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ふたたび岩谷時子さんを偲ぶ【秋田魁新報 北斗星】「大きな空に、梯子(はしご)をかけて、真っ赤な太陽…」。半世紀近くも前に一世を風靡(ふうび)したテレビの青春ドラマ「これが青春だ」の主題歌だ。意外に思われる方もいるだろうが、作詞は「愛の讃歌」の訳詞で知られる岩谷時子さんだ。 「サン・トワ・マミー」「恋のバカンス」「夜明けのうた」「君といつまでも」「いいじゃないの幸せならば」「恋の季節」など、きら星のごとく輝くヒット曲。戦後歌謡史を彩った豪華さに驚かされる。 演歌調の歌やアニメソング、さらには「南太平洋」「エビータ」「レ・ミゼラブル」などヒットミュージカルの訳詞も手掛け、ミュージカル隆盛の一翼を担った。作品のジャンルがバラエティーに富むのも岩谷さんならではか。 二十歳前後から小説や詩を書き、言葉の持つ力を熟知していたのだろう。歌にしろ舞台にしろ、詞が織り成す、おしゃれな岩谷ワールドが多くの人たちの心を捉えてきた。 「芝居好きの少女がそのまま大人になっただけ。詞を書くときは一つのドラマを作っているんです」。かつてこう語っていた岩谷さん。人々は、そのドラマに自分の人生を重ね合わせた。ヒット曲の多さは、こんなところに理由があるのかもしれない。 ここ数年、歌謡や舞台、映画など戦後の芸能界を印象的に彩った人たちが相次いで亡くなっている。今年は田端義夫さん、三国連太郎さんらが逝った。岩谷さんも紛れもなくその一人だった。昭和という時代がまた少し遠ざかっていく。(10月30日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~身体が震えた。こーちゃんもさることながら「これが青春だ」も岩谷さんの代表作である。しかもこちらは作曲をいずみたくさんが受け持っている。二人は飛ぶ鳥をも落とす「黄金コンビ」であった。恥ずかしながら、10年位前のカラオケ絶世期には二人の楽曲を定番にさせていただいた。飲み屋でほえると(恥、嗚呼)いい塩梅に同輩が現れて「青春ソングパレード」が続いたものだ。蛇足ながら「これが青春だ」のB面がまた素晴らしかった。『貴様と俺』である。もちろん黄金コンビによることは言うまでもない。空に燃えてる でっかい太陽腕にかかえた 貴様と俺だバネもきいてら 血もわくさエイコラ ゴーゴー やっつけろ年がら年中 傷だらけ泥んこ苦業は なんのため勝って帰らにゃ 男じゃないこれだけで一篇の青春小説だ。文藝の香りが漂い格調がある。そしてメロディーはマイナーで、実に完成度の高い楽曲であった。ちなみに飲み屋のカラオケではコチラの方がウケてくれた気がする。昔を懐かしむわけではないが、こんな歌詞をかける人はもういない。「貴様と俺」の歌詞を見て思った。勝って帰らにゃ 男じゃない。かつてはこれこそが男子に限らず我々の目的であった。つまり勝つため、成就をとげるために我々は努力をしてきたはずだ。「楽しんできたいと思います♪」スポーツに限らず、世界大会などに出かかける代表者は一応に口にする。背負うものが時代に濾過され薄く軽くなったということか。なるほど昭和が遠くなるわけだ。後ろ髪を引かれながら、それでも進み続けるのは少しの覚悟がいる。大上段に構える気などはもうとうないが、己の分を守り粛々と進んでいこう、そう思った次第である。あらためて岩谷さんの偉大なる仕事を思い、その大往生に衷心からの合掌を捧げたいと思う。合掌※『追悼、岩谷時子さん』はコチラから
2013.10.31

岩谷さんが逝かれた。御歳九十七、大往生と呼ぶに相応しく笑顔で見送りできたらいいのだけれど、昭和の人間にはさみしくて残念でしかたがない。今はただ、岩谷さんのご冥福をお祈り申し上げるばかりである。 岩谷さんに衷心からの合掌を捧げる。 それにしても続く。 『先日、やなせたかしさんに追悼の合掌を捧げたと思ったら今度は天野祐吉さんの訃報が届いた。角界の重鎮が続く。』 これは先日のブログに記したものだ。昭和を代表する人に逝かれると、どんどんどんどん昭和が遠くなっていく感じがする。 降る雪や 明治は遠く なりにけり 草田男の句を、かつては懐古主義と読んでいたが、そんなに単純なものではない。このごろそう思うようになった。というか、私も半世紀と少しを生きて機微の妙たるをわかってきたのかもしれない。 越路吹雪をこーちゃんと呼ぶ最後の世代である。今宵は岩谷さんを偲び、こーちゃんを聴きながらしんみりしよう。
2013.10.30

【ブッダのことば、九四四】古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引するもの(妄執)にとらわれてはならない。八つの詩句の章 九四四『ブッダのことば』中村元訳在職中は言うべきを言い、為すべきことを為し、去り際もよく、人物といわれた御仁が今頃になって表舞台に上がってきた。自ら去った人は、ものは申さぬほうがいい。内容が問題ではない、その未練である。未練は日本の美風に馴染まない。そしてまた未練は妄執である。故に醜なり。必ずや晩節を汚すことになろう。黙して語らず、されど胸中知る人は知る。もしくは死して後、歴史に濾過され衆人の知るところとなる。それが本当に彼の人にとって言うべきことであり、正しい事であったなら。我が私淑の師、中村元先生は『ブッダのことば 九四四』をこう解説する。『転換期に当たって、或る点に関して古いものを残すか、或いはそれを廃止して新しいものを採用するか、という決断に迫られるのであるが、その際にはその決断は一定の原理に従ってなされねばならぬ。~中略~それは「ひとのため」であり、それが同時に高い意味で「わがため」になるのである。』もちろん、それは貧弱な経験や軽薄な理論、なにより偏狭な思想に立脚したものであってはならないことはいうまでもない。ただ悲しいかな人はおしなべて無明である。だから自己に縛られ自己のみを主張するのだ。お歴々には、「すべては移り行く」というということを認識し、まずは降壇してほしいものである。そしてブッダのことばを理解してほしい。※追記(2013/10/30)「やはり変人か?」こう報じているものが目についた。以悪業因縁 過阿僧祇劫 不聞真実義というわけか。誠に残念である。
2013.10.29

爰迄(ここまで)と犬やふりむく雪礫(ゆきつぶて)雪佛(ゆきぼとけ)我手の迹もなつかしや長野県中野市で一茶の直筆手紙が見つかったそうだ。一杯飲みに来ないか、というお誘いの文面に俳句が二つ添えられたものである。実にオツなものではないか。底意地の悪さが時折見え、一茶には辟易することもあるが、こういうところはさすがだと思う。隠棲してもまだ粋な加減は保っていたというわけだ。御安静被成候哉 奉賀されは草庵ニ酒のあるうち 御立寄り之程奉希候 右申入度早々 かしく大晦日老力爰迄と犬やふりむく雪礫雪佛我手の迹もなつかしや魯童大人清泉女学院大 玉城教授の解説をお借りした。なお口語訳はこうである(同じく玉城教授)。お健やかでいらっしゃいますでしょうか、めでたいことです。ところで、わが家に酒があるうちにお立ち寄りいただきたいと願っております。右の事、申し入れたいと思って急いでお便りしました。雪礫を投げつけると、ここまでおいでと犬がふりむくよ。雪仏(雪だるま)には、わが手のあともしっかり残っていて、心がひかれることだよ。雪に埋もれて隠棲する一茶を想像する。隠棲の理由はアレコレあろうが、本当のところは一茶のみが知るところなのだ。そして実際に隠棲した一茶は、とんでもない雪に埋もれた辺鄙な信濃町で、おおいに辟易していたのではないだろうか。つまり「しまったなぁ」と。今で言うところの「田舎暮らしも想像するほど楽ではない」ということだ。一茶という御仁は、イメージされている以上に都会的なセンスを持ち、実際都会人であったと私は感じる。それを一茶が意識的に押さえていたのか、或いは自身で気付いていなかったのかはわからないが、彼の裏側にそれが見えるのである。かつて雪の季節に一茶の里を訪れた。それはそれはもの凄い雪であった。幸い、というか生憎というか、晴天のおかげで雪の清朗なるをしみじみ感じたのだが、生活者は晴れの合間を縫って除雪に勤しんでいた。その黙々と励む姿たるを拝見するに、もはや雪を気楽に称賛などできない雰囲気であった。もし鉛色の空から、絶え間なく雪が降り続いていたらどうであったろうか・・・雪を楽しむのは旅人だけだ。そして隠棲したとはいえ、一茶も生涯旅人であったのだ。そして一茶は雪に埋もれながら長い冬を過ごした。一茶の辟易ぶりを想像するに易いのである。日もすがら酒を飲み、鬱積のうちに暮れたのではないか。誘われた魯童さんもたまったものではあるまい。酔った一茶にクダをまかれることは自明だ。ていよく断ったか、或いはオトボケを決め込んだか。間違いない!見つかった手紙を眺めながらアレコレ想像する秋の日であった。
2013.10.28

【127時間】「この岩は・・・俺が来るのを待っていたんだ。ずっと宇宙の隕石の時から・・・何十億年も前から・・・宇宙で待っていた・・・俺が落下するのを・・・ちょうどこの場所で・・・俺の人生は生まれて以来、毎日のあらゆる行動が・・・ここへとつながっていたんだ・・・この大地の裂け目へと・・・」映画としての完成度と言ったら申し分なく、見事な出来映えだと思う。ストーリーは至ってシンプルで、腕を挟まれ身動きの取れなくなった127時間を追ったものだ。登山家のアーロン・ラルストンが体験した実話を、ほぼ忠実に再現しているらしい。とはいえ、娯楽として鑑賞するにはいささかしんどい。じっくりと腰を据えて、映し出される画像を舐めるようにして味わうぐらいの意気込みが求められるかもしれない。主役のジェームズ・フランコは本当に良かった。彼の演技は本物だと思う。何と言うか、まばたき一つにしても考えられた演出のようにも思え、目が離せない。しかも、作品から一番かもし出さなければならない“生命への執着”を、それはそれは見事に表現していた。なにしろ他者とのからみが少なく、作中、道に迷った二人の女性とのやりとり以外は、ほぼ自分との闘いを描いているため、主役のジェームズ・フランコに寄せられた演技力の期待度は、絶大なものだったに違いない。アーロンは、ユタ州のブルー・ジョン・キャニオンに向けて車を走らせた。車中で一泊した後は、マウンテンバイクで道なき道を走り抜け、その後は徒歩で目的地を目指した。それは、アーロンにとってごくごく普通の週末になるはずだった。途中、道に迷った二人の女性に出会い、慣れたアーロンはガイドブックには出ていないような珍しい地下水のある場所へ案内する。女性らと別れた後、アーロンは一人、目的地へと向かい、幅の狭い峡谷を通って楽しんでいた。ところが何かの拍子に滑落してしまい、腕が落石と岩壁に挟まれてしまう。アーロンは身動きが取れなくなってしまうのだった。作品の冒頭では、アーロンがいそいそと出かける準備をするシーンがある。そこでは水筒にジャージャーと水道水を注ぐのだが、とっくに溢れ出しているのに蛇口を閉めない。主婦感覚からして「もったいないなぁ」と思っていたところ、作品終盤では、アーロンが飲み水に不自由して自分の尿まで飲むシーンがある。この対比はスゴイと思った。監督が意識的に挿入したのだとしたら、あの冒頭部は全く無駄なシーンではない。また、アーロンは無頼に生きて来たつもりだったのだろう。家族や元彼女のことを次々と思い出す。身動きの取れない、自由を失くした男がたどりついた結論は、これまでの人生全てが、今のこの状況になることに定められていたのだと。この作品を見ると、本当のサバイバルがいかに過酷なものかを思い知らされる。生きるということは、生易しいものではないのだと。『127時間』は、素直に「映画って本当にすばらしい」と思える、根っからの映画ファンの方々におすすめだ。2010年(米)、2011年(日)公開 【監督】ダニー・ボイル 【出演】ジェームズ・フランコ
2013.10.27

