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ウラジミル・プーチン露大統領の無給顧問を務めていたワレンチン・ユマシェフが辞任したと伝えられている。エリツィン・センターの役員だということらもわかるように、この人物は米英金融資本の手先だったボリス・エリツィンと緊密な関係にあった。 エリツィンは1991年7月にロシア大統領に就任したが、この月にソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領はロンドンで開かれた主要7カ国首脳会議に呼び出され、新自由主義の導入、いわゆる「ピノチェト・オプション」を要求されている。この要求をゴルバチョフは受け入れず、翌月に「クーデター未遂」が引き起こされた。これが切っ掛けになって実権を握ったエリツィンが1991年12月にソ連を消滅させたわけである。 エリツィン時代、クレムリンに巣食う腐敗勢力の中心にいたのはエリツィンの娘であるタチアナ。アルコールに溺れた生活を送り、心臓病を抱えていた父親に代わり、政府を動かしていた。ボリスは1996年にタチアナを個人的な顧問に据えている。 2000年にプーチンから解雇された彼女はその翌年、エリツィンの側近で広報担当だったバレンチン・ユマシェフと結婚している。ユマシェフの娘であるポリナ・ユマシェバと結婚したオレグ・デリパスカはロシアのアルミニウム産業に君臨するイスラエル系オリガルヒで、ナット・ロスチャイルドから「アドバス」を受ける一方、ロスチャイルド系の情報会社ディリジェンスの助けで世界銀行から融資を受け、政治面でも西側との関係を強めていたものの、プーチンとの対決は避けた。 ロシア軍がウクライナへの攻撃を始めた後、気候問題特使を辞任してロシアを離れたアナトリー・チュバイスはタチアナの利権仲間。チュバイスは1992年11月にボリスが経済政策の中心に据えた人物で、HIID(国際開発ハーバード研究所)と連携していた。この研究所はCIAの工作資金を流していたUSAIDからカネを得ていた。(Natylie Baldwin & Kermit Heartsong, “Ukraine,” Next Revelation Press, 2015) ソ連が消滅してから現在に至るまで、ロシアの経済や金融は米英の巨大金融資本と深くつながっている人びとにコントロールされている。このネットワークを排除するべきだと考えるロシア国民は少なくないが、経済の混乱を恐れたのか、プーチン大統領はこの問題に手をつけなかった。国家安全保障会議副議長のドミトリー・メドベージェフ、財務大臣のアントン・シルアノフ、中央銀行総裁のエリヴィラ・ナビウリナもそうしたネットワークのメンバーだとみなされている。 しかし、ユマシェフがプーチンから離れたとするなら、エリツィンの娘を中心に形成されたグループがロシアの支配システムから排除され始めた可能性がある。ロシアのアキレス腱と言われるシルアノフ財務大臣やナビウリナ中央銀行総裁を交代させられるかどうか注目している人は少なくない。
2022.05.31
投機家のジョージ・ソロス5月24日、ダボスで開かれたWEF(世界経済フォーラム)の総会で、2月24日に始まったロシア軍の攻撃で「第3次世界大戦」が始まったかもしれないと語った。ソロスやヘンリー・キッシンジャはウクライナの軍や親衛隊の敗北が決定的だと考えているのだろう。ただ、キッシンジャーはゼレンスキー政権に対してロシア側の要求を全て呑み、ドンバスやクリミアのロシアへの割譲を認めて2カ月以内に停戦交渉を始めるべきだと訴えている。ソロスは「第3次世界大戦」が始まれば西側文明は生き残れないかもしれないとした上で、西側文明を守る唯一の方法はできる限り早くプーチンを打倒することだと主張する。 ソロスの言い方からすると、「第3次世界大戦」でロシアに勝ち、プーチンを排除しようと考えているわけではないようだ。クーデターで体制を転覆させたがっているように思える。ソ連を消滅させたときの手口を使うつもりかもしれない。 しかし、ロシア国民は1990年代、ボリス・エリツィン時代の新自由主義的な政策で塗炭の苦しみを味わっている。欧米に対する幻影は消えているはずだ。ただ、エリートの中には西側のシステムで甘い汁を吸いたい人もいるだろうが、西側が「カラー革命」を実行できる状態にはないが、ウラジミル・プーチン政権の内部に親欧米派はいる。 エリツィン時代、ロシアの経済政策はソロスの友人としても知られているハーバード大学教授のジェフリー・サックスなどが決定、その下で働いていたのがソロスの知り合いだというエゴール・ガイダル。それ以来、ロシアの金融や経済は米英金融資本の手先が支配している。例えば、国家安全保障会議副議長のドミトリー・メドベージェフ、財務大臣のアントン・シルアノフ、中央銀行総裁のエリヴィラ・ナビウリナである。気候問題特使を務めていたアナトリー・チュバイスが辞任、国外へ出た。 ネオコン、あるいは米英の金融資本はロシアのエリートが反旗を翻すことを願っているはず。ロシアのエリート層に対する「制裁」をアメリカが行う理由はそのためだろう。 アメリカがソ連を崩壊させる秘密工作を始めたのは1970年代の終盤で、ローマ教皇庁とも手を組んでいた。ロナルド・レーガン米大統領がローマ教皇庁の図書館でヨハネ・パウロ2世とソ連の解体について話し合った1982年にレオニド・ブレジネフが死亡、84年にはユーリ・アンドロポフが死亡、85年にはコンスタンチン・チェルネンコが死亡、そして親欧米派に囲まれたミハイル・ゴルバチョフが実権を握った。 ゴルバチョフはペレストロイカ(建て直し)を打ち出す。これを考え出したのはKGBの頭脳とも言われ、政治警察局を指揮していたフィリップ・ボブコフだとされているが、この人物はCIAのOBグループに買収されていたとする情報がある。そのOBグループのひとりがアメリカの副大統領だったジョージ・H・W・ブッシュだ。(F. William Engdahl, “Manifest Destiny,” mine.Books, 2018) ボブコフだけでなく、アレクセイ・コンドーロフや1982年から88年にかけてKGB議長を務めたビクトル・チェブリコフも買収され、ソ連の解体と資産の略奪を目論んだというのだ。一種のクーデター。「ハンマー作戦」と呼ばれている。 エリツィン時代、20歳代の若者がクレムリンの腐敗勢力と手を組んで巨万の富を築き、「オリガルヒ」と呼ばれるようになる。ミハイル・ホドルコフスキー(1963年生まれ)、アレックス・コナニヒン(1966年生まれ)、ロマン・アブラモビッチ(1966年生まれ)などだ。ボリス・ベレゾフスキー(1946年生まれ)でも40歳代。こうした若者たちを操っていた黒幕がいたことは容易に想像がつく。 ソ連消滅劇の始まりは1991年7月にロンドンで開かれた主要7カ国首脳会議。そこに呼び出されたゴルバチョフは新自由主義の導入、いわゆる「ピノチェト・オプション」を求められるとさすがに難色を示す。ソ連で「クーデター未遂」が引き起こされるのはその翌月のことだ。 このクーデター未遂はゴルバチョフの政策をソ連解体の策謀と考える「国家非常事態委員会」が権力の奪還を狙ったものだとされているが、KGBが行った「出来レース」だと推測する人がいる。 この「クーデター未遂」を利用してボリス・エリツィンが実権を握り、ソ連を消滅させた。その後、エリツィンは議会を強制的に解散し、抗議する議員を砲撃させて殺害、新自由主義を導入してロシア国民の資産を略奪しはじめた。 ハンマー作戦を実行するためには資金が必要。買収だけでも相当の金額を用意する必要がある。数百億ドルが投入されたと推測されているのだが、その出所は旧日本軍が東アジアを侵略していた際に略奪した財宝を元にした資金だと言われている。 日本軍が略奪した財宝の一部は日本へ運ばれたが、戦局の悪化で輸送が困難になると集積地のフィリピンに隠された。その多くをアメリカは回収したと言われている。回収作業の責任者はエドワード・ランズデールだったという。後にCIAの秘密工作を指揮、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の現場にいたとも言われている人物だ。 ランズデールの部下だった情報将校は自身が親しくしていたイメルダ・ロムアルデスをフェルディナンド・マルコスに紹介、結婚させている。そこでマルコスは財宝の隠し場所に関する情報を知っていた。そのマスコスをコントロールできなくなったアメリカは1986年2月に排除。アメリカ軍が拉致して国外へ連れ出したのだが、この作戦を指揮していたのはポール・ウォルフォウィッツだと言われている。 ソ連を消滅させた時と同じ手口を使うなら、ロシアの軍や情報機関の幹部を買収していなければならない。その上でプーチンを暗殺、クレムリンを乗っ取るということになるだろうが、それだけの準備ができているのだろうか?
2022.05.31
ウクライナでの戦闘をめぐり、WEF(世界経済フォーラム)の総会でヘンリー・キッシンジャーとジョージ・ソロスが衝突した。ふたりはユダヤ系の大物で、経歴も似ているが、今回の件では意見が対立している。 キッシンジャーはウォロディミル・ゼレンスキー政権に対し、ロシア側の要求を全て呑んでドンバスやクリミアのロシアへの割譲を認め、2カ月以内に停戦交渉を始めるべきだと訴えたのに対し、ソロスは「西側文明」は「生き残る」ため、できるだけ早くロシアを打倒しなければならないと主張したのだ。 ソロスは1930年にハンガリーで生まれたが、彼の家族はドイツからの移民。第2次世界大戦が始まった時には9歳ということになる。14歳になると彼はユダヤ人を発見するという形でナチスに協力、大戦後にソ連軍はその協力を理由に彼を逮捕した。その後、GRU(ソ連軍参謀本部情報総局)のために働いたと言われている。 本人の話によると1947年にはイギリスへ難民として渡ったというが、警備の厳しい国境を超えてハンガリーを脱出したことに疑問を持つ人もいる。そしてロンドン大学の学生になり、大学を卒業すると金融の世界へ入る。1970年には「ソロス・ファンド・マネージメント」を設立して会長に就任。 その一方、ソロスは1984年にブダペストで「オープン・ソサエティ財団」を設立、反ソ連/ロシアのプロジェクトを本格化させる。そうした動きはアメリカ政府と連動しているように見える。 1976年のアメリカ大統領選挙で当選したジミー・カーターは国家安全保障補佐官にズビグネフ・ブレジンスキーを任命するが、実際はブレジンスキーとデイビッド・ロックフェラーがカーターを大統領に据えたのだという。 そのブレジンスキーはサウジアラビア、パキスタン、イスラエル、王政時代のイランなどの協力を得てアフガニスタンを不安定化させ、ソ連軍を引き出す計画を立て、実行する。不安定化させる武装集団の戦闘員としてサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団がサウジアラビアから送り込まれた。 その当時、アフガニスタンではいくつかの武装集団が存在、その一部も利用された。誰と手を組むかを選んだのはパキスタンの情報機関ISIだった。アメリカの軍や情報機関は集められた戦闘員を訓練、携帯防空システムのスティンガーや対戦車ミサイルのTOWを含む武器/兵器を供給する。 しかし、アフガニスタンにおけるCIAの工作はカーター政権より前から始まっていた。パキスタンのベナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールが1989年に語ったところによると、アメリカ政府は73年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助しはじめている。援助先の人選もCIAはISIのアドバイスに基づいている。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005) アメリカのアフガニスタン工作ではパキスタンの支援が必要だったわけだが、ズルフィカル・アリ・ブット政権はCIAにとって好ましくなかった。そのブット政権は1977年に軍事クーデターで倒され、ブット自身は79年に処刑されている。クーデターを指揮したのはムハンマド・ジア・ウル・ハクだ。 ブレジンスキーの思惑通り、ソ連軍の機甲師団が1979年12月にアフガニスタンへ派遣されたが、その年の7月にエルサレムでアメリカとイスラエルの情報機関に関係する人びとが「国際テロリズム」に関する会議を開いている。「国際テロリズム」はソ連政府の政策や陰謀にあるとして反ソ連キャンペーンが展開されることになった。 1980年8月にポーランドで労働者がストライキを実施、「連帯」という労働組合がレフ・ワレサたちによって結成された。1982年6月にはロナルド・レーガン米大統領がローマ教皇庁の図書館で教皇ヨハネ・パウロ2世とふたりきりで会談、ジャーナリストのカール・バーンスタインによると、その大半はソ連の東ヨーロッパ支配の問題に費やされ、ソ連を早急に解体するための秘密工作を実行することで合意したという。 秘密工作の下準備は1970年代から始まっているが、その工作の一端が1978年に発覚している。イタリア銀行監督局のマリオ・サルチネッリ局長による調査命令を受け、1978年4月から当局はイタリアの大手金融機関であるアンブロシアーノ銀行の調査を開始、同銀行による数十億リラの不正送金が明らかになったのだ。このスキャンダルにはバチカン銀行(IOR¥/宗教活動協会)が深く関係していた。当時、バチカン銀行の頭取だったのはシカゴ出身のポール・マルチンクスだ。 マルチンクスはパウロ6世の側近だったが、この教皇はヒュー・アングルトンとジェームズ・アングルトンの親子と緊密な関係にあった。このふたりはアレン・ダレスの側近としてアメリカの情報活動に従事、つまりパウロ6世はアメリカの情報機関の協力者だった。 アンブロシアーノ銀行の頭取だったロベルト・カルビは裁判の途中で変死するが、同銀行を経由して流れた不正融資の行き先はポーランドの「連帯」だと生前、家族や友人に話していた。(Larry Gurwin, “The Calvi Affair,” Pan Books, 1983 / David Yallop,”In God's Name,” Corgi, 1985) ソロスは1979年から「連帯」に資金を提供。1991年12月にソ連が消滅しても反ロシア工作は続く。「カラー革命」、そして2013年11月から14年2月にかけてウクライナで実行されたネオ・ナチのクーデターでも大口資金提供者のひとりだ。 彼がロスチャイルドのネットワークと関係が深く、ニルス・タウブやリチャード・カッツを通じてイギリスの「N・M・ロスチャイルド・アンド・サン」につながり、ジョージ・カールワイツを通じてフランスのエドモンド・ド・ロスチャイルド・グループにつながっていることは明らかだが、イギリス政府のソロスに関するファイルは最高機密になっているという。ロスチャイルドとのビジネス上の関係以上の秘密があるのだろう。
2022.05.30
ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー政権はポーランドに接近している。そのポーランドはウクライナの西部を占領しようとしていると噂されていた。西側有力メディアの宣伝とは違い、ウクライナの軍や親衛隊はロシア軍に太刀打ちできていないようだ。ゼレンスキー政権は親衛隊に対して「玉砕」を命令していたが、兵士は人質の市民に脱出させ、自分たちは降伏している。住民が解放されたことから西側の政府や有力メディアの嘘が明白になった。 カトリックという共通する宗教が存在することもあり、1922年に中央ヨーロッパの統一を目的とするPEU(汎ヨーロッパ連合)が創設されている。その中心グループにはオーストリア・ハンガリー帝国のオットー・フォン・ハプスブルクやリヒャルト・フォン・クーデンホーフ-カレルギー、またイタリアのバレリオ・ボルゲーゼ、イギリスのウィンストン・チャーチルがいた。 このプランは「ポーランド・リトアニア連邦」の復活を夢見るポーランド人一派の思いとも一致する。カトリック圏だということや反ロシア感情もあり、ポーランドでは1925年に「プロメテウス同盟」という地下組織が編成され、一時期はウクライナ人も参加している。 ローマ教皇庁の内部には、大戦の前からバルト海からエーゲ海までの中央ヨーロッパをカトリックで統一しようという勢力が存在した。「インターマリウム」だ。その組織はイギリスやフランスの情報機関から支援を受け、国家間の勢力争いと深く結びつくが、こうした動きは現在にもつながっている。 ところで、今年2月24日にロシア軍がウクライナを攻撃した当初から、キエフ政権の治安機関であるSBU(ウクライナ保安庁)はロシアと話し合いで問題を解決しようと考える市長を処分している。ウクライナ国民から信頼されていないことを自覚しているのだろう。 例えば、ルガンスクのボロディミル・ストルク市長は3月1日に誘拐され、拷問された上で胸を撃たれて死亡。3月5日にはロシアと交渉しているチームのひとり、デニス・キリーエフがキエフの路上でSBUの隊員に射殺され、3月7日にはゴストメル市長だったのユーリ・プライリプコの死体が発見された。ウクライナでは11名の市長が行方不明だとも言われている。 ウクライナの治安機関でCIAの下部機関でもあるSBU(ウクライナ保安庁)は反クーデター派を誘拐したり、拷問したり、暗殺してきたが、元SBU将校のバシリー・プロゾロフによると、SBUには「死の部隊」がある。 SBUのチームによる「国賊狩り」が行われる中、4月21日にはウクライナの南部にあるミコライフ州のビタリー・キム知事が「ウクライナ24テレビ」の番組に登場、「全ての裏切り者を処刑する」と語った。そうした処刑を実行するための秘密部隊を編成、すでに作戦を遂行しているともいう。キムにとって「裏切り者」とはゼレンスキーの政策に同意しない人びとだ。そのゼレンスキー政権は2022年3月19日に11の野党を禁止、政府の政策を支持する放送局以外のメディアは消えたと言われている。これが西側支配層の考える「民主主義体制」なのだろう。 そして西側の有力メディアはゼレンスキー政権の宣伝を垂れ流してきた。ロシアは残虐であり、ウクライナは勝利するというハリウッド好みの「勧善懲悪」的なシナリオだが、事実が伴っていないことは情報を分析していれば明白だった。シナリオが荒唐無稽すぎるのだ。 ドンバスでの戦闘は2013年11月から14年2月にかけてのクーデターから始まったのだが、このクーデターの黒幕はアメリカのバラク・オバマ政権であり、戦闘の主力はNATOの訓練を受けていた「右派セクター」をはじめとするネオ・ナチだ。東部や南部を支持基盤としていたビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除することが目的だった。 キエフの状況を知った東部や南部の人びとはクーデターを拒否、自立の道を選ぶ。最も素早く動いたのはクリミアの住民で、3月16日には住民投票を経てロシアと統合する道を選んだ。80%を超える住民が投票に参加して95%以上が加盟に賛成している。 やはり反クーデターで住民が動いていたオデッサではネオ・ナチが住民を虐殺、5月9日にキエフのクーデター政権はドネツクのマリウポリへ戦車部隊を突入させ、住民を殺している。デレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りした6月2日にキエフ政権はルガンスクの住宅街を空爆した。 そうした軍事的な圧力の中、5月11日にドンバスでも自治(ドネツク)や独立(ルガンスク)の是非を問う住民投票が実施されている。その結果、ドネツクでは89%が賛成(投票率75%)、ルガンスクでは96%が賛成(投票率75%)。この結果を受け、ドンバスの住民はロシア政府の支援を求めたが、ロシア側に動きはほとんどなかった。 オバマ政権はクーデター体制の軍事力をテコ入れするため、CIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込み、傭兵会社「アカデミー(旧社名はブラックウォーター)」の戦闘員約400名をウクライナ東部の制圧作戦に参加したと伝えられた。またCIAは2015年からウクライナの特殊部隊員をアメリカ南部で訓練しているという。 最近では、ル・フィガロ紙の特派員、ジョージ・マルブルノがウクライナの状況を報告している。取材を終えてウクライナから帰国した後、アメリカ陸軍のデルタ・フォース(第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊)やイギリス陸軍のSAS(特殊空挺部隊)が戦闘に参加している事実を伝えたのだ。 ネオ・ナチの指導者であるドミトロ・ヤロシュクーデター後の2014年3月に声明を発表、その中でチェチェンやシリアでロシアと戦ったサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)などイスラム系の武装集団への支援を表明している。 ヤロシュはドロボビチ教育大学の学生だった時、ワシル・イワニシン教授から学んでいる。この教授はステパン・バンデラ派のOUN-B人脈が組織したKUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)の指導者グループに属していた。 イワニシンが2007年に死亡するとヤロシュが後継者になる。このタイミングでヤロシュはNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われている。その当時、アメリカのNATO大使を務めていた人物がクーデターを指揮することになるビクトリア・ヌランドだ。 その年の5月にウクライナのテルノポリで開かれた欧州のネオ・ナチや中東の反ロシア・ジハード主義者を統合するための会議で議長を務めている。この段階でネオ・ナチはサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団と連携していたと言えるだろう。いずれもアメリカやイギリスの支配層が傭兵として使ってきた。ドンバスでの戦闘で全面に出ているウクライナ内務省の親衛隊はネオ・ナチを中心に編成された武装集団だ。 ヘンリー・キッシンジャーは5月23日、ダボスで会議を開かれているWEF(世界経済フォーラム)の年次総会でバーチャル演説を行い、2カ月以内にウクライナでの戦闘を終えるための交渉をはじめるべきだと主張した。ロシアとの戦争を避けるためにゼレンスキー政権はロシア側の要求を全て呑み、ドンバスやクリミアのロシアへの割譲を認めるべきだとしている。その上で中立国になり、ロシアとヨーロッパの架け橋になることが究極の目標だというのだ。 しかし、アングロ・サクソンには19世紀からロシアを制圧して世界の覇者になるという戦略を捨てられない人びとがいて、キッシンジャーの提案に反発している。5月24日に投機家のジョージ・ソロスは生命を発表し、2月24日に始まったロシア軍の攻撃によって「第3次世界大戦」が始まったのかもしれないとし、「西側文明」は「生き残る」ため、できるだけ早くロシアを打倒しなければならないと主張したが、これもそうした考えの表れだ。 ソロスのような考え方をする人はアメリカには少なくない。例えば、ジョー・バイデン大統領、国務省やCIA、戦争に積極的で、フィリップ・ブリードラブ元SACEUR(NATO欧州連合軍最高司令官)などだ。ネオコンは一般的にそう考えているようだ。ブリードラブは核戦争への恐怖がウラジミル・プーチン露大統領に対する適切な対応を西側にとらせないと主張しているが、この人物も「第3次世界大戦」を考えている。 1991年12月にソ連が消滅、それから間もない92年2月にネオコンはアメリカが唯一の超大国になったと考え、アメリカの国防総省はDPG草案という形で世界制覇プランを作成した。その中心が国防次官のポール・ウィルフォウィッツだったことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 しかし、アメリカ支配層の内部にも単独行動主義を危険だと考える人がいた。その中にはジョージ・H・W・ブッシュ大統領、ブレント・スコウクロフト国家安全保障補佐官、ジェームズ・ベーカー国務長官も含まれている。このブッシュ政権は1期だけで終わった。 2001年9月11日の出来事があって以降、こうしたグループの活動は目立たなくなったが、ネオコンの戦術が度を過ぎたり、行き詰まれば状況は変わるだろう。それをキッシンジャーの動きは象徴しているように見える。
2022.05.29
アメリカのFDA(食品医薬品局)とCDC(疾病予防管理センター)が共同で運用しているVAERS(ワクチン有害事象報告システム)への自主的な報告によると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」による死亡者数は5月20日現在、前の週より171名増えて2万8312名に達した。 一般的にVAERSに報告される副作用の件数は全体の1%にすぎないと言われているので、これを適用すると「COVID-19ワクチン」による死者は300万人近いということになる。 欧米ではCOVID-19を口実にしてロックダウンが実施され、マスクの着用や「ソーシャル・ディスタンス」が要求され、リスクの高い「ワクチン」の接種が推進されてきた。強制接種の動きもある。オーストラリアでは政府の方針に従わない人びとを拘束する収容所も建設された。全ての人間にデジタル・パスポートを携帯させようともしている。 マスクの着用、公共施設やマーケットの入り口における体温の測定といった「対策」は2010年5月にロックフェラー財団とGBN(グローバル・ビジネス・ネットワーク)が公表した「技術の未来と国際的発展のためのシナリオ」の中で示されている。そのシナリオによると、2012年に新型インフルエンザのパンデミックが起こって全人口の20%近くが感染、7カ月で800万人が死亡、その多くは健康な若者だとされている。 市民は行動を制限されるわけだが、安全と安定を得るために自らの主権やプライバシーを放棄するとも見通し、さらに全ての市民に生体認証が義務づけられるともしている。 社会を収容所化とも言えるが、そうした政策を実施した結果、生産活動や商業活動は麻痺、多くの企業や店の経営は悪化し、倒産、失業、ホームレス、そして自殺者を増やすという事態が引き起こされている。人びとの移動制限は強化され、団結しにくい状況が作り出され、監視システムも強力になった。 しかし、そうした政策を国民に強制した人びとの行動はおおらか。例えばイギリスでCOVID-19は恐ろしいと宣伝していた中心的な存在だったニール・ファーガソンの場合、WHO(世界保健機関)がパンデミックを宣言した2カ月後の2020年5月、ロックダウンの最中に彼は人妻である愛人を自宅へ招き入れていた。 7月にはアメリカでCOVID-19対策を指揮しているアンソニー・ファウチが野球観戦した際、やはりマスクを外していた。両隣には知人らしい男女が座っている。「ソーシャル・ディスタン」とやらは無視されている。 ジョー・バイデン政権で気候問題の特使を務めているジョン・ケリーは2021年3月17日、ボストンからワシントンDCへアメリカン航空機のファースト・クラスで移動した際、離陸前にマスクを外して本を読んでいる。その様子が写真に撮られ、話題になった。航空会社はマスクを着用していない客を機外へ連れ出していたようだが、ケリーに対し、そうした行動には出なかった。 イギリスのボリス・ジョンソン政権は社会の収容所化を積極的に推進してきたが、ロックダウンの最中、首相官邸で政府職員がパーティを繰り返していたことが判明している。そうしたことを行ったのはCOVID-19のパンデミック騒動がインチキだということを知っているからだと考えている人は少なくない。 航空機業界は「ワクチン」の強制接種に積極的だが、それを理由に、アメリカではアトラス航空が訴えられた。憲法、信仰、医療に基づく自由を侵害しているからだという。今後、大手航空会社18社、FAA(連邦航空局)、運輸省も訴えるとされている。
2022.05.28
