貴方の仮面を身に着けて

貴方の仮面を身に着けて

2006/09/15
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カテゴリ: 忍野恋歌(完結)



夜空には半分に欠けた月があり、幾本もの灰色の帯の如く流れる雲が、月の面を隠しては過ぎて行った。風は強く冬枯れの野に吹きすさび、忍野の髪も寝巻きの裾も乱れ、黒塗りの拵えの刀で身を支えつつ歩く足の脛が白く闇に見え隠れした。寒風の中を単の寝巻きだけで凍えるのも物ともせず、忍野は歩いて行った。


御岬は忍野を説得しようとした。”癒しの手”を持つ者は言った。
「土地の力を借りれば、毒を浄化出来ます。今より楽になりますよ」
今やほとんど起き上がれぬ程になった身を寝台に横たえ、忍野はそれでも頑固に言い放った。
「御岬様のお力の使える量は限られております。私のような者に使わないで下さい」
御岬は見えぬ目に哀しみを浮かべて言った。
「貴方は、篠牟兄さんを助けた人だ」
忍野はそれを聞くと暗い顔をした。
「それは何の意味もありません。篠牟様はお亡くなりになりました。もはや戦えぬ私は生き延びる価値はない」

麻里子の名を聞いて、忍野は胸が痛んだ。病の傷みと心の痛みと両方が忍野を苦しめた。
「それは御岬様の思い違いです。麻里子様は私を・・」
忍野は咳き込んだ。御岬は忍野の胸に手を当てた。温かいものがその手から忍野の胸に流れ込んだ。忍野は胸がすっと楽になった。咳が収まり痛みが消えた。
「とにかく僕は、貴方の気が変る事を願っています」
御岬は白い杖をたよりに、病室を出て行った。

忍野はただ死を待つ為に、横たわっていた。どんな治療も受けようとはしなかった。老医師は「薬を飲まねば病室を追い出す」と半ば脅迫した。不承々々忍野は老医師の薬は受け入れた。医療の建物を出されたら、行く場所は実家しかない。忍野は家には帰りたくなかった。

病室には三隅が付き添っていた。忍野が医療の建物に運び込まれたと聞いた須永は、すぐにやって来て三隅に言った。
「お前は霧の家の出だ。風の家の私より医術や薬に詳しいだろう。お前が忍野様のお側に居てくれ。お前の分の盾のお勤めは、私が代わってやる」
寡黙な須永からこんな申し出があるとは思わなかった。三隅は須永も自分と同じ位に忍野の事を心配しているのが分かった。
「それはありがたい。しばらくそうさせてもらう。ご容態は毎日お前に報告しよう」
二人の忍野の組の者は、互いに頷きあった。


「麻里子姉さんからも言ってくれないか、僕の治療を受けるように」
御岬は言った。
「確かに力を使うと体力を消耗する。患者は大勢いる。でも僕は忍野様に少しでも元気になって欲しい」
御岬はこれが麻里子が忍野を見舞うきっかけになればと思っていた。目は見えずとも聡い御岬は、麻里子と忍野の間に何かあった事に気付いていた。そして忍野の麻里子への深い想いにも以前から気がついていた。篠牟亡き後の麻里子の心細さをいたわる忍野の真摯な態度は、御岬にも不快ではなく、長兄の朱雀が”外”の社長業に戻った今、むしろ頼もしく思っていたのだった。
「私の言う事なんか、聞いてくれると思えないけれど」

「まあ、一度は行ってあげてよ。僕ら、随分世話になったし」
麻里子はためらいながら、返事をした。
「そうね、そうするわ」

三隅に案内されて、麻里子が部屋に入って来た。
「見舞いに来ていただけるとは、思ってもいませんでした」
忍野はさりげなく麻理子から目をそらし、天井を見た。そして目を閉じた。三隅はそっと部屋を出た。麻里子は目を閉じてしまった忍野の傍らに立ち、思い切って言った。
「あの、篠牟さんを助けた時に、身体を・・」
少しだけ期待して、それが破れた。忍野はやはりそうかと苦笑した。自分を心配してくれたのではなかったのだ。篠牟を助けたから、その礼を言う為に来たのだ。分かっていたのに期待した自分の甘さに忍野は嫌気がさした。目を開き、なるべく平静な顔を心がけながら、忍野は言った。その声は硬かった。
「それが、私のお役目でしたから」

忍野は麻理子が悲しい顔をするのを見た。良く笑う人だと篠牟様は言ったのに。忍野は力を振り絞り、半身を起こした。麻里子に少しでも元気な姿を見せたいと思った。つまらぬ見栄だと自嘲する思いと戦いながら、忍野はなるべくやさしく聞こえるようにと気を使いながら言った。
「村の暮らしはいかがですか。そのうち、篠牟様の好きだった貴方の笑顔が、沢山見られるようになると良いと・・私は願っています」
麻理子は少し、笑顔を見せた。その笑顔を守りたいと篠牟様はおっしゃったのに。私も守りたかったのに・・忍野は咳き込んだ。血を吐いた。
「忍野さん!」
忍野は身を引いて、麻里子が肩に置こうとした手を避けた。
「さわらないで下さい、私は不浄です。貴方を汚したくない」
忍野は咳き込みながら言った。咳と共に張り詰めていた気持ちが一気に崩れた。
「ここへはもう来ないで下さい。いや、来る気もないでしょうが。すみません、私は往生際が悪くて、もうとっくに消えているはずなのに・・貴方の人生から。今度こそ本当に・・だから安心して幸せになって下さい。ここには貴方を幸せに出来る者が、きっといます。みんな、私より良い奴ばかりです」
麻里子は叫んだ。
「何を言っているんですか、誰か忍野さんが!!忍野さんが!」
忍野は麻理子の叫びを聞いて、ますます自分の認めたくない事を認めるように自分に強いた。
(私は余計なのだ。どこにいても余計なのだ。私がいなくなっても、篠牟様の時のようには誰も哀しまない)
「麻理子さん、お帰り下さい。もういいのです」
飛び込んで来た三隅に、忍野は行った。
「麻里子様を、お送りしろ」
咳き込みながら、忍野はもう麻里子の方を見なかった。辛くて見られなかった。

