全16件 (16件中 1-16件目)
1
『県庁の星』より『メリーゴーランド』。 こんな記述を『公務員、辞めたらどうする?』の中で見かけたので、 荻原さんに興味を持ち、ネットで検索してみと、『明日の記憶』も、彼の作品! これは、DVDで見たのですが、渡辺謙さんと樋口可南子さんの演技が見事でした。 ついでに、荻原作品に対する、ネット上の書き込みも色々眺めてみると、 数あるコメントの中で、なかなか評判が良かったのが、本著。 ということで、『メリーゴーランド』と一緒に、早速ネットで発注。 そして、まず、こちらの作品を読んでみることにしました。主人公である佐倉涼平は、上司への暴力行為を理由に、大手広告代理店をクビになり、珠川食品に再就職するのですが、入社早々、またしても大失敗。このことが原因で、早速、お客様相談室に配置転換。ところが、この部署の実体は「リストラ要員収容所」だったのです。もちろん、「危機管理」の重視が叫ばれるこの時代、お客様相談室は、どんな企業においても、その命運を左右するほどの重要な部署。決して「リストラ要員」たちで、やっていける場所ではないはずですが、珠川食品は、それで何とかしてしまおうというような体質の会社。しかしながら、一見、いかにも「リストラ要員」たちの集まりのように見えるこの部署も、実は、きちんと仕事のできる男がいたから、何とかなっていたわけです。その男の名は、篠崎さん。ただし、毎日遅刻出勤で、競艇狂……。でも、仕事は出来るんです……。涼平のクレーム対応にも、ちゃんとコーチングしています。 「なぜお前が、相手を怒らせたのかわかるかい」 「ひとぉつ - 謝罪の言葉がない。まず、謝る。 向こうはそれを期待して電話をかけてくるんだから」 「ふたぁつ - 相手の口を塞いだこと。どんな話だろうが最初は辛抱強く聞く。 しばらく聞いていれば、向こうの事情や人となりもわかってきて、 どう対応すればいいかがわかってくるし、 向こうさんだって喋っているうちに頭へ昇っていた血が下がってくる。 気持ちよく喋らすために、あいづちはこまめにな。何パターンか使い分けて。」 「みっつ - お前が熱くなってどうする。 声を聞いただけで兄ちゃんが苛ついているのがわかってたよ。 確かに電話でむちゃくちゃなことを言う客もいるし、 いきなり怒鳴りつけてくるやつもいるけど、こっちはあくまでも冷静でなくちゃ。 適当に聞き流して、頭の中で歌でも歌ってればいい。」(p.136)何と素晴らしい!!これ以外にも、篠崎さんの言動には、見るべきものが多数あり、それらを知ることが出来ただけでも、この作品を読んだ価値があるというもの。もちろん、お話としても十分に楽しめ、読後の満足度はとても高かったです。
2008.07.27
コメント(0)
「高校生へのインタビューと統計データ分析から導かれる答えがここに!」 これが本著の帯のキャッチコピー。 高校生たちが、現在どんな風にケータイを使い、 どんな風にケータイのことを考えているのかが、分かる一冊。 iPodとケータイを、どのように使い分けているのか、 また、カメラ機能では画素数を重視しているという姿勢、 さらに、平野啓一郎をケータイで読んでいるなど、 結構、新鮮な情報が、盛り込まれていた。また、「モバゲー」と「ミクシィ」については、リアルな友達はミクシィに、バーチャルはモバゲーにと、ちゃんと求めるところを変え、使い分けていることについては「なるほど、今時の高校生は、そうなのか」と、変に納得。また、「ケータイユーザー下流論」や「フィルタリング」についての記述には、著者の一貫した姿勢が、しっかりと表れている。『「コミュニティサイト」は「出会い系サイト」ではない』(p.84)についても同様で、世間に広がりつつあるマイナスイメージを、払拭しようと試みるものである。ただし、『ケータイ世界の子どもたち』のように、子どもたちの過ごしている社会や、世界そのものにまで踏み込むことはせず、あくまでも、ケータイに絡む高校生たちの有り様について、インタビューと統計資料から、著者の分析を述べるところで留まっている。auユーザーの私にとって、本著を読んでの一番の収穫は、ドコモには「iモードアクセス履歴検索サービス」というものがあり、メールの送受信履歴までもが、3か月前までなら分かるということを、初めて知ったこと。これは、子どものケータイ濫用にブレーキをかける、大変大きな武器になる!
