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ドニエプル川沿いにあるクレメンチュクにある工場をロシア軍がミサイル2機で攻撃した。ウォロディミル・ゼレンスキー政権はショッピング・モールが狙われたと発表しているが、明らかになった事実から判断して、その主張は正しくない。ロシア軍によると、兵器庫を狙ったとしている。その攻撃で火災が起こり、モールへ延焼したようだが、その時にモールの駐車場には自動車がほとんどないことから、人も少なかったか、いなかったとみられている。 何が保管されていたか不明だが、西側は高性能兵器をウクライナへ供給している。中でも注目されているのはアメリカのHIMARS(高機動ロケット砲システム)とイギリスのM270 MLRS(M270多連装ロケットシステム)だ。米英国はそれぞれの射程距離を約80キロメートルだとしているが、最大射程距離は約300キロメートルに達するという。 現在、キエフ軍は西側から供給されたカエサル155mm自走榴弾砲、HIMARS、M270 MLRSを含む兵器でドンバス(ドネツクとルガンスク)の居住地区を攻撃しているが、兵器庫だけでなく攻撃拠点も非戦闘員が住む地区、建造物に設置しているようだ。 すでにロシア軍はドンバスの大半を制圧、親衛隊の人質になっていた市民を救出、その市民は異口同音に親衛隊の残虐さを告発している。市民の避難場所に入り込み、脱出しようとする市民や兵士を親衛隊員が銃撃、殺傷していると語っている。略奪やレイプの事実も明らかにされてきた。 親衛隊の中核部隊であるアゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)が拠点にしていたマリウポリでは、産婦人科病院が3月9日に破壊された。西側の有力メディアはロシア軍が空から攻撃したと宣伝していたが、脱出した市民はその「報道」を否定している。 そのひとりは西側で反ロシア宣伝のアイコン的に使われたマリアナ・ビシェイエルスカヤ。彼女は3月6日に市内で最も近代的な産婦人科病院へ入院したが、間もなくウクライナ軍が病院を占拠、患者やスタッフは追い出されてしまう。彼女は近くの小さな産院へ移動させられた。最初の病院には大きな太陽パネルが設置され、電気を使うことができた。 そして9日に大きな爆発が2度あり、爆風で彼女も怪我をする。2度目の爆発があった後、地下室へ避難するが、その時にヘルメットを被った兵士のような人物が近づいてきた。のちにAPの記者だとわかる。記者は彼女に密着して撮影を始め、彼女は「何が起こったのかわからない」ものの、「空爆はなかった」と話したという。ところが記者は彼女の発言を自分に都合よく「編集」し、ロシア批判に使われた。 病院への攻撃についてはオンライン新聞の「レンタ・ル」もマリウポリから脱出した別の人物から同じ証言を得ている。その記事が掲載されたのは現地時間で3月8日午前0時1分。マリウポリからの避難民を取材したのだが、その避難民によると、2月28日に制服を着た兵士が問題の産婦人科病院へやってきて占拠、病院のスタッフを追い払って銃撃ポイントを作ったとしている。 ドイツの有力誌「シュピーゲル」はマリウポリのアゾフスタル製鉄所から脱出した住民のひとり、ナタリア・ウスマノバの証言を3分間の映像付きで5月2日に伝えたが、すぐに削除する。西側が展開していた宣伝を否定する内容だったからだ。彼女も親衛隊の残虐な行為を告発したうえ、ロシアへ避難すると宣言、戻る場所はドネツクしかないと語っていた。(インタビューのロイター版と削除部分の映像:ココ) その前から、脱出した市民はアゾフ大隊の残虐行為を証言、映像をツイッターに載せていた人もいた。その人のアカウントをツイッターは削除したが、一部の映像はインターネット上に残っている。 その後も脱出した市民の声が伝えられている。現地で取材していいる記者がいるからで、ドイツ人ジャーナリストのアリナ・リップ、フランス人ジャーナリストのアン-ローレ・ボンネル、カナダ人ジャーナリストのエバ・バートレットが有名だが、フランスの有力メディアTF1やRFIのスタッフ、またロシアやイタリア人の記者もいたという。こうした人びとによって事実が伝えられ始めるにつれ、情報統制が強化されている。 ウクライナを舞台にした戦闘は2013年11月から14年2月にかけてのクーデターから始まる。実行部隊はネオ・ナチだが、そのネオ・ナチを動かしていたのアメリカのバラク・オバマ政権。そのクーデターを現場で指揮していたのは国務次官補だったビクトリア・ヌランドであり、ホワイトハウスで統括していたのはジョー・バイデン副大統領だと言われている。 クーデターでビクトル・ヤヌコビッチ大統領が排除される1カ月ほど前、ヌランドは電話でジェオフリー・パイアット米国大使に対して新体制の閣僚人事について指示している。その際、話し合いで混乱を解決しようとしていたEUに腹を立てた彼女は「クソくらえ」と口にした。単に下品だというだけの話ではない。クーデター後の政権はアメリカの傀儡だということだ。 ゼレンスキーは選挙期間中、腐敗の根絶、進歩、文明化、そしてドンバスとの和平実現といった公約を掲げていた。ロシアに対する敵対的な政策を国民の多くは拒否していたのだが、その公約をゼレンスキーは守らなかった。 ロシア軍の攻撃が始まった後、ウクライナ政府にも話し合いで解決しようとする人がいた。そのひとりがボロディミル・ストルクだが、3月1日に誘拐され、拷問された上で射殺されている。3月5日にはロシアと交渉しているチームのひとり、デニス・キリーエフがキエフの路上で治安機関SBUの隊員に射殺され、3月7日にはゴストメルのユーリ・プライリプコ市長の死体が発見された。ウクライナ全体では11名の市長が行方不明だとも言われている。 現在、ゼレンスキー政権に対して戦争の継続を強要しているのはアメリカのイギリスである。例えば、元NATO欧州連合軍最高司令官(SACEUR)だったフィリップ・ブリードラブ米空軍大将は4月7日に核戦争への恐怖がプーチンに対する適切な対応を西側はとれないのだと発言。その2日後にイギリスのボリス・ジョンソン首相がキエフを訪問し、ロシア政府との停戦交渉を止めるように求めたとされている。 今年のG7首脳会談でジョンソン首相は会議の参加者に対し、現時点でウクライナの戦闘を終わらせるべきでないと主張、それは「悪い平和」だと表現した。イギリス政府はロシアを愚弄して戦争へと導き、ヨーロッパの混乱を継続させようとしている。ふたつの世界大戦の前に行ったようなことをイギリスは繰り返している。
2022.06.30