スイスのダボスで会議を開かれているWEF(世界経済フォーラム)の年次総会で5月23日にヘンリー・キッシンジャーはバーチャル演説を行い、ウクライナ情勢について言及した。2カ月以内に戦闘を終えるための交渉をはじめるべきだとしている。 アメリカではジョー・バイデン大統領、国務省やCIAが戦争に積極的で、フィリップ・ブリードラブ元SACEUR(NATO欧州連合軍最高司令官)は核戦争への恐怖がウラジミル・プーチン露大統領に対する適切な対応を西側にとらせないと主張している。 それに対し、キッシンジャーはそうした動きを懸念しているようだ。ロシアとの戦争を避けるため、ウォロディミル・ゼレンスキー政権はロシア側の要求を全て呑み、ドンバスやクリミアのロシアへの割譲を認めるべきだとしている。 2014年2月にバラク・オバマ政権を後ろ盾とするネオ・ナチによるクーデターがあった直後からキッシンジャーはロシアとウクライナが歴史的に特殊な関係にあることを理解するべきだと主張、オバマ政権のロシアを敵視する政策に争い、米露の関係を正常化しようとしてきた。核戦争を心配しろということだろう。 その発言を受け、5月24日に投機家のジョージ・ソロスは声明を発表、2月24日に始まったロシア軍の攻撃によって「第3次世界大戦」が始まったのかもしれないとし、「西側文明」は「生き残る」ため、できるだけ早くロシアを打倒しなければならないと主張している。 ソロスにとってウクライナでの戦闘はロシアを制圧する序章であり、ブリードラブ大将と同じように核戦争を想定しているように見える。ソロスの仲間は現在の資本主義システムが限界に達していることを理解、「資本主義の大々的なリセット」が必要だと考えている。そのためにCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)を利用しているわけだ。そのリセットを実現するためにロシアと中国は障害になっている。 ロシア軍はウクライナに対する攻撃を始めた際、軍事施設と病原体の研究施設をターゲットにし、重要文書を回収している。ロシア軍の動きが想定より早く、証拠を処分しきれなかった可能性がある。その病原体とは兵器として使えるほど危険なもので、生物兵器の研究開発を行っていたと考えられている。 その研究ネットワークはアメリカの国防総省やCDC(疾病予防管理センター)によって動かされ、大手医薬品メーカーも関係しているとロシア政府は発表しているが、その中枢にはオバマ、バイデン、ヒラリーといった民主党の大物やソロスがいる。 ソロスはヘッジ・ファンドを動かす投機家とされているが、「オープン・ソサエティ財団」を拠点にし、彼らにとって好ましくない体制、政権を転覆させてきた。「開かれた社会」という看板を掲げているが、その前に「略奪者に」という文字が隠れている。 彼の力の源泉は明確でないが、ロスチャイルドのネットワークと関係が深いことは確かだ。ニルス・タウブやリチャード・カッツを通じてイギリスの「N・M・ロスチャイルド・アンド・サン」につながり、ジョージ・カールワイツを通じてフランスのエドモンド・ド・ロスチャイルド・グループにつながっている。N・M・ロスチャイルド・アンド・サンは長くジェイコブ・ロスチャイルドとエベリン・ド・ロスチャイルドにコントロールされてきた。 ロシアに対してオバマと同じ姿勢をとっていたヒラリー・クリントンがソロスから政策面の指示を受けていたことは2016年に行われたアメリカ大統領選挙の際、公開された電子メールによって判明している。彼女の言動を見てもそれは推測できる。 ヒラリーの友人と言われるビクトリア・ヌランドは民主党政権でも共和党政権でも外交や安全保障関係の要職についている反ロシア派。ネオコンの大物としても知られ、2013年11月から14年2月にかけてウクライナで実行されたクーデターを指揮していた。 アメリカ政府がウクライナで戦争を始めたのは2013年11月のことだが、その前に1990年代から始まった旧ソ連圏の制圧作戦があった。その作戦の背景には19世紀から続くイギリス支配層の長期戦略がある。 ウクライナで戦争を始めたのはオバマ政権、つまりアメリカ政府なのだが、それを隠し、バイデン、オバマ、ヒラリー、ヌランド、ソロスといった人びとにとって都合のいいシナリオを作成、宣伝しているのが西側の有力メディアだ。このシステム全体が一種の「陰陽師」になっている。 アメリカをはじめとする西側の有力メディアが巨大企業の広告費に収入を依存しているだけでなく、巨大資本に会社が所有されていることは外から見ても明白だ。 アメリカの場合、メディアの約9割をCOMCAST(NBCなど)、FOXコーポレーション(FOXグループなど)、ウォルト・ディズニー(ABCなど)、VIACOM(MTVなど)、AT&T(CNN、TIME、ワーナー・ブラザーズなど)、CBSが支配している。 そうしたメディアやシリコンバレーのハイテク企業を含むアメリカの主要500社の9割近くを支配しているのはブラックロック、バンガード、ステート・ストリートといった「闇の銀行」だ。こうした金融機関は1970年代から始まった金融規制の大幅な緩和により、銀行のような規制は受けない。こうした「闇の銀行」に資金を投入している一握りの富豪が西側の有力メディアも支配しているわけだ。 しかし、これは表の話にすぎない。裏では情報機関が有力メディアを操ってきた。「報道機関」として世の中に出現したメディアだが、当初から「プロパガンダ機関」でもあった。第2次世界大戦後、情報操作の重要性を理解したアメリカの支配層は「モッキンバード」と呼ばれる極秘プロジェクトをスタートさせている。 当時、このプロジェクトをCIAで担当していたのはコード・メイヤーで、実際の活動を指揮していたのはアレン・ダレス、ダレスの側近だったフランク・ウィズナーとリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだという。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979) グラハムは第2次世界大戦中、陸軍情報部に所属、中国で国民党を支援する活動に従事していた。その時の仲間のひとりがヘルムズ。そのほか後にCIA副長官になり、CSISの創設に関わったレイ・クライン、グアテマラのクーデターなどに参加し、ウォーターゲート事件で逮捕されたE・ハワード・ハント、そしてジョン・シングローブ。 シングローブの肩書きはアメリカ陸軍の少将だが、OSSやCIAの秘密工作に参加していた人物。WACL(世界反共連盟)の議長を務めたことがある。駐韓米軍の司令官を務めていた際、大統領だったジミー・カーターの政策を批判して解任されている。 アメリカに「言論の自由」があると今でも信じている人がいるようだが、それは幻想に過ぎない。1970年代までは気骨あるジャーナリストが「言論の自由」を支えていたが、巨大資本によるメディア支配が進んだ80年代にそうした人は排除されていった。 ワシントン・ポスト紙の記者として「ウォーターゲート事件」を暴いたカール・バーンスタインはリチャード・ニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。 その記事によると、1977年までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとバーンスタインにCIAの高官は語ったという。また、その当時、ニューズウィーク誌の編集者だったマルコム・ミュアは、責任ある立場にある全記者と緊密な関係をCIAは維持していたと思うと述べたという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) CIAのメディア支配はアメリカ国内に留まらない。例えば、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出版、その中で多くの国のジャーナリストがCIAに買収されていて、そうした工作が危険な状況を作り出していると告発している。 彼によると、CIAに買収されたジャーナリストは人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開し、ロシアとの戦争へと導いて引き返すことのできないところまで来ているとしていた。ウクライナの現状はCIAが作成し、有力メディアが宣伝した通りの展開になっていると言えるだろう。 21世紀に入ってからだけでも、2001年9月11日に起こった出来事、イラク戦争前の大量破壊兵器話、東電福島第一原発の事故に関する話、リビアやシリアへの侵略で流した偽情報、パンデミック話等々、嘘のオンパレードだ。同じことをウクライナでも行っている。
2022.05.28
台湾を中国軍が攻撃したならアメリカは軍事介入するとジョー・バイデン米大統領が発言した翌日、5月24日に中国のH-6K戦略爆撃機はロシアのTu-95MS戦略爆撃機やSu-30SM戦闘機と共同で日本海、東シナ海、西太平洋をパトロール飛行した。バイデン発言に対する中露の回答だと見ることもできる。 アメリカと中国は1972年2月に国交を正常化させた。大統領だったリチャード・ニクソンが中国を訪問して実現したのだが、その際にアメリカ政府は中国を唯一の正当な政府と認め、台湾の独立を支持しないことを表明している。これがアメリカと中国が国交を正常化させる条件だったが、バイデンの発言はこの合意を否定するものだと受け取られた。中国とロシアの共同パトロールは4年連続のことだが、今回のタイミングに意味を感じる人は少なくないだろう。 ニクソン訪中を実現するために裏で中国側と交渉していた人物は国家安全保障補佐官を務めていたヘンリー・キッシンジャー。交渉の過程でキッシンジャーは周恩来に対し、日本の核武装について話したという。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、アメリカと中国が友好関係を結ぶことに同意しないならば、アメリカは日本に核武装を許すと脅したという。(Seymour M. Hersh, “The Price of Power”, Summit Books, 1983) ハーシュによると、キッシンジャーは日本の核武装に前向きだった。彼はスタッフに対し、日本もイスラエルと同じように核武装をすべきだと語っていたという。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991) 実際、日本は核兵器を開発しつつあった。佐藤栄作が総理大臣だった1964年に中国が初めて核実験を実施すると、日本政府の内部で核武装への道を模索する動きが具体的に出始めたのだ。(Seymour M. Hersh, “The Price of Power”, Summit Books, 1983) NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、1965年に訪米した佐藤首相はリンドン・ジョンソン大統領に対し、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えている。こうした日本側の発言に対し、ジョンソン政権は思いとどまるよう伝えたという。 佐藤は1967年に訪米した際、「わが国に対するあらゆる攻撃、核攻撃に対しても日本を守ると言うことを期待したい」と求め、ジョンソン大統領は「私が大統領である限り、我々の約束は守る」と答えたという。(「“核”を求めた日本」NHK、2010年10月3日) アメリカの情報機関からの情報によると、1967年に設立された「動力炉・核燃料開発事業団(動燃)」が日本の核兵器開発の中心的な役割を果たしていると彼らは考え、トラップドア付きのシステムを導入させていたという噂がある。 NHKの番組によると、この時代、日本政府の内部では核武装が議論され、西ドイツ政府に秘密協議を申し入れている。1969年2月に開かれた両国政府の協議へは日本側から外務省の国際資料部長だった鈴木孝、分析課長だった岡崎久彦、そして調査課長だった村田良平が出席した。日独両国はアメリカから自立し、核武装によって超大国への道を歩もうと日本側は主張したのだという。 佐藤政権で核武装を目指し始めたグループは10年から15年の期間で核武装すると想定し、具体的な調査を始める。その中心は内閣調査室の主幹だった志垣民郎。調査項目には核爆弾製造、核分裂性物質製造、ロケット技術開発、誘導装置開発などが含まれ、技術的には容易に実現できるという結論に達している。 原爆の原料として考えられていたプルトニウムは日本原子力発電所の東海発電所で生産することになっていた。志垣らは高純度のプルトニウムを年間100キログラム余りを作れると見積もる。長崎に落とされた原爆を10個は作れる量だ。(「“核”を求めた日本」NHK、2010年10月3日) 核武装については自衛隊も研究していたことが明らかになっている。1969年から71年にかけて海上自衛隊幕僚長を務めた内田一臣は、「個人的に」としているが、核兵器の研究をしていたことを告白しているのだ。実際のところ、個人の意思を超えた動きも自衛隊の内部にあったとされている。(毎日新聞、1994年8月2日) ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、ロナルド・レーガン政権の内部には日本の核兵器開発を後押しする勢力が存在し、東京電力福島第1原子力発電所で炉心が用揺する事故が起こった2011年当時、日本は約70トンの核兵器級プルトニウムを蓄積していたという。(Joseph Trento, “United States Circumvented Laws To Help Japan Accumulate Tons of Plutonium”) そのアメリカの勢力はCIAやNSAも黙らせることができる力があるのだが、レーガン政権の前、ジミー・カーターが大統領の時代には問題が起こっていた。1972年に始められたCRBR(クリンチ・リバー増殖炉)計画が基礎的な部分を除いて中止になったのだ。1981年にロナルド・レーガン政権が始まると計画は復活するが、87年に議会が予算を打ち切った。 そこで高速増殖炉を推進していた勢力が目をつけたのが日本。クリンチ・リバー計画の技術を格安の値段で日本の電力会社へ売ることにする。CIAは日本の核武装を懸念していたものの、国務省やエネルギー省は賛成したという。国防総省もプルトニウムや核に関する技術の日本への移転に強くは反対しなかったという。 その結果、日本から毎年何十人もの科学者たちがクリンチ・リバー計画の関連施設を訪れ、ハンフォードとサバンナ・リバーの施設へ入ることも許された。中でも日本人が最も欲しがった技術はサバンナ・リバーにある高性能プルトニウム分離装置に関するもので、RETFへ送られている。 アメリカのエネルギー省と動燃との間で取り交わした協定によると、核兵器級のプルトニウムが製造されたとしても日本がアメリカの同意なしに核物質を第三国(例えばイスラエル)に輸出しないこと、日本がアメリカの事前承認なしにアメリカの核燃料を再処理してプルトニウムを取り出さないことが保証されていなかったという。(Joseph Trento, “United States Circumvented Laws To Help Japan Accumulate Tons of Plutonium”) 日本の核武装を後押しする勢力が存在したアメリカでは、核兵器が開発された直後から核攻撃の計画が作成されていた。1957年の「ドロップショット作戦」は300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっている。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) 1950年代に沖縄の軍事基地化が進んだのはそのためであり、必然的に核兵器は持ち込まれる。その基地は中国やソ連を攻撃するためのものだからだ。沖縄をアメリカ軍が占領する理由はそこにあり、海兵隊が駐留するのも必然である。 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、アメリカの先制核攻撃は1963年後半に実行されることになっていたが、大きな障害が存在していた。ソ連との平和共存を訴えていたジョン・F・ケネディ大統領だ。そのケネディは1963年11月22日、テキサス州ダラスで暗殺される。それを口実にしてソ連との戦争を始めようという動きがあったが、これは挫折した。それから間もなくして日本は核兵器の開発に向かって歩き始めたわけである。 台湾周辺をはじめユーラシア大陸の東岸で軍事的な緊張が高まる中、日本を見る目が厳しくなるのは当然だろう。「憲法第9条」に関係なく日本は軍事力を増強、「軍国主義の復活」と言われるようになっているのだ。そうした状況を理解している日本人はどの程度いるのだろうか?
2022.05.27
東京琉球館で6月17日午後7時から「思想統制、言論弾圧、死の部隊で反撃を目論むキエフ」というテーマで話します。6月1日午前9時から予約受付けとのことですので興味のある方は事前に下記まで連絡してください。東京琉球館住所:東京都豊島区駒込2-17-8電話:03-5974-1333http://dotouch.cocolog-nifty.com/ ロシア軍がウクライナに対する軍事作戦を2月24日に始めて以来、ネオ・ナチはロシアとの話し合いによる解決を望む人びとを排除してきました。例えば、ロシアと問題を話し合いで解決しようとしていたボロディミル・ストルクは3月1日に誘拐され、拷問された上で射殺されています。3月5日にはロシアと交渉しているチームのひとり、デニス・キリーエフはキエフの路上で治安機関SBU(ウクライナ保安庁)の隊員に射殺されました。3月7日にはゴストメルのユーリ・プライリプコ市長の死体が発見され、ウクライナ全体では11名の市長が行方不明だとも言われています。マリウポリ空港の地下にはSBUの「図書館」と呼ばれる秘密刑務所があり、拷問も行われていたとする証言もあります。 米英の私的権力に操られているウォロディミル・ゼレンスキー大統領がどこまで関与しているか不明ですが、イギリスのボリス・ジョンソン首相が4月9日にキエフを訪問した直後、ロシア政府とウクライナ政府の停戦交渉は止まったようです。アメリカのジョー・バイデン政権と同じように、ジョンソン政権もウクライナでの戦闘を長引かせようとしています。 西側の有力メディアは事実を調べず、ゼレンスキー政権の主張を垂れ流してきました。ロシア軍を悪魔化したハリウッド映画のシナリオを彷彿とさせる話ですが、時を経るにしたがい、荒唐無稽なものになっています。少しでも調べたり考えたりすれば嘘だとわかるような話でも垂れ流してきました。 アメリカ軍の情報機関DIAはロシア軍が長距離ミサイルが攻撃しているターゲットは軍事施設だと説明、住民が狙われているとする話を否定し、またアメリカ政府が宣伝していた生物化学兵器による「偽旗攻撃」について、アメリカ国防総省の高官はロシアによる化学兵器や生物兵器の攻撃が差し迫っていることを示す証拠はないと語っていました。西側ではそうした情報も無視されています。 本ブログでも繰り返し書いてきたように、ネオ・ナチで編成されたアゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)をはじめとする親衛隊に占領されていた地域がロシア軍に解放されて住民が脱出、米英の有力メディアが展開してきた反ロシア宣伝の嘘が明確になってきました。 脱出した住民は異口同音にアゾフ大隊が脱出を試みる住民を射殺していると語っています。それだけでなくネオ・ナチは建物を破壊、住民や捕虜を拷問、若い女性をレイプしているとも告発しているのです。(例えばココやココ) 西側の有力メディアはロシア軍が産婦人科病院を空爆したと宣伝していましたが、破壊された時点で病院はウクライナ側の兵士によって要塞化されていたことを複数の住民は証言、その病院から別の病院へ移動させられた妊婦によると、空爆はなかったということです。 イギリスのBBCは3月17日、ロシア軍が16日にマリウポリの劇場を空爆したと伝えましたが、それを伝えたオリシア・キミアックは広告の専門家。マリウポリから脱出した住民は異口同音に劇場を破壊したのはアゾフ大隊だと語っています。 脱出した住民が増えるにしたがい、ネオ・ナチの残虐行為を住民が非難する映像がインターネット上に増えていますが、その一因は現地で取材していいる記者がいるからです。その中にはフランスの有力メディアTF1やRFIのほか、ロシアやイタリア人の記者もいますが、そうした情報が西側で広く伝えられているとは言えないでしょう。 親衛隊の劣勢に危機感を持ったのか、2013年5月から16年5月までSACEUR(NATO欧州連合軍最高司令官)を務めたフィリップ・ブリードラブ空軍大将は4月7日、核戦争への恐怖がプーチンに対する適切な対応を西側はとれないのだと発言したと伝えられています。 ブリードラブはバイデン政権へウクライナについてアドバイスしている退役軍人のひとり。ネオコン/シオニストと強く結びつき、軍事的な緊張を高めるために偽情報を発信してきました。 こうした実態はウクライナ全域で知られるようになり、反発する住民が増えている可能性があります。ゼレンスキー政権はすでにメディアを統制、反対政党の活動を禁止、有力政治家を拘束していますが、SBUの部隊がロシアを敵視していないと見られる市民を拘束している様子を公表しています。脅しのつもりなのでしょう。 ロシア軍によるマリウポリの制圧が見通されていた4月21日、ウクライナの南部にあるミコライフ州のビタリー・キム知事は「ウクライナ24テレビ」の番組で「全ての裏切り者を処刑する」と語っています。処刑を実行するための秘密部隊を編成、すでに作戦を遂行しているとも語っていました。キムにとって「裏切り者」とはゼレンスキーの政策に同意しない人びとだといいます。 国民に対して恫喝を始めたのは危機感の表れでしょう。そうした状況の中、アントニー・ブリンケン国務長官とロイド・オースチン国防長官は4月24日にキエフを極秘訪問、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領と3時間ほど会談したと伝えられています。 その際、アメリカ側はさらなる軍事面や外交面の支援を約束していますが、25日にオースチン国防長官は支援の目的を「ロシアの弱体化」にあると語りました。ロシアの現体制を転覆させ、ウラジミル・プーチン大統領を排除することが目的だと理解されています。ボリス・エリツィンが米英私的権力の手先として働いていた1990年代のようなロシアを復活さたいということでしょう。 4月29日にはアメリカ国防総省のジョン・カービー報道官が同国はドイツでウクライナ軍の兵士に榴弾砲やレイダーの扱い方を訓練すると発表、30日にはナンシー・ペロシ下院議長に率いられた議員団がウクライナを突如訪問、ゼレンスキー大統領に対してウクライナへの支援継続を誓いました。 そしてアメリカ議会はウクライナに対する400億ドル相当の支援を5月19日に承認、民主党のジョー・マンチン上院議員はスイスのダボスで開かれたWEF(世界経済フォーラム)の年次総会でウクライナがロシアと何らかの和平合意を結ぶことに反対すると表明しています。 それに対し、ヘンリー・キッシンジャーはWEFの総会にオンラインで参加、平和を実現するためにドンバスやクリミアを割譲するべきだと語りました。ロシアの破壊と世界制覇を目指しているネオコンやその背後にいる私的権力は怒っているようですが、キッシンジャーは遅くとも2014年からそう主張しています。ネオコンの攻撃的な政策でロシアと中国の関係を強めていることに危機感を持っているのかもしれません。 キッシンジャーは2014年3月、つまりクーデターの翌月にはロシアとウクライナの歴史的に特殊な関係にあることを理解しなければならないと指摘、オバマ政権が実行した暴力的クーデターを批判しています。 また、ソ連を敵視、「封じ込め政策」を打ち出したアメリカの外交官、ジョージ・ケナンは1998年5月、NATOの東への拡大を懸念する意見を表明しています。リスクが大きいと考えたようです。 その前年、ビル・クリントン大統領は国務長官をクリストファー・ウォーレンからマデリーン・オルブライトへ交代、ユーゴスラビアへの軍事侵攻へ向かい始めています。1999年3月にNATO軍はユーゴスラビアを先制攻撃、破壊と殺戮を展開し、国を解体しました。中期的に見ると、ウクライナにおける戦争はここから始まったと言えるでしょう。 その戦争は1992年2月に国防総省のDPG草案という形で作成された世界制覇プランに基づいて実行されました。そのプランは国防次官だったポール・ウォルフォウィッツを中心に作成されたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれています。 その後、プランの前提が崩れましたが、ネオコンは強引に世界制覇を実現しようとしています。バイデン大統領は今年3月21日、世界が「新秩序」へ移行しつつあり、アメリカはその新秩序を先導すると語りました。そのためにはロシアや中国を屈服させるか破壊するしかないでしょう。そのため、思想統制、言論弾圧、そして死の部隊をアメリカは使っています。そうした戦術を実行する手先の中に有力メディアが含まれていることは間違いありません。こうしたことについて考えてみたいと思います。
2022.05.26
アメリカのロイド・オースチン国防長官は5月13日にロシアのセルゲイ・ショイグ国防大臣に電話し、ウクライナの即時停戦を求めたと伝えられている。両者の会話は2月18日以来だ。 住民を人質にしてマリウポリのアゾフスタル製鉄所に立てこもっていたウクライナ内務省の親衛隊などの兵士が降伏したのは5月16日。ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は「撤退」と強弁しているが、降伏としか言いようがない。人質がいなければ4月中旬には決着がついていたはずだ。 アゾフスタル製鉄所に立てこもっていた配下の戦闘員が降伏することを知ったジョー・バイデン政権がオースチン長官に電話させ、「停戦交渉」を演出して敗北のイメージを弱めたかったのだろう。「お人好し」と揶揄されているウラジミル・プーチン政権だが、さすがにオースチンの要求は呑まなかった。 その前から人質になっていた住民がアゾフスタル製鉄所から脱出。そのひとりであるナタリア・ウスマノバの証言をシュピーゲル誌は3分間の映像付きで5月2日に伝えたが、すぐに削除してしまった。親衛隊の残虐な行為を告発、ロシアへ避難し、戻る場所はドネツクしかないとし、ウクライナを拒否する発言が含まれていたからだ。 シュピーゲル誌はこの映像をロイターから入手したとしているが、ロイターが流した映像は編集で1分間に短縮され、アメリカのジョー・バイデン政権やウクライナのゼレンスキー政権にとって都合の悪い部分が削除されていた。 親衛隊に占領されていた地域から脱出した住民はウスマノバと同じように親衛隊の残虐な行為を非難、ウクライナ軍の兵士も親衛隊を批判していた。こうした事実は本ブログでも繰り返し書いてきた通りだ。 すでに脱出した市民がマリウポリにおけるアゾフ大隊の残虐行為を証言、映像をツイッターに載せていた人もいた。その人のアカウントをツイッターは削除したが、一部の映像はインターネット上にまだ残っている。 その後も脱出した市民の声が伝えられている。現地で取材していいる記者がいるからで、その中にはフランスの有力メディアTF1やRFIのほか、ロシアやイタリア人の記者もいたという。 マリウポリにある産婦人科病院を3月9日に破壊したのはロシア軍だという話を西側の有力メディアは広げていたが、そうした「報道」でアイコン的に使われたマリアナ・ビシェイエルスカヤはその後、報道の裏側について語っている。 彼女は3月6日、市内で最も近代的な産婦人科病院へ入院したが、間もなくウクライナ軍が病院を完全に占拠、患者やスタッフは追い出されてしまう。彼女は近くの小さな産院へ移動した。最初に病院には大きな太陽パネルが設置され、電気を使うことができたので、それが目的だろうと彼女は推測している。 そして9日に大きな爆発が2度あり、爆風で彼女も怪我をした。2度目の爆発があった後、地下室へ避難するが、その時にヘルメットを被った兵士のような人物が近づいてきた。のちにAPの記者だとわかる。そこから記者は彼女に密着して撮影を始めた。彼女は「何が起こったのかわからない」が、「空爆はなかった」と話したという。 病院についてはオンライン新聞の「レンタ・ル」もマリウポリから脱出した別の人物から同じ証言を得ている。その記事が掲載されたのは現地時間で3月8日午前0時1分。マリウポリからの避難民を取材したのだが、その避難民によると、2月28日に制服を着た兵士が問題の産婦人科病院へやってきて、全ての鍵を閉め、病院のスタッフを追い払って銃撃ポイントを作ったとしている。 マリウポリを含むウクライナの東部と南部はロシアだった地域で、ロシア語を話す住民が多い。必然的にロシアに親近感を抱いている。アゾフ大隊は住民にとって占領軍にほかならないが、勿論、西側の政府や有力メディアはそうしたことに触れない。 2010年の大統領選挙で勝利したビクトル・ヤヌコビッチをアメリカのバラク・オバマ政権は2014年2月、ネオ・ナチを使ったクーデターで排除した。このクーデターはウクライナからロシア色を一掃することが目的で、東部や南部に住むロシア語系住民の排除も狙っていた。かつてシオニストがパレスチナで行ったようなことだ。 キエフでネオ・ナチが行っている残虐行為を知ったクリミアの住民は3月16日の住民投票を経てロシアと統合する道を選ぶ。80%を超える住民が投票に参加して95%以上が加盟に賛成したのだ。 それに対し、4月12日にCIA長官だったジョン・ブレナンがキエフを極秘訪問、22日には副大統領のジョー・バイデンもキエフを訪問。そして5月2日、クーデター軍が制圧していたオデッサでは反クーデター派の住民が労働組合会館の中でネオ・ナチの右派セクターによって虐殺されたのだ。 5月9日にはクーデター軍がドネツクのマリウポリへ戦車部隊を突入させ、住民を殺している。デレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りした6月2日にキエフ政権はルガンスクの住宅街を空爆している。 クリミアより遅れたが、ドンバス(ドネツクやルガンスク)でも自治(ドネツク)や独立(ルガンスク)の是非を問う住民投票が5月11日に実施されている。クーデター政権がオデッサで住民を虐殺したり、マリウポリへ戦車部隊を突入させたのは住民の動きを潰すためだろう。 オバマ政権を後ろ盾とするクーデター政権の妨害にもかかわらずドンバスでは投票が実施され、ドンバスでは89%が賛成(投票率75%)、ルガンスクでは96%が賛成(投票率75%)している。 クーデター政権や西側は当然、無視するが、ロシア政府も住民の意思を尊重せず、救いの手を差し伸べなかった。そしてドンバスの住民とキエフのクーデター体制との間で戦争が始まった。ロシアが出てこなかったことからネオコンなどアメリカの好戦派は増長することになる。 オバマ政権はクーデター体制をテコ入れするためにCIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込み、傭兵会社「アカデミー(旧社名はブラックウォーター)」の戦闘員約400名をウクライナ東部の制圧作戦に参加させたと伝えられた。またCIAは2015年からウクライナの特殊部隊員をアメリカ南部で訓練しているという。 ル・フィガロ紙の特派員、ジョージ・マルブルノはウクライナでの取材を終えて帰国した後、アメリカ陸軍のデルタ・フォース(第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊)やイギリス陸軍のSAS(特殊空挺部隊)が戦闘に参加している事実を伝えている。 オデッサの虐殺で中心的な役割を果たした「右派セクター」は2013年11月まで「三叉戟」と呼ばれていた。その時の指導者はドミトロ・ヤロシュとアンドリー・ビレツキー。ヤロシュは現在、ウクライナの軍事や治安に関する事実上のトップだ。 ヤロシュは1971年生まれで、89年にネオ・ナチと見られるグループで活動を開始、94年に「三叉戟」を創設、指導者になる。ウクライナの治安機関SBU(ウクライナ保安庁)の長官を2006年から10年までと14年から15年まで務めたバレンティン・ナリバイチェンコにも若い頃からつながっていた。ナリバイチェンコはクーデターの前からCIAに協力していた人物と言われている。 ヤロシュはドロボビチ教育大学の学生になるが、その時に学んだワシル・イワニシン教授はKUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)の指導者グループに属していた。KUNはステパン・バンデラ派のOUN-B人脈によって組織された。 イワニシンが2007年に死亡するとヤロシュが後継者になる。このタイミングでヤロシュはNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われている。その年の5月にウクライナのテルノポリで開かれた欧州のネオ・ナチや中東の反ロシア・ジハード主義者を統合するための会議で議長を務めた。その当時アメリカのNATO大使を務めていた人物がクーデターを指揮することになるビクトリア・ヌランドだ。 クーデター後の2014年3月、ヤロシュは声明を発表、その中でチェチェンやシリアでロシアと戦ったサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)などイスラム系の武装集団への支援を表明している。 サラフィ主義者やムスリム同胞団はアメリカやイギリスが傭兵として使ってきた集団で、ネオ・ナチと立場は同じであり、今後、共同して破壊活動を続ける可能性がある。
2022.05.25
