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吟遊映人ア・ラ・カルト(2013) 世の中、景気が少しずつ上向いているようで何より。小さなジョウロでチョロチョロと注がれた水が、大木の根の末端にまで行き届くのは、まだもう少し先になりそうだが。それにしても師走のデパ地下は活気があってワクワクする!人だかりができているのは、やっぱりゴディバ。この一年、必死に頑張って来た自分へのごほうびにと、買い求める女性がたくさんいるようだ。そういうささやかな労わりは、景気など関係なく、なけなしのポケットマネーから支出されるのだ。皆さんも、この一年間本当にお疲れさまでした!生きることは決してラクなことではありません。明るく楽しいことばかりなら何の問題もないのでしょうが、そう上手くはいかず、良いことより悪いことの方が人生の大半を占めているような気がしないでもありません。趣味らしい趣味のない私が、こうして息をしていられるのは、毎日地道に働き、給料日には好物のお刺身などを買い求めて、ささやかな幸せを味わっているからでしょうか。両親や兄弟姉妹のいない私にとって、お金は働いて稼いだ給料が全てなので、「ちょっと今月足りないから貸して」とは言えないのです。言う相手がいないのです。年末は何かと誘惑の多いシーズンではありますが、それに呑まれてしまうと、私はたちまち立ち行かなくなってしまいます。かと言って、ギュウギュウ自分を締め上げてしまったら、私には生きる(生活する)楽しみがなくなってしまいます。だから、生活費とにらめっこしながら、美味しいものを食べたり、ユニクロであったかいセーターを買ったり、ツタヤで面白そうなDVDをレンタルしてみたりするのです。私がこの吟遊映人の記事を書いているのも、そうした生活に潤いを与えるものとなっています。私が担当しているのは主に、【読書案内】と【映画】に関する感想です。もう一名のスタッフは、画像を配置してくれたり、俳句、詩歌、時事問題など本人が興味のあることをピックアップして、このサイトをさらに雰囲気のある身近なものにしてくれています。今後とも二人でコツコツと続けていこうと思いますので、こちらの記事をサラリとでも読んで頂ければ幸いです。私が学生時代、常に愛読していた聖書の一節に、「一生懸命働けば、必ず良い結果を得る」(ソロモン王の〈箴言〉より)とありました。私はその言葉を胸に、来年もまい進して行こうと思います。今年も一年間、このようなつたないサイトにお立ち寄り下さいまして、本当にありがとうございます。どうぞ皆様、良いお年をお迎え下さい。平成25年 大晦日
2013.12.31

【地球が静止する日】「どんな文明もいずれ危機的局面を迎える」「ほとんどが滅びる」「(だが)君たちは生き延びた」「太陽を失いかけ、進化を余儀なくされた」「絶滅の危機だと知ってから進化したんだな」「そうだ」「私たちは今知った。確かに絶滅の危機だろう。だが危機に瀕して初めて人は変わろうとする。窮地に立って初めて進化する。その好機を奪わないでくれ。答えに近づいているんだ」この作品を鑑賞することで気付かされた永遠のテーマ、それは人類創世以来の悩みかもしれないと思った。“人類滅亡”という問題のことである。世界のベストセラーである旧約聖書には有名な“ノアの箱舟”のくだりがあるが、これもいわゆる滅びの哲学から生まれた作品のような気がする。『全能の神は、地上に増えた人々や人間の業を見て怒りを覚え、洪水で滅ぼすことにした。神に従順なノアは忠告を聞き入れ、巨大な箱舟を作り、全ての動物の雌雄一組ずつを箱舟に乗せ、来るべき日に備えた。』(旧約聖書「創世記」より)増えすぎた種は、地球という一つの生命体にとってこの上もない負担となる。その際、人類は戦争・疫病・天変地異等により淘汰される運命にあるのかもしれない。それが自然の摂理だとすれば、もうどうしようもない滅びの哲学なのではと。『彼は警告にきた。しかし人類は気づいていない。』謎の球体が突如としてN.Y.のマンハッタンに現れる。しかしその球体は世界中の至るところで出現していた。米政府は軍も出動させ、厳戒態勢を布く。危機対策チームの一人である生物学者のヘレンは、セントラルパークに到着し、球体の謎を解くため軍隊と共に包囲する。まばゆいばかりの光の中から現れたのは、地球外文明の代表としてやって来た宇宙からの使者クラトゥであった。この作品は、望むと望まざるとに関係なく一度は観ておきたい、地球規模の社会的テーマを扱っている。それをエコ対策の喚起と捉えるか、あるいは宗教的倫理観の覚醒と捉えるのか、単なるパニック映画と捉えるのか、それは視聴者各人に委ねられている。だが大切なのは、我々一人一人が生きものであると同時に地球そのものが一個の生命体であるということ。我々人間が増えすぎることでガン化し、地球が病んでしまっていることだけは確かなのだ。“じゃあ一体どうしたらいいのか?”と問われたら具体策は漠然としていて、地球の静止する日を止める術はないというのが現実だ。ならば我々は、せめてこの地球のために何ができるか考えようではないか。人類のためと言うより、地球のために。それが結果として人類を救う解決策になるのではなかろうか。余談であるが、ゴルトベルク変奏曲が、実に効果的に使われていた。地球外生命体も美しいと認めるバッハの音色である。余談ついでにもう一つ。ゴルトベルクは、あのレクター博士も大のお気に入りである。2008年公開【監督】スコット・デリクソン【出演】キアヌ・リーブス、ジェニファー・コネリー
2013.12.30

思ふこと今年も暮れてしまひけり 正岡子規思うこと、そしていいたいことは数多あれど、沈む夕陽を眺めながら胸の奥に押し込んだ。2013年も残りわずかである。
2013.12.29

【林真理子/白蓮れんれん】◆大正の世を騒然とさせた一大スキャンダル“白蓮事件”私、このご本を読み終わりましたところ、もう昔のことではありますが、○○女学院の女学生でありましたことを誇りに思いました。と申しますのも、この作品の主人公であられる柳原○子様は、私の母校と関係のある東洋英和女学院をご卒業されたお方なのでございます。その○子様は、恐れ多くも、大正天皇のご従妹にあらせられるのでございます。そのような華族様のお立場にある高貴なお方が、何故、平成の現代においてこのような小説の主人公と成り得たのでしょうか?(無論、昭和の時代にも小説のモデルとなっておられますが)それは当時、旦那様のいらっしゃった○子様ですが、東京帝大卒の弁護士・宮崎龍介という平民の者と駆け落ちするという事件があったからなのでございます。世に名高い“白蓮事件”でございます。この禁断の恋は世間からずい分と非難を浴び、それはもう一大事でございました。太平洋戦争後、象徴天皇というお立場になられました陛下ですが、それまでは慶事の際などに天皇と皇后のお写真を拝謁するにしても、取り扱う方はフロックコートを着て、白い手袋をはめて、それで漸くお写真に触れるのでございます。○子様は、それほどまでに神々しい偉大なる帝のご親戚でいらっしゃったのです。銀座の街をそぞろ歩き、白牡丹やゑり久、御木本装具店(ミキモト)をご覧あそばされた後、千疋屋でお茶を召し上がるのでございます。私のような下々の者とは、住む世界が違うのでございます。格好つけて最高の尊敬語を駆使して言葉を尽くしてみたものの、思いのほか疲れた。しんどい。著者の林真理子は、これまで不倫小説やらコメディタッチの軽妙なエッセイなど、ポップな作品を多く手掛けて来た作家なので、よもや大正天皇の従妹に当たる柳原○子(柳原白蓮)について、大まじめに執筆するとは思わなかった。解説によれば、『ミカドの淑女』『白蓮れんれん』『女文士』は、女性伝記の三部作となっているようだ。ところが『女文士』以来、「このジャンルからは遠ざかっている」とのこと。それはそうだろう。頭の中でチョイチョイっとこしらえた作り話とはワケが違うのだから。だとすると林真理子は本当に根気強く資料集めに始まって、時代考証、方言研究、現場取材等、実に見事な仕事ぶりだったと思う。(あくまでも想像だが)その証拠に、とてもおもしろかった!良い意味で林真理子らしい毒の効いた表現方法が、見事に花開いた感じがした。評価したいのは、華族出身のやんごとなき女性を主人公としながらも、遠慮がちにペンを執らず、大胆にも女クサイいやらしさを全面に押し出した点である。ややもすれば惚れたはれたの人情噺に成り下がってしまいがちなゴシップを、ものの見事に恋に生きた一人の女性の歩んだ道として、伝記小説にまで持ち上げたのだから!「大正の世を騒然とさせた」一大スキャンダルであったこの“白蓮事件”は、最近流行のコイバナ小説なんて子供騙しにしか思えないほどのインパクトを与える。(どだい比較に値するものではないけれど)「門外不出とされてきた七百余通の恋文を史料に得」た、林真理子の渾身の逸作と言っても過言ではない。おすすめだ。『白蓮れんれん』林真理子・著〈柴田錬三郎賞受賞作〉☆次回(読書案内No.106)は山本周五郎の「青べか物語」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1段はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2段はコチラから
2013.12.28

【コンテイジョン】「感染はおそらく呼吸器系や媒介物からよ」「媒介物とは?」「それを介して感染が広がるもの・・・例えば人は普通、日に2000~3000回顔を触るの。起きてる間に1分で3~5回も。他にドアノブにも触るし、水飲み器、エレベーター・・・人の手なんかも。それが媒介物よ」未知のウィルスが人の体を巣食っていくという題材は決して新しくないのに、ソダーバーグ監督作品だと妙に斬新さを感じてしまうから不思議だ。それもそのはず、こういうパニック映画にはお約束のヒーロー、ヒロイン的なキャラが存在するはずなのに、最後の最後までそういうのは登場しなかった。どの役者さんも主役級で、どのキャラが主人公なのか見極めるのが難しいぐらいだが、とりあえずマット・デイモンは平凡な一般市民の役だし、ローレンス・フィッシュバーンはエリート医師だが私情から情報を漏洩してしまうし、ジュード・ロウはいかがわしいジャーナリストの役だ。つまり、どのキャラも世間一般にフツーに存在しそうなタイプというわけだ。この人間臭い人間たちの中で巻き起こるセンセーショナルな出来事が、原因も分からずパニックを引き起こし、やがて収束に向かっていく模様を見事に表現している。さすがはソダーバーグ監督、どこかで見たような作品には決してしない。仕事で香港に出張したベスは、シカゴで不倫相手と密会を果たす。その後、夫ミッチと子どもの待つミネソタの自宅に戻るが、激しい咳き込みと発熱が続いた。一方、香港ではカジノでベスの使ったグラスを片付けたウェイターが倒れた。原因が分からないままベスの容態は急変し、口から泡を噴いて死亡。ただちに緊急連絡を受けたWHOは、ベスの死体解剖をし、医師のレオノーラ・オランテスを中国に派遣する。逸早く、情報を嗅ぎつけたフリージャーナリストのアラン・クラムウィディは、政府が隠蔽した伝染病ではと、ネットに配信する。この作品から感じたのは、人間という生きものは、人と触れ合わずにはいられない性を持っているのだということ。未知の感染症に脅える最中であっても、男女のティーンは親の目を盗んで触れ合おうとし、中国で人質の身となった女医は不衛生な村で子どもたちと触れ合いながら勉強を教えるし、空港で他人のふとした好意に感謝の気持ちを込めて握手を交わすのだ。恐ろしいウィルスが人との接触で伝染していることを知りながらも、人は人のぬくもりを求め、また与えてしまう。触れ合うことで、危険と隣り合わせになるにしても、やはり触れ合わずにはいられないのだと、作品は淡々と語りかけてくる。2011年公開【監督】スティーヴン・ソダーバーグ【出演】マット・デイモン、ローレンス・フィッシュバーン
2013.12.27

