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イギリスの戦略に基づいて「ユダヤ人国家」が作られたことで始まったパレスチナ問題は勿論、アメリカが軍事侵攻したアフラニスタンやイラクでの泥沼化した戦争、リビアやシリアの体制を転覆させるためにイギリス、アメリカ、フランス、サウジアラビア、カタールなどが行っている事実上の軍事介入など、中東/北アフリカ情勢は混迷の度を深めている。 そうした中、共和党の大統領候補、ミット・ロムニーは訪問先のエルサレムでイスラエル人の優越性を主張、パレスチナ人を刺激した。ベンヤミン・ネタニヤフ首相と親しく、好戦的なシオニストへ多額の寄付をしているシェルドン・アデルソンをスポンサーにしているロムニーだが、それにしてもイスラエルの「経済的な成功」を「文化」と「神意」に求めるとは常軌を逸している。パレスチナ人が破壊と殺戮の対象になっている一方、イスラエルへはアメリカが莫大な資金を提供してきたという現実を無視した発言であり、「人種差別主義者」という声が上がるのも当然だ。 ロムニーはイラン攻撃にも積極的な発言をしている。実際にイランとの戦争を始めたなら、アメリカも大きなダメージを受ける可能性が高いのだが、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、ネオコン(アメリカの親イスラエル派)は1991年の段階でイランを攻撃する計画を立てていた。 2001年9月11日の直後にドナルド・ラムズフェルド国防長官はイラクに軍事侵攻すると決定、さらにイラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを攻撃することも決めていた。2007年に調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、アメリカがシリアやイランを攻撃する秘密工作を始めたと警告している。こうしたネオコンの計画をロムニーも実行するという宣言なのだろう。 もっとも、アメリカの支配層がイスラエルに媚びを売る姿は見慣れた光景。ロムニーは度を超していると言えるかもしれないが、驚きと言うほどでもない。むしろ深刻なのは国連の潘基文事務総長の発言かもしれない。NATOの意向に添う形で発言しているように見えるからである。 イラク戦争以降、アメリカの有力メディアは信頼度を大きく下げたのだが、リビアやシリアでの戦争ではイギリスの有力メディアと同様、国連の信頼度が大きく低下している。シリアやイランを攻撃する秘密工作が始まっているとハーシュが書いた2007年に潘基文が国連事務総長に就任したのも偶然とは思えない。 リビアやシリアの体制転覆を実現するために組織された反政府軍をNATOや湾岸産油国は支援、シリアの国防大臣を含む要人が殺された爆破工作の背後にもサウジアラビアが存在していると推測する人も少なくない。 サウジアラビアでは7月19日、総合情報庁の長官にバンダル・ビン・スルタンが就任したのだが、この人物は若い頃からの親米派で、1983年から2005年までアメリカ駐在大使を務めていた人物。このバンダルが爆弾攻撃で死亡したという噂が流れている。シリア政府の報復という説のほか、イランの暗殺部隊が実行したという説も伝えられている。そうした説はともかく、これだけ話題になっている(日本ではそうでもないようだが)にもかかわらず、サウジアラビア政府は沈黙を守っている。 健在ぶりを示すタイミングを見ているのか、負傷して治療中なのか、本当に死亡したのかは不明だが、爆弾攻撃があったことは確かなようで、戦乱がイギリス、アメリカ、フランスなどの思惑を超えて広がりつつあるようにも見える。勿論、日本にとっても深刻な事態だ。
2012.07.31
NATO/アメリカ軍がペルシャ湾や地中海東部に軍艦を派遣、地中海で軍事演習するとも言われているが、その一方でロシア、中国、イランも地中海東部に軍艦を終結させ、演習を行うようだ。 NATOは地中海東部にSNMG2(第2常設NATO海洋グループ)を派遣、フランスは原子力空母、シャルル・ド・ゴールR91などをアラブ首長国連邦に集結させ、アメリカ軍は空母ドワイト・D・アイゼンハワーを中心とする艦隊をペルシャ湾へ向かわせ、8月には空母ジョン・C・ステンニスがこの海域に到着する予定である。エンタープライズとエイブラハム・リンカーンを加えると空母4隻、フランスを加えると5隻の空母が同じ海域に集まることになる。 それに対し、中国の駆逐艦がスエズ運河を通って地中海へ入ったという。すでに2月の段階でイランの駆逐艦と輸送船が地中海へ入り、ロシアも11隻の軍艦を派遣、この3カ国とシリアは軍事演習を実施するとも言われている。 ロシアや中国にシリアへの直接的な軍事介入を阻止されているNATOや湾岸産油国は、傭兵やイスラム武装グループを使ってシリアの体制転覆を実現しようとしてきたが、思惑通りには進んでいない。時間の経過にともない、反政府軍の残虐な姿が明らかになり、状況は不利になりつつあり、NATOや湾岸産油国が直接的な軍事介入を行う可能性が高まっている。 つまり、中東の軍事的な緊張は「世界大戦」へ発展しても不思議ではない状況に高まっている。そうした中、アメリカでは共和党のミット・ロムニー候補がイスラエルとの関係を深めているのは不気味だ。 ロムニーはベンヤミン・ネタニヤフ首相と親しいと言われているが、それだけでなく、ニュート・ギングリッチへ多額の資金を提供していたカジノ界の大物、シェルドン・アデルソンが今ではロムニーのスポンサーになっている。 ギングリッチの後ろ盾だったということでも明らかなように、アデルソンはイスラエルと緊密な関係にあり、好戦的なシオニストへ多額の寄付をしていることでも有名。こうした人物を資金源とする人物がアメリカの大統領になった場合、中東は一層、不安定化するだろう。バラク・オバマ大統領としてもイスラエルやネオコンの意向を無視することはできない。
2012.07.30
シリアのアレッポでは政府軍と反政府軍が激しい戦闘を繰り広げる中、反政府軍がシリア人と関係が薄いことをうかがわせる証言が出てきた。 7月19日にシリアの北部、トルコとの国境に近くで数十名の反政府部隊に拘束されていたフリーランスのフォトジャーナリストが26日に解放され、興味深い証言をしているのである。 そのジャーナリストは、オランダ人のイェホル・ウールマンスとイギリス人のジョン・カントリーのふたり。彼らによると、ジハード集団のキャンプにシリア人は見当たらず、少なくとも6名はロンドンやバーミンガムの地域で使われている発音をしていて、その中には強いロンドン南部訛りのある人物が含まれていたという。そこで、イギリス政府としても調査せざるをえない状況になっている。そのほか、パキスタン、バングラデシュ、チェチェンの出身だと自称する兵士がいたようで、全体の約4割は英語を話すことができたという。 ただ、ふたりを拘束した兵士は戦闘に慣れてはいないようで、ジハード信者ではあってもアル・カイダのような「プロ」の戦闘員ではないという印象をウールマンスらは持っている。純粋に自分たちの「正義」を信じている「素人」だということだ。もし戦争慣れした兵士なら、口封じのため、ふたりを処刑していた可能性もあるだろう。 勿論、アル・カイダがシリアに存在しないわけではない。ドイツの情報機関、BNDによると、アル・カイダはシリア全土で活動、「テロ攻撃」の約90%は彼らとジハード集団によるものだという。 ドイツといえば、有力紙のフランクフルター・アルゲマイネ紙はホウラ地区で住民を虐殺したのは反政府軍だと伝えている。この情報はローマ教皇庁のフィデス通信が伝えた東方カトリックの修道院長の話に合致する。 ドイツではフランクフルター・アルゲマイネ紙だけでなく、ビルト紙やディ・ベルト紙もホウラでの虐殺が反政府軍によるものだと報道、反政府軍に反対する人間は、アラウィ派であろうと、シーア派であろうと、スンニ派であろうと、キリスト教徒であろうと、殺されたともいう。反政府軍にはパキスタン人、リビア人、チュニジア人、レバノン人が含まれていたとする証言もある。 BNDもこの虐殺事件に関係したいくつかの報告を受け取っていることを認めている。ただ、BNDは「国益」の問題から報告の内容を公表していない。要するに、ドイツも参加しているNATOにとって不都合な事実が書かれているということだろう。 反政府軍は仲間の死体を焼いているという話も伝わっているが、その理由は出身地を隠すためだとも言われている。
2012.07.30
サウジアラビアで治安警察隊がデモ隊に発砲、負傷者が出ているという話が伝わっている。デモの目的は、拘束されている仲間の釈放を求めることにあったようだが、その裏で衝撃的な噂が流れている。 今年7月19日にサウジアラビア総合情報庁の長官に就任したバンダル・ビン・スルタンに対する爆弾攻撃が7月24日にあり、その時に負った傷が原因で死亡したというのだ。この人物は1983年から2005年までアメリカ駐在大使を務め、着任当時に副大統領を務めていたジョージ・H・W・ブッシュと親しいと伝えられている。 ブッシュはジェラルド・フォード政権でCIA長官を経験している。その際、素人が情報機関のトップになったと言われたが、実際はエール大学に在学中、ブッシュはCIAにリクルートされた可能性が高い。ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された当時、CIAの高官で、この暗殺に何らかの形で関係していることはFBIの文書で確認されている。 こうした交友関係もあり、バンダルは最もCIAから信頼されているサウジアラビア人だと言われているだけに、噂が本当ならば、アメリカにとってダメージになるだろう。 バンダルがアメリカ駐在大使になった直後、つまり1984年から85年にかけてサウジアラビアは3200万ドルをコントラへ送金したとされている。そのときに使われた金融機関がBCCI。アフガニスタンでアメリカとパキスタンの情報機関が組織したイスラム武装勢力への支援も行っている。 アフガニスタンで生まれたアル・カイダの看板、「テロリスト」の象徴として扱われたオサマ・ビン・ラディンがサウジアラビアの富豪の家で生まれ、その富豪がブッシュ家と親しいことも知られている。 この「テロリスト」はサウジアラビアの支配層と対立していたことになっているが、ニューヨークの世界貿易センターやペンタゴンが攻撃される2カ月ほど前、ドバイの病院に腎臓病を治療するために入院していた彼をCIAの人間、あるいはサウジアラビアやアラブ首長国連邦の著名人が訪問したとされている。 7月18日にはシリアの国防大臣らが爆弾で殺されているのだが、その翌日にバンダルは長官に就任。できすぎた話。任期の間にシリア政府の要人を暗殺したとなると、あとが面倒という判断が働いたと思われても仕方がない。何しろ、サウジアラビアやカタールはシリアの反政府軍を資金だけでなく、武器や兵士も送り込んでいる。この暗殺にバンダルが関係していた可能性は高いだろう。もしバンダル死亡説が正しいなら、シリア政府による報復を疑う必要もある。
2012.07.29
東アジアの軍事的な緊張が高まっている。中東や北アフリカでの戦争に忙しい間、アメリカ政府は東アジアでの活動を控えていたが、ここにきてネオコンの影響力が強まり、彼らの戦略が復活しているようだ。 この好戦的な勢力、「チキン・ホーク」、つまり自分は安全な場所に隠れ、社会的な弱者を死地に赴かせる軍事強硬派に同調しているのが日本の支配層で、中国との軍事的な緊張を高めようと必死だ。中学校などで強そうな生徒にくっつき、虚勢を張る手合いに似ている。戦争になったら最初に逃げるのもこうした連中だ。 ソ連が消滅した直後の1992年、こうした勢力は国防総省内でDPG(国防計画指針)を作成、潜在的なライバルとして西ヨーロッパ、東アジア、旧ソ連圏、南西アジアを想定、ライバルとして成長することを防ぐべきだとした。そのほかアメリカの利権を守り、アメリカ的な価値観を押しつけることも重要だとしたうえで、単独の軍事行動も厭うべきでないとしている。 ネオコン系のシンクタンクPNACは、その戦略を引き継いぐ報告書を2000年に公表している。この戦略に基づいて動いたのがジョージ・W・ブッシュ政権であり、今も続いている。 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、1991年にポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)は旧ソ連圏の国々、シリア、イラン、イラクを掃除すると発言、2006年に実施された軍事演習「ビジラント・シールド07」ではロシア、中国、朝鮮も攻撃のターゲットになっていたという。 アメリカの東アジア戦略が大きく変化したのは1998年のことである。朝鮮の軍事侵攻に備える目的で1973年に作られたOPLAN 5027が見直され、金正日体制を倒し、国家として朝鮮を消滅させて韓国が主導して新たな国を建設するという内容に変更されたのである。名称もOPLAN 5027.98になった。 1998年8月、朝鮮はテポドンを太平洋に向かって発射、日本上空を通過し、第1段目は日本海に、また第2段目は太平洋に落下している。こうした中、アメリカは日本に対してTMD(戦域ミサイル防衛)構想の共同研究に参加することを要求、日本は受け入れることになる。その3週間前、防衛庁はTMD関係予算の次年度計上を断念することもあり得るという状況であった。 1999年3月になると海上自衛隊が能登半島の沖で「不審船」に対して「海上警備行動」を実行、5月に日本は朝鮮戦争に備えるため、アメリカ軍が日本や太平洋地域に駐留することを認めている。この当時、朝鮮の金体制が崩壊した場合に備えるとしてCONPLAN 5029検討されはじめていた。