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本著を読んで、「社会学」というもののイメージが変わった。 というか、私が「社会学」というものを、正確に知らなかっただけだろう。 これまで、「社会学」を、統計的資料や量的調査結果をもとにしながら、 現代社会の特徴を分析していく学問だとばかり思っていた。 確かに、そこに「フィールドワーク」というものが存在することは知っていた。 私の大学時代の恩師の一人も、フィールドワークというものをしていたらしい。 と言うのも、私自身、実際にフィールドワークに参加したこともなかったし、 フィールドワークの詳細について、尋ねることもしなかったから。本著では、調査する対象に「はいりこむ」こと、そして、そこから「語り」を引き出すこと、さらに、そこから何かを感じ取るというプロセスが示される。「世の中を質的に調べる」センスが語られる。「世の中を質的に調べる」ことは、並大抵のことではないことが読み取れる。『大衆演劇への旅』の鵜飼さんの話などは、「研究」というのは、一体どのような営みのことを言うのだろう、どこまでやれば、そこに辿り着くのだろうと、真剣に考えさせられてしまった。フィールドワークについては、私自身、まだまだ未知の分野である。しかし、社会学というものに触れるとき、避けて通れそうにはない。そのことに気付かせてくれただけでも、本著は価値ある一冊となった。まだまだ、学ばねばならないことは多い。
2008.06.29
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ちゃんとした学者の先生が書いた、真面目な本です。 タイトルも、人寄せ的に付けたものでは決して無く、 そのことをテーマに掲げ、正面から本気で研究し、 その成果を、きちんと丁寧にまとめてくれています。 最近、「羞恥心」というものに興味を持ち、 『羞恥心はどこへ消えた?』と共に購入しました。 『羞恥心はどこへ消えた?』も得るところが多かった一冊ですが、 こちらは、私にとって、それ以上のものだったかもしれません。最近、ローライズパンツを着用する人たちが増えました。その結果、下着が見えることが、珍しくなくなりました。男性はともかくも、女性については目のやり場に困ることも。ただ、それは「見せパン」であり、想定内のことでもあるようですが。このように、腰部に下着が見えただけでも、私などは、ちょっと気恥ずかしい気持ちがこみ上げてくるのですが、本著を読むかぎり、このような感情は、普遍的なものではないようです。つまり、「パンツが見えて恥ずかしい」と感じるのは、ある特定の人たちだけのようです。 ***パンツをはく習慣が定着したのは、20世紀の半ば頃から。それ以前は、大抵の婦人は下着をつけていなかった。結果、今なら「パンツが見える」という状況が発生すれば、当時は、「下半身が丸見え」という状況になっていた。しかも、そのことを、あまり恥ずかしがらない女性もいたらしい……。今で言うと、「見せパン」が見られたくらいの感覚なのか……。1930年代後半から、パンツをはく習慣が一般化し、下半身が隠される状態が常態となる。そうすると、下半身を見られることに対する羞恥心が、膨らみ始めた。つまり、下半身を見られることが恥ずかしくてパンツをはいたのではなく、パンツをはくことが、羞恥心を喚起したのだ。その後、洋装の女性が急増し、スカートをはく女性が多数を占めるようになるが、1950年代になっても、女性は「パンツが見える」ことをあまり気にしていなかった。電車に座りながら、股を開き、シュミーズから腿の肉、ズロースまで覗かせていた。逆に、男性の方が、そのことを気にし始めた。ただし、1953年にショートスカートがよみがえったとき、男性たちが視覚的な娯楽の対象にしていたのは「アンヨ」の方である。1950年代後半からは、下着ブームが始まり、1960年代にはメーカー製の下着が浸透する。パンツは、玄人から素人へ、挑発用の武器から自己愛の小道具へと推移した。1960年代後半には、ミニスカートが流行。男性の間では、パンツが見えることを嬉しく思う感覚が一般化する。 ***このように「何を恥ずかしいと思うか」は、時代と共に変化します。また、その場所場所で、違いがあります。今、私たちが、当たり前だと思っている感情・感覚は、別の時代、別の場所では、決して当たり前の感情・感覚ではないのです。
2008.06.29