行く年や茶番に似たる人のさま 正岡子規今年もあとわずかとなった。若い方なら「あと六日もある」のかもしれないが、我々の世代になると「あとわずか」なのだ。齢八十六の老父はさしずめ「ごくわずか」といったところであろうか。子規は見事だ。暮れの繁忙を何ともしない。達観しながら世間を見渡す姿は「お見事」以外のなにものでもない。それにしても世間の茶葉劇は明治も今も同じことのようで、そう考えるとシラケて見える「人のさま」も、なんとなく人間味を帯びてくるのだ。続けて一句。年忘一斗の酒を盡しけり子規の達観もさることながら、その胆力たるや超一流だ。坂の上の雲を目指した時代の、これが真骨頂なのであろうか。子規を想う時、明治という時代がとても輝いて魅力的に思える。そして恋慕の情を抱くのだ。降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男
2013.12.26

【桜田門外の変】「関さん、何事ですか?」「井伊直弼が大老になった」「斉昭様をとことん封じ込めるつもりだ!」年の瀬になると、必ず『忠臣蔵』が放送されていたのは、すでに昭和のことか?それに代わるものとして取り上げて良いものかどうか分からないが、お正月特番として『桜田門外の変』を放送したら、かなり視聴率をとれるのではなかろうか?『桜田門外の変』は、吉村昭の同名小説を映画化したものだが、この歴史的事実が日本のその後を大きく変えることになる。映画では、桜田十八士の一人である関鉄之介の視点によって描かれている。関鉄之介というのは、幕末の勤王志士で、水戸藩士である。(ウィキペディア参照)桜田門外の変では、実行部隊の指揮官を務め、この暗殺計画の全てに立ち会っている人物なのだ。さらに、本人の性格的な几帳面さからか、事件の全貌を語る日記なども多く残しているようだ。映画では、この関鉄之介役に大沢たかおが抜擢されている。なんとなく線が細く感じられるが、若い人にも歴史に興味を持ってもらうためには、このぐらい垢抜けた役者さんをキャスティングする必要があったのだろう。演技そのものは、可もなく不可もなくと言ったところで、作品全体に影響を及ぼすほどの鋭い演出は見受けられなかった。舞台は幕末の江戸。安政の大獄による尊王攘夷派志士に対する弾圧が、過酷を極めていた。弾圧の首謀者は、大老井伊直弼。水戸藩改革派の先鋒である高橋多一郎、金子孫二郎らを中心に、井伊直弼の暗殺計画を練る。安政7年3月3日、関鉄之介は桜田門外において、井伊直弼襲撃の指揮を執る。見事その首をとることに成功した関鉄之介は、事件の全てを見届け、まずは薩摩藩を頼って逃亡する。だが門前払いされ、結局は故郷の水戸藩領内を転々と潜伏することになる。映画では、水戸藩士が頼りにしていた薩摩藩の挙兵と、京へ上るまでの計画が不成功に終わり、失意のうちに次々と藩士たちが捕らえられていく悲哀が描かれている。ドラマチックにするためには、このあたりの絶望的な状況をもっと過酷で壮絶なものとして表現すれば、あるいはクライマックスにふさわしいストーリー展開になったかもしれない。吉村昭原作ということもあり、資料に基づいた、地味な歴史小説なので、その後の脚本化は大変難しかったことが想像できる。これを『忠臣蔵』のような世界観にまで高めれば、『桜田門外の変』も大型時代劇ドラマと成り得るような気がした。しかし地味ながらも、歴史に概ね忠実な作品なので、評価したい。2010年公開【監督】佐藤純彌【出演】大沢たかお
2013.12.25

冬ごもり仏にうときこゝろ哉 与謝蕪村
2013.12.24

【東奥日報 天地人】「印刷だけでは味気ないから、一言でも直筆で」。そう思うと、年賀状書きもなかなか進まない。多くの人がまだ呻吟(しんぎん)しているのではないだろうか。郵便局の年賀状受け付けがおとといから始まった。今年も残りわずか2週間。書き終えていない人はそろそろ尻に火が付いたことだろう。 賀状書きに苦しむ人は結構多い。作家の北杜夫(きたもりお)は若い頃、儀礼的に思えて、年賀状が嫌いだった。それでも、昔の先生などからもらうと、やはり返事をしないとまずい。だが、先に先生からもらって、返事を書くのも失礼だから、一計を案じた。「喪中欠礼」のはがきを出すことにしたのだ。 家の誰かが死んだことにし、これを3、4年続けた。「喪中とは知らず賀状を出して失礼しました」。ある時、こんな手紙をもらった。さすがに罪深さを感じ、「喪中欠礼」を廃止したとか。 ところが、年を取り、もらう賀状が千通を超える程度に減ると、感じ方が変わるから不思議だ。「古い友人から来る年賀状は楽しいものだ」。エッセー集「マンボウ家族航海記」にそう記す。 年賀状書きは年に1回、古い友人や知人を思う大切な機会だ。〈賀状書き心東西奔走す〉(嶋田摩耶子(まやこ))の句もある。「あの人は元気でいるかな」。遠くにいる懐かしい顔が頭に浮かべば、ペンにも自然に心がこもる。(12月17日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~記事は12月17日のものである。余計なおせっかいではあるが、天地人氏の賀状書きはもう終了しただろうか。それにしてもマンボウ北杜夫はケッサクではないか。氏のエッセーに馴染んだ世代にはたまらない。ピンポンに精は出しても(画像左)年賀状書きは不精した。挙句の果てが「喪中欠礼」である。これはタマランチ会長!当方は天地人氏からいい塩梅に背中を押され、というか、いよいよ尻に火がついてまずはデザインを決めた(画像右)。そして天地人氏のご助言を入れ「一言」のスペースを作った。そこからが問題だ・・・そして今に至る。まだ終わっていない。「イツモ笑ッテイルサウイウモノニワタシハナリタイ」もしかしたら元旦到着は難しいかもしれない。だから「私」ではなく「あなた」にそうあってほしくて入れてみたのだが。はてさて・・それはそれとして、つつがなく年賀状をしたためることに幸福を感じている人は少ないはずだ。たしかに天地人氏や俳句の嶋田摩耶子さんが書くように、懐かしく楽しく感じることはあろう。私とて、遅々として進まぬ賀状書きなれど、しみじみ懐かしさに浸っているのである。だからこそ、進まない所以でもあるのだが。齢、86の老父は訳が違う。年齢を重ねてその数が大激減し、今年に至っては百枚を切った。「年賀状を出す数と年賀欠礼通知は反比例する。」しみじみそう語る父は、長年使い込んだ万年筆で一字一句を選びながら年賀状をしたためた。もちろん表も裏も手書きでである。「同級生で残ったのは五分の一だ。気のせいか今年は鬼門入りが多かった。」決して沈痛の思いではない。父は何か遠くを眺めるようなやわらかな笑顔でそう言った。きっと「五分の一」にいて、こうして年賀状をしたためることができることに幸福と感謝を抱いているのではないか、私にはそう思えた。幸福感に包まれながら年賀状書きを進めた父は、すでに書き終わり投函も済ませている。愚息はこうしてブログは綴れど年賀状書きはいまだ終わっていない。父を横目によもや「喪中欠礼」は出来まい。天地人氏もまだ書き終えていないことを信じ、競う気持ちを奮って書き進めよう。今日が勝負だ!ときに老父ではこういう蛇足がある。「今年の○○会(小学校の同級会)は幹事が鬼門に入ったから出来ずじまいだった。誰が幹事を引き継ぐのだろう。会も自然消滅するかもしれないな。」その年代年代で幸福感同様にいろいろな心配や悩みがあるということだ。
2013.12.23

【マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋】「シェイクスピアのリア王の死の場面(を知ってるかい)。たった一言“彼は死んだ”と。たったそれだけ。何のドラマも何の美辞麗句もない。歴史に名をとどめる珠玉の名作のクライマックスが・・・“彼は死んだ”。天才シェイクスピアが記した言葉は“彼は死んだ”・・・だがそれを読むたびに私は悲しみに胸をつかれる。“彼が死んだ”という言葉のせいじゃない。彼の人生が思い浮かぶからだ。」心がほんわかあったかくなるファンタジードラマ。そういうストーリーは、子ども向け大人向けという枠に囚われず、映画を愛する全ての人たちがハート・ウォーミングな気持ちになれば良い。愉快なおもちゃの世界に浸るのも良いし、役者のセリフに胸を打たれるのも良い、心地良いBGMに耳を傾けながら穏やかな時を過ごすのも良い。どんな楽しみ方をしてもこの作品からは非難の声など聞えない。万人が満面の笑みで「ああ、おもしろかった!」と賛辞を唱える映画なのだ。街の一角に建つ創業113年のおもちゃ屋は、243歳のオーナーマゴリアムおじさんと、23歳の天才ピアニストのモリー、そしてお手伝いの少年エリックで切り盛りしていた。だがマゴリアムおじさんは突然引退を宣言。モリーに跡を継いで欲しいと頼む。さらにこれまで一度として店の資産価値など割り出したことがなかったが、売り上げも含めて計算するよう会計士のヘンリーに依頼した。そんなある日、店の壁がみるみるうちに変色し始めた。どうやらマゴリアムおじさんの引退に対し、命を吹き込まれたおもちゃたちがすねて、言うことを訊かなくなってしまったのだ。ダスティン・ホフマンが死について語る場面がある。それはシェイクスピアの「リア王」の一節だ。“彼は死んだ”・・・こんなにストレートで単純な表現が、どうしてこれほどまでに後世に影響を与えるのか。“死”というものがいかに悲しい事象であっても、消えてなくなること以外のなにものでもないことを端的に表現している。魔法がこの世にあることを信じて疑わない無垢の子どもも、やがて大人への扉を開ける。 青春前期、少年少女期との決別。漠然とした喪失感に襲われる。年を経て、やがて老いを迎え、再び若かりし頃を思いめぐらす。同時に“死”に対する悲しさや、いつの間にか身についた潔い覚悟。誰もが通る同じ道。なぜだろう、この作品からは哲学的な格調高ささえ感じられた。ジーンと胸の熱くなるようなノスタルジックな気持ちと、擬人化されたおもちゃの世界に、思わず童心にかえってしまうのだ。2007年(米)、2008年(日)公開【監督】ザック・ヘルム【出演】ダスティン・ホフマン、ナタリー・ポートマン
2013.12.22

