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4月27日(水)にじいろ会当支部の発足時に配布したストラップが好評で、すぐになくなってしまったので、かもーる(文化会館)、FMららへ各50個ずつ、そして喫茶店へ65個へ配布していただくために暇を見つけてはにじいろ会のストラップを作りました。昨日は市の生涯学習課へも50個にじいろ会のストラップを届けました。そして昨夜96個の袋詰めが完成しました。いつでも補充ができるように用意しておきます。・・・・・さて、旅行記の続きです。境港や米子の西側に隣接する島根県には安来市に「足立美術館」があり、中海に浮かぶ大根島には「油志園」という美しい庭園がありますが、ジィジは名画を鑑賞したり季節の花々を見ながらゆっくり時間を過ごすよりも行動する方が好きなんです。愛知の公園に咲く濃いピンクのバラの花です。それで今日もコナンの続きを載せたいと思います。コナン好きの方には楽しいかもしれません。コナンはまだまだ続きます。(続く)
2022.05.10
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今日は母の日。家族からたくさんプレゼントを頂きました。どうもありがとうございます。私も三重県のサ・高・住に住む母親に会って様子を見てきます。・・・さて、旅行記は続き、4月30日(土)の事です。この日は米子市から鳥取市に向かいましたが、途中「北栄町」に向かいました。ここには「青山剛昌ふるさと館」があります。JR由良駅は「コナン駅」です。この日はお天気も良く、多くの観光客が道を歩きながらスマホで写真を撮っていました。駅には車が置けそうにないので直接「青山剛昌ふるさと館」まで行きました。ここも車がいっぱいで、入館するつもりでしたが、まだ10時にもなっていないのに12時から12時30分までの入館予約券を販売していました。2時間以上もここで待たなければならないのかと諦め、駅まで写真を撮りながら歩きました。若いカップル、子連れの若い夫婦、熟年カップルもいてコナンは大人気だったようです。ジィジもたくさんコナンの写真を撮って来てくれました。多分3日間ぐらいかかるかもしれませんが、お付き合いくださいね。まだまだ続きますよ。(続く)
2022.05.08
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4月29日(金)は境港市へ。(4月28,29日と2泊した米子のホテルです)早朝6時にホテルを出て朝食場所を探しましたが、見つからず結局コンビニで食料を買い、車中で食べたそうです。中海のコハクチョウの像です。屋根の上に列車が境港市の港には船も停泊していました。雨が降っており、雨の勢いも凄くて風も強く吹き、まるで台風のようで、薄い半袖シャツだけで震ったそうです。「水木しげる記念館」は9時30分からしか開かないので先に「境港市竹内団地内」にある「境港魚センター」へ行き、紅ズワイガニを買って送ってもらいました。こちらは蟹が届いてすぐに美味しく頂きました。ご馳走様でした。奥の黒い建物は「さんこう夢みなとタワー」です。悪天候の中、鯉が勢いよく泳いでいました。街中は水木しげるワールドですね。交番も小さくてわかりにくいですが、鬼太郎がいます。9時30分になり傘をさして記念館まで歩きましたが、横殴りの雨と風で、傘は全く役に立たなかったそうです。それでもお客さんは多かったようですが。「水木しげる記念館」の中は撮影禁止なのでお土産に本を3冊買って来てくれました。昼食は「水木しげるロード」にあるお店で済ませたそうです。水木しげるロードにいる鬼太郎ファミリーも雨と風で外に出られず写真は撮れなかったそうです。帰り道で私の好物である「おかき」をたくさん買って来てくれました。まだホテルに戻る時間には余裕があったので、今は無い「米子城」をモデルにした外観の「お菓子の壽城」に行きました。まだまだ雨も風も酷くていつ止んでくれるかわからない状態で車の中から写真を撮りましたが、もやで霞んでぼんやりとしか見えませんでした。午後4時になっても雨も風も止んではくれず、ホテルの周りには居酒屋さんがたくさんありましたが、下戸のジィジはその夜もお寿司屋さんで食べたそうです。明日はお天気が良くなってくれるかもと思いながら…(続く)
2022.05.07
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私が4月29日と5月3日にダンスパーティーで愛知へ出かけたので、その間4月28日から5月3日まで相方は鳥取県へひとり旅をして来ました。撮ってきた写真は400枚以上。私の次回のダンスパーティーは今月15日、その他にも色々と予定がありますので、しばらくの間、鳥取一人旅にお付き合いください。・・・・・4月28日(木)早朝午前3時前にガレージが開いて車が出る音で目覚めました。旅に出ることは聞いてましたが、詳細は全く教えてくれず、いつ出発してどこに泊まるかも知りませんでした。本人はナビに「鳥取砂丘」と入れて出発。外はまだ真っ暗で静か!車も通らず涼しい朝だったようです。高速道路に入ると、やはりトラックが多く走行。制限速度で車を走らせていると多くの車が抜かしていったそうです。約6時間かかって「鳥取砂丘」へ到着。「鳥取砂丘」は高低差が90メートルあり少し湿った砂が足にきつくて登りにくかったそうで、私には多分無理かもしれないと教えてくれました。遠くに小さな人影が見えていますね。風が強くて帽子が吹き飛ばされそうだったそうです。駐車場のオジさんが「砂丘はもっと風が強いですよ」と教えてくれたことを思い出したそうです。天気があまりよくなかったけれど、まあまあ人がいて皆さん砂丘を登っていきました。日本海も荒れていて、風が強く波がすごかったとか。ゴーカート感覚で観光地をドライブできるレンタルのジオコムス帰りに「砂の美術館」に寄ったけれど、残念ながら7日まで休館でした。そこから米子まで一直線に向かったそうで、100キロを少し切る距離でした。途中で昼食を済ませ14時にはホテルに入ることができました。夕食は15分ほど歩いてお寿司屋さんへ行きましたが、この日はお天気が荒れて、風が強く半袖シャツ1枚の薄着では寒くて震ったそうです。ウィンドブレーカーでも1枚持って行けばいいのにね。お寿司屋さんで両隣の若者と夫婦連れのすごい食べっぷりにビックリしたそうです。(続く)
2022.05.06
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今日もご一緒に藤の花と牡丹と躑躅を見ながら歩きましょう。昨日の続きです。藤の花と牡丹のコラボはいかがでしたか?藤の花と躑躅のコラボはいかがでしたか?もう十分見たので、ノーサンキューですか。残念ながらもう1日だけ続きますよ。・・・・・昨日は午前中エステに出かけました。久しぶりの訪問で庭の景色もすっかり変わっていました。目についたのがアヤメです。4月ってもうアヤメの季節ですか。アヤメって初夏に咲きませんか?5月か6月に咲くものだと思ってました。今年も季節は早く進んでますよね。クリスマスローズはまだ咲いてました。実はエステシャンのお友達にエステを施術してもらうのはもちろんですが、もっぱら話題になるのはお庭に咲く季節の花々とお互いの孫ちゃん達の事でそれも楽しみの一つなんです。
2022.04.21
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連日朝から夜まで予定が入っているので今週は曼陀羅寺の藤の花と牡丹と躑躅をご覧いただきたいと思います。広い園内をご一緒にぐるりと回りましょう。昨日の続きです。4月上旬に訪れた時は八重桜が満開でした。いつの間にか若葉が出て、黄緑色の若葉と淡いピンク色の花色とのコントラストが綺麗でした。燃えるように赤い牡丹が緑を背に色鮮やかに咲いていました。白い石楠花も咲いていました。花水木も綺麗でしたが、何しろこの日はどんより曇っていたので花色がうまく出せませんでした。これから房がどんどん長く伸びていきます。これから3色の藤の競演が始まりますが、まだ少々早かったようです。白い藤の花も清楚でいい感じでした。太い幹は向こうが見えるほど空洞が目立ちますが、それでも毎年綺麗な藤の花を咲かせます。昨日は朝一番に車のオイル交換をしに出かけ、家に帰る間もなく、直接ダンススタジオに走り、午後は友人と約束したことがあって出かけて解決し、自宅に戻るとミラ君が小学校から帰り宿題を見て相方がノア君を学校へ迎えに行って隣の市まで送っているうちにもろもろの雑用をこなし、夕方やっとゆっくりしようとPCの前に座るとモコちゃんが階段を上がったり下りたりしているのに全く何のことかすっかり忘れて気付かず、約束の時間が過ぎてやっと気づいて慌てて準備をしてモコちゃんを隣の市まで送り届け、その足で迂回してノア君を迎えに行って帰宅。午後会ったお友達が私の社交ダンスを見たいというので夜になって今までのDVDを6年分探して自分が踊っているところをチェックして見やすいように目録と付箋を付けました。というわけで、夜遅くまで大忙しでした。パタパタママではなく、パタパタバァバなのでした。
2022.04.20
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昨日の続きをご一緒に歩きましょう。もう少し先の方が見頃という藤もありました。九尺藤はこれからもっと長く伸びます。何しろまだ4月半ば過ぎでしたもの。藤の花も綺麗でしたが、色鮮やかな牡丹の花も綺麗でした。そして種類も結構たくさんありました。写真を撮らなかったのも結構ありますので。この蕾は石楠花です。新緑の木々の葉と色鮮やかな牡丹やツツジのコントラストがとても綺麗でした。・・・・・いよいよ今度の日曜日がデモの本番なので毎日練習に明け暮れていますが、日曜日に東京の先生とスタジオの先生のお二人のレッスンを続けて受けたのが身体に応えたみたいで大腿骨の付け根から腰に掛けて鈍い痛みが走り、歩くと痛いので、週1で出かける整体の先生に特別長く1時間半ほど施術してもらいました。まだ完全に痛みが取れたわけではないですが、大分楽になったので、その後ダンスレッスンに走りました。多分社交ダンスをやってない方にはこの気持ちがわからないと思います。相方があきれていますから。まあそういう相方も愛知の娘の家まで届け物をして、あちらで家の整理整頓して出た物を持ち帰り片付けていますので、まめな性格は似ているのかもしれません。お土産にゆめいちご(苺大福)を買って来てくれましたしね。