来日したジョー・バイデン米大統領は5月23日に岸田文雄首相と会談し、台湾を中国軍が攻撃した場合には軍事介入すると発言した。アメリカの大統領だったリチャード・ニクソンが1972年2月に中国を訪問、両国の国交を正常化した。その際にアメリカ政府は中国を唯一の正当な政府と認め、台湾の独立を支持しないことを表明している。 バイデン大統領の発言はこの合意を否定するものだと受け取られ、中国政府が反発しただけでなく、アメリカ政府も軌道修正を図った。アメリカの対中国政策に変化はないと発表したのだ。バイデン大統領の周辺にはロシアや中国に対して好戦的な集団が存在しているが、それに抑制しようとしている勢力も存在しているのだろう。 第2次世界大戦後、ハリー・トルーマン政権は中国に国民党政権を樹立する予定で、支援していた。東ヨーロッパをソ連が占領することを認めるという条件でヨシフ・スターリンも蒋介石体制を容認していたと言われている。 トルーマン政権は蒋介石に対して20億ドルを提供、軍事顧問団を派遣していた。1946年夏の戦力を比較すると国民党軍は200万人の正規軍を含め総兵力は430万人。それに対し、紅軍(コミュニスト)は120万人強にすぎず、装備は日本軍から奪った旧式のものだった。 国民党の勝利は明らかなように見えたが、1947年の夏になると農民の支持を背景として人民解放軍(47年3月に改称)が反攻を開始。その段階の兵力は国民党軍365万人、人民解放軍280万人。1948年の後半になると人民解放軍が国民党軍を圧倒するようになり、49年1月に解放軍は北京に無血入城、コミュニストの指導部も北京入りし、5月には上海を支配下に置いた。 その上海にはアメリカで極秘裏に創設された破壊工作機関OPCが拠点を置いていたが、国民党の敗北が明確になると拠点を日本へ移動、その中心は厚木基地だったと言われている。 OPCの後ろ盾は巨大金融資本、いわゆるウォール街で、1950年10月にCIAへ潜り込み、破壊工作部門の中核になる。その年の終わりまでにOPC/CIAは日本で1000人以上を工作員として訓練したという。(Richard J. Aldrich, “The Hidden Hand”, John Murray, 2001) 日本は中国を攻撃するための兵站基地になることが見通されたが、運送手段がストライキなどで止まると戦争はできない。ところが当時、日本では労働運動が盛り上がっていた。 陸上の運送は国鉄が中心になるが、そこの労働組合は強力。その組合を潰す必要がある。そうした中、引き起こされたのが国鉄を舞台とする怪事件だ。1949年7月5日から6日にかけての下山事件、7月15日の三鷹事件、そして8月17日の松川事件である。国鉄の労働組合は壊滅的なダメージを受けた。 日本から大陸へ物資を運ぶのは船。アメリカ政府としては、日本の港でストライキが起こることも防がなければならない。そして1952年に創設されたのが「港湾荷役協議会」だ。会長に就任したのは山口組の田岡一雄組長。その後、山口組が神戸港の荷役を管理することになり、東の重要港である横浜港を担当することになったのが藤木企業の藤木幸太郎だ。 その間、1950年6月22日に日本で興味深い夕食会がニューズウィークの東京支局長だったコンプトン・パケナムの自宅で開かれた。参加したのはアメリカ側からはジョン・フォスター・ダレス、国務省東北アジア課長ジョン・アリソン、ニューズウィーク誌の外信部長だったハリー・カーン、そしてパケナム。 日本から出席したのは大蔵省の渡辺武、宮内省の松平康昌、国家地方警察企画課長の海原治、外務省の沢田廉三。渡辺は元子爵で後に駐米公使になり、松平は元侯爵で三井本家家長の義兄に当たる宮内省の人間。松平康荘の子どもだが、康昌が生まれる前に康荘は慶民を養子にしている。この慶民は初代宮内府長官。また沢田廉三は外交官で、結婚した相手は三菱合資の社長だった岩崎久弥の娘、つまり岩崎弥太郎の孫で孤児院のエリザベス・サンダースホームの創設者として有名な美喜。海原治は国家地方警察企画課長で、国家警察予備隊、後の自衛隊を創設する際に中心的な役割を果たすことになる。 夕食会の3日後に朝鮮戦争が勃発、その翌日にはダレスに対して天皇からメッセージが口頭で伝えられている。伝えたのはパケナム。軍国主義的な経歴を持つ「多くの見識ある日本人」に会い、「そのような日本人による何らかの形態の諮問会議が設置されるべき」だという内容だった。(豊下楢彦著『安保条約の成立』岩波新書、1996年) 中国で人民解放軍の勝利が決定的になった直後、OPCは中国共産党の幹部を建国の式典で皆殺しにし、偽装帰順させていた部隊を一斉放棄させるという計画を立てていた。その計画が発覚、朝鮮戦争が始まる。 朝鮮戦争は泥沼化、1953年7月に休戦協定が成立するが、その2カ月前にベトナムではアメリカの支援を受けていたフランス軍がディエンビエンフーで北ベトナム軍に包囲され、翌年の5月に降伏している。 フランスが降伏する4カ月前、1954年1月にジョン・フォスター・ダレス国務長官がベトナムでのゲリラ戦を準備するように提案。その年の夏、ダレス国務長官の弟であるアレン・ダレスが長官だったCIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成、破壊活動を開始。その延長線上にアメリカのベトナム戦争はある。 朝鮮戦争もベトナム戦争も背景には対中国戦争があるのだが、ニクソン政権は方針を転換して中国との国交を回復、米中とソ連の戦いという構図を作った。この段階でベトナム戦争を継続する意味はなくなったと言えるだろう。 ニクソンは中国訪問の最終日に上海で共同コミュニケを発表、それに基づいてアメリカと中国は関係を築いてきたのだが、バイデンはその取り決めを壊すかのような発言をした。 その見方が正しいなら、アメリカは中国と戦争をするということになる。すでにアメリカが戦争を始めている相手のロシアと中国は「戦略的同盟関係」にあるわけで、アメリカはロシアと中国の連合軍と戦わなければならない。アメリカに従うのはイギリス、オーストラリア、日本くらいだろう。 バイデン政権では国務省やCIAが戦争に前向き。フィリップ・ブリードラブ元SACEUR(NATO欧州連合軍最高司令官)も核戦争への恐怖がウラジミル・プーチン露大統領に対する適切な対応を西側にとらせないと主張しているが、マーク・ミリー統合参謀本部議長はウェスト・ポイント(陸軍士官学校)の卒業式でロシアと中国を相手にする可能性に言及した。バイデン政権の言動は米中との戦争を引き起こすと警告したのかもしれない。
2022.05.24
ジョー・バイデン米大統領が5月22日にエアフォース・ワン(大統領専用機)で在日アメリカ軍の司令部がある横田基地へ到着した。23日には岸田文雄首相と会談し、台湾を中国軍が攻撃した場合には軍事介入すると発言。24日には日米とオーストラリア、インドの4カ国でつくる「Quad(クアッド)」首脳会議に出席する。 ヨーロッパからの移民が先住の「アメリカ・インディアン」を大量殺戮して作られた国がアメリカである。最近は「先住民」と単純に呼ぶ人が多いようだが、この用語は一般的な名称で、「前に住んでいた人」を意味するだけ。アメリカにおける虐殺の歴史は消えている。 1492年にクリストバル・コロン(コロンブス)がバハマ諸島に到着、1620年にはイギリスから「ピルグリム・ファザーズ」と呼ばれるピューリタンの集団がプリマスへ到着した。その3年前、1617年にイギリス人が持ち込んだペスト菌で大陸東岸に住んでいた少なからぬ先住民が死亡している。ピューリタンが本格的な移民を始めるのは1630年だ。 天然痘も使われた。天然痘の患者が使い、汚染された毛布などを贈るという手法をイギリス軍は使っていたとされている。19世紀になっても続けられていたという。銃弾や爆弾だけでなく、病原体を彼らは使う。 1617年にマサチューセッツ湾へ到達したジョン・ウィンスロップは自分たちを「神から選ばれた民」だと主張、神との契約に基づいてマサチューセッツ植民地を建設すると語っている。この感覚はその後も生き続け、アメリカ軍を「神の軍隊」だと考える人が1960年代にもいた。 ところが、ベトナム戦争でアメリカ軍は勝てない。「神の軍隊」が勝てないことに不満を募らせた人びとの目の前に現れたのがイスラエル軍だった。1967年6月の「第3次中東戦争」でエジプトやシリアの軍隊に圧勝、新たな「神の軍隊」になる。この後、キリスト教系カルトがイスラエルを支持するようになり、ネオコンが勢力を拡大させる一因になった。 そのイスラエルは1948年5月に建国が宣言されているが、そこには先住のアラブ系住民(パレスチナ人)が生活していた。1936年4月にパレスチナ人は独立を求めてイギリスに対する抵抗運動を開始するが鎮圧され、共同体は政治的にも軍事的にも破壊された。その際、パレスチナ人と戦った勢力には2万5000名から5万名のイギリス兵、2万人のユダヤ人警察官、そして1万5000名のハガナ(シオニストの武装集団)などが含まれている。後にハガナが中核となり、イスラエル軍が編成された。 アラブ系住民をパレスチナから消し去るため、シオニストは1948年4月4日に「ダーレット作戦」を発動された。この作戦は1936年から39年にかけて行われたイギリスによるパレスチナ人を殲滅する作戦の詰めの作業だったという見方もある。 4月6日未明にハガナの副官、イェシュルン・シフがエルサレムでIZL(イルグン・ツバイ・レウミ)のモルデチャイ・ラーナンとレヒ(スターン・ギャング)のヨシュア・ゼイトラーに会い、ハガナのカステル攻撃に協力できるかと打診。ハガナより過激な両武装集団は協力することになる。 IZLとレヒはデイル・ヤシンという村を襲撃するが、この村が選ばれた理由はエルサレムに近いことに加え、攻撃しやすかったからだ。村の住民は石切で生活し、男が仕事で村にいない時を狙って攻撃するプランだった。早朝ということで、残された女性や子どもは眠っている。 9日午前4時半にIZLとレヒはデイル・ヤシンを襲撃。マシンガンの銃撃を合図に攻撃は開始され、家から出てきた住民は壁の前に立たされて銃殺された。家の中に隠れていると惨殺、女性は殺される前にレイプされている。 襲撃の直後に村へ入った国際赤十字のジャック・ド・レイニエールによると、254名が殺され、そのうち145名が女性で、そのうち35名は妊婦。イギリスの高等弁務官、アラン・カニンガムはパレスチナに駐留していたイギリス軍のゴードン・マクミラン司令官に殺戮を止めさせるように命じたが、拒否されている。ハガナもイルグンとスターン・ギャングを武装解除しようとはしなかった。(Alan Hart, “Zionism Volume One”, World Focus Publishing, 2005) この虐殺を見て多くのアラブ系住民は恐怖のために逃げ出し、約140万人いたパレスチナ人のうち5月だけで42万3000人がガザ地区やトランスヨルダン(現在のヨルダン)に移住、その後、1年間で難民は71万から73万人に達したと見られている。イスラエルとされた地域にとどまったパレスチナ人は11万2000人にすぎない。同じ戦術をアメリカは2014年からウクライナでも実行しつつあった。 1948年5月14日にイスラエルの建国が宣言されたが、国際連合は同年12月11日に難民の帰還を認めた194号決議を採択。この決議は現在に至るまで実現されていない。気に入らないと「制裁」を連発するアメリカはイスラエルの擁護者だ。 パレスチナに「ユダヤ人の国」を建設する第一歩はイギリスの外相だったアーサー・バルフォアが1917年にウォルター・ロスチャイルドへ出した書簡だが、建国の大きな目的のひとつはスエズ運河の安定的な支配だったと考えられている。運河によって地中海と紅海を艦船が行き来できることはイギリスの戦略上、重要だった。 この運河によってイギリスが南コーカサスや中央アジアで19世紀に始めた「グレート・ゲーム」は進化してユーラシア大陸の沿岸部を支配して内陸部を締め上げ、最終的にはロシアを制圧する長期戦略が作られた。この戦略を進化させ、理論化したのがイギリスの地理学者、ハルフォード・マッキンダーである。 大陸を締め上げる三日月帯の西端がイギリス、東端が日本だ。その途中、インドは東インド会社の時代から植民地で、中国(清)へはアヘンを密輸出、戦争に発展して勝利している。その帯の上にイギリスはサウジアラビアとイスラエルを「建国」させたわけだ。この戦略の中でイギリスは日本でクーデターを実行させ、明治体制(天皇制官僚国家)を作り上げる。 その一方、アメリカは1776年に独立を宣言、その後もアメリカ・インディアンを虐殺しながら支配地域を東から西へ拡大させ、1845年には太平洋岸に到達した。 1846年にアメリカはメキシコと戦争をはじめ、テキサス、ニュー・メキシコ、カリフォルニアを制圧。フロンティアの消滅が宣言された1890年にはサウスダコタのウンデッド・ニー・クリークにいたスー族を騎兵隊が襲撃し、150名から300名を虐殺している。 ウイリアム・マッキンリーが大統領に就任した翌年、1898年にアメリカの中南米侵略を本格化させる引き金になった事件が起こる。キューバのハバナ港に停泊していたアメリカの軍艦メインが爆沈したのだ。アメリカはスペインが爆破したと主張、宣戦布告して米西戦争が始まる。マッキンリーは戦争を回避しようとしていたが、海軍次官補だったシオドア・ルーズベルトが独断で戦争へとアメリカを引きずっていった。 この戦争に勝利したアメリカはスペインにキューバの独立を認めさせ、プエルトリコ、グアム、フィリピンを買収することになる。ハワイも支配下におく。フィリピンは中国へ乗り込む橋頭堡としての役割を果たすことになった。その際、アメリカ軍がフィリピンで行った先住民の虐殺は悪名高い。 米西戦争を主導したシオドア・ルーズベルトは1880年にハーバード大学を卒業しているが、その2年前に同大学のロースクールで法律を学んでいた日本人がいる。そのひとりが金子堅太郎。そうしたこともあり、1890年にセオドアの自宅でふたりは会ったという。セオドアは1901年、大統領に就任する。 アングロ・サクソン系のイギリスとアメリカはスラブ系のロシアを敵視、そのロシアを押さえ込むために日本を利用しようとした。日露戦争の後、セオドアは日本が自分たちのために戦ったと書いている。こうした事情を理解していた金子はシカゴやニューヨークで、アンゴロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦ったと説明していた。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015) 明治体制は琉球併合、台湾派兵、江華島事件、日清戦争、日露戦争へと突き進むが、これはイギリスやアメリカの戦略と合致している。ユーラシア大陸東岸にアメリカが最初に築いた侵略拠点はフィリピンだが、日本列島はそれに次いで古い。 マッキンダーの戦略をアメリカ支配層は第2次世界大戦後も踏襲し、ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」はマッキンダーの理論を基盤にしたが、今も基本的に変化していない。 アメリカ海軍は2018年5月、「太平洋軍」という名称を「インド・太平洋軍」へ変更した。太平洋からインド洋にかけての海域を一体のものとして扱うことを明確にしたのだが、これもマッキンダーの戦略に沿っている。 日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点にし、インドネシアが領海域をつなぐとされたが、インドがロシアとの関係を強化し、インドネシアもアメリカと距離を置き始めている。 中曽根康弘は総理大臣に就任して間もない1983年1月にアメリカを訪問、ワシントン・ポスト紙のインタビューで日本列島を「巨大空母」と表現した。続けて「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべき」であり、「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語る。「不沈空母」を誤訳とする人がいたが、おそらく、イスラエルがそうした表現を使っていたからで、「巨大空母」と本質的な違いはない。 その巨大空母から沖縄(琉球)、台湾という軍事ラインを今もアメリカは戦略的に使っている。韓国は大陸侵攻の橋頭堡だ。南シナ海の支配ではフィリピンの役割が重要になる。 アメリカは東アジアにおける軍事同盟として「クワド」を組織した。アメリカのほか、オーストラリア、インド、そして日本で構成されているが、インドはアメリカ離れしつつある。 そこで新たに作り上げたのがアメリカ、オーストラリア、そしてイギリスをメンバー国とする「AUKUS」だ。アメリカとイギリスの技術でオーストラリアは原子力潜水艦を建造するという。 南シナ海は中国が進めている一帯一路(BRI/帯路構想)のうち「海のシルクロード」の東端。ここからマラッカ海峡を通過、インド洋、アラビア海を経由してアフリカやヨーロッパへつながっている。安倍晋三は首相だった2015年6月、赤坂にある赤坂飯店で開かれた懇親会で「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」と口にしたというが、その発言の背景はこうしたアメリカ側の戦略がある。 海上自衛隊は「ヘリコプター搭載護衛艦」の「いずも」を2010年に発注、15年に就役させている。この艦船は艦首から艦尾まで平らな「全通甲板」を有して多数のヘリコプターを運用でき、艦砲、対艦ミサイル、対空ミサイルを持っていない。いずれも外観はアメリカ海軍の強襲揚陸艦「アメリカ」を連想させる。MV22オスプレイやF-35Bの購入などともリンクしている。「いずも」に続いて「かが」も就航した。こうした艦船の建設は安倍晋三の発言と結びついている。 アングロ・サクソンの世界制覇プランは第2次世界大戦後、「冷戦」という形で均衡が保たれていたが、1991年12月のソ連消滅で均衡が崩れる。ネオコンなどアメリカの好戦派は自国が「唯一の超大国」になったと認識、好き勝手にできる時代になったと考えた。 ところが日本の細川護熙政権は国連中心主義から離れない。そこでマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベルを説得して国防次官補だったジョセイフ・ナイに接触、ナイは1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表している。キャンベルは現在、NSC(国家安全保障会議)でアジア地域の責任者だ。 そうした中、日本では衝撃的な出来事が立て続けに引き起こされた。1995年には3月の地下鉄サリン事件、その直後に警察庁長官だった國松孝次が狙撃され、8月にはアメリカ軍の準機関紙であるスターズ・アンド・ストライプ紙に日本航空123便に関する記事が掲載されている。その記事の中で自衛隊の責任が示唆されていた。それ以降、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていく。 アメリカではビル・クリントン政権で国務長官がウォーレン・クリストファーからマデリーン・オルブライトへ交代した1997年に1月から戦争へと向かい始める。 1998年4月にアメリカ上院はソ連との約束を無視してNATOの拡大を承認、その年の秋にオルブライト国務長官はユーゴスラビア空爆を支持すると表明、99年3月にアメリカ/NATO軍はユーゴスラビアを先制攻撃。その際にスロボダン・ミロシェヴィッチ大統領の自宅を破壊し、中国大使館を爆撃している。 バラク・オバマ政権が2013年11月から14年2月にかけてウクライナで実行したクーデターはその延長線上にあり、現在の戦乱はその続きにすぎない。1992年から30年間、西側で「戦争反対」の声はか細かった。反戦運動やリベラル派は消えたという声もしばしば聞いた。 もっとも、戦争に反対する人は少数派である。ベトナム戦争でも戦争に反対する人が増えるのは終盤になってからだった。そこで1967年4月4日にニューヨークのリバーサイド教会で「ベトナムを憂慮する牧師と信徒」が集会を開いたのである。 その主催者は「沈黙が背信である時が来ている」と訴えているが、その訴えにキング牧師は賛意を示し、「なぜ私はベトナムにおける戦争に反対するのか」と話している。 ロン・ポール元下院議員によると、キング牧師の顧問たちはベトナム戦争に反対するとリンドン・ジョンソン大統領との関係が悪化すると懸念、牧師に対してベトナム戦争に焦点を当てないよう懇願していたという。それが「リベラル派」の実態だった。そうしたアドバイスを牧師は無視、発言のちょうど1年後に暗殺された。 人種差別も侵略戦争も根源は同じ。つまり資本を握る富豪が大多数の労働者を支配する仕組みそのものを問題にしなければならない。支配者は逆に、人びとの目をそうした問題からそらさせる必要がある。「労働者階級」を「白人下層中産階級」と呼ぶようになったとニューヨーク誌が指摘したのは1969年4月14日号だ。「労働者」というタグで白人と黒人が結びつくことを恐れたのかもしれない。 ベトナムへの本格的な軍事作戦をジョンソン政権が始めたのは1964年のことだが、軍事介入を正当化するために言われた口実は嘘だった。7月30日に南ベトナムの哨戒魚雷艇が北ベトナムの島、ホンメとホンニュを攻撃、31日にはアメリカ海軍の特殊部隊SEALsの隊員に率いられた20名ほどの南ベトナム兵がハイフォンに近いホンメ島のレーダー施設を襲撃。この襲撃に対する報復として、北ベトナムは8月2日、近くで情報収集活動をしていたアメリカ海軍のマドックスを攻撃したと言われている。 しかし、リンドン・ジョンソン大統領は議会幹部に対し、公海上にいたアメリカの艦船が北ベトナムの攻撃を受けたと説明、8月7日にアメリカ議会は「東南アジアにおける行動に関する議会決議(トンキン湾決議)」を可決した。この決議を受けて1965年2月から北ベトナムに対する本格的な空爆、ローリング・サンダー作戦が始まる。 ベトナム戦争後、「反戦運動」は衰退し、アメリカの侵略戦争を正当化するために「良い戦争」というタグも使われるようになった。アメリカの好戦派が1990年代に侵略戦争を始めた時に「反戦」、あるいは「平和」の声を多くの人があげていれば、その後の世界は今と違うものになっていただろう。現在、バイデンを含む西側の好戦派はロシアと中国を核戦争で脅してるが、この脅しは機能しない。
2022.05.24
イギリスのサジド・ジャビド保健大臣は「サル痘」対策として、天然痘ワクチンのストックを増やすと発表、アメリカのBARDA(生物医学先端研究開発局)は1億1900万ドル相当の天然痘ワクチンを購入する契約を結んだという。新たなパンデミック騒動を考えているのかもしれない。 この稀な病気の患者を発見したとイギリスの健康安全保障庁が発表したのは5月7日だが、そのタイミングに疑惑を感じる人が少なくない。 パンデミックなど危機的な状況になった場合、WHO(世界保健機関)に対して全ての加盟国に政策を強制できる権限を欧米の私的権力は与えたがっていて、「パンデミック条約」を締結しようとしている。ロックダウンのほか、デジタル・パスポートの導入、ワクチンの強制接種、旅行規制、治療法の制限などが強制されるようになり、国の主権や人権が剥奪されると懸念されている。私的権力が世界を直接統治する「超ファシズム体制」の樹立だ。 現在、条約締結に向かって手続きが進められているが、5月22日からスイスのジュネーブで開催される「第75回世界保健総会(WHA)」でもその条約について話し合われるという。 このWHAと同時にWEF(世界経済フォーラム)はスイスのダボスで会議を開く。このフォーラムを創設したクラウス・シュワブは2020年6月、COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)を利用して「資本主義の大々的なリセット」を実現すると主張した人物で、2016年1月にはスイスのテレビ番組でマイクロチップ化されたデジタル・パスポートについて話している。 このWEFは1971年、32歳だったシュワブがスイスで創設した。この人物の家はナチ協力者として知られ、彼自身はスイスにおけるカトリック神学の中心地であるフリブール大学で経済学の博士号を、またチューリッヒ工科大学でエンジニアリングの博士号をそれぞれ取得。その後にハーバード大学へ留学し、そこでヘンリー・キッシンジャーから学んでいる。 1991年12月にソ連が消滅、ネオコンをはじめとして少なからぬ人びとはアメリカが「唯一の超大国」になったと信じた。「新しいアメリカの世紀」が始まったと考えた人もいる。 1992年2月にアメリカの国防総省はDPG草案という形で世界制覇プランを作成。ディック・チェイニー国防長官の下で次官だったポール・ウォルフォウィッツが中心になって書き上げたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 その1992年からWEFは「新しいアメリカの世紀」を率いる「世界の若手指導者」を選び、教育を始める。その年に選ばれた約200名の中にはドイツ首相になるアンゲラ・メルケル、フランス大統領になるニコラス・サルコジ、そしてビル・ゲーツ、ボノ、バージン・グループを創設したリチャード・ブランソン、ロイヤル・ダッチ・シェルの会長を務めたヨルマ・オリラも含まれていた。 その後のメンバーも「出世」した人は多い。例えば、カナダのジャスティン・トルドー首相、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相、ベルギーのアレクサンダー・ド・クロー首相、ベネズエラでアメリカの手先として活動しているフアン・グアイド、フィンランドのサンナ・マリン首相、アマゾンのジェフ・ベゾス、アリババの馬雲(ジャック・マ)、グーグルを創設したラリー・ページ、ウィキペディアを創設したジミー・ウェールズ、フェイスブックを創設したマーク・ザッカーバーグ、チェルシー・クリントン、イバンカ・トランプ、小泉進次郎なども含まれている。 シュワブは2016年1月、スイスのテレビ番組でマイクロチップ化されたデジタル・パスポートについて話している。最初は服に取りつけ、次に皮膚や脳へ埋め込み、最終的には脳へ埋め込む。 そのチップによって感情の起伏を調べ、記憶に関わる信号を捕捉し、記憶を促進、さらに外部から記憶を管理できるようになるとも見通されている。量子コンピュータが実用化されたなら、人間の「端末化」、あるいは「ロボット化」だ。デジタル技術とバイオ技術を融合させようとしている。ファイザーのアルバート・ブーラCEOによると、薬が胃の中に入ると「関連当局」無線で信号を送る小さなチップが開発されているようだ。支配者は人びとの行動や思考だけでなく、体の状態も監視しようとしている。 こうした監視システムだけでなく、欧米の私的権力は国の主権や人びとの基本的権利を奪おうとしている。WHOがその手先になることは間違いない。そうした権力をWHOに与えるためのパンデミック条約だ。 その条約に関する話し合いのタイミングで出てきたのがサル痘だが、昨年3月にNTI(核脅威イニシアティブ)とミュンヘン安全保障会議はサル痘のパンデミックが起こるというシミュレーションを行い、その年の11月に報告書が発表された。CNNを創設し、人口削減を主張しているテッド・ターナーらによって2001年にNTIは作られている。 その報告書によると、「ブリニア」なる国で2022年5月15日に感染は始まり、23年12月1日には2億7100万人が死亡することになっているが、実際にイギリスでサル痘の患者が発見されたとされているのは5月7日。これを「偶然」と考える人もいるだろうが、「やりすぎ」と考える人もいるだろう。報告書が出た昨年11月、ビル・ゲーツは将来のパンデミックや天然痘を使った攻撃について語っていた。
2022.05.23
住民を人質にしてマリウポリのアゾフスタル製鉄所に立てこもっていたウクライナ内務省の親衛隊などの兵士2400名以上が降伏したと伝えられている。重要文書の処分など降伏するための準備が終わったのかもしれない。親衛隊の主力はマリウポリを拠点にしてきたアゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)。ネオ・ナチを中心に編成された武装集団だ。 本ブログでも書いてきたが、ロシア軍はマリウポリを4月中旬に事実上、制圧していた。マリウポリを含むウクライナの東部と南部は元々ロシアだった地域で、ロシア語を話す住民が多い。必然的にロシアに親近感を抱いている。アゾフ大隊は住民にとって占領軍だ。 ウクライナ軍や親衛隊の降伏は軍事的に大きな意味があるが、住民が外部と接触できるようになった意味も小さくない。すでに脱出した市民がマリウポリにおけるアゾフ大隊の残虐行為を証言、映像をツイッターに載せていた人もいた。その人のアカウントをツイッターは削除したが、一部の映像はインターネット上にまだ残っている。 その後も脱出した市民の声が伝えられている。現地で取材していいる記者がいるからで、その中にはフランスの有力メディアTF1やRFIのほか、ロシアやイタリア人の記者もいたという。 マリウポリにある産婦人科病院を3月9日に破壊したのはロシア軍だという話を西側の有力メディアは広げていたが、そうした「報道」でアイコン的に使われたマリアナ・ビシェイエルスカヤはその後、報道の裏側について語っている。 彼女は3月6日、市内で最も近代的な産婦人科病院へ入院したが、間もなくウクライナ軍が病院を完全に占拠、患者やスタッフは追い出されてしまう。彼女は近くの小さな産院へ移動した。最初に病院には大きな太陽パネルが設置され、電気を使うことができたので、それが目的だろうと彼女は推測している。 そして9日に大きな爆発が2度あり、爆風で彼女も怪我をした。2度目の爆発があった後、地下室へ避難するが、その時にヘルメットを被った兵士のような人物が近づいてきた。のちにAPの記者だとわかる。そこから記者は彼女に密着して撮影を始めた。彼女は「何が起こったのかわからない」が、「空爆はなかった」と話したという。 病院についてはオンライン新聞の「レンタ・ル」もマリウポリから脱出した別の人物から同じ証言を得ている。その記事が掲載されたのは現地時間で3月8日午前0時1分。マリウポリからの避難民を取材したのだが、その避難民によると、2月28日に制服を着た兵士が問題の産婦人科病院へやってきて、全ての鍵を閉め、病院のスタッフを追い払って銃撃ポイントを作ったとしている。 イギリスのBBCは3月17日、ロシア軍が16日にマリウポリの劇場を空爆したと伝えたが、それを伝えたオリシア・キミアックは広告の専門家だ。マリウポリから脱出した住民はカメラの前で、劇場を破壊したのはアゾフ大隊だと語っている。 アゾフスタル製鉄所から脱出したナタリア・ウスマノバの証言をシュピーゲル誌は3分間の映像付きで5月2日に伝えたが、すぐに削除してしまった。親衛隊の残虐な行為を告発、ロシアへ避難し、戻る場所はドネツクしかないとし、ウクライナを拒否する発言が含まれていたからだ。 シュピーゲル誌はこの映像をロイターから入手したとしているが、ロイターが流した映像は編集で1分間に短縮され、アメリカのジョー・バイデン政権やウクライナのゼレンスキー政権にとって都合の悪い部分が削除されていた。 親衛隊に占領されていた地域から脱出した住民はウスマノバと同じように親衛隊の残虐な行為を非難、ウクライナ軍の兵士も親衛隊を批判していた。こうした証言を西側の有力メディアは隠していたのだが、別のルートで外部へ流れ出ている。 西側の有力メディアは偽情報を広めてきたわけだが、勿論、訂正も謝罪もしない。自分たちが支援しているネオ・ナチの戦闘員が行ってきたことをロシア兵が行ったことにして宣伝している。その情報源はウクライナ政府、あるいはロシア軍が攻撃を始めた直後に市を脱出した市長。いわば「大本営発表」を行っているわけだ。事実が漏れ出てきたため、偽情報を圧倒的な音量で発信して対抗しているようにも思える。 ロシア政府は証拠、証言を提示し、論理的に反論しているが、プロパガンダの世界では効果が期待できない。論理ではなく信仰が支配しているからだ。 ウクライナでの戦争はバラク・オバマ政権が2014年2月にネオ・ナチを使ったクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除したところから始まるのだが、そのことすら理解していない、いや理解しようとしない。自分たちが信じるシナリオに反しているからだろう。そうしたシナリオは時間を経るに従って荒唐無稽になっているが、それでも状況に変化はない。 ウクライナ情勢だとしてハリウッド的な話を西側の政府や有力メディアは流しているが、その裏では広告会社がプロパガンダ戦を展開している。この戦いに参加している会社の数は150社以上だともいう。 クーデター軍は2014年5月9日にマリウポリへ戦車部隊を突入させて住民を殺しはじめ、6月2日にキエフ政権はルガンスクの住宅街を空爆している。そこがヤヌコビッチの地盤だったからだ。その日、デレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りしていた。OSCE(欧州安保協力機構)も空爆があったことを認めている。それ以降、マリウポリはネオ・ナチに占領されることになった。 プロパガンダの世界では事実が尊重されない。支配層、つまり私的権力は自分たちにとって都合良く書き上げられたシナリオを発信、受け手もそのシナリオを喜ぶ。日本人にとってそのシナリオが「なりゆくいきほい」であり、それには逆らわない。逆らわないために考えない。 1940年代の後半、アメリカのコロラド州に首を切り落とされた後も生きていた鶏がいたという。「首無し鶏のマイク」だ。日本だけでなく欧米の少なからぬ人びとがそうした状態になっている。