ウクライナの特殊部隊「シャーマン大隊」がロシア領内へ侵攻、ロシアの重要な基盤施設を破壊する作戦を実行したとイギリスのタイムズ紙は伝えた。石油精製施設、兵器庫、通信施設などが目標になった可能がある。 アメリカのバラク・オバマ政権がウクライナでクーデターを成功させてビクトル・ヤヌコビッチ大統領を暴力的に排除したのは2014年2月のことだった。その翌年からCIAはウクライナの特殊部隊員をアメリカ南部で訓練していると伝えれられている。 ニューヨーク・タイムズ紙によると、CIAだけでなく、イギリス、フランス、カナダ、リトアニアの特殊部隊員がウクライナ国内で活動している。主に首都のキエフで活動しているとされているが、ドンバス(ドネツクとルガンスク)にもいるようだ。 ル・フィガロ紙の特派員、ジョージ・マルブルノはウクライナで取材を終えて帰国した後、アメリカ陸軍のデルタ・フォース(第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊)やイギリス陸軍のSAS(特殊空挺部隊)が戦闘に参加していると伝えていたが、こうしたことも続いているだろう。アメリカ陸軍の第10特殊部隊グループはドイツで訓練の準備を秘密裏に進めているともいう。 ウクライナではネオ・ナチだけでなく、西側の情報機関や特殊部隊も戦闘に参加しているのだが、第2次世界大戦後、アメリカの情報機関と特殊部隊は正規軍と別に軍事作戦を展開してきた。 ナチスに支配されていたドイツは1941年6月、全戦力の4分の3を投入してソ連に向かって軍事侵攻を開始した。「バルバロッサ作戦」だ。ドイツ軍は1941年7月にレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫った。 この展開を見たアドルフ・ヒトラーは10月3日の段階でソ連軍の敗北を確信、再び立ち上がることはないとベルリンで語った。イギリスも同じ見方で、ウィンストン・チャーチル英首相の軍事首席補佐官だったヘイスティングス・イスメイはモスクワの陥落は3週間以内だと推測している。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015) フランクリン・ルーズベルト米大統領はソ連に対して信教の自由を要求、それを受け入れれば助けると伝えていたというが、ウィンストン・チャーチル英首相はソ連を敵視、敗北を願っていた。(前掲書) しかし、米英の見通しとは違ってドイツ軍は攻めきれない。1942年8月にドイツ軍はスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まっていたが、11月になるとソ連軍の反撃でドイツ軍25万人は完全包囲され、43年1月に生き残ったドイツの将兵9万1000名は降伏した。 この展開を見て慌てた米英両国は1943年5月にワシントンDCで会談し、7月に両国軍はシチリア島に上陸した。「ハスキー計画」だ。 この大戦でヨーロッパ各国の軍隊は事実上、ドイツ軍と戦っていない。戦ったのはレジスタンスだったが、その主力はコミュニスト。ドイツの敗北が決定的になると、西ヨーロッパでコミュニストの影響力が強まることを懸念したイギリスのSOEとアメリカのSOは1944年にフランスでゲリラ戦を目的として部隊を編成している。「ジェドバラ」だ。 大戦後、ジェドバラの一部はアメリカの特殊部隊になり、一部は破壊工作機関のOPCになった。1950年に10月にOPCはCIAに吸収され、52年8月にはOPCが中心になって計画局が設置された。計画局は要人暗殺やクーデターなど秘密工作を実行、その一端が1970年代に議会で明らかにされると作戦局に名称を変更、2005年にはNCS(国家秘密局)へ衣替えし、15年には再び作戦局へ戻った。 情報機関の秘密工作を調査するため、1975年1月に上院に特別委員会が設置され、2月には下院でも特別委員会が設置された。上院の委員会はフランク・チャーチ議員が委員長に就任したことから「チャーチ委員会」と呼ばれている。下院の委員会は当初ルシエン・ネジ議員が委員長になるが、すぐにオーティス・パイク議員へ交代したことから「パイク委員会」と呼ばれる。 こうした調査の過程で「フェニックス・プログラム」と名付けられた作戦が明るみに出た。1967年6月、NSC(国家安全保障会議)に所属していたロバート・コマーの提案に基づき、MACV(ベトナム軍事支援司令部)とCIAは共同で「ICEX(情報の調整と利用)」を始動させた。これはすぐ「フェニックス・プログラム」へ名称が変更になる。 この作戦はCIAの命令に基づき、特殊部隊の隊員が動いた。その実働チームとして機能したのは、1967年7月に組織されたPRU(地域偵察部隊)という傭兵部隊。隊員の中心は凶悪犯罪で収監されていた囚人たちだったという。この作戦は「ベトコンの村システムの基盤を崩壊させるため、注意深く計画されたプログラム」だという。その後、CIAと特殊部隊はラテン・アメリカや中東でも似たような作戦に従事、そしてウクライナだ。
2022.06.29
アメリカの情報機関CIAだけでなく、イギリス、フランス、カナダ、リトアニアの特殊部隊員がウクライナ国内で活動しているとニューヨーク・タイムズ紙が伝えている。またウクライナ西部で同国の特殊部隊を訓練していたアメリカ陸軍の第10特殊部隊グループはドイツで訓練の準備を秘密裏に進めているともいう。すでに知られていたことだが、アメリカの有力メディアが伝えたところが興味深い。 ル・フィガロ紙の特派員、ジョージ・マルブルノはウクライナで取材を終えて帰国した後、アメリカ陸軍のデルタ・フォース(第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊)やイギリス陸軍のSAS(特殊空挺部隊)が戦闘に参加していると伝えていたが、こうしたことも続いているだろう。 2013年11月から14年2月にかけてバラク・オバマ政権はネオ・ナチを利用してクーデターを実行、ビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除することに成功した。それ以降、ウクライナはナチズムの影響下に入ったが、ウクライナ南部のクリミアや東部のドンバス(ドネツクとルガンスク)を制圧することに失敗している。このクーデター当時に副大統領だったジョー・バイデンは昨年、大統領に就任した。それ以降、アメリカ政府はドンバスとクリミアを制圧しようと動き始める。 ウクライナの東部や南部はヤヌコビッチの支持基盤であり、住民の多くはクーデターに反発、ドンバスでは戦闘が始まった。そうした住民は「反クーデター」であり、「反ナチ」である。「親ロシア」という表現は適切でない。 こうした反クーデター派の住民にはネオ・ナチから命を狙われていたベルクト(警官隊)隊員のほか、軍の将兵やSBU(ウクライナ保安庁)の隊員も合流、新兵が多いクーデター軍はドンバスで劣勢になった。 そこでオバマ政権はクーデター体制をテコ入れするためにCIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込み、傭兵会社「アカデミー(旧社名はブラックウォーター)」の戦闘員約400名をウクライナ東部の制圧作戦に参加させたという。