2022.04.19
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昨日愛知県江南市にある曼陀羅寺に隣接する公園で藤の花と牡丹、躑躅を見てきました。皆様にもご覧いただきたいと思い載せました。私と一緒に公園内を歩いてください。あいにくどんより曇っていたので花色が少々暗く写っています。以前は毎年出店があって、それはにぎやかでこの時期は訪れる人も多かったので写真を撮るのも大変でした。コロナ禍で中止になったこともありましたが、今年は出店もなく、静かでした。皆さん熱心に写真を撮ってらっしゃいました。こちらはマシュマロのお菓子ですいろんな柴犬がいろんな表情をしています。美味しかったですよ。
2022.04.18
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4月ももう4日になりました。プリンターの具合が悪いので壁に掛けてある武下さん制作のカレンダーを撮りました。実際はもう少しお花が色鮮やかな赤色をしています。今月のお花はシンプリーコーラル マーガレット添えられた言葉は「心に残る そのひと言」です。・・・テレビで見た曼陀羅寺の桜を見にまた出かけました。曼陀羅寺は毎年藤の花が咲く頃に出かけますが、桜の時期に出かけたのは初めてでした。このお寺は藤の花だけでなく色とりどりの牡丹の花も立派なのがたくさん咲いて見事で綺麗です。この日も花曇りでした。やはり藤の花の時期ではないので境内でお花見をしている人はほとんどいなかったです。境内には桜だけでなく椿の花や白い水仙黄色い水仙なども咲いてました。木蓮も綺麗でした。また藤の季節になったら訪れたいと思いました。・・・こちらは愛知の公園に咲く木瓜の花とエンドウの花です。植物は季節がめぐってくると忘れずに綺麗な花を咲かせてくれますね。今年の桜を眺めながら穏やかなひと時を過ごすことができてこれで桜巡りを終わりにしたいと思います。
2022.04.04
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昨日友人から送ってもらった路傍にひっそり咲いているスミレの花です。送り主は十数年前に奥さんに先立たれて一人暮らしをされている78歳の男性です。「宝塚から春のお知らせです。」と書いてあったので、最初、旅行好きなこの友人が宝塚へ旅して写真を送って下さったんだと思ってしまいましたが、よく考えたら「♪すみれの花、咲く頃~♪」であぁそういう事なんだとわかりました。その後に続く文章には、「春の旅行の計画がことごとく旅行会社からキャンセルの連絡が来てくさっております。」でしたので。・・・さて、前置きが長くなりましたが、3月29日(火)に花曇りのお天気の中、ドライブをして満開の花巡りをして来て、最後に到着したのは犬山城下でした。駐車場に車を入れて桜と犬山城を写しました。まだ植えたばかりの桜と犬山城です。他にも満開の桜を背に犬山城を写したんですが、電柱や電線が入っているので気に入りません。針綱神社の前も桜が満開でした。ちょうど女性が二人歩いて行かれたので後ろから失礼して写させてもらいました。実はずいぶんここへ来ていないことがよくわかりました。以前はからくり人形の工房と山車の展示館でしたが、いつの間にかモダンなバウムクーヘンのお店に変わってました。スイーツ大好きの相方は目の色が変わって早速バウムクーヘンを2種類買いました。お店の中には少しだけ道具とミニチュアの山車が展示されていました。金澤翔子さんの書も展示されていました。道路を挟んで向かい側にある祭りの山車が展示されていた建物もガラッと変わってました。桜の木だけは以前のままでした。通りには観光客が大勢いたのでここで引き返しました。そして帰り道で少し遅いランチを食べてきました。こうして満開の桜巡りは終わったのでした。(終)
2022.04.03
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昨日は気温が低く花冷えという言葉がぴったりくるような日でしたが、花散らしと呼ぶ春の風も強かったです。私は久しぶりにスプリングコートを着て名古屋の街に出かけましたが、街ゆく人たちも厚着をして歩いていました。時間が戻って3月29日(火)の花曇りの五条川です。その2日前はソメイヨシノは五分咲きでしたが、その日は満開でそれはそれは見事でした。写真では暗く写ってますが、実際はもう少し明るかったです。先ずは橋の欄干から左側を写しました。ここで振り向いて橋の右側を写しました。老木もまだまだ見事な花を咲かせていました。五条川に沿って桜並木は延々と続きます。最後にもう一度左側を写しました。今年も五条川の満開の桜を眺められて良かったなぁと満足しながら、犬山城に向かったのでした。犬山城が見えてきました。この続きは明日載せますね。(続く)
2022.04.02
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3月27日(日)は五分咲きだったソメイヨシノが満開になったと聞いて、2日後の29日(火)にまたドライブをして愛知県の3カ所を巡ってきました。すいとぴあ江南と五条川堤防と犬山城です。この日は青空ではなく花曇りでした。まだカメラの使い方がイマイチわかってないので全体的に暗く写ってしまいました。今日はすいとぴあ江南付近を紹介します。先ずは堤防付近から数組の家族連れが満開の桜を背に記念写真を撮っていました。すいとぴあ江南の敷地内に入ってきました。枝垂れ桜です。一周して外へ出てきました。介護施設のおばあちゃんたちも散歩していました。時々立ち止まって記念写真をしてもらっていました。紅枝垂れは私好みの花色と花姿の桜です。広い敷地内に咲く美しい桜を眺めた後は2日前には5分咲きだった五条川へ向かう事にしました。(続く)
2022.04.01
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小口城址公園の桜を眺めた後、訪れたのは五条川の桜並木でした。両岸の桜並木が満開になるとさぞ綺麗なことでしょう。日曜日はまだ5分咲きぐらいでしたので。近くのハクモクレンも綺麗でした。ソメイヨシノの開花状況がわかったことだし、このまま帰ってもいいと思ったんですが、もう一カ所巡ることにしました。それは各務原の新境川堤です。花見客の車の数が多くて最初駐車場に入れませんでした。一度遠くで方向転換をして来てやっと入れました。ここは名鉄とJRの線路が近くに通っているため結構踏切の遮断機が下ります。あわてて桜の花の間から電車を撮ろうとシャッターを切ったところ、電車にも桜にも焦点が合わずぼやけてしまいました。方向音痴の私は駐車場の車を探してどんどん反対方向に歩いて行ってしまいました。赤い橋から引き返して歩いて歩いてやっと車を探すことができました。日曜日の花巡りはこれで終わりです。PS) 3月29日(火)にソメイヨシノが満開になったと聞いて、もう一度五条川や犬山城などを巡ってきました。たった2日後の事なのに桜は見事に満開でした。その様子を明日のブログに載せますね。
2022.03.31
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3月27日(日)に出かけた桜の花を巡るドライブの続きです。では小口城址公園の中に入りましょう。ソメイヨシノが満開の木もあれば、五分咲きの所もありました。この辺りを歩いているとまるで小口城が建てられていた時代に戻ったかのような錯覚に陥りました。なかなか風情がありました。建造物の周りを一周してから展示棟へ入り住所、氏名、電話番号、入館時刻を記入しました。コロナ対策のためだと思います。受付の男性が写真を写していってくださいと言われたので写しましたが、数点ぼやけてしまいました。ここから5、6枚ぼやけていたので省略します。ガラス越しに発掘調査で出土したものが見えました。頂いてきた小冊子「小口城跡」(大口町歴史民俗資料館発行)に掲載されていた発掘調査の記録です。こちらの掛け軸や書は冊子には載っていません。小口城に関係する人物の書でした。築城した織田遠江守広近(とおとうみのかみひろちか)や織田信長、織田敏定(おだとしさだ)、稲葉一鉄(いってつ)の書だったような気がします。※大口町歴史民俗資料館発行の冊子「小口城跡」の最後のページに掲載されている「小口城と織田氏の動向」を興味のある方は一読してください。小口城址公園内の展示棟を後にしてでは次の場所へ移動しましょう。(続く)
2022.03.30
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日曜日に6カ所、桜の花を巡ってきた続きです。次に向かったのは小牧市の田縣神社。神社の門の脇にある老木はまだ3分咲きでしたが、奥に進んでいくと満開の桜があったのでそちらを写してきました。椿の花も優しい花色で咲いていました。田縣神社を後にして次に向かったのは丹羽郡大口町にある小口城址公園です。この公園は平成11年(1999年)に完成しました。まず目に入ってきたのは物見櫓(ものみやぐら)です。小口城は織田信長と深い関係がありました。向こうに見える緑の屋根は展示棟です。それでは公園の中に入りましょう。(続く)
2022.03.29