2008.07.27
コメント(0)
『マスコミ対応はもう恐くない!』が、 マスコミ対応にむけての、実践的なマニュアル本であるのに対し、 この『その「記者会見」間違ってます!』の方は、 記者会見そのものについて、様々な角度から概説したもの。 記者会見に失敗すると、世間の反感を買い、 それが、消費者の反発、行政の強い指導、 さらには、司法の厳しい対応へと繋がっていく。 その様子を、実例を挙げながら説明しており、大変分かりやすい。本著を読んで、印象に残ったのは、2005年のタイヤリコール事件における、日米企業の広報戦略の違いが、世間の持つイメージにに大きな違いをもたらしたお話。フォード社が巧みな広報活動を展開し、世間からプラスイメージを獲得したのに対し、黙々と対応したブリヂストンが、世間のイメージを悪化させてしまったという事実。 いかに、誠実に、額に汗してリコール作業を行っていても、 その事実が報道されないかぎり、世間には伝わらないのです。 非常時であるのに何も伝わらない結果、 世間はむしろ「何の対応もしない不誠実な企業」というイメージを持ってしまいます。 こうした事情をエッセイストの山本夏彦氏は 「事実があるから報道があるのではない。報道があるから事実があるのである」 と言い表していました。(p.78)もう一つ、印象に残ったのは、「マスコミの求めるものは何か」について触れたところ。 マスコミとしては、一個の事故についての報道に始まり、その原因を明らかにし、 その種の製品全体の安全性を確認して、広く世間に 「その製品はもう安全だとメーカーは主張しており、客観的にも信用できる」 と伝えるところまでが使命なのです。 逆にいえば、その使命が終わらないかぎり報道は続くのです。(p.127)この点において、マスコミの求めるものは、世間の求めるものと、完全に一致していると言えるでしょう。このことは、初期の情報開示についても同様です。スタートにつまずき、世間に悪いイメージを持たせてしまう企業が、何と多いことか……。 初期対応では、企業としては実体をありのままに、 とりあえず現在解明できている範囲でよいから、ただちに開示すべきです。(中略) 本来は、何が起きたのか、原因は何か、危険性はあるのか、 今後どうするのかといった事項を開示すべきなのですが、 決して完全を期すべきではありません。 完全を記する姿勢が先の例のように、対応を遅らせる原因となるのです。(p.92)。 読む順序としては、まず本著を先に読んで、「危機管理報道」についてのアウトラインをつかみ、その上で、必要があるならば、より具体的な対応について、『マスコミ対応はもう恐くない!』を読むのが良いと、私は思いました。
2008.07.27
コメント(0)
『実は悲惨な公務員』の山本さんが、本格的に書籍デビューした一冊。 なので、書かれた時期は『実は悲惨な公務員』より、1年以上も前のこと。 でも、山本さんが、どんな人で、どんなことをやろうとしているのか、 本著を読むことで、より理解が深まったように思う。 まぁ、改めて言うまでもないが、 「転職」するのは、なかなかに気合いが必要な様子。 日本も「成果主義」の時代を迎えたと言われながらも、 まだまだ「終身雇用」の色合いは強く、「転職」は一般的なこととは言い難い。それが、公務員から民間へ転身、あるいは一念発起の起業となると、そうそう、あちこちにゴロゴロ転がっているケースではないだろう。そんな壁を打ち破ってでも、新天地を求め、スタートを切ろうとしている公務員には、必読の書と言えるかもしれない。ただ、先にも述べたように、「転職」するには、余程の覚悟と気合いが必要。いい加減な気持ちのままでは、成功を手にすることはおろか、ちゃんとスタートラインに立って、走り始めることすらおぼつかない。そのことは、読んでいて、十分に伝わってきた。
2008.07.27
コメント(0)
ケータイの問題を扱いながらも、 子どもたちが日々過ごしている「子ども社会」をしっかりと把握し、 その上で、ケータイとどのように向き合っていけばよいのかを 多面的・多角的に考えていこうとする良著。 今、問題の「ネットイジメ」について考える際も、 ネット上のトラブルだけを採りあげて、その部分だけの論述に終始することなく、 子どもたちの生活を支配する大きな要因として、「同調圧力」を挙げながら、 現代を生きる子どもたちの行動パターンを的確に捉え、分析していってる。本著を読んで、特に優れていると感じたのは、「フィルタリング」に関連する記述である。同じ「フィルタリング」といいながらも、PCにおけるそれと、ケータイにおけるそれとでは、事情が大きく違うことがよく分かった。 