2022.05.22
アメリカのFDA(食品医薬品局)とCDC(疾病予防管理センター)が共同で運用しているVAERS(ワクチン有害事象報告システム)への自主的な報告によると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」による死亡者数は5月13日現在、前の週より173名増えて2万78141名に達した。 一般的にVAERSに報告される副作用の件数は全体の1%にすぎないと言われているので、これを適用すると「COVID-19ワクチン」による死者は300万人近いということになる。 安全性を調べる正規の手続きを経ずに「COVID-19ワクチン」は接種されているが、それを正当化するために「パンデミック」なる用語が使われている。 この用語は昔から使われてきたが、その内容は大きく変化している。2009年1月から10年8月にかけての時期に「新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)」が流行したが、その直前に「病気の重大さ」、つまり死者数がという条件が定義から削られたのだ。この変更があったので、COVID-19のケースでWHO(世界保健機関)はパンデミックを宣言することはできなかった。 COVID-19で「死亡者」や「感染者」が水増しされていることは本ブログでも繰り返し指摘してきた。少なくとも当初、PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査の陽性者を「感染者」と見なしていたが、この技術を開発したキャリー・マリスも行っていたが、これは分析が目的で、病気の診断に使うべきではない。 PCRは特定の遺伝子型を試験管の中で増幅する技術で、増幅できる遺伝子の長さはウイルス全体の数百分の1程度。増幅の回数(Ct値)を増やしていけば医学的に意味のないほど微量の遺伝子が存在しても陽性になる。 また、Ct値を増やしていくと偽陽性の確立が増えていく。ある研究によると、偽陽性を排除するためにはCt値を17以下にしなければならず、35を超すと偽陽性の比率は97%になってしまう。 現在の定義では恣意的に「パンデミック」を宣言できるのだが、パンデミックなど危機的な状況下ではWHOが全ての加盟国にロックダウンなどの政策を強制できるようにする「パンデミック条約」を締結しようとする動きある。デジタル・パスポートの導入、ワクチンの強制接種、旅行規制、治療法の制限なども懸念されている。国の主権や人権が剥奪されるということだ。 パンデミック騒動が始まる直前、「デジタル・パスポート」の導入を欧州委員会はEU市民向けの「ワクチン・カード/パスポート」を2022年に実現することにしていた。 この「パスポート」は世界の人びとを管理することが目的だが、その背後には。2015年9月に国連で採択された「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」がある。 「SDGs(持続可能な開発目標)」を実現するため、個人を特定するためのシステムに記録されていない人びとを管理する必要があるとされ、デジタルIDの導入が進められることになったのだ。2016年5月には国連本部でどのように導入を進めるかが話し合われ、「ID2020」というNGOが設立されている。 この「パスポート」はマイクロチップ化されて体内に埋め込まれることになり、最終的には脳へ埋め込まれるともされている。その段階に到達したなら、記憶に関わる信号を捕捉し、記憶を促進、さらに外部から記憶を管理できるようになるとも見通されている。量子コンピュータが実用化されたなら、人間の「端末化」、あるいは「ロボット化」だ。 5月22日からWHOは「第75回世界保健総会(WHA)」をスイスのジュネーブで開催するのだが、そこで条約について話し合われるという。欧米の私的権力は自分たちが世界を直接統治する「超ファシズム体制」を築こうとしている。 このWHAと同時にWEF(世界経済フォーラム)がスイスのダボスで会議を開く。このフォーラムを創設したクラウス・シュワブは2020年6月、COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)を利用して「資本主義の大々的なリセット」を実現すると主張した人物で、2016年1月にはスイスのテレビ番組でマイクロチップ化されたデジタル・パスポートについて話している。
2022.05.21
フィンランドとスウェーデンがNATOへ加盟する意思を示す中、エストニアでNATO軍が軍事演習「ヘッジホッグ22」を始めた。14カ国から1万5000人が参加、フィンランド、スウェーデン、ジョージア、そしてウクライナも参加するという。5月16日にはアメリカ海軍の第6艦隊に所属する水陸両用作戦部隊の第61任務部隊/第2海兵師団も合流したようだ。 また、5月1日から27日にかけ、ポーランドを含む9カ国の地域で軍事演習「ディフェンダー・ヨーロッパ2022」と「シフト・リスポンス2022」を実施、20カ国から1万8000人が参加しているようだ。 2013年5月から16年5月までSACEUR(NATO欧州連合軍最高司令官)を務め、ネオコン/シオニストと強く結びついているフィリップ・ブリードラブ米空軍大将の発言を「ラジオ・フリー・ヨーロッパ/ラジオ・リバティー」は4月7日に掲載した。 その中でブリードラブは核戦争への恐怖によって西側はウラジミル・プーチンに対する適切な対応をとれないのだと主張している。つまり、「ロシアとの核戦争を恐るな」ということであり、核戦争で脅せばロシアは屈服すると考えているのだろう。 フィンランドとスウェーデンをNATOへ加盟させる大きな意味は少なくともふたつある。ひとつはロシア西部への圧力であり、もうひとつは北極海だ。北極周辺の海水温が上昇したことにともなって氷の厚さが減り、アメリカがコントロールできない新たな航路が北極海に出現したのだ。 昨年1月5日にロシアのLNG運搬船「クリストフ・ドマルジェリー」が北極海に面し、ヤマルLNG出荷基地であるサベッタ港を出発、約11日半でベーリング海峡のドジェネフ岬に着き、そこから中国の江蘇省へ向かった。江蘇省に到着したのは26日。その翌日に運搬船は中国を離れている。 航海日数が大幅に短縮されるだけでなく、海賊頻発地帯であるソマリア沿岸やマラッカ海峡を通過する必要がないことも大きなメリット。アメリカに輸送を暴力的に妨害されている中国やロシアの場合、その利益は日本以上だろう。 サベッタ港からドジェネフ岬と逆方向へ向かえばヨーロッパであり、ウクライナの存在感はさらに薄まる。アメリカの私的権力としては、ビジネス面でも、地政学的な側面でも北極海航路を容認できないはずだ。そうした意味でもウクライナでの戦乱は願ってもないことだろう。フィンランドやスウェーデンをNATOへ加盟させる意味はここにもある。 ウクライナでの戦乱は19世紀から続くアングロ・サクソンの長期戦略がベースにあるが、直接的には2013年11月から14年2月にかけてアメリカのバラク・オバマ政権がネオ・ナチを使って実行したクーデターから始まる。2月24日のロシア軍によるウクライナ攻撃は「遅すぎた反撃」だと考える人もいる。
2022.05.21
人びとが自分自身の感覚で認識できる出来事は限られています。その範囲外で起こっている出来事は何らかの媒体を通じて知るしかありません。新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、インターネットなどがそうした媒体ですが、大きなメディアは営利企業で、広告という形で大企業の影響を受けています。この広告とも関係しますが、トラブルを避けるために権力の意向に沿う「報道」をしているようです。 日本のマスコミはアメリカの有力メディアから大きな影響を受けていますが、そのアメリカのメディアは9割程度が6つのグループに支配されています。COMCAST(NBCなど)、FOXコーポレーション(FOXグループなど)、ウォルト・ディズニー(ABCなど)、VIACOM(MTVなど)、AT&T(CNN、TIME、ワーナー・ブラザーズなど)、CBSです。西側の有力メディアはさまざまな形で欧米、特にアメリカを拠点とする私的権力の影響下にあると言えるでしょう。 そうした私的権力は自分たちの支配下にある有力メディアを使って人びとを操ってきました。いわば「マトリックス戦術」です。幻影を見せられているとも言えるでしょう。その幻影は他人を地獄へ突き落とすだけでなく、自分たちを破滅へと導きます。 そうしたメディアは欧米の私的権力にとって都合の悪い話を伝えようとしません。3月5日にはロシアと交渉しているチームのひとり、デニス・キリーエフがキエフの路上で治安機関SBUの隊員に射殺され、3月7日には殺されたゴストメルのユーリ・プライリプコ市長の死体が発見されていますが、きちんと報道したでしょうか?ウクライナでは11名の市長が行方不明だとも言われていますが、その問題を取材したでしょうか? ウクライナ内務省の親衛隊が支配していた地域から脱出した市民の証言も伝えていません。例えばマリウポリのアゾフスタル製鉄所から住民が脱出たナタリア・ウスマノバの証言をシュピーゲル誌は3分間の映像付きで5月2日に伝えましたが、すぐに削除してしています。その中で親衛隊の残虐さを明らかにし、ロシアへ避難したいと訴えていました。ロイターは欧米の私的権力にとって都合の悪い部分を削除、ロシアを批判しているような印象を人びとが持つように編集したものを流していました。脱出できた市民は異口同音に親衛隊の残虐さとロシア軍への感謝を口にしています。 ロシア軍が回収したウクライナ側の文書の中に含まれていた生物兵器の研究開発に関する資料についてロシアのイゴール・キリロフ中将を中心とするチームが分析し、その結果を資料付きで発表していますが、事実上、無視されています。アメリカの上院外交委員会でビクトリア・ヌランド国務次官もウクライナの施設で兵器クラスの危険な病原体を扱っていたことを認めていますが、これも問題にされていません。 ウクライナ国内では政府、つまりNATOを後ろ盾とするネオ・ナチに反発する市民が増えているようで、ウクラナイ政府は「国賊狩り」を強化、ミコライフ州のビタリー・キム知事は「ウクライナ24テレビ」の番組で、「全ての裏切り者を処刑する」と語っています。 欧米支配層による情報操作に気づく人が増えているように思えますが、それに対抗してアメリカ政府は国土安全保障省の内部に「偽情報管理会議」を創設すると発表しています。政府や私的権力の嘘を暴く情報を検閲することが目的でしょう。 アメリカの私的権力は言論を封殺しつつありますが、これは昔からの話です。ワシントン・ポスト紙の記者として「ウォーターゲート事件」を暴いたカール・バーンスタインによりますと、1977年までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとバーンスタインにCIAの高官は語ったそうです。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) デボラ・デイビスが書いた『キャサリン・ザ・グレート』もCIAによるメディア支配の一端を明らかにしています。彼女によると、第2次世界大戦が終わって間もない1948年頃に「モッキンバード」と呼ばれる情報操作プロジェクトをCIAはスタートさせています。(Deborah Davis, “Katharine the Great,” Harcourt Brace Jovanovich, 1979) CIAのメディア支配はアメリカに留まりません。例えばフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテはウクライナでクーデターがあった2014年2月に出版した本でCIAとメディアとの関係を明らかにしています。 彼によりますと、CIAに買収されたジャーナリストは人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開し、ロシアとの戦争へと導いて引き返すことのできないところまで来ているとしていました。ウクライナで戦争を引き起こす上で西側の有力メディアが果たした役割は小さくないと言えるでしょう。 日本は1904年から05年にかけて帝政ロシアと戦いました。日露戦争です。勝利したことになっていますが、講和の段階で戦争を継続する余力はなく、帝政ロシアを侵略しようとしていたアメリカ政府が仲介して形式的に勝っただけでした。 しかし、新聞の扇情的な報道を真に受けて大勝した気分になっていた人びとは講和内容に不満を持ちます。条約が締結された当日、日比谷公園で開催された国民大会に参加した人たちは内相官邸、警察署、交番などを焼き討ちして戒厳令が敷かれるという事態に発展しました。この頃からマスコミは何も変わっていないようです。 偽情報で人びとを操っている私的権力に対抗することは容易でありませんが、負けるわけにはいきません。今、私たちは人類の将来を決める岐路に立っているのです。厳しい状況にありますが、カンパ/寄付をよろしくお願い申し上げます。櫻井 春彦振込先巣鴨信用金庫店番号:002(大塚支店)預金種目:普通口座番号:0002105口座名:櫻井春彦
2022.05.20
イギリス健康安全保障庁(UKHSA)は5月7日、「サル痘」の感染者を発見したと発表した。最近、ナイジェリアを旅行した人物だという。17日の報道によると感染者は7名に増え、スペインやポルトガルでも患者が発見されたとされている。 サル痘は1958年、ポリオ・ワクチンの製造過程で発見された。このワクチンはジョナス・ソークが1950年代に開発したが、その後、さまざまな問題を引き起こしている。 まず、そのワクチンを投与したサルがポリオを発症することにバーニス・エディという研究者は気づいて警告したが、その警告は無視されて多くの被害者が出ることになった。 次にアルバート・サビンが「安全なワクチン」を開発したのだが、製造に使われた猿の腎臓には人間を癌にするウイルスが存在、ワクチンに癌を誘発するウイルスが混入することになったとも言われている。 アメリカでは1970年代の終盤から皮膚癌、リンパ腫、前立腺癌、乳癌が増え始め、1980年代の半ばから増加の割合が高くなり、この傾向は1987年まで続いた。その原因は1950年代にアメリカで使われたポリオ・ワクチンにあると推測する学者もいる。 猿の腎臓にエイズの原因になる病原体が含まれていたとする説も存在する。アメリカでエイズが社会的問題になるのは1980年代に入って間もない頃。そうした中、1984年に免疫学者のアンソニー・ファウチがNIAID(国立アレルギー感染症研究所)の所長に就任した。その時の部下のひとりがHIVで有名になったロバート・ギャロ。 HIVの出現を予告したと思えるような発言が1969年にあった。伝染病からの感染を防ぐための免疫や治療のプロセスが対応困難な病原体が5年から10年の間、つまり1974年から79年の間に出現すると1969年6月に国防総省国防研究技術局のドナルド・マッカーサー副局長が議会で語っている。HIVの存在が公的に認められたのは1981年のことだ。 このウイルスの発見を巡り、ギャロはパスツール研究所のリュック・モンタニエと対立する。そして1983年、モンタニエのチームが患者の血液からレトロウイルスを発見、LAVと命名した。その翌年にファウチはNIAIDの所長に就任、モンタニエは2008年にノーベル生理学医学賞を受賞する。 そのモンタニエはSARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)について、HIVやマラリア原虫の遺伝子情報の一部が入り込んでいる疑いがあると指摘した。HIV対策のワクチンを開発中に事故で外部へ漏れた可能性を考えているようだ。なお、モンタニエは今年2月、89歳で死亡した。 SARS-CoV-2とHIVとの関係を疑う論文が2020年1月に発表されている。インド人研究者によるものだが、激しい批判を受け、後に撤回された。 サル痘の患者発見がパンデミック宣言につながるとは思えないが、現在、パンデミックなど危機的な状況下ではWHO(世界保健機関)に絶対的な権力を与える条約を締結しようという動きがある。加盟国にロックダウンやワクチン接種を強制、デジタル・パスポートの携帯も義務付けられるようにしようというのだ。現在の定義では恣意的にパンデミックの宣言をすることが可能であり、そうした命令を恣意的に出せるということになる。 そうした体制を築くため、今年1月下旬にWHOは緊急会議をジュネーブで開いた。次の会合は6月中旬に予定されている。2024年5月のWHO年次総会で条約に調印することが目標だという。 この条約によって強大な権力を握ることになるWHOは私的権力の道具にすぎない。2018年から19年にかけてのWHOに対する上位寄付者を見ると、第1位はアメリカ、第2位はビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団、第3位はイギリス、そして第4位はGavi。このGaviはワクチンを推進するため、2000年にWEF(世界経済フォーラム)の年次総会で設立された団体であり、活動資金はWHO、UNICEF(国連児童基金)、世界銀行、ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団などから得ている。
2022.05.19
ウクライナを舞台にした戦争は「アメリカ後」の世界をどのようにするかをめぐる対立によって始められたと言えるだろう。時間を2月24日で断ち切っては歴史を理解できない。ロシア軍が戦っている相手はアメリカやイギリスの金融資本に操られた武装集団である。 この戦闘で名前が出てくるのはアメリカ場合、情報機関のCIAと特殊部隊のデルタ・フォース、またイギリスは情報機関のMI6と特殊部隊のSAS、ポーランドも蠢いている。個人的には2013年5月から16年5月までSACEUR(NATO欧州連合軍最高司令官)を務め、ネオコン/シオニストと強く結びついているフィリップ・ブリードラブ米空軍大将だ。統合参謀本部は積極的でない。 そうした中、フィンランドとスウェーデンがNATOへ加盟しようとしているが、トルコが難色を示している。フィンランドとスウェーデンがDHKP/C(革命的人民解放戦線とPKK(クルディスタン労働者党)を受け入れていることをレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は、少なくとも表向き、問題にしている。 アメリカのジョー・バイデン政権にとって頭の痛い問題はイスラエルが自分たち側につかないことだろう。ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー政権はイスラエルのナフタリ・ベネット政権を懐柔して立場を変えさせ、ロシアと敵対させようとしているが、成功していない。ゼレンスキー側が求めているウクライナへの武器供給を拒否、ミサイルやミサイル迎撃システムも供給していない。 ゼレンスキー政権はイスラエルを新しいウクライナのモデルにしたと言っているともいう。ロシア語系住民をパレスチナ人化したいのかもしれないが、こうした話でイスラエルのベネットが揺らいでもいない。 バイデン政権はロシアに対する「制裁」だとしてヨーロッパがロシアの天然ガスを買うなと圧力を加えている。EUの執行機関である欧州委員会はアメリカ政府の意向通りに動いているが、国レベルでは足並みが揃っていない。アメリカの命令に従うと生活が維持できないほか、生産活動が麻痺して経済が破綻することは間違いない。アメリカの金融資本にとってはビジネス・チャンスだろうが、ヨーロッパの企業にとっては受け入れられないはずだ。 アゼルバイジャンのバクーにある天然ガス田からジョージアやトルコを経由してヨーロッパへパイプラインで運ぶ、あるいはイスラエルからキプロス、クレタ、ギリシャを経由して運ぶというプランもある。 USGS(アメリカ地質調査所)の推計によると、地中海の東側、エジプトからギリシャにかけての海域には9兆8000億立方メートルの天然ガスと34億バーレルの原油が眠っている。イスラエルがガザへの攻撃を強めた一因はここにある。この天然ガス田に深く関わっているノーブル・エナジーのロビイストのひとりがビル・クリントン元大統領だった。 バラク・オバマ政権が「アラブの春」を仕掛けた理由はリビアが主導してアフリカの共通通貨を作り、ドルやフランによる支配から脱し、自立しようとしたことにあると言われているが、地中海東部の天然ガスも理由のひとつだったかもしれない。 ロシアからEU諸国へ天然ガスを運ぶパイプラインの多くはウクライナを通過している。そのパイプラインを断ち切ればEUがロシアと友好的な関係を結ぶことを阻止できるとオバマ政権は考えていただろう。オバマ政権の副大統領がバイデンだ。 そのバイデン政権を世界は冷たい目で見ている。アジア、ラテン・アメリカ、アフリカなどから富を奪うことで物質的に豊かな生活を送ってきた日米欧がバイデンの周りに集まっているだけだ。 アメリカが求心力をなくした理由のひとつはロシアが復活したことにあるだろうが、アメリカが衰退しつつあることもある。基軸通貨のドルを発行する特権を利用して世界に君臨してきたアメリカだが、ドル体制が崩れ始めているのだ。 こうしたことは世界の支配層も認識、2013年7月から20年3月までイングランド銀行の総裁を務めたマーク・カーニーは総裁時代の19年8月にドル体制の終焉とデジタル通貨の導入について語っている。 ドル体制の崩壊はアメリカを中心とする支配システムが崩れることを意味するのだが、次に時代にも支配者として君臨しようとしている欧米の私的権力は手を打ってきた。1980年に中国を抱き込むことに成功、91年12月にはソ連を崩壊させた。そこからネオコンは新体制の建設に着手している。 そのビジョンが1992年2月に作成されたアメリカ国防総省のDPG草案だ。国防長官だったディック・チェイニーの下、国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツが中心になって作られた世界制覇プランである。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だが、ロシアが再独立したことでプランが予定通りに進んでいない。 バイデン政権にとって、ウクライナでの戦争はロシアを破壊してアメリカが世界を制覇するというプランを実現するために重大な意味を持っている。
2022.05.19
第2次世界大戦後、世界の少なからぬ国はアメリカに従属した。その支配システムを支えてきたドル体制が揺らいでいる。2013年7月から20年3月までイングランド銀行の総裁を務めたマーク・カーニーもドル体制は終わると考え、各中央銀行が管理するデジタル通貨のネットワークを作ろうと語っている。 彼ら西側の私的権力は新通貨システムを基盤にして自分たちの新しい時代を築こうとしているが、そうした計画を実現する上で障害となる国が存在する。中国とロシアだが、いずれの国も一度は欧米の私的権力に屈服していた。 中国の場合、1980年9月にミルトン・フリードマンが訪問した後に新自由主義を導入。1991年12月のソ連消滅でロシアは欧米資本の属国になったものの、21世紀に入ってウラジミル・プーチンが登場すると再独立、中国は2013年11月から14年2月にかけてのウクライナにおけるクーデター以降、アメリカを警戒してロシアと「戦略的同盟関係」を結んだ。そこでアメリカの私的権力はロシアと中国、両方を相手にせざるをえなくなり、台湾周辺での軍事的緊張の高まり、ウクライナでの戦争につながった。 ヘンリー・キッシンジャーなど前の世代の人びとはロシアと中国を分断させることに心を砕いていたが、ジェラルド・フォード大統領の時代に台頭したネオコンは強引で、ウクライナではネオ・ナチを使ったクーデターを実行、結果としてロシアと中国を結びつけてしまう。 その失敗を取り戻そうとネオコンは必死で、ネオコンに担がれているジョー・バイデンは大統領に就任して早々、ロシアに対する軍事的な挑発を始め、ルビコンを渡った。つまり回帰不能点を超えた。勝利できなければ破滅してしまう。 ウクライナの治安機関でCIAの下部機関でもあるSBU(ウクライナ保安庁)は反クーデター派を誘拐したり、拷問したり、暗殺してきたが、元SBU将校のバシリー・プロゾロフによると、SBUには「死の部隊」がある。 SBUのターゲットのひとりはルガンスクのクーデター政権が支配している地域の市長で、ロシア話し合いでの解決を目指していたボロディミル・ストルク。3月1日に誘拐され、拷問された上で胸を撃たれて死亡した。 また、3月5日にはロシアと交渉しているチームのひとり、デニス・キリーエフがキエフの路上で治安機関SBUの隊員に射殺されている。3月7日には殺されたゴストメルのユーリ・プライリプコ市長のしたいが発見された。ウクライナでは11名の市長が行方不明だとも言われていた。 そして4月21日、ウクライナの南部にあるミコライフ州のビタリー・キム知事は「ウクライナ24テレビ」の番組で「全ての裏切り者を処刑する」と語った。そうした処刑を実行するための秘密部隊を編成、すでに作戦を遂行しているともいう。キムにとって「裏切り者」とはウォロディミル・ゼレンスキーの政策に同意しない人びとだという。 こうした治安対策はアメリカの手先になっている軍事政権や占領軍がやること。ゼレンスキー政権はウクライナ国民を信頼できなくなっているのだろう。 バイデン政権は傭兵や高性能兵器をウクライナへ送り込んでいるだけでなく、CIAのエージェントやデルタ・フォースの隊員を戦闘に参加させているようだ。またイギリスはMI6のエージェントはSASの隊員を送り込んでいるという。すでに米英とロシアがウクライナで軍事衝突しているということだ。 軍事力を前面に出すと核戦争になるが、2013年5月から16年5月までSACEUR(NATO欧州連合軍最高司令官)を務め、ネオコン/シオニストと強く結びついているフィリップ・ブリードラブ大将に場合、核戦争への恐怖がプーチンに対する適切な対応を西側はとれないのだと主張している。 米英両国はロシアを破壊するつもりであり、これができないなら人類の破滅も辞さない覚悟だ。話し合いで「軟着陸」など期待できない。ロシア政府はアメリカが始めた経済戦争を利用して勝利するつもりのようだ。戦いが長くなればなるほど欧米は苦しくなる。アメリカの民主党は中間選挙で負けるわけにもいかない。今年中に勝負をかけてくる可能性がある。
2022.05.18
ウクライナ東部にあるドネツク州のマリウポリをロシア軍は4月中旬に事実上、制圧していた。親衛隊の主力でネオ・ナチを中心に編成されているアゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)がマリウポリを拠点にしていたが、この地域を含むウクライナの東部と南部は歴史的な経緯からロシア語を話す住民が多く、ロシアに親近感を抱いている。アゾフ大隊は住民にとって占領軍だ。アゾフ大隊を中心とする武装集団が住民を人質にして立てこもった場所に手を出せなかっただけである。 2014年2月にクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ大統領は排除されたが、このヤヌコビッチの支持基盤がマリウポリを含む東部と南部の地域だった。 クーデター軍がマリウポリへ戦車部隊を突入させたのは2014年5月9日のこと。住民を殺しはじめ、6月2日にキエフ政権はルガンスクの住宅街を空爆している。その日、デレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りしていた。OSCE(欧州安保協力機構)も空爆があったことを認めている。 4月21日、ウクライナの南部にあるミコライフ州のビタリー・キム知事は「ウクライナ24テレビ」の番組で「全ての裏切り者を処刑する」と語り、住民を脅していたが、この発言はマリウポリでの戦況と無縁ではないだろう。 その時、キム知事は処刑を目的とする秘密部隊を編成し、すでに作戦を遂行しているとも主張していた。キムにとって「裏切り者」とはウォロディミル・ゼレンスキーの政策に同意しない人びとだという。ゼレンスキー政権やその黒幕は住民の反乱を恐れたのだろう。 アメリカ下院のナンシー・ペロシ議長に率いられた下院議員団が4月30日にウクライナを突如訪問、ゼレンスキー大統領に対してウクライナへの支援継続を誓ったが、これもゼレンスキーが動揺しないようにということだろう。 マリウポリなどネオ・ナチに占領されていた地域がロシア軍に解放されて住民が脱出し、実態を証言している。西側の政府や有力メディアにとって好ましくない話だ。 親衛隊などが住民を人質にして立てこもっていたマリウポリのアゾフスタル製鉄所からも住民が脱出、そのひとりであるナタリア・ウスマノバの証言をシュピーゲル誌は3分間の映像付きで5月2日に伝えたが、すぐに削除してしまった。親衛隊の残虐な行為を告発、ロシアへ避難し、戻る場所はドネツクしかないとし、ウクライナを拒否する発言が含まれていたからだ。 シュピーゲル誌はこの映像をロイターから入手したとしているが、ロイターが流した映像は編集で1分間に短縮され、アメリカのジョー・バイデン政権やウクライナのゼレンスキー政権にとって都合の悪い部分が削除されていた。 ウスマノバの前にも親衛隊に占領されていた地域から脱出した住民は少なくないが、いずれもウスマノバと同じように親衛隊の残虐な行為を批判していた。ウクライナ軍の兵士も親衛隊を批判していた。こうした証言を西側の有力メディアは隠していたのだが、別のルートで外部へ流れ出ている。
2022.05.17