この概念研究は2008年、韓国で李明博政権が誕生したことを受け、OPLAN(作戦計画)へ格上げになったとも伝えられている。 アメリカの軍事戦略は、2001年12月にジョージ・W・ブッシュ大統領が「NPR(核戦略の見直し)」を公表した時に大きく変化した。ロシア、中国、朝鮮、イラク、イランがこの見直しで先制核攻撃のターゲットと位置づけられたのである。その3カ月前、世界貿易センターやペンタゴンへの攻撃されたことを利用しての軌道修正だと言えるが、中国を脅威だとする発言は大統領に就任して早々からブッシュ大統領が繰り返していたことも確かだ。 2001年1月、アメリカ大統領に就任したジョージ・W・ブッシュは「中国の脅威」を強調していた。この見方をデニス・ブレア太平洋軍司令官(当時)は否定、ドナルド・ラムズフェルド国防長官と対立する。次期統合参謀本部議長の有力候補だと言われていたブレア提督だが、この衝突が影響したのか、2002年に退役している。要するに、追い出されることになった。 ラムズフェルドの背後には、国防総省系のシンクタンク「ONA(ネット評価室)」で室長を務めていたアンドリュー・マーシャルがいた。1992年に作成されたDPGの草案を書いた人物である。 この指針に基づいてネオコン系のシンクタンクPNACは「米国防の再構築」と題された報告書を2000年に公表している。いわば、「パクス・アメリカーナ」を作り上げる青写真。この報告書を作成したグループにはチェイニー、ラムズフェルド、ウォルフォウィッツ、ジェブ・ブッシュ(ジョージ・W・ブッシュの弟)、ルイス・リディーらが含まれていた。 この報告書が出る前、ビル・クリントン政権の時代にネオコンのホワイトハウスへの影響力は小さくなる。1993年9月にイスラエルのイツハク・ラビン首相とPLO(パレスチナ解放機構)のヤセル・アラファト議長は「暫定自治原則宣言」(オスロ合意)の正式署名している。イスラエルの軍事強硬派やネオコンにとっては許し難いことだった。 1993年の終盤になるとクロントン大統領に対するスキャンダル攻撃が本格化、95年11月にはラビンが暗殺され、2000年にはリクードの党首だったアリエル・シャロン党首が数百名の警察官を従えてエルサレムの神殿の丘を訪問してイスラム社会を挑発、そしてアラファトが2004年に死亡するのだが、ここにきて暗殺説が強まっている。 2003年3月にブッシュ政権は偽情報を口実としてイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を崩壊させるのだが、その前、2003年2月に12機のB-52と12機のB-1がグアムに移動するように命令され、3月に第3航空団は約24機のF-15と第90戦闘飛行隊の兵士800名を韓国の烏山市へ移動させ、第49戦闘飛行隊のF-117を6機、韓国の群山市へ移動させている。イラクへ攻め込む4日前には、空母カール・ビンソンを中心とする艦隊を朝鮮半島に派遣していた。 翌年の夏になるとラムズフェルド国防長官は「臨時全地球攻撃警報命令」を出し、「大量破壊兵器」を開発しているとされる国、特にイランや朝鮮を攻撃する準備をしろと指示した。この間、2003年11月に「CONPLAN 8022」が作成されている。 この計画によると、ターゲットをピンポイントで攻撃、地下施設を破壊し、ミサイル・システムが空軍力を機能不全にするためにサイバー攻撃を仕掛け、特殊部隊を敵地に潜入させるというようなシナリオになっている。朝鮮の北側に中国があることも忘れてはならない。
2012.07.28
シリアの反政府軍が採用している戦術は、1980年代にCIAがニカラグアの反革命ゲリラを使ってサンディニスタ軍を攻撃したときに酷似している。ただ、ニカラグアのときよりプロパガンダには力を入れているが。 1979年7月、中米のニカラグアでサンディニスタの革命が成功、アメリカの支配層やイスラエルと関係の深いソモサ体制が崩壊した。新体制を倒すためにアメリカ政府は反革命ゲリラ「コントラ」を編成、隣国に拠点を作って秘密工作を開始する。 シリアのアサド体制とニカラグアのソモサ体制を「独裁」という言葉で括ろうとする人もいるだろうが、少なくとも現段階では両者に大きな違いがある。アメリカやイスラエルと敵対しているか、友好的かということである。 民衆からどの程度支持されているかという点も違う。シリアの場合、アメリカ(ネオコン/親イスラエル派)、イギリス、フランスが長い時間をかけて体制転覆を計画、準備した上で反政府派を組織、資金や武器を提供、プロパガンダも実行して政府を攻撃しているのだが、いまだに倒れていない。それに対し、ニカラグアの場合はアメリカの支援を受けたソモサ体制をサンディニスタが自力で倒してしまった。この差は、庶民が誰を支援しているかということから生じている。 ニカラグアでの反革命工作で、アメリカ政府は正規の予算から工作資金を捻出できず、別の手段を考えた。サウジアラビアからの支援を受けるだけでなく、イランへの武器密輸やコカインの密売で資金を作ったのである。こうした事実はアメリカ議会やCIAの内部調査でも明らかになっている。(有力メディアは無視したようだが) 過去を振り返ると、イギリスが清(中国)を侵略するためにアヘン戦争を起こし、中国へ軍事侵攻した日本軍がアヘンを密売していた。インドシナ戦争ではフランスもアメリカも麻薬の密売に手を出している。日米欧の権力者は麻薬に抵抗感を持っていないようだ。(拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を) 1979年にはアフガニスタンでアメリカの手先としてイスラム武装勢力がソ連軍と戦い始めるが、このときにもアメリカは麻薬で資金を調達している。インドシナ戦争の当時は世界に流通するアヘン系麻薬(ヘロインなど)の生産量は「黄金の三角地帯」、つまり東南アジアの山岳地帯が圧倒的だったが、アフガン戦争が始まると最大の原産地がアフガニスタンやパキスタンの山岳地帯に移動している。 アフガニスタンから麻薬の消費地、欧米へ運ぶ主要ルートのひとつがコソボ。NATOと手を組んでユーゴスラビアと戦ったコソボ解放軍(KLA、またはUCK)は麻薬取引で潤沢な資金があったと言われている。バルカン半島ではアル・カイダがNATO側について戦っているが、こうした麻薬取引の関係があるかもしれない。 古来、ラテン・アメリカでは一種の薬草としてコカが栽培されてきた。この植物に含まれる麻薬成分を抽出して作るのがコカイン。そこで、コントラ工作ではコカインが利用されたわけである。1980年代にアメリカでのコカイン流通量が急増する背景はここにあった。 アメリカの有力メディアでCIAの麻薬取引に触れることはタブー。コントラと麻薬の関係を最初に記事にしたロバート・パリー(当時はAPの記者)はキャリアを奪われる形になり、ロサンゼルスでの麻薬取引にメスを入れたゲーリー・ウェッブ(サンノゼ・マーキュリー紙の記者で、ピューリッツァー賞を受賞したこともある)は有力メディアからの激しいバッシングを受け、職を失い、最終的には自殺に追い込まれている。 ところで、コントラは2系統あった。ホンジュラスを拠点とするFDN(ニカラグア民主戦線)とコスタリカを拠点とするARDE(民主的革命同盟)。北のホンジュラスと南のコスタリカでサンドイッチにしようというわけである。FDNはソモサ体制の治安機関、国家警備隊の隊員を再編成した組織で、ARDEは元サンディニスタ幹部のエデン・パストーラをリーダーとしていた。 こうした秘密工作は、1981年にロナルド・レーガンが大統領に就任したことも関係している。この年の4月頃にはジェシー・ヘルムズ上院議員の側近がアメリカとアルゼンチンとの同盟を画策しはじめ、ソモサ時代の国家警備隊に所属していたエンリケ・ベルムデス大佐をアルゼンチンに連れて行き、大佐を中心とする武装集団、「9月15日軍団」のメンバーがアルゼンチンで訓練を受けることになった。 1980年にエルサルバドルの大司教が暗殺されているが、この組織が暗殺に協力したとも言われている。殺された大司教は親米軍事政権による住民虐殺を強く批判していた。この「9月15日軍団」もFDNに参加、コントラの訓練も行っている。この当時、ホンジュラス駐在のアメリカ大使だったのがジョン・ネグロポンテ、ジョージ・W・ブッシュ政権で国連大使を務めた人物である。 ニカラグアの南、コスタリカを拠点としたのがARDE。一時期はサンディニスタの幹部だったコマンダンテ・ソロことエデン・パストーラを中心とする武装集団である。ARDEが創設されたのは1982年9月のことだった。 ところで、サンディニスタが倒したソモサ体制は1930年代に始まる。ラテン・アメリカでは、アメリカの巨大資本による支配に抵抗する運動が1920年代から30年代にかけて展開される。その指導者がアウグスト・サンディーノ。「サンディニスタ」はこの人物の名前にちなんでつけられた。 ラテン・アメリカは元々スペインに支配されていたが、20世紀に入るとアメリカの巨大資本が勢力を拡大してくる。1901年、ウィリアム・マッキンリー大統領が暗殺されたのを受けて副大統領から昇格したセオドア・ルーズベルトは「棍棒外交」を展開したのである。言うまでもなく、その背後にはアメリカの巨大資本が存在した。こうした政策をアメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドレー・バトラー少将は戦争を「押し込み強盗」になぞらえている。 こうしたアメリカの侵略行為に反旗を翻したのがサンディーノ。1933年に当時の親米政権はサンディーノと休戦協定を結ぶのだが、その際にアメリカ側はサンディーノ暗殺を計画する。1934年に暗殺を実行したのがアナスタシア・ソモサ・ガルシア。1936年にソモサが実験を握り、翌年に大統領となり、ソモサ体制が確立した。 その後、アメリカの巨大資本を背景にして権力を手にしたソモサは、間もなくしてシオニストへ武器を提供しはじめる。イスラエルが建国される前、シオニストの武装集団「ハガナ」は世界的に「テロリスト」と見なされていて、武器を調達することが難しかった。そのハガナのためにソモサは武器調達を手伝っている。
2012.07.26
リビアからシリアへと続く体制転覆工作に絡み、戦略面では「サイクス・ピコ協定(小アジア協定)」、戦術面では「コントラ工作」が話題になっている。 サイクス・ピコ協定とは1916年5月、秘密裏にイギリスとフランスが中東を分け合う目的で結んだもので、帝政ロシアも協定に同意している。リビアやシリアの体制転覆工作を連想させると感じている人が少なくないようだ。当時と違い、今のロシアはイギリスやフランスに同調していないが。 協定が結ばれた当時、中東はオスマン帝国に支配されていた。そのオスマン帝国を乗っ取るというような話だ。話し合いを担当したフランスのフランソワ・ジョルジュ・ピコとイギリスのマーク・サイクスの名前をとり、サイクス・ピコ協定と一般に呼ばれている。 大雑把に言って、この協定ではヨルダン、イラク南部、クウェートなどペルシャ湾西岸の石油地帯をイギリスが支配、フランスはトルコ東南部、イラク北部、シリア、レバノンを支配下に置くことになっていた。協定が結ばれた翌月、「アラブの反乱」が始まるのだが、反乱の背後にサイクス・ピコ協定があると考えるのは自然だろう。 「アラブの反乱」で中心的な役割を果たしたのは、デイビッド・ホガースを局長とするイギリス外務省のアラブ局。そこにはマーク・サイクスやトーマス・ローレンスもいた。一般に「アラビアのロレンス」とも呼ばれている、あのローレンスだ。 イギリスは第1次世界大戦の際、ウィリアム・シェークスピアというエージェントを後のサウジアラビア国王、イブン・サウドに接触させている。このエージェントは1915年1月に戦死、ジョン・フィルビーが引き継ぐ。この頃、イギリスはイブン・サウドとライバル関係にあったフセイン・イブン・アリを重要視するようになり、ローレンスもイブン・アリを支援する。 このイブン・アリは1915年7月から16年1月にかけて、イギリスのエジプト駐在高等弁務官だったヘンリー・マクマホンと書簡をやりとりしている。その中で、イギリスはアラブ人居住地の独立を支持すると約束した。いわゆる「フセイン・マクマホン協定」だが、この協定はあくまでもイギリスが選んだ人物との私的な約束にすぎない。 フセイン・イブン・アリは1916年、アラビア半島西岸にヒジャーズ王国を建国、24年にカリフ(イスラム共同体を統合する指導者)を名乗るが、イスラム世界から反発を受けてしまい、イブン・サウドに追い出される一因になる。ヒジャーズは1931年にナジェドと連合、32年にはサウジアラビアと呼ばれるようになった。現在、イギリスなどと手を組み、リビアに続いてシリアの体制転覆を目指している。 その一方、1917年にはイギリスのアーサー・バルフォア外相がロスチャイルド卿宛ての書簡で、「イギリス政府はパレスチナにユダヤ人の民族的郷土を設立することに賛成する」と約束している。この書簡を実際に書いたのはアルフレッド・ミルナーだということを本ブログでも書いたことがある。 ミルナーはイギリスのシンクタンク、RIIA(王立国際問題研究所)を創設した人物で、「ミルナー幼稚園」や「円卓グループ」は彼を中心に組織されたという。その上部機関とされている選民秘密協会のメンバーには、セシル・ローズ、ウィリアム・ステッド、レジナルド・バリオル・ブレットらが含まれていたという。 ステッドはジャーナリストだが、心霊主義の信者として有名。ブレッドはビクトリア女王の相談相手で、エドワード七世やジョージ五世の顧問を務めることになる人物。ローズの後継者がミルナーだ。 イギリス政府が「ユダヤ人の復興」を考え始めたのは遅くとも1840年。この年、タイムズ紙がそのように報じている。帝政ロシアでポグロムと呼ばれるユダヤ教徒の虐殺が引き起こされ、セオドール・ヘルツルが『ユダヤ人国家』という本を出版する半世紀近く前の話だ。 サイクス・ピコ協定にしろ、フセイン・マクマホン協定にしろ、あるいはバルフォア宣言にしろ、問題は当事者であるアラブの民衆が無視されていることにある。イブン・アリにしたところで、私的な権力を求めているだけであり、それは後にはっきりする。 要するに、「アラブの反乱」とは、アラブ民族が抱いていたオスマン帝国への不満を利用してイギリスやフランスなどが中東/北アフリカを支配する仕掛けだった。「アラブの春」の原型とも言える。昨年から続く「アラブの春」は、イギリスが19世紀の前半に考え出した中東/北アフリカ支配戦略の流れにあるようにも見える。 これは戦略的な話だが、次に戦術的な面について考えてみることにする。
