カテゴリ未分類 0
全783件 (783件中 1-50件目)
日曜日(9/8)の早朝、まだ薄暗いうちで私が寝ている間に相方は車で出かけていきました。旅行について前もって詳しくは言いませんでしたが、鳥取方面に行くという事は薄々承知していました。木曜日(9/12)になってお土産の事で連絡があり、それでやっと金曜日に帰るという事がわかりました。なぜか相方は鳥取が好きなんです。これで3回目のドライブ旅行です。前回私も一緒に旅しましたが、片道7時間に参りました。相方は車が好きなので、時間は気にならないようです。昨日無事に帰宅してほっとしました。5泊6日のドライブ旅でした。そういえば前回、鳥取砂丘で駱駝に乗らなかったのが二人とも心残りでした。それで出かけたのかどうかはわかりませんが、今回記念写真を撮ってもらってきました。日付と時間が印刷されていました。こちらはスマホで撮ってもらった分です。結構高さがあったそうです。3分ほど砂丘を歩いたようです。砂の像です。旅の話はおいおい聞くことにして昨日賀露港から届いたお土産のズワイ蟹を早速頂きました。日曜日から金曜日までダイエットを続けてきた身体の隅々まで栄養がいきわたるようでした。ごちそうさま。そして電話がかかったのはサザエについてでした。実は9/16にダンスパーティーがあるので気を付けながら頂こうと思っています。何はともあれ無事に帰ってきてくれてほっとしました。今回の5泊6日の走行距離は1259.4kmでした。
2024年09月14日
コメント(18)
長らくお付き合い頂いた旅日記も今日で最終回です。宮崎県高千穂市から途中の道の駅で休憩しながら鹿児島県志布志港までバスは走りました。今は廃線になっているJRの鉄橋が窓から見えました。都城の道の駅で休憩と買い物をしました。やっと鹿児島県の志布志港に到着。乗船したフェリー「さんふらわぁ・さつま」です。大きすぎて一度で写し切れませんでした。18時30分に船が出ました。私達の部屋は7階デラックスでした。その日の夕食です。船長さんはじめスタッフの紹介がありました。サンフラワー・向日葵 薩摩に乗って大阪に向かいます。船は比較的穏やかに進みました。翌朝の太陽が上がってきました。船の朝食はこれが最後です。食堂からの帰りに、フェリーに乗るのも今回はこれが最後という事で記念写真を撮りました。午前8時50分に大阪南港・コスモフェリーターミナルに到着。サンフラワー乗船記念のビスケットを頂いてきました。この後、バスで新大阪駅まで移動してひかり・グリーン車で帰りました。東京のグループの方々に別れの挨拶をして名古屋駅で下車。少し名古屋で休憩してから特急に乗って帰りました。そして長いようで短かった1週間の旅がようやく終わったのでした。(完)長い間、旅行記にお付き合いくださってありがとうございました。
2024年08月08日
コメント(16)
7/27(土)の高千穂峡の続きです。天孫降臨の伝説の地、高千穂にある高千穂峡は五ヶ瀬川峡谷の別名で国の名勝天然記念物になっています。写真をご覧いただきながら遊歩道をご一緒に散策しましょう。五ヶ瀬川が流れています。↑下の小さな橋の上に小さい姿が見えているのは前日載せた場所です。皆さんここでまず記念撮影をされました。↓ 前方の神橋を渡りました。反対方向の向こうの方に見えているのが神都(しんと)高千穂大橋で、すぐ近くの橋が高千穂大橋です。↓これから柱状節理があちこちに見えてきます。槍飛橋(やりとびばし)も渡りました。これも柱状節理の断崖です。もう少し五ヶ瀬川に沿って進みましょう。遊歩道の左側の岩の上からも水が流れ落ちていました。仙人の屏風岩です。気の遠くなるほど昔の事ですが、今から約27万年前、14万年前、12万年前、9万年前の4度、阿蘇山の火山活動で噴出した火砕流が冷えて固まり、五ヶ瀬川の浸食によって、柱状節理の峡谷ができました。高さ80m~100mにも達する断崖が7㎞にもわたって続いています。長年に渡って水によってくりぬかれた石には大きな石に穴が開いていました。鬼八の力石です。やっと滝見台に着きました。これが有名な真名井(まない)の滝です。この場所で船に乗るにはネット予約をしなければ当日は満員でなかなか乗れないそうです。木立の下で休憩していると池でチョウザメが泳いでいるのに気づきました。すぐ近くの池では養殖されているのか、小さなチョウザメの赤ちゃんが何百匹と泳いでいました。月形・日形の説明です。「玉垂れの滝」の上にある半月の岩形を月形といいます。(中略)尊は天照大神を日の光る太陽として日形を掘り、自分の光は月の光の半分もないからと、三日月の穴を掘り、その後、高天原を去り、出雲に行かれたと伝えられています。↓見えにくいかもしれません高千穂峡の説明です。最後にもう一度、御橋(みはし)の上から真名井の滝を目に焼き付けました。送迎バスを待つ間、伝承されている「高千穂夜神楽」の動画を観ました。昼食のため坂道を神楽宿まで登りました。その坂道の右側に祠がありました。日向神話の説明です。神楽宿ではいろんな団体さんが全員で昼食でした。天村雲御膳(あめのむらくもごぜん)をいただきました。坂道を降りてバスに向かいました。(足に自信がない方には送迎バスがありました)今回はたくさんの写真をご覧にいただきお疲れさまでした。では最後の目的地、志布志市へ向かいましょう。(つづく)
2024年08月07日
コメント(14)
猛暑の中、太宰府天満宮を参拝した後で向かったのは船旅で2度目のお宿、別府湾に面した日出温泉のホテルでした。遠くに高崎山が見えました。早速ウェルカムドリンクを頂きました。私たちは梅酒とプリンを選びましたが、他にも色々とありました。そして足湯に入ってリラックス。(温泉の画像はありませんので足湯だけ載せました)今回は畳の上ではなくベッドで休みましたが、広々とした部屋で快適でした。夕食はバスで街中へ出かけました。遠くに高崎山を眺めながら、別府湾に浮かぶフェリー「さんふらわあ」も見えました。夕食に大分名物の関アジと関サバがお一人様1匹ずつではありませんでしたが、おしるし程度に出ました。新鮮でおいしかったです。この後デザートにスイカが出ました。ホテルに戻ってきて、西鉄観光の運転手さんとバスガイドさんににじいろ会・交通安全のストラップをお渡ししました。この夜は温泉にゆったり浸かって旅の疲れを癒しました。そして明くる朝、別府湾に面した日出温泉を出発して独特の渓谷美で神秘的なパワースポット高千穂峡に向かいました。途中道の駅で休憩と買い物タイムです。大分県竹田市、熊本県阿蘇市を通過して宮崎県高千穂市街に入りました。※ ここでちょっとブレイク。バスガイドさんの話では大分県竹田市にある岡城址をイメージして瀧廉太郎(滝廉太郎)氏は「荒城の月」を作曲されたとおっしゃいました。またネットにもそのように書かれています。ところが私はその話を聞きながら、思い出したことがありました。2022年10月18日のブログに書いてますが、富山を旅した折に、富山城址を奥の方へ進んでいくと瀧廉太郎記念館がありました。そこには両親や音楽学校の友達の事と共に「荒城の月」の作曲について書かれていました。私はてっきり「荒城の月」は富山城がモデルだと思っていたのでもっと詳しく読んで来ればよかったと後悔したのでした。瀧廉太郎氏は作曲、(作詞は土井晩翠氏)なので富山城を眺めながらイメージしたのかもしれませんね。ここから山道を歩いて渓谷に行きました。普通に歩けば20分で行けるところを写真を撮りながらなので40分ぐらいかかりました。この高い橋の名前は神都(しんと)高千穂大橋です。トンネルをくぐって進みました。すると、目の前に渓谷が開けてきました。これはまだ峡谷の入り口に差し掛かった所です。ここからいよいよ高千穂峡の神秘的パワースポットに向かいます。高千穂峡のシンボル、名瀑「真名井(まない)の滝」はここからどれぐらい歩いたら見えるのでしょうか?(つづく)
2024年08月06日
コメント(18)
7/26(金)の午後は博多から太宰府へ移動。学問の神様として有名な菅原道真公が祀ってある太宰府天満宮を参拝することになりました。添乗員さんの後ろをはぐれないようについていきました。前日に38.4度の最高気温を記録したそうですが、その日も38度は越えていそうな猛暑でしたが、大勢の観光客でにぎわっていました。クラクラするほどの暑さの中、汗が目に入って痛いこと。ガイドさんに続いて石の鳥居をくぐって進みました。御神牛は全部で11体あるそうで、入り口にあった御神牛(なで牛)も顔がピカピカ。この人混みを歩いたんですよ。最初の太鼓橋を渡りました。2つ目の橋3つ目の太鼓橋※ 心字池に架かる3つの太鼓橋は過去、現在、未来と三世一年という仏教思想を表しているそうです。心字池の噴水が涼しそうでした。風鈴の設えがありました。楼門が見えてきました。道真公の曾孫によって造営されたけれど、何度も焼失し、戦国時代は石田三成が再建したそうです。現在の楼門は1914年(大正3年)に建てられました。手水舎で手を清めてから参拝しました。麒麟像です。御神牛(なで牛)の顔を触りました。※ 道真公と牛の関係は深く、生まれた年は牛の歳、また牛の日に亡くなられました。遺骸を牛車に載せて納める途中、牛車が動かなくなった場所に墓所を建てる等牛にまつわる話が多くあるそうです。では楼門から入りましょう。表は二重で裏は一重で飛龍天神ねぶたは撮れませんでした。楼門の左側でにらみを利かせているのはこちら楼門の右側でにらみを利かせているのはこちら重要文化財の「御本殿」は124年ぶりに「令和の大改修」中なので、特別に「仮殿」が建設してありました。屋根の上に草木が茂っています。その下に御御霊(おみたま)が御本殿からお遷りになっています。学問の神様だけでなく文化芸術の神様で、厄除けの神様でもあるそうなのでしっかりお参りしてきました。こちらにも風鈴の設えがしてありました。ネットで覆われているのが現在改修中の「御本殿」です。絵馬堂です。ここにも御神牛がいました。こちらは暑い中、お猿さんが演技中。言われたことをしないのも演技のうちだと思いながら笑って見てきました。沿道のお店で気になったものを写してきました。余りの暑さにかき氷を買ってバスの中で食べました。その後、日出温泉に向かいました。PS) 今回は厳選したんですが、写真が多くなってしまいました。(つづく)
2024年08月05日
コメント(14)
