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キエフ政権は情報統制を強化してきた。そうした環境の中、治安機関SBU(クーデター後にCIAの下請け化)はロシアのメディア、ライフ・ニュースの記者とカメラマンを拘束したと伝えられている。国外追放のうえ5年間の入国禁止になるという。ウクライナの安全保障にとって「取り返しのつかないダメージ」を与えたことが理由のようだ。 ライフ・メディアは1月29日、ウクライナ南東部の戦闘地域にロシア軍が存在していることを示す証拠はないとウクライナ軍のビクトル・ムゼンコ参謀長が発言したと伝えていたが、この報道と逮捕との関係は不明だ。 ウクライナの東部や南部でクーデターに反対するクリミアの住民が自立の意思を示して以来、キエフ政権だけでなく西側の政府やメディアもロシア軍の存在を主張してきた。そのクリミアでの場合、1990年代に締結された条約にも続いて駐留していたロシア軍を侵略軍と主張していたことがすぐに発覚、その後もキエフ/西側の嘘が明るみに出てくる。中東/北アフリカと同じような展開だ。 例えば、昨年、ペトロ・ポロシェンコ政権は数千名規模のロシア軍がウクライナに侵入したと発表、アメリカ政府は曖昧な表現で同じような主張をし、西側のメディアはその話を垂れ流したが、西側メディアが現地を取材してもロシアの部隊は見つけられなかった。 この頃、ウクライナ東部のドネツクにあるノボアゾフスクでキエフ軍はドネツク人民共和国の部隊に包囲されていた。人民共和国側はキエフ軍の兵士を武装解除の上で解放するという方針を出したが、キエフ政権は拒否、自軍の兵士に「玉砕しろ」と命令したと言われている。その後、キエフ軍は崩壊した。キエフ政権が停戦に合意したのは和平を望んでいるからでなく、アメリカ/NATOからの軍事援助を受け、態勢を立て直して攻撃を再開すると見られていたが、その予測は当たった。ロシア制圧を「予定表」に書き込んであるネオコン/シオニストとしては、あらゆる手段を講じて予定を実現するつもりのようだ。
2015.01.31
ウクライナの東部にあるドネツク州マリウポリ市が1月24日に攻撃され、市民に死傷者が出た。アメリカ/NATOが支援しているキエフ政権、そのキエフ政権と戦っているナバロシエ(ルガンスク人民共和国とドネツク人民共和国)の双方が非難し合い、国連の幹部はこれを「戦争犯罪」と呼んでいるようだが、その後の調査で攻撃したのはキエフ側だということが明確になってきた。こうなると国連は沈黙するか、それでもキエフ側と同じことを主張するのか、そのどちらかではないかと推測する人が少なくない。 攻撃に使われたロケット弾の場合、クレーターの状態で飛んできた方向が科学的に推測できるのだが、着弾点の北北東から北西、キエフ側の軍隊が展開している場所を示しているという。これは住民の証言とも一致している。 そこで浮上してきたのが「アゾフ大隊」。昨年4月にドニエプロペトロフスクのイゴール・コロモイスキー知事が組織、200名ほどのメンバーは右派セクターの中から流れてきたという。要するにネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を中心に編成された「親衛隊」の一部で、その約半数は犯罪歴があるとされていた。6月14日にキエフのロシア大使館を襲撃したグループの中心だったとも言われている。 言うまでもなく、ネオ・ナチは昨年2月にキエフでクーデターを成功させたグループの中心。その直後からIMFは東部の制圧をクーデター政権に要求していたが、理由は天然ガスなどの資源にあると言われている。それを略奪して投資を回収する腹づもりで、民族浄化で住民を追い出せば開発はスムーズに進むという計算もあるようだ。 しかし、東部での戦闘はキエフ側が劣勢だとキエフの新聞も伝えている。多くの住民がロシアへ避難したとはいうものの、ネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を使ったクーデターに反発している住民が圧倒的に多く、キエフ軍は侵略軍に過ぎないという環境の中での戦いを強いられている。そこでキエフ政権やアメリカ政府はロシア軍の存在を主張するわけだが、これはウクライナ軍の参謀長が否定している。証拠がないと明言しているのだ。事実なので当然ではあるが、「嘘の帝国」に支配されているウクライナでこうした発言をすることは勇気がいるはずだ。巨大資本とネオ・ナチを2本柱にするキエフ政権への反発もあるのだろう。 クーデター派がキエフの外で虐殺を本格化させたのは昨年5月2日のこと。黒海に面する港湾都市のオデッサでキエフ政権を拒否する住民120名から130名を虐殺、9日にマリウポリ市に戦車などを入れて市内を破壊、非武装の住民を殺害、警察署を攻撃した。 ちなみに、オデッサでは労働組合会館に誘導された住民の多くが地下室で惨殺され、どこかへ運び去られ、上の階へ逃れた人の一部は焼き殺されている。メディアは50名弱が犠牲になったと報道していたが、それは上の階で殺された人の数だ。 その6日後の5月8日は1945年にドイツが降伏してナチス体制が崩壊した記念日。その翌日、9日をソ連は戦勝記念日と定めて祝ってきた。この行事をウクライナの東部でも続けていたが、その日を狙ってキエフ政権はマリウポリ市に戦車などを入れて市内を破壊、非武装の住民を殺害、警察署を攻撃した。 地元の警察は住民を撃てというキエフ政権の命令を拒否、多くの警官は拘束されていたというが、残った警官が警察署にバリケードを築いて立てこもったという。クーデター政府によると、20名の「活動家」を殺害し、4名を拘束したとしているが、住民側は3名が殺され、25名が負傷したとしている。 この時の様子を住民が撮影、インターネット上で公開しているが、興味深いのは住民が逃げずに集まり、銃撃され、死傷者が出ても兵士に抗議して押し返していること。こうした経緯を考えてもマリウポリ市の住民とキエフ政権の送り込んできた武装集団との間に友好的な関係が築かれているとは思えない。 こうした状態であることからキエフ政権や黒幕のアメリカ/NATOはネオ・ナチをを親衛隊として編成して戦わせているわけだが、それでは足りず、アメリカ政府はCIAやFBIの要員、軍事顧問、さらにアメリカやポーランドの傭兵会社から戦闘員を雇って投入している。アカデミ(旧社名はブラックウォーター)系列のグレイストーンに所属していると言われる戦闘員は昨年3月以降、数百名の単位でウクライナ入りしているという。こうした傾向は強まっているだろう。 ウクライナに破壊と殺戮を持ち込んだのは「イスラエル第一」のネオコンや西側を拠点とする「国境なき巨大資本」で、その意向を受けて動いているのがCIAやNATO、その手先になっているのがネオ・ナチという構図だ。 クーデター前、扇動者としてビクトリア・ヌランド国務次官補と同じようにキエフへ乗り込んだジョン・マケイン上院議員は現在、軍事委員会の委員長を務めている。その委員会に先日、ヘンリー・キッシンジャーが呼び出されたのだが、そこで反戦活動のグループがキッシンジャーに対し、「戦争犯罪人」という言葉をぶつけた。 チリのクーデターやカンボジアの空爆など多くの人びとを虐殺した黒幕であり、そう呼ばれても仕方がないのだが、マケイン委員長は「黙らないと逮捕させるぞ」と威嚇したうえ、「ここから出て行け、下層のカス」と言い放った。 オリバー・ストーンが制作したドキュメンタリー映画「国境の南」の中で、アルゼンチンの大統領だったネストル・キルシュネルはジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)から聞いた話を紹介している。「経済を復活させる最善の方法は戦争」であり、「アメリカの経済成長は全て戦争によって促進された」とブッシュ・ジュニアは語ったというのだ。マケインも同じように考えているのだろう。 戦争で死ぬのは「下層のカス」だけ。ブッシュ・ジュニアはベトナム戦争の際、「シャンパン部隊」と呼ばれる支配階級向けに作られ、危険な任務にはつかない部隊へ入隊していた。名前だけの入隊だったとも言われている。 こうした連中は戦争を始めるため、まず嘘をつく。ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、イラン、ウクライナ・・・すべて嘘から始まっている。西側の「有力メディア」がアメリカの軍事戦略をすべて逆に描き、「自衛」のため、「不本意ながら戦争をする」と宣伝するわけだ。アメリカが嘘を繰り返していることを承知で、「ロシア軍の侵攻」などという嘘を信じた振りをする人は「リベラル派」や「革新勢力」を自称するグループの中にも少なくない。アメリカは勿論、西側全体が「嘘の帝国」になっている。
2015.01.30
ふたりの日本人がシリアで拘束されて以来、日本のマスコミはIS(イスラム国、ISIS、ISIL、IEILとも表記)を大きく取り上げるようになった。ISはアメリカ軍やイスラエル軍と同じように、これまでも殺戮と破壊を繰り返してきた戦闘集団。今回は日本人が巻き込まれたということにすぎない。少なくとも現地に住んでいる人びとの命をマスコミは大して気にしてこなかった。アジア侵略を反省しないはずだ。 本ブログではISと呼んでいるが、正確に訳すと「イラクとレバント(エーゲ海や地中海の東岸地方)のイスラム首長国」。これを英訳し、そのイニシャルで表現するとIEILになる。「首長国(Emirate)」を「国(State)」にするとISIL、「レバント」を単にシリアと表現するとISIS、ISISは古代エジプトの女神と同じになるので地域名を落としてISにすることも少なくない。 この集団が組織されたのは1999年のことで、その時の名称は「一神教聖戦団(JTJ)」だったという。2003年にアメリカを中心とする連合軍がイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒すとアル・カイダ系の戦闘集団がイラクに入り込んでくる。JTJは2004年10月にオサマ・ビン・ラディンへ忠誠を誓い、AQIと呼ばれるようになった。リーダーはアブ・ムサブ・アル・ザルカウィなる人物だとされている。 もっとも、オサマ・ビン・ラディンは2001年12月に死亡しているとも言われている。彼は腎臓が悪く、「9/11」の2カ月前、2001年7月にアラブ首長国連邦ドバイの病院へ入院していたと伝えられている。人工透析しなけらばならない状況だったという。 その入院患者を見舞うために家族のほか、サウジアラビアやアラブ首長国連邦の著名人が訪れているのだが、その際にCIAの人間と会ったとフランスのル・フィガロ紙は報道している。 エジプトで出されているアル・ワフド紙にオサマ・ビン・ラディンの死亡記事が掲載されたのは2001年12月26日付け紙面。その10日前、肺の病気が原因で死亡し、トラ・ボラで埋葬されたというのだ。 それはともかく、AQIはイラクで殺戮と破壊を始め、2006年になると小集団を吸収、その年の10月からISI(イラクのイスラム国)と名乗るようになった。それから5カ月ほどしてアブ・ムサブ・アル・ザルカウィは殺され、アブ・アブドゥラ・アル・ラシド・アル・バグダディが率いるようになったとされている。この新しいバグダディの正体も明確でなく、モサドのエージェントだという噂もあるほどだ。 しかし、2007年当時、元CIAオフィサーで中東の専門家だったブルース・リーデルは、バグダディの実在を疑っていたという。そのバグダディは2010年4月に殺され、アブ・バクル・アル・バグダディが新しいリーダーになって現在に至っているとされているが、実在したかどうかは不明のままだ。 2011年にアメリカ/NATOやペルシャ湾岸産油国はリビアやシリアの体制転覆作戦を開始、リビアはその年のうちにNATOの空爆、アル・カイダ系LIFGの地上攻撃というコンビネーションで体制転覆に成功するが、シリアでは目論見通りに進まず、アル・カイダ系戦闘員が送り込まれた。西側の有力メディアは偽情報を流し、こうした反シリア政府軍を支援したが、途中で嘘が発覚している。これは本ブログで何度も書いた。 それでもシリア政府軍の優勢な情勢は変わらず、2012年にアメリカの情報機関や特殊部隊がヨルダンの北部に設置された秘密基地で5000名とも6000名とも言われる反シリア政府軍の戦闘員を訓練しているのだが、その中からISの主要メンバーが出ている。 2013年4月にISIはシリアでの戦闘を開始、「イラクとレバントのイスラム首長国」を名乗るようになり、西側の政府やメディアはシリア政府軍が化学兵器を使っていると叫び始めるのだが、実際に使っているのは反シリア政府軍だということが明らかになったことは本ブログで何度も書いてきた。 その年の9月、退任間近だった駐米イスラエル大使のマイケル・オーレンは、イスラエルが期待しているのはシリアの体制転覆だとしたうえで、バシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っている。イスラエルはこれまで何度かシリアを空爆しているが、ISを支援するものだと指摘されている。少なくとも結果としてイスラエル軍がISを支援している。アメリカ軍の攻撃にも疑惑がある。 ISはパキスタンへも侵入しているようだが、昨年12月に指揮官のユザフ・アル・サラフィを含む3名がラホールで拘束されたという。尋問で活動資金がアメリカ経由で彼らの手に渡っていることが判明、現地での活動だけでなく、シリアで戦う戦闘員を雇う工作も行い、戦闘員ひとりにつき600ドルを受け取っていたようだ。 アル・カイダを動かし、ロシア政府を「テロ攻撃」で脅したのはサウジアラビアで駐米大使や総合情報庁長官を務めたバンダル・ビン・スルタン、ISの雇い主と言われているのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子だが、その背後にはサルマン新国王もいるということは本ブログでもすでに書いた通り。ISに拘束された日本人の問題でアメリカ、イスラエル、サウジアラビアなどと協力するというのは笑止の至り。この3国は交渉相手・・・いや、日本も仲間かもしれない。そうだとするならば、すべてはシナリオ通りに進んでいる。
2015.01.29
スパイ活動法に違反したとしてアメリカで起訴されていたCIAの元オフィサーで内部告発者のジェフリー・スターリングに有罪の評決が出た。この人物は2003年に上院情報委員会に接触し、よく練られていないうえ、手際が悪く、危険な作戦について通報している。 その作戦とは、「マリーン」という暗号名のロシア人科学者を介してイランへ核弾頭の「欠陥青写真」を渡すというもの。その事実が2006年に出版されたジェームズ・ライゼンの著作『戦争国家』(日本版のタイトルは『戦争大統領』)の中に書かれていたことから、証拠を示すことなくスターリングが情報源だとされた。 2001年9月11日の攻撃後、ジョージ・W・ブッシュ政権はイラク、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダン、そしてイランを攻撃する計画をたてていたとウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官は語っている。そのうちシリア、イラン、イラクについては1991年の段階でポール・ウォルフォウィッツ国防次官が主張していたという。 イラク攻撃を正当化するため、アメリカ政府はサダム・フセイン政権と「9/11」との関係を流す一方、「大量破壊兵器」の存在を強調、今にもアメリカが核攻撃されるかのように宣伝していた。そうした嘘を広めていたのが「言論の自由」を尊重していると称する有力メディアだ。 そうした嘘を裏付ける話のひとつとして出てきたのが「ニジェールからイエローケーキ(ウラン精鉱)をイラクが購入する」という情報だが、これは嘘だということをジョセフ・ウィルソン元駐ガボン大使が明らかにした。CIAの依頼で彼が調査、事実でないと報告している。 その直後、ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニスト、ロバート・ノバクはウィルソンの妻、バレリー・ウィルソン(通称、バレリー・プレイム)がCIAの非公然オフィサーだという事実を暴露。ブッシュ・ジュニア政権の嘘を明らかにしたウィルソンへの報復だと言われたが、この女性はイランの大量破壊兵器に関するCIAの調査を指揮していたとも言われ、その調査を妨害することが目的だったという推測もある。 モハメド・エルバラダイが事務局長を務めていた時代のIAEAもイランの核兵器開発には否定的で、事務局長が天野之弥に交代したとき、アメリカは喜んでいる。天野はアメリカの言いなりだと理解されているのだろう。新事務局長になって公表された報告書ではmay、might、couldといった単語を連発、つまり「かもしれない」という次元でイランを批判している。つまり、「証拠はないが、怪しい」。 スターリングを起訴した勢力は、彼の情報がイランの核兵器開発を促進したと主張したいのだろうが、この作戦が行われた時点でイランは核兵器の開発を放棄していた可能性が高い。「マリーン作戦」はイランを刺激して核兵器開発をはじめさせようとしたと疑われても仕方がないだろう。 裁判ではイランに潜入しているCIAのエージェントを特定できるデータを渡した責任も問われたのだが、この出来事はスターリングがCIAを辞めた後、2004年に起こったとされている。CIA本部の某オフィサーが間違えてイランに張り巡らせたスパイ網を明らかにしかねないデータをひとりのエージェントへ送ったのだが、この人物が二重スパイで、その資料はイランの治安機関へ渡ってしまったという。この件にスターリングは関係なさそうだ。この失態をライゼンに書かれたことがCIAの幹部には許せなかったのだろう。 問題の本を書いたのはニューヨーク・タイムズ紙の記者だが、同紙を含むアメリカの有力紙は基本的に支配層のプロパガンダ機関。21世紀に入ってからその傾向は強まり、このケースでも「知る権利」は軽んじられている。 2003年にイランを先制攻撃する際、アメリカやイギリスの政府が偽情報を流していることを有力メディアの一部は報じたが、それに対する報復があり、それ以降はプロパガンダ機関化が進んだ。 ワシントン・ポスト紙の記者としてウォーターゲート事件を明るみに出したカール・バーンスタインは1977年、同紙を退社した年にローリング・ストーン誌で「CIAとメディア」という記事を書き、その中で400名以上のジャーナリストがCIAのために働いていることを明らかにした。(Carl Bernstein, “CIA and the Media,” Rolling Stone, October 20, 1977) また、ドイツの有力紙、フランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)の元編集者でヘルムート・コール首相の顧問を務めた経験もあるウド・ウルフコテはドイツの腐敗した編集者や記者の実態を自著の中で告発した。ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストがCIAに買収され、例えば、人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開しているとしている。 そうした中、最近ではロシア系のテレビ局RTをアメリカの支配層は敵視、NBCニュースの元社長で、アメリカ放送管理委員会(BBG)の委員長に任命されたアンドリュー・ラックは最近、RTをIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)やボコ・ハラムなどと同列に扱っている。 ロン・ポール元米下院議員は2008年に出版された自著『革命』の中で「嘘の帝国において、事実は反逆である」と書いている。言うまでもなく、同元議員がいう「嘘の帝国」とはアメリカを指しているのだが、日本にはアメリカの有力メディアを「言論の自由」の象徴として崇拝、ロシアの政府やメディアが発信する情報は端から嘘だと決めつけている人が少なくない。
2015.01.28
西側では巨大資本の損失を「大きすぎて潰せない」という名目で救済、その経営者の犯罪行為は「大きすぎて処罰できない」ということで許してきた。徹底した捜査を行えば、収拾がつかなくなるのかもしれないが、これが西側の自称「民主主義国家」の実態。巨大資本や富豪を擁護、その尻ぬぐいを強制されているのが庶民だ。現在、アメリカでは富が0.01%に集中しているというが、当然だろう。 そうした仕組みに対する怒りが1月25日に行われたギリシャの総選挙で爆発、急進左翼進歩連合が勝利したが、巨大資本は資金を止めるなどあらゆる手段を講じて新政権を潰しにかかるだろう。 これまでも公務員給与の削減、年金のカット、増税、私有化などを強要してきたIMF、欧州委員会、欧州中央銀行などが代理人として動くはずで、前途多難だということは否定できないが、希望がないわけではない。例えば、天然ガスを運ぶパイプラインをトルコからギリシャへ伸ばし、EUへ運ぶというルートができれば経済的な問題を解決する大きな一歩になる。 すでにロシアから黒海を通ってトルコへ運ぶ「ブルー・ストリーム」は存在するが、ロシアとEUが計画していた天然ガス輸送用のパイプライン、「サウス・ストリーム」がアメリカの圧力でブルガリアが建設の許可を出さずに御破算、トルコ経由に切り替える方針をロシアは打ち出しているので、新たなパイプライン建設にギリシャが食い込むチャンスは十分にある。 サウス・ストリームはロシアから黒海を横断、ブルガリア、セルビア、ハンガリー、スロベニアを経由してイタリアへ至るルートだったが、ロシアは見切りをつけた。替わってトルコへ輸送する新ブルー・ストリームを建設する。このルートにEUが対応しなければ、天然ガスは東アジアへ運ばれる。そこには中国、朝鮮、韓国、そして日本がある。ロシアにとって中国が最重要国だろうが、朝鮮や韓国も加わろうとするだろう。そうした時、日本がアメリカの顔色を伺って取り引きに参加しなかったら、相対的に大きなダメージを受けることになる。 勿論、ギリシャにも圧力が加わるだろうが、債務問題の交渉に利用できることは確か。EUからの離脱という選択肢もあり、簡単にギリシャの新政権を倒すことはできないだろう。イタリアやスペインなどEUにはギリシャと同じ問題を掲げた国もあり、西側支配層の対応によってはEUが崩壊する可能性もある。 ロシアへの「制裁」をアメリカから強要されたEUは大きなダメージを受け、アメリカへ従属することに反発する声は支配層の内部からも聞こえてくる。ドミニク・ストロス-カーン前IMF専務理事もそうしたひとり。 失業や不平等は不安定の種をまき、市場経済を蝕むことになりかねず、不平等を弱め、より公正な機会や資源の分配を保証するべきだと主張、進歩的な税制と結びついた強い社会的なセーフティ・ネットは市場が主導する不平等を和らげることができ、健康や教育への投資は決定的だと語り、停滞する実質賃金などに関する団体交渉権も重要だと2011年4月、ブルッキングス研究所で主張してる。ストロス-カーンがレイプ容疑で逮捕されたのはその翌月だった。 ドイツではロシア嫌いで有名なアンゲラ・メルケルが首相を務めているが、それでも閣内からアメリカ追随政策への反発が出ている。また、ストロス-カーンの母国フランスでは昨年7月、同国の大手石油会社トタルの会長兼CEOだったクリストフ・ド・マルジェリはロシアの天然ガスへの依存を減らすという考え方を批判、そうした行為はロシアを中国へ接近させると語っていたが、その通りの展開になった。彼は石油取引をドルで決済する必要はないとも言っている。 そうした発言をした3カ月後、ド・マルジェリはモスクワの空港で事故のために死亡しているが、そうした意見はフランスから消えていないだろう。実際、12月6日にはフランソワ・オランド仏大統領がカザフスタンからの帰路、ロシアを突然訪問してプーチン大統領とモスクワの空港ビルで会談、年明け後には西側のロシアに対する「制裁」を辞めるべきだと語っている。フランスの週刊紙、シャルリー・エブドが襲撃されたのはその直後のことだった。 アメリカ政府の「制裁」はEUを窮地に陥らせただけでなく、ロシアと中国を接近させてドルを基軸通貨とする貿易システムを崩壊させようとしている。ロシアや中国はすでに決済をゴールドで始めているようで、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)やSCO(中国、ロシア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタン)へ波及する可能性がある。スイスもアメリカと一線を画すようになってきた。 ロシア、イラン、ベネズエラといったアメリカへの従属を拒否している産油国を攻撃するためにアメリカは原油価格を引き下げていると言われている。アメリカは先物相場を操作しているのだろうが、サウジアラビアは生産を維持するという形で支援した。 ところが、相場下落でサウジアラビアもダメージを受け、アメリカではシェール・オイルやシェール・ガスの産業が壊滅的な影響を受け、労働者を大量解雇せざるをえなくなり、アラスカでは州の財政が悪化している。産油国の利益が減少すれば投機市場への資金流入が細り、場合によっては引き揚げが始まる。ギリシャよりもアメリカが苦境に立っている。