【岸田秀/ものぐさ精神分析】◆初心者にやさしい、心理学入門に最適のテキストいつごろだったか、たぶん20年ぐらい前になるだろうか? 血液型心理学占いなるものが、爆発的に流行った時がある。雑誌の特集などで扱われていたりすると、私も人並みにいそいそと買い込んで、「おお、当たってる!」などと喜んで読んでいた。あのころはまだウブだった。ところが年月というものは残酷である。今ではそんなものが単なるまやかしでしかないことが分かってしまった。第一、心理学(自然科学や社会科学でないもの)という非科学的な学問と、占いというオカルトをコラボさせたものなんて、どう考えたって信憑性がないのに、若いころは“無垢”というベールが知覚を遮っていたに違いない。さて、『ものぐさ精神分析』は、早大文学部(心理学)の院卒である岸田秀が、専門家としての立場から考察したものであり、それはもう興味深い精神分析の世界を説いてくれたものである。最初に学術誌などで発表されたのは70年代で、その後書籍化され、ベストセラーとなり、それ以後も版を重ねている。今は亡き伊丹十三もかなり影響を受けたらしく、巻末には長文の解説を寄せている。私はこの本を何度となく読んで、「人間は本質的に神経症」であることを知り得た。べつにだからどうというわけではないが、自分も含めて誰一人まっとうな人間などいないのだと思ったら、人間のやることなすこと、全て五十歩百歩なのだとあきらめもつく。興味深く読んだのは、〈日本近代を精神分析する〉である。日本国民(集団)を一つの単体(個人)として捉え、精神分裂病であると診断を下す考察だ。その原因はやはり、1853年のペリー来航事件であるというのだ。これは作家の村上龍も意見を同じくしているが、日本は「有史以来、一度として外国の侵略や支配を受けたことのない、言わば甘やかされた子どもであった」ところ、突如としてペリー率いる東インド艦隊によって開国を強制された。司馬遼太郎はこれを、「日本はアメリカに強かんされた」と表現するが、要するに、無理やり「また(港)を開かされた」状況なのだ。岸田秀が比喩として「苦労知らずのぼっちゃんが、いやな他人たちとつき合わなければ生きてゆけない状況に突然投げこまれた」と述べているが、これは長きに渡って鎖国していた日本が、開国を無理強いされた状況を実に上手く例えている。ところがそれは「日本にとって耐えがたい屈辱であった」。つまり、このペリー・ショックが日本を精神ぶんれつ病にしたというのだ。「開国は日本の軍事的無力の自覚、アメリカをはじめとする強大な諸外国への適応の必要性にもとづいていた」が、これまでの日本の文化、伝統の中断でもあった。急激な欧米化が実行され、「卑屈な鹿鳴館外交が展開」されたのだ。こうして日本は不安定な内的自己を支える砦がどうしても必要となる。(伝統的日本を失った内的自己は、自己同一性の喪失の危機にさらされてしまったからだ)そこで、その恐怖からの逃避に好都合だったのが、天皇制である。要するに、天皇=アイデンティティー=大日本帝国となるわけだ。ほとんど宗教らしい宗教を持たない民族にとっての、万世一系の神となる必要性が生じたのだ。この時代、不平等条約の改定を目指して合理化された、和魂洋才(外面と内面を使い分けること)というスローガンが、何より日本の精神分裂を物語っている、という考察である。この歴史を踏まえた精神分析は、なるほどと頷けるものがある。ざっとでも近代からの歴史認識をある程度持ち合わせていないと、後の同化政策など中国や朝鮮との現在に至るまでの関係を理解するのは難しい。他にも『ものぐさ精神分析』では、〈吉田松陰と日本近代〉〈国家論〉〈せいよく論〉〈恋愛論〉〈自己嫌悪の効用~太宰治「人間失格」について~〉などなど興味深い考察が満載である。何より、人間は皆神経症なのだとほとんど明言されていて、それは何も異常なことではないと、やんわり諭されてしまう。素直な私は、よって「正常な自我なぞというものはない」のだから、自分さがしの必要なしーーーという結論に至った。(これはあくまでも個人的な見解だが)とにかく、この一冊が初心者向けの親切な案内書となっていることは間違いない。『ものぐさ精神分析』は、心理学入門に最適なテキストである。『ものぐさ精神分析』岸田秀・著☆次回(読書案内No.105)は林真理子の「白蓮れんれん」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1段はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2段はコチラから
2013.12.21

百一才の夏ほどほどに趣味も仕事もほどほどに百一才の夏さわやかに今年の夏、新聞の連載記事「元気100歳」に載った西村富志子さんが詠んだ歌である。西村富志子さん、御年百一歳。欲も華美もはるか遠い昔の事であり、ただ心の有り様だけをそのまま詠んだ歌であるが、実に美しい。心から感動した。今年もたくさんの詩歌に触れた一年であったが、これほど素直に感動したものは他にない。もちろん、与謝野晶子さんの歌のようにうならずに読まないではいられないようなうまい歌もあったし、何度読んでも琴線を刺激する山頭火の句もあった。しかし、人としての美しい心にこれほど感動したものはこの他にはない。私の今年の一番である。願わくは、西村さんにはつつがなく新しい年をおむかえいただき、「百二才の夏」を詠んでほしい。そして出会いの一番は、ここに御座す聖観世音菩薩だ。某寺の本尊である。秘仏ではないが、理由があってめったに開帳されることはない。仏縁があり、私はそれを拝む栄を賜ったのだ。室町の足利執権の寄進によるものだそうだ。拝謁がかなったのは私が屈託を抱えていた時だけに、聖観音には度していただいたという思いを強く持っている。私だけの私にとっての事ではあるが、出会いの一番はこの聖観音である。今年もあと十日あまりである。後は怒涛のごとく過ぎてゆくであろう。今年もアレコレあったが、心をゆさぶる一歌と依怙なる聖観音を得る事が出来たのは何よりであった。まずは上々の一年に感謝合掌。健康に留意して無事に年を越したい。
2013.12.20

手に取るなやはり野に置け蓮華草 滝野瓢水ふたたび滝野瓢水(たきのひょうすい)である。先の記事はコチラをご覧いただきたい。瓢水は「畸人伝」に載る人であったが、句を読むとその達観ぶりを感じないではいられない。畸人とは達人に通ずるものなのかもしれない。掲句は示唆に富んでいる。「蓮華草」は欲の象徴なのだ。そう見ると戒めの句となる。なんでもかんでも自分のものにしようとするな、そういうことだ。ただし学者の机上教義ではない。風雅の限りを尽くし、道楽に散財し、そして没落の憂き目を見た「達人」の実義なのだ。だからそこに瓢水のシニカルな視線や、虚しさと嘆きを含んだ哀れみの視線を感じないこともない。○○の権利。△△の権利。××の権利。一億三千万の権利、それは欲望である、が日本には渦巻いている。声高に唱え、それを掌中にして、いったい何を得たというのか。畸人、瓢水にそうたしなめられている気がしてならない。みぞれ空を眺めながら瓢水の人物を思った日である。それにしても、名の如く正義の人もいれば、瓢水のようにして「達人」の域に入った人もいる。何とも日本人の層の厚さを感じるではないか。そう思うとき、私はそこはかとない幸福感に包まれ、そして日本人として生まれたことを誇りに感じるのだ。瓢水に、そして数多の先人に感謝だ。衷心からの合掌を捧げる、合掌(-人-)
2013.12.19

【日本経済新聞 春秋】この人のことを「田舎の中学校の校長先生のような顔」と書いたのは、先ごろ死去した辻井喬(堤清二)さんである。実直で清廉で頑固。生涯を通したその姿勢をうまいこと表した褒め言葉だと思う。この人、政治家・伊東正義が生まれて100年目がきょうにあたる。 地位を得、何事かを為(な)して名を残す人はいくらもあるが、地位を蹴り、為さざることをもって名を残すまれな人である。大物候補が軒並み金銭スキャンダルにまみれた1989年、金にきれいなこの人しかないと請われた首相就任を断った。「自民党という本の中身を変えず表紙だけ変えても意味がない」と語ったという。 大平正芳元首相との関係は盟友とも腹心ともいわれた。大平が選挙直前に急死した80年、官房長官だった伊東は首相臨時代理になったが、その36日間、官邸の首相執務室を決して使おうとせず、閣議では首相の椅子に座らなかった。政治資金集めのパーティーは開かない。勲章は断る。一事が万事、こうした調子で生きた。 話の数々はよく知られていても、日がたつにつれ、為したことばかりが幅を利かせて記録にも記憶にも蓄えられていく。さしでがましいとは思うが、水やりを怠って伊東の逸話を枯らせてしまうわけにはいかない。一生を振り返るとそんな気になるのである。そういえば、田舎の中学校の校長先生のような顔を最近見ない。(12月15日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~すっかり忘れていた。かつて政治家にも人物はいたのだ。コラムで伊東氏の生誕百年を綴ったのは、おそらく日経だけではないか。サスガである。『伊東の逸話を枯らせてしまうわけにはいかない。』そしてまたその意気や見事である。何とも新聞記者としての自負を感じるコラムなのだ。こういう記者がいるかぎり新聞は安泰だ。昨今の新聞を見るにつけ、辟易の感はいよいよたかまっていたので、私はとても安堵を覚えた。日経、春秋氏に謹んで敬意を表する次第だ。さて、日経といえばこんな思い出がある。あれはもう三十年以上前のことだ。新宿の酒場だ。そこに流行り始めたカラオケなどあるはずもなく、歌といえば年配の流しが時折訪れる、至って新宿らしい場末の酒場であった。そこの常連で年のころは五十そこそこ、皆からセンセイと呼ばれ慕われていたのが日経の文藝記者であった。「センセイはどんなに酔って帰っても一日一冊本を読むのよ」おかみから聞いた話だ。センセイはずば抜けて座興上手であった。それが読書の賜物かもしれないが、そんなことは微塵も感じさせることはなかった。私は、後にも先にもセンセイほど博覧強記な人を知らない。だがセンセイは博士ではなかった。言うなら大博士であった。気さくで楽しくて涙もろくておまけに何でも知っていて、だから皆に慕われていた。もちろん私もセンセイが大好きであった。私の新宿通いは卒論作成とゼミの研究発表により終息した。センセイとはそれっきりだ。やがて昭和から平成に変わり、機会があって場末の飲み屋を訪れた。だがビルに変わっていた。コラムを読んで思った。センセイが皆から慕われた理由は、胸の底に秘めた自負心だったのだろうと。なるほど伊東正義も自負の人であった。会津人としての矜持を感じもした。柴五郎閣下の面影を伊東の中に見るのは私だけではありますまい。そして柴閣下もまた会津を自負する人であった。私は春秋氏に意気を感じ、新聞記者としての自負心を見た。春秋氏は伊東正義の政治に意気を感じ、政治家としての自負心を見た、そういうことであろう。つまり自負心の連鎖である。人はおしなべて、自分の仕事に自分の立場にそして自分の人生に「自負」をもって生きなければならない。センセイが座興で語った一言半句は、ただただ楽しかった。それが今コラムに重なり、センセイの胸の内が少しだけわかった気がする。日本経済新聞 春秋氏に感謝(^人^)センセイやいずこ。すでに昭和は遠い昔である。
2013.12.18

