吟遊映人 【創作室 Y】

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2010.03.14
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カテゴリ: 月下書人(小説)
 今日は花の金曜日で、しかも給料日。アフター・ファイブの予定もないのに浮ついた気持ちでデスクを整頓し、散らかしたクリップを引き出しにしまおうとしたところ、「あら?」と思った。引き出しの中に、奇妙なものが入っている。
 〈粉末青汁・抹茶風味(六包入り)〉・・・何、コレ?
 麻子には覚えがない。
 自然体を装って、周囲を見回してみる。しかし、そこはいつもと変わらぬ終業風景。あれこれ思いめぐらしてみたところで〈粉末青汁〉を差し入れ(?)してくれそうな人物は思い浮かばず、首を傾げる。封は開けられていない。新品だ。メモ書きも何もないことで、押し付けがましくなく、気はラク。ここにいる誰かの好意であることだけは何となく伝わって来る。だが如何せん、青汁だ。
麻子は、気を取り直して更衣室へ向かう。
 朝のガランとした更衣室とは異なり、疲れを吸い込んだ体臭と化粧の香りが混ざり合い、淀んでいる。終業時の女子更衣室は、まるでカオスだ。
 麻子はジャケットを羽織り、マフラーを巻く。ちょうど居合わせた隣りの席の横山に向かって何気なく訊ねてみる。横山はこの後デートなのか、コンパクトを開けてメイクに余念がない。
「もしかして〈粉末青汁〉をくれたの横山さんかな? 引き出しに入っていたんだけど」
「青汁? ううん、私じゃないよ」

「誰かの差し入れ? でも青汁って笑えるぅ。どうせならのど飴とかトローチの方がありがたいわよねぇ。桜井さん今朝から声が嗄れてて辛そうだったし」
「アハハ・・・」と、その場では笑い話にされてうやむやになってしまったが、麻子の中では、じゃあ一体誰が・・・? と、モヤモヤしたものが残るのだった。


 とっくに立春は過ぎたというのに、高く薄い青空が広がる日などは、肩から背中にかけてビリビリするような寒さに見舞われた。
 歩道を歩く人影も疎らで、車の交通量も少ない。都会の喧騒も土曜日の朝は、心なしか穏やかな日常に、言葉少なく溶け込んでいた。
 昨日、給料日だった麻子は、〈イーグル・ハウス〉で朝食代わりにザッハトルテとホットコーヒーのショートサイズを注文した。月に一度だけの奮発である。〈イーグル・ハウス〉のロゴの入ったオリジナルマグカップとケーキ皿で頂くコーヒーとケーキは、また一段と美味しく感じるから不思議だ。
 店内はシアトル系カフェよろしくジャズに乗せて、コーヒーの豊饒な香りが漂っている。壁にはアンディ・ウォーホルのモダンでポップなイラストが、センス良く飾られている。
 窓側の明るいカウンター席で、優雅な雰囲気を楽しむ麻子から二つ空けた右の席と背後には、白人男性が座っていて、一人は英字新聞を広げ、もう一人はペーパーバックに夢中になっている。こんなシチュエーションに遭遇すると、麻子のイマジネーションは目くるめく、膨らむ。
 自分はイケてるキャリアウーマンで、外資系貿易会社のニューヨーク支社に勤めている。女性一人が食べて行くには申し分のない給料をもらい、ニューヨークの夜景が一望できる高層マンションの一室をあてがわれ、ソファにまったりくつろぎながら年代物のワインを口に含む。しかも、ニューヨークタイムズの社会面をおもむろにチェックしながら。(もちろん辞書などは使わずに)
 ザッハトルテの最後の一切れを口に入れる時、すでに自分はニューヨーカーなのだ。
 そんな一場の夢も、やがては覚める。
 ぬるくなったコーヒーを口に含むと、余計に苦味を感じた。店内は充分に暖房が行き届いていたが、ゾクゾクッと悪寒が走る。いつもはペロリと平らげてしまうケーキも、今日に限ってはムリして食べたような気もする。

