。しかし、翌大正四年(一九一五)一月三日、深草練兵場(京都市伏見区)から翦風号で飛び立った荻田常三郎は、エンジン不調のため高度四〇メートで失速し地上に激突、墜死した。機体の骨格が完成した第二翦風号(八日市町役場前)■「復元」を宣言 この悲報のなかで、熊木九兵衛は翦風号を「改修復元する」ことを宣言した。設計図が残っていた上に、プロペラをはじめ翼の布やエンジン部品など、荻田が予備を用意していたことが分かったのである。 八日市町でも事業継続の是非につき、飛行場計画委員全員の協議をおこない「継続する」ことを決議した。 大正四年二月二十二日付けの新聞に、つぎのような記事が出ている。 「来る四月一日、八日市の新飛行場で、第二翦風号の起工式を挙げることとなった。第二翦風号の再興は熊木九兵衛氏と、荻田飛行士の助手、伊崎省三氏の二人がこれに当たり、翦風号の残骸は荻田氏の遺族から両氏に任されることになった。」■見事に完成はしたが 翦風号復元作業について熊木九兵衛は、荻田常三郎の元助手・伊崎省三やその友人(平岡達蔵・岩名政次郎)など、青年数名を協力者として雇った。 当時の飛行機は木造・布張りである。主骨として北海道産のトネリコ、桁はシラカバ、中骨にアメリカマツを取り寄せた。エンジンの修理は、大阪でオートバイの発動機を製作していた島津工場に発注した。作業場は、八日市町役場に付随する修交館(現・八日市コミュニティセンター付近)が使われた。 機体復元のための諸材料費・エンジン修理費、さらに青年たちの雇用経費などについて、町費からの支出はなかった。これら一切を負担したのは熊木九兵衛であった。 大正四年四月十九日、飛行場地鎮祭が行われた。 飛行場用地買収費・整地費は、町長をはじめ町議会議員全員の連帯責任で借り入れをおこなった。 六月初旬、第二翦風号の機体が完成し、エンジン修理も七月に完了した。初代翦風号より、第二翦風号は機体重量が二割も軽減された。 ただし、根本的な問題があった。熊木九兵衛や元助手の伊崎省三らは、試験飛行はもちろんのこと滑走する技術すら持っていなかったのである。第二翦風号は、数ヶ月間、いたずらに沖野ガ原の仮設格納庫に収容されたままになっていた。沖野ガ原の第二翦風号(二人の人物のうち、右側は熊木九兵衛か)■ナイルスを呼ぶ そのころ、アメリカの民間飛行家チャールス・ナイルスが来日し、各地で航空ショーを実施していた。大正五年一月、ナイルスが西宮・鳴尾競馬場で航空ショーを開催しているとき、熊木九兵衛は鳴尾に出掛けナイルスに出会って第二翦風号への試乗を依頼した。 大正五年一月二十九日、九兵衛のつよい要請でチャールス・ナイルスが来町。彼は、三時間以上かけて機体の点検を行い安全を確認、試験飛行を実施した。当時の町会議員・清水元治郎はそのときの様子をつぎのように日記に記している。 「午後五時より五分間、飛行場の上空を二回旋回して見事着陸したり。万歳の声、喝采の響き天地を震動せしむ。」 熊木九兵衛をはじめ、飛行機についてはまったくの素人たちが造った第二翦風号である。本当に飛ぶことができるのか、疑問視されても仕方がなかった。それが見事に飛び立ったのである。試験飛行の現場にいた人たちが大喝采をしたのも当然であった。 チャールス・ナイルスは、その後、近江兄弟社のヴォーリス邸を宿舎として、三月中旬まで沖野ガ原で第二翦風号によるさまざまな飛行を試みている。ナイルス招聘の費用はすべて熊木九兵衛の負担となっていたものと思われる。■チャンピオン来町 ナイルスは再訪を約束し帰国したが、その年の六月、ウイスコンシン州で催された航空ショウで搭乗の飛行機が空中分解し事故死した。 飛行場と第二翦風号はのこっている。しかし、誰も飛ぶことのできない無用の飛行場であった。 そのころ、陸軍では所沢飛行場(埼玉県)についで、各務原台地(岐阜県)をわが国第二番目の飛行場として整備し、さらに第三番目の飛行場設置についても検討を行っていた。八日市町では、このニュースを聞くと、ただちに陸軍飛行場の誘致に取り組んだ。 時期は明確ではないが、大正座(八日市金屋一丁目、現存せず)で陸軍飛行場誘致の是非につき町民大会が開催されている(奥井仙蔵『八日市と飛行場』)。誘致計画をすすめる町当局にたいし、熊木九兵衛は飛び入り弁士としてつぎのとおり述べた。 「わが飛行場に、米国一流の民間飛行家たるフランク・チャンピオン氏を得たるなり。我等は氏と連携、死力を尽くして沖野ガ原をひとかどの民間飛行場となし、民間飛行学校期成を明言す。」 九兵衛は、当時、全国各地で飛行会を催していた米国飛行家、フランク・チャンピオンと交渉中であった。チャンピオンを中心に、沖野ガ原での飛行学校運営を軌道に乗せようと模索していたのである。 大正六年五月、チャンピオンが八日市にきた。歓迎会の席上、チャンピオンは、「将来の日本飛行界のため、この八日市での事業にぜひ貢献したい」と抱負を語った。 しかしその年の十月、チャンピオンは高知市の飛行大会で宙返りを試みたとき第二翦風号の翼が根元から折れ、高度一二〇〇メートルから機体とともに墜死した。「人」も「飛行機」も失われ、飛行場のみがのこった。 九兵衛の「夢」は完全に潰え去った。第二翦風号の製作費用、チャールス・ナイルスやフランク・チャンピオンの招聘費用、さらに彼らの活動にかかわる諸費用など、ほとんどすべてを九兵衛が負担してきた。 先祖代々、所有していた借家はすべて売却、自宅も他人の手に渡った。このころ、妻・志津の実家から「絶縁」を言い渡されたという話がつたわっている。飛行準備中の第二翦風号(操縦席の人物はナイルスまたはチャンピオンと思われる。)■郷里を去る 大正八年版『彦根中学校同窓会名簿』を見ると、熊木九兵衛の住所は「東京市神田区」になっている。チャンピオン墜死後、彼は単身上京、間もなく妻子を東京に呼んでいる。民間飛行場の夢が絶たれたうえ、すべての資産を失った九兵衛として、そのまま郷里に踏みとどまる気になれなかったのは当然であろう。 