さればとて石にふとんも着せられず 滝野瓢水滝野瓢水(たきのひょうすい)は江戸期の「続近世畸人伝」に名を連ねる播磨の俳人である。風雅の限りを尽くし、道楽に散財して財産を失ったという。達観の人だ。その御仁が、母親を亡くした際に落胆し、墓に詣でて詠んだ句である。〈さればとて 石にふとんも 着せられず〉悔やんでも悔やんでも悔やみきれない自責の念は瓢水のみぞ知る。暮れには歓迎されそうもない句ではあるが、我が思うことありしとき、ふと口ずさむと、何とはなしに気が楽になる。瓢水と相憐れんだような気になるのだ。世間も騒々しくまわりにアレコレ起る年の瀬だ。されど己が思いは己のみぞ知るところなのだ。屈託を覚えたとき、しみじみと感じ、やがて達観に至る一句である。お試しあれ。
2013.12.17

【産経新聞 産経抄】~酒はしづかに~テレビドラマ『半沢直樹』の決めぜりふ「倍返し」は、流行語大賞に選ばれた。放映中の『リーガルハイ』の怪演も大評判だ。堺雅人さんは、今年もっとも活躍した俳優の一人だろう。その堺さんが同じ宮崎県出身で、早稲田大学の先輩にも当たる、若山牧水の大ファンだという。酒と旅をこよなく愛した歌人として知られる牧水とは、高校時代の恩師である歌人の伊藤一彦さんを通じて出会った。「牧水にとって酒も、歌と同じくらい大事な宗教だったのかも」。堺さんは伊藤さんと杯を傾けながら、『ぼく、牧水!』(角川書店)のなかで熱く語っている。いかにも飲み方に品格が漂っていそうなお二人には釈迦に説法だが、酒はときに「凶器」にもなり得る。国土交通省によると昨年度中、乗客による鉄道係員への暴力行為が900件を超えた。特に多発傾向にある首都圏では、約7割が飲酒絡みだ。「お酒は理由にならない!暴力は犯罪です」。たまりかねた全国の鉄道事業者は、忘年会シーズン本番を迎えた今週から、「STOP暴力」を訴えるポスターを駅構内や列車内に掲示している。泥酔のあげく暴行や強制わいせつに及んで、有名人が逮捕される事件も後を絶たない。各自治体も、職員の飲酒運転やセクハラなどの不祥事に警戒感を強めている。「その一線 越えたら職場へ 戻れない」。酒宴が一段落する時刻になると、職員に注意を促すメールを送る消防署まである。「白玉(しらたま)の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」。牧水の数ある酒を詠んだ歌のなかでも、もっとも人口に膾炙(かいしゃ)した一首であろう。師走の夜も「酒はしづかに」、しかもほどほどにと自らに言い聞かせて、街に繰り出すことにする。(12月13日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~画像は牧水にあらず、山頭火である。あれこれ思いをめぐらすに、何ともプププッな写真である。牧水の酒飲みは知るところだが、彼は飲んで乱れたのだろうか?掲歌を読む限りそんな感じはうかがえない。かたや山頭火の乱れは知るところで、このブログでも何度も綴ってきた。山頭火は酔って電車を止めたこともあったが、その大方は身の回りで「こじんまり」と起している。このごろは、酒の乱れが暴力事件に発展しているようで、こうなると「乱れ」でなく「暴れ」であろう。我同法。不得飲酒。若違此者。非我同法。亦非佛弟子。早速擯出。不得令踐山家界地。若爲合薬。莫入山院。伝教大師最澄の残した文章の中では、弱冠のころに記した「願文」がつとに有名なのだが、死に臨んで弟子に託した「御遺誡」も実にすばらしいものだ。上記はその一文である。現代語にするとこうだ。『我が弟子たちよ。飲酒(おんじゅ)をしてはならない。もしこれが守られなければ私の門でも私の弟子ではない。そして仏弟子でもない。そういう輩はすぐに比叡山を降りて二度と戻ってはならない。酒を薬として飲むこともならぬ。』1200年前の「御遺誡」が化石となった仏教界はそれはそれとして、眼目は「亦非佛弟子(そして仏弟子でもない)」である。数多い仏教書のうちで最も古い聖典といわれるのが「スッタニパータ」だ。碩学、中村元先生の『ブッダのことば』として、現代においても目にすることが可能だ。難解な教理ではなく、人間として正しく生きる道をブッタが諄々と説くものである。もちろん、ブッダは門弟に対して一切の飲酒を禁じていることはいうまでもないのだが、人々にも不飲酒を説いている。「スッタニパータ」ではこう記す。「不飲酒の教えを喜ぶ在家者は、他人をして飲ませてもならぬ。他人が酒を飲むのを容認してもならぬ。これは終に人を狂酔せしめるものであると知って。けだし諸々の愚者は酔いのために悪事を行い、また他の人をして怠惰ならしめ、悪事をなさせる。この禍いの起るもとを回避せよ。これは愚人の愛好するところであるが、しかしひとを狂酔せしめ迷わせるものである。」実に2500年以上前に説いた真理である。我々は仏にむかい合掌して祈り願うにもかかわらず、その後に平気で飲酒をする。その実態は古の先祖から、何も変わっていない。先の最澄の真意は「仏様も飲酒を禁ずるのだから絶対に飲むな」そういう念押しであろう。だがしかし、現実において「泥酔のあげく暴行や強制わいせつ」が多いのだ。曰く、諸々の愚者は酔いのために悪事を行い、である。この歴史を思うにつけ、師走の夜も「酒はしづかに」、しかもほどほどにと自らに言い聞かせて、街に繰り出すことにする。それは無理でしょ、産経さん!それこそ「歴史認識」が甘いというものだ。さればどうするか。ブッダが説いているのだ。この禍いの起るもとを回避せよこの真理を体得するしか他にはない。飲まなければよい、ただそれだけの事だ。と軽くいってはみたものの、それが出来ないから酒の失敗が続くわけだ。つまるところ強欲である。たかが酒の話ではある。だがその深淵から自ら抜け出せない限り、それは永遠に続く。或る意味で地獄なのだ。少なくとも酒は、ひとを狂酔せしめ迷わせるものである。そう心得て飲むことにしたい。産経さんもどうであろう?
2013.12.16

【朝日新聞 天声人語】苦楽をともにしてきた老妻が死んで、葬式もすんだ。隣家の奥さんが通りかかって「お寂しゅうなりましたなあ」。「一人になると急に日が長(なご)うなりますわい」。つぶやく夫の向こうに瀬戸内の海――。変哲もないシーンながら、映画「東京物語」のラストは何回見ても胸にしみ入る。 監督の小津安二郎は「映画ってのは、あと味の勝負だと僕は思ってますよ」と後に語っている。その術に心ふるわせたファンは多かろう。世界的な巨匠の、きょうは誕生日にして命日。生誕から110年、没して50年にあたる。 作品の多くは、家族や人のつながりを「無常の相」としてとらえる。古き良きものが崩れていく現実が淡々と示される。作詞家の故・阿久悠さんは小津映画を見ながら、家の間取り図を描いたことがあったそうだ。 そこでは家族それぞれが、他の家族を見るともなく目の端に入れながら暮らしている。盆栽をいじる父、料理をする母、本を読む妹、グローブに油を塗る弟――。「絆」という語をあまり叫ばずにすんだ時代かもしれない。 いま、「孤」という字が社会にのさばる。むろん家族にも地域にも煩わしさや重荷はある。それを嫌って、つながりを断ち切る方向にアクセルを踏みすぎて来なかったか。功と罪を、古い映画は問うているかのようだ。 「おれは豆腐屋だから豆腐しか作らない」と言って作風を変えなかった。今ならどんな映画を撮るだろう。その墓は鎌倉の円覚寺にあって、「無」の一文字が刻まれている。(12月12日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ふたたび小津監督である。先の記事はコチラをご覧いただきたい。朝日新聞も負けじとばかりに小津監督を扱った。「道徳」というと妙に反応する朝日新聞なのだが、記事はなんとも「道徳的」ではないか。とはいえ、こういうコラムを目にすると、サスガは朝日、そう思わないではいられない。「道徳的」なところが鼻白まないでもないが、それもご愛嬌だ。一定の抑制も感じる。今日はわきまえているのだ。やればできるじゃないの、天声人語さん!それはそれとして、小津監督はやはりいうことが違う。「映画ってのは、あと味の勝負だと僕は思ってますよ」文学もそうだが、「ふたたび」の気分にさせてくれるかどうか、それが真贋を見究める判断だと私は心得る。その気分を起すのが小津監督のいう『あと味』なのだ。豆腐屋は正鵠を射る。何事も、ふたたびという『あと味』にさせてこそ真(一流)となる。だから『あと味』のないものは即ち贋(三流)である。余談ながら昨今、サービス業界で言われている「顧客満足」のもとになるのも、「ふたたび」の気分にある。物が売れない、客が入らない、そうお嘆きの企業や店舗に共通するのは、商品やサービスに「ふたたび」の気分が起きないということだ。つまり、小津監督の言う『あと味』がないのである。新規開拓に汲々としているところは疲弊し、やがて没落の憂き目を見る。それは映画も店舗も同じことなのだ。「人は自分の置かれた、その中で最善を尽くすほかないでしょう」豆腐屋小津安二郎、そうサラッと言いのけるだけの大人物なのだ。(移ったり辞めたりを繰り返す議員さんとは大違いなのだ。)墓石に「無」と刻ませることだけはある。いまだ拝んではいないが、円覚寺の「無」は、さぞやさまになっていることであろう。ときに天声人語さん。『今ならどんな映画を撮るだろう。』これは無粋だ。そして『あと味』の何たるかをご理解いただいていないというものだ。まずは、『何回見ても』胸にしみ入ったという「東京物語」を、もっともっと見てほしい。それはそうと。「剣岳」で気をよくしたのか、木村キャメラマン改め監督が、またメガホンを手にしたそうだ。しかも山が舞台と言う。木村氏らしい。小津DNAの最後が木村氏あたりになるのだろうか。封切の折は、是非とも劇場に馳せ参じたいと思う。新作に思いを馳せ、亡き大監督を偲ぶ師走半ばであった。
2013.12.15

