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夕陽が静かに沈んでゆきます(写真は12月29日の夕日)。今年もあと数時間。時があっという間に過ぎていきますね。ところで、やり残したことがあったので、ここで記しておきます。実は今年2月21日にテレビ東京が放映した番組「世界が騒然! 本当にあった衝撃ファイル」で、1985年に全日空の機長が四国上空で全長数百メートルという巨大葉巻型UFOを目撃、他の航空機や管制塔もそのことを把握していたということを紹介しておりました。その番組。この番組放映時、私はちょうど『UFOと交信すればすべてが覚醒する』(河出書房新社)の最終校正作業中で、無理をすれば後付けの「UFO関連年表」に挿入できるなと思ったのですが、調べている余裕がなくて、断念してしまいました。しかし後になって、その判断が誤りで、無理してでも年表に入れておくべきだったことがわかります。この全日空機長UFO母船目撃事件が非常に重要な意味を持っていたことが判明したからです。つまり目撃の日にちが1985年10月8日だったことです。そう、ちょうど1986年11月17日に日航機長がアラスカ上空で巨大UFOと遭遇した事件のほぼ一年前に、全日空の機長が巨大UFOと遭遇していたことに大きな意味があるわけです。後付けの年表(202ページ)をご覧ください。最初に1984年12月18日に水産庁の調査船「開洋丸」が大西洋南西部のアルゼンチン沖でUFOを目撃します。その次が、約10か月後の1985年10月8日、全日空機長(乙訓昭法氏)が四国上空で葉巻型UFOに遭遇した事件です。しかもこの日には、東日本や西日本各地でUFO群が目撃される異常事態が起きていました。乙訓昭法機長だけでなく、東亜国内航空の4機の機長、日航機長、自衛隊機のパイロットら計13機がUFOと遭遇、地上でも甲子園球場などで多数が目撃していたんですね。時間は午後7時52分ごろから56分ごろまでです。その時の事件の内容はこちらのサイトが詳しいのでご覧ください。→主なUFO事件 | Aerospace News Agency Sapporo - パート 10同時刻に日航の秋元機長、TDAの前川機長らも同じ葉巻型母船を目撃していた可能性が高いことが地図からわかりますね。そして1986年11月17日に日本航空の寺内謙寿機長らがアラスカ上空でUFOを目撃。さらにその一か月後の1986年12月21日に開洋丸が中部太平洋のウェーク島そばで巨大UFOに遭遇、レーダーにもその機影が捉えられるという事件が起きたわけです。つまり1984年から86年にかけての一連のUFO遭遇事件は、意図的に、地球人、とくに日本人にUFOの存在を知らせるために目撃させていた一大イベントだったことが推定されるわけです。ということで、202ページの年表には、「1985年 全日空機長ら四国上空で葉巻型UFOに遭遇。ほか13機がUFO目撃、地上の目撃も多数(10月8日)」を挿入していただければと存じます。乙訓(おとくに)機長は当時このことをあえて公にはしませんでしたが、退官後の2006年1月17日、岸和田健老大学の講演会でその詳細を明かしました。その際、乙訓氏が描いた葉巻型UFOがこちらです。これはまさに『UFOと遭遇すればすべてが覚醒する』の99ページで紹介した河口浅間神社の葉巻型母船の見え方と同じであることがわかりますね。最初は一つの灯しか見えないのですが、横を向いたときに前と後ろに光源が二つあることがわかるわけです。母船の周りには何機もの小型UFOをはべらせて、船体には窓があったとまで乙訓機長は言い切っておりました。全日空機のやや上空を信じられないようなスピードで太平洋の方へ飛び去ったと証言しています。「全長は200~300メートルと思うが、2キロとも思われる」と記しています。ところが、当時このように信頼のおける人たちによる詳細な巨大UFO目撃の証言があるにもかかわらず、当局(日本LATとNORAD)が「旧ソ連が9月26日の人工衛星の打ち上げロケットの残骸説」を発表したことから、多くの人はそちらの方を信じてしまったわけです。寺内機長の目撃を「星を見間違えたのだ」と曲解する自称専門家の人たちも同様にふざけています。そもそもUFOを見たこともないのに、既存の物や現象で説明しようとするから、このような変な説が出回ってしまうのです。UFOを見たことがない人にUFOの解説をさせるのは、近代科学を知らない原始人に飛行機の説明をさせるようなものなのです。「大きな鳥が音を立てて飛び去った」としか彼らは説明できません。「星を見間違えたのだ」とか「打ち上げロケットの残骸だ」と言うのがせいぜいなわけです。乙訓氏の講演会の様子はこちらをご覧ください。乙訓昭法 - 検索 画像 (bing.com)さて、それはともかく、良いお年をお迎えください。
