貴方の仮面を身に着けて

貴方の仮面を身に着けて

2006/06/25
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カテゴリ: 火消しシリーズ
「金糸雀は二度鳴く」の第一部と第二部の間のお話です。



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和樹が朝食のトーストを齧りながら言った。
「お父さん、今日はね、学校の近くの神社でお祭りがあるんだって」
薄めのカリカリに焼いたトーストはバターの上にたっぷりとコンデンスミルクが塗ってある。朱雀はソファで新聞に目を通していた。
「学校の帰りに寄って行くか。今日は私が迎えに行けそうだからな」
「ほんと?御岬さん達も一緒に?」
和樹がはしゃいだ声で言った。

ミルクティの入ったカップを飲み干すと、和樹は空の皿と一緒にキッチンまで運んだ。リビングとキッチンは下半分は棚で仕切られてはいるが、あとは開放的な作りになっている。加奈子が朱雀の為にコーヒーを入れていた。
「お母さんも行くよね」
朱雀も向こうから声をかけた。
「皆で一緒に行こう」
「そうね、それはいいわね」
加奈子は慎重な手付きで銀のポットから熱湯をドリップ用の袋に注ぎながら答えた。ミントンの青いコーヒーカップに香り高い液体がたまっていく。
「私が車でお前を拾って、それから和樹を迎えに行こう」
朱雀は息を深く吸い込んだ。
「良い香りだね。朝はコーヒーが良いね。特にお前が入れてくれるのが」
「またそんな事を言って」
加奈子は朱雀を見て、軽く睨む真似をしてから微笑んだ。


「そんなに急がないの」
加奈子がやんわりと声を掛けても、和樹は我慢出来ずに駆け出したいような足取りで歩いていた。

本殿の前に出ると、朱雀はポケットから硬貨を出して和樹に渡した。
「お参りして行こう」
朱雀は加奈子にも硬貨を渡した。

「貴方と和樹の事をお願いしておくわ」
朱雀と加奈子は微笑を交わした。和樹はそういうお父さんとお母さんを見ると、恥ずかしいような幸せなような、甘酸っぱいような物が胸に沸いてくるような気がするのだ。朱雀は篠牟と御岬にも硬貨を渡した。
「たまには神様に何かお願いするのもいいかもしれんぞ」
御岬は笑顔で答えた。
「そうですね。ここの神様は女神様だそうですから、優しい方かも知れないですね」
「さあ、女神だから優しいかは分からんぞ。神様でも女性は女性だからな」
朱雀はいたずらっぽい目で篠牟を見た。篠牟はちょっと拗ねた目で朱雀を見て、照れたように微笑んだ。

和樹は賽銭箱に硬貨を投げ入れると、上の鈴から垂れ下がった太い縄をゆらして、ガラガラと音をさせた。そして目を閉じて手を合わせた。
(お父さんとお母さんと僕と、篠牟さんも御岬さんも、皆が幸せになりますように)
和樹は心の中で神様にお願いした。こんなに真剣に神様に願った事はなかった。手を合わせたまま、薄目を開けて横を見ると、朱雀も加奈子も手を合わせ、目を閉じていた。二人の横顔が綺麗だと和樹は思った。思ってから切なくなった。綺麗過ぎたからだった。篠牟が御岬の耳元に小声で何かささやいていた。賽銭箱の位置を教えているらしい。御岬の投げた硬貨は見事に賽銭箱に吸い込まれた。二人は何か言い交わして笑って、それから手を合わせた。

本殿の横に人の背の高さ程の櫓が組んであり、大きな太鼓が据え付けられていた。法被を着た男が叩いていたが、あまり上手いとはいえない音がしていた。それを眺めていた朱雀が言った。
「あれでは神様のご機嫌も良くなかろうな」
「朱雀兄さん」
御岬は懐から笛を取り出して、朱雀の方に振って見せた。朱雀はにっこりとした。
「やってくれるかね」
「朱雀兄さんがその気なら」
「ああ」
鋭い笛の音が夕暮れの空気に響き渡った。男は驚いて太鼓を叩く手を止めた。朱雀は櫓の縁に手を掛けると、ひらりと上に飛び乗った。朱雀は男の方に手を差し出した。
「それを貸してくれたまえ」
男は朱雀の堂々とした態度に気圧され、持っていた撥を思わず渡してしまった。朱雀はにっこりとして言った。
「ありがとう」
そして傍らに置かれていたもう一組の撥も手に取ると、それを下にいる篠牟目掛けて放った。篠牟はそれを受け取り、同じ様に軽々と櫓に飛び乗った。御岬はゆったりと美しい旋律を吹いていた。朱雀と篠牟は太鼓を挟んで立った。目で合図を交わすと、朱雀は撥を振り上げた。