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昨日はお天気が良かったので、ソメイヨシノの開花状況を見がてら愛知県までドライブをして6カ所巡ってきました。今日は先ず大口町歴史民俗資料館付近と犬山市にある大縣神社を紹介します。愛知県に入ってカーナビに桜が満開と出ていたのがこの大口町歴史民俗資料館付近でした。とても綺麗で満足できました。次に向かったのは毎年梅の花を観るのを楽しみにしていた大縣神社です。今年は蔓延防止等重点措置が出ていたので梅の花の見頃に出かけられませんでした。入口に座っていた巫女さんに梅の花の状況を聞くと、上の方はもう見頃が終わりましたよと言われたのでお賽銭を入れて階段を上がっていくのをやめました。遠くから見上げると山桜が満開でした。下の方だけ咲いてますから写していってくださいと言われ紅白のしだれ梅だけ写させてもらいました。ふと周りに目を移すと、昨日は暖かい日だったので、神社の境内のあちらこちらで桜が咲いていました。木彫りの彫刻は今年の干支の寅に変わっていました。この前訪れた時は確かネズミの彫刻だったので、緊急事態宣言や蔓延防止等重点措置が出て昨年は来られなかったのだという事がわかりました。帰り道に露店が出ていたのでたい焼きを買って車の中で食べてから次の場所へ移動することにしました。(続く)
2022.03.28
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愛知の公園の紅葉です。友人が送って下さいました。「こんにちは。この後も優しい心と笑顔で」と添えられていました。いつもありがとうございます。さて、3泊4日滞在の京都から帰ってまた普段の生活が戻ってきました。毎日ダンスレッスンに通っています。来週(12月2日)に愛知のホテルで踊るので、練習あるのみです。2週間毎日体温を測っていますが、当日熱が出ると休まないといけませんので、体調にも気を付けないといけません。12月はその後も予定が入ってますので。そして、京都滞在中できなかったにじいろ会のストラップ作りも京都から帰ってすぐに再開しました。以前預かった300個分の残り100数個分を袋詰めしてさえママさんとさえパパさんが当市へ来て下さった際に預かった100個分に鈴と紐を通しています。日曜日に東京の女先生に持って行ってもらいましたし、他の場所にも配布しないといけないのでせっせと作らなくてはね。3泊4日で写真を350枚ほど撮ってきました。今までその中から少しだけ掲載しましたが、残りの写真をもう少し掲載しますね。宇治川に架かる橋、私達はこちら側にある平等院だけ訪れましたが、皆さんは対岸の神社仏閣に参拝に行かれました。平等院では紅葉にばかり目が行きましたが、眼下ではコスモスも咲いてましたよ。鐘楼から下にも紅葉が広がっていました。次に京都御苑の道路を挟んで向かい側にある護王神社の銀杏も背が高かったです。相国寺の境内です。ここから妙心寺です。境内では柚木が鈴なりでした。隅から隅まで境内を散策しましたが、本当に広かったです。大法院内です。妙心寺の僧侶の履物花園駅で見た電車も紅葉してました。連結した赤い列車は気付いたら走り出したのでブレました。大原女(おはらめ)の像実相院に飾ってあった還暦雛(ガラスに写り込んでしまいました)山道を歩いていて見上げた皇帝ダリアご覧いただきありがとうございます。
2021.11.27
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京都3日目は早朝からあちらこちらへ歩いて充分観光して、夜は京都駅にあるホテルグランヴィア京都の15階でディナーでした。相方に○○歳の誕生日を祝ってもらい、○○回目の結婚記念日を祝いました。15階から夜景を撮ったんですが、レストランの内部が写り込んでしまいました。○○回目の誕生日を迎えた私赤ワインとスパーリングワインで乾杯!そしてディナーの始まりお肉を相方の分と2人分を平らげお腹一杯に。事前に電話で予約してくれてました。その後、京都駅階段のイルミネーションを見て京都タワーを見ながらホテルに戻ったのでした。(続く)
2021.11.25
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3日目は朝8時前から夜8時半過ぎまでずーっと歩き回っていました。万歩計を持ってくればよかったわ。さて、3日目は地下鉄とバスに乗って京都市街から離れた所へ出かけました。最初に訪れたのは実相院。そんなに広くないお寺の庫裡を回っていると、床に映る庭の景色が有名なところ(よく観光案内に写真が出ていますね)堂内は写真撮影禁止になっていますし、特に床に映る庭の景色は写真撮影禁止と貼り紙がしてあるのにお腹の辺にスマホかビデオカメラを当ててこっそり撮っている若い男性が目につきましたが、通り過ぎました。途端にマイクを通して大きな声で注意されていました。多分守らない人がいるのでどこかに監視カメラが付いているんでしょうね。屋外は撮影できました。バスを待つ間に5分離れた所にある岩倉具視幽棲旧宅まで走って見に行ってきました。中を見学する時間はなかったので外だけ写真を撮ってきました。慶応三年王政復古はこの場所から始まったと書いてありました。こちらはバス停の紅葉その後、叡電電鉄の終点の駅まで歩きました。BBQをして騒いでいる一行を見下ろしながら川沿いを歩いて行きました。瑠璃光院に着きましたが、予約客以外は入れないと言われ紅葉を眺めながら引き返しました。実はバスで1駅乗り越してしまったので、山路を歩いて下って来たのでした。バス1駅もかなりの距離でした。途中で神社を眺めやっとのことで蓮華寺に到着しました。入場料を払って入ったものの、観光バス2台でやってきたお客さんで狭い本堂はいっぱいで、僧侶の説明も長いので待っていられずに庭の紅葉だけ写して帰りました。その後、京都駅に戻ってきたのでした。昨日は本当によく歩きました。この後、いったんホテルに戻り、夜また京都駅まで出かけたのでした。(続く)
2021.11.24
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昨日(22日)は朝から雨。目指すところは地下鉄で1駅なので歩いていくぞと言われ、京都御苑に沿った道を傘をさして、てくてく歩いて行きましたが、御所って本当に広いんですね。歩けども歩けどもなかなか目的地まで到達できません。両脚だけでなく腰まで痛くなってきたところでやっと今出川通に出ました。同志社大学と同志社女子大学の間の道を進んで最初の目的地、相国寺に到着しました。目的地は法堂(はっとう)。相国寺は豊臣秀頼によって再建され、狩野光信によって描かれた蟠龍図が有名です。ここで写しておいてよかったです。内部は撮影禁止でした。鳴き龍として有名なので蟠龍図の下で2回強く手を打ちました。多分反響音だと思いますが、龍の鳴き声が聞こえました。内部は撮影禁止で写せませんでしたので、廊下の杉戸絵を写してきました。方丈からの眺めは本当にきれいでした。訪れた日(22日)は相国寺の美術館は残念ながら休館日でした。タクシーで乗り付けた人もとても残念がっていました。お目当ては伊藤若冲の絵でした。明日(23日)からオープンしますと言われてもね~。テレビでは見ていてもやはり本物が見たかったです。次に向かったのは京都花園にある臨済宗大本山、妙心寺です。どんどん奥の方まで歩いて行くとちょうど紅葉庭園が特別公開されてました。大法院で且座喫茶(しゃざきっさ)がありましたので大法院の紅葉の庭を眺めながらお抹茶を一服いただいてきました。そしてこちらが午後1時まで待って眺めてきた法堂の天井画の雲竜図こちらも撮影禁止でした。禅宗の法堂の天井には必ず丸龍が描かれる習わしがあります。古来より龍は仏法を守護するとされているからだそうです。この後、遅い昼食を食べ雨が激しく降る中、ホテルに戻ったのでした。(続く)
2021.11.23
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旅先にノートPCを持参しましたが、加工する時間がないので旅先で出かけた所の写真だけとりあえず掲載しますので悪しからず。京都駅へ午前10時前に到着し、ホテルへ直行し、大きな荷物を置かせてもらい、長男家族と合流し、京都市内は観光客が多いので宇治までドライブしましたが、とにかく宇治市も観光客が多かったです。お寿司屋さんでお腹を満たし、平等院へ向かいましたが、どこも満車で駐車できないほどの混雑ぶりでした。宇治川のほとりを散策しながらドライバーを待ちしばらくしてからやっと合流。日本で初めて人工ふ化で1羽の鵜が誕生し、その後、毎年ひなが生まれています。しかし、人工孵化で生まれた鵜の小屋と野生で捕獲された鵜の小屋とは部屋が別にしてありました。野生の鵜の方は水浴びをして元気いっぱいでした。径には源氏物語宇治十帖の行灯が飾られていました宇治川から平等院へ向かいます。平等院の門をくぐります。鳳凰堂へ入るには人数制限されているため、しばらく待たなければなりませんでした。赤ちゃん連れの私たちはパス鳳凰堂の周りを歩きました。大勢の観光客が鳳凰堂を背に記念写真を撮っていましたので私は一人その間を縫って奥まで進みました。紅葉がきれいでした。この後、鳳翔館(ほうしょうかん)の見学をしてきました。出てくると目の前に綺麗な紅葉が現れました。とにかく宇治市も紅葉がきれいだったので満足でした。(続く)
2021.11.22
