カテゴリ未分類 0
全783件 (783件中 251-300件目)
< 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 ... 16 >
愛知の公園です。「新緑が眩しい朝の公園、春は全てが生まれ変わるような希望を運んでくれる。今日も楽しい時間を♪」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・4月8日我が家の3人の登校風景です。ミラ君とノア君は小学校へ、モコちゃんは中学校へ初登校です。「いってきます。」と元気よく出かけていきました。朝の通勤時間帯は車が多いので、しばらくの間、行きだけママが小学校までついていきます。町内で小学校へ通う家庭は2軒だけ、しかも1年生と5年生の4人だけですので。・・・・・・・・・・・・・宿を出たところで五平餅が食べたくなり、宿の次男さんに聞いたところ茶店には駐車場がないのでここに車を置いて歩いて行った方が良いと言われ、みんなでぞろぞろ歩いていきました。そこはJR飯田線が通り、湯谷温泉駅は少し奥にありました。桜と線路もなかなかいい感じ。踏切を渡ると五平餅の看板が出ている茶店に到着。振り向くとこんな感じ。とその時、警報機が鳴り、遮断機が下りて来ました。湯谷温泉駅を列車が出発したようです。普通電車が通過していきました。お店に入ると、目の前に五平餅の準備がされていました。コロナの影響で観光客の客足が途絶え私達がこの日初めての客だったので大歓迎してもらえました。五平餅は今まで食べた中で一番厚みがあり大きかったです。田楽味噌(コンニャク)も注文しました。漬物がサービスでこの後、何種類も出て来ました。商売上手なお姉さんの親切心についつい売店でお土産をどっさり買う事に。これも旅の思い出の一つになることでしょう。(続く)PS) 自宅に戻ってからもう一度あの五平餅が食べたいなぁと思っていたら、お嫁さんのお母さんから私達と次男家族にどっさり五平餅を頂きました。↑これ私達2人分です。美味しくてペロリと平らげました。(もちろん大食漢の私が6本です)ご馳走さまでした。わが家の庭の八重桜とドウダンツツジ「誰ですか?花より団子と言ってる人は」
April 8, 2021
コメント(22)
愛知の公園の様子です。『おはようございます。ピンクに頬を染めた「紅梅」の赤ちゃん♪今日も楽しい時間を』と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・今日はミラ君の入学式。ピッカピカの1年生になりました。午後はモコちゃんの中学校の入学式でママは午前は小学校、午後は中学校と1日中忙しい日です。・・・・・・・・・・・・・・・・みんなは私達の部屋に来て遊んだのでポコ君&ペコちゃん家族の部屋がどんな感じか覗いたところ4部屋もある広い部屋でした。10時にチェックアウトでしたので、その前にもう一度飾ってある忌野清志郎さんに関する資料を写真に写し、記事を読みました。忌野清志郎さんの描いた「奥三河の風景」火縄銃を構えた姿、鳳来寺仁王門、鳳来寺に生息するコノハズク、平安、鎌倉から伝わる奇祭の花祭りが優しいタッチで描かれていました。2009年に58歳で死去したロック歌手の忌野清志郎さんは奥三河をロードバイクで疾走し、温泉とサイクリングが好きで、2,3カ月に一度、家族で湯谷を定宿にしました。メークをしてないのでほとんど誰にも気づかれなかったそうです。06年に喉頭がんを患い、入退院を繰り返しました。癌を患ってからは滞在頻度が月1度に増えたとか。彼が多くの時間を過ごした奥三河はファンの間では「聖地」となっています。清志郎さんはロードバイクでサイクリングするのが好きで、周辺を5時間ぐらい走ることもあったようです。塩分が含まれる泉質と料理が気に入り、特に癌を公表してからは療養のため頻繁に訪れてたそうです。清志郎さんは共に癌で亡くなった筑紫哲也さんが癌で体調が思わしくない時に、湯谷温泉を勧められたようでTBS「NEWS23」で2008年3月28日、最後に対談したのもこの地だったとか。(右下の写真中央の)旅館の次男さんと話をしてきました。湯谷を中心に宇連川の上、下流約5キロは鳳来峡と呼ばれます。また宇連川は別名、板敷川と呼ばれます。川床が板を敷いたように見えるからだそうです。若葉が出て来ました。桜と花桃のコラボも綺麗でしたね。あくる日は雨の予報でしたが、朝10時頃はまだ雨が降っていませんでした。まっすぐ帰るつもりでしたが、もう少しこの辺を歩こうということになりました。(続く)PS) 週1でお邪魔するエステシャンのお庭も春爛漫でお花がいっぱい!白いお花を紹介しました。
April 7, 2021
コメント(32)
「久しぶりに透明感のあるフォトが…やはり黄砂がないといいな!今日も楽しい時間を…」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・これはコースターに描かれた若山牧水の歌です。夕食の御膳の敷紙にも若山牧水の歌が書かれてました。仏法僧(ブッポウソウ)は「コノハズク」の事で、近くの鳳来寺山にはコノハズクがいることで有名です。そして鳳来山東照宮には徳川家康公が祀られています。さて、夕食後、部屋に戻りながら珍しいものを写してみました。ブッポウソウが至る所に置いてありました。(多分、消火器が設置されてるんだと想像しました)私達の部屋は下にあります。夕食でお酒を飲んだので、すぐには温泉には入らず、私達の部屋で全員でカードゲームをして遊びました。宿に着いてすぐにハプニングもあったのでカードゲームではみんなで笑って笑って和気藹々、時間を忘れてしまうほどでした。その後、女性3代で丸いお月様を見上げ川音を聞きながら、貸し切り状態でのんびりと露天風呂に浸かったのでした。相方はコーヒーを、私は牛蒡納豆茶を頂きました。翌日の朝食です。大広間に私達1組だけでした。猪鍋の味噌汁です。娘が学生時代ですからずいぶん前の事ですが、宿泊料金を自分が思っただけ払えばよかった頃があったそうです。今は無くなりましたが。手筒花火でしょうか。10時にチェックアウトするまでのんびりと過ごしました。ペコちゃんをピクサー風に加工するとディズニー風に加工するとどちらもよく似ていますね。実はジブリ風にも加工しましたが、ピクサーやディズニー風の加工の方が本人に似ていると思ったものですから。(続く)PS) 今年は暖かいので桜が咲くのが早かったですね。4月3日(土)に満開の桜の写真が送られてきました。旅行記の途中ですが、ここで紹介します。ピアノのレッスンに出かけた帰り道、ママと二人で女子会をしたようです。今までは一緒に紅茶館に行っても飲もうとしなかったミルクティーを一気飲みしたそうです。この間、自宅でロイヤルミルクティーを作ったところ、ポコ君もペコちゃんも美味しい、美味しいと喜んでくれたそうです。大きくなりましたね。
April 6, 2021
コメント(24)
『周りの新緑よりも濃い緑が鮮やかな黄色い清楚な花の「花菖蒲」、今日も楽しい時間を」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・部屋で休憩した後は湯谷温泉はづ別館の大広間でたった2組だけで夕食です。もう1組は若いご夫婦と幼児で間に衝立で仕切りがしてありました。私達の夕食の献立は「春・芽吹」です。娘とペコちゃんは早々と温泉に入ってきました。皆様には申し訳ありませんが、記録として載せますね。食前酒は自家製柚子酒先付南瓜豆富・香り山葵かしわ蒸し・甘辛だれ松の実真薯・カレー塩造里の川魚刺身は赤醤油と土佐醤油で私達二人は日本酒を造里の煮魚凌ぎ(しのぎ)は猪うどん、紫玉葱、柚子胡椒風味出汁焼物はアマゴ朴葉包み焼自家製味噌台物の湯辛葉と鳳来牛しゃぶしゃぶ用餅焼肉の鳳来牛と野菜山菜焚き込みご飯とお吸い物香物・蓮根味噌漬け、大根うこん漬け水菓子・オレンジの薩摩芋スイート、苺毎度のことですが、お肉が出る頃にはもうお腹がいっぱいで、今回も鳳来牛を若い人達に助けてもらいました。鳳来牛は4軒の農家でしか飼育されていない希少で4等級以上の上質和牛肉だそうですが、とても食べられませんでした。ポコ君はさすが、成長期、小休止を挟んで全て完食してくれました。お見事!(ジブリ風に加工)(続く)PS) うららかな春の日差しを浴びて今日やっと庭の八重桜が咲きました。
April 5, 2021
コメント(24)
『白い花に頬紅を付けたような可愛い「ハナミズキ」、今日も楽しい時間を』と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・宿泊する「はづ別館」に到着すると、ロビーに案内されました。まず全員にウェルカムの抹茶が出て来ました。お菓子は仏法僧(ブッポウソウ)のお饅頭床の間に忌野清志郎さんの思い出の品が飾ってありました。(後日振り返ります)ロビーからの眺め、板敷川が流れています。板を敷き詰めたような見事な川底です。実は宇連川なんですが、湯谷温泉のこの辺りを別名でこう呼ぶそうです。木々の緑の中に淡い桜色の山桜が浮き上がっていました。そして案内された部屋に入ると、そこは忌野清志郎さんが喉頭がんを患い療養中、湯治で滞在されていた思い出の部屋でした。部屋からの眺めです。板敷川の川音だけが聞こえる部屋でした。(続く)PS) 番外編です。今日はイースター(復活祭)、社交ダンスの友人がイースターネイルをされたので載せたいと思います。チャームは可愛いイースターエッグとウサギさん。春らしい明るいネイルですね。
April 4, 2021
コメント(24)
愛知の公園の景色です。「新緑のまぶしい季節がやって来ましたね。春は素敵ですね。♪今日も楽しい時間を」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・阿寺の七滝から宿まで行く道すがら、梅や桜、花桃や水仙がとても綺麗でした。やっとその夜の宿に到着しました。玄関で仏法僧とウサギとネズミが迎えてくれました。近くの鳳来寺山は仏法僧(コノハズク)で有名です。(続く)PS) 旅行記が続いていますが、小説はその後も読んでいます。今回読んでいるのはこの本。薬丸岳著:「逃走」:講談社文庫昨夜ほぼ3分の2ほど読んでしまいました。今日で読み切ります。
April 3, 2021
コメント(24)
愛知の公園のお花です。『緑の花に赤い紅色がお洒落な「御衣黄(ギョイコウ)」今日も楽しい時間を』と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・阿寺の滝を下から見上げる人は数人いましたが、階段を上がってまで滝を眺める人はいませんでした。好奇心旺盛な私達は全員登りましたが、しばらく滝を眺めた後、降りていきました。ただ一人残って滝の下を撮っていたのは私だけ。下る途中でポコ君&ペコちゃんが祠を見つけたらしくママと3人でお参りしました。それは子抱観音でした。阿寺の七滝を見納めた後は山道を下ります。珍しい茸がたくさん生えている木や苔むした大木が目の前に現れます。木の穴から動物がひょっこり顔を出しそうでした。ひょっとすると小人さんの住処かも?子供たちは川で遊びながらパパを呼びます。しばらく川で戯れ戻ってきました。真っ赤な椿や薄紫のツツジが綺麗でした。みんな小さい声でおしゃべりしながら山道を下りました。どこからか小鳥のさえずる声が聞こえてきました。あれは鶯?それとも仏法僧?どこから現れたのか、大きな石もゴロゴロと。帰りは遊びながらゆっくり下りましたが、やはり上りよりも下りの方が断然楽でした。(続く)PS) 今日は週1でダンススタジオへ先生の足の治り具合を見に行く日でした。先週出かけた時に、4月になったらそろそろレッスンを始めましょうと言われたんですが、昨日は都合が悪いとのことで今日かすかな期待をして出かけたんです。最近サポーターを巻いてリハビリにいつもの山を歩くことにしたそうですが、まだダンスシューズは履いたことがないそうで、目の前で履いてもらいましたが、やはりまだ痛いらしくてレッスンはできませんでした。2月23日に足首の下の細い骨を骨折して45日目になりますが、やはり長引きますね。今月11日のデモンストレーションはキャンセルしましたが、骨折した当初、先生は出場するつもりだったんです。私が大事を取ってキャンセルにして本当に良かったです。24日のデモンストレーションは大丈夫ですかと念を押したら、大丈夫踊れますとのこと。主催者の先生からも足の具合を心配して何度も電話がかかるそうです。というわけで来週から3週間毎日レッスンをすることになりました。さて、どうなりますことやら?