2023.12.31
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山神社の遠景です。ここは賀茂郡ですが、ここまで来ると、本当に奥伊豆まで来たなという感じがします。静かで綺麗なところですよね。大和地方にいた賀茂氏(アジスキタカヒコネ系)が八咫烏となって京都に移動してタケツノミ系となり、さらには事代主系の賀茂氏として伊豆半島に集団移住したのではないかと、私はみています。紀伊半島と伊豆半島には、同じような地名があまりにも多いですからね。大和地方と九州地方にも同じような地名の”相似形”が見受けられます。集団移住の証左ではないでしょうか。ちなみに広島と岐阜にも加茂郡があります。さて、ようやく西伊豆に到着。風が強かったので、海は少し荒れておりました。通常でも、東伊豆よりも西伊豆のほうが海は荒々しく感じます。猫越(ねっこ)火山群の仁科峠付近。駿河湾を隔てて富士山が見えてきます。この後、天城山系、箱根を経て帰りました。伊豆半島一周の旅でした。(終わり)
2023.12.30
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静かで綺麗な砂浜ですね。さて、須崎半島に別れを告げて、西伊豆方面へと向かいます。途中立ち寄った山神社。いい感じの社ですね。こちらは山神社の力石と書かれています。右の石は88・6キロ、左の石は123・2キロもあるそうです。この石を背負って、拝殿脇の階段を上り下りしたという記録があるとか。何かご利益があったのでしょうか。それとも「シジフォスの石」?立石もあります。こちらはご神体石のようですね。明治28年建立とあります。不思議な神社でした。(続く)
2023.12.29
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ようやく大掃除終了。昨年は忙しくて、ほとんど大掃除ができませんでしたが、今年はまずまずでした。さて、爪木崎灯台から見た風景の続きです。写真右奥の水平線上に見えるのが、神津島です。わかりづらいと思いますが、上の写真には利島、鵜渡根島、三宅島、新島、式根島までが全部写っています。利島の前を商船が通り過ぎようとしているところですね。空はますます賑やかになってきていました。龍神が飛び交っているようですね。こちらは灯台のすぐそばの柱状節理。北アイルランドのジャイアンツ・コーズウェイを思い出します。ちょっと規模は小さいですが、それでも綺麗な六角形の柱が並んでおりました。(続く)
2023.12.28
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昨日のブログで紹介した雲。葉巻型の母船のような雲ですね。ところで、水仙まつりが開かれている須崎半島には爪木崎灯台があります。すぐそばなので、立ち寄ってみました。見晴らしがすこぶるいいです。まずは大島。もうすぐそこ、というかんじですね。で、こちらは・・・左利島で、右の小さい島は鵜渡根島。そして、こちらは・・・新島と、右は式根島です。新島の左には三宅島が見えておりました。(続く)
2023.12.27
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水仙まつりの係の人に聞くと、丘の斜面沿いに水仙が咲いていることがわかりました。確かに丘の斜面に沿って水仙が咲き始めておりました。白い花がそうですね。こちらです。再び海の方を見ると、遠くに大島が見えておりました。拡大すると、こうなります。アロエとのツーショット。空には筋状の雲が・・・。「水仙まつり」ののぼりが、気持ちよさそうに、はためいておりました。(続く)
2023.12.26