7/26(金)早朝、新門司港から西鉄バスに乗って向かったのは福岡県宗像市にある宗像大社(むなかたたいしゃ)と「海の道 むなかた館」です。世界遺産・日本神話に登場する日本最古の神社の一つで、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群が2017年7月にユネスコ世界遺産に登録されました。宗像三女神を祀り、沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、九州本土の辺津宮(へつみや)からなります。私達は宗像大社・辺津宮を参拝しました。※ 宗像大社・沖津宮は沖ノ島、小屋島、御門柱、天狗岩からなり沖ノ島は島そのものが信仰の対象の神聖な島なので、神域である宗像大社神職以外は上陸できないそうです。しかも海で身体を清めてからしか上陸を許されないそうです。(九州ガイドマップとバスガイドさんの話から要約)それでは宗像大社・辺津宮(へつみや)を参拝しましょう。九州は朝から太陽がギンギンギラギラで暑かったですが、木立の参道を歩くと少しは涼しく感じました。神官さん達が朝のお掃除をしてらっしゃいました。辺津宮では宗像三女神の市杵島姫神が祀られています。本殿と拝殿は国の重要文化財に指定されています。向かって右側には髙宮参道があり、若い人たちが大勢入っていきましたが、高宮祭場と書いてありました。私たちは第二宮(ていにぐう)と第三宮(ていさんぐう)を参拝しました。向かって右側が第二宮で左側が第三宮です。沖津宮の御分霊、田心姫神(たごりひめのかみ)「沖ノ島」と中津宮の御分霊、湍津姫神(たぎつひめのかみ)「大島」は遥か玄界灘に鎮座されているので、総社である辺津宮を「第一宮」として、境内に両宮の御分霊をお祀りしているので第二宮と第三宮に詣でれば宗像三宮をお参りしたことになるのだそうです。その後、少し離れた所にある世界遺産ガイダンス施設、海の道むなかた館(宗像市郷土文化学習交流館)を暑い中、見学に行きました。常設展示室の様子です。ハンズオンレプリカ沖ノ島から出土した金製指輪と三角縁神獣鏡のレプリカを実際手に取って大きさ、重さ、質感を体感できました。資料を頂いてきました。その他、シアタールームで「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の映像を見てきました。沖ノ島は長い間、伝統と文化、信仰で守られ手つかずの自然と古代の祈りの場が残されてきたので、約8万点もの奉献品が祭祀遺跡で発見され国宝に指定されています。その後、バスは博多まで走り名物の「鶏なべ」の昼食を食べました。そして大宰府に向かったのでした。(つづく)
2024年08月04日
コメント(12)
7/25(木)はバスで長距離移動でした。加賀片山津温泉をゆっくり午前10時に出発して添乗員さんの歴史的な話(長浜城址は現在歴史博物館になってますが、長浜城と豊臣秀吉の話、浅井、朝倉の屋敷跡と織田信長の話、賤ヶ岳の話、義経と弁慶が安宅関を通してもらう話、はたまた神話の時代から古墳時代まで話が遡るので)バスの車窓から見える小さなお城や歴史のある山々を眺めながら興味津々で耳を傾けると自称歴女の心はワクワクするのでした。日本一の大きさを誇る琵琶湖の端から端まで車窓から眺めやっと滋賀県の彦根市に到着しました。ここで近江牛のすき焼きを頂きました。その後、買い物タイムで少しゆっくりできました。私たちは買い物はせずに、興味を惹かれた場所へ移動。面白かったのでおまけです。そして新潟港から泉大津港まで2日間ご一緒した運転手さんに交通安全のストラップを奥様と3人の娘さん用に5個お渡ししました。全員が車を運転するので交通安全に気を付けると言われました。添乗員さんにもお渡ししました。新潟から大阪まで長距離移動でしたが、無事に泉大津港へ到着。ここで運転手さんとお別れでした。泉大津港から新門司港まで乗るのは阪九フェリー「ひびき」です。私たちの部屋は6階のデラックス洋室でした。泉大津港を17時30分に出航しました。そして早速夕食です。自分たちの好きなものをビュッフェスタイルで取ってきて海を見ながら頂きました。私はハイボールで、相方は野菜ジュースで乾杯!瀬戸内海は波が穏やかで揺れを感じなかったので快適でした。この船で仲良くなり何度もやってきて色々と話をしてくれた中学1年生の男子とおじいちゃんにもストラップを渡しました。お姉さんと妹さんにも渡してもらう事にしました。(ネットに顔出ししてもいいよと言ってくれましたが、やっぱり隠しますね)関西空港が近いので飛行機が飛び立っていくのがよく見えましたし、神戸の街並みを眺めながら船は進んでいきました。夕方、明石海峡大橋の下をくぐり午後10時ごろに瀬戸大橋の下を通過しました。あともう一つ、しまなみ海道は夜中で夢の中でした。しかし午前3時半頃に目が覚めて窓から空を見上げると、星の輝きが綺麗に見えました。そして岸が近くなったからなのか、テレビのニュースが映り、山形県と秋田県に大雨洪水警報が出て、記録的な豪雨の被害で大変な状況になっているのを見ながら心を痛めておりました。船中泊をしている間に通った船の航路の現在地です。瀬戸内海は波が穏やかで全く揺れなかったので快適でした。新門司港へは午前6時に着きました。午前7時15分に下船なのでゆっくり朝食を頂きました。船を降りると西鉄観光のバスが待っていました。このバスには27歳の女性の運転手さんとベテランのバスガイドさんが乗ってらっしゃいました。これから九州の観光が始まります。(つづく)
2024年08月03日
コメント(16)
7/22(月)7/23(火)と2日間フェリーで船中泊をして7/24(水)は3日目にしてやっと畳の上で眠れました。3日目のお宿は加賀片山津温泉・佳水卿でした。ここは将棋の藤井聡太棋士が叡王戦・第2局を戦ったところです。入り口を入ると目の前に現れたのがこちら。ロビーも広々としていました。フロントは2階にありました。中央のエスカレーターで2階に上がりました。ここでお宿の案内と添乗員さんの説明を受けた後、各自の部屋に入りました。私たちの部屋は「船の棟」でした。とても広くて水屋は隣の部屋にあり、バス、トイレは別室にあり、3日目にして初めて畳の上で過ごせることが何よりも嬉しかったです。部屋からは、柴山潟湖が見えました。(前田利家が鷹狩の際に見つけた温泉だと伝えられているようです)以前はスイスのレマン湖のように中央に噴水があったそうですが、地震の影響で故障中でした。夕食は大広間で和会席でした。お品書きは省きますが、地元の特産物で調理されとても美味しかったので満足しました。アルコールも二人で半分こして飲みました。食後はゆっくりと第9期叡王戦の様子を写してきました。小さくて読めないですが、叡王戦の歴史や仕組みの説明です。2階では宿泊客が自由に将棋ができる部屋もありました。翌朝は10時出発なのでゆっくりできました。朝食はバイキング(ビュッフェスタイル)でした。その後、次の目的地である滋賀県彦根市を目指してバスは走り出しました。(つづく)
2024年08月02日
コメント(14)
7/23(火)小樽港から7/24(水)の南魚沼の昼食までです。小樽港を17時に出航しました。今度のフェリーは新日本海フェリー「らべんだあ」です。新日本海フェリーは夕食がバイキング(ビュッフェスタイル)ではなく、各自お膳で頂きました。食べ過ぎないのでちょうど良かったです。いよいよ港を離れました。日本海は揺れるので酔い止めドロップを買った方がよいと言われ、港の売店で出航前に買い求めました。そして小樽で買ったワインと日本酒を部屋でシェアして飲みました。部屋は4階のステートルーム・洋室で船中泊でした。ところが、日本海には当時低気圧が張り出し、(遠く中国・韓国辺りに台風もあったので)その影響で波が高く、なんでも5mの高波らしくて船が揺れる揺れる。ふらふらしてまっすぐ歩けない状態でした。酔い止めドロップをなめてもあまり効きません。もともと酔いやすい体質でしたが、車を運転するようになってだいぶ揺れに慣れてきたはずでしたが。ベッドで横になっても身体がフワフワするので熟睡ができず結局、この夜はほとんど眠れませんでした。朝食前にも何度も吐きそうになり、食べるのをやめておこうかと迷ったんですが、少し落ち着いてから頂きました。でも女性陣は気分が悪くて朝食に来られない方が結構おられました。新日本海フェリー「らべんだあ」乗船記念に写しておきました。私たちの部屋は4階でした。日本海の航路です。海が大荒れで新潟港に午前9時15分着の予定が約1時間半遅れて10時30分にようやく着岸しました。かなり見にくいですが、記念にフェリーの航路を載せておきます。やっと着岸してやれやれでした。フーッ!新潟から南魚沼・魚野の里までバスは走り、名物の枌そば(へぎそば)を頂きました。食後の買い物タイムに東南アジアからいらしたカップルににじいろ会のストラップをお渡ししました。お二人とも車を運転するとのことで。男性にはもう1個、ご家族の分もお渡ししました。道中2回ほど休憩タイムがありました。それまでも水分補給は充分してましたが、こういう所ではソフトクリームを食べました。信濃川だったような気がします。朝はぐったりして元気がなかったんですが、午後になってやっと元気を回復しました。この後、日本三大名園の一つ、兼六園に行く予定でしたが、船が約1時間半遅れで到着したので、時間的に兼六園滞在時間が30分足らずしかないということで、結局中止になりました。後日キャンセル料一人320円が振り込まれるそうです。そしてその夜宿泊する加賀片山津温泉に向かってバスはひた走りました。(つづく)
2024年08月01日
コメント(20)
7/23(火)の続きです。札幌場外市場で昼食後、北海道神宮に参拝して、バスは小樽へと向かいました。(バスで頂いた北一硝子のチラシから少し拝借すると)「小樽はニシン漁で繁栄しました。明治に入り北海道開拓が本格化すると、多くの開拓移民が小樽に上陸し、それを支える様々な開拓物資や生活用品を満載した北前船(弁財舟)が集結し、商港として発展しました。また明治13年になると鉄道が敷かれ、港湾の整備が進められ百棟もの木骨石造り倉庫が次々に立ち並びました」と小樽・明治期の繁栄の歴史が書いてありました。私は小樽運河がもう一度見たいばかりにバスの駐車場からかなり歩きました。今から30年ほど前に訪れた懐かしい場所なんです。ここで石造り倉庫や歴史的建造物が立ち並ぶ街並みを散策しました。午後3時過ぎの気温は26.5度でした。大勢の観光客が小樽運河の写真を撮っていました。いつの頃からか運河クルーズで遊覧できるようになったんですね。みんながいなくなるのを待っていたら時間がかかってしまい、どっと疲れた表情で写真に収まりました。私には良い記念になりましたけれど。石造り倉庫は西洋美術館になっていました。その後、戦前は北のウォール街と呼ばれた古い街並みを散策しました。涼しげなコーナーふらふらと入ったのは北一ヴェネティア美術館ミュージアムショップでした。ゴンドラを後ろから撮りました。カラフルな鳥たちはガラスでできていました。建物の中の売店の隣にゴンドラが浮かんでいたんです。2階のダイアナ妃ゆかりのゴンドラを観るには別途料金がいるので、2階には上がらずに外の看板だけ写しました。故ダイアナ妃と現チャールズ国王がわかりますでしょうか?この建物が北一ヴェネティア美術館の外観です。こちらは洋菓子で有名なルタオのお店です。お店の外には気温が25.1度と出ていました。しかし体感温度はもっと高いように感じました。これで小樽の街並みの自由散策を終えてバスに戻り小樽港へ向かいました。小樽港をフェリーが17時に出航する予定ですので。(つづく)
2024年07月31日
コメント(16)
2日目(7/23・火)の事です。早朝に時間があったので船のデッキに出ましたが、あまりにも風が強くて危うく吹き飛ばされそうになりました。こんな所で太平洋にドボンと落ちては大変と早々に船内に引き返しました。それで太平洋から昇る朝日は残念ながら撮れませんでした。船尾を写すだけで精一杯でしたので。もうすぐ太平洋フェリー「いしかり」を下船するので最後に自分たちが船中泊をした船内通路を写しました。突き当りです。左右には行けますけどね。7階の部屋で船中泊をしました。小樽港に午前11時に到着するとバスが待っていて、先ずは札幌の場外市場へ連れて行ってくれました。そこで各自が自由に昼食と買い物でした。魚料理はやはりどれも新鮮でおいしかったです。自宅にも海産物を送りましたが、金沢と同じでどれも殿様値段でした。次に北海道総鎮守の北海道神宮まで連れて行ってくれました。リーフレットを頂きましたので要約すると、北海道神宮は北海道の開拓・経営を行うために明治2年7月に開拓使が設置され、同年8月15日に蝦夷地(えぞち)は北海道と改称され、明治天皇の思し召しにより、北海道の地に祀られ、その発展とともに北海道総鎮守として人々に崇拝され今日に至っています。では境内から神門を通って拝殿に参拝しましょう。神門です。拝殿に参拝しましょう。拝殿の奥に本殿があります。拝殿から左には東回廊が続きます。一位(イチイ)の木です。読みにくいので大きく撮りました。「大正十一年七月十二日昭和天皇御手植一位」と書いてあります。拝殿の右側には祈祷殿があります。絵馬もたくさん掛けてありました。本殿の右側の祈禱殿の全景です。授与所と神門の裏側です。北海道神宮に参拝したので次の目的地である小樽に向かいましょう。バスは札幌から小樽へと移動しました。(つづく)