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さて、USJ滞在2日目は朝から1日楽しんだようです。土曜日という事で人出は多かったようですね。ジィジはハリーポッター・魔法の杖を振って積み重ねられた樽の上から水を噴出させたり、遠くにある箱の蓋を開けて遊びました。動画をたくさん撮ってきましたが、長すぎてUPできませんでした。残念!ポコ君もペコちゃんも最初は魔法の杖で水がチョロッとしか出ませんでしたし、蓋がほんの少ししか開けられませんでしたが、慣れてきたら水が勢いよく噴き出しました。どうも秘密があったようです。食事はこんな感じ鬼滅の刃のスイーツです。闇を往く無限列車~カシスムース&チョコレートケーキ炎柱のオレンジレアチーズケーキです。他にも煉獄兄貴ィ!キッズセットなどあったそうです。若者は1日中充分遊びましたが、相方は途中で疲れて部屋に戻ったようです。ツインの部屋に一人で滞在だったので毎日ベッドを変えて寝たそうです。ホテルには珍しくお風呂とトイレが別室になっていたとか。相方の部屋からの眺めです。3日目は朝、雨が降っていましたが、相方は晴れ男だから大丈夫と言って傘を持たずに出かけて行きました。案の定、出かける頃には雨がぴたりと止んだので得意顔だったそうです。(続く)
2021.11.04
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今日は文化の日ですね。愛知の公園に咲く菊です。一昨日インフルエンザワクチンを接種。昨日は新型コロナワクチンを打った時と同じくらい患部が痛かったです。今までインフルエンザワクチン接種で痛みを感じた事なんてなかったんですけどね。そして今週末のホテルパーティーに向けて1週間検温をしています。細かい質問やら同意書にもサインをしなければならずコロナ感染者数がかなり落ち着いたとはいえ、主催者とホテル側は神経をとがらせています。今日は祝日ですが、昨日に続きダンスレッスンに出かけます。相方のUSJ体験記、昨日の続きをご覧ください。ホテルのフロントです。後ろの水槽に小さなサメが2匹泳いでいたそうです。ちょっと見えにくいかもしれませんね。そしてやっと愛知の家族が滞在する部屋に着きました。部屋はこんな感じです。早速二人は映画に夢中パパもお疲れさまでした。今夜はここで一泊です。(実はママが翌日滞在する違う部屋を子供達に内緒でこっそり予約していたそうです)相方は一人滞在する別室を予約してもらっていました。(続く)PS) 水曜日と金曜日に相方とノア君が出かけるスポーツジムではにじいろ会のストラップがあっという間になくなりますので、昨夜取り急ぎ30個だけ作って今日持って行ってもらいました。あちこちで配布していますが、皆さんにとても人気で、どこもあっという間になくなってしまいます。寸暇を惜しんでせっせと作っています。
2021.11.03
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11月も早や1日過ぎました。この頃、時間が過ぎていくのが余りにも早すぎるように思います。今年も残すところ2カ月を切りあっという間に暮れていきそうです。いつも紹介している武下さんのカレンダーです。実際は余白がもう少し広いです。そして愛知の公園では秋が進んでいます。「おはようございます。今日も素敵な1日を♪」と添えられていました。・・・・・・さて、今週末(6日)にまたもや愛知のホテルで踊ってきますが、先週末はラテンで、今週末はスタンダードなので今週残り5日間はみっちりタンゴをしごいてもらいます。そこで話題は2泊3日で出かけた相方と愛知の家族のUSJ体験記を載せたいと思います。しばらくの間お付き合いください。自宅を出かける直前まで「あいち交通死をなくすボランティア にじいろ会」のストラップ作りをして265個作りましたが、残りは大阪のホテルの自室で夜作ると言って持って出かけました。そして作り終えて持ち帰りました。さて、相方のUSJ行きを紹介しましょう。金曜日(10月29日)に学校が終わるのを待って愛知の家族と名古屋駅で待ち合わせ夕方新幹線で一路大阪へ向かいました。相方はミニオンズが大好きなんです。2021年10月29日の記念撮影です。ハロウィングッズも撮ってきました。ケーキもハロウィン一色です。なかなかホテルの部屋にたどり着けませんが、今日はここまでです。(続く)
2021.11.02
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背中が青い鳥はカワセミでしょうか?さて、ヘレンド社の窯の続きです。ヘレンドの陶磁器には花と昆虫が描かれているのが多いです。この中に写っている数点を私も買ってきました。ハンガリーの首都ブダペストはドナウ川をはさんで西側をブダ地区、東側をペスト地区と呼ぶと聞きましたが、もう1地区あり、3地区からなっているそうです。漁夫の砦やマーチャーシュ聖堂を見学しましたが、教会の壁には戦争時の銃弾の跡が生々しく残っていたのを今でも鮮明に覚えています。国会議事堂は眺めただけですが、聖イシュトヴァーン大聖堂は見学しましたし、セーチェーニ鎖橋(くさりばし)も渡りました。懐かしい昔の思い出です。思い出の旅にお付き合い頂きありがとうございました。これで「国際陶磁器フェスティバル美濃’21」の旅を終わります。
2021.10.06
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秋晴れの10月3日の続きです。3年に一度開催される「国際陶磁器フェスティバル美濃’21」国内のみならず世界中からの入賞作品を鑑賞後、次に向かったのはこちら。世界の名窯の陶磁器と美濃焼の古今の陶芸家による作品がたくさん展示されていましたので、3階までぐるっと美濃焼の歴史を見て回り最後に1階へ下りて、やっと今回見たかったこちらのコーナーにたどり着きました。ハンガリーのヘレンド社の窯のコーナーです。実は1999年(平成11年)ですから今からもう22年も前になりますが、ハンガリーで開催された岐阜ウィークに参加するためにマレブハンガリー航空に乗ってハンガリーとチェコ共和国を旅したのでした。ちょうどこの建物の定礎に名前が載っていた岐阜県知事夫妻と当市の総合病院院長を団長にその一員として参加したのでした。そしてヘレンド社の窯も見物して来ました。その思い出深い陶磁器をもう一度この目で見たかったのです。なんとこのコーナーだけは写真撮影ができましたので、思う存分写してきました。余りにも多いので今日はその半分だけ載せますね。陶磁器に興味のない方にはつまらないかもしれませんが、お付き合い頂きありがとうございました。(明日に続く)
2021.10.05
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秋篠宮家の長女、眞子さまが名誉総裁を務め、眞子さまの最後の公務として開会式にビデオメッセージを寄せられた「国際陶磁器フェスティバル21」に昨日行ってきました。緊急事態宣言が解除されて初めての日曜日という事で駐車場は満車でしたが、展覧会場はそれほど混雑しているわけではありませんでした。平成14年(2002年)5月定礎ですからもう19年も経つんですね。国際陶磁器フェスティバル美濃は陶磁器のデザイン・文化の国際的な交流を通じさらなる陶磁器産業の発展と文化の高揚を目的として、1986年以降、3年に一度のトリエンナーレとして継続的に開催されています。受付で検温をして服の上にシールを貼ってから会場を見て回りました。最初は台湾の作家の陶芸です。台湾現代陶芸の力と題した作品が展示されていました。とても大きな作品から小さくて繊細な作品まで多数展示されていましたが、撮影禁止でした。(チケットから拝借しました)次にエスカレーターで1階に下りました。こちらではまた厳重なチェックがあり、体温測定と手指消毒だけでなく体温と連絡先を記入させられました。マスクにチェック済みのシーツを貼って入場しました。世界中から過去最多の応募があり、選ばれた作品が約180点展示されていました。(チケットから拝借しました)国によって発想も違いますし、個性的な作品ばかりで興味深かったです。しかし、私が今回見たいと思っていた展覧会場にはまだ到着できていません。(続く)金木犀の甘い香りが庭だけでなく窓から入って来て家の中も甘い香りが漂っています。
2021.10.04
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愛知の公園のお花です。夏水仙が綺麗ですね。タンポポは季節を忘れたのかしら?いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・今年の夏は二度の大雨洪水警報が出て風も強かったので、我が家の小5のノア君が種を植えたトウモロコシは幹があちこちで折れてしまい、穂も折れてしまったのでほとんど諦めていました。そして先週水曜日から今週月曜日まで愛知の娘家族の家で過ごしている間、ネットに差し込んだままにしていました。月曜日に自宅に戻ると幹から髭が生えているのや先に長い髭が生えているのに気づきました。これってトウモロコシの赤ちゃんでしょうか?こちらはユニークな髭でしょ。細くて小さな実ができているように見えます。穂ができただけで実ができるとは思ってもみなかったんですが、これからトウモロコシが実るのでしょうか?しばらく成長記録として観察してみますね。・・・・・・・・・・・・・・さて、桶狭間古戦場公園の最終回です。公園内の様子をもう少しだけ載せますね。こんな感じで当時をしのぶことができます。興味のある方は訪れてみてはいかがでしょうか。(終り)
2021.08.25
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桶狭間の戦いの中心地とされ、桶狭間山の本陣から追われた今川義元が服部一忠と毛利良勝に討ち取られた最期の地である田楽坪に行ってきた桶狭間古戦場公園の続きです。この辺り一帯は区画整理で整備されて私が二十数年前に訪れた時とは全く景色が変わっていました。以前は竹藪か雑木林だったような記憶があります。そして桶狭間の戦いがジオラマで解説されていました。解説板にスマホをかざせばそこの場所がどういう所だったかという事がデジタルマップでよくわかります。ジオラマ解説は丹下砦、鳴海城、善照寺砦、沓掛城、おけはざま山、釜ヶ谷、高根山・松井陣地、幕山・松井陣地、巻山・井伊陣地、おけはざま山・今川義元本陣、釜ヶ谷、家康進軍路・大高道石碑、大高城・丸根砦等が説明されてました。こちらは信長攻路で、桶狭間の戦いで信長の人生を大逆転させた街道です。戦国武将・織田信長が天下布武に向け、大きく躍進するきっかけとなった「桶狭間の戦い」。「信長攻路」とはこの「桶狭間の戦い」で信長が駆け抜けた道のりの事です。桶狭間へのルートは諸説ありますが、以下の三つのコースが有力説らしいです。主に美濃街道ベースの木瓜道(もっこうどう)、鎌倉街道ベースの揚羽道(あげはどう)、稲生街道ベースの永楽道(えいらくどう)とそれぞれ名づけられていました。歴史に興味がある方にはとても面白い場所だと思います。(桶狭間史跡マップと信長攻路マップを参照にしました)(続く)