【村上龍/インザ・ミソスープ】◆唯一絶対の神が不要の国つい最近のことだが、テレビを点けたらお見合い番組のようなものをやっていた。嫁不足の地域に全国から募った独身女性がやって来て、その村の男性と集団お見合いをするという内容だ。驚いたのは、その村に在留する青い目をした外国人青年に群がる独身女性の多さだ!外国人がお見合いに参加するのは全く問題はない。気になったのは、他にたくさん日本人男性がいるにもかかわらず、あえて外国人青年と懇意にしたいと希望する日本人女性がうじゃうじゃいたことだ。メスという種族は、本能的に種の保存をインプットされた動物であるから、優れたオスを求める傾向にあることは当然知っていた。それにしてもだ、これほどまで西欧人へのあこがれが強いというのは、島国日本ならではのことかもしれない。日本人というのは、自分で意識する以上にコンプレックスの塊を抱えている民族かもしれない。それは遺伝子レベルのもので、ふだんはそれほど感じていない。でも、ついこないだまでちょん髷を結い、お歯黒を塗ったりしていた歴史を持ち、幕末になって「これじゃいかん」ということで、死に物狂いで西欧文化を取り入れ、物凄いスピードで近代化に成功した他に例を見ない国家なのだ。言わば、これまでの武家社会を断ち切り、伝統を中断してしまった背景を持つことで、底知れぬ劣等感を背負ったと言っても過言ではない。それをひた隠しに隠し、必死に生きて来た民族、それが日本人なのではなかろうか。だから、それが子々孫々まで青い目をした異人に対する憧憬の念と、嫉妬と、いろんなものがない交ぜになって現在に至るのかもしれない。前置きが長くなった。『インザ・ミソスープ』では、うだつのあがらない二十歳の青年ケンジが、外国人相手に性風俗のガイドをする中で、事件に巻き込まれて行く。ストーリーはこうだ。ケンジはそれほど得意とはいえない語学の知識を利用し、外国人相手に性風俗の案内通訳を生業としていた。ある日、フランクと名乗るアメリカ人から依頼を受け、12月29日~大晦日までの三日間を性風俗の店をあちこち案内して回ることになった。フランクは、とにかく驚きを隠せないでいた。というのも、日本という国が、ありとあらゆる手段で性的欲求に対処している国だったからだ。ケンジは、フランクをさっそく新宿歌舞伎町に連れて行くことにした。その際、ケンジが気づいたのは、フランクが何らかの事情で嘘をついていること、そして得体の知れない奇妙な男であることに、いつになく違和感を覚えた。こういうビジネスを続けていると、様々な個性とか特徴を持った外国人と関わるものだが、このフランクはこれまでにないタイプで、一抹の不安を感じた。それでもケンジは、ビジネスに穴は空けられないので、フランクをランジェリーパブに連れて行ったり、覗き部屋にも連れて行った。女が舞台の床に横になって、全裸で足を広げ、目を閉じて、小さく呻き声を洩らすのをひたすら見るのだ。だがフランクは、氷のような冷たい視線を送るだけで、さほど楽しんでいるようには見えない。帰り道では、様々な日本における不可思議なことをケンジに質問してくる。アジアの貧しい国でもない豊かな日本の女子高生が、なぜ売春をするのか?日本のビジネスマンは過労死するまでどうして働く必要があるのか?家族の幸せのために働くのに、どうして単身赴任というシステムがあるのか?それに対し、どうして誰も異議を唱えないのか?だがケンジは、何一つまともに答えることは出来なかった。その後、歌舞伎町では女性のバラバラ死体が発見された。この数日のうち、すでに二件目である。死体は乱暴された痕跡があり、胴体から首、両手、両足が切断され、ビニール袋に入れ、捨てられていた。ケンジは、その記事を新聞で読むやいなや、もしかしたら犯人はフランクかもしれないと、疑惑を持つのだった。この作品は、ホラー小説というカテゴリに分類されるものだが、何がスゴイかと言えば、フランクという青い目をした外国人が次々と無抵抗の日本人を殺害していくという内容だ。無論、これは象徴的なものであり、このアメリカ人青年は強力な破壊力を持った外国勢力を暗示するものであり、優しい日本人を食い物にすることへの警鐘だ。外国人に対し、むやみやたらとヘラヘラ笑って愛想をふりまく日本人の大半に、危機感はない。相手を察することに長けた日本人は、言葉少ない空間を読むことに抵抗はない。だから必要以上の言葉を嫌がるし、反って多くを話すことは面倒に思いがちだ。だがグローバル社会において、それは負の作用しか生み出さない。自分の意志をはっきりと伝えることのできない人間は、世界を生きていくことはできないのだ。“NOと言えない日本人”と言われる所以でもある。この小説が上梓されたのは、すでに15年以上も前のことだが、現状はほとんど変わっていない。当時マスコミなどで騒がれた“援交”とか“オヤジ狩り”などの言葉は余り聞かれなくなったが、実際のところはどうなんだろう?日本は、他国にはない思いやりや優しさを持ち、気配りのできる国である。これは世界に誇れる日本人の気質だ。しかしながら、それは裏を返せば他者に対する緊張感とか危機感がないことのあらわれでもある。歴史的なものを少しだけ考えてみよう。この日本という国は、幸いにも他民族による大虐殺を受けたり、国を追われて難民になったり、独立国家を目指すためにクーデターを起こしたりなど、まるでない。目の前に敵が現われ、肉親を殺され、婦女子が犯され、あるいは異なる言語を強要されたりすることも一切なかった。こんなに恵まれた国家は、この地球上において日本以外にあるだろうか?他の国々は、それはもう侵略と混血の歴史を繰り返し、神にすがって生きるしか他に術がないところまで辛酸と苦杯を嘗め尽くしているのだ。だからこそキリストやマホメットの存在がある。これが宗教なのだ。その点、日本には唯一絶対の神の必要性はなく、森の大木でも山の岩でも先祖の霊でも何でも神に成り得た。これは西欧人がイメージする神とは全く異質のもので、もっと漠然とした対象である。 我々が強い日本を目指す時、まずは根本的な宗教観からして変えなくてはならない。というのも、強い神を背景に持った時、初めて日本人はぬるま湯から脱却し、捨て身の覚悟で世界と対等な立場に挑む度胸が生まれるかもしれないからだ。侵略と混血の歴史を持たない日本は、国際的な理解の基本に弱い。外交に弱い所以だ。 そんな日本人がこの先出来ること。それは、『インザ・ミソスープ』にもあるように、NOと言える強さを持つこと。そして自国の弱点をちゃんと認識することから始まる。つまり、歴史を知ることだ。とにもかくにも歴史をひもとこうではないか。歴史を知らなくては、世界における日本の立ち位置すら見誤ってしまう。『インザ・ミソスープ』は、世界から見た日本のありのままをホラー仕立てに表現した作品だ。この小説を読み、今後の日本のあり方を考えてみるきっかけになればと思う。『インザ・ミソスープ』村上龍・著『限りなく透明に近いブルー』~70年代の若者の、無謀で刺激的な風俗描写~コチラから☆次回(読書案内No.97)は酒井順子の「負け犬の遠吠え」を予定しています。コチラ
2013.10.26

【東奥日報 天地人】中国の貴重な古本を東京・神保町(じんぼうちょう)の古書店が保有している、と先ごろ本紙が伝えていた。値段は何と4億6千万円。12世紀ごろ刊行された漢詩集「唐人絶句(とうじんぜっく)」全22冊中の21冊で、中国では国宝級とか。古本もバカにできない。 作家の司馬遼太郎は膨大な古本を集めたことで有名だ。「坂の上の雲」を書く際は「日露戦争」の言葉が出てくる古本をことごとく集めたという。作家の出久根達郎(でくねたつろう)が自著「作家の値段」で紹介している。古本が司馬の小説を支えていたと言えるのかもしれない。 古本と接しているうちに、司馬は値段の付け方の絶妙さに感心する。使える本はそれなりの値が付き、使えない本は安いからだ。「古本屋の眼力に恐れ入った」と、心底思ったらしい。 出久根も大好きな津軽の作家・太宰治の著書を集めていた。ビール1本150円のころ、幸運にも「晩年」の初版をわずか800円で偶然手に入れた。10年後、金に困って手放したが、状態が良くないのに8万円で売れたという。すごい価値だ。 漢詩集に法外な値がつくのは初版本に近い唯一の品だからだ。太宰の「晩年」も物によっては300万円もするらしい。こんな話に接すると、何やら古本が宝物のように思えてくる。掘り出し物はどこにあるか分からない。暇な時間は古書店で過ごすことにしよう。(10月23日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~凄い話である。通販CMで「なんと!」の言葉は聞きすぎて意味が薄らいでいたが、これは正真正銘の「なんと!」である。『値段はなんと4億6千万円』の古本にはビックリだ!痛快なのは中国の書物ということ。『国宝級』に胸がすく。それはそれとして、自ら古書店員だった出久根達郎は面目躍如である。「晩年」の初版本を『金に困って手放した』というのが微笑ましくも出久根さんらしくて爽やかではないか。そして司馬遼太郎氏。氏の功は多くの書物を残してくれたことのみならず、日本全国に散逸する「文献的価値の高い古書」をひとところに集めてくれたことにもあるのだ。これはもはや文化事業であり、司馬氏が望むと望むまいと、何かしらの勲章を授与されるに値すべき事だと私は思う。天地人にもあるが、「坂の上の雲」では日本全国の古書店にしかるべきおふれが回り、トラック何台分もの古書が集まったそうだ。司馬氏はそれを値踏みするでもなく(といえ出来ないか・汗)受け入れたという。だから司馬氏に関して、並みの歴史小説とはおおいに異なるのわけだ。一冊の奥に膨大な文献がある。そう思って間違いない。それを想像しながら読書に耽るのも一興である。秋の夜長、そして読書の秋。古本でも新刊でも、或いは図書館の本でもよい。何か一冊手にとってみたいものではないか。この秋、良書にめぐり合えることを願ってやまない次第である。ときに初版本。古本における初版本の価値については学生時代に覚えた。以来「その日」を夢見て新刊を購入するときも初版本に限ってきた。もちろん「その日」はまだ来ない。先日は、学生時代に揃えた大量の本をアマゾンで調べ失望した。たかだか40年弱、あろうはずもないか(涙)こうなれば我が代にあらず、孫子の代に想いを馳せ、せっせと読書に勤しもう(笑)
2013.10.25