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「羞恥心」と言っても、つるの・上地・野久保の三人組のことではない。 彼らは、まだ、「どこへ消えた?」という状況ではない。 将来的には、いつか「あの人は、今」で、TV登場することになるのだろうが、 今のところは、時代の寵児と言えるほどの存在で、新曲もヒット間違い無しだろう。 さて、今、日本では、世の中に迷惑行為が蔓延している。 なぜ、そんなことが平気でできるのか? なぜ、そんなことをしても、恥ずかしいと感じないのか? 本著は、この「恥ずかしい」という感覚について、解き明かしていこうとする。 社会の中に自分の居場所を作り、それを保つために、羞恥心は不可欠な心の警報機である。 人類が社会に依存して生きてゆく中、進化のプロセスの中で洗練されてきたシステムだ。 従って、羞恥心の基本設計はおそらくすべての人類に共通している。 しかし、羞恥心にも環境や状況によって変化する部分がある。 具体的に何を恥ずかしいと感じるかもその一つだ。 恥の基準は、時代や文化によって異なるが、 また、自分がどのような社会的立場に置かれているかによってもずいぶん変わってくる。(p.122)その上で、著者は、こう述べる。 羞恥心が最も警戒を強めるのは、ほどほどに関係が重要で、 かつ、それほど評価が定まっていない中間的な親しさの関係ということになる(p.151)井上忠司氏の『世間体の評価』では、伝統的日本人の人間関係を「ミウチ」「タニン」「セケン」の三領域に分け説明している。最も親密な人間関係が「ミウチ」であり、地縁・血縁がないのが「タニン」。その中間に位置するのが「セケン」。「タニン」は、自己評価の不安定度は高いが、関係の重要度は低い。嫌われようが、疎まれようが、しょせん無関係な相手であり、相手が自分のことをどう評価しようが、自分にとって大きな不利益はない。だから、「旅の恥はかき捨て」などということが起こる。「セケン」の範囲は広いが、同じ村落に住む人々など地域社会との関係が、その代表格であった。そして、かつて「セケン」の機能を果たしていた地域社会が、次第に「タニン」の世界へと移行しつつある。不特定多数の人々が集まる繁華街や駅前広場、電車の中等、かつては、明らかに地域社会の延長線上にあった場所が、「セケン」から「タニン」の世界に変化してしまった。近所に住む人も、今や「タニン」であり、どう思われようと実害がない。かくして、電車の中での化粧、人前でのキス、社内での飲食、駅構内などへの座り込みは、「恥ずかしい」という感覚を誘発するものではなくなった。さらに、「セケンの基準」に代わり「ジブン本位の基準」が台頭している。何をするのも個人の自由で、他者に干渉すべきでないと考えるようになってきている。また、「せまいセケン」が乱立し、そこに独自の習慣や基準を持つようになった。そこの住人にとって、そこで「浮く」ことは、自分の居場所を失うことになる。「せまいセケン」の住人たちは、それを回避するため、地域的セケンの基準より、「せまいセケン」の基準に合うよう行動するしかない。 ***最近の人々の行動基準が、本著を読むことで、分かったような気がする。地域社会の消失と共に「セケン」が失われ、「タニン」に囲まれた世界になったこと。「ジブン本位の基準」の台頭と「せまいセケン」の乱立。これからの「個」の時代を、人々は「個」として、どう生きていけばいいのだろう。
2008.06.29
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とても良い本だと思います。 そして、こんな講義が、実際に大学で行われていることに、 大いに感心させられました。 しかも、1980年代後半に始まったと知り、東大の先進性を感じました。 もちろん、東大で行われた講義をまとめたものですから、 その内容は、東大生、中でも工学部の学生を対象としたものになっています。 ですから、就職にしても、その後の企業や省庁でのキャリアについても、 その他の大学を卒業した者と比べると、ハッキリ言ってかなり違うでしょう。それでもなお、この本は、誰でもが読む価値があると思います。できれば、大学生や高校生に読んで欲しい。本著に書かれていることを知っているか、いないかで、就職活動をしたり、勉強を進めるときに、大きな違いが出てくると思います。そして、本著ではサラリーマンとして、いかに生きるかだけでなく、家庭の中で、いかに生きていくべきかについても、きちんと触れています。しかも、そのページの割き方は、かなりの分量であり、リタイア後の人生についても、きちんと考えておく必要性を感じさせます。
2008.06.29