2024年07月30日
コメント(18)
1週間のご無沙汰でした。どこかで聞いたようなフレーズですが、おかげさまで元気に7日間の旅から帰ってきました。今日からぼちぼち日本一周の旅を振り返ろうと思います。先ず7月22日(月)から始めます。時間的に余裕をもって地元から特急「ひだ」に乗って名古屋駅まで行きました。ところが、ニュースでは早朝3時半頃に保守作業中の車両が衝突脱線事故を起こし始発から東海道新幹線は名古屋~浜松間が運休。午前中いっぱいで復旧できるかどうかわからない状態。まあとにかく名古屋駅で旅行社のスタッフを待つことにしました。背中にリュックを背負ってややこしい格好をしています。午前10時過ぎにスタッフと合流し、何とか名古屋~仙台まで行くことになりました。中央線で長野駅まで行って長野駅で北陸新幹線に乗り換え埼玉県大宮駅まで行き、そこで東北新幹線に乗り換え仙台まで行くことにしました。電光掲示板をスマホで撮るとこんな感じになります。やっと仙台駅に16時25分に到着。仙台駅構内で東京からのお客さん達と合流。全員で17組34名の夫婦です。(名古屋からは6組12名)ここからバスで仙台港へ行きました。名古屋から仙台まで同行した旅行社のスタッフさんともここでお別れです。イケメンの若いスタッフさんに仙台駅の構内でにじいろ会のストラップを渡しました。とても気持ちのやさしいお兄さんで事情を説明するとストラップを大事にして交通安全に気を付けると言われました。バスは仙台港に着きました。待合室には仙台七夕祭りの吹き流しが飾ってありました。今回は仙台港でも小樽港でも自衛隊員さん達が大勢一緒でした。太平洋フェリー「いしかり」に乗船です。船は仙台港を19時40分に出航しました。苫小牧まで15時間かかりました。乗船して早速夕食を頂きました。これでも少ない方ですよ。驚くなかれ皆さんこの2,3倍はしっかり食べてらっしゃいましたよ。私たちの部屋は7階でした。この部屋(一等船室・洋室)で一泊しました。一泊目は船中泊でした。おやすみなさい。最後に寝ている間にフェリーが航行している様子を添付します。仙台から苫小牧に航行しました。翌朝11時に苫小牧に到着でした。・・・・・PS) 昨日午後無事に帰宅しました。たくさんの洗濯ものと後片付けをして、もう今朝早く相方は午前6時半ごろに車に乗って映画を観に出かけました。元気で結構なことです。私もブログをUPして今日からダンスレッスンに出かけます。
2024年07月29日
コメント(20)
いよいよ今回の旅も最終日になりました。大阪南港へ午前8時半頃に着き、バスで新大阪駅へ移動しました。その後、東海道新幹線で名古屋駅へお昼に到着し、その後解散になりました。6泊7日の旅がこれで終わりました。皆様、長い間お付き合いありがとうございました。明日からは今回の旅を振り返ってもう少し詳しく書きたいと思っています。とにかく1週間で日本一周をするというとてもハードな旅でした。今回の旅で最高齢は90歳のご夫婦でした。他にも80代のご夫婦も数組いらっしゃいました。私達はまだまだひよっこだと感じたのでした。17組34名の団体旅行でした。皆さん、旅慣れた方々が多くて色々とお話ができました。中には世界をほとんど旅してきた方々もいらっしゃいました。アメリカ、カナダを始め、スペイン、ポルトガルからエジプトまで出かけたとスフィンクスの前で撮った記念写真を見せてくれた方もいます。皆さんお元気で旅を楽しんでみえました。一期一会っていいものだなぁと感じた今回の旅でした。午後2時前には自宅に戻り、旅の荷物を片付け、洗濯物も2回行いました。明日から平常通りの生活に戻ります。
2024年07月28日
コメント(14)
※ 別府湾を望む日出温泉を出て、バスは大分県、熊本県、宮崎県と走り、鹿児島県に到着し、志布志港から午後6時に出航しました。途中大分県竹田市の道の駅に寄り、熊本県阿蘇市の阿蘇山の外輪山を走り、宮崎県高千穂峡を観光し、川南と都城の道の駅に寄り、鹿児島県・志布志市へ到着し、港から出航しました。これから約14時間航行の予定です。船は大阪南港に向かっています。旅6日目は日出温泉からバスで高千穂峡へ移動。独特の渓谷美で知られる神秘的なパワースポットを観光し、昼食後バスで移動し、南郷で買い物をし、鹿児島県を目指します。18時30分にフェリーさんふらわあ「さつま」で志布志港を出航して船中泊をしながら大阪南港を目指して航行します。PS) 多分今回も船の中ではネット環境が悪くブログのコメントを読むこともできないと思います。いつもコメントを頂いてありがとうございます。もう2日ほどお邪魔できないのでお許しください。
2024年07月27日
コメント(16)
※ 昨夕泉大津港で午後5時過ぎに「阪九フェリー・ひびき」に乗船。午後5時30分に出航して、夕食を食べながら航行。明石大橋、瀬戸大橋の下を通過。空の星の輝きが綺麗に見えました。午前3時半ごろから目が覚めて海を眺めたり、午前4時からテレビニュースで山形県と秋田県の大雨洪水警報が出るほど記録的な豪雨の被害で大変な状況を眺めながら心を痛めました。瀬戸内海は波が穏やかで揺れることもほとんどなく快適でした。そして新門司港に到着後、宗像大社に向かいましたが、日差しが強く、暑いことったら。バスで博多に向かいましたが、昨日38.4度になったそうで、今日も気温が高くクラクラするほどで、汗が目に入って痛いこと。太宰府天満宮に参拝しましたが、観光客の多さと灼熱で今にも倒れるのではないかと思うほどでした。今回の旅ではアジアの人たち、中でも中国、台湾の方々が多かったような気がします。そして猛暑の中、かき氷の美味しかったこと。そして本日のお宿であるホテルに到着し、ウェルカムの梅酒とプリンを頂き、足湯に入っていい気分になりました。その後、別府湾や高崎山を眺めながらバスで夕食に出かけました。関アジと関サバは目の中に入れても痛くないほどの分量でした。やっとネットがつながるようになり今はホテルの部屋でこのブログを書いています。無事に本日の行程を終了しようとしています。朝6時に新門司港に到着。その後バスで世界遺産・日本神話に登場する日本最古の神社の一つである宗像大社を参拝。バスで博多に移動し、名物鶏なべの昼食を頂き、バスで学問の神様・太宰府天満宮へ移動。夕食に大分名物の関あじ・関さばを頂きます。私は以前湯布院で関サバ・関アジを頂きました。そして日出温泉のホテルに宿泊します。今夜はホテルでネットがつながるといいなと思っています。
2024年07月26日
コメント(18)
旅4日目は加賀片山津温泉の佳水郷を10時に出発し、 琵琶湖を車窓から眺めてドライブ、滋賀県で近江牛すき焼きの昼食を頂き、バスで泉大津港まで移動。阪九フェリー・ひびきに乗船し船中泊をします。PS)新潟から大阪泉大津港までバスで移動しながら、長浜城跡(歴史博物館)や賤ヶ岳、彦根城などの他、バスから見える小さなお城や歴史的な山を眺めながらガイドさんの説明に聞き入りました。豊臣秀吉、浅井、朝倉から源義経、弁慶の安宅関、古墳時代から神話の時代まで話はさかのぼり歴女は興味津々で耳を傾けました。PS) 今夜はまた船に乗りますので、ネットの状態が悪いと思いますので、皆様のコメントが読めないかもしれませんのでお許しください。
2024年07月25日
コメント(22)
※ 旅2日目に苫小牧港から札幌に移動し、札幌場外市場で昼食と買い物をしてから北海道神宮を参拝し、小樽運河へ行き、石造倉庫や歴史的建物が並ぶ街並みを散策し、小樽港を17時に出向して夕食を食べ船中泊をしたんですが、日本海を航行している間、ちょうど低気圧の影響で日本海が荒れて、5mの高波の中を航行したので、船が揺れること、揺れること。船に乗る前に港の売店で酔い止めドロップを買ったんですが、とにかくまっすぐ立って歩けないほどの揺れで、気持が悪くなり、ゲロゲロ状態になり、1日6錠までの酔い止めを4錠飲んでも治らず困りました。しかも今朝新潟港へ9時15分着の予定が10時半にやっと到着。15時間半も揺られっぱなしでした。朝食は船でしたのですが、気分が悪くて来られない方が結構いました。おかげで今日の予定の南魚沼の枌蕎麦(へぎそば)は遅い昼食で食べましたが、兼六園に行っても30分も観られないという事で兼六園行きは中止になりました。一人320円の返金だそうです。旅にハプニングはつきものですが、これで2回目。まあ何はともあれ無事に加賀片山津温泉に到着しましたのでご報告申し上げます。加賀片山津温泉は佳水郷(かすいきょう)に宿泊してます。このホテルは将棋の藤井聡太棋士が叡王戦の第二局で戦ったホテルです。旅3日目は午前9時15分に新潟港着。その後バスで南魚沼へ行き、昼食に名物のへぎそばを頂きます。その後、バスで兼六園へ移動し庭園を散策します。兼六園はこれで三度目です。次にバスで加賀片山津温泉に移動し佳水卿(カスイキョウ)に一泊します。PS) ご丁寧にコメントをくださった皆様、ご親切にありがとうございます。なかなか旅行中はコメント返しができません。どうぞお許しください。
2024年07月24日
コメント(18)
※すみません。昨日は早朝からハプニングの連続で何とか仙台港まで到着しましたが、太平洋フェリーはネットが一切つながらず、この画面も真っ白で読めない状態でした。結局苫小牧港に着くまでの15時間、ネットが接続できていませんでしたので、皆様のコメントも読むことができませんでした。ましてやコメント返しは全くできませんでしたので、お許しください。実は昨日は早朝3時半ごろに東海道線で保守列車同士の衝突により新幹線が不通になり、午前中に復旧すると思われましたが、1日中復旧できませんでした。それで私たちは旅行社が急遽、名古屋~東京間を変更して中央線で長野駅まで行き、そこから北陸新幹線を使って埼玉県大宮駅まで行き、そこで東北新幹線に乗り換え、仙台駅まで行き、そこからバスで仙台港へ行き「太平洋フェリー・いしかり」に無事乗れることができました。そして15時間船に乗って苫小牧港へ到着しました。旅2日目は苫小牧港に午前11時着の予定です。札幌場外市場で買い物と自由昼食をしてから北海道神宮を参拝し、小樽運河へ行き、石造倉庫や歴史的建造物が立ち並ぶ美しい街並みを自由散策します。以前小樽運河は訪れたことがありますが、何しろ30年ぐらい前の事で、10年ひと昔といわれますからずいぶん変わっていることでしょうね。そして小樽港を17:00に出航して船中泊をします。乗船する船は新日本海フェリー「らべんだあ」です。そして新潟に向かいます。PS) 小樽港から新潟を目指して航行中ですが、またもや船の中はネットが接続できず、読むこともできませんでした。こんな状態ですので、ネットのご機嫌をうかがいながら接続できる間に少し補足だけしておきます。
2024年07月23日
コメント(22)
