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「営業二部の村川という男の口座に3千万振り込みがあったそうです」「訳ありの金としか思えんな」「日付は12月19日、振り込んだ相手は“日の丸物産”だそうです」「日の丸物産・・・」「何か心当たりはありませんか?「ちょっと調べてみる。・・・やっぱりただの係長やなかったな、お前」「いえ・・・ただの係長です」この作品は、世の殿方を多いに悦ばせること間違いなしである。と言うのも、ストーリーうんぬんより強引な場面展開とお色気ムンムン大人のドラマ的なカラーが強いからである。作者は漫画家の柳沢きみおで、週刊現代に連載された人気コミックの実写版という形になっている。地味で冴えない窓際係長のもう一つの顔・・・みたいなテーマが作品のコアになったものだ。正直なところ、女性サイドからすれば高橋克典ファンが飛び付くか、あるいは殿方サイドならお色気ムンムン下ネタに生唾を飲むか、まぁそういう娯楽モノである。電王堂の総務二課係長である只野仁は、野暮ったく残念な人柄で、皆からは諦められた存在である。だが、彼の真の姿は違っていた。彼は電王堂最高責任者である会長直属の特命係長として、社内に蔓延る不正を暴く立場にあったのだ。ある日、只野は「フラワー・アース・フェスタ2008」のイメージ・キャラクターである人気グラビアアイドル・シルビアのボディガードを任される。シルビアは何者かに狙われ、怯えるのだった。ある意味、春先に観るには格好の作品かもしれない。難しい顔してため息の出るような映画から解放され、たまには「ありえん!」と思えるようなバカバカしい娯楽映画も、気分転換には持って来いなのだ。肩肘張らずに居間のテレビでゴロンと横になりながら観てみたい・・・そんな作品なのだ。2008年公開【監督】植田尚【出演】高橋克典、永井大、赤井英和また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。 See you next time !(^^)
2010.03.28
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「月曜の朝の憂鬱のことをBlue Mondayって言うんだよ」 と教えてくれたのは、親友の由紀子である。 社会人になってからは、毎週月曜の朝が来る度に、このBlue Mondayを思い出し、そして実感する。 はぁ・・・また一週間が始まるのか・・・。 厭々玄関を出ると、足取りも鈍くなる。そんな調子だから普段は決してあり得ない歩道のわずかな段差に躓いたりする。しかも、すれ違う人と肩がぶつかる。 見上げた空は、鉛色をしていて、今にも降り出しそうな空模様なのに、うっかり傘を持って来るのを忘れた。いざとなったらコンビニでビニール傘を買えばいいと思い、そんな行き当たりばったりのせいで、傘立てから溢れた傘が二、三本はある。増え続ける傘を見る度に、「またムダなことしちゃった」と自己嫌悪に陥るのだ。 こう言う負のスパイラルは、どこかで断ち切らねばならない。 麻子は「よし」と、何かを心に決め、力強くマルミツストアーに入って行った。 いつの頃からか、「今日はついてない」と思う日は、いつもと何か違うことをして、流れを変えるようにしている。言わば麻子流の厄払いみたいなものだ。 今朝、ズンズンと真っ先に向かったのは、おにぎりコーナーだ。「ツナマヨ、買ってみるか」 麻子はこれまで、おにぎりの具と言えば鮭か昆布であった。それらが品切れの時は、涙を呑んでおかか、あるいは梅。どんな状況にあっても、ツナマヨを選ぶことはなかった。好きとか嫌いの次元ではない。とにかく生まれてこの方、口にしたことがない味覚への挑戦は、麻子にとって余りに冒険が過ぎたからだ。 大体、ご飯の中にマヨネーズとツナってどうよ? と言う違和感にずっと囚われて来たのだ。 一瞬の躊躇を振り切り、ツナマヨを鷲掴みする。 あとはいつも通り、アロエ入りヨーグルト、それにあったかいお茶をカゴに入れた。 空は薄いベールで日の光を覆ってしまったように、モノトーンな色彩が広がっている。 だがそれは、もうじきやって来る春の気配。 オフィスは、片桐や麻子たちのデスクが集まる島の頭上の照明だけが、ポカンと点いている。普段はエコ対策で、始業ギリギリまでは点けない。おそらく一番乗りの片桐が、余りの暗さにスイッチを入れたのであろう。「おはようございます」「おはよう。そう言えば喉の調子はどうだい?」「おかげさまで随分良くなりました」「それは良かった。ところで・・・」「・・・はい?」「・・・青汁は試してみたかい?」「青汁って・・・ああ!」 麻子は金曜日のことを咄嗟に思い出す。デスクの引き出しに入っていた〈粉末青汁・抹茶風味(六包入り)〉のことを。 だが、誰からの頂き物かも分からず、ましてや片桐からなどとは予想もしていなかったため、バッグにしまい忘れてそのままになっていた。「課長でしたか・・・すみません。結局、飲まずじまいで・・・。でも、ありがとうございます」「いやいや、後から考えたらトンチンカンなことしてしまったなぁと思って。健康維持にはいいかもしれないけど、声を嗄らしている人に青汁はないだろうって・・・申し訳なかったねぇ。なにしろ不肖の僕は、ウチワしか持ってないんだ」「えっ、ウチワ?」「センス(扇子)がない」「ああ・・・! アハハハ・・・」「アハハハ・・・」 今朝、思い切ってツナマヨを買ってみて良かった、と麻子は思う。それが単なる自己暗示だとしても、少なくともその一件で流れが変わったような気がするからだ。「口直しに、これ、聴いてみるかい? 返すのはいつでもいい」 片桐が差し出したのは、一枚のCDだ。