April 2, 2021
コメント(18)
愛知の公園に咲く花々です。『青空に映える元気な花を付けた「山桜」やはり力強さが違う!今日も楽しい時間を」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・山道を歩くこと20分。阿寺川の上流にある全長64メートルの阿寺の七滝に到着。日本の滝100選の一つになっています。下から眺めた阿寺の七滝です。遠景全員で記念撮影(私は撮影者)ここから全員が左側にある階段を登ってアングルを変えて滝を眺めました。階段の一番上まで上がりました。ここから先はもう見えません。階段の一番上にしゃがんで恐る恐る身を乗り出して滝の下の方を撮っている姿を後ろから娘が撮っていました。唯一の姿を載せますね。下を覗くと足がすくみましたが、しばらくの間、流れ落ちる滝を堪能してその後、気を付けながら階段を降りました。(続く)
April 1, 2021
コメント(28)
『春に咲く黄色の花は柔らかな陽の光、「フリージア」と「ヤマブキ」、この後も楽しい時間を』と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・今夜のお宿、はづ別館に着く前にポコ君&ペコちゃんのママが学生時代、仲良し女友達三人で訪れたことがある阿寺の七滝に案内してもらいました。麓で道が二つに分かれていたので、私達は左の道を選びました。それは目的地まで11キロもある山道でした。(帰りに右の道を帰りましたが、平坦で広い約5キロの道でした)カーナビが直角どころかヘアピンカーブよりも急な団子状の道路をいくつも映し出し、狭くて片側1車線で対向車が来たらどうするのというような狭い山道をくねくねと曲がりながら行きつ戻りつ、登っては下りを繰り返し、途中、目の前に現れた数台とすれ違いましたが、そこは運転手の腕の見せ所でした。案の定、車に弱いペコちゃんは気分が悪くなりママから酔い止めのキャンディーをもらって舐めながらグッタリしていたのでした。慎重に山道を走ったので結構時間がかかりましたが、なんとかやっとのことで到着したのでした。ここから15分から20分ぐらいかかってなだらかな山道を歩きました。私は綺麗なお花の写真を撮りながら何度も小走りでみんなに追いつくと言う事を繰り返しながら↑ 男性3代薄紫の山ツツジがあちこちに咲いてました。我が家の庭にもありますが、最近では赤い実を付けなくなりました。↓↑女性3代の代わりに相方が入って↓「目指す阿寺の七滝はもうすぐだから頑張ってね」と後ろから写真を撮りながら一足遅い私に声をかけてくれたのでした。(続く)
March 31, 2021
コメント(26)
『咲き始めた花は可憐で素敵な「ツツジ」今日も楽しい時間を」』と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・お寿司屋さんの裏に流れる川の堤防沿いには桜並木があり、ソメイヨシノが今を盛りとほぼ満開で咲いてました。では旅に出発しましょう。伊勢湾岸自動車道から豊田東JCTで新東名高速道路に入り岡崎、岡崎東、豊川を通過し新城ICで下りるまでの途中、運転手の疲れをとるために長篠設楽原PAで一休み。ここは長篠設楽原(長篠設楽ケ原)の戦いで有名な場所で下りPAからは隣接する織田信長本陣跡に徒歩で移動できるらしいです。Wikipediaによりますと、この地は長篠の戦い(長篠の合戦)があった所で1575年5月21日(戦国時代の天正3年5月21日)三河の国、長篠の長篠城(現在の愛知県新城市長篠)をめぐり3万8千人の織田信長・徳川家康連合軍と1万5千人の武田勝頼の軍勢がたたかった合戦で、決戦地が設楽原(設楽が原)および有海原(あるみはら)であったため、長篠設楽原(設楽ヶ原)の戦いと記す場合もあるそうです。日本で初めて鉄砲が使われたとされています。長篠の戦いが起こった原因は徳川家康の領地だった三河北部の重要拠点であった長篠城を武田勝頼が手に入れようとしたことです。(※武田勝頼は1575年に三方原(みかたはら)の戦いで徳川家康を撃破した甲斐の戦国武将、武田信玄の息子です。)父、武田信玄が急死したため息子、武田勝頼が戦いましたが、武田軍は敗北し織田信長・徳川家康軍が勝利しました。見渡す限り山々が連なる奥三河。こんな山深い場所で合戦が行われたのかと感慨深く周囲の景色を眺めたのですが、「兵どもが夢の跡」を感じざるを得ないのでした。山頂には夏草ではなく新緑の木々の若葉が茂っていましたが。気分転換の休憩もできたことだし、目的地はすぐ近くなので先を進みましょう。(続く)
March 30, 2021
コメント(20)
『この花を見るとわが民族は「春」を感じます。寒い冬を耐えた事への自然がくれたご褒美。この後も楽しい時間を…」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・3月27,28日で奥三河の湯谷温泉まで出かけた旅を振り返ります。27日午前9時半少し前に自宅を出て11時半過ぎに愛知の娘家族と合流。ちょうど昼時でもあり、「腹が減っては戦ができぬ」と旅に出る前に腹ごしらえを。鯛はお腹が空いてるようで目をぐるりと回しながら二人の手を追っていました。それぞれがタブレットのタッチパネルで注文大人が4人と中学生男子と小学生女子ですが、もう大人が6人と言えるほどの食べっぷりに私の目が点に!全員で34皿食べました。(続く)PS) 今日でモコちゃんの新体操のレッスンが終わりました。「保育園の年長組から小学6年生まで週1回7年間私に新体操を習わせてくれて、送り迎えもしてくれておばあちゃん、どうもありがとう」と車の中でお礼の言葉を言ってくれたので胸がジーンと熱くなりました。新体操の先生に「お世話になりました。どうもありがとうございました。」とお礼の言葉を伝えたら「中学校に行っても頑張ってね」と言われたと話してくれました。一番の収穫は背が伸びた事です。脚の形も良くなりました。そして何より途中でやめずに7年間続けたことを褒めてあげたいと思います。
March 29, 2021
コメント(22)
『今の時期には珍しい花色の小粒な花を咲かせ♪やたらと目立ちたがり屋の「ハナズオウ」です。今日も楽しい時間を』と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・ざっと振り返ります。昨日相方の運転で愛知の娘家族を乗せて新東名をひた走り、新城インターで降り阿寺の七滝を見るために山道に入り11キロの道中、入り組んだヘアピンカーブを何十回と繰り返し、やっとのことで到着。山道をよく歩いて阿寺の七滝を眺めてきました。写真はたくさん撮りましたが、PCに接続させるケーブルを忘れたので宿泊したはづ別館のホームページにちょうど私たちが宿泊した部屋が載っていますので写真を拝借しました。この部屋が忌野清志郎さんが宿泊された部屋だそうです。昨夜は少しぬるめの檜ぶろに入った後、熱めの露天ぶろでお月様を見上げ激しく流れる川音を下に聞きながら女三代のんびりお湯に浸かりました。そして今日は雨の予報ですので、朝食後、チェックアウトしたら寄り道せず、途中娘家族を下ろして自宅へ直行します。続きは後で。PS) 帰る道中で雨が降り出しました。どこにも寄らずに帰るつもりでしたが、結局寄り道して、自宅へ午後3時過ぎに到着。運転手の方がもっと疲れていると思いますが、私は2時間ほど熟睡してしまいました。写真は全部で220枚ほどありましたが、その内、良さそうなのをピックアップして明日から少しずつ旅行記で紹介したいと思います。先ずはご報告まで。
March 28, 2021
コメント(32)
「素敵な乙女椿が満開になりました。今日も穏やかな心と笑顔で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・旅行ではなく買い物なんですが、久しぶりにコストコ常滑店までドライブ。途中愛知の娘宅に立ち寄りペコちゃんとママを乗せ出発。岐阜県は海がないので空の青、海の青が恋しい。開店直後でも約1000台弱収容できるという駐車場は既に満車状態。ガードマンが駐車場以外のスペースへ誘導してくれました。1台の車から大体4,5人降りるのでお店には一体どれだけの人が入っているのか。店頭には長蛇の列ができて最後尾の札がすぐ目の前まで来ていました。私はみんなの買い物が済むまで1時間半、車の中でただひたすら待ちました。皆さん、カートの上下に山盛りの買い物をして車に戻り、そこへ待機していた車が滑り込むという買い物客の姿を見ているだけで時間が過ぎました。我が家も義姉一家に頼まれたトイレットペーパーなど生活必需品とパン類等を買ってきました。そしてちょうどお昼時になったので予約してあったお店に直行。このお店も大勢お客さんが待っていました。お客さんが食事を終わるごとにお店の人がテーブルから椅子を消毒しては拭きながら感染症対策をしていました。4人でランチをしてきました。久しぶりのバーニャ・カウダイカスミドリンクとコーヒーは各自で自由に。お腹一杯になり、お店を後にしました。色違いのクリスマスローズや春の野草があちこちで咲いていました。娘宅に寄り荷物を下ろして一路自宅へ向かいました。こうして長距離ドライブをしながら久しぶりにリフレッシュしてきたのでした。
March 7, 2021
コメント(24)
