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2008年01月01日
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カテゴリ: 2007日記
7月から細々とはじめたガムラン。
月一回の日曜のオープンな体験ガムランに
参加して三回目。毎回楽しくて二時間
あっという間に過ぎる。

今までに聴いたことはあれど、演奏するのは
初めて。
楽器はシンプルな打楽器ばかりで、
とりあえず座って簡単な楽譜のようなものを
頼りに叩くと、それなりに音は出る。

いわゆる「ガムラン」になり心地よい。
はじめはそれだけで、とりあえず満足。

三回参加して、少しだが、その輪郭が
見えてきた。
私はいわゆる西洋音楽(ピアノとか吹奏楽
とか)をやってきたが、それらとは
「音楽の成り立ち」が根本的に違う。

便宜的に楽譜のようなものは使ったりするが
基本は耳で聞いて、目で見て曲を掴む。
普通、西洋音楽はまず楽譜ありきで、その
楽譜の解釈や演奏方法などが表現者に

ガムランの場合、曲の骨組みとなる、きわめて
シンプルなメロディがあって、それをひたすらに繰り返す。
繰り返す上で、テンポがかわったり、細かな
装飾的な旋律が入ったり、骨組みは変えない
ままに、曲がどんどん広がっていく。

決して聴こえない。
また、その広げ方が、いかにもインドネシア的
なのだ。
指揮者はいないので、曲を引っ張っていく
先導係のような楽器がいる。
太鼓だったり、弦だったり。
それらを指針に数種類の楽器がそれぞれの
間の空気を介して、曲を広げていく。
広げていくというか、伸ばしていくというか
はたまた飾っていくというか。
そしてその広がりには枠がないのだ。
ジャズの即興ともまた、少し違う。
演奏者同士の目に見えない大きなゆらぎ
が曲を作っていく感じ。

これは言葉ではとても伝えにくく、私も
まだまだ掴めた訳ではなくて、
なんとなくそんな感じかなあ、とわかり
始めたところ。

ただ、言えることは、今までやってきた音楽
とは全く異なる、ということ。
おそらく、それは、インドネシアの人々が持つ
物事の捉え方、作り方によるものだろうし、
そもそもガムランという音楽が彼らの
生活の中でどういう場所にあるのか、という
ことと深く関係しているのだろう。

そうすると、この音楽、実は奥がとてもとても
深そう。ゆっくりだけれど、ずぶずぶとその
魅力に取り付かれつつある私。
かつて訪れたあの地に、すっかり魅了された
記憶が蘇ってくる。
ゆるくて、優しくて、逞しい南国。
たまには、日常忘れて逃避しても許されるかな。






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最終更新日  2008年02月20日 22時11分35秒
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