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一回気に入ったらずっと好きってタイプなので好きなミュージシャンはそれはもうたくさんいるわけなのだけど、普通「好きなミュージシャンは誰?」って聞かれたら、長年ナンバー1に好きな人とか、近頃ナンバー1に好きな人とかをあげるんだろうなあと思うので、この質問をされるといつも躊躇する。困る。困りつつ、なんとか名前をあげるのだけど、「でも明日は違うかもしれないんで」っていうような複雑な気分になってしまう。私はナンバー1を決められない(笑)それどころか、ナンバー5でも無理。「近頃、一番、好きな曲」とか、「今年、一番、好きなアルバム」とかだったら、すんなり答えられるんだけど。ジャンルですら、一番好きなのはこれというふうには答えられやしない。私の場合、好きなミュージシャンの順位は、毎日毎日、くるくると変わってる。ちなみに、今この瞬間なら、一番好きなのはルースターズ。 今日の一曲『どうしようもない恋の唄』 ルースターズ
2004年10月30日
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この前、たけしの本当は怖い家庭の医学(だっけ?番組タイトル)で、破傷風のことをやっていた。この番組って、ドラマ形式で、気になる症状を出してから、「さて、病名は?」みたいな感じに進んで行くのだけど、今回は私、すぐさま、これ絶対に破傷風だ!って思った。もう、庭でかすり傷を負ったという、そのシチュエーションだけでビビッと来た。それというのも、小学生の頃に、テレビドラマの再放送で破傷風を知り、それからかなりの間、破傷風に怯える日々を送っていたからだったりする。全身ガクガク震えて痙攣起こして・・・という、子どもの目にはあまりに壮絶な症状。しかも進行早いし、死んでしまう可能性の高い病気だし、原因が思いっきり身近。(傷口に破傷風菌が入ってしまうと破傷風になります。 そして、どこの土にも破傷風菌はいるのです)ただし破傷風の予防接種を受けていれば大丈夫。100%確実とは言えないかもしれないけど、たいがいは大丈夫。ということを、母がさっさと教えてくれてれば、あんなに長い間、恐怖に怯えることもなかったんだけど(笑)まあ、とにかく、或る時期、真剣に怯えていた病気なので、私には、破傷風という病名が、すぐピンと来たというわけ。で、「だけど自分は予防接種してるから大丈夫だもんねー」と、余裕の笑みで番組を見ていたわけなんだけど・・・なんとなんと、破傷風の予防接種の効果は生涯続くものではないらしい!もう、びっくり。というか、すごく怖い。ああ、幼い頃の恐怖が甦る。破傷風だけはいや。絶対いや。そんなわけで、もう一回、予防接種を受けなくてはと、固く心に誓った私です。 今日の一曲『DNA』 川本真琴
2004年10月29日
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アジアン・カンフー・ジェネレーション(アジカン)のNEWアルバムがリリースされました。シングルとしては「サイレン」「ループ&ループ」「リライト」「君の街まで」などがリリースされていたのですが、アルバムは1年ぶり。それだけに、もう、ほんと、心から待望の!って感じで、ワクワクしながらCDのスイッチ入れたのですが、聞いた後にはもっともっと心弾んじゃいました。すごい、すごい。かっこよすぎる。大好きだー。前作以上に気に入りました。旬のバンドだけが持つ魔力みたいなものを感じます。とにかく大満足。私がアジカンのどこに惹かれるかっていったら音です。(ボーカルも含めて音ですよ)歌詞の意味を考えて・・・っていうんじゃなくて、ひたすら感覚的にガーッと惹きつけられるって感じ。理屈じゃないですね。理屈じゃなく好きなのです。私の今年のお気に入りアルバムナンバー1は、このアルバムに決まりそう。スネオヘアーのアルバムももうじき出るのでひょっとしたらそっちになるかもしれないし、アシッドマンも気になってたりするのですが、とりあえず11月の今の段階では『ソルファ』がナンバー1。ちなみに身近な友人の、今年のアルバムナンバー1は、BUMP OF CHICKENの『ユグドラシル』今日の一曲『リライト』アジアン・カンフー・ジェネレーション
2004年10月28日