【北國新聞 時鐘】前日のA紙文化欄(ぶんからん)に署名原稿(しょめいげんこう)があり、翌日(よくじつ)のB紙にその人の死亡記事(しぼうきじ)がある。両方を読んでいる読者は「えっ!」と驚(おどろ)く。 コラムニスト天野祐吉(あまのゆうきち)さんの場合がそれだった。80歳。葬儀(そうぎ)はしないという。普段の洒脱(しゃだつ)な筆致(ひっち)からすれば物書きとしては満足ではなかっただろうか。紙面の奥で「どうだ、驚いただろう」と言っているのが聞こえるようだった。 脚本家(きゃくほんか)の久世光彦(くぜてるひこ)さんが亡くなったときも同じだった。本紙「北風抄(きたかぜしょう)」に連載していて突然の死だった。70歳。訃報(ふほう)の10日ほど前に「次の締(し)め切(き)りはいつでしたか?」と電話があったので信じられなかった。前の晩まで仕事をしていて朝、家人が見にいったら亡くなっていたという。 作家の瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)さんが「うらやましい」と書いていたのを思い出す。70歳、80歳まで最前線で活躍(かつやく)しながらある日ぽっくり逝(い)く。一つの理想かもしれない。だが、人生の幕引(まくひ)きに対する思いは人それぞれあるはずだ。 家族、友人に別れを告げたくはなかったか。整理(せいり)しておきたい物、まだ書きたいものはなかったのか。煩悩(ぼんのう)は限りない。とてもマネできるものではない。(10月22日)~~~~~~~~先日、やなせたかしさんに追悼の合掌を捧げたと思ったら今度は天野祐吉さんの訃報が届いた。角界の重鎮が続く。昨日一昨日と各紙で天野氏を悼む記事は載ったが、北國新聞はやはり味があって面白い。ただ、時鐘氏は『まだ書きたいものはなかったのか』と胸中を察しているが、私は少しホットしている。それは近年の氏の言動が気になっていたからだ。私が氏を始めて知ったのは40年前である。黒ずくめの装いに身を固め、ヘンテコ(失礼!)な頭髪をした天野氏は、見るからに「業界風」であり、その胡散臭さたるや、たまらない魅力に溢れていた。当時、広告業界に興味があった私は、天野氏にすっかり魅了された事は言うまでもない。友人が籍を置いていた広告研究会に時折寄せてもらったが、部室に巣食う輩は一応に天野氏の信奉者であり、極めつけはヘンテコな頭髪を模してすらいた。それ以来、雑誌やテレビで活躍する氏を見てはおおいに触発されたものだ。しかしここ十年だろうか、氏の言動がどうも気になりだした。広告批評に続く世相批評は確かに『洒脱な筆致』であったが、それが社会に向けられ批評が批判がましくなり、対象も政府や政治に向けられていった。それ自体は問題はないのだが、その根底に天野氏の不満が見え、言動に不平を感じてきたのだ。天野氏の批評はセンスの良さと瑞々しいほどまでの若さがあったはずだ。残念ながら不平や不満にそれを感じることは出来なかった。そしてそれらが氏の老いに他ならないような気がして、晩節を汚さないかと気になっていたのだ。それにしても見事な最期である。病苦に七転八倒することもなく、いとも簡単にオサラバするあたりは、かつての胡散臭さを髣髴とさせ、天野祐吉らしく感じて何とも嬉しい限りなのである。告別式不要というのもサスガではないか。私の憂いなどクソのほどでもない。天野祐吉は最期まで天野祐吉で逝ったのである。ホットした。偉大なる天野祐吉氏のご冥福を祈り衷心からの合掌を捧げる。追記:落語の「黄金餅」に長屋の二人で棺桶をになう場面がある。指示するのは大家だ。 A 「なんだなぁ、よくおれはかつぐねぇ。この間も、おれとおまえとかついだじゃねぇか。糊屋のばあさんが死んだとき。」 B 「そうだよぉ。」 A 「それでまたかつぐんだなぁ、これで二度目だぜ。」 B 「そうだ。」 A 「もう一度、だれかかつぐぜ。」 B 「大家さん、かつぎゃいい。」大家「何をいってやがる!」先に逝かれたやなせたかしさんと天野祐吉氏が親交があったかは知らないが、三途の川を渡りながら二人で楽しい会話をされていたらいいなぁ。やなせさんが「次は誰?」と聞いたなら、天野氏は飄々としたあの口ぶりで答えるのだろう。ちょっとだけ間をおいて。
2013.10.24

菊人形うらみつらみを飾りおり 変哲~変哲、小沢昭 過去記事~◆変哲、小沢昭一と話す。コチラから◆変哲 小沢昭一と秋の風邪コチラから◆変哲 小沢昭一 新米を詠むコチラから
2013.10.23

【神戸新聞 正平調】きょう21日は直哉忌。「小説の神様」とも呼ばれた作家志賀直哉の命日に当たる。 代表作の短編「城の崎にて」を先日、久々に読み返した。手にしたのは城崎温泉(豊岡市)の地元NPO法人が作成した、手のひら大の豆本だ。別冊の注釈書とセットで、かわいらしい水色の箱入り。サイズこそ小さいが、粋な試みで城崎の魅力発信を狙う。 若き志賀がけがの療養のため、城崎を訪れてから今秋でちょうど100年。現地では、「城の崎にて」にちなんだユニークな地域活性化の取り組みが続く。豆本刊行もその一環。小説30ページに対して注釈書は94ページもあり、時代背景などを丁寧に教えてくれる。 東京の列車事故で九死に一生を得た志賀は、城崎で、ハチやイモリの死に遭遇。偶然によって分かたれる生と死に思いをめぐらせる。 小説は、作家自身の体験を無駄のない簡潔な文体で表した傑作として名高い。今回注釈を頼りに再読し、学生時代には理解できなかったその良さが少し分かった気がした。わずかでも、人生経験を積んだおかげだろうか。 城崎では、若手作家万城目(まきめ)学さんに温泉で新作を滞在執筆してもらう計画も進む。平成版「城の崎にて」。湯煙から、奇想天外で摩訶(まか)不思議な物語が生まれそうで胸が躍る。「読書の秋」にふさわしい1冊の誕生を待ちたい。(10月21日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~いっとき志賀直哉に傾倒し全集も揃えた。今でも時折紐解いている。年表を眺めては在りし日の志賀を想像したりもするが、命日には気が回らなかった。10月21日は『直哉忌』とな。まずは知らしめてくれた正平調氏に感謝(^人^)。そして志賀氏を偲び合掌(-人-)。それにしても、城崎温泉も粋なことをするではないか。『湯煙から、奇想天外で摩訶(まか)不思議な物語が生まれそうで胸が躍る。』文学の掘り起こしと地域活性への新たなチャレンジだ。成功したらビジネスモデルとして確立しそうだ。万城目学氏にはおおいに奮闘努力を期待し、必ずや成就されることを願ってやまない次第である。また万城目氏には、志賀の逗留した三木屋の101号室に宿泊し、志賀を偲びながら執筆していただければ幸いである。余談であるが志賀を偲び城崎温泉には二度行った。もちろん三木屋に泊まり、宿の浴衣を着て温泉街をそぞろ歩いたものだ。秋が深まり、湯治にはもってこいである。城崎に心も動くが城崎はあまりに遠し。せめて最寄の温泉につかり志賀を読み返してみようか。
2013.10.22

秋ののおしなべたるをかしさは薄こそあれ 清少納言先日は十三夜。当地はうっすらとした曇り空でした。ただ、うす雲の切れ目から、時折下欠けの月が顔を出しました。我が先人は、満ちた月にも、ほんの少し欠けた月にも情感を得たわけです。なんという美意識でしょう。十三夜の月を眺めては、先人の潤い溢れた情緒を想いうっとりしました。そしてまた、先人は秋野のススキにも美意識を感じたものでした。スマホに目を落としてばかりいては、およそ感じ得ることはない美意識かもしれません、嗚呼。歴史は実感を得られなければ机上の空論に過ぎず、空しいものだと私は考えます。こういうことだったのか! 生活の中で歴史のひとコマを感じた瞬間、それは体得であり実学に変わるものだと思うのです。そして、日本史を実感するとは我が先人の情緒情感を感じることに他ならないのではないか、そう思う近年です。まずはすばらしい先人に恵まれたこの日本に生を授けられたことに感謝。そして末席でもこうして日本で生きられることに感謝。深まりゆく秋の日、森羅万象に合掌(^人^)
2013.10.21

【ラスト・ターゲット】「私はここで瞑想に耽るのです。私によくしてくださる神に心から感謝したり、罪深い友人たちをお救いくださいと頼んだり・・・」「人は皆罪深い」「より罪深い人々もいます。平安を求める者は、過去に多くの罪を犯しているのです」 犯罪モノと言うともっと血生臭くて、ストーリーよりはむしろアクションに重点を置いたものが多い。だがこの作品は、イタリアのローマを舞台に、映像の美しさとは対極の殺人シーンや、神父と暗殺者、賑やかな聖体行列と主人公の孤独が見事に対比されている。監督のアントン・コービンのプロフィールを調べたところ、もともと写真家で、スチール写真とビデオを組み合わせたミュージック・ビデオなども数多く手掛けているようだ。それが影響してかどうかは想像だが、確かにワンカットワンカットが誌的で美しい。冒頭から主人公のジャックが、彼女と一緒のところを狙撃され、見事、敵に撃ち返して事なきを得るのだが、その時、自分の傍らにいる彼女まで撃ち殺してしまうシーンがある。つい今しがたまでベッドを共にしていたと思われる彼女に発砲するとは、なんて冷酷非情な男なのだろうと思ってしまう。だがジャックは、これまでずっと暗殺を生業にして来た孤独な男で、誰に対しても疑心暗鬼になっているのだろう。この辺りの心理描写、あるいは状況描写が難しいところかもしれない。スウェーデンで女と一緒のところを狙われた、殺し屋のジャックは、ひとまず身を隠すためにイタリアのローマへ行く。組織の一人であるパヴェルから、ケータイと車のキーを手渡されると、ローマから遠く離れた田舎町へ行くよう指示を受ける。その後、ジャックは指示とは異なる町で、アメリカの写真家として小さなアパートを借りる。そこで再び組織から仕事の依頼を受ける。それは、減音器付きの狙撃ライフルの製作だった。ジャックは町のカフェで組織の女と会い、詳細を訊くと、さっそくライフルの製作に取り掛かった。この作品が魅力的なのは、最初から最後まで無駄なシーンがないところだ。主人公ジャックが、孤独を癒すためか、度々出向く風俗店でのカットさえ、隠微で悲哀を誘う。お気に入りの娼婦(クララ)がいない時など、さっさと風俗店を出てしまう一途な男の一面も見逃せない。殺し屋として生きて来たジャックが、冒頭で連れの女に疑いを向けて殺害してしまうシーンで、ジャックの内面の戸惑いや嫌悪感をもっと効果的に表現できたら、さらに完成度は高くなったかもしれない。いずれにしても、見事な犯罪サスペンスに仕上げられている。2010年(米)、2011年(日)公開【監督】アントン・コービン【出演】ジョージ・クルーニー
2013.10.20