パソコンのフィルタリングは基本的にパソコンの側で情報を遮断しますが、 ケータイの場合にはケータイ会社のセンターで情報を遮断します。 端末の側で処理するのは困難だそうです。 センター側で処理するとなると、 大人数の利用者に対して同時並行で対応しなければなりません。 ケータイ会社の利用者は非常に多いため、設備投資に多額の費用がかかるそうです。 保護者からの申請によって利用者ごとにアクセス可能なサイトを指定する 「マイホワイトリスト」の導入に期待がかかりますが、まだ少し時間がかかるようです。 当面、現実的なのは、何らかの基準で安全なサイトをそうでないサイトから区別し、 安全なサイトをブラックリストから外す(あるいはホワイトリストに入れる)ことです。このような状況から、誰がどのようにして、その安全性を判断するのか、その審査基準はどう決めるのか、ということが、現在問題となっている。もちろん、この作業を進めていくためには、莫大な費用がかかる。その費用の負担を、誰がするのかということも、今後、問題になってくる。また、勝手サイトの運営者たちは、その審査基準をクリアし、ブラックリストから外してもらえるかどうかで、今後、サイトの命運が、大きく左右されることになる。それだけに、どのサイトも、必死で、安全性を保つ努力をする必要性に迫られる。 ***第5章の「子どもの健全育成に何が必要か」に至っては、もはやケータイの問題を大きく飛び越え、現代の子育て・教育問題が抱えている課題にまで踏み込み、論述されている。逆に言うと、そこまで考えていかないと、ケータイに関連する問題は解決しないと言うことだろう。
2008.07.26
コメント(0)
『夢をかなえるゾウ』を読んだ後、過度に期待しすぎた状態で、 本著を読み始めることさえしなければ、十分に楽しめる一冊。 『夢をかなえるゾウ』は、自己啓発書として優れたものでありながら、 お話自体も、とても素晴らしいという、希有の作品でしたから。 本書は2005年3月に刊行された『バッドラック』を再構成、改題したもの。 それに対し、『夢をかなえるゾウ』は、2007年08月の刊行だから、 当然、水野さんは、先に本書の元になる『バッドラック』を書き、 その後、『夢をかなえるゾウ』を書き上げたのだと思われます。ですから、両作品を読んでみると、1年半の間に、一人の作家が、どれほど飛躍的成長を遂げたか、しっかりと感じ取ることができます。過去の作品にスポットライトを当て直した本書は、あくまでも次への繋ぎ的存在であり、次の新作こそ、著者の力量を推し量り、今後を占う一冊となっていくのでしょう。と言いながらも、本作品も、たいへん面白く、一気に読んでしまいました。ただ、主人公アレックスは、どうにも憎めないキャラクターではあるものの、ここまで脳天気に、バカになりきれる人は、滅多にいない……。だから、誰もが、真似してみようとか、参考にしようと思えるような態度ではありません。そういう意味で、裏表紙にある「人生で一番大切な事は何かを教えてくれる」という下りは、読者に『夢をかなえるゾウ』を意識させようとしすぎた、過剰広告のようにも思えてしまいますが、如何でしょうか?
2008.07.21
コメント(0)
とても勉強になった。 「精神科」「神経科」「心療内科」等の違いを、初めて知ることが出来た。 また、その名称が、世の中で混然としたまま使用されている理由も分かった。 それらの医院の扉を叩くことに対し、抵抗が少なくなってきたのは、歓迎すべきこと。 また、精神科医が処方する薬についても、ある程度知ることが出来た。 「抗うつ剤」は、病気の根治を目指す薬で、効果が現れるのに時間を要するが、 「精神安定剤」の投与は、即効性はあるが、対処療法にすぎないものだということ。 さらに、これらの薬がもたらす副作用を、よく知っておく必要があるということ。 私が、本著で最も衝撃を受けたのは、p.19から始まる次の部分。 同じ自殺なのに、なぜ子供と大人の扱いはこうも違うのか。 私はそこに、人間の心に対する大きな誤解があるように思えてならない。 それは、「年齢を重ねるほど人間の心は傷つきにくくなる」というものだ。 子供の心はちょっとしたショックでも簡単に壊れてしまうが、 大人は多くの人生経験を積んでいるので、心が頑丈にできている -そういう先入観があるのではないだろうか。 (中略) うつ病の好発年齢(よく発症する年齢)は四〇代以降とされるのだが、 それは、セロトニンをはじめとする脳内の神経伝達物質の分泌量が、 加齢によって減少することが原因だと考えられる。 つまり、責任感とか人生経験などといった問題以前に、 人間は生物学的な次元で、年齢を重ねるほどうつ病になりやすくできているのである。