御岬は笛の調子を変えた。陽気な旋律が境内に流れた。朱雀は慣れた手付きで撥を操っていた。力強い音が朱雀の撥から生まれ、篠牟が更にそれに深みを与えていく。合間に入る掛け声も淀みない。和樹は加奈子にぴったりと寄り添うように立ち、きらきらした目で櫓の上を見つめていた。
「お父さん、凄いや。篠牟さんも御岬さんも凄い」
いつの間にか最初に太鼓を叩いていた男は壇上から消えていた。太鼓の音は段々と激しくなり、いつしか二人は上着もシャツも脱ぎ去っていた。広い肩から締まった腰に流れる線が逆三角形を形作る背中に躍動する筋肉はしなやかで、蜂蜜色の滑らかな肌に汗が光っている。太鼓の音に誘われて、櫓の周囲はいつの間にか人だかりになっていた。極上の伝統芸能がそこで繰り広げられていた。美しい二人の男が櫓の上で踊るように太鼓を叩き、これも美しい男が笛を吹いている。強弱巧みな太鼓の音が作り上げる世界に、笛の音が鮮やかな色を添えていく。人々は半ばあっけにとられながら、彼等に見惚れ、聞き惚れていた。

一際威勢の良い掛け声と共に、それは終わった。朱雀は片手で上着とシャツを持ち、ひらりと櫓から飛び降りると、加奈子の前に跪き、加奈子の片手を取り手の甲に口付けた。「すべては貴方に捧げる為に」というような仕草だった。加奈子は静かに微笑み、朱雀を見下ろした。神社の女神が加奈子に降臨したかのように人々には思えた。事実、その時の加奈子は女神の如き威厳を湛え、金色に輝いているかのようだった。和樹もうっとりと両親に見惚れていた。

帰りに気軽なレストランで食事をした。誰もが幸せそうだった。
(僕のお願いが神様に届いたのかな)
和樹はこっそり思った。そして和樹は前に訪れた佐原の村祭りの事を話した。篠牟も御岬もそれを知っていた。彼等もそこにいたのだから。
「今度はお父さんとお母さんも行こうよ」
何のてらいもなく和樹は行った。朱雀は灯が眩しいような目をした。御岬は見えない目をそっと伏せた。篠牟がいつもの穏やかな声で言った。
「そうですね。間人様もきっと歓迎して下さいますよ」
「そうだよね、きっとそうだよね」
和樹は何も気が付かないまま、うれしそうに篠牟を見た。朱雀が自分に言い聞かせるような優しい口調で言った。
「その時には、昔私が好きだった場所にお前を連れて言ってやろう。そこから村が見渡せるのだ。幼い頃、私達三人は良くそこに行った。そこで御岬の笛を聴きながら、いつまでも空や村を眺めていたものだ」
朱雀は微笑み、和樹を見た。
「そうして、いつか幸せになりたいと思っていた。私達三人共幸せに。今、私は幸せだ」
兄が二度と生きては村に戻れぬ身だと知りながら、篠牟は朱雀を真っ直ぐに見て言った。
「私もですよ、兄さん」
顔を上げた御岬も、いつもの柔らかい響きのある声で言った。
「僕もです」
朱雀は深い想いを隠した目で二人を交互に見て、微笑んだ。
「私の願いがかなったわけだな、これで・・」
ウエイターが料理を運んで来たので、朱雀はそこで言葉を切った。朱雀は言いかけた言葉を一人、胸の奥にしまい込んだ。
(これで、私は思い残す事はない)
朱雀は故郷の祭囃子が幽かに聞こえたような気がした。グラスの酒の味を確かめるふりをして目を閉じ、夜の中で耳を澄ませた。

遠い笑い声が聞こえた。
それは幼い頃の自分と弟達の笑い声だった。




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Last updated  2006/06/26 04:53:33 AM
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