【佐川光晴/生活の設計】◆現代における真性のプロレタリア文学この小説を読んだ時、友人のことを思い出した。友人は本命の立命館大学に落ちて、関西大学の法学部へと進み、卒業後は有名企業に就職した。ところが様々な事情が重なって四十代で会社を辞めた。その後、再就職に選んだ先は、なんと、某牛丼屋だったのだ。にわかには信じられなかったのだが、決して嘘ではなかった。牛丼屋の仕事を下に見ているわけではない。これは誓って私の本心である。ただ、その友人の前職を知っているだけに、一体何がどういう理由で再就職先に牛丼屋を選んだのか見当もつかず、私は混乱した。結局、友人は牛丼屋を辞めた。生活のためだけに就職した自分を恥じ、ろくな戦力になれなかったことを悔やみ、引き止めてくれた若い年下の店長にペコペコと頭を下げ、牛丼屋を去ったのだ。『生活の設計』における主人公もまた、国立大を卒業した後、出版社から食肉処理場の作業員に転職している。これは著者自身の自伝でもあるので、実際の経験に基づくものだ。著者である佐川光晴は、北大の法学部を卒業後、いったんは出版社に勤務している。ところが勤務先の社長が突然亡くなったことで、会社が倒産してしまう。本当は再就職先の出版社も決まっていたのに、あえて、そこを蹴ってしまう。結果、就職したのは、食肉処理場だったのだ。食肉処理場というと聞こえは良いが、ストレートに言ってしまえば屠殺場のことである。 職業を差別してはならないと、理屈では分かっていながらも、なかなか妻の両親には胸を張って言える仕事ではなかったようだ。(ちなみに著者の妻は教師をやっている)食肉処理業は重労働ということもあり、勤務時間は午前中のみ。したがって著者が主夫となり、炊事、洗濯、買い物なども兼ね、子どもの保育園までの送迎すら請負っていた。この小説は、そんな忙しい中、時間を作り出し、つらつらと書き綴っていたようだ。私は、この著者がとても正直に自らの思いを吐露していることに好感を持った。いくら思い通りにいかぬ世の中とはいえ、よりによって食肉処理業という職種を選んだ深い理由など、実はなかったのである。「わたしがなにをどのように考えた結果、そのような選択をするに至ったかについてもわたしは説明することができない」と述べていることからも分かる。私などはすぐに、北大の法学部まで出た人が、一体どうして屠殺場で働いているのかと、好奇心の方が先に立ってしまうところだ。友人が牛丼屋で働いていることを知った時も、驚きの余り、世の中のバランスを疑ってしまったほどである。だが、そんなことはどうでも良い。本人の体質に適合しているのなら、それでかまわないじゃないか。周囲が余計なことをとやかく言う筋合いはないのだ。それにしても、普通に生きることが困難な時代ではある。自分も含めて世間というものは、想像以上にめんどうくさいものだ。佐川光晴のスゴイのは、キレイゴトではなしに、労働者のありのままを写実的に表現していることだ。だがそれは決して己の生活環境を呪うものではない。もちろん、このような生活が良いとも言ってはいない。そんな中、「現時点におけるわたしの唯一の職業」だと言って憚らない著者の姿勢に、ある種の神々しさを感じる。「全世界のプロレタリアよ、団結せよ!」と結んでいる最後の一行に、胸のすく思いがした。『生活の設計』は、『虹を追いかける男』というタイトルの文庫に収められている。口先だけで思想を扇動するインテリ層とは違い、正しく、本物を感じる一冊である。『生活の設計』佐川光晴・著〔新潮新人賞受賞作品〕☆次回(読書案内No.104)は岸田秀の「ものぐさ精神分析」を予定しています。余談ながら、この作品は30年以上も前に出版されたものがずっと版を重ねられて、ロングセラーを誇るものです。★吟遊映人『読書案内』 第1段はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2段はコチラから
2013.12.14

【佐賀新聞 有明抄】~没後50年の巨匠~「おれは豆腐屋だ」と映画監督の小津安二郎は言った。「がんもどきや油揚げは作るが、トンカツなんてできないよ」。たまには趣向の違う映画を作ったらどうか。そんな周りの声への返答である。 小津は生涯に54本の映画を作っているが、その多くは家庭生活を描いたものだ。その一つ「東京物語」(1953年)は昨年、英国の映画雑誌が企画した「映画監督が選ぶ名作」のベスト1に選ばれた。批評家選定の部門でも3位に入り、世界的な不朽の名作をあらためて印象づけた。 尾道の老夫婦が独立した長男や長女を訪ねて東京旅行に出る。歓待され、失望もする。夫婦を慰めるのは戦死した次男の嫁。そんな話の展開の中で時代がもたらす家族の変容と崩壊を描き、心に染みる。年月を経ても色あせないのはテーマの普遍性にもあるのだろう。 小津は1903年12月12日に生まれ、63年の同じ日に亡くなった。生誕110年と没後50年が重なる今年、名作を未来につなぐ企画も盛んだ。東京国立近代美術館フィルムセンターでは12日から来年3月末まで「小津安二郎の図像学」展。東京 神保町シアターでは1月まで現存する37本の小津作品を上映するという。 自らを豆腐屋と称した小津は、それに呼応するこんな言葉も残した。「人は自分の置かれた、その中で最善を尽くすほかないでしょう」。(12月11日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~【山陽新聞 滴一滴】60歳の還暦の誕生日に、くしくも亡くなったのが「東京物語」「晩春」などで知られる小津安二郎監督だ。あす12日が没後50年と生誕110年に当たる。 「東京物語」をリメークした「東京家族」(山田洋次監督)が今年公開された。英国映画協会発行の雑誌が昨年行った世界の映画監督による投票では「東京物語」が第1位になった。年月を経て、内外からの評価はむしろ高まっているように思える。 カメラを低位置に固定したローアングル、せりふや感情を極力排した独特のスタイルは「小津調」と称された。派手な演出や劇的な展開に慣れた目にはかえって新鮮だ。 「映画ってのは、あと味の勝負だ」とかつて語っている。「最近は、やたらに人を殺したり、刺激が強いのがドラマだと思ってる人が多いようだけど、そんなものは劇じゃない。椿事(ちんじ)です」(「人生のエッセイ 小津安二郎」)。 今日でも通じる重い言葉だ。夫婦や親子の関係から人生の悲哀に迫った数々の作品は普遍的な価値を放ち、国や時代を超えて共感を呼ぶ。 「東京物語」に続く「早春」は、東京の本社から地方の工場に転勤するサラリーマンを描いている。舞台になったのが備前市三石地区。主演の池部良さんらがロケに訪れたのは58年前だ。地元に刻まれた巨匠の足跡もしっかり伝えていきたい。(12月11日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~さすがにいうことが違う。「おれは豆腐屋だ」ひとつことに邁進する姿は美しい。そこから発せられた言葉も、だから人の心に響くのであろう。先日、文化勲章を受勲した高倉健氏のコメントもそうであった。「一生懸命やっていると、ちゃんと見ててもらえるんだな」ところで、このごろの映画にはさほど興味を感じずにいたが、釈然とした。「最近は、やたらに人を殺したり、刺激が強いのがドラマだと思ってる人が多いようだけど、そんなものは劇じゃない。」「刺激」は「CG」に言い換えられようか。でも本質はそういうことだ。我が意を得たり。こういうことだ。私はけっしてこのごろの映画を否定するわけではない。そして素晴らしい作品も多々あると思う。ただ、こちらの興味が、観た映画の数と寄る年波というふるいにかけられて、明確になってしまった、そういうわけなのだ。そして気力と体力も衰えた、それもある。だから今、私が映画に求めるものは「演技」、ただそれだけである。齢半世紀を過ぎ、後は自分の好きな作品を観ていきたい。そうことで、このごろの映画にはさほど興味を感じずにいるのだ。豆腐屋は正鵠を射た。きっと、サラッ、と言ってのけたのであろう。決して自信漲る態度であったはずはない。そう思う。小津安二郎という御仁、こういう方なのだ。「人は自分の置かれた、その中で最善を尽くすほかないでしょう」百万の美辞麗句も寄せ付けない圧倒的なカッコよさではないか。つまり、ひとつことに邁進する姿は美しい、そういうことだ。ときに機を逸したこともあるが、なんとはなしにリメイクの「東京家族」(山田洋次監督)は観ていない。食指が動かないこともないが、まずは本家本元だ。今宵は「東京物語」を楽しもうか。正月は小津三昧に暮れてみるのも悪くは無い。そう思うと味気ない暮れの繁忙も頑張れるというものだ。そしていつの日か「人は自分の置かれた、その中で最善を尽くすほかないでしょう」と人様に垂れることができるよう、さらなる精進を誓う次第だ。映画監督小津安二郎1963年12月12日没、享年60歳。中年の高鳴る思いが彼岸に届くことを願い、合掌。
2013.12.13

冬の日や馬上に氷る影法師 松尾芭蕉まことに情けない限りなのだが、芭蕉といえば「奥の細道」という単一回路である。寒い季節の句は目新しく思い、まずは「奥の細道」を紐解いた。もちろん、「奥の細道」は春から秋の旅なので、冬の句があるはずもなかった。さて、冬の影法師はなんとも楽しいものだ。雪景色を撮りながら、白い雪にうつる影法師を眺めていたら、遊び心を刺激された。次回は小道具を用意して、雪上影絵を作ってみようと思う。それはそれとして芭蕉の句、1.身も凍るほどの寒々としたものと読むか、或いは2.陽射しを浴びた明るいものと読むか。遊びながら思った。これは明るい句である。雪の後の晴天は放射冷却が起こり、寒さは極まる。手綱を持つ芭蕉の手も凍みたことであろう。自ずと身は縮まったはずだ。冬の淡く柔らかな陽射しが、その様子をうつし影法師を作った。何とはなしに目をやる芭蕉翁だ。ふと笑みを浮かべたのではないか。私はそう思う。案外、翁も影絵を作って遊んだかもしれない。喜色満面の翁を想像するのもまた一興、さて翁はどんな影絵で遊んだか。しかし、こちらの御仁は影を眺めて長嘆息だ。着膨れのおろかなる影曳くを恥ず 久保田万太郎伝承の武勇伝は、数多お持ちの万太郎氏である。影法師に己の行状を認めたか。そしておののき恥じ入ったのか。やがて万太郎氏は気付いたはずだ。でも影は己の分身だから、恥じても恥じても、それをひかなくてはならない。万太郎氏の内省を思わせる一句である、影法師で遊んだ私はそう確信する。冬の日は、そうして悲喜こもごもに暮れていくのであった。ときに、少し前の話だ。『奥の細道』ならず「億の細道」とは!宝くじ売場で、前回「億」が当たったコーナーに並ぶ人の列を「億の細道」というそうだ。うまいものだ。ちなみに私は場末の売場で購入した。「億の細道」を知る以前である。
2013.12.12

