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あっ!プロフィール機能が消えてる…メッセージ欄が消えて(プライベートな通信ができなくなって)足あと機能が消えて(来訪者の姿が見えなくなって)その他、いくつか消えて…最近はランキングの正確さもイマイチでなんだかなぁ~(ぶつぶつ(=`ω´=) )思えば・・・、ここに棲みついた10年ほど前のこと、12月24日夜そう、イヴにサイトを立ち上げると、小さなトナカイがディスプレイを自在に飛んでいたっけ (゚∇^*)ノ⌒☆ -=★ -=☆*Merry X'mas*☆なんて粋な計らい・・・と気持ちが弾んだもんですそんな頃を覚えている(知っている)ブロガーさんはいらっしゃるかしらん。当方、すでにお引越先を決めて、新しいサイトで暮らし始めているのに、こちらへのご来訪者数もまだ多くて(感謝!)未練がましく二重生活、引き際の悪さったらないのだけれど、・・・アウェイな気分は別にしてこのまま居座らせてもらおうかと(…って、ナカジマかっヾ(´A`*)) m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m
February 13, 2012
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◆映画をテーマに立川談志を語る会◆談志師匠のお気に入り映画は、アメリカのミュージカル作品でした。 『ザッツ・エンタテインメント』 (1974年) 『ショウほど素敵な商売はない』 (1954年) どちらも ミュージカル映画の原点ともいえる作品です。 会場では、早速、この2作の予告編を、本場ハリウッド版で上映&鑑賞しました 志らくさんも、山本監督もハリウッド版を観るのは初めて(会場の参加者ももちろん初めて) そして、志らくさんは、 「あ、このシーンは本編には入っていない。 予告編だけのシーンだ」・・・など詳しいことしきり。 もう、何回となく映画を観ているようすです。 「ショウほど素敵な商売はない」には、 新人の頃のマリリン・モンローが出演しています。まだ開花する前の若いモンローで、「この映画のモンローは最悪、 映画をダメにしている…」との意見は、談志師匠の感想だったそうです。 志らくさんも山本監督も同意見。 山本監督は 「このシーンのモンローのセリフはアテレコね」・・・・と、さすが250本以上の映画を撮った監督さん、 少しのズレも見逃しません。 (・・・ちなみに監督曰く 昨年末のNHK紅白は口パクが多かったそうです(^m^ ) 談志師匠は意外と小心、怖がり?の一面があったようで、オカルト物は苦手だったようだ。 仏映画「幸福への招待」(1956)も談志師匠の大のお気に入り作品で、 クリスマスをひかえたパリを舞台に、貧しい恋人同士を描いた、ファンタスティック・コメディ…のストーリー 観たい!のですが、まだDVD化されてないとのこと、残念。どこかで上映されないかなぁ~
February 10, 2012
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先週末、都内で行われた 『立川志らく&山本晋也監督トークショー』は、 <映画をテーマに立川談志を語る会>で、中味の濃い、それは熱~いひと時でありました。 志らくさんも、山本監督も共に立川流の門下生。家元のはにかむような遺影をバックに、生前の談志師匠の思い出、エピソードが明かされます…。昨年(11/21)、75歳で亡くなった談志師匠は大の映画好きだった。 談志落語を聴くと次々とシーンが目に浮かんでくる…。 いま、アップだな! うん、ここは引きのシーン! ここはなめて~移動~っと、映画のようにきちんとカット割りがなされていたという。 「黄金餅」の残酷なシーンを、他の噺家は避けるけれど談志師匠はリアルに、その情景を再現していた。 代表作でもある「芝浜」の女房も賢夫人⇒ギャルっぽい可愛い子⇒鉄火場肌の女房(完成形)・・・と変化していった。 ここで、志らくさんが 「芝浜」のラストシーンを演じてくれた。 嗚呼ヽ(;・´з`・)ノ・・・談志師匠の芸をホーフツとさせられ、 今回のトークショーにもっと早く参加していれば、私も談志落語を理解できたのに…と悔やまれました(_ _|||) 志らくさんは大学4年で談志師匠に弟子入り。 当時の談志師匠は49歳。それからの26年間で、「尊敬する師匠の好きなものはすべて吸収した」。 談志芸を継ぐ第一人者として期待が高い 若く見えますが、志らく師匠って、現在48歳だったのですね…(*´∀`*) 「談志師匠はがんのようなよくある病名で死ぬのは嫌だったんですよ。 できれば腸チフスとか、そんなんで死にたかったんです。 実際は声も出せなくなった無様な死に方をして、 それはそれで満足だったと思います」 自身の美学を貫いた談志さんは死の2ヵ月前から誰とも面会をしなかった。 (多くの弟子たちが次に会ったのはお骨になってから) そんななかで志らくさんだけが死の1ヵ月前に師匠の病室に呼ばれた。 声も出せず、小さくなってしまった師匠が志らくさんに向けて震える手で何かを書いた・・・。 人、生という字が読めたので「師匠、人生こんなもんだですか」と訊いたら 師匠は小さくうなずいたという。 いま、志らくさんには 「談志について語って欲しい」の仕事のオファーが絶えない。 「これも 談志が死んだ が早過ぎたからですよ」
February 7, 2012
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枡野浩一歌集『ハッピーロンリーウォーリーソング』には、どきっとする短歌がいっぱい。例えば、こんな歌が…殺したいやつがいるのでしばらくは目標のある人生である本当のことを話せと責められて君の都合で決まる本当平凡な意見の前に言いわけをしておくための前置詞「やっぱ」ため息を深く深く深く深く……ついてそのまま永眠したい有罪になりたいがゆえ今いちど罪を重ねるごとき口づけ年齢を四捨五入で繰り上げて憂えるような馬鹿を死刑にこんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありうるだろう枡野さんがこれらの歌を詠んだのは今から15年ほど前のこと、「あのころ何もできませんでした。 本も雑誌も新聞もテレビも見ていられなかった。 人と話す気も書く気もしなくて、 ただ歌だけが次々と生まれてきました。」(著者の言葉から)つらく厳しい状況のなかでの著者の視線が…胸に刺さる。
February 6, 2012
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