2012.07.25
戦乱が長引くにつれ、シリアの反政府軍が「民主化」を目的としているのではなく、外国政府の思惑に従い、国外から入り込んだ外国人戦闘員を中心とする部隊がシリア軍と戦い、バシャール・アル・アサド体制を倒そうとしているのだということが明確になってきた。 外国勢力とは、イギリス、アメリカ、フランス、トルコなどのNATO諸国、サウジアラビア、カタールなどの湾岸産油国。国外からは傭兵、あるいはアル・カイダ系の武装集団が武器を携えて入り込んでいる。 しかし、今でも表面的には、シリア政府が「平和的な民主化運動を暴力的に弾圧した」ことから混乱は始まったとされている。シリアへ波及した「アラブの春」を「独裁者」が武力で潰そうとしたというシナリオだ。このストーリーは意外と「左翼」に受けているらしい。 しかし、現地に取材したジャーナリスト、例えばウェブスター・タープレーはこの情報を正しくないとしていた。市民を狙撃しているスナイパーはシリア国内の混乱が目的で、手口はCIAだと彼は判断している。 ベトナム戦争のフェニックス・プログラムだけでなく、恐怖で庶民を屈服させようとするのはアメリカ支配層の常套手段である。1946年にパナマで創設されたSOA(米州訓練所)はラテン・アメリカの将兵をアメリカ支配層の手先として育てるために施設で、ここから戻ってから「死の部隊」を指揮、あるいは軍事独裁者として君臨している。 こうした施設だということもあり、1984年にSOAはパナマから追い出され、米国本国のジョージア州にある陸軍のフォート・ベニングに移動、2001年には治安協力西半球研究所(WHINSEC)と名称を変更した。 破壊活動や暗殺などを実行するテロ組織としては、「NATOの秘密部隊」も有名。組織自体の歴史はNATOより古く、NATOに所属してからはCPCが指揮するようになるのだが、実質的にはアメリカとイギリスの情報機関によって支配されている。こうした組織の編成はNATOに加盟する条件だともいう。 こうした組織の活動が最も活発だったのはコミュニストが強かったイタリア。「左翼過激派」を装って誘拐、殺人、爆弾攻撃などを実行していたが、1990年に政府は公的に存在を認めところまで追い詰められた。 このテロ組織の背後にはアメリカの極秘組織OPCがあった。1948年に創設され、50年になるとCIAの内部に入り込み、52年からは計画局と呼ばれるようになるのだが、1970年代に入って議会が情報機関の活動を調査し始めるまで、活動内容だけでなく、その存在自体が一般に知られていなかった。 活動内容が議会で問題になったこともあり、1973年から作戦局へ名称が変更になるのだが、基本的に活動内容は変化していない。その後、2005年にNCS(国家秘密局)に吸収された。 ちなみに、OPCの東アジアにおける拠点は当初、上海にあったのだが、中国でアメリカが支援していた国民党が敗北、コミュニストの勝利が確定的になると日本へ移動してくる。1949年のことだ。下山事件など国鉄を舞台とした「怪事件」が連続した年である。つまり、OPCを抜きに下山、三鷹、松川の3事件を考えることはできない。 破壊活動の総指揮官はアレン・ダレスだったが、その下でOPCの局長を務めていたのがフランク・ウィズナー。OPCの創設とほぼ同じ時期にメディアをプロパガンダ機関として支配するプロジェクトも始動している。いわゆるモッキンバードだ。ダレスとウィズナーはこのプロジェクトの中心メンバーである。 ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、リビア、シリアを攻撃する際、アメリカやイギリスは有力メディアを使い、大々的なプロパガンダを展開したが、その基盤は第2次世界大戦の直後にできあがっていたということだ。 シリアの場合、まず「シリア政府による暴力的な民主化運動弾圧」という話が広められたのだが、この報道が嘘だということは、シリア駐在のフランス大使、エリック・シュバリエも今年3月、明らかにしている。アル・ジャジーラなどの報道は正しくないということだが、大使の報告を聞いたアラン・ジュペ外務大臣兼国防大臣(当時)は激怒し、残虐な弾圧が行われていると書き直せと脅したという。 5月下旬にホウラで引き起こされた虐殺でも「西側」の有力メディアは政府側の虐殺という話を大々的に伝えていた。ただ、このケースではローマ教皇庁の通信社やドイツの有力紙も、虐殺は反政府軍の仕業だと伝えたことでプロパガンダの効果は小さくなった。 フィデス通信によると、東方カトリックの修道院長はシリアを訪問した後、スンニ派のサラフィ主義者(ムスリム同胞団とつながる)や反政府軍に参加している外国人傭兵が虐殺を実行したと語っている。フランクフルター・アルゲマイネ紙によると、スンニ派でも国会議員の家族は政府派だとして殺されている。 ホウラの虐殺から約1カ月後、トルコの戦闘機がシリア軍に撃墜されるという出来事があった。このとき、トルコ政府はミスで領空を侵犯したものの、すぐに外へ出たと主張、その航空機をミサイルによって公海上で撃墜したとしてシリア政府を非難していた。 「西側」のメディアはトルコ側の主張に基づく報道を始めたが、アメリカからもシリアの領海内で撃墜されたとする推測が伝えられる。ロシアはデータを持っていて、トルコ側の主張が嘘だということは否定できず、シリアを非難する材料にはならない。
2012.07.24
今のところ、シリアのバシャール・アル・アサド体制は倒されていない。アメリカやイギリスの政府などは体制転覆を前提とした発言を繰り返しているが、実際のところ、NATOや湾岸産油国はアサド体制を倒すことに四苦八苦している。アメリカ政府は反政府軍へのテコ入れを強化しているようだが、思惑通りに進んでいないようだ。そうした中、イスラエルとも接触している。 5月あたりから「西側」のメディアが「化学兵器の脅威」を強調、この辺を軍事侵攻の口実にする可能性がある。リビアからシリアの反政府軍に化学兵器が渡されたという情報もあり、「自作自演」で化学兵器を使うかもしれない。 シリアの体制を転覆させようという工作は、ジョージ・W・ブッシュ政権の時代から始まっている。反政府派へ資金が提供され、プロパガンダを協力したのが手始め。アメリカがサウジアラビアと手を組み、シリアやイランを攻撃する秘密工作を始めたと調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが警告したのは2007年のことだ。 昨年の春からは、アメリカの情報機関員や特殊部隊員、あるいはイギリスとフランスの特殊部隊員がトルコ領内にある米空軍インシルリク基地でFSA(シリア自由軍)を訓練してきたと伝えられている。今年に入ってからは、コソボでの訓練が話題になった。 サウジアラビアやカタールは公然とシリアの反政府軍への軍事支援を語っているが、アメリカ政府も湾岸産油国を経由して武器を提供してきた。イギリス、カタール、アメリカ、フランス、ヨルダン、トルコなどの国々は、自国の特殊部隊をシリアへ潜入させているとも推測されている。 こうした工作にもかかわらず、シリアのアサド政権は健在。その大きな要因は、国民の相当部分(8割とも言われている)に支持されているからだろう。アサド大統領が属するアラウィー派やキリスト教徒のような少数派から支持されていることが知られているが、それだけではないということだ。 ベトナム戦争では、CIAと特殊部隊がフェニックス・プログラムという農民殺戮作戦を展開した。アメリカに逆らうと殺されるという恐怖を植えつけ、コントロールしようとしたのだが、シリアでも政権支持者を減らすため、似たことを行っている可能性がある。 それでも国民を巻き込むクーデターは成功が難しいということで、「宮廷クーデター」を実行するのではないかという見方もある。勿論、外国勢力の本格的な軍事侵攻もありえるのだが、そうなるとリビアで「戦争犯罪人」と呼ばれたNATOではなく、イスラエルが出てくるかもしれない。
2012.07.23
イラクのキルクークからトルコのジェイハンへ石油を運んでいるパイプラインが先週の金曜日、7月20日に爆破された。クルド民族の分離独立を掲げるクルディスタン労働者党(旧称のクルド労働者党/PKKと呼ばれることが多い)が実行したとも言われている。 このパイプライン爆破とダマスカスでの戦闘が関係しているという指摘がある。シリアの反政府軍には、NATOを後ろ盾とするFSA(自由シリア軍)とサウジアラビアやカタールを後ろ盾としてイスラム武装勢力で編成された部隊が存在している。アル・カイダ系の集団はイスラム武装勢力に含まれている。 FSAに拠点を提供するだけでなく、実際に戦闘を指揮していると言われているのがトルコ軍。シリアから見ると軍事侵攻している敵ということになる。 そのトルコに反撃するため、クルド民族の戦闘員がシリア北部で活動することをシリア政府は許し、早くもその結果が出たというのだ。戦場はシリア国内に止まらず、トルコに拡大する可能性がある。 今年に入って反政府軍が偽情報を流している事実、シリア政府を支持している住民の虐殺などが明らかになり、「民主化運動」という呪文は効力を失いつつある。親シリア派の中に多くのキリスト教徒が含まれ、反政府軍に殺害されていることもあってか、ローマ教皇庁のフィデス通信も反政府軍の実態を明らかにしている。 「西側」のメディアが大々的なプロパガンダを続けているにもかかわらず、シリアの体制転覆を目指すNATO/湾岸産油国の正体が明らかになりつつあるわけで、バシャール・アル・アサド体制を一刻も早く崩壊させる必要があるだろう。NATOが直接乗り出すか、イスラエルを使うかしなければならない事態に至るかもしれない。そのための口実として利用されそうなのが「化学兵器」。メディアにこの単語が出始めている。
2012.07.22
今にもシリアのバシャール・アル・アサド体制は崩壊するかのような話が伝えられている。クーデターのときにはこの手の情報が飛び交うことが常であり、慎重に情報を検討する必要がある。おそらく、こうした話を真に受ける人は少ないだろうが。 実際、ダマスカスからの映像を見る限り、落ち着きを取り戻しているようだ。勿論、次の攻撃までの話だが、とりあえず治安は回復したと考えて良いだろう。反政府軍や後ろ盾のNATOや湾岸産油国も、一度の攻勢で体制を転覆させられるとは思っていないはずだ。 本ブログでは何度も書いているように、シリアで昨年春に始まった武装蜂起はFSA(自由シリア軍)が中心的な存在。一般にシリア軍から離脱した将兵で編成されていると言われているが、実際は傭兵と犯罪者集団が中心のようだ。 ベトナム戦争の際、アメリカの情報機関と特殊部隊はベトナムの農民を恐怖で支配するため、フェニックス・プログラムという皆殺し作戦を展開したが、その時も犯罪者集団が使われている。(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を) FSAをトルコ政府は保護、NATOが資金を提供、トルコ領内にある米空軍インシルリク基地では、アメリカの情報機関員や特殊部隊員、イギリスとフランスの特殊部隊員がFSAの将兵を訓練、トルコが戦闘を指揮しているようだ。 リビアでアンマル・アル・カダフィ体制が崩壊した後、シリアではアル・カイダを含むイスラム武装勢力が存在感を増している。リビアで地上戦の主力だったLIFG(リビア・イスラム戦闘団)がアル・カイダ系だということは、本人たちも認めている。イスラム武装勢力はサウジアラビアやカタールが後ろ盾になっているようだ。 カダフィ体制が崩壊した直後、アル・カイダ系武装集団の戦闘員が移動しただけでなく、NATOが輸送機で武器をトルコの基地へ運んだとする情報もある。こうなってくると、サウジアラビアやカタールは勿論、イギリス、アメリカ、フランス、トルコといったNATO諸国もアル・カイダと敵対関係にあるとは言いにくい。 一説によると、今回の攻勢では、直前に6万人規模の戦闘員がヨルダンからシリア領内に入り、まず小規模なチームが守備の手薄な場所をアトランダムに攻撃、その後に大規模な攻勢を始めたという。 しばらくダマスカス市内で戦闘が続いたものの、シリア軍が制圧に成功したようだが、「西側」やカタールのメディアは政権が揺らいでいると宣伝、シリア市民を動揺させる心理戦に出ている。 NATOや湾岸産油国は情報/心理戦を重要視、6月にはカタールのドーハやサウジアラビアのリヤドで会議を重ねたという。6月の終わりにはシリアの放送局が破壊されたが、それだけでなく、湾岸産油国の影響を受けているアラブ連盟はアラブサットやナイルサットに対し、シリアのメディアによる放送を中止するように圧力を加えているともされている。 リビアからシリアの反政府軍に化学兵器が渡されたという情報が6月に流れたが、それに対して7月には匿名のアメリカ政府高官の話として、シリア政府は化学兵器を使用する準備を始めたと示唆する報道があった。 そうした中、シリア政府がヒズボラに化学兵器などの兵器を渡すようなことがあればシリアへ軍隊を侵攻させると、イスラエルのエフド・バラク国防相は語っている。状況によっては、化学兵器を口実としてシリアを軍事制圧するということだろう。
2012.07.21