老医師のいつもの脅迫で、忍野は渋々注射と点滴を受けた。静かになった病室に、スチームからしゅうしゅうと漏れる音だけがしていた。三隅が寝台の傍らの椅子に腰掛けていた。忍野は三隅に言った。
「お前はもう、私に着いていなくていいぞ」
「何をおっしゃいます」
「次の長は白神か久遠になるはずだ。お前も奴らのそばに行った方が良い」
三隅は怒った声で言った。
「私がそんな人間に見えますか。私は自分の出世の為に、貴方の側にいたのではありませんよ」
忍野は少し笑い、言った。
「それを分かっているから言うのだ。これからは自分の事を考えろ。私はもう、お前にはしてやれる事は何もないのだ」
「盾の席次など良いです。貴方は私達を奥までお連れ下さった。異人と瘴気から篠牟様と私達を守る為に、術を無理にお使いになったせいで、こんな事になられた」
「私はもう少し早く奥へ行くべきだった。私はいつも判断が悪い」
「あの中で、寒露様の制止を振り切って、奥へ行く決意をされたのです。それが英断でなくて何でしょう。私と須永はそういう貴方だからこそ、お側にいるのです」
見た目は平凡な若者だったが、彼も生粋の盾だった。その意志は強かった。
「私はとにかく、貴方の側にいます」


忍野は病室を抜け出した。
こうして生きていた所で、周囲に負担をかけるだけだと思った。部下にも医療の御役目にある者達にも、そして麻里子にも。もう自分には何も残されていないのだ、この病んだ身体以外。ただひとつ手にしていたのは、露の家に伝わる名刀”琴祐(ことひろ)”、次代の長である忍野に露の家から託された刀であった。幾多の戦いを忍野はその刀と共に乗り越えて来た。最期の旅路もせめてこの刀がいて欲しいと思ったのだ。

寒さより心の底の冷たさが、忍野を凍えさせた。覚悟は出来ていると思った。おぼつかぬ足取りで歩きながらも、忍野は顔を上げ、胸を張ろうとした。最期まで誇りを失いたくないと、病んだ身を励ましながら、忍野は歩いて行った。

消灯後に見回りに来た者が、忍野の失踪に気がついた。知らせはすぐに盾の詰所にもたらされた。真夜中ながら高遠は迅速に動き、探索隊を組織した。
(忍野様、どちらへ)
他の盾の者達と忍野を探しながら、三隅は今日に限って早く自室に戻った事を悔いていた。
(私は馬鹿だ。あんな事を忍野様が言い出した時に、何か変だと気がつくべきだった)

知らせは露の家にももたらされた。劉生の顔は蒼白になった。霜月が慌しくやって来た。
「取り合えず、詰所で待ちましょうぞ」
霜月は励ます様に言って、劉生をうながした。詰所は灯が点され、ストーブが赤々と焚かれていた。何名もの盾が忙しげに行ったり来たりしていた。入って来た二人の家の長に、高遠は立ち上がり頭を下げた。
「探索は二手に分けて行っております。寒露様が”外”の狩からお戻りになられたら、ご協力願おうと思っております」
霜月は頷き、高遠に言った。
「我等はここで待たせてもらうぞ」
「はい」
高遠は傷心を顕わにしている劉生を痛ましげに見た。かつての盾きっての猛者であり峻厳で知られた劉生が、一気に老け込んだかに見えた。

年少の盾がストーブの側に椅子を運んだ。
「こちらでお待ち下さい。今宵は冷えますので」
霜月はまだ童顔の盾をねぎらった。
「すまんな、お前も眠いだろうに」
「いえ、忍野様は私に剣術を教えて下さいました。ご無事でいて欲しいです」
霜月は優しい笑顔で応じた。
「そうか」
「いつもお優しい方で、年少組は忍野様が好きな奴ばかりです」
子供の声は澄んでいて、偽りの響きはなかった。息子の良き評判を聞き、少しばかり劉生の目が優しくなった。そして自分の仕打ちを恨む忍野の哀しい声を思い出し気持ちが沈んだ。椅子を運んだ盾は一礼して去っていった。二人は腰を下ろした。高遠と連絡係を残し盾は出払い、詰所は静かになった。
「忍野・・無事でいてくれ」
劉生のつぶやきを霜月は聞いた。霜月は力付ける様に劉生の背中を大きな手でさすった。


森の中で、血に染まった忍野の刀が発見された。
忍野の姿はどこにもなかった。




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Last updated  2006/09/15 12:26:18 AM
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龍5777 @ Re:白衣の盾・叫ぶ瞳(3)(03/24) おはようございます。 「この歳で 色香に…
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menesia @ Re[1]:まとめサイト更新のお知らせ(03/13) 龍5777さん 「戯れに折りし一枝の沈丁の香…
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