【百田尚樹/夢を売る男】◆金さえ出せば、あなたも立派な作家の仲間入り!?プロの作家、つまり読者を喜ばせるテクニックを持つ物書きは、意外と少ないかもしれない。もともと小説や演劇などは、抑圧された自己の解放とか思想的な表現手段みたいな傾向が強いので、誰かを楽しませるというよりは自己満足の域を出ないことが多々ある。主義主張が明確なのは結構なことだが、一部の評論家とかインテリな方々を別にしたら、大多数の人々が小説を娯楽として読んでいるはずだ。つまり、カタルシスを感じることで本を読むことの楽しさを実感するわけだ。こういう読者サイドの心理をちゃんとわきまえて、おもしろい話を披露してくれるのが、百田尚樹である。私の周囲の友人、知人らが「今、来てるよね? 百田尚樹」と、それぞれに絶賛するので私も読まないではいられなかった。百田尚樹が小説家として名前が売られるようになる前から知っている友人が教えてくれたのだが、なんともともとこの作家は、さるラジオ番組のハガキ職人(?)だったようだ。せっせとハガキにおもしろいことを書いては投稿し、採用されることが病みつきになり、結果として「こいつはおもしろい」というので放送作家としてデビューしたという経歴を持つらしいのだ。(友人Sさんのうんちくより)そんなわけで今日の百田尚樹が存在するのだが、代表作に『永遠の0』や『海賊とよばれた男』などがあり、後者は本屋大賞を受賞している。(ウィキペディア参照)さて、『夢を売る男』の話はこうだ。世の中には五万と作家を夢見る人々がいる。ある若者は、スティーブ・ジョブズにあこがれてビッグな男になりたいと思っている。フリーターをやっているが、いずれは自由気ままにアメリカを旅して自分さがしをしてみようと思っていた。そんな中、本物の自由人である自分のことを理解してくれた(?)丸栄社の編集者・牛河原から「小説を書いてみないか?」と勧められる。ジョブズのようになるための努力もせず(それは努力というものに自由を奪われるので、あえて無駄な努力はしないという自分なりの理由がある)、かといって具体的な目標があるわけでもないのに、渡米して自分さがしをしようとする若者。あえてフリーな立場でいるのは、人生の大きなチャンスの時に身動き取れない状態ではマズイという信念のため。そんな若者を、牛河原はおだて、持ち上げ、その気にさせ、出版契約にこぎつける。また、ある団塊世代の男は、丸の内の一流企業で働いていたという経歴の持ち主で、これまでの自分史を出版したいと、契約する。さらにある主婦は、子どもに英語の早期教育を受けさせ、都内の難関私立小学校を受験させようとしていた。そして、これまでのプロセスをつらつらと綴っていた。タイトルは『賢いママ、おバカなママ』である。小学校合格と同時に出版するのを目標にし、丸栄社の教育賞に応募した。このような、世間にありがちな、金と名声の欲望にとり憑かれた作家志望者と、牛河原はカリスマ的な話術で出版契約を結ぶ。それは、ジョイント・プレス方式と言い、出版社と契約者が折半して(?)本を出すというやり方だった。この小説は、見事に作家志望者の現実をあらわにしてくれた。なるほど、と肯かずにはいられない赤裸々なものを感じた。決してノンフィクションではないのに、まるで見て来たように記述されている文章の端々に、真実を見たような気がした。ライターを目指している方々、騙されたと思って読んでいただきたい。一攫千金をねらっているなら、宝くじを買った方がよっぽど可能性が高いことが分かる。 小説を書いて、村上春樹みたいになろうと思ったら、とんだ思い上がりもいいところだとダメだしされる。自分の活字が本になるだけで良いのなら、町の印刷屋さんに行くか、出版社を訪ねて自費出版するのが一番早い!!お金さえあれば、本だって出すことが出来るのだから、地道に働いてお金を貯めて、それから出版社の門を叩くのが良いでしょう(?)あれ? 目的は本を出すことだったのか、それともお金持ちになることだったのか?おもしろおかしく人間の醜い欲望を突きつけられるから、実はシリアスな内容なのに、ラストはほんわかしてる。嗚呼、やっぱり百田尚樹はプロだな! これは正真正銘、本物の小説です。『夢を売る男』百田尚樹・著☆次回(読書案内No.96)は村上龍の「インザ・ミソスープ」を予定しています。コチラ
2013.10.19

【神奈川新聞 照明灯】秋空に誘われて、かねて行きたいと思っていたお宅に足を向けた。小田急線鶴川駅から鶴川街道沿いに徒歩15分ほど。閑静な竹林に囲まれて、その旧家は建っている。 武相荘。吉田茂首相の側近として連合国軍総司令部(GHQ)と渡り合い、新憲法制定に深く関わった白洲次郎と正子夫妻の旧邸が保存、開放されている。読み方は「ぶあいそう」。武蔵と相模の国の境にある地にちなんだ命名で、「無愛想」を掛けている。反骨の人・白洲次郎らしい。 次郎は南多摩郡鶴川村能ケ谷(現・町田市能ケ谷)の農家を買い、1943年に引っ越した。41年12月に太平洋戦争が始まったが、次郎は早くから日本の敗戦、空襲を見抜き、この地に移り住んだという。邸内には次郎にあてた吉田茂の書簡や「葬式無用、戒名不要」と簡潔に記した次郎の遺言書などが展示されている。 次郎は、吉田の三女の結婚相手に九州の炭鉱王の子息・麻生太賀吉を紹介した。2人は結婚、生まれたのが現在の麻生太郎副総理だ。 戦前、日本がナチスドイツに急接近したころ、駐英大使を務めていた吉田は大のナチス嫌いで、日独伊三国軍事同盟に強く反対した。その孫が、憲法改正に関して「ナチスの手口を学んだら」などと言う。祖父の心、孫知らず…。(10月11日)~~~~~~~~実にタイムリーな指摘である。もちろん照明灯ではない。同日の日本経済新聞のコラム「春秋」である。「言葉尻だけを捉えるのはつまらない話です」政治家の言葉をやり玉にあげるマスコミに、6年前に死去した作家の城山三郎がくぎを刺した。日経の春秋氏は、別に照明灯氏を戒めたわけではなく、自戒の念から城山三郎氏を引いたのだが、その妙なる間に思わず唸ってしまった。照明灯の『言葉尻』はここだ。『憲法改正に関して「ナチスの手口を学んだら」などと言う。』まずもって神奈川新聞の論説(社論)は『祖父の心、孫知らず…。』に尽きる。それを踏まえると『言葉尻』は核心の一言であり効果はあったと思う。だがしかし・・・、それはないでしょう照明灯さん。そしておおいに気になるのは、なぜ今頃?、ということだ。『言葉尻』を捉えたように『蒸し返し』てその効果を高めているようで、新聞コラムとしてとても違和感を覚えたのだ。朝日新聞が事実歪曲のそしりをまぬかれぬ事になった『麻生氏のナチス発言』は、はるか8月1日の記事である。よもや台風前の残暑につられ真夏の一件を持ち出したのではあるまいが。新記録を樹立した季節はずれの残暑は、人々を興ざめの渦に巻き込んだが、照明灯も残暑同様おおいに興ざめなのだ。何を今さらと言われそうだが、あらためて『麻生氏のナチス発言』をおさらいする。ことは7月29日に都内で開催された「ニッポン日本再建への道」と題したシンポジュームでのことだ。安倍首相が日本再生のひとつに憲法改正を掲げているにも関わらず、補佐役の副総理たる麻生氏は、いわゆる左よりで護憲的な立場をとっている。シンポジュームでは憲法改正の気炎があがった。その中で護憲派の麻生氏は何度も言ったそうだ。『(憲法改正を)喧騒の中で決めないでほしい』改憲派の多い中で、麻生氏はいわば孤軍奮闘したのだが、その中で不用意にも麻生氏は以下を述べたわけだ。『ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気がつかないでかわった。あの手口を学んだらどうかね?』百歩譲り麻生氏特有の皮肉と認めたとして、それでも総理大臣経験者であり現在副総理たる麻生氏の発言としてはあまりに軽率極まりない。とはいえ、シンポジュームは大人の集団だったようで麻生発言を糾弾することもなく、苦笑(嘲笑か?)で過ごしたそうだ。翌日以降の国外の反応を受け、3日が過ぎてから朝日新聞はその言葉尻をつくように記事にしたわけだ。8月1日のことである。後日出た櫻井よしこ氏の論文「歪曲された麻生発言」にはこうある。「『憲法改正なんていう話は熱狂の中に決めてもらっては困ります。ワァワァ騒いでその中で決まったなんていう話は最も危ない』『しつこいようだが(憲法改正を)ウワァーとなった中で、狂騒の中で、騒々しい中で決めてほしくない』という具合に、(麻生)氏は同趣旨の主張を5度、繰り返した。」これが事実でる。ちなみに櫻井氏は同シンポジュームへの参加者であり、麻生氏の発言に対しては「『ワイマール体制の崩壊に至った過程からその失敗を学べ』という反語的意味だと私は受け止めた。」という感想を抱いたそうだ。そういった事実を前に、朝日新聞は『事実を歪曲』(櫻井氏論文から)して、「護憲派はナチス支持者である」「麻生副総理はナチス支持者である」という論陣をはり、それに追随する新聞社があり終戦の日を前に話題として盛り上がったという次第だ。そしてすっかり忘却の彼方となった今になり『言葉尻』が出てきたわけだ。これは『蒸し返す』と思われてもしょうがないでしょう、照明灯さん。新聞に作意的(どちらかというと悪意)なものを感じるのはやりきれない。それが実感である。照明灯氏には、謹んで再度 城山さんの金言をお伝えする。「言葉尻だけを捉えるのはつまらない話です」
2013.10.18