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自分でも、なんでこうやって「ファンってわけではなかったんですけど」って人ばっかり取り上げてるんだろうか?って気がするんですけど、今回も、自分にとって、「ファンってわけではなかったんですけど歌が好きでした」という存在の人、沖田浩之です。デビュー曲は「E気持」でした。(阿木燿子作詞、筒美京平作曲、船山基紀編曲)大胆な歌詞ということで話題になりましたが、自分としては歌詞より彼の歌の上手さに驚きました。当時は、十代のアイドルといえば歌が下手なのが当たり前、という時代だったのです。メロディーもポップで好きな感じだったので、こんな歌詞じゃなけりゃなーと思いました。(阿木さん、ごめんなさい)その後「半熟期」「はみだしチャンピオン」も過激な歌詞で、こんな歌詞じゃなけりゃなーと思ってはいたのですが、(またまた阿木さん、ごめんなさい)ますます、この人の歌声が好きだなあと思いようになりました。鼻にかかっていて甘さのある声なのですが、歌い方にキレがあるせいか、甘ったるいって感じではなくてシャープさのある歌声です。そして4曲目。阿木燿子作詞、筒美京平作曲、鷲巣詩郎編曲の「俺をよろしく」この曲が、私はもう、すごくすごく気に入ってしまったのでした。歌詞はこれまでの曲に比べると、ぐんとシンプル。ミディアムテンポのメロディーで、当時としてはかなり洒落た感じの曲でした。だけど、それなりにしかヒットしなかったので、たぶん、ほとんどの人の記憶に残っていないことでしょう。残念なことです。ついでに書くと、シングルじゃないので、さらに知っている人が少ないであろう曲、「どうにかなっちゃう前奏曲」(阿木・筒美・鷲巣トリオの曲)も好きでした。その後も、いろんなタイプの曲を歌っていて、私は注目していたのですが、人気が落ちて行ってしまい、いつのまにか歌わなくなっていました、沖田浩之。私は彼のベストを持っていて、時々聞くのですが、聞く度に「やっぱり好きだなあ」と思います。「今はもう声質が変わってしまっているだろうけど 新しい曲をリリースしてくれたら聞いてみたいな」とも思います。だけど、次の瞬間、思い出すのです。彼が既にこの世にいないってことを。新しい曲は、絶対にリリースされないんですね。覚えている人はそんなにいないかもしれないけれど、魅力的な声の人だったんですよ、沖田浩之。 今日の一曲『俺をよろしく』 沖田浩之
2004年10月27日
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私は大の泣き虫だった。自分以上の泣き虫には会ったことがなかった。全国泣き虫選手権があったら優勝していたかもしれないほどの泣き虫だった。それはもう、悲しければ泣き、怒っても悔しくても泣き、嬉しくても泣き、感動しても泣き・・・と、肉体的な苦痛じゃ泣かなかったが、感情、大波小波、波に乗って泣きまくりの日々だった。私はいじめられっ子だった。でも気が強かった。負けず嫌いだった。なので、よく立ち向かった。暴力なんて考えつかなかったから口で勝負。けれども、鼻水たらして、涙ボロボロなので、いまいち迫力なかった。余計、笑われるだけだった。悔しかった。悔しくてさらに悔し泣きボロボロ。今はさすがに泣き虫選手権で優勝するほどではないけれど、でも、今も、かなり涙もろい自分(笑)「涙を武器に」って言われるのがすごくいやだから、ぐっと、こらえたりしているのだけれど、でも、本音を言うならば、そうじゃないこと、わかって欲しいなあ・・・。 今日の一曲『ええねん』 ウルフルズ
2004年10月26日
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子どもの頃、はじめてピザ屋さんに連れて行ってもらい、「なんておいしいんだろう!」と、大喜びで食べ過ぎて、具合が悪くなって以来、ピザが嫌いだ。ウイスキーもはじめて飲んだ時に「ウイスキーって飲みやすいのね、おいしいのね」と、調子に乗って飲み過ぎて、具合が悪くなって以来、一切飲めなくなった。食べ物以外ではジェットコースター。最初の頃はそれはもう大好きで、遊園地に行く度に乗っていたのだけれど、ある日、「今日は思う存分、好きなものに乗っていいぞ」と親から言われ、嬉しくて、バカみたいな回数を連続で乗ってしまい、最悪の事態になってから、乗れなくなった。と、この手の失敗は、他にもわんさかあるのだけれどキリがないので、やめておこう。 今日の一曲『MY WINDING ROAD』 THE YELLOW MONKEY
2004年10月25日