九兵衛の東京での職業は「松永フォード自動車販売所勤務」(昭和十年版『同窓会名簿』)になっている。第二翦風号に携わっていた彼の知識が、少しは生かされる職業であったのか。ただし、家族に飛行機の話は一切しなかったという。昭和十九年四月十五日、熊木九兵衛は脳溢血のため死去。五十五歳であった。 いっぽう、八日市町をはじめ御園・玉緒・中野の各村は滋賀県と連携し、航空第三大隊誘致活動を強力に展開した。大正十一年一月十一日、旧民間飛行場の十倍(五十万坪)という広大な面積を誇る陸軍八日市飛行場が開設された。■熊木九兵衛の夢 九兵衛の夢は「無謀すぎた」というべきか。あるいは時代が彼に追いつかなかったのか。翦風号飛行一〇〇周年にあたり、草創期の民間飛行家・荻田常三郎の業績とあわせ、飛行学校や民間飛行場の開設というおおきな夢を追い続けた熊木九兵衛の足跡をも、私たちは忘れてはならないと思う。 (荻田常三郎・熊木九兵衛にかんする詳しい情報は、中島伸男『翦風号が空を飛んだ日』=八日市図書館蔵=をご覧下さい。)滋賀報知http://www.shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014632
2014.01.01
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=「黒壁」13年連続で1位堅持=昨年も1位の「黒壁ガラス館」◇全県 県はこのほど、昨年一年間に県内の観光施設を訪れた人数の集計結果を公表した。 これは、県内の市町から寄せられた報告を集計したもの。調査は、県内の観光地で年間入り込み客数が千人以上見込まれる観光地で実施し、七百四十二地点の報告があった。 それによると、延べ観光客数は四千四百十九万千三百人(前年対比六・七%減)と減少した。宿泊客数も二百九十六万二千三百人(八・五%減)と落ち込んだ。 この中にあって外国人延べ観光客数は十四万千五十九人(同一二・三%増)と増加した。 その理由には、東日本大震災に関する風評の影響により減少した一昨年から、回復したことが上げられる。ただ外国人宿泊客数は七万三百三十七万人(九・二%減)と減少した。 昨年は、大津地域や湖南地域、甲賀地域など県南部では観光客数が増加したものの、県北部では一昨年に長浜市で開催された「江・浅井三姉妹博覧会」が終了したことに伴い、特に湖北地域で二七・五%減と大きく減少した。 しかし、平成二十二年と比較すると県全体では一・六%の増加となり、平年並みとも言える。 一方、昨年に観光客数が最も多かった施設は、「黒壁ガラス館」で、平成十二年から十三年連続で一位を堅持した。なお十位までは、次の通り。 一位=黒壁ガラス館(長浜市)、二位=多賀大社(多賀町)、三位=道の駅藤樹の里あどがわ(高島市)、四位=彦根城(彦根市)、五位=日牟禮八幡宮(近江八幡市)、六位=比叡山ドライブウェイ(大津市)、七位=県希望が丘文化公園(野洲市、湖南市、竜王町)、八位=八幡堀(近江八幡市)、九位=道の駅あいとうマーガレットステーション(東近江市)、十位=比叡山延暦寺(大津市)。http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014603
2013.12.31
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=ビワマス、コアユ、ニゴロブナ、ハス、ホンモロコ、イサザ、ビワヨシノボリ、スジエビ=◇全県 県ミュージアム活性化推進委員会(会長・篠原徹琵琶湖博物館長)は、琵琶湖に生息するビワマス、コアユ、ニゴロブナ、ハス、ホンモロコ、イサザ、ビワヨシノボリ、スジエビの八種類の魚類を「琵琶湖八珍」と名付けて、湖魚料理のブランドに選定する提案を行った。 県立安土城考古博物館が夏期企画展の開催にあわせ実施したアンケート「あなたと探す琵琶湖の美味しい琵琶湖八珍」の集計結果を受けて、琵琶湖八珍選定委員会を設置して検討を重ねてきた。 琵琶湖八珍は、湖魚料理の歴史と文化を通して琵琶湖の未来を考えるきっかけとすることが目的。選定にあたっては、▽琵琶湖ならではの個性が出るもの▽産地が主に琵琶湖であること▽安定的に供給されるものの三項目を選考基準にし、料理ではなく素材とした。ただし、アンケートで関心が高かったウナギ、アユ(大アユ)、シジミ、コイは選考から除外した。 料理を選考対象にしなかったのは、▽膨大な種類の中から八種類を限定的に選ぶことは非常に困難であること▽料理で固定してしまうと湖魚利用が限定的になることが予想される▽宍道湖七珍、世界三大珍味は素材を対象としている、の理由による。 このほか、アンケート結果で人気のあった料理は、一般的なものが多く、琵琶湖産の湖魚に限定すると現状と合わないため、集計結果は参考とした。 提案の琵琶湖八珍を広め、定着を目指す取り組みとして次のイベントが開催される。【カルチャー&ツアー】◇第1回「琵琶湖八珍の紹介と八珍料理」1月19日・参加費五千円◇第2回「漁師が造る八珍料理と水郷」2月2日・同五、九〇〇円◇第3回「近江商人の八珍料理と早春雛めぐり」2月22日・同五、二〇〇円◇第4回「琵琶湖八珍と近江の地酒」3月8~9日の一泊二日・同一万五千円。いずれもJR近江八幡駅集合。問い合わせと参加申し込みは、休暇村近江八幡(TEL32-3138)へ。http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014594
2013.12.30
