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疏水べりのさくらは開いてきましたが、まだ、今年はややに寒いことです。でも春ですね、この寒さが冷たさがきりりとした、何かしらものの新品さが思われて気持ちがしゃんする季節です。 そうだからではありませんが、今日は友人の土の焼物、木製の台の時計など美しさ極まる自然の惠みの製作品を見せていただきに行って来ました。素的でした、本物でした。親身からの表現の素的さにほれぼれしてきました。 自分も日常の日々の生活にこの刻々に力(ちから)する精神がなくてはならないなと思ったことでありました。葱を刻む時にも、一服のお茶を入れるときにでもでございます。さらに今日は、家に近い大学の卒業式にのぞむ人たちの群れにも出合いました、春ですね、出初(でぞめ)ですね、年齢の問題ではない明日への歩みに力をいれなくてはと思ったことでした。 今日の一首 一日がかりで僅かにすすみし訳稿をいたはるごとく暮色にかざし見る 中村元彦(『黒衣の短歌史』より)
2013.03.26
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いまテレビジョンでお相撲をしています。わたしは何故かお相撲が嫌いではありません。「はっけよい」と唱えて、直ちに全力!!、勝負が決まる速度からのようですが、よほど難しい、形ではないかぎり、誰が見ていても勝負がわかるからでもあります。 思えばお相撲って何時の時代からあるのでしょう。私は知りません。今度、何方か適当なお方にであいましたら其の歴史とともに聞いてみましょう。思ってもみなかったことですが、楽しみが出来ました。いま「押し出し」なんて勝負の言葉をいっていますが、なるほどね、よくわかります、それに女性が全く関連しないところが、どうも、わたしには好かれている原因のようでもあります。 今日のブログは思いもかけないことを書いてしまいました。ブログってこんなことも書けるんだと感動しているわたしであります。この辺でブログを止めまして、お相撲を見ましょう。勝ち負けに文句が無いところも好きであります。終り 今日の一首 死者の手に織られしベェールわが額に垂らせばいまだ寒き春なり 蒔田律子(『白鳥の涙を見たか』より)
2013.03.20
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暗い日です。電気をつけても暗い、なおに暗い日であります。思えば昨日、よそ事にそんな予報を聞いていました。それでも今日は、暗がりの押入れを探って、掛け軸の架け替えなどをいたしました。日本の昔の人の筆字はむつかしいですね、さぐりさぐってどうにか季節のものを引き出して、かけて、ほっと一息であります。 この仕事はきらいではありませんが、わたしは、この仕事をしている最中に何やかやにひっかかって、自分で仕事をややこしくしてしまうのです。昔は誰がこんな仕事をしていてくれていたのでしょう。楽しいようで大変、でもどうにか桜の文字が読める一巻をさがして玄関の脇にひとつかけました。 座敷との間にはちいさい色紙のやはり桜、昔々の円山公園の見事なしだれ桜の絵であります。いまの桜は絵でも見たくないそんな気持があるものですから、このしだれ桜はわが家のいえわたしの心の宝物。ええかげんにしておかないと叱られますね。終ります。 今日の一首 聖堂にかの日のをとめレース長く床に引きゆきしのちをしらずも 葛原妙子『朱霊』(円柱)より
2013.03.18
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『森の鍛冶屋』という題名の曲があります。わたしはうれしいときも、かなしいときも、ついつい、その曲のレコードをかけてしまいます。いえレコードではなくて、パソコンにいれてもらったものをでございますが。 その曲をはじめて聴きましたのは、はるか昔、小学校一年生の夏期学校の朝の黙想の時間でございました。わたしはその頃、比叡山の中腹にありました小さな家に健康上の都合で、祖母と二人で住まっておりまして、夏の朝は決まって、近くの夏期学校でその曲を聞きながら黙想をさされたものでございました。 何事ももののはじめ、子供のときに知りましたことというものはこわいものでございます。今では死ぬまで忘れない、いいえ死にましてもそのリズムを口ずさんでいるのではなかろうかと思います。 思えば、父母、祖父母に感謝の生涯でございます。とともにここに書きましたのは、その曲をくちずさんだ幼いころから、苦労はしたつもりでございますのに、あまり変わっていない、自分のしあわせ??をふと思ったりするこの頃では御座います。おわり。 今日の一首 いなびかり射せるたまゆら水槽に立ち泳ぎする魚の群 葛原妙子(『朱霊』「魚」より)
2013.03.15