2021.08.24
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昨日は曇り空で雨が降らなかったので、娘婿さんの車で桶狭間古戦場公園へ朝のうちに行ってきました。桶狭間は織田信長が今川義元を討ち取った所です。桶狭間の戦いの中心地がここ田楽坪(でんがくつぼ)です。今川軍は旗本300旗が義元を囲み応戦しましたが、桶狭間山の西の深田際まで追い込まれ、ついに討ち取られました。公園内には今川義元の墓がありました。「馬つなぎの杜松の木(ねずのき)があり、「首洗いの泉跡」がありました。桶狭間の戦い450年を機に信長・義元の銅像が建立されました。当時の地形を模したジオラマ公園として整備されていました。(続く)
2021.08.23
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「生まれたばかりの梅の赤ちゃん柔らかな産毛を付けた姿が可愛かったですよ。♪今日も楽しい時間を」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・茶店でゆっくり五平餅等を頂き、買い物もできたことだしでは帰ることにしましょう。新東名を引き返す途中で雨が降り出しました。高速の流れはスイスイ。行きよりも帰りの方が走行距離が短いように感じました。途中、高速から入れる刈谷ハイウェイオアシスへ。ここの女性用トイレがSAの中では一番清潔でゴージャスだと思います。そしてポコ君&ペコちゃんが観覧車に乗りたいという事で私たち二人は下で待つことに。雨の中、桜も暗かったです。雨の中、観覧車に乗るお客さんも少なく赤いゴンドラには誰も乗っていませんでした。白いゴンドラにポコ君&ペコちゃん家族の姿が刈谷ハイウェイオアシスは駐車場は満車、食べ物屋さんと食堂はどこも満員で余りにも混雑していたので通過しただけです。昼食は愛知の家族が行きつけの麺類専門店まで我慢。久しぶりに大将と女将さんに挨拶をして私たち二人は大海老とろろうどんをお店の前の桜も満開でしたが、雨が本降りでゆっくりカメラを向けておれませんでした。この後、娘家族を下ろして私達も帰途に就きました。今回の「春休み家族温泉旅」の企画から宿の予約等すべてを取り仕切ってくれたのはポコ君&ペコちゃんのママです。楽しい旅をどうもありがとう。感謝しています。(ジブリ風に加工)皆様も長らく湯谷温泉の旅にお付き合い頂きありがとうございました。(終)PS) 湯谷温泉で仏法僧(コノハズク)の鳴き声を聞くことはできませんでした。先日アメリカの友人が隣家の庭に巣作りをして孵化した鷹・hawkの写真を送ってくれたので紹介します。2020年11月3日2020年11月17日2020年11月17日2021年3月巣作りをして孵化しました。雛はもうこんなに大きくなり餌を食べています。鷹さん、たくましく育ってくださいね。
2021.04.09
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愛知の公園です。「新緑が眩しい朝の公園、春は全てが生まれ変わるような希望を運んでくれる。今日も楽しい時間を♪」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・4月8日我が家の3人の登校風景です。ミラ君とノア君は小学校へ、モコちゃんは中学校へ初登校です。「いってきます。」と元気よく出かけていきました。朝の通勤時間帯は車が多いので、しばらくの間、行きだけママが小学校までついていきます。町内で小学校へ通う家庭は2軒だけ、しかも1年生と5年生の4人だけですので。・・・・・・・・・・・・・宿を出たところで五平餅が食べたくなり、宿の次男さんに聞いたところ茶店には駐車場がないのでここに車を置いて歩いて行った方が良いと言われ、みんなでぞろぞろ歩いていきました。そこはJR飯田線が通り、湯谷温泉駅は少し奥にありました。桜と線路もなかなかいい感じ。踏切を渡ると五平餅の看板が出ている茶店に到着。振り向くとこんな感じ。とその時、警報機が鳴り、遮断機が下りて来ました。湯谷温泉駅を列車が出発したようです。普通電車が通過していきました。お店に入ると、目の前に五平餅の準備がされていました。コロナの影響で観光客の客足が途絶え私達がこの日初めての客だったので大歓迎してもらえました。五平餅は今まで食べた中で一番厚みがあり大きかったです。田楽味噌(コンニャク)も注文しました。漬物がサービスでこの後、何種類も出て来ました。商売上手なお姉さんの親切心についつい売店でお土産をどっさり買う事に。これも旅の思い出の一つになることでしょう。(続く)PS) 自宅に戻ってからもう一度あの五平餅が食べたいなぁと思っていたら、お嫁さんのお母さんから私達と次男家族にどっさり五平餅を頂きました。↑これ私達2人分です。美味しくてペロリと平らげました。(もちろん大食漢の私が6本です)ご馳走さまでした。わが家の庭の八重桜とドウダンツツジ「誰ですか?花より団子と言ってる人は」
2021.04.08
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愛知の公園の様子です。『おはようございます。ピンクに頬を染めた「紅梅」の赤ちゃん♪今日も楽しい時間を』と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・今日はミラ君の入学式。ピッカピカの1年生になりました。午後はモコちゃんの中学校の入学式でママは午前は小学校、午後は中学校と1日中忙しい日です。・・・・・・・・・・・・・・・・みんなは私達の部屋に来て遊んだのでポコ君&ペコちゃん家族の部屋がどんな感じか覗いたところ4部屋もある広い部屋でした。10時にチェックアウトでしたので、その前にもう一度飾ってある忌野清志郎さんに関する資料を写真に写し、記事を読みました。忌野清志郎さんの描いた「奥三河の風景」火縄銃を構えた姿、鳳来寺仁王門、鳳来寺に生息するコノハズク、平安、鎌倉から伝わる奇祭の花祭りが優しいタッチで描かれていました。2009年に58歳で死去したロック歌手の忌野清志郎さんは奥三河をロードバイクで疾走し、温泉とサイクリングが好きで、2,3カ月に一度、家族で湯谷を定宿にしました。メークをしてないのでほとんど誰にも気づかれなかったそうです。06年に喉頭がんを患い、入退院を繰り返しました。癌を患ってからは滞在頻度が月1度に増えたとか。彼が多くの時間を過ごした奥三河はファンの間では「聖地」となっています。清志郎さんはロードバイクでサイクリングするのが好きで、周辺を5時間ぐらい走ることもあったようです。塩分が含まれる泉質と料理が気に入り、特に癌を公表してからは療養のため頻繁に訪れてたそうです。清志郎さんは共に癌で亡くなった筑紫哲也さんが癌で体調が思わしくない時に、湯谷温泉を勧められたようでTBS「NEWS23」で2008年3月28日、最後に対談したのもこの地だったとか。(右下の写真中央の)旅館の次男さんと話をしてきました。湯谷を中心に宇連川の上、下流約5キロは鳳来峡と呼ばれます。また宇連川は別名、板敷川と呼ばれます。川床が板を敷いたように見えるからだそうです。若葉が出て来ました。桜と花桃のコラボも綺麗でしたね。あくる日は雨の予報でしたが、朝10時頃はまだ雨が降っていませんでした。まっすぐ帰るつもりでしたが、もう少しこの辺を歩こうということになりました。(続く)PS) 週1でお邪魔するエステシャンのお庭も春爛漫でお花がいっぱい!白いお花を紹介しました。
2021.04.07
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「久しぶりに透明感のあるフォトが…やはり黄砂がないといいな!今日も楽しい時間を…」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・これはコースターに描かれた若山牧水の歌です。夕食の御膳の敷紙にも若山牧水の歌が書かれてました。仏法僧(ブッポウソウ)は「コノハズク」の事で、近くの鳳来寺山にはコノハズクがいることで有名です。そして鳳来山東照宮には徳川家康公が祀られています。さて、夕食後、部屋に戻りながら珍しいものを写してみました。ブッポウソウが至る所に置いてありました。(多分、消火器が設置されてるんだと想像しました)私達の部屋は下にあります。夕食でお酒を飲んだので、すぐには温泉には入らず、私達の部屋で全員でカードゲームをして遊びました。宿に着いてすぐにハプニングもあったのでカードゲームではみんなで笑って笑って和気藹々、時間を忘れてしまうほどでした。その後、女性3代で丸いお月様を見上げ川音を聞きながら、貸し切り状態でのんびりと露天風呂に浸かったのでした。相方はコーヒーを、私は牛蒡納豆茶を頂きました。翌日の朝食です。大広間に私達1組だけでした。猪鍋の味噌汁です。娘が学生時代ですからずいぶん前の事ですが、宿泊料金を自分が思っただけ払えばよかった頃があったそうです。今は無くなりましたが。手筒花火でしょうか。10時にチェックアウトするまでのんびりと過ごしました。ペコちゃんをピクサー風に加工するとディズニー風に加工するとどちらもよく似ていますね。実はジブリ風にも加工しましたが、ピクサーやディズニー風の加工の方が本人に似ていると思ったものですから。(続く)PS) 今年は暖かいので桜が咲くのが早かったですね。4月3日(土)に満開の桜の写真が送られてきました。旅行記の途中ですが、ここで紹介します。ピアノのレッスンに出かけた帰り道、ママと二人で女子会をしたようです。今までは一緒に紅茶館に行っても飲もうとしなかったミルクティーを一気飲みしたそうです。この間、自宅でロイヤルミルクティーを作ったところ、ポコ君もペコちゃんも美味しい、美味しいと喜んでくれたそうです。大きくなりましたね。