ジャケットには『柳家小さん・長屋の花見』とある。 昔、父の傍でイヤと言うほど聴いていた噺なので、演目を見ただけで、自然とまくらがどこからか聴こえて来るのだ。「花見かぁ。おもしろそうだなぁ、行ってみようか」「行くか? 行くんなら俺の名刺やるぞぉ」「おめえの名刺もらってどうすんだ?」「俺の名刺持っていけば、どこの花見だってタダだ」「なにを言ってやがる。おめえの名刺をもらわなくたって花見はタダだ」 麻子は、滲むような温かいものを感じつつ、CDを受け取る。「これがおもしろかったら、まだ他にもたくさん持ってるからいくらでも貸してあげるよ」 目の前の片桐が、いつもとは違った存在に映る。 課長って、独身だったかしら? 麻子は久しぶりのときめきに、思わずはしゃぎたい気持ちを抑えるのに必死だった。 さっきまでモノトーンだった空が、ほんの少し色づいたように見えた。(了)【参考】古典落語 小さん集(柳家小さん・飯島友治編)
2010.03.24
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車でどのぐらい走っただろう。 既に香陵台の水飲み場まで来ていた。 二人はそこで車から降り、リュックを背負う。「大した距離じゃないが、慣れていないからしんどいぞ」 階段状に削られた登山道を、父は慣れた足取りでサクサクと登って行く。「お父さん、待ってよ!」 麻子は、ズシリと鉛のように感じるリュックによろめきながらも、必死で追いつこうとする。 昨晩、雨でも降ったのか、ぬかるんでいて足場が悪い。 盛り上がった木の根っこに躓きそうになりながら、登って行く。 都会では、まず聞くことのない野鳥、そう、シジュウカラ、カケス、トンビなどが、優雅に春の息吹を謳歌している。「お父さん、待ってよ!」 どうやっても追いつきそうになく、早くも不安になる。 真昼とは言え、寂寥として登山客のいない山道で、一人ぼっちにされた孤独感は、耐え難いものがある。 その様子を見かねたのか、遠くの方から父の声だけが木霊する。「慌てることはない、休み休み来なさい!」 その声に少しだけ励まされて、少し歩いては休み、また少し歩いては休み、まるで亀のような歩みで進んだ。 歩くのに夢中で、気にも留めなかった、登山道に覆い被さるような樹木。 春を先取りした風にあおられて、耳のそばでざわざわと音を立てている。 山の木って、一種類じゃないんだ。 遠くから見ると、単に同じ木が群れているようにしか見えない山も、近くで見ると、アラカシ、マルバハギ、マルバウツギ、アオキ、クロガネモチ、ケヤキ、イヌビワなど、様々な樹木が寄り添うようにして生い茂っている。 湿気を含んだ常緑樹の瑞々しい香りを胸いっぱいに吸い込みながら、眼下を見下ろすと、沼津の街並みが一望出来た。そして狩野川の北側には、富士山が泰然自若としてそこに存在した。 黙々と歩けども、歩けども、なかなか父の背中は見えて来ない。 再び麻子は不安に駆られる。「お父さん、待ってよ!」 しかし、今度はうんともすんとも返事がない。 すると、麻子の周囲では驚くほどの速さで異変が起きる。 枝だけをあちらこちらに伸ばした枯れ木が、みるみるうちに芽吹き始め、若葉が萌えた。 新緑が徐々に黄色みを帯びて来たかと思うと、やがて真っ赤な色彩に変化し、はらはらとその葉を落とすのだった。 それはまるで、自然のサイクルを早送りで鑑賞しているような感覚だ。 シュールレアリズムのダリが描く、幻覚的な世界に迷い込んでしまったような、途方もない気持ち。 私はこれから一体どうすれば良いのだろう? 嘆きのような、倦怠感のような、あるいは寂しさのような、得体の知れない深みにはまって、もがき苦しむ自分。 父が迎えに来てくれるなどと言うことが、万に一つもないことを知っているだけに、その場にしゃがみ込んで号泣したくなった。 だが、人間の本能と言うものは、どんな絶望の淵にあろうが、完璧なまでに裏切らない。 オシッコしたい! 孤独の余韻に浸る暇もなく、麻子は尿意を催した。それは、ドラマにありがちなワンシーンとはかなり違っていた。 例えばドラマだと、ヒロインが額に汗を滲ませながら、ガバッと起きる。荒い息遣いを整えながら、「ああ、夢だったのね」と呟く。おもむろに時計を見ると、すでに七時を回っている。朝の陽射しが寝室を明るく照らし、雀のチュンチュン鳴く声が、昨夜の悪夢をすっかり掻き消してくれる。 一方、麻子の場合、そんなドラマチックな目覚めとは対照的に、ただとにかく無性に尿意を催したのだ。 ああ、オシッコしたい・・・! その一念で、長く遠い夢から目覚める。 こたつの中で茹で上がった身体をズルズルと引っ張り出すと、真っ先にトイレに駆け込む。 用足しを済ませると、熱が放出されて、急に寒さを感じる。そして、衣類がぐっしょり濡れていることに驚く。 単なる声嗄れだと高をくくっていたが、夜になって悪化し、熱が出たらしい。しかし、一晩の間にたくさん汗を掻いたおかげですっかり体が軽くなり、喉の調子もだいぶ良くなった。 大きなあくびを長く、ゆっくりすると、完全に目が覚めた。 壁一枚隣りの独身OLの部屋から、ポメラニアンが床をガリガリ引っ掻いて、ふて腐れたようにキャンキャン鳴く声が響く。 ワンちゃんだってストレス溜まるわよねぇ、一日じゅう部屋の中だもん。 麻子は手早く着替え、ヤカンに火をかけた。もちろん、紅茶を入れるためである。 こたつの定位置で、湯が沸くのを待つ。 いつも決まって眺めるワイルドスミスの『ちょうとはな』から、部屋の片隅に視線を移すと、チェストの上にロッカータイプのこぢんまりとした仏壇が置いてある。そこには、麻子の先祖と両親の位牌が祀られていて、熟れたりんごが一個、申し訳程度に供えられている。