【産経新聞 産経抄】「嘉田由紀子代表と小沢一郎氏を結びつけたのは、何だったのだろう」。昨年暮れのコラムにこう書いた。当時、内紛状態にあった日本未来の党から嘉田代表が離れ、党に残った小沢元民主党代表のグループが、名前を「生活の党」に変えた騒動を題材にしたものだ。 みんなの党の江田憲司前幹事長が昨日、13人の同調議員とともに離党届を提出し、年内の新党立ち上げを宣言した。「渡辺喜美代表と江田氏を結びつけたのは、何だったのだろう」。名前を入れ替えただけの一文で用が足りてしまう。 「自民党にすりより、与党化をうかがうみんなの党は、原点を見失ってしまった」。江田氏はきのうの会見で、離党の大義を強調していた。ただ、新党結成を急ぐのは、懐具合の事情が大きい。政党交付金の額が、1月1日の時点での国会議員の数などで決まるからだ。新党設立が、永田町の「師走の風物詩」と呼ばれるゆえんである。 ところで平成21年のみんなの党結成の際、名前を付けたのは、江田氏だった。氏のブログによれば、桑田佳祐さんが率いる人気バンド、サザンオールスターズの「みんなのうた」に、感化されたという。 サザンといえば、これまで何度も解散の噂が立ち、活動休止や桑田さんのがん闘病という危機にも直面してきた。それらを乗り越え、結成35周年の節目を迎えた今年、ロックバンドとして初めて、菊池寛賞にも選ばれている。 「いつの日か この場所で 逢えるなら やり直そう」。江田氏は今も、カラオケで十八番(おはこ)の「みんなのうた」を熱唱しているのだろうか。野党再編の軸となり、政権交代を可能にする勢力を作り上げるというのなら、まず、桑田さんのリーダーシップを見習うべきだろう。(12月10日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~どうもしっくりこない。奥歯に物が挟まった感じがする。諸般の事情があることは想像するに難くはないが、もう少しはっきり書いてもいいのでは?産経さん!!それはそれとして、年末恒例の政治「茶番劇」のはじまりだ。「風物詩」にあらず!なぜか。年末であることは産経抄の説明の通りだ。だから政党交付金の締め切りが夏なら、江田新党は来年の夏になったはずだ。そういうこと。大義は聞いて鼻白むが、ドッチもコッチもソッチもアッチもみな同じである。まさに「茶番劇」なのだ。『江田氏は今も、カラオケで十八番(おはこ)の「みんなのうた」を熱唱しているのだろうか。』これは違う。おそらく、昨晩あたりは「別れても好きな人」を熱唱したことであろう。往年の名曲だが、もちろん「別れても~♪好きな人~♪」と歌うはずはない。替え歌である。肝心なところは「別れたら~♪次のひと~♪」だ。そして極めつけはコーラスだ。後ろで民主の細野氏と維新の松野氏は江田氏に随歌するわけである。「(江田)別れたら~♪(細野・松野)別れたら~♪ (江田)次のひと~♪(細野・松野)次のひと~♪」ときにこの手のゴタゴタがあるたびに思うのだが、選挙で該当政党を支持した人にとってはペテンにかかったようなものではないか。そもそも比例代表という選挙制度は、合理的論理的な整合性をみない、いわば「感情的」「感傷的」な制度であると、思わざるを得ないのだ。「私にはまだ賞味期限が残っている」そう言って議員を続ける御老人もいるが、よもや比例当選の離党者は、「先の選挙の賞味期限はもう切れている」と思っているのだろうか。幸か不幸か、私はそこに投じてはいないので気色ばむこともないのだが、なにやら釈然としない思いに駆られるわけだ。みな茶番ではないか、そう思うとかえってストンと落ちるのだが、それも実にむなしい。昨日は一茶の句を載せた。ともかくもあなたまかせの年の暮※詳細はコチラから一茶は阿弥陀様にすべてをおまかせした。さて、我々はだれにおまかせしたものか・・・まずは産経さんに強烈なイッパツを期待したい。
2013.12.11

ともかくもあなたまかせの年の暮 小林一茶この季節には欠かせない定番の一句である。一茶がまかせたのは阿弥陀様だが、人はそれぞれの「あなた」を思い浮かべ、この句を読むのであろう。くれぐれも、恨み節にならないようお願いしたいものだ。まかせたのだから、スパッと気持ちを入れ替えて、それに関しては一切触れないくらいの覚悟でいてほしい、そう願う。ところで、一茶は逆縁を経験し、阿弥陀様に帰依するようになった。たいそうな篤信家であったという。口に出して読んでみると、深いかなしみの末に得た一茶の達観を感じる。一茶の「あなたまかせ」は全てである。経典で言うところの『念念勿生疑(ねんねんもっしょうぎ)』だ。「念じて念じて少しも疑ってはならない」という意味なのだが、一茶は句を持って「あなたまかせ」を実践したということだ。ときに画像は「万治の石仏」という。地元では阿弥陀如来として信奉されているそうだが、印は大日如来である。その出所をふくめて「謎」があり、近年のブームもあって活況を呈しているようだ。師走の寒い日、お年寄りの団体が列をなしていた。杖を頼りに、或いは知人の肩を借り、小股牛歩で進む一行に、私は『念念勿生疑』の行を見て感動を覚えた。一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。団体の去った後、私は石仏の前でそう念じたのであった。オチがある。出かけたのは雪の後の実に寒い日。湖畔から吹き上がる風は、鋭く頬を刺した。つまり、万治の石仏に念仏をとなえないではいられなかった、そういうことだ。団体は別として私の事、である。
2013.12.10

画像はSankei Photoマンデラ氏の訃報にふれ、吟遊映人でもその死を悼む記事を掲載したが(コチラ)、新聞のコラムでも、連日マンデラ氏を扱いその死を悼んでいる。あらためてマンデラ氏の偉大さを思った次第だ。その中から佐賀新聞と神奈川新聞のコラムを掲載する。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~【佐賀新聞 有明抄】~虹の国~元南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)の撤廃闘争を率いた同国初の黒人大統領ネルソン・マンデラさんが永眠した。95歳だった。世界の指導者からも畏敬の対象だった。 「マンデラの犠牲があまりにも大きかったために、世界中の人々は、人類の進歩のためにできることをしなければ、と駆り立てられた」。数年前に出版されたマンデラ氏の自著に、心酔する米国のオバマ大統領が序文を寄せている。 武力闘争の末の27年の投獄生活は想像するに余りある。だが家族の心配を和らげるためか、同著で紹介する獄中からの手紙にはユーモアも。「独房は自分を知るのに理想的な場所」と就寝前の瞑想(めいそう)を妻に勧めた。自分の欠点が見えるまでは10回くらいは試すようにと促し、「聖人とは絶え間なく努力する罪人なのだということを、決して忘れないように」。 この長い瞑想で悟ったのが、白人を許し、報復を戒めることだった。獄中に武力闘争を放棄し、白人政権との対話を提唱、1994年に選挙による政権交代を実現して大統領に就任した。 「黒人も白人も恐れを抱くことなく、人間の尊厳に対する権利に確信を持ち、虹の国を築き上げよう」。就任演説で多様な人種が共存できる国をそう表現した。式典には投獄中に知り合った白人の看守も招いた。「やられたらやり返す」とは程遠い人だった。(12月8日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~【神奈川新聞 照明灯】優しさに満ちた笑みが印象的だった。ノーベル平和賞受賞者であり、最も敬愛されたアフリカ人の一人だったともいえる。南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が亡くなった。 享年95。長寿とはいえ、その人生を反アパルトヘイト(人種隔離)闘争にささげ、27年半は政治犯として獄中にあった。長く収容されていたロベン島では、粗末な食事や重労働に苦しめられた。 夜には「内なる敵」が忍び寄った。政府の卑劣な仕打ちが家族に及んでいないかという不安に襲われたが、差別のない国を目指す闘士は不屈だった。自著によると、妻に送った手紙に「暗澹(あんたん)たるときでも真実を見限ることなく、あきらめることなく何度も試み、愚弄(ぐろう)されても、屈辱を受けても、敗北を喫してもくじけない人に、栄誉は与えられます」とつづっている。 アパルトヘイト廃絶の実現を獄中から訴えた。釈放後、白人への報復を戒め、人種間の融和に尽力した。内戦ではなく選挙による民主的な国民統一政府の誕生は、アフリカ大陸の各国にも影響を与えた。 南アフリカ国民ならずとも、父のような偉大な政治家を失った悲しみは深い。世界各地で起きている紛争や差別の解決に向け、その高潔な精神や不屈の闘志が受け継がれることを望みたい。(12月7日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~両紙とも、氏を敬いその死を悼む気持ちが伝わってくる。人の尊厳に触れた、とても健全なコラムだと思う。しかし、残念なことに、新聞社の中には、昨今の『特定機密保護法』にかこつけてマンデラ氏の記事を掲載していたところがあるのも事実だ。法案成立以前、ことさらに「絶対阻止」を叫んでいた新聞である。手法はどこも同じで、前半にマンデラ氏の死を悼みそして功績を引き、後半でこう唱えるのだ。「だから我々もマンデラ氏にならい絶対反対を叫び続けよ」異口同音である。ただただ鼻白むだけだ。不健全なコラムの、人の尊厳に対して真摯にむかいあえない人々に、憐れみを覚え深い悲しみを抱くのだ。それはそれとして、各紙のコラムを読み、私は中村元先生が書かれた一文を思わずにはいられなかった。『みずからは正しい誓願を起していること。これこそ人生に喜びと確信を与えるものである。高らかな誓願を立てていれば、挫折に屈することもないし、気のめいることもない。他人からとやかく悪口を言われても、誓願をもっている人なら、蚊のなくほどにも気にとめないであろう。いかなる困難も誓願のまえには無にひとしいのである。』著書「ブッタのことば(スッタニパータ) ~こよなき幸せ~」の解説文である。マンデラ氏の、獄中での27年間も、釈放後の活動も、その基となり支えとなったのは、すべては氏の誓願によるものであろう。マンデラ氏とは信じるものは異なれど、発露であることは間違いなく、またその「念い」は同じはずだ。マンデラ氏の誓願を思い描きながら、今ふたたび哀悼の意を表し、衷心からの合掌を捧げる次第だ。南無阿弥陀仏、合掌。
2013.12.09