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またしても、五十嵐さんにやられてしまった。 私が犯人に思い至ったのは、316ページまで読んでから。 そこで、ページを逆行すると……「あった!」。 何と、こんな時点で、犯人は既に登場しているではないか! 読み返してみると、そこから230ページ余り前の時点で、 「怪しい」と気付かねばならなかった……。 それは、前作『交渉人』の犯人の犯行動機と、 今回の犯人の犯行動機との間に、共通点があったから。 しかし、それができなかったのは、犯人の術中に、いや、五十嵐さんの思惑に、私もすっかりはまってしまっていたから。そして、先を読み進めていくと、そこから十数ページ後に、遠野麻衣子が犯人を突き止める。時間切れ直前、何とか駆け込みで、私は、解答に辿り着いたというところか。ただ、爆発物設置場所と、犯人確保の場所については、ストーリーの中で、解明されるまで、私は、全く見当がつかなかった。これについては、3つの海外での事件について、かなりの知識を持ち、東京について、ちゃんとした土地勘がないと、多分無理だと思う。それにしても、203ページからの場面急転換は、見事と言うしかない。そこまでは、ごく限られた空間、ほぼ警視庁舎内だけで、ストーリーは展開し、登場人物も、主人公・遠野麻衣子はじめ、数名が登場するに留まっている。それが、爆発的に、広範囲・多人数を巻き込むパニックへと拡大していく様は、圧巻。特に、<ちゃんねるQ>の掲示板のやりとり、派手なネイルアートをした女性の携帯電話でのやりとり、不特定多数の携帯電話のやりとりを列挙することで、その様を、リアルに再現して見せたところは、映画の一場面を見ているようだった。 ***本著は、タイトルに『最後の事件』とあるため、そのつもりで、最後のページまで読み進めてきたが、最後のページで、島本が語った一言が、ファンにとっては、最高のプレゼントだったのではないだろうか。
2008.06.29
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六〇歳と言えば、私にとって、まだまだ先の話だが、 平均寿命以上の年齢まで生きる予定をしている私にとって、 それは、将来、間違いなくやってくるはずの時であるし、 その時になって、それ以降の人生を考えたのでは、遅すぎるのは明らか。 さらに、こうしている間にも、自分自身、どんどん歳をとっていくけれど、 親の方はと言うと、私自身より、さらに一歩先の老齢を生きていく。 だから、いつかは、確実に、親の介護問題が発生する。 これからの人生を考えるとき、そのことは、決して避けて通れない問題。そんな、あれこれの事情から、本著を読んでみることに。『定年の迎え方』と立て続けに読んでみると、今まで、あまり考えることがなかった事柄に触れることができ、さらに「生きる」ということについて、考えさせられた。 ***本著では、人生80年をマラソンに例え、最初の20年を助走段階、社会人になってからの40年を集団マラソンの時期、そして、最後の20年を個人マラソンの時期としている。この個人マラソンを、自分のペースで、誰にも比較されず、気の向くままに、楽しく走ろうと、著者は言う。相手がいないのだから、そこに、勝ち・負けなどなく、求めるものは、充実感と納得だけと言う。 ***さて、本著を読んで、私が印象に残ったのは、次の三つの部分。まず、最初は「いじめ」について言及しているところ(p.53)。 子どもの世界にも、この大人の世界の相貌は投影される。 「いじめ」も、大人の世界では日常茶飯事的な現象が反映して映っている、 と考えれば理解もしやすい。 大人の世界の多くの場面で見られる「いじめ」がなくなれば、 それは子どもの世界にも反映する。 その事実にふれないで、大人が子どもの世界のいじめを解決できるはずもない。何か起こると、すぐに犯人捜しを始め、ターゲットを見つけると、バッシングの雨嵐。ターゲットが、2度と立ち上がれないほど、完膚無きまでに、徹底的に叩きのめす。そんなやり方が大好きな大人たちと、その姿を、一緒になって、ずっと見ている子どもたち。そんな大人たちに、最後の一文が、見事に決まっている。次は、子どもの躾について言及している部分(p.119)。 私がかいま見た米欧の中堅クラスの家庭では、 とくに幼児期の躾が日本にくらべれば格段に厳しい、という印象を何度も受けた。 命令したり指示しても、子どものほうが従わないと、たたいてでもやらせる。 頭で覚えなければ、身体に覚えさせるのだ。 まるで犬の躾のようですね、とあるとき、 子どもをたたいて躾けていた母親に口をはさんだところ、当たり前でしょう。 口で言ってわからなかったら、体に覚えさせるのです。 