花は、ファンヒーターで暖められた部屋ではすぐに開いてしまうため、今は飾っていない。飾るのは大抵、正月、彼岸、うら盆、そして祥月命日である。 毎朝欠かさないのは、仏壇に紅茶を供えること。別段それが洒落たことだと思ってやっているわけではない。一般的な常識から言えば、緑茶を供えるのが当たり前。だが、あえてである。「老いては子に従え」転じて「仏になったら子に従え」・・・ではないが、先祖を始めとする両親にも、今を生きる麻子の生活スタイルに合わせてもらおうと言う訳なのだ。 線香は白檀の香りと決めていて、いつも三枝仏具店で同じものを購入している。これは、麻子の趣味と好みである。 湯が沸くと、今朝も麻子は仏壇から下げた湯飲みに紅茶を注ぎ、再び供える。 そして必ず線香を一本手向け、手を合わせる。 ご先祖様、お父さん、お母さん、今日も一日私のことを見守っていて下さい。 両親を病気で亡くしてこの方、ずっと一人きりの生活。生前、腹違いの兄がいるとかいないとか聞いたような気もするが、それも今となっては定かではない。おそらく、一人っ子の麻子が、「お兄ちゃんが欲しい」と駄々をこねた幼少の頃、困った父親がでっち上げた作り話であろう。「お前のお兄ちゃんは地球の反対側に住んでいて、大富豪の御曹司として暮らしているからガードが厳しくて、面会は叶わないんだ」 その時分は胸をときめかせて聞き入った「まだ見ぬ兄」の物語であったが、今となっては懐かしい寝物語である。 両親を亡くした時、すでに麻子は成人していたため、施設に入れられるとか、親戚の間をたらい回しにされるなどの不幸には見舞われなかった。だがそれだけに、精神的な気楽さを得る一方で、常に孤独との闘いであったかもしれない。 自由であることとは、自立した者が全ての責任を負った上での見返りなのだから。 こたつで身も心もあったまりながら、両手でマグカップを包み込むようにして持つ。白い湯気が、顔の前をゆらゆらと漂っている。 そう言えば、夢の中にお父さんが出て来たような気がするけど・・・。 昨夜見た夢を、どうにかして思い出そうとしてみたものの、やはり内容までは思い出せない。「ま、いっか」 麻子のお腹が元気良く唸る。 夢の続きより、まずは空腹を満たすことが先決だと考える。もちろん、行き先はマルミツストアー。今日の日替わり弁当のおかずは何だろう、と思った。【次回につづく】・・・時々内心おどろくほどあなたはだんだん読みたくなる。(^_^)v
2010.03.21
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自分でも驚くほど記憶が飛んでいる、と麻子は思った。 体が瞬間移動したみたいに、既に三島にいたからだ。 大体、東京からここまで来るのに、新幹線を使ったのかそれとも在来線に乗って来たのか、それすら覚えていない。 普段、飲み慣れない風邪薬が効いて、脳の思考回路をおかしくしているのかもしれないと思った。 ポカポカ陽気に恵まれた日曜日の朝、人も車ものんびりと動いている三島に、久しぶりに帰って来た。 駅前のロータリーを、バスやタクシーが流れて行くのを目で追う。「おい麻子、こっちだよ!」 白のホンダCIVICの運転席から顔を覗かせたのは、父である。 見れば最後に会った時よりも、一段と若返っていて、肌艶も良い。「あれ、また車に乗ることにしたの?」 確か大病を患って、足腰が思うように立たなくなった時、運転免許証を返上したはずである。「リハビリが功を奏してな、すっかりこの通りだ」「良かったじゃん。今のリハビリは進んでいるね」 感心しながら助手席に乗り込むと、カーステレオから賑やかな出囃子が聴こえて来た。 「勤め先の課長も落語が好きで、よく聴いているよ。ああ、これ覚えてる。お父さん、昔からこの演目好きだよね」「これはな、柳家小さんの『へっつい幽霊』だよ」「ふぅん」 と答えながら、麻子はとりとめのないことを感じていた。 何とも表現しようのない、無性に懐かしい気持ち。 手を伸ばせばすぐに届きそうなのに、実はとても遠くにいて、声さえ届かないようなもどかしさ。 今、ここにいる父という存在が、儚い幻であるかのような感覚に陥っていた。「麻子、お腹空いてないか? そこのやつ、食べていいぞ」 父はダッシュボードの方を指差して、麻子を促した。 そこには、ピーナッツにビスケット、チョコレートからドロップまでいろいろ詰め込んであった。 麻子は少しも空腹ではなかったが、そのうちの一つに手を伸ばした。 ここにいる麻子は、三十一歳のしがない独身女性などではなく、ビスケットを手にして喜ぶ、小学生の女の子なのだ。「お父さん、今日はどこに行くの?」「沼津の香貫山にでも行くか? あんまり高い山だと、お前もしんどいだろうし。遠足と言うか、散歩に毛の生えたようなものさ」 車は市街地を抜け、国道を滑るように西へ向かう。 大小様々な建物が乱立し、見覚えのないパチンコ店やコンビニの出現で、故郷の面影を薄いものにした。 だが、古くからある自動車教習所や、食堂の看板を見つけると、「あ、知ってる」と、誰かに自慢したい気持ちに駆られた。 滔々と流れる狩野川を跨ぐ鉄橋を越え、目的地が見えて来ると、どう言う訳か、スローモーションのようにゆっくりと時間が流れている感覚に襲われた。 中腹に五重塔が現れ、香貫山は目の前なのに、なかなか麓まで辿り着けない。長く遠い道のりを、ひた走る。 麻子は、久しぶりの父との再会で話したいことが山積みだったのを思い出す。 この機に話さなくては、永久に話せないような気がして、まるでたがが外れたように話し始める。 縁日の金魚すくいで、すくい上げたキンちゃんが長生きしていること。 職場の山下さんのワキガが気になること。 週末、シネコンに行くのが楽しみなこと。 