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我々が宿泊した地域から見える伊豆七島です。大島、利島、鵜渡根島、三宅島、新島、式根島、神津島などが見えます。ここから少し南に下って、下田富士に上ると、利島と鵜渡根島は寝姿山の頭(武山)を挟んで本当に綺麗な三角形の島に見えます。こちらは日本各地の砂浜の砂を集めた地図。下田の砂は、右下の伊豆半島に置かれたグラスですが、完全な白ではなく、茶色がかっています。次の日の伊豆の白浜。クリームみたいな色ですね。空を見上げると、雲の行列が見えます。相模湾ではよく、海から立ち上ったばっかりの雲たちがこのように行列して行進します。この日は、水仙まつりが開催されるというので、立ち寄ってみました。最初に目に入ってきたのは、アロエ。水仙はどこにあるのでしょうか。(続く)
2023.12.25
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12月19日は、本当に久しぶりに伊豆半島の下田へ。途中、あたみ桜の開花に驚きつつ、午後3時ごろには伊豆・下田の宿泊先に到着しておりました。白浜海岸です。子供のころは、夏休みにはよく下田近辺で海水浴をしておりました。夏の海の定番ですね。遠くには大島が見えます。その後、八丈島や奄美大島、徳之島などにも行くようになりましたが、夏の海水浴の原点がここ下田にあります。ふと、空を見ると・・・おお、UFO雲が出ていますね。UFOといえば、前日18日の夜、秋山事務所で取材した後、外に出たら秋山氏が「UFOだ」と言ったので撮影した「遠くのオレンジ色の光」を拡大すると、次のように写り込んでいました。何か構造を持った発光体に見えますから、UFOの可能性がありますね。話は再び下田に戻ります。こちらは南国のクリスマスという感じでした。(続く)
2023.12.24
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晩秋シリーズもこれが最後です。9日後の12月10日に撮影した写真です。すっかり葉が落ちてしまった木が目立つようになりました。枯葉ロード。その分、空が広くなります。最後の紅葉。そして、今年最後の赤いバラ。次回はこの時期の伊豆半島をご紹介しましょう。
2023.12.23
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再び晩秋の紅葉の写真です。メタセコイア並木の紅葉ですね。逆光によって鮮やかな紅葉色が浮き彫りになります。美しい晩秋の紅葉。緑とのコントラストも綺麗です。こちらは黄色。イチョウの黄葉も綺麗でした。いずれも12月1日に撮影。
2023.12.22
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平年よりも温かいこともあり、12月でも薔薇は元気に咲いております。今日は、晩秋の紅葉を背景にして撮影した薔薇たちをご紹介しましょう。まだまだ元気ですね。ところで昨日まで下田に行っておりました。そちらの写真も追々ご紹介いたします。熱海では、既に桜が開花していて、びっくり。運転中だったので写真には撮っておりませんが、後で調べたら、あたみ桜は12月17日に開花宣言が出されたとか。もう春がそこまで来ているということですね。
2023.12.21
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雪の積もった野沢温泉から戻ってくると、東京はまだ秋でした。12月1日に撮影した写真。ラクウショウやメタセコイアが紅葉しておりました。まさに一面秋色に染まって綺麗でした。
2023.12.19
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最終日。心配された雪も降らず、何とか無事に家に帰れそうです。途中立ち寄った道の駅で、地元産のお米やリンゴを買い込みます。そして外に出て、遠くを見ると・・・遠くに、昨日見た大イチョウの巨木が見えました。上の写真中央右下に一際高く、頭が抜き出ている黄色い樹木が神戸の大イチョウです。飛びぬけていますね。呼ばれているような気がしたので、再び大イチョウを訪れます。何度見ても素晴らしいですね。再び黄色の絨毯を撮影。大イチョウの姿を堪能した後、出発。この地にしばしの別れを告げました。ここからは家に一直線。途中、富士山が見える場所で一休み。奥の方に見えているのが、富士山です。野沢温泉から自宅までは約5時間、休憩を入れると約6時間のドライブでした。(終わり)