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三月の半ば近くになりました。わが家に近い疎水、琵琶湖から流れてくる水の沿岸には、桜の蕾が早くは一月からその固いちいさい姿を見せていてくれます。このあたり自動車や人の通行が少ないですから、自ずからに清純そのものの花が開きます。 わたくしは凡そ日毎に疏水沿いの道を歩いて花の生育を待ちます。 すぎし日に我の模写したる額の絵の二人の少年ほほゑみてをり 孫たちの通学の朝の立ち番をありがとうじいじいとうれしいカード けふこそは自室に籠りなすべきと「鶴の恩返し」ごと我は鶴となる 赤茶けた砂漠にならぶ戦車隊 国営テレヴィのアルジェリアのかほ をとめごはだれに似たのかおてんばさん椅子から飛び降りまたよぢ上る 夕焼けがビルにも映りてしづかなる朱の競いあふ芝公園に つらつらと冬のクレマチスほろほろとしてわれは君待つ こぞもまた冬のクレマチス白き花つらつらつらなんほろほろ君待つ うつすらと雪化粧の愛宕山その山登るおもかげはるかなる 書き写すことはむつかしいことです。歌はその人の命の場所から生れます。かりそめにでも間違って掲載することは罪であります。移し取るとき、何度も読み返すのですが、何度繰り返しても不安が残ります。 ところでこちらの歌は二月の作品でした。この歳もまたに楽しい私たちの会合が続けられますように。合同歌集出版の年ともなるようでございます。よろしくに。
2013.03.14
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今日の写真は、「八重子さん」であります。ご紹介します。わたしがオギャアと生まれましたときに祖母が身代わり人形として、わが町の一番上等の人形やさんから購入したものでございます。 礼式としまして、裸人形をもとめ、家人が下着から縫うて着せます。一度わたくしが一人前になったから、人形やさんに着せ直し、その他の手入れを恃みましたが、今日まで健康、無傷でございます。 この人形、身代わり人形と申しますのは、持ち主に及ぼします災害を身代わりして背負ってくれるのだそうでございます。おかげさまですか、わたしは今日まで、大過なく過ごしてまいりました。生後すぐにこの人形をわたくしに買い与え、八重子さんという名前までつけて下さった祖母に感謝いたします。 これからは恩返しをしなければとさえ思います。そう考えるだけで、怪しきまでに力が湧きます、わたしの悪い癖、怪しきはもう、仕舞ってまっておかねばなりませんね。ついつい角が出るわたくしでございます。 今日の一首 本当か上海にあつて四国には一軒もないセブンイレブン 大崎瀬都
2013.03.10
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暖かい夜です。手紙を二通書いてややほんのりと疲れました。でもするべき事を終えて穏やかであります。穏やかということは気持よいですね。何からかわかりませんが、放たれて、さてしよう、したいということを探しています。お蔵にそれらはきっしりありそうです。 そうだ、人を思うことでありました。ゆるりと気に入りの椅子に座って眼をつむりましょうか、足元の水槽の中で、らんちゅうが水音を立てています。こっちを向けというのでしょうか、ああ彼らと暮らし始めてから三年は経つでしょうか。彼らは考えています、何をと訊ねないでください、それはわれらの世界とは全く違ったところのことでありましょうから。なのに彼らは何ゆえ、われらと付き合ってくれるのでしょう。たべものの繋がりかな、それを与えているから?。 でもそれだけではないだろう、わたしの世界のどこで、頭角を現すか、わたしは楽しんで待っているのです。 今日の一首 舌さはり粗き天ぷら髭(くちひげ)のたくわへ薄き男も食ふも 青木健美(『黒衣の短歌史』中井英夫より)
2013.03.08
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今日の一日が過ぎました。我が地、わたしの住んでいます土地の他の各地では、降雪のため、亡くなられたお方がありますように、いま、夕刻のテレビで聞いております。ごめんなさい、何ですか、自分だけが無事でいるようで申し訳なく思います。 自動車というものも怖いものでございますね、其の便利さが一つ狂いますと大変なことになるようでございます。雪にしろ風ににしろ自然の中では。 わたくしんちは、昔々のその昔、日本でまだ自動車が作られていない頃から、輸入の自動車を求め、自動車屋をしておりましたそうでございます。ごめんなさい。いずれにせよ機械と人間、そのバランスを思ってしまうこの頃でございます。変でしょうか。 今日の一首 目尻より垂れて涙の落ちながら夜ごとふくらむ緋ざくらの花 蒔田律子(『白鳥の涙を見たか』より)
2013.03.03
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