頻繁に、ユッコちゃんと長電話していること。 引き出しに、粉末青汁が入っていたこと。 そして、来月に派遣の任期が終了し、その後は未定であること、など。 父は、麻子の溢れ出る話題に、ただ黙って耳を傾けていた。 否定も肯定もせず、時々、鼻にしわを寄せて笑い、ハンドルを右へ左へとゆっくり操作していた。 麻子は、まだまだ話し足りないと思った。 だがその一方で、車内の暖房が効き過ぎているのか、喉がカラカラに渇き、顔がほてった。「お父さん、何か冷たいものが欲しい。コンビニでアイス買ってもいい?」「アイスならあるぞ。そこのやつ、食べていいから」 麻子は「えっ?」と思いながら、父がひょいと示した後部座席の方を振り返って見た。するとそこには、いくつもの袋菓子に混じって、アイスモナカまで用意されているではないか。いくら寒い季節でも、ドライアイスもなしに、こんな所へアイスを置いておくなんてどうかしてる・・・そう訝りながらも、麻子は喉の渇きに勝てず、アイスモナカの袋を破り、パクッと一口食べた。「ああ! 冷たくて美味しい!」 思いのほか、全く溶けていなかったことに驚いた。 薄いモナカの皮に包まれたバニラアイスクリームは、渇いた喉を潤し、余分に暖められた体を程好く冷やしてくれる、極上の逸品だった。 口に含むと、バニラアイスクリームは一瞬のうちに儚く溶けてしまい、舌先には、冷たさと甘味とそしてモナカの皮が、記憶の欠片のように残された。 夢中になってパクついたせいで、瞬く間にアイスモナカは麻子の胃の中に納められてしまった。 やがて麻子は、心地良い清涼感を味わいながら、ぼんやりと外の景色を追っていた。 舗装された山道をくねくねと登って行く。 すれ違う車もなく、人影もなく、代わりにこの山に棲み付いたらしい丸々とした猫が、転々と、道路脇で置き物みたいに寝そべっている。「お父さん、ネコちゃん轢かないようにしてよ」「はいよ」 眼下に広がる沼津の市街地の向こうに、鮮やかな陽射しを湛えた海が見える。「駿河湾だよ」 決して多くは語らなくても、「ここがお前の故郷だ」と言おうとしている、力強い優しさをひしひしと感じる。 その間、スピーカーからは、柳家小さんの演目が『長屋の花見』から『時蕎麦』に変わり、その後『粗忽長屋』そして『へっつい幽霊』と言う順番でエンドレスに流れている。「夫婦げんかはおよしよ。みっともねぇから」「どこで?」「お前んとこでよぅ」「夫婦げんかぁ?」「そうだよ」「やらないよ」「やった」「やらない」「やった」「出来ない。俺、ひとり者だから」「あ、そうだ、おめぇひとり者だったなぁ」 聴くともなく聴いていた麻子は、まるで片桐のように、「ププッ」と噴き出した。 【次回につづく】・・・時々内心おどろくほどあなたはだんだん読みたくなる。(^_^)v
2010.03.18
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春眠暁を覚えず春の川ひねもすのたりのたりかな
2010.03.16
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今日は花の金曜日で、しかも給料日。アフター・ファイブの予定もないのに浮ついた気持ちでデスクを整頓し、散らかしたクリップを引き出しにしまおうとしたところ、「あら?」と思った。引き出しの中に、奇妙なものが入っている。 〈粉末青汁・抹茶風味(六包入り)〉・・・何、コレ? 麻子には覚えがない。 自然体を装って、周囲を見回してみる。しかし、そこはいつもと変わらぬ終業風景。あれこれ思いめぐらしてみたところで〈粉末青汁〉を差し入れ(?)してくれそうな人物は思い浮かばず、首を傾げる。封は開けられていない。新品だ。メモ書きも何もないことで、押し付けがましくなく、気はラク。ここにいる誰かの好意であることだけは何となく伝わって来る。だが如何せん、青汁だ。麻子は、気を取り直して更衣室へ向かう。 朝のガランとした更衣室とは異なり、疲れを吸い込んだ体臭と化粧の香りが混ざり合い、淀んでいる。終業時の女子更衣室は、まるでカオスだ。 麻子はジャケットを羽織り、マフラーを巻く。ちょうど居合わせた隣りの席の横山に向かって何気なく訊ねてみる。横山はこの後デートなのか、コンパクトを開けてメイクに余念がない。「もしかして〈粉末青汁〉をくれたの横山さんかな? 引き出しに入っていたんだけど」 「青汁? ううん、私じゃないよ」「そっかぁ、そうよねぇ。じゃあ誰かしら・・・?」「誰かの差し入れ? でも青汁って笑えるぅ。どうせならのど飴とかトローチの方がありがたいわよねぇ。桜井さん今朝から声が嗄れてて辛そうだったし」「アハハ・・・」と、その場では笑い話にされてうやむやになってしまったが、麻子の中では、じゃあ一体誰が・・・? と、モヤモヤしたものが残るのだった。 とっくに立春は過ぎたというのに、高く薄い青空が広がる日などは、肩から背中にかけてビリビリするような寒さに見舞われた。 歩道を歩く人影も疎らで、車の交通量も少ない。都会の喧騒も土曜日の朝は、心なしか穏やかな日常に、言葉少なく溶け込んでいた。 昨日、給料日だった麻子は、〈イーグル・ハウス〉で朝食代わりにザッハトルテとホットコーヒーのショートサイズを注文した。月に一度だけの奮発である。〈イーグル・ハウス〉のロゴの入ったオリジナルマグカップとケーキ皿で頂くコーヒーとケーキは、また一段と美味しく感じるから不思議だ。 店内はシアトル系カフェよろしくジャズに乗せて、コーヒーの豊饒な香りが漂っている。壁にはアンディ・ウォーホルのモダンでポップなイラストが、センス良く飾られている。 