全6件 (6件中 1-6件目)
1
【第9地区】「母船でどのぐらいかかる?」「何がだ?」「腕を元に(治すのに)」「予想より時間がかかる」「どのぐらいだ?」「3年だ」我々が映画に求めるものって一体何だろうと考えた時、単純に言えば自分の感性にあった面白さを提供してくれるものと出会いたいからではなかろうか?ここで言う面白さというのは、人によって様々だが、ある人はドキドキハラハラ感であったり、またある人は号泣するほどの感動であったり、身の毛もよだつ恐怖感だったり、とにかくいろいろだ。そんな中、作品一つを取り上げても評価は二分され、他者のレビューにざっと目を通してみると、「ああ、いろんな考え方があるんだな」と今さらのように気付かされる。映画は商品だ。商品である以上、作り手から離れた時点で視聴者にその評価は委ねられる。故・淀川長治氏のことばを引用させていただくと、「観客自身が批評家の目を持つ必要がある」のだ。だが、気をつけなければならないのは、それは決して映画のあら探しになってはいけないということだ。欠点ばかりを取り上げて、評論家気取りになっては成長がないからだ。正直、駄作と呼ばれる映画もたくさんあることは認めよう。だがそんな駄作であっても、必ず長所はある。それを、宝探しのように見つけていこうではないか。さて、本作「第9地区」であるが、久しぶりに斬新な作品とめぐりあえたような気がした。元々映画というのは、過去の作品のパターンを模倣したもの、あるいはそれに色付けして更新を繰り返しているに過ぎないからだ。だが「第9地区」はやってくれた。なにしろストーリー展開が読めないのだから!良い意味で裏切られた感のある作風であった。南アフリカのヨハネスブルク上空に、突如として巨大な宇宙船が出現する。超国家機関MNUが調査したところによると、宇宙船が故障したことにより船内のエイリアンらは弱り果てていた。南ア政府は、難民化したエイリアンたちを第9地区に仮設住宅を作り、ひとまず住まわせることにする。28年後、第9地区は治安が悪化し、スラム化していた。MNUは、エイリアンの強制移住を決定し、立ち退き要請の同意を得るため現場にヴィカスが派遣された。主人公ヴィカス役を演じたのはシャルト・コプリーという役者さんだが、この人物、なんと監督の高校時代の友人なのだそうだ。道理で訊いたことのない役者さんだと思ったはずだ。もちろん、ニール・ブロムカンプ監督も、この作品が世に出るまでは全くの無名で、この「第9地区」が出世作となった。本作を観てつくづく思ったのは、やはり“見た目”というのはどんな倫理的なこじ付けによっても、自分にウソはつけないということだ。地球外生物とは言え、地球人レベルから見て、グロテスクな風貌を持ち合わせていればやはり本音は“気味がワルイ”し、“エビみたい”にも見える。そういうところから差別が生まれ、やがて軽蔑の対象となっていくのかもしれない。人間の誰しもが身に覚えのある、醜いものへの嫌悪感や侮蔑と言ったものを、真っ向から捉えたところに本作の意義はあると思う。「第9地区」を観ることで、斬新な世界観と、キレイゴトではない人間本来の厭らしさを感じ取ることが出来れば、もうそれだけで自分を見つめ直す一歩を踏み出したように思えるのだ。2009年(米)、2010年(日)公開【監督】ニール・ブロムカンプ【出演】シャルト・コプリー
2010.08.29
コメント(0)
「行きたまえ」「あなたもご一緒に」「(君は)飛行機に乗るんだ。君が向かうのはすばらしい新世界だ。若い科学者一人の価値は、老いた政治家二十人分だ」本作を手掛けたローランド・エメリッヒ監督はドイツ人で、SFアクションモノを得意とする監督さんである。代表作に「インデペンデンス・デイ」や、「デイ・アフター・トゥモロー」などがあり、いずれも興業的に成功を収めている。いまやCGなどの特殊効果を使用するのは当たり前で、作中、ロサンゼルスがみるみるうちに破壊されていくシーンなど全てCGによるものだ。監督によっては撮影現場主義で、アナログ一筋の考えを持つ方もいる中で、ローランド・エメリッヒ監督は原始的な作業を一切排除し、デジタルでイメージの陳腐さや劣化を限りなくリアルに近付けていくことに、見事なまでに成功している。無論、全てにCG技術を駆使することが正しいことかどうかは分からないが、少なくともツールの一つとして映像を補足していくにはすばらしい小道具と言えるであろう。本作「2012」の特殊効果を駆使した撮影もすばらしいものだった。