アメリカのジョー・バイデン政権やイギリスのボリス・ジョンソン政権はウクライナでの戦闘を長引かせようとしている。4月9日にジョンソン英首相がキエフを訪れた直後、ロシア政府とウクライナ政府の停戦交渉が止まり、ウォロディミル・ゼレンスキー政権が好戦的になったのはそのためだろう。 アメリカ政府がウクライナで戦争を始めたのは2013年11月のことだが、その前に1990年代から始まった旧ソ連圏の制圧作戦があった。その作戦の背景には19世紀から続くイギリス支配層の長期戦略がある。 ソ連消滅後、ロシアは弱体化したこともあって自重していた。それを見てネオコンをはじめとするアメリカの好戦派はつけ上がり、世界各地を侵略、今、その矛先をロシアや中国に向けている。アメリカに対して厳しく対応しなかったロシアを批判する人がアメリカにいるのはそのためだ。 イギリスの支配層がロシアの制圧を目指して南コーカサスや中央アジア戦争を始めたのは19世紀のこと。いわゆる「グレート・ゲーム」だ。これを進化させ、理論化したのがイギリスの地理学者、ハルフォード・マッキンダー。ユーラシア大陸の周辺部を海軍力で支配し、内陸部を締め上げるという戦略だ。 これをアメリカの支配層は踏襲、ロシアを中心として作られたソ連がターゲットになる。ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」はその理論が基盤になっている。ブレジンスキーはジミー・カーター大統領の国家安全保障補佐官を務めていたが、次のロナルド・レーガン政権も引き継ぐ。 レーガンは大統領に就任した翌年の6月、ローマ教皇庁の図書館でヨハネ・パウロ2世とふたりで会い、ポーランドや東ヨーロッパについて話し合った。そしてソ連の解体を早める秘密キャンペーンを実行することで合意する。その目的を「神聖ローマ帝国」の復興と表現する人もいた。(Carl Bernstein, “The Holy Alliance,” TIME, Feb. 24, 1992) そして1984年、ユーゴスラビアを経済的に破綻させる目的でレーガン大統領はNSDD133に署名した。しかも西側支配層にとって都合の良いことに、ソ連では1985年に西側を信仰しているミハイル・ゴルバチョフが最高指導者に就任した。 1986年2月にはフィリピンのフェルディナンド・マルコスをアメリカ軍が拉致して国外へ連れ出した。その黒幕はポール・ウォルフォウィッツだと言われている。この作戦はマルコスがコントロールしていた財宝が関係していると言われている。 フィリピンでマルコスが実権を握れたのは資金力があったからだが、その資金は日本軍が隠した財宝の一部を掘り出すことで手に入れたと言われている。マルコスはイメルダ・ロムアルデスと結婚したが、この女性を紹介したアメリカ軍の情報将校は財宝に関する詳しい情報を持っていたというのだ。その将校の上官だったエドワード・ランズデールは後にCIAの幹部として様々な秘密工作を指揮、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺でも名前が出てきた。 レーガン政権で副大統領だったジョージ・H・W・ブッシュは1989年に大統領となり、ソ連を破壊することでマーガレット・サッチャー英首相と合意する。そのソ連の大統領だったゴルバチョフを91年7月にロンドンで開催されたG7首脳会談に招待、そこで新自由主義の導入を求めた。 しかし、ゴルバチョフはその要求を拒否。同年8月に「クーデター未遂」があり、それが切っ掛けになって実権を失う。そして西側支配層の操り人形だったボリス・エリツィンが実権を握り、ソ連を解体へと導くことになった。エリツィンは12月にベラルーシのベロベーシで勝手にソ連の解体を決めたのだ。 こうした動きはソ連国民の意思を反映したものではなかった。例えば1991年3月にロシアと8つの共和国で行われた国民投票では、76.4%がソ連の存続を望んでいた。国民投票が実施された共和国の人口はソ連全体の93%で、ソ連全体の意思だと思って構わないだろう。(Stephen F. Cohen, “Soviet Fates and Lost Alternatives,” Columbia University Press, 2009) ゴルバチョフがソ連の最高指導者になる頃までにCIAのOBグループはKGB中枢の腐敗グループを仲間に引き込んでいたとされている。KGBグループには1982年から88にかけてKGB議長を務めたビクトル・チェブリコフ、KGBの頭脳と呼ばれたフィリップ・ボブコフなどが含まれていたという。 KGBの幹部はCIAのOBグループに買収されたわけだが、その買収資金としてマルコスが管理していた財宝が使われたと言われている。そしてソ連を破壊することに成功したのだが、このクーデターは「ハンマー作戦」と名付けられている。 クーデターが最終段階に入った頃、ゴスバンク(旧ソ連の国立中央銀行)に保管されていた金塊2000トンから3000トンが400トンに減っているという報告が頭取から議会にあった。残りは行方不明だという。 ソ連の消滅を受け、ディック・チェイニー国防長官やポール・ウォルフォウィッツ国防次官を含むネオコンはアメリカが「唯一の超大国」になったと認識、どのようなことでも好き勝手にできる時代になったと信じた。そうした単独行動主義を危険だと考えてネオコンと対立したジョージ・H・W・ブッシュ大統領は再選されず、1993年1月からビル・クリントンが大統領になる。 クリントン大統領はスキャンダル攻勢で苦しんだが、ユーゴスラビアへの軍事侵攻に消極的だった。その流れが大きく変化したのは国務長官がウォーレン・クリストファーからマデリーン・オルブライトへ交代した1997年に1月からだ。 1998年4月にアメリカ上院はソ連との約束を無視してNATOの拡大を承認、その年の秋にオルブライト国務長官はユーゴスラビア空爆を支持すると表明、99年3月にアメリカ/NATO軍はユーゴスラビアを先制攻撃。その際にスロボダン・ミロシェヴィッチ大統領の自宅を破壊し、中国大使館を爆撃している。この時からNATOは旧ソ連圏を侵食していった。そしてアメリカとイギリスはウクライナを支配地にしようとしている。それが不可能ならウクライナを「石器時代」にしようとするだろう・・・リビアのように。
2022.05.17
フィンランド政府は5月15日、NATO(北大西洋条約機構)へ加盟する意向であることを正式に表明した。NATO加盟国であるトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はDHKP/C(革命的人民解放戦線とPKK(クルディスタン労働者党)を受け入れているフィンランドとスウェーデンがNATOに加盟することに反対しているが、ロシアに圧力を加えたいアメリカは両国の加盟を後押ししている。 ウクライナで戦争が行われている原因はアメリカやイギリスが2014年2月のクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を暴力的に倒し、ウクライナをEU、そしてNATOへ強引に引き込もうとしたからである。ドイツが1941年6月に始めた「バルバロッサ作戦」をロシア人に思い起こさせる行為だったはずだ。 この作戦でドイツ軍は310万人を投入、西側には約90万人だけを残すだけだった。非常識と言わざるをえないが、これはアドルフ・ヒトラーの命令で実行された。ドイツ軍は7月にレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達。10月の段階でドイツだけでなくイギリスもモスクワの陥落は近いと考えていたが、年明け直後にドイツ軍はモスクワで敗北してしまう。この戦いが大きな節目になったようだ。ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入するものの、ここでもソ連軍に敗北して1943年1月に降伏。この段階でドイツの敗北は決定的だった。このバルバロッサ作戦にフィンランドはドイツ側について戦っている。 1991年にソ連が消滅して以降、NATOは東へ支配地を拡大させてきた。すでにバルバロッサ作戦を始める直前の状態になっている。ウクライナのNATO加盟をロシアが認めないのはそのためだ。すでにアメリカやイギリスは時間をかけたバルバロッサ作戦を行っているとも言える。しかもウクライナでロシア軍と戦っている戦闘集団はNATOに訓練されたネオ・ナチだ。 NATOは1949年4月に創設された。その時の参加国はアメリカとカナダの北米2カ国に加え、イギリス、フランス、イタリア、ポルトガル、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、ベルギー、オランダ、そしてルクセンブルクの欧州10カ国。 1991年12月にソ連が消滅してから加盟国が増え、つまり東への侵攻が始まった。今ではアルバニア、ベルギー、ブルガリア、カナダ、クロアチア、チェコ、デンマーク、エストニア、フランス、ドイツ、ギリシャ、ハンガリー、アイスランド、イタリア、ラトビア、リトアニア、ルクセンブルク、モンテネグロ、オランダ、北マケドニア、ノルウェー、ポーランド、ポルトガル、ルーマニア、スロバキア、スロベニア、スペイン、トルコ、イギリス、そしてアメリカの30カ国。少なからぬ旧ソ連圏の国が加盟しているが、ウクライナが持つ意味は全く別だ。 本ブログでは繰り返し書いてきたように、ナチスの背後にはイギリスやアメリカの巨大金融資本が存在、その実働部隊として情報機関が活動していた。そのナチスがソ連を崩壊させられずに敗北、慌てたイギリスやアメリカはすぐに善後策を協議して軍にシチリア島上陸作戦を実行させた。1943年7月のことである。 それと並行してナチスの幹部はアレン・ダレスたちと接触し始める。サンライズ作戦だ。その後、アメリカの軍や情報機関はナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、そして雇用する。ラットライン、ブラッドストーン作戦、ペーパークリップ作戦などだ。 ドイツが降伏した直後、イギリスの首相だったウィンストン・チャーチルはソ連を奇襲攻撃するための軍事作戦を作成させた。そしてできたのが「アンシンカブル作戦」。1945年7月1日にアメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始めるという内容だったが、参謀本部が拒否し、実行されなかったという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000など) イギリスとアメリカの情報機関/特殊部隊は大戦の終盤、ゲリラ戦部隊のジェドバラを組織、大戦後にはアメリカの破壊工作機関や特殊部隊の基盤になった。アメリカで作られた極秘の破壊工作機関がOPC。これは1951年にCIAへ入り込み、破壊工作部門の「計画局」になる。 ヨーロッパでもジェドバラの人脈が秘密部隊を組織、NATOが創設されるとその中へ潜り込んだ。その秘密部隊は全てのNATO加盟国に設置され、1951年からCPC(秘密計画委員会)が指揮するようになる。その下部機関として1957年に創設されたのがACC(連合軍秘密委員会)だ。 各国の秘密部隊には固有の名称が付けられているが、中でも有名なものは1960年代から80年代にかけ、極左を装って爆弾テロを繰り返し、クーデターも試みたグラディオだ。 この問題を研究しているダニエレ・ガンサーによると、NATOへ加盟するためには、秘密の反共議定書にも署名する必要があり、NATOの元情報将校によると、「右翼過激派を守る」ことが秘密の議定書によって義務づけられている。(Daniele Ganser, “NATO’s Secret Armies”, Frank Cass, 2005) ウクライナはまだNATOへ加盟していないが、事実上、ウクライナ軍を指揮しているドミトロ・ヤロシュは2007年にNATOの秘密部隊ネットワークへ入ったとされている。 NATOへ加盟するということは、国内に秘密部隊のネットワークを抱え込むことを意味する。このネットワークを指揮しているのはイギリスとアメリカの情報機関、つまりMI6とCIAだ。 ル・フィガロ紙の特派員としてドンバスでの取材を終えて帰国したジョージ・マルブルノはアメリカ陸軍のデルタ・フォース(第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊)やイギリス陸軍のSAS(特殊空挺部隊)が戦闘に参加している事実を伝えた。そのSASはキエフやリビフで地元の兵士を軍事訓練しているともいう。情報機関と特殊部隊は歴史的に関係が深い。 フィンランドと同じようにNATOへ加盟しようとしているスウェーデンは1986年2月からアメリカへ従属する道を歩き始めている。自立の道を歩いていたオロフ・パルメ首相が1986年2月28日、妻と映画を見終わって家に向かう途中に銃撃され、死亡してからだ。
2022.05.16
ウクライナに住む人びとに対して残虐な行為を続けている親衛隊。その中心的な存在がアゾフ大隊である。2014年3月13日、右派セクターを基盤にして組織された。 その右派セクターは2013年11月、ビクトル・ヤヌコビッチ政権の政策に反発したドミトロ・ヤロシュとアンドリー・ビレツキーによって組織され、13年11月から14年2月にかけてのクーデターで主体になった。 クーデターを成功させた右派セクターは2014年5月2日にオデッサで反クーデター派の市民を虐殺、5月9日にはクーデター軍の戦車がマリウポリの市内へ突入、住民を殺している。 ウクライナのネオ・ナチはステパン・バンデラを信奉、OUN-B(バンデラ派)の流れをくむ。バンデラは1920年代からOUNの幹部だが、この組織は41年3月に分裂、バンデラ派はOUN-Bと呼ばれるようになった。その3カ月後にドイツはバルバロッサ作戦を始める。 このOUN・Bをイギリスの情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーが雇う一方、バンデラの側近だったミコラ・レベドはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入った。第2次世界大戦後、バンデラはMI6に守られ、レベドはCIAのアレン・ダレスに保護された。 ところで、OUN-Bと関係が深いナチスはアメリカやイギリスの金融資本から資金の提供を受けていたことが明らかになっている。例えばディロン・リード、ブラウン・ブラザース・ハリマン、ユニオン・バンキングなどの金融機関がそうした資金を流すパイプだった。 その経営陣にはジョージ・ハーバート・ウォーカー、その義理の息子であるプレスコット・ブッシュ、ブッシュと同じエール大学のスカル・アンド・ボーンズに入っていたW・アベレル・ハリマンも含まれている。 プレスコットが働いていたウォール街にはアレン・ダレスが弁護士として働いていた。そうしたことからふたりは親しくなる。プレスコットの息子、ジョージ・H・W・ブッシュは1976年1月から77年1月にかけてCIA長官を務めることになった。 ブラウン・ブラザース・ハリマンやユニオン・バンキングでプレスコットはW・アベレル・ハリマンと重役仲間だったが、このふたりはエール大学で学生結社のスカル・アンド・ボーンズに入っていた。ハリマンの弟子にあたる人物がジョー・バイデンである。 OUN-Bの戦闘員は1943年春にUPA(ウクライナ反乱軍)として活動し始め、その年の11月には「反ボルシェビキ戦線」を設立、反ボルシェビキ戦線は1946年4月にABN(反ボルシェビキ国家連合)と呼ばれるようになり、バンデラの側近だったヤロスラフ・ステツコが指揮するようになった。 東アジアで1954年に設立されたAPACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とABNは1966年に合体してWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)になるが、この組織はCIAと緊密な関係にあった。(Scott Anderson & Jon Lee Anderson, “Inside the League”, Dodd, Mead & Company, 1986) OUN-Bの人脈はKUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)を組織、スラワ・ステツコが指導者になった。この人物はバンデラの側近だったヤロスラフ・ステツコの妻だ。1991年に西ドイツからウクライナへ帰国している。 1986年に死亡したヤロスラフを引き継いたスラワはOUN-Bの指導者になり、2003年に死ぬまでKUNを率いた。KUNの指導者グループに所属していたひとりにワシル・イワニシンなるドロボビチ教育大学の教授がいたが、その教え子のひとりがヤロシュ。イワニシンが2007年に死亡すると、ヤロシュが後継者になった。このタイミングでヤロシュはNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われている。 ウクライナでネオ・ナチを資金面から支えてきたのはシオニストの富豪であり、黒幕として動いているアメリカのネオコンもシオニストの一派だ。シオニストは第2次世界大戦の前、パレスチナへヨーロッパに住むユダヤ人を移送させるためにナチスと接触している。勿論、ユダヤ人自身はそうした場所へ移り住む意思はなく、ナチスがコミュニストなどと同じようにユダヤ人を弾圧し始めた後、逃げた先は主にアメリカやオーストラリアだ。 ところで、ネオコンの思想的な支柱と言われているレオ・ストラウスは1899年にドイツの熱心なユダヤ教徒の家庭に生まれ、17歳の頃にウラジミール・ヤボチンスキーのシオニスト運動へ接近している。カルガリ大学のジャディア・ドゥルーリー教授に言わせると、ストラウスの思想は一種のエリート独裁主義で、「ユダヤ系ナチ」だ。(Shadia B. Drury, “Leo Strauss and the American Right”, St. Martin’s Press, 1997) 1932年にレオ・ストラウスはロックフェラー財団の奨学金でフランスへ渡り、中世のユダヤ教徒やイスラム哲学について学んだ後、プラトンやアリストテレスの研究を始めている(The Boston Globe, May 11, 2003)が、その段取りをしたのはカール・シュミット。1934年にストラウスはイギリスへ、37年にはアメリカへ渡ってコロンビア大学の特別研究員になり、44年にはアメリカの市民権を獲得、49年にはシカゴ大学の教授になった。 ストラウスと並ぶネオコンの支柱とされている人物が、やはりシカゴ大学の教授だったアルバート・ウォルステッター。冷戦時代、同教授はアメリカの専門家はソ連の軍事力を過小評価していると主張、アメリカは軍事力を増強するべきだとしていたが、その判断が間違っていたことはその後、明確になっている。 ネオコンのポール・ウィルフォウィッツは国防次官だった1992年2月にアメリカの国防総省はDPG草案という形で世界制覇プラン、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」を作成した。その時の国防長官はディック・チェイニーだ。 旧ソ連圏を乗っ取るだけでなく、EUや東アジアを潜在的なライバルと認識、叩くべきターゲットだとされた。支配力の源泉であるエネルギー資源を支配するため、中東での影響力を強めることも重要なテーマになる。1991年12月にソ連を消滅させることに成功、アメリカが唯一の超大国になったと認識してのプランだ。 しかし、アメリカ支配層の内部にも単独行動主義を危険だと考える人がいた。その中にはジョージ・H・W・ブッシュ大統領、ブレント・スコウクロフト国家安全保障補佐官、ジェームズ・ベーカー国務長官も含まれている。こうした勢力を沈黙させる出来事が引き起こされたのは2001年9月11日のことだった。
2022.05.15
アメリカのFDA(食品医薬品局)とCDC(疾病予防管理センター)が共同で運用しているVAERS(ワクチン有害事象報告システム)への自主的な報告によると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」による死亡者数は5月6日現在、前の週より210名増えて2万7968名に達した。 一般的にVAERSに報告される副作用の件数は全体の1%にすぎないと言われているので、これを適用すると「COVID-19ワクチン」による死者は300万人近いということになる。これだけの犠牲者が出ていることを正当化するため、「死者数」や「感染者数」が水増しされてきた。 COVID-19騒動は2020年3月11日にWHO(世界保健機関)がパンデミックを宣言してから始まるが、その翌月、CDCとWHOはそれぞれ、死亡した患者の症状がCOVID-19によるものだと考えて矛盾しないなら死因をCOVID-19として良いと通達している。 この事実をアメリカのスコット・ジャンセン上院議員はすぐに指摘、COVID-19に感染していたことにすれば、病院が受け取れる金額が多くなると話していた。つまり、死亡者数を増やすために利益誘導していたわけだ。 こうした状況になっていることは医療の現場からも告発されていた。検査態勢が整っていない病院では、勿論、検査せずに死因を新型コロナウイルスにしているという。卒中などで倒れた人を速やかに集中治療室へ入れるためにはそうする必要があり、病院の経営としてもその方が良いからだ。不適切な人工呼吸器の使用が病状を悪化させているする告発もあった。 COVID-19で死亡したかのように発表された患者はどの国でも大半が高齢者で、心臓病、高血圧、脳卒中、糖尿病、悪性腫瘍(癌)、肝臓や腎臓の病気を複数抱えているケースが多かった。 ヨーロッパでも患者数、死亡者数が水増しされてきたと指摘されていた。例えばイタリアの場合、健康省の科学顧問を務めるウォルター・リッチアルディはCOVID-19を引き起こすとされるSARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)を直接的な原因として死亡した人数は死者全体の12%だとし、ビットリオ・スガルビ議員はこのウイルスが原因で死亡したとされる患者のうち96.3%の死因は別に死因があると主張していた。 病原体がSARS-CoV-2と名づけられたのは、2019年12月31日に湖北省の武漢でSARSに似た症状の肺炎患者が見つかったとWHOへ報告されたところから騒動が始まったからだ。その後、武漢のある湖北省で11月17日に患者が出ていると確認されというが、いずれも重篤な肺炎を引き起こしていたとされている。 それからCOVID-19は世界へ広がったとされているが、局所的にそうした患者が現れることはあっても、湖北省で見つかったような患者が世界の街にあふれたという話は寡聞にして知らない。ある種の人びとが予想したより早く中国での感染が沈静化されたのかもしれない。 武漢で感染対策を指揮したのは中国軍の医療部門で生物兵器の専門家という陳薇。2002年から中国で広まったSARSを押さえ込んだのは陳のチームだった。その時の経験から彼女はインターフェロン・アルファ2bを試し、2019年のケースでも効果が確認された。そこで早い段階で沈静化させることに成功したのだという。 インターフェロン・アルファ2bはキューバで研究が進んでいる医薬品で、リンパ球を刺激して免疫能力を高める働きがあるとされている。吉林省長春にも製造工場があり、中国の国内で供給できたことも幸いした。今回の件で中国の習近平国家主席はキューバのミゲル・ディアス-カネル大統領に謝意を述べたと伝えられている。 こうした状況だったにもかかわらず、WHOは強引にパンデミックを宣言した。昔から「パンデミック」という用語はあったものの、定義は「新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)」が流行(2009年1月から10年8月にかけての時期に)する直前に変更されている。「病気の重大さ」、つまり死者数がという条件が削られたのだ。この変更がなければCOVID-19でもパンデミックを宣言することはできなかった。 「感染者数」の水増しに使われたのはPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査だ。PCRは特定の遺伝子型を試験管の中で増幅する技術で、増幅できる遺伝子の長さはウイルス全体の数百分の1程度。増幅の回数(Ct値)を増やしていけば医学的に意味のないほど微量の遺伝子が存在しても陽性になる。 PCRを開発、1993年にノーベル化学賞を受賞したキャリー・マリスはPCRを病気の診断に使うべきでないと語っていた。この技術は分析が目的であり、診断の手段ではないからだ。そのマリスは騒動が始まる前の2019年8月7日に肺炎で死亡した。 また、Ct値を増やしていくと偽陽性の確立が増えていく。ある研究によると、偽陽性を排除するためにはCt値を17以下にしなければならず、35を超すと偽陽性の比率は97%になってしまう。ところが2020年3月19日に国立感染症研究所が出した「病原体検出マニュアル」のCt値は40。医学的には無意味だ。 パンデミック騒動で「デジタル・パスポート」の導入が議論されるようになったが、欧州委員会はCOVID-19騒動が起こる前からEU市民向けの「ワクチン・カード/パスポート」を2022年に実現することを予定していた。 この「パスポート」は世界の人びとを管理することが目的だが、その背後には。2015年9月に国連で採択された「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」がある。「SDGs(持続可能な開発目標)」を実現するため、個人を特定するためのシステムに記録されていない人びとを管理する必要があるとされ、デジタルIDの導入が進められることになったのだ。2016年5月には国連本部でどのように導入を進めるかが話し合われ、「ID2020」というNGOが設立されている。 この「パスポート」はマイクロチップ化されて体内に埋め込まれることになり、最終的には脳へ埋め込まれるともされている。その段階に到達したなら、記憶に関わる信号を捕捉し、記憶を促進、さらに外部から記憶を管理できるようになるとも見通されている。量子コンピュータが実用化されたなら、人間の「端末化」、あるいは「ロボット化」だ。 WEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは2016年1月にスイスのテレビ番組に出演、そこでマイクロチップ化されたデジタル・パスポートについて話しているが、この人物は2020年6月、資本主義システムを大々的に「リセット」するためにCOVID-19を利用するべきだと主張している。 パンデミックなど危機的な状況下ではWHOが全ての加盟国にロックダウンなどの政策を強制できるパンデミック条約を締結しようとする動きある。デジタル・パスポートの導入、ワクチンの強制接種、旅行規制、治療法の制限なども懸念されている。国の主権や人権が剥奪される。 この条約が締結されたなら、WHOは世界支配の道具になる。この機関に対する2018年から19年にかけての上位寄付者を見ると、第1位はアメリカ、第2位はビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団、第3位はイギリス、そして第4位はGavi。このGaviはワクチンを推進するため、2000年にWEFの年次総会で設立された。活動資金はWHO、UNICEF(国連児童基金)、世界銀行、そしてビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団などから得ている。
2022.05.14
ロシア軍は2月24日からウクライナに対する攻撃を始めたが、その過程でウクライナ側の重要文書の回収を進めている。その中にはドンバス(ドネツクとルガンスク)に対する攻撃計画、ロシア語を話す人びとの「浄化」、つまり大量虐殺に関する文書のほか、ウクライナで進められてきた生物兵器の研究開発に関する資料も含まれている。ロシア側はイゴール・キリロフ中将を中心に生物兵器の研究開発について調べているようだ。 キリロフが記者会見でウクライナにおける生物兵器の問題について発表した翌日、3月8日にアメリカの上院外交委員会でビクトリア・ヌランド国務次官はウクライナの施設で研究されている生物化学兵器について語っている。マルコ・ルビオ上院議員の質問を受け、兵器クラスの危険な病原体がロシア軍に押収されるかもしれないと語ったのだ。つまり、ウクライナの研究施設で生物化学兵器の研究開発が行われていたことを否定しなかった。 ウクライナにはアメリカのDTRA(国防脅威削減局)にコントロールされた研究施設が30カ所あり、生物兵器の研究開発を行っていたことをロシア側は明らかにしているが、ここにきてキリロフはその構図をさらに詳しく語っている。 ロシア国防省が発表したスライドによると、アメリカの民主党を病原体研究の思想的な支柱としている。その思想を実体化させる役割を負っているのが国防総省やCDC(疾病予防管理センター)を含む政府機関。 資金はアメリカの予算からも出ているが、ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団、クリントン財団、ハンター・バイデンのロズモント・セネカ・パートナーズ、ジョージ・ソロスのオープン・ソサエティ財団、ロックフェラー財団、エコヘルス同盟などもスポンサーだ。 そのほか、生物兵器の研究開発システムにはアメリカ大使館、国防総省の契約企業であるメタバイオタ、ブラック・アンド・ビーチ、スカイマウント・メディカル、そしてCH2Mヒルなど、またファイザー、モデルナ、メルク、ギリアドを含む医薬品会社が組み込まれ、ドイツやポーランドも関係している。 このシステムは生物兵器の研究開発だけでなく、医薬品メーカーは安全基準を回避して利益率を上げるためにウクライナの研究施設を利用しているともいう。ファイザーやモデルナといった医薬品会社やエコヘルス同盟が関係していることからウクライナの研究所はCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)にも関係しているという疑いが生じた。ウクライナでの戦闘が終わった場合、バイデン政権や民主党は厳しい状況に追い込まれる可能性がある。 現在、COVID-19騒動の扇動者は世界を収容所化しつつあるが、さらにデジタル・パスポートの携帯を義務化し、パンデミック条約を締結させ、WHO(世界保健機関)の判断で全ての加盟国にロックダウンを含む対策を強制できるようにしようとしている。 アメリカのジョー・バイデン政権はウクライナへ兵器や戦闘員を大量に送り込む一方、ロシアに対する経済戦争を仕掛けた。アメリカが仕掛ける経済戦争は基軸通貨「ドル」を発行する特権を利用したものだが、すでにドル体制は揺らいでいる。イングランド銀行のマーク・カーニー総裁(2013年7月から20年3月まで)はドルが不安定化していると2019年8月に指摘、新たな準備通貨に基づく多極的な金融システムを作る必要があると語っている。欧米の私的権力は世界を支配する新たな体制を築こうとしているのだ。そのためにバイデンは大統領に就任して間もなく「ルビコン」を渡った。後戻りできない。 WEF(世界経済フォーラム)を創設したクラウス・シュワブは2020年6月、資本主義システムを大々的に「リセット」するためにCOVID-19を利用するべきだと主張した。欧米の私的権力にとって都合の良いタイミングでCOVID-19騒動が起こったのは偶然だろうか?