NATOや湾岸産油国はリビアに続いていシリアの体制転覆を目指しているが、今年に入るとシリア政府を「悪玉」に仕立てるためのプロパガンダがインターネット上で明らかにされはじめ、仕上げを急ぐ必要に迫られている。最近の反政府軍による攻勢(ダマスカス・ボルカーノ作戦と呼ばれているらしい)は、そうした事情があるのだろう。 シリアの場合、ロシアや中国が本格的な軍事介入に反対しているため、NATO軍が空爆で政府軍を粉砕するという筋書、つまり「リビア方式」も難しい。そこで「コソボ方式」に切り替えたという話が2月頃から伝えられるようになった。 ウォール街の「占拠運動」や湾岸産油国の民主化要求運動に対する弾圧に興味を示さない「西側」のメディアだが、リビアやシリアの「独裁体制」には敵意を剥き出しにして、偽情報を精力的に広めてきた。その情報源として「活動家」や「人権団体」が出てくるのだが、そこから出てくる話が事実に反していることが明らかにされてきたのだ。 1982年にアメリカのロナルド・レーガン大統領はイギリス議会で「プロジェクト・デモクラシー」なる用語を使い、注目された。このプロジェクトは、偽情報を流し、文化的な弱点を利用した心理戦を仕掛けようというもの。 当初、ターゲットにされていたのはソ連圏。反ソ連派を「民主勢力」ということにして支援、体制を揺さぶった。そうした「民主勢力」の象徴的な存在がポーランドの連帯。バチカン銀行を使った違法送金も明らかにされている。この「民主勢力」、牧歌的なのか思慮に欠けるのかわからないが、CIAとの関係を隠していなかったため、西ヨーロッパでは支援の輪が大きくならなかった。 シリアでも似たようなプロパガンダが展開されているが、中でもイギリスのBBC、アメリカのCNN、カタールのアル・ジャジーラの「活躍」が目立つ。こうしたメディアが重宝していた「活動家」がシリア系イギリス人のダニー・デイエム。3月の初め、ダニーや彼の仲間が「シリア軍の攻撃」を演出する様子が流出して「西側」のメディアは赤っ恥をかくことになった。 2月14日にホムスのババ・アムルでパイプラインが爆破された際、その原因を政府軍の航空機による爆撃だとCNNは伝えたが、この報道も事実に反していることが後に明かされている。放送で使われた映像の前の部分を見ると、航空機は映っていないのだ。つまり空爆でないことを承知で、空爆があったと放送した可能性が高い。 よほどネタに困ったのか、BBCは5月27日、イラクで2003年に撮影された写真をシリアで殺された子どもたちと思われる遺体として1枚の写真を掲載している。「残虐なシリア政府軍」というタグがついていれば、中身を吟味せずに何でも売ってしまうという姿勢だ。これがBBC。 5月にホウラ地区で住民が虐殺されるという出来事があったが、これも当初は政府軍、あるいは親政府軍の武装勢力が実行したと宣伝されたが、現地に入ったロシア人ジャーナリストは反シリア政府軍の仕業だと報告、さらにローマ教皇庁のフィデス通信、ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙が同じ内容の話を伝えている。反政府軍はキリスト教徒も虐殺のターゲット。また、イギリスのチャンネル4のアレックス・トンプソンは、反政府軍は彼の取材チームを交戦地帯へと導き、政府軍から銃撃されるように仕向けたとしている。 そもそも、2007年の時点で、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、ジョージ・W・ブッシュ政権がサウジアラビアなどの国々と手を組み、シリアやイランを攻撃する秘密工作を始めたと警告した。 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は、ジョージ・W・ブッシュ政権が2001年9月11日の直後に作成した攻撃予定国リストにはイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンが載っていたとしている。しかも、1991年にポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)は、旧ソ連圏の国々、シリア、イラン、イラクを5年から10年の間に掃除するとしていたとも語っている。 ネオコン、つまりアメリカの親イスラエル派はシリアの次にイランを攻撃するつもりなのだろうが、そうなるとアメリカの経済は崩壊する可能性がある。戦争という押し込み強盗で富を奪うつもりなのかもしれないが、アフガニスタンでもイラクでも成功したようには思えない。
2012.07.20
実態は同じでも、呼び方が替わると人びとの抱く印象は変化する。そうした「幻術」をアメリカの支配層はしばしば使う。例えば、同じイスラム武装勢力をあるときは「自由の戦士」、またあるときは「テロリスト」と呼んだりする。言うまでもなくアメリカの手先として動くときは「自由の戦士」、敵役の時は「テロリスト」というわけだ。「アラブの春」も幻術に利用され、まんまと操られている人が少なくない。「アラブ」という括り方自体、胡散臭い。 2001年9月11日以降、アメリカのジョージ・W・ブッシュ政権は、他国を軍事侵攻する口実に「アル・カイダ」という正体が不明確な集団を使い始めた。その象徴だった人物がオサマ・ビン・ラディン。そしてアメリカ政府は「テロとの戦争」を宣言、アメリカ支配層の気に入らない体制を武力で転覆させ始める。 ところが、現在、イギリスやアメリカの好戦派(戦争ビジネスの代理人やネオコン)はシリアの体制を転覆させるため、アル・カイダと手を組んでいる。この関係はリビアの体制転覆作戦から引き継がれたもの。リビアで地上軍の主力としてNATO軍と連携していたLIFG(リビア・イスラム戦闘団)は、自分たちとアル・カイダとの関係を隠そうともしていなかった。 有力メディアを使ったプロパガンダでターゲットを「悪役」に仕立て上げ、先制攻撃するというパターンはユーゴスラビアから始まっているのだが、同じ頃、中東でも火の手が上がる。注目度は中東の方が高かっただろう。1991年1月にアメリカを主力とする部隊がイラクを攻撃したのだ。ただ、この場合はイラク軍のクウェート侵攻が先で、アメリカ軍の先制攻撃とは言いにくい。 イラク攻撃の3カ月前、1990年10月にアメリカの議会で人権に関する議員集会が開かれて「ナイラ」なる少女が登場、イラク軍の残虐な行為を証言している。言うまでもなく、軍事侵攻を正当化するための幻術だ。 この証言を真に受けた人は少なくなかったのだが、その正体は駐米クウェート大使だったサウド・ビン・ナシル・アル・サバーの娘。イラク軍が攻め込んだときにこの少女はクウェートにいなかった。つまり、「目撃談」は作り話。涙も嘘だった。 その演出をクウェート政府から1190万ドルで請け負ったのがPR会社のヒル・アンド・ノールトンだ。集会を開いたトム・ラントス下院議員とジョン・ポーター下院議員はともにヒル・アンド・ノートンと親しい関係にあると言われている。 この当時、NATOにとって深刻な出来事も起こっている。1990年にイタリア政府が「NATOの秘密部隊」、つまりテロ組織が存在することを公式に認めたのだ。NATO加盟国にはこうした部隊が存在することも明確になり、イタリアでの「爆弾テロ」やクーデター計画だけでなく、ジョン・F・ケネディ米大統領の暗殺やシャルル・ド・ゴール仏大統領の暗殺未遂でも疑惑の目が向けられるようになった。 ソ連が消滅へ向かって歩み始めたのはそうした時期。アメリカが「唯一の超大国」になると言われるようになる。そうした自信、驕りも影響してか、アメリカでは1991年にポール・ウォルフォウィッツ国防次官はウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官に対し、旧ソ連圏の国々、シリア、イラン、イラクを5年から10年の間に掃除すると話したという。 この頃、ユーゴスラビアも解体に向かって動き始め、コソボではLDK(コソボ民主化連盟)が非暴力の運動を開始、この運動はセルビア側も容認していた。こうした運動にアメリカ政府は関心を示さず、状況が進展しないという事態になる。 今年に入ってからシリアの体制転覆を目指すNATOや湾岸産油国は「リビア方式」から「コソボ方式」に切り替えるという話が流れていた。そこで、コソボでの出来事を少し思い出してみよう。 コソボに対するアメリカの無関心な態度は表面的なもの。裏で始まった「アルバニア・ロビー」の活動は、ロバート・ドール上院議員に近いジョセフ・ディオガーディ下院議員が中心的な存在。PR会社のルダー・フィンが宣伝戦では中核的な役割を果たした。 その一方、イギリスの対外情報機関MI6が1992年、ユーゴスラビアのスロボダン・ミロセビッチ大統領の暗殺計画を検討している。反体制ゲリラを訓練して使う、自国の特殊部隊を使う、あるいは自動車事故に見せかけて殺すというような案があったという。 今回、シリアで国防相らを暗殺した爆破も「自爆」ではなく何者かが置いたという話もある。すでにイギリスやカタールなどいくつかの国が特殊部隊を潜入させていると言われているが、そうしたコネクションが関係しているという憶測も流れている。 1992年には、ニューズデーのロイ・ガットマンがボスニアで16歳の女性が3名のセルビア兵にレイプされたと彼は報道している。「冷酷非道なセルビア兵」を印象づけることになるが、問題は事実でなかったということ。この嘘は別のジャーナリスト、アレクサンドラ・スティグルマイアーやマーティン・レットマイアーらによって確認されている。その後、人権擁護団体が大活躍することになる。 アメリカに無視されたLDKが衰退する一方、KLA(コソボ解放軍、UCKとも表記)が台頭してくる。KLAの背後にはアルバニアが存在していたのだが、1994年になるとアルバニアへアル・カイダが入り込み、活動範囲をボスニアやコソボにも広げ、KLAは1996年2月、手始めにコソボの北部にいたセルビア人難民を襲撃した。 その後、和平交渉で停戦も決まるのだが、これを嫌ったのはNATOやKLA。セルビア側に対する攻撃を続ける。決してセルビア側とは言えないヘンリー・キッシンジャーでさえ、1998年10月から翌年の2月までの間で停戦に違反した80%はKLAだとしている ユーゴスラビアを空爆する直前、1999年1月にウィリアム・ウォーカーなるアメリカの外交官がコソボでユーゴスラビア警察が45名を虐殺したという話を広める。が、この話は嘘だった。実際は、警察とKLAとの戦闘だったのである。APのテレビ・クルーが現場を撮影していたこともあり、この嘘はすぐにばれる。 が、その事実が知られる前、1999年3月にNATOはユーゴスラビアを先制攻撃、多くに市民を虐殺することになる。5月には中国大使館も「誤爆」されているのだが、状況から考えて意図的な爆撃だった可能性が高い。 この時期、ウォルフォウィッツが話していたように旧ソ連圏の国々を制圧している。そして次がイラクだった。2001年9月11日の出来事に関係なく、決まっていたことだ。そして、この直後にできあがった攻撃予定リストには、イラクに続いてイラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンが載っていたとクラーク大将は語っている。2006年に「ビジラント・シールド07」が実施された後、ロシアや中国との戦争も想定しているとも言われている。
2012.07.19
シリアの国防大臣を含む要人が自爆攻撃で殺されたと伝えられている。自爆したのはバシャール・アル・アサド大統領の側近を護衛していたひとりのようで、ダマスカスでの攻撃が大規模かどうかは別にしても、反政府軍のネットワークはそこまで入り込んでいたということだ。 このところ、国連の安全保障理事会でシリア問題が討議される一方、シリアの住民虐殺は反政府軍によるという報告が相次いでいた。最近の例では、タラムセハでの「虐殺」とは戦闘だったとニューヨーク・タイムズ紙も報じている。 また、「西側」の政府がシリア政府に対する批判を始める切っ掛けは、民主化を求める平和的な抗議活動を政府軍が暴力的に弾圧したということだったのだが、このシナリオは嘘だと言うことをシリア駐在のフランス大使だったエリック・シュバリエは明らかにしている。 シュバリエによると、アル・ジャジーラなどの報道は正しくないとアラン・ジュペ外務大臣兼国防大臣(当時)に報告したのだが、この報告に外相は激怒し、残虐な弾圧が行われていると書き直せと脅したという。「暴力的な政府」でなければ、軍事介入する口実にならないということだろう。 アル・ジャジーラはカタールのテレビ局で、カタール王室の政策に反しない限りは報道の自由が認められていると言われている。つまり、リビアやシリアのようにカタールが体制転覆工作に参加している場合は信用できないということだ。実際、リビアやシリアの問題ではプロパガンダ機関以外の何ものでもない。 カタールはサウジアラビアと同様、シリアの反政府軍に資金や武器を提供しているのだが、それだけでなく、自国の特殊部隊をシリア領内に潜入させていると報道されている。同じように特殊部隊をシリアで活動させている可能性のある国としては、イギリス、アメリカ、フランス、ヨルダン、トルコが挙げられている。 昨年の春からシリアの反政府軍、FSA(シリア自由軍)にNATOはトルコなどに拠点を提供、米空軍インシルリク基地ではFSAの将兵を訓練していたが、アメリカのネオコンがシリア攻撃を計画したのはそのはるか前。 ウィキリークスが公表した外交文書によると、アメリカのジョージ・W・ブッシュ政権は2000年代の半ばにはシリアの反体制派を支援し始めているが、その直後、2007年に調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、アメリカがサウジアラビアなどと手を組み、シリアやイランを攻撃する秘密工作を始めたと警告している。 青写真が作成された時期ということになると、ジョージ・H・W・ブッシュが大統領を務めていた1991年。そのころ、ポール・ウォルフォウィッツを中心とするグループが中東や北アフリカを軍事制圧する作戦を練り始めたとウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は語っている。 ベトナム戦争の終盤、アメリカ政府は和平協議を優位に進めるため、大規模な攻撃を実施している。ヘンリー・キッシンジャーたちは1968年5月にパリで和平会談を秘密裏に始めるが、1969年3月にはカンボジア領に対する「秘密空爆」を行い、爆撃による直接的な死者だけでも60万人に達したという推計もある。シリアの場合、アサドを排除することが目的なので、国連での話し合いを破綻させるつもりなのかもしれない。今頃、「西側」支配層は如何にしてアサドを殺すかを考えていることだろう。