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「気難しい」と思われるの、いやですね。傷ついちゃうとか、腹立つーとかの類の気持ちになるわけじゃないですよ。「そんなことないのに、決め付けるなんてひどい」とも思いません。自分の場合、実際、気難しいわけだし(笑)そういうことじゃなくて、単純に、「この人、気難しいから、気を遣わなくちゃ」と相手が思ってしまったらいやだなって。いやっていうか、気が重いって感じなんですけどね。だから、「気を遣わなくちゃ」と考えないタイプの人から「気難しい奴」と思われるんだったら、全然いやじゃないです。「いちいち面倒くさい野郎だなー」と言われても良いですね。「しょうがないじゃーん」と開き直ってられるので、むしろ、その方が、自分としては良いくらいなのです。くだらないことで言えば、昨日の日記に書いた舌打ちだって、そんなもん、別に人に迷惑かける類のことじゃないのだから、本人の自由です。そして私が「美しくないな」と感じるのも私の自由です。お互いに自由。私は、それがいい。・・・例が、くだらな過ぎるせいか、しまりの悪い終わりになっちゃったなあ(笑) 今日の一曲『青春狂騒曲』 サンボマスター
2004年10月23日
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結構見かけるし、なんとも思わない人の方が多いような気もするのだけど、私は舌打ちがイヤ。「ちぇーっ」と声に出して言うのはOK。私もたまにふざけて言うし。イヤなのは、舌をチッと鳴らす本格的(?)な舌打ち。美しくないと思う。もっとはっきり言っちゃうと、品がないなって。あと、美しくないな、品がないなと思うのは、くちゃくちゃ音をならしたり、口を思いっきり動かしながらガムを噛んでる姿。それから、食事の際に、口を拭いたその紙を、無造作に置いているのなんかも、「紙を折りたたんで汚れを隠せばいいのになあ」と思ってしまう。特に口紅がべったりついていたりするとなんだか見てはいけないものを見せられているような気がして何気ないふりでお皿の下に隠したりしてしまう自分です。しかも、「気難しい」と思われたくないから、こっそりと(笑) 今日の一曲『冬のセーター』 ブランキージェットシティ
2004年10月22日
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私は飴が好きです。いろんな味の飴が好きです。部屋には、さまざまな飴を入れたガラスの器を置いています。新製品チェックにも余念がありません(これは嘘)一番気に入っているのは、柑橘系味の喉飴です。甘くて、苦くて、すっきり爽やか。ああ、おいしい。二番目は、バターボールってやつです。その名のとおり、バターの飴なんですけどね。バターボールは、舐めないで、ガジガジ齧ります。何故、齧るのか。特に理由はありません。私にとってバターボールは齧るものなのです。子どもの頃は、飴って嫌いでした。べとべとした感じがイヤだったんです。私には、前は嫌いだったけど今は好きってやつがとても多いです。自分としては、好みの幅が広がったんだなーと、喜ばしい気持ちでいっぱいです。もしかすると途中で別人になったのかもしれないですけどね。 今日の一曲『モノクロレター』 矢井田瞳
2004年10月21日
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昔々、ジャニーズ事務所に、たのきんトリオという変な名前の3人組がおりました。た →田原俊彦(トシちゃん)の →野村義男(よっちゃん)きん→近藤真彦(マッチ)の3人です。普通に考えれば「たのこん」じゃないのかな?という感じがしますが、「たのこん」だと「大根」とか「闘魂」とかみたいで、変だから「たのきん」にしたのかもしれないですね。どっちにしろ変ですけどね。それはともかく、当時、彼らは、すごい人気でした。「キャー!トシちゃん!!」「I LOVE マッチー」みたいな勢いでした。「よっちゃーん」と叫んでいる人はあまりいませんでした。「よっちゃんが好き」と言うのは、ある種、ネタでした。「うっわー。あんたってマニアックー」みたいな。今になってみると、3人の中で、野村義男が一番かっこいい生き方をしているようなのですが、当時はそんなふうでした。私、ココナツは、強いて言えば、マッチ派でしたが、「選ぶんだったらマッチかなあ」程度だったので、「マッチが好きだった」とは言えませんね。まあ、それはともかく、私は、トシちゃんこと、田原俊彦のことが大嫌いでした。