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2013.12.15
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テーマ: コラム紹介(119)
カテゴリ: コラム紹介
【朝日新聞 天声人語】
20131215


苦楽をともにしてきた老妻が死んで、葬式もすんだ。隣家の奥さんが通りかかって「お寂しゅうなりましたなあ」。「一人になると急に日が長(なご)うなりますわい」。つぶやく夫の向こうに瀬戸内の海――。変哲もないシーンながら、映画「東京物語」のラストは何回見ても胸にしみ入る。

監督の小津安二郎は「映画ってのは、あと味の勝負だと僕は思ってますよ」と後に語っている。その術に心ふるわせたファンは多かろう。世界的な巨匠の、きょうは誕生日にして命日。生誕から110年、没して50年にあたる。

作品の多くは、家族や人のつながりを「無常の相」としてとらえる。古き良きものが崩れていく現実が淡々と示される。作詞家の故・阿久悠さんは小津映画を見ながら、家の間取り図を描いたことがあったそうだ。

そこでは家族それぞれが、他の家族を見るともなく目の端に入れながら暮らしている。盆栽をいじる父、料理をする母、本を読む妹、グローブに油を塗る弟――。「絆」という語をあまり叫ばずにすんだ時代かもしれない。

いま、「孤」という字が社会にのさばる。むろん家族にも地域にも煩わしさや重荷はある。それを嫌って、つながりを断ち切る方向にアクセルを踏みすぎて来なかったか。功と罪を、古い映画は問うているかのようだ。

「おれは豆腐屋だから豆腐しか作らない」と言って作風を変えなかった。今ならどんな映画を撮るだろう。その墓は鎌倉の円覚寺にあって、「無」の一文字が刻まれている。
(12月12日)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ふたたび小津監督である。先の記事は コチラ をご覧いただきたい。

朝日新聞も負けじとばかりに小津監督を扱った。
「道徳」というと妙に反応する朝日新聞なのだが、記事はなんとも「道徳的」ではないか。
とはいえ、こういうコラムを目にすると、サスガは朝日、そう思わないではいられない。「道徳的」なところが鼻白まないでもないが、それもご愛嬌だ。
一定の抑制も感じる。今日はわきまえているのだ。

やればできるじゃないの、天声人語さん!

それはそれとして、小津監督はやはりいうことが違う。

「映画ってのは、あと味の勝負だと僕は思ってますよ」


その気分を起すのが小津監督のいう『あと味』なのだ。豆腐屋は正鵠を射る。
何事も、ふたたびという『あと味』にさせてこそ真(一流)となる。だから『あと味』のないものは即ち贋(三流)である。

余談ながら昨今、サービス業界で言われている「顧客満足」のもとになるのも、「ふたたび」の気分にある。
物が売れない、客が入らない、そうお嘆きの企業や店舗に共通するのは、商品やサービスに「ふたたび」の気分が起きないということだ。つまり、小津監督の言う『あと味』がないのである。
新規開拓に汲々としているところは疲弊し、やがて没落の憂き目を見る。それは映画も店舗も同じことなのだ。

「人は自分の置かれた、その中で最善を尽くすほかないでしょう」


(移ったり辞めたりを繰り返す議員さんとは大違いなのだ。)
墓石に「無」と刻ませることだけはある。いまだ拝んではいないが、円覚寺の「無」は、さぞやさまになっていることであろう。

ときに天声人語さん。

『今ならどんな映画を撮るだろう。』

これは無粋だ。そして『あと味』の何たるかをご理解いただいていないというものだ。
まずは、『何回見ても』胸にしみ入ったという「東京物語」を、もっともっと見てほしい。

それはそうと。
「剣岳」で気をよくしたのか、木村キャメラマン改め監督が、またメガホンを手にしたそうだ。
しかも山が舞台と言う。木村氏らしい。
小津DNAの最後が木村氏あたりになるのだろうか。封切の折は、是非とも劇場に馳せ参じたいと思う。

新作に思いを馳せ、亡き大監督を偲ぶ師走半ばであった。

20130124aisatsu





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最終更新日  2013.12.15 06:07:59


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