平成二十五年秋、やなせたかし氏逝く「詩とファンタジー」創刊号と、やなせたかしさんの遺作となった最新号掲載の「天命」 。 産経ウェブからアンパンマンの作者としてあまりに有名なやなせたかし氏が逝かれた。日本の子供で、そして子を持つ親でやなせ氏を知らぬものはいないはずだ。アンパンマンはそれほど深く我々に浸透していた。やなせたかし氏御歳九十四歳、大往生というに相応しいものであろうが、アンパンマンに慣れ親しんだ我々にはその死が悔やまれる。さみしくもやりきれない気持ちに陥った時、ウェブで『やなせさんの「遺言」掲載 責任編集の季刊誌発売』という記事を見た。画像の詩を読み、やなせ氏の遺言である詩、遺詩に感動した。以下が画像に掲載された全文である。天命見おぼえのある絶望の岸ここまで何度か追いつめられ助からないと思ったが奇跡的に九死に一生なんとか生きのびてきた生きとしいけるものには天命があるもはや無駄な抵抗はせぬゼロの世界へ消えていくでござる拙者覚悟はできているからあせらずしばらくお待ちくだされ欲も得もいっさいない。もはや清らかささえも超越した無の世界である。『ゼロの世界へ消えていくでござる』やなせ氏はそこへ旅立たれたのだ。遺詩を何度も読み返すうち、やなせ氏への悼みは、やなせ氏への敬愛と喜びに変わっていった。やなせ氏は生を全うした。だから『ゼロの世界へ消えていく』ことが出来るのだ。それはやなせ氏の確信であり、それこそがやなせ氏の最高の喜びであり、そして人生の目標であったと、私は信じて疑わない。遺詩は伝える。人は全うに生きれば必ず『ゼロの世界』に到達できるのだと。無上の喜びはそこにある。いまだ欲得にまみれ日々きゅうきゅうとする我が身ではあるが、やなせ氏の『ゼロの世界』を信じ、やなせ氏がそうであったように生を全うするべく、私も励みたいと思うのであった。やなせ氏に大感謝。そしてやなせ氏のご冥福を祈り衷心の合掌を捧げる。なお、季刊誌「詩とファンタジー」24号は19日に発売されるそうだ。子供時代にアンパンマンに慣れ親しみ、長じてやなせ氏の薫陶に気づいた方は、是非手にとってご一読いただいたいものである。
2013.10.17

掌中に栗の硬さの小気味よさ 川端茅舎栗同様に「小気味」が効いた茅舎の一句、こういう句は声に出して(^0^)読みたいものだ。是非お試しあれ。それにしても今朝は台風の進路が気になる。ネットで見る限り、今のところ被害には及んでないようだが引き続き注意は必要だ。そんな時に役立つ呪文(経典)である。雲雷鼓掣電(うんらいくせいでん)降雹澍大雨(ごうばくじゅだいうん)念彼観音力(ねんぴかんのんりき)応時得消散(おうじとくしょうさん)茅舎の句と一緒に、是非声に出してお唱え(^0^)くだされたし。効果絶大である!
2013.10.16

新幹線の陣、石川VS長野に群馬も参戦。三つ巴の混戦に!まずもって、「石川と長野の陣」については先日のブログをご覧頂きたい。ナントも悩ましげなるところへもってきて難題が加わった。新幹線の陣に群馬も参戦を表明したのだ。そして上毛新聞はやる気満々である!~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~【上毛新聞 三山春秋】「長野県軽井沢町の人口が8月に初めて2万人を突破した。町は「北陸(長野)新幹線効果で定住者が増えた」と分析。別荘が広がった戦後から、1万4000人前後で横ばいだったが、16年前の新幹線開通を機に右肩上がりになった。 次の転機と期待できる同新幹線の金沢延伸が2015年春に迫る中、駅前アウトレットの大幅拡張やゴルフ場のリニューアルが進む。軽井沢ブランドを北陸に発信しようと、結婚式や観光客の誘致も活発化している。 高速交通網は沿線の都市間競争を激化させる。「高崎駅を通過する車両を限りなくゼロにしたい」。高崎市の定例記者会見でも「金沢延伸」が話題になり、富岡賢治市長がJR東日本への働きかけに意欲をみせた。 県内から東京や新潟、長野への利便性が落ちないか心配ということだ。東京 金沢間を主要駅しか止まらない「速達タイプ」が多ければ、高崎も相当規模が通過しかねない。 通過車両を減らすために、高崎と安中榛名の両駅には「止める必然性」が求められる。観光や企業誘致、イベントの面で乗降客が増える見通しがなければ、競争に勝てないだろう。 高崎は競馬場跡地のコンベンション施設や都市集客施設、西口ではイオンモールの計画など駅周辺はプラス材料が目立つ。ダイヤ公表まであと1年。諦めず、県民の熱意で「ゼロ」に近づけたい。(10月10日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~率直に申し上げて、途中駅が多くなればなるほど新幹線本来の魅力は損なわれる。新幹線の各駅停車はどうもヘンテコだ。かつて酔狂からこだまに乗って東海道を下ったことがある。後悔した。各駅停車を乗り継ぐのはオツなものだがそれとはワケが違う。新幹線の途中駅は無用の長物だと思った。とはいえ途中駅にしてみると千載一遇の機会であり、地域発展の明暗を駅に託すといっても過言ではないだろう。群馬の参戦は死活をかけた争いなのだ。ましてや群馬は、それがことを複雑にしているのでもあるが、新駅にあらず既存路線に関することなのだから事は重大だ。群馬県民の感情はおおいに理解できる。そして上毛新聞。私は地方新聞の主な役割を「地方を利せんが為なり」であると思っている。だから地方新聞が先んじて天下国家を論じる必要はない。地域に根ざし、「おらが地」を贔屓にするのは当然である。長野の信濃毎日新聞しかり、石川の北國新聞しかり。私は上毛新聞の「感情」は好意を覚えるのだ(^o^)とはいえ、無責任な言い方で恐縮なのだが、所詮はひと事なのだ。該当県以外の自治体は無関心だ。それが証拠に各地方紙で北陸新幹線(長野行き)をコラムに扱ったところはないはずだ。先回は石川・長野の陣に関してこう書いた。ひとつ、物事には少なくとも側面(両面)があるということ。ひとつ、事実に付随するものは感情的な問題が多々あるということ。ひとつ、物事は多面的(全体的)にとらえて対処するということ。枝葉末節にこだわらないということ。ひとつ、物事は長期的にとらえなければならないということ。ひとつ、既成事実は真実を塗り替えるべく効果を発揮するということ。ひとつ、核心から離れると取るに足らない問題であるということ。ひと事とは、新幹線の該当県以外は「核心から離れると取るに足らない問題」ということだ。さらに、物事の側面は三面になったわけだ。そこへもってきて新潟が「おらが駅にももっと止めるべし」と言い出したら四つの側面となるのだ!北國新聞は『一件落着、名裁き』と楽観してみせたが、どうも一筋縄でいかないようだ。「事実に付随するものは感情的な問題が多々ある。」人の気持ちは誠に厄介なのだ。「所詮はひと事」である私は、該当各県とその新聞社に敬意のエールを送るとともに、穏便に、そして興ざめさせられることのないよう、そう願うのみである。
2013.10.15

もりもり盛りあがる雲へあゆむ 山頭火昭和十五年の十月十一日早朝に山頭火は逝った。願いどおりのコロリ往生であった。上句は山頭火の辞世といわれているのだが、まったく山頭火の最期にふさわしい(逝くにふさわしい)最高の一句であると思う。句を読むに、笑みの一つも浮かべながら青空に舞い上がる山頭火の姿が見えるようだ。しかし山頭火は飄々として決して振り返ることはない。それに先立つこと十月八日、山頭火日記は最後にこう綴り終いとなった。『なんとなく感謝、慎しみの心が湧く、感謝、感謝!感謝は誠であり信である。誠であり信であるが故に力強い、力強いが故に忍苦の精進が出来るのであり、尽くせぬ喜びが生れるのである。』その日、山頭火は護国神社を参拝した。神の森は清々しさに満ち溢れ、早朝の凛とした空気に包まれた山頭火は行く末を感じたか。そして全身から湧き上がるような感謝の念を懐かずにはいられなかった。暗示的な日記は、彼岸への旅立ちを前にした心の準備に読めるのだ。感謝は念はまたあらゆるものに及ぶ。『皇室、国への感謝、国に尽くしつつある人、尽くすであらう因縁を持って生まれ出る人への感謝、母への感謝、我子への感謝、知友への感謝、宇宙霊-仏-への感謝。』最後に山頭火は己の誠を綴る。『感謝があればいつも気分がよい、気分がよければ私にはいつでもお祭りである。拝む心で生き拝む心で死なう。そこに無量の光明と生命の世界が私を待つてゐてくれるであろう、巡礼の心は私のふるさとであった筈であるから。』生涯一杯の酒に執著の限りを尽くした山頭火ではあるが、ここに至って生命には未練のかけらもない。六根相似の位なのであろうか・・・これが山頭火である。山頭火を読みながら抱いてきた疑問。「この怠惰な生活を支える根本はなんであるのか。」その答えは山頭火が自ら解いてくれた。『感謝があればいつも気分がよい』そして山頭火は雲へあゆんで行った、山頭火に合掌。ときに山頭火は見事な語録を多く残している。其中漫筆一、何を食べてもおいしく一、何を為てもおもしろく一、何を見てもたのしく一、何を聞いてもたのしく昭和十年あらためて眺めると、コロリ往生を遂げるにはその因縁があったのだ、そう思うのである。ちなみに掛軸。ここにおちつき草もゆる画は高橋一洵氏という、山頭火の世界では有名な御仁である。氏は山頭火のコロリ往生を見届けた人であり、松山時代(山頭火晩年)のおおいなる庇護者であったという、余談まで。
2013.10.14

【ロシアン・ルーレット】「申し訳ないけど・・・どうも僕がここにいるのはマズイようだ。それなら帰るよ」「手遅れだ」「帰りたいんだ!」「いや、参加してもらう」友人から「これはB級映画の正統派だ」という賛辞の(?)言葉を耳にして、半信半疑の中で鑑賞してみた。だが、それはウソではなかった。B級映画に流派があれば、『ロシアン・ルーレット』は正に、本家本元の正流であろう。 この作品を手がけたのはフランス人監督のゲラ・バブルアニだ。まだ30代という若さで、そのせいか勢いとか意気込みを感じさせる作風だ。ストーリーはノワール風で、全体的に暗く陰鬱で、人生の無常観すら漂わせるものだ。 舞台はアメリカの片田舎にある豪邸。しかもその地下室で秘密裏に行われているという設定になっている。だがさすがはフランス人監督で、何やらヨーロッパの紳士の集まり的なムードさえ感じさせるから不思議だ。内容としては、人間の命を賭けてのギャンブルで、17人のプレーヤーたちに怪しげな富豪らが大金を賭けていくというものだ。病院で入院中の父を持つヴィンスは、しがない見習い電気技師。働けない父に代わり、まだ幼い妹を含む家族の生活が重くのしかかっていた。ある日、工事の仕事で出向いた家で、そこの主人が何やら大金の儲かる仕事について話しているのを訊いてしまう。仕事の内容が書いてあると思われる手紙をこっそり盗み出すことに成功したヴィンスは、手紙の指示通り列車に乗り、タクシーで指定の場所まで向かうことにした。ところがヴィンスのやろうとしていた仕事は、命を賭けた集団ロシアン・ルーレットだった。どこかの刑務所から出されたばかりの囚人パトリック役に、ミッキー・ロークが扮しているのだが、このふてぶてしさとか、最後まで悪運の強いキャラが、見事にハマっている。また、ほとんどセリフはないが、ジェイソン・ステイサムも好演。入院中の実兄を無理に連れ出して、ロシアン・ルーレットのプレーヤーにさせる、血も涙もないような非道な弟ジャスパーを淡々と演じていた。主人公のヴィンス役に扮したサム・ライリーは、まだ知名度こそ高くはないが、ミッキー・ロークやジェイソン・ステイサムのようなアクション・スターを相手に、確かな演技で互角に演じていた。今後の活躍が楽しみな俳優さんだ。それにしてもこの作品、金のためとは言え、命を賭けてのギャンブルだなんて余りに恐怖を覚える。ロシアン・ルーレットなだけに、あな、おそろしや。(笑)2011年公開【監督】ゲラ。バブルアニ【出演】サム・ライリー、ジェイソン・ステイサム、ミッキー・ローク
2013.10.13