まさしく、私も大いに誤解していた。そうだったのか……、目から鱗が落ちるとは、このことだ。そして、もう一つ、p.67から始まる次の部分も、自分の無知を思い知らされた。 しかし一方で、これまで発達障害だと思われていた病気が、 必ずしも生物学的なものであるとはかぎらないというケースもあるから、話はややこしい。 「注意欠陥/多動性障害(ADHD)」がそうだ。 リタリンという薬が一定の効き目を発揮し、遺伝する傾向も強いので、 その意味では生物学的な病気だと考えられる。 しかし、昔は人口の三パーセント程度しかいなかったこの病気が、 いまは子供の十五パーセント程度にまで増えていることがわかってきた。 生物学的な先天性の病気だとすれば、急にこれほどの増加をするのは説明がつかない。 社会的な要因によるものと考えることが自然だろう。 具体的には、親の育て方が変わったことが、この病気を増やしている可能性があるわけだ。ADHD増加の原因を、社会的な要因に求めることについては、著者が「可能性があるわけだ」としていることから、その程度のものなのだろうけれど、驚いたのは、「子供の十五パーセント程度にまで増えている」という、その数字である。最近まで、発達障害を持つ子どもは、色々合わせておよそ6%と言われていたはずだが、本当にADHDの子供が15%もいるとなれば、とんでもない事態である。40人のクラスなら、同じ教室の中に6人ものADHDの子供がいることになる。これは、ハッキリ言ってスゴ過ぎる……。 ***その他の部分も、非常に興味深いところが多かった。例えば、今場所も休場することになってしまった朝青龍を、以前、3人の精神科医が診断したとき、「適応障害」ではなく、「神経衰弱」「急性ストレス障害」「解離性障害」といった診断名を付けた背景は、「なるほど!」と納得させられるものだった。また、大学教授昇任が、臨床実績でなく、論文の数で決まるシステムになっているため、大学教授が、すぐれた臨床医師とは限らないということも、よく理解できた。
2008.07.19
コメント(0)
この手の本もこれまでに多くのものが出版され、 どれもが、かなり売れているようです。 私自身も、『社長を出せ』から始まって、何冊か読ませてもらいましたが、 関根さんの著作も『となりのクレーマー』に次いで2冊目になります。 そして、これまで読んだものは、そのどれもが、 「世の中には、ここまで言う人もいるのか……」とか、 「こんなことを仕事にしている人は、本当にたいへんだろうなぁ……」 ということを、強く感じさせれくれるものばかりでした。そういう意味で言うと、今回は、ちょっとばかり違っていました。読んでいて「?」と思う部分が、あったのです。この感覚は、これまで読んできたものでは、あまり感じなかったことがなかったので、ある意味、新鮮と言えば、新鮮でした。例えば、p.106の Gさんは、典型的な「馬鹿にされていると感じやすい人」だったのです。と言う表現は、如何なものでしょう?ことの概略は、次のようなものです。Gさんは、明らかに店側の不手際で、商品の倍の金額を支払わされます。Gさんは、帰宅後、不審に思い、店に連絡を入れ、店側も不手際を認めました。そして、Gさんは、片道20kmの道のりを、過剰に支払った分の返金を受け取りに行くのです。販売員を見つけた途端、文句の一つも言いたくなるのは、当然でしょう。さらに、Gさんは、このとき販売員を罵倒したことを反省し、後日、店の課長に、謝罪の電話を入れるのです(なかなか出来ることではありません)。その時、店では定時朝礼が行われており、しかも、課長はその場に不在。そのことを知ったGさんの「探してくれ」という要請に、店側の対応は「見つかり次第、折り返し電話をさせます」というものではなく、Gさんを電話口で待たせたまま、めぼしいところに電話を回し続けたのです。そして、課長が見つかり、電話に出たときには、すでに15分が経過していた……。これなら、普通、誰だって怒ると思うのですが……。ところが、著者は、この後、この出来事に対し、こんな風にコメントするのです。 苦情事件になるのは、もちろん店側の対応が悪いのでしょうが、 「馬鹿にされている」と思いやすいお客様のキャラクターも影響しているようです。 コンプレックスが強いのだと思いますが、こうしたキャラクターは本来、 前もって人物情報を得ておく必要があったかもしれません。これと逆の意味で、「?」と思ったのは、p.113から始まる歯科医師さんと、患者さんとの間で起こったトラブル。このトラブルを、著者が仲介し、解決していくことになるのです。