2012.07.18
JPモルガン・チェースやバークレイズといった巨大銀行のスキャンダルが発覚しているのだが、こうした問題は氷山の一角にすぎないという人がいる。水面下では犯罪的なことが行われているともいうことだ。 例えば、香港を拠点にしていたディーク社、オーストラリアのナガン・ハンド銀行、バハマ諸島のキャッスル銀行、あるいはパキスタンで創設されたBCCIなど、CIAは秘密工作を実行するために使ってきた銀行は麻薬資金も扱っていた。ディーク社は1953年にアメリカとイギリスがイランの民族主義政権をクーデターで倒した時に利用しただけでなく、1976年に発覚したロッキード事件でも名前が出てきた。 勿論、情報機関が関わらなくても麻薬資金を扱っている。例えば、2006年にはワチョビアという金融機関がロンダリングしていた事実が浮かび上がっている。この銀行を2年後に吸収したのがウェルズ・ファーゴだ。 麻薬などの犯罪による儲けだけでなく、多国籍企業や富豪たちは税金の支払いを避けるためにタックス・ヘイブンと呼ばれる地域を利用する。税金がほとんどかからない上、資金に関する情報を秘密にされている。書類上、世界貿易の約半数、銀行資産の半数以上、多国籍企業による外国への直接投資の3分の1もタックス・ヘイブンを経由していると言われている。 こうしたタックス・ヘイブンのネットワークを作り出したのはイギリス。その中心地がロンドンのシティだ。現在ではマンハッタンと並ぶ巨大タックス・ヘイブンだ。そこでいかがわしことが行われていても不思議ではない。現在では、タックス・ヘイブンを利用する「地下資金」がなければ世界経済は破綻するとも言われている。そうした、いかがわしい資金が引き起こす出来事の尻ぬぐいをさせられるのが庶民ということだ。
2012.07.17
シリアの体制を転覆させるため、イギリス、アメリカ、フランス、トルコなどのNATO諸国やサウジアラビア、カタールなどの湾岸産油国はシリアの反体制を様々な形で支援している。資金援助、プロパガンダ、国連などでのロビー活動だけでなく、将兵を訓練したり武器を提供、さらに自国の特殊部隊をシリア領内に潜入させ、戦闘を指揮しているとも言われている。 イラクとは違って地上軍を侵攻させることができず、リビアとは違ってシリア政府軍を空爆できないでいるが、何もしていないとは言えない。本ブログでは何度も書いているように、すでに軍事介入している。 例えば「独裁」や「虐殺」を理由して特定の国の態勢を転覆させるために武器を供給することが許されるならば、イスラエル軍に繰り返し軍事侵攻され、建造物を破壊され、住民が虐殺されているパレスチナ人に武器を供給することも許されて当然、という議論がある。シリアの場合、「虐殺」が理由にされたのだが、この情報が正しくないことはフランスの駐シリア大使も本国に報告していた。 パレスチナ人の場合、問題の根っこにはイギリス政府の政策がある。1917年、イギリスのアーサー・バルフォア外相の名前でロスチャイルド卿宛に出された書簡に「イギリス政府はパレスチナにユダヤ人の民族的郷土を設立することに賛成する」と書かれていることは有名だが、そのはるか前、1840年にはイギリス政府が「ユダヤ人の復興」を考えているとタイムズ紙が報じている。その延長線上にイスラエルの建国がある。 1948年4月4日にパレスチナ征服を目的とした「ダーレット作戦」が発動され、8日にはデイル・ヤーシーン村で254名のアラブ系住民が虐殺され、恐怖に駆られてアラブ系住民が逃げ出す。そして5月14日にイスラエルの建国が宣言された。 その前、パレスチナで生活していたアラブ系住民は約140万人いたが、5月だけで42万3000年がガザ地区やトランス・ヨルダン(現在のヨルダン)に移住、結局、イスラエルとされた地域にとどまったパレスチナ人は11万2000人にすぎなかったという。 1967年にイスラエル軍は奇襲攻撃(第3次中東戦争)でアラブ軍を蹴散らし、エルサレム、ガザ地区、シナイ半島、ヨルダン川西岸、ゴラン高原などを占領、今でもガザやヨルダン川西岸では破壊と殺戮を繰り返している。その間、「国際社会」とやらは有効な手立てを講じることがなかった。国連も機能していない。アラブ諸国の政府も傍観者の域を出ていない。 つまり、パレスチナ人は孤立無援の状態。このとき、イスラエル軍に立ち向かったのはファタハ。この組織でスポークス・パーソンを務めていたのがアブー・アンマール、つまりヤセル・アラファトである。1969年2月、アラファトはPLOの執行委員会議長に選ばれた。 そして1993年、アラファトはノルウェーのオスロでイスラエルのイツハク・ラビン政権と秘密裏に交渉、1993年9月に両者はアメリカのワシントンDCで「暫定自治原則宣言」(オスロ合意)に署名した。少なからぬ問題があることは事実だが、和平に向かって大きな一歩を踏み出したとは言える。 が、この合意に強く反発する人たちがいた。パレスチナ人社会はアラファトの影響力でまとめられるとしても、イスラエルの軍事強硬派やアメリカのネオコン(親イスラエル派)を抑えることは困難だった。因果関係は不明だが、合意後、交渉の当事者には苛酷な運命が待っていた。これは偶然だろうか? 交渉を仲介していたアメリカのビル・クロントン大統領に対するスキャンダル攻撃が本格化するのは1993年の終盤。1995年11月にはラビンが暗殺され2000ねんにはリクードの党首だったアリエル・シャロン党首が数百名の警察官を従えてエルサレムの神殿の丘を訪問、そして2004年にアラファトが死亡する。その死因として浮かび上がってきたのが放射性物質、ポロニウム210だ。 オスロ合意の前、アメリカでは、少なくとも一部の支配層は旧ソ連圏のほか、中東を軍事的に制圧する意志があった。つまり、オスロ合意は彼らの青写真をメチャクチャにする許し難いことだったのだろう。 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、ジョージ・H・W・ブッシュが大統領だった1991年の段階で、旧ソ連圏の国々、シリア、イラン、イラクを5年から10年の間に掃除するとポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)は語っている。 また、ニューヨークの世界貿易センターやペンタゴンが攻撃された2001年9月11日の直後には、攻撃予定国として、イラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンをジョージ・W・ブッシュ政権はリストアップしていた。 さらに、ジョージ・W・ブッシュ政権がサウジアラビアなどの国々と手を組んでシリアやイランを攻撃する秘密工作を始めたと、2007年に調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは警告している。 シリアの反政府派を支援するのも、あるいはガザでの破壊と虐殺を黙認するのも、結局は一部の「西側」支配層やイスラエルが描く支配戦略に基づいている。民主化、人道、独裁、虐殺といった標語は全く意味がない。
2012.07.16
シリアのタラムセハで住民が虐殺されたという反政府派の話が早くも揺らぎはじめている。「西側」のAFPやニューヨーク・タイムズ紙も政府軍が攻撃したのは反政府軍、つまり戦闘だったという話を伝えているのだ。 ニューヨーク・タイムズ紙によると、タラムセハは反政府軍の拠点で、200から300名の戦闘員が駐留していたという。先週の戦闘で死亡した人のうち、身元の確認できたのは103名、その90%は若い男性だということを反政府派のシリア人権観測も認めている。死亡者リストの中に女性の名前は見当たらないようだ。 リビアへの軍事侵攻あたりからイギリスの積極的な姿勢が目立つのだが、シリア駐在のフランス大使だったエリック・シュバリエの告発にしても、今回の報道にしても、西側支配層の内部に戦争を避けたいと考える人たちが相当数、いるのかもしれない。
2012.07.15
シリアのタラムセハで虐殺があったと報道されている。政府軍がヘリコプターで空爆した後、シリア政府の地上軍や親政府派の武装集団が住民を殺したという。 すでにシリアでの戦闘は激しく凄惨なものになり、多くの犠牲者が出ている。当初から反政府軍は暴力的で、背後でNATOや湾岸産油国が暗躍していた。このことは本ブログで何度も書いてきた。 シリアの体制転覆を目指す勢力に加わっているトルコは、昨年春から反シリア政府軍に軍事的な拠点を提供、同国にある米空軍インシルリク基地ではアメリカの情報機関員や特殊部隊員、イギリスとフランスの特殊部隊員がFSA(自由シリア軍)を訓練してきた。 実は、この当時からアル・ジャジーラなどの報道は正しくないことを、少なくともフランス政府は知っていた。今年3月、シリア駐在のフランス大使だったエリック・シュバリエがこの事実を明らかにしている。 シュバリエによると、流血の弾圧は行われていないということをアラン・ジュペ外務大臣兼国防大臣(当時)に報告したのだが、これに外相は激怒し、残虐な弾圧が行われていると書き直せと脅したという。「暴力的な政府軍」というイメージを作り出せなくては軍事介入の口実にならないということだろう。その一方、反政府派は最初から武器を使っている。 こうした反政府軍の実態は当初から一部で指摘されていたのだが、「西側」のメディアはそうした報告を無視、「平和的な民主化運動」を「残虐な政府軍」が弾圧しているというシナリオで報道し続けてきた。 そうしたメディアの流す偽情報も最近は明らかになり、「西側」のメディアは赤っ恥をかくことになった。例えば、ホウラ地区で住民を虐殺したのは反シリア政府軍だとローマ教皇庁のフィデス通信やドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙も伝え、イギリスのチャンネル4のアレックス・トンプソンは、反政府軍が彼の取材チームを交戦地帯へと導き、政府軍から銃撃されるように仕向けたとしている。 今年に入り、シリアの体制転覆をめざすNATOや湾岸産油国は「リビア方式」から「コソボ方式」に切り替えるという話が流れていた。つまり、NATO軍が空爆で政府軍を叩きつぶし、地上のアル・カイダ系武装集団や傭兵を使って止めを刺すというシナリオから、「死の部隊」を編成してラテン・アメリカやベトナム戦争中のフェニックス・プログラムのような皆殺し作戦を展開、追い詰めていくという作戦への変更だ。 ユーゴスラビアを攻撃した際、コソボには軍事施設が作られ、そこでコソボ解放軍(KLA)は訓練を受けていた。その施設がシリアの反政府軍を訓練するために使われている可能性がある。そうした中、「西側」のメディアは赤っ恥を承知でプロパガンダを続けている。
2012.07.14
ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、リビアというように、NATO諸国、つまりアメリカ、イギリス、フランスなどは立て続けに独立国家を先制攻撃してきた。 その結果は破壊、殺戮、そして略奪。そうした攻撃を正当化するため、「人道」や「テロとの戦争」というようなフレーズが使われたが、いずれも嘘だったことが「後で」判明する。シリアでも同じことが繰り返され、本ブログでは何度も書いたように、NATOや湾岸産油国はすでに軍事介入している。 戦争は平和、自由は隷属、無知は力、そんな類の標語を使って「西側」は国民を戦争へと導いたということだ。国民は騙されたと言って責任を回避しようとするのだが、これだけ続けて騙されたとなると、騙されていることは百も承知で戦争に賛成していると言われても仕方がない。 いや、たとえ本当に騙されたとしても、騙された人びとも責任は免れない。伊丹万作が言ったように、「騙されるということもまた一つの罪」なのである。攻撃された人びとにしてみると、自分たちの社会が破壊され、住民が虐殺され、富を奪われた後、「御免、御免」と言われても仕方がない。取り返しがつかない。ま、取り返しのつかないところまで突っ走ってしまえ、ということなのだろう。 ただ、シリアの場合、嘘が次々に露見している。「活動家」が偽情報を「西側」のマスメディアへ伝えている様子などが明るみ出たほか、ホウラ地区で住民を虐殺したのは反シリア政府軍だとする報告をロシア人ジャーナリスト、ローマ教皇庁のフィデス通信、ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙が伝えている。また、イギリスのチャンネル4のアレックス・トンプソンは、反政府軍は彼の取材チームを交戦地帯へと導き、政府軍から銃撃されるように仕向けたとしている。 そして最近、シリア政府は化学兵器を使用する準備を始めたとする匿名のアメリカ政府高官の話を伝え始めた。ただ、兵器庫の所在地など具体的な話はしていないようで、単なる「お話」のレベルなのだが、その割には大きく取り上げられている。 実は、反政府軍がリビアから化学兵器を入手したという情報も先月、シリアで伝えられていた。今回の話よりは具体的なのだが、「西側」のメディアにとっては「価値がない」情報だったようで、無視されている。 常識的に考えれば、シリア政府はNATO/湾岸産油国軍による本格的な軍事侵攻は避けたいはずで、その口実になるような作戦を実行する可能性は低い。逆に、軍事侵攻を正当化するような出来事をNATO/湾岸産油国軍は望んでいる。