暑中お見舞い申し上げます。日本各地で35度を超える猛暑になっています。皆様どうぞお身体ご自愛ください。今日から1週間旅行に出かけます。それで冷蔵庫の中を空っぽにしてきました。(冷凍庫には食料品が詰まってますけどね)それで昨夜は外食をしました。※早朝3時半頃に保守作業中の車両が脱線したとかで始発から新幹線上りは名古屋~浜松間が運休しています。復旧には午前中いっぱいかかるとニュースに出ています。今日の予定はどうなるのか今のところわかりません。今朝は特急で名古屋駅に向かい名古屋駅から新幹線のぞみのグリーン車で東京へ行き、東北新幹線やまびこ・グリーン車で仙台に向かいます。(この旅行社はグリーン車を使うのがウリなんです)仙台から仙台港へ行き、19時40分に仙台港を出航します。乗船するのは「太平洋フェリー・いしかり」です。そして北海道・苫小牧港を目指し船中泊をします。船に乗ると書きましたが、4回ともすべてフェリーです。クイーンエリザベス号でもありませんし、ベリッシモ号でもありません。では行ってきます。
2024年07月22日
コメント(22)
長らくお付き合い頂いた鳥取・島根の旅も今日で最後となりました。3泊4日の旅も過ぎてしまえばあっという間ですね。最終日は早めに朝食と片付けを済ませチェックアウトしましたが、やはり慌てていたんでしょうか、ホテルにカメラを忘れたまま出かけてしまい、遊覧船に乗ってからもまだカメラは車の中にあると思い込んでスマホで撮っていました。加茂川・中海遊覧船乗り場をナビに入れても出てこないし、ガソリンスタンドで聞いてもあまり詳しく知らないので行き当たりばったりで見当を付けて運転してもらいました。乗り場についても誰もいないし、いるのはカッパだけ。それで出発時間まで待つことにしました。右上のスイカを食べているカッパは確か水木しげるさんの作だった気がします。するとおじいちゃんが一人どこからか自転車でやってきました。10時近くになってやっと準備開始し、船頭さんと水先案内人さんと乗船するのは私達2名の計4名だけ。桜の季節とGWはお客さんがもっといたそうですけどね。加茂川沿いは江戸時代に水運業で栄え、かつては米子港へ物資を運ぶ物流拠点だったそうで、美しいなまこ壁の土蔵も残っていました。(右下の写真にちらっと見えます)米子白壁土蔵前の天神橋付近から約50分の船旅に出発しましょう。頭上すれすれを通るので頭を下げて橋の下をくぐります。この石橋は京に向かう道だったので橋の欄干も京都に似せてあります。加茂川沿いには江戸時代に水運業で栄えた廻船問屋が並んでいました。このお屋敷もそうだったようで白壁土蔵が続いていました。加茂川を出発して中海に入ります。砂州(さす)で日本海と隔たれた汽水湖・中海は日本第5位の面積がある湖です。海水と真水が半々の湖だそうです。そしてあの山の向こうには出雲の神様たちがいた島があるそうです。二つの小さな島が見えてきました。以前はあの島で宴会を催すお金持ちもいたそうですが、今は誰もやらないそうです。船は左手にみえる竹林を眺めながら方向を変えていきました。そして今来たのとは反対方向に進み始めました。向こうの方に大山が見え(高い山)左側から女性の寝姿にみえるそうです。↑左側の高い山は女性の胸だそうですが、そう見えますか?遠くでカヤック(カヌー?)の練習をしていました。橋をくぐって進みました。この石垣は米子城跡です。標高約90mの湊山の頂上にあった戦国末期から近世までの城跡です。当時の形態をよくとどめる遺構として国史跡に指定されています。大学生がカヌーの練習をしていました。二艘いたのでぶつからないように私たちの船がよけて航行しました。しばらく行くと鳥取大学の医学部の校舎がありましたので、多分その学生さん達だと思います。約50分の船旅でしたが、とても満足できました。そして船を降りるとすぐにホテルから電話がありました。わたしとしたことが・・・部屋にカメラを忘れるなんて。その後、また皆生温泉のホテルまで引き返しカメラを取りに行ってきたのでした。その後「お菓子の壽城」に立ち寄って昼食を食べ、お土産を買って帰ったのでした。帰りは鳥取、岡山、兵庫、大阪、京都、滋賀、岐阜と高速を乗り継ぎスイスイ走って来たのですが、米原~関ヶ原区間でちょうどその日から始まった名神の集中工事に引っかかって結局午後7時過ぎにやっと当市へ戻ることができ、国際交流協会の総会に遅刻して滑り込んだのでした。長らく旅行記にお付き合い頂きありがとうございました。(完)
2024年06月04日
コメント(14)
白兎海岸に打ち寄せる波を眺め、白兎神社に参拝した後、向ったのは鳥取砂丘コナン空港でした。それでは空港の中に入りましょう。やはり鳥取空港は砂丘と名探偵コナンを前面にアピールしています。怪盗キッドが砂丘の上でお出迎えいたるところにコナンと登場人物の漫画がいっぱいそしていつものように空港デッキに上がりました。撮影スポットとメモリアルポストがありましたよ。やはり鳥取砂丘コナン空港も米子鬼太郎空港と同じく日に3便ほどしか飛び立たないので飛行場は閑散としていました。「コナンキャラクターウォール」には60人の主要登場人物が描かれています。「名探偵コナン」が好きな方にはたまらないでしょうね。鳥取砂丘コナン空港から帰る道中もこの道を通るたびにいつも目にしていたのですが、風力発電の風力タービン(風力発電機)が日本海の風を受けてゆっくりと回っていました。実は毎日通り過ぎるホテルのロビーに鬼太郎や目玉おやじ、ねずみ男がいるのに初めて気がついたのでした。そしてホテルの7階の部屋から沈んでゆく夕陽を眺めながら明日はもう帰る日なのか、あっという間に旅は3日間も終わってしまったんだなぁとしばし感慨にふけりました。(つづく)
2024年06月03日
コメント(28)
北栄町で「名探偵コナン」一色のコナン通りや原作者・青山剛昌氏のふるさと館を見学した後で向ったのはワイン直売所でした。実はブドウ畑と貯蔵所へ行きたかったんですが、もう1軒は最近お店を閉めたと聞いたのでこちらで発泡酒と普通のワインを買い求めました。次に向かったのは「古事記」に登場する「因幡の白兎」の伝承地として知られる白兎海岸(はくとかいがん)です。この日は波が高く3mだと聞きました。ここは美しい白砂の浜が弓なりに連なっています。しばらく打ち寄せる波を眺めて因幡の白兎伝説の舞台に思いをはせました。「因幡の白うさぎ」で白兎神が流れ着いたとされる淤岐の島(おきのしま)が海中に浮かんでいました。白兎海岸のそばに大国主命(おおくにぬしのみこと)とウサギの像があります。それでは白兎神社に参拝しましょう。ちょっと見にくいですが、大国主命と八神姫が奥にいます。縁結びでも有名です。石段を上がって白兎神社に参拝しました。境内へ続く道沿いに、ウサギが傷口を洗い治療したと言われる「御身洗池(みたらしいけ)」があり、常に水位が一定のため不減不増の池と言われているそうです。本殿を支える土台石に菊の紋章が彫刻してあり「菊座石」と呼ばれています。私は裏側から撮りました。相方は表から撮りました。境内の石の参道の両側にはウサギの石像が並んでいます。結び石参道の白ウサギには「結び石」が供えられています。※ 因幡の白兎伝説「うさぎがワニざめに毛をはがされ、間違った治療法を意地悪な神々に教えられて泣いていたところ、通りかかった大国主命(おおくにぬしのみこと)に助けられ、正しい治療で元の姿に戻りました。助けられたウサギは神代の美女、八神姫(やかみひめ)と結ばれることを予言しました。大国主命は予言通り、八神姫と結ばれたという「古事記」に残る神話です。伝説の舞台は白兎海岸と言われ、白兎神社には因幡の白うさぎ(白兎神)が祀られています。白兎神社を参拝した後に向かったのは・・・(つづく)
2024年06月02日
コメント(18)
コナン通りを写真を撮りながらどれだけ歩いてきたでしょう。余りにもたくさんのコナンの絵の石像や道路の絵があるのでそろそろ写真を撮るのに疲れてきました。まだこれから先、約800mもあります。やっとコナン大橋にやってきました。由良川にかかっている橋です。左岸にブロンズ像がありました。右岸にもなぞ解きのブロンズ像がありましたが、写してないです。橋を渡り出会いの広場には可愛い像が建っていました。コナンの家と米花商店街もありました。コナンの家(工藤邸)の玄関には表札があり、ちょうど親子連れがインターホンを押していたので少し離れた距離から見ただけで通り過ぎました。隣のコナンのキッチン前には可愛い銅像がありました。「はじまりの瞬間」新一と蘭の下校風景です。2021年12月に設置されたオブジェに青山先生が命名したタイトルは「道に迷った平次と和葉」だそうです。こちらの汚水槽の蓋はコナンだけね。「眠りの小五郎」の異名を持つ毛利小五郎による推理シーンヨーロッパの観光客が数名、熱心にこの像の写真を撮ってました。やっと青山剛昌ふるさと館にやってきました。「少年探偵団」終結!「怪盗と名探偵」コナンと怪盗キッドは永遠のライバルですね。運転席にはあがさ博士が座っていました。青山剛昌ふるさと館には相方だけが入りました。2年前のGWに訪れた時は3時間待ちで、断念した苦い思い出があり、今回やっと実現できました。ふるさと館には北栄町で生まれ育った青山氏の仕事部屋が再現されていて「名探偵コナン」にちなんだ資料の展示や複製原画や原稿もあり、隣にはグッズ販売を行う「コナン探偵社」もありました。そこでお土産を買って満足したようです。しかし帰り道でハプニングが起こりました。相方が履いていた履物の片方が壊れたのです。帰りは片足はだしで歩いて帰りましたが、途中足が痛いので靴屋さんを探したけれど、どこにもありません。住民に聞いても、店員さんに聞いても、駅員さんに聞いてもみんな知らない、わからないというだけで途方にくれました。そこで途中のドラッグストアに入って、応急処置として私はビーチサンダルをさがして買ってきました。(つづく)
2024年06月01日
コメント(16)
旅3日目の5/17(金)の朝の事です。コナンが好きな人には本当に楽しい通りだと思います。道中、各地から訪れるコナンのファンたち、外国(多分話す言語からヨーロッパ)の人たちのグループもいました。韓国や台湾方面からの旅行客もいました。鳥取県米子市は水木しげる氏で町おこしをしていましたが、ここ鳥取県北栄町はコナンで町おこしをしているのを感じました。JR由良駅はコナン駅になっています。駅前にはコナンの像が駅前のタクシーにもコナンの絵がこれから「名探偵コナン」の作者・青山剛昌ふるさと館までコナンの絵を見ながら歩きましょう。後でわかったのですが、総距離は約1,700mあったかもしれません。ここから約1,200mと書いてありますから。コナン駅から歩いてきて、まだコナン大橋を渡っていません。北栄町図書館です。図書館の前にも銅像がありました。新一が待ち合わせをしているようなしぐさをしています。汚水槽の蓋もコナンの絵です。どこまで行ってもコナンの絵は続きます。途中から写真を撮るのがしんどくなりました。もう少しだけ撮りましたが、後はファンの方が実際に自分の目で確かめてください。(つづく)
2024年05月31日
コメント(18)