2021.04.06
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『周りの新緑よりも濃い緑が鮮やかな黄色い清楚な花の「花菖蒲」、今日も楽しい時間を」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・部屋で休憩した後は湯谷温泉はづ別館の大広間でたった2組だけで夕食です。もう1組は若いご夫婦と幼児で間に衝立で仕切りがしてありました。私達の夕食の献立は「春・芽吹」です。娘とペコちゃんは早々と温泉に入ってきました。皆様には申し訳ありませんが、記録として載せますね。食前酒は自家製柚子酒先付南瓜豆富・香り山葵かしわ蒸し・甘辛だれ松の実真薯・カレー塩造里の川魚刺身は赤醤油と土佐醤油で私達二人は日本酒を造里の煮魚凌ぎ(しのぎ)は猪うどん、紫玉葱、柚子胡椒風味出汁焼物はアマゴ朴葉包み焼自家製味噌台物の湯辛葉と鳳来牛しゃぶしゃぶ用餅焼肉の鳳来牛と野菜山菜焚き込みご飯とお吸い物香物・蓮根味噌漬け、大根うこん漬け水菓子・オレンジの薩摩芋スイート、苺毎度のことですが、お肉が出る頃にはもうお腹がいっぱいで、今回も鳳来牛を若い人達に助けてもらいました。鳳来牛は4軒の農家でしか飼育されていない希少で4等級以上の上質和牛肉だそうですが、とても食べられませんでした。ポコ君はさすが、成長期、小休止を挟んで全て完食してくれました。お見事!(ジブリ風に加工)(続く)PS) うららかな春の日差しを浴びて今日やっと庭の八重桜が咲きました。
2021.04.05
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『白い花に頬紅を付けたような可愛い「ハナミズキ」、今日も楽しい時間を』と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・宿泊する「はづ別館」に到着すると、ロビーに案内されました。まず全員にウェルカムの抹茶が出て来ました。お菓子は仏法僧(ブッポウソウ)のお饅頭床の間に忌野清志郎さんの思い出の品が飾ってありました。(後日振り返ります)ロビーからの眺め、板敷川が流れています。板を敷き詰めたような見事な川底です。実は宇連川なんですが、湯谷温泉のこの辺りを別名でこう呼ぶそうです。木々の緑の中に淡い桜色の山桜が浮き上がっていました。そして案内された部屋に入ると、そこは忌野清志郎さんが喉頭がんを患い療養中、湯治で滞在されていた思い出の部屋でした。部屋からの眺めです。板敷川の川音だけが聞こえる部屋でした。(続く)PS) 番外編です。今日はイースター(復活祭)、社交ダンスの友人がイースターネイルをされたので載せたいと思います。チャームは可愛いイースターエッグとウサギさん。春らしい明るいネイルですね。
2021.04.04
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愛知の公園の景色です。「新緑のまぶしい季節がやって来ましたね。春は素敵ですね。♪今日も楽しい時間を」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・阿寺の七滝から宿まで行く道すがら、梅や桜、花桃や水仙がとても綺麗でした。やっとその夜の宿に到着しました。玄関で仏法僧とウサギとネズミが迎えてくれました。近くの鳳来寺山は仏法僧(コノハズク)で有名です。(続く)PS) 旅行記が続いていますが、小説はその後も読んでいます。今回読んでいるのはこの本。薬丸岳著:「逃走」:講談社文庫昨夜ほぼ3分の2ほど読んでしまいました。今日で読み切ります。
2021.04.03
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愛知の公園のお花です。『緑の花に赤い紅色がお洒落な「御衣黄(ギョイコウ)」今日も楽しい時間を』と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・阿寺の滝を下から見上げる人は数人いましたが、階段を上がってまで滝を眺める人はいませんでした。好奇心旺盛な私達は全員登りましたが、しばらく滝を眺めた後、降りていきました。ただ一人残って滝の下を撮っていたのは私だけ。下る途中でポコ君&ペコちゃんが祠を見つけたらしくママと3人でお参りしました。それは子抱観音でした。阿寺の七滝を見納めた後は山道を下ります。珍しい茸がたくさん生えている木や苔むした大木が目の前に現れます。木の穴から動物がひょっこり顔を出しそうでした。ひょっとすると小人さんの住処かも?子供たちは川で遊びながらパパを呼びます。しばらく川で戯れ戻ってきました。真っ赤な椿や薄紫のツツジが綺麗でした。みんな小さい声でおしゃべりしながら山道を下りました。どこからか小鳥のさえずる声が聞こえてきました。あれは鶯?それとも仏法僧?どこから現れたのか、大きな石もゴロゴロと。帰りは遊びながらゆっくり下りましたが、やはり上りよりも下りの方が断然楽でした。(続く)PS) 今日は週1でダンススタジオへ先生の足の治り具合を見に行く日でした。先週出かけた時に、4月になったらそろそろレッスンを始めましょうと言われたんですが、昨日は都合が悪いとのことで今日かすかな期待をして出かけたんです。最近サポーターを巻いてリハビリにいつもの山を歩くことにしたそうですが、まだダンスシューズは履いたことがないそうで、目の前で履いてもらいましたが、やはりまだ痛いらしくてレッスンはできませんでした。2月23日に足首の下の細い骨を骨折して45日目になりますが、やはり長引きますね。今月11日のデモンストレーションはキャンセルしましたが、骨折した当初、先生は出場するつもりだったんです。私が大事を取ってキャンセルにして本当に良かったです。24日のデモンストレーションは大丈夫ですかと念を押したら、大丈夫踊れますとのこと。主催者の先生からも足の具合を心配して何度も電話がかかるそうです。というわけで来週から3週間毎日レッスンをすることになりました。さて、どうなりますことやら?
2021.04.02
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愛知の公園に咲く花々です。『青空に映える元気な花を付けた「山桜」やはり力強さが違う!今日も楽しい時間を」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・山道を歩くこと20分。阿寺川の上流にある全長64メートルの阿寺の七滝に到着。日本の滝100選の一つになっています。下から眺めた阿寺の七滝です。遠景全員で記念撮影(私は撮影者)ここから全員が左側にある階段を登ってアングルを変えて滝を眺めました。階段の一番上まで上がりました。ここから先はもう見えません。階段の一番上にしゃがんで恐る恐る身を乗り出して滝の下の方を撮っている姿を後ろから娘が撮っていました。唯一の姿を載せますね。下を覗くと足がすくみましたが、しばらくの間、流れ落ちる滝を堪能してその後、気を付けながら階段を降りました。(続く)
2021.04.01
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『春に咲く黄色の花は柔らかな陽の光、「フリージア」と「ヤマブキ」、この後も楽しい時間を』と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・今夜のお宿、はづ別館に着く前にポコ君&ペコちゃんのママが学生時代、仲良し女友達三人で訪れたことがある阿寺の七滝に案内してもらいました。麓で道が二つに分かれていたので、私達は左の道を選びました。それは目的地まで11キロもある山道でした。(帰りに右の道を帰りましたが、平坦で広い約5キロの道でした)カーナビが直角どころかヘアピンカーブよりも急な団子状の道路をいくつも映し出し、狭くて片側1車線で対向車が来たらどうするのというような狭い山道をくねくねと曲がりながら行きつ戻りつ、登っては下りを繰り返し、途中、目の前に現れた数台とすれ違いましたが、そこは運転手の腕の見せ所でした。案の定、車に弱いペコちゃんは気分が悪くなりママから酔い止めのキャンディーをもらって舐めながらグッタリしていたのでした。慎重に山道を走ったので結構時間がかかりましたが、なんとかやっとのことで到着したのでした。ここから15分から20分ぐらいかかってなだらかな山道を歩きました。私は綺麗なお花の写真を撮りながら何度も小走りでみんなに追いつくと言う事を繰り返しながら↑ 男性3代薄紫の山ツツジがあちこちに咲いてました。我が家の庭にもありますが、最近では赤い実を付けなくなりました。↓↑女性3代の代わりに相方が入って↓「目指す阿寺の七滝はもうすぐだから頑張ってね」と後ろから写真を撮りながら一足遅い私に声をかけてくれたのでした。(続く)
2021.03.31