「おはようございます。今日も穏やかな心と笑顔で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・ホテルで朝食を食べ私↑ 相方↓地下鉄で1駅の距離を運動しようと歩きました。京都のメイン通りへ出る細い道すべてに信号がついてましたが、信号を守らない人が数人いました。目的地まで30分見込んでいましたが、20分で到着し、早すぎたので通り越して喫茶店で一服。その後、長男が経営するお店に初めて立ち寄りました。こちらは店の奥にあるエステ室です。私もエステをしてもらいました。ハーブの香りがするアロマオイルを使って約2時間ほどかけてゆっくり丁寧に顔からデコルテ、背中まで充分施術していただきました。とっても気持ちが良かったです。その間、相方はもう一人の方にカラー診断(あなたのベストカラーは?Vゾーンやタイプ別のカラーコーディネイト)をしてもらいながら待っていてくれたのでした。相方は明るく澄んだクリアカラーでさわやかで明るい印象のネクタイ、シャツ、ジャケットが似合い、軽快なコーディネートがポイントと出ました。その後、化粧をしてもらいましたが、スッピンはちょっと見せられませんので。最後に若い従業員の皆さんと記念撮影。マスクを取って実は前日、長男から「舞台メークの濃い化粧をして来店するように」と言われていたんです。息子は忙しい人でお食い初めが終わったら高速に乗り次の仕事場に出かけて行きました。私達はリラックスし過ぎてもう観光するエネルギーもなくなり京都駅に向かいランチをすることに。すると、スマホに着信があるのに気づきました。それは社交ダンスの男先生からでした。今朝、ほぼ毎日出かけるいつもの山へトレランに行って転倒し足をくじいたのでX線撮影をしてもらったところ骨折とわかりギブス固定で1カ月安静にするように言われてしまったとのこと。もう既に4月に2つもデモンストレーションの申し込みをしてあるというのに・・・3月いっぱい休んで、すぐに踊れるのかしら?何とも困ったことになりました。・・・これで京都お食い初めの旅を終わります。
March 2, 2021
コメント(30)
『おはようございます。やっと咲きました。「スノーフレーク」この後も穏やかな心と笑顔で』と添えられていました。いつもありがとうございます・・・・・・・・・・・お食い初めが終わり歩いてマンションに戻るとおやつは別腹でした。甘くて美味しい大きなイチゴと生姜湯を頂きました。紅白餅も美味しいし、甘いものの後のおせんべいも美味しいし…いったんホテルへチェックイン長男が私達の為に取ってくれた部屋です。5階から京都御苑が見えました。以前も宿泊したことがあるホテルです。その後、ママのお父様の運転で4人はある所へ出かけました。それは介護施設の片隅にひっそりと石碑が建つ場所でした。この付近本能寺址と書かれていました。本能寺焼失後、豊臣秀吉が先日掲載した場所に本能寺を移築しましたが、ここが焼失した本能寺が実際にあった場所らしいです。本能寺の変の折、明智光秀は数キロ先にいたという事ですが、それは二条城の辺りなんだろうか、それともどの辺りだったんだろうという話題でお母様と盛り上がりました。二人は歴女ですので。いったん長男家族の住むマンションに戻り、ママのお母様が出かける前に作ってお鍋ごと持参されたおでんとお寿司を夕食に全員で美味しく頂きました。トコちゃんとミミちゃんのお風呂の時間になったので歩いてホテルに戻ると、午後8時にホテルのルームサービスで長男が私たち二人の為に頼んでおいてくれたスパークリング日本酒が届きました。甘口で口当たりが良かったので二人で1本空けてしまいました。(私が5分の4ぐらい頂きましたが)ご馳走様でした。どうもありがとう。(続く)
March 1, 2021
コメント(26)
「朝日を浴びて煌びやかに輝く木の葉のように明るい笑顔と咲き始めの初々しい薔薇のような初々しい心で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・2日続けて洋食メニューだったので最終日の朝食だけは京懐石・美濃吉でお粥にしました。四条南座の顔見世の絵が描かれた封筒はマスク入れでした。朝食後は早速京都の町の散策開始です。10時のコーヒーブレイクでワッフルを食べました。初めて京都タワーに来ました。1964年(昭和39年)にできた高さ131mのタワーです。11月24日の記念にもらってきました。そしてエレベーターで展望台へ展望台から京の景色が一望できました。すぐ近くには東本願寺が見えました。西本願寺はちょっと離れていました。それで歩いて東本願寺へ行くことにしました。阿弥陀堂門(重要文化財)から入りました。左手には鐘楼(重要文化財)目の前に見えるのが阿弥陀堂(重要文化財)素晴らしい建築物ですね。手水屋形(ちょうずやかた)・重要文化財境内の紅葉も綺麗でした。こちらは東本願寺慶長梵鐘です。1603年徳川家康から烏丸六条寺地の寄進を受けた教如上人が1604年(慶長9年)9月の御影堂の造営に合わせて鋳造した長年鐘楼にかかっていた釣鐘(梵鐘)です。御影堂門(重要文化財)御影堂(重要文化財)御影堂内でご本尊様に心静かに手を合わせ参拝してきました。阿弥陀堂を建築する際、重い建材を運ぶために門徒達が提供したという毛綱が展示されていたので見てきました。そして御影堂門から帰ることにしました。さっき上がった京都タワーがこんなにも近くに見えたのでした。3泊4日で目いっぱい楽しんだ京都の旅もそろそろ終わりに近づいてきました。長らく京都の旅にお付き合いくださってありがとうございました。(終)PS) 今日は名古屋へ出かけ、A先生方主催のダンスパーティーでタンゴのデモンストレーションをしてきます。マスクをはめて手指の消毒をしっかりしてソーシャルディスタンスを取り気を付けながら踊ってきます。帰ってから皆様の所へうかがうつもりですのでよろしくお願い致します。
December 6, 2020
コメント(24)
「黄色の可愛い花を咲かせたキイロノジギクのように暖かい心でそしてほんのりはにかむ椿のように優しい笑顔で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・本能寺からタクシーに乗って近道をして哲学の道を横切り臨済宗相国寺派 銀閣 慈照寺へ。室町幕府8代将軍・足利義政が応仁の乱の後に自身の隠居後の山荘・東山殿として建立しました。庭の紅葉を見て回りました。観音殿銀閣は国宝です。一層の眞心空殿は書院風。二層の潮音閣は板壁に花頭窓をしつらえた唐様仏殿様式。室町期の建物として唯一現存する楼閣庭園建築で潮音閣には観音菩薩坐像を安置しています。銀沙灘(ぎんしゃだん)石英、雲母を含む白川砂を敷き詰め等間隔にストライプを描いたスタイリッシュなデザインです。銀沙灘の脇に立つ高さ175㎝の円錐型の盛り砂の向月台(向月台)が写っていませんでしたね。国宝・東求堂(とうぐどう)の板戸に描かれた絵錦鏡池樹齢五百年の「千代の槇・まき」の近くの景色他にも義政公お茶用の湧き水「お茶の井」がありました。展望所に向かって足元に気を付けながら山を上がって行きました。展望所からの眺めこれで銀閣寺・慈照寺・庭園の紅葉を愛でて一周してきました。紅葉で有名な東福寺や永観堂の混雑を避け、銀閣寺の紅葉を眺めただけで充分満足できたのでした。御守護のお札も頂けましたしね。(続く)
December 5, 2020
コメント(24)
「歩道の植え込みに実を付けた柿のように行き交う人に秋の実りの有り難さを伝える優しい心と♪そして素敵な花を抱いた野アサガオのようにたくましく」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・建仁寺から歩いて向かったのは安井金毘羅宮主祭神の崇徳上皇が欲を断ち切って金毘羅さんを参籠したことから悪縁を切り良縁を結ぶ神社として信仰されています。男女の悪縁、浮気、病気、タバコ、ギャンブルまで様々な縁切りができるそうです。願いを書いた形代(かたしろ)を持ち、表からくぐって悪縁を断ち、裏からくぐって良縁を結ぶんだそうです。縁切・縁結のお守りを求める人たちが長い行列を作ってました。どうも私達は裏門から入って表門に抜けたような感じがします。表通りに出てタクシーをひろい八坂神社を右手に見て本能寺へ。「本能寺の変」で信長が非業の最後を遂げた本能寺は全焼して、現在は(中京区元本能寺南町に)「本能寺跡」という石碑が立つだけと聞いて現在の場所に移転・再建されたと言われる大本山本能寺へ行きました。建立から現在に至るまで五度の火災に見舞われているので能の字には「ヒ」が続いているので使用を避け「ヒ」が「去る」ようにと能の字が違っているようです。展示会場はこちらです。ロビーだけは写真撮影ができました。唐銅香炉「三足の蛙」「三足の蛙」(みつあしのかえる)は「本能寺の変」が起こる前夜に突然鳴き出し信長公に異変を知らせたという伝説があります。中国伝来の香炉です。展示会場は写真撮影禁止。本能寺にまつわる書巻や寺宝、信長公が集めた茶道具類、「織田信長の絵図」は本能寺しかなくて信長には髭がありません。他にも「信長公所持の太刀」の数々が展示されてました。頂いたチラシ、リーフレットから65点の展示物のほんの一部を抜粋しました。本能寺の総門は国の登録有形文化財に指定されています。本堂内正面にある日蓮聖人の像は本能寺の変以前からあります。織田信長公の供養塔の下には信長が使用していた刀が眠っています。大銀杏は蛤御門の変の火災時にこの銀杏の木から水が噴き出し火を消したという逸話があります。昭和3年(1928年)に再建された現在の本堂戦国時代から安土桃山時代を駆け抜けた武将、織田信長や明智光秀に想いを馳せて参拝してきたのでした。(続く)
December 4, 2020