米子鬼太郎空港から境港へ移動し、新鮮で美味しい海鮮丼を食べた後は水木しげる記念館へ直行。2年前に相方が訪れた時は木造の日本家屋でしたが、今回は立派なビルに生まれ変わってリニューアルオープンしていました。記念館前の広場には銅像があり、通りの両側にも石のオブジェがありました。JR境港駅から約800m続く商店街には妖怪のブロンズ像が道沿いに立ち並んでいて水木しげるロードとして有名です。広場の地面の上にもキャラクターたちがあちこちに。館内の様子です。漫画家・水木しげる氏の貴重な資料や作品が展示されていました。アマビエの絵もありました。暗い部屋に浮かび上がる妖怪たち水木氏直筆の壁画やキャラクターパネル、ジオラマなどファンには本当に楽しいだろうなと思える記念館です。私は水木氏の悲惨な戦争体験を漫画と共に解説してあるコーナーをじっくり読んできました。戦中、戦後の苦しい時代を生き抜いて漫画家として名前が知られるようになるまでの苦労を読んでみて、ゲゲゲの鬼太郎しか知らない自分が恥ずかしくなりました。それでも全体として何となくほのぼのとした温かさがありました。それは水木氏の人間性が表れているのだと思いました。水木しげる氏は2022年で生誕100周年でした。実は屋外にはこんな感じの所もありました。「鬼太郎と目玉おやじ」相方は2年前に訪れた時に、台風通過後の大嵐のような日で風雨が強くて車から出ることができなかったので、今回水木しげるロードを歩くことができてよかったそうです。ほんのちょっとの間だけしぐれましたけどね。その後、皆生温泉のホテルに戻り、夕食をたっぷり食べ2日目の旅を終え、皆生温泉のお湯に浸かってその日の疲れをとったのでした。(つづく)
2024年05月30日
コメント(14)
島根県安来市にある足立美術館をゆっくり見学した後は鳥取県まで車を走らせ米子鬼太郎空港へ行きました。空港内に入ると鬼太郎ばかりが目につきます。大きなステンドグラスも鬼太郎のキャラクターばかりです。運転手はさぞ疲れただろうとソフトクリームを買いました。鳥取メロンのソフトだった気がします。3階の展望デッキに上がりました。私たちは旅先で空港を訪れると必ず飛行機がいないか展望デッキに上がります。ところがこの日は低気圧の影響で天気が急変して、大荒れで土砂降りになりました。まるでスコールのようでした。鬼太郎キャラクターが写したくて撮影してましたが、私はずぶぬれになってしまいました。相方は中で休憩中。飛行機は1日3便しかなくて夕方まで飛び立たないので仕方なくあきらめて帰りました。その後、せっかくだから境港まで行くことにしました。いつも境港からズワイガニを送ってもらうお店に立ち寄りました。そして少し移動した所にあるお店で紅ズワイガニや本マグロなど海の幸がいっぱいのデラックス海鮮丼を食べました。境港の岸壁には漁船がぎっしりと並んでいました。新鮮な海の幸が豊富に水揚げされる港町だとよくわかりました。さて、運転手は次にどこへ連れて行ってくれるでしょう。(つづく)
2024年05月29日
コメント(20)
魯山人館で北王路魯山人の陶芸、絵画、書、漆芸を鑑賞してから2階の小展示室、大展示室で近代日本画を鑑賞して最後に横山大観特別展示を鑑賞しました。3/1(金)~5/31(金)までは春季特別展を開催中で小展示室では四季を楽しむー春の花ー大展示室では季節のアイテム 日本画から感じる春夏秋冬大観室では春の横山大観コレクション選の作品がそれぞれ展覧されていました。展示室はどこも撮影禁止なので画像はありません。もう一度日本庭園が見える場所に出てきました。喫茶室の外に展示されているオブジェの横を通って池庭を眺めました。池には群れて泳ぐ鯉がたくさんいました。白砂青松庭横山大観の名作「白沙青松」をイメージして作られた庭園です。亀鶴の滝開館8周年記念(昭和53年)に高さ15mの人工滝が作られました。奥の山から流れ落ちる滝が見えますでしょうか。ここまで来たので茶室・寿楽庵でお抹茶を頂くことにしました。純金の茶釜で沸かしたお湯でお抹茶を点てられました。香炉(河井寛次郎作)、台子、皆具、釣戸棚(横山大観筆)どれも年代物の貴重なものばかりでした。静かな茶室で心を落ち着けお抹茶を一服頂いたのが良い思い出になりました。その後、ミュージアムショップで記念に買い物をして足立美術館を後にしたのでした。(つづく)
2024年05月27日
コメント(14)
5/15(水)に出かけて砂の美術館、鳥取砂丘、浦富海岸を訪れ、翌16日(木)・旅2日目の事です。きっと混むだろうと早めにホテルを出て向ったのは足立美術館です。皆さんがこの前で記念撮影をされるのでなかなか撮影ができず、わずかな瞬間に撮りました。新館1階、2階は美術品の展示がしてありますが、撮影禁止なので現代日本画を鑑賞してきました。庭園のみ撮影ができました。アメリカの日本庭園専門誌が全国1000か所以上の庭を対象に実施している「日本庭園ランキング」で2003年から連続日本一に選出されています。それでは本館1階に移動しましょう。一眼レフだと暗いですが、スマホだとこんな感じです。そしてここから魯山人館へ行きました。魯山人は美と食を極めた芸術家だと言われますが、本当にたくさんの陶芸作品が展示されていたので実物をじっくり拝見してきました。また書・篆刻・絵画も素晴らしいものばかりでした。彼は芸術的な才能に恵まれた方だとよくわかりましたが、時間の経過とともに記憶も薄れてしまうので本を買ってきました。少し進むと安達美術館創設者・足立全康氏の像が庭の案内をしていました。「歓迎の庭」では花鳥風月を愛で、自然の四季を大切にする人々の心を優しく受け止め、静かに迎えてくれました。向こうには苔庭が広がっていました。杉苔を主体とした京風の雅な庭園です。それでは本館1階に入りましょう。ここからはすべて窓を通して撮影しました。苔庭の続きです。枯山水庭が窓から見えました。窓枠がまるで生の額絵になっています。春夏秋冬の日本庭園の移り変わりが同じ場所で撮られていました。四季によってこのように景色が移り変わります。「庭園もまた一幅の絵画である」と書かれていました。まさにその通りだと感じる庭園でした。その後、本館2階の小展示室から大展示室へ移動しながら横山大観特別展示室の作品を鑑賞してきました。(つづく)
2024年05月26日
コメント(20)
山陰海岸国立公園内で「山陰の松島」と呼ばれる浦富(うらどめ)海岸、島めぐり遊覧の続きです。洞穴、洞門、洞窟の他に岩盤や断崖、岩の節理などが写真からわかりますでしょうか?白粉の断崖(おしろいのだんがい)岸壁が白く塗られた高さ約70mにもなる絶壁。白く見えるものは野生の鵜の糞のあとです。冬から春にかけてユーモラスな姿が間近で見られるそうです。こんなところでシーカヤックに乗っている人を見かけました。するとあちらでもカヤックに乗る人達が入江に入って浅瀬で海中観察をしました。昆布のような海草の間を小さな魚が泳いでいるのが見えました。駱駝島(らくだじま)・石垣島駱駝の形をしている島は船が思ったより速く進んでいくので、ちょっと写せませんでしたが、二つの島の間は約6mで海が荒れてない日は遊覧船がこの狭い間を通り抜けます。2つのこぶのラクダが座った形に似た島が駱駝島でお城の石垣の形にみえるのが石垣島です。この辺り一帯は海域公園に指定されて海水の透明度が高く美しいです。鴨ヶ磯海岸(かもがいそかいがん)庭園のように大小無数の島が点在した入江は風光明媚な海岸で、がんの群れが遊ぶ磯であるためこの名が付きました。この渚の白砂は主に長石、石英からできていて硝子を砕いたように透明で天然記念物に指定されています。砂浜に観光客の姿が見えるでしょうか。船も入江の中を回りました。 菜種島・菜種五島(なたねじま・なたねごとう)高さ60m、周囲約400mのひときわ大きな島で春には野生化した菜の花が咲き乱れるところから名前が付けられました。まだ菜の花が咲いてました。黒島(くろしま)田後港の沖合500m、黒い小さな島は凝灰角礫岩でできているそうです。遠くから眺めると黒く見えるのでこの名前が付きました。尚、ほとんどの島は薄紅色の花崗岩でできているそうです。帰りはスピードを出す、出す。まるで海の上を滑っているのではないかと思うぐらい速かったです。向こうの方に鳥取砂丘が見えましたが、速すぎてシャッターが下りた時にはかなり進んでいました。黄土色に写っているのが砂丘の砂です。浦富海岸から鳥取砂丘までは車で10分の距離です。そして遊覧船乗り場に戻ってきました。さあこれからホテルまで約1時間半のドライブです。そして午後5時過ぎにホテルに到着し、7階の部屋に落ち着いたのでした。(つづく)PS) 今日は午後、岐阜市までコンサートに出かけます。楽しんできたいと思います。
2024年05月25日
コメント(18)
鳥取砂丘から駐車場に戻るとちょうどお昼時で近くのお店で昼食を済ませた後、浦富(うらどめ)海岸島めぐり遊覧船乗り場に向かいましたが、そこは鳥取県岩美町にあり山陰海岸国立公園になっています。船の揺れが少ないクルージングができる遊覧船(所要時間40分)は出発時間が遅く、仕方なく冒険クルージングの小型船(所要時間50分)に乗ることになりました。こちらは遊覧船では通れない狭い航路を通り洞門や洞窟、水深の浅い入り江にも入りました。ホテルに到着時間が遅れることを連絡して乗船。後でわかったんですが、翌日は波の高さが5m、翌々日は3mだったそうでこの日に乗船できて本当に良かったです。いざ出航!浦富海岸は「山陰の松島」とも呼ばれています。千貫松島(せんがんまつしま)ちょっと見えにくいですが、頂上に見事な松が生えています。江戸時代寛文年間、鳥取藩主の池田候が船遊びをされた際、「我が城の庭にこの岩付きの松を移しかえた者に銀千貫を与えようぞ。」といったところからこの名がついたそうです。今の松は2代目で昔をしのばせる美しさを見せています。よく見ると貝殻がびっしりついてました。岩燕洞門(いわつばめどうもん)は時期になるとたくさんの岩ツバメが天井に巣をかけていたのでこの名がつけられましたが、最近は場所を変えたそうです。観音裏・西大島大小無数の島が点在した入り江で平城天皇の大同元年3月にこの小島の海底から黄金の観音像が発見されたことから名づけられました。昔は船の避難場所にも利用されたそうです。蜩洞門(ひぐらしどうもん)地層浸食の代表的なもので、奥の山間から清らかな水が流れ出ています。他にも多くの洞門、洞窟、断崖がありました。海の耶馬渓とも呼ばれます。小型船なので洞門の中に入っていきました。水はエメラルドブルーのようでした。海の色もグリーンで綺麗でした。太郎兵衛島太郎兵衛島はその昔、太郎兵衛という漁師がこの島の沖合で大しけにあい船が難破。この島に泳ぎ着き九死に一生を得た太郎兵衛が終生大切にしたことから付けられたそうです。洞門をくぐりました。これで半分ぐらい来ました。続きは後編で載せたいと思います。(つづく)
2024年05月24日
コメント(14)
屋外にあったフランス食文化の像を見て、ふと足元を見ると小さな動物の砂の像がありました。屋外なので雨に当たって少し崩れているのもありました。その後、鳥取砂丘へ移動しました。相方は2年前に、私は50数年前に来た鳥取砂丘を目の前にして、二人ともその当時の元気はどこへやら。砂丘のてっぺんまで登る自信がなく、どうしようかと思案しているところを後ろから撮られてしまいました。せっかくここまで来たのだから登ってきたらと背中を押されて登ることにしましたが、相方は椅子に座っていつまでも待っているからと言うだけ。サラサラの砂に足をとられながら写真を撮りながら進みました。残り3分の1まで来たのはいいけれど、そこからが辛かった。咳は出るし、前に進んでいるつもりが蟹のように横歩きになってしまい歩いても歩いてもなかなか前に進みません。やっとのことで砂丘のてっぺんに登りました。しばらく日本海を眺めながら呼吸を整え一休み。帰りは足取り軽くスタスタと歩けました。目の前に見えてはいるものの歩いても歩いてもなかなか…結構長く感じましたが、やっとのことで待ち合わせ場所に到着。かなり運動したのでお腹がすいてきました。(つづく)