2023.12.18
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大イチョウのすぐ隣には、小さな社があったのでお参りします。それにしても、辺り一面銀杏の世界です。イチョウのカーペットも半端ではありませんね。遠くの山々も紅葉しております。そばにある柿もたわわに実っております。右側が柿の木です。旅館に帰る途中、虹が見えました。運転していたのですぐには車を止められず、写真は撮れませんでしたが、道の駅の駐車場に着いたときもまだ虹が架かっておりました。ただし、肉眼ではまだはっきりと見えたのですが、写真に撮ると・・・既に薄くなっていてほとんど写っていませんでしたが、ちょうど中央の並木の切れ目のところがうっすらと虹色になっておりました(心眼で見ると、少しだけ他よりも紫やピンクがかって見えます)。大イチョウを見たすぐ後に架かった虹。非常に素晴らしい光景を見させていただきました。(続く)
2023.12.17
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野沢温泉の湯沢神社の境内には、巨木が鎮座しております。それがこちら。湯沢神社の神木である大杉です。天にも届かんばかりの巨木ですね。私のコンパクトデジカメでは全貌を捉えることができませんでした。野沢温泉の隣の飯山市瑞穂の神戸(ごうど)集落にも巨木があります。それがこちら。神戸(ごうど)の大イチョウです。こちらも見上げるばかりの巨木。樹齢は500年を軽く超えるとか。黄葉の真っ最中。しばし見入ってしまいました。(続く)
2023.12.16
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泊まった旅館。いかにも温泉宿という感じですね。翌日はスキー場まで散歩。結構、雪が積もっていました。スキー場のリフトとロープウェイの試運転が始まろうとしているところでした。待ちきれない外国人スキー客の中には、歩いて登って、スキーやスノーボードを楽しんでいる人もいました。上の写真の標識を見るとわかりますが、ここには日本スキー博物館があります。私は子供のころからスキーをしていたので、懐かしいスキーが展示されておりました。このような金具がついたスキーを使っていました。竹のスキーを履いていたこともあります。始めたのが5歳くらいだったので、最初は大人についていくのが大変でしたが、8歳くらいになったら、もうかなり自由に滑れるようになっておりました。(続く)
2023.12.15
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秋と冬のせめぎ合いのようですね。今回野沢温泉を訪れたのは、姉とその姪夫婦とその子供に会うためでした。ニュージーランドからはるばる日本にやってきたので、合流しました。湯沢神社そばの階段を歩いているのが、姪夫妻とその赤ちゃんです。写真からはわからないと思いますが、旦那さんが赤ちゃんを抱えています。湯煙の中の紅葉がきれいでした。野沢湯沢の源泉の一つ麻釜(おがま)。オオナムヂが湯釜を守っているようですね。ヌナカワヒメと政略結婚し越の国の王になりましたから、当然といえば当然ですね。こちらは猫。お店を守っておりました。(続く)
2023.12.14
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11月下旬に野沢温泉に2泊3日の旅に出かけていたので、それを駆け足で紹介しておきましょう。2日ほど前に降った雪で、早くも山の方は雪景色でした。温泉街にも雪が結構残っていました。湯沢神社。野沢菜発祥の地の碑。紅葉も残っていました。雪の上に落葉。秋と冬が混在している感じで面白かったです。
2023.12.13