しかし、こじれにこじれたトラブルをおさめるためとは言いながら、仲介者である著者から、ここまで一方的に歯科医師さんの方だけが不手際を責め立てられ、患者さんに対し、一方的に謝り倒さなかればいけないのでしょうか?また、p.165から始まるエピソードの結末を、著者は次のようにしめくくっています。 長引くかもしれない、と思っていました。 しかし、この事件の終わり方は意外なものでした。 このお客様は三か月後、持病が悪化して亡くなりました。 ご冥福をお祈りいたします。最後の「ご冥福をお祈りいたします」という一文と、このエピソードの中で、悩みに悩んで購入商品を決定したお客さんに、店員が発した「お決まりですか」の一言には、共通するものがあるのでは?私には、どちらも「嫌み」に感じられます。 ***もちろん、本著には気になる部分ばかりがあるわけでなく、逆に、参考になる部分、新たな気付きをさせてくれた部分の方が、遙かに多いです。例えば、p.104の次の一文などは、クレーム対応の神髄であると思います。 苦情ではよくあることですが、「誠意」とは当事者どうしが会って、 解決に向けて話し合うこと。これに尽きるのです。また、p.69で、著者自身が「奇跡のようなもの」とする、Cさんのトラブルを解決したエピソードに対するコメントも大いに共感できました。 この時の教訓ですが、真正面から向き合えばきっと分かってもらえる、と信じないといけません。 こちらにも信念がないと、「怖い、排除しよう」で終わってしまいます。 それでは解決になりません。 再びクレーマーとして、来店してくるだけです。これではいたちごっこです。 ***以上、書いたものを読み返してみると、私も立派なクレーマー、でしょうか?
2008.07.19
コメント(0)
仕事が、なかなか自分の思うとおりに進んでくれないとき、 そして、どう進んでいけばいいか、分からなくなってしまったとき、 弘兼さんの本は、いつも、これから進んでいくべき道筋を照らし出してくれた。 そして、今回も、そんな光を期待しながら、本著を手にした。 しかし、本著は、私にとって、これまでとは、ちょっと趣が違った。 「いい人」=“bad”、「不良社員」=“good” この「二分割的発想」は、読んでいて気持ちの良いものではなかった。 これでは、「いい人」は、やってられない。本当に、自分のやりたいことを、やり通すことだけが“good”であり、社会人として、誰もが皆、目指すべき態度なのか。周囲の状況を見極め、自分の思いをグッと腹に収めてしまうことは“bad”で組織の一員として、何の価値もない、つまらない行為なのか……。でも、私は、途中で気がついた。これは、言葉の定義が、私の思っている「いい人」と、弘兼さんが用いている「いい人」では、違うんじゃないかと。弘兼さんの言ってる「いい人」っていうのは、私のイメージする言葉で言うと、「いい人ぶっている人」「いい人面している人」のことなんじゃないかと。まぁ、それなら、弘兼さんが言おうとすることも、分からないでもない。「いい人ぶっている人」「いい人面している人」は、あくまでも「いい人ぶっている人」「いい人面している人」であって、本当は、「いい人」ではないのだから。「不良社員」という言葉の定義も、同様に、「不良ぽく振る舞っている人」「一見、不良のように見える人」のことなのかも。でも、私は、個人的に、「不良ぽく振る舞っている人」「一見、不良のように見える人」のことを社会人として、理想的で、好ましい存在だとは思わないし、そんな風に振る舞いたいとも、決して思わない。というわけで、本著で、感銘を受けたのは、次の一節のみ。 大切なのはおろおろすることではない。 どんな境涯にも居直れることだ。 「いま」に居直ることだ。(p.101)
2008.07.18
コメント(0)
これも先日久しぶりに本屋さんに行ったとき、 平積みにしてあったので目についたもの。 『成功する男はみな、非情である。』と同様、書店では買わず、 家に戻ってから、ブックオフで発注しました。 しかし、この本が、なぜ平積みしてあったのか? と言うのも、この本、第1冊発行は1968年7月24日。 何と、40年も前のものです! ひょっとして、最近またブームになって読まれだしている?そんなことを気にしながら、読み始めてみると、流石に年代物という感じ。取り扱われている出来事やデータには、第2次世界大戦前のものがある!エール大卒業生の年間平均所得が2万5千ドルなんていうのは、もう感動もの!!ユーモアたっぷりに「統計のいかがわしさ」について、いろんな事例が紹介されていますが、少々理解しづらいところも……。全ての事例について、きちんと最後まで説明してくれているとは限らないので、自分でちゃんと考えて、理解しながら読み進めないとダメです。