「それが本人のためですから」- この一言には返す言葉がなかった。 子どもが早く社会のルールに適応できるようにするのが親の責任であり、 子どものためでもある、という彼女の主張に、私は対抗できなかった。虐待の問題等も絡むので、一概に「これでヨシ!」とは、決して言い切れない。しかし、このような大人・親としての、子育てに対する意識や姿勢の欠如こそが、学校や社会の中に、どんどん「オレ様」を増殖させていき、彼らの「ルール無用」の振る舞いで、秩序がかき乱されていることは間違いない。 日本に長く住んでいるイギリス人が、ある日、首をかしげて私に聞いたことだが、 なぜ日本の大学生は日常的にはほとんど使う機会がないにもかかわらず、 話す、聞くに一所懸命になり、 学問をする上で必要不可欠な読み、書きには努力しないのか、ということだった。(p.163)これについても、様々な意見があるだろう。もちろん、喋ること・聞くことができるに越したことはない。それが、ある人にとっては、ビジネスやそれ以外の様々な場面で、役立つこともあるだろう。しかし、日本に住むすべての人が、本当に英語を喋ったり聞いたりできないとダメなのか? 実際には、読み書きできることの方が、色んな場面で、有用性が高いような気が、私もしている。例えば、大学生なら、最新のことを学んでいこうとするならば、まだ日本語訳されていない書物や論文に当たる必要も多いはずだから。
2008.06.28
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江坂さんの本は『超二流』を読ませてもらっていたので、 その個性的で軽妙な文体に、私はすっかり馴染んでおり、 本当にスラスラと読むことができた。 また、共感できる部分も、とても多かった。 私自身は、定年は、まだまだ先のことだけれど、 でも、こんな不安定な時代だから、 いつ、どんな形で、今の職場を追い出されるか、分かったモンじゃない。 で、こういう類の本を何冊かまとめて購入し、読んでみることにしたわけです。江坂さんは、自分の大事なものを除いて、全部捨てても問題はないという考え方。本だって、捨ててかまわないと言う。もう一回読みたい本が出てきたら、図書館に行って読めばいい。あるいは、金を出して買えばいいという考え方。 捨てることによって次に入ってくるスペースができるのは、何も空間だけの話ではない。 精神面にも当てはまる。 これからつくる思い出を大事にしていくのであれば、 新しい思い出が入ってくる心の余地をつくるつもりで、捨てる作業をする。『本は10冊同時に読め!』の成毛さんは、「本は捨てない、借りない、貸さない」と語っているから、かなり姿勢が違う。成毛さんは、自宅に15,000冊、別荘には、その倍の本が置いてあるという。庶民の私には、それだけのスペースはないので、江坂さん流でいこうと思う。 ついでながら、いま教育問題が騒がれている。 そこで、「子供と両親との対話不足が原因」と言われる。 私は逆ではないかと思う。 昔の親父というのは黙っているか、殴るか、怒鳴るか、 これだけしかやっていなかった。それこそ対話不足である。 いまの子供と親の場合、なぜ問題が多いかというと、対話過剰なのだ。 お互いに対話しようという気持ちが多すぎる。この部分は、全く目から鱗。『日本人のしつけは衰退したか 』を読んだとき以上の衝撃!!つまり、「過干渉」が、様々な問題を生んでいるということ。結果、「自立・自律」できず、他者への「依存」が高まり、過度に「要求」するだけの存在が世に溢れる……。もちろん、本著では、定年後の過ごし方についても、様々なヒントを与えてくれている。その時がやってきたら、「実践してみよう」と思うことが、多々あった。定年を目前にして、日々緊張状態にある人たちに対し、そっと、肩の力を抜いてくれるような、江坂さんの語り口が、とても嬉しかった。
2008.06.28
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本著を読んで、中谷彰宏さんのイメージが、大きく変わりました。 ただし、私自身、これまでに、中谷さんの著作を、 そんなに数多く読んできたわけではないので、 それまでのイメージが、私の勝手な思い込みだったからかもしれません。 本著は、子供に向けて書かれているようなタイトルを背負っていますが、 どうも、子どもが読むような内容ではないような気がします。 本著を読んで、大いに共感し、 自分の生き方の参考にしようと思う子どもって、本当にいるのかな?本著を読んで共感することができるのは、すでに、大人になってしまっている人たちではないかと、私は思います。