2015.01.27
1月25日にギリシャで行われた総選挙で急進左翼進歩連合が圧勝した。「国境なき巨大資本」がギリシャの支配層と手を組んで作り上げた「危機」の尻ぬぐいを「緊縮財政」という形で押しつけられた庶民の怒りが形となって現れたと言えるだろう。 こうした政策をアメリカを中心とする西側支配層は世界規模で推進しているが、支配層の内部にもその問題を理解している人は少なくない。前のIMF専務理事、ドミニク・ストロス-カーンはそうした人びとを「狂人」と呼んでいる。理解しても声を上げないのはアメリカの支配層を恐れてのことだろう。 ストロス-カーンは2011年4月にブルッキングス研究所で演説を行い、その中で失業や不平等は不安定の種をまき、市場経済を蝕むことになりかねないと主張、その不平等を弱め、より公正な機会や資源の分配を保証するべきだと語った。進歩的な税制と結びついた強い社会的なセーフティ・ネットは市場が主導する不平等を和らげることができ、健康や教育への投資は決定的だと語っただけでなく、停滞する実質賃金などに関する団体交渉権も重要だとしている。 ストロス-カーンはアメリカの傀儡と見なされ、だからこそ出世したわけだが、こうした主張を強欲なアメリカの支配層は許さない。演説の翌月、アメリカで逮捕される。レイプ容疑だったが、限りなく冤罪に近いようだ。ストロス-カーンの後任がクリスティーヌ・ラガルドである。 ギリシャの危機は、新民主主義政権が隠蔽していた財政赤字が発覚した2010年に始まり、欧州委員会、IMF、欧州中央銀行は公務員給与の削減、年金のカット、増税、私有化などを強要して社会を破壊することになった。 こうした政策は庶民から富を奪うことになるわけだが、収入を基本的に国内で消費に使う庶民が貧しくなれば国内経済が冷え込むことは当然のこと。問題は1970年代から急速に進んだ富の集中にある。集中した富は隠され、投機市場へ流れ込む。 ギリシャの庶民からしてみると、自国の一部エリートが外国の投機集団と手を組み、自分たちの知らないところで多額の借金を作り、その借金を押しつけようとしているということになる。しかも、混乱の切っ掛けは「格付け会社」がギリシャ国債の格付けを引き下げたことにあった。 富を隠す仕組みが整備されたのは1970年代のこと。ロンドン(シティ)を中心とするオフショア市場のネットワークが整備され、巨大企業や富豪はこのネットワークを使って資産を隠して税金を回避できるようになった。スイス、ルクセンブルグ、オランダといった伝統的なタックス・ヘイブンもあるが、ロンドンを核とするネットワークは資金の追跡が困難で、質的に違うと言われている。 このネットワークに対抗するため、1980年代に入るとアメリカのIBF(インターナショナル・バンキング・ファシリティー)や日本のJOM(ジャパン・オフショア市場)が出現し、犯罪組織や独裁者も重要な顧客になっている。 ギリシャのエリートたちも例外ではなく、HSBCのジュネーブ支店にあるギリシャ人の口座のリストをフランス政府は2010年にギリシャ政府へ知らせている。そのリストには船主、実業家、芸術家、政治家などが含まれていた。その情報をギリシャの当局は調査しなかった。 ちなみに、HSBCはロンドンに本店がある金融グループで、1991年に香港上海銀行を母体として創設されたのだが、香港上海銀行はアヘン戦争(1840年から42年)とアロー戦争(1856年から60年)の後、1865年に香港でトーマス・サザーランドによって設立されている。1866年には横浜にも支店が作られた。 銀行口座に関する情報をギリシャで出されているホット・ドック誌の編集者、コスタス・バクセバニスは2012年10月28日に公表したところ、「市民の個人情報」を公開したとして捜査当局は速やかに編集者を逮捕した。税金を回避している巨大企業や富豪は黙認するが、そうした人びとにとって都合の悪い人間は厳罰に処すということのようだ。 こうしたことはギリシャだけでなく、アメリカでも巨大資本が破綻しても「大きすぎて潰せない」だけでなく、犯罪行為が露見しても「大きすぎて罰せられない」と言われている。これは新自由主義。 ギリシャの問題を考える場合、ナチスや米英による支配や内政干渉を無視することはできない。第2次世界大戦の際にはドイツが占領、1944年にドイツ軍が撤退するとレジスタンスの主力だったEAM(民族解放戦線)が主導権を握る。 これを嫌ったイギリスはEAMを弾圧、内乱を経てアメリカやイギリスの意向に添う体制、つまり傀儡政権をつくることに成功するのだが、思惑通りに進まない。平和運動の参加していた政治家のグリゴリス・ランブラキスが米英両国にとって邪魔な存在だったが、1963年5月に暗殺されてしまう。 そして1967年に軍事クーデターがあり、秘密警察のトップだったディミトリオス・イオアニデス准将の軍事政権が成立した。NATO加盟国で軍事クーデターがあったにもかかわらず、アメリカは反応しない。クーデターの背後にアメリカが存在していたということだ。1968年に行われたアメリカの大統領選挙ではギリシャの軍事政権からリチャード・ニクソン陣営に資金が提供されたとも言われている。ギリシャの軍事独裁は1974年に終わるが、その影響はその後も続き、軍備への出費が財政を圧迫する一因になった。 2001年にギリシャが通貨をユーロに切り替えるのだが、本来なら財政状態の問題で認められなかった。そこで登場したのがゴールドマン・サックスで、財政状況の悪さを隠す手法を教え、ギリシャの債務を膨らませたわけだ。こうした状況を欧州委員会は遅くとも2002年に気づいていたと言われているが、問題は放置された。
2015.01.26
キエフ政権が制圧している東部の都市マリウポリが砲撃され、30名以上の市民が殺されたと伝えられている。西側の有力メディアはドネツク人民共和国の部隊が攻撃したと報道しているのだが、人民共和国側は攻撃を否定、砲撃はキエフ軍がいる場所から行われていると語る市民もいる。 ここで注目されているのは、攻撃された現場を取材しているカメラの前を通り過ぎた兵士が流暢な英語で「顔を写すな」と口にしたこと。東/南部でアメリカ/NATOを後ろ盾とするキエフ政権が民族浄化を開始した直後からアメリカの傭兵を送り込んでいるが、それだけでなく、CIAやFBIの要員をアメリカ政府はキエフへ派遣、軍事顧問団も入れている。現場に英語を話す戦闘員がいた事実は興味深い。 ウクライナのペトロ・ポロシェンコ大統領やアメリカのバラク・オバマ大統領は根拠、証拠も示すことなくウクライナにロシア軍が存在していると発言、西側の有力メディアが宣伝しているのだが、マリウポリの攻撃にアメリカが何らかの形で関与している可能性が出てきたと言える。 1月21日にはアメリカ欧州陸軍司令官のフレデリック・ベン・ホッジス中将を中心とする代表団がキエフ入りし、国務省の計画に基づき、キエフ政権の親衛隊を訓練するためにアメリカ軍の部隊を派遣する意向を示した。キエフ軍がドネツクの市街を攻撃、バスなどを破壊して13名から15名を殺害したのは22日のことだ。 ジョージ・ソロスの資金も入っているHRW(ヒューマン・ライツ・ウォッチ)も、キエフ軍が白リン弾やクラスター爆弾で東/南部の住民を攻撃していると昨年から批判しているが、西側はキエフ政権を支持し続けてきた。それを誤魔化し、西側の直接的な軍事介入を正当化するために「偽旗作戦」をまた行ったと推測する人もいる。
2015.01.26
奴隷制国家、サウジアラビアのアブドラ・ビン・アブドルアジズ・アル・サウド国王が1月23日に死亡、新国王に異母弟のサルマン・ビン・アブドルアジズ・アル・サウドが即位したという。 サウジアラビアはアメリカ(ネオコン/シオニスト)やイスラエルと手を組み、イラクを破壊した後、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを倒すための秘密工作を始めたと調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2007年3月5日にニューヨーカー誌へ書いているが、この三国同盟が新国王の下でどのように変化するのか、しないのか、注目されている。 三国同盟は地上軍としてイスラム教スンニ派の武装勢力を使ってきた。サラフィーヤ/ワッハーブ派を中心に集めた傭兵で、アル・カイダ、あるいはIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)とも呼ばれている。 アメリカがイスラム武装勢力を編成、育成し、使い始めたのは1970年代。ズビグネフ・ブレジンスキーの戦略に基づき、1979年4月にCIAがイスラム武装勢力への支援プログラムを開始、ロビン・クック元英外相も指摘しているように、そうして作り上げた戦闘員に関するデータベースがアル・カイダ(アラビア語で「ベース」の意味)。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された際、イスラエルとサウジアラビアの関与が噂されたのだが、この時にアメリカ駐在サウジアラビア大使だった人物がバンダル・ビン・スルタン。2012年から14年にかけて総合情報庁長官を務めているが、アル・カイダを動かしていたとも言われている。 アメリカ上院は「9/11」に関する調査を行ったが、未だに完全な形の報告書は公表されていない。削除された部分にサルマン新国王の名前が載っているという情報がある。この攻撃は内部犯行、つまりアメリカ支配層の一部がイスラエルとサウジアラビアの協力を受けて実施したと推測する人は少なくないのだが、新国王が関係しているとなると、深刻な事態だ。サルマンを「穏健派」と呼ぶ人もいるようだが、アメリカの追随者たちはアル・カイダであろうと、ISであろうと、状況によって「穏健派」というラベルを貼ってきた。 歴史的に見てもアメリカとアル・カイダは緊密な関係にあるのだが、2011年にリビアのムアンマール・アル・カダフィ政権が倒された際、この関係は明確になった。その際、空からNATO軍が、地上ではアル・カイダ系のLIFGが政府軍を攻撃していたのだ。 こうしたことは本人たちが認めていたほか、カダフィ体制が倒された直後、ベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられた。その様子を撮影した映像がすぐにYouTubeにアップロードされ、イギリスのデイリー・メールなどもその事実を伝えている。 カダフィが惨殺された後、戦闘員は武器を携えてシリアやイラクへ移動したとも報道されているが、リビアでのプロジェクトでアメリカとアル・カイダとの関係が広く知られるようになり、アル・カイダは「賞味期限切れ」になった。そして登場してくるのがISなのだが、ラベルを変えただけ。 この戦闘集団は2004年にイラクで編成されたAQI(イラクのアル・カイダ)が始まりで、06年1月にAQIを中心にしてISI(イラクのイスラム国)が編成され、シリアで政府軍が優勢になると活動範囲をそのシリアへ拡大、名称もISに変更された。2012年にはヨルダン北部に設置された秘密基地でCIAや特殊部隊がその主要メンバーが訓練を受けたと伝えられている。このISの雇い主と言われているのがサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子だが、その背後にはサルマン新国王もいるということのようである。 ウォール・ストリート・ジャーナル紙によると、アメリカ主導で空爆を始めてからシリア領内でISが支配する地域は3倍に拡大したという。この間にアメリカはシリアの「穏健派反政府軍」に武器を供与して戦闘員を訓練、さらに400名のアメリカ兵を訓練のために派遣するとしている。 イスラエルがISを支援しているほか、これまでアメリカから訓練を受けた少なからぬ戦闘員が武器を携えてISへ「投降」していることを考えると、ISが支配地を拡大させても不思議ではないのだが、その一方でISが支配しているアレッポをシリア軍が包囲しようとしているとも伝えられている。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟としてはテコ入れが必要だろう。
2015.01.25
ふたりに日本人がISに拘束されたとされているが、そのひとり、湯川遥菜が殺害されたことを示すという写真を持つ後藤健二の映像がインターネットにアップロードされたようだ。湯川が実際に殺害されたかどうかは不明だが、良い状況とは言えない。 昨年8月、ISはジェームズ・フォーリーという人物の首を切り落とすところだという映像を公表したが、首の前で6回ほどナイフは動いているものの、血は吹き出さず、実際に切っているようには見えなかった。そこで、カメラの前では殺されていないと推測する人が少なくない。今回は動画でないようで、フェイクだということがばれることを恐れたということも考えられ、まだ希望はありそうだ。 昨年6月にイラクでモスルを陥落させて以来、ISは残虐な行為を誇示してきた。そうした行為に「冷静」だったアメリカ政府はフォーリーの映像が流れると軍事顧問の派遣を決めた。ISの攻撃はシリアへの空爆を誘うことが本当の目的ではないかという人もいたが、実際、ロシアに阻止されていたシリアへの空爆を始める道も開けた。 IS(イスラム国、ISIS、ISIL、IEILとも表記)の戦闘員、6000名以上をアメリカを中心として行っている空爆で殺害したとイラク駐在のアメリカ大使を務めるスチュアート・ジョーンズは語っているが、これについてチャック・ヘーゲル国防長官は否定的な見解を述べている。こうした空爆よりも資金や武器の流れを断つ方が効果的だ。 モスルがISに制圧されたときから言われているが、サウジアラビアから流れている資金を止め、油田から盗んだ石油の販売ルートを断ち、「穏健派」に対する武器の供給や戦闘員の訓練をアメリカ政府が止めればISの力は大幅に低下する。戦闘集団として維持することも難しいはずだ。 本ブログで何度も書いてきたように、アメリカが主導する空爆に疑惑がある。ISを本気で攻撃しているわけではないのではないかと疑う人は少なくない。それに対し、イスラエルはISを支援している。ISと戦っていたヒズボラの部隊をイスラエル軍は1月18日にも空爆、イラン革命防衛隊のモハメド・アラーダディ将軍を含む幹部を殺したとされている。 2013年9月、駐米イスラエル大使のマイケル・オーレンはシリアのバシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っていたが、オーレンはベンヤミン・ネタニヤフ首相に近い人物だ。 ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、アメリカが空爆を始めてからISはシリア領内での支配地域を3倍に拡大したとしているが、ISが支配しているアレッポをシリア軍が包囲しようとしているとも伝えられていて、政府軍がここを制圧すればISにとって大きなダメージになり、イスラエルやネオコン/シオニストにとっては悪夢だろう。 本物か偽物かはともかく、「フォーリー斬首」の映像が流れた後にアメリカ政府は軍事顧問団をイラクへ派遣、シリアでの空爆を始めた。実際の目的はISでなくシリアやイランの体制転覆だと見られても仕方がない。オバマ大統領を動かすため、好戦派が仕掛けたと考えられなくもない。 シリア情勢が緊迫する中、ISに拘束されたというふたりの日本人もフォーリーと同じような役割を演じさせられている疑いもある。
2015.01.24
アメリカが続けている体制転覆プロジェクトを主導しているのはCIAと国務省だと言われている。つまり、軍ではなく、情報機関と政府の外交部門が行っている戦争だということである。その外交で重要な役割を果たしているのが大使館であり、そのトップが大使だが、イラク駐在のアメリカ大使を務めるスチュアート・ジョーンズによると、IS(イスラム国、ISIS、ISIL、IEILとも表記)の戦闘員、6000名以上を殺害、その中には戦闘を指揮している幹部の半数も含まれているという。拘束されている日本人がアメリカ国務省の宣伝に利用される/されていることも考えられるが、命をおもちゃにしてほしくはない。 ISの兵力は9000から1万8000名だとアメリカの情報機関は推測、これが正しいなら大きなダメージを受けていることになるのだが、ウォール・ストリート・ジャーナル紙によると、アメリカを中心として空爆が始められてから約4カ月後、シリア領内でISが支配する地域は3倍に拡大したという。ISはCIAと国務省の地上部隊として編成されて戦っているとも言われ、ジョーンズ発言には疑問がある。 勿論、状況が変化すれば、口封じということも含め、始末することは十分にありえる話なのだが、昨年9月に空爆を始めた翌朝、CNNのアーワ・デイモンは爆撃に疑惑があることを伝えた。最初に破壊されたビルは、その15から20日前の段階で蛻の殻だったというのである。空爆に関する情報がIS側に漏れている可能性が高い。 それに対し、1月18日にイスラエル軍が行った空爆ではISと戦っていたヒズボラの部隊がターゲットになり、イラン革命防衛隊のモハメド・アラーダディ将軍を含む幹部が殺されたとされている。イスラエルはISを支援している。 このケースに限らず、リビアに対する攻撃におけるNATOと同じように、イスラエルはアル・カイダ/ISを支援しているとしか考えられない。実際、2013年9月に駐米イスラエル大使のマイケル・オーレンは、アル・カイダよりアサド体制の打倒を優先するという趣旨の発言をしている。 ISが注目を集めるようになったのは、イラクのファルージャやモスルを制圧してからだろうが、そうした動きをアメリカ軍は偵察衛星、通信の傍受、スパイ網などで把握していたはず。ところが、アメリカ政府は反応しなかった。イラク軍の一部指揮官が戦闘を回避したとも言われている。 もし、バラク・オバマ政権が本気でISを壊滅させようと考えているなら、空爆の前に反シリア政府軍に対する資金や武器の援助、あるいは軍事訓練をやめ、石油の販売による資金調達を止めることから始めるべきだ。「穏健派」の反シリア政府軍とISがつながっていて、「投降」という形で資金、武器、戦闘員が移動している。状況に応じ、同じ集団のラベルを貼り替えているだけだという指摘もある。 ISを雇っているのはサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル(サウド・アル・ファイサル外相の兄弟)だとする情報がある。そうした話が流れる前、アル・カイダを動かしているのは同国のバンダル・ビン・スルタンだと言われていた。 バンダルは王立空軍大学を卒業、アメリカのマクスウェル空軍基地で訓練を受け、ジョンズ・ホプキンス大学でも学び、1983年から2005年までは駐米大使、12年から今年4月までは総合情報庁の長官を務めた。現在は国家安全保障問題担当の顧問。アメリカの支配層、特にブッシュ家と親しく、「バンダル・ブッシュ」と呼ばれているほどだ。 総合情報庁長官時代の2013年7月末、彼はロシアを極秘訪問、ウラジミール・プーチン大統領らに対し、シリアからロシアが手を引けば、ソチで開催が予定されている冬期オリンピックをチェチェンの武装グループの襲撃計画を止めさせると持ちかけたという。 つまり、シリアから手を引かないとオリンピック期間中に襲わせるという脅しだが、これに対してプーチン大統領はサウジアラビアがチェチェンの反ロシア勢力を支援していることを知っていると応じた。このころからバンダルとアル・カイダとの関係は広く知られるようになる。 ロシア訪問から2カ月余り後の10月2日、バンダル・ビン・スルタンはイスラエルを訪問したと見られている。その後、彼はヨーロッパの外交官をリヤドの自宅に招き、アメリカ政府がイランと話し合いをはじめ、シリアへの軍事侵攻を止めたことを非難、報復を口にしたという。勿論、イスラエルもアメリカ政府がイランと話し合うことに怒っている。 バラク・オバマ政権がイランと話し合いを始めるひとつの要因は、シリア政府軍が化学兵器を使ったという嘘がばれたことにある。この年の8月21日にダマスカスの近くでサリンが使われたと西側の政府や有力メディアが叫び始め、NATO軍が直接介入する動きを見せたのだが、すぐ、この主張を否定する報告が相次いで攻撃は実現しなかった。 まず、ロシアのビタリー・チュルキン国連大使はアメリカ側の主張を否定する情報を国連で示して報告書も提出、化学兵器をサウジアラビアを結びつける記事も書かれている。記者のひとりが記事を取り消そうとしたが、編集長が記者との遣り取りを詳しく説明、その証拠を提示する動きを見せると、記者は沈黙した。 10月に入ると「ロシア外交筋」からの情報として、ゴータで化学兵器を使ったのはサウジアラビアがヨルダン経由で送り込んだ秘密工作チームだという話が流れた。アフガニスタンの反政府軍支配地域で「第三国」がアル・ヌスラなどシリアの反政府軍に対し、化学兵器の使い方を訓練しているとする報告があるとロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は語っている。 シーモア・ハーシュもこの問題に関する記事を12月に発表、反政府軍はサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があると主張、さらに国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授は、化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張を否定する報告書を公表している。ミサイルの性能を考えると、科学的に成り立たないという。 そうした中、アメリカ政府はシリア近くの基地にB52爆撃機の2航空団を配備し、5隻の駆逐艦、1隻の揚陸艦、そして紅海にいる空母ニミッツと3隻の軍艦などの艦船を地中海に配備して攻撃する姿勢を見せ、対抗してロシア政府は「空母キラー」と呼ばれている巡洋艦のモスクワを中心に、フリゲート艦2隻、電子情報収集艦、揚陸艦5隻、コルベット艦2隻がシリアを守る形に配置したという。 攻撃が予想されていた9月3日、地中海の中央から東へ向かって2発のミサイルが発射されたが、このミサイルをロシアの早期警戒システムがすぐに探知している。2発とも海中に落ち、その直後にイスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表しているが、ジャミングなど何らかの手段で落とされたのではないかと推測する人もいる。 この9月に西側の首脳はヤルタで国際会議を開き、アメリカに従わないロシアの体制転覆について話し合ったと言われている。そして11月にウクライナのキエフで反政府活動が始まり、ソチでのオリンピック開催に合わせるかのように過激化していく。ネオ・ナチが前面に出てきて棍棒、ナイフ、チェーンなどを片手に持ちながら石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルを撃ち始め、そして狙撃が始まる。何度も書いているように、この狙撃はクーデター派が実行した可能性がきわめて高い。憲法の規定を無視してビクトル・ヤヌコビッチ大統領が解任されたのはオリンピック競技の最終日だった。 このクーデターを現場で指揮していた人物がアメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補。結婚相手はネオコンの大物、ロバート・ケーガンだ。ネオコン議員のジョン・マケインもウクライナに乗り込んで蜂起を扇動していた。 その後、ISがイラクで勢力を拡大、シリアで体制転覆を目指して戦い始めた。歴史的にISはアメリカと深い関係にあるが、その関係が壊れたことを示す情報は見当たらない。ISのスポンサーとも見られているサウジアラビアでアブドラ国王が死亡、サルマン皇太子が新国王になるというが、アメリカやイスラエルとの友好的な関係、シリア、イラン、ロシアなどとの敵対的な関係に変化はないと見られている。
2015.01.24