何が嫌いって、ルックスが嫌いでした。キャラクターが嫌いでした。そんな私は、頭をふってアハハハと笑う様をオーバーにモノマネしては、下敷きに俊彦命と書いてる友達に怒られていました。ところがところが、実は私、誰にも秘密にしていたけれど、彼の歌自体は結構いいんじゃないかと思ってました。最初は「曲はいいんだけど歌声がねー」と思ってたんですが、次第に「この脱力気味な歌声も悪くないかも」という感じになったので、歌自体は結構いいんじゃないかと。まあ、いわゆる和製ポップスなんですけどね、ねっとりじめじめした感じがないんです。なんかもう、ひたすら明るく軽やか。暗い感じの曲もあるにはあるんですが、乾いている感じなのです、暗さが。気楽に聞くのにぴったりな感じです。で、この『チャールストンにはまだ早い』は、彼の曲の中で私が一番好きな曲です。ラッツ&スターっぽい感じの小粋な曲です。というわけで、今でもたまに、田原俊彦ベストを聞いている私です。あんなに大嫌いだったはずなのに!(笑) 今日の一曲『チャールストンにはまだ早い』田原俊彦
2004年10月20日
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雪が降りました。というわけで寒い寒い寒い。職場でも寒くてブルブル震えながら「カイロを買って来ようかなー」とか言ってたら、「こんな程度でそんなに寒がるなんて」と、ばあさん呼ばわりされました。自分の親と同じ年齢の女の人からばあさん呼ばわりされたので複雑な気分です。どうせなら「じいさん」と呼ばれたかった。じいさんと呼ばれるならばそんなにイヤじゃない気がする。じじぃ、だとしても、結構いいような気がする。だけど私は、じいさんにはなれない。ばあさんにしかなれない。残念だ。それはともかく、寒いので、手袋を買うことにしました。とりあえず100円均一のお店で物色しました。冷静に考えれば、ただの焦茶色の手袋だったのですが、心の中のケチケチ星人が「結構、可愛いんじゃなーい?これにしちゃえばー」と囁いたので、その気になって買いました。帰り道、早速、はめてみたところ、なにやら変な毛糸が出ていました。何も考えず引っ張ってから、「おおっと。こういうのは引っ張ってはいけないんだった」と思い出したのだけれど、思い出すのが遅すぎました。おかげで、買ったばかりなのに穴あき手袋になってしまいました。北風と一緒に、安物買いの銭失いという言葉がひゅるるるーっと、剥き出しの親指を冷やして流れて行きました。 今日の一曲『I LOVE YOU』 尾崎豊
2004年10月19日
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そろそろ初雪かな?という時期になって来た。冬かぁ。もうじき自然の緑が見られなくなってしまうなー。というわけで、やけに、お花屋さんに惹き付けられてしまう今日この頃。緑はいいなあ。心が和むよ。最初はブライダルベールみたいに、たれさがる感じの葉っぱを買おうかと考えてたのだけど、いろいろ見ているうちに、目移り。盆栽にまで目が行っちゃったりして(笑)あ、いや、でも意外と、和の感じで素敵かもって気がするんだよ、盆栽も。 今日の一曲『スイレン』 大森洋平
2004年10月18日
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私は「ガンバレ」って言葉にちょっとばかり神経質で、人に言う時には躊躇しちゃったりする人間なのですが、にもかかわらず、どうも昨今の「ガンバレって言葉を気安く言うのは良くない」的な風潮は好きではないのです。相手によるというか、場合によるというか。簡単に言えば、「良くないとまで言っちゃうのは極端だよ」と思っているってことなんですけど。世の中、極端なことが多いですね。「生徒の意思を尊重しましょう」って、尊重し過ぎだろ?みたいなこととか、「一人一人の自由や権利を尊重しましょう」って、範囲越えてないか?みたいなこととか。誰かに対してちょっと否定的なこと言うだけでも「悪口は良くない」と言い出す人がいたり。悪口なのか、これも?と思うんだけど。あとストーカーもね。「いや、それは普通に恋でしょう」って程度のことも、ストーカー呼ばわりとか。で、これらに対して、「それはちょっと極端なのでは?」と言うと、「あなたはガンバレと言われて 強いプレッシャーを感じる人の気持ちがわからないのか」とか、「個人の意思や自由をないがしろにしていいと思ってるのか」とか、「悪口を良いことだと思うわけか?」「ストーカーを認めるのか」とか、言われちゃったりしてさ。だからそれが極端なんだってば(笑)今日の一曲 『Life is Like Boat』 Rie fu