コメント(26)
「木漏れ日のスポットを浴びた山茶花のように華やかにそして朝陽を浴びて輝くモミジのように優しさのある心で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・あまり観光客が多い所へは行きたくなかったので朝一番にタクシーで建仁寺に行きました。30分ほど境内を散策して開館時間を待ちました。たくさん写真を撮ってきましたのでその中から少し選んで掲載します。それでも多いかと思いますが、どうぞお付き合いください。枯れた蓮の葉の下では錦鯉が泳いでました。境内の続きにあった摩利支尊天にはここにもイノシシそこにもイノシシあそこにもイノシシがたくさんかいました。売店で私達もイノシシのおみくじを引くと相方は中吉を、私は大吉をひきました。ではそろそろ戻りましょう。午前10時に建仁寺が開館しました。京都最古の禅寺建仁寺は臨済宗建仁寺派の大本山です。開山は栄西禅師。開基は源頼家。鎌倉時代の建仁2年(1202年)の開創で寺名は当時の年号からつけられました。栄西禅師は二度入宋を果たし中国から茶種を持ち帰って日本で栽培することを推奨し喫茶の法を普及した「茶祖」としても知られています。国宝「風神雷神図屏風」は(展示は複製ですが)俵屋宗達の真作で晩年の最高傑作とされています。二曲一双の屏風全体に金箔を押し、右に風神、左に雷神が描かれています。では順路に従ってぐるっと回って来ましょう。雲龍図(高精細デジタル複製)は海北友松によって桃山時代に描かれた方丈襖絵で重要文化財です。栄西禅師800年記念事業の一環として高精細デジタルで複製して常設で一般公開してしています。他にも「花鳥図」「琴棋書画図」「山水図」の方丈襖絵はすべて重要文化財です。方丈(ほうじょう)は重要文化財。枯山水の前庭の大雄苑(だいおうえん)には白砂と緑苔と巨岩を配してあります。法堂(はっとう)は1765年に上棟した禅宗様仏殿建築。本尊は十一面観音菩薩像。天井には平成14年(2002年)創建800年を記念して「小泉淳作画伯」筆の「双龍図」が描かれています。迫力のあるそれは見事な龍でした。襖絵は海北友松筆「竹林七賢図」(高精細デジタル複製)庭の紅葉も綺麗でした。宇宙の根源的形態を表現した〇△□の庭もありました。小書院には伝統の染色技法で染めあげた幻想的な16面の襖絵「船出」が(2014年 鳥羽美花 制作)ベトナムの穏やかな水辺の風景を青の濃淡の実で美しく表現されています。建仁寺本坊中庭にある潮音庭(ちょうおんてい)は三連の庭で中央に三尊石、その東には座禅石、まわりに紅葉を配した四方正面の禅庭です。風神雷神の書の屏風いかがでしたでしょうか。他にも三門(望血闕楼・ぼうけつろう)や勅使門(ちょくしもん)・重要文化財等紹介したいところがたくさんありますが、この辺で建仁寺を終わります。(続く)
December 3, 2020
コメント(30)
「晩秋の風景と素敵なバラを楽しんで下さい。」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・22日の夜はマンションの近くのお店へ。後ろの窓を開けて換気をしながら隣の席とも距離を置いてみんなで夕食をいただきました。ちょっと寒かったのでワインで体を温めて乾杯!撮り忘れたので食べかけの画像で失礼します。デザートはチョコを持ち込んでワインでほろ酔い気分になり気持ちよくお嫁さんのご両親にホテルまで車で送っていただきました。・・・・・・・・23日の夜は1日観光をした後で京都駅の階段イルミネーションを見てライトアップした京都タワーも見えました。その後、ホテルへ戻り、二人だけで誕生日を祝ってもらいました。時間がゆったりと流れました。京都の料理がおいしくて2日間で体がどっしり重くなりました。元に戻すのが大変ですが、しっかり運動して戻したいと思います。家族のみんなからも祝ってもらいました。娘からはワインが届きなぜか盃までも次男のお嫁さんからはこちらをそして京都の長男からはチーズとチョコレートの詰め合わせをみんなどうもありがとう。また一つ年を重ねましたが、もう忘れることにしました。明日からまた京都観光に戻ります。(続く)
December 2, 2020
コメント(30)
「初めて花を咲かせた水仙のように清楚で優しい心と一輪は儚い花期なのに健気に咲いた椿のように頑張る気持ちを」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この日の八坂神社、円山公園あたりは大勢の観光客で大変混雑していましたが、車でその間を抜け円山公園の中にある坂本龍馬と中岡慎太郎の像の横を通り「京料理・いそべ」へ。紅葉が綺麗で花嫁さんだけでなく着物姿の女性が写真を撮ってました。お店に着きました。本日の主役ミミちゃんも眠りから覚めました。まずトコちゃんに料理が運ばれこの後、ご飯とみそ汁が出て来ました。大人には秋の京ゆば会席・緑風前菜は酢橘のジュレ、ゆば冷やしあん、ゆばサラダ仕立て向付は生ゆばと真鯛のお造り季節の逸品は松茸と甘鯛の土瓶蒸し温物は湯葉グラタン、肉料理は国産牛サーロイン炙り油物は包み湯葉の揚げ出汁止椀は白味噌仕立て、ご飯は湯葉かけご飯、香物は昆布山椒煮と京柴漬け水物は自家製豆乳プリン自家製京湯葉と京野菜を使った京会席を美しい木立に囲まれた静かなお座敷でゆっくりと味わうことができました。最後にみんなで記念撮影です。 これでミミちゃんのお宮参りも無事に終わりました。(続く)
December 1, 2020
コメント(28)
「鮮やかな紅色の小さな花を咲かせるクサボケのような心に陽だまりをそして空に向かって枝を張るケヤキのように誰でも包み込む笑顔で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今回の京都行きの目的はなんと言ってもミミちゃんのお宮参りをすることでした。長男とトコちゃんにホテルまで車で迎えに来てもらって私達はマンションに向かいました。ミミちゃんがにっこり笑って出迎えてくれました。みんなでお祝いのお寿司やお菓子をよばれ両家でミミちゃんのお宮参りにわら天神宮へ出かけました。トコちゃんもお宮参りはここでした。神社の境内の紅葉が綺麗でした。受付を済ませ順番が来るまで1時間ほど待ちました。ハートマークを見つけました。御祈祷は1組ずつ行われ、換気をしてからまた次の組が御祈祷をしてもらうので時間がかかりましたが、滞りなく終わり記念撮影をしました。トコちゃんも両親と一緒で最近のお気に入りのポーズが決まってますね。そして次の場所に向かったのでした。(続く)
November 30, 2020
コメント(28)
「朝陽をもらい紅葉した木の葉のように温かい心と遠く離れた場所から来て頑張って咲いているサツマギクのような元気を」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・京都国立博物館から歩いている途中で紅葉が綺麗だったので写しました。260m、約5分ほど歩いて豊国神社へ到着。石段を上がって境内に入りました。この日は雲一つない秋晴れでした。宝物館には入らず散策していると豊臣秀吉の像が豊臣秀吉の死去翌年廟所(びょうしょ)として創建され、明治に再興されました。伏見城の遺構を移したという豪華な国宝・唐門が立ち秀吉ゆかりの品々を収蔵しています。桃山時代を象徴するきらびやかな唐門には桐の紋も入っています。見えますでしょうか?唐門前の参道には新婚カップルの記念撮影のため大勢ご親族さんがいらしてなかなか移動されませんでした。仕方なく大回りして唐門の下に行きました。瓢箪の形のお札がたくさんぶら下がっていました。唐門のすぐ上には年代物の豊国大明神と鳥の彫刻が見えました。門の右側には草履の形のお札(絵馬?)がそこから50mほど歩いて方広寺へ。地元の人に聞いてもわからなかったお寺です。文禄4年(1595年)豊臣秀吉が創建、その子の秀頼が再興した天台宗の寺院。当時は京都国立博物館あたりまで敷地が広がっていたと伝わります。梵鐘の「国家安泰」「君臣豊楽」の八文字が家康を激怒させたと言われます。鐘の高さ4.2m 外径2.8m 厚さ 27cm 重さ 82.7トン鐘楼の天井画梵鐘は有名ですが、方広寺は静かで落ち着いた感じのお寺でした。朝から三十三間堂、京都国立博物館、豊国神社、方広寺とよく歩いたのでタクシーに乗ってホテルに戻ったのでした。(続く)
November 28, 2020
コメント(28)