でも、結論から言えば、第10章の「統計のウソを見破る五つのカギ」が、分かればOKかもしれません。 第1のカギ:誰がそういっているのか?(統計の出所に注意) 第2のカギ:どういう方法でわかったのか?(調査方法に注意) 第3のカギ:足りないデータはないか?(隠されている資料に注意) 第4のカギ:いっていることが違ってやしないか?(問題のすりかえに注意) 第5のカギ:意味があるかしら?(どこかおかしくないか?)そして、「はしがき」の中で、著者が述べているのこの言葉が、統計というものを、一口で言い表しているような気がします。 統計学という秘密の言葉は、事実がものをいう社会では、 人に訴える力が非常に大きいので、 物事を批判したり、誇張したり、混乱させたり、 また極度に単純化してしまうのによく利用されている。 (中略) しかし、そういった言葉を正しく理解して使う人と、 その言葉の意味がわかる人とがそろっていなければ、 結果はナンセンスな言葉の遊びにすぎないのである。
2008.07.13
コメント(1)
ハンチントンの『文明の衝突』をもじったタイトル。 『文明の衝突』は、私も読んでいる最中だけれど、 今は、長い休憩期間に突入したまま(でも絶対再開します!)。 しかし、本著の趣は、ネーミングほど、ハンチントンに近くない。 出てくる話は、かなり、専門的な部分も多く、 私ごときでは、全てを理解するには、ほど遠かったが、 とりあえず、最後まで、 一応、何とか話の方向にだけは、ついて行くことが出来たので良かった。本著の前半、主役となっているのは「Winny」。「Winny」は、「P2P」と呼ばれるアプリケーションソフトの一種。「P2P(ピア・トゥー・ピア)」とは、中央サーバーを介さずに、ネットワーク上のマシン同士が、直接接続される仕組みで、インターネットの理想型。その開発に至る経緯と、その開発者が逮捕されるまでが、見事に描き出されており、読んでいて引き込まれてしまう。そして、そこに割って登場するのが「アンティニー・G」。Winnyを媒介にして感染し、個人情報や機密情報をまき散らす凶悪なコンピューターウイルス。 村井は大学で、自律分散協調という科目を教えている。 自律・分散・協調というのはエンド・ツー・エンドとともに、 インターネットの理想を象徴する言葉だ。 システムの中にシステムを統治する管理者は存在せず、 システムは自律して分散しているサブシステムによって構成され、 彼らの協調性によってシステムの機能は遂行される-。 (中略) だが、その三十年の努力の末には、Winnyというパンドラの箱の出現があった。 開けてはならない箱を開けたことによって、 Winnyはこの社会の中に、異形の空間を現出させた。 その衝撃は国家権力をも揺さぶったのである。 インターネットの理想はいまや、無限の悪意に満ちた空間と、 国家権力の介入の間で押しつぶされそうになっている。そして、後半の主役は、2004年頃から急激に注目を集めるようになった「ウェブ2.0」。この概念の中心は、一言で言えば「すべてをオープンにしていこう」というもの。「ウェブ2.0」の考え方が目指すのは、個人と個人、個人と企業、個人と国家が同じ地平でフラットに繋がっていく世界、つまり、エンド・ツー・エンド。 ウェブ2.0はブランドやバーロウが夢見た理想の、正当な後継者なのである。 90年代に大企業のビジネスに囲い込まれ、 当初のエンド・ツー・エンドの理想を失いつつあったインターネットの いわば「復古運動」だったのだ。 おそらくもっともその理想を体現しているのは、ウェブ2.0の世論形成機能だろう。 ネットの世論が、リアルな世論に結びつき、ネット上の言論が、政治や社会を動かしていく。そういう時代に、既に突入している感がある。そこでは、ネットを支えるプラットフォームが、最も重要な社会的基盤となると著者は言う。この、とてつもなく強大な権力を、最後に握るのは、一体誰なのか?グーグル?それとも、別の企業?あるいは、ネット世界のパワーを囲い込み、覇権を取り戻そうとしている国家?そのせめぎ合いは、既に始まっている。
2008.07.12
コメント(0)