2012.07.13
中東/北アフリカで軍事衝突が激しくなり、不安定化している。アメリカ政府が偽情報を撒き散らしながらアフガニスタンやイラクを先制攻撃、戦争は泥沼化したのだが、それに続いてNATO(英仏米)や湾岸産油国がリビアやシリアに軍事介入、イランに対しても軍事的な圧力を強めた結果だ。 NATOや湾岸産油国がどのように軍事介入しているのかは本ブログで何度も書いてきた話。ここにきて話題になっているのは軍艦の集結。地中海の東部にロシアが11隻以上の軍艦を移動させる一方、NATOがSNMG2(第2常設NATO海洋グループ)を派遣、フランスは原子力空母、シャルル・ド・ゴールR91などをアラブ首長国連邦に集結させているようだ。 アメリカ軍は空母ドワイト・D・アイゼンハワーを中心とする艦隊をペルシャ湾へ向かわせているようだが、この艦隊は数十隻の無人潜水艦を積み込んでいるという。このほか8月には空母ジョン・C・ステンニスがこの海域に到着する予定で、エンタープライズとエイブラハム・リンカーンと合わせると4隻、フランスの空母を加えると5隻の態勢になる。尋常ではない。 要するに、軍事的な緊張を厭わずに中東/北アフリカの制圧を目指すNATOだが、ここにきて大きな問題が持ち上がった。カタールのメディア、アル・ジャジーラがヤシル・アラファトの衣類や歯ブラシなど身の回りの品々から放射性物質、ポロニウム210を検出したと報道したことから、国際的な再調査を求める声が高まったのだ。これに対し、アメリカやフランスは再調査を止めさせようと圧力を加えていると伝えられている。 アラファトが死亡したのは2004年11月のこと。その当時から暗殺説は流れていた。調査しないように圧力を加えている理由は、「中東和平」にとってマイナスになるからだというのだが、アメリカ、イギリス、フランスといったNATO諸国は軍事的に中東/北アフリカを制圧、支配システムを自分たちに都合良く変えようとしているわけで、「和平」などという言葉を持ち出すのは奇妙だ。つまり、アラファトの死の真相が明るみに出ると、自分たちにとって都合が悪いことになりかねないと懸念しているのだろう。
2012.07.12
東電福島第一原発の事故は日本社会の歪んだ姿を明確にした。その現実に気づいた庶民は怒りの声をあげ始め、首相官邸を数十万人が取り囲むという事態にも発展している。そうした事実の取り上げ方をみると、日本のマスコミにとっては「想定外」の展開だったかもしれない。 社会が歪んでくる最大の理由は相手を尊重しないことにある。自分さえよければ良いとする考えが広がり、強者が弱者を食い物にし、多数派が少数派を圧迫し、狡賢い人間が正直者を騙すようになると、世の中は乱れて殺伐としてくる。 新自由主義とはこうした社会を作り上げる考え方なわけで、必然的に貧困と犯罪を深刻化させることになる。貧困と犯罪は相互に密接な関係があるわけだが、そうした現象が教育の現場でも現れている。ひとつの学校ではなく、学校の集まりが社会の縮図になっている。 昔から「子は親を映す鏡」だと言われているが、同じように「学校は社会を映す鏡」。社会では「おとな」たちが隠していることを生徒はストレートに表現するので、社会の問題点が見えやすくなっているとも言える。 それだけでなく、学校は将来の社会を作り上げる苗床的な存在でもある。教師の言動は教育委員会や文部科学省の意向が影響、つまり支配層のビジョンが反映しているということだ。これを「洗脳」と表現する人もいる。 支配層の意志をより明確に学校へ反映させようとしているのが橋下某のグループ。マスコミは彼らを好意的に扱っているが、彼らが進もうとしている先にはファシズム体制がある。橋下某は体制に対してものを言っているようで、実際は体制を維持する役割を負っているのだ。 新自由主義を掲げる人びとも、自分たちの望むシステムは社会を混乱させるということを理解、そのために監視と取り締まりを強化しようとしている。つまり、新自由主義の最終形態はファシズム体制ということになる。庶民が学ぶ学校でファシズム化が進むのは当然ということでもある。 教育に限らないのだが、日本の支配層はアメリカから大きな影響を受けている。新自由主義もアメリカとイギリスが震源地だった。そのアメリカでは公立の学校が「収容所化」している。これは比喩でなく、学校内で生徒を警官が実際に取り締まるという事態になっているのである。学校は「主権者」を育てる場でなく、「囚人」として扱われることに慣れさせ場になった。今後、日本の学校もそうした状況になる可能性が高い。橋下某や石原某はその先兵だと言えるだろう。 1998年に「日米21世紀委員会」がまとめた報告書にも出てくるように、日米のエリートたちは「教育の全面的な規制緩和と自由化」を掲げているのだが、収容所化の根源にはこの政策がある。勿論、こうした「教育」は庶民に対するものだ。 アメリカでは「貧困」を犯罪として処理するようになっていると指摘する人もいる。貧困問題を解決して犯罪を減らすのではなく、貧困を犯罪と考え、貧困層を刑務所に収容してしまおうということである。そうした影響なのか、アメリカでは「刑務所」が成長産業になっている。 子どもたちが学べる環境を整え、社会的な強者が傍若無人に振る舞えないようなルールを作るよりも、貧困問題を刑務所の中に押し込めてしまった方が安上がりということ。刑務所を運営する財源、つまり税金も庶民に出させれば良い。 だからこそ、「日米21世紀委員会」は「均一タイプの税金」を導入したがっている。つまり累進課税を否定し、消費税の依存度を高めようというわけだ。しかも、富裕層、つまり社会的な強者は税率を下げてもらうだけでなく、タックス・ヘイブンを利用して租税を回避できる。 アメリカの現実は近い将来の日本を示唆している。日本でも教育の荒廃は一層、進むことになる可能性がある。それを力で抑えつけようとするならば、事態はさらに悪くなる。
2012.07.11
内部告発を支援しているウィキリークス。その「看板」として活動してきたジュリアン・アッサンジの身柄をイギリス政府はスウェーデンへ引き渡そうとしている。その先に見通されているのはアメリカへの引き渡し。そうした事態を避けるため、アッサンジは南米のエクアドルへ保護を求めている。米国駐在のエクアドル大使によると、そのエクアドルに対する経済的、あるいは政治的圧力が強まっているようだ。 本ブログでは何度も書いてきたことだが、アッサンジにかけられている容疑は怪しい。スウェーデンの主任検事が一旦、逮捕令状を取り消したのは当然。しかも、アッサンジの拘束(あるいは殺害)に熱心なのは北アメリカの支配層である。 これまでにウィキリークスが公表した情報の中で、恐らく最も衝撃的だったものは、アメリカ軍のアパッチ・ヘリコプターが非武装の人間、十数名を殺害する場面を撮影した映像。2010年4月に公表されている。日本のマスコミは無視したようだが、インターネットで見ることができるので、少なからぬ人が目にしていることだろう。 こうした活動をしているウィキリークスだが、CIAの手先だと冷笑する人もいる。CIAが作ったグループなのかどうかは不明だが、このグループに問題があることは否定できない。まず、公開される情報が彼らによって選別されているということ。当然、判断の基準が問題になる。 グループ自体の創設にCIAなどの機関が直接的に関わっていないとしても、エージェントを送り込むことは可能であり、ウィキリークスに公表させたい情報を「内部告発」という形でリークすることはありえる。場合によっては、中心メンバーを何らかの形で排除して乗っ取るということもありえる。 かつて、イタリアには「赤い旅団」という左翼グループが存在した。トレント大学の学生が1969年に創設、「爆弾テロ」やアルド・モロの誘拐殺人を実行したとされているのだが、その背後には「NATOの秘密部隊(イタリアではグラディオ)」が存在していたと今では指摘されている。 赤い旅団がテロリズム至上主義へ転換したのは1974年。創設メンバーのふたりが逮捕され、替わってリーダーとなったマリオ・モレッティの影響だと言われている。ほかの活動家が逮捕されてもモレッティは無事だったケースもあり、当局のスパイではないかと疑われている。モロの誘拐が余りにも手際よく行われたことも疑惑を深めている。学生には不可能ということだ。 つまり、内部告発を支援する目的で創設されても、途中から情報機関や捜査機関が乗っ取り、自分たちにとって都合の良い情報を流す道具にするということはありえる。 それはともかく、アッサンジとは対照的に、アメリカの支配層はオサマ・ビン・ラディンに対して寛容だった。それどころか、最初にオサマ・ビン・ラディンを国際手配したリビアのムアンマル・アル・カダフィを殺害、同じくアル・カイダを危険視して人権無視で取り締まっていたサダム・フセインも処刑させている。 それだけでなく、1996年にはスーダンの国防大臣からオサマ・ビン・ラディンを引き渡すという話があったのだが、アメリカ当局は拒否、2001年10月にはオサマ・ビン・ラディンをパキスタンで裁判にかけるという申し出がパキスタン、アフガニスタン(タリバン)、そしてオサマ自身からあったのだが、アメリカ政府は拒否してアフガニスタンを先制攻撃している。 要するに、ビル・クリントン政権やジョージ・W・ブッシュ政権はオサマ・ビン・ラビンを拘束したくなかった。が、アッサンジは早く拘束したいということのようだ。それが何を意味するのか・・・
2012.07.10
リビアの選挙はマフムード・ジブリールを代表とする「国民勢力連合」が優勢だと伝えられている。ジブリールは国民評議会の元執行委員長で「リベラル派」とされているのだが、要するに「親米派」。1975年にカイロ大学を卒業、78年にアメリカのピッツバーグ大学へ留学して政治科学を専攻、80年に修士号を、85年に博士号を取得した。 それから数年の間、同大学で教鞭を執り、その後、リビア政府に重用される。基本的にリビアは西側と友好的な関係を築こうとしてきたのだが、その辺の思惑が「無名」のジブリール採用につながったのかもしれない。 昨年5月にジブリールはブルッキングス研究所で講演、リビアでムアンマル・アル・カダフィ体制を転覆させる動きが出てきたのは、1980年代の半ばに始まったグローバル化の中での必然と語っている。1980年代の半ばと言えば、丁度、ジブリール自身がピッツバーグ大学で博士号を取った頃だ。 この頃、アメリカはロナルド・レーガン政権で、規制緩和や私有化が叫ばれて富が一部に集中する仕組みが強化されつつあった。その一方で進んでいたのがCOG(緊急事態における地下政府)プロジェクト。憲法の機能を停止させる一種の戒厳令計画である。 この計画はFEMA(連邦緊急管理庁)の創設で幕を開ける。1979年のことだ。1982年に大統領は「NSDD(国家安全保障決定指令)55」を出し、この指令に基づいてCOGは始まる。ジョージ・H・W・ブッシュ副大統領やNSC(国家安全保障会議)のオリバー・ノース中佐、さらにリチャード・チェイニーやドナルド・ラムズフェルド、ジェームズ・ウールジーたちもプロジェクトに参加していたと言われている。 この極秘プロジェクトが公の席で始めて触れられたのは1987年。「イラン・コントラ事件」の公聴会で、ジャック・ブルックス下院議員がオリバー・ノース中佐にプロジェクトについて質問したのだ。ただ、このときはダニエル・イノウエ上院議員が「高度の秘密性」を理由にしてさえぎったため、詳しい内容は明らかにされなかった。つまり、イノウエ議員はCOGについて知っていた。 当初、COGの目的は核戦争になっても政府機能が維持できるようにすることだったのだが、1988年に出された大統領令12656によって目的が「国家安全保障上の緊急事態」に変わる。政府が緊急事態だと判断すれば、憲法を停止できるということだ。 言うまでもなく、このCOGが実際に動き始める切っ掛けになったのが2001年9月11日の出来事。ニューヨークの世界貿易センターにそびえていた高層ビル2棟に航空機が突入し、ペンタゴンが攻撃されたあの出来事である。 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、1991年頃にアメリカのネオコン(親イスラエル派)は中東や北アフリカを軍事制圧する作戦を練り始め、「911」からしばらくするとアフガニスタンに続く攻撃予定国リストができあがっていた。イラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンだ。旧ソ連圏や中国の体制を転覆させる計画もあると言われている。この辺の事情はイギリスの元環境大臣、マイケル・ミーチャー議員が2003年にガーディアン紙で書いている。 リビアのカダフィ政権はアフリカを統合、欧米から自立するという計画を立て、決済もドルをやめて金貨にしようとしていたと言われている。BRICS、特に中国と友好的な関係を結びつつあったことも有名だ。アメリカだけでなく、歴史的にアフリカの資源を食い物にしてきた欧米の支配層、特にイギリスやフランスにとっては由由しき事態。カダフィ体制の崩壊が誰の利益になったのか、言うまでもないだろう。 カダフィ政権が崩壊した直後からエネルギー利権に欧米の巨大資本が群がり、傭兵がリビアの将兵を訓練するために派遣されている。その一方でアフリカが不安定化しているのは偶然でない。 国民勢力連合のライバルだとされているのは、サウジ・アラビアと緊密な関係にあるムスリム同胞団。リビアの地上戦で体制転覆の主力になったアル・カイダ系のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)も大きな影響力を持っているが、主戦場をシリアへ移している。そのシリアでもNATOや湾岸産油国、つまりイギリス、アメリカ、フランス、トルコ、サウジ・アラビア、カタールなどの国々は体制転覆を目指して活動している。 トルコがシリアの反政府軍に出撃と訓練の拠点を提供していることは広く知られている話。リビアで体制が転覆した直後、NATOが輸送機で武器をシリアの反政府軍へ提供するためにトルコの基地へ運んだとする情報もある。 反政府軍と実際に接触して武器を渡しているのはトルコ、サウジ・アラビア、カタールで、兵站ルートはトルコだけでなく、ヨルダン、イラク、レバノンとも結ばれているようだ。 トルコ領内だけでなくシリアでも反政府軍の将兵は訓練を受けている。その兵力は約5万人に達し、外国から供給された高性能の通信機器を持ち、外国人の「軍事顧問」、つまりイギリス、フランス、トルコ、サウジ・アラビア、カタールなどの特殊部隊員が各所に配置されて部隊を動かしている。ラテン・アメリカ、特に中米でアメリカが行った作戦を彷彿とさせるのだが、その作戦がもたらしたものは破壊と殺戮、そして麻薬だ。