【原田宗典/『優しくって少しばか』より「雑司ヶ谷へ」】◆恋愛サスペンスの先駆けはこれだ!この短編は『優しくって少しばか』と題された短編作品集に収められた一つなのだが、原田宗典の持ち味をギュッと濃縮した小説に仕上げられていると思う。ある意味、サスペンスなのだ。主人公の男も頼りなくてひどく曖昧だが、女もどういうわけか余り魅力的には描かれていない。むしろ、イラッとする。ところが、巷に転がっている恋愛ドラマは、この手の不気味さを伴うものの方がリアリティを増すから不思議だ。恋人が妊娠を告げた時、素直に喜べる男がどれほどいるだろうか?強がってはいても、中絶を回避したい女はどこまでも男に食い下がる。一方、男の方では醜いまでに無関心を装う。既成事実を自分のこととしては受け入れ難く、まるで他人事のように曖昧にぼかしてしまうのだ。この一連のプロセスを、短編小説の技巧を駆使して表現した原田宗典は、間違いなく名手である。妊娠という事実を、サスペンス風にアレンジしてしまうのだから。原田宗典は早大文学部卒で、『おまえとは暮らせない』がすばる文学賞に入選。バブル期には一躍脚光を浴びた。最近ではエッセイストとしても注目を集め、『十七歳だった!』というエッセイが集英社文庫のナツイチ(夏の一冊)として選ばれている。代表作に『平成トム・ソーヤー』などがある。『雑司ヶ谷へ』のストーリーはこうだ。主人公の「ぼく」は、二週間前に、恋人の比呂美に中絶をさせていた。二人の関係はギクシャクしながらも、いまだに続いている。そんな中、比呂美は「雑司ヶ谷へ行きたい」と言う。マンションの窓辺に立ち、目白から池袋にかけての街並みを見渡しつつ、比呂美が見当違いな方向を指して、「あそこが雑司ヶ谷ね?」と言うので「ぼく」は違うよと言いかけて、思わず全く別の寺院を教えそうになってしまった。東池袋にあるその寺院は、「ぼく」と比呂美の子どもが眠っていたのだ。中絶した子の埋葬先など普通なら知らなくて当然なのだが、当日、病院の受付で比呂美が尋ねていたのを偶然耳にしてしまい、池袋のM寺であることを知ってしまった。「ぼく」はほんの気まぐれで散歩がてらM寺を訪れていた。もちろん一人でだ。なかなかM寺を見つけられずにウロウロしていたところ、誰かに聞くのが一番手っ取り早いとは思ったが、「M寺? ああ、あの水子のね」と後ろ指さされた気分を味わいたくはなかったので、自力で探し当てたのだった。そんなことがつい最近あって、今日は比呂美が一緒に雑司ヶ谷へ行きたいと言う。一体何をしに行こうと言うのか、皆目見当のつかない「ぼく」だった。この作品に、幽霊などは決して登場しないけれど、ある種の不気味さを感じるのは何故だろう?女の怨念みたいなものが、そこかしこから漂っているのだ。恋愛のラストが再生を祈る爽やかな男女の別れとして表現されていないのは、作者の意識的な作為を感じてしまう。平成版の怪談としても、充分に読み応えのある短編集である。表題作である『優しくって少しばか』以外は、全てサスペンスだ。バブル期の華やかさと、気だるいムードの根底に音もなく流れている血生臭い汚物の悪臭が放たれている。嘘っぽい恋愛ドラマに飽きた人は、この短編集を読んで、恋愛に決して答えなど見つからないことを知って欲しい。余談だが、作者である原田宗典は、本年9月に覚醒剤取締法違反で、現行犯逮捕されている。一読者として残念でならない。『優しくって少しばか』原田宗典・著より収録作品「雑司ヶ谷へ」☆次回(読書案内No.95)は百田尚樹の「夢を売る男」を予定しています。コチラ
2013.10.12

【山陽新聞 滴一滴】こうべを垂れる稲穂のほのかな揺らぎにも喉が鳴ったのだろうか。若山牧水に一首ある。〈秋かぜや日本(やまと)の国の稲の穂の酒のあぢはひ日にまさり来れ〉。さすがは酒を愛した歌人である。 実りの秋、行楽の秋を迎え、これから酒を飲む機会も増えてくる。夜長にひとりしみじみと飲むもよし、祭りでみんなとはしゃいで飲むもよし。ただし、乗るなら飲まない、飲ませない。これは肝に銘じたい。 昨年の飲酒運転による交通事故は4603件で、うち死亡事故が256件を占めた。厳罰化が功を奏したのか、死亡事故は警察庁の記録が確認できる1990年以降で最少という。 いい流れだが、理不尽な事故で命を奪われた犠牲者の無念を忘れてはならない。遺族の怒りや悲しみは件数がいくら減っても決して消えはしない。 酒は百薬の長とも言われる一方で、アルコール中毒などの害も引き起こす。牧水も酒で命を縮めた。厄介な飲み物ではあるが、「生活の中に安全な快楽として定着させたのは人類の偉大な文化的努力であった」(船曳建夫著「一字一話」)。 人生の機微やさまざまな通過儀礼を通して育んできた飲酒文化はマナーやルールを守ってこそ暮らしに潤いをもたらす。飲酒運転許すまじ。先人の苦労の歴史を無にしないためにも根絶に向けて不断の努力が必要だ。(10月6日)~~~~~~~~稲の穂を見て酒を想起するのだから、さすがは大酒豪の誉れ高き若山牧水である。こういうのを「パブロフの犬状態」というのであろうか。コラム氏は酒の害を諌める。まったく悩ましきは「酒」である。そも、2500年以上前にブッダは説いている。『飲酒を行ってはならぬ。この(不飲酒の)教えを喜ぶ在家者は、他人をして飲ませてもならぬ。他人が酒を飲むのを容認してもならぬ。これは終に人を狂酔せしめるであると知って。』(スッタニパータ398)我が国では約1200年前に最澄が遺言にまで残し、一門に飲酒を戒めている。『不得飲酒。若違此者。非我同法。亦非佛弟子。早速擯出。不得令踐山家界地。若爲合薬。莫入山院。』(根本大師臨終遺言、一)書き下し文はこうだ。『飲酒することを得ざれ。若し此に違はば我が同法に非ず。亦佛弟子に非ず。早速に擯出して山家の界地を踐ましむることを得ざれ。若し合薬の為にも山院に入るること莫れ。』酒の失態醜態をして、若気の至り、といえない年は遥かであり、酒は『人を狂酔せしめる』と知る年にはなったが、省みると恥じ入るばかりである。まあそれはそれとして、酒の問題はどうやら人類の永遠の課題と思って間違えないようだ。2500年も前から繰り返し説かれてきたのに、その態は何一つかわってないのだ。また我が身。せめていい年をした今となっては、頭を垂れる稲を拝み拍手を打てるくらいの余裕を得たいと思うのである。そういえば、変哲こと小沢昭一さんは、頭を垂れる稲から「新米」を詠んでいる。※コチラから。さすがだなぁ、とあらためて感服するのだ。しかし実に最澄は手厳しい。清々しさを感じさせるほどの厳しさだ。それにしても、ほとんどの大乗仏教は最澄山脈に通じるはずだ。でも、酒を飲まない坊主は少ないのではないか。かつて我が家は母を見送っているが、葬儀も後年の法事も、坊主はヘベレケになるまで飲んでいた。坊主は大酒飲み、知人と話してもそれは定説のようだ。坊主でもそのていである、いわんや我々をや。そう思うと少し気が楽になるのだが・・・実にどうも悩ましきは酒なのである。皆様も、くれぐれもご注意されたし。
2013.10.11

ひとり膝を抱けば秋風また秋風 山口誓子本来この時季はというと、秋風に吹かれながら物思いに耽ったりする。そして一句詠む、そういうものだ、秋なのだから。ところが今年は違う。「毎日暑いねぇ」「今日も三十度近くまで上がるそうですよ」時候の挨拶は、まさに真夏のそれである。昨日は糸魚川で、観測史上初となる『十月の猛暑日』を観測したそうだ。10月の35℃ごえとはどういったものであろうか。「自然よ、おごるなかれ!」そう叫びたくなるようなこのごろの気候なのだ。せめて秋らしい句を載せて秋の気分に浸ろう。とはいえ世の中は何かと騒々しい限りで、せっかくの秋風も隙間風のように身に沁みて感じてしまう。そんな時に古の歌人は『世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ。』と言ってのけたそうな。「あっちもこっちもいろいろと騒がしいけれど全く俺は気にしないね。俺には関係ない事さ。」そういうことであろうか。歌人は藤原定家、お見事である。秋暑も喧噪もうっちゃって犀の角のように独り歩みたい、そう思うのであった。
2013.10.10

まずはおらが食うだべおらの今年米 変哲変哲こと小沢昭一さんは、全国に四散する芸を見てまわり、小沢さん特有の見つめる視線をもって、普段光の当たることがない「芸人」に光をあてた。小沢さんは芸人たちに寄り添って彼らを見つめた。小沢さんの旅は見つめる旅なのだ。そして小沢さんの面目躍如は、芸を見つめることもさることながら、芸人を見つめるその「視線」にあるのだ。旅の途上。小沢さんは農家の稲刈りに出くわした。農家にとって収穫は特別だ。稲刈りが終わり農夫は喜色満面である。遠くから農夫を眺める小沢さんを想像するのは容易だ。その「視線」は優しく、寄り添うように農夫を包み込む。掲句は小沢さんの真骨頂である諧謔の句である。だが願わくは、その裏にある小沢さんのあたたかい視線を感じてほしい。~過去記事~◆変哲、小沢昭一と話す。コチラから◆変哲 小沢昭一と秋の風邪コチラから
2013.10.09

さても楽しい新幹線の陣。石川と長野の新聞が火花を散らす!首位の決まったプロ野球の外野より、コチラの外野が面白い。『北國新聞 時鐘』VS『信濃毎日新聞 斜面』、まずは両者のコラムをご一読あれ(^o^)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~【北國新聞 時鐘】「北陸新幹線(長野経由)」で、一件落着(いっけんらくちゃく)。名裁(めいさば)きだろう。いつまでも、北陸と長野が争うことはない。 「長野新幹線」が定着している、というのは、首都圏(しゅとけん)や地元の言い分。北陸からすれば、いつまで「通称(つうしょう)」を名乗っているのだ、ということになる。だからといって、「北陸」をごり押しするのも、大人(おとな)げない。いささか長いが、カッコ付きは、妙案である。 (秋田新幹線)や(山形新幹線)という表記を、現地の駅で見た記憶がある。東北新幹線と切り離された後、「こまち」も「つばさ」も在来線(ざいらいせん)を走る特急になる。新幹線を名乗るのは、おこがましい。そう言われる前、先手(せんて)を打ってカッコ付き表記を編み出したのでは、と察(さっ)する。 厄介(やっかい)な問題が起きれば、知恵も生まれる。駅名もしかり。上越(じょうえつ)市の駅は、観光地の妙高高原(みょうこうこうげん)と名乗りを争い、結果は両方の顔を立てた「上越妙高」駅。同様の「黒部宇奈月温泉」駅は、日本一長い名前という話題を生んだ。 子どものころ、レールに耳を当て、遠くの列車の車輪の響きを聞き取って胸を躍(おど)らせた。宿題が一つ片付き、新幹線がまた近づいてきた。(10月3日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~【信濃毎日新聞 斜面】近く始まる高校野球の北信越大会。出場する県代表の3校が決まった。春と秋に開く大会は今度で129回。北陸と新潟、長野の5県の球児が交流を深めてきた。秋は来春のセンバツにつながる大事な舞台だ。 高校野球では共に歩んできた5県。新幹線の名前ではぎくしゃくしてきた。東京 長野間の長野新幹線が、再来年春に金沢まで延びるのを受けてだ。JR東日本が決めた呼び名は北陸新幹線。「長野」は残らず、「長野経由」と案内することで落ち着いた。 「北陸新幹線(長野経由)」の案内表示や「長野経由」の案内放送である。この決着への受け止めは、いろいろあるようだ。かっこ付きの表記に違和感を覚える人も少なくない。「北陸長野新幹線」はおかしいという北陸側の言い分が通った、大岡裁きとは言い難い の声もあろう。 「長野」から「北陸」への変更で、利用客が戸惑うことも予想される。百科事典によれば、北陸は狭義では富山、石川、福井の3県を指す。長野県を通る新幹線は? といった疑問が出てもおかしくない。利用客の混乱を防ぐのは本来、JRの仕事である。 新幹線が長野まで開業した当時、中南信には冷めた目もあった。今回の名称変更にも、冷静な人がいそうだ。関心事は地元で説明会が始まったリニア中央新幹線、という人もいよう。信州は広い。それぞれの地域の話題に関心を寄せたい。(10月4日)~~~~~~~~古今亭志ん生師匠は『しょうがない』といって物事のケリをつけた。(※過去の記事はコチラから。)つまり、『しょうがねぇやな』で自分の優位をあるいは自分の失態を相手に認めさせる。『しょうがねぇなぁ』で相手の優位をあるいは相手の失態を自分で認める。すべてこれでケリがつくわけだ。その実はほとんど前者であったことは言うまでもない。さて新幹線問題。『しょうがない』といったところであろうが、それでもオヒレハイレがついてくる。こなた『北國新聞』はしてやったり、かなた『信濃毎日新聞』は未練タラタラだ。ただそれらは微笑ましくもあるしそれこそ地方新聞の面目躍如でもあるのだ。そも、地方新聞の役割の第一は「地方を利せんが為なり」であると私は信じて疑わない。地方新聞が先んじて天下国家を論じる必要などないのだ。だから「おらが地」を贔屓にするのは当然だ。私はその感情に好意を覚える。その意味からいって『北國新聞 時鐘』も『信濃毎日新聞 斜面』もしごく全うな論説であるというわけで、謹んで敬意を表したいくらいだ。それでは我々はここで何を見て何を学ぶべきか。見るべきは事実のみである。1.まず新幹線を金沢まで引こうと計画した。2.その途中で長野までを開業した。3.それ以降(長野~金沢間)が開業し完成に至る。事実はそれであり、我々は客観的にそれだけに注目すればよい。そして新幹線の陣が勃発、では何を学ぶべきか。ひとつ、物事には少なくとも側面(両面)があるということ。ひとつ、事実に付随するものは感情的な問題が多々あるということ。ひとつ、物事は多面的(全体的)にとらえて対処するということ。枝葉末節にこだわらないということ。ひとつ、物事は長期的にとらえなければならないということ。ひとつ、既成事実は真実を塗り替えるべく効果を発揮するということ。ひとつ、核心から離れると取るに足らない問題であるということ。ではないだろうか。現実に起こっている諸問題にひとつあてはめてみると、具体的になり理解が増す。そして現実の諸問題も、その核心がより明確になってもくる。例を一つ。隣国は「歴史認識」を振りかざし、事あるごとに横車を押して日本を悩ませ辟易させる。(※歴史認識については長くなるのでここでは扱わない。)見るべき事実は、かつて世界大線が起こった、そのことのみである。では何を学ぶ(解く)のか。隣国と我が国の両国の問題があるということ。それは感情の問題であるということ。世界大線という全体の中で隣国と我が国の問題は枝葉末節に過ぎないということ。両国は先に未来(或いは価値か)ある関係を構築できるのに、その瑣末にこだわるあまりそれが見えてこないということ。隣国が戦闘機や駆逐艦で『領海』を侵犯していると、隣国ではそれが『国土』の一部になるということ。だから世界が今抱えている問題から見れば、両国間の感情的な問題などは本末転倒で取るに足らないことであり、百害こそあれ一利もないというわけなのだ。戻って「石川長野 新幹線の陣」も日本全体として抱える諸問題から見れば、まったくもって取るに足らないことというわけなのである。志ん生師は人物だ。『しょうがない』のひと言でケリをつけたのだから。我々も、ここはひとつ志ん生師を見習い『しょうがない』精神をもって物事に対処しようではないか、そう思った次第である。余談であるが、知人が面白いことを言っていた。『地方の雄たる信濃毎日新聞も今や「支那」の毎日新聞というくらいに中国よりの発言をする新聞である。」「支那の毎日新聞」とはうまい事を言ったものだ。なるほど、コラムは冠を伏せたら、時として天声人語と見間違う事もあるくらいである。面白く思って調べてみるとさもありなん。主幹は朝日から招聘されているのだ。何より社主は若かりし頃、朝日で学んだという。これは筋金入りだ。中国よりになって当然であろう。「支那の毎日新聞」とは誠に言い得て妙である。ところで志ん生師の『しょうがない』については「黄金餅」をお聞きいただきたい。一席終わる頃にはつまらない屈託も「しょうがない」と思えてくること請け合いである(^^)v
2013.10.08

宮立てゝ稲の神とぞあがめける 正岡子規田んぼの脇に神ひとつ。先人の清らかで美しい心を見るのです。こういう風景を目にすると、そこはかとない幸福感に全身が包まれ、日本人として生まれこの国に育つことへ誇りを感じないではいられません。何より、先人への感謝の念が自ずとわいてくるのです。田脇の神様に感謝。そして日本を育んでくれた先人の、清浄高貴なる御魂と高尚なる知恵に深謝(-人-)子規の句には何となく諧謔を感じないでもありませんが、彼の奥底にある崇高なる精神を信じたいと思います。それはそれとして、日々の生活の中に『先人の日』や『先祖の日』があってもよろしいのでは?もちろん休日扱い(^^)できれば「体育の日」の前後につけて祝日の連休などいかがでしょうかねぇ。土日を含めて四連休の合わせ業!なんてのはゴウキでしょ(^^)v
2013.10.07

トム・クランシーさんのご冥福をお祈り申し上げます。■米作家、T・クランシー氏が死去 日本でも人気「レッド・オクトーバーを追え」などの小説で知られる米国のベストセラー作家、トム・クランシー氏が1日、米東部メリーランド州ボルティモアの病院で死去した。66歳。米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)などが伝えた。死因は分かっていない。1947年、ボルティモア生まれ。高度な軍事技術を駆使したハイテク時代の戦争サスペンス小説を数多く発表し、日本でも人気が高い。保険代理店を営む傍ら執筆したデビュー作「レッド・オクトーバーを追え」や、CIA情報分析官を描いた人気シリーズ「ジャック・ライアン」などは映画化された。~共同通信~(10月3日)氏が原作を執った作品の映画はみているが、残念ながら私は原作を読んではいない。それでも映画を見るにつけ、原作が骨子頑丈な上作であることはヒシヒシと感じ、取材の苦労は容易に推察できた。秀作「レッド・オクトーバーを追え」は保険代理店を営む傍らに執筆されたという。二足のわらじがいかほどのものか、私は吉村昭氏のエッセイ「私の文学漂流」で知った。トム・クランシー氏の努力も並大抵のものでないことは想像するに難くはない。氏に謹んで敬意を表し、ご冥福を心よりお祈り申し上げる次第である。合掌。ご参考まで、米誌フォーブスが氏を評した一文を添える。「クランシー氏が彼の名前を著作に付けるだけで、ベストセラーが保証される。」なお吟遊映人では過去に『レッド・オクトーバーを追え!』と『今そこにある危機』を掲載した。ご覧頂きたい。【レッド・オクトーバーを追え!】はこちらから。【今そこにある危機】はこちらから。
2013.10.06

【伏見つかさ/俺の妹がこんなに可愛いわけがない】◆オタク文化を理解するための入門書これからますます純文学が先細りとなっていく中、ほぼ安定した読者層を維持しているジャンルがある。それが“ライトノベル”と言われる、軽いタッチの読み物である。純文学と明らかに異なるのは、やけに長ったらしい風景描写や、取って付けたような比喩が使われておらず、会話など日常の話し言葉そのままをセリフにしている点だろうか。内容も現代の世相を反映しているのがほとんどで、サブカルチャーについてざっくり知りたい時などは、今の時点で一番売れているライトノベルを読めば、概ね理解できる、かもしれない。数年前からずっと気になっていた小説、それがこの『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』のシリーズである。(略して『俺妹』おれいも)「とにかく売れに売れまくっているではないか。一体何なんだ?」漠然とした感想だが、最初はそんな感じだった。好奇心だけは人一倍旺盛の私は、友人にその話をしてみると、「あ、それなら持ってる」とのこと。さすがはサブカルチャーの最大与党であるオタク文化を知り尽くした友人である(笑) さっそくお借りして読んでみることにしたわけだ。ライトノベルの有りがたいのは、とりわけ考えさせられる深い意味合いもなく、さくさくと読める点だ。『俺妹』についても、表紙のイラストからイメージされるような、もえもえした内容ではなく、青春小説に代表されるようなギラギラした熱血漢を削除した、口当たりスッキリ爽やかな今どきの若者をモデルにした読み物となっていた。あらましはこうだ。主人公の高坂京介は、17歳。ごく平凡な高校生である。妹・桐乃は14歳の中学生。地味でフツーの兄に対し、妹の方は中学生に見えないぐらいの大人びた雰囲気、人目を惹く端正な顔立ち、茶髪にピアス、マニキュアを塗った、イケてる女子中学生だ。とはいえ、学業は優秀で申し分のない優等生である。ところがある時、京介は家の玄関の片隅で、桐乃が落としたらしいDVDを拾う。そのDVDはR-18で、しかも「妹と恋しよっ♪」と題されたアニメパッケージであった。頑固で堅物な父親に見つかったら大変なことになると、とりあえず京介が拾っておくことにした。ほとんどこれまで兄妹で口をきくこともなかったのだが、このことがきっかけで桐乃は、誰にも言えなかった秘密を打ち明ける。それはなんと、正真正銘のオタクで、コレクションしているDVDはぼう大な量だったのだ。しかも、男の京介が面食らってしまうような、半裸の女の子が身体を抱いて恥らっているといういかがわしいパッケージのものが、押入れの中にぎっしり詰め込まれていたのだ。聞けば桐乃は、学校ではファッション・リーダー的存在で、オタクなんかこれっぽっちも興味のない体裁を取っている。だから大好きなアニメについて思う存分話し合える友だちが一人もいないという悩みを抱えていた。そこで兄として、どんなアドバイスをしてやったら良いものか、京介はあれこれ提案してやるのだった。この小説のポイントはやはり、オタク文化への理解を促すものであろう。とても単純なことのようだけれど、実際問題、アニメというのはピンキリで、ジブリの描くような世界的にも評価の高いものからいかがわしい成人向けアニメ、あるいはゲームアニメまで様々だ。だから十把一からげに「アニメだなんて、キモイ」と、低俗に見てしまうのはとても危険である。今や日本のアニメから世界のアニメとしてクール・ジャパンの代名詞ともなっている文化。このサブカルチャーをざっくりと理解する上でも、一読する意味はあるかもしれない。 漠然とした感想で恐縮だが、あえて言わせてもらうなら、純文学にはなかった明るく前向きな世界観を、万人に広めてくれる役割を担うものに違いない。『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』伏見つかさ・著☆次回(読書案内No.94)は原田宗典の「優しくって少しばか」を予定しています。コチラ
2013.10.05

【日本経済新聞 春秋】A・ガードナーという英国のコラムニストが書いている。「人間というものは、いくつかの習慣に上着とズボンを着せたような存在である」(行方昭夫訳)。そう、人生のほとんどは「いつものように」過ぎていく。しかし、そこに割り込んでくる何事かも、またある。 父の会社で働き、父の運転する車でともに外回りをし、会社に戻る道々遮断機が下りた踏切で電車が通り過ぎるのを待つ。そこまではいつもとなにも変わらぬ日常だっただろう。だが、そこで村田奈津恵さん(40)は線路に横たわる男性(74)を見つけ、車を飛び降りて踏切内にはいり、男性を救って自らは命を落とした。 「助けなきゃ」。父が止めるのを振り切った奈津恵さんの、それが最後の言葉だという。たしかに人間は習慣が衣服を着たようなものかもしれない。が、それだけではない。前触れもなしに人生に割り込んでくるできごとにどう向き合うか。咄嗟(とっさ)だからこそ、人の一番奥に潜むものがのぞく。そんなことを考えさせられる。 糸井重里さんに「ひとつ やくそく」という詩がある。「おやより さきに しんでは いかん/おやより さきに しんでは いかん/ほかには なんにも いらないけれど/それだけ ひとつ やくそくだ」。子を思う親の真情はいくつになっても変わらない。目の前で娘を失った父の無念もまた、思わざるを得ない。(10月3日)~~~~~~~~まずもって、村田奈津恵さんの尊い行いに謹んで敬意を表し、ご冥福を心より祈念申し上げます。いまどきこれほどまでに尊い行いがあるのだろうか、ニュースで一報を目にしてそう思った。翌日、数紙で詳細を読むにつけその思いはいっそう深まり、これこそが慈悲であるのかと確信した。そして村田奈津恵さんの慈悲深い行いに対し感謝の念が心の奥底から湧いた。翻って我が身を省みて思った。咄嗟にしても熟慮の末にしても同じ行いは絶対に出来なかったはずだ。私は感謝の念と同じだけ恥じ入った。最澄が上奏したいわゆる山家学生式(さんげがくしょうしき)にこうある。悪事向己 好事與他忘己利他慈悲之極書き下し文にするとこうだ。『悪事を己に向え、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり。』我々は人として善意を思うとき「悪事を己に向え、好事を他に与え」ということは意識の中で保つことが出来よう。それは我慢や修行といった言わば自分との戦いの中にある意識下の出来事なのだ。ただ「己を忘れて他を利する」ことはその結果であり易いことではない。春秋は『咄嗟だからこそ、人の一番奥に潜むものがのぞく』と書く。つまり、日々どれだけ我慢ができたか、どれだけ修行をつむことが出来たか、そういうことであり、またすべての意識を超越した行為になる。最澄はその域に達した人を「慈悲の極みなり」といった。村田奈津恵さんは慈悲の人であった。慈悲の極みを為した人であった。あらためて村田さんに感謝を申し上げ、少しでも「忘己利他」に近づけるように日々の精進を重ねようと深く誓うものである。村田さんに衷心の合掌を捧げます。それにつけても私も子の親として、ご尊父の胸中は察するに余りある。令嬢を目の前で亡くされ、いまは慈悲もなにもあったものではなかろう。ただただお悔やみを申し上げるのみであるが、我が心を寄り添わせていただく。一切の生きとし生けるものは永遠であれ、安穏であれ安楽であれ。合掌。
2013.10.04

【秋田魁新報 北斗星】神奈川県箱根のポーラ美術館を訪ねたのは4年前。開館からまだ7年しかたっていなかったが、19世紀フランス印象派の絵画を多数収蔵、美術ファン注目の存在になっていた。近年、収集に力を入れているのが藤田嗣治。数では今や国内最大級だ。 そのコレクションを中心とした「レオナール・フジタ展」が東京・渋谷で開かれている(来月14日まで)。出張ついでに足を運んだ。有名な乳白色以外にも、多様な表現に挑んだ藤田の画業をたどる展観だった。会場は人であふれ、あらためて知ったのは藤田人気のすごさだった。 その藤田の代表作の一つである大壁画「秋田の行事」を展示する新県立美術館が本オープンした。新美術館での展示を心待ちにした大勢のファンが詰めかけ、見入っていた。 世界で最も有名な日本人画家と言われながら藤田の芸術と生涯に関する研究は必ずしも十分ではない。母校東京芸大では親族から寄贈された日記などの研究が進められているという。新美術館にも藤田研究の拠点としての役割が期待される。 開館記念展では、ウッドワン美術館蔵の壁画「大地」や、パリにある壁画「花鳥図」の再現展示も行われている。いつか国内屈指とされるポーラ美術館との提携企画があれば、それこそファンも喜ぶであろう。 全国の藤田ファンを秋田に引き寄せるだけの力が大壁画にはある。吉永小百合さんもCMで語ってくれた。「たった一枚の絵を見に行く。旅に出る理由は簡単でいい」(9月29日)~~~~~~~~秋田が熱い。地方の活況を聞くのは嬉しい事だ。国際教養大学、中嶋嶺雄先生が初代学長として奮闘努力をされた。学ぶに足りぬ環境は何一つなく、魅力溢れるキャンパスは思わずそこに身を置きたくなる。そして、何はさておき図書館は是非行ってみたいと思う。秋田県立美術館、藤田嗣治「秋田の行事」。英知を尽くした空間で、その大壁画を前に素直に圧倒されてみたいと思う。藤田の魔力に心地よく押しつぶされるに違いない。想像しただけでもゾクゾクする。秋田新幹線、スーパーこまち。現代デザインの粋を極めた「形」がスーパーこまちであると言っても過言ではありますまい。流線型とあの「あかね色」のボディーは見て飽きることない。そこに身を置く小旅行を想像するのは至福である。吉永小百合さんのCM。中年諸氏は「小百合さんが行った秋田」というだけで効果は絶大だ。さしたる理由は不要、気品とあのインテリジェンス溢れる姿を前に、もはや心は秋田なのである。そして何より、秋田には『秋田魁新報』という地方の雄たる新聞社があるのだ。私は縦書きコラムという秀逸なアプリを使いはじめてから日々、コラム『北斗星』を追ってきた。地方新聞の最大の役割は地方繁栄つまり『地方を利せんが爲なり』だと私は信じて疑わない。だから先んじて天下国家を論じ自己満足に耽る地方紙は鼻白む思いがするのだ。『北斗星』は愚直なまでに身の丈を守る。それがとても真摯なのだ。何よりわかりやすいコラムは、コラム氏が読者を眼に浮かべながら執筆していることを想像するに難くはない。ちなみに、かつての『北斗星』にこうある。『自分の足元に価値を見いだすことができれば、地方だってさらに成熟する。』前向きで建設的な自己分析を、徹底的に重ねて出来上がった崇高な理念だと思う。そしてその最前提として次のキーワードを掲げている。『都市の繁栄をうらやむ地方』その脱却というわけで、秋田はそれに成功したということではないだろうか。翻って鳴かず飛ばずの地方を見るに『都市の繁栄をうらやむ地方』に陥ってしまったように見受けられるのだ。秋田は『都市の繁栄をうらやむ地方』から這い上がったのだ。その結果、秋田は今ベクトルが集結しているのである。そしてそれはとてつもなく大きな力である。少し唐突だが、学力テストの力は見せかけのものではない。私はそう確信する。ベクトルの集結には、やはり教養は絶対条件なのではないだろうか。そう考えると秋田はまだまだ序の口だ。後世畏るべし。そして見習うべし、おおいに見習うべしである。残念ながら私は秋田には縁もゆかりもないのだが、遠地から、そしてさしたる力もないのだが、秋田を応援させていただきたい。それにしてもこれは行かないという法はない。こまちでススッと行くのもよし。左に日本海を眺めながらローカル線で行くもよし。その折はできれば各駅停車を乗り継いでいけたら最高だ。リニアの話は脇におき、ノンビリ日本海を眺めながら行きたいものだ。秋田行きは値千金の旅になること間違いなしだ。眼前の予定を捨ていざ行かん秋田へ。
2013.10.03

虎造と寝るイヤホーン春の風邪 変哲このところ涼しくなったり暑さがぶり返したり、そして日中の寒暖の差が激しく身体がついていかない。そこへもってきての不養生がたたってか風邪をひいた。寝込むほどではないが、これ幸いとばかりに所用を遮って午後を寝床で過ごした。その実は落語傾聴である。志ん生師を三つほど聴くうちに変哲こと小沢昭一さんの俳句を思い出した。季節は異なれど妙句である。飄々としたところは小沢さんそのものである。小沢さんは浪曲か。そういえば氏の語る芸は領域が広かったなぁ。落語の志ん生論も卓越していたなぁ。そう思うとiPod越しの志ん生師の声も、いつになく哀愁をおびて聞こえてくるのだ。こんな午後もたまにはいい。ね、小沢さん。志ん生と寝るiPod(アイポッド)秋の風邪 吟遊映人もじる
2013.10.02

山崎豊子さんのご冥福をお祈り申し上げます。巨星落つ。社会派作家の山崎豊子さんが亡くなられた。残念な限りである。あのペンの代者はいない。山崎さんの、特に後期の作品を読むにつけ、その徹頭徹尾で時に冷徹なるまでの取材を推察するに難くはない。売れっ子社会派作家の裏で、どれほど孤独でつらい作業を地道に続けてこられたことであろうか。謹んで敬意を表し、山崎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げる次第である。吟遊映人では『読書案内』で過去に【山崎豊子/花のれん】を掲載した。こちらからご覧いただきたい。また映画評では山崎さんが原作を執った『沈まぬ太陽』を掲載した。合わせてこちらからご覧いただきたい。
2013.10.01
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