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11月2日はロンドンを発つ日です。ターミナル4のホテルからターミナル5までは無料の地下鉄は使わずに、タクシーで行きました。ヒースロー空港のカウンターは、今や無人です。チェックインもバゲッジドロップもすべて機械で自分でやります。日本も一部ではそうなっていますね。向こうは徹底しています。慣れていないので、無事にスーツケースが日本に届くのか、神様に祈りたくなりました(笑)。空港ロビー。待機しているのが、羽田行きのジェット機ですね。夕日を右手に見ながら、一路日本へ。ところが、てっきり北極海・アラスカルートを通ると思っていたら、どうも様子が違います。どうやら、ドイツ、オーストリア、ルーマニア、トルコを通って、南ルートで帰ることが判明します。上のルートを見てください。黒海をかすめ、トルコ領空の黒海沿岸を進み、次にカスピ海を横断。そして、トルクメニスタン、モンゴル、朝鮮半島を通る「紛争地域、ギリギリ回避ルート」でした。結構スリルがありました。何はともあれ、無事に11月3日に羽田に到着。返ってきたら残暑のような気候だったというわけでした。(終わり)トラファルガー広場の写真をアップするのを忘れていました。左にあるのがネルソン記念柱。正面がナショナルギャラリーだと思われます。
2023.12.11
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スピ系の本屋に寄った後は、コヴェント・ガーデンを経て、トラファルガー広場へ。そのそばのウォーターストーンという大きな本屋で再び買い物。さらに近くのパブ・レストランで昼食をとりました。その時の写真です。一階は満席だったので、案内されたのは二階でした。なかなか変わったものが飾ってあって、面白い雰囲気がある場所でした。そのとき、昼食のプレートとともに頼んだのがこちら。ロンドン・プライドというビター・ビールです。確かテレビドラマ『オックスフォード・ミステリー ルイス警部』で、ルイス警部とハサウェイ巡査部長がよく飲んでいるビールがこのビールでした。とても美味しいビールです。さて、これでロンドンの旅はほぼ終わり。ホテルに帰って荷造りの時間となりました。(最終回に続く)
2023.12.10
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実質的なロンドンの最終日である11月1日は、結局大英博物館を観に行くことにしました。ところが、途中で地下鉄が止まり、時間がかかることが判明。途中下車してバスで大英博物館に向かうことにしました。路線を確認して、ハイドパークを横切れば、大英博物館に直行するバスがあることがわかり、久しぶりにハイドパークを歩きます。こちらがそのハイドパーク。本当に広い公園です。17歳の夏、初めてロンドンを旅した時も、この公園を歩きました。都会の真ん中なのにリスがいたのでびっくりしたことを覚えています。ハイドパークからバスを使って大英博物館へ。上の写真は、シュメール(スメル)の16菊花紋が施された大皿です。紀元前6000~5000年の大皿で、イラク北部のアルパキアで発掘されたと書かれています。私は、このスメル(葦原国)からスメラミコトの一団が古代日本にやってきた(あるいは戻ってきた)と思っています。神話が瓜二つですものね。次は、新石器時代後期、紀元前4500~4000年ごろの土偶。セルビアで発掘されました。三角形の頭など日本の縄文時代や弥生時代の土偶にとてもよく似ていますね。上の写真は黄金のカップ。紀元前1800~1600年ごろのもので、以前にも紹介しましたが、左のカップはボドミン・ムーアのチーズリングがあるハーラーズのストーンサークルそばから出土しました。大英博物館は非常に混んでおりました。いつものように博物館の売店で専門書を買って、早々に脱出しました。で、向かったのは、スピ系の本の専門店「アトランティス・ブックショップ」。ここでも目ぼしい本をゲットすることができました。私にとっては、ロンドンに来たときの定番コースとなっております。(続く)
2023.12.09
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31日は、夜再びロンドンに行く予定がありましたので、それに備えて一度空港のホテルに戻ることにしました。キューガーデンズの中を結構歩いたので、休憩が必要になったからです。ホテルで2,3時間休みをとります。そして夕方出かけた先が、こちら。ピカデリーサーカスのそばの小さな劇場です。演目はこちら。「タイムトラベラーの妻」。同名小説のミュージカル版ですね。マジック的な演出が効果的なミュージカルでした。演出は以前見た「ゴースト」にちょっと似ているなと思いました。映像を利用した視覚的な面白さに溢れていました。さて、この日の日程はこれで終了。ピカデリーラインを使って乗り換えなしの一本でヒースロー空港まで戻れるのが嬉しいです。ロンドンもあと正味一日。最後の一日はどう過ごしましょうか。(続く)