またCIAは2015年からウクライナの特殊部隊員をアメリカ南部で訓練しているという。 アメリカ/NATOはクーデター体制へ兵器を供給してきた。今年2月24日にロシア軍がウクライナを攻撃し始める前から西側は兵器をウクライナの西端、ポーランドとの国境近くにあるヤボリウ基地で一旦、保管していた。そこでは携帯式対戦車ミサイル「ジャベリン」などを使った軍事訓練が行われているとロイターは2月4日に伝えている。つまり西側の教官がそこにはいた。その基地をロシア軍は3月13日に巡航ミサイルで攻撃している。 オバマ政権が2013年11月にウクライナでクーデターを始めた背景には1992年2月に「DPG草案」(通称ウォルフォウィッル・ドクトリン)という形で作成された世界制覇プランがある。その背後にはイギリスの支配層が19世紀に始めた長期戦略があることも本ブログでは繰り返し書いてきた。 ウォフフォウィッツ・ドクトリンは1991年12月にソ連が消滅してアメリカが「唯一の超大国」になったという認識に基づく。旧ソ連圏の復活を阻止するだけでなく、潜在的ライバルである中国やEUを潰し、覇権の基盤になるエネルギー資源を支配しようとしたのだ。自立した日本がアメリカのライバルに成長することも許されない。 このドクトリンが前提にしていた「ソ連の消滅」は今も変化ないが、米英金融資本の属国になったロシアが21世紀に入って曲がりなりにも自立、筋書きが狂い始めた。 そこでネオコンはロシアを再び属国にしようと必死になる。2008年8月、北京で夏季オリンピックが開催される前日にジョージア軍を利用して行った南オセチアに対する奇襲攻撃の目的もそこにある。2014年のクーデター後にロシアと中国は「戦略的同盟関係」を結び、アメリカは中国も相手にせざるをえなくなった。中国との戦いでは日本が前面に出されるだろう。明治維新の直後と似た状況だ。
2022.06.28
6月29日から30日にかけてスペインで開かれる予定のNATO(北大西洋条約機構)首脳会議に岸田文雄首相が出席する。ウクライナや台湾の情勢に対応するため、アメリカやヨーロッパとの連携を強めることが目的だというが、NATOは軍事同盟であり、その提携は軍事的なものになる。 日本とアメリカはすでに軍事同盟を結んでいる。1951年9月8日にサンフランシスコのオペラハウスで日米両国は「対日平和条約」に調印、同じ日の午後にプレシディオで「安保条約」に調印した。その1週間前に同じプレシディオでアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの3カ国はANZUS条約を結んでいる。 この安保条約が締結されたのは朝鮮戦争の最中で、アメリカが中国との戦争を想定していたであろうことは本ブログで繰り返し指摘してきたことだ。その条約ではアメリカ軍による日本占領の継続と日本の内乱や「付近の安全の乱れ」への介入が認められていた。 1945年4月にフランクリン・ルーズベルトが急死するまでホワイトハウスで実権を握っていたのはニューディール派だったが、1933年から34年にかけて反ニューディール派のクーデターを計画していたウォール街の巨大金融資本も力を維持していた。ルーズベルトの急死でウォール街が主導権を握る。 大戦中、ヨーロッパでドイツ軍と戦っていたのは事実上、ソ連とレジスタンスだけだった。アドルフ・ヒトラーは全戦力の4分の3を東部戦線へ投入したが、その主力部隊が1942年の冬に壊滅、ドイツの敗北は決定的になった。そこでSS(親衛隊)はアメリカとの単独講和への道を探りはじめ、実業家のマックス・エゴン・フォン・ホヘンローヘをスイスにいた戦時情報機関OSS(戦略事務局)のアレン・ダレスの下へ派遣している。そこからダレスはドイツ側との接触を繰り返し、ナチスの高官を保護するために「サンライズ作戦」を始めた。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015) ドイツ軍がソ連を壊滅させると見通していたイギリスやアメリカの支配層は衝撃を受け、1943年7月にシチリア島上陸作戦を実行する。その際、レジスタンスの主力だったコミュニストを抑え込むため、アメリカ軍はマフィアの協力を得ている。ノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月だ。 その頃になるとOSSのフランク・ウィズナーを介してダレスのグループがドイツ軍の情報将校、ラインハルト・ゲーレン准将(ドイツ陸軍参謀本部第12課の課長)と接触している。ソ連に関する情報を持っていたゲーレンをダレスたちは同志と見なすようになった。大戦後、ゲーレンを中心として情報機関が編成され、BND(連邦情報局)になる。 大戦中、中国の昆明ではOSSの第202部隊も活動、その中には後にさまざまなCIAの秘密工作で名前が出てくるレイ・クライン、リチャード・ヘルムズ、E・ハワード・ハント、ジョン・K・シングローブ、そしてワシントン・ポスト紙のコラムニストになるジャック・アンダーソンもいた。 1942年にOSSは中国でSACO(中美合作社)を組織、ゲリラを訓練するが、この組織を指揮していたのが蒋介石の側近だった戴笠。この戴笠はアメリカから提供された武器を新四軍(中国共産党軍)などを叩き潰すために使うことになる。 OSSのエージェントとして中国で活動していたポール・ヘリウェルは1948年にシー・サプライを設立、極秘の破壊工作機関OPC(後にCIAの破壊工作部門になる)が東南アジアで行っていた国民党軍の支援工作に協力する。このヘリウェルと手を組むことになるアメリカ空軍のクレア・シェンノートは1937年から蒋介石の顧問を務めていた人物だ。 大戦後の中国を支配するのは蒋介石が率いる国民党だと推測する人は少なくなかったが、大方の予想に反して国民党は劣勢になり、1949年に入る頃には敗北が決定的になる。国民党に肩入れしていたシェンノートは同年5月にトルーマン大統領と会談、蒋介石を支援するため、さらなる資金援助を求めたものの、拒否された。そこに手をさしのべたのがOPCだ。 OPCが最初に行った作戦は中国共産党の幹部を砲撃で皆殺しにし、偽装帰順させていた部隊を一斉放棄させるというものだが、これは途中で計画が漏れて失敗した。そして始まるのが朝鮮半島で緊張を激化させるための秘密工作。 戦争を行うためには輸送を支配する必要があり、国鉄の強力な労働組合を潰す必要が生じた。そうした中、1949年に引き起こされたのが国鉄を舞台とした下山事件、三鷹事件、松川事件だ。これらの事件で労働組合は総攻撃を受け、致命的なダメージを受けた。 朝鮮戦争が始まる3日前の1950年6月22日、ニューズウィーク誌の東京支局長だったコンプトン・パケナムの自宅で夕食会が開かれ、パケナムのほかニューズウィーク誌の外信部長だったハリー・カーン、ドワイト・アイゼンハワー政権で国務長官に就任するジョン・フォスター・ダレス、ダレスに同行してきた国務省東北アジア課長ジョン・アリソン、そして、日本側から大蔵省の渡辺武、宮内省の松平康昌、国家地方警察企画課長の海原治、外務省の沢田廉三が参加した。 