公山城
(こうざんじょう、コンサンソン)。熊津(ウンジ)百済期(475年から538年)を代表する城郭だった場所。錦江(クムガン)が直角に曲がる南に連なる城郭。総延長266m(土城735m+石城1925m)の規模。4つの門なども復元保存され、2015年世界文化遺産に登録。
百済国
は、歴史的に高句麗と常に対峙して来た。475年高句麗の攻撃により、文周王は漢城から熊津に都を移す。その都を守護するために、錦江沿いに築造された城壁が公山城。築造当時は、土城だったとされるが、朝鮮時代に現在のような石造りに改築された。
公山城の見どころは、公州市を流れる錦江などの景色の良さだろうか。整備された散策コースは、城壁の上を歩ける場所もあり、市民の人気場所となっている。 双樹亭史跡碑
のある広場(推定王宮跡)では、今なお発掘調査が行われている。漆塗りの皮鎧、馬甲、矢先などが出土。[韓国世界遺産-05]
写真1 百済の城址、公山城。
写真2 錦西楼と石垣門。
写真3 ロータリー広場と武寧王像。
写真4 公山城から望む錦江と公州市。
写真5 双樹亭史跡碑と発掘調査場所。
写真6 世界文化遺産碑他。
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