2023.12.08
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今朝の富士山。傘雲が山頂にかかっていました。三段になった傘雲ですね。レンズ雲とも吊るし雲とも言います。さて、イギリスの旅も残りわずかになりました。キューガーデンズの散策を楽しんだ後、二階建てバスに乗って地下鉄の駅まで行くことにしました。乗り込んだのはその二階建てバスの二階の前列の席。向こう側から来る、二階建てバスとすれ違ったところです。地下鉄と違って、周りの景色が見えるからいいですよね。イーリング・ブロードウェイ駅に出て、そこから宿泊先のヒースロー空港まで一旦戻りました。(続く)
2023.12.07
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キューガーデンズの良さは、水鳥など動物によく出くわすことです。以前は孔雀が放し飼いになっていました。大きな池があって、水鳥がたくさん飛来します。こちらは、よくこのブログにも登場するバンですね。で、次はリス。写真を撮ろうとしたら、何かくれるのだと勘違いして、私の左肩に飛び乗ってきたこともありました。私の左肩は登り甲斐があるらしく、神代植物公園でカマキリに登られたこともあります。秋の実といえば・・・栗ですね。最後はキュー・パレス。のんびりと散策と買い物を楽しみました。(続く)
2023.12.06
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馴染みの古本屋で買い物をした後、キューガーデンズへ。キューガーデンズの中は、まさに秋の紅葉が真っ盛りでした。この辺はまだ序の口です。奥に行くと・・・巨木の紅葉が見えてきます。落ち葉もすっかり赤茶色の絨毯になっていますね。サクサクと音が秋色に響きます。秋の自然を満喫いたしました。(続く)
2023.12.05
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この日(10月30日)もホテルに比較的早く着いたので、隣接するヒースロー空港を探検してみることにしました。とにかく4年ぶりのイギリスですから、いろいろと変わったかもしれませんからね。変わったのは、エリザベス・ラインという新しいロンドン地下鉄ができたことです。エリザベス女王即位70周年記念に合わせて昨年一部開業、今年全線開通しました。オイスターカードが利用でき、地下鉄ピカデリーラインよりも早くロンドン中心部に行けますが、その分特別料金が設定されており、料金は高くなります。ただし、ヒースロー空港のターミナル間は、このラインを使って無料で行き来できます。無料チケットを駅の自動販売機でゲットして、早速ターミナル4からターミナル5に移動します。4から5に行くには、途中ターミナル2&3駅を経由してゆくことができます。ターミナル5で買い物。そこでその日の夕食を仕入れて、再びターミナル4に隣接するホテルに戻りました。翌31日、この日は、ピカデリーラインを使って、キューガーデンに向かいました。持っていたオイスターカードに二日分くらいの金額(30ポンド)をチャージして、空港を出ます。確か二度乗り換えて、キューガーデン駅に到着。キューの街並みです。(続く)
2023.12.04