【俵万智/トリアングル】◆結婚はしなくてもいいから好きな男の「子」が欲しいと望む女『サラダ記念日』というとびっきり現代的な歌集が売れに売れたのは、すでに20年以上も前のことになってしまった。あのころは、正にバブル全盛期時代。ちょっと軽薄なぐらいのオシャレな感覚がもてはやされたものだ。そんな中、ストレートなだけじゃなく、ちょっと可愛らしく、ちょっとオシャレに恋を歌ったのが俵万智だった。現代若手歌人の代表格と言っても過言ではない。(すでに若手ではないかもしれないが) 俵万智は早大文学部卒で、高校の教員として働いていたのだが、『サラダ記念日』が大ベストセラーとなったことで教員を辞める。代表作に『サラダ記念日』の他に『チョコレート革命』などがある。これまで主に歌集やエッセイを手掛けて来た俵万智が、初めて書いた小説。しかも半自伝的な『トリアングル』は、彼女にとって節目となる一作だったと思われる。あらすじはこうだ。33歳フリーライターの薫里は、ひょんなことから意気投合した7歳年下の圭ちゃんと付き合うことになった。圭ちゃんはバイトしながらバンド活動を続けているビンボーなミュージシャン志望者なのだ。一方、薫里は青山にマンションがあり、そこそこライターとして記事を書きながら何不自由なく暮らしているシングルである。とはいえ、薫里には一回りも年上のMという恋人がいた。Mはカメラマンで、しかも妻子持ちである。そのMとの不倫関係を続けながらも、圭ちゃんという年下のBFにも恵まれ、薫里には何の問題もないはずだった。ところが年下の圭ちゃんが本気で結婚を考え始めていることが、段々と重くなって来た。 薫里は、結婚には興味がなかったのだ。むしろMという愛する男性との間に子どもを儲けたいという願望を持ち始めたのだ。『トリアングル』が文庫化されて、とりあえず買ったのが2006年ごろだったと思う。一読して本棚にしまいっぱなしになっていたところ、今回再読してみた。うん、あのころと感想は全く違う。2006年に読んだ時は、主人公・薫里を取り巻く三角関係への羨ましさとか、「勝手にやってくれー」とか「モテ女の自慢か?」などと思ったものだ。ところが今はどうだ? 思いっきり現代風に、オシャレに苦悩する強がりな女性像となって浮かんで来る。恋愛の対象である男が、イコール結婚の対象としての男とはならず、しかしながらその男の「子」を儲けたいという切実な女性の苦悩として結ばれている、、、ように今の私は感じられるのだ。ものすごく真面目な悩みなのに、なぜか軽薄に思われてしまうのは致し方ない。昭和の不倫小説ならともかく、平成の今、俵万智ほどの著名な作家が書くとなれば、このラインがギリギリのところだと思うからだ。「黒パンとバターと、エシャロットのみじん切り。このエシャロットが牡蠣を食べるときの合いの手として、とてもいい。赤ワインビネガーにひたされていて、ほんのり桜色をしている」「ホワイトアスパラの他には、生ハムとロックフォールチーズのサラダを頼んだぐらいだ」「ラ・メゾン・ド・ショコラというその店では、チョコレートが宝石のように、ショーケースに並べられていた。注文をすると、白い手袋をした店員が、これ以上大切なものはこの世にはない、、、といった手つきで箱に詰めてくれる」この手のバブリーな描写が容赦なく襲い掛かって来るから、読者によっては嫌悪する方や、あるいはしみったれた小説なんか読みたくないという方は、反って好感を持つかもしれない。いずれにしても、今現在、俵万智が結婚することなしに子どもを育てているという、シングル・マザーの立場であることを念頭に置き、この小説を手に取ってはもらえまいか?『サラダ記念日』が音を立てて崩れ(?)、『トリアングル』ではそこに一人の生々しい女の性を見つけることになるだろう。これは、俵万智ファンに突きつけられた踏み絵となる一冊かもしれない。『トリアングル』俵万智・著☆次回(読書案内No.103)は佐川光晴の「生活の設計」を予定しています。なお、この作品は『虹を追いかける男』という文庫本に収められている短編です。★吟遊映人『読書案内』 第1段はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2段はコチラから
2013.12.08

平和の巨星墜つ。昨日の朝、ネルソン・マンデラ氏の訃報が届いた。氏の人物については世界中の知るところだ。南アフリカ一国のみならず、世界の損失である。本当に惜しい人を失った。ご高齢とはいえ残念でならない。『マンデラさんのお顔はとても柔和だ。』その死を悼み、知人と氏の生涯について語りあった。途中、知人が言った言葉である。なるほど、写真や映像で氏のご尊顔を拝するに、氏はとても柔和だ。『そしてお顔から、氏の知性と品格もあらわれている。』これは私の感想である。仏教では柔和忍辱(にゅうわにんにく)を如来の衣とする。経典には「如来の衣を身にまとい人々のために法を説け」と云うものである。マンデラ氏とは信じるものは異なれど、マンデラ氏の生涯は、まさにその通りであった。氏は知性と品格を持ち、平和を阻害するものに柔和に臨んだ。そして何があろうとも忍辱(にんにく)の心で成し遂げたのだ。世界各国で、それぞれの流儀でその死を悼んでいることであろう。我々は衷心からの合掌を捧げようではないか。なお、吟遊映人では過去にマンデラ氏を扱った映画コラムを綴っている。ご再読いただき、マンデラ氏をお偲びいただけたら幸いである。『インビクタス~負けざる者たち~』はコチラ まで。(2010年8月1日掲載)『マンデラの名もなき看守』はコチラ まで。(2009年9月22日掲載)ネルソン・マンデラ氏のご冥福をお祈り申し上げ、心よりの合掌を捧げる。
2013.12.07

【産経新聞 産経抄】元タイ大使の岡崎久彦氏は、長く防衛庁の情報担当局長や外務省の情報調査局長をつとめた。ものものしい肩書で、国家の最高機密を全て握っていたのかと思ってしまう。だが実際には「本当の機密はひとつも教えてもらっていない」という。岡崎氏自身が『明日への選択』12月号のインタビューで明かしていることだ。役所の文書にはしばしば、「マル秘」や「極秘」の判子を押した。だがどれも漏らしたところで犯罪にはならない情報だった。特定秘密保護法ができても、誰も指定はしない類いだったという。 では本当の機密はどんなものかといえば、例えばレーダーの性能であり、軍艦の甲板の厚さなどである。漏れれば国の安全にかかわる情報だ。しかしそれは外務省の局長でも手が届かない。一般の国民や新聞記者がつい入手し、漏らしてしまうような代物ではない。 ただ岡崎氏によれば、そうした本当の機密に当たる技術は米国が優れている。それが漏洩(ろうえい)すれば、米国の国家機密を漏らすことになり、日米の安全保障の対話ができなくなる。だから秘密保護法が必要なのだ。どこかストンと腑(ふ)に落ちるような気がした。 だが民主党や一部のマスコミの方には、ストンと落ちないらしい。徹底して特定秘密保護法案を廃案に追い込む考えのようだ。法案の中身に関係のない石破茂自民党幹事長の「テロ発言」をも足を引っ張る材料にする。一方で廃案にすることで失われる国益にはお構いなしだ。 スケールが違うとはいえ昭和35年の安保騒動を思い出す。大半の人は日米安保条約改定の意味もわからないまま「反対」を叫んだ。野党も「極東の範囲」など不毛な議論に明け暮れる。50年以上たちその愚を繰り返すというのだろうか。(12月4日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~『すべては茶番の中なのだ、政治と言うものはむかしからそうだった。』先日、八十六歳になった老父はテレビを見ながらそう呟いた。現役時代は地方新聞に身を捧げた父である。そして父は、昨今の新聞を見るにつけ、忸怩たる思いを抱かないではいられなかった。側にいる私は、その思いを痛いほど感じた。テレビは咆哮するデモ隊に映像が移り、父はまた口を開いた。『大衆に理論は通じない。あるのはムードだ。それを操れるものが大衆をリードする。』思いは異なれど、デモ隊に咆吼する動物を思い描いたのは、どうやら私だけではなかったようだ。さて、それはそれとしてご参考までに記事にある『石破茂自民党幹事長の「テロ発言」』の全文を添える。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのは知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫しし、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~原発反対も特定機密保護法絶対阻止も一時のTPP反対も「気持ち」はわかる。よく言うではないか。「君の気持ちはわかるよ・・・」と。しかし「わかる」の後に「・・・」がつくのだ。「反対か賛成か」はさておき、概ね人は犬が好きか猫が好きかに別れる。それと同じで、つまりは「感情的」なことがらなのだ。だからどうこう言ってもはじまらない。ただ、それはコチラに害が及ばない範囲でのことである。原発反対も特定機密保護法絶対阻止も人に迷惑を掛けてはならないはずだと、私は思う。法的根拠だけではない。道徳的な話も含めてだ。渦中の方々にしてみるとお祭り気分でいるのかもしれない。老父は正鵠を射る。『大衆に理論は通じない。あるのはムードだ。それを操れるものが大衆をリードする。』だがしかし、そこに何の主義も見出せない人、或いは意を唱える人にとって、あの「原発反対」「特定機密保護法絶対阻止」の騒ぎは暴力以外のなにものでもない。何の因果か、私は何度か遭遇しているが、あの乱痴気騒ぎにはもううんざりだ。念のために、ここでもう一度記すのだが「反対か賛成か」ではない。その方法の問題を述べている。騒ぎの首謀者(と見られる)が言っておられた。「手続きを踏んでおり合法的である」なるほど。法的な根拠はあげられたが、でも道徳的な配慮はあげられない。たとえば、子供がたくさんいる公園で、煙草をパカパカ吸って人は憚らないのか。吸殻を砂場に捨てても法はおかしていないはずだ。それでいいのか。それと同じ事だと思うのだが・・・自己実現を達成するために周囲を犠牲にしていい、そういう考えなのであろうか。国会同様、その茶番に気づいてほしい。ときに『石破茂自民党幹事長の「テロ発言」』について。この一件は論旨のすり替え以外の何物でもない。これはおかしい。石破幹事長はデモを否定することはひと言も触れてはいないし、その意図を行間からでも読むことはできないはずだ。『単なる絶叫戦術』をして『テロ行為』と断じているわけで、これは正論だ。デモ隊とマスコミの方々は言う。「石破氏はデモを否定する!」何が恐ろしいかといって、意図的に歪曲された世論ほど恐ろしいものはない。しかも今回はペンの力でそれがなされた。腕力をもってそうなった方がまだ救われる。かつてマスコミに奉じた老父は忸怩たる思いを抱き、私は近来稀に見る危機感を覚えるものである。哲学者の適菜収氏は歴史認識に関する小論文でこう指摘する。『より正しい歴史認識のためには、殊更に「正しい歴史認識」を言い立てる人間の背後を研究する必要がある。』さて、この理論をあてはめてみると、なにが見えてくるか。どす黒く汚れた暗黒の闇の正体は何か。それにつけても、最後の砦は産経新聞だ。マイノリティーの分を堅持し、強敵に立ち向かってほしい。「産経新聞には気骨のある記者が、まだいる」老父はそう言った。
2013.12.06

我といふ人の心はただひとりわれより外に知る人はなし 谷崎潤一郎
2013.12.05

いそがしく時計の動く師走哉 正岡子規もう一句。板橋へ荷馬のつづく師走哉師走は子規のところもたいそう多忙のようだ。師匠たる所以か。ただ門弟はそうでもない。能を見て故人に逢ひし師走かな 高浜虚子動機はさておき、暮れに「能見物」とはゴウキの至りではないか。ときに句集を紐解くと「師走」を詠んだ句は多い。しかも、多くは暮れの繁忙を詠んだものだ。どうやら「忙しい忙しい」とぼやきながらも句作に励んでいるのだ。少し滑稽な気がして微笑ましい。俳人という方々は、存外ノンキな人種なのかもしれない。さて、此方は世情などどこ吹く風の与謝野晶子である。相変わらず独特のスタンス。そして艶があり誠に綺麗な歌なのである。サスガだ。墨の色霧降るたびに東京へ沁み入る如き師走となりぬ 与謝野晶子ときに我が私淑の師は曰く、「のんびりせよ!」また曰く「のんびりするには勇気がいる、知恵がいる、我慢がいる。」師が走っても泰然自若として慌てるな、つまりそういうことであろう。勇気を出し、知恵を絞り、我慢をしながら、師走を過ごそうと思うのである。のんびりするのも大変だ。
2013.12.04