2004年10月16日
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世の中には理不尽なことがいっぱい。だけど、「そういうものだから」と思えば気持ちが楽になる。というか、「そういうものだから」と受け入れられるようになったら気持ちが楽になる。そして実際、「そういうもの」である場合が多い。だから「そういうものだから」と受け入れることは、自分の精神衛生上、悪いことではないと思うのだけれど、「そういうものだから」と受け入れてしまったら、そこで思考が停止してしまう。そして、忘れちゃならないのが、「そういうものではあるが、理不尽には違いない」ということで。だから私、心に余力があるならば、「そういうものだから」と受け入れるのを先延ばしにした方が良い場合もあるんじゃないかな?って思ってる。 今日の一曲『今宵の月のように』エレファントカシマシ
2004年10月15日
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言いかけて「あ、やっぱりなんでもない」と言うのをやめちゃう人。だったら、最初から、言わないで欲しい。すごく気になる。私は大体において、あっさりさっぱりしてる方だし、自分から相手のプライバシー領域に踏み込んでくタイプでもないので、「どうせ追求されないだろう」と、相手は見くびっている(笑)みたいなのだけど、こういう時は、とってもしつこい。すっきりしないんですよ。怒りすら感じちゃいますね。自分からその話題を出したくせに、話の途中で「もういいや。 どうせ言ってもわかってもらえないみたいだから」と、打ち切るなんていうのにも、イラっと来てしまう。自分が悪いのかもしれない。だけど、あなたが言い始めた話なんだから最後まで話しなよと思う。最後まで話してから、判断してもらいたい。そもそも「わかる」って言葉を人はよく口にするけれど、自分の気持ちに同意や共感してもらうことを「わかる」と言うのだとしたら、私なんか、わからないことだらけだ。私は、会話における「わかる」っていうのは「話の内容を理解すること」だと思っている。私が話をする時に望むのは、話の内容を理解してもらうこと。日本語を使う者同士の会話で、「話の内容を理解しあえない」なんてことは、そうそうあることじゃないから、自分は会話する時には、「わかってもらうこと」を諦めてない。同意だの、共感だのってことは、そのあとのことだと思ってる。 今日の一曲『黄昏サラウンド』 リップスライム
2004年10月14日
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この曲は竹内まりや作詞作曲です。80年代前半のこの時期は、「テレビに出ないミュージシャン」がたくさんいたのですが、そんな彼らがアイドルに曲を提供するってことが、よくありました。私はアイドルの曲を聞いて、「この曲いいな、誰かな?」って感じで、作詞作曲したミュージシャンに興味を持つことが少なくなかったのですが、竹内まりやも、そんなふうに興味を持って、好きになったミュージシャンの一人です。『Invitation』は、キラキラした感じの前奏で始まる、ゆったりした曲。タイトルから察せられるとおり、女の子が初めて彼の部屋に遊びに行くという設定の歌詞です。とても嬉しくて、だけどちょっと怖くてって感じが伝わって来るような歌詞。河合奈保子の、伸びやかな声もきれいだし、とても可愛らしい感じの曲だと思います。ところで私は、ずっと、河合奈保子って人に魅力を感じていませんでした。「すべてにおいて真面目で明るい」って感じが、どうもつまらないというか(笑)嫌いではなかったですけどね。そういう感じがするのに、結構大胆な歌詞の歌を歌うところに居心地悪い感じがしてた部分もあったかな。だけど、この曲の一つ前に発売された『けんかをやめて』(やはり竹内まりや作詞作曲)とこの曲『Invitation』で、結構好きだなと思うようになったのでした。これは河合奈保子と竹内まりやの相性が抜群だった、ということもあるのかもしれないです。竹内まりやの、ゆったりしたメロディーによって、河合奈保子の伸びやかな声がさらに輝いたと思うし、変に大胆ではないのだけど、どこか翳のようなものがある歌詞が、彼女に合っていたのでは?と思います。