窓側の明るいカウンター席で、優雅な雰囲気を楽しむ麻子から二つ空けた右の席と背後には、白人男性が座っていて、一人は英字新聞を広げ、もう一人はペーパーバックに夢中になっている。こんなシチュエーションに遭遇すると、麻子のイマジネーションは目くるめく、膨らむ。 自分はイケてるキャリアウーマンで、外資系貿易会社のニューヨーク支社に勤めている。女性一人が食べて行くには申し分のない給料をもらい、ニューヨークの夜景が一望できる高層マンションの一室をあてがわれ、ソファにまったりくつろぎながら年代物のワインを口に含む。しかも、ニューヨークタイムズの社会面をおもむろにチェックしながら。(もちろん辞書などは使わずに) ザッハトルテの最後の一切れを口に入れる時、すでに自分はニューヨーカーなのだ。 そんな一場の夢も、やがては覚める。 ぬるくなったコーヒーを口に含むと、余計に苦味を感じた。店内は充分に暖房が行き届いていたが、ゾクゾクッと悪寒が走る。いつもはペロリと平らげてしまうケーキも、今日に限ってはムリして食べたような気もする。 熱があるのかなぁ・・・? これから映画でも観に行こうかと思ったけど、やっぱりやめた。 ふと視線を上げると、窓の向こうにドラッグストアが見える。『がんばる人に、愛情一本』と書いた幟が、店先で僅かに揺れている。 今日は予定変更。 麻子は〈イーグル・ハウス〉を出ると、その足で向かい側のドラッグストアへと向かった。 六畳と四畳半の二間の城に帰ると、たった半日、大して動いたわけでもないのに、どっと疲れが押し寄せた。 玄関の履き物棚の上、縁日の金魚すくいですくい上げた一匹が、今も悠々自適の暮らしを営んでいる。麻子の帰りを待つのはこの金魚一匹だけで、小さな水槽の中、エアレーションがプクプクと音を立てているのを聞くと、「ああ、我が家の音だ」と安心する。「キンちゃん、餌だよ」 直に死んでしまうだろうと思っていたので、名前など考えもしなかったのだが、いつしか「キンちゃん」と呼び、かれこれ二度目の冬を越そうとしている。日に一度パン屑などを与え、生きながらえている。 キッチンで湯を沸かす。ティーバックの紅茶を入れるためだ。 こたつの定位置で丸くなっていると、ところどころ染みでくすんだ白い壁に掛けた、ワイルドスミスの『ちょうとはな』が視界に入る。 伊東市は伊豆高原にある、友人に連れられて行ったブライアン・ワイルドスミス絵本美術館で出会った絵だった。そこで痺れるように電流が流れ、素直に「この絵が欲しい」と思った。さんざん思案したあげく、ボーナス日まで待って、ネットで購入した。もちろんレプリカだが、安月給の麻子にとっては、清水の舞台から飛び降りる思いで手に入れたものだった。 ワイルドスミスの淡い色彩と、ファンタジックな世界観を堪能しながら、まったり紅茶を頂く。 するとこんな時でも、十九世紀、英国有産階級的ティーブレイクを満喫した気分になれるのだ。気心の知れたメイドが、サンドウィッチやお茶のセットをカートに載せて、カタカタと麻子の前に運んで来る。「さぁ、お嬢様、召し上がれ」 麻子は、ケンブリッジ大学の寄宿舎で暮らす友人のウィリアム(もちろん空想の人物)からの旧交を温める手紙を読みながら、サンドウィッチを頂くのだ。 だが現実には、メイドの運んで来たサンドウィッチの代わりにマルミツストアーで買ったそれを食べ、ウィリアムからの手紙の代わりに化粧品のダイレクトメールを読んでいると、ケータイではなく固定電話の方が鳴った。「もしもし? あ、ユッコちゃん? 鼻声じゃん。え、花粉症? 早っ」 電話の主は、高校の同級生で十数年来の親友、由紀子である。 麻子と同様、三十一歳・独身・婚歴なしの彼女は、週末になると決まって麻子のところに電話をかけて来る。「河津桜もう咲いたんだね。例年より十日も早い開花って、温暖化の影響? なんだかねぇ・・・」 由紀子は短大の保育科を卒業後、ずっと地元の伊東で保育士をしている。 一方、麻子は短大の国文学科を卒業してからいくつか職を転々とし、結局、今の派遣社員に至っている。そんな中、堅実で夢のある職業に就いている由紀子のことが、羨ましくて仕方がない。「ユッコちゃんはいいわよ。今の仕事に就いてる限り、まず食いっぱぐれないもの。え、民営化? 市立じゃなくなるの? 四月から? 随分急な話じゃないの」 どうやら今日の話題は、由紀子の勤め先の保育園が民営化されることの不安とグチだと見当が付くと、麻子は手元のダイレクトメールのチラシを広げ、その上で爪を切り始める。「そうは言ってもそのまま務められるならいいじゃない。え、人員削減? 保育士を辞めさせるなんてありえないし。だって共働き世帯やらシングルマザーがこれだけ増加していて、待機児童もいるのに、どうして辞めさせるわけ? 大丈夫だってば」 由紀子のグチは、延々と続く。公務員としての保育士ではなくなる不安や、下手をするとパート扱いの保育士に格下げになるかもしれない、先行き不透明の状況を切々と語る。神妙に相槌を打ちながら、時折、麻子は受話器を右から左、左から右へと持ち直し、左手の爪を切り終えると、次は右手の爪を切り、その後は足の爪を切る。 両手両足の爪を切った後、ヤスリで爪のギザギザを整え、表面は爪磨きで一つ一つ丁寧に磨く。「お彼岸にお墓参り? うん、行くよ。もちろん。また泊まってもいいの? いつもごめんね。お土産は何がいい? 松竹堂の羊羹でいい? 了解。じゃあね」 由紀子とさんざん喋った後は、同時に麻子の爪もピカピカになっている。 長いこと受話器を耳に当てていたせいで、首筋から肩にかけてジーンと痺れを感じる。 シネコンに行くのをやめて、家で安静にしているつもりだったが、由紀子と話し込んだせいで喉を酷使してしまった。一段と痛みが酷くなったような気がする。ストレス解消の代償は大きい。 