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『咲き始めた花は可憐で素敵な「ツツジ」今日も楽しい時間を」』と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・お寿司屋さんの裏に流れる川の堤防沿いには桜並木があり、ソメイヨシノが今を盛りとほぼ満開で咲いてました。では旅に出発しましょう。伊勢湾岸自動車道から豊田東JCTで新東名高速道路に入り岡崎、岡崎東、豊川を通過し新城ICで下りるまでの途中、運転手の疲れをとるために長篠設楽原PAで一休み。ここは長篠設楽原(長篠設楽ケ原)の戦いで有名な場所で下りPAからは隣接する織田信長本陣跡に徒歩で移動できるらしいです。Wikipediaによりますと、この地は長篠の戦い(長篠の合戦)があった所で1575年5月21日(戦国時代の天正3年5月21日)三河の国、長篠の長篠城(現在の愛知県新城市長篠)をめぐり3万8千人の織田信長・徳川家康連合軍と1万5千人の武田勝頼の軍勢がたたかった合戦で、決戦地が設楽原(設楽が原)および有海原(あるみはら)であったため、長篠設楽原(設楽ヶ原)の戦いと記す場合もあるそうです。日本で初めて鉄砲が使われたとされています。長篠の戦いが起こった原因は徳川家康の領地だった三河北部の重要拠点であった長篠城を武田勝頼が手に入れようとしたことです。(※武田勝頼は1575年に三方原(みかたはら)の戦いで徳川家康を撃破した甲斐の戦国武将、武田信玄の息子です。)父、武田信玄が急死したため息子、武田勝頼が戦いましたが、武田軍は敗北し織田信長・徳川家康軍が勝利しました。見渡す限り山々が連なる奥三河。こんな山深い場所で合戦が行われたのかと感慨深く周囲の景色を眺めたのですが、「兵どもが夢の跡」を感じざるを得ないのでした。山頂には夏草ではなく新緑の木々の若葉が茂っていましたが。気分転換の休憩もできたことだし、目的地はすぐ近くなので先を進みましょう。(続く)
2021.03.30
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『この花を見るとわが民族は「春」を感じます。寒い冬を耐えた事への自然がくれたご褒美。この後も楽しい時間を…」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・3月27,28日で奥三河の湯谷温泉まで出かけた旅を振り返ります。27日午前9時半少し前に自宅を出て11時半過ぎに愛知の娘家族と合流。ちょうど昼時でもあり、「腹が減っては戦ができぬ」と旅に出る前に腹ごしらえを。鯛はお腹が空いてるようで目をぐるりと回しながら二人の手を追っていました。それぞれがタブレットのタッチパネルで注文大人が4人と中学生男子と小学生女子ですが、もう大人が6人と言えるほどの食べっぷりに私の目が点に!全員で34皿食べました。(続く)PS) 今日でモコちゃんの新体操のレッスンが終わりました。「保育園の年長組から小学6年生まで週1回7年間私に新体操を習わせてくれて、送り迎えもしてくれておばあちゃん、どうもありがとう」と車の中でお礼の言葉を言ってくれたので胸がジーンと熱くなりました。新体操の先生に「お世話になりました。どうもありがとうございました。」とお礼の言葉を伝えたら「中学校に行っても頑張ってね」と言われたと話してくれました。一番の収穫は背が伸びた事です。脚の形も良くなりました。そして何より途中でやめずに7年間続けたことを褒めてあげたいと思います。
2021.03.29
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『今の時期には珍しい花色の小粒な花を咲かせ♪やたらと目立ちたがり屋の「ハナズオウ」です。今日も楽しい時間を』と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・ざっと振り返ります。昨日相方の運転で愛知の娘家族を乗せて新東名をひた走り、新城インターで降り阿寺の七滝を見るために山道に入り11キロの道中、入り組んだヘアピンカーブを何十回と繰り返し、やっとのことで到着。山道をよく歩いて阿寺の七滝を眺めてきました。写真はたくさん撮りましたが、PCに接続させるケーブルを忘れたので宿泊したはづ別館のホームページにちょうど私たちが宿泊した部屋が載っていますので写真を拝借しました。この部屋が忌野清志郎さんが宿泊された部屋だそうです。昨夜は少しぬるめの檜ぶろに入った後、熱めの露天ぶろでお月様を見上げ激しく流れる川音を下に聞きながら女三代のんびりお湯に浸かりました。そして今日は雨の予報ですので、朝食後、チェックアウトしたら寄り道せず、途中娘家族を下ろして自宅へ直行します。続きは後で。PS) 帰る道中で雨が降り出しました。どこにも寄らずに帰るつもりでしたが、結局寄り道して、自宅へ午後3時過ぎに到着。運転手の方がもっと疲れていると思いますが、私は2時間ほど熟睡してしまいました。写真は全部で220枚ほどありましたが、その内、良さそうなのをピックアップして明日から少しずつ旅行記で紹介したいと思います。先ずはご報告まで。
2021.03.28
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「素敵な乙女椿が満開になりました。今日も穏やかな心と笑顔で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・旅行ではなく買い物なんですが、久しぶりにコストコ常滑店までドライブ。途中愛知の娘宅に立ち寄りペコちゃんとママを乗せ出発。岐阜県は海がないので空の青、海の青が恋しい。開店直後でも約1000台弱収容できるという駐車場は既に満車状態。ガードマンが駐車場以外のスペースへ誘導してくれました。1台の車から大体4,5人降りるのでお店には一体どれだけの人が入っているのか。店頭には長蛇の列ができて最後尾の札がすぐ目の前まで来ていました。私はみんなの買い物が済むまで1時間半、車の中でただひたすら待ちました。皆さん、カートの上下に山盛りの買い物をして車に戻り、そこへ待機していた車が滑り込むという買い物客の姿を見ているだけで時間が過ぎました。我が家も義姉一家に頼まれたトイレットペーパーなど生活必需品とパン類等を買ってきました。そしてちょうどお昼時になったので予約してあったお店に直行。このお店も大勢お客さんが待っていました。お客さんが食事を終わるごとにお店の人がテーブルから椅子を消毒しては拭きながら感染症対策をしていました。4人でランチをしてきました。久しぶりのバーニャ・カウダイカスミドリンクとコーヒーは各自で自由に。お腹一杯になり、お店を後にしました。色違いのクリスマスローズや春の野草があちこちで咲いていました。娘宅に寄り荷物を下ろして一路自宅へ向かいました。こうして長距離ドライブをしながら久しぶりにリフレッシュしてきたのでした。
2021.03.07
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「おはようございます。今日も穏やかな心と笑顔で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・ホテルで朝食を食べ私↑ 相方↓地下鉄で1駅の距離を運動しようと歩きました。京都のメイン通りへ出る細い道すべてに信号がついてましたが、信号を守らない人が数人いました。目的地まで30分見込んでいましたが、20分で到着し、早すぎたので通り越して喫茶店で一服。その後、長男が経営するお店に初めて立ち寄りました。こちらは店の奥にあるエステ室です。私もエステをしてもらいました。ハーブの香りがするアロマオイルを使って約2時間ほどかけてゆっくり丁寧に顔からデコルテ、背中まで充分施術していただきました。とっても気持ちが良かったです。その間、相方はもう一人の方にカラー診断(あなたのベストカラーは?Vゾーンやタイプ別のカラーコーディネイト)をしてもらいながら待っていてくれたのでした。相方は明るく澄んだクリアカラーでさわやかで明るい印象のネクタイ、シャツ、ジャケットが似合い、軽快なコーディネートがポイントと出ました。その後、化粧をしてもらいましたが、スッピンはちょっと見せられませんので。最後に若い従業員の皆さんと記念撮影。マスクを取って実は前日、長男から「舞台メークの濃い化粧をして来店するように」と言われていたんです。息子は忙しい人でお食い初めが終わったら高速に乗り次の仕事場に出かけて行きました。私達はリラックスし過ぎてもう観光するエネルギーもなくなり京都駅に向かいランチをすることに。すると、スマホに着信があるのに気づきました。それは社交ダンスの男先生からでした。今朝、ほぼ毎日出かけるいつもの山へトレランに行って転倒し足をくじいたのでX線撮影をしてもらったところ骨折とわかりギブス固定で1カ月安静にするように言われてしまったとのこと。もう既に4月に2つもデモンストレーションの申し込みをしてあるというのに・・・3月いっぱい休んで、すぐに踊れるのかしら?何とも困ったことになりました。・・・これで京都お食い初めの旅を終わります。
2021.03.02
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『おはようございます。やっと咲きました。「スノーフレーク」この後も穏やかな心と笑顔で』と添えられていました。いつもありがとうございます・・・・・・・・・・・お食い初めが終わり歩いてマンションに戻るとおやつは別腹でした。甘くて美味しい大きなイチゴと生姜湯を頂きました。紅白餅も美味しいし、甘いものの後のおせんべいも美味しいし…いったんホテルへチェックイン長男が私達の為に取ってくれた部屋です。5階から京都御苑が見えました。以前も宿泊したことがあるホテルです。その後、ママのお父様の運転で4人はある所へ出かけました。それは介護施設の片隅にひっそりと石碑が建つ場所でした。この付近本能寺址と書かれていました。本能寺焼失後、豊臣秀吉が先日掲載した場所に本能寺を移築しましたが、ここが焼失した本能寺が実際にあった場所らしいです。本能寺の変の折、明智光秀は数キロ先にいたという事ですが、それは二条城の辺りなんだろうか、それともどの辺りだったんだろうという話題でお母様と盛り上がりました。二人は歴女ですので。いったん長男家族の住むマンションに戻り、ママのお母様が出かける前に作ってお鍋ごと持参されたおでんとお寿司を夕食に全員で美味しく頂きました。トコちゃんとミミちゃんのお風呂の時間になったので歩いてホテルに戻ると、午後8時にホテルのルームサービスで長男が私たち二人の為に頼んでおいてくれたスパークリング日本酒が届きました。甘口で口当たりが良かったので二人で1本空けてしまいました。(私が5分の4ぐらい頂きましたが)ご馳走様でした。どうもありがとう。(続く)