2024年05月22日
コメント(16)
砂の美術館の前編を紹介しましたが、この作品を作り上げた方々は世界12か国20名の世界トップクラスの砂像彫刻家の皆さんたちです。そして常に崩れるリスク、重力とのせめぎ合いの中、鳥取の砂で制作されました。鳥取の砂は細かいパウダー状なので、砂の粒子がよくかみ合う性質があるため、リスクの高い造形にも耐えることができるのだそうです。それでは砂で世界旅行・フランス編の後編をどうぞ。「フランスの森」美しく広大なフランスの森はかつては王侯貴族の狩猟の場でした。狩りに出かけるルイ14世とハンターが彫刻されています。鹿や熊、オオカミなどの動物や生い茂る木々の上にはフクロウや山猫も隠れています。「フランス美術ー民衆を導く自由の女神」19世紀フランスの画家ドラクロワによるルーブル美術館所蔵の名画1830年パリで起こった7月革命「栄光の3日間」とも呼ばれます。小説「ノートルダム・ド・パリ」ヴィクトル・ユゴーが1831年に発表した小説、ノートルダム大聖堂の鐘つきがジプシーの美しい踊り子に恋をして…3階に上がって眺めたヴェルサイユ宮殿です。3階からの全体像です。「フランスのファッション」常にモードの最先端を創造するファッション文化の象徴を表現してます。屋外に出ると展望広場に「フランスの食文化」という展示がありました。世界三大料理に数えられるフランス料理。シンプルな宮廷料理が16世紀にイタリアの影響を受け、フランス革命で宮廷を離れた料理人が街にレストランを開店すると庶民もフランス料理を楽しめるようになりました。次回は展望広場にあった面白いものをもう少し紹介します。(つづく)
2024年05月21日
コメント(14)
さて、今日から5/15(水)~18(土)鳥取、島根のドライブ旅を振り返ります。走行距離は1,227キロでした。岐阜、滋賀、京都、大阪、兵庫、岡山、鳥取と車で走りました。行きは3回SAで休憩をとりながら。旅行中はスマホで撮った画像を載せましたが、今日からカメラで撮った写真を載せようと思います。一眼レフカメラで撮った写真をかなり小さく編集してあります。実際のスケールは本当に大きく目を見張るものがありました。それではご覧ください。砂で世界旅行・フランス編です。では砂の美術館へ入っていきましょう。砂の美術館は2006年に開館しました。ほぼ毎年テーマを替えて展覧会を開催しています。今回は「パリ2024オリンピック・パラリンピック」が開催されるのでフランスを選定されました。砂と水だけで圧縮した砂の塊を彫刻してあります。ノートルダム大聖堂(パリ)が正面手前に現れました。「パリの風景」です。パリの風景の全体像です。セーヌ川の左岸にはドーム屋根の裁判所、フランス革命の監獄として使用されていたコンセルジュリー、手前の橋はシャンジュ橋、右にオルセー美術館、手前左右にノートルダム大聖堂にあるキメラの像の塔「建国の王 クローヴィス」「百年戦争」百年戦争の全体像です。「ジャンヌ・ダルク」「ベル・エポック」「自由フランス」ナチス・ドイツに占領されていた第二次世界大戦中シャルル・ド・ゴール将軍が亡命先のロンドンから国民にレジスタンス(ナチスに対抗抵抗運動)を演説しました。「観光大国フランス」高さ12m重さ48tの巨大な機械仕掛けの象「グラン・エレファン」(中)モン・サン・ミッシェル(右)シュノンソー城(左)「ナポレオンの戴冠式」(全体像)ナポレオンの戴冠式は3枚の写真に分割して大きく写しました。「絶対王政」「フランス革命」処刑場の革命広場に集まった人々の興奮と革命前のルイ16世とマリー・アントアネットルイ16世とマリーアントアネットの優雅な姿が対比的に表現されていました。「ヴェルサイユ宮殿ーバッカスの泉水」フランス文学の「レ・ミゼラブル」ヴィクトル・ユゴーの小説を表現してあります。長くなりますので歴史的な事実の解説や観光地の説明をかなり省きました。これで前編を終わります。明日は後編に続きます。・・・今日からダンスレッスンが始まりました。朝一番に足つぼマッサージを受けたので足が軽くなりました。それでもダンスの先生からは今日は疲れているので背中と腰がピンと伸びていないと言われてしまいました。午後、整体師さんに身体全体のコリをほぐしてもらいました。(つづく)
2024年05月20日
コメント(12)
3泊4日の鳥取、島根のドライブ旅もいよいよ最終日になりました。まず最初は昨日海のかなたに沈んでいく夕陽がきれいだったので紹介します。そして4日目の朝もしっかり食べて出発。前日、午前10時から乗船と予約してあった米子の加茂川・中海遊覧の場所をぐるぐる探して回りました。ナビに入れても出てこなかったんです。早くホテルを出てきて良かったと思うぐらい場所を探し当てるのに時間がかかりました。お客は私たち2名だけ。船頭さんと水先案内人の計4名だけで遊覧に出かけました。まるで貸し切り船でした。大国主命や神話に出てくる神々が話し合ったという山々の紹介(中)や大山と女性の寝姿にみえる山々(下)を紹介してもらいながら加茂川から中海に出て40分ほど遊覧してきました。海水50%、真水50%の中海です。そして到着して車に戻るとホテルから電話があり、部屋に私のカメラが忘れてあるとのこと。ニコンの一眼レフなので皆生温泉のホテルまで取りに戻りました。そしてガソリンを満タンにしてお土産を買ったところで昼食を済ませ高速を鳥取、岡山、兵庫、大阪、京都、滋賀、岐阜と走り途中米原~関ヶ原間で名神の集中工事のため30分の渋滞があり、結局7時間かかってようやく市内に到着。途中で車から降ろしてもらい1時間半遅れで国際交流協会の総会に飛び込みました。その後事務局長と話をして午後10時ごろ帰宅しました。おかげさまで無事に帰宅しました。取り急ぎご報告まで
2024年05月18日
コメント(10)
鳥取・島根の旅も3日目になりました。朝からしっかり食べて出発です。向かった先はJR由良駅(コナン駅)です。駅前に駐車して青山剛昌ふるさと館まで片道1キロ以上を歩きました。実は2年前のGWに相方はすでに訪れていたんですが、GWという事で3時間待ちだと言われて断念しました。昨日訪れた水木しげる記念館も2年前は木造建築で水木しげるロードは台風通過後の大嵐で車から出ることができず、断念したので2か所とも2年ぶりに実現できたのでした。満足できたようで良かったです。そしてワイン直売所に立ち寄り赤とロゼのワインを買い求めました。ウクライナのワインも売ってました。次に向かったのは白兎神社。ナビに入れても出てこないので20キロから30キロぐらい反対方向に走り、引き返してきました。本日の日本海は波の高さが3m、昨日派5mでしたから2日とも中止になっているでしょうし、一昨日小型船で遊覧しておいてよかったです。そしてやっと白兎神社に到着。神話「因幡の白うさぎ」で有名な神社です。石段を登って白兎神社に参拝してきました。最後に向かったのが鳥取空港です。国際線の建物には「鳥取砂丘コナン空港」と書いてありました。送迎デッキまで上がりましたが、飛行機は一機もいませんでした。行きも帰りも目に付いたのが風力発電の風力タービン(風力発電機)です。日本海からの風がかなり強いですから風力タービンがゆっくり回っていました。今日も長距離を移動しました。運転手さん、お疲れ様でした。
2024年05月17日
コメント(12)
旅2日目の事です。朝食をしっかり食べて、皆生温泉から島根県に向けて出発。向かったのは足立美術館です。相方は2年前に訪れて分厚い本を数冊買って来てくれたんですが、やはり実際にこの目で見るのとは全く違いますね。朝8時過ぎにホテルを出た頃は車のフロントガラスに雨がポツポツ当たってワイパーを使うぐらいでしたが、足立美術館に到着して日本庭園を眺める頃には雲が流れ、青空が見えてきました。北王路魯山人の陶芸作品、自身が絵を描かれた掛け軸、色々な美術工芸品を見て回りましたが、本当に芸術的な才能が豊富にあるのを感じました。そして横山大観の日本画をはじめ所蔵品の日本画家の作品もたくさん鑑賞してきました。ゆっくり色々と角度を変えて日本庭園を充分堪能してきました。足立美術館を作られた創始者の銅像もありました。茶室・寿楽庵でお抹茶もいただいてきました。その後、米子空港(米子鬼太郎空港)へ行き、3階のデッキまで上がりましたが、急にどしゃぶりになって私もずぶぬれになってしまいました。バスのラッピングもゲゲゲの鬼太郎キャラクターばかりでした。この地方にも低気圧の影響で大荒れの天気になりました。その後、境港まで出かけてデラックスな海鮮丼を頂いてきました。新鮮でおいしかったです。最後は水木しげる記念館に行きました。相方が2年前に訪れた時はまだ木造建築だったそうで、リニューアルされて真新しいビルになってました。今までゲゲゲの鬼太郎しか知らなかったんですが、幼少のころから晩年まで知ることができました。本当に辛い戦争体験もたくさんされたけれど、昔から絵に関しては才能のある方で、逆境にも負けず才能を開花されていったことを知りました。お天気は回復せず、今日の観光はここまでにしてホテルに帰りました。
2024年05月16日
コメント(14)
今朝は早朝に起床し、午前5時に自宅を出て愛知、滋賀、京都、大阪、神戸、岡山をひた走り昼頃鳥取に着きました。途中3回ほど休憩を入れながらドライブ。と言っても慣れた相方の運転ですが。カメラで撮った写真は後日帰ってから載せることにしてスマホで撮った画像を少しだけ載せておきます。これは3回目の休憩を宝塚でしたときの画像です。リボンの騎士がいて、庭園も綺麗でした。相方は前回鳥取を訪れた際、砂の美術館が休館中で見ることができなかったので今回見ることができて良かったそうです。私も圧倒的なスケールに感動しました。鳥取砂丘は実に50数年ぶり。あと3分の1というところで咳が止まらず飴をなめても収まらず苦しんで苦しんでサラサラの砂に足をとられながらやっとのことで砂丘の頂上へ上りました。日本海が見えました。次に山陰海岸国立公園、浦富海岸を波しぶきを身体に浴びながら小型船に乗って青の洞窟の見学もしました。実はHawaiも通過しました。皆生温泉のホテルに到着し、温泉で疲れをとりました。夕食です。二人とも食べすぎました。7階に宿泊です。とりあえず本日の経過報告まで。
2024年05月15日
コメント(18)
いよいよ蒲郡の旅も今日で最後です。ランタンストリートを通り抜け、ステライルミネーションを見た後、またランタンストリートに戻って通り抜け、ルナポルトでウォーターイルミネーションを見ました。その様子です。確かクリスマスソングの「もろびとこぞりて(讃美歌)」の音楽に合わせて噴水ショーが始まりました。動画を数本とったので写真はこれだけです。色とりどりの噴水が天高く上がりましたよ。最後に360度広がる3Dマッピングショーを見ました。壁に映し出された映像と音楽を楽しんできました。こちらも動画を撮ったので写真はこれ1枚だけです。壁を360度使って壮大な映像が広がっていきましたので、観客の皆さんはぐるっと1回転しながら映像を見渡しました。とちおとめ、章姫、紅ほっぺのイチゴ狩りをして、蟹御膳を食べ、海鮮市場で買い物をして、イルミネーションと3Dマッピングショーを楽しんでバスは蒲郡を午後7時過ぎに出発し、午後9時頃には自宅に着き、長い1日は終わりました。(おわり)今日は節分ですね。十三月とイワシの頭とヒイラギの葉を鬼門に貼り付けて「鬼は外、福は内」と言いながら豆をまいて鬼を退散させましょう。「福は内、福は内、福は内」と3回唱えて福を呼び込みましょう。年の数だけ豆はもう食べられませんので少しだけ食べようと思います。恵方巻はハーフだけ東北東を向いていただきます。