2012.07.09
7月7日、リビアで選挙が行われる。この選挙を「民主化」の宣伝に使おうとしている人びとがいるのだが、ムアンマル・アル・カダフィ体制を転覆させた経過は、民主化とほど遠いものだった。NATO軍が空爆で政府軍を撃破、地上ではアル・カイダ系の武装勢力で、アメリカ政府から「テロリスト」だとされていたLIFG(リビア・イスラム戦闘団)が中心的な役割を果たした。 リビアで「民主化」は2010年10月に幕を開けたとする話が伝わっている。リビアのノウリ・メスマリ元儀典局長が機密文書を携えてフランスのパリへ亡命、ニコラ・サルコジ仏大統領の側近やフランスの情報機関と接触したというのである。結果として、メスマリはウィキリークス的な役割を果たしたと見る人もいる。 その翌月、11月にフランス政府は「通商代表団」をベンガジに派遣、その中に紛れ込んでいた情報機関や軍のスタッフがメスマリから紹介されたリビア軍の将校と接触している。その月にフランスとイギリスは相互防衛条約を結んでいる。 2011年2月にベンガジで反政府活動が始まり、3月上旬には6名のSAS(イギリスの特殊部隊)メンバーと2名のMI6(イギリスの対外情報機関)オフィサーがヘリコプターでベンガジの近くに潜入、警備の兵士に一時拘束されたが、後にベンガジの港からフリゲート艦「カンバーランド」で帰路についている。イギリスの潜入チームはこの間、反カダフィ派と何らかの話し合いを行ったと考えるのが常識的だろう。 NATOによる空爆が始まるのは3月中旬。イギリスのデイリー・メール紙によると、それから間もない段階で地上へもSASの隊員が潜入していた疑いがある。トリポリを攻撃する数週間前から、イギリスの軍や情報機関は反カダフィ軍に対する支援を活発化させた。 例えば、TNC(暫定国民評議会)が作成した攻撃プランをMI6のオフィサーが添削して整え、イギリス軍は武器、通信機器、そして精鋭部隊をトリポリに送り込んでいたという。首都攻撃は始まるとすぐにイギリス軍は5発の精密誘導爆弾をリビア情報機関の基地に落とし、夜にはトルネード戦闘機がトリポリ南西部にある重要な通信施設を破壊している。 結局、10月にシルトの近くでイギリスの偵察機に発見され、フランスの戦闘機が2発のレーザー誘導爆弾を車列に投下、アメリカ軍の無人機プレデターの攻撃も受け、最後は反政府武装グループからリンチを受けた上でカダフィは殺された。 シルトから脱出に失敗してカダフィは拘束され、惨殺されたわけだが、シルト攻撃には電子機器を専門とするアメリカ人が市内の動向を監視、SASは反政府軍を指揮していたとも伝えられている。 カダフィが逃走を図った際に受けた攻撃で25名以上のカダフィ軍兵士が死亡しているのだが、後にシルト市内でHRW(ヒューマン・ライツ・ウォッチ)は殺された53名のカダフィ軍兵士を発見している。状況から、反カダフィ軍による捕虜の処刑だったと見られている。同じ場所でAFPの記者は、処刑された死体60体を見たという。 カダフィ体制が崩壊した後、ベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられたとする映像がインターネット上にアップされた。地上軍の主力がアル・カイダ系の武装集団だということを考えれば、不思議とは言えない。 NATO軍の空爆では非武装の市民が犠牲になり、アムネスティでさえ、その調査を求めている。体制が崩壊する頃にはサハラ以南の出身者が次々と拘束され、収容所内では拷問と虐殺が横行して批判する声もあった。 リビアで拘束されているカダフィの息子、サイフ・アル・イスラムを裁く準備のために同国を訪れたICC(国際刑事裁判所)のスタッフ4名をリビア側は4週間にわたって拘束した。スパイ行為が内部告発されているシリアの国連監視団(UNSMIS)のメンバーをシリア政府が拘束したら大変なことになるだろうが、NATOや湾岸産油国を背景とするリビアの現体制には誰も手を出さない。 解放後、拘束されていた弁護士のメリンダ・テイラーは、リビアで公正な裁判は不可能だと語っている。父親だけでなく息子の口も封じたいと思っている人たちも少なくないだろう。公正な裁判が不可能な国で公正な選挙が可能だとも思えない。
2012.07.07
内部告発を支援しているウィキリークスが7月5日、「シリア・ファイル」の公表を始めた。2006年8月から今年3月にかけてシリアの政界関係者、閣僚、あるいは企業が送った240万件以上の電子メールを2カ月以上の時間をかけて明らかにしていくという。内容から考えると、シリア政府の周辺から漏れたのだろう。 ここにきてシリアでは体制転覆を目指すイギリス、アメリカ、トルコなどのNATO、あるいはサウジアラビアやカタールのような湾岸産油国に支援された反政府軍の残虐行為が露見してきた。そうした中、ウィキリークスが公表するとしている「シリア・ファイル」がどのようなインパクトを与えるのか、興味深いところだ。 本ブログでは何度も書いていることだが、アメリカのネオコン(親イスラエル派)は遅くとも1991年の段階でシリアの体制を転覆させる計画を立てていた可能性が高い。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官に対し、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)はシリアのほか、旧ソ連圏の国々、イラン、イラクを掃除すると話していたというのだ。 また、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、ジョージ・W・ブッシュ政権はサウジアラビアなどと手を組み、シリアやイランを攻撃する秘密工作を始めたと2007年の時点で警告している。実際、そのときには工作がスタートしていた。 シリアの体制転覆工作は反政府派への資金援助に止まらない。反政府軍を編成、拠点を提供、兵士を訓練し、武器を与えたことは間違いなさそうだ。イギリス、カタール、アメリカ、フランス、ヨルダン、トルコなどは自国の特殊部隊をシリア領内に潜入させ、活動している可能性があるとする情報も流れている。 昨年から一部のジャーナリストは反政府軍の残虐行為を明らかにして、アメリカが中米で展開した工作との類似性を指摘していた。1980年代、エル・サルバドルなどでは「死の部隊」を、ニカラグアでは反革命軍を編成して農民を虐殺した手法だ。ベトナム戦争の際、アメリカの情報機関と特殊部隊が展開した農民皆殺し作戦、フェニックス・プログラム(ソンミ村事件はその一部。詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を)と似ているとする声もある。 シリアの場合、最近、ホウラでの虐殺は反政府軍によるものだとロシアのジャーナリストだけでなく、ローマ教皇庁のフィデス通信やドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙も報告している。また、イギリスのテレビ局、チャンネル4のアレックス・トンプソンによると、反政府軍は彼の取材チームを交戦地帯へと導き、政府軍から銃撃されるように仕向けたと主張している。 こうした事実が明るみに出ても、これまで「残虐な政府軍」と「民主化を求める反政府派」という構図でシリアの戦闘を描いてきた「西側」のメディア(あるいは「左翼」を自称している人びと)は無視しているが、インターネットの発達した現在、そうした情報を封印することは不可能である。原子力の「安全神話」を広めてきた日本のマスコミが、東電福島第一原発の「過酷事故」を経験しても反省していないことを連想させる。せいぜい「アリバイ工作」的な記事を小さく載せるだけだ。シリアの場合、そうした「アリバイ工作」すらないが。 シリアの体制を速やかに転覆させられず、泥沼化しているのが現状だが、そうした中、イスラエルがレバノンに対する大規模な軍事侵攻を準備しているという話も出てきた。シリアの体制転覆による不安定化に備えてのことだという。リビアにしろ、シリアにしろ、イスラム武装勢力が影響力を強めていることは明らかで、そうしたことを理由に挙げているようだが、そうした状況を作り出しているのはNATOや湾岸産油国だ。
2012.07.06
このところ、アメリカやイギリスの支配層は「監視」と「秘密」を声高に叫んでいる。その口実に使われているのが「安全」、「安全保障」、「治安」といった類の言葉。この論理を最もらしく見せために使われているのが「テロ」であり、テロの象徴に祭り上げられているのが「アル・カイダ」なる?(ぬえ)的な存在。アメリカの情報機関や軍がアフガニスタンで作り上げた武装集団がその源流だ。 アメリカでは愛国者法なる反憲法的な法律が作られ、今では令状なしに盗聴し、拘束することが可能になっている。SOPA(オンライン海賊行為防止法案)もインターネット支配の道具として利用される可能性が高い。秘密のカーテンの裏で一部の政治家、官僚、巨大企業で内容が決められつつあるTPP(環太平洋パートナーシップ)協定にもSOPAが組み込まれるとも言われている。 SOPAは言論の自由に対する脅威になるという見方もあるが、それだけでなく、支配層にとって好ましくない情報を発信しているドメインを破壊するため、意図的に「違法ブログ」を作るということもありえる。そのブログを理由にして、ドメイン全体を葬り去るということだ。治安維持法、スパイ防止法、盗聴法、情報保全法のような法律を正当化するため、「テロ事件」や「スパイ事件」をでっち上げるのと同じである。 街中に監視カメラが設置されているイギリス。最近では映像や音声も記録できる「街灯」も開発されている。インターネット上の情報を選別するフィルターと暗号を解読することのできる「ブラック・ボックス」をISP(プロバイダ-)に設置させようという動きがイギリスにはある。個人個人がインターネット上で何をやりとりしているかを監視するための仕組みだ。「テロ」と「オリンピック」を組み合わせ、ファシズム体制を強化しつつある。 このように、支配層は庶民の情報を集め、監視しようとしているのだが、その一方で情報を隠そうとする動きもある。そのため、イギリスでは「秘密法廷」を設置すべきだとケネス・クラーク司法大臣は主張してる。イギリスの限らず、支配層が「秘密」を持ち出す本音は、庶民に知られてはならない権力犯罪、あるいは不公正な仕組みを隠したいということ。 事実を隠すことができれば、プロパガンダも容易になる。現在の状況ではプロパガンダの効果は限定的だ。例えば、シリアの体制転覆を狙う国々、あるいは人びと、つまりイギリス、アメリカのネオコン、トルコ、サウジアラビア、カタール、アル・カイダなどのプロパガンダ、偽情報もインターネットである程度は暴かれている。 インターネットを使えば、例えばローマ教皇庁のフィデス通信やドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙の報道内容を知ることもできる。YouTubeなども反政府派が偽映像を作る現場や残虐行為が公になる一因になった。ウィキリークスを潰すだけでは安心できないと支配層は危機感を持っているはずである。
2012.07.05
ヤシル・アラファトが率いていた時代のPLO(パレスチナ解放機構)はパレスチナ問題を考える上で大きな存在だった。そのアラファトが2004年11月に死亡、PLOの影響力は大きく低下する。彼の死は中東情勢の転換点になったと言える。その後、パレスチナで主役として登場してきたのがハマスだ。 死亡直後からアラファトの死に疑問を持つ人は少なくなかった。自然死ではなく殺されたのではないかという疑惑だ。その疑惑が正しいのか間違っているのか、それをカタールのメディア、アル・ジャジーラが9カ月にわたって調査、死の直前までアラファトが健康だったことを確認、しかも彼の衣類や歯ブラシなどもの回りの品から放射性物質、ポロニウム210が検出され、遺体の調査を求める声が出ている。この件はカタール王室とは直接、関係がなさそうなので、アル・ジャジーラの調査は一応、信頼できるだろう。 パレスチナの歴史を振り返るとイスラム諸国の政府がパレスチナ人に冷淡だったことがわかる。例えば、イスラエルの建国が宣言されたのは1948年5月14日のことだが、アラブ諸国の軍隊が参戦するのはその翌日から。シオニストが「ダーレット作戦」を4月4日に発動し、8日にデイル・ヤーシーン村でアラブ系住民を虐殺しても動きは鈍かった。 1967年6月にイスラエル軍が奇襲攻撃(第3次中東戦争)を開始、アラブ軍を蹴散らしてエルサレム、ガザ地区、シナイ半島、ヨルダン川西岸、ゴラン高原などを占領しているのだが、このとき、イスラエル軍に立ち向かったのはファタハだった。このファタハでスポークス・パーソンを務めていたのがアブー・アンマール、つまりヤセル・アラファトである。1969年2月、アラファトはPLOの執行委員会議長に選ばれた。 イスラエルはアラファトが率いるPLOを警戒、「内輪もめ」でPLOを疲弊させるためにライバルを育てることにする。そこで目をつけられたのがアーマド・ヤシン。当時、ムスリム同胞団の一員としてパレスチナで活動していた人物だ。 ガザにおける同胞団の責任者にヤシンは選ばれ、シン・ベト(イスラエルの治安機関)の監視下、彼はイスラム・センターを創設した。1976年にはイスラム協会を設立、このイスラム協会の軍事部門として1987年に登場してくるのがハマス(イスラム抵抗運動)である。 ムスリム同胞団は1928年、ハッサン・アル・バンナによって創設されているのだが、その際にスエズ運河会社から資金を提供されたとも言われている。つまり、少なくとも創設当初はイギリスと深い関係にあった可能性がある。ムスリム同胞団をイスラムの象徴と考えたり、イスラエルや米英と対立する存在だと思い込むのは危険だ。なお、現在の同胞団はサウジアラビア王室と緊密な関係にあり、シリアでは反政府派に参加している。 ところで、アラファトはノルウェーのオスロでイスラエルのイツハク・ラビン政権と秘密裏に交渉、1993年9月に両者はアメリカのワシントンDCで「暫定自治原則宣言」(オスロ合意)に署名している。 細かい話は省略するが、この合意はとりあえず、パレスチナ和平にとって重要な出来事だった。つまり、和平を望んでいない人びと、例えばアメリカのネオコン(親イスラエル派)やイスラエルの軍事強硬派にとっては許し難いことで、その怒りは当時のアメリカ大統領、ビル・クリントンにも向けられている。 1996年にリチャード・パールやダグラス・フェイスなどネオコンは「決別」という文書を作成、この中でイスラエルのオスロ合意を守る義務はないと明言している。 この問題と直接的な関連があると断定するわけではないが、1993年の終盤からアメリカではクリントンに対するスキャンダル攻撃が始まり、95年11月にはラビンが暗殺された。この暗殺も公式見解に疑問を持つ人が少なくない。例えば、イスラエル人の調査ジャーナリスト、バリー・シャミシュによると、アミールが撃ったのは空砲で、ラビンは病院へ向かう車の中で射殺された可能性が高いという。 この暗殺から5年後、イスラエルの軍事強硬派、リクードのアリエル・シャロン党首が数百名の警察官を従えてエルサレムの神殿の丘を訪問、和平の雰囲気は吹き飛んでしまった。 そして2004年にアラファトが死亡するのだが、その死の原因として浮上した放射性物質、ポロニウム210という名前を覚えている人も少なくないだろう。ボリス・エリツィン時代にロシアで巨万の富を獲得、要するにクレムリンに食い込んで国民の資産を盗んだボリス・ベレゾフスキーに雇われていた元FSB(ロシアの情報機関、連邦保安局)のアレキサンダー・リトビネンコは、この物質で殺されたとされている。 2006年11月にリトビネンコは死亡、「西側」のメディアはロシア犯行説を盛んに流していたが、説得力のある根拠が示されているわけではない。これに対し、リトビネンコの父親、ウォルターは容疑者としてベレゾフスキーの名前を挙げている。
2012.07.04
アメリカ上院の情報特別委員会で委員長を務めるダイアン・ファインスタイン上院議員は、オーストラリアのシドニー・モーニング・ヘラルド紙に対し、内部告発を支援しているウィキリークスとジュリアン・アッサンジを起訴するべきだと語った。 言うまでもなく、アッサンジはウィキリークスの「顔」。このアッサンジをスウェーデン検察は2010年8月に指名手配、11月には逮捕令状が出た。今年、滞在先のイギリスではスウェーデン当局への身柄引き渡しを裁判所が認めた。これに対し、アッサンジ側は現在、エクアドルに庇護を求め、交渉中だ。 アッサンジに対する容疑は「性犯罪」。もう少し具体的に言うならば、合意の上で始めたセックスにおけるコンドームをめぐるトラブルだ。コンドームを装着して始めたが、途中で破けたので止めるように頼んだが続けたとひとりの女性が主張、もうひとりはコンドームが使用不能の状態になったのに続けたと訴えているようだ。もっとも、アッサンジ側は女性の訴えを事実無根だとしている。 このほか、アッサンジが非難されている理由の中には、セックスをした翌日に女性へ電話しなかった、バスの切符をアッサンジが女性に払ってくれと頼んだ、1週間のうちにふたりと関係したことなどが含まれていると伝えられている。 ともかく、ふたりの女性は2010年8月20日にスウェーデンの警察に出向いて被害を訴え、「臨時検事」が逮捕令状を出し、スウェーデンのタブロイド紙が警察のリーク情報に基づいて「事件」を報道するのだが、容疑が曖昧だということで、その翌日には主任検事のエバ・フィンが令状を取り消してしまう。 8月30日にアッサンジは警察から事情を聞かれているが、容疑を否認している。その翌日、9月1日に事態は急変する。検事局長だったマリアンヌ・ナイが前の決定を翻し、捜査再開を決めたのである。しかも、捜査資料がメディアにリークされた。 こうした事件の展開に疑問を抱く人は多く、アメリカのニュースレター、カウンターパンチでもそうした視点から事件を取り上げている。 「被害者」とされる女性のひとり、31歳のアンナ・アーディンはウプサラ大学の研究学生で、メディアに関する会議での講演をアッサンジに依頼したスタッフ。その際にアッサンジはアーディンのアパートに泊まり、セックスをしたという。 その数日後にセックスした別の女性、26歳のソフィア・ウィレンはアッサンジのグルーピーだったとされている。ふたりの女性は知り合いで、一時期YouTubeにアップされていたアッサンジの記者会見を撮影した映像には、ふたりが一緒に映っていた。 ふたりの女性のうち、アーディンは男に対する「法的な復讐」を主張するフェミニストだというだけでなく、キューバの反体制派を支援する活動家だと言われている。アメリカ政府から資金援助を受けている反カストロ/反コミュニストの団体と結びつき、CIA系の定期刊行物で、フィデル・カストロを罵倒してきた。彼女のいとこ、マチアス・アーディンはスウェーデン軍の中佐で、アフガニスタンに派遣されたスウェーデン軍の副官を務めていたともいう。 この「事件」が発覚した直後、ある別の事件が一部で話題になっていた。ギリシャを旅行していた4名以上のイギリス人男性を婦女暴行で訴えた26歳のスウェーデン人女性が多額の保険を請求したのだが、暴行されたという訴えが嘘だった可能性がきわめて高いのである。女性はスウェーデンに帰国し、法廷に姿を現さなかった。女性は組織的な保険金詐欺の一員だったと見られているが、行方は不明だ。 スウェーデンでは2010年9月19日に総選挙が予定されていた。与党は苦戦が予想されていたのだが、フレデリック・レインフェルト首相は強烈なコンサルタントを雇っていた。アメリカのジョージ・W・ブッシュ政権で次席補佐官を務めたカール・ローブだ。アッサンジの件がレインフェルトにとってプラスだったことは間違いないだろう。 このローブは検察を「政争の道具」に使おうとしてきた人物で、ブッシュ政権では意に添わない連邦検察官10名近くを解雇、最終的には93名の検察官を解雇するつもりだったという。またカール・ビルト外相は個人的にカール・ローブと親しい。 アッサンジを最も激しく攻撃しているのはスウェーデンではなく、北アメリカの支配層である。カナダ首相の補佐官だったトム・フラナガンがアッサンジを暗殺しろと叫んだのは別としても、ファインスタイン上院議員のほか、アメリカ下院の情報特別委員会で委員長を務めるピーター・キングもアッサンジを起訴しろと息巻き、ネオコンのジョー・リーバーマン上院議員は内部告発自体を攻撃している。 ウォーターゲート事件で「英雄」になったワシントン・ポスト紙のオーナー(当時)、キャサリン・グラハムは1988年に次のように語っている。 「我々は汚く危険な世界に生きている。一般大衆の知る必要がなく、知ってはならない情報がある。政府が合法的に秘密を維持することができ、新聞が知っている事実のうち何を報道するかを決めることができるとき、民主主義が花開くと私は信じている。」
2012.07.03
ウォール・ストリート・ジャーナル紙によると、シリアが海岸線に配置していた対空砲によってトルコの戦闘機は撃墜されたとアメリカの情報関係者は指摘している。国防関係者も対空ミサイルで撃墜された痕跡はないとしているようだ。公海上でシリアの対空ミサイルによって撃ち落とされたとするトルコ政府の主張に説得力がないとアメリカ側も考えているのだろう。 撃墜に関するシリアとトルコ、両国政府の主張を比較したならば、シリア側の説明に説得力があることは明白で、アメリカ側の分析が「驚き」というわけではない。トルコがシリアの防空システムを調べていたという見方も、常識的なものだ。ただ、アメリカからこうした発言が出てきたのは興味深い。 考えてみると、リビアの体制転覆でもそうだったが、積極的な国はイギリスや湾岸の産油国。アメリカの場合はジョン・マケイン上院議員やジョー・リーバーマン上院議員のようなネオコン(親イスラエル派)、あるいはヒラリー・クリントン国務長官のような戦争ビジネスを背景に持つ人びと。日本のエリートたち、つまり政治家、官僚、大企業経営者、その周辺に蠢いている学者やマスコミ社員などは、こうした好戦派に従い、偽情報を撒き散らしてきた。 しつこいようだが、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、こうした好戦派が中東や北アフリカを軍事制圧する作戦を練り始めたのは遅くとも1991年。その中心にはネオコンのポール・ウォルフォウィッツがいた。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、ジョージ・W・ブッシュ政権はサウジアラビアなどと手を組み、シリアやイランを攻撃する秘密工作を始めたと2007年の時点で警告している。 また、2001年9月11日の直後、ブッシュ政権は攻撃予定国リストを作成、そこにはイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンが載っていたとクラーク元司令官は語っていた。
2012.07.02
関電大飯原発が再稼働されようとしている。昨年3月、東電福島第一原発で引き起こされた「過酷事故」は、奇跡的な幸運に恵まれなければ、日本全滅どころか、アメリカにも深刻な影響を及ぼすところだった。そうした体験から日本の「エリート」は何も学ばず、まるで何もなかったかのように行動している。 福島第一原発で事故が起こった直後、日本人にとっては運の良いことに、風が太平洋に向かっていた。太平洋がそれだけ汚染されたわけだが、とりあえず日本人への影響は軽減されたと言える。 それ以上に幸運だったのは、作業中だった4号機で工事の不手際で通常は張られていない1440立方メートルの水が存在したということ。この奇跡的な幸運がなければ4号機の使用済み核燃料プールの水は全て蒸発、3月の下旬には核燃料棒が外気に触れ、大量の放射性物質を放出する事態になっていたはずだ。 そうなると、第一原発だけでなく第二原発も放棄しなければならなかっただろうと言われている。勿論、放棄された全ての原子炉はメルトダウンすることになった。事故直後、アメリカのNRC(原子力規制委員会、直訳すると核規制委員会)は、プールから水がなくなっているだろうと推測していたが、正しい判断だったと言える。 ところが、こうした幸運を感謝するどころか、当然であるかのように振る舞っているのが日本の「エリート」たち。事実を直視せず、不都合な事実はないことにし、自分に都合良くストーリーを作り上げ、責任をとろうとしないという点で、旧日本軍の作戦参謀たちと同じだ。 1972年、文藝春秋が出していた月刊誌「諸君!」に『「南京大虐殺」のまぼろし』という記事が載り、翌年には書籍として出版されている。1937年12月に南京市を攻撃した日本軍が住民を虐殺し、財宝を略奪したとされる事件をテーマにしている。 筆者の鈴木明(今井明夫)は『「南京大虐殺」のまぼろし』であり、『「南京大虐殺」はまぼろし』だとは言っていないとしていた。この事件に関する話の中には事実とは思えないものが含まれているという趣旨だというわけだ。 この事件当時、南京市の周辺で特務機関員として諜報活動に従事していた知人がいた。「市内をくまなく調べたわけではなく、何人が殺されたかはわからないが、虐殺と言えることが行われたことは間違いない。」とその知人は明確に語っていた。 1972年と言えば、日本が降服してからまだ27年。30歳で終戦を迎えたとしても57歳であり、事実を知っている人はたくさんいた。「ほとんどの男は、とても自分の家族、自分の女房や子供たちに話せないようなことを戦場ではやっている」(むのたけじ著『戦争絶滅へ、人間復活へ』)のだが、何が切っ掛けで話し始めるかわからない。戦争中から、そうした行為を苦々しく感じていた人もいるわけで、ひとりが話し始めると、つぎつぎと具体的な証言が飛び出してくる可能性がある。 つまり、1970年代の段階で『「南京大虐殺」はまぼろし』などと言うことは、少なくとも大々的に主張することは危険だった。「新しい歴史教科書を作る会」の結成が1990年代の後半だということも偶然ではない。ソ連が消滅し、アメリカの好戦派が反中国にシフトしたという背景だけでなく、戦争経験者の高齢化という側面がある。 ともかく、妄想の中にドップリ浸かるという点で、核問題も侵略問題も根は一緒だと言えるだろう。少なからぬ日本人、とくに人生の峠をすぎた男性の中に「マトリックス」的な世界に生きている人が多いようだ。
2012.07.01
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