それは、本著が、子どもたちに向かって「こんなことをしておけばイイよ」と言ってる本では、決してないからです。つまり、本著は「中谷彰宏は、こんな風に少年時代を過ごしてきた」という内容の本。中谷さんが、少年時代に、どんなことを考えながら日々を過ごし、どんな風に行動してきたかを、伝えるために書かれた本。すでに少年・少女期を過ごした大人なら、その辺の感覚はよく分かります。でも、その考え方や行動は、決して一般的な少年・少女のものではありません。かなり偏った面や、ハードな面を持つものに感じます。ですから、現在を生きる、普通の子どもたちからすると「?」なのでは……。生きている時代の背景や価値観が、大きく違っているような気がします。本著は10年前に出版された本ですから、当然、そういうことも起こってくるでしょう。ただし、その後、文庫化もされてますから、「十年一昔前の著作」と簡単に言い切り、終わってしまうことはできません。それと、大阪という町は、ここに書かれているほど、酷くはないと思います。東京志向が強く、わが故郷を、ここまで卑下する著者に、「本著では明かされていない生育歴の中で、何かあったの?」と勘ぐりたくなるほど。子どもたちに「読んでみれば」と、勧めたくなる本ではないです。
2008.06.28
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私の読書法は、 おおよそ3~4冊ぐらいの本を、常に同時並行で読むものなので、 書店で本著のタイトルを見かけたとき、たいへん興味を持ちました。 でも、私は、さすがに10冊もの本を、並行して読んだことはありませんが。 印象としては、かなり高飛車な語り口で、押しつけがましい一冊。 読んでいて、誰でもが、スッと受け入れられるものではないかと……。 まぁ、これぐらい「自分のやり方・生き方」に自信を持ち、 押しが強くないと、35歳でマイクロソフトの社長にはなれないということでしょう。本著では、新入社員・若手社員、そして中堅社員向けの本が紹介されていますが、。その中には、私も読んでみたいなと思うものもありました。例えば、『失敗の本質』などは、ぜひ読んでみたいです。しかし、問題は次の部分(p.156)。 さて、40代・50代のベテラン社員で働きアリという人は どのような本を読めばいいのか。 そんなものはない。 もう手遅れなので、何を読んでもムダである。 本人も、この先出世の見こみもないことぐらいわかっているだろう。 後は働きアリに徹するか、 早期退職してソバ打ち教室に通ってソバ屋をはじめるか、 選択肢はそれぐらいではないだろうか。この部分に、著者自身の「人生観」というものや、社会とそこに生きる人々を、どのように見つめているのかが、凝縮されて、表現されているように思います。まぁ、この本のテーマは「いかに庶民から脱却するか」ですから当然か……。もちろん、「庶民」の私にも、納得できる箇所、共感できる箇所は、多々あります。例えば、読書をする時間を確保するため、まず真っ先に切り捨てるべき時間としてテレビについて言及している部分(p.80)。 外国人が日本に来てテレビを見ると、 あまりにも低俗な番組が多くて驚くのだそうだ。 体を露出したタレントが出てくる番組や、 いじめのような身内いじりをする若手芸人のパフォーマンスは、 とても子どもには見せられないという。 それが親としての正常な感覚だろう。『“その他大勢”から抜け出す生き方(p.68~)』の中に出てくる、「中途半端にお金を使うのはムダ」という言葉にも、同感。ただし、「中途半端」でイメージする金額には、著者と私では、かなりの隔たりがある気もします。また、『「行列」と「混雑」は二大ムダ(p.87~)』も同感。私も並ぶことは大嫌いで、混雑したところも大嫌い。だから、人気スポットに、なかなか行くことができない……。バーゲンでの買い物については、著者の述べているとおりだと思います。
2008.06.28
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古本屋さんで並んでいるのを見かけ、購入。 旬の時期は、とっくの昔に過ぎ去り、 さらに、『親の品格』を読んでの印象が、もう一つだったので、少し迷いましたが、 とりあえず、読んでみることにしました。 結論から言うと、「これなら、売れてもおかしくないかなぁ」という感じ。 『女性の品格』というタイトルながら、男性が読んでも、結構イイのでは? それは、坂東さんが、「はじめに」の部分で述べているように、 人間の品格とは何か、品格のある生き方とは何か、を考えていけば、 自然と、男性にも女性にも共通することを、述べることになったからでしょう。