「鮮やかな紅色に染まった薔薇のような透明感あふれる心と真っ青な空に映える薔薇のような笑顔で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・三十三間堂の次に向かったのは道路を挟んで向かい側にある京都国立博物館です。見えてきたのは明治古都館です。明治30年(1897年)に帝国京都博物館の本館として開館。レトロなレンガ造りの建物は正門とともに国指定の重要文化財に指定されています。ロダンの「考える人」です。近づいてみました。後姿左奥に京都タワーが見えました。スタイリッシュな平成知新館では平成知新館に入りましょう。会場入り口は3階です。こちらも館内は撮影禁止。前期と後期で展示物が違ってました。私達は後期でした。「第1章 皇室につどう書画 三の丸尚蔵館の名宝」には筆跡のもつ力、絵と紡ぐ物語、唐絵へのあこがれ、近世絵画百花繚乱の作品が、「第2章 御所をめぐる色とかたち」には即位の風景、漢に学び和をうみだす、天皇の姿と風雅、王朝物語の舞台が展示され国宝が4点と重要文化財が3点、重要美術品2点を目の当たりにすることができました。鑑賞ガイドによりますと、この展覧会は天皇陛下の御即位を記念して皇室ゆかりの地である京都で開催されました。京都は平安時代に都が置かれてから明治維新まで約1100年もの間、天皇が住んでいた場所で、天皇が暮らした京都御所は日本文化を生み出し広め長く伝える場所でそこで繰り広げられた宮廷文化を感じる事ができました。紫宸殿の高御座に座る霊元天皇や霊元天皇即位・後西天皇譲位図屏風 (狩野永納筆・江戸時代17世紀)と(当時の即位礼は庶民にも公開されていたので)式を眺める庶民が描かれていました。飛香舎は御所の宮殿の一つで壷庭に藤を植えたことから「藤壺」と呼ばれ、平安時代に書かれた有名な「源氏物語」で主人公・光源氏の憧れの女君・「藤壺の宮」が暮らす所でした。作者・紫式部が仕えた藤原彰子(ふじわらのしょうし)の住まいも飛香舎でした。重要文化財 源氏物語帖 空蝉(桃山時代17世紀)が展示されていました。また江戸時代の飛香舎の調度(道具や家具)も展示され、今では見る事のかなわない京都御所・飛香舎での暮らしや儀式に思いを巡らすことができました。3階から2階、1階と本当に多くの展示品を見ながら降りて来ました。豊国神社に向かって歩いている途中で正門が見えました。(続く)
November 27, 2020
コメント(26)
「咲き誇ったピンクの山茶花のような華やかな笑顔と枝を離れた落ち葉が木の寄り添うような優しい心で・・・」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・3泊4日の京都の旅を振り返ります。11月21日(土)の午後、ホテル前からタクシーで出かけた先は三十三間堂。参進閣から入ってまず目に飛び込んだのは四川トキワガキそこから紅葉が綺麗な境内を散策しました。長いお堂は入母屋・本瓦葺きの総檜造りで約120m、正面の柱間が33ある所から三十三間堂と呼ばれ堂内には1001体の観音像が祀られています。手水舎鐘楼そして本堂の南側全体には足場が組んでネットが掛けてありました。頂いたリーフレットからその様子が写った写真と説明文を拝借しました。境内南には「大閣塀」と呼ばれる築地塀と南大門があり豊臣秀吉ゆかりの桃山期の気風にあふれた重要文化財の建築物がありました。境内を一周してから本堂に入りましたが、本堂内は写真撮影禁止。リーフレットを拝借しますと三十三間堂は正式には蓮華王院といい、1164年後白河上皇・院政庁の一角に平清盛が造進しました。約80年後に焼失しましたが、すぐに復興に着手し1266年に再建。その後、室町、桃山、江戸、昭和と4度の大修理により700余年間保存されています。中央の大きな中尊を中心に左右に各500体(国宝)、合計1001体がご本尊です。正しくは「十一面千手千顔観音像(じゅういちめんせんじゅせんげんかんのんぞう)と言い、中尊(国宝)は湛慶・たんけい(運慶の長男)82歳の時の造像で鎌倉期の名作と評価されます。風雨をつかさどり五穀豊穣をもたらす神々で鎌倉彫刻の名品で国宝です。観音様の前列と中尊の四方に位置する28体の仏像(国宝)は千手観音とその信者を守る神々でインド起源のものが多く、ヒノキ材の寄木造りで目にはより写実性を高めるため水晶をはめ込む玉眼(ぎょくがん)という技法が用いられています。(以上リーフレットより抜粋しました)とにかく1001体もの観音像に圧倒されました。慈悲のまなざしで静かにたたずむ他の観音像に比べて玉眼の28体は生き生きとしてより一層畏敬の念を抱きました。(続く)
November 26, 2020
コメント(26)
「日本の風土に馴染んだ庭園のように和の細やかな心づかいと青空が似合うコスモスのようなさわやかな笑顔で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3泊4日の京都旅行もあっという間に過ぎてしまい昨夜無事に帰宅しました。今日も続きをざっと書いておきます。11月23日の夕方のことです。観光を終えてホテルに戻り少し休憩後、京都駅へ。階段のイルミネーションが綺麗でした。その後、地下街で買い物をしました。夕食はホテルのレストランで誕生日を祝ってもらいました。京都での最終日、24日の朝食は和食にしようと決め、やっとお粥を食べることができました。ホテルの朝食もコロナウィルス対策でビュッフェスタイルではなくセットメニューでした。2日間同じモーニングセットだったので最終日はちょっと目先を変えて頂いたんです。夕方4時過ぎの新幹線の時間まで何をして過ごそうかとなり京都駅でショッピングをした後、京都タワーに初めて登り展望台から周囲を眺めているうちに近くの東本願寺へ歩いて行こうとなって本堂で参拝してきました。それでも駅の構内で3時間ほど時間を持て余しました。明日からまた京都旅行を詳しく振り返ろうと思います。
November 25, 2020
コメント(24)
「多分、女子高生が落ち葉で作ったような優しさをそして青空に映える銀木犀のように晴れやかな笑顔で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・今日もざっと説明だけしておきます。昨日の朝、テレビを見ていると京都の観光地の混雑ぶりを映していました。紅葉を見る人で大混雑する永観堂、清水寺、渡月橋、嵐山電鉄などです。それでなるべく観光客の少ない所へ行こうと朝食後、真っ先に建仁寺へ向かいました。拝観までにまだ30分近くもあったので境内を散策し、10時から拝観できました。俵屋宗達晩年の傑作、風神雷神屏風(展示は複製)を見ることができました。法堂には小泉淳作氏が2年かけて描いた双龍図(天井108畳分)が迫力十分でした。その後、歩いて安井金毘羅宮へ。悪縁を切り良縁を結ぶ神社と信仰されるので観光客も大勢いました。大通りに出てタクシーをひろって向かった先は本能寺です。「麒麟がくる」の影響で織田信長が最期を迎えたところを見てみたかったのです。ところがタクシーの運転手さんが言うには実際に本能寺があった所は今は石柱が建っているだけで、そこには介護施設ができているとのこと。本能寺の方へ案内してもらいました。そちらも火災にあって建て直したとのこと。織田信長の御朱印や黒印が押印された書状や掛け軸、刀や鉄砲、茶器や茶道具、鎧兜などが展示されていました。本堂のご本尊の顔が仏様ではなく織田信長のように見えました。その後、大通りへ出てタクシーをひろい銀閣寺へ向かいました。車中、運転手さんが永観堂の紅葉は綺麗ですが、あまりにも観光客が多すぎるので自由に見ることができず一方通行になりましたよ、銀閣寺も紅葉がきれいですからその方が良いですよと言われここで良かったと思いました。銀閣寺へ入る前に昼食を食べてお腹を満たし銀閣寺の庭をぐるりと回ってきました。結構起伏が激しかったです。山の紅葉がとても綺麗でした。そして夜は二人だけでホテルのレストランへ行き、私の誕生日を祝ってもらいました。また一つ年を重ねました。その様子はまた後日ということで。3泊4日の京都滞在も長いようであっという間に過ぎて、今日はもう帰る日になりました。(続く)
November 24, 2020
コメント(24)
「今日も落ち葉が乗った誰かを待つベンチのような優しい気持ちでそして寒さにも負けずに健気に咲く寒菊のような何事にも負けない強い心で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・昨日昼過ぎに京都へ到着。3泊4日で京都滞在ですのでざっと紹介だけして自宅へ戻ってからまた詳しく載せようと思っています。早めにホテルへチェックイン。少し休憩してからタクシーで三十三間堂へ。堂内は撮影禁止。次に歩いて道路を挟んで向かい側にある京都国立博物館へ。当日券で入れました。レトロなレンガ造りの建物は明治古都館平成知新館で開催されている皇室の名宝展を見てきました。こちらも館内は撮影禁止。3階から1階まで見て回りました。そこからまた歩いて豊国神社へ。豊臣秀吉ゆかりの神社です。そして京都の人に聞いてもわからないと言われたすぐ近くにある方広寺へ。徳川と豊臣の歴史を垣間見ることができました。もうそのころには足が疲れて腰も痛くなってきたのでタクシーをひろってホテルに戻りました。その後、長男家族が車で迎えに来てくれたので一緒に買い物に出て、夕食をみんなで食べながら久しぶりに会えたトコちゃんとミミちゃんとしばらく楽しく過ごしました。その後、ホテルまで送ってもらいました。相方は大事な重い物を背中に背負って歩いたので疲れてすぐに寝てしまいました。私は一人静かな部屋でブログを書きました。(続く)
November 22, 2020
コメント(24)