アスファルトの道路にめきめきとヒビが割れていくシーンや、ビルなどがおもしろいように倒壊していくシーンなど、セット撮影では到底表現できない迫力が、スクリーンいっぱいから伝わって来た。2009年、太陽の活動が活発化し、地球の核が溶解。計算すると3年後には確実に世界は終わりを迎える。地質学者であるエイドリアンは、急遽データをもとにその事実を政府の上層部に報告する。それは、すぐさまアメリカ大統領の耳にまで届いた。3年後、売れない作家のジャクソン・カーティスは、別居している子どもたちとイエローストーン国立公園にキャンプにやって来た。そこで、ジャクソンはなぜか軍隊からあれこれ注意と尋問を受けるのだった。売れない作家ジャクソン役に扮するのはジョン・キューザックである。代表作に「スタンド・バイ・ミー」や「マルコヴィッチの穴」などがある。この役者さんのスゴイところは、まずハリウッド・スターにしては珍しく、スキャンダラスな私生活とは無縁であるクリーンなイメージが定着していることだ。だが役としては、どこか性格的に頼りなくて経済的にも不安定で、でも揺るぎない知性に恵まれた中年男的なキャラが多い。これこそがこの役者さんのハマリ役で、本人もその立ち位置をよくわきまえているようなのだ。観ていて安心のできる演技というのは、正に、ジョン・キューザックのような役者さんのことかもしれない。本作でもこの役者さんの登場のおかげで、パニック映画としての臨場感と併せて安定感のある作品に仕上がっているのだ。2009年公開【監督】ローランド・エメリッヒ【出演】ジョン・キューザック、アマンダ・ピートまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.08.25
コメント(0)
「考えてたんだ。僕たちには仲間に対する責任がある。ロールシャッハを助けよう。彼はハメられた。ジョンもガンの原因か? (傍にいた)君は無事じゃないか」「火事を消すのと刑務所に乗り込むのは違うわ」「(ああ)大違いだ・・・だが、より面白い」アメリカン・コミックにはあまり詳しくなく、いやほとんど知らないと言った方が正しい。せいぜい“スーパーマン”や“バットマン”の類しか頭に浮かんでこない。そういうヒーローモノこそが正統だと思っていたため、本作のような趣の異なるヒーローコミックは、実写化されてもなおさら難解であった。だが、こんな無粋な吟遊映人でも、「ウオッチメン」が単なる勧善懲悪を主としたヒーローモノではないことだけは理解できた。1930年代から40年代にかけて、アメリカでは仮面とコスチュームを身に着けたスーパーヒーロー達が犯罪と戦っていた。その後、何十年か経って第二世代のスーパーヒーロー達が、ウオッチメンと名乗り、世間に強い影響力を及ぼした。そんな中、1985年にウオッチメンのメンバーであるコメディアンが、何者かによって殺害される。それを内々的に捜査したのは同メンバーであるロールシャッハで、何者かがスーパーヒーローたちの抹殺をもくろんでいるのではと推理する。ウオッチメンのメンバー全員に、暗く、陰鬱な過去が纏わりついているようだ。背景にそのような影を落としながらも、今をスーパーヒーローとして生きるそのプロセス、あるいは心理描写をもう少し表現していただければありがたかった。なにぶん、勉強不足のため、本作の衝撃的な世界観を理解するのは至難の業なのである。 さらに、ラストシーンの込み入った状況も、まるで糸が絡まったように整理するのに苦労した。「ウオッチメン」を鑑賞するには、時を置いて二回ぐらい見直した方が良さそうだ。念のため申し上げておきたいのは、本作はアメコミの実写化であるが、子供向きではない。正に、大人向けの作品である。R-15指定の成熟した大人が楽しむための作品なのだ。2009年公開【監督】ザック・スナイダー【出演】ジャッキー・アール・ヘイリー、マリン・アッカーマン、パトリック・ウィルソンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.08.21
コメント(0)