2024年02月03日
コメント(18)
ラグネシアイルミネーションの続きです。こちらはランタンストリートと呼ばれ、巨大なランタンのイルミネーションが柔らかい光を放ち、まるで海の中にいるような幻想的な世界でした。ご一緒に歩いてみてください。ランタンストリートを歩いていくとアトラクションがある「ステラパーク」に出てきました。こちらもキラキラ輝くイルミネーションが施されてファンタジーな世界が広がっていました。こちらのエリアは明日に続きます。(つづく)今週のサポートボランティアも月、火、水、木の4日間で終わりました。6年生の調理実習はこれで終わりです。硬い人参や滑りやすい玉ねぎを切る時に包丁で怪我をする児童もいなくてほっとしました。みんな自分で作った料理はおいしかったそうで、あっという間に完食でした。来週は5年生のミシンの使い方が3日間あります。今度はエプロンに取り掛かります。
2024年02月02日
コメント(18)
ラグナシアの続きです。そろそろ日も暮れてきたし、海風が強く寒いので天空の幻想庭園から戻ることにしました。幸運のレインボーアーチを見上げながら通り抜け、帆船の横を通りワンダーランドを遠くに見ながら歩いて向こうに見えるのはバハムートの神殿です。ジョイアマーレの浜辺を通りセイレーンの泉やルナポルトを通り海の生物の世界にやってきました。明日へ続きます。(つづく)いつも読み聞かせに出かける小学校へ昨日は朝8時に出かけ、午前中は6年生の調理実習のサポートボランティアを2クラスしてきました。にんじん、玉ねぎ、ピーマン、ハムを切るのを見守りました。野菜が硬くて滑りやすいので手を切らないか見守ったのです。強火で炒めて、出来上がったのを子供たちが食べました。自分で作ったのはおいしいと口々に話してくれました。↑私たちも昼食に帰らず、給食を頂きました。そして午後は5年生の家庭科のミシンの使い方をサポートしました。午後3時半過ぎに自宅に戻り、夜は午後7時からのある会に出席して自宅に戻ったのは午後9時頃でした。朝から夜までとても長い1日でした。
2024年02月01日
コメント(20)
ラグーナテンボス・ラグナシアへ到着したのが午後5時過ぎ。午後5時からイルミネーションが点灯するはずですが、何せ日が長くなってきたのでまだ明るいのです。イルミネーションの点灯時間は過ぎていました。それで一番奥まで行くことにしました。レインボーアーチもまだはっきり見えません。雲海とオーロラの天空の幻想庭園が始まるまでにもう少し時間がありそうです。ツリーインザスカイです。↓午後5時半までもうしばらく時間をつぶすことにしました。(ちょっと見苦しい格好でごめんなさい)こちらは青の宮殿です。空はまだ明るいです。やっと午後5時半になり5分間のショーが始まりました。スモークが雲海となるはずでしたが、風が強く吹いているので雲海が流れて行ってしまいました。天空の幻想庭園は動画を撮ったので写真はありません。やっとあたりが暗くなってきました。レインボーアーチが綺麗になりました。それでここから引き返すことにしました。(つづく)一昨日から5年生の家庭科の授業、ミシンの使い方のサポートにボランティアとして出かけてますが、昨日も午後1時半に自宅を出て午後2時から3時35分までサポートをして午後4時前に帰宅しました。児童がミシンを使うサポートをしながら午後の時間を楽しく過ごしてきました。今日は朝8時過ぎに出かけて午前8時半から午後3時半過ぎまで6年生の調理実習のサポートを2クラスと5年生のミシンの使い方のサポートを1クラスしてきます。ダンスレッスンは休ませてもらいました。
2024年01月31日
コメント(20)
今日からまた蒲郡の旅を振り返ります。と言ってもそれほど多くありませんが、記録として載せます。1月28日(日)の事です。各地からバスが4台、蒲郡に向かいました。まず最初に昼食の予定でしたが、道路がスイスイ行けたので予定の時間より早く到着してしまいました。すると昼食会場は準備ができていないという事で近くの土産物店に立ち寄り、買い物タイムとコーヒー、お茶のサービスでリラックス。やっと準備ができて昼食になりました。私たちは自宅で蟹を食べているので本ズワイガニは一肩付きで充分。(と言っても相方が食べないので私は二人分頂きましたが)蟹釜飯が多くて、きしめん鍋とでお腹一杯になりました。食後はまた買い物タイム。そして次に向かったのはいちご狩りです。前日53個食べた人が最高だったそうですが、この日も皆さん40数個食べたとおっしゃってました。私は隣の柑橘類の方が好きなんですけどね。そして蒲郡海鮮市場に行き30分間買い物タイム。食べすぎたので運動と思って海鮮市場の中をよく歩きました。最後の目的地、ラグーナテンボス・ラグナシアに行く前に通りを挟んで向かいのフェスティバルマーケットに立ち寄りました。そこでまたお買い物と軽食タイムですが、私たちはもうそんな気もなく、ただ景色を眺めて過ごしました。そしていよいよラグーナテンボス・ラグナシアに向かいます。(つづく)昨日はいつも読み聞かせに出かける小学校へ家庭科の授業をサポートするボランティアで出かけました。午前9時半から11時半まで6班に分かれてミシンを使う練習をしました。先週1人1回ずつ「から縫い」と下糸と上糸のセットの仕方等を教えてもらっているので復習がてらから縫いをしてから糸で直線縫いをして、次に端まで着たら方向を変えて縫う練習をしましたが、なかなか思い通りにはいかず、糸が玉になったり下糸が切れて縫えなかったりとハプニングが続出。困ったところをフォローをして回りました。1テーブル6名と5名の所があって児童の興味が失せないように声掛けをしたり、励ましたりしながらあっという間に時間がたちました。写真は途中の休憩時間に撮りました。子供たちと楽しい時間を過ごせました。来週も出かける予定です。
2024年01月30日
コメント(20)
昨日は朝8時から月1回のボランティアの掃除をしてから蒲郡へバスの旅をしてきました。昨夜はイルミネーションを観てから帰途につきましたので、自宅に戻ったのは午後9時を少し回っていました。そして今日から3日間小学校へ出かけ、本日は午前中、午前9:30~11:25まで明日は14:00~15:35まで明後日は13:30~15:35まで5年生の家庭科授業にミシンで練習布に直線縫いをするサポートボランティアをしてきます。そしてすぐにダンスレッスンに走ります。今日はざっとバス旅を紹介して後日詳しく載せますね。昨日は当市から蒲郡まで出かけましたが、道路は渋滞もなくスイスイ行けたので、昼食の準備が間に合わず、途中で寄り道をしてお買い物。コーヒーやお茶で休憩してから昼食会場のオレンジパークへ行き、蟹御膳を頂きました。昼食後も買い物を楽しみ、次にいちご狩りをしに移動しました。旬のいちごを30分間食べ放題でした。練乳がついてました。添乗員さんの話では前日最高53個食べた人がいたそうです。昨日は皆さん40数個は食べたようです。次に向かったのは蒲郡海鮮市場です。ここでもまた皆さんはたくさんの買い物をされました。旅の楽しみは食べることと買い物ですものね。まだ明るいのでラグーナテンボス・フェスティバルマーケットへ立ち寄り、また買い物と食べ歩きをしました。最後にラグーナテンボスのラグナシアでイルミネーションとプロジェクションマッピングを楽しみました。午後5時半から幻想的な雲海とオーロラが広がるはずでしたが、風が強かったのでスモークが流れてしまいました。そして少しずつ日が長くなってきたので、なかなか暗くならないのでした。やっと暗くなり始めました。こちらは噴水ショーです。こちらはプロジェクションマッピングの会場です。動画で撮りましたので、写真はこれしかないです。今日はざっと紹介しました。後日もう少し詳しく載せますね。(つづく)
2024年01月29日
コメント(18)
さて、年末年始の旅行記も今日で最後です。前日1/1に石川県能登半島で大きな地震が発生して旅をしている気分にはなれず、急遽帰ることにしました。1月2日は当初午後2時過ぎの新幹線で発つつもりでしたが、午前に変更してもらうことにしました。しかし「のぞみ」は全席指定ですので、すでに満席。グリーン車ならほんの少しだけ席が空いていたので、めったにないことなので午前10時過ぎのグリーン車で帰ることにしました。乗り継ぎ、乗り継ぎやっと自宅に到着。震度4だった岐阜の自宅は何も変わらずほっと安堵の溜息をつきました。能登半島地震で犠牲になられた方々には心よりお悔やみ申し上げます。そして大きな被害を受けられた方々には心よりお見舞い申し上げます。今なお復旧が進まず避難所や車の中で生活されている方々には寒い中、どうぞお体に気を付けてお過ごしください。長い間、旅行記をご覧いただきありがとうございました。最後に倉敷と岡山で写してきたマンホールの蓋を記念に載せておきます。カメラで撮った分です。スマホで撮った分もまとめて載せます。以上倉敷と岡山で撮ってきた汚水槽と消火栓などの蓋でした。これで倉敷・岡山の旅を終わります。(おわり)昨日小学校へ読み聞かせに出かけました。6年生のクラスで昨年度ノーベル生理学・医学賞を受賞したカタリン・カリコ博士の事を読み聞かせしました。長いお話なので時間内に読み終えられないかもしれないと本文を要約して持っていき、児童二人にページをめくるお手伝いしてもらいましたが、マスク姿でメガネが曇って読みにくかったので、マスクを少しずらして読みました。読み聞かせを終えて校長室まで戻ってくると職員室と校長室の前にロサンジェルス・エンジェルス・オブ・アナハイムの大谷翔平選手が日本全国の小学校約2万校へ計6万個のグローブを寄贈したうちの3個が並べてあるのに気づきました。大谷選手の手紙も添えてありました。小学生も大勢ここに来てグローブをはめてみたり、手紙を読んでおしゃべりをして楽しんでいると校長先生がおっしゃってました。私もグローブをはめてみましたが、とても軽かったです。グローブは右利きの子用、左利きの子用のものがありました。そしてすべてのグローブに大谷選手のサインが書いてありました。文章には「(前略) 私たちの次の世代に夢を与え、勇気づけるためのシンボルとなることを望んでいます。(後略)野球しようぜ。大谷翔平」と書いてありました。次世代の子供たちに夢をもって育ってほしいという願いを込めて贈られたグローブは素晴らしい活動だと思いました。
2024年01月24日
コメント(18)