(というのは、私の中での話だけど)ところが河合奈保子、そのすぐ後、イメージチェンジをはかったのです。大人の女への脱皮ってやつだったのでしょう。セクシー路線へ。そういう系の歌詞を書かせればこの人!って感じの売野雅勇が作詞。(『少女A』の作詞をした人と書けばわかりやすいですね)大胆な衣装で踊りながら、(くちづけていいのよ あなた)とか歌っちゃって。びっくりしました。歌が上手な人だから、何歌ってもそれなりにいいんだけどさ、でも、あんたのキャラクターと違い過ぎはしないか?みたいな、妙な違和感が・・・。路線変更で一時は人気上昇、だったのですが、その後、下降。当時、あんなに売れてたわりに、今、ほとんど話題に出ることもない河合奈保子。おそらく、デビュー当時からの熱烈なファンの多くは、路線変更の時点で離れてしまっていたのでは。河合奈保子は変な路線変更などしない方が人気を持続できたんじゃないかなあ?ついつい、そんなことを思ってしまう私です。ま、わかんないけどね。 今日の一曲『Invitation』 河合奈保子
2004年10月13日
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不自然なのって、私はどうも駄目で。だから、わざとらしい雰囲気とか、みんなしてドラマの台詞を喋ってるみたいな感じとかって、すっごく居心地悪い。「うわぁ、苦手な世界だなあ」って思ってしまう。私の目には不自然に映ってるけれども、本人たちにとっては自然なのだろうから、「なんと不謹慎な自分め」とも思うんだけど。あまりの居心地悪さに、ついついふざけたことを言いたくなってしまう。さすがに、それはまずいだろうって時には、みんなのおしゃべりの輪から抜け出して、一人で別の方向見ながらコーヒー啜ってたりしてる。だけど、自分の言葉で喋ってるんだなって思える時は熱くてクサい言葉でも、大真面目な優等生発言でも、善人色炸裂の言葉でも、「わざとらしい」とか「ドラマみたい」なんて、余計なことが頭に浮かんで来ることはなくって。そんな時には、「苦手な世界」どころか、むしろ、「好きな世界」だったりする。 今日の一曲『僕の見たビートルズはTVの中』 斉藤和義
2004年10月12日
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不思議なこととか、謎とかが、大好き。「どうしてなのかなあ」って推理するのが面白いの。不思議であればあるほど、謎めいていればいるほど、惹き付けられちゃうのだけど、そういうものほど、いくら調べても、いくら考えても、わからないんだよね(笑)どっちかというと根気ある方なんだけど、人並みはずれて根気あるってわけではないから、しまいに、わからないことに疲れちゃって、「うーん。とりあえず保留」って、なっちゃう。諦めてしまうんじゃなくて、保留にしとくってとこが、なにかと優柔不断な自分っぽいなあって思う。 今日の一曲『Hey my friend』トミーヘヴンリー
2004年10月11日
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埼玉県で起きたネット心中のニュース。どこかの学者の発言が私はとても不快だった。自殺者の中に主婦が含まれていたことについての発言。「親子無理心中だったら まだ親としての心情が理解できるんですよ。 遺される子どもが不憫だ、 という親心があるわけですからね。 今回のように自分だけ死ぬ母親っていうのは、 遺される子どもの気持ちをまったく考えていないですね」これじゃあ、子どもを遺して自分だけ死ぬ親より子どもを巻き込んで無理心中する親の方がまだましだと言っているようなものだ。そんなこと、テレビで言うなよと思った。影響される人がいないとも限らないじゃないか。私は無理心中する親より一人で死ぬ親の方が、絶対、ましだと思う。というか、つねづね親子無理心中のニュースを見る度、「なんで子どもを殺すんだよ。 どうしても死にたいなら自分だけで死んでよ」と、腹が立っている。無理心中で死んでいく子どもをこれ以上、増えさせないために、世の中全体に、「無理心中する親は最低」の意識が広がればいいのにと思っている。無理心中する親に対して理解を示すべきじゃないと思っている。だから、この学者の発言は、とても不快だった。 今日の一曲『ルカ』 スザンヌ・ヴェガ
2004年10月09日