「両親を訴え、(私の)体を守りたいの。白血病の姉への臓器提供を強いるの」「腎臓の提供を?」「(姉は)何ヶ月も腎不全なの」「ドナーの同意が必要だ」「でも私は親の保護下の未成年者よ」小説に様々なジャンル、例えば恋愛小説だったり歴史小説だったりあるいは推理小説があるように、映画にも同様のジャンルがある。しかしそんなことを言ったら「今さら何を」とヒンシュクをかってしまうかもしれない。 映画の世界は小説よりもっと具体的、かつ視覚的分野なので、泣かせるところは多いに泣かせ、一般的には愛と感動のドラマに仕立てなければならない。そこでは、間違いなく即効性が求められているため、監督と脚本家と役者陣のプレッシャーたるや、並々ならぬものがあるだろう。とりわけ人の生死をテーマにしたジャンル、簡単に言ってしまえば病気で人が死ぬことを扱った作品というのは、古今東西、吐いて捨てるほどあることは確かだ。結核菌の特効薬が普及してからは、サナトリウムを舞台にした作品というのはほとんどなくなり、最近の傾向ではケータイ小説でも話題になったが、白血病で若い子が亡くなるという悲劇的ドラマが主流であろう。だが、そこから一歩踏み込んだところで、臓器提供・臓器移植について扱った作品というのは、まだまだこれから開拓の余地があるに違いない。本作「私の中のあなた」も、大筋では人の死を扱った作品であるが、単なるお涙ちょうだいドラマとは一線を画している。“全ての臓器提供・臓器移植=(イコール)善”という図式が正しいか否かを問いかけているのだ。ケイトは白血病に苦しむ少女。その妹・アナは、姉を救済するため、いわば臓器を提供するドナーとしてこの世に生を受けた。母親であるサラは、なんとかケイトを助けたいがゆえに、遺伝子操作によって出産したのであった。そのためアナは、姉のために臍帯血・輸血・骨髄移植などの提供を余儀なくされて来た。 ところがアナが11歳の時、腎臓移植を強いられることで、ついに両親を相手に訴訟を起こすのだった。病気の娘に盲目の愛情を注ぐ母親役に扮するのは、キャメロン・ディアスである。この女優さんの迫真の演技は、鬼気迫るものを感じた。ただ病気の娘を助けたいがためだけに家族を犠牲にし、自分を盾にして闘う姿は、まるで女戦士のようであった。家族の中に一人でも病気を抱えている者がいると、それが深刻な病気であればあるほど、まるで連鎖反応のように問題が重なっていく。例えば本作では、アナは健康な体であるにもかかわらず、姉のためにそのドナーとして幼いころから注射や手術をして身体にメスを入れている。アナの兄・ジェシーも、何らかの影響で失語症を抱えるはめになり、家族とは離れ、施設に入所していた。一方、当事者であるケイトは、もう病気と闘うのを辞めて早く死にたいと思っている。 そんな様々な思惑が絡み合い、物語はより重厚なテーマへと深みを増していく。つい先日のことだが、日本で初めて家族の意思のみで臓器提供が施された。脳死状態となった方が生前、そのように希望されていたとのこと。リアルタイムで話題となっていることも踏まえて、本作「私の中のあなた」をあれこれ検討しながら観るのも有意義なことではなかろうか。2009年公開【監督】ニック・カサヴェテス【出演】キャメロン・ディアス、アビゲイル・ブレスリン、ソフィア・ヴァジリーヴァまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.08.17
コメント(0)
「敵艦から発光信号! ・・・英文だ!」「“真夏のオリオンが・・・見える。オリオンよ、愛する人を・・・導け。帰り道を・・・見失わないように”」戦争をテーマにした映画は、視聴者によって好き嫌いがはっきりと二分されるジャンルかもしれない。どれほど格好良い航空機や戦艦が登場したところで、人が次々と殺されていくシーンなど、好んで見る視聴者は少ないからだ。本作はそういう点で、反戦に関する訴求力にはやや弱いかもしれないが、残酷なシーンもなく、安心して観ることのできる戦争映画なのだ。本作が日本海軍をモチーフにした作品であるので、参考程度に語っておきたいことがある。日本列島は四方を海に囲まれた島国であるため、敵戦力を本土に近付けないことを基本的な戦略として来た。それこそが日本海軍の本来の防衛のあり方なのである。また、英国海軍を倣った組織構成で、陸軍とは違い、いまだ海上自衛隊にも日本海軍の伝統が脈々と受け継がれているのだ。【参照:ウィキペディア】当時、陸軍が仮想敵国をロシアとする中、海軍はひたすらアメリカ合衆国を視野に入れ、有事に備えて来た経緯がある。そういったプロセスを踏まえて「真夏のオリオン」を鑑賞すると、さらに日本海軍の重厚さと紳士的な立ち居振る舞いに魅了されるに違いない。1945年、終戦直前の夏。沖縄南東海域では、本土決戦を阻止するべく日本海軍潜水艦イー77他3隻が防衛任務に就いていた。イー77の前を行くイー81の艦長は有沢と言い、イー77の艦長・倉本の親友であった。