1951年1月にジョン・フォスター・ダレスは講和使節団を率いて来日し、占領後の日本をめぐる交渉が始まる。ダレスは日本に対し、自分たちが「望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利」を求めようとしていたという。(豊下楢彦著『安保条約の成立』岩波新書、1996年) 1953年にドワイト・アイゼンハワーが大統領に就任するとジョン・フォスター・ダレスは国務長官に任命される。この当時、インドシナではフランスがこの地域を再植民地化するために戦っていたのだが、1953年11月にディエンビエンフーを守るフランス軍をベトミン軍が包囲、翌年の5月にフランス軍は降伏した。 それに対し、ダレス国務長官は1954年1月にNSC(国家安全保障会議)でベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案、それを受けてCIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成した。ここからアメリカのインドシナへの軍事介入が始まるが、本格的な介入はジョン・F・ケネディが暗殺され、リンドン・ジョンソンが大統領になってからだ。 この間、アメリカの好戦派はソ連や中国に対する核攻撃を計画している。1945年8月15日に天皇の声明が日本人に対して発表されてから半月ほど後にローリス・ノースタッド少将はレスニー・グルーブス少将に対し、ソ連の中枢15都市と主要25都市への核攻撃に関する文書を提出している。 グルーブス少将は1944年、マンハッタン計画に参加していたポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、その計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったという。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017) 1945年9月15日付けの文書ではソ連の主要66地域を核攻撃で消滅させるには204発の原爆が必要だと推計。そのうえで、ソ連を破壊するためにアメリカが保有すべき原爆数は446発、最低でも123発だという数字を出していた。(Lauris Norstad, “Memorandum For Major General L. R. Groves,” 15 September 1945) 1949年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告にはソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという記載がある。1952年11月にアメリカは初の水爆実験を成功させ、1954年にSAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を立てる。 1957年に作成された「ドロップショット作戦」では300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていた。沖縄の軍事基地化はこの作戦と無縁ではないだろう。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) アメリカが必要なICBMを準備でき、しかもソ連が準備できていないタイミングで先制核攻撃をすると考えた好戦派の中には統合参謀本部議長だったライマン・レムニッツァーや空軍参謀長だったカーティス・ルメイが含まれる。彼らは1963年後半に先制攻撃する計画を立てた。 沖縄が軍事基地化されていく背景にはこうした核攻撃計画がある。アメリカにとって沖縄への核兵器持ち込みは戦略上、必然であった。 そして現在でも沖縄はアメリカが中国やロシアを攻撃する拠点だ。自衛隊は2016年に与那国島、奄美大島、宮古島に施設を建設、23年には石垣島にも建設する予定だ。 アメリカ国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」は今年、アメリカのGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する戦略について分析している。 アメリカ、イギリス、オーストラリのアングロ・サクソン系3カ国は2021年9月に「AUKUS」という軍事同盟を結んだ。日本はアメリカ、オーストラリア、そしてインドと「Quad(クアッド)」と呼ばれる軍事同盟を結んだが、インドは腰が引けている。 インド・太平洋地域でそうしたミサイルの配備はオーストラリアも嫌がっているようで、結局、ミサイル配備を容認する国は日本しかないのだが、その日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約がある。そこでアメリカはASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備に協力するという案をRANDは提示している。 本ブログでは繰り返し書いてきたように、1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が発表されてから日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれた。 1991年12月にソ連が消滅、アメリカが「唯一の超大国」になり、単独で行動できると考えた人は少なくなかったが、ネオコンもその中に含まれている。その当時、国防総省はネオコンのディック・チェイニー長官とポール・ウォルフォウィッツ次官補を軸に動いていた。 そのウォルフォウィッツを中心に「DPG草案」という形で世界制覇プランが1992年2月に作成されている。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。 それに対して細川護熙政権は国連中心主義を掲げていた。そこでこの政権は1994年4月に潰される。この時、最初に動いたのはマイケル・グリーンとパトリック・クローニンのふたり。カート・キャンベルを説得して国防次官補だったジョセイフ・ナイに接触し、ナイは1995年2月に「東アジア戦略報告」を発表したのだ。グリーン、クローニン、キャンベルはウォルフォウィッツやチェイニーと連携している。現在、キャンベルはアメリカのアジア政策を指揮している。 大戦後、ドイツと同じように、日本でもアメリカに協力的な軍人を保護、協力させていた。有末精三陸軍中将、河辺虎四郎陸軍中将、辰巳栄一陸軍中将、服部卓四郎陸軍大佐、中村勝平海軍少将、大前敏一海軍大佐らは特に有名で、そのイニシャルをとって「KATO機関」、あるいは「KATOH機関」とも呼ばれている。 アメリカ軍に対する敵対的な意志を持つ軍人は処分されていたが、処分しきれたとは言えない。そこで日本国憲法の第9条はアメリカにとって必要な条項だったと言えるが、すでにそうした心配をする必要はなくなっている。つまり、アメリカの支配層にとって第9条は邪魔になっている。「改憲」の黒幕はアメリカの支配層だと言うべきだろう。