旅先で2024年が明けました。元日なので神社仏閣に初詣でをすることにして、タブレットでホテルの近くを検索してみました。そしてホテルからタブレットを見ながら歩き続けてやっと見つけたのはこの小さな神社。道通神社と書いてあるような気がしました。少し歩くとお稲荷さんがあり、法随稲荷と書いてありました。こちらは莱豊大明神と書いてありました。いったん駅まで戻って岡山神社へ行くことにしました。SUN STATION TERRACEの前のポストの上には桃の鉢巻きをした可愛い桃太郎さんが頬杖をついて寝そべっていました。それには後楽園行きのバスに乗らないと行けません。するとお正月なので直行の臨時バスが出ていました。そのバスで後楽園に到着し、そこから歩いて鶴見橋を渡って岡山神社へ着きました。元日なので岡山神社は御祈祷する車と初詣の参拝客で混雑していました。干支の龍の前で記念撮影する人の波も絶えませんでした。やっとのことで誰もいない瞬間を狙ってパチリ!そして神社の本殿を参拝する人達の列は延々と続き鳥居の外へも延々と続いていました。この行列の後ろはどこかと歩いて探しましたが、向こうの角を曲がって、ビルの後ろまでずーっと続いていました。これでは1時間待っても本殿まで到達できないだろうとあきらめて列の外から参拝して引き返すことにしました。堤防で岡山城を眺めてしばらく休憩。その後、歩いて後楽園に戻りました。1日から3日まで催し物をやってましたが、名勝・後楽園はすでに見学したので元日は入り口付近の茶店でワッフルを食べたり水分補給をして過ごしました。そしてバスで岡山駅まで戻り、駅中のお店で昼食をすませ買い物を少しだけしてその後、ホテル4階の部屋に戻りPCを立ち上げ写真の編集をしていると急にグラグラと揺れ始めました。午後4時10分頃(正確には4時6分)でした。最初は疲れでめまいを起こしているのかとも思いましたが、余りにも揺れが大きいし長いので、テレビをつけると、N局の女性アナウンサーが大声を張り上げて「すぐに津波がやってきますから、何も持たずにとりあえず高いところへ避難してください。」と何度も何度も繰り返し叫んでいました。そこで初めて石川県輪島市付近で震度7(マグニチュード7.6)の大きな地震が発生したことを知りました。岡山県は震度3でしたが、4階はかなり揺れました。家族が住む岐阜、愛知、京都(奈良)は震度4でした。幸い家族は全員無事でしたが、震災地では火事も起こり大変なことになっている様子がテレビに写し出され、被害は次第に拡大していきました。その日は深夜まで地震情報を見て過ごしました。(つづく)今朝は今年初めての読み聞かせに小学校へ出かけました。6年生のクラスに入ってこの本を読み聞かせしました。
2024年01月23日
コメント(14)
今回も12月31日大晦日の事です。レンタカーで鬼ノ城(鬼城山)まで出かけ、山登りの後は備中高松城址へ行くことにしましたが、突然黒い雲が流れてきて雨が激しく降りだしました。仕方なくしばらく車の中で雨が小降りになるのを待ちました。黒い雲が流れて行ったので、車を走らせていると備中高松城址へ着いた頃には雨がやみました。『高松城は1582年の中国役の主戦場となった城跡で有名です。城は平城(沼城)で石垣を築かず土壇だけで築城された土城です。』『全国統一を目指した織田信長は西進を図り毛利方と対峙しました。織田軍の先鋒、羽柴秀吉は3万の兵で南東部に侵攻し次々と攻略し、最後に高松城の周囲に約2.6㎞の堤防を12日間で築き、梅雨を利用して足守川の水を引き入れ水攻めを敢行。籠城1か月余りで城兵が飢餓に陥った頃、本能寺の変が起きました。秀吉は毛利との講和を急ぎ、高松城主・清水宗治の切腹と開城を条件に休戦を成立させ落城させました。本丸跡には宗治の首塚があります。北西の家中屋敷跡には宗治の遺骸を埋葬した胴塚もあります。』と書いてありました。高松城址が残っているだけと思いましたが、高松城水攻図でわかりやすく当時の状況を表していました。東から見ていきましょう。右に大鳥居が立っています。大鳥居の左側、東には羽柴秀吉軍がいました。その左には宇喜多忠家軍もいました。北には津田与左衛門軍がいました。左には加藤清正軍もいました。西軍の陣地には吉川元春軍と楢崎十兵衛軍がいました。南は小早川隆景軍がいました。そして高松城水攻めを再現していました。足守川の水を引き入れ高松城に流すことで本丸周辺は湖となり、孤立無援となり、城主、清水宗治は切腹して幕引きになりました。資料館は年末でお休みでした。石の碑には「大原桂南の高松城懐古」が刻まれていました。漢文で書かれていましたが、城主・清水宗治が切腹することで民を守ったことを懐古している文章だと推測しました。こちらは遠くからでも目立つ大きな鳥居でした。左の方へ数キロいくと高松城水攻築堤跡がありましたが、運転手がその気にならず、ここでおしまいにしてホテルに戻ることにしました。大晦日なので岡山駅の中にあるお店まで出かけ夕食に年越しそばを食べました。そして大晦日恒例の「第九」をテレビで見て過ごしました。この夜は翌日に平穏な元日が来ると信じて疑いもしませんでした。(つづく)
2024年01月22日
コメント(12)
12月31日大晦日の事です。この日も岡山のTレンタカーのお店で車を借りて50キロのドライブをしました。あまりいいお天気ではなく、途中で雨が降ってきました。向ったのは鬼ノ城(きのじょう)です。ところが、カーナビに鬼ノ城を入れると、途中から車1台がやっとの細い道を走るように案内されました。途中で対向車が来たらどうしようとびくびくしながら山の中の昔のままの田舎道を登っていきました。ハラハラドキドキの連続でしたが、なんとか無事に到着。鬼城山(鬼ノ城)の説明によると、鬼ノ城は標高約400mの鬼城山に築かれた壮大で堅固な山城で、眼下の総社平野には集落が営まれ、役所、寺院などが造営されていたそうです。傘を差しながら鬼城山を登り始めたのですが、たかが400m、されど400mで気管支の弱い私にはとてもハードで息絶え絶え。途中で写真を撮る余裕はなかったです。やっとのことで前の方に何かが見えてきました。こちらの建物は立ち入り禁止になってました。私たちがいる場所は角楼跡でした。角楼跡の説明には「日本の古代山城です。中国の城郭でいう「馬面(ばめん)」、朝鮮半島での「雉(ち)」に当たります。ここは尾根続きで攻められやすいため、城壁の死角を補い防御力を高める目的で城壁の一部を長方形(13×4m)に張り出しています。下半部は石垣積みでほぼ4m間隔で一辺50cmの6本の角柱が石垣の間に建っていたことがわかりました。」と書いてありました。角楼跡からの眺めです。小雨が降っていたので、下界はほとんど見えませんでした。登った証です。一番高い休憩舎まで登りました。山頂広場に到着。晴れていたら下界がこのように見えたはず。頂上に鬼はいなくて、同じように山登りをしてきたお父さんと息子さんが休憩していただけでした。私たちは今登ってきた道をまた降りて行ったのでした。(つづく)
2024年01月21日
コメント(18)
三百年の歴史が息づく後楽園の後半です。唯心山から下りると、井田(せいでん)にアオサギが餌を探してゆっくり歩いていました。さらに奥に向かって歩きました。歩き続けると岡山城が見える南門に到達しました。ここから入ってくる観光客や出ていく人達もいましたが、私はここから岡山城を写しただけで戻りました。そして近くの茶店でちょっと一服。素敵なお庭を見ながらの一服は本当においしかったです。エネルギー補給をして蘇鉄畑を見ながらもう少し奥まで歩きました。今の時期、花菖蒲も藤もカキツバタも見ることはできません。すると、先ほど表側から見た能舞台・栄昌の間が目の前に現れました。能舞台・栄昌の間です。花葉の池(かようのいけ)です。栄唱橋(えいしょうばし)です。ここから引き返すことにしました。栄唱の間の屋根に鳥が2羽とまっていました。後楽園の入り口にある「みどりのリズム」という像です。二人の少女が手を組んでダンスをする一瞬のポーズをとらえているそうで、製作者は清水多嘉示氏です。この辺りは1/1にまた訪れました。バス停の横のポストの上には2羽のタンチョウヅルが舞っている像がありました。この後、バスに乗って岡山駅まで戻ったのでした。そしてなぜか粉物を食べたくなったので銀だこのタコ焼きを3種類二人で食べたのでした。モデルになった相方です。夕食を食べに出かけましたが、ホテルの傍のお店はどこも年末で早々と店を閉めてしまい、唯一開いていたのがこのお店でした。こうして12/30は暮れていったのでした。(つづく)
2024年01月20日
コメント(26)
朝から倉敷の大原美術館を見学した後、在来線で岡山に移動しました。昼食後一息ついて、重いキャリーバッグを引いて歩くのも大変なのでまだチェックインするには相当時間があったんですが、念のためホテルに聞いてみると預かってくれるという事で身軽になって岡山駅前からバスで岡山後楽園へ行きました。日本三大名園の一つ特別名勝 岡山後楽園にやってきました。岡山藩主 池田綱正公が家臣の津田永忠に命じて1687年に着工、1700年には一応完成しましたが、その後も藩主の好みで手が加えられました。平四郎の松の説明です。後楽園を作る前、この辺りに住んでいた平四郎の庭先にあった松を残したそうです。初代の松は樹齢三百年近い大木でしたが、枯れたため、これは二代目です。入って左側に茶店があり、振り袖姿の娘さんがいたので記念に1枚写させていただきました。その茶店の奥で白桃ソフトクリームを食べて一服。その後、後楽園を1周しました。鳥居の近くに慈眼堂(じげんどう)があります。池田綱正が藩内の平安と池田家の安泰を願って建立しました。沢の池は広いです。唯心山が左の方に見えています。向かって左側から延養亭(藩主が後楽園を訪れた時に居間として使われました)その奥に能舞台があります。池田剛正は優れた舞手で能装束が残されています。右側全体は鶴鳴館(かくめいかん)約6メートルの築山、唯心山にも上ってみました。唯心山からの眺めです。沢の池と砂利島(じゃりしま)、中の島、御野島(みのしま)が見えます。唯心山から下りてからは明日に続きます。(つづく)
2024年01月19日
コメント(18)
12月30日、旅4日目になりました。ホテルにキャリーバッグを預かってもらい、朝9時前に倉敷美観地区にある大原美術館へ行くと、すでに長い行列ができていました。12/26~12/28まで3日間休館だったので、みんな待ちわびていたのでしょう。私たちも岡山に移動する前にここだけは見たかったのです。入り口は反対側にあります。館内は写真撮影禁止なので、屋外にあった写真を写しました。さあ入場券を買っていよいよ中に入りましょう。ギリシャ神殿のような外観は1930年当時の姿をとどめています。そして入り口の右側にはロダン作「カレーの市民ージャン=デール」の銅像が、左側にはロダン作「説教する聖ヨハネ」の銅像が立っています。これから先、本館と工芸・東洋館を見て回りました。西洋の近代美術から古代エジプト、西アジアの美術品、西洋の前衛的な作品、日本の明治以降の洋画などを本館から順に観て回り、工芸・東洋館を巡り、濱田庄司室、バーナード・リーチ室、富本憲吉室、河井菅次郎室、棟方志功室、芹沢けい介室、石仏室、東洋館と回ってきました。余りにも多くの所蔵品を観て回り、目から入る情報があまりにも多かったので、見終わったら頭がくらくらしてきました。外に出て新渓園を散策しながらやっと一息つきました。向いの分館は工事中で長期休館中でした。こちらはもと大原家の米蔵でしたが、染色家のデザインによって展示館として改装されました。外へ出てきました。倉敷美観地区ともこれでお別れです。何度も通ったこの道を記念に1枚パシャリ!夜桜はどうもヒマラヤザクラだったようです。ホテルに戻って預けていたキャリーバッグをもらって、倉敷駅から在来線で岡山駅まで移動したのでした。(つづく)元国際交流協会会長だった知人がご自宅で育てた珍しい晩白柚とチャンドラポメロという種類の大きな柑橘類を甘夏と一緒にくださいました。晩白柚には『厚い白い綿の使い方はネットで調べてください。かなりおいしいゼリー状のお菓子ができます。』そしてチャンドラポメロには『そのまま食べても、ヨーグルトにも。味も香りもよいグレープフルーツに似た柑橘類です。皮は晩白柚と同じように砂糖煮にしてもおいしく食べられます。』とメモ書きがついていました。私は柑橘類が大好きですので、皮はオレンジピールのように煮て砂糖をまぶして美味しくいただこうと思っています。ご親切にどうもありがとうございました。
2024年01月18日
コメント(16)
全783件 (783件中 1-50件目)