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タヴィストックからは、広大な原野であるダートムーアの西端を北上して、A30という国道に出ます。このA30をひたすら東に向かうと、途中A303という道に変わりますが、ロンドン近郊に到着するようになっています。この日もひたすらA30およびA303をロンドンに向かって走りました。雨が降ったり晴れたりのはっきりしない天気でした。ウィルトシャー州のワイリーに差し掛かったころでしょうか。左前方のソールズベリー平原の上空に、180度の綺麗な虹が架かっているのを見つけました。残念ながら交通量の多い国道なので止まって写真を撮ることはできませんでしたが、見事な虹でした。その虹が消えた後、5~10分ほど走ったでしょうか。そこに現れたのがストーンヘンジでした。国道左手の小さな丘の上にたたずんでおりました。A303はストーンヘンジのすぐわきを通る国道だったんですね。 ストーンヘンジを過ぎると、あとはもうヒースロー空港まで一直線。早い時間帯に、空港ターミナル4にあるホテルにチェックインします。荷物を預かってもらって、レンタカーを空にして、ターミナル5のそばにあるレンタカー会社に車を返しにゆきました。途中、ガソリンスタンドに寄って、タンクを満タンにします。今回も無事にチェックアウト。7日間のレンタル代は、約1000ポンド、日本円で18万円ほどでした。今回はオートマ、NAVI付きの大き目なコルダでしたから、ちょっとだけ割高でした。でも安全第一ですから当然の必要経費でもあります。走行距離は1300マイル、つまり2000キロほど。いつもは2週間強で4000~5000キロほど走っていましたから、ほぼ半分でした。レンタカー会社のシャトルバスで、この日から三泊宿泊予定のターミナル4のホテルまで送ってもらいました。そのホテルからの風景。ここを拠点にして、ロンドン3泊4日の旅が始まります。(続く)
2023.12.03
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ニュージーランドから来た姪っ子夫婦と赤ちゃんの対応に追われて、ブログが休みがちになっておりました。まだ五カ月なのによくしゃべる赤ちゃんです。父親がよく語りかけるので、赤ちゃんも負けじと、あるいは真似してよく話すんでしょうね。「泣く」のではなく、ちゃんと「話す」ところが面白いです。さて、「イギリスの旅」の続きでしたね。日本人など滅多に来ないというタヴィストックを訪問したのは、アマンダとマイケルに再会するという目的があったからですが、残念ながら旦那さんのマイケルが手術を受けたばかりで療養中だったため再会は叶いませんでした。アマンダ・マイケルご夫妻とは、2010年以来の付き合いです。たまたま彼らのゲストハウスに宿泊したのが、きっかけ。以来、何度もイギリスを旅した時には立ち寄るようになりました。奥様のアマンダが私と同じ生まれ年で、誕生日が家人と同じという奇遇もあります。旦那様は日本車が好きで、私よりもはるかに詳しかったです。まだ10代くらいだった息子たちも巣立ち。このコロナ禍でゲストハウスも畳みました。再会はまたの機会ということにいたしましょう。もう一つの目的だったタヴィストックのマーケットも訪問日には閉まっており、今回は空振りに。でも、ホテルのマネージャーが日本の人だったので、これもまた面白い出会いとなりました。日本の大手企業のイギリス駐在員として働いていたそうですが、奥様がタヴィストックの出身のイギリス人だったので奥様の地元で働くことになったようです。基本的にイギリスで教育を受けて育ったので、日本滞在歴は、日本で英語を教えたことがある奥様のほうが長いとか。インターナショナルなご夫妻です。翌10月30日の朝、その日本人マネージャーのSさんに朝食を何にするか聞かれたときに、メニューに「Hog's Pudding」という見慣れない言葉が書かれていたので質問すると、コーンウォールやデヴォン地方のソーセージで、血の入ったブラックプディングに対してホワイト・プディングとも呼ばれているといいます。で、Hogとは豚のことですが、ここに来るまでの間の高速道路で「Don't hog in the middle lane」という標識が何度も出ていたので、Hogつながりで、どういう意味か聞いてみました。すると、「真ん中のレイン(車線)を自分勝手に占拠するな」という意味だと知りました。つまり豚が食べ物をがつがつ食べるように、中央のレインを独り占めしようとするな、という意味だったわけですね。確かに日本でもそういう走りをする人がいます。イギリスでは取り締まりの対象になっているようです。勉強になりました。さて、この日は最終目的地であるロンドンに向かいました。(続く)
2023.12.02
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