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子どもの頃、ゴミ捨て場から物を拾って帰ると「みっともないと思わないのか」と親に叱られた。物を拾うことのどこがみっともないのか、自分にはわからなかったので、みっともないと思わないよと返事した。すると、親は、「よその人から笑われて恥ずかしくないのか」と言った。自分自身がみっともないと思わないことで笑われたからってなんだっていうんだろう?と思った。恥ずかしくない。でも、それを言うと、余計叱られた。「貧乏だと思われて恥ずかしくないのか」とも言われた。しかし、どうして貧乏だと思われると恥ずかしいのかも自分にはわからなかった。「貧乏なのに、お金持ちぶりやがって」と思われたら、恥ずかしいけど、「貧乏なんだな」と思われても、別に何とも感じない。大体、そのあたりで「あんたとは話にならない。勝手にしろ」と、親はブチ切れてしまってた。そのわりに、また物を拾って帰ると、同じ会話が繰り返された。「勝手にしろって言ったから」と言うと、地団太踏むような勢いで親は怒ったけれど、じゃあ勝手にしろなんて言わなきゃいいのにさと私は思ってた。今、振り返ってみて思うのは、本当に話になっていなかったなあということ。価値基準がまったく違う者同士の会話の場合、質問形式で話を進めるのには無理があるような気がする。あの頃、私は、「恥ずかしくないのか」と聞かれたから、「恥ずかしくないよ」と答えていたのだけど、「貧乏な家だと思われると私が恥ずかしいからやめてくれ」と言われていたならば、案外、「あ、そうなんだ。そんならやめるよ」と、答えていたんじゃないかと思う。 今日の一曲『花』 オレンジレンジ
2004年10月08日
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同僚が「彼にやつあたりされた」と怒っていた。こいつには甘えても大丈夫、みたいな気持ちがあるんだろうけど、やつあたりされるっていうのは本当にいやなものだと思う。なので「ひどいね」って感じで話を聞いていたのだけど、彼女が、「あの人、いいとしして、子どもっぽすぎ。 大人って、やつあたりなんかしないものだよね」と言ったので、それはどうだろう?と思った。言いたいことはわかるんだけど、でも、実際のところ、やつあたりって、子どもより大人の方が多くないですか?(笑)この際、考え方を変えて、「あの人って、ほんと大人っぽいわ。 だってやつあたりなんかするんだもの」と思うってのも面白いかも。と言ったら、「面白くないよ!」と怒られた。 今日の一曲『さらら』 ハナレグミ
2004年10月07日
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中学の頃、オフコースの一大ブームが訪れました。その年の学校祭の、合唱、合奏は、ほとんどのクラスがオフコースの曲でした。そして私のクラスが合唱したのがこの曲、『愛を止めないで』前奏なしでいきなり歌い始めるってところが難しかったことを覚えています。うちのクラスはただでさえまとまりのないクラスだったので、ほんっとバラバラ。しまいに誰かが、「下手な人は声を出さないでよ!」と怒り出したんじゃなかったかと思います。そうしたギスギスしたムードで、 「愛をー止めないでー そこからー逃げないでー♪」と歌っていた私たち。正直、逃げたかったです。私ですか?結局、プレッシャーのあまり、サビ部分しか歌えませんでした(笑)それはともかく、この歌自体は、とても好きです。メロディーだけじゃなくて歌詞もいいですね。合唱ではちゃんと歌えませんでしたが、今でもたまに口づさんだりしているし、たまにどこかで耳にすると、気がついたら一緒に歌ってたりします。もっとも、『さよなら』『言葉にできない』『愛の中へ』『夏の日』『時に愛は』『Yes,No』『Yes-Yes-Yes』などなどの曲も、やっぱり、どこかで耳にすると、気がついたら一緒に歌ってるんですけどね☆ 今日の一曲『愛を止めないで』 オフコース
2004年10月06日