「雑草なのに可愛い花を咲かせるシロツメグサのように 真は強く でもそれを心に秘め誰にでも好かれる今日を、、、そして陽に当たり輝きを増す木の葉のような笑顔を」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・菊人形・菊花展の会場から女神の噴水を横目に見てやって来たのは岐阜市歴史博物館入場券売り場で「残り少なくなってきました」と渡された来館記念品には「織田信長」の家紋と名前が書かれていました。会場は2階にありました。階段を上がって2階に上がりました。入口左側にはドラマシアターがありドラマに登場する光秀、道三、信長の出演者のインタビューとメイキング映像などが流されてましたが、大勢の人がいて密なのでパスしました。「美濃三傑、麒麟がくる」の世界は登場人物の紹介、相関図、エピソードなどの紹介で、ドラマに登場する衣装や小道具などの展示があり、衣装だけはカメラ撮影ができました。「スタジオ再現セット」ではドラマに登場するセットを忠実に再現、写真撮影ができました。皆さん中央に座って撮影してましたが、私は一人で入館したので写しただけです。他にも歴史博物館収蔵品の展示として戦国時代の稲葉山城(岐阜城)や土岐氏、斎藤氏、織田氏と岐阜の関わりを伝えるルイス・フロイス像、南蛮屏風などの展示がされていましたが、撮影禁止でした。外へ出て戦国武将隊と姫様に写真を撮らせていただきました。「お姉さまも一緒にいかがですか?」と誘われたんですが、やめておきました。紅葉が始まった山の上には岐阜城が見えました。やはり霞んでいました。こちらは戦国武将の名前がそれぞれ付いたお店が食事を販売している食べ物横丁メンチカツカレーと肉蕎麦を注文し紅葉した木々の下のベンチで食べました。紅葉した木の葉が時々目の前にハラハラと落ちてきてとても風情がありました。長らく「菊人形・菊花展」を見て下さってありがとうございました。(終り)
November 14, 2020
コメント(28)
「タンポポのように明るく力強さをそして深まる秋のような穏やかな心で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・最後の菊人形の舞台を観ましょう。入口右側には馬の親子がその奥には五重塔がそして左側には16世紀末に来日したスペイン人、アビラ・ヒロンが書いた「日本王国記」を復元した庭が作られていました。少し離れた位置から再度写してみましたがやはり全体像を1枚に収めるのは難しかったです。赤い菊はひょっとすると秋の山々の紅葉を表現しているのではないかしらと思いました。広角レンズで写した方が良かったかもしれませんね。そしてその菊庭園を眺めるように座っているのは斎藤道三と明智光秀と道三の嫡男の高政。斎藤道三の居城である稲葉山城(岐阜城)で明智光秀は初めて道三と出会いました。道三の嫡男である高政とともに道三と問答し理論的な光秀の賢さに感心した道三は光秀に褒美を渡したという場面です。「明智光秀と斎藤道三の出会い」道三の嫡男 高政菊人形のメインステージはやはりここだと思いました。大菊花壇自由花大菊花壇大菊花壇↓ 山の上にかすかに岐阜城が見えました。これで菊人形・菊花展会場を一周してきました。最後に隣にある大河ドラマ館に向かいました。もう1回だけお付き合いください。(続く)
November 13, 2020
コメント(26)
「紫のサフランのような澄んだ心とノジギクのように凛とした姿を」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・岐阜公園の菊人形と菊花展の続きです。織田信長居館跡には「天下に向かって開く門」と書かれた立て札が立っていました。こちらは千輪仕立て。1株でできるだけ多くの花を咲かせるように仕立てます。100輪以上咲かせたものを千輪仕立てと規定しているところもあるようです。千輪仕立て大菊小作りです。7月頃に菊の芽差しを行い、比較的短期間に育成し花を楽しむものです。背が低いですね。一鉢一本立を福助づくり、一鉢三本立をだるまづくりと呼びます。自由花は作者の自由な発想に基づいて育成した菊花作品で大菊、新花、古花などの規定はないそうです。千輪仕立て美濃菊美濃菊は皇室の紋章の図案と言われる一文字菊を祖先に持ち、岐阜が発祥の地です。花弁の表裏の色が異なるものがあり一種の双重味と鮮やかさを持っています。大菊花壇また菊人形の前庭には色とりどりの小石を敷き詰め、鳥の形に刈り込んだ樹木を配するなど16世紀末に来日したスペイン人、アビラ・ヒロンが書いた「日本王国記」の記述に基づき復元された庭がありました。復元された庭はもう少し続きます。(続く)
November 12, 2020
コメント(32)
「雨と樹々が作った素敵なアート、落ち葉さえ人の目を楽しませるそんな楽しい時間を・・・シマカンギクのような笑顔で溢れた心豊かな今日を・・・」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・岐阜公園の菊人形と菊花展の続きです。岐阜城へ登るロープウェイのチケット売り場で長蛇の列の向こうに立っていたのは大河ドラマ「麒麟がくる」で美濃のマムシと恐れられた男、美濃の守護代、斎藤道三を演じた本木雅弘さんそっくりの蝋人形でした。よく似てましたよ。この写真さえ撮れればもう満足。先へ進むことにしましょう。ここにも菊人形が信長と濃姫の菊人形織田信長の居城を守る見張り織田信長居館跡です。まだまだ続きます。(続く)
November 11, 2020
コメント(22)
「雨模様の日は、、、華やかな薔薇のように明るい笑顔と木の葉が枝から離れて土に帰っていく力強さを、、、」と添えてありました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・岐阜公園の菊人形と菊花展の続きです。信長、道三、光秀が活躍した時代の「武家屋敷の庭」は戦国時代の武士の屋敷にある庭を再現し、石と苔で覆われた静かなたたずまいを醸し出していました。菊人形と大菊、小菊、美濃菊などの綺麗な菊の花と紅葉した木々の葉を眺めるだけでもう言葉はいりませんでした。一鉢三本立のだるまづくりだるまづくりと小菊自由花自由花ロープウェイが木々の間から見えました。斎藤家(二頭立浪)の旗金華山ロープウェイの乗り場にやって来ました。大河ドラマの影響なのかロープウェイの入場券を買い求める人が長蛇の列をなしていました。私達は以前登ったことがあるので館内に展示されているあるモノを写しに行っただけなのです。それは明日のお楽しみという事で。(続く)おまけです。(顔はめパネルで記念撮影)お粗末さまでした。
November 10, 2020
コメント(22)
「紅葉が木々を伝わって行くように今日会えた方に素敵な笑顔をそして心が安らぐ赤い山茶花のような優しい心で」と添えてありました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・秋晴れの昨日、菊づくりの名人たちが育てた大菊、小菊、美濃菊の作品を始め菊人形と華やかな菊庭園を観に岐阜公園まで出かけました。しかし、駐車場はどこも満車で、仕方なく行った道をかなり引き返し、臨時駐車場からシャトルバスで大回りして目的地に到着した後、少し歩いてこちらから入りました。 ↓ 織田信長像 ↓岐阜城が見えますか?・「尾張の大うつけ 信長」尾張の海辺で光秀は漁から帰る織田信長を待っていた。初めて出会った信長のいでたちに光秀は困惑するとともに強い興味を持つこととなった場面です。↓織田信長↓ 明智光秀 ↓ 家臣見張り台の二人・「帰蝶様、尾張へお行きなさい」信長の元へ嫁ぎたくない帰蝶を子供の頃の思い出を語りながら光秀は説得していた。光秀の言葉に帰蝶は深く頷いた場面です。↓ 明智光秀 ↓ 帰蝶↓ 帰蝶↓ 明智光秀鮮やかな色彩が目に飛び込んできました。こちらは織田家、斎藤家、明智家の3つの家紋を菊花で彩ってあります。明智家の家紋の桔梗の紋↓岐阜公園の紅葉も進んでいました。至る所に菊花展がありました。ここはまだほんの入り口です。これから公園内を一周しましょう。(続く)
November 9, 2020
コメント(26)
「優しい花姿と色の山茶花のような人に安らぎを与える笑顔と真っ青な空のような曇りもない心で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・11月3日の続き「紅葉とツチノコを探して」もこれが最終回です。実は前回、前々回、ブロ友さんから「ツチノコはアオジタトカゲではないか」という情報を頂きました。なるほどネット検索すると、ツチノコとアオジタトカゲはそっくりでした。しかしまだツチノコを捕まえた人がいないので今のところ未確認生物という事で夢を見ることにしましょう。さて、「つちのこ館」の裏山の紅葉です。帰り道に時々途中下車して紅葉を写してきました。色鮮やかな小菊が咲いていました。ここの道の駅でも休憩しながら道路脇のドウダンツツジの葉も真っ赤に紅葉して綺麗でしたが、車を止めることもできず眺めながら帰路に就いたのでした。そして炊き込みご飯と笹寿司を夕食に一人1セットずつ買ってきたので美味しく頂きました。笹寿司には鯖ではなく鮭の切り身と山菜が載っていました。これで東白川村へ紅葉とツチノコを探しにドライブした旅を終わります。(終)
November 6, 2020
コメント(20)
愛知の大きな公園に咲くお花です。「アベリアのようにうっすらと紅をさしたような微笑みと木立から顔を出した紅葉のように明るい笑顔で」と添えてありました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・11月3日の続きです。帰り道、「つちのこ館」に立ち寄りました。館内は自由に写真が写せました。大人や子供たちの「つちのこ」の作品が展示されていました。どの絵もとてもユニークでした。頂いた「つちのこ秘伝」によると生息地は北は秋田、岩手から南は九州、鹿児島まで全国各地で目撃されているそうです。特に東白川村は全国でも有数の多発地帯で昭和初期から平成までに目撃した20人以上の目撃時の状況やツチノコの特徴が書かれていました。訪れたのは私たち二人だけで2階にあるツチノコの部屋には私一人だけが入りました。薄暗くて、時々不気味な音がするのでちょっと恐ろしかったです。そこには顔の違ったツチノコがいました。(但し本物ではありません)明るい所へ出てホッとしました。つちのこ館の裏に回ると激しい水音が聞こえてきました。私は一人、川に降りていきました。どこかにツチノコはいないかなと見まわしましたが、蟻一匹いませんでした。大きな石、小さな石がゴロゴロ、足元が悪く、石から石へ飛び移りましたが、もう少しで転びそうになり足をくじきそうになったので自分の体力を過信してはいけないなと戒めたのでした。(続く)