 ふと視線を上げると、窓の向こうにドラッグストアが見える。『がんばる人に、愛情一本』と書いた幟が、店先で僅かに揺れている。
 今日は予定変更。
 麻子は〈イーグル・ハウス〉を出ると、その足で向かい側のドラッグストアへと向かった。

六畳と四畳半の二間の城に帰ると、たった半日、大して動いたわけでもないのに、どっと疲れが押し寄せた。

「キンちゃん、餌だよ」
 直に死んでしまうだろうと思っていたので、名前など考えもしなかったのだが、いつしか「キンちゃん」と呼び、かれこれ二度目の冬を越そうとしている。日に一度パン屑などを与え、生きながらえている。
 キッチンで湯を沸かす。ティーバックの紅茶を入れるためだ。
 こたつの定位置で丸くなっていると、ところどころ染みでくすんだ白い壁に掛けた、ワイルドスミスの『ちょうとはな』が視界に入る。
 伊東市は伊豆高原にある、友人に連れられて行ったブライアン・ワイルドスミス絵本美術館で出会った絵だった。そこで痺れるように電流が流れ、素直に「この絵が欲しい」と思った。さんざん思案したあげく、ボーナス日まで待って、ネットで購入した。もちろんレプリカだが、安月給の麻子にとっては、清水の舞台から飛び降りる思いで手に入れたものだった。
 ワイルドスミスの淡い色彩と、ファンタジックな世界観を堪能しながら、まったり紅茶を頂く。
 するとこんな時でも、十九世紀、英国有産階級的ティーブレイクを満喫した気分になれるのだ。気心の知れたメイドが、サンドウィッチやお茶のセットをカートに載せて、カタカタと麻子の前に運んで来る。
「さぁ、お嬢様、召し上がれ」
 麻子は、ケンブリッジ大学の寄宿舎で暮らす友人のウィリアム(もちろん空想の人物)からの旧交を温める手紙を読みながら、サンドウィッチを頂くのだ。
 だが現実には、メイドの運んで来たサンドウィッチの代わりにマルミツストアーで買ったそれを食べ、ウィリアムからの手紙の代わりに化粧品のダイレクトメールを読んでいると、ケータイではなく固定電話の方が鳴った。
「もしもし? あ、ユッコちゃん? 鼻声じゃん。え、花粉症? 早っ」
 電話の主は、高校の同級生で十数年来の親友、由紀子である。
 麻子と同様、三十一歳・独身・婚歴なしの彼女は、週末になると決まって麻子のところに電話をかけて来る。
「河津桜もう咲いたんだね。例年より十日も早い開花って、温暖化の影響? なんだかねぇ・・・」
 由紀子は短大の保育科を卒業後、ずっと地元の伊東で保育士をしている。
 一方、麻子は短大の国文学科を卒業してからいくつか職を転々とし、結局、今の派遣社員に至っている。そんな中、堅実で夢のある職業に就いている由紀子のことが、羨ましくて仕方がない。
「ユッコちゃんはいいわよ。今の仕事に就いてる限り、まず食いっぱぐれないもの。え、民営化? 市立じゃなくなるの? 四月から? 随分急な話じゃないの」
 どうやら今日の話題は、由紀子の勤め先の保育園が民営化されることの不安とグチだと見当が付くと、麻子は手元のダイレクトメールのチラシを広げ、その上で爪を切り始める。
「そうは言ってもそのまま務められるならいいじゃない。え、人員削減? 保育士を辞めさせるなんてありえないし。だって共働き世帯やらシングルマザーがこれだけ増加していて、待機児童もいるのに、どうして辞めさせるわけ? 大丈夫だってば」
 由紀子のグチは、延々と続く。公務員としての保育士ではなくなる不安や、下手をするとパート扱いの保育士に格下げになるかもしれない、先行き不透明の状況を切々と語る。神妙に相槌を打ちながら、時折、麻子は受話器を右から左、左から右へと持ち直し、左手の爪を切り終えると、次は右手の爪を切り、その後は足の爪を切る。