イー81は米海軍の侵攻を防ぐために猛攻するが、米軍の駆逐艦によって撃沈される。 最後の力を振り絞って有沢はモールス信号により親友の倉本に米軍攻撃のヒントを託す。 主人公の倉本役を、細身の玉木宏が実に紳士的で冷静なキャラクターとして熱演している。また、チョイ役ではあるが、烹炊長の秋山役をドランクドラゴンの鈴木が演じている。 ややもすれば飯炊き係は地味な役回りに思われがちだが、乗組員の命の糧を担っているという意味で、最も重要なポジションなのだ。我々は食べることを疎かにしてしまったら明日を生きることはできない。いつ、いかなる時も、明るさとユーモアを忘れず、食事を楽しみ、平和な世の中を守り抜こうではないか。終戦記念日にはぜひとも「真夏のオリオン」をご家族で楽しんで頂きたい。2009年公開【監督】篠原哲雄【出演】玉木宏、北川景子、益岡徹また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.08.13
コメント(0)
「当時まだ未来は・・・南アの未来はまだ闇の中だった。だが世界中の人々が歌う声に耳を傾けているうちに、私は南ア人の誇りを感じた。国に尽くそうという意欲が芽生えた。持てる以上の力を引き出されたのだ」「(その曲は)何という曲ですか?」「“神よアフリカに祝福を”だよ。とても士気を高める曲だ」本作を手掛けたのはクリント・イーストウッド監督である。往年のスターと言えども、ハリウッドでは既に長老格に当たる。このクリント・イーストウッドという人は、60年代にイタリアの巨匠セルジオ・レオーネ監督との出会いにより、その才能を開花するのである。いわゆる“マカロニ・ウェスタン”と呼ばれるイタリアで制作された西部劇で、代表作に「荒野の用心棒」や「夕陽のガンマン」などがある。それらのレオーネ作品の大ヒットにより、本国より先にヨーロッパで一躍脚光を浴びることになったのだ。その後、70年代になって本国アメリカにおいて、言わずと知れた「ダーティーハリー」シリーズで大ブレイクするわけだ。余談はさておき、そのイーストウッド監督の素晴らしいところは、人が多角的に自己分析を遂げたプロセスをスクリーン中に垣間見せる点であろう。それは格調高く、哲学的でさえある。華やかさと娯楽性を主とした昨今のハリウッド映画では、なかなかお目にかかれない代物である。本作「インビクタス」は、1993年にノーベル平和賞を受賞した人物でもあるネルソン・マンデラを主人公とする物語である。マンデラについては、「マンデラの名もなき看守」などの優れた作品が過去に公開されており、世界史の教科書には載っていない人物伝を学習することが出来る。本作「インビクタス」と併せてご覧いただければ、さらにマンデラ像を掘り下げていくことが可能であろう。1994年、南アフリカ共和国では、黒人初の大統領が誕生した。ネルソン・マンデラである。マンデラは南ア代表のラグビーチームであるスプリングボクスを見て、あまりに弱小だったため、チームの主将であるフランソワ・ピナールをお茶に招く。ラグビーはもともと上流階級の、とりわけ白人のスポーツとされて来たことから、黒人の間では非常に不人気な存在であった。そこでマンデラは、このラグビーチームが「白人と黒人の和解と団結の象徴になる」ように、ピナールを鼓舞、そして激励するのだった。ネルソン・マンデラに扮するのはハリウッドの重鎮、モーガン・フリーマンである。この役者さんの知的で紳士的で、しかも内なる情熱が沸々と湧き上がるような演技は見事であった。本作を鑑賞した吟遊映人の友人は、マッド・デイモンのこれまでとは違った重厚な演技に脱帽したと、べた褒めであった。無論、吟遊映人も同感である。ラグビーチームの主将たる貫禄を見せるための肉体改造も、並々ならぬ努力と、鍛え抜かれた役者魂の結晶であろう。1995年のラグビーワールドカップ決勝戦は、南アが世界に向けて発信した自国の誇りであったに違いない。その証拠に、ニュージーランド代表のオールブラックスは強豪チームであったが、見事な連携プレーで南アのスプリングボクスが勝利したのだ。ノーサイドの笛が鳴った時、スタジアム中の、いや南ア中の観衆が一体となり、狂喜乱舞して自国を祝福する。この模様は、ぜひともDVDにてご堪能いただきたい。情熱的で活気ある南アの風に吹かれることだろう。2009年(米)、2010年(日)公開【監督】クリント・イーストウッド【出演】モーガン・フリーマン、マッド・デイモン
2010.08.01
コメント(0)
全6件 (6件中 1-6件目)
1