2022.06.27
ドイツのエネルギー不足は深刻な事態になってきた。自動車産業をはじめとする製造業が致命的な打撃を受けるだけでなく、社会生活に深刻な影響を及ぼすと懸念する声が高まっている。自分たちがロシアに対して始めた「制裁」の結果であり、事前に予測されていたことだが、それでも強行したのはアメリカの命令に逆らえなかったからだろう。 アメリカ政府はロシアに対する「制裁」として、西側諸国の影響下にあるロシアの資産を凍結、エネルギー資源をはじめとする貿易を制限、さらにSWIFT(国際銀行間通信協会)からの排除も決めた。こうした経済戦争をジョー・バイデン政権が計画したのは昨年11月のことだと伝えられている。 ネオ・ナチのリーダーでNATOの秘密部隊に属していると言われているドミトロ・ヤロシュがウクライナ軍参謀長の顧問に就任したのも2021年11月。これによってアメリカはネオ・ナチを介してウクライナ軍を指揮下に置いたと言えるだろう。ロシア軍が巡航ミサイルなどでウクライナに対する攻撃を始めた2月24日よりはるか前の出来事である。 本ブログでも繰り返し書いてきたが、ウクライナを舞台にしたアメリカとロシアの戦争が始まったのは2013年11月のこと。そこから2014年2月にかけてアメリカのバラク・オバマ政権はネオ・ナチを使ってキエフでクーデターを実行、2月22日にビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除した。ウクライナで戦争を始めたのはアメリカにほかならない。勿論クーデターは憲法に違反した行為だ。 ヤヌコビッチの支持基盤はウクライナの東部や南部で、そこにはクリミア、オデッサ、そしてドンバス(ドネツクとルガンスク)も含まれている。当然、そうした地域の住民はクーデターに反発、抗議活動を始めた。そして住民投票が実施され、クリミアではロシアとの統合、ドネツクでは自治、そしてルガンスクでは独立を決める。この事実を認めたくない人びとは例によって「不正」を主張することになるが、国外からも監視グループが入るなど公正なものだったと言える。 こうしたヤヌコビッチの支持基盤を制圧するためにオバマ政権は軍やネオ・ナチを使い、オデッサでは反クーデター派の住民を虐殺し、ドンバスでは戦争が始まった。市民が平和に暮らせているのは対応が早かったクリミアだけである。ジョー・バイデン政権は戦闘が続いているドンバスの制圧を目指し、軍事的な挑発を続けてきた。 ロシア軍が回収した文書によると、今年3月にキエフ政権はドンバスに対する軍事作戦を開始して制圧、反クーデター派を一掃する予定だった。クーデター以来、ロシア軍の攻撃に関係なくアメリカ政府は兵器や戦闘員をウクライナへ送り込んでいた。 バイデン政権が仕掛けた「制裁」でドイツを含むEUだけでなく、日本も深刻なダメージを受けようとしている。その一方、中国はロシアから天然ガスや石油の輸入量を大幅に増やし、ロシアの貿易収支は悪化していないと報道されている。今後、ロシアはBRICSとの貿易を積極的に増やす意向のようだ。 2015年以降、中国とロシアは「戦略的同盟関係」に入った。そして今年3月下旬、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は中国を訪問して王毅外交部長らと会談している。 その際、記者から中露関係の限度について質問された外交部報道官の汪文斌は無限と答えた。中露の協力、平和への努力、安全保障、覇権反対で両国の関係は無限だというのだ。要するに両国はアメリカとの戦いで無限の協力をするということだろう。 そのアメリカはインド・太平洋の地域でイギリス、オーストラリア、ニュージーランド、そして日本と軍事的に協力することを明確にしている。2016年に自衛隊は与那国島、奄美大島、宮古島に施設を建設、23年には石垣島にも建設する予定しているが、そうした島々にASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)が配備されると見られているが、これは中国やロシアとの戦争を想定してのことだ。 おそらく、辺野古の基地はアメリカ軍の計画から外れている。重要なのは与那国島、奄美大島、宮古島、そして石垣島のミサイル基地であり、中国とロシアが軍事的な協力を強めるとグアムは安全でなくなるためテニアン島に新しい空港を建設しているようだ。日本人が辺野古に気を取られている間に国際情勢は大きく変化した。
2022.06.26
アメリカのFDA(食品医薬品局)とCDC(疾病予防管理センター)が共同で運用しているVAERS(ワクチン有害事象報告システム)への自主的な報告によると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」による死亡者数は6月17日現在、前の週より172名増えて2万9031名に達した。 一般的にVAERSに報告される副作用の件数は全体の1%にすぎないと言われているので、これを適用すると「COVID-19ワクチン」による死者は300万人近いということになる。 この「ワクチン」はmRNA技術が使われている。「mRNAワクチン」について、バイエルの重役であるステファン・ウールレヒは2021年10月、「WHS(世界健康サミット)」で「COVID-19ワクチン」が遺伝子治療だと認めているが、この「ワクチン」は問題のある遺伝子を修復しているわけでなく、「遺伝子操作」と表現するべきだと主張する専門家もいる。 また、スペインのパブロ・カンプラ教授は2021年6月、「mRNAワクチン」の中に「酸化グラフェン」が存在していると発表、同教授が発表した論文で示されていた周波数の分析を見たドイツの化学者、アンドレアス・ノアックは酸化グラフェンでなく「水酸化グラフェン」だろうとしている。いずれにしろこの物質は一種の半導体だが、ノアックは微小なカミソリの刃だとも表現している。臓器を傷つけるということだ。 安全性を確認する正規の手順を踏まず、「緊急事態」だという名目で高リスクの「遺伝子治療」を世界規模で行っているのだが、FDAは6月17日、モデルナの「ワクチン」を生後6か月から17歳の子供に、またファイザーの製品を生後6か月から4歳の子供に使用することを承認した。 COVID-19の病原体は「SARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)」だとされている。つまり重症の急性肺炎患者が世界に街中にあふれていることになっているのだが、そうした光景は見当たらない。2019年12月31日、中国の湖北省武漢でSARS(重症急性呼吸器症候群)に似た症状の肺炎患者が見つかったとWHOへ報告されたところから騒動が始まった。実際に重症の急性肺炎患者がいたのだろうが、そうした患者は局所的に見つかるだけだ。しかも死亡者が増えるのは「ワクチン」の接種が始まってからである。 なぜWHO(世界保健機関)や各国政府は安全性を確認していない遺伝子治療を強行、生後6か月の子どもにも接種しようとしているのだろうか。「病気予防」以外の理由があるはずだ。