2021.03.01
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「朝日を浴びて煌びやかに輝く木の葉のように明るい笑顔と咲き始めの初々しい薔薇のような初々しい心で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・2日続けて洋食メニューだったので最終日の朝食だけは京懐石・美濃吉でお粥にしました。四条南座の顔見世の絵が描かれた封筒はマスク入れでした。朝食後は早速京都の町の散策開始です。10時のコーヒーブレイクでワッフルを食べました。初めて京都タワーに来ました。1964年(昭和39年)にできた高さ131mのタワーです。11月24日の記念にもらってきました。そしてエレベーターで展望台へ展望台から京の景色が一望できました。すぐ近くには東本願寺が見えました。西本願寺はちょっと離れていました。それで歩いて東本願寺へ行くことにしました。阿弥陀堂門(重要文化財)から入りました。左手には鐘楼(重要文化財)目の前に見えるのが阿弥陀堂(重要文化財)素晴らしい建築物ですね。手水屋形(ちょうずやかた)・重要文化財境内の紅葉も綺麗でした。こちらは東本願寺慶長梵鐘です。1603年徳川家康から烏丸六条寺地の寄進を受けた教如上人が1604年(慶長9年)9月の御影堂の造営に合わせて鋳造した長年鐘楼にかかっていた釣鐘(梵鐘)です。御影堂門(重要文化財)御影堂(重要文化財)御影堂内でご本尊様に心静かに手を合わせ参拝してきました。阿弥陀堂を建築する際、重い建材を運ぶために門徒達が提供したという毛綱が展示されていたので見てきました。そして御影堂門から帰ることにしました。さっき上がった京都タワーがこんなにも近くに見えたのでした。3泊4日で目いっぱい楽しんだ京都の旅もそろそろ終わりに近づいてきました。長らく京都の旅にお付き合いくださってありがとうございました。(終)PS) 今日は名古屋へ出かけ、A先生方主催のダンスパーティーでタンゴのデモンストレーションをしてきます。マスクをはめて手指の消毒をしっかりしてソーシャルディスタンスを取り気を付けながら踊ってきます。帰ってから皆様の所へうかがうつもりですのでよろしくお願い致します。
2020.12.06
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「黄色の可愛い花を咲かせたキイロノジギクのように暖かい心でそしてほんのりはにかむ椿のように優しい笑顔で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・本能寺からタクシーに乗って近道をして哲学の道を横切り臨済宗相国寺派 銀閣 慈照寺へ。室町幕府8代将軍・足利義政が応仁の乱の後に自身の隠居後の山荘・東山殿として建立しました。庭の紅葉を見て回りました。観音殿銀閣は国宝です。一層の眞心空殿は書院風。二層の潮音閣は板壁に花頭窓をしつらえた唐様仏殿様式。室町期の建物として唯一現存する楼閣庭園建築で潮音閣には観音菩薩坐像を安置しています。銀沙灘(ぎんしゃだん)石英、雲母を含む白川砂を敷き詰め等間隔にストライプを描いたスタイリッシュなデザインです。銀沙灘の脇に立つ高さ175㎝の円錐型の盛り砂の向月台(向月台)が写っていませんでしたね。国宝・東求堂(とうぐどう)の板戸に描かれた絵錦鏡池樹齢五百年の「千代の槇・まき」の近くの景色他にも義政公お茶用の湧き水「お茶の井」がありました。展望所に向かって足元に気を付けながら山を上がって行きました。展望所からの眺めこれで銀閣寺・慈照寺・庭園の紅葉を愛でて一周してきました。紅葉で有名な東福寺や永観堂の混雑を避け、銀閣寺の紅葉を眺めただけで充分満足できたのでした。御守護のお札も頂けましたしね。(続く)
2020.12.05
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「歩道の植え込みに実を付けた柿のように行き交う人に秋の実りの有り難さを伝える優しい心と♪そして素敵な花を抱いた野アサガオのようにたくましく」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・建仁寺から歩いて向かったのは安井金毘羅宮主祭神の崇徳上皇が欲を断ち切って金毘羅さんを参籠したことから悪縁を切り良縁を結ぶ神社として信仰されています。男女の悪縁、浮気、病気、タバコ、ギャンブルまで様々な縁切りができるそうです。願いを書いた形代(かたしろ)を持ち、表からくぐって悪縁を断ち、裏からくぐって良縁を結ぶんだそうです。縁切・縁結のお守りを求める人たちが長い行列を作ってました。どうも私達は裏門から入って表門に抜けたような感じがします。表通りに出てタクシーをひろい八坂神社を右手に見て本能寺へ。「本能寺の変」で信長が非業の最後を遂げた本能寺は全焼して、現在は(中京区元本能寺南町に)「本能寺跡」という石碑が立つだけと聞いて現在の場所に移転・再建されたと言われる大本山本能寺へ行きました。建立から現在に至るまで五度の火災に見舞われているので能の字には「ヒ」が続いているので使用を避け「ヒ」が「去る」ようにと能の字が違っているようです。展示会場はこちらです。ロビーだけは写真撮影ができました。唐銅香炉「三足の蛙」「三足の蛙」(みつあしのかえる)は「本能寺の変」が起こる前夜に突然鳴き出し信長公に異変を知らせたという伝説があります。中国伝来の香炉です。展示会場は写真撮影禁止。本能寺にまつわる書巻や寺宝、信長公が集めた茶道具類、「織田信長の絵図」は本能寺しかなくて信長には髭がありません。他にも「信長公所持の太刀」の数々が展示されてました。頂いたチラシ、リーフレットから65点の展示物のほんの一部を抜粋しました。本能寺の総門は国の登録有形文化財に指定されています。本堂内正面にある日蓮聖人の像は本能寺の変以前からあります。織田信長公の供養塔の下には信長が使用していた刀が眠っています。大銀杏は蛤御門の変の火災時にこの銀杏の木から水が噴き出し火を消したという逸話があります。昭和3年(1928年)に再建された現在の本堂戦国時代から安土桃山時代を駆け抜けた武将、織田信長や明智光秀に想いを馳せて参拝してきたのでした。(続く)
2020.12.04
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「木漏れ日のスポットを浴びた山茶花のように華やかにそして朝陽を浴びて輝くモミジのように優しさのある心で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・あまり観光客が多い所へは行きたくなかったので朝一番にタクシーで建仁寺に行きました。30分ほど境内を散策して開館時間を待ちました。たくさん写真を撮ってきましたのでその中から少し選んで掲載します。それでも多いかと思いますが、どうぞお付き合いください。枯れた蓮の葉の下では錦鯉が泳いでました。境内の続きにあった摩利支尊天にはここにもイノシシそこにもイノシシあそこにもイノシシがたくさんかいました。売店で私達もイノシシのおみくじを引くと相方は中吉を、私は大吉をひきました。ではそろそろ戻りましょう。午前10時に建仁寺が開館しました。京都最古の禅寺建仁寺は臨済宗建仁寺派の大本山です。開山は栄西禅師。開基は源頼家。鎌倉時代の建仁2年(1202年)の開創で寺名は当時の年号からつけられました。栄西禅師は二度入宋を果たし中国から茶種を持ち帰って日本で栽培することを推奨し喫茶の法を普及した「茶祖」としても知られています。国宝「風神雷神図屏風」は(展示は複製ですが)俵屋宗達の真作で晩年の最高傑作とされています。二曲一双の屏風全体に金箔を押し、右に風神、左に雷神が描かれています。では順路に従ってぐるっと回って来ましょう。雲龍図(高精細デジタル複製)は海北友松によって桃山時代に描かれた方丈襖絵で重要文化財です。栄西禅師800年記念事業の一環として高精細デジタルで複製して常設で一般公開してしています。他にも「花鳥図」「琴棋書画図」「山水図」の方丈襖絵はすべて重要文化財です。方丈(ほうじょう)は重要文化財。枯山水の前庭の大雄苑(だいおうえん)には白砂と緑苔と巨岩を配してあります。法堂(はっとう)は1765年に上棟した禅宗様仏殿建築。本尊は十一面観音菩薩像。天井には平成14年(2002年)創建800年を記念して「小泉淳作画伯」筆の「双龍図」が描かれています。迫力のあるそれは見事な龍でした。襖絵は海北友松筆「竹林七賢図」(高精細デジタル複製)庭の紅葉も綺麗でした。宇宙の根源的形態を表現した〇△□の庭もありました。小書院には伝統の染色技法で染めあげた幻想的な16面の襖絵「船出」が(2014年 鳥羽美花 制作)ベトナムの穏やかな水辺の風景を青の濃淡の実で美しく表現されています。建仁寺本坊中庭にある潮音庭(ちょうおんてい)は三連の庭で中央に三尊石、その東には座禅石、まわりに紅葉を配した四方正面の禅庭です。風神雷神の書の屏風いかがでしたでしょうか。他にも三門(望血闕楼・ぼうけつろう)や勅使門(ちょくしもん)・重要文化財等紹介したいところがたくさんありますが、この辺で建仁寺を終わります。(続く)
2020.12.03
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