2022.05.13
ドイツのオーラフ・ショルツ内閣はロシアに対する敵対的な姿勢を強めている。アメリカのジョー・バイデン政権やイギリスのボリス・ジョンソン政権に従属したということだ。 そのドイツの有力な雑誌「シュピーゲル」はマリウポリのアゾフスタル製鉄所から脱出した住民のひとり、ナタリア・ウスマノバの証言を3分間の映像付きで5月2日に伝えたが、すぐに削除した。ショルツ内閣や米英の政権にとって都合の悪い事実が語られていたからだ。(インタビューのロイター版と削除部分:ココ) マリウポリを拠点とするアゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)は内務省の親衛隊に属し、ネオ・ナチのメンバーで編成された。これは広く知られている話で、2014年2月のクーデター当時、BBCのような西側の有力メディアでさえ、この事実を伝えていた。そうした話を西側では力尽くで封印しようとしている。 製鉄所で働いていたウスマノバはアゾフ大隊が住民を2カ月にわたって掩蔽壕へ閉じ込め、恐怖の生活を強いたとしている。ロシア軍が設定した脱出ルートの存在は知っていて、脱出しようと試みたが、アゾフ大隊が許さなかったという。 これは脱出できたほかの住民の証言と一致している。そうした住民は異口同音に、アゾフ大隊が脱出を試みる住民を射殺していると語っている。また建物を破壊、住民や捕虜を拷問、若い女性をレイプしているとも告発している。(例えばココやココだが、脱出した住民が増え、少なからぬ映像がインターネット上にアップロードされている。) しかし、こうした証言が広がると西側のメディアが作り上げたウクライナ情勢のイメージが崩れてしまう。そこで住民の声を伝えず、ウォロディミル・ゼレンスキー政権やネオ・ナチと結びついている市長の主張を垂れ流している。 すでに脱出した市民の声がインターネット上で伝えられていることを配慮したのか、ロイターはバイデン政権にとって不都合な事実を削除して1分間に縮めた映像を流した。ところがシュピーゲル誌は3分間の映像を流してしまう。その映像をシュピーゲル誌はすぐに削除したが、削除した事実は消せない。 そもそもゼレンスキーが大統領に選ばれた一因はウクライナ国民のネオ・ナチ体制への反発にあったが、そのゼレンスキーの後ろ盾もネオ・ナチの後ろ盾と同じだったと指摘されている。ゼレンスキーは「元コメディアン」だが、西側のショービジネスがアメリカの情報機関に支配されていることを知っている人は少なくないだろう。 現在、ウクライナで行われている戦争が始まったのは、1999年3月にNATO軍がユーゴスラビアを先制攻撃した時から始まる。その時、破壊と殺戮でひとつの国を解体したのだ。 1998年4月にアメリカ上院はソ連との約束を無視してNATOの拡大を承認、その年の秋にマデリーン・オルブライト国務長官はユーゴスラビア空爆を支持すると表明、99年3月にアメリカ/NATO軍はユーゴスラビアを先制攻撃した。その際、スロボダン・ミロシェヴィッチ大統領の自宅を破壊し、中国大使館を爆撃している。 攻撃の前にセルビア人を悪魔化するための宣伝が繰り広げられたが、その仕事を請け負ったのはルダー・フィン・グローバル・コミュニケーションという広告会社。アメリカは戦争の中心にプロパガンダを据えたと言える。 2001年9月11日の世界貿易センターと国防総省本部庁舎への攻撃を経てアメリカは侵略戦争を本格化したが、戦争反対の声は小さく、平和運動は消えたと言われた。 NATOは東へ拡大し続け、ウクライナへ入ろうとしている。アメリカのバラク・オバマ政権は2013年11月から14年2月にかけてウクライナでクーデターを実行、ビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除することに成功した。経済政策は新自由主義を推進、治安や軍事の部門はネオ・ナチが握ることになった。 このクーデター体制はロシア語を話す国民に対する敵意を隠していない。かつてシオニストがパレスチナで行ったように、殺戮と破壊でロシア語系住民を消し去ろうとしてきた。 そして今年2月19日、ウクライナの政治家であるオレグ・ツァロフは緊急アピール「大虐殺が準備されている」を出し、ゼレンスキー大統領がごく近い将来、ドンバスで軍事作戦を開始すると警鐘を鳴らした。 そのアピールによると、この地域を制圧してからキエフ体制に従わない住民を「浄化」するという作戦で、ドンバスを制圧し、キエフ体制に従わない住民(ロシア語系住民)を「浄化」、つまり皆殺しにするというものだったという。西側から承認を得ているともしていた。 この作戦と並行してSBU(ウクライナ保安庁)はネオ・ナチと共同で「親ロシア派」の粛清を実行することにもなっていたという。住民虐殺の責任を西側の政府や有力メディアはロシアに押し付けるつもりだったのだろう。 戦闘が始まった後、ロシア軍はウクライナ軍が残した文書を回収しているが、それによると、親衛隊のニコライ・バラン上級大将が1月22日に攻撃の指令書へ署名、ドンバスを攻撃する準備が始まった。2月中に準備を終え、3月に作戦を実行することになっていたという。この作戦はゼレンスキーが1月18日に出した指示に従って立てられたとされている。 そのゼレンスキー大統領はロシア政府と交渉を始めるが、3月5日にロシアと交渉しているチームのひとり、デニス・キリーエフがキエフの路上で治安機関SBUの隊員に射殺された。 クーデター以後、SBUはCIAの下部機関となり、反クーデター派を拷問したり暗殺してきたと言われている。マリウポリ空港の地下にはSBUの「図書館」と呼ばれる秘密刑務所があり、拷問も行われていたとする証言もある。2018年にロシアへ亡命したSBUの将校、バシリー・プロゾロフもSBUは2014年からCIAからアドバイスを受けていたと語っている。 そのプロゾロフによると、SBUの「死の部隊」は暗殺、誘拐、拷問を実行、そのターゲットのひとりはルガンスクのクーデター政権が支配している地域の市長で、ロシア話し合いでの解決を目指していたボロディミル・ストルク。3月1日に誘拐され、拷問された上で胸を撃たれて死亡した。 また、3月5日にはロシアと交渉しているチームのひとり、デニス・キリーエフがキエフの路上で治安機関SBUの隊員に射殺されている。3月7日には殺されたゴストメルのユーリ・プライリプコ市長のしたいが発見された。ウクライナでは11名の市長が行方不明だとも言われていた。 そして4月21日、ウクライナの南部にあるミコライフ州のビタリー・キム知事は「ウクライナ24テレビ」の番組で「全ての裏切り者を処刑する」と語った。そうした処刑を実行するための秘密部隊を編成、すでに作戦を遂行しているともいう。キムにとって「裏切り者」とはウォロディミル・ゼレンスキーの政策に同意しない人びとだという。 SBUはゼレンスキー政権の政策に従わない人びとを拘束しているが、APによるとその数はウクライナ北東部にあるハリコフだけで400名近くに達した。 ウクライナ国民は戦闘を早くやめてほしいだろうが、それはアメリカ政府やイギリス政府が許さない。ロシア政府とウクライナ政府の停戦交渉は4月9日にジョンソン英首相がキエフを訪れた直後に止まる。ロシアのウラジミール・プーチン大統領を叩きのめすまで戦争をやめるなとゼレンスキーに命令、ゼレンスキーの態度は好戦的になった。
2022.05.12
アメリカの私的権力はフィリピンを再び従属国にしようと必死だが、その大きな理由は中国侵略にあるだろう。日本列島、琉球諸島、そして台湾へ至る弧状の島々をアメリカはユーラシア大陸の東側を侵略するラインにしたが、その南側にあるのがフィリピン。南シナ海を支配するため、フィリピンを押さえたいだろう。 アメリカ-スペイン戦争で勝利したアメリカはラテン・アメリカだけでなくフィリピンを1898年から植民地化、中国を侵略するための拠点になった。その際にアメリカ軍が行った先住民虐殺は悪名高い。 当時、中国はイギリスの侵略を受けていた。技術革新で生産力をイギリスは高めたが、大量生産した製品が中国で売れず、貿易収支は大幅な赤字になる。経済力でイギリスは中国に太刀打ちできなかった。 しかし、「産業革命」で軍事力は進歩し、それを利用してアヘンの密売、押し売りを始める。それを中国側は取り締まり、1840年に戦争が勃発する。それがアヘン戦争。42年まで続いた。1856年から60年にかけても同じ構図の戦争、第2次アヘン戦争を引き起こされた。アヘンは「大英帝国」を支える重要な商品で、その取り引きによる売り上げはイギリス全体の15%から20%に達したと推計されている。(Carl A. Trocki, “Opium, Empire, and the Global Political Economy,” Routledge, 1999) 1565年からアメリカの支配が始まるまで、フィリピンはスペインの植民地だった。豊臣秀吉が「伴天連追放令」を出した1587年より前に日本人はスペイン人とルソン島で戦っている。1596年にスペイン軍がカンボジアへ遠征したが、その時には少なからぬ日本人傭兵が参加していた。 秀吉は1592年と97年、2度にわたって朝鮮半島を軍事侵略(文禄慶長の役)しているが、98年に死亡、日本軍は朝鮮半島から撤退する。その背後ではイエズス会の動きがあったようだ。その後、プロテスタントのオランダやイギリスがやって来る。 イエズス会は1540年にローマ教皇の認可を受けて設立された修道会で、その会士だったフランシスコ・ザビエルは49年に鹿児島へ上陸している。その後、イエズス会は日本の内乱(戦国時代)で一部の大名を軍事的に支援する一方、奴隷貿易にも関係していた。(ルシオ・デ・ソウザ、岡美穂子著『大航海時代の日本人奴隷』中央公論新社、2021年) その当時の日本は戦国時代の終盤だったこともあり、その戦闘能力を見て軍事的に制圧することは断念したようで、懐柔工作にでた。豊臣秀吉だけでなく織田信長も「明国征服」を考えていたが、そうした構想を持つようになった一因はイエズス会にあったようだ。(平田新著『戦国日本と大航海時代』中公新書、2018年) 朝鮮半島から日本軍が撤退した翌年、スペインのマニラ提督は国王へ宛てた軍務報告の中で、日本の兵士が稼ぎ場を求めて朝鮮半島からルソンへ来るのではないかと書いている。朝鮮半島での戦争とは関係なく、ルソンには日雇い労働者や傭兵として日本人がいたことも警戒感を募らせる一因になっていた。マニラ提督が国王へ出した報告によると、「日本人は、この地方において、もっとも好戦的な人民」だという。(藤木久志著『雑兵たちの戦場』朝日新聞、2005年) その当時、アジアを侵略していたヨーロッパ諸国は日本を傭兵、つまり戦闘奴隷の供給地としてだけでなく、平坦基地としても使っていたのだが、徳川秀忠は人身売買、武器輸出、海賊行為を禁止、ヨーロッパ諸国を混乱させた。ヨーロッパ諸国にとって日本との連携はアジアを侵略する上で大きな意味があったと言えるだろう。 その徳川体制は1867年に「大政奉還」で消滅、イギリスやアメリカを後ろ盾とする明治体制へ移行した。そして琉球併合、台湾派兵、江華島事件、日清戦争、日露戦争へと突き進む。 この流れはイギリスの長期戦略に合致している。その後、こうした関係は揺らぐが、第2次世界大戦後に修復された。つまり、現在の日本はアメリカの平坦拠点。傭兵の供給地にもなりそうだ。
2022.05.11
フィリピンでは5月9日に次期大統領を決める投票があり、フェルディナンド・マルコス・ジュニア(ボンボン・マルコス)が勝利、副大統領にはロドリゴ・ドゥテルテ大統領の娘であるサラ・ドゥテルテが就任するようだ。 アメリカの支配層は日本列島から琉球諸島、そして台湾へ至る弧状に並ぶ島々で中国を封じ込め、侵略の拠点にしようとしているが、それと同時に中国の航路をいつでも断ち切ることができる態勢を整えるため、インド洋からマラッカ海峡、そして南シナ海や東シナ海を海軍力で支配しようとしている。それが「自由で開かれたインド・太平洋」。 安倍晋三は総理大臣時代の2015年6月、赤坂にある赤坂飯店で開かれた官邸記者クラブのキャップによる懇親会で「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」と口にしたという。 南シナ海を支配するためにフィリピンは重要。ドゥテルテの前任者であるベニグノ・アキノ3世は母親のコラソンと同じようにアメリカ支配層の代理人。ベニグノは2010年6月から16年6月まで大統領を務めたが、2012年からスービック海軍基地やクラーク空軍基地をアメリカ軍に再び使わせている。 2016年6月からドゥテルテは大統領を務めたが、最初からアメリカの属国から脱する意思を見せ、中国と友好的な関係を結ぼうと積極的に動く。アメリカは1998年にフィリピンへVFA(訪問軍協定)を押しつけていたが、この協定の破棄をドゥテルテ大統領は2020年2月にアメリカへ通告した。 ドゥテルテによると、2016年9月の段階でフィリピンの情報機関からアメリカが彼を殺したがっているという報告を受け、2017年5月にはフィリピン南部にあるミンダナオ島のマラウィ市をダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)系だというマウテ・グループやアブ・サヤフが制圧した。この地域は以前からダーイッシュが活発に動いていて、市内には500名程度の戦闘員がいると見られていたが、アメリカ軍は活動を容認してきた。中東でアメリカはダーイッシュを傭兵として利用している。 この騒動の際、マラウィ市制圧を口実にして特殊部隊を派遣している。アメリカ大使館はフィリピン政府から要請に基づき、アドバイするんだと説明しているのだが、ドゥテルテ大統領はアメリカ側に支援を頼んでいないとしている。 ベニグノ・アキノ3世の父親にあたるベニグノ・アキノ・ジュニアはアメリカのNEDを通じてCIAから活動資金を提供されていたが、1983年8月にマニラ国際空港で殺された。当時、アメリカはボンボンの父親であるフェルディナンド・マルコスを排除しようとしていた。 マルコスはリチャード・ニクソン政権が中国と国交を正常化する際に協力しているが、1980年代に入るとアメリカの支配層がコントロールできなくなっていたのだ。そして1986年2月にアメリカ軍がマルコスを拉致して国外へ連れ出すが、その黒幕はポール・ウォルフォウィッツだと言われている。 フィリピンでマルコスが実権を握れたのは資金力があったからだが、その資金は日本軍が隠した財宝の一部を掘り出すことで手に入れたと言われている。マルコスはイメルダ・ロムアルデスと結婚したが、この女性を紹介したアメリカ軍の情報将校は財宝に関する詳しい情報を持っていたという。 マルコスが排除された後、ベニグノ・アキノの妻であるコラソン・アキノが大統領に就任。アキノ大統領は1987年、政府軍が「共産ゲリラやNPA(新人民軍)に対して戦闘状態に入る」と宣言、CIAの要員は115名から130名以上に増強し、アメリカの外交政策を正当化するためのプロパガンダを積極的に展開していく。 マルコス政権時代、暗殺や拷問を担当していたCHDF(民間郷土防衛隊)が存在していたが、それをコラソン政権は改組してCAFGUに作り替え、フィリピン国軍のSOT(特殊作戦チーム)の一部になった。
2022.05.11
アメリカのジョー・バイデン政権はロシアを弱体化させるため、ウクライナのネオ・ナチ体制へ兵器を供給、戦闘員を送り込んでいるが、それだけでなく「制裁」と称して経済戦争を仕掛けている。その「制裁」で日本も大きな痛手を受けるはずだが、最もダメージを受けるのはEUだろう。アメリカやイギリスにとってロシアや中国は敵だが、日本やEUは潜在的なライバルである。 EUとロシアは天然ガスを通じて結びつきを強めていた。その天然ガスをロシアからEUへ運ぶパイプラインの多くが通過していたウクライナでバラク・オバマ政権が2013年11月から14年2月にかけてネオ・ナチを使ってクーデターを仕掛けたが、その理由のひとつはそこにある。 しかし、ウクライナを通らずにロシアからEUへ天然ガスを運ぶルートが存在していた。「ノードストリーム1」だ。2011年11月に開通している。その完成と同時に「ノードストリーム2」の建設が始まり、アメリカの妨害を乗り越えて21年9月には完成した。 その新パイプラインによる天然ガスの輸送はアメリカ政府の「制裁」によって始まらなかった。2月22日にドイツ政府は「ノードストリーム2」の承認手続きを中止すると発表したのだ。 ロシア政府はアメリカの経済戦争に参加している国々を「非友好国」と呼び、同国の天然ガスを購入する場合、決済は4月1日からロシアの通貨ルーブルに限ると発表した。 その要求をポーランドとブルガリアは拒否、ロシアのガスプロムは4月27日にポーランドとブルガリアへの天然ガス供給を停止すると発表した。この状態が続くなら、次の冬をEUは越すことが難しいだろうが、その前に生産活動が止まる。物流を支えているディーゼル・エンジンを動かすことが難しくなり、世界経済への影響も小さくない。 それでもEUの執行機関である欧州委員会はアメリカ政府の意向通りに動木、ウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長は5月4日、ロシア産原油の輸入を禁止するよう求めた。それに対してハンガリー政府はこの要求に反対したが、こうした措置はハンガリーへのエネルギー供給を破綻させるからだ。他の国も同じ状況にある。 アメリカやカタールへの切り替えは容易でなく、輸送コストの上昇もある。アメリカのシェール・ガスやシェール・オイルは生産コストが高い上、供給の安定性で問題がある。 2014年のクーデター後、ロシアは中国との関係を強めることになった。その中心にあるのが天然ガスや石油で、パイプラインの建設が進んでいる。鉄道や道路なども整備されつつある。安定したエネルギー資源の供給源を必要とする中国にとってロシアとの関係強化は願ってもないことである。 クーデターを仕掛けたアメリカのネオコンはロシア人のヨーロッパへの憧憬や中国人のカネ儲け願望を過大評価、ロシアと中国の接近を予想できていなかったようだ。日本にもそうした見込み違いをしていた人が少なくない。 19世紀からイギリスにはロシアを制圧して世界の覇者になるという長期戦略があった。1869年にスエズ運河が完成、その運河を82年にイギリスが占領。地中海と紅海が結ばれたことでユーラシア大陸の周辺部を海軍力で支配し、内陸部を締め上げいるという戦略が可能になったのである。この戦略をアメリカは引き継いでいる。 アメリカは2018年5月に「太平洋軍」を「インド・太平洋軍」へ作り替え、日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点、そしてインドネシアを両海域をつなぐ場所だとしている。中東からインド洋へ出てマラッカ海峡を通過して南シナ海、東シナ海へという海路は中国が石油を輸送するルートと重なる。アメリカは中国へのエネルギー供給をコントロールしようとしている。 オバマ政権やバイデン政権の政策はエネルギー資源だけでなく、食糧の供給にも影響を及ぼしている。現在、2500万トン近い穀物がウクライナから運び出せない状況にあるという。 アメリカの支配層は「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動」でも世界の経済活動を破壊する政策を進めてきた。WHO(世界保健機関)が2020年3月11日にパンデミックを宣言してから人びとの行動は制限され、社会は収容所のようになる。生産活動や商業活動は麻痺し、倒産、失業、ホームレス、そして自殺者の増加といった問題が生じた。経済活動の破綻は巨大金融資本にとってビジネス・チャンスだ。その先には資本主義の「大々的なリセット」がある。 2月24日にロシア軍はウクライナを巡航ミサイル「カリブル」などで攻撃し始めた。航空基地が破壊されたと言われているが、その際にウクライナの生物兵器研究開発施設も狙われたとされている。当初、アメリカ側は「偽情報」だとしていたが、そうした施設が存在していたことは記録に残っている。 ロシア軍の核生物化学防護部隊を率いているイゴール・キリロフ中将は3月7日に記者会見を開き、ウクライナの生物兵器の研究開発施設から回収した文書について語り、ウクライナにはアメリカのDTRA(国防脅威削減局)にコントロールされた研究施設が30カ所あるとしている。人のつながりや資金の流れから、こうした施設がCOVID-19騒動と関係している疑いが強まっている。
2022.05.10
韓国の大統領は5月10日から尹錫悦に替わる。検事総長として文在寅政権を攻撃、文大統領に近い曺国法務部長官をソウル東部地検刑事6部に起訴させ、曺を辞任の追い込んだ人物。そして3月9日の大統領選挙で勝利した。 文大統領はロシアや中国との関係を強め、2018年4月27日には板門店で朝鮮の金正恩委員長と会談しているが、尹はミルトン・フリードマンの新自由主義を信奉、アメリカの支配層にとって好ましい人物。すでに朝鮮半島の軍事的な緊張を高める発言をしている。その尹が大統領になる韓国との関係修復に乗り出すと日本の岸田文雄首相は4月26日に発言した。 その岸田首相は5月5日にロンドンでイギリスのボリス・ジョンソン首相と会談、共同軍事演習の実施など軍事的なつながりを強めることを決めた。この内容は1月にジョンソン政権がオーストラリアと結んだ協定と似ているとされている。 イギリス、オーストラリア、そしてアメリカの3カ国は中国を仮想敵国とする軍事同盟AUKUSAを組織している。アメリカは日本もこの軍事同盟へ組み込もうとしているのだろう。 アメリカは2018年5月に「太平洋軍」を「インド・太平洋軍」へ作り替え、日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点、そしてインドネシアを両海域をつなぐ場所だとしたが、インドネシアやインドはアメリカの軍事戦略と距離を置こうとしている。それに対し、日本は喜んでアメリカに従属しようとしているわけだ。 インドから太平洋にかけての海域へ出てくるイギリスには19世紀から続く長期戦略がある。ユーラシア大陸の周辺部を支配し、内陸部を締め上げるというもので、西端がイギリス、東端が日本だ。この戦略を抜きにして明治維新を議論することはできないだろう。 この戦略をまとめた人物が地理学者のハルフォード・マッキンダーで、ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその理論に基づいている。マッキンダーの理論をアメリカも採用したのだ。 イギリスの支援で誕生した明治体制は琉球を併合した後、アメリカやイギリスの外交官に煽られて台湾へ1874年に派兵、その翌年には李氏朝鮮の首都を守る要衝の江華島へ軍艦を派遣して挑発、そして日清戦争から日露戦争へと突き進んだ。これはイギリスの戦略に合致している。 1982年11月に内閣総理大臣となった中曽根康弘は83年1月にアメリカを訪問、ワシントン・ポスト紙のインタビューで日本を「巨大空母」と表現して問題になる。 同紙によると、中曽根首相は「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべきだ」と発言、さらに「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語ったのである。 この「不沈空母」という表現を誤訳だと騒いだ人もいるが、本質的な差はない。中曽根は日本をアメリカの空母、つまりソ連を攻撃する拠点にすると宣言したのだ。 現在、日本とアメリカは中国を封じ込めるために同じ戦略を採用している。中国の海運をコントロールし、中東からのエネルギー資源輸送を断つことができる態勢を整えようということだ。そのためにアメリカ軍は海上支配を強化しようとしているが、中国は対抗している。 アメリカにとって日本列島から琉球諸島、そして台湾へ至る弧状に並ぶ島々は重要な意味を持つ。明治政府は琉球を併合し、台湾へ派兵、李氏朝鮮の首都を守る江華島へ軍艦を派遣して挑発したが、現在の日本も似たことをしている。 台湾は日本と同じように侵略の拠点、韓国は橋頭堡。これは明治時代と基本的に同じだ。蔡英文が台湾の総督に就任したのは2016年。「台湾独立」という餌で釣られた蔡英文は台湾と中国との関係を悪化させている。 アメリカに従属する危険性を認識する国が増える中、日本は嬉々としてアメリカに従属しているようだ。
2022.05.09
マリウポリのアゾフスタル製鉄所から住民が脱出している。そのひとりであるナタリア・ウスマノバの証言をシュピーゲル誌は3分間の映像付きで5月2日に伝えたのだが、すぐに削除してしまった。この事実はドイツの日刊紙ユンゲ・ベルトによって報道されている。 シュピーゲル誌はこの映像をロイターから入手したとしているが、ロイターが流した映像は1分間。アメリカのジョー・バイデン政権やウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー政権にとって都合の悪い部分を「編集済み」だった。日本のマスコミが垂れ流しているゼレンスキー政権の主張もそうした種類のものだが、そうした話が事実に反していることを明らかにするウスマノバの証言をシュピーゲル誌は伝えたのだ。脱出したほかの住民と同じように、彼女は西側有力メディアが広めている話を否定したのだ。 製鉄所で働いていた彼女はアゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)が住民を2カ月間掩蔽壕へ閉じ込め、恐怖の生活を強いたとしている。ロシア軍が設定した脱出ルートの存在は知っていて、脱出しようと試みたが、アゾフ大隊が許さなかったという。ほかの住民と証言と一致している。西側のメディアはこうした事実を無視しようとするだろうが、すでに少しずつ外へ漏れ出ている。 西側の有力メディアは創設当初からプロパガンダ機関としての役割を果たしてきたが、1970年代までは気骨あるジャーナリストの活躍する余地は残っていた。それが1980年代に私的権力によるメディア支配が強まるにつれて余地が狭まり、21世紀に入ると「マトリックス化」が進んだ。 2011年春にバラク・オバマ政権はジハード傭兵を利用してリビアやシリアを侵略するが、それ以降、有力メディアが伝える話の中から事実を探し出すことが困難になっていく。「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動」やウクライナに関する話はまるでハリウッド映画のシナリオだ。 第2次世界大戦で日本が降伏してから1年近くを経た1946年8月、映画監督の伊丹万作は『戦争責任者の問題』と題した文章を映画春秋に書いている: 戦争が本格化すると、「日本人全体が夢中になって互に騙したり騙されたりしていた」。「このことは、戦争中の末端行政の現れ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオの馬鹿々々しさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といったような民間の組織がいかに熱心に且つ自発的に騙す側に協力していたかを思い出してみれば直ぐに判ることである。」 そして、「幾ら騙す者がいても誰一人騙されるものがなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。」と指摘した。 「騙されたものの罪は、只単に騙されたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なく騙される程批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切を委ねるように成ってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任等が悪の本体なのである。」 「『騙されていた』と言って平気でいられる国民なら、恐らく今後も何度でも騙されるだろう。いや、現在でも既に別の嘘によって騙され始めているに違いないのである。」
2022.05.08