November 5, 2020
コメント(26)
「樹々たちが宴を楽しむように明るい笑顔と白く咲く薔薇のように控えめな気品を」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・昨日、11月3日の事です。そろそろ山の方では紅葉が綺麗になったのではとドライブしてきました。向かった先はこちら。ところが、期待していたほど紅葉は進んでいませんでした。やはり11月半ば過ぎの方がいいのかもしれませんね。少しだけ写してきましたので紹介します。日本はどこへ行っても電柱と電線が写り込んでしまいますね。「文化の日」に菊の花をパチリ!軒下に柿が吊るしてありました。ここで昼食を食べることにしましょう。茶の里レストランで野菜がたくさん入った「にごみ蕎麦」を食べました。相方はこれが食べたかったんです。そう、ツチノコ焼相方はカスタード入り、私は粒あん入りを↓二人とも満足、満足!では帰ることにしましょう。途中で車を止めては撮影しながら面白い所に立ち寄りながら・・・(続く)
November 4, 2020
コメント(22)
「クチナシの花のような素敵な香りを漂わせる心とスッキリ晴れ渡った空と雲のように仲良く」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・秋晴れの日曜日の昼前、里山公園へドライブ。駐車場は満車で空いているスペースを探すのが難しいほど混雑してました。藁でできたイノシシこちらは馬両方入れてパチリ!山羊もたくさんいました。頭を出して餌をねだっています。水槽で泳ぐ(体長20センチ以上もある)大きな金魚を横目に見ながら公園の中へ入りました。園内では既に紅葉が始まっていました。次回は紅葉とコスモスを紹介します。・・・・・・・・・・・・・・・・・あれから3冊小説を読み終えました。今日はそのうちの1冊を紹介します。垣谷美雨著「夫の墓には入りません」:中央公論文庫ある晩、夫が急死。子供のいない妻はこれで嫁を卒業して自由の身になれると思いきや、舅姑、夫の未婚の妹、舅の妹家族の他に結婚前から夫が送金していた謎の女性が現れ、墓問題、近い将来起こるであろう義理の両親の介護などの重圧等、婚姻の枷に苦しんでいるところに現れる男性、姻族関係終了届を出し精神的に楽になるけれど、やはりしばらくの間だけでも一緒に過ごした夫の家族の様子も気になって…なんだかどこにでも起こりそうな内容であっという間に読み切りました。
October 30, 2020
コメント(20)
高山の旅もこれで最後です。2日間歩き回った街中で見つけた面白い物を写してきました。コロナウィルス防止のためマスク姿でした。木彫りの招き猫飛騨牛乳屋さんの店頭の飛騨牛こちらの猫もマスク姿鍛冶橋の上にある有名な足長像同じく手長像木彫りの大黒様猫に小判?大きなさるぼぼ鰻屋さんの店頭から逃げ出した鰻鯉と鴨が共存まだホオズキが鈴なりでした。お洒落な喫茶店外国人観光客向け?の忍者Cafe&Bar唐草模様の単車市街を走っていたバス長らくお付き合いくださってありがとうございました。これで相方の誕生日を祝いに出かけた高山の旅を終わります。(終)
October 10, 2020
コメント(28)
ホテルアソシア高山リゾートで前夜極上飛騨牛を約2人前食べた後ですが、2日目の朝食はビュッフェスタイルであれもこれも手が出てしまいました。↑ 私 ↓ 相方(食べることは生きることですから)このホテルは女性の設計だそうでヨーロピアンエレガントな雰囲気が漂っていました。1階フロント前のロビー売店でお土産を買い終えバスの発車時間まで1階をぶらぶら女性の心をくすぐる演出がなされていました。外に出て新鮮な空気を吸いましょう。ホテル前では木々の紅葉がすすみ山肌にはススキの穂が風になびいていました。10時のバスで高山市街へ戻り2日目もよく歩きました。この日も8,000歩は歩きました。いたる所でまだ朝顔が満開でした。中橋で記念に(25cmも背の高い人が上から写すとこんな感じ)(最近また背が縮んだんじゃないかと言われ・・・)高山陣屋は何度も訪れたのでスルー陣屋前広場では朝市が開かれていました。実はその先にあるパン屋さんに寄ったのです。高山を訪れると必ず美味しいパンを買うんです。その後、駅まで戻り駅前のラーメン屋さんで高山ラーメンを食べました。3種類ありましたが、二人とも細麺でちぢれ麺の無添加高山ラーメンを食べました。そして午後2時半頃の特急で帰りました。旅行記は次回が最終です。もう1回お付き合いください。(続く)
October 9, 2020
コメント(26)
愛知の友人の写真は後日にしてすぐに旅行記に入りますね。高山駅から送迎バスに乗り約10分で山の上にあるホテルに到着。私達の部屋は13階にあり見晴らしが良かったです。遠くに北アルプス連峰をそして眼下には高山の街を一望できました。しばらく部屋で寛ぎ夕食の時間になりました。2階まで降りてロビーで待っていると名前を呼ばれ日本料理・華雲へ案内されました。コロナウィルス対策として席を離して配膳されました。いよいよ極上飛騨牛会席の始まりです。(実は相方はこの日本料理をテレビで見たのでした)前菜九品(飛騨の名産や酒菜中心)相方は梅酒のオンザロック、私は麦焼酎を飲みながら松茸土瓶蒸しお造り 二種盛り合わせA5等級飛騨牛しゃぶしゃぶ箸休め 汲み上げ湯葉A5等級飛騨牛鉄板焼き白ご飯 香の物 味噌汁水物(果物)もうお腹一杯になりました。(しゃぶしゃぶ用と鉄板焼きの飛騨牛を相方は一切れだけ食べて後は私が引き受けましたので)部屋に戻って夜景を眺めました。月が綺麗に見えましたし、月から右側へ少し離れた上の方に赤い火星が見えました。(肉眼では見えましたが、写真には写りませんでした)三脚を使ってないので少しぶれています。駐車場はほぼ満車でした。旅行記はもう少し続きます。(続く)
October 8, 2020
コメント(24)
愛知の大きな公園の様子です。「咲きたての花のような優しい心と柔らかな優しいネムのような笑顔で♪」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・舩坂酒造店でなめる程度のお酒を味わい次に向かったのはパスタとお酒のお店、ロジカ ドッコちょうどランチタイムになりました。私はトマトとアンチョビのパスタです。満足して次のお店まで散策。ところが歩いても歩いてもお店は見つかりません。地元の人に尋ねてもわかりません。仕方なくお店に電話をして教えてもらいやっとわかりました。まだ今年の4月にオープンしたばかりで知らずにお店の前を通り過ぎていたのでした。若者向きのお店にエイヤッと飛び込みました。エル ブルワーズ ビア スタンドで(AL Brewer's Beer Stand)私はクラウディ ムーンという名のビールをアメリカの地ビールを2種類カクテルしたもので最初は苦いなと感じたんですが、(なにせ酒造店で大吟醸を味った後なので)慣れるとトロピカルな味だとわかりました。相方も珍しく静岡の地ビールを1杯飲み切りました。これで一応、「前略、大とくさん」で紹介したお店すべてに行けたんですが、前回イタリアの友人と3人で高山を訪れた時に毎朝PCをやりに入ったお店も前出のテレビ番組で紹介されていました。今回も訪れて私は法連草のスムージーを相方はモーニングセットを注文したお店がi CAFE (アイ カフェ)でした。そろそろ今夜宿泊するホテルへ行く事にします。バスが駅まで迎えに来てくれます。実はこのホテルもテレビで紹介されたのでした。(続く)
October 7, 2020
コメント(30)
先ずは愛知の友人に送って頂いたお花の写真から「ブラシの花で優しく心を洗いサンザシの実のような少し頬を染めたような笑顔で」と言葉が添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・さて、高山の続きです。高山駅のコンコースには高山祭の山車の一部が飾られています。まずは相方がテレビ番組「前略、大徳さん」(現在は「前略、大とくさん」)いい旅~秋の高山編で放送したお店巡りをしたいと言うので駅の案内所でお店の位置をおしえてもらい地図を見ながら歩くことにしました。宮川を渡って上三之町にやってきました。平日とあって観光客も少なかったです。1軒目はここです。有限会社 舩坂酒造店です。お目当てはこれ6種類のお酒が飲めます。コインを一人3枚、相方の分と計6枚買ってきました。コインを入れ、飲みたいお酒のボタンを押します。コロナ感染が心配なこの時期、セルフサービスで試飲します。大吟醸「深山菊」と奥飛騨原水仕込み「ひやおろし」が格別美味しかったです。(重いリュックを背負い、帽子を左脇に挟みながら・・・)相方は1杯飲んだだけでもう十分とのこと、残りの5杯は私が引き受けることになりました。(といっても小さな器ですのでご心配なく)舩坂酒造店で6種類の生酒を堪能してさて2軒目はどこに向かったでしょうか。(続く)PS) 午後の特急で帰ります。
October 6, 2020
コメント(26)