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=次世代に伝統文化とまちなみ継承へ=手作りすごろくで盛り上がる子どもたち(五個荘金堂町にある金堂町自治会館で)◇東近江 平成十年十二月二十五日に国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けてから十五年-。五個荘金堂地区では、子どもたちが自分の住んでいる所のすばらしさに気づき、誇りと愛着を育む機会を大切にしている。 NPO法人金堂まちなみ保存会は、平成十八年から年一回の体験学習"金堂まち探検"を実施している。金堂町子ども会の小学生が縦割り班を編成し、近江商人屋敷や近江商人博物館、神社仏閣、自治会館などを巡り、各チェックポイントでの指令をこなしながら歴史・文化に触れるというもの。 探検後には、お宝マップ・お宝カルタ・絵手紙・紙芝居・スケッチ・絵日記といった形で、学んだことや感じたことを記録に残している。八回目の今回は、探検中に印象深い場所や物をデジタルカメラで撮影し、現像した写真をマスメに使って"模造紙版すごろく"を作り上げた。 今月二十三日のお楽しみ会で、小学生三十人が四つの班の手作りすごろくに挑戦。二人でてんびん棒を担いでいる写真で三マス進むや鯉に乗せてもらってワープなど、子どもたちの豊かな発想がマスメに詰まっていた。 中でも、近江商人博物館に展示されている小幡人形最大の"おぼこ(高さ六十七センチ)"のマスメは、一番の盛り上がりを見せた。橋本学斗君(六年生)は「見た目が少し怖かったので、おぼこのマスメに来たらスタートに戻って三回休みという設定にし、大成功だった」と笑顔で語り、スタートへ戻る羽目になった北村紘大君(六年生)は「おぼこのマスメ地獄がすごかった。他の人が作ったすごろくは、新しい感覚でとても楽しかった」と夢中になって遊んだ。開催中の特別展「拡がる 凛としたまちなみ」 金堂地区の魅力を記録と記憶に残す取り組みには、子どもたちに郷里を愛し守り続けてほしいとの願いが込められている。そんな思いを家族でも共有してもらおうと、手作りすごろくの縮小版セットを小学生家庭に配布。正月にすごろくを囲んで初笑いの光景が目に浮かぶ。http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014596
2013.12.29
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=地産地消のランチとデザート=◇東近江 県立八日市南高校食品流通科3年生食品流通班の生徒による「八南(ようなん)レストラン」が21・23日の2日間、東近江市青葉町の八日市文化芸術会館内にオープンした。 同校で栽培した農産物や畜産物、地元産野菜を使った地産地消がテーマのランチ(チキン南蛮・野菜のキッシュ・かぶらのスープなど)と、ケーキやムースのデザートが、予約客の胃袋を満足させた。 緑地デザイン科がテーブルの装飾などを担当、また、農業技術科が育てた卵や食品流通科が製造したジャム・クッキー・味噌などの加工品の販売と、3学科合同の学習成果発表の場となった。http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014582
2013.12.28
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=写真家・西山武志さん 天籟(らい)宮で1月5日まで=天籟宮の蔵の中で開かれている写真展と写真家・西山武志さん◇近江八幡 「美の滋賀」をテーマに写真撮影に取り組んでいる写真家・西山武志さん(35)の写真展が近江八幡市玉屋町の「天籟宮(てんらいきゅう)」で開かれている。一月五日まで。入場無料。 西山さんは、和歌山県紀の川市在住の写真家で大阪芸術大学大学院卒業後、同大学院研究員を経てペンタックスフォトスクールの講師を歴任。写真家としても注目される作品を次々と発表し、二〇〇二年フジフォトサロン新人賞、〇四年読売写真大賞入選(デジタルアート部門)、〇七年日本写真家協会・第三十二回JPS展入選など数多くの写真展に入選し、評価を集めている。 来年開催されるBIWAKOビエンナーレに参加予定で、現在、「美の滋賀」をテーマに写真を撮影するプロジェクトに取り組んでおり、その一環として写真展が企画された。 写真展では、水と花をモチーフに「揺らぎ」を表現した作品を展示。 古い町家の歴史文化を今に伝える天籟宮の蔵を会場に一階と二階に合わせて十六点の作品が鑑賞できる。二階では、照明のない蔵で屋根裏の梁や板壁に写真作品がプロジェクター投影で映し出され、古い建物とコラボした不思議な「揺らぎ]を醸し出している。 西山さんは「静止した画像の中に見えてくる美やシンプルな一枚の写真から『揺らぎ』の鮮やかさ、しなやかさ、色つやを楽しんでいただけたらうれしい」と話している。http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014574
2013.12.27
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=古社ならではのロケーション人気=本殿前の花嫁行列◇多賀 縁結びの神様として知られる多賀大社(多賀町)で挙げる神前結婚式が、「厳かな雰囲気で永遠の誓い」を望むカップルに人気だ。 「お伊勢まいらばお多賀へまいれ お伊勢お多賀の子でござる」と俗謡にあるように、同大社は伊勢神宮の祖神(おやがみ)として古くから信仰を集め、秀吉から寄進された太閤橋や庭園も今に伝わる。 祭神は、イザナギ、イザナミ命(のみこと)の夫婦神。古事記によると、初めて夫婦の道をひらき、天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々を産んだとされる。 専門スタッフによる神前婚では、荘厳な社殿での挙式、参集殿では雅楽の演奏に導かれて和風、洋風の披露宴、さらに写真撮影では江戸時代の障壁画などが残る奥書院(県指定有形文化財)や、日本庭園(国名勝)といった同大社ならではのロケーションが喜ばれている。 参集殿部長の中嶋知也さんは「凛とした気品に満ちた挙式は、新郎・新婦だけでなく、列席者にも末永く心に刻まれます」とPRしている。http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014573