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私の場合、記憶って、引き出しに入れているって感じです。「よくそんな昔のことを詳しく覚えているね」と驚かれることが多いのですが、いつも記憶にまみれているわけではないんですよ。引き出しから取り出しているだけなんです。こんな私は、「やたらと忘れっぽい人」でもあります。無意識に、記憶を引き出しにしまいこむってことをその場その場で、しちゃってるんじゃないのかなあ。それとも、単に、うっかり者なのかな?あ、いや、もしかして、うっかり者の脳のメカニズムってのは、こういうふうになっているのかも。よくわかんないんですけど、こう考えると、やたら忘れっぽいのにやたらと記憶力があることの説明がつくような気がします。自分の場合、たとえば電球が切れて、それを買いに出かけるとします。途中で何か面白いものを見つけたら、自分がなんのために歩いていたのかを忘れます。そうして良い気分で家に帰って、部屋の電気がつかないことに気づいた瞬間、「あーーー!!電球を買いに行ったんだった!」と思い出す、ってタイプです。自転車で出かけて、自転車を忘れて帰ってきたりね(笑) 今日の一曲『カルアミルク』 岡村靖幸
2004年10月05日
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新聞をとらなくなってから半年以上経ちました。最初は「どうだろうなあ?」って感じだったのだけど、結局、自分には新聞は必要ないことがわかりました。別にいらないや。どうして新聞をやめたのかというと、古新聞が邪魔くさかったから。処理が面倒くさかったから(笑)そんなささやかな理由で?と思います?私にとっては大問題だったんですよー。大体、自分は、ニュースはテレビとインターネットでチェックしてるし、しょっちゅう本屋で雑誌の立ち読みもしてるわけだし、これなら新聞購読のメリットって別にないよなーと思って。今、新聞の売上ってどうなってるんでしょうね。この先、どんどん、自分みたいな人が増えて行くんじゃないのかな?という感じがするのだけど。万が一、新聞ってものが、なくなってしまったりすると、きっと寂しいだろうなーと思うので、頑張ってください、新聞社さん。って、自分は購読してないのに何言ってんだか(笑) 今日の一曲『まだ生きてるよ』 槇原敬之 変なタイトルですよね(笑)
2004年10月04日
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問題を解くということは、答を知るということではないと思う。答だけ知っても解いたことにはならない。間違ったり、迷ったり、諦めたくなったりを繰り返しながら思考する。たとえ答にたどりつけないとしても、その「思考する」ってことが、答を知ること以上に価値あることなのだと思う。 今日の一曲『やつらの足音のバラード』 小泉今日子
2004年10月02日
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悪趣味なふざけ方をする友人がいる。どんなかというと、本当の出来事であるかのように作り話をするのである。しかも、その作り話には私が出て来る。「前に、こんなことがあったよね」「ココナツは前にこう言っていたね」当然、私には、そんな記憶はない。あるわけないのだ。作り話なんだから。私は記憶に自信がある方なので「そんなことはなかった。あなたの勘違いだよ」と少しの不安もなく答える。ところが、友人は、「いいや。間違いないよ。 ほんとに覚えてないの?信じられない」って感じで、「・・・大丈夫?」と心配そうな顔までする。それでも、「何、言ってるの? 本当にそんなことはなかったよ」と言い続ける私に、友人は、こと細かに状況を説明し始める。とても筋の通ったストーリー。「それなら、あってもおかしくない」と思ってしまうような巧妙な作り話。私はだんだん不安になって来る。自分の記憶に自信があるだけに、記憶にないということが怖くなる。私は頭がおかしくなったのか?という意味の怖さだ。無意識に恐怖から逃れようとしてしまうんだろうか。そのうちに私は、それが本当にあったことのような気がして来る。「そういえば、そんなことがあったのかもしれない」友人は、ようやく、そこで笑い出す。「信じた?」と、まあ、そんなふうな、悪趣味なふざけ方をする友人がいる。いつも作り話をしているのならこちらも警戒するのだけれど、時々しか言わないし、それはもう絶妙なタイミングだったりもするので、うっかり騙されてしまう、というわけだ。作り話に騙されるたび、洗脳って言葉が頭をよぎる。そして、人間の心、というか、自分の心の脆さにゾッとする。 今日の一曲『S.O.S』 ABBA 不安感のようなものを増幅させるような感じの曲はないかな? しかもメジャーなやつで・・・ と考えてたら、この曲が浮かんだ。 歌詞の意味は全然わからないんだけど(笑)
2004年10月01日
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