2022.06.25
BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)の第14回首脳会談が中国主催で6月23日に開かれた。中国の招待でアルゼンチンも参加したが、このほかバングラデシュ、インドネシア、メキシコ、トルコが加盟を望んでいるという。 この会議の直前、ロシアのウラジミル・プーチン大統領は貿易相手をBRICS諸国へ積極的に切り替えると宣言しているが、BRICSに加盟している5カ国で全人口の40%以上を占め、しかも経済が発展している国々であり、合理的な政策だと言える。 しかし、これはロシアとの貿易で経済を維持してきたEUにとってはダメージになる。日本を含め、西側ではロシア人がヨーロッパに憧れを抱いていると信じる人が少なくないようだが、この幻想をプーチンは打ち砕いたと言えるかもしれない。ロシアは中国をはじめとするアジア諸国との貿易を盛んにしていく方針だろうが、その中に日本は含まれていないはずだ。 2015年以降でも日本の少なからぬエリートは中国がロシアと同盟することはないと言い張っていた。中国の若手エリートはアメリカへ留学、ビジネスの結びつきも強いからだということだが、2014年の出来事が中国をロシアへ向かわせたのである。 2014年2月にバラク・オバマ政権はウクライナでクーデターを引き起こしてビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除、同じ年の9月から12月にかけては香港でアメリカとイギリスは反中国運動を仕掛けている。いわゆる「佔領行動(雨傘運動)」だ。 2019年にも香港で反中国運動が展開された。この年の8月8日からツイッター上にアメリカのジュリー・イーディー領事が黄之鋒(ジョシュア・ウォン)や羅冠聰(ネイサン・ロー)を含む反中国運動の指導者たちとJWマリオット・ホテルで会っているところを撮影した写真がアップロードされる。8月12日には香港国際空港が数千人のグループに占拠された。旅客機の発着ができなくなった抗議活動の参加者はアメリカの国旗やイギリスの植民地であることを示す旗を掲げ、中には拡声器を使ってアメリカ国歌を歌う人もいた。 黄之鋒や羅冠聰を動かしていたのは元王室顧問弁護士の李柱銘(マーチン・リー)、香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)副教授、陳日君(ジョセフ・ゼン)、黎智英(ジミー・ライ)だとされている。そのほか余若薇(オードリー・ユー)や陳方安生(アンソン・チャン)も深く関与していたという。 李柱銘は佔領行動の際、ワシントンDCを訪問し、NEDで物資の提供や政治的な支援を要請していた。NEDは1983年にアメリカ議会が承認した「民主主義のための国家基金法」に基づいて創設された組織で、政府から受け取った公的な資金をNDI(国家民主国際問題研究所)、IRI(国際共和研究所)、CIPE(国際私企業センター)、国際労働連帯アメリカン・センターへ流している。資金の使われたかを議会へ報告する義務はなく、その実態はCIAの工作資金を流す仕組みだ。2019年の3月や5月に李柱銘はアメリカを訪れて国務長官や下院議長らと会談している。 2013年から14年にかけてアメリカ政府はウクライナでネオ・ナチを利用したクーデターで体制を転覆させた。これを中国政府は目撃したわけだが、それだけでなく同じ時期にアメリカとイギリスの情報機関が香港で引き起こした暴動を経験している。アメリカに対する警戒を強めたことは間違い無いだろう。必然的にロシアと中国は接近、「戦略的同盟関係」を結ぶことになる。こうした動きを懸念したのがヘンリー・キッシンジャーやその後ろ盾だ。 こうしたアメリカやイギリスの行動を観察していた国はロシアや中国に限らない。アフガニスタン、イラク、リビア、シリアなどアメリカをはじめとする欧米諸国が介入した国が破壊される様子を多くの国々が見ている。 アメリカの支配層は「ドル体制後」の世界でも自分たちがヘゲモニーを握ろうとしている。そうした動きを拒否している国はBRICSの加盟国や加盟を望んでいる国々にとどまらないだろう。首脳会談直前に行われたプーチンの発言は、そうした国々へのメッセージだと言える。
2022.06.25
ウクライナ軍の兵士が戦線から離脱、その理由をインターネット上で説明している(ココやココやココやココ)。戒厳令や戦闘の最中、命令に従わなかった兵士を司令官が射殺しても構わないとする法案がウクライナ議会に提出され、後に取り下げられたようだが、こうした法案が出てくるのは兵士の造反が無視できなくなっているからだろう。ウクライナはネオ・ナチの影響下にある国ではなく、ナチズムに支配された国になりつつある。 マリウポリのアゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)はウォロディミル・ゼレンスキー政権から「玉砕」を命令されていたようだが、大多数の兵士が投降、人質になっていた住民が解放された。その住民はネオ・ナチ軍の実態をカメラの前で証言、西側の有力メディアが展開していた「報道」が嘘だということが明確になっている。 そうした住民が証言する様子を撮影した映像を西側の有力メディアは避けていたが、ドイツの有力な雑誌「シュピーゲル」はマリウポリのアゾフスタル製鉄所から脱出した住民のひとり、ナタリア・ウスマノバの証言を3分間の映像付きで5月2日に伝えた。ところがすぐに削除する。ショルツ内閣や米英の政権にとって都合の悪い事実が語られていたからだ。(インタビューのロイター版と削除部分の映像:ココ) その前から、脱出した市民がマリウポリにおけるアゾフ大隊の残虐行為を証言、映像をツイッターに載せていた人もいた。その人のアカウントをツイッターは削除したが、一部の映像はインターネット上に残っている。 その後も脱出した市民の声が伝えられている。現地で取材していいる記者がいるからで、ドイツ人ジャーナリストのアリナ・リップ、フランス人ジャーナリストのアン-ローレ・ボンネル、カナダ人ジャーナリストのエバ・バートレットが有名だが、フランスの有力メディアTF1やRFIのスタッフ、またロシアやイタリア人の記者もいたという。