2013.12.26
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=県社会福祉事業団=◇近江八幡 社会福祉法人滋賀県社会福祉事業団(北岡賢剛理事長・近江八幡市安土町下豊浦)が運営する「ひのたに園(日野町松尾)」に十八日、二十三日の天皇誕生日にあわせ天皇陛下から社会福祉事業奨励のために金一封が贈られた。 同事業団は、生活保護法に基づき障害や疾病、経済的理由により一人で生活を営むことが困難な人の自立生活を目指した支援施設を運営し、県民の福祉増進に貢献している。http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014567
2013.12.25
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身近すぎて聞けずにいるのだが、母の老い支度が加速している。数年前に70歳で運転免許を返納以降、体重管理に気を配り、足腰の鍛錬を心掛け、習い事も減らしてきたようだが、最近、物の整理に着手した▼衣服や本はもちろんのこと写真やアルバムも処分。「新しい服はもう買わない」と宣言し、もしもの時にひつぎに入れるものは記憶力の良い孫に託したというから徹底している▼「終活」は古来繰り返されてきたことだ。八幡市立松花堂庭園の草庵茶室に、江戸時代初期、寛永の文化サロンの中心にいた文人僧・松花堂昭乗の老い支度を見ることができる▼明治時代に男山中腹から移築されたかやぶき屋根の茶室は、住居と持仏堂を兼ねた。床と仏壇、袋戸棚の下に丸炉のある二畳の間。かまどを置いた土間と勝手。たったそれだけ▼書画に優れた昭乗は小堀遠州と親しく、頻繁に開いた茶会には、関白近衛信尋(のぶひろ)の名も残る。所蔵の茶道具は後に「八幡名物」と称された。知識人があこがれる人物だったはずだ▼訪ねると、手にしたたくさんの物を、さっと切り捨てた潔さを感じる。戦乱の世の名残があった寛永期ならではの生き方だったのだろうか。現実には、そこまで潔くしまわれると、少し寂しい。適度に思い出の品を残しながら長生きしてと願う。[京都新聞 2013年12月24日掲載]
2013.12.24
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身近なはずのウナギの産卵場所が突き止められたのは2009年だった。太平洋のマリアナ諸島沖。ウナギの研究者らが生態を約40年かけて追った末のことだった▼特別天然記念物のアホウドリ。模型で仲間を誘い、繁殖する島により安全な繁殖地をつくるのに15年かかった。快挙を喜びつつ、生き物の生態解明や生息地拡大は実に息の長い仕事なのだと知った▼さて、国の天然記念物アユモドキである。亀岡市の生息地周辺を京都府が球技専用スタジアムの建設地に選び1年。過去10年の現地での研究で産卵場所などが少しずつ分かってきたが、生態にはまだ謎が多い▼江戸時代の複数の書物に大堰川の名物とある魚だ。淀川水系ではかつてありふれた存在だったのに、今や野生絶滅の瀬戸際。環境省のレッドリストではイリオモテヤマネコ並みの危機にある▼スタジアムとどう共生を図るのか。府と市は専門家会議を設けて探っているが、建設の影響や共生策の検討はおろか、実態調査すら途上にある▼府は15年度のスタジアム着工、16年度の完成を目指す。だが、保全の確信が持てぬまま建設に踏み切って現地のアユモドキ絶滅を招けば、後世に残る愚行となる。京都では淡水魚ミナミハリヨを守れず、1960年代に絶滅させた。苦い歴史を繰り返すまい。[京都新聞 2013年12月23日掲載]
2013.12.23
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風化がいわれながら、あの戦争の記憶は68年後の今も日本人の心に重くのしかかる。ゼロ戦を扱った映画「永遠の0」が公開された。妻子に再び会うため、天才パイロットの主人公は臆病者の汚名に甘んじ、激戦を生き延びようとする▼かつて取材した元ゼロ戦搭乗員を思い出した。「私が第一線に出たころは戦争末期。撃墜なんて、とても。逃げ回るばかりで」。京都市山科区の自宅で感情を押し殺すように振り返った▼15歳のとき、親に無断で海軍の飛行予科練習生となり、各地を転戦した。やがて戦局は悪化。極秘のロケット特攻機・桜花の部隊に配属され、無音で滑空する不気味な機体の操縦訓練を繰り返した。まだ19歳だった▼ところが出撃を前に護衛戦闘機隊に配置換えとなり、九死に一生を得た。「あのとき死んでいたら、子も孫もいなかった」と家族の写真を手に笑った。それから十数年、消息は途絶えた。存命なら傘寿だろうか▼無謀な戦闘を拒み続けた映画の主人公は最後に特攻を選ぶ。最愛の家族を思いつつ、失った大勢の友や仲間に呼ばれるように▼ほとんどの日本人が「何のために、どう死ぬか」を考えていた時代に、生き続けることをあきらめなかった主人公の姿は胸を打つ。特攻を強いた理不尽で残酷な時代を二度と繰り返すまい。[京都新聞 2013年12月22日掲載]
2013.12.22
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「カギ」と呼ばれる文章をヒントにタテヨコに交差するマスに言葉を埋めていく。新聞や雑誌の娯楽欄でおなじみのクロスワードパズルは、誕生から今年で100年になるそうだ▼発明したのは、ニューヨークの新聞社で日曜版の娯楽欄を担当していたアーサー・ウィンという記者。人気はじわじわと広がり、10年後には世界的ブームになった▼日本でも大正末の1925年に週刊誌が紹介して一大ブームを迎える。「欧米で大人気の『新しい考へ物』クロスワードとは?」といった調子で遊び方を説明し、翌週号で「新知識遊戯『嵌(は)め字』」という日本初の問題を出した▼ちょうどNHKがラジオの本放送を始め、情報革命が幕を開けた年。パズルの賞品は1等が高級ラジオセットで、京阪神を中心に4万5千通もの応募があったとか▼いずれも「遠山顕のクロスワードの謎」(NHK出版)で知った。欧州では、第2次大戦で暗号通信に使われたという話もある。確かにマス目のいくつかに秘密の言葉をしのばせておけば、十分に使えそうだ▼だが、そんな使い方をされる暗い世になっては、くだんの記者も落胆しよう。初掲載は今日と同じ12月21日。クリスマスに楽しんでもらおうと前日まで頭をひねった。平和な家族だんらんを願ってのことだったはずだ。[京都新聞 2013年12月21日掲載]
2013.12.21
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はじめに12月に入れば年賀状の準備で忙しくなりますよね。しかし、慌てているからといって「謹賀新年 新年あけましておめでとうございます。」なんて間違いだらけの文面を書いていませんか?「え!どこか間違っているの?」なんて不思議に思った方は、年賀状に書いてはいけないNGワードをしっかり確認しましょう。■ 年賀状に書いてはいけないNGワード◎ 「A Happy New Year」 日本では「あけましておめでとう」という意味合いでよく使われている「A Happy New Year」ですが、厳密に見れば文法的な間違いを犯しています。というのも、文頭に不定冠詞の「A」がついているために、挨拶としての意味合いが薄れてしまうのです。英語で「おはよう」と挨拶する時、「A Good Morining」なんて言いませんよね?なので、年賀状に書く場合には「A」を抜いて「Happy New Year」としましょう。「A」をつけてしまうと、「楽しい新年」といった名詞的な意味になってしまいます。◎ (目上の方宛に)「賀正」「迎春」「賀春」「頌春」これらの2文字の賀詞(新年を祝う言葉)は、実は正式な言葉ではなく略語です。そのため、目上の人へ送ってしまうと失礼に当たるので、上司やお世話になっている方への年賀状では使わないようにしましょう。目上の人へは、「謹賀新年」「恭賀新年」「敬頌新禧」などの4 文字からなる賀詞を使用するのがベターです。◎ 「。」「、」 年賀状のような儀礼的な文書には、句読点(「。」と「、」)を使わないという慣例があります。その理由については「途切れずに滞りなく流れるようにとの意味を込めた」「文章を読みやすくするための"補助"的な用法なので、失礼に当たる」など諸説入り乱れていますが、慣例自体はきっちり存在しているものなので、「。」と「、」は使わないよう気をつけましょう。◎ 「去年はお世話になりました」 上司や先輩への年賀状では使いがちな表現ですが、実はNG部分が一箇所あります。それは、「去年」の「去」。実は、「去」という字は死を連想させる忌み言葉なので、年賀状というおめでたい文書では使うべきではないのです。勿論、「衰える」や「失う」といったどう見てもネガティブな表現はもってのほかですよ。どうしても去年のことが書きたい場合は、「昨年」や「旧年」と言い換えましょう。◎ 「新年あけましておめでとうございます」 「新年あけましておめでとうございます」は、新しい年を意味する「新年」と年が明けて新しい年の到来を意味する「あけまして」で意味が重複しているため、文法的に誤りとされています。実は、「湯が沸く」「穴が空く」と同様に、「『新年が明ける』は変化の結果に注目していうものなので間違いではない」らしいのですが、一般的には重複表現であるという意識が強いので使わない方がベターでしょう。■ 過剰な「あけおめ」アピールもNG ◎ 「謹賀新年」と「あけましておめでとう」は併用しない ここまで、ワード単位でNGなものを挙げてきましたが、使い方によって誤りになる表現もあります。中でも特に注意したいのが、過剰な「あけおめ」アピールです。例えば、 「謹賀新年 あけましておめでとうございます。」という文面は、2度も「年が明けておめでたい」という気持ちを表してしまいます。確かに年明けは気分も高まりますが、文章的には意味が重複してしまうので気をつけましょう。◎ 知っておきたい賀詞の意味 上のような失敗を犯さないためには、新年の祝言葉である「賀詞」の意味を正確に知っておくことが大切です。以下に、主な賀詞の意味を紹介しておくので、年賀状をデザインする前にしっかり意味を確認しておきましょう。・賀正:正月を祝う ・賀春:新年を祝う ・頌春(しょうしゅん):新年をたたえる ・迎春:新年を迎える ・謹賀新年:謹んで新年をお祝い申し上げます ・恭賀新春:うやうやしく新しい年をお祝い申し上げます ちなみに、「春」は「新年や年の初め」を意味し、「賀」は「祝い」という意味になります。■ おわりに賀詞の中で相手を選ばずに使えるとされているのは以下の4つです。・1:明けましておめでとうございます ・2:新年おめでとうございます ・3:新春のお慶びを申し上げます ・4:Happy New Year目上の方にあてるものやビジネスシーンでは「横文字=軽い」という印象を与えかねないので、相手によって印刷する内容を変えるのが面倒な方は、1~3の挨拶を選ぶのが無難かもしれませんね。(著:nanapiユーザー・Ch1nnen 編集:nanapi編集部 写真:PresenPic)
2013.12.21
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神彩尚如射目-(素晴らしい色彩が今も目を射るようです)。江戸後期の文人画家・池大雅が朝鮮通信使に宛てた書簡だ。間近で見た筆さばきをたたえた後、率直に問う。富士山はどう描くのが良いのか、と▼豊臣秀吉の朝鮮出兵で悪化した日朝関係を修復した江戸幕府に対して、朝鮮国王が友好の証として派遣したのが通信使だった。一行は総勢四、五百人。政治家や官僚らに加え、当代きっての学識者や画家、楽士が随行した▼大雅の存命中は2度来日し、京都の本圀寺(ほんこくじ)で面会したという。便りは後の回、42歳の時に書いた。既に中国南画に日本や西洋の表現も加え、独自の日本南画を大成しつつあった▼その大家が、教えを請う。誰が描く富士も、緑青を塗って雪を描くか、水墨の線をひくかの二通り。もっと新しい描き方を探したい▼丁寧な文字に「あなたなら違う道を示してくれる」との期待がにじむ。約250年前の手紙は、大雅らを触発した書画とともに京都市北区の高麗美術館で紹介中だ(23日まで)▼師走は48年前、日韓が国交回復した縁起のよい月。なのに両首脳はついに握手を交わさず年が暮れる。苦い歴史を超えようとした品々をみつめ、明日に誓いたい。「欺かず争わず」と善隣外交を説いた儒学者・雨森芳洲の肖像が来訪者を迎える。[京都新聞 2013年12月20日掲載]
2013.12.20
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冴(さ)え返った冬空が、泣いているようにもみえた。先夜、ふたご座流星群が幾つか天を駆けていた。生きていることの喜びとはかなさを伝えるような、涙にみえた▼きょうは「いのちの日」である。京都府京丹波町の丹波ひかり小では毎月19日を、そう呼ぶことにしている。4カ月前、5年生の山名空くんが10年の人生を閉じた日。福知山市の花火大会で爆発事故にあい、4日後だった▼何か、特別なことをするわけではない。ただ、朝の授業前などに、野球好きだった空くんのこと、かけがえのない命の重さ、自分の親への感謝の気持ちなどに先生が少し触れる▼あの時、友だちの死に涙した子どもたちも日常を取り戻している。秋の運動会での団結に、地区の駅伝大会での入賞。たくましく、まぶしい。「だけど」と上田明成校長は言う▼「空くんのことは胸から消えることはないでしょう。月命日に立ち止まって考えることで、これからの長い人生、つらい時、しんどい時に、空くんの分も頑張ろうと思えることがあれば。大事な経験にしてほしいのです」▼花を「星の涙のしずく」と表したのは岡倉天心だった。誰しもよわいを重ねるごとに、いのちの日は増える。忘れられないけど、もう会えない人を思う時間。涙を、心に咲く花に変えて人は生きてゆく。[京都新聞 2013年12月19日掲載]
2013.12.19
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どうすれば人生が成功するのかハウツー本は数あれど、今これほど注目すべき本は少なかろう。「欲望は抑え込んではいけない」「敵が大勢のときはこっちの土俵に持ち込むのが鉄則」と▼著者は、東京都の猪瀬直樹知事。副知事時代に出した人生訓「突破する力」(青春出版社)に学んでみよう。ただし反面教師として▼「細かい数字にとらわれるな」。徳洲会グループからの現金受領で追及を受ける猪瀬知事だが、5千万円は細かい数字か聞いてみたい。都議会では、かばんに札束の模型が入るか試みる一幕があったが、本に書いてあった「目に訴える伝え方のコツ」の応用だろうか▼「自分に不利な"空気"を変える方法」の章もあるが、知事の経緯説明は二転三転、苦しくなる一方だ。著書には「言い訳をせずに真正面から責任を引き受けてこそ、頼られる存在に」とも。その通りじゃないですか、ぜひ自著の再読を▼人生訓を世に出すのは、よほど自信がないとできまい。政治家はなおさらだろう。人生の苦さ、ままならぬ悲しみを込めて磨いた言葉ならばこそ、短くても人々に届く▼東京の庶民の暮らしを、心から愛した名優、故小沢昭一さんの一句。<あのことの所為(せい)か湯たんぽ胸に抱き>。豊かな人生とは何か、老境の句に去来するものが染みる。[京都新聞 2013年12月18日掲載]
2013.12.18
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=27日まで大凧会館=◇東近江 年賀状作成に役立ててもらおうと東近江大凧会館では今年も、年賀用スタンプを玄関近くに置いている。 来年の干支「午(うま)」を図柄に取り入れた祝新成人二十畳敷東近江大凧「皆で 頑張ろう」が彫られている。=写真= また、写真撮影用に二畳敷版の祝新成人大凧も展示してあり、家族写真などを撮ることもできる。 利用できるのは二十七日までの午前九時から午後五時の間。水曜日と二十四日休館。同館ホームページ(http://oodako.net/)からはイラストがダウンロードできる
2013.12.17
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=近江トラベル=従来の同社観光船と比べて燃費が3割向上した観光船「Kirari」◇彦根 近江鉄道グループの近江トラベル(本社・彦根市)は、二十一日から環境に配慮した低燃費の観光船「Kirari(きらり)」(全長二十五メートル、定員百八十八人)を就航させる。 この観光船は、同社の観光船「ニューわかあゆ」を全面改装したもの。環境に配慮した国産の新型エンジンに積み替えたことにより、彦根港~竹生島間の往復の燃費が、二百リットルから百四十リットルへと、約三〇%向上する。 デザインも琵琶湖にマッチしたブルーを基調に爽快感のあるイメージに改装。「Kirari」の船名は、近江鉄道グループの社員から募集したところ、将来に向かって「キラリ」と輝けるようにと名付けられた。 今後の運航は、同社の彦根港~竹生島の定期航路のほか、イベント船として海津大崎の花見クルーズや、貸切船として活用する。
2013.12.16
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=知事賞に能登川南小の白根さんら8人=彦根市立平田小学校3年 佐野はなりさん「土しゃさいがい ちゅう意」◇全県 小・中学生を対象にした「土砂災害防止の絵画・作文コンクール」の県地方審査で、県知事賞に東近江市立能登川南小学校一年・白根智仁さんの作文など八点が選ばれ、これらを県は国土交通省の中央審査に推薦した。 県が絵画・作文コンクールを実施したところ、県内の小中学校四十校から百七十五点の応募があり、県地方審査を行って、入賞作品三十四点を決定した。このうち県知事賞の入賞作品は次の通り(敬称略)。
2013.12.15
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=大凧会館 体験教室も=クリスマスムードいっぱいの会場◇東近江 世界凧博物館東近江大凧会館(東近江市八日市東本町)で、クリスマスムードいっぱいの楽しい企画展「クリスマスの風に乗って 夢ひろがるタコとメルヘンの世界」が、二十七日まで開かれている。 市内在住ステンシル作家の平川義男さんのおとぎ話の世界から飛び出したような「リトルサンタクロース」作品四十二点と、徳島県の矢部照征さんが製作したサンタクロースやトナカイなどのクリスマス凧八点を展示。 会期中、十五・二十二・二十三日の午後一時から四時までは、平川さんのステンシル無料体験教室が開かれる。また、十五日午前九時からは、縦約一〇〇センチ、横約五〇センチのサンタ凧を作る「サンタクロースの凧作り教室」も開催される。こちらは参加料五百円で、定員は三歳以上二十五組(小学生以下は保護者同伴)。参加申し込みと問い合わせは、大凧会館(TEL0748-23-0081)へ。 入館料は一般三百円、小中学生百五十円。水曜日と二十四日休館。
2013.12.14
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=生誕の地、市原野町の入り口に=◇東近江 子どもたちを交通事故から守る注意喚起看板「飛び出し坊や」の特大判が"坊や"の生まれた東近江市市原野町の広域農道道路沿いに登場し、通行するドライバーに安全運転を呼び掛けている。 町内のまちづくりグループ「菜の花クラブ」(野田外治郎代表)が今月1日に設置したもので、通常の約3倍の身長180cmは遠くからでもはっきり見える。 また、夜になると背後のグラウンドに設営された「やさしさが走るこのまち いちはらの」の文字のイルミネーションと共にライトアップされる。
2013.12.13
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=心の遺産、近江八幡・堅田へ=ヴォーリズ ヴォーリズさんが愛した琵琶湖を観光船「megumi」で行くツアーの募集を、エコツーリズム協会しがが行っている。 明治三十八年(一九〇五年)に来日したヴォーリズ(一八八〇~一九六四)は、湖東地方を中心に行っていたキリスト伝教活動を、ガラリア丸に乗って対岸の湖西へと広げていった。ヴォーリズによって建設された旧八幡郵便局 二十一日開催のこのツアーは、ヴォーリズの活動を追体験するように、大津港から観光船で拠点となった近江八幡市内へ向かい、市ヴォーリズ記念館やアンドリュース記念館、旧八幡郵便局などを巡り、さらに同市長命寺港から観光船に乗って大津市のヴォーリズ堅田協会を訪ね、ヴォーリズが残した建築・医療・福祉・教育・健康など社会貢献活動から経済活動までの精神に触れる。ヴォーリズが県内一円するために乗ったガラリア丸 船内ではミニフォーラムが開かれる。テーマと講師は、▽「ヴォーリズ建築の魅力 ヴォーリズさんのお人柄、生涯から学ぶ」石井和浩さん(NPО法人ヴォーリズ建築保存再生運動 一粒の会理事)、▽「ウィリアム・メレル・ヴォーリズと西村関一~堅田伝道物語」北村裕明さん(滋賀大学副学長)-となっている。 参加費は八千円(乗船料、貸し切りバス代、昼食、見学、案内代、保険代)。定員五十人。問い合わせは、地域観光プロデュースセンター(TEL077-532-7286)へ。
2013.12.12
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=年間発電量500世帯分 官民共同では全国初=滋賀食肉センターに完成したメガソーラー(空撮機で撮影)◇近江八幡 近江八幡市長光寺の滋賀食肉センターで整備が進められていた「大規模太陽光発電施設(メガソーラー)」の開設記念式典が八日、同センターで行われ、発電の開始を祝った。 (財)滋賀食肉公社(近江八幡市・理事長=西嶋栄治副知事)、エナジーバンクジャパン(株)=大阪市、境内行仁社長=、(株)京セラソーラーコーポレーション(京都市、後藤政治社長)が共同で、同センター敷地内の未使用用地二か所と建物屋根上に総事業費約六億円を投じて整備を進めてきた。 県内十六番目で公有地に設置されたのは初めて。規模では三番目。発電開始を祝って施設の看板を除幕する出席者 二十年間の売電で事業費返済と収益を上げる事業計画になっている。また食肉公社は、年間平均で約千万円の地代が新たな収入となる。 センター施設屋根を含む約二万五、五〇〇平方メートルの用地に据え付けられた八、六三〇枚のパネルで一般家庭約五百世帯分の年間電力消費量に相当する年間約一八四万キロワットアワーの電力を生み出す。 屋根のパネルには、蓄電装置を備えた非常用電源システムが設置され、災害などの非常時に地域に貢献できるよう配慮されている。 開設記念式典には、県、市の担当職員、県会議長、地元代表者などの来賓、事業関係者ら約三十人が出席した。出席者らは官民共同での取り組みとしては全国初のメガソーラー事業が「滋賀モデル」として発信され、再生可能エネルギーが普及拡大していくことに期待を寄せた。
2013.12.11