マリウポリのアゾフスタル製鉄所にウォロディミル・ゼレンスキー政権側の親衛隊が立てこもっている。ロシア軍が攻撃を手控えている理由は住民が人質にされているからだ。住民の避難をロシア側が妨害するはずはない。すでに脱出した住民は異口同音に、脱出を試みる住民をアゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)が射殺するだけでなく、建物を破壊、住民や捕虜を拷問、若い女性をレイプしていると告発している。(例えばココやココだが、脱出した住民が増え、少なからぬ映像がインターネット上にアップロードされている。) アゾフ大隊を含む親衛隊は内務省に所属、その主力はネオ・ナチのメンバー。バラク・オバマ政権を後ろ盾とするネオ・ナチは2014年2月22日にクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除、クーデター政権は3月13日に内務省の機関として親衛隊を設置した。 アゾフ大隊は右派セクターを基盤としているが、この右派セクターは2013年11月にドミトロ・ヤロシュとアンドリー・ビレツキーによって組織されている。クーデターを成功させた右派セクターは2014年5月2日にオデッサで反クーデター派の市民を虐殺した。 その日、オデッサではサッカーの試合が予定されていて、フーリガンを含むファンが列車で街に集まっていた。その一団を右派セクターが挑発、ファンの集団を反クーデター派の住民が2月から活動の拠点にしていた広場へと誘導していく。 一方、ネオ・ナチのメンバーは広場に集まっていた住民に暴漢が迫っていると伝え、労働組合会館へ避難するように説得、女性や子どもを中心に住民は建物の中へ逃げ込む。その建物の中でネオ・ナチのグループは住民を虐殺、死体を焼くだけでなく、上の階へ逃げた人びとを焼き殺すために放火したのだ。 当時の状況を撮影した映像を見ると、屋上へ脱出できないようドアはロックされ、外へ逃げた住民は撲殺されている。会館の外で撮影された映像は少なくないが、虐殺を終わった後に内部の無残な様子を撮影した映像もある。 この時に50名近くの住民が殺されたと伝えられているが、これは地上階で確認された死体の数にすぎない。地下室で惨殺された人を加えると120名から130名になると現地の人は語っていた。 その3日後に右派セクターは「アゾフ大隊」になり、今では親衛隊の「アゾフ特殊作戦分遣隊」と呼ばれている。この武装グループを当初率いていたのがビレツキー。その拠点がマリウポリだ。 5月9日にはクーデター軍の戦車がマリウポリの市内へ突入、住民を殺している。その様子も携帯電話で撮影され、世界へ流された。デレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りした6月2日にクーデター政権はルガンスクの住宅街を空爆、住民を殺しているが、その様子を撮影した映像もインターネット上にアップロードされていた。OSCE(欧州安保協力機構)も空爆があったことを認めている。マリウポリの住民にとってアゾフ大隊は占領軍ということになる。 右派セクターをビレツキーと組織したヤロシュをゼレンスキー大統領は昨年11月2日、ウクライナ軍のバレリー・ザルジニー最高司令官の顧問に据えた。ウクライナ軍もネオ・ナチの支配下に入ったということだが、そのネオ・ナチはNATOにコントロールされているはずだ。 ジョー・バイデン大統領の軍事顧問で、2013年5月から16年5月までSACEUR(NATO欧州連合軍最高司令官)を務め、ネオコン/シオニストと強く結びついているフィリップ・ブリードラブ大将は核戦争への恐怖がプーチンに対する適切な対応を西側はとれないのだと主張しているが、NATOはロシアに対して好戦的だ。 それに対し、アメリカの統合参謀本部は自重している。例えばニューズウィーク誌によると、軍の情報機関DIAはロシア軍が長距離ミサイルで攻撃しているターゲットは軍事施設だと説明、住民が狙われているとする話を否定している。 また、アメリカ政府が宣伝している生物化学兵器による「偽旗攻撃」について、アメリカ国防総省の高官はロシアによる化学兵器や生物兵器の攻撃が差し迫っていることを示す証拠はないと語っている。 2022年4月13日にロシア海軍のミサイル巡洋艦モスクワが攻撃され、その翌日に沈没した。その攻撃についてアメリカの有力紙ニューヨーク・タイムズやネットワーク局NBCはアメリカが提供した情報が役立ったと伝えているが、国防総省は否定している。真偽は不明だが、ウクライナへアメリカが情報を提供したとするならば、アメリカ軍ではなくCIAだろう。 モスクワの爆発について、アメリカ国防総省のジョン・キルビー広報官はミサイルや魚雷が命中したか、内部で起こった何かだとしている。つまり原因は不明だと言っている。 ウクライナ側は2機の対艦ミサイル「ネプチューン」が命中したとしているのだが、このミサイルは亜音速でモスクワを撃沈するほど爆発力は大きくない。モスクワの防空システムなら容易に撃墜できるとも言われている。つまり、ネプチューンが撃沈させた可能性は小さい。 そこで注目されているのが2機の電子偵察機。アメリカのP-8AとイギリスのRC-135だ。そのほか無人機のRQ-4も飛行していたという。また炎上するモスクワの写真から魚雷による攻撃を受けたのではないかと推測する人もいる。ミサイルならアメリカ軍もすぐにわかったはずだ。 実際、キルビーも可能性のひとつとして魚雷を上げていたのだが、もし魚雷だとすると、潜水艦から発射されたのではないかという疑いが出てくる。ウクライナ軍の攻撃で沈没した可能性は小さいのだが、アメリカ軍でもないだろう。
2022.05.08
アメリカのFDA(食品医薬品局)とCDC(疾病予防管理センター)が共同で運用しているVAERS(ワクチン有害事象報告システム)への自主的な報告によると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」による死亡者数は4月29日現在、前の週より226名増えて2万7758名に達した。一般的にVAERSに報告される件数は全体の1%にすぎないと言われ、この数字が総数ではないが、流れを見る参考にはなるだろう。 早い段階から帯状疱疹や⾎栓性⾎⼩板減少性紫斑病(TTP)の発症、あるいは体の麻痺が指摘されていた。大きな血栓で脳梗塞や心筋梗塞を引き起こし、微小血栓によって脳、脊髄、心臓、肺などにダメージを与えるとも言われている。「COVID-19ワクチン」の接種で先行したイスラエルでは年少者が「ワクチン」を接種した後に心筋炎や心膜炎を引き起こすと報告され、その後、各国でそうしたことが起こっている。 接種が始まる前から人間の免疫の機能を混乱させるADE(抗体依存性感染増強)も懸念されていたのだが、実際に起こっているようだ。「ワクチン」が作り出す「結合(非中和)抗体」がウイルスを免疫細胞へ侵入させてしまう現象で、「変異株」に対して「中和抗体」が「結合抗体」化することも考えられている。 また、スペインのパブロ・カンプラ教授は昨年6月、「mRNAワクチン」の中に「酸化グラフェン」があることを電子顕微鏡などで発見したと発表、11月には周波数の分析で酸化グラフェンが「ワクチン」に含まれていることを確認したと発表した。 それに対し、その論文を読んだドイツの化学者、アンドレアス・ノアックは酸化グラフェンでなく水酸化グラフェンだろうと解説している。この物質は厚さが0.1ナノメートルの小さな板のようなもので、彼はカミソリの刃になぞらえていた。 8月下旬に日本政府は「モデルナ製ワクチン」の中に磁石へ反応する物質が見つかったと発表、160万本が回収されたと伝えられている。酸化グラフェン、あるいは水酸化グラフェンだった可能性がある。 パンデミックなど危機的な状況下ではWHO(世界保健機関)が全ての加盟国にロックダウンなどの政策を強制できるパンデミック条約を締結しようとする動きも注目されている。 そうした体制を築くため、今年1月下旬にWHOは緊急会議をジュネーブで開いた。現在の定義では恣意的にパンデミックの宣言をすることが可能であり、恣意的に各国へロックダウンを命令できるということだ。 この条約によって強大な権力を握ることになるWHOは私的権力の道具にすぎない。2018年から19年にかけてのWHOに対する上位寄付者を見ると、第1位はアメリカ、第2位はビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団、第3位はイギリス、そして第4位はGavi。このGaviはワクチンを推進するため、2000年にWEF(世界経済フォーラム)の年次総会で設立された団体であり、活動資金はWHO、UNICEF(国連児童基金)、世界銀行、ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団などから得ている。 WEFを創設したクラウス・シュワブは2016年1月にスイスのテレビ番組に出演、そこでマイクロチップ化されたデジタル・パスポートについて語っている。 彼によると、チップを服に取り付けるところから始め、次に皮膚や脳へ埋め込み、最終的にはコンピュータ・システムと人間を融合するという。一人ひとりの感情を監視するだけでなく、思想や記憶の管理も考えているようだ。脳へチップを埋め込む研究は第2次世界大戦が終わって間もない頃からアメリカで進められてきたと言われている。 シュワブの家はナチ協力者として知られ、彼自身はスイスにおけるカトリック神学の中心地であるフリブール大学で経済学の博士号を、またチューリッヒ工科大学でエンジニアリングの博士号をそれぞれ取得。その後にハーバード大学へ留学、そこでヘンリー・キッシンジャーから学んでいる。 その後、スイスのエンジニアリング会社エッシャー・ビース(後にズルツァーへ吸収)に入り、アパルトヘイト時代の南アフリカで核関連の研究に携わった。WEFを創設したのは1971年のこと。その際、CIAからも支援を受けている。昨年6月にはCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)のパンデミック騒動を利用して「資本主義の大々的なリセット」を実行すると宣言している。 こうしたグループは遺伝子の書き換えも考えてきた。「COVID-19ワクチン」のひとつを売っているモデルナだが、そこで医療部門の責任者を務めるタル・ザクスは2017年12月に次のように語っている:DNAはコンピュータのプログラムであり、mRNA技術はOS(オペレーティング・システム)と同じプラットフォームを作り出す。その上で「生命のソフトウェアをハッキングする」というのだ。OSをインストールした上で、目的に即したプログラムを使えるようにするということかもしれない。
2022.05.07
現在、ジョー・バイデン大統領の周辺で核戦争を煽っている人物のひとりが2013年5月から16年5月までSACEUR(NATO欧州連合軍最高司令官)を務め、ネオコン/シオニストと強く結びついているフィリップ・ブリードラブ大将。核戦争への恐怖がプーチンに対する適切な対応を西側はとれないのだと主張している。 核攻撃の目論見は核兵器が開発した直後からあった。第2次世界大戦の終盤、1945年7月16日にアメリカのニューメキシコ州にあったトリニティ実験場でプルトニウム原爆の爆発実験が成功して以来、アメリカやイギリスの一部支配層はロシアへの核攻撃を妄想し続けてきたのだ。 マンハッタン計画を統括していたアメリカ陸軍のレスニー・グルーブス少将は1944年、ポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったという。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017) ドイツが降伏した3カ月後、1945年8月15日に天皇の声明が日本人に対して発表された。「玉音放送」、あるいは「終戦勅語」と呼ばれている。その半月程後、ローリス・ノースタッド少将はグルーブス少将に対し、ソ連の中枢15都市と主要25都市への核攻撃に関する文書を提出している。 9月15日付けの文書ではソ連の主要66地域を核攻撃で消滅させるには204発の原爆が必要だと推計。そのうえで、ソ連を破壊するためにアメリカが保有すべき原爆数は446発、最低でも123発だという数字を出していた。(Lauris Norstad, “Memorandum For Major General L. R. Groves,” 15 September 1945) 1949年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告にはソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという記載がある。1952年11月にアメリカは初の水爆実験を成功させ、1954年にSAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を立てる。 1957年に作成された「ドロップショット作戦」では300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていた。沖縄の軍事基地化はこの作戦と無縁ではないだろう。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) アメリカが必要なICBMを準備でき、しかもソ連が準備できていないタイミングで先制核攻撃をすると考えた好戦派の中には統合参謀本部議長だったライマン・レムニッツァーや空軍参謀長だったカーティス・ルメイが含まれる。彼らは1963年後半に先制攻撃する計画を立てるのだが、そのタイミングで好戦派と対立していたジョン・F・ケネディ大統領は暗殺された。 1958年にドワイト・アイゼンハワー政権は核戦争で正規の政府が機能しなくなった場合を想定し、憲法に定められた手続きを経ずに秘密政府を設置する仕組みを作る。いわゆる「アイゼンハワー10」だ。この仕組みは1979年にFEMA(連邦緊急事態管理庁)へ発展、1982年にはCOGプロジェクトがスタートする。さらに1988年、秘密政府の始動は核戦争から「国家安全保障上の緊急事態」に変更される。 レムニッツァーやルメイを含む好戦派がソ連に対する先制核攻撃の開始日を1963年後半に設定したのは、戦略爆撃機やICBMでアメリカがソ連を圧倒していると判断したからだ。つまり、アメリカの好戦派は自分たちが圧倒的に優位だと考えると、核戦争の妄想が頭をもたげる。 1991年12月にソ連を消滅させたボリス・エリツィンはロシアを欧米の巨大資本に売り渡し、軍隊も弱体化させた。その一方、アメリカの国防総省ではDPG(国防計画指針)草案という形で世界支配を完成させるプランが作成されている。「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。ヨーロッパや東アジアは叩くべき潜在的なライバルとなり、エネルギー資源のある中東で従属度の足りない体制は破壊の対象になった。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、その直後にジョージ・W・ブッシュ政権は詳しい調査をしないまま「アル・カイダ」が実行したと断定、その「アル・カイダ」を指揮しているオサマ・ビン・ラディンを匿っているという口実でアフガニスタンへの攻撃を始めた。 その一方、国内では「愛国者法(USA PATRIOT Act / Uniting and Strengthening America by Providing Appropriate Tools Required to Intercept and Obstruct Terrorism Act of 2001)」が制定された。この法律は340ページを超す文書だが、それを議会は提出されて1週間で承認してしまった。 この法律によってアメリカ憲法は機能を事実上停止、令状のない盗聴や拘束、拷問が横行することになった。COGが起動したと考える人もいる。 アメリカは民主主義を放棄したわけだが、この法律のベースになった法案を1995年2月に提出したとバイデンは自慢している。愛国者法の一部は2015年に失効したものの、「自由法」という形で復活。今ではさまざまな形で愛国者法は生き続けている。 ソ連の消滅でアメリカは「唯一の超大国」になったと同国の好戦派は信じ、自国を2002年にABM(弾道弾迎撃ミサイル)条約から一方的に脱退させた。核戦争でアメリカが圧勝できる時代が来たと彼らは信じたのである。 外交問題評議会(CFR)が発行している定期刊行物「フォーリン・アフェアーズ」の2006年3/4月号に掲載されたキアー・リーバーとダリル・プレスの論文ではアメリカが近いうちにロシアと中国の長距離核兵器を先制第1撃で破壊する能力を持てると主張している。アメリカの好戦派がどのように考えていたかを示唆していると言えるだろう。こうした見方が間違っていることは後に事実が証明するが、今でもアメリカの軍事的な優位を信じている人もいるようだ。 この論文が出された翌年の8月、核弾頭W80-1を搭載した6機の巡航ミサイルAGM-129が「間違い」でノースダコタ州にあるマイノット空軍基地からルイジアナ州のバークスデール空軍基地へB-52爆撃機で運ばれるという出来事があった。 核弾頭を搭載した上で持ち出して輸送したのだが、核弾頭の扱いには厳しい手順が定められている。上層部の許可が必要だ。核弾頭を搭載した6機のミサイルを輸送したということは、そうした手続きを6回経なければならない。この件で10人近い変死者が出ていることもあり、「間違い」ではないと考える人は少なくない。上層部を含むグループが意図的に持ち出したのだろうということだ。 その当時、イランをアメリカが核攻撃するという噂があった。そうしたことから、支配層の一部がイランを核攻撃しようとしたのではないかと疑う人もいる。アメリカ国内で「偽旗作戦」として使う、あるいは恫喝のために使うという推測もあった。この「イラン」を別の国、例えばウクライナへ変えることもできる。ウクライナで核兵器を使用する可能性が高い国はアメリカにほかならない。
2022.05.07
アメリカはEUがロシアから天然ガスや石油を購入することを嫌ってきた。ロシアとEUとの関係が強まり、アメリカのEUに対する影響力が弱まるからだ。 ロシア政府は「非友好国」が同国の天然ガスを購入する場合、決済は4月1日からロシアの通貨ルーブルに限ると発表していたが、ポーランドとブルガリアはそれを拒否、ロシアのガスプロムは4月27日、ポーランドとブルガリアへの天然ガス供給を停止すると発表した。ポーランドは国内消費の約5割、ブルガリアは約7割をロシア産の天然ガスに頼ってきたという。 この決定はアメリカ政府が始めた「経済制裁」、つまり経済戦争に対する反撃だが、ロシアが求めた決済の仕組みは1970年代にアメリカが始めた「ペトロダラー」と基本的に同じである。ロシアの天然ガスを購入するためにはルーブルをかき集めなければならない。その結果、ルーブルは安定、その背後ではペトロダラーの仕組みを揺さぶっているはずだ。 EUの執行機関である欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長は5月4日、ロシア産原油の輸入を禁止するよう求めたが、ハンガリー政府はこの要求に反対している。こうした措置はハンガリーへのエネルギー供給を破綻させるということだが、現在の「制裁」でも次の冬をEUは越せないとも言われている。ライエンの出身国であるドイツでも経済破綻が見通されている。アメリカ政府に残された時間は長くない。 ジョー・バイデン政権の「制裁」政策は自爆攻撃だと考える人もいるが、アメリカの支配層はロシアだけでなくEUの弱体化も狙っていると見ている人もいる。 ソ連が1991年12月に消滅した直後、1992年2月にアメリカの国防総省はDPG草案という形で世界制覇プラン、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」を作成した。旧ソ連圏を乗っ取るだけでなく、EUや東アジアを潜在的なライバルと認識、叩くべきターゲットだとされた。支配力の源泉であるエネルギー資源を支配するため、中東での影響力を強めることも重要なテーマになる。 1980年には新自由主義の教祖的な存在であるミルトン・フリードマンが中国を訪問している。アメリカの支配層は中国へ新自由主義を導入させることに成功したのだ。 しかし、1980年代の後半になると新自由主義による社会の歪みが中国でも深刻化。1988年に実施した「経済改革」は深刻なインフレを招き、社会は不安定化して労働者などから不満の声が高まった。 そこで中国政府は軌道修正を図るのだが、新自由主義を信奉するエリート学生は「改革」の継続を求めた。そうした学生に支持されていたのが胡耀邦や趙紫陽だが、このふたりの後ろ盾だった鄧小平も軌道修正に賛成していた。 そうした学生の運動が高まると、その責任を問われて胡耀邦は1987年に総書記を辞任、89年に死亡。その死を切っ掛けに天安門広場で大規模な抗議活動が始まり、5月に戒厳令が敷かれ、6月を迎えた。 その後、アメリカと中国は関係を修復させる。アメリカの支配層は中国の若手エリートを留学させ、手ずけていたので、たかを括っていたようだ。中国人はカネ儲けさせておけば、国の仕組みをどのように変えても文句を言わないと思い込んでいたと言われている。 アメリカにとって日本は従属国であると同時に潜在的なライバルでもある。中国がアメリカに従属している状態でソ連が消滅した後、アメリカの支配層が日本の力を弱めようとするのは必然だった。その一方、日本を自分たちの戦争マシーンに組み込もうとする。 国連中心主義を掲げていた細川護熙政権は1994年4月に潰され、日本経済はスキャンダルで揺れる。細川を排除するため、最初に動いたのはマイケル・グリーンとパトリック・クローニンのふたり。カート・キャンベルを説得して国防次官補だったジョセフ・ナイに接触、ナイは1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表した。そこには在日米軍基地の機能を強化、その使用制限の緩和/撤廃が謳われていた。 このレポートを日本に実行させるため、1994年から95年にかけて大きな事件が続く。例えば1994年6月に松本サリン事件、95年3月に地下鉄サリン事件が引き起こされ、その直後には警察庁長官だった國松孝次が狙撃された。 8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われるスターズ・アンド・ストライプ紙が日本航空123便に関する記事を掲載、その中で自衛隊の責任を示唆している。 1995年には日本の金融界に激震が走っている。大和銀行ニューヨーク支店で巨額損失が発覚、98年には長銀事件と続き、証券界のスキャンダルも表面化して日本の経済は大きく揺れた。 証券界は日本経済の資金を回すモーター的な役割を果たしていた。つまり証券界のスキャンダルの背後には大蔵省(現在の財務省)が存在していた。銀行のスキャンダルも証券会社のスキャンダルも矛先は大蔵省に向いている。 1997年には「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」が作成され、「日本周辺地域における事態」で補給、輸送、警備、あるいは民間空港や港湾の米軍使用などを日本は担うことになる。「周辺事態法」が成立した1999年にはNATOがユーゴスラビアを先制攻撃した。その後も日本はアメリカの戦争マシーンへ深く組み込まれ、戦争の準備が進む。 そして現在、実戦が目前に迫っているが、そうした中、ロシア政府は5月4日、日本の岸田文雄首相、林芳正外相、岸信夫防衛相、松野博一官房長官を含む日本人63人に対し、ロシアへの入国を無期限で禁止すると発表した。 EUは1993年のマーストリヒト条約発効に伴って誕生したが、その前身はEC(欧州共同体)。このECについて堀田善衛はその「幹部たちのほとんどは旧貴族です。つまり、旧貴族の子弟たちが、今ではECをすべて取り仕切っているということになります。」(堀田善衛著『めぐりあいし人びと』集英社、1993年)と書いている。西ヨーロッパはかつて王族や貴族と呼ばれていた人びとの家系に今でも支配されている。 そうした集団は長年、政略結婚を繰り返してきたことで結束しているのだが、アメリカの支配層とも結びついている。そのひとつの結果として、欧州委員会はCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)の騒動でもアメリカの支配層と連携している。 欧州委員会はCOVID-19騒動が起こる前からEU市民向けの「ワクチン・カード/パスポート」を2022年に実現することを予定していた。この「パスポート」は世界の人びとを管理することが目的だ。 2015年9月に国連で採択された「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」が背後にはある。「SDGs(持続可能な開発目標)」を実現するため、個人を特定するためのシステムに記録されていない人びとを管理する必要があるとされ、デジタルIDの導入が進められることになった。2016年5月には国連本部でどのように導入を進めるかが話し合われ、「ID2020」というNGOが設立されている。 この「パスポート」はマイクロチップ化されて体内に埋め込まれることになり、最終的には脳へ埋め込まれることになる。その段階に到達したなら、記憶に関わる信号を捕捉し、記憶を促進、さらに外部から記憶を管理できるようになるとも見通されている。量子コンピュータが実用化されたなら、人間の「端末化」、あるいは「ロボット化」だ。 ウクライナでの戦闘で、アメリカ国防総省が同国に創設した「兵器クラス」の病原体を研究開発していた施設の存在が確認された。ロシア軍の核生物化学防護部隊を率いているイゴール・キリロフ中将は3月7日に記者会見を開き、ウクライナの生物兵器の研究開発施設から回収した文書について語っているのだ。 ウクライナにはアメリカのDTRA(国防脅威削減局)にコントロールされた研究施設が30カ所あり、生物兵器の研究開発を行っていたとし、文書の一部も公表した。 3月8日には上院外交委員会でビクトリア・ヌランド国務次官はウクライナの施設で研究されている生物化学兵器について質問され、ロシア軍に押収されるかもしれないと懸念している。つまり、ウクライナの研究施設で生物化学兵器の研究開発が行われていたことを否定しなかった。 こうした施設へ資金を供給していたのはロズモント・セネカ・パートナーズやジョージ・ソロスのオープン・ソサエティ。ソロスはロシアや中国の体制転覆を目的とした活動をしてきたことで知られているが、ロズモント・セネカ・パートナーズはバイデン大統領の息子、ハンターが関係している。 ハンターがクリストファー・ハインツやデボン・アーチャーと2009年に創設した投資ファンド。ハインツはジョン・ケリー元国務長官の義理の息子で、アーチャーはエール大学でハインツのクラスメート。バイデンとアーチャーは2014年にブリスマの重役に就任するが、その時、このふたりとビジネス上の関係をハインツは絶ったとされている。 アメリカの生物兵器研究開発施設には、アメリカ国防総省や同省の国防総省のDTRA(国防脅威削減局)が協力、そのほか国務省、USAID(米国国際開発庁)、USAMRIID(米国陸軍伝染病医学研究所)、WRAIR(ウォルター・リード陸軍研究所)、そしてアメリカの民主党が仕事を請け負っている。さらにメタバイオタ、ブラック・アンド・ビーチ、そしてCH2Mヒルも仕事をしている。 メタバイオタは生物学的な脅威の評価したり管理する仕事をしている会社で、ウイルス学者のネイサン・ウルフによって創設された。2014年からエコヘルス同盟のパートナーになっているが、その背後にはUSAIDの「PREDICTプロジェクト」がある。 エコヘルス同盟はアンソニー・ファウチが所長を務めるNIAID(国立アレルギー感染症研究所)から武漢病毒研究所へ資金を提供する仲介役を演じてきたことでも知られている組織。このため、ウクライナの研究所はCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)にも関係しているという疑いが生じている。
2022.05.06
イタリアの日刊紙「コリエーレ・デラ・セラ」のインタビューで教皇フランシスコはウクライナで戦闘が始まった原因について、ロシアの玄関先でNATOが吠えたことにあるのではないかと語り、モスクワでウラジミル・プーチン大統領と会談する希望を持っていると語った。プーチンは2019年7月4日にイタリアを訪問、教皇とシリアやウクライナの問題を話し合っている。 シリアでの戦争は2011年3月に始まった。西側では「内戦」と表現してきたが、実態はアメリカなどの外部勢力がムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を傭兵として利用して始めた侵略戦争にほかならない。 この当時のアメリカ大統領はバラク・オバマ。正規軍を投入した前任者のジョージ・W・ブッシュとは違い、オバマはジハード傭兵を使ったのだが、これは彼の師にあたるズビグネフ・ブレジンスキーがジミー・カーター大統領の国家安全保障補佐官だったときに使った手法を踏襲したものだ。 イギリスの外務大臣を1997年5月から2001年6月まで務めたロビン・クックは05年7月にガーディアン紙で書いたように、「アル・カイダ」はCIAの訓練を受けたムジャヒディンの登録リストを意味する。アラビア語でアル・カイダはベースを意味、データベースの訳語としても使われるのだ。そうした戦闘員をリクルートすることがオサマ・ビン・ラディンの仕事だった。 オバマ大統領は2010年8月、中東から北アフリカにかけての地域でアメリカ支配層にとって目障りな体制を転覆させるためにを承認した。その手先として選ばれたのがムスリム同胞団である。 その計画を作成したチームに含まれていたマイケル・マクフォールはビル・クリントンと同じようにローズ奨学生としてオックスフォード大学へ留学、博士号を取得している。この奨学制度はセシル・ローズの遺産を利用して1903年に創設されたのだが、そうした背景もあり、アメリカやイギリスの情報機関と関係が深いと噂されている。 ローズは1870年、ダイヤモンドや金が発見されていた南部アフリカへ移住し、ダイヤモンド取引で財をなし、デ・ビアスを創設した。ローズに融資していた金融機関はNMロスチャイルド&サンである。 1877年6月にローズはフリーメーソンへ入会するが、その直後に『信仰告白』を書いた。それによると、優秀なアングロ・サクソンが支配地域を広げることは義務だという。 ローズの仲間にはナサニエル・ド・ロスチャイルド、ウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット、アルフレッド・ミルナー、ロバート・ガスコン-セシル、アーチボルド・プリムローズたちがいた。1896年にローズはレアンダー・ジェイムソンを使ってトランスバールへの侵略戦争を始めたが失敗、イングランドへ戻る。 マクフォールは現在、スタンフォード大学の教授で、フーバー研究所のシニア・フェローでもあるが、2012年1月から14年2月まではロシア駐在大使を務めていた。ロシアの大統領選挙を2カ月後に控えた時期に赴任、ウクライナでクーデターを成功させた時期に離任したわけだ。 マクフォールがモスクワへ到着したのは2012年1月14日。その3日後には反プーチン派のリーダーたちがアメリカ大使館を訪れている。活動方針を指示されたと見られているが、この人びとはロシア国民には相手にされていない。 やはりロシア国民から相手にされていない反プーチン派のアレクセイ・ナワリヌイは奨学生としてエール大学で学んでいる。その手配をしたのもマクフォールだ。 アメリカをはじめとする「西側」の政府や有力メディアがシリア政府に対する批判を始める切っ掛けは、民主化を求める平和的な抗議活動を政府軍が暴力的に弾圧したということだったとされている。 しかし、この話は嘘だと言うことをシリア駐在のフランス大使だったエリック・シュバリエは明らかにしている。シュバリエによると、アル・ジャジーラなどの報道は正しくないとアラン・ジュペ外務大臣兼国防大臣(当時)に報告したのだが、この報告に外相は激怒し、残虐な弾圧が行われていると書き直せと脅したという。「暴力的な反政府派」では軍事介入の口実にならないということだろう。 シリアへの侵略でトルコにあるインシルリク基地は重要な役割を果たした。この基地の主な利用者はアメリカ空軍とトルコ空軍で、イギリス空軍やサウジアラビア空軍も使っているのだが、シリアへの侵略戦争では戦闘員の訓練基地であると同時に兵站の拠点でもあった。 2011年にシリアで侵略戦争が始まってから1年ほど後、メルキト東方典礼カトリック教会の修道院長、フィリップ・トルニョル・クロはホムスでの住民虐殺事件を調べるために現地へ入って調査、西側の宣伝が嘘だという結論に達し、「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている」と報告している。 ほかにも西側での宣伝を批判するカトリック関係者がいた。例えば2010年からシリアで活動を続けていたベルギーの修道院のダニエル・マエ神父は住民による反政府の蜂起はなかったと語っている。シリアで宗教活動を続けてきたキリスト教の聖職者、マザー・アグネス・マリアムも外国からの干渉が事態を悪化させていると批判していた。 最近ではカルロ・マリア・ビガノ大司教がウクライナの戦乱はアメリカが2013年から14年にかけて実行したクーデターが原因であり、その手先としてネオ・ナチが使われている事実、またウォロディミル・ゼレンスキー大統領が西側私的権力の影響下にあることも指摘している。このビガノ大司教はすでに引退しているが、バチカン市国行政局次官や駐米教皇大使を歴任した人物である。
2022.05.05
アメリカの国土安全保障省は4月27日に「偽情報管理会議」を創設すると発表、事務局長にはニナ・ヤンコビッチが就任するという。ヤンコビッチはウィルソン・センターの「偽情報フェロー」で、ウクライナ外務省にアドバイスした経験があり、ジョー・バイデン大統領と関係が深い。 この発表の6日前、バラク・オバマ元大統領はスタンフォード大学でソーシャル・メディアの検閲が十分でないと発言している。この事実をトロシ・ガッバード前下院議員は指摘している。 アメリカ政府や西側の有力メディアにとって、彼らが流す物語と違う情報は「偽情報」だ。1970年代までは有力メディアにも権力者にとって都合の悪い事実を伝えるジャーナリストもいたが、80年代に入るとそうした人は排除されていった。 今でもアメリカに「言論の自由」があると信じている日本人もいるようだが、組織としてのメディアは昔からプロパガンダ機関にすぎない。ワシントン・ポスト紙の記者として「ウォーターゲート事件」を暴いたカール・バーンスタインはリチャード・ニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。 その記事によると、1977年までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとバーンスタインにCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) デボラ・デイビスが書いた『キャサリン・ザ・グレート』もCIAによるメディア支配の一端を明らかにしている。彼女によると、第2次世界大戦が終わって間もない1948年頃にアメリカでは「モッキンバード」と呼ばれる情報操作プロジェクトがスタートしている。 そのプロジェクトを指揮していたのは4人で、第2次世界大戦中からアメリカの破壊活動を指揮していたアレン・ダレス、ダレスの側近で戦後に極秘の破壊工作機関OPCを率いていたフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近で後にCIA長官に就任するリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだ。(Deborah Davis, “Katharine the Great,” Harcourt Brace Jovanovich, 1979) CIAのメディア支配はアメリカ国内に留まらない。例えば、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出版、その中で多くの国のジャーナリストがCIAに買収されていて、そうした工作が危険な状況を作り出していると告発している。 彼によると、CIAに買収されたジャーナリストは人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開し、ロシアとの戦争へと導いて引き返すことのできないところまで来ているとしていた。そして現在、アメリカやその従属国はロシアとの戦争をウクライナで事実上、始めている。 ウクライナでロシア軍と戦っている内務省の親衛隊で中心的な存在は2014年5月に創設されたアゾフ大隊(現在の正式名称はアゾフ特殊作戦分遣隊)。その中心になった右派セクターは2013年11月、ドミトロ・ヤロシュとアンドリー・ビレツキーによって編成されている。 ヤロシュは2007年にNATOの秘密部隊ネットワークに参加した人物で、その年の5月にウクライナのテルノポリで開かれた欧州のネオ・ナチや中東の反ロシア・ジハード主義者を統合するための会議で議長を務めている。その当時、アメリカのNATO大使を務めていた人物がビクトリア・ヌランドだ。 ヤロシュを含む自称ナショナリストの歴史は1920年代に組織されたOUN(ウクライナ民族主義者機構)まで遡ることができる。この組織は1941年3月に分裂、反ロシア感情の強いメンバーは幹部のひとりだったステパン・バンデラの周辺に集まる。これがOUN-B(バンデラ派)だ。 このOUN・Bをイギリスの情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーが雇う一方、ドイツが資金を提供し、バンデラの側近だったミコラ・レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入っている。 1941年6月にドイツ軍はソ連へ軍事侵攻する。「バルバロッサ作戦」だ。この作戦に投入した戦力は約310万人。西側には約90万人を残すだけだった。ドイツ軍はウクライナのリビウへ入る。 ドイツ軍は7月にレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達した。10月の段階でドイツだけでなくイギリスもモスクワの陥落は近いと考えていたのだが、12月にソ連軍が反撃を開始、年明け直後にドイツ軍はモスクワで敗北してしまう。ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入するが、ここでもソ連軍に敗北、1943年1月に降伏。この段階でドイツの敗北は決定的になった。 1943年春になるとOUN-Bの戦闘員はUPA(ウクライナ反乱軍)として活動し始め、その年の11月には「反ボルシェビキ戦線」を設立した。ゲシュタポから摘発されていたはずのOUNやUPAの幹部だが、その半数近くはウクライナの地方警察やナチスの親衛隊、あるいはドイツを後ろ盾とする機関に雇われていたと考えられている。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014) ドイツ軍の敗北を見てアメリカとイギリスは慌てて動き出し、この年の7月に軍隊をシチリア島へ上陸させた。シチリア島を含むイタリアで支持されていたコミュニストへの対策ということもあり、アメリカの情報機関はこの時にマフィアからの協力を得ている。ハリウッド映画で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月だ。 アメリカやイギリスの支配層、つまりウォール街やシティの住人はナチスを手先と考えていた。ナチスの戦争犯罪を研究しているアメリカン大学のクリストファー・シンプソンによると、1920年代後半にアメリカからドイツへ融資、あるいは投資という形で多額の資金が流れている。ヨーロッパ大陸全域でアメリカの投資額が激減している中、1929年から40年の間に約48.5%増えた。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995) アメリカからドイツへの投資は限られた金融機関を通して行われていた。その中心になっていたのがディロン・リードとブラウン・ブラザーズ・ハリマン。1924年にはドイツへ資金を流すため、ユニオン・バンキングが設立されるが、その重役にはプレスコット・ブッシュやW・アベレル・ハリマンが含まれている。ブッシュとハリマンはいずれもエール大学でスカル・アンド・ボーンズという学生の秘密結社に所属したいた。 プレスコットが結婚したドロシーの父親はウォール街の大物、ジョージ・ハーバート・ウォーカー。プレスコットは1924年、ウォーカーが社長を務める投資銀行A・ハリマンの副社長に就任、ウォール街でも名の知られた存在になる。そうしたことからウォール街の弁護士だったアレン・ダレスと親しくなる。プレスコットの息子、ジョージ・H・W・ブッシュがCIA長官に就任するのは必然だった。 第2次世界大戦でドイツの敗北が決定的になっていた1943年頃、アレン・ダレスたちはナチスの幹部と接触し始める。サンライズ作戦だ。そうした話し合いを経てアメリカの軍や情報機関はナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、そして雇用する。つまりラットライン、ブラッドストーン作戦、ペーパークリップ作戦だ。アメリカやイギリスの金融資本は第2次世界大戦の前からナチスと緊密な関係にあった。 反ボルシェビキ戦線は1946年4月にABN(反ボルシェビキ国家連合)と呼ばれるようになり、バンデラの側近だったヤロスラフ・ステツコが指揮するようになった。東アジアで1954年に設立されたAPACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とABNは1966年に合体してWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)になる。この組織はCIAと緊密な関係にあった。(Scott Anderson & Jon Lee Anderson, “Inside the League”, Dodd, Mead & Company, 1986) こうした系譜に連なるヤロシュをウォロディミル・ゼレンスキーは昨年11月2日、ウクライナ軍のバレリー・ザルジニー最高司令官の顧問に据えた。軍をネオ・ナチが指揮する態勢ができたと言える。 こうした現実を認めたくない人はウクライナにネオ・ナチはいないと言い張るが、そうした主張をFBIの特別捜査官も否定している。アメリカの白人至上主義者RAMの裁判でスコット・ビアワースは2018年10月に宣誓供述書を提出、アゾフ大隊はネオ・ナチ思想と結びつき、ナチのシンボル主義を使っていると認めている。RAMのメンバーはドイツやイタリアのほかウクライナを訪問していた。
2022.05.04
ウクライナの治安機関でCIAの下部機関でもあるSBU(ウクライナ保安庁)はウォロディミル・ゼレンスキー政権の政策に従わない人びとを拘束している。APによると、その数はウクライナ北東部にあるハリコフだけで400名近くに達した。 2013年11月から14年2月にかけてアメリカのバラク・オバマ政権はウクライナでクーデターを実行、ビクトル・ヤヌコビッチ大統領を暴力的に排除したが、そのヤヌコビッチ派の議員だったオレグ・ツァロフは2013年11月に議会でジェオフリー・パイアット米大使の下で内戦が準備されていると演説している。 実際、クーデターが実行され、その中心にはビクトリア・ヌランド国務次官補とパイアット大使がいた。そのふたりがヤヌコビッチ後の閣僚人事について話し合っている音声が2014年2月4日、インターネット上に公開された。 ヌランドは暴力的にヤヌコビッチを排除するつもりだったが、EUは話し合いで混乱を解決しようとしていた。話し合いではヤヌコビッチを排除することは難しく、怒ったヌランドは「EUなんかくそくらえ」と口にしたのだ。そしてヤヌコビッチ後の閣僚人事を話題にした。彼女が強く推していた人物はアルセニー・ヤツェニュク。実際、首相に就任した。 ツァロフは今年2月19日、ウクライナで「大虐殺が準備されている」という緊急アピールを発表した。ゼレンスキー大統領がごく近い将来、ドンバスで軍事作戦を開始、ドンバスを制圧してからキエフ体制に従わない住民(ロシア語系住民)を「浄化」、つまり皆殺しにする計画で、西側からの承認を得ているともしていた。 さらに、SBUはネオ・ナチと共同で「親ロシア派」の粛清をウクライナの他の地域でも実行することにもなっていたという。そうした虐殺の責任を西側の政府や有力メディアはロシアに押し付けるつもりだったのだろう。ゼレンスキー政権はこの計画を行動に移している。 SBUは暗殺、誘拐、拷問を実行してきた。ロシアからの人道的支援やロシア軍との交渉を受け入れた地方の役人は逮捕されている。例えば、ルガンスクのクーデター政権が支配している地域の市長で、ロシア話し合いでの解決を目指していたボロディミル・ストルクは3月1日に誘拐され、拷問された上で胸を撃たれて死亡した。 3月5日にはロシアと交渉しているチームのひとり、デニス・キリーエフがキエフの路上で治安機関SBUの隊員に射殺され、3月7日にはゴストメルのユーリ・プライリプコ市長の死体が発見されている。4月25日現在、ウクライナでは11名の市長が行方不明だともいう。 SBUによる「国賊狩り」が行われる中、ウクライナの南部にあるミコライフ州のビタリー・キム知事は4月21日、「ウクライナ24テレビ」の番組で「全ての裏切り者を処刑する」と語っている。 そうした処刑を実行するための秘密部隊を編成、すでに作戦を遂行しているともいう。キムにとって「裏切り者」とはゼレンスキーの政策に同意しない人びとであり、それはネオ・ナチに従わない人を意味する。言うまでもなく、その背後にいるのはアメリカ政府だ。アメリカ政府はウクライナで恐怖政治を始めたと言えるが、そうしなければ国民を抑えられないと判断しているのかもしれない。 ミコライフ州はビクトル・ヤヌコビッチの地盤だった地域で、ロシア語を話し、ロシアに親近感を持つ住民が多い。ゼレンスキー政権やその黒幕は住民の反乱を恐れている可能性もある。 西側の有力メディアが展開しているプロパガンダにどっぷり浸かっている「マトリックスの住人」はともかく、現地の人びとは実態を知っている。口を封じる必要があるはずだ。 実際、ドンバス(ドネツクとルガンスク)でロシア軍によってネオ・ナチの親衛隊から解放された人びとは異口同音にネオ・ナチの残虐さを語っている。親衛隊の中心がマリウポリを拠点にしていたアゾフ大隊(現在の正式名称はアゾフ特殊作戦分遣隊)だ。 現在、ウクライナで行われている「国賊狩り」はベトナム戦争の際にCIAと特殊部隊が行った住民皆殺し作戦「フェニックス・プログラム」、あるいはラテン・アメリカでCIAが現地の軍人で編成した「死の部隊」に酷似しているとも指摘されている。 フェニックス・プログラムは1967年6月、MACV(ベトナム軍事支援司令部)とCIAが共同で実行した「ICEX(情報の調整と利用)」として始まった。その名称はすぐに「フェニックス・プログラム」へ変更される。殺人担当チームは軍の特殊部隊から引き抜いて編成されたが、命令はCIAから出ていた。 そうした秘密工作の実働チームとして動いていたのは、1967年7月に組織されたPRU(地域偵察部隊)という傭兵部隊。この部隊を構成していたのは殺人やレイプ、窃盗、暴行などで投獄されていた囚人たちが中心で、「ベトコンの村システムの基盤を崩壊させるため、注意深く計画されたプログラム」だ。 CIA長官としてウィリアム・コルビーはフランク・チャーチ上院議員が委員長を務める特別委員会で証言、その中で「1968年8月から1971年5月までの間にフェニックス・プログラムで2万0587名のベトナム人が殺され、そのほかに2万8978名が投獄された」と語っている。 コルビーはアレン・ダレスの側近のひとりで、1959年から62年までCIAサイゴン支局長、62年から67年までは極東局長、そして68年から71年まではフェニックス・プログラムを指揮。コルビーはチャーチ委員会でCIAが行ってきた秘密工作の一部を明らかにしたことから情報機関の世界には「裏切り者」とみなす人もいた。 そのコルビーの水死体が1996年5月7日、メリーランド州のワイコミコウ川で発見された。近くには砂で満ちたカヌーがあったことから、事故死とされているのだが、行方不明になった日の日程から考えて日没後でなければカヌーに乗れない。隣人の話によると、コルビーの家の鍵はかかっていなかった上、ラジオやコンピュータはついたまま。飲み掛けのワインのグラスがカウンターにあった。 死体が発見されたのは行方不明になった4月27日から10日後。死亡したのは食事から1、2時間後なので、水に浸かっていた時間は9日程度と言うことになるだろうが、死体が水に浸かっていた時間は1日か2日のように見えたという。 フェニックス・プログラムと同じ作戦はラテン・アメリカのほかイラクでも実行されている。そして今、ウクライナでも始まったようだ。
2022.05.03
アメリカ下院のナンシー・ペロシ議長に率いられた下院議員団が4月30日にウクライナを訪問、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領に対してウクライナへの支援継続を誓った。アメリカがウクライナ側に立っているというメッセージを全世界に示すことが議員団訪問の目的だという。 4月29日にはアメリカ国防総省のジョン・カービー報道官が同国はドイツでウクライナ軍の兵士に榴弾砲やレイダーの扱い方を訓練すると発表、リトアニアはNATO加盟国がウクライナへ供給している武器の使い方をウクライナ兵に教える準備をしているという。 その5日前、4月24日にはアメリカのアントニー・ブリンケン国務長官とロイド・オースチン国防長官がウクライナのキエフを極秘訪問、ゼレンスキー大統領と3時間ほど会談したと伝えられている。その会談でアメリカ側はさらなる軍事面や外交面の支援を約束、キエフのアメリカ大使館の再開を睨み、リビウへ外交官を入れるという。 アメリカやその従属国が支援しているウクライナの現体制は2013年11月から14年2月にかけてアメリカのバラク・オバマ政権の実行したクーデターで誕生した。クーデターの主力はネオ・ナチの右派セクターやスボボダ。 右派セクターは2013年11月、ドミトロ・ヤロシュとアンドリー・ビレツキーによって編成されているが、ヤロシュは2007年にNATOの秘密部隊ネットワークに参加、その年の5月にウクライナのテルノポリで開かれた欧州のネオ・ナチや中東の反ロシア・ジハード主義者を統合するための会議で議長を務めている。 その当時、アメリカのNATO大使を務めていた人物がヌランド。ゼレンスキーは昨年11月2日、ヤロシュをバレリー・ザルジニーウクライナ軍最高司令官の顧問に据えた。 スボボダ(自由)は1991年に「ウクライナ社会国家党」としてアンドリー・パルビーらによって設立されたが、これはナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)を連想させるとして改名したという。 クーデタの最中、ユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で市民やベルクト(警官隊)の隊員が狙撃されているが、その責任者がパルビーだったと言われている。任務を終え、建物の外へ出てきたスナイパーをパルビーが出迎えている様子が写真に撮られている。 ビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除したキエフのクーデターに反対する人は軍、SBU(ウクライナ保安庁)、ベルクトにもいて、ドンバス(ドネツクやルガンスク)の反クーデター派に参加した人は少なくないという。こうした事情があるため、当初、クーデター政権がドンバスへ送り込んだ部隊よりドンバスの反クーデター派は強かった。 そこでオバマ政権はテコ入れのためにCIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込み、傭兵会社「アカデミー(旧社名はブラックウォーター)」の戦闘員約400名をウクライナ東部の制圧作戦に参加させたとも伝えられている。またCIAは2015年からウクライナの特殊部隊員をアメリカ南部で訓練しているという。 ウクライナ軍を信頼できなかったのか、クーデター政権は2014年3月に親衛隊を創設、5月には右派セクターを中心にアゾフ大隊(現在の正式名称はアゾフ特殊作戦分遣隊)を組織する。現在、アゾフ大隊が親衛隊の主力だ。 このアゾフ大隊が拠点にしていた場所がマリウポリ。2014年5月9日にクーデター軍はマリウポリの市内へ戦車を突入させ、住民を殺傷している。その様子も携帯電話で撮影され、世界へ流された。 デレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りした6月2日にクーデター政権はルガンスクの住宅街を空爆、住民を殺しているが、その様子を撮影した映像もインターネット上にアップロードされていた。OSCE(欧州安保協力機構)も空爆があったことを認めている。 それ以降、マリウポリを含むドンバスの一部はネオ・ナチに占領されることになり、住民は厳しい状況に陥った。フランス人ジャーナリストのアンヌ-ロール・ボネルは2015年1月に現地へ入り、住民にインタビュー、その映像は「ドンバス」というタイトルで2016年公開されている。そこには住民がペトロ・ポロシェンコ政権によって悲惨な状況に陥っていることが記録されている。 最近では、ル・フィガロ紙の特派員、ジョージ・マルブルノがドンバスを取材している。ウクライナでの取材を終えて帰国した後、アメリカ陸軍のデルタ・フォース(第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊)やイギリス陸軍のSAS(特殊空挺部隊)が戦闘に参加している事実を伝えたが、そのSASはキエフやリビフで地元の兵士を軍事訓練しているともいう。 ロシア軍は3月13日に8機の巡航ミサイル「カリブル」でポーランドとの国境から約10キロメートルの場所にあるヤボリウ基地を攻撃しているが、ここはNATOが兵站の集積場所として、また戦闘員を訓練施設として利用していた。当時、1000名程度の戦闘員が訓練を受けていたという。 ウクライナの南部にあるミコライフ州のビタリー・キム知事は4月21日、「ウクライナ24テレビ」の番組で「全ての裏切り者を処刑する」と語った。住民を脅しているのだろう。 そうした処刑を実行するための秘密部隊を編成、すでに作戦を遂行しているともいう。キムにとって「裏切り者」とはウォロディミル・ゼレンスキーの政策に同意しない人びとだという。 ミコライフ州はビクトル・ヤヌコビッチの地盤だった地域で、ロシア語を話し、ロシアに親近感を持つ住民が多い。ゼレンスキー政権やその黒幕は住民の反乱を恐れているだろう。アメリカがゼレンスキー政権支援をアピールしているのは、ウクライナ国内の動揺を抑えたいからなのかもしれない。 バイデン政権へウクライナについてアドバイスしている退役軍人のひとり、フィリップ・ブリードラブ大将は核戦争への恐怖がプーチンに対する適切な対応を西側はとれないのだと主張している。 ブリードラブは2013年5月から16年5月までSACEUR(NATO欧州連合軍最高司令官)を務めていた軍人で、ネオコン/シオニストと強く結びつき、軍事的な緊張を高めるために偽情報を発信してきた。ブリードラブの発言は危機感の表れだとも言えるだろう。
2022.05.02
黒海に面したウクライナの港湾都市、オデッサの当局は5月1日22時から3日5時まで外出を禁止すると発表した。オデッサを含むウクライナの東部や南部はロシア語を話す住民が多く、ビクトル・ヤヌコビッチの地盤だった。 ヤヌコビッチはアメリカの私的権力に嫌われている人物。2004年に実施されたウクライナ大統領選挙では新自由主義者のビクトル・ユシチェンコを破って勝利するが、ユシチェンコ陣営は「不正選挙」だと主張、2004年から05年にかけてデモや政府施設への包囲などで新政権を揺さぶった。西側もこの行動を支援し、ユシチェンコが大統領の座を奪うことに成功した。いわゆる「オレンジ革命」だ。 ユシチェンコの新自由主義的な政策によって西側の私的権力やその手先は利益を得たが、大多数の人びとは貧困化、2010年の大統領選挙でもヤヌコビッチが勝利する。アメリカのバラク・オバマ政権はネオ・ナチを利用してクーデターを仕組み、2014年2月にヤヌコビッチを排除することに成功。ヤヌコビッチの地盤である東部や南部の住民はクーデターに反発するが、その中にはオデッサも含まれていた。 キエフにおけるネオ・ナチによる残虐行為を知ったクリミアの住民は3月16日の住民投票を経てロシアと統合する道を選ぶ。それに対し、4月12日にCIA長官だったジョン・ブレナンがキエフを極秘訪問、22日には副大統領のジョー・バイデンもキエフを訪れた。バイデンの訪問に会わせるようにしてクーデター政権はオデッサでの工作を話し合ったと伝えられている。 そして5月2日、ウクライナ軍が制圧していたオデッサでは反クーデター派の住民が虐殺される。その日、オデッサではサッカーの支配が予定されていたため、サッカーのフーリガンが集まっていた。そのフーリガンをネオ・ナチの右派セクターが挑発して反クーデター派の住民が集まっていた広場へ誘導する。女性や子どもを含む住民は労働組合会館へと「避難」させられ、その中で右派セクターは住民を虐殺したのだ。 労働組合会館では48名が殺されたとされているが、これは地上階で確認された死体の数にすぎない。地下室で惨殺された人を加えると120名から130名になると現地では言われていた。 会館の中で住民は撲殺されたり射殺され、その後で放火している。上の階へ逃げた人びとを焼き殺すことも目的だったようだ。屋上へ出るドアはロックされ、逃げ出すことはできなかった。屋上には右派セクターであることを示す腕章をした集団がいたので、この集団が反クーデター派の住民を殺すためにロックしたとみられている。この時、会館の外で撮影された少なからぬ映像が存在、内部の無残な様子も撮影されて公開されていたが、すでに削除されたようだ。 2018年にロシアへ亡命したSBUの将校、バシリー・プロゾロフによると、SBUには「死の部隊」が存在、暗殺、誘拐、拷問を実行している。そのターゲットのひとりはルガンスクのクーデター政権が支配している地域の市長で、ロシア話し合いでの解決を目指していたボロディミル・ストルク。3月1日に誘拐され、拷問された上で胸を撃たれて死亡した。 3月5日にはロシアと交渉しているチームのひとり、デニス・キリーエフがキエフの路上で治安機関SBUの隊員に射殺され、3月7日には殺されたゴストメルのユーリ・プライリプコ市長の死体が発見されている。ウクライナでは11名の市長が行方不明だともいう。 ゼレンスキー政権は3月後半、ロシア語系住民を支持基盤とする11の政党を禁止。そうした政党のひとつを率いるビクトル・メドヴェドチュクは昨年から軟禁状態だったが、今年4月に逮捕され、手錠をかけた姿を撮影した写真が公開された。ウクライナ側はメドヴェドチュクとウクライナ兵との交換を求めている。 ウクライナの南部にあるミコライフ州のビタリー・キム知事は4月21日、「ウクライナ24テレビ」の番組で「全ての裏切り者を処刑する」と語った。そうした処刑を実行するための秘密部隊を編成、すでに作戦を遂行しているともいう。キムにとって「裏切り者」とはウォロディミル・ゼレンスキーの政策に同意しない人びとだ。 ゼレンスキー政権はネオ・ナチ、つまりCIAのコントロール下にあるとみられている。CIAがベトナムやラテン・アメリカで展開した住民虐殺作戦をウクライナでも実行しているようだが、これは住民の間でゼレンスキー政権に対する反発が強まっていることを暗示している。オデッサで住民がネオ・ナチに虐殺された5月2日に人びとの怒りが爆発することをオデッサの当局は恐れているのだろう。
2022.05.01
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