さすがに売れている本は違う。 色んなところの書評で、注目され、とりあげられるだけのことはある。 「広告は消費者へのラブレター」という発想からして、 大いに惹き付けられてしまう。 そんなラブレターが、受け取ってもらいにくい時代になった。 以前なら、簡単に受け取ってくれていたのに……。 相手のことをしっかりと知り、きちんと手渡ししなければならなくなった。 そして、ラブレターを渡した後の関わりが、とても重要になってきた。そんな変化は、インターネットの出現によって始まった。消費者は、単なる受け手から、情報の送り手へと変身した。そして、消費者は、同じ消費者の発信の方を信頼する。広告に携わる者は、消費者をターゲットとしてでなく、パートナーとして見る必要が出てきた。広告は、これまでと違う発想で、これまでとは違う発信が望まれることになった。お茶の間というものが消滅してしまい、圧倒的力を誇ったテレビの力も弱まった。4マス(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌)に広告を流すだけでは、もうダメ。然るべきところで消費者を待ち受け、偶然を装って彼らに出会わねばならない。そして、時代は、ツー・ウインドウズ!テレビを見ながらパソコンしたり、ケータイしてる。以前のお茶の間のような、「新しい口コミ源」の登場。ネオ茶の間により、テレビは再び人気者へとのし上がる。商品丸裸時代にイメージ広告は通用しない。これからの広告に必要なのは、消費者をもっとよく見て、とことん消費者本位に考えること。「広く伝えること」と共に「深く伝えること」の意味を考えること。 ***本著の中で最も気になった言葉が「ツー・ウインドウズ」。良いのか悪いのか分からないけれど、まさしく今は、ツー・ウインドウズの時代。同じ空間にいる者同士が繋がらず、それとは違う場所にいる者同士が、ネットでケータイで繋がっている。
2008.07.12
コメント(0)
こんな本が机の上に置かれているのを見かけたら、 周囲の人は、大いに心配するんだろうな。 「ひょっとして、今の仕事、上手くいってないのかな? もしかして、辞めようなんて考えてる……?」 で、私はと言えば、うかつにも、読みかけのこの本を、 リビングのテーブルに置きっぱなしにしてしまった……。 で、周囲の反応はと言えば、誰も何も言ってこない……。 ひょっとして、私がどんな本を読もうが、全く気にしていないと言うこと?まぁ、確かに、私が読んでいる本のタイトルなど、いちいち気にしていたら、「この人は、今、どうなっているんだろう?」と、一年中心配してないといけないことになってしまう。それじゃあ、ずっと一緒に、同じ屋根の下でなんか生活してられないよなぁ……。 ***著者が業界屈指の噴水施工会社を経営する大利根孝さんに、創業者として成功した秘密を尋ねたときの答えは印象的。 あまり考えたことがないなあ……。 しいていえば運がよかっただけですよ。 気がついたらこうなっていたとでもいおうか、 まわりがお膳立てしてくれたとでもいおうか、 世の中が自分の都合のいい方向に回転していっただけです。そうです、上手くいくときっていうのは、きっとこんなもんです。で、逆に、うまくいかないときって言うのは、アンラッキーばかりが続き、気がつけば、もう泥沼状態。全てが悪い方向に進むようプログラミングされているように感じながら、奈落の底へまっしぐら。 つまり、人生はよいときもあれば悪いときもある。 この事実は変えようがない。 したがって、一時的に運命がよくなったとしても、いずれは下降していく。 下降した運命は再び上昇していく。 人はみんな、この波に左右されているというのが私の考えなのです。著者のこの言葉も、真実でしょう。そして、次の言葉も。 たとえば、私の知人に一代で巨万の富を築いた人がいます。 豪邸に住み、ロールス・ロイスを乗り回し、ハワイに別荘を構えるなど、 誰もがうらやむばかりの暮らしぶりです。 しかし、見かけとは裏腹に、当人は様々な問題で頭を痛めています。 週に一度の透析を余儀なくされる持病の腎臓病……。 後継者問題で揺れる自身の会社……。 外国人男性と同棲中の娘の結婚問題……。 つまり、一見するとものすごく幸せそうに見える人であっても、 案外、そうでない場合の方が多いのです。 「隣の芝生は青く見える」とは、よくいったものです。この手の話は、昔、父親から嫌という程聞かされたなぁ。仕事の性格上、色々な階層の人からホンネを聞かされる状況にあった父は、子どもの私に、「本当の幸せ」とは何かを、語ろうとしていたのかもしれない。ただし、「いのちの仕事」を見つけろなんてことは、決して言わなかったけれど。
2008.07.12
コメント(0)