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=石塔町の草の根広場 来年1月3日まで毎日点灯中=多くの来場者を柔らかな輝きで包み込む石塔町ペットボトルイルミネーション◇東近江 平成十五年から石塔町が、子どもたちを見守り育てることを目的とした阿育の子育成会とともに、地域をあげて取り組んでいる。家庭で出たペットボトルを再利用し、子どもと大人が組み立て作業などを通して交流を深めつつ、資源の大切さを肌で感じるエコイベントでもある。 イルミネーションに使用しているペットボトルの数は、約一万三千本。高さ二~八メートルのツリーや長さ十八メートルの三角通路のほか、今年新しくメリーゴーランドをイメージしたものが仲間入りし、同広場にはペットボトルイルミネーション十五基がLEDに照らされて柔らかな輝きを放っている。点灯式でクラッカーを打ち鳴らす子どもたち 今月一日に行われた点灯式では、開催十一年目に合わせて、来場者全員で十一からカウントダウン。点灯と同時に、子どもたちがクラッカーを打ち鳴らした。 幻想的な光の世界を背景に、顔を寄せ合い記念撮影する親子や肩を寄せ合う恋人たちの姿が見られ、会話も心の距離も縮まる温かい時間に多くの来場者が酔いしれた。 点灯期間は来年一月三日までで、毎日午後五時から同九時まで。十二月二十四、二十五、三十一日と一月一、二、三日は午前零時まで点灯予定。駐車スペースあり。
2013.12.10
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=ヨシ灯りも展示 西の湖の自然をPR=安土駅前に点灯したイルミネーション◇近江八幡 JR安土駅前のロータリーに七日、年末恒例の「安土イルミネーション」が点灯した。来年の成人式(一月十三日)まで午後五時~同十一時の間点灯される。 町商工会が中心になって毎年、設置しているもので、年の瀬恒例のイベントとして駅利用者に親しまれている。 十四回目の今回は、九月に開催した西の湖ヨシ灯り展の優秀作品八点を展示、点滅するイルミネーションに、温かみある灯りをそえている。 イルミネーションは、昨年より多い約一万五千個のLED球が点滅。時間とともに変化する色合いや輝きが駅前を鮮やかに照らし、仕事帰りの人々の疲れを癒している。 安土のシンボル織田信長像もイルミネーションで夜の駅前にライトアップされ、郷土の歴史と文化のPRにも一役買っている。
2013.12.09
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=いぶし銀に輝く96人の思い=かわらミュージアムで展示されているかわらのモニュメント◇近江八幡 近江八幡市のかわらミュージアムで、八幡瓦の粘土と技法による市民の陶板作品を集合させたモニュメントが展示されている。 県立近代美術館、成安造形大学と連携した「美の滋賀」地域づくり事業として取り組んでいる企画展「八幡瓦と八幡堀から伝えた思い」の中で、十月十三、十五、二十日の三日間、〇歳から百歳代の近江八幡市民の思いをつなぐ催しとしてモニュメントづくりを実施。出来上がった一枚一枚の作品計九十六枚を集合させ、横三メートル縦一メートル余りの木枠に貼り付けて仕上げた。 十八センチ四方、厚さ二センチに焼き上げられた一枚一枚の作品には、表面に手形や足形など身体の一部をかたどったものや抽象的な立体として表現したものなど、瓦粘土の特徴を活かした作品が並んでいる。 完成したモニュメントは、八幡瓦特有のいぶし銀に輝き、制作した市民一人ひとりがそれぞれの作品に込めた「八幡堀からの思い」のメッセージを発信している。
2013.12.07
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=太郎坊宮でお火焚大祭= ◇東近江 燃え上がる炎で無病息災・諸願成就を込めたご神木を焼く「第56回お火焚大祭」が1日、東近江市の太郎坊宮で行われた。 修験者らによる神事で会場が浄められ、護摩壇に忌火が点火されると、高々と神煙が立ちのぼり、信者や氏子から寄せられたご神木が次々と忌火の中に投げ込まれると炎は勢いを増した。 見物者は今年1年の汚れを焼き払い、新年の多幸を祈る「火渡り神事」に臨み、裸足になって忌火で起こした火の上を足早に歩いた。 また、氏子総代による開運厄除けの「大根炊き」、名物の「勝運うどん」、「甘酒」などで、身も心もあたためていた。
2013.12.06
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=今年は「友だち・初恋」で募集=優秀作品を掲示した京阪電車◇大津 石坂線21駅の顔づくりグループは、通学の足としての京阪石坂線(大津市)の特徴を生かして、電車と青春21文字メッセージを募集している。 今年のお題は「友だち・初恋」。二十一文字で表現したものであれば、手紙、俳句、詩など形式は自由。俵万智さん(歌人、作家)が最終審査する。最優秀、優秀賞の作品は電車の車体に、入賞作品は卒業シーズンである来年三月、電車内の吊りスペースに掲示する。 表彰は、優秀賞四点(石坂洋次郎賞、初恋賞、さわやか賞、MAKE YOUR SMILE!賞)、入賞二十点、入選七十六点となっている。 応募方法は、はがき、ファックス、メールのいずれかで、住所、氏名、年齢、職業(学校名)、連絡先を記入して、今月二十日までに〒520-0027大津市錦織二-七-一六、京阪電気鉄道大津鉄道部「青春メッセージ係」(ファックス077-525-8468、メールseisyun21moji@yahoo.co.jp)へ。 なお、石坂線21駅の顔づくりグループは、発足して十周年を記念して、これまでの活動記録を冊子にまとめた。21文字メッセージの取り組みは八回目を迎え、昨年はNHK大津放送局制作で、入賞作品を題材にした「石坂線物語」が全国放映された。
2013.12.05
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