こうした人びとによって事実が伝えられ始めるにつれ、情報統制が強化されている。 兵士の離脱が続いている一因は、現在のキエフ体制が国民に支持されていないということもある。ゼレンスキー大統領は選挙で圧勝したが、それには理由がある。 例えば「コメディアン」として彼の良いイメージを国民に植え付けていたほか、キャンペーン期間中、腐敗の根絶、進歩、文明化、そしてドンバスとの和平実現といった公約が受け入れられたということもあった。ネオ・ナチ、つまり西側の政策に従わないと宣伝していたのだ。国民はネオ・ナチ体制にうんざりしていたのである。 しかし、大統領に就任してからゼレンスキーはネオ・ナチに従う。今年に入ってからドンバスへの本格的な攻撃を計画していた可能性が高いことは本ブログでも指摘してきた。 ロシア軍の攻撃が始まった後、ウクライナ政府にも話し合いで解決しようとする人がいた。そのひとりがボロディミル・ストルクだが、3月1日に誘拐され、拷問された上で射殺されている。3月5日にはロシアと交渉しているチームのひとり、デニス・キリーエフがキエフの路上で治安機関SBU(ウクライナ保安庁)の隊員に射殺され、3月7日にはゴストメルのユーリ・プライリプコ市長の死体が発見された。ウクライナ全体では11名の市長が行方不明だとも言われている。 4月7日にフィリップ・ブリードラブ元NATO欧州連合軍最高司令官(SACEUR)は核戦争への恐怖がプーチンに対する適切な対応を西側はとれないのだと発言したという。ロシアとの核戦争を恐れるなということだ。その2日後にイギリスのボリス・ジョンソン首相がキエフを訪問したが、それを境にしてロシア政府とウクライナ政府の停戦交渉は止まったようだ。 4月21日にミコライフ州のビタリー・キム知事は「ウクライナ24テレビ」の番組で「全ての裏切り者を処刑する」と語っている。処刑を実行するための秘密部隊を編成、すでに作戦を遂行しているともしていた。それだけ民心がゼレンスキー政権から離れている。キムにとって「裏切り者」とはゼレンスキーの政策に同意しない人びとであり、それはアメリカやイギリスの政府の政策でもある。 現在のキエフ体制は2014年2月にバラク・オバマ政権がネオ・ナチを利用してビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒して始まった。ヤヌコビッチの支持基盤である東部や南部の住民はクーデター体制を拒否、東部にあるドンバス(ドネツクとルガンスク)でクーデター軍と反クーデター軍との戦闘が続いている。 クーデター後、ウクライナではネオ・ナチが幅を利かせ、ベルクト(警官隊)の隊員は命を狙われていた。軍やSBUの隊員、特にベテランの中にはクーデター政権に従うことを拒否した人が少なくなかったようで、ドンバスの反クーデター軍へ合流した人もいると言われている。 SBUは早い段階で粛清が進み、今ではCIAの下部組織になったが、軍にはネオ・ナチ体制に従えない兵士もいるようだ。そして現在のような状況になっている。親衛隊の人質になっていた住民も兵士がネオ・ナチに殺されていたと話している。 下準備は別として、クーデターは2013年11月に始まった。その中心になったのはドミトロ・ヤロシュとアンドリー・ビレツキーらによって組織された「右派セクター」。その直前まで「三叉戟」と呼ばれていた団体がベースになっている。 クーデター直後の2014年3月、ヤロシュは声明を発表し、その中でチェチェンやシリアでロシアと戦ったサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)などイスラム系の武装集団への支援を表明した。ヤロシュが率いる右派セクターは2014年5月2日、オデッサで反クーデター派の市民を虐殺している。5月5日に内務省の親衛隊で中核になる「アゾフ大隊」が組織されるが、中心になるのは右派セクターだ。 5月9日にキエフ体制はドネツクのマリウポリへ戦車部隊を突入させ、住民を虐殺。そうした軍事的な圧力の中、5月11日にドンバスでも自治(ドネツク)や独立(ルガンスク)の是非を問う住民投票が実施され、ドネツクでは89%が賛成(投票率75%)、ルガンスクでは96%が賛成(投票率75%)している。この結果を受け、ドンバスの住民はロシア政府の支援を求めたが、ロシア政府は助けなかった。マリウポリは戦略上重要な場所で、アゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)の拠点になる。6月2日にはデレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りしたが、その日にクーデター政権はルガンスクの住宅街を空爆している。 ヤロシュはドロボビチ教育大学の学生だった時、ワシル・イワニシン教授から学んでいる。この教授はステパン・バンデラ派のOUN-B人脈が組織したKUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)の指導者グループに属していた。 イワニシンが2007年に死亡するとヤロシュが後継者になる。このタイミングでヤロシュはNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われている。その当時、アメリカのNATO大使を務めていた人物がクーデターを指揮することになるビクトリア・ヌランドだ。 その年の5月にウクライナのテルノポリで開かれた欧州のネオ・ナチや中東の反ロシア・ジハード主義者を統合するための会議で議長を務めている。この段階でネオ・ナチはサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団と連携していたと言えるだろう。そして昨年11月、ヤロシュはウクライナ軍参謀長の顧問に就任した。
2022.06.24
バルト海に面したカリーニングラードはロシアの飛び地で、バルチック艦隊の母港がある。2014年2月のクーデターでアメリカは黒海艦隊の母港があるクリミアを制圧することに失敗しているので、チャンスがあればカリーニングラードを狙うと推測している人もいた。 そのカリーニングラードとロシア本体を結ぶ鉄道や道路はリトアニアを通過しているのだが、そのリトアニアが鉄道や道路を利用した輸送を止めたと6月18日に伝えられた。アメリカがロシアに対する経済戦争として始めた「制裁」の対象になっている貨物を積んだ列車やトラックの国内通行をリトアニアは禁止したのだ。 それを受け、ロシアの安全保障会議を率いるニコライ・パトルシェフ書記は21日、リトアニアによる「経済封鎖」へ報復するために「適切な措置が近いうちに講じられる」と宣言した。ドミトリー・ペスコフ大統領報道官やマリア・ザハロワ外務省報道官もリトアニアの行動を批判する声明を発表している。 しかし、リトアニアのこうした行動をロシア政府は予想していたはずだ。