1月22日にキエフ軍がドネツクの市街を攻撃、バスなどが破壊されて13名から15名が殺され、多くの人が負傷したと報道されている。その前からウクライナの東部で戦闘が激しくなり、キエフ軍は大きなダメージを受けて空港はドネツク人民共和国側が制圧したと伝えられていた。ドネツク側によると、キエフは訓練が不十分な部隊を送り込んでいるようで、これが事実なら一種の「自爆攻撃」。本格的な攻撃の前に人民共和国側を少しでも疲弊させておきたいのかもしれない。 この戦闘を受け、相変わらずペトロ・ポロシェンコ大統領は証拠、根拠の類いを示すことなくロシア軍が攻撃していると主張しているが、1月20日にはバラク・オバマ米大統領も一般教書演説の中で同じように証拠も根拠も示すことなく、ウクライナにロシア軍が存在しているかのように主張している。嘘も繰り返せば事実だと思わせることができると考えているのだろう。 アメリカ欧州陸軍司令官のフレデリック・ベン・ホッジス中将を中心とする代表団が21日にキエフ入りし、キエフ政権の親衛隊を訓練するためにアメリカ軍の部隊を派遣する意向を示した。この部隊派遣は国務省の計画だという。 中東/北アフリカやウクライナの体制転覆プロジェクトを主導してきたのはアメリカの情報機関と国務省だと言われ、そこに地上軍としてサラフィーヤ/ワッハーブ派を主体とする武装集団やネオ・ナチを使わなければならない理由があると指摘する人もいる。 バラク・オバマ政権はジョージ・W・ブッシュの時代ほどネオコン/シオニストの影響力は強くないが、それでもウクライナのクーデターを現場で指揮していたビクトリア・ヌランド国務次官補はその一派。彼女の結婚相手はネオコン/シオニストの大物として知られているロバート・ケーガンだ。 それに対し、オバマ政権で注目されているのはズビグネフ・ブレジンスキー。この人物はポーランド生まれで、デイビッド・ロックフェラーと緊密な関係にあった。1970年代、このふたりに大統領候補として選ばれたのがジミー・カーター。このカーターが安全保障の分野をブレジンスキーに任せたのは必然だと言える。そしてブレジンスキーはソ連の体制転覆を目指してアフガニスタンで秘密工作を始めた。 ブレジンスキーの教え子の中にマデリーン・オルブライトがいる。ビル・クリントン時代の国務長官で、ウクライナに対する先制攻撃を推進したひとりだ。このオルブライトが親しくしていた研究者のひとりにロイス・ライスという女性がいるのだが、その娘がスーザン。オバマ大統領が安全保障問題担当の大統領補佐官に選んだ人物である。 選挙戦で外交問題の顧問としてオバマが雇ったマーク・ブレジンスキーはズビグネフ・ブレジンスキーの息子。現在、スウェーデン駐在大使を務めている。選挙でオバマのライバルだったジョン・マケイン陣営の外交問題顧問はイアン・ブレジンスキーだが、この人物はもうひとりの息子だ。オバマでもマケインでもアメリカはウクライナを奪還し、ロシアを屈服させようとしたのだろう。 問題はロシアのウラジミル・プーチン大統領が脅しに屈しないこと。それどころか、経済や外交の分野でアメリカは窮地に陥ってしまった。ドルが基軸通貨の地位から滑り落ちるのは時間の問題のように見える。こうした状況を打開するため、ズビグネフはバルカン諸国のアメリカ軍を増強すべきだと主張しているようだが、軍事力に頼るしかないほど追い詰められているということだろう。昨年12月の上旬から噂になっているが、アメリカは何か大きな偽旗作戦を目論んでいる可能性がある。 好戦的な雰囲気を強め、軍事力の行使に人びとが合意するように仕向けるため、西側の有力メディアは反ロシア/反プーチンのプロパガンダに拍車をかけるだろう。が、すでにEUではメディアの信頼度が急落している。
2015.01.23
安倍晋三首相がエジプトで開かれた「日エジプト経済合同委員会」で「イスラム国」と戦う国々へ総額で2億ドルを提供すると発言した3日後、その武装集団(IS。ISIS、ISIL、IEILとも表記)が日本人ふたりを拘束しているとインターネット上で表明、2億ドルの身代金を要求しているという。安倍首相は軍事的支援を否定しているようには思えず、アメリカ政府の言動を考えれば、「非軍事的な手法」も軍事と深く結びついていると言わざるをえない。 拘束されたふたりとは後藤健二と湯川遥菜だとされている。湯川は昨年8月に、また後藤は昨年11月にそれぞれシリアでISに拘束されたようで、安倍首相は支援発言時に事情を承知していたはず。状況から考えてふたりはトルコ経由でシリアへ密入国したのだろうが、そうなると、最初からISの管理下にあった可能性が高い。 ここにきてトルコはロシアとの関係を深めているが、言うまでもなく、NATO加盟国としての側面がある。2011年3月にアメリカを中心とする西側諸国やペルシャ湾岸の産油国などがシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒すプロジェクトを顕在化させた際、その拠点としてトルコが使われている。この反シリア政府軍とISの背景は同じで、ふたつを区別することは間違いだ。 トルコにはアメリカ空軍のインシルリク基地があり、そこではアメリカの情報機関員や特殊部隊員、あるいはイギリスやフランスの特殊部隊員が反シリア政府軍の戦闘員を訓練している。そうした戦闘員を雇っているのがサウジアラビアやカタールなどだ。 シリアと同じ時期にリビアでも体制打倒プロジェクトが始まり、2011年10月にムアンマル・アル・カダフィが惨殺されている。このときにアメリカが地上軍として使った戦闘集団の中心、LIFGはアル・カイダ系。実際、カダフィ体制が崩壊した後、反カダフィ派の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられた。すぐに映像がインターネット上で流れ、イギリスのデイリー・メール紙など「西側」のメディアもその事実を伝えている。 アル・カイダの歴史をさかのぼると、1970年代にズビグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンで始めた秘密工作に行き着く。パキスタンのバナジル・ブット首相の特別補佐官だったナシルラー・ババールによると、1973年からアメリカはアフガニスタンの反体制派へ資金援助を開始、79年にはブレジンスキーの戦略に基づいてCIAがイスラム武装勢力に対する支援を始めた。ソ連をアフガニスタンへ引っ張り込むために挑発を繰り返し、その思惑通りに同年12月、ソ連軍の機甲部隊が軍事侵攻してくる。このソ連軍と戦わせるために編成されたのがイスラム武装勢力。アメリカを中心とする勢力は戦闘員を集めて訓練、資金や武器を提供した。 こうして訓練を受けた「ムジャヒディン」のデータベースがアル・カイダ(アラビア語で「ベース/基地」を意味)だとイギリスの外相を務めたロビン・クックはガーディアン紙で書いている。この指摘は正しいと見られているが、この記事が掲載された翌月、クックは保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて死亡してしまう。享年59歳。 リビアでのプロジェクトを終えたアル・カイダの戦闘員は武器を携えてシリアへ移動する。その時にマークを消したNATOの輸送機が武器をリビアからトルコの基地まで運んだとも伝えられている。 リビアのカダフィやイラクのサダム・フセインはアル・カイダ系の戦闘集団を弾圧していたが、そうした体制をアメリカが破壊するとそうした集団は勢力を拡大させていく。イラクではアメリカが先制攻撃した翌年、2004年にAQIが組織され、06年1月にはAQIを中心にしていくつかの集団が集まってISIが編成された。ロシアの抵抗もあってアメリカ/NATOがシリアの体制転覆に手間取る中、ISIはシリアへ活動範囲を広めてISと呼ばれるようになる。2012年にアメリカの情報機関や特殊部隊はヨルダンの北部に設置された秘密基地で数千人とも言われる戦闘員を訓練しているが、少なくともその一部がISに参加して戦うことになる。 ISの名前が知られるようになったのは昨年6月、イラク北部の都市、モスルを制圧してからのことだが、この軍事侵攻には疑惑がある。ISの動きをアメリカはスパイ衛星、通信の傍受、あるいはスパイ網などで把握していたはずなのだが、全く反応していない。首相だったノウリ・アル・マリキはモスルが陥落した後、メーディ・サビー・アル・ガラウィ中将、アブドゥル・ラーマン・ハンダル少将、ハッサン・アブドゥル・ラザク准将、ヒダヤト・アブドゥル・ラヒム准将を解任している。 このマリキは昨年3月、サウジアラビアやカタールを反政府勢力へ資金を提供していると批判しているが、アメリカとの関係も悪化していた。反政府軍対策のため、イラク政府は2011年と12年、アメリカに対してF-16戦闘機を供給するように要請、契約もしていたのだが、2014年の段階で納入されていない。そこでマリキはロシアへ接近。次の選挙でマリキは勝利し、首相続投になるのが普通だったが、辞めさせられている。 ところで、1月18日、シリアではISと戦っていたヒズボラの部隊がイスラエル軍に攻撃され、その際にイラン革命防衛隊のモハメド・アラーダディ将軍を含む幹部が殺されたという。リビアに対する攻撃におけるNATOと同じように、イスラエルがアル・カイダ/ISを支援しているように見える。 アサド体制よりアル・カイダの方がましだと駐米イスラエル大使のマイケル・オーレンが発言したのは2013年9月のこと。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2007年3月5日付けのニューヨーカー誌でアメリカ、サウジアラビア、イスラエルの秘密工作が始まったと書いている。シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを倒すことが目的。その後の展開を見ると、この三国同盟は手先としてアル・カイダ系武装集団を使っている。 ISが拘束している人物の処刑を誇示するようになったのは昨年8月。アメリカがISに対する空爆を始めたことに対する報復だとしてジェームズ・フォーリーの首を切り落としたと宣伝されたのだが、首の前で6回ほどナイフは動いているものの、実際に切っていないうえ、血が噴き出していないことから、カメラの前で彼は殺されていない可能性が高いと言われている。 こうした場面を公表したのは、アメリカによるシリアに対する空爆を正当化することにあるのではないかという声もあった。実際、9月23日に空爆を始めたが、当日、現地で取材していたCNNのアーワ・デイモンは翌日朝の放送で、ISの戦闘員は空爆の前に極秘情報を入手し、攻撃の15から20日前に戦闘員は避難して住民の中に紛れ込んでいたと伝えている。 ふたりの日本人が写った映像も合成されているように見え、何らかの反応をアメリカや日本から引き出すための演出なのかもしれない。この問題を見る場合、忘れてならないことは、ISをアメリカ、イスラエル、サウジアラビアが動かしている可能性があるということだ。
2015.01.21
アメリカを後ろ盾とするウクライナのキエフ政権は東/南部での攻撃を本格化させている。そうした状況のウクライナへアメリカ欧州陸軍司令官のフレデリック・ベン・ホッジス中将を中心とする代表団が数日中に到着、1月20日から22日にかけてはNATO軍の代表がウクライナ軍側と会議を開くという。27日にアウシュビッツ強制収容所が解放されて70年になることを記念する式典がポーランドで開かれるというが、その時にはウクライナの軍事的緊張がかなり高まっている可能性がある。 1月27日に式典が開かれる理由は、1945年1月27日にソ連軍がアウシュビッツ強制収容所を制圧、拘束されていた人びとを解放したことにある。解放前、そこではユダヤ教徒、ロマ(かつてはジプシーと呼ばれた)、ソ連軍兵士、心身障害者、同性愛者など、多くの人が犠牲になったとされている。 犠牲者の中でユダヤ教徒の比率が多かったことは確かだが、それを利用して新たな殺戮を正当化してきたのがイスラエル。ナチスに殺されたユダヤ教徒/人を利用してナチスのようにパレスチナ人を虐殺してきたわけで、アウシュビッツでの犠牲者を愚弄しているとも言える。 こうしたイスラエルの残虐行為を批判したことが原因でノーマン・フィンケルスタインはデポール大学から追放されたが、この人物の母親はマイダネク強制収容所、父親はアウシュビッツ強制収容所を生き抜いた経歴の持ち主である。 アウシュビッツではナチス親衛隊の大尉で医師でもあったヨーゼフ・メンゲレが生体実験を行っていた。1945年1月にメンゲレは西へ逃走、ベルリンを経てミュンヘンへ移動、そこでアメリカ軍の捕虜になり、49年にはアルゼンチンへ逃げた。この逃走にアメリカ軍がどのように関係したかは不明だが、大戦後、アメリカ政府にはナチスの科学者を保護し、自分たちの研究開発に役立てようという「ペーパークリップ作戦」が存在していた。 アメリカには「ブラッドストーン作戦」と呼ばれる亡命ソ連人を集めるプロジェクトもあったが、対象になった人の多くは、かつてのナチ協力者だった。この工作で中心的な役割を果たしたのが特別プロジェクト局(政策調整局/OPCへ改名)。この機関は秘密工作を行うようになり、1951年にはCIAの計画局になる。この部署の活動が議会の調査で発覚した後に作戦局へ名称が変更され、現在は国家秘密局と呼ばれている。 ナチスはアウシュビッツだけで人びとを虐殺したわけではない。例えばウクライナの場合、ステファン・バンデラを中心に組織されていたOUNのバンデラ派(OUN/B)と手を組み、ユダヤ人、知識人、ロシア人、コミュニストなどを殺している。16歳から60歳までのポーランド人を全員殺すつもりだとバンデラは語っていたとチェコのミロシュ・ゼマン大統領に指摘されている。 バンデラは1909年1月1日に誕生したという。今年の正月、生誕106周年を記念し、ネオ・ナチは松明を掲げてデモを行った。こうした行為をキエフ政権だけでなく、EUもアメリカも黙認しているようで、ゼマン大統領ならずとも、良くないことが起こっていることはわかる。 OUN/Bでバンデラに次ぐナンバー2がヤロスラフ・ステツコ、ナンバー3がミコラ・レベド。ステツコは第2次世界大戦が終わった直後の1946年にイギリスの情報機関SIS(通称、MI6)の一員となり、ABN(反ボルシェビキ国家連合)の議長に就任した。1966年にABNはAPACL(アジア人民反共連盟。後にアジア太平洋反共連盟へ改名)と合体してWACL(世界反共連盟。後にWLFD/世界自由民主連盟へ名称変更)になる。この組織統合にはCIAが関与していた。レベドは第2次世界大戦が勃発した1939年にゲシュタポ警察学校へ入学している。 1941年に日本軍が真珠湾を奇襲攻撃してアメリカも大戦に参戦することになったが、40年から42年にかけてバンデラは配下の人間にアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領を暗殺するように命令した。ルーズベルトがOUNの合法化を拒否したことが理由だという。 言うまでもなく、大戦は始まりは1939年9月1日のドイツ軍によるポーランド侵攻。話し合いがこじれていたポーランド回廊(ドイツ本国と東プロイセンの間に作られたポーランド領)の問題を軍事的に解決しようとしたのだが、その直後にイギリスとフランスが宣戦布告、世界大戦に発展したわけだ。この当時、ウクライナはソ連の一部。 ジャーナリストのC・アンソニー・ケイブ・ブラウンによると、この頃、ソ連と戦うために「日本・アングロ(米英)・ファシスト同盟」を結成するという案があったという。この案を実行に移す場合、最大の障害はフランクリン・ルーズベルト米大統領だった。(Anthony Cave Brown, “"C": The Secret Life of Sir Stewart Graham Menzies”, Macmillan, 1988) 1941年6月にドイツ軍は東へ向かって進軍を開始、7月にはレニングラード(現在は帝政時代のサンクト・ペテルブルグに戻った)を包囲した。「バルバロッサ作戦」だ。ドイツ軍の快進撃を見てルーズベルトはソ連を支援しようとしたが、アメリカやイギリスの支配層には反対する意見が少なくなかった。 例えば、ミズーリ州選出の上院議員だったハリー・トルーマンは「ドイツが勝ちそうに見えたならロシアを助け、ロシアが勝ちそうならドイツを助け、そうやって可能な限り彼らに殺させよう」と提案している。ルーズベルトとトルーマンは相反する考え方をしてたということだ。1944年の大統領選挙でこのトルーマンが副大統領候補になり、ルーズベルトに近かったヘンリー・ウォーレスは商務長官にされている。 ドイツ軍はスターリングラード(現在のボルゴグラード)まで攻め込んだが、そこで1942年から43年2月まで激しい攻防戦が展開された後、ドイツ軍は壊滅、ソ連軍は西に向かって進撃を開始した。ちなみに、ドイツ軍に包囲されたレニングラードでウラジミル・プーチンの兄、ビクトルはジフテリアで死亡している。 ドイツ軍の敗走を見て慌てたのがアメリカやイギリスで、1943年7月にアメリカを中心とする部隊がシチリア島へ上陸、9月にはイタリア本土を制圧し、44年6月にはノルマンディー上陸作戦が敢行された。この頃になるとドイツ軍の幹部とアメリカ軍の上層部が接触を始めている。 ところで、昨年2月にキエフで実行されたクーデターの主力部隊はアメリカ/NATOから訓練を受けたネオ・ナチ、つまりバンデラの信奉者だった。このグループの中心的な存在は、ドニエプロペトロフスクの知事を務める三重国籍(ウクライナ、イスラエル、キプロス)のイゴール・コロモイスキー、1991年にネオ・ナチの「ウクライナ社会ナショナル党」を創設し、クーデター後に国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任したアンドレイ・パルビー、右派セクターのリーダーで国家安全保障国防会議の副議長に選ばれたドミトロ・ヤロシュだ。 このネオ・ナチと並ぶクーデター体制の柱が「国境なき巨大資本」を後ろ盾とするオリガルヒ(一種の政商)。この勢力の一員で、アメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補からクーデター前に高く評価され、「次期政権」へ入閣させようという話になっていたアルセニー・ヤツェニュクは首相に就任した。 このヤツェニュクは1月8日、ドイツのARDテレビのインタビューで「ソ連によるドイツ、ウクライナ侵略は記憶に新しい」と明言、「第2次世界大戦の結果を書き換える権利は誰にも無い」と言いながら歴史を書き換えようとしている。安倍晋三首相なみの発言だと言えるだろう。 1月27日に開かれるという式典の背後にはナチスの亡霊が見える。
2015.01.20
昨年9月、IS(イスラム首長国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)に対する空爆をアメリカは始めた。サウジアラビア、ヨルダン、バーレーン、アラブ首長国連邦といった親米イスラム国を引き連れての攻撃だが、最初に破壊されたビルは、その15から20日前の段階で蛻の殻だったとCNNのアーワ・デイモンは翌朝の放送で伝えている。アメリカをはじめとして、攻撃したのはISを創設、支援、訓練してきた国々。情報が漏れても不思議ではない。 ウォール・ストリート・ジャーナル紙によると、それから約4カ月後、シリア領内でISが支配する地域は3倍に拡大したという。この間にアメリカはシリアの「穏健派反政府軍」に武器を供与して戦闘員を訓練、さらに400名のアメリカ兵を訓練のために派遣するとしているのだが、これまで訓練を受けた少なからぬ戦闘員が武器を携えてISへ「投降」している。訓練期間は「穏健派」、訓練が終わればISというようにラベルを貼り替えているだけにしか見えない。事実上、アメリカ軍がISに武器を提供、その戦闘員を訓練している。 2013年9月、退任間近だった駐米イスラエル大使のマイケル・オーレンは、イスラエルの希望はシリアの体制転覆であり、バシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っている。イスラエルはこれまで何度かシリアを空爆しているが、ISを支援するものだと指摘されている。 その前年、2012年にはヨルダンの北部に設置された秘密基地でアメリカの情報機関や特殊部隊がISの主要メンバー数十人を含む戦闘員を軍事訓練、トルコと同じようにヨルダンにISはシリアへの侵入ルートを持っていると言われている。 ISがファルージャとモスルを制圧した際、その動きをスパイ衛星や通信の傍受などで把握していたはずのアメリカが反応していないことに疑惑の目を向ける人は少なくない。イラク軍の一部指揮官が戦闘を回避したとも言われている。 その当時に首相だったノウリ・アル・マリキはメーディ・サビー・アル・ガラウィ中将、アブドゥル・ラーマン・ハンダル少将、ハッサン・アブドゥル・ラザク准将、ヒダヤト・アブドゥル・ラヒム准将を解任、昨年3月には、サウジアラビアやカタールを反政府勢力へ資金を提供していると批判している。 マリキは反政府軍対策のため、アメリカ政府に対して2011年と12年にF-16戦闘機を供給するように要請、契約もしていたが、納入は遅れていた。そこで昨年6月にマリキはロシアに支援を要請、受け入れられ、数日のうちに5機のSu-25近接航空支援機がイラクへ運び込まれた。 アメリカからロシアへ軸を移そうとしたマリキは選挙で勝利したものの、次期首相に指名されなかった。アメリカ政府から支援を約束されたフアード・マアスーム大統領がハイダル・アル・アバディを指名したのだ。アバディはイギリスのマンチェスター大学で博士号を取得した人物で、サダム/フセイン時代にはロンドンで亡命生活を送っていた。 本ブログでは何度も書いているが、イスラエルはアメリカ(ネオコン/シオニスト)とサウジアラビアと手を組み、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを倒すための秘密工作を始めたとシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌に書いたのは2007年のこと。 ISはイラクだけで活動していた時期、ISI(イラクのイスラム国)と呼ばれていた。このISIが編成されたのは2006年のこと。その核になった武装集団がAQI(イラクのアル・カイダ)で、2004年に創設されている。 AQIを率いていたのはアブ・ムサブ・アル・ザルカウィなる人物だが、ISIが編成されてから5カ月ほど後に殺され、アブ・アブドゥラ・アル・ラシド・アル・バグダディとエジプト在住のアブ・アユブ・アルーマスリが引き継いだとされている。このふたりは2010年に殺され、アブ・バクル・アル・バグダディが新しいリーダーになって現在に至っている。 ネオコン/シオニストがシリア、イラン、イラクの殲滅を口にしたのは遅くとも1991年のこと。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、国防次官だったポール・ウォルフォウィッツがそう話していたという。その翌年、国防総省の内部ではウォルフォウィッツを中心とするグループがDPG(国防計画指針)の草案を作成、EU、旧ソ連圏、南西アジアが新たなライバルに育つことを阻止しようとした。 遅くとも1991年の段階でネオコン/シオニストはシリア、イラン、イラクの体制を倒そうとしていたわけで、この戦略は現在も生きているはず。ハーシュの記事は、ISがアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの秘密工作で作られた戦闘集団だと示唆している。ISの支配地拡大はそうした疑惑をさらに強めている。 そうしたISは破壊と殺戮だけでなく、「性的聖戦」とか「聖戦結婚」という名目で、女性を「慰安婦」にしていることでも知られている。2013年頃は騙されていたようだが、後に拉致されるようになった。最近、そうした行為を拒否した女性、約150名を殺害したと伝えられている。ナイジェリアの女性誘拐をからかうシャルリー・エブド
2015.01.19
フランスの週刊紙、シャルリー・エブドの編集部が襲撃された事件に少なからぬ謎、疑問点があると指摘されているが、ここにきて新たな疑惑が出てきた。2009年にエリゼ宮でニコラ・サルコジと面談したアメディ・クリバリはパリの東部にあるイベルカシェル(ユダヤ教徒向けのスーパーマーケット・チェーン)の店舗に立てこもり、そこで射殺されている。 その時の様子を撮影した映像によると、警官隊が突入してからクリバリと思われる人物が中から外へ飛び出そうとするのだが、そこで銃撃されて倒れ込んでいる。すでに銃撃を始めている警官隊の前に飛び込むのも不自然だが、その際、撃たれた人物は手錠をかけられているのか、手の自由を奪われているようで、武器を持っているようには見えない。ドイツのサイトでの指摘 すでに本ブログでも紹介済みだが、負傷して歩道に横たわっていた警察官の頭部を襲撃犯のひとりが撃ったという話が嘘でないかと疑わせる映像もある。銃撃には自動小銃のAK-47が使われたようだが、これで頭部が撃たれたならば、血や骨や脳が周辺に飛び散るはず。歩道に弾丸が当たったようにも見えない。この時に生じた頭部の傷が原因で死亡したとするなら、歩道はすぐ血の海になっていたはずだが、そうしたこともない。 前にも書いたが、今回の事件では少なからぬ謎、疑問点が指摘されてくる。例えば、容疑者の特定は素早すぎないか、プロフェッショナル的な技術をどのようにして身につけ、襲撃に使った装備をどこで調達したのか、射殺される際の稚拙な行動と整合性がないのではないか、スキー帽で顔を隠している人間が身分証明書を自動車に置き忘れているのは「9/11」のときと同じように不自然ではないのか、襲撃しながら自分たちがイエメンのアル・カイダだと叫んでいるのもおかしくないか、襲撃の後、どのように非常線を突破したのか、事件の捜査を担当した警察署長のエルリク・フレドゥが執務室で拳銃自殺したのはなぜなのか、クリバリがニコラ・サルコジを面談できたのはなぜか・・・。 襲撃事件が引き起こされる前、EUではイスラエルのパレスチナ人弾圧を批判する動きが強まり、ロシアに対するアメリカ主導の「制裁」を批判する声も高まっていたが、そうした動きを襲撃事件が止めた。このまま封印できるのかどうかは不明だが、イスラエルやネオコン/シオニストを含む対ロシア強硬派にとってプラスに働く事件だったとは言えるだろう。そうした勢力にとって好都合な事件に疑惑が多く、「偽旗作戦」ではないかと疑う人も少なくない。