 両手両足の爪を切った後、ヤスリで爪のギザギザを整え、表面は爪磨きで一つ一つ丁寧に磨く。
「お彼岸にお墓参り? うん、行くよ。もちろん。また泊まってもいいの? いつもごめんね。お土産は何がいい? 松竹堂の羊羹でいい? 了解。じゃあね」
 由紀子とさんざん喋った後は、同時に麻子の爪もピカピカになっている。
 長いこと受話器を耳に当てていたせいで、首筋から肩にかけてジーンと痺れを感じる。
 シネコンに行くのをやめて、家で安静にしているつもりだったが、由紀子と話し込んだせいで喉を酷使してしまった。一段と痛みが酷くなったような気がする。ストレス解消の代償は大きい。
 仕事の時は、一日がとてつもなく長く感じるのに、休みの日はあっけなく暮れてゆく。
 いつの間にか西日が居間をオレンジ色に染めている。
 ドラッグストアで買った、喉の炎症を抑える薬と栄養ドリンクを服用すると、途端に睡魔に襲われ、布団も敷かず、その場にゴロンと横になってしまった。
 こんな娘の横着な姿を、母親が見ていたら何と言うだろう?
「麻子、こたつで寝ると風邪ひくから、ちゃんと布団敷いて休みなさい」
「はいはい」
 実体のない空想に返事をしてみる。
 薬が効いて、頭がぼんやりする。
 あまりの気持ち良さに、身動きが取れない。
 まるで、温泉にでも浸かっているような感覚で、こたつでじんわりと汗ばむ麻子であった。
 どのぐらい時間が経過しただろう。
 おぼろげな意識の中、ケータイの着メロが鳴る音が聞こえた。その音は、まるで膜を被ったようにこもっていて、一体どこから聞こえて来るのか分からず、暗がりの中、手探りでケータイを探した。
 徐々に我に返って、やっとその音がこたつの中から聞こえて来ることに気付き、必死で手を伸ばしてみたところ、狭いこたつで寝返りもままならず、身体のあちこちがギシギシした。
 麻子のところにかけて来る電話なんて、大した用件などなく、ムリして出る必要はなかったのだが、これも性格だから仕方がない。むっくりと身体を起こすと、こたつの中で熱くなったケータイを取った。
「はい、もしもし? ・・・お父さん? 今何時だと思ってるのよ、もう・・・休みの日ぐらい寝かせてよぅ。え、明日の日曜日に遠足って? えーっ! どうしたの、急に? そりゃまぁ運動不足だけどさぁ。お弁当? お母さんが作ってくれるって? う・・・ん、じゃあ行くね。三島でいいよ。駅の南口で。了解。じゃあね」
 麻子は久しぶりに聞く父ののんびりとした低い声に、安らぎを感じた。
 急な誘いで面食らったが、別段イヤな気はしなかった。むしろ、切なくなるような懐かしさで、心がほっこりした。
 わざわざ三島くんだりまで出掛けるのは面倒だったが、おそらく交通費は出してもらえるだろうし、母の手料理にもありつけると思ったら、却ってその気になった。
 ところで今、何時なんだろう?
 ケータイで時間を確認した。液晶の画面が眩しくて、思わず怯む。
 二時五分かぁ・・・。
 麻子の中ではまだ土曜日のつもりだったが、既にカレンダーは日曜日に変わっていた。
 父との待ち合わせは三島駅に九時。あと四時間ほど寝たら支度をしなければと思いながら、再びこたつに潜る麻子なのであった。

【次回につづく】

・・・時々内心おどろくほどあなたはだんだん読みたくなる。(^_^)v





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最終更新日  2010.03.14 08:34:19
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