仕事の時は、一日がとてつもなく長く感じるのに、休みの日はあっけなく暮れてゆく。 いつの間にか西日が居間をオレンジ色に染めている。 ドラッグストアで買った、喉の炎症を抑える薬と栄養ドリンクを服用すると、途端に睡魔に襲われ、布団も敷かず、その場にゴロンと横になってしまった。 こんな娘の横着な姿を、母親が見ていたら何と言うだろう?「麻子、こたつで寝ると風邪ひくから、ちゃんと布団敷いて休みなさい」「はいはい」 実体のない空想に返事をしてみる。 薬が効いて、頭がぼんやりする。 あまりの気持ち良さに、身動きが取れない。 まるで、温泉にでも浸かっているような感覚で、こたつでじんわりと汗ばむ麻子であった。 どのぐらい時間が経過しただろう。 おぼろげな意識の中、ケータイの着メロが鳴る音が聞こえた。その音は、まるで膜を被ったようにこもっていて、一体どこから聞こえて来るのか分からず、暗がりの中、手探りでケータイを探した。 徐々に我に返って、やっとその音がこたつの中から聞こえて来ることに気付き、必死で手を伸ばしてみたところ、狭いこたつで寝返りもままならず、身体のあちこちがギシギシした。 麻子のところにかけて来る電話なんて、大した用件などなく、ムリして出る必要はなかったのだが、これも性格だから仕方がない。むっくりと身体を起こすと、こたつの中で熱くなったケータイを取った。「はい、もしもし? ・・・お父さん? 今何時だと思ってるのよ、もう・・・休みの日ぐらい寝かせてよぅ。え、明日の日曜日に遠足って? えーっ! どうしたの、急に? そりゃまぁ運動不足だけどさぁ。お弁当? お母さんが作ってくれるって? う・・・ん、じゃあ行くね。三島でいいよ。駅の南口で。了解。じゃあね」 麻子は久しぶりに聞く父ののんびりとした低い声に、安らぎを感じた。 急な誘いで面食らったが、別段イヤな気はしなかった。むしろ、切なくなるような懐かしさで、心がほっこりした。 わざわざ三島くんだりまで出掛けるのは面倒だったが、おそらく交通費は出してもらえるだろうし、母の手料理にもありつけると思ったら、却ってその気になった。 ところで今、何時なんだろう? ケータイで時間を確認した。液晶の画面が眩しくて、思わず怯む。 二時五分かぁ・・・。 麻子の中ではまだ土曜日のつもりだったが、既にカレンダーは日曜日に変わっていた。 父との待ち合わせは三島駅に九時。あと四時間ほど寝たら支度をしなければと思いながら、再びこたつに潜る麻子なのであった。【次回につづく】・・・時々内心おどろくほどあなたはだんだん読みたくなる。(^_^)v
2010.03.14
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ラッシュアワーの電車で、もみくちゃにされるのを避けるためもあるが、おそらく本人の性格的なこともあり、麻子はいつも一時間以上早く家を出る。 葉を落としたイチョウの並木道を通り、駅への近道でもあるが、児童公園を横切る。今朝もジャングルジムの前で発声練習に勤しむ若き女優の卵や、ダイエットのためか園内を黙々とウォーキングする三十代半ばの女性とすれ違い、再び路地に出る。 毎朝欠かさず立ち寄るのは、二十四時間営業のマルミツストアーだ。台頭するコンビニに負けじと切磋琢磨する同族経営の店で、その証拠に従業員の名札は、皆一様に〈三田〉と書いてある。 そこでは、おにぎり一個、アロエ入りヨーグルト、それにペットボトルのあったかいお茶を買う。 おにぎりの具は鮭か昆布と決めていて、興味はあってもツナマヨにはこれまでのところ手を出していない。 職場に着くと真っ直ぐに更衣室に向かい、ロッカーにダウンジャケットとマフラーとバッグをしまい、貴重品を入れた小さなトートバッグとスーパーのレジ袋を提げ、席に着く。 オフィスはビルの八階にある。 パソコンにスイッチの入らないオフィスは、冷んやりとしていて、朝の惰眠を貪っている。 半ば開き案配のブラインドの向こう側には、ひしめき合う雑居ビルと、圧倒的な存在感を誇る高層ビル群が見える。 そんな都会の乾いた景色に、本来ならうんざりするところなのだが、麻子にとっては感慨深いものがある。派遣社員の麻子にとって、ここでのパンチャーの仕事は来月一杯までが任期。派遣元からは何の通達もなく、その後の予定は未定なのだ。だが、くよくよしたところで始まらない。 時計は七時二十四分を指している。 何を考えるわけでもなくぼうっとしていると、視線の先に課長の片桐の顔がぬっと現れ、麻子は慌てて頭を下げる。「おはようございます」 片桐は目だけこちらへ向けて「おはよう」と返す。まるで一分一秒を惜しむかのようにいそいそと席に着くと、早速アイポッドに夢中だ。 男子四十歳、働き盛りの片桐が、気持ちくたびれて見えるのはなぜだろう? パソコンに向かう際、やや猫背気味の姿勢や、書類の小さな字面を追う時に目を細めるしぐさなどが、若さを減退させている要因かもしれない。しかも額の生え際が以前と比べると、若干、後退したのではと思う。 麻子がレジ袋をガサガサさせながら席朝(せきあさ)している一方で、片桐は缶コーヒーを口に運びながら、「ププッ・・・」と噴き出した。さもおかしそうに。「ごめん、(柳家)小さんの『時蕎麦』聴いてるんだ」「落語ですか? なんだかとても楽しそうですね」 ふと、父のコレクション・ボックスを思い出す。お菓子の空き缶の中に、小さんを始め、志ん生、文楽、金馬、三木助などいくつもカセットテープを集めていたからだ。なにしろ家に一台しかないラジカセを独り占めして、四六時中聴いていた。余りに繰り返し聴いているせいで、聴衆の笑い声より先に笑い、落語家と声を合わせてオチを言い、悦に入る父であった。 麻子は片桐のことを多くは知らないが、悪い印象は持っていない。真面目で人の好い父が、唯一、落語狂であることを思えば、落語好きに悪い人はいないという先入観があるのかもしれない。 それからほんの束の間、麻子と片桐だけの静かな時が流れる。 麻子がレジ袋をガサガサさせる音、片桐が足を組み替える時に軋む椅子の音、そして空調の音が、あてもなくオフィスの中をふわりふわりと漂っている。 しかし、時計の針が八時に向かって勢いを増して来ると、人も徐々に増え始める。 昨年、郊外にマイホームを購入した谷本が、遠距離通勤のため余裕を持って出社する。 「・・・はようございます」 いつも谷本のあいさつは、最初の「お」が聞き取りにくい。あるいは発声していないかもしれない。終業時は「・・・つかれさまです」となる。おそらくクセであろう。 その後、健康オタクの山下だ。彼は自転車通勤を欠かしたことがなく、冬でも汗をかいて出社するので有名だ。「おはようございます!」 朝から野太い声が社内に響き渡る。雑然とした席で得意のトマトジュースをグビグビと飲む姿に、余り季節感はない。 山下と僅差で出社するのが吉田だ。彼女は密かに「お局様」と呼ばれる勤続二十年のベテランなのだ。地味だが面倒見が良く、年若い女子社員に無理なく溶け込んでいる。実は麻子も仕事の引継ぎは全てこの吉田から受けた。「おはようございます」「おはよう・・・あら、桜井さんちょっと声が嗄れてるみたい。大丈夫?」「はい、大丈夫です」「良かったら、これ、どうぞ」 和柄の巾着袋から、パステルグリーンの飴を取り出し、麻子にそっと手渡す。「ふふふ・・・わさび飴よ」「えっ、わさび飴?」 思わず面食らって二の句が継げない。たまに吉田は予想だにしない行為に出る。それを相手が望むと望まざるとに関係なく、である。おそらく婚期を逃したのはその辺りに原因がありそうだ、と麻子は思う。「初詣で三島大社に行ったんだけど、お土産に買ったの。伊豆の名物らしいのよ。でもなかなか食べ切れなくって・・・」「伊豆の名物・・・?」 伊豆は私の地元ですが、わさび飴が名物だとは初耳です・・・と言おうとしてやめた。わさび飴でも、わさびふりかけでも、わさびソフトクリームでも、イメージの中に伊豆の香りが生かされていることで、麻子は納得しようとする。「まだたくさん残っているから、欲しかったらいつでも言ってね」 こう言うさり気ない優しさは心に染みる、はず。だが如何せん、わさび飴だ。麻子は気付かれないように、そっと引き出しの中にしまった。 吉田の後は、一時、人の流れが止む。 席朝族の面々は、思い思いに自分のデスクで精神の均衡を保っている。少しでも稼働率を上げるための、アイドリングみたいなものかもしれない。 暖房が行き届いて心地良い反面、喉が渇く。ペットボトルのぬるくなったお茶を飲干すと、体中に水分が行き渡り、瞳まで潤んだ。吉田には「大丈夫です」と答えてみたものの、実は昨夜から喉の調子が怪しい。唾を呑み込むとヒリヒリ傷む。 風邪をひいたのかもしれないなぁ、困ったなぁ・・・。 麻子は小さくコンコンと咳をしながら、お手洗いに立った。【次回につづく】・・・時々内心おどろくほどあなたはだんだん読みたくなる。(^_^)v
2010.03.11
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「長い戦いで多くの物や愛する者を失ったが、まだ仲間はいる。世界中に抵抗軍は潜んでる。・・・生死を決する時だ。敵の主要兵器の有効距離は100m以内。装備は強力だがT-600は重くて遅い。初期のモデルだ。逃げ遅れても手はある。運動皮質が首の後ろにのぞいている。そこを刺せば追跡機能がマヒする。ともかく生き延びろ。君たちは・・・みんな未来にとって重要な存在なんだ。(中略)私はジョン・コナー。これを聞いている君は抵抗軍の一員だ」前作まで主役を演じていたアーノルド・シュワルツェネッガーは、「ターミネーター3」を最後に政界へと転身。本作ではほんのワンカットの出演に止まっている。彼にとっての当たり役であり、ターミネーター=(イコール)アーノルド・シュワルツェネッガーという図式を、いかにして乗り越えてゆくかが問われた作品でもある。だが、そんな不安もよそに「ターミネーター4」の出来栄えは素晴らしい仕上がりであった。映像技術の完成度もさることながら、様々なアングルで様々な距離から撮影され、視聴者を飽きさせないのだ。息の長いシリーズモノは、回を重ねていくにつれ飽和状態に陥りがちだが、そんな懸念は微塵も感じられない。2018年、近未来が舞台。人類は、超高性能コンピューターネットワークであるスカイネットにより核攻撃を受ける。荒廃した世界でなんとか生き延びた人類は、ジョン・コナーをリーダーとする抵抗軍を結成した。同じ頃、ロサンゼルスの郊外で一人の男が目を覚ました。男は過去の記憶を一切失っており、目の前に広がる荒涼とした世界に驚愕する。男の名前はマーカスと言い、見たこともない殺人型ターミネーターに遭遇し、窮地に陥る。しかし、銃の扱い方もろくに知らない少年と聾唖の少女に出会い、命を救われるのだった。吟遊映人は、決して鳩山政権に批判的であるとか、思想のようなものは持ち合わせてはいないのだが、この「ターミネーター4」を観た後、つくづく感じたことがある。それは、日本の代表でもある首相に、ジョン・コナーほどのカリスマ的指導力と勇気とそして決断力があったら・・・ということだ。ターミネーターシリーズを毎回楽しく観ているが、本作ほど指導力のなんたるかを痛感させられた作品は初めてかもしれない。誰かを信じ、そしてその人を信じた自分をもまた信じることの大切さを教えてくれる作品なのだ。2009年公開 【監督】McG(マックジー) 【出演】クリスチャン・ベール、サム・ワーシントンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。 See you next time !(^^)