最近、本を買うときは、色々ネットで検索し、 気に入ったものが見つかれば、即注文してしまうことが多い。 そんな中、先日、久しぶりに近所の本屋さんに行ったとき、 平積みされていて、目にとまったのが本著。 でも、結局、その本屋さんでは購入せず、 家に戻ってから、改めてネットで検索。 ブックオフに在庫があったので、他の本とまとめて発注。 これじゃあ、本屋さん、儲からないよなぁ……。読んでみると、タイトルから期待した内容とは、ちょっと違ってた。女性が男性について語っている、割と軽めの、普通のエッセイ。「成功した」と言えるような男の、ビジネスや生き方について、もう少し濃密に、書いてくれている本だと期待していたのだけれど……。 人間は狭苦しいところに押し込まれると、人の噂をしたり、 イジめたりするようになる(動物だってそうかもしれないけれど)。 内勤のOLが噂好きなのも、彼女たちが仕事で外に出ることがあまりなく、異動もないから。 半径5メートル以内のことしか興味がないのだ。 いつも同じクラスで行動する中学生まではイジメが横行していても、 ひとりひとりがバラバラのクラスに出席する大学ではイジメの話はあまり聞かないのも、 この法則による。 噂好き、イジメ好きの人間は、狭苦しいところに閉じ込められた哀れな人であって、 自分に自信もないから、他人に矛先を向けて自分が標的にならないように防御しているだけ。 ただそれだけのことです。(p.154)成功した男について語っている部分よりも、こんな部分興味を示す私も、どうなんだろうかと思う。
2008.07.12
コメント(0)
『将の器、参謀の器』というタイトルと、 それに続くサブタイトル 「あなたはどちらの“才覚”をもっているか」に引きつけられ、 大いに期待して購入、読んでみました。 中身はと言うと、思ったほど重々しかったり、小難しいものではなく、 割とあっさり軽めのタッチで、歴史上の人物の行動を紹介しながら、 将たるもの、参謀たるもの、如何にあるべきかを語っています。 徳川家康、武田信玄、加藤清正等、登場する人物は、もちろん豪華です。私が、本著の中で参考になったのは、労働の動機づけの三つの条件。1.自分は何のためにこの仕事をしているのか?2.自分のやった仕事は、どれだけ組織あるいは社会に対して役に立ったのか?3.それに対して、組織はどういう評価をしてくれたのか?そして、この三つの条件を、見事に満たしているのが、次のエピソード。木下藤吉郎、後の豊臣秀吉が、織田信長の部下になって間もない頃、清洲城の塀が大破し、工事奉行がその修繕に手こずっていました。その仕事を進んで引き受け、労働者たちを見事に統率、一晩で修理を終えてしまうのです。その見事さは、読んでいてワクワクもの。もう一つ参考になったのは、徳川吉宗が設置した目安箱のエピソード。・ 住所氏名を明らかにしない匿名の投書は受け付けない。・ 個人的な批判や自分の不平不満は受け付けない。・ あくまでも徳川政治はどうあるべきか、江戸の生活はどう改善されるべきか、 建設的な意見に限る。・ 目安箱の鍵は吉宗自身が持つ。間で開けることは許さない。 従って、投書者は思い切った意見を出して欲しい。目安箱の設置自体は、超有名な事柄で、誰でもが知っていることですが、その運用については、そうそう学んでいるわけではないでしょう。かく言う私自身も、本著を読むまで、この事実は知りませんでした。そして、このエピソードは、「投書」とはどうあるべきか、そして、誰がどのように扱うべきかについて、ネット社会となった現在においても、示唆に富んでいると思いました。
2008.07.06
コメント(0)
初めて読んだ横山さんの作品。 一人一人のキャラを、きちんと丁寧に描きながらも、 スピーディーな場面転換によって、途中で飽きさせることなく、 最後の最後まで、謎を引っ張り続けて、一気にフィニッシュ! しかし、このドロドロの世界は、スゴ過ぎる。 警察機構の中で、自らのポジションを守り、 さらに、将来に向けて、次の一手を考えながら動いていこうとする 各キャラクターの、心の底の闇の部分を、見事に表現している。まぁ、どんな職場でも、こういう一面はあるのだろうが、それにしても、あまりにドロドロとしていて、読んでいて息苦しくなってくるほど。妻・子どもとの関係や、元カノの存在、それに、官舎内の奥様同士の葛藤までもが、そこに持ち込まれると、これは、有りそうで無さそうで、もう何とも言えない……。でも、ここまで夫の仕事の中身、深いところにまで首を突っ込める妻っていうのは、本当のところ、そんなにいないのでは?ましてや、警察における、超シークレット扱いの捜査に関わる事柄を、奥さん同士の会話の中で、ここまでオープンにすることは、まず無いでしょう?この部分については、リアリティが無いな、と思いながら読んでいましたが、もし、実は……なんてことが、実際にあるんだったら、男同士の権力闘争なんかを遙かに超えて、そっちの方が、よっぽど恐い状況だなと思いました。
2008.07.06
コメント(0)
全16件 (16件中 1-16件目)
1