以下は、私が、本著を読んで、気付いたことや、思ったこと、そして、感じたこと。まず、82ページでは、「立腰運動」というものに触れながら、そこに森信三氏の名前が、一切出てこないのは、大学の先生という立場の方が書かれた文章としては、ちょっと不思議な感じがしました。次に、92ページ、三波春夫さんの「お客様は神様です」という言葉については、常々、私も強く感じていたことであり、近頃の消費者の、売り手に対する敬意・感謝の念の無さは、嘆かわしいばかりです。 「神よ、私に変えるべきものを変える勇気と、 変えられぬものを受け入れる寛容さと、 変えられるものか、変えられぬものかを見分ける知恵を与えたまえ」136ページで、坂東さんは、これを「誰の言葉だったでしょうか」としていますが、アメリカの神学者・倫理学者ラインホールド・ニーバーの言葉です。また、その後に、坂東さんが述べている「自分の属している企業の悪口を言うことは、自分自身の悪口を言っているのと同じだ」ということに対しては、素直に頷けます。 「過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる」というとおり、 人の気持ちは自分でコントロールするのは難しいものです。190ページの、この記述を読んだときには、『7つの習慣』の「すべての問題は影響できる」の部分を連想しました。これ以外にも、「これって、確かどっかで読んだな」という部分が結構ありました。そういう意味で、かなり面白く読ませてもらいました。
2008.06.15
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「買おうかな」と思って1年以上経ってから、 やっと購入して、読んでみました。 「つながり」という言葉に、私は、ケータイとかインターネットを連想したのですが、 特にそれらに焦点を当てた内容の本ではありませんでした。 本著を読んでいて、途中は、あまり良い気分ではありませんでした。 と言うのも、かなりのページを割いて、 『下流社会』の三浦展氏を、かなり痛烈に延々と批判しているから。 もちろん、批判している内容自体は、的確なところもあります。 『下流社会』では、皆が所得や地位の競争をしている前提が 自明のこととして書かれている。 が、実はこの前提が崩れたからこそ、意識構造が細分化して、 同じレースで皆が走ることができなくなっている、 と言う事実を完全に見落としている。 つまりトラックが前だけでなく、横にも後ろにも上にも伸びていて、 どのコースを選択するかはまったく自由なのである。 それどころかまったく走らず、 その場にとどまっていることも選択肢のひとつとして許容されている。それと、ケータイとかインターネットに関連した記述も、一部には見られます。 これはネットだけでなく、携帯電話、携帯メールに過剰に依存する人々すべてに言える。 彼らにとって最優先事項は「つながっている」ことなので、 リアルなのは「肉体」や「感覚」より「つながり」なのである。 今、現在、対面している人や集団と「つながれない」と思った瞬間から、 相手は受信した携帯メールより下位の存在として位置づけられる。前述した「気分が良くない」部分はあるものの、世間を騒がせた有名人が登場したり、マンガのキャラが登場したりと、若い感覚で、様々なジャンルを網羅しながらの展開は興味深く、現代社会を見つめていく際、そういう視点を持ち合わせていることは強みでしょう。とにかく、私が、本著を読むにあたって、まずかったなと思ったのは、著者の速水さんについて、全く予備知識がなかったということ。本著を読んで、著者と宮台さんとの関係も初めて知ったぐらいだから、そういうことを、前もって知っていれば、途中、それほど気分が悪くならずにすんだでしょう。
2008.06.15
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高級料亭で、食品偽装表示や料理の使い回しが発覚すれば、 社長は、その度に、記者会見を行わなければならない。 25歳の息子が、無差別殺傷事件を起こしてしまうと、 両親は、謝罪の言葉を、全国に向かって発信しなければならない。 後者の会見については、本当にこれでいいのだろうかと、 現在の、日本における、「責任」というものについての感覚や、 それを扱うマスコミの姿勢に、かなり違和感を感じてしまうのだが、 とにかく、どんな人でも、語らねばならない状況になりうる世の中である。記者会見や記者インタビューが、わが身に降りかかってきたとき、そこでしくじると、悪いイメージが、全国各地に一斉に発信されてしまう。