2010.03.07
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「奇妙な話だがもっともらしい。だが・・・」「どうせ僕はスラム出身だしお茶汲みだから嘘つきだと(言いたいんだろ)?」「そういう奴が多い。だが君は嘘つきではない。・・・とても正直者だ。取り調べは終了」イギリス発祥のクイズ番組である“クイズ$ミリオネア”は、日本のTV番組でもみのもんた司会により高視聴率を打ち出した人気番組であった。それはさておき、中国と並んで右肩上がりの経済成長を遂げるインド国内で、これほどの暗く陰鬱な実情があるとは思いもしなかった。噂では聞いていたが、子どもの人身売買や虐待はもはや想像を絶するものがあった。インドという国は、活気に溢れ、生命力に満ち満ちている一方で、混沌として薄汚れた末端の現状が砂漠のように広がっている。このカオスこそが他者を惹き付ける魅力にもなり、逆に拒絶される所以かもしれない。 本作「スラムドッグ$ミリオネア」は、英国人監督がメガホンを取り、出演者は全てインドにおける役者さんたちを起用した珍しいタイプの作品である。そんな「スラムドッグ$ミリオネア」は、言わずと知れたアカデミー賞8部門を受賞した話題の映画である。インドはムンバイのスラム街で生きて来たジャマールは、人気テレビ番組である「クイズ$ミリオネア」に出演する。ろくに教養もないはずのジャマールが次々と正解を言い当てたところ、番組の司会者は不正行為をしているのではないかと疑いを持ち、警察を呼ぶ。警察に連行されたジャマールは、拷問に近い取り調べを受けるが、彼は決して不正などはしておらず、壮絶な過去を生きて来た中にドラマがあったのだと語り出す。素朴で純粋なジャマールに対し、兄の方は大胆不敵で悪賢さの目立つ存在である。だが、ラストは思わず胸が熱くなった。ジャマールの兄は、女を弟のもとに逃がすために自分を犠牲にするのだ。その演出と言ったらどうだ。バスタブいっぱいにお札をばら撒き、その中に身を隠して拳銃を握りしめる。この時の命を懸けた最後の兄弟愛に、涙が込み上げた。ジャマールのハッピーエンドの裏側に、兄の血が流れていたのだ。この対極した愛と憎、悦びと哀しみ、それらのカオスこそがこの作品のテーマになっているのではなかろうか。2008年(米)、2009年(日)公開【監督】ダニー・ボイル【出演】デーヴ・パテール、フリーダ・ピントーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。 See you next time !(^^)
2010.03.04
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「月の恋人はクエクワツーという精霊」「本当の話か?」「うふふ・・・毎晩二人は夜空を散歩したの。でもトリックスターという精霊が嫉妬した。トリックスターは月を奪うためクエクワツーをだまし、花を摘みに行かせた。“月のために人間の世界のバラを取れ”と。・・・でも人間の世界に入った精霊は・・・空に戻れない。毎晩彼は空を見上げて月の名を叫ぶの」つくづくハリウッドが凄いと痛感するのは、やはり実写によるマンガの映像化である。 「バットマン」にしろ「スパイダーマン」にしろ、限りなくリアリティーのある特殊撮影には舌を巻く。それだけに、力のあるスポンサーの影響力と莫大なドルの動きが見え隠れしたりする。 アメリカ人の映画に対するエンターテインメント性の追求は、並々ならぬものがあるということの裏返しでもあろう。本作「ウルヴァリン」は、X-MENシリーズのいわば起源に当たるものである。例えて言うなら「スターウォーズ」シリーズのエピソード1みたいなストーリー展開になっている。そんなわけで、主人公ローガンがどんなきっかけで今に至っているのかを語る切り口なのだ。幼い頃、ショッキングな出来事がきっかけでミュータント能力が覚醒したジェームズは、兄のビクターとともに軍隊へと入隊する。南北戦争やベトナム戦争に参戦した後、ストライカー大佐に誘われ、ミュータント・グループに入る。だがチームの冷酷非情な行為に嫌気のさしたジェームズは、そこから脱退する。その後、ジェームズは名前をローガンと変え、小学校の教員をしているケイラとともにカナダの大草原でひっそりと暮らすのだった。そんな折、ローガンの前に再びストライカー大佐が現れた。主人公ローガン役に扮するヒュー・ジャックマンは、この獣のような役どころとは対極にもエリート一家に育ち、シドニー工科大学を卒業したインテリジェンスなのである。役者内では、タバコ嫌いとしても有名らしく、実に紳士な俳優さんであるとのこと。(←ウィキペディア参考)また、悪役のストライカー大佐を演じたダニー・ヒューストンは、吟遊映人と同じ誕生日で5月14日生まれだ。(←何の脈絡もないが、ちょっぴり嬉しいので書いておく)作品は全体を通してCG効果を駆使したアメリカらしい見応えのある映画であった。もちろん、前作にも引けを取らないストーリー性が高く、魅力的な作品なのである。2009年公開【監督】ギャヴィン・フッド【出演】ヒュー・ジャックマン、リーヴ・シュレイバーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。 See you next time !(^^)
2010.03.01
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