愛知の公園に咲く花と実です。↑アガパンサスの実「オクラのように粘っこく諦めない気持ちとどんな天気にも負けない薔薇のような元気を♪」と言葉が添えてありました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・さて、今日から一泊旅行に出かけます。行き先は県内のお馴染みの場所です。相方の希望で誕生日を旅先で祝いたいとのことですので、交通費と宿泊代を私からのプレゼントとしました。以前のテニス仲間のお姉さま方からもプレゼントを頂きました。相方の誕生日なのに私まで一緒に祝ってもらった気分です。ありがとうございます。ネット環境が良ければ旅先から少しだけ報告をしたいと思います。では行ってきます。・・・・・というわけで、最寄りの駅から特急に乗り着いたところは高山ホテルのチェックインの時間まで高山市内をよく歩きました。万歩計は7,714歩を示しています。13階の部屋からの眺め帰ってから詳しく載せますね。
October 5, 2020
コメント(32)
愛知の公園の様子です。今朝はどんより曇って涼しいですが、朝の運動を2時間もするとかなり汗ビッショリになりとても暑かったそうです。お疲れさまでした。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・さて、2階で山岡草氏の和紙人形展と韓紙と和紙友好交流協定記念の韓紙工芸品展を観てから1階の売店を充分見て回り美濃和紙会館を後にしました。うだつの上がる町並みで有名な美濃市の市街に向かい蕎麦を食べることにしました。蕎麦屋さんはうだつがあがる昔ながらの家屋です。(うだつ・・・防火壁になる屋根の両側の装飾)車幅がぎりぎりという狭い通路を抜けて奥の駐車場まで行きました。そこから歩いてお店に戻りました。厨房を3人で切り盛りしてるので結構待たされましたが、十割蕎麦と野菜の天麩羅を頂きました。私達の後から来たお客さん達は記名した後、出ていかれましたのでずいぶん待たされたんだと思います。それでも有名店らしく客足が絶えることはなかったです。十割蕎麦と野菜の天麩羅が美味しかったです。買ってきた21センチ四方の小冊子は「大地に遊ぶこどもたち・あそびのいろは」というタイトルの写真集です。秋のページはこんな感じです。冬はこんな感じです。展覧会で眺めた童たちの表情、写真集に載っている生き生きとした子供達の姿に心がほのぼのと和みます。(終)
September 16, 2020
コメント(22)
愛知の公園の様子を送っていただきました。朝晩はめっきり涼しくなりましたが、今日も陽射しは強いですね。3枚目の花はルリマツリだそうです。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・さて、昨日の続きです。第1展示室は撮影禁止となっていましたが、第2展示室には注意書きがなかったので写真を写してきました。見学する人が私たち以外誰もいなかったので寂しかったです。韓紙と和紙友好交流協定記念「韓紙工芸品展」をご覧ください。足元にあったのは和紙ではなく韓紙でできたジャン ウンリョル氏の作品です。そしてぱっと目の前に空間が広がりました。和紙工芸品の世界をご覧ください。このフォーマルドレスも紙でできています。ここからは韓紙工芸品のコーナーです。韓紙、和紙、それぞれの特性を生かした作品がたくさん展示されていました。いかがでしたでしょうか?(明日へ続く)
September 15, 2020
コメント(24)
友人が送ってくださった愛知の公園の様子です。真っ青な秋空と花壇に咲く色鮮やかな花々、木々の緑も少しずつ紅葉し始めて爽やかな空気を感じさせていただきました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昨日の事です。車で1間余りドライブしただけですが、新型コロナウィルス感染騒動以来、どこにも出かけていなかったのでカテゴリを旅行記としました。緑深い山々に囲まれた道を板取川に沿って美濃市に向かいました。美濃和紙の里会館に到着。入口では手指の消毒と体温測定があり連絡先と電話番号を記入しました。先ずは2階へ上がり第2展示室は自由に入れましたので後日紹介しますね。テレビで見たので早速やって来たのですが、「山岡草の和紙人形展」がある第1展示室内は撮影禁止なので頂いてきたチラシをコピーさせてもらいました。倭紙芸鄙美式人形宗家(やまとしげいひなびしきにんぎょうそうけ)山岡草氏が作られた和紙人形が展示されていました。こちらは三つ折りのリーフレット山岡草氏の略歴です。・山岡草氏は昭和5年和歌山市で生まれました。・昭和40年和歌山市内で11歳より習い始めた華道と人形を組み合わせた斬新な個展を開催し、好評を博します。・昭和45年「和紙を使ってひなびた美しさを残していきたい」と倭紙芸鄙美式人形宗家としての創作活動を始める。・昭和47年和紙人形作りに専念するため上京・昭和53年までの東京在住中、草木染と和紙を用いた独特の作風と芸術性が多くの人々の支持を得る。・昭和54年長い間の構想である作品の創作の場を求めて旅する途中で、夢に出てきた大子町山田の山家を発見、一人で移住し創作活動に没頭する。・平成7年多くの独創的な作品を残し、65歳で生涯を閉じる。可愛い童がたくさん展示されていました。私は中でも卑弥呼など日本の神々を表現した作品や歌舞伎、日本昔話(桃太郎)など大きな作品に力強さを感じました。50~60cmの高さがあったと思います。作者が渾身の力で紙をひねり絞って縛って作られた作品はとても迫力のあるものでした。(明日へ続く)
September 14, 2020
コメント(28)
雨の中を公園の散歩、お疲れ様でした。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・さて、瑞櫻山法妙寺櫻堂薬師の続きです。入口から入ることにしましょう。石段を数段上がると左右に怖い顔をした石像がにらみを利かしていました。その間を通り抜けると奥に本堂があります。瑞櫻山法妙寺はかつては天台宗の寺院でしたが、現在は非法人寺院です。この日も瑞浪市の職員さん達が数人訪れていました。そして突如、寺の解説の放送が流れてきました。右奥にあるのは疣岩(いぼいわ)の説明↓ これが疣岩です。石柱の中には仏様のお顔が見えてました。こちらは珍しい彫刻亀の上にウサギが乗っています。境内の左側を眺めると本堂脇の壁に飾ってあるのは舞楽面のうち三面の能楽面で鎌倉時代の作り(実物は保存)を模して作ってあります。「抜頭」「羅陵王」「納曽利」です。この三面の能楽面は1571年(元亀2年)10月に織田信長の焼き討ちにあったけれど、※「武田信玄と織田信長の戦乱に巻きこまれ信長の家来によって焼き討ちにされました。」(詳細はネットで検索してください)兵火からまぬがれ現存するものを陶器で実物の二倍に拡大されて展示されています。(実物は貴重な文化財として保存されています)本堂の裏には昔からのお墓がありましたが、写しませんでした。一昨年は蓮池を見ただけで本堂をゆっくり見て回ることもなかったので今回珍しいものを見ることができただけでも収穫だと思って帰りました。1か月後ぐらいに再訪したいと思います。(終)
June 20, 2020
コメント(28)
愛知の大きな公園ではもうすでに蓮池にたくさん蓮の花が咲いています。赤い実は庭梅の実だそうです。いつもありがとうございます。しかし蓮の花が見たくて出かけた瑞櫻山法妙寺 櫻堂薬師の池には残念ながら一輪の蕾を見つけただけでまだ見頃までに1カ月は早かったようです。それでも蓮の花以外に見所がたくさんありましたので写してきました。仁王門は1665年以前に創建された単層八脚門切り妻造り檜皮葺き、あるいは杮葺き(こけらぶき)を1750年に入母屋造り、本瓦葺きに改められましたが、平成の大修復で文化財的な価値を損なわないように修復し現在の形になりました。↓ 阿形 金剛力士像左手に握る金剛杵(杵は新しい)を振り上げている。↓ 吽形(うんがた) 金剛力士像胎内に銘札が納められていて1697年に熱田の仏師によって再造彩色されたことが分かったそうです。平成の解体修復時に室町時代後期の姿に忠実に復元したそうです。では奥に進みましょう。池ではコウホネ(河骨)が所々で黄色い花を咲かせていました。↓ 弁財天一昨年も読んだはずでしたが、蓮の花の見頃は7月中旬でした。1カ月早すぎましたね。残念ながら鶴池には昨年咲いた花の種が所々に萎れて残っていましたが、広い池でたった一つだけ蓮の蕾を見つけました。まあ今回はこれだけで満足です。向こうの池では鴨が一羽、水浴びをしていました。静かな池で唯一音を立てていました。(明日へ続く)
June 19, 2020
コメント(30)
いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・昨日の続きです。紫陽花で有名なお寺の境内を一周してきました。お寺の名前は琴聲山音楽寺です。色や形が重複していればお許しください。静かなお庭に色とりどりの紫陽花が咲き梅雨の鬱陶しさや真夏日の猛暑をひととき忘れさせてくれました。横向きに咲いているのもありました。奥の方から紫陽花園を眺めます。昨日紹介した紫陽花園から右に曲がったところです。可憐な色の紫陽花でした。一周して元の場所に戻ってきました。カシワバアジサイは見頃を終えていました。こちらも若い木ですが、綺麗に咲いていました。明日は紫陽花以外で気になったものを少し紹介したいと思います。(明日に続く)
June 17, 2020
コメント(30)
全783件 (783件中 251-300件目)