企業の新事業発表の場であれば、それこそ、最初からケチがついてしまうし、不祥事発生後の会見なら、状況がさらに悪化し、窮地に追い込まれてしまう。本著は、そんな失敗を防ぐための、メディアトレーニングの指南書である。 この分野を扱った書物は、日本では本当に少ない。そのためか、本著は、270ページほどのハードカバーでありながら、本体3,333円+税という、価格設定である。 ***メディア対応において、話しをする場合、その話しかける相手は、目の前にいる記者ではなく、その記者が書いた記事を読む人たちや、テレビカメラの向こうにいる視聴者であることを、しっかりと認識しておかねばならない。そして、目の前にいる記者や、放送局でニュース番組に携わっている人たちに、自分の思っていることを、きちんと記事に書いてもらったり、録画したビデオテープを、きちんと編集して放送してもらうためには、ニューススタイルで話すことが、たいへん重要になってくる。ここで言う、ニューススタイルの話し方とは、重要なことを先に述べ、細かい事実や背景は後回しにするというやり方で、まず最初に、全体の要約を述べるところから始めるのだが、ここに、できる限り5W1Hの情報要素を盛り込んでおかねばならない。こうすることで、こちらが意図するような記事やニュース番組が、出来上がる可能性が上昇する。会見では、他人の批判やネガティブな話など、余計なことを語ることはせず、逆に「サウンドバイト」や「クォータブルコメント」を用意しておけば、なお良し。 ***本著では、メディアの形式に応じた対応のしかたや、発表内容に応じた対応のしかた、危機管理広報も示されている。また、「その他のヒント」として挙げられている内容も、実践的であり、メディア対応だけでなく、普段のビジネスシーンでも役立ちそうである。
2008.06.15
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あっというまに読破。 1時間を遙かに切るタイムで。 179ページある本を、これだけの時間で読み終えたのは、 自己ベスト記録かも。 その理由は、1ページに書かれている文字数が、すごく少ないから。 だから、スイスイ読める。 難解な部分は、全くないので、 滞ることなく、ラクラク、何の苦もなく読める。まずは、断り方の基本ステップ。謝罪 → 断り → 断る理由 → 代替案の提示オーソドックスなパターンであり、特に目新しいものはない。ステップごとに、実際場面について、説明がなされている。次に「人の気持ちを理解する」には、「相手の本当の気持ちを推測しながら聞く」→「批判的・忠告的態度は捨て去る」→「感情の高ぶりを抑える」→「言葉以外の表現にも注意する」→「タイムリーに反応する」ここも、特に目新しいものはない。しかし、次の「言い方ひとつで印象は変わる」では、参考になる部分があった。「~しないと~できません」から「~していただければ~させていただきます」への変換は、ナルホド!!「検討させて頂いた結果、ここまではできることになりました」も同様。「依頼口調」「意見口調」「提案口調」「相談口調」「沈黙」の使い方や、相手のタイプに応じた「断り方」の例示、クレーマー対応も分かりやすい。ただし、これで、税抜き1300円を高いと思うか、安いと思うかは、その人次第。本著は、この種の書籍の中では、あくまでも入門書に位置づけられるものでしょう。
2008.06.06
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開始早々、結構あっさり、モリアを倒してしまいました。 ちょとばかり、拍子抜け……。 くまさんとゾロのやりとりも、結構いいお話のハズなのに、 今ひとつ、グッと来てくれない……。 新たに“麦わら海賊団”に加わることになった“ブルック”の昔話も、 何だかなぁ……。 今日は、読んでる私のコンディションが、イマイチだから? それとも、ONE PIECEのこれまでの実績から、私の期待度が高すぎるため?しかし、しかし、終盤に入ったところで、俄然盛り上がってきました!赤い大陸(レッドライン)、魚人島へのプロローグ。まずは、とっても“ナミ”に似ている人魚のケイミーが登場。そして、へんてこりんなヒトデのパッパグも。しかし、何より気になるのは、今巻は声だけ登場の、タコの魚人はっちん。そして、トビウオライダーズのアジトに現れた鎧を身にまとったデュバル。“アーロン”再登場なのか?それとも……
2008.06.06
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