NATOによる軍事的攻撃に対する準備も進めていた可能性が高い。報復の方法も検討していただろう。 リトアニアのガブリエリュス・ランズベルギス外相は物流の遮断をEUが承認していると主張、EUのジョセップ・ボレル外務安全保障政策上級代表もそれを確認している。ボレルによると、移動手段を止めたのであって封鎖したわけでなく、人の移動も禁止していないので問題はないらしい。 ランズベルギスはリトアニアという国の有り様を示す人物だ。彼の曽祖父にあたるビータウタス・ランズベルギス-ジェムカルニスはナチス体制のリトアニアで社会基盤大臣を務めていただけでなく、強制収容所の主任監督官だったとされている。少なくともこの時代、ビータウタスはナチスだった。 ナチス体制になった1941年6月当時、リトアニアは22万人のユダヤ人が生活していたが、戦争が終わった時には21万2000人がいなくなった。そのうち5000名はポーランドの強制収容所へ運ばれたとされている。 ポーランドとリトアニアは歴史的なつながりもある。1600年当時、この地域には「ポーランド・リトアニア連邦」なる国があり、その復活を夢見る勢力が存在している。 この地域にはカトリック教徒が多く、バルト海と黒海に挟まれた中央ヨーロッパにカトリックの帝国を作ろうという計画があったが、これはポーランド・リトアニア連邦構想はつながる。ふたつの海に挟まれているということから「インターマリウム」と呼ばれた計画だ。これは現在、「三海洋(バルト海、アドリア海、黒海)イニシアチブ」という形で生きている。 ところで、ビータウタスの曾孫だということがガブリエリュスの政治家としての地位を高めている。外務大臣になれたのもネオ・ナチに支援されているからだと言われている。ウクライナ西部、ポーランド、バルト諸国の地域はナチスの影響た強いが、その一因は第2次世界大戦後にアメリカが脱出させ、保護、後継者を育成してきたナチス人脈がソ連消滅後に戻ったことにある。 ウクライナでクーデターが実行される前、ポーランドでネオ・ナチのメンバーが軍事訓練を受けているが、似た目的の訓練施設をNATOはエストニア、ラトビア、リトアニアに持っていると言われている。
2022.06.23
ロシアのドミトリー・ペスコフ大統領報道官はMSNBCの番組で「西側を再び信用することはない」と明言した。ソ連時代、ミハイル・ゴルバチョフはアメリカやヨーロッパの支配層を信用するという致命的な失敗を犯したが、ウラジミル・プーチン政権になってもその「信仰」から抜けきれていなかったようだ。 ヨシフ・スターリンと対立していたニコライ・ブハーリンを「別の選択肢」として研究していたグループに属していたゴルバチョフは西側の「民主主義」を信じ、アメリカの支配層を信頼していた。歴史や世界情勢に関し、無知だったと言えるだろう。そのゴルバチョフの周辺にはジョージ・H・W・ブッシュを含むCIA人脈と結びついていたKGBの中枢グループが取り巻き、操られていた。自分の置かれた状況に気づいたときは手遅れだったわけである。ゴルバチョフは排除され、実権を握ったボリス・エリツィンはソ連を解体した。 それから間もない1992年2月にネオコンは「DPG草案」として世界制覇プラン、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」を作成する。その時のアメリカ大統領はジョージ・H・W・ブッシュだ。 エリツィン体制は10年近く続くが、21世紀に入るとプーチンのグループがロシアを曲がりなりにも再独立させる。その隣国、ウクライナでは2004年の大統領選挙でビクトル・ヤヌコビッチが当選した。 そこでアメリカのジョージ・W・ブッシュ政権は介入、ヤヌコビッチを排除するため、2004年から05年にかけて「オレンジ革命」を展開、新自由主義者のビクトル・ユシチェンコにすげ替えた。 しかし、ユシチェンコの新自由主義的な政策は西側の巨大資本と結びついた腐敗グループを富ませるだけで庶民は貧困化。そこで2010年の大統領選挙でもヤヌコビッチが当選、再びヤヌコビッチを排除するために13年から14年にかけてネオ・ナチを使ったクーデターを実行した。その際、最前線でクーデターを指揮していたのが国務次官補だったビクトリア・ヌランド。クーデターの直後、ヤヌコビッチの支持基盤だった東部や南部でクーデター政権は住民を殺戮している。 ウクライナでクーデターがあって間もない2014年6月、プーチンの側近と考えられているセルゲイ・グラジエフはアメリカの行動を的確に見通す発言をしている。 ナチスの焚きつけられ、反ロシア感情を植え付けられたアメリカ/NATOがロシアを狙っていると指摘、ウクライナ軍をロシアとの戦争へ引きずり込むとしているのだ。 また、ドンバスを制圧し、その後にクリミアへ矛先を向けるとグラジエフは主張、アメリカのビクトリア・ヌランドはオデッサでウクライナの手先に対し、クリミアを奪い取るため、50万人を投入してロシアと戦うことを期待していると語ったともしている。 グラジエフは「冷戦」を「第3次世界大戦」と考えているが、アメリカの思惑通りに事が進むとウクライナで「第4次世界大戦」が始まり、戦火はユーラシア大陸へ広がると見通していた。その戦争でアメリカがターゲットにするのはロシアだけでなくヨーロッパや中国も含まれ、日本や朝鮮半島も戦争に巻き込まれると指摘するが、これはウォルフォウィッツ・ドクトリンに合致する。 プーチンの周辺には西側の計画を理解している人は少なくなかったものの、エリツィン時代から経済を支配している勢力は西側と友好的な関係を維持しようとしていた。買収や恫喝をしながら表面的な話し合いで時間を稼ぎ、締め上げていくという手法は米英の常套手段。米英の支配層は約束を守らない。 恫喝外交を継承したジョー・バイデン政権のウェンディ・シャーマン国務副長官は1月10日にジュネーブでロシアのセルゲイ・リャブコフ外務次官と会談、安全保障問題について話し合ったようだが、合意には至らなかった。こうしたことの繰り返しだ。 ソ連消滅後、アメリカ政府は約束を守らずにNATOを東へ拡大させ、ついにウクライナへ到達しようとしている。こうした状況を容認できないとロシア政府はアメリカ政府に抗議してきたが、バイデン政権は無視してきた。 その一方、バイデン政権は2021年1月に誕生して以来、ウクライナ周辺で挑発的な行動を繰り返してきた。例えば、3月10日にNATO加盟国の軍艦がオデッサへ入港、同じ頃にキエフ政府は大規模なウクライナ軍の部隊をウクライナ東部のドンバス(ドネツクやルガンスク)やクリミアの近くへ移動させてロシアを挑発。 4月に入るとアメリカ空軍は1週間の間に少なくとも3度、物資を空輸していると伝えられた。4月5日にはウクライナのゼレンスキー大統領はカタールを訪問、そのカタールの空軍は5機の輸送機を使い、トルコを経由でウクライナへ物資を運んでいるという。 そのトルコはウクライナでアメリカと連携、3月14日には少なくとも2機のC-17A輸送機がトