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2022.07.23
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カテゴリ: 旅の記憶
2日目の予定は、橿原神宮前から明日香村を抜けて、南淵請安先生の墓にお参りしてから芋峠を通って吉野へ。吉野では何も見ずに引き返して、石舞台の前の売店で友が「蘇」を買い、天武・持統の御陵、高松塚古墳、文武の御陵などに行き、余裕があれば飛鳥駅の向こうの牽牛子塚古墳にも行ってみたい、という感じでした。


 この旅のテーマを墓マイラーの旅にしようとしたのは、友だちが明日香村の地図で見つけた南淵請安先生の墓。私は名前も知らなくて、緒方洪庵なんかの名前の印象から江戸時代の人かと思っていました。友だちが言うには、小野妹子と一緒に遣唐使に行った人、とのこと。大化の改新でもいろいろ教えた人ではないか、と。しかも、今なお先生と呼ばれるって・・・素敵!ということで「請安先生の墓」をまず第一の目標にしたのです。先生の墓は明日香村から芋峠を越え吉野に抜ける道!

名前も知らなかった請安先生について、ウイキさんなどで調べてみました。
南淵請安(生没年不明)
飛鳥時代の学問僧。飛鳥川上流の明日香村稲淵に住んだ、南淵漢人と称される漢系渡来氏族出身の知識人。
608年、遣隋使小野妹子に従い8人の留学生の一人として隋に留学、32年間、隋の滅亡から唐の建国までを見聞して舒明12年、640年帰国。塾を開き、隋・唐の知識を日本に伝えた。中大兄皇子と中臣鎌足は請安の塾に通う道すがら、蘇我氏打倒の計画を練ったと言われる。請安の伝えた知識が大化の改新に伝えた影響は大きいが、彼自身が新政府に関わった痕跡はないという。

 そうか~請安先生は政治家じゃなくて学者先生だったんだな~とますます感動したのでした!
 学者先生といえば、伊藤千代子の恩師、土屋文明の続・万葉紀行も、明日香から吉野に抜ける峠への憧れを昔ふうの文章で楽しげに綴ってあって、まだ見ぬ峠道へのあこがれは増すばかりです!

 あら?土屋文明の「続・万葉紀行」のコピーがどこかに行ってしまったので、直木孝次郎の「わたしの法隆寺」に、土屋先生と峠越えの事が書いてあるので、ご紹介します。

山本有三、斎藤茂吉、からの紹介で土屋文明に短歌の指導を受けた直木孝次郎は、山本有三が
「土屋は、大和の盆地と吉野地方をむすぶ峠は七つあるが、七つとも歩いて越えたと自慢していたよ」といわれたのが記憶に残っている。土屋先生が大和の風土にどんなに打ち込んでおられたか、がよくわかる。と書いている。
 土屋文明の越えた七つの峠の行程も書いてあるので、メモしておきます。

1943年3月、土屋文明は奈良市疋田に住むアララギ会員上村孫作氏と明日香と吉野を結ぶ峠を踏破する旅に出る。
1日目・藤原宮跡から磐余・山田をまわって明日香に入り、橘から文武天皇安古岡上陵に出、間道をたどって壺阪寺の麓の高取町清水谷の宿に。
2日目・清水谷の宿から壺阪寺の横を通り、壺阪峠を越える。下ると田口・馬佐の集落。馬佐から道を東に取って比曽寺跡の世尊寺に昼前着く。ここは、吉野寺と推定される場所で、そうだとすると明日香から吉野への最短の道は壺阪峠越え。土屋文明がまず先に壺阪越えを選んだ理由がこれになる。

 比曽から先は、更に東に進み、増原・千股・志賀・佐々羅など由緒ありげな集落を通り、平尾を経て中龍門村に宿泊。今は吉野町になっていて地名は竜門岳しか残っていないらしい。

芋峠まで行きたかったけど、疲れたのでこの辺で終了。つづく





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最終更新日  2022.07.23 15:07:31


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