なんぼう考へてもおんなじことの落葉ふみあるく 山頭火ところによっては、すでに落葉の上に雪が覆う時季になった。山頭火の句を味わうにはもってこいの季節ではあるが、しみじみ読むと初冬の風情も相まって、山頭火の孤独を感じ、何ともいえないさみしい気分になる。私は声をかけずにはいられない。山頭火よ、よくぞそのさみしさに耐えてなさる。山頭火は、酒の失態による自己嫌悪と孤独のさみしさを、句を持って吐露する。若い頃は、そういう山頭火を女々しく思い軽蔑していた。でも私も年を重ねるうちに、年年歳歳、山頭火のさみしさを理解できるまでになったようだ。飲まずにはいられない。そして詠まずにはいられない。苦渋の酒と苦衷の心情、山頭火の句はそこから生まれるのだ。そして山頭火は、すべてをそのままに受け容れ、生きていく。山頭火のさみしさを理解できるようになって、もうひとつわかったことがある。山頭火は、どんなにさみしくても最後には人を拒むのだ。己のすべてを受け容れても、人は受け容れられないのである。拒んでさみしく、拒んでまたさみしく、それが山頭火の選んだ人生である。枯れたすすきに日の照れば誰か来さうなもう一句。誰か来さうな雪がちらほら山頭火の無限のさみしさが見えてくる。「誰か来そうな」そう願いながら、それでも独りゆく山頭火なのである。さみしいなぁ・・・
2013.12.03

【産経新聞 産経抄】インド代表の東京裁判判事として、日本人被告全員の無罪を主張したことで知られるパール博士は、裁判後の昭和27年にも来日している。このとき日本の教科書を見て嘆いたという。「日本は侵略戦争を行った」と書かれていたからである。 産経新聞社『教科書が教えない歴史』によれば、博士は「子供たちが歪(ゆが)められた罪悪感を背負って卑屈、荒廃に流されていくのを、見過ごすわけにはいかない」と訴えた。こんなに早くから日本の歴史教育の問題点を見抜いた外国の識者がいたとは、驚くべきことだ。 パール博士だけではない。恐らく戦前からの日本の歴史を日本人以上に正当に評価し、好意を寄せてくれたのはインドの人々だ。まだ占領下にあった昭和24年には、東京の子供たちの願いを聞いてネール首相がゾウの「インディラ」を上野動物園にプレゼントした。 昭和35年、皇太子・同妃時代の天皇、皇后両陛下がインドを訪問されたとき、そのネール首相はこう演説した。「日本の政策には同意できたもの、できなかったものもあったが、つねにわれわれは日本と日本国民、その美徳を尊敬してきた。日本は偉大である」。 そのインドを天皇、皇后両陛下が公式訪問されている。長年のインドからの招請に応えたもので、両陛下にとり35年のとき以来53年ぶりのご再訪である。天皇陛下は訪問にあたり「インドへの理解を更に深める機会となることを期待しています」というご感想を発表された。 ご高齢にかかわらず国際親善に尽くされる両陛下に、ただただ頭が下がるばかりである。ゆったりとご旅行いただきたい。同時に国民としてはこの機に、パール博士をはじめ他に例を見ないインドとの交流の歴史を思い起こしたいものだ。(12月1日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~両陛下は、今日から公式行事を執られるという。ご無事をひたすらお祈り申し上げるのみである。従姉妹から久しぶりに電話があった。九十過ぎの伯母を連れ、東京に出かけたという。用事を済ませタクシーで東京駅に向う途中で皇居にさしかかった時、伯母は言ったそうだ。「宮城(きゅうじょう)に参りたい。」「母は哀願するようにいうものだから、新幹線の予定を変更して皇居に行ったのよ。」二人は皇居正面でタクシーを降りたそうだ。足の不自由な伯母は自歩の散策はかなわない。ひとしきり皇居を眺めると伯母は満足したそうだ。「皇太子様ももうご高齢だから健康には十分に気をつけていただきたいわね。」皇太子様とはもちろん今上陛下である。伯母は、陛下より一回り以上も年上だ。それを「ご高齢」といい、陛下の健康を気遣うのが私には微笑ましくも、たいそう清々しく感じた。「母はとてもうれしそうだったの。あんな笑顔は久しぶりに見た気がしたわ。だからタクシーで皇居を周遊したのよ。」話から、伯母の満足感は十分に理解できた。伯母はタクシーのウィンドに顔をつけるようにして皇居を眺め続けていたそうだ。視線の先にある皇居はどう映ったのであろうか。食い入るように眺める伯母の姿が目に浮かんだ。続きがある。「母がね、もう一回お願い、というのよ。」親子は皇居を二周したという。私は、二人に日本人の血流のようなものを感じた。皇室は、世界において日本だけが有している「生きた歴史」である。それを敬い誇りとすることで、日本人としての正気が保たれているように思うのだ。二人には、それが脈々と流れている。こういう人たちがいる限り日本はまだまだ大丈夫だ、少しおおげさかもしれないが私はそう思った。さて、それにしてもパール博士の明察ぶりは見事である。惜しむらくは、かくも見事な先見を昭和27年から公の場で見逃してきたということだ。産経新聞はこういう指摘に長けている。何よりそれが「正論」であることは言うまでもない。A新聞やM新聞が、左翼的な発言を繰り返し、社論をもって世論を煽る昨今である。正しい事を正しいと胸を張って主張することが、どれほど労力のいることかは推察するにあまりある。そんな中でマイノリティーとして気炎を吐き続ける産経新聞に、私は謹んで敬意を表する。ご参考まで、先日の産経抄も引く。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「産経新聞を定期購読している人は決して多くない」。フランス文学者の鹿島茂さんの書き出しの一文には、ショックを受けたものだ。しかし、「多くはないが、その数は減ることはない。いわば強固なる少数派である」と続いて、ほっとする。 実は、『シャネルの真実』(新潮文庫)の解説文から引いた。鹿島さんによれば、「少数派」とは、世間でいうところの「保守派」だけを意味しない。長く小紙パリ特派員を務めたこの本の著者、山口昌子さんのファンであるフランコフィル(フランス好き)も含まれていたという。 購読者の数はともかく、小紙が少数派であることは、間違いないらしい。平成17年10月の、小泉純一郎首相の靖国神社参拝について、全国48の新聞が社説を掲げた。参拝に反対する主張が大半で、「もろ手をあげて支持したのは産経だけである」と、朝日新聞がわざわざコラムで教えてくれた。 その朝日が先日、特定秘密保護法案についても、全国の新聞各紙の社説を検証していた。多くが、反対ないし懸念を表明しているなか、もちろん小紙は意見を異にする。北東アジアの緊張が高まるなか、日本版NSCの創設とともに、安全保障にかかわる機密の漏洩(ろうえい)を防ぐための法整備の必要性を訴えてきた。 といっても、「もろ手をあげて」賛成しているわけではない。国民の知る権利、報道の自由が損なわれることはないのか。一定期間の過ぎた機密の公開の原則は守られるのか。小欄も参院での審議を見守っている。 それにしても、と少数派は首をかしげる。国家機密を守る当たり前の法律のせいで、日本が再び「戦争する国」になってしまう。そんな主張を真に受ける国民が、本当に多数派なのだろうか。(11月28日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~それにつけても、天皇誕生日はもうすぐだ。テレビを通してご尊顔の栄に賜ることの出来る日が楽しみである。まずは両陛下が健やかにお帰りになられることを、心よりお祈り申し上げる次第だ。
2013.12.02

【7つの贈り物】「卒業した大学は?」「故郷(オークランド)から最も遠い大学・・・マサチューセッツ工科大学だ。君の大学は?」「UCLAよ。・・・MIT卒業なの? あの名門のMIT?」「なのになぜ(国税庁の)税収員になったかって言うんだな? ・・・予想外のいきさつで・・・」我々が人の命の重さを考える時、一体どのように計ったら良いのだろうか?お金に代えることはできないけれども、かと言って誰かの命と引き替えという単純なものでもないような気がする。そのぐらい命とは尊いもので、唯一無二のこの世の“不思議”なのだ。キリスト教圏では、“慈悲”とか“償い”などのキリストの無償の愛や全能の神を称える言葉が度々引用される。キリストを裏切ったヨブのような存在が、実は人間の本来の姿かもしれないというのに、神はそんな罪深き人間をいつでも赦し給うのだ。本作「7つの贈り物」は、言い知れない切なさと、深い愛情とに包まれた人間模様に、不覚にも熱いものが込み上げて来るのだ。吟遊映人が注目したのは、主人公の回想シーン。父親に連れて行ってもらった水族館で見たハブクラゲ。大きな水槽の中を悠々と泳ぐそのクラゲは、地球上で一番と言われるほどの猛毒を持っている。なぜこのシーンが重要なのかは、ラストで納得する。ティムはある事情から弟ベンの国税庁のIDカードを使って、税金を滞納している女性エミリーを訪ねる。エミリーは印刷業を営んでいたが、心臓の持病を抱え入退院を繰り返していた。ティムがエミリーの飼い犬を連れて散歩したり、彼女と夕食を共にするうちに互いに惹かれ合って行くのだった。そんな中、エミリーの心臓肥大が進み、移殖をしなければ生存率は3%と宣告を受ける。 ティムは愛するエミリーのためにドナーになろうと決意する。なぜならティムは、昔起こしてしまった事故のせいで7人もの尊い命を奪ってしまったことを心から悔いていたのだ。その償いのため、己の命と引き替えに7人の命を救いたいと、切に願うのだった。「7つの贈り物」から感じられるある種のノスタルジーは、人が皆抱えている喪失感かもしれない。大切な人を失ったことや、過去の記憶、それに己の肉を削ぎ落としていくことなどの喪失である。主人公の深い罪悪感・責任感そして喪失感は、計り知れないものがあった。贖罪のつもりの行為も、傍から見れば大げさにも思えるかもしれない。だが忘れてはならないことがある。主人公は過去に己の過失から7人もの尊い人命を奪ってしまったという事実が存在するのだ。この重大な過ちを償うため、己の命と引き替えに、他の7人に新しい命を吹き込むという社会貢献を果たすのだ。この行為をどう捉えるかは人それぞれだが、無責任極まりない昨今の犯罪事情を考えても、主人公の命を懸けた償いは胸を熱くさせて止まない。この作品を徹底的に鑑賞することで、肯定的にならざるを得ない深い哲学を感じさせる。 命のあり方を根本から見つめ直すことを促す、実に見事な作品であった。2008年(米)、2009年(日)公開【監督】ガブリエレ・ムッチーノ【出演】ウィル・スミス
2013.12.01
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