2015.01.18
ロシアと中国がドル離れを進めているが、そのひとつの結果がアメリカの財務省証券保有額に現れている。昨年11月の数字を見ると、中国が前年同期に比べて663億ドル減の1兆2504億ドル、ロシアが同318億ドル減の1081億ドルだったのに対し、日本は551億ドル増の1兆2415億ドル、ベルギーは1351億ドル増の3357億ドル、カリビアン・バンキング・センター(バハマ、バミューダ、ケイマン諸島、オランダ領アンティル、パナマ)は408億ドル増の3317億ドル。ベルギーはアメリカの連邦準備銀行のダミーだと見られ、カリビアン・バンキング・センターはオフショア市場で、実際の買い手は幕の裏に隠れている。 14年11月 13年11月 12年11月中 国: 1250.4 1316.7 1183.1日 本: 1241.5 1186.4 1111.2ベ ル ギ ー: 335.7 200.6 138.5カリビアン: 331.7 290.9 266.4ロ シ ア: 108.1 139.9 166.2 (単位:10億ドル) 日本の保有額を見ると、2013年7月から大幅に増えている。この年の6月は1兆1084億ドルだったのだが、翌月には114億ドル増えて1兆1198億ドル、そして昨年11月には1兆2415億ドルになったわけだ。2013年6月に比べると1331億ドルの増加になる。 2013年と言えば、3月に黒田東彦が日銀総裁に就任、4月に「量的・質的金融緩和(異次元金融緩和)」を打ち出している。金融システムへ資金を投入しても生身に人間が生きている社会へは流れず、投機市場を潤すだけだということは明らか。相場が上昇すれば金融資産を保有している富裕層はさらに豊かになが、大多数の庶民には無縁。いや、そうした無理な政策の尻ぬぐいをさせられることになる。 ここにTPPが加わり、安倍晋三首相と黒田日銀総裁は自国の経済を破綻させ、社会を破壊し、国民と国土をアメリカへ差し出そうとしているのだと世界的には見られ、「狂気のコンビ」と呼ばれた。このふたりを支えるマスコミ、そのマスコミに踊らされている日本国民も「狂気」の世界で徘徊しはじめることになった。 前のIMF専務理事、ドミニク・ストロス-カーンは2011年4月、ブルッキングス研究所で演説を行い、その中で失業や不平等は不安定の種をまき、市場経済を蝕むことになりかねないとし、不平等を弱め、より公正な機会や資源の分配を保証するべきだと主張した。進歩的な税制と結びついた強い社会的なセーフティ・ネットは市場が主導する不平等を和らげることができ、健康や教育への投資は決定的だと語っただけでなく、停滞する実質賃金などに関する団体交渉権も重要だとしている。 安倍と黒田のコンビが推進している政策と正反対の主張だ。つまり、大企業や富裕層にとっては好ましくない発言。演説の翌月、彼はアメリカで逮捕された。レイプ容疑だったが、限りなく冤罪に近いようだ。 2011年に西側は中東や北アフリカで体制転覆プロジェクトを本格化するが、リビアでNATOとアル・カイダ系武装集団の連携が明確になり、シリアではロシアがプロジェクトの阻止に動き始めた。そして2013年11月にウクライナの首都キエフにあるユーロ広場(元の独立広場)で反政府行動が始まっている。 当初はカーニバル的な雰囲気だったが、ネオ・ナチを中心とした暴力的な活動へ移行、棍棒、ナイフ、チェーンなどを手に、石や火炎瓶を警官隊に投げつけるだけでなく、トラクターやトラックが持ち出され、ピストルやライフルも撃ちはじめる。そして始まったのが市民や警官に対する狙撃。 2014年2月25日にキエフ入りして事態を調べたエストニアのウルマス・パエト外相も反政府勢力が狙撃していたと結論、EUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へそのように電話で報告している。 安倍と黒田の政策は日本にとってマイナスで、「狂気」と呼ばれるような代物だったのだが、アメリカ支配層から見ると、資金的に支えてくれたということになる。こうした中、アメリカからEUも離反しはじめていたが、フランスのシャルリー・エブド編集部襲撃でそうした動きを止められるかどうか、見え見えの「恐怖政策」が機能するかどうか、注目しておく必要がある。
2015.01.18
フランスのシャルリー・エブド紙が襲撃された事件を受け、「テロに抗議」、言論の自由を訴えるという名目のデモがあり、フランス全土で約400万人が参加したという。そのデモにはフランスのフランソワ・オランド大統領をはじめ、各国の首脳が顔を見せていたが、その首脳は警官隊に警備され、隔離された場所で演技していたにすぎなかった。 アメリカからの参加がなかったようだが、偽善的な行為に加わりたくなかったと言うわけではなさそうだ。捜査を指揮していながら事件の直後に「自殺」したエルリク・フレドゥがはアメリカ政府高官の逮捕令状を要求していたという噂もある。 事件の舞台になったシャルリー・エブドでは6年前、「反ユダヤ」と言われた漫画を書いたという理由でモーリス・シネという漫画家が解雇されている。同紙で20年にわたって漫画を書いていたベテランだという。 フランスのデモを取材したBBCの記者、ティム・ウィルコックスはインタビューの中でパレスチナ人がユダヤ人によってひどい目にあっているとする指摘が少なくないと発言したところ、解雇を求める声がアメリカの有力メディアからも出た。結局、解雇を避けるために謝罪したというが、西側が宣伝する「言論の自由」とはこの程度のもの。 日本の大手メディアは「大本営発表」型の報道を受け継ぐ支配層の宣伝機関にすぎないことは言うまでもないが、それを強調しようとしたなのか、アメリカの有力メディアを持ち出す人がいる。ウォーターゲート事件を追及したボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインは英雄に祭り上げられ、彼らの所属していたワシントン・ポスト紙は「言論の自由」を象徴する媒体と見なされているようだ。 しかし、そのバーンスタインは1977年にワシントン・ポスト紙を辞めた後、ローリング・ストーン誌に「CIAとメディア」という記事を書いている。それによると、400名以上のジャーナリストがCIAのために働き、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) 本ブログでは何度も書いていることだが、アメリカの支配層は1948年頃中、情報操作を目的とするプロジェクトもスタートさせている。いわゆる「モッキンバード」で、その中心には4名がいた。ウォール街の弁護士で大戦中から破壊活動を指揮していたアレン・ダレス、やはりウォール街の弁護士でダレスの側近として極秘部隊OPCの局長を務めたフランク・ウィズナー、ウィズナーと同じようにダレスの側近で後にCIA長官に就任するリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムである。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979) このプロジェクトには他のメディア幹部も協力、CBSの社長だったウィリアム・ペイリー、タイム/ライフを発行していたヘンリー・ルース、ニューヨーク・タイムズ紙の発行人だったアーサー・シュルツバーガー、クリスチャン・サイエンス・モニターの編集者だったジョセフ・ハリソン、フォーチュンやライフの発行人だったC・D・ジャクソンなどの名前も挙がっている。一般にリベラルと見なされているニューヨーク・タイムズ紙やロサンゼルス・タイムズ紙なども体制派の新聞にすぎない。 第2次世界大戦の前、ウォール街の大物たちがフランクリン・ルーズベルト大統領を引きずり下ろしてファシズム体制を樹立させようとしていたとき、反ルーズベルトのキャンペーンに新聞を利用することになっていた。こうしたことはスメドリー・バトラー退役少将の議会証言で明らかにされた。 アメリカは嘘の上に築かれた国であり、アメリカの有力メディアが言論の自由を尊重しているということも嘘のひとつにすぎない。ワシントン・ポスト紙が「有力紙」と見なされるようになったのは、モッキンバードで社主だったフィリップ・グラハムがアレン・ダレスと手を組んで以降のことだ。
2015.01.17
イギリスのデイリー・メール紙はロシアがウクライナを経由した天然ガスの供給をカットしたと1月15日に伝えた。ウクライナの天然ガス会社、ナフトガスのバレンチン・ゼムリヤンスキーの話として、24時間で2億2100万立方メートル(年換算で807億立方メートル)の取り決めであるにもかかわらず、9200万立方メートル(同336億立方メートル)、つまり58.4%がカットされたと伝えた。 これだけ供給量が減れば、EUは大変な騒動になるはずだが、そうした情報は入っていない。トルコ経由(ブルー・ストリーム)で輸送する能力は160億立方メートルのようなので、このパイプラインで迂回させているいうことは考えられない。他のメディアもカットしたとする情報を伝えていないので、どうやら、英紙の報道は間違っていた、あるいは嘘だったようだ。 しかし、ロシアがウクライナ経由の供給を止め、トルコ経由に切り替えようとしていることは確か。今後、年間630億立方メートルを供給できる態勢を整え、全面的にトルコ経由で供給しようとしている。トルコ経由でEUが天然ガスを手に入れるためにはEU側でもパイプラインの建設を始める必要があり、対応しないなら別の買い手、例えば中国へ振り向けると通告済みのようだ。 原油相場も大きくは動いていないが、これは現物取引とは別の問題。金相場でも言えることだが、投機市場が肥大化し、実際の需給とは関係なり力学で相場は動いている。いわゆるペーパー・ゴールド、ペーパー・オイルの取り引きで決まっているということだ。この投機市場は一部の金融機関やヘッジファンドによって支配され、しかもNSAの操作もあると言われている。 1973年に原油価格が急騰した理由は第4次中東戦争にあると言われているが、サウジアラビアで石油鉱物資源相を務めたシェイク・ヤマニによると、この年の5月にスウェーデンで開かれた秘密会議で、アメリカとイギリスの代表が400%の原油値上げを要求した結果だという。値上げに反対していたサウジアラビア国王に対し、イラン国王はヘンリー・キッシンジャーの意思だと説明したという。 この秘密会議を開催したのはビルダーバーグ・グループ。創設者はオランダ女王の夫、ベルンハルト殿下とジョセフ・レッティンガーで、ヨーロッパを統一して米英が支配する仕組みを作るためにアレン・ダレスやウィンストン・チャーチルらが創設したACUEの下部機関とされている。第1回目の会議がオランダのビルダーバーグ・ホテルで開かれたことから、この名前になった。 ビルダーバーグ・グループは毎年、会議を開いている。2012年にはアメリカのバージニア州で開催され、ロシアの体制転覆について話し合ったと言われている。つまり、目障りなウラジミル・プーチンを排除し、ボリス・エリツィンのような傀儡を大統領に据えようとしたわけだ。そして2013年9月、ヤルタで開かれた国際会議でも同じ問題が話し合われ、11月にウクライナのキエフで反政府活動が始まった。 2014年2月6日から23日までロシアのソチでオリンピック競技が行われた。この間、ロシア政府は動きにくいわけだが、キエフではネオ・ナチが前面に出てきて棍棒、ナイフ、チェーンなどを片手に持ちながら石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルを撃ち始めたのはこのタイミング。憲法の規定を無視してビクトル・ヤヌコビッチ大統領の解任が強行されたのはオリンピックが閉幕してロシアが動きやすくなる前日のことだ。夏になると石油価格が急落、9月には紅海の近くでアメリカのジョン・ケリー国務長官とサウジアラビアのアブドラ国王が秘密裏に会談、下落のピッチはあがった。 石油も相場は現物でなく先物などペーパー上で行われる取り引きが圧倒的。サウジアラビアが減産しないことは事実のようだが、実際の生産量を減らしてもウォール街が相場を下げようと思えば下がる。この相場下落でサウジアラビアも打撃を受けているはずで、ケリー長官がサウジアラビア国王と会ったのは事情を説明するためだった可能性もあるだろう。 1970年代からイギリス経済を支えてきた北海油田、アメリカで推進されているシェール・ガスやシェール・オイルがダメージを受けているが、アメリカの支配層(ネオコン/シオニスト)はロシアを攻撃することしか念頭にないように見える。
2015.01.16
ネオコン/シオニストの戦略に引きずられ、アメリカ政府は無謀な戦いを続けてきた。ペルシャ湾岸の産油国にカネを出させて傭兵を雇って自国や「同盟国」の情報機関や特殊部隊に訓練させ、あるいは投機市場を利用して金融戦争を仕掛け、配下のNGOを動かして服わない国々の体制転覆を図っているが、全て裏目に出ている。かつては世界チャンピオンだった老齢のボクサーがノーガードで打ち合いを始めたようなもので、無謀だったのである。 この無謀な戦いはソ連消滅時にネオコン/シオニストが抱いた勘違いから始まった。その勘違いに基づいて作成されたのが1992年のDPG(国防計画指針)の草案。アメリカが世界を支配する「千年紀」の幕開けだと考えたのかもしれない。EU、旧ソ連圏、南西アジアを潜在的なライバルと見なし、エネルギー源を支配してその潜在的ライバルを潰そうと計画した。 手始めに狙われたのがユーゴスラビア。1999年にアメリカ/NATOは偽情報を広めながら先制攻撃、建造物を破壊し、市民を殺害、スロボダン・ミロシェビッチの自宅や中国大使館も攻撃している。この後、NATOは東へ勢力圏を拡大、ロシアに迫っていく。 2000年には、ネオコン系シンクタンクのPNACがDPGに基づく報告書『米国防の再構築』を発表、この年の大統領選挙で当選したジョージ・W・ブッシュは就任後、この報告書に従った政策を推進していく。そして2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されると、これを利用して国外で軍事侵略を始め、国内では監視システムを増強、警察を軍隊化、つまりファシズム化させていく。 アフガニスタンやイラクを破壊した後、2011年にリビアを攻撃する。この際、NATOの空爆で支援されて地上で戦っていた部隊の中心はアル・カイダ系のLIFGだった。その年のうちに体制転覆は成功したが、アメリカを中心とするNATO、ペルシャ湾岸のサウジアラビアやカタールなどはアル・カイダと手を組んでいることが発覚してしまう。 その後も西側やカタールの有力メディアがアメリカの作り出した幻影を維持しようと圧倒的な報道を繰り返すが、その幻影を現実だと錯覚しているのは何も考えない人びと。自分で考える人びとは覚醒したはず。そうしたメディアのプロパガンダをそのまま口にしている「知識人」もいるが、それは考えているようで考えていないのか、西側支配層が配置したエージェントなのだろう。 ウクライナでアメリカは露骨に乗っ取りを謀っている。2013年12月にビクトリア・ヌランド国務次官補は、1991年からウクライナを支援するために50億ドルを投資したと米国ウクライナ基金の大会で発言、そのヌランドがクーデター前から高く評価し、「次期政権」で入閣させるとしていたアルセニー・ヤツェニュクはクーデター後、首相になっている。こうした状況は西側でも報道されるようになっている。 昨年末にはシカゴ生まれでアメリカの外交官だったナタリー・ヤレスコが金融大臣に、リトアニアの投資銀行家だったアイバラス・アブロマビチュスが経済大臣に、グルジアで労働社会保護相を務めたことのあるアレキサンドル・クビタシビリが保健大臣に就任している。いずれもウクライナ国籍を取得したのは就任の直前。 経済大臣は外国投資やビジネス環境の改善などの顧問として「元エストニア人」のヤーニカ・メリロを指名したのだが、この女性はそうした仕事よりファッションの分野に興味があるような人物。 外国人ということでは、ドニエプロペトロフスクの知事を務めるイゴール・コロモイスキーも当てはまるだろう。オデッサでの虐殺やウクライナの東部や南部での民族浄化で中心的な役割を果たしていると言われている人物だが、ウクライナ、イスラエル、キプロスの三重国籍を持っている。ウクライナでは二重国籍が禁止されているが、三重国籍なら問題ないのだという。 コロモイスキーと同様、殺戮と破壊の中心メンバーとして国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任したアンドレイ・パルビー、右派セクターのリーダーで国家安全保障国防会議の副議長に選ばれたドミトロ・ヤロシュを挙げることができる。ヤロシュは現在、議員だが、議会へは手榴弾を携帯して入るという。3人のうち、コロモイスキーはシオニスト、バルビーとヤロシュはネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)だ。 アメリカの支配層(ウォール街)がナチスと手を組むことは自然。例えば、1932年の大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾にしていた現職のハーバート・フーバーを破ると、JPモルガンを中心とする巨大資本がルーズベルトを排除してファシズム体制の政権を樹立させようとしている。これは海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将が議会で証言して明らかになった。 そのルーズベルトは1945年4月、ドイツが降伏する前の月に執務室で急死、ホワイトハウスは反ファシズムから反コミュニストへ大きく変化する。ドイツに続いて日本が降伏すると、アメリカ国務省はナチスの残党やソ連の勢力下に入った地域から亡命してきた反コミュニスト勢力を雇い始めた。これが「ブラッドストーン作戦」だ。ソ連消滅後、こうした人びとやその子孫が出身国へ戻り、アメリカの手先として動いている。 同時にアメリカはヨーロッパに秘密部隊を組織、1949年にNATOが創設されると、その内部に潜り込ませた。その手先として右翼団体が使われ、さまざまな工作に利用されている。中でも有名な作戦がイタリアのグラディオが「極左」を装って1960年代から80年頃にかけて実施した爆弾攻撃。この攻撃を口実にして治安体制を強化、左翼勢力を潰していった。いわゆる「緊張戦略」だ。「NATOの秘密部隊」はフランスのシャルル・ド・ゴール大統領暗殺未遂にも関わったと言われている。つまり、この部隊は自国政府ではなくアメリカ支配層の命令に従っている。 1990年にイタリアのジュリオ・アンドレオッチ首相がグラディオの存在を公的に認めた後、全NATO加盟国にグラディオのような秘密部隊が存在していることが判明した。建前としてはソ連軍に占領された際のレジスタンス部隊ということになっていたが、実際はアメリカがヨーロッパを支配する仕組みだ。ウクライナはソ連の一部だったが、そうした秘密部隊をアメリカは送り込んでいる。 外で口にするかどうかはともかく、1990年以降、EUを含む全世界で、政治や経済に興味のある人なら「NATOの秘密部隊」が存在していることは常識。そうした目でウクライナやフランスの状況を見ているはずだ。嘘の上に築かれたアメリカだが、すでに嘘は知られている。事実の報道を「プロパガンダ」だと西側の有力メディアは叫んでいるが、事実を見ている人からは相手にされていないだろう。アメリカへの恐怖心が薄らいだなら、アメリカの支配力は一気に消滅する可能性がある。
2015.01.16
ロシアはウクライナを経由してEUへ天然ガスを供給しているが、ウクライナの代金未納や資源抜き取りの問題もあって話し合いがこじれ、その60%をカットしたという。今後、ロシアは供給ルートをウクライナ経由からトルコ経由へ全面的に切り替え、年間630億立方メートルを供給するというが、そのためには新たな輸送手段が必要になる。 アメリカの植民地化が進むウクライナを避けるためにロシアが計画していたパイプラインがサウス・ストリーム。ロシアから黒海を横断、ブルガリア、セルビア、ハンガリー、スロベニア、そしてイタリアへいたるルートだったが、ブルガリアがアメリカの圧力に屈して建設の許可を出さず、この計画は御破算になった。替わってトルコと新たな契約を結ぶとブルガリアは慌ててロシアとの話し合い再開を持ちかけたが、これは難しいようである。 ロシアからトルコへ天然ガスを運ぶブルー・ストリームは2003年2月から稼働しているが、その供給能力は160億立方メートル。そのほかにサウス・ストリームのために建設済みの施設を使った新たなパイプラインを建設することになりそうだ。10年ほど前から第2のブルー・ストリーム建設を両国政府は話し合っているようで、サウス・ストリーム計画がなくなったことから、実現する可能性は高まった。ロシア側もそう宣言している。 EU向け天然ガスの供給ルートをウクライナ経由からトルコ経由へ切り替えると報道された翌日、アメリカのジョン・ケリー国務長官がブルガリアを訪問、ロシアへのエネルギー依存度を低めるように求めたという。ロシアの影響力を小さくし、アメリカの石油産業企業がカネ儲けできる環境を作りたいということだろう。ロシアの天然ガス供給削減はケリー長官、そしてアメリカ政府へのメッセージと考えることもできる。 ケリーがブルガリアを訪れる直前、1月12日に国際的な投機家として知られるジョージ・ソロスがウクライナを訪問してペトロ・ポロシェンコ大統領らと会談した模様だ。ソロスはウクライナ経済を立て直すためにEUへ支援を求め、欧米で500億ドルを投入すべきだとしている。 現在、ウクライナの首相はアルセニー・ヤツェニュク。昨年2月にクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権は倒されたが、その前にアメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補から高く評価され、「次期政権」で入閣が予定されていた人物。 昨年末からキエフ政権はアメリカの属国化がさらに進み、金融大臣にはシカゴ生まれでアメリカの外交官だったナタリー・ヤレスコが就任、経済大臣になったのはリトアニアの投資銀行家だったアイバラス・アブロマビチュスで、保健相はグルジアで労働社会保護相を務めたことのあるアレキサンドル・クビタシビリ。ヤレスコだけでなく、他のふたりもアメリカの強い影響下にある。この3人は大臣に就任する直前にウクライナ国籍を取得している。 アメリカは経済と軍事、両面でロシアにプレッシャーをかけているつもりだが、ロシアの反撃でEUが厳しい状況に陥った。EUの少なからぬエリートはアメリカに買収されていると言われているが、それだけでなく、NSAによる盗聴などで弱みを握られて身動きがとれないのだろう。 ポーランドのラドスラフ・シコルスキー外相は元財務相に対し、ポーランドとアメリカの同盟は無価値であり、全く有害であり、ドイツやロシアとの争いに発展するとしたうえで、アメリカ人に「フェ●チオ」をしているので、すべてが最高になるとポーランド人は思っていると自嘲気味に語っている。EUの多くのエリートは同じように思っているのだろうが、表面的にはアメリカの忠実な僕を演じている。シャルリー・エブド編集部への襲撃も脅しになっているはずだが、このままアメリカに従っていると、EUは近い将来、崩壊する。
2015.01.15
シャルリー・エブドの編集部が襲撃された事件を受けて行われたデモにフランス全土で約400万人が参加したという。「テロに抗議」ということらしいが、事件を切っ掛けにして反イスラム団体の動きが活発化、デモも反イスラム色が濃いことは否めない。今回、これだけの人が行動したということは、それだけイスラム、あるいはイスラム教徒に対する蔑視、差別、憎悪がフランスに蔓延していることを示しているのだろう。 「イエメンのアル・カイダ」が犯行声明を出したというが、今回の場合、誰が実際に襲撃したのかということも含めて謎は多い。何度も本ブログで書いているように、アル・カイダは元々、CIAに雇われ、訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のデータベース(アラビア語でデータベースはアル・カイダ)。傭兵の登録リストとも言える。アル・カイダ、あるいはIS(イスラム国。ISIL、ISIS、IEILとも表記される)はアメリカ/NATOやイスラエルと緊密な関係にあると言えるが、イスラムを結びつけることは根本的に間違っている。 2011年7月にノルウェーで引き起こされた襲撃を今回の事件と比較する人もいる。オスロの政府庁舎を爆破して8名を殺害、その1時間半後にウトヤ島のサマーキャンプを襲って69名を射殺したのはキリスト教シオニストのアンネシュ・ブレイビクだとされているが、複数の目撃者が別の銃撃者がいたと証言している。リビアに対する空爆に参加している部隊を引き揚げると政府が発表した翌月の出来事だった。ノルウェーでの襲撃後、約10万人が参加した追悼集会が開かれたようだが、「反キリスト教」のデモは行われていない。 キリスト教シオニストとは、パレスチナに「ユダヤ人の国」を作り、最終戦争(全面核戦争)の後に救世主が再臨して自分たちは救われると信じている人びと。ネオコン/シオニストは1970年代にこのキリスト教シオニストと結びつき、ウォーターゲート事件で失脚したリチャード・ニクソンから大統領の職を引き継いだジェラルド・フォードの時代に大きな発言力を獲得した。ドナルド・ラムズフェルド、リチャード・チェイニー、あるいはポール・ウォルフォウィッツらもこの政権で頭角を現している。 ふたつの集団が接近する切っ掛けは1967年6月の第3次中東戦争。イスラエルが奇襲攻撃でエジプト、ヨルダン、シリアなどアラブ諸国の軍隊を6日間で粉砕、ヨルダン川西岸とガザ地区などを占領しているが、ベトナム戦争で苦しむアメリカ軍に失望していたアメリカ人がイスラエル軍に新たな「神の軍隊」を見いだしたということもあるようだ。 アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、ウクライナなど世界各地でテロが頻発、その大半でアメリカ/NATOが中心的な役割を果たしている。イスラエル軍によるガザでの破壊と殺戮もテロと呼べるだろうが、そうした出来事にこれほどのフランス人が反応したことはない。 アメリカの場合、こうしたイスラエルによる残虐行為を批判すると職を失う覚悟が必要だ。そうした犠牲者のひとりがデポール大学で教鞭を執っていたノーマン・フィンケルスタイン。母親はマイダネク強制収容所、父親はアウシュビッツ強制収容所を生き抜いた経歴の持ち主である。 ノーマンはイスラエル政府のパレスチナ人弾圧を批判、イスラエルと緊密な関係にある学者や団体と対立、ハーバード大学のアラン・ダーショウィッツ教授から激しい攻撃を受けた。ノーマンの著作が世に出ることを阻止するためにカリフォルニア大学出版やカリフォルニア州のアーノルド・シュワルツネッガー知事に働きかけ、大学が彼に終身在職権を与えようとした際には反フィンケルスタインのキャンペーンを数カ月に渡って展開、大学に圧力をかけて彼との雇用契約を打ち切らせてしまった。 イスラエルのパレスチナ人虐殺を非難して解雇された学者はフィンケルスタインに留まらない。例えば、イリノイ大学は同じ理由でスティーブン・サライタ教授との雇用関係を打ち切っている。 こうしたことはシャルリー・エブドでも行われている。現在、「言論の自由」を象徴する存在に祭り上げられている同紙だが、6年前には「反ユダヤ」と言われた漫画を書いたという理由でひとりの漫画家を解雇している。 アメリカ政府は有力メディアを使い、偽情報を広めながら軍事侵略を続けている。ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、ウクライナはそうした侵略の犠牲になった国だ。国は破壊され、人びとは虐殺されている。シャルリー・エブドの編集部が襲われたことに対する抗議に約400万人が参加するフランス人だが、こうした国々に対する襲撃には鈍感だ。
2015.01.15
国際的な投機家として知られるジョージ・ソロスが1月12日にウクライナの首都キエフを訪問、ペトロ・ポロシェンコ大統領らと会談した模様だ。ソロスはウクライナ経済を立て直すためにEUへ支援を求め、欧米で500億ドルを投入すべきだとしている。 ウクライナの財政がここまで悪化した最大の理由は、2004年から05年にかけての「オレンジ革命」にある。この「革命」で実権を握った親欧米派はボリス・エリツィン時代のロシアと同様、「私有化」や「規制緩和」を唱えながら国民の資産を格安の条件で手に入れ、巨万の富を一部の人間が手に入れて「オリガルヒ」と呼ばれるようになる。その一方で大多数の庶民は貧困化、財政も破綻状態になった。そうした政策への反発が2010年の大統領選挙でビクトル・ヤヌコビッチを勝利へ導いた一因だ。 財政を立て直すため、ヤヌコビッチは良い条件を出してきたロシアと手を組もうとしたのだが、EUへの憧れが強い西部の人びとや西側の巨大資本を後ろ盾にして略奪を目論む人びとは怒り、昨年2月23日に憲法の規定を無視する形でヤヌコビッチは解任されてしまう。 2013年12月13日、反ヤヌコビッチ行動が展開される中、アメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補が米国ウクライナ基金の大会で明らかにしたところによると、アメリカは1991年からウクライナを支援するために50億ドルを投資済み。こうした投資はウクライナをアメリカの巨大資本にとって都合の良い体制へ作り替えるためのもので、「オレンジ革命」もそうした目的で実行されたわけだ。 クーデターの実働部隊はアメリカ/NATOから軍事訓練を受けたネオ・ナチ(ステファン・バンデラの信奉者)。例えば、2004年からバルト3国に設置されたNATOの訓練施設で軍事訓練を受け、13年9月にはポーランド外務省からクーデター派の86人が大学の交換学生として招待され、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたって暴動の訓練を受けたという。 こうしたネオ・ナチ勢力で中心的な役割を果たしていると見られているのは3人。ウクライナ、イスラエル、キプロスの三重国籍を持つオリガルヒでドニエプロペトロフスクの知事を務めるイゴール・コロモイスキー、クーデターで司令官的な役割を果たし、国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任したアンドレイ・パルビー、右派セクターのリーダーで国家安全保障国防会議の副議長に選ばれたドミトロ・ヤロシュだ。 首相を務めているアルセニー・ヤツェニュクは銀行出身で、クーデターの前からヌランドに高く評価されていた。彼女がジェオフリー・パイアット駐ウクライナ大使と電話でウクライナの閣僚人事について話し合っている音声が昨年2月4日、YouTubeへアップロードされているのだが、その中でそうした発言がある。 昨年末からキエフ政権はアメリカの属国化がさらに進んだ。金融大臣と就任しのはシカゴ生まれでアメリカの外交官だったナタリー・ヤレスコ。2004年から05年にかけて実行された「オレンジ革命」でビクトル・ユシチェンコが大統領に就任すると、その顧問として働いている。経済大臣に就任したのはリトアニアの投資銀行家だったアイバラス・アブロマビチュスで、保健相にはグルジアで労働社会保護相を務めたことのあるアレキサンドル・クビタシビリが就任した。この3人は大臣に就任する直前にウクライナ国籍を取得している。 ロシアのソチでオリンピックが開かれるタイミングで行われた反ヤヌコビッチ行動を話し合いで解決しようとしていたEUにヌランドは腹を立て、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」という言葉が飛び出す。西側メディアは表現が下品だという点に焦点を当てていたが、問題はアメリカ政府の高官がウクライナの次期政権の閣僚をどうするかについて話し合い、暴力的に政権を転覆させようとしている点にあった。西側のメディアは見て見ぬ振りをしたわけだ。 現在、EUは好戦的な政策が自分たちを破滅させることに気づき、ロシアへの敵対的な姿勢を止めようとしている。フランスのフランソワ・オランド大統領、そしてロシア嫌いで有名なドイツのアンゲラ・メルケル首相でさえ、反ロシア政策に否定的な発言をしている。 しかし、ソロスは西側がロシアと戦争状態にあるとし、市民生活を犠牲にして軍事部門へ資金を集中させるべきだとしているようだ。すでにIMFから借りた資金は東/南部での民族浄化作戦に投入しているわけで、この政策を続けようということなのだろう。 彼らが考えていることは、庶民に「欲しがりません勝つまでは」を要求、戦争ビジネスを儲けさせるということに留まらず、クライナを制圧してロシアを支配することで世界支配の体制を確立できるとソロスたちは考えている可能性が高い。アメリカ巨大資本の「興廃此の一戦に在り」といった心境なのだろう。
2015.01.14
フランスの週刊紙、シャルリー・エブドが襲撃されたことを利用して反イスラム団体の動きが活発化しているが、そうした中、アメリカのジョー・リーバーマン前上院議員は「イスラム過激派」に対する地球規模の戦争を呼びかけている。 リーバーマンはネオコン/シオニストとして有名だが、この勢力は1992年に国防総省の内部でポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)を中心としてDPG(国防計画指針)の草案を作成した。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」。ネオコン/シオニストはこのドクトリンに基づいて行動している。 このドクトリンではアメリカを唯一の超大国と位置づけ、新たなライバルが出現することを阻止するとしている。潜在的なライバルとして意識しているのはヨーロッパ、東アジア、旧ソ連圏、南西アジア。この草案が作成される前年、ウォルフォウィッツはシリア、イラン、イラクを5年か10年で殲滅すると語っていたという。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官の話だ。 ビル・クリントン政権になるとネオコン/シオニストのホワイトハウスでの影響力は低下するが、政府の外では活発に動き、1996年にはイスラエルの新しい戦略をテーマにした文書「決別」を作成している。その中で労働シオニズムを否定、トルコやヨルダンとの友好関係を深めると同時にイラクからサダム・フセインを排除して傀儡政権を樹立して親イスラエル陣営に取り込み、シリアを孤立させるというシナリオを描いていた。 ネオコン/シオニスト系のシンクタンクPNACは2000年にDPGを発展させる形で報告書「米国防の再構築」を発表、それが01年から始まるジョージ・W・ブッシュ政権が打ち出す政策の基礎になった。 ブッシュ・ジュニア大統領は当初、「中国脅威論」を叫んでいたが、9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されると中東をターゲットにする。クラークによると、その直後に作成された攻撃予定国のリストにはイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンが載っていたという。 シーモア・ハーシュはニューヨーカー誌の2007年3月5日号で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリアとイランの2カ国とレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したと書いているのだが、その3年前にイラクではアル・カイダ系の戦闘集団AQIが活動を開始、06年にはこのAQIが中心になってISIが編成され、IS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)につながる。この戦闘集団はアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの秘密工作で使われている。 いわゆる「アラブの春」の流れに乗る形で2011年にリビアやシリアでも体制転覆の動きが活発化、その年の春からトルコにある米空軍インシルリク基地ではアメリカの情報機関員や特殊部隊員が、イギリスやフランスの特殊部隊員と共同で反シリア政府軍を訓練、12年にはヨルダンの北部に設置された秘密基地でアメリカの情報機関や特殊部隊がISの主要メンバー数十人を含む戦闘員を訓練したと伝えられている。 アル・カイダ、あるいはISはキリスト教徒など中東の少数派を虐殺するだけでなく、イスラム教徒も攻撃の対象にしてきたが、イスラエルやサウジアラビアへは手を出していない。その背景を暗示する発言を駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンは退任前の2013年9月にしている。イスラエルはシリアの体制転覆が希望だと彼は明言、バシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っているのだ。イスラエルが負傷した反シリア政府軍の兵士を治療していることも知られている。 その一方、イスラエルはパレスチナに対する攻撃を続け、破壊と虐殺を繰り返し、国際的な反発が強まっていた。そうした声はヨーロッパの支配層にも影響を及ぼし、例えば、スウェーデンのマルゴット・バルストロム外相は10月30日、同国政府はパレスチナを国家として承認する決定を下したとする声明を出している。 そのほか、イギリス、スペイン、アイルランドなどの議会が相次いで政府に承認を求める動議を採択、12月2日にはフランス国民議会(下院)がパレスチナを国家として承認するよう政府に求める決議を採択、EUの外務・安全保障政策上級代表兼欧州委員会副委員長のフェデリカ・モゲリーニもイスラエルに対し、1967年にイスラエルが軍事侵攻する以前の領土に戻るように求めている。 ウクライナの体制転覆プロジェクトを成功させるため、ネオ・ナチを使ったクーデターで親米派が市民や警官を狙撃したことに目を瞑るよう、エストニアのウルマス・パエト外相に言ったキャサリン・アシュトンからモゲリーニは11月1日に引き継いだ人物。 そのほか、昨年7月にはフランスの大手石油会社、トタルのクリストフ・ド・マルジェリ会長兼CEOが石油取引をドルで決済する必要はないと言い切り、その3カ月後にモスクワの飛行場で事故のために死亡、12月6日にはフランソワ・オランド仏大統領がロシアを突然訪問してプーチン大統領とモスクワの空港ビルで会談、年明け後には西側のロシアに対する「制裁」を辞めるべきだと語り、ロシア嫌いのアンゲラ・メルケルが首相のドイツでも、外務大臣や副首相がロシアを不安定化させる政策に反対すると表明している。 中東/北アフリカでもウクライナでも、ネオコン/シオニストやイスラエルにとって好ましくない流れができつつあった。リーバーマンはシャルリー・エブド襲撃を利用し、流れを「反イスラム」へ変えたいと願っている。 イスラエルは自分たちの正当性とパレスチナ人の残虐性を世界の人々や自国民に印象づけるため、「イスラム教徒のテロ行為」を演出することがある。その一例が1985年のアキレ・ラウロ号事件。イスラエルの情報機関ERD(対外関係局)に所属していたアリ・ベン-メナシェによると、イスラエルの情報機関は工作にモハメド・ラディ・アブドゥラなる人物を利用した。 ラディはヨルダン軍の大佐だったが、パレスチナ難民を追い出すために約5000名の戦闘員をアジュルーンの森で虐殺したことに反発、ロンドンに移住してアンソニー・ピアソンなるイギリス人とビジネスを始めた。この人物はイギリスの特殊部隊SASの元将校で、イスラエルともつながりがあり、ラディはイスラエルの情報機関に取り込まれてしまう。 イスラエルの命令はラディを介してアブル・アッバスなる人物に伝えられる。アッバスもイスラエルのコントロール下にあったのだが、本人はシチリア島のドンから資金を得ていると思っていた。そのアッバスが編成したチームが客船のアキレ・ラウロ号を襲撃、その際にイスラエル系アメリカ人を殺害、イスラエルにとって格好の宣伝材料になった。
2015.01.13
編集部が襲撃されたフランスの週刊紙、シャルリー・エブドは次号に預言者ムハンマドの風刺画を掲載すると同紙の顧問弁護士が発表したようだ。「私はシャルリー」なる標語も流行る中、ビジネスとしては適切な判断なのだろう。 今回の襲撃を受け、これまで中東/北アフリカやウクライナなどで殺戮と破壊を推進してきた西側のリーダーたち、そうした支配層にとって都合の良い偽情報を垂れ流してきた有力メディアが「テロに抗議」という名目のデモを演出、そのイベントに約400万人が参加したという。 デモにはフランスのフランソワ・オランド大統領、ドイツのアンゲラ・メルケル首相、イギリスのデービッド・キャメロン首相、イタリアのマッテオ・レンツィ首相、スペインのマリアノ・ラホイ首相、ベルギーのシャルル・ミシェル首相というNATO加盟国の首脳も顔を見せたが、NATOはユーゴスラビアへの先制攻撃以降、アメリカはNATOの軍隊を侵略と占領のために使ってきた。 ウクライナのペトロ・ポロシェンコ大統領も加わっていたようだが、この国では昨年2月にネオ・ナチを使ったクーデターがあり、その蜂起に反対する人びとは暴力の対象。そしてオデッサで虐殺があり、ウクライナの東部や南部でもキエフ政権は住民を虐殺している。こうした残虐行為を西側の政府や有力メディアは容認どころか後押し、大規模な抗議デモが行われることもなかった。 そうした破壊と虐殺のベースには1992年に国防総省で作成されたのがDPG(国防計画指針)の草案、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」がある。ヨーロッパ、東アジア、旧ソ連圏、南西アジアなどが新たなライバルとして育つのを阻止することを鮮明にした内容で、問題にはなったものの、その後もネオコン/シオニストは放棄せず、生き続けてアメリカ/NATOの軍事侵略につながる。 このドクトリンに従ってイラクやリビアの体制は倒され、シリアで戦闘が続き、ウクライナでクーデターが実行された。ウクライナをめぐってアメリカはEUとロシアの関係を断ち、双方を疲弊させようとしているが、これは潜在的ライバルを潰すというドクトリンの目的にかなっている。 ところがロシアは中国との関係を強め、「脱ドル」を進めることで対応する。アメリカが世界を支配できる理由のひとつは基軸通貨を自己の判断で発行できることにあり、この特権を失えば支配力は大幅に低下するわけで、アメリカにとって深刻な事態。アメリカの政策によって経済的にダメージを受け、軍事的な緊張が高まっていることを危惧する人がEUの支配層でも増えていた。 襲撃事件の舞台になったフランスの動きを見ると、昨年7月、石油取引をドルで決済する必要はないと言い切っていたフランスの大手石油会社、トタルのクリストフ・ド・マルジェリ会長兼CEOは、その3カ月後にモスクワの飛行場で事故のために死亡、12月にはフランソワ・オランド仏大統領がカザフスタンからの帰路、ロシアを突然訪問してプーチン大統領とモスクワの空港ビルで会談、年明け後には西側のロシアに対する「制裁」を辞めるべきだと語っている。仏大統領がモスクワを訪問した頃、アメリカが「偽旗作戦」を計画しているという噂が流れ始めていた。ロシア嫌いで有名なアンゲラ・メルケルが首相を務めるドイツでも、外務大臣や副首相がロシアを不安定化させる政策に反対すると表明している。 シャルリー・エブドへの襲撃には不可解な点が少なくないことは本ブログでも指摘した通り。似たようなことを感じている人は少なくないようだが、有力メディアはそうした疑惑を見て見ぬ振りだ。そうした中、同紙は次号で預言者ムハンマドの風刺画を掲載するということは、襲撃とイスラム教をイメージ的に結びつけることになるだろう。 2011年にノルウェーで与党労働党の青年部が企画したサマーキャンプが襲撃されて69名が殺された事件、アフリカ系アメリカ人を惨殺してきたKKKの行為、コミュニストや少数派などを虐殺したナチスなどをキリスト教と結びつけて批判する人が西側にどの程度いるのか知らないが、イスラム教徒を名乗る人物の行為の責任は全て全イスラム教徒が負わなければならないという雰囲気が西側では感じられる。 キリスト教世界でイスラムの預言者を愚弄、挑発すれは結果として「文明の衝突」のように見える現象も起こりえる。言うまでもなく、「文明の衝突」はサミュエル・ハンチントンが主張して有名になったが、この人物はシオニストを支持し、反イスラム派として知られている。シオニスト国家(イスラエル)を支持し、サウジアラビアや湾岸の産油国をはじめとする独裁国家を支援していたともいう。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game,” Henry Holt, 2005) シオニストにとって中東/北アフリカの混乱はイスラム諸国の弱体化を招くもので、悪くない事態。イスラエルはアル・カイダを支持し、IS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)の負傷した戦闘員を治療している。ロシア制圧を目指す彼らにとってウクライナでの虐殺は当然のことに違いない。彼らのほか、戦乱が利益に結びつく戦争ビジネスは勿論、エネルギー利権を狙う石油産業、こうした企業に投資している巨大金融資本、最終戦争を望むキリスト教系カルトなども世界の混乱は望むところだろうが、彼らの行動はアメリカの支配体制を揺るがすことになる。今回の襲撃でそうした流れが変化する可能性は小さそうだ。
2015.01.13
EUとロシアを衝突させ、両者を疲弊させるというアメリカの目論見は崩れつつある。そうした中、引き起こされたのがシャルリー・エブド編集部の襲撃。この事件には謎、疑問点が多いことはすでに指摘した。ドイツやフランスを含む少なからぬ国がアメリカの好戦的な政策に異を唱え始めていたのだが、この事件で流れが変わるのかどうか、注目しておく必要がある。 何度も書いていることだが、1991年にソ連が消滅したとき、冷戦に勝利したアメリカが「唯一の超大国」になり、世界を制覇する日が目前に迫ったと考える人は少なくなかった。資本主義が社会主義に勝ったと思った人も多かったようで、巨大資本は本性をむき出しにする。この世には存在しない「理想的市場」を前提にした新自由主義が全世界で猛威を振るい、富の集中が加速、その結果、集中した富が流れ込む投機市場は肥大化し、庶民が生活する社会では貧困が蔓延していく。 ソ連を消滅させる上で重要な役割を果たし、ロシアで実権を握ったボリス・エリツィンは西側資本の傀儡だが、本人はアルコール漬けの生活だったようで、クレムリンはその娘であるタチアナ・ドゥヤチェンコを中心に動いていたという。その腐敗したグループと結びつき、国民の資産を盗んで巨万の富を築いた人たちが「オリガルヒ」。その象徴的な人物がチェチェン・マフィアと結びついていたボリス・ベレゾフスキー(後にプラトン・エレーニンへ改名)である。 エリツィンが失脚、ウラジミル・プーチンが実権を握るとオリガルヒがロシア政府を支配するという構図が崩れ、多くのオリガルヒがイギリスやイスラエルへ逃げた。ベレゾフスキーは少なくとも一時期、イスラエルの市民権も持っていたのでイスラエルへ逃亡しても不思議ではなかったが、実際はイギリスへ渡った。その首都、ロンドンは富裕層や巨大資本が資金を隠すオフショア市場のネットワークにおける中心的な存在で、資金を扱うには便利なのだろう。 このロンドンでベレゾフスキーは西側の支配層と親しくなる。例えば、「メディア王」とも呼ばれるルパート・マードック、1980年代に「ジャンク・ボンド」を売りまくってウォール街の敵対的買収を下支えしたマイケル・ミルケン、ジョージ・W・ブッシュの弟でS&L(アメリカの住宅金融)スキャンダルで名前が出てきたニール・ブッシュとの関係は有名だが、それ以上に重要なのはジェイコブ・ロスチャイルド卿と息子のナサニエル(ナット)・ロスチャイルドとの関係だ。ベレゾフスキーは2013年3月、ロシアへの帰還を口にした直後に急死している。 このベレゾフスキーの下で働いていたアレクサンドル・リトビネンコは2006年11月に放射性物質のポロニウム210で毒殺されたが、その数週間前、ロシアの石油会社ユーコスの元幹部レオニド・ネフツーリンと会うためにイスラエルを訪れていた。リトビネンコの死について、兄弟のマキシム・リトビネンコはアメリカ、イスラエル、イギリスの情報機関に殺された可能性があると主張している。死の直前、アレクサンドルはロシアへ戻ると話していたという。 ベレゾフスキーにしろ、リトビネンコにしろ、ロシアに存在するアメリカの巨大資本とつながる勢力のネットワークを熟知している可能性が高く、ロシアへ戻すわけには行かないと考える人たちがいたはずだ。 ユーコスはオリガルヒのひとり、ミハイル・ホドルコフスキーが君臨していた会社で、西側の銀行から数億ドルの融資を受け、巨大投資会社「カーライル・グループ」からも資金を得ていた。ホドルコフスキーはプーチンに対抗できると過信してロシアに留まり、支配者であり続けようとしたのだが、2003年10月に逮捕されている。特赦で釈放されたのは2013年12月だ。 ホドルコフスキーはコムソモール(全ソ連邦レーニン共産主義青年同盟)の指導者だった時代に、ロシアの若い女性を西側の金持ちに売り飛ばしていた疑いがあるのだが、その際にKGB(国家保安委員会)の人脈から助けられていたとする証言がある。 その後、メナテプ銀行を設立、1995年にユーコスを買収、中小の石油会社を呑み込んでいった。その一方でモスクワ・タイムズやサンクトペテルブルグ・タイムズを出している会社の大株主になり、メディアを押さえにかかっている。ジョージ・ソロスの「オープン・ソサエティ基金」をモデルにしてアメリカで「オープン・ロシア基金」を2002年に設立、ヘンリー・キッシンジャーやジェイコブ・ロスチャイルド卿を雇い入れている。 西側巨大資本の傀儡としてロシア国民の資産を略奪したエリツィンの人脈はまだクレムリンに食いついている。ボリス・エリツィンの孫の夫でイスラエル系のオレグ・デリパスカがその中心的存在。プーチンと良好な関係にあるとは言い難く、数年前にアメリカの情報機関から協力を持ちかけられたことをデリパスカも認めている。 このデリパスカはロスチャイルド系の情報会社ディリジェンスの助けで世界銀行から融資を受けているが、政治面でも西側との関係を強めている。ネオコン/シオニストの米上院議員、ジョン・マケインと親しいと言われているが、それだけでなく、ナット・ロスチャイルドの口添えで西側の政治家との関係を強めている。 こうした人脈はUSAIDやNEDを中心とするNGOのネットワークとも結びついている。ロシアの場合、2012年1月にマイケル・マクフォールが駐露米国大使としてモスクワに到着すると、その3日後にはロシアの反プーチン/親アメリカ(親ウォール街)派のリーダーがアメリカ大使館を訪れていたが、これは象徴的な出来事だった。こうしたロスチャイルド親子やCIA/NGOの体制転覆を目的とした活動を西側では「民主化」と呼ぶ人が少なくない。
2015.01.12
負傷して歩道に横たわっていた警察官の頭部を襲撃犯のひとりが撃ち、殺害したことになっている。使用した武器は自動小銃のAK-47のようで、以前にも書いたように、撃たれた頭部は粉々になり、血や骨や脳が周辺に飛び散るはずだが、実際は何の変化もないため、演技説もある。 銃撃直後。頭部に変化は見られない それだけでなく、フランスの週刊紙、シャルリー・エブドの編集部が襲撃された事件では少なからぬ謎、疑問点を指摘する声も聞こえてくる。例えば、容疑者の特定は素早すぎないか、プロフェッショナル的な技術をイエメンやシリアでの訓練や実戦で身につけられるのか、襲撃に使った装備をどこで調達したのか、スキー帽で顔を隠している人間が身分証明書を自動車に置き忘れているのは「9/11」のときと同じように不自然ではないのか、襲撃しながら自分たちがイエメンのアル・カイダだと叫んでいるのもおかしくないか、襲撃の後、どのように非常線を突破したのか、事件の捜査を担当した警察署長のエルリク・フレドゥが執務室で拳銃自殺したのはなぜなのか、容疑者のひとりで射殺されたアメディ・クリバリが2009年にエリゼ宮でニコラ・サルコジと面談できたのはなぜか・・・。 この事件が引き起こされる直前、アメリカの「恫喝外交」は破綻していた。ロシアや中国に脅しが通じないだけでなく、ドイツやフランスを含む少なからぬ国がアメリカの好戦的な政策に異を唱え始めていたのだ。アメリカに従うことによってEUが経済的にも軍事的にも危機的な状況に陥り、ワシントンに対する反発の声が高まっている。12月の上旬からアメリカ政府が「偽旗作戦」を計画しているという噂も流れていた。いずれにしろ、有力メディアのプロパガンダに踊らされることは危険だ。
2015.01.12
現在、ウクライナのキエフ政権はふたつの柱に支えられている。西側の「国境なき巨大資本」を後ろ盾にする「オリガルヒ」の一派と、アメリカ/NATOから軍事訓練を受けてきたネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)のグループだ。 この2派が思想的に近いことをアルセニー・ヤツェニュク首相の発言は示している。同首相はドイツのARDテレビのインタビューで、「ソ連によるドイツ、ウクライナ侵略は記憶に新しい」と明言したのだ。「第2次世界大戦の結果を書き換える権利は誰にもない」と言いながら、ヤツェニュクは歴史を書き換えようとしている。 言うまでもなく、大戦は始まりは1939年9月1日のドイツ軍によるポーランド侵攻。話し合いがこじれていたポーランド回廊(ドイツ本国と東プロイセンの間に作られたポーランド領)の問題を軍事的に解決しようとしたのだが、その直後にイギリスとフランスが宣戦布告、世界大戦に発展したわけだ。この当時、ウクライナはソ連の一部だ。ロシア嫌いでアメリカの傀儡であるアンゲラ・メルケル首相としても同意することは困難だろう。西側の有力メディアは沈黙する。 ウクライナでは昨年2月23日、憲法の規定を全く無視した形でビクトル・ヤヌコビッチ大統領が解任された。このクーデターの前からヤツェニュクを高く評価していたのがアメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補。ジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使との電話会談が2月4日にYouTubeへアップロードされ、その中でそうした話が出ている。彼女はEUが話し合いで解決しようとしていることにも不満で、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と口にしている。ちなみに、ヌランドが結婚した相手はネオコン/シオニストの大物、ロバート・ケーガンだ。 2013年11月、ウクライナの首都キエフにあるユーロ広場(元の独立広場)で始まった反政府行動は、当初の「カーニバル」的な演出を人を集めてからネオ・ナチを中心とした暴力的な活動へ移行、棍棒、ナイフ、チェーンなどを手に、石や火炎瓶を警官隊に投げつけるだけでなく、トラクターやトラックが持ち出され、ピストルやライフルも撃ちはじめる。そして始まったのが市民や警官に対する狙撃。 西側のメディアはビクトル・ヤヌコビッチ政権が狙撃の黒幕だと宣伝していたが、2月25日にキエフ入りして事態を調べたエストニアのウルマス・パエト外相は逆の認識を持っていた。26日にEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で報告している音声が3月5日にYouTubeへアップロードされたのだが、それによるとパエト外相は次のように言っている: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合体(クーデター派)が調査したがらないほど本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチ(大統領)でなく、新連合体の誰かだというきわめて強い理解がある。」そして「新連合はもはや信用できない。」としている。 つまり、狙撃しているのは西側から支援を受けている反ヤヌコビッチ政権派であり、この一派を信用することはできないと説明しているのだが、そうなると新体制への移行という西側のプランが崩壊する。そこで、アシュトンは「議会を機能させなければならない」と応じる。つまり、事実を隠して嘘を突き通せということだ。そして東/南部での破壊と殺戮が本格化する。西側では政府もメディアも「リベラル派」も「革新勢力」もこのクーデターを「民主化」と呼ぶ。西側は嘘の上に築かれた「民主体制」だ。 ヤヌコビッチ政権でSBU(ウクライナ治安局)の長官を務めていたアレクサンドル・ヤキメンコによると、狙撃の責任者はアンドレイ・パルビーなる人物。1991年にネオ・ナチの「ウクライナ社会ナショナル党」を創設したひとりで、クーデター後、国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任している。 この政党は2004年、オレンジ革命に合わせて党名を「スボボダ(自由)」へ変更している。旧党名は「ナショナル社会主義党(ナチス)」を連想させるということから、西側から変更の要請があったようだ。 ウクライナのネオ・ナチはOUNという団体の流れをくんでいる。1929年に創設され、イギリスの対外情報機関MI6と結びついた後、1938年頃にナチと手を組み、1941年にドイツ軍がウクライナを占領すると「新秩序」の障害になると考えられていた人々、つまりユダヤ人、ロシア人、知識人、コミュニストなどを虐殺していった。 本ブログでは何度も指摘しているように、アメリカでは1933年から34年にかけてクーデターが計画されている。1932年の大統領選挙でウォール街(巨大資本)が支援していたハーバート・フーバーの再選を阻止した反ファシストのフランクリン・ルーズベルトを排除することが目的だった。 計画の中心的な存在だったのがJPモルガンで、ロックフェラー財閥やメロン財閥なども関係していたと言われている。JPモルガンは関東大震災の後、日本の政治経済に大きな影響力を及ぼし、皇室にも太いパイプを持っていた巨大金融資本。この計画が発覚するのはその当時、アメリカ軍で絶大な信頼を得ていた海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将、や、そのバトラー少将から話を聞いたジャーナリストのポール・フレンチが議会で証言したためだ。 バトラーに接触してきたのはジェラルド・マクガイアーとウィリアム・ドイルで、マクガイアーはグレイソン・マレ-プロボスト・マーフィーという証券ブローカーの下で働いていた人物。このマーフィーはJPモルガンと仕事上、緊密な関係にあり、モルガン系のギャランティー・トラストの重役でもあった。「共産主義から国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」とマクガイアーはフレンチに話したという。 その後もアメリカの巨大資本はファシストとの関係を解消せず、1936年にドイツ駐在のアメリカ大使だったウィリアム・ドッドはルーズベルト大統領に対し、アメリカの産業資本家がドイツやイタリアのファシストと緊密な関係を維持していると報告している。 1939年に第2次世界大戦が勃発、41年に日本軍が真珠湾を奇襲攻撃してアメリカも参戦することになるが、1940年から42年にかけてバンデラは配下の人間にルーズベルト大統領の暗殺を命令している。ルーズベルトがバンデラの組織、OUNの合法化を拒否したことが理由だという。現在、ウクライナではアメリカがバンデラ派と手を組んで東部や南部で住民を虐殺している。同じことが第2次世界大戦で起こっていた可能性もあったということだ。 戦後、1946年にバンデラの側近だったヤロスラフ・ステツコはMI6のエージェントになり、ABN(反ボルシェビキ国家連合)の議長に就任、この団体は66年にAPACL(アジア人民反共連盟/後のアジア太平洋反共連盟)と合体してWACL(世界反共連盟)になった。その後、WACLはWLFD(世界自由民主連盟)に名称を変更している。 なお、APACLは台湾の蒋介石政権と韓国の情報機関によって創設された団体で、日本からは児玉誉士夫や笹川良一が参加、日本支部を設置する際には岸信介が推進役になっている。WACLを組織する際に協力したレイ・クラインCIA副長官はアメリカのシンクタンク、CSISの創設メンバーでもある。
2015.01.11
襲撃されたフランスの週刊紙、シャルリー・エブドは2006年2月9日付けの紙面に「原理主義者に困惑するムハンマド」というタイトルの漫画を掲載している。その中で「まぬけに愛されることは難しい」とムハンマドに言わせた。この漫画がイスラム教徒を刺激したというのだが、最初に掲載したのはデンマークの新聞イランス・パストン。2005年9月30日のことだ。デンマークでなくフランスの新聞が襲われたことには理由があるのだろう。ちなみ、同じタイミングでドイツはサイバー攻撃を受けたという。 編集部を襲ったのはサイド・クアシとシェリフ・クアシの兄弟とハミド・ムラドの3人だとされたが、ムラドはパリから北東へ約230キロメートルの場所で警察に出頭、無関係だと訴えている。確かなアリバイがあるようで、ムラドは事件と本当に関係ないらしい。この襲撃で編集部のアーカイブが破壊されていないこと、歩道で警官を「処刑」(銃撃で倒れた警官の頭部を撃って止めを刺しているようなのだが、血も脳も飛び散らず、演技だとの説も)していることからイスラム武装勢力的ではないという意見もある。 この3人が容疑者にされたのは、サイドが自動車の中に身分証明書を残していたため。しかもクアシ兄弟はフランスやアメリカの当局から要注意人物としてマークされていたので情報はあったのだろう。そこで、拘束もしていない段階で容疑者に関する詳しい情報が流れたわけだ。事前にアルジェリアを含む外国の情報機関からふたりに注意するよう、警告もあったという。 サイドはイエメンにあるアル・カイダのキャンプで数ヶ月にわたって訓練を受け、弟のシェリフは2008年に懲役3年の判決を受けていたと言われ、兄弟はアメリカの搭乗禁止リストに載っているという。このふたりはシリアで政府軍と戦った後、昨年8月にフランスへ戻ったともされている。シリアの反政府軍に対してフランスも武器を提供したと昨年8月、フランソワ・オランド大統領は認めているので、シリアではフランス政府とクアシ兄弟は仲間だったことになる。 本ブログでは何度も書いてきたように、ネオコン/シオニストは1991年にソ連が消滅して以来、アメリカを「唯一の超大国」と位置づけ、世界制覇に乗り出している。そして1992年に国防総省で作成されたのがDPG(国防計画指針)の草案。西ヨーロッパ、東アジア、旧ソ連圏、南西アジアなどが新たなライバルとして育つのを阻止するという意思を明確に示している。 ソ連が消滅した後、ロシアではアメリカ/NATOの傀儡である実権を握ったボリス・エリツィンが実権を握り、その周辺国が制圧されていく。まず狙われたのがユーゴスラビアで、軍事侵略の下準備としてメディアや「人権団体」を使って1992年から「悪魔化」を始めている。 この年、ニューズデーのボン支局長だったロイ・ガットマンはボスニアで16歳の女性が3名のセルビア兵にレイプされたと報道した。その情報源はクロアチアの与党HDZ(クロアチア民主団)の副党首で、亡命クロアチア人が創設したプロパガンダ組織CIC(クロアチア情報センター)のザグレブ事務所の責任者だったヤドランカ・シゲリ。別のジャーナリスト、マーティン・レットマイアーはレイプ報道が事実でないことを確認、ICRC(赤十字国際委員会)はセルビア人による組織的なレイプが行われた証拠はないとしている。 クロアチアでは1995年に民族浄化を目的とした「嵐作戦」が実行されたが、それを指揮したひとりだと言われているアギム・セクが99年、KLA(コソボ解放軍)の最高指揮官に就任した。KLAは西側から支援を受けていた武装勢力で、コソボをユーゴスラビアから独立させ、セルビア人を追い出そうとしていた。 嵐作戦でクロアチア軍はセルビア側を4日以上にわたって攻撃、約10万人のセルビア人を追い出すことに成功している。このとき国連の平和維持部隊に参加して攻撃を目撃したカナダの上級将校ふたりによると、48時間以上にわたって約3000発の銃弾がクニン市に撃ち込まれ、「クロアチア人は市民を目標にしていることを間違いなく知っていた」としている。 この作戦が実行される7カ月前、アメリカの民間軍事会社MPRIはアメリカ軍の退役少将、リチャード・グリフィスを中心とする15名の軍事顧問をクロアチアへ送り込んでいた。1998年に開かれた法廷では上級法務官がカナダの軍人を高く評価したが、アメリカの弁護士がふたりの将校を批判、MPRIで働いていたアメリカの退役将軍と話をした後に上級法務官は意見を変え、クニンでの市民虐殺は審理しないことになる。 アメリカの外交官、ウィリアム・ウォーカーは1999年1月にセルビア人が警察署で45名を処刑したと非難しはじめるが、ユーゴスラビアは戦闘だったと反論する。この時の様子をAPが撮影、ユーゴスラビア政府の主張が正しいことが証明されている。この映像をフランスの有力2紙、ル・モンドとル・フィガロが伝え、ウォーカーや「アルバニア人の証人」の話が嘘だということも報道した。 しかし、こうした報道よりアメリカ政府の行動は早く、ウォーカーが虐殺話を非難した3日後にマデレイン・オルブライト国務長官はNATO軍による全ユーゴスラビア占領を要求し、従わなければユーゴスラビアの首都、ベルグラードを爆撃すると発言した。そして1999年3月にNATO軍はユーゴスラビアを先制攻撃、建造物を破壊し、多くの市民を殺害したうえ、5月には中国大使館も3基のミサイルで破壊している。 1999年、コソボ紛争の最中にアメリカ陸軍の第4心理作戦グループの人間が2週間ほどCNNの本部にいた。アメリカ軍の広報担当によると、派遣された軍人は放送局の社員と同じように働き、ニュースにも携わったという。報道とプロパガンダの一体化はここまで進んでいた。この前年、CNNではラオスでアメリカの特殊部隊がサリンを自国の捕虜に対して使用した問題を追及したふたりのプロデューサーを解雇している。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された後、アメリカは世界規模で先制攻撃を開始、国内では治安体制を強化、ファシズム化が推進され始める。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に書いた記事によると、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアはシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作をその段階で始めていたという。この三国同盟をIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)は攻撃していない。イスラム教徒を虐殺しているISが中東の2カ国、イスラエルとサウジアラビアを攻撃しないのは不自然だ。 今回、攻撃されたフランスではアメリカの好戦的な政策に対する批判が支配層の内部でも高まっていて、12月6日にはランソワ・オランド仏大統領がカザフスタンからの帰路、ロシアを突然訪問してプーチン大統領とモスクワの空港ビルで会談、年明け後には西側のロシアに対する「制裁」を辞めるべきだと語っている。何しろ、この「制裁」で最も打撃を受けているのはEUだ。こうしたことも関係しているのか、12月上旬にはアメリカ政府がロシアとの戦争を目指して「偽旗作戦」を計画しているという噂が流れ始めていた。 昨年7月、石油取引をドルで決済する必要はないと言い切っていたフランスの大手石油会社、トタルのクリストフ・ド・マルジェリ会長兼CEOは、その3カ月後にモスクワの飛行場で事故のために死亡している。会長を乗せたビジネス機と除雪車が滑走路上で激突したという。 ロシア嫌いのアンゲラ・メルケルが首相を務めるドイツだが、外務大臣や副首相がロシアを不安定化させる政策に反対すると表明している。そうした行為はヨーロッパ全体にとって危険だと主張しているが、確かにネオコン/シオニストはロシアを脅すことに熱中し、経済活動を破壊するだけでなく、核戦争の危険性を高めている。 このようにEUではフランスやドイツをはじめ、いくつかの国でアメリカの遣り方に異を唱える声がではじめていたが、西側メディアはネオコン/シオニストの政策に沿った宣伝を続けている。戦後、アメリカで始まった報道操作プロジェクト、モッキンバードは有名だが、1980年代以降は巨大資本によるメディア支配が進み、気骨ある記者は排除されて今では単なるプロパガンダ機関にすぎない。その機関を使って嘘を広め、その上に築かれているのがアメリカという国だ。 シャルリー・エブドの襲撃は正当化できないことだが、そこで有力メディアが「報道の自由」を持ち出すのは滑稽。彼らはとうの昔にそうしたものを捨て去っている。アメリカを中心とする勢力が中東/北アフリカやウクライナなどで行っている先制攻撃、占領、破壊、殺戮などを彼らはどれだけ批判したというのだろうか。あるいは、そうした行為を正当化することが「報道の自由」だと考えているのだろうか。
2015.01.10
フランスのシャルリー・エブド紙を襲撃、12名を殺害したとされているのは、サイド・クアシとシェリフ・クアシの兄弟とハミド・ムラドの3人。サイドは乗りつけた自動車の中に身分証明書を残したようで、容疑者を早い段階で特定できたという。パスポートを残していた「9/11」の容疑者を思い出させる。 サイドはイエメンにあるアル・カイダのキャンプで数ヶ月にわたって訓練を受け、弟のシェリフは2008年に懲役3年の判決を受けていたという。このふたりはシリアで政府軍と戦った後、昨年8月にフランスへ戻ったともされている。つまり、アメリカ/NATOの手先だったわけだ。襲撃事件の容疑者が戦闘に参加したというシリアの反政府軍に対し、フランスも武器を提供したと昨年8月、フランソワ・オランド大統領は認めていた。 シリアの反政府軍に「過激派」も「穏健派」もないのが実態で、2013年5月にシリアへ密入国したネオコン/シオニストのジョン・マケイン上院議員は現地で会談した相手にはIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)を率いることになるアブ・バクル・アル・バグダディとFSAの幹部が含まれていた。アル・バグダディを動かしている人物はサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子だとも言われている。 ISはキリスト教徒など異教徒のほかイスラム教徒も虐殺しているが、イスラエルやサウジアラビアは襲撃していない。2007年にシーモア・ハーシュはニューヨーカー誌で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めたと書いたが、この三国同盟をISは攻撃していないということだ。 サウジアラビアは中東/北アフリカだけでなくチェチェンの武装グループにも資金を提供しているとされているが、イスラエルもアル・カイダを敵視していない。2013年9月、駐米大使だったマイケル・オーレンは退任直前、2013年9月にイスラエルはシリアの体制転覆を望む明言、バシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだと語っている。また、イスラエルでは軍の幹部の間では、シリアの体制転覆が重要なのであり、ISと戦うのは間違いだという主張もあるという。 2011年の春にはトルコにある米空軍インシルリク基地でアメリカの情報機関員や特殊部隊員、あるいはイギリスとフランスの特殊部隊員らが戦闘員を訓練し始めているが、12年にはヨルダンの北部に設置された秘密基地でアメリカの情報機関や特殊部隊がISの主要メンバー数十人を含む戦闘員を訓練したと伝えられている。 トルコはシリアの体制転覆プロジェクトで重要な拠点を提供しているが、昨年10月2にジョー・バイデン米副大統領はハーバード大学で講演した際、ISの「問題を作り出したのは中東におけるアメリカの同盟国、すなわちトルコ、サウジアラビア、アラブ首長国連邦だ」と述べ、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は多くの戦闘員がシリアへ越境攻撃することを許してISを強大化させたと「後悔」していたと語っている。 アメリカ/NATOが支援する武装勢力は中東/北アフリカでもウクライナでも破壊と虐殺の限りを尽くしている。こうした勢力はイスラエルやサウジアラビアを攻撃せず、巨大資本もターゲットにしていない。アメリカ/NATOの好戦的で無謀な戦術に異を唱える声が聞こえるようになったEUで今回の襲撃があったのは偶然なのか、必然なのか、速断は禁物だ。
2015.01.09
ウクライナのアルセニー・ヤツェニュク首相は第2次世界大戦でソ連がウクライナとドイツを軍事侵略したと語ったという。言うまでもなく、大戦は始まりは1939年9月1日のドイツ軍によるポーランド侵攻。話し合いがこじれていたポーランド回廊(ドイツ本国と東プロイセンの間に作られたポーランド領)の問題を軍事的に解決しようとしたのだが、その直後にイギリスとフランスが宣戦布告、世界大戦に発展したわけだ。この当時、ウクライナはソ連の一部。 昨年2月にキエフでネオ・ナチを主力とする勢力がクーデターを実行した直後、ウクライナの東部や南部ではナチズムに反発する住民が多く、クリミアはいち早く独立を打ち出した。それを西側は「併合」と呼んだが、このクリミアがウクライナへ住民の意思に関係なく譲渡されたのは1954年のこと。 住民が「ドネツク人民共和国」や「ルガンスク人民共和国」を名乗り、最近では両共和国を一緒にして「ナバロシエ」とも言われているが、この地域は18世紀にロシア帝国がオスマン帝国から奪って領土になっている。ロシア革命後の1922年、ソ連の一部だったウクライナ・ソビエト社会主義共和国へ編入された。 そして1941年6月、ドイツ軍はソ連に対する軍事侵攻、「バルバロッサ作戦」を開始した。このとき、アメリカ大統領だったフランクリン・ルーズベルトはソ連を支援しようとしたが、ミズーリ州選出の上院議員だったハリー・トルーマンは「ドイツが勝ちそうに見えたならロシアを助け、ロシアが勝ちそうならドイツを助け、そうやって可能な限り彼らに殺させよう」と提案している。イギリスもソ連の苦境を傍観していた。 スターリングラードの攻防戦は1942年から翌年の2月まで続き、最終的にドイツ軍は壊滅、ソ連軍が西に向かって進撃を開始する。それを見て米英は動き始め、1943年7月にシチリア島へ上陸、44年6月にはノルマンディーへ上陸してパリを制圧した。ヤルタ会談は1945年2月のことだが、その2カ月後にルーズベルト大統領は執務中に急死、ワシントンDCでは反ファシズム派が力を失い、反コミュニスト派が主導権を握る。 日本の場合、戦前の歴史を考える上で忘れてならないことは、天皇の意思は絶対だったということ。皇族の権力も絶大だった。明治を作った人間にとっての天皇と明治が作った日本人にとっての天皇は全く違う存在だ。 日米開戦の責任は東条英機にあるが、「終戦」の決断は天皇が行ったという人もいるようだが、東条が責任を押しつけられた、あるいは天皇の身代わりになったということにすぎない。 戦前、関東大震災以降の日本はJPモルガンの影響下に入り、新自由主義的な経済政策で庶民は塗炭の苦しみをなめさせられたが、その責任は政財界などのエリートにあり、天皇の意思が無視されているためだと錯覚していたのが血盟団のメンバーや「2・26事件」を引き起こした将校たち。天皇もエリートの仲間だったのである。皇室はJPモルガンと近い関係にあった。 1937年に日本軍が南京を攻撃した際、破壊、殺戮、略奪があったが、この攻撃を指揮したのは事実上、上海派遣軍の司令官だった朝香宮鳩彦(昭和天皇の叔父)だった。肩書きの上では中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官だった松井石根大将が上だと言えるが、実際は違った。後に松井が責任を問われたが、これも身代わりと言うべきだろう。だからこそ、戦後、「日米同盟」の仕組みを作り上げる過程で昭和天皇がアメリカ政府と直に交渉することになる。
2015.01.09
ドイツやフランスがアメリカの政策に異を唱え始めている。ドイツのアンゲラ・メルケル首相にしろ、フランスのフランソワ・オランド大統領にしろ、これまでアメリカの傀儡だとみなされてきた人たちだが、EUの内部でアメリカのやり口に対する反発が強まってきたということだろう。 例えば、メルケル独首相やオランド仏大統領はウクライナ東部、ドンバスの情勢を話し合うため、ロシアのウラジミル・プーチン大統領やウクライナのペトロ・ポロシェンコ大統領と電話会議を行い、12月にはオランド仏大統領がロシアを突然訪問してプーチン大統領とモスクワの空港ビルで会談している。この頃からアメリカ政府がロシアとの戦争を目指して「偽旗作戦」を計画しているという噂が流れ始めていた。 勿論、造反をアメリカが許すとは思えない。IS(イスラム国、ISIS、ISIL、IEILとも表記)にEU出身者が参加しているという話が盛んに流された際、それを西側各国に対するアメリカの脅迫だと推測した人もいる。アメリカに逆らうとISの戦闘員を送り込むという脅しだというわけだ。ここ数年を振り返っても、胡散臭い出来事はある。 例えば、中東/北アフリカで「アラブの春」が盛り上がった2011年、ノルウェーで与党労働党の青年部が企画したサマーキャンプが襲撃されて69名が殺されている。公式にはアンネシュ・ブレイビクの単独犯行だとされているが、複数の目撃者が別の銃撃者がいたと証言している。リビアに対する空爆に参加している部隊を引き揚げると政府が発表した翌月の出来事だった。 2012年にはフランスのトゥールーズでユダヤ人学校が襲われている。この事件で犯人とされているモハメド・メラはアル・カイダとの関係が指摘されているのだが、その一方でフランスの情報機関DGSEや治安機関DCRIの協力者だという情報も流れた。なお、シャルル・ド・ゴールが大統領を辞任して以降、DGSEはCIAの影響下に入ったと言われている。 メラは2010年にアフガニスタンを訪れているが、その前にトルコ、シリア、レバノン、ヨルダン、そしてイスラエルに立ち寄ったとも言われている。イスラム圏の国々を旅行していた人物が入国しようとしたなら、イスラエルの当局は警戒するはずだが、その際、DGSEが便宜を図ったとも伝えられている。そこから兄弟のいるエジプトへ行き、アフガニスタンへ向かったという。この事件では、銃撃の様子を撮影したビデオがアル・ジャジーラへ郵送されている。消印は事件の当日。自分自身で投函できる状況ではなかったことから「単独犯」という公式見解も揺らいでいる。 2013年7月末にはサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官(当時)がロシアを極秘訪問、ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)のイゴール・セルグン長官やウラジミル・プーチン大統領と会談、シリアから手を引けばソチ・オリンピックを襲撃すると宣言しているチェチェンの武装勢力を押さえる、つまりシリアから手を引かないと襲撃させるとスルタン長官は語ったという。ちなみに、ウクライナのクーデターはソチ・オリンピックに合わせて実行され、最終日に政権を倒している。 アメリカの「制裁」は当初からロシアとEUを分断し、ロシアとEUを弱体化させることが目的だと言われていたが、そのうちロシアは中国との関係を強めて対応、ドルを基軸通貨とする体制を揺るがす展開になっている。そうした中、EUだけが窮地に陥った。 ロシアに対する「制裁」の口実はウクライナの問題。ソ連が消滅した直後からアメリカは旧ソ連圏で秘密工作を本格化、なかでもウクライナに力を入れてきた。1948年にアメリカで破壊工作(テロ)組織のOPC(後にCIAの計画局、作戦局、現在は国家秘密局)が組織されると、この組織とCIAはウクライナへエージェントを送り込む工作を始めているので、その歴史は古い。その協力相手がOUN系の人びとであり、昨年2月にキエフでクーデターを実行した中心的な存在でもある。 本ブログでは何度か指摘したが、NATOは西ヨーロッパをアメリカが支配する仕組みでもある。その内部に存在する「秘密部隊」はソ連軍に占領されたときにゲリラ戦を行うためのものとされたが、実際は西ヨーロッパが自立することを防ぐことにある。この秘密部隊ともOPCは緊密な関係にあった。 この秘密部隊の中で最も有名な組織はイタリアのグラディオ。1960年代から80年頃にかけて「極左」を装って爆弾攻撃を仕掛け、社会を不安定化させて治安体制の強化を図ってきた。いわゆる「緊張戦略」だ。グラディオの存在は1970年代の前半から噂されていたが、90年8月にはジュリオ・アンドレオッティ内閣がその存在を公的に確認、10月には報告書が出ている。自主路線を進もうとしていたアルド・モロが誘拐殺害された事件でもグラディオが真の実行者だと言われている。 イタリアと同じようにコミュニストが強かったフランスでもNATOの秘密部隊が蠢いている。1947年に社会党系の政権が誕生するとアメリカのCIAとイギリスのMI6はクーデター「青作戦」を計画、その際にシャルル・ド・ゴールを暗殺することになっていたとされている。首謀者とされて逮捕されたのはアール・エドム・ド・ブルパン。フランス北部にあった彼の城で重火器、戦闘指令書、作戦計画書などが発見されている。 1961年には反ド・ゴール派の軍人らがOASを組織、クーデターを試みて失敗するが、このときもCIAが関与していた。その後、OASはアルジェリア政府の要人を暗殺、銀行を襲撃するなど暴走状態になる。最後まで破壊活動を続けていたのがジャン・マリー・バスチャン・チリー大佐に率いられた一派で、1962年にパリでド・ゴール大統領の暗殺を試みている。 この軍人グループに資金を提供していたのがパーミンデックス。スイスで設立された会社で、その当時の社長兼会長、ルイス・モーティマー・ブルームフィールドはイギリスの破壊工作機関SOEに所属していたことがある。この会社の名前はジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された際にも出てきた。ド・ゴール暗殺未遂から4年後、フランス軍はNATOの軍事機構から離脱、翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出している。 アメリカの支配層は経済的にEUを支配する仕組みも導入しようとしている。日本ではTPPが問題になっているが、EUの場合はTTIP(環大西洋貿易投資協定)。両協定の目的は基本的に同じだ。ロシアとEUの経済的な結びつきを断つことに成功すれば、EUは完全にアメリカの属国になる。 そうした流れに逆らうかのように、昨年10月にフランスの大手石油会社、トタルのクリストフ・ド・マルジェリ会長兼CEOはモスクワを訪問したが、同会長を乗せたビジネス機がモスクワの滑走路で除雪車と激突して死亡した。ド・マルジェリ会長はその3カ月前、石油取引をドルで決済する必要はないと言い切っていた人物だ。 アメリカは新自由主義、つまり強者総取りの仕組みを世界に広めてきたが、これにたいする反発は「アメリカの傀儡」と呼ばれていた人の中にも見られる。 例えば、IMF専務理事だったドミニク・ストロス-カーンは2011年4月、失業や不平等は不安定の種をまき、市場経済を蝕むことになりかねないとし、その不平等を弱め、より公正な機会や資源の分配を保証するべきだとブルッキングス研究所で演説している。進歩的な税制と結びついた強い社会的なセーフティ・ネットは市場が主導する不平等を和らげることができ、健康や教育への投資は決定的だと語っただけでなく、停滞する実質賃金などに関する団体交渉権も重要だとしている。ストロス-カーンは演説の翌月、アメリカで逮捕される。レイプ容疑だったが、限りなく冤罪に近いようだ。ストロス-カーンの後任がクリスティーヌ・ラガルドだ。
2015.01.08
安倍晋三政権は日本の国内を監獄化、国外で戦争できる体制にしたうえ、統治権をアメリカの支配層へ贈呈しようとしている。その支配層とはネオコン/シオニストと戦争ビジネス。現在、その中心的なシンクタンクとして機能しているのがCNAS(新しいアメリカの治安センター)。創設者はカート・キャンベルとミシェル・フローノイだ。バラク・オバマ政権が始まるとキャンベルは国務次官補、フローノイは国防次官補に就任、それぞれ13年までと12年まで務めた。 昨年1月、自民党の萩生田光一総裁特別補佐は安倍首相が靖国神社を参拝したことに「失望」を示したバラク・オバマ政権について「共和党政権のときはこんな揚げ足をとったことはなかった。民主党のオバマ政権だから言っている」と批判したというが、ここに安倍政権が従属している相手が示されている。共和党を支配しているネオコン/シオニストだ。 この勢力は戦争ビジネスやキリスト教系カルトと結びつき、1970年代の半ば、ジェラルド・フォード政権の時に台頭、2001年9月11日の攻撃を境にして影響力は飛躍的に強化された。はじめは共和党を乗っ取る形で政界への影響を拡大していったが、今では民主党もコントロールされている。ただ、その度合いは違い、萩生田発言につながったと言える。 1992年にネオコン/シオニストの中心的な存在、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)を中心として作成した世界制覇プランがDPG(国防計画指針)の草案。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。その4年後にこのグループはイスラエルの新しい戦略をテーマにした文書「決別」を作成、その中で労働シオニズムを否定、トルコやヨルダンとの友好関係を深めると同時にイラクからサダム・フセインを排除して傀儡政権を樹立して親イスラエル陣営に取り込み、シリアを孤立させるというシナリオを描いていた。 この「決別」が作成された翌年に創設されたネオコン系シンクタンクがPNAC(新しいアメリカの世紀プロジェクト)。この団体は2000年にDPGをベースにした報告書「米国防の再構築」を発表、それが01年から始まるジョージ・W・ブッシュ政権が打ち出す政策の基礎になった。2006年にPNACは活動を停止、替わって07年に登場したのがCNASだ。 オバマ政権はPNACが「米国防の再構築」で主張したように東アジア重視を打ち出したが、CNASのキャンベルとフローノイがその方針を推進したと見られている。2012年にフローノイを国防長官にするという話が持ち上がったのだが、これは実現しなかった。彼女がイスラエルと余りにも近いということが理由だった。ジョン・タワーと似たパターン。 チャック・ヘーゲル国防長官の後任としてオバマ大統領が指名したアシュトン・カーターは2011年から13年にかけて国防副長官を務めた人物だが、2006年にはハーバード大学で朝鮮空爆を主張する好戦派で、キャンベルやフローノイに近いと言えるだろう。 キャンベルと親しいマイケル・グリーンとパトリック・クローニンは日本の自立、独立を許さないという姿勢を明確にしている人びと。1995年にジョセイフ・ナイ国防次官補は「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表、10万人規模の駐留アメリカ軍を維持し、在日米軍基地の機能を強化、使用制限を緩和/撤廃するという内容だったが、このレポートが作成されたのは、グリーンとクローニンの働きかけがあったからだとされている。その際、仲を取り持ったのがキャンベル。 2000年にナイとリチャード・アーミテージが中心になって「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」を作成したが、キャンベル、グリーン、そしてウォルフォウィッツも参加している。そして2005年に署名された文書「日米同盟:未来のための変革と再編」につながった。 オバマ大統領は中国やロシアと世界を分割して支配するという考え方のようだが、それに対してキャンベルが属しているネオコン/シオニストは自分たちが世界の支配者として君臨するというビジョンを描いている。そのためにはロシアや中国も制圧しなければならないのだが、当初は脅すだけで目的を達成できると考えていた可能性がある。が、両国はそうした脅しに屈しない。そこで軍事的な緊張が強まり、核戦争の可能性も出てきたいるわけだ。 ここにきてアメリカ政府は朝鮮に対する「制裁」を宣言している。インターネットの監視、操作、サイバー攻撃を繰り返しているアメリカがこうした主張をするのは滑稽だが、それはともかく、「制裁」の理由だとしているソニー・ピクチャーズエンタテインメント(PSE)に対するハッキングは朝鮮でない可能性が高いことは本ブログでも指摘した。 早い段階からこうした問題の専門家は異口同音に主張していたが、サイバーセキュリティーのトップ企業、ノースはPSEをレイオフされた人物がハッキングした可能性が高いと分析、12月29日にはFBIに証拠を示しながら説明したという。こうした指摘にFBIは興味を示さなかったというが、その背景にはキャンベルたちのプラン、つまり東アジアでの軍事的な緊張を高めたいという意思があるのだろう。 WikiLeaksが公表した文書によると、この好戦的なグループに内通していると見られる日本の官僚には、防衛政策局の高見沢将林局長(2009年当時)、外務省の梅本和義北米局長(同)、有馬裕、有吉孝史、深堀亮が含まれている。
2015.01.07
原油価格の下落が西側の経済を揺るがしている。アメリカとサウジアラビアがロシアを攻撃する目的で仕掛けていると言われているが、その影響は全ての産油国におよび、投機市場から資金を引き揚げることは予想されていた。そうした動きが2015年の初頭から見られる。その結果として倒産、そして失業者の増加も避けられないだろう。 WTI原油相場は1バレル50ドルを切ったようだが、OPEC加盟国が予算を組む際に想定していた価格はイランが140ドル、ベネズエラが121ドル、イラクが106ドル、サウジアラビアが93ドル、クウェートが75ドル、アラブ首長国連邦が70ドル、カタールが65ドルといった具合になっているようで、いずれも厳しい状況だ。アメリカのシェール・オイルやシェール・ガスの産業、あるいは北海油田は破綻する可能性がある。サウジアラビアは「肉を切らせて骨を断つ」戦略なのだろうが、どこまで持つかはわからない。 アメリカがロシアを攻撃する大きな理由はふたつある。本ブログでは何度も書いているように、ソ連が消滅した後、ネオコン/シオニストは1992年にDPG(国防計画指針)の草案、つまり世界制覇プロジェクトを作成した。その目的を実現するため、主権を放棄していない国々を制圧したいわけだが、それを妨害しているのがロシアだということがひとつ。ボリス・エリツィン時代のロシアはアメリカの属国になっていたが、今度は復活が不可能なように、ロシア自体を消滅させることがもうひとつの理由。 DPG草案作成の前年、ポール・ウォルフォウィッツはシリア、イラク、イランを殲滅すると口にしていたが、その草案では新たなライバルの出現を防ぐことを第1の目的としている。潜在的ライバルとして示しているのは西ヨーロッパ、東アジア、旧ソ連圏、そして南西アジアだ。 この草案が作成された当時、旧ソ連圏の中心的な存在、ロシアではアメリカの傀儡、ボリス・エリツィンが大統領として君臨、エリツィン周辺の腐敗したグループと手を組んだ人びとが国の資産を盗んで巨万の富を築いていた。いわゆる「オリガルヒ」だ。ロシアはアメリカの属国になっていたとも言える。ネオコンから見て、残された制圧すべき国はシリア、イラク、イランのほか、中国、そしてラテン・アメリカの国々だろう。 内容がリークされたDPGは書き直されたようだが、2000年にPNAC(ネオコン系シンクタンク)が「米国防の再構築」として復活させ、その翌年から始まるジョージ・W・ブッシュ政権の基盤になった。 ラテン・アメリカでアメリカへの従属を拒否する指導者の中心的な存在はベネズエラのウーゴ・チャベスだった。そのチャベスを排除するクーデターが2002年に試みられている。 その黒幕と指摘されているのはイラン・コントラ事件でも登場するエリオット・エイブラムズ、キューバ系アメリカ人で1986年から89年にかけてベネズエラ駐在大使を務めたオットー・ライヒ、そして1981年から85年までのホンジュラス駐在大使で、後に国連大使にもなるジョン・ネグロポンテだ。このクーデター計画は、事前にOPECの事務局長を務めていたベネズエラ人のアリ・ロドリゲスからチャベスへ知らされたため、失敗に終わった。 WikiLeaksが公表したアメリカの外交文書によると、2006年にもクーデターが計画されている。「民主的機関」、つまりアメリカの支配システムに組み込まれた機関を強化し、チャベスの政治的な拠点に潜入し、チャベス派を分裂させ、アメリカの重要なビジネスを保護し、チャベスを国際的に孤立させるとしている。そのチャベスは2013年3月、癌のため、58歳の若さで死亡した。 DPGでも示されているように、アメリカはEUも潜在的なライバルとして警戒の対象にしている。シリアの体制転覆を妨害し、独立国として影響力を強めているロシアを潰そうとアメリカは必死になっている。メディアでロシアを「悪魔化」する一方、軍事的な挑発でロシア軍を誘っているのだが、ロシアは自重、アメリカの作戦は思惑通りに進んでいないようだ。 そこで、1980年代に成功した作戦を再び使い、石油相場を引き下げたようだが、これはロシアより西側にダメージを与えている。アメリカの命令に従うEUに見切りをつけたロシアは中国との関係を強め、決済をドルから金へ変更させつつあり、アメリカは窮地に陥った。 ロシアへの「制裁」で最も大きなダメージを受けるのはEUだと指摘されていたが、その通りの展開で、ここにきてドイツやフランスはアメリカの制裁に異を唱え始めた。政府を動かしている一部のエリートは買収済みのようだが、国内の反発がそれだけ強いということだ。アメリカがEUの弱体化を狙っていることにEUも気づいたのかもしれない。 アメリカはロシアの属国化を前提に、中国の制圧を目論んでいた。ブッシュ・ジュニア大統領が就任当初、中国脅威論を叫んでいた理由もここにある。が、日本もアメリカにとって潜在的なライバルであり、弱体化、属国化の対象でもある。
2015.01.06
安倍晋三政権が強引に推進した集団的自衛権や特定秘密保護法は日本のあり方を根本的に変えることになるが、その背後には「日米同盟」がある。この同盟は言うまでもなく、アメリカ支配層の戦略に基づいて機能。世界でアメリカが行っていること、例えば中東/北アメリカで仕掛けた「アラブの春」、ウクライナでネオ・ナチを使って行ったクーデター、ロシア国内におけるNED/CIA系NGOの反政府運動などとも密接な関係がある。 現在の戦略はソ連が消滅した直後、1992年に始まると言える。この年、国防総省では国防次官だったポール・ウォルフォウィッツを中心とするネオコンがDPG(国防計画指針)の草案を作成、その中にエッセンスは含まれている。この草案がいわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。その前年、ウォルフォウィッツはシリア、イラン、イラクを殲滅すると話していた。 ソ連が消滅した当時、「冷戦」に勝ったアメリカが「唯一の超大国」になったと少なからぬ西側の人びとは考えていたが、そうした中にはネオコンも含まれていた。その地位を維持し、21世紀をアメリカが世界を支配する「千年紀」にしようと考える人もいて、そのためにエネルギー源を支配し、潜在的なライバルを潰そうと計画する。EU、旧ソ連圏、南西アジアもそうした潜在的なライバルと見なされたが、特に警戒していたのは東アジアだ。DPGの草案を懸念する人はアメリカ政府の内部にもいたようで、有力メディアへ内容がリークされ、書き直されたと言われている。 1993年にスタートしたビル・クリントン政権ではネオコンの影響力が弱まり、外部での活動が中心になる。そして1996年、ネオコンはイスラエルの新しい戦略をテーマにした文書「決別」を作成している。 その文書ではまず労働シオニズムを否定、トルコやヨルダンとの友好関係を深めると同時にイラクからサダム・フセインを排除して傀儡政権を樹立、親イスラエル陣営に取り込めればシリアはアラビア半島から孤立、弱体化は避けられないというシナリオだ。 2000年にはアメリカで大統領選挙があり、最終的にネオコンが担いでいたジョージ・W・ブッシュが大統領に選ばれる。この選挙ではアル・ゴアを支持する可能性の高い有権者に対する投票妨害が報告され、投票数のカウントにも不正が噂されて裁判にもなっている。 この年、ネオコン系シンクタンクのPNAC(新しいアメリカの世紀プロジェクト)は、DPGに基づく報告書「米国防の再構築」を発表した。実際に執筆したのは下院軍事委員会の元スタッフで2002年からロッキード・マーチンの副社長に就任するトーマス・ドネリーだというが、作成メンバーとしてステファン・カムボーン、I・ルイス・リビー、エリオット・コーエン、エイブラム・シュルスキー、フレッド・ケーガン、ロバート・ケーガン、ポール・ウォルフォウィッツ、ウィリアム・クリストルといったネオコンが含まれている。ちなみに、ケーガンはウクライナのクーデターを現場で指揮していたビクトリア・ヌランド国務次官補の夫だ。 その一方、日本に対する締め付けを1994年に強める動きが始まる。この年、国防大学のスタッフだったグリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補を介してジョセフ・ナイ国防次官補やエズラ・ボーゲルに会い、日本が自立の道を歩き出そうとしていると主張したのだ。そして発表されたのが1995年の「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」。10万人規模の駐留アメリカ軍を維持、在日米軍基地の機能は強化、そして使用制限は緩和/撤廃されることになった。 1997年には「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」が作成され、「日本周辺地域における事態」で補給、輸送、警備、あるいは民間空港や港湾の米軍使用などを日本は担うことになり、1999年には「周辺事態法」が成立する。この「周辺」は地理的なものではなく、その範囲を判断するのは事実上、アメリカ。 また、2000年にナイとリチャード・アーミテージを中心とするグループが作成した「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」では武力行使を伴った軍事的支援が求められ、「日本が集団的自衛権を禁じていることが両国の同盟協力を制約している」と主張、「この禁止を解除すれば、より緊密かつ効果的な安保協力が見込まれる」としている。 この当時、すでにアメリカでは世界制覇プロジェクト、つまり自分たちに従おうとしない国、体制を破壊しようとしていた。そうした侵略計画の中から集団的自衛権も出てきたわけだ。つまり、これを「他国防衛」と考えるのは根本的に間違っていると言うことになる。この侵略計画を実行に移す切っ掛けになったのが2001年9月11日のニューヨークにあった世界貿易センターやワシントンDCの国防総省本部庁舎への攻撃だ。 そして2002年に小泉純一郎政権は「武力攻撃事態法案」を国会に提出、03年にはイラク特別措置法案が国会に提出され、04年にアーミテージは自民党の中川秀直らに対して「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と言明、05年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が署名されて対象は世界へ拡大、安保条約で言及されていた「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念」は放棄された。 アメリカは世界制覇戦略に基づいて日本を戦争へ引きずり込もうとしている。その戦略は21世紀に入って揺らいでいる。最大の理由は、属国化したはずのロシアが独立、アメリカの傀儡が押さえ込まれてしまったことにある。ウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させるが、それが原因でロシアと中国の関係が緊密化、「脱ドル」に向かって大きく動き始めている。つまり、アメリカの支配システムが崩れ始めた。 日本のエリートはアメリカ(ネオコン)の脅され、言いなりになっているが、ロシアや中国に対して脅迫は逆効果。それをネオコンは理解していないのか、脅しをエスカレートするしか能がない。このままエスカレートさせれば核戦争になると懸念する声もあるが、その前にアメリカは崩壊すると見る人も少なくない。
2015.01.05
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント(PSE)をハッキングしたのは朝鮮でなく、証拠は同社をレイオフされた人物を指し示しているとサイバーセキュリティーのトップ企業、ノースが発表した。その人物がハッキング・グループの協力を受けて実行したという見解だ。すでに少なからぬ専門家が根拠薄弱だと批判、内部犯行の可能性が高いことは確かだろう。つまり、PSEをレイオフされた人物がハッキングしたので、朝鮮政府の個人や団体に制裁を加えるというわけで、存在しない大量破壊兵器を理由にしてジョージ・W・ブッシュ政権がイラクを攻撃したのと同じだ。 ノースは12月29日に証拠を示しながらFBIに説明したものの、捜査当局は興味を示さなかったという。当初からバラク・オバマ政権は朝鮮がハッキングしたと主張、FBIも12月19日に政府の意向に沿う「結論」を発表してるが、証拠、根拠の類いは明らかにしていない。アメリカ政府にとって事実は重要でなく、最初から朝鮮に制裁を加えることが目的ということだ。 2002年1月、ブッシュ・ジュニア大統領は一般教書演説の中で朝鮮、イラク、そしてイランを「悪の枢軸」と呼んで敵のイメージとして宣伝した。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、1991年の段階でポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)はシリア、イラン、イラクを殲滅すると話し、2001年9月11日から間もない段階でブッシュ・ジュニア政権は攻撃予定国としてイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを挙げていた。 さらに、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2007年にニューヨーカー誌で、シリアとイランの2カ国とレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作をアメリカ、イスラエル、サウジアラビアが開始したとしている。 2002年の段階では朝鮮を敵のひとつにしていたが、その後、アメリカ政府は中東に力を集中させたが、シリアで手間取る。そうした中、昨年2月にはウクライナでクーデターを成功させてロシアを挑発するのだが、ロシアは挑発に乗らず、アメリカの操り人形と化したEUに見切りをつけて中国との関係を強めた。 もっとも、その前からロシアは東アジアにも目を向けていて、2012年には朝鮮がロシアに負っている債務の90%(約100億ドル)を帳消しにし、10億ドルの投資をすると提案した。韓国へ天然ガスを送るパイプラインや鉄道を建設したいようだ。中東から石油を運んでこようとすると、アメリカや日本にルートを止められてしまう恐れがあり、ロシアからのパイプラインができれば外交の幅が広がる。逆に、アメリカにとっては許しがたい計画ということになる。朝鮮には資源も眠っているようで、ロシアはその開発にも興味があるだろう。 今回の一件で、アメリカが信頼できない嘘の上に成り立っている国だということを多くの人が再認識しただろう。アメリカのコンドリーサ・ライス元国務長官がFOXニュースのインタビューの中で語ったように、控えめで穏やかに話すアメリカの言うことを聞く人はいない。信頼も尊敬もできなからだ。強く怖い相手だと思われているので、支配者として君臨できているだけだ。アメリカは強くないという認識が広がったなら、アメリカは崩壊する。
2015.01.04
自分が新たな支配者になるため、外国の巨大勢力と手を組もうとする人は少なくない。属国化した国のエリートは総じてそうした類いの人びとだ。逆に、世界を制覇しようと目論んでいる勢力はそうした人を探し、カネの力で抱き込み、コントロールするために脅迫することもあるようだ。勿論、アメリカの属国である日本を支配している人びとにも当てはまる。 アメリカの工作を振り返ってみると、例えば、ソ連圏を揺さぶる重要国と見られていたポーランドに反体制労組「連帯」を作り、イタリアのアンブロシアーノ銀行から不正融資という形で資金を提供、金融スキャンダルとして発覚する。その時の焦げ付き額は約12億ドルだった。 この背後にはバチカン銀行、そしてCIAが存在した。供給されたのは資金だけでなく、ファクシミリ、印刷機械、送信機、電話、短波ラジオ、ビデオ・カメラ、コピー機、テレックス、コンピュータ、ワープロなどが数トン、ポーランドへアメリカ側から密輸されたという。(Carl Bernstein, "The Holy Alliance", TIME, February 24 1992) この秘密工作でポーランド生まれの教皇ヨハネ・パウロ2世が重要な役割を果たしているが、パウロ6世とCIA(戦前はOSS)との関係も重要。バチカンにはアメリカの情報機関が人脈を張り巡らせているのだ。連帯への不正融資に連座したバチカン銀行の頭取はパウロ6世の側近だった。 ロナルド・レーガン政権でも旧ソ連圏に対する工作は続けられ、その中心にいたのはCIA長官だったウィリアム・ケーシー、リチャード・アレン国家安全保障問題担当大統領補佐官(1981年から82年)、ウィリアム・クラーク国家安全保障問題担当大統領補佐官(1982年から83年)、アレキサンダー・ヘイグ国務長官(1981年から82年)、バーノン・ウォルターズ元CIA副長官、ウィリアム・ウィルソン駐バチカン米国大使など。この人びとはカトリック教徒で、クラークの場合、妻がチェコスロバキア出身だということも無視できない。この時代、アメリカは「プロジェクト・デモクラシー」というプロジェクトを開始、「民主化」という名目で服わぬ体制の転覆、属国化、世界制覇を目指そうとしたのだ。 ポーランド、ユーゴスラビア、そしてウクライナというようにアメリカは体制転覆工作を続けてきたが、そうした工作で中心的な役割を果たしたズビグネフ・ブレジンスキーはポーランド出身、ブレジンスキーの弟子でユーゴスラビアへの先制攻撃を主張していたマデリーン・オルブライトはチェコスロバキア出身。 ロシアは1991年のクーデターで西側の傀儡だったボリス・エリツィンが実権を握り、国民の資産を西側資本と結びついた一部の人びとが略奪、「オリガルヒ」と呼ばれる富豪を生み出した。そのひとりがチェチェン・マフィアを背景にして成り上がったボリス・ベレゾフスキー。その後、イギリスへ亡命してプラトン・エレーニンを名乗った。 西側では英雄視されているミハイル・ホドルコフスキーは巨大石油企業のユーコスを支配していたが、ソ連時代にはコムソモール(全ソ連邦レーニン共産主義青年同盟)の指導者で、KGBともつながっていた人物。その人脈を使い、ロシアの若い女性を西側の金持ちに売り飛ばし、その稼業で築いた西側富裕層とのコネクションは今でも生きていると言われている。こうした稼業のほか、ソ連が消滅してからメナテプ銀行を設立するが、この銀行の腐敗ぶりは有名。ユーコスはこの銀行を使って買収した。 21世紀になるとウラジミル・プーチンがエリツィンを排除、オリガルヒを屈服させてロシアを独立国家として復活させる。自身の権力を過信したホドルコフスキーは逮捕されるが、ブレゾフスキーは亡命した。彼の場合はイギリスだったが、イスラエルへ逃れたオリガルヒも少なくない。 そしてロシア周辺で始まったのが「カラー革命」。2003年にグルジアで「バラ革命」、04年から05年にかけてはウクライナで「オレンジ革命」があり、それぞれの国でオリガルヒを生み出すことになった。「革命」という名詞はついているが、ようするの略奪。エリツィン時代のロシアと同じように庶民は貧困化した。 アメリカはロシアでも「カラー革命」を目論んでいる。プーチン体制の打倒だ。2012年1月に大使としてモスクワへ赴任したマイケル・マクフォールが所属していたことのあるNDI(国家民主国際問題研究所)はNEDから資金を提供され、活動している団体。このNEDはCIAが工作資金を供給するときのパイプ役で、NDIもCIA系の管理下にある組織だ。 マクフォールがモスクワ入りした3日後、ロシアの反プーチン/親アメリカ派のリーダーがアメリカ大使館を訪れている。そうした人びとが所属しているのはNEDから資金を得ている「戦略31」、NEDやフォード財団、ジョージ・ソロス系のオープン・ソサエティ、そしてCIAと関係の深いUSAIDから資金を得ている「モスクワ・ヘルシンキ・グループ」、NEDから資金を得ている「GOLOS」。 最近、次のような話が流れていた。 「反政府活動家ナバルニー(リーダー格)の裁判があり、市民がクレムリン広場などで抗議集会、大量の人員が逮捕されたニュースが欧米を駆け巡っているが日本での報道はほとんどない。ナバルニーのツイッター(露語)は現在フォロアーが87万人。ロシアはプーチンの強権政治はあるが、市民抗議活動根付く」 「ロシア:10日午後下院選不正糾弾デモ3万人(この範囲に収める合意)予定。9日NYT「主導者はナバルニー。ツイッターのフォロー13万5千名、ブログ6万名。現在当局に15日間の拘束中、デモに不参加。激しい体制腐敗を追及。彼主導で露で異例のデモ。元自由主義政党ヤブロコに属すも離脱」。」 この中にも書いてあるように、西側のメディアはナバルニーについて、「体制腐敗を追及」していると宣伝しているのだが、アメリカのジョン・マケイン上院議員と個人的に親しいという側面もある。そのマケインを含むアメリカ支配層の腐敗についてどう考えているのか知りたいのだが、そうした情報は入ってこない。 マケインと言えばネオコンの好戦派。2013年5月にシリアへ密入国してIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)を率いるアブ・バクル・アル・バグダディやFSAの幹部の幹部と会談、ウクライナではネオ・ナチやオリガルヒを柱とするクーデター派を支援、こうした勢力への軍事支援を訴えている人物だ。 ナバルニーはそうした人物と親しいアメリカの傀儡だということをロシア人は知り始めている。マクフォールがモスクワ駐在の大使になった時点で、こうした構造を多くのロシア人は認識、西側メディアの宣伝とは違って反プーチンの抗議活動は盛り上がらなかった。 価値基準は人によって違うのだろうが、このナバルニーを民主化運動の旗手、体制腐敗に立ち向かう闘志だと考える人はよほどのロシア嫌いなのか、アメリカを絶対的に崇拝しているのか、どちらかだろう。どのような経緯があるにしろ、こうした感情に流されずに情報を分析、判断できなければプロフェッショナルとは言えない。
2015.01.03
アメリカとイスラエルによって、世界的に軍事的な緊張が高まっている。2015年には大きな戦争があるのではないかと懸念する人がいるのは、そうした事情があるからだ。 本ブログでは何度も書いてきたが、1991年にソ連が消滅して以来、自分たちを「唯一の超大国」と位置づけたアメリカの好戦派は「潜在的ライバル」の出現を許さないという意思を明確に示している。その宣言とも言えるものが1992年に作成されたDPGの草案、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」。ネオコンの大物、ポール・ウォルフォウィッツが中心になって作成されたことから、こう呼ばれている。 1993年にビル・クリントンが大統領に就任すると、ホワイトハウスでネオコンの影響力は低下したが、活動を止めたわけではない。1996年には「決別」という文書を作成、サダム・フセインをイラクから排除して親イスラエルの体制の国に作り替え、ヨルダンからトルコに至る友好国の帯を作ってシリア、イラン、サウジアラビア、ペルシャ湾岸の産油国を分断し、不安定化させて国力を衰退させようと提言している。現在、中東/北アフリカは不安定化している。 1997年に国務長官はウォーレン・クリストファーからマデリーン・オルブライトに交代すると、ユーゴスラビアに対する軍事行動へ向かってアメリカは進み始める。オルブライトはチェコスロバキアの出身で、ポーランドに生まれたズビグネフ・ブレジンスキーの弟子。ふらりとも親は外交官で、育った環境が似ている。 1999年にアメリカ/NATOは偽情報(拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』に内容が書かれている)を広めながらユーゴスラビアを先制攻撃、建造物を破壊し、市民を殺害したほか、スロボダン・ミロシェビッチの自宅や中国大使館も攻撃している。このときからNATOは東方へ侵略を始めた。 2000年には、ネオコン系シンクタンクのPNACがDPGに基づく報告書『米国防の再構築』を発表する。執筆者はステファン・カムボーンやロバート・ケーガン(ビクトリア・ヌランド国務次官補の夫)などのネオコンが名を連ねているが、その中心は下院軍事委員会の元スタッフだったトーマス・ドネリー。この人物は2002年からロッキード・マーチンの副社長を務めている。『米国防の再構築』はネオコンと戦争ビジネスのビジョンだとも言えるだろう。 そして2001年9月11日、彼らにとって願ってもない出来事が起こる。ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのである。当時のジョージ・W・ブッシュ政権は詳しく調査することなくアル・カイダが実行したと断定、アル・カイダを弾圧していたイラクを2003年に先制攻撃してサダム・フセイン体制を倒した。 その結果、フセイン時代にはいなかったアル・カイダ系の戦闘集団AQIが2004年に出現し、06年にはAQIが中心になってISIが編成された。この武装集団が現在、中東で残虐の限りを尽くしているIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)につながる。ISIが編成された翌年、シーモア・ハーシュはニューヨーカー誌の2007年3月5日号で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリアとイランの2カ国とレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したと書いている。 そして2010年に「アラブの春」が始まり、翌年の初めにアメリカ/NATOはペルシャ湾岸の産油国やイスラエルとリビアやシリアの体制転覆プロジェクトを始めた。リビアではNATOの空爆、アル・カイダ系のLIFGが地上軍というコンビで体制転覆に成功するのだが、シリアではまだ戦闘が続いている。そして今年2月、ソチ・オリンピックでロシア政府が動きにくい時期にアメリカはネオ・ナチを使ってウクライナでクーデターを成功させた。ウクライナはブレジンスキーがロシアを服従させるポイントだとしていた国だ。 つまり、アメリカは中東/北アフリカや旧ソ連圏で侵略戦争を展開しているのだが、これを西側の有力メディアは「民主化」だと主張している。「大東亜共栄圏」を名目にした東アジアへの侵略を当時、日本のメディアは「正義の戦争」であるかのように宣伝していたが、同じことを今もしている。ロシア嫌いの「リベラル派」や「革新勢力」もアメリカの侵略を支持、結果として、集団的自衛権の行使を後押しすることになる。 ところで、日本のアジア侵略は満州事変より前から始まっている。この「事変」は1931年に河本末守中尉らが柳条湖の近くで爆弾を満鉄の線路に仕掛けて爆破(音だけだったとする説もある)、これを切っ掛けにして日本軍が中国軍を攻撃して始まったのだが、アジア侵略はその遥か前、1872年に幕を開けているのだ。 1871年7月に明治政府は廃藩置県を実施しているが、その翌年に「琉球藩」を設置するという不自然なことをしている。廃藩置県の3カ月後に宮古島の漁民が難破して台湾に漂着して何人かが殺されると、それを口実にして台湾へ軍隊を派遣しようと政府の誰かが考えついたようで、宮古島を日本だと主張するために琉球王国を潰したわけだ。 ところで、1872年に興味深い人物が日本へ来ている。厦門のアメリカ領事だったフランス系アメリカ人のチャールズ・リ・ジェンダーがその人。南北戦争にも参加した退役准将で、外交官でもある。外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を勧め、それ以降、75年まで外務省の顧問を務めた。明治政府の背後にはイギリスが存在しているが、アジア侵略の始まりにはアメリカの軍人が重要な役割を果たしたと言える。 リ・ジェンダーの意見を受け入れたのか、日本政府は1874年に台湾へ派兵、75年には李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ軍艦を派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功した。同条規の批准交換にル・ジェンダーも陪席したという。このリ・ジェンダーをモデルにしたアメリカ映画が後に制作されている。トム・クルーズが主演、2003年に公開された「ザ・ラスト・サムライ」だ。この映画には渡辺謙も出演していた。日米の軍事同盟が強化され過程でこうした映画をハリウッドが製作したのは偶然なのだろうか?
2015.01.02
パレスチナ国家の独立とイスラエルが1967年から占領している土地から2017年までに撤退することを求める決議案が国連安全保障理事会は否決した。15理事国のうちアメリカとオーストラリアが反対、イギリス、ルワンダ、ナイジェリア、韓国、リトアニアが棄権して賛成が8カ国にとどまったためだ。 しかし、EUでは今回の決議案に沿う主張をする国が出てきている。アメリカの傀儡化が進んでいるEUだが、パレスチナを国家として承認する決定を下したとする声明を昨年10月30日に出したスウェーデンが象徴的。 10月2日に社会民主労働党のステファン・ロベーン党首の首相就任が承認されると新首相はパレスチナを国家として承認する方針だと語る。すると、外国が水中活動をしている疑いがあるとして、スウェーデン軍はバルト海で大規模な作戦を始めて新政権はプレッシャーをかけられていた。 似たことが30年以上前にもあった。1982年10月1日に始まった出来事のデジャビュ。アメリカとは一線を画し、自主独立の道を歩もうとしていたオルオフ・パルメが首相に返り咲く1週間前にも「国籍不明の潜水艦」の捕り物劇があったのだ。西側メディアは根拠を示すことなく、それをソ連の潜水艦であるかのように宣伝、スウェーデン人の反ソ連感情を高めてパルメ首相の手足を縛ることになる。 しかし、ノルウェーの情報将校は問題の潜水艦はソ連のものではないと断言、西側の潜水艦だとしている。ソ連のウィスキー型潜水艦だとする説を明確に否定し、アメリカやスウェーデンの当局者と真っ向から対立した。「ソ連説」の根拠は示されず、雰囲気だけだったことを考えると、ノルウェーの主張に説得力がある。(Ola Tunander, “The Secret War Against Sweden”, 2004) ところで、1967年の出来事はイスラエルの領土拡大(大イスラエル)計画の一環だった。この年の4月から5月にかけてイスラエルはゴラン高原のシリア領にトラクターを入れて土を掘り起こし始めてシリアを挑発、シリア軍が威嚇射撃すると、イスラエルは装甲板を取り付けたトラクターを持ち出し、銃撃戦に発展した。シリアが攻撃を始めたわけではないことは1971年から85年まで国連事務次長を務めたブライアン・アークハートも確認している。 その当時、ソ連はイスラエルがシリアを攻撃すると考え、エジプトは5月15日に緊急事態を宣言して2個師団をシナイ半島へ入れた。その5日後にイスラエル軍の戦車がシナイ半島の前線地帯に現れたとする報道があり、22日にエジプト政府はアカバ湾の封鎖を宣言。 30日にモサドの長官がアメリカを訪問し、リンドン・ジョンソン大統領に開戦を承諾させている。アメリカの政界でジョンソンは親イスラエル派の中心的な人物として知られていた。そして6月5日にイスラエルはエジプトを空爆、第3次中東戦争が勃発している。この際、ドイツに駐留していたアメリカ空軍の偵察機RF4Cがエジプト軍の動きを撮影した写真を提供、アメリカ政府は政治的にも支援していた。 エジプト攻撃を承諾したアメリカ政府だが、ゴラン高原をイスラエルは攻撃する可能性があった(実際、イスラエル政府はゴラン高原を攻撃することを決めていた)こともあり、6月8日にアメリカ軍は情報収集船のリバティをイスラエルの沖に派遣するのだが、イスラエルはこの艦船を攻撃する。午前6時頃から正午過ぎまで再三にわたって偵察した後、ミラージュ戦闘機がロケット弾やナパーム弾を発射、魚雷艇から銃撃され、魚雷も命中しているが、リバティを沈没させられず、乗組員を皆殺しにできなかった。 最初の攻撃で通信設備が壊されたが、午後2時10分頃に通信兵は寄せ集めの装置とアンテナで第6艦隊に遭難信号を発信することに成功、訓練中だった第6艦隊の空母サラトガは4機のA1スカイホークを発進させるのだが、空母アメリカの艦長は反応せず、ロバート・マクナマラ国防長官は第6艦隊に対し、戦闘機をすぐに引き返させろと叫んだという。 空母サラトガと空母アメリカに対し、救援のために戦闘機を派遣するようにという命令が出たのは午後3時16分。艦隊司令官はホワイトハウスに対し、戦闘機は4時前後に現場へ到着すると報告、4時14分にイスラエルはアメリカに対し、アメリカの艦船を誤爆したと伝えて謝罪、アメリカ政府はその謝罪を受け入れた。 この後、イスラエル軍がリバティを攻撃した事実をアメリカ側は隠蔽しようとする。このとき、在欧アメリカ海軍の司令官だったジョン・マケイン・ジュニア、つまり後のジョン・マケイン上院議員の父親も事実の隠蔽に荷担している。この攻撃以来、アメリカ政府はイスラエル政府に逆らえなくなり、この2カ国は中東で憎悪の対象になる。 1967年11月に国連の安保理は242号決議を採択した。その中で、第3次中東戦争によって占領した地域からイスラエル軍は撤退し、交戦状態を終結させ、難民問題を公正に解決するようにイスラエルは求められている。 1969年にリチャード・ニクソンが大統領に就任、ウィリアム・ロジャース国務長官はこの決議に基づいて動こうとするのだが、ヘンリー・キッシンジャー補佐官は反対、エジプトとイスラエルだけの部分的な和平にとどめようとした。その後、ロジャースはキッシンジャーの意向に沿う和平案を提示していくのだが、これをイスラエルは拒否、現在に至っている。イスラエルは中東和平を真剣に考えてはいない。 ジミー・カーター大統領は242号決議に基づいてパレスチナ問題を解決しようと考え、イスラエル労働党のイツハク・ラビンやPLOのヤセル・アラファトも包括的和平に賛成したのだが、選挙でラビンがリクードのメナヘム・ベギンに敗れて実現しない。その後、西側では反カーター・キャンペーンが展開され、カーターは再選されなかった。 1993年、ビル・クリントン大統領の時代にイスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長はオスロ合意(暫定自治原則宣言)に正式署名、暫定自治機構を設立したうえで西岸/ガザ地区における5年間の暫定自治を実現し、国連安保理決議242と338(第3次中東戦争で占領した地域からのイスラエル撤退)に基づいてパレスチナの最終的地位について交渉、さらに暫定自治開始後3年以内に、エルサレムの帰属、パレスチナ難民、入植地や国境等の問題を含むパレスチナの最終的な交渉を始めることになったのだが、95年にラビンが暗殺され、その5年後にはリクードのアリエル・シャロン党首が数百名の警察官を従えてエルサレムの神殿の丘を訪問、パレスチナ人を挑発して和平は遠のいた。 イスラエルの好戦派はアメリカのネオコンと緊密な関係にあり、2014年2月にウクライナで行われたクーデターにも関係、ネオ・ナチとの協力関係も明確。現在、EUで広がっているパレスチナ独立を承認する動きに対し、ネオコンやイスラエル(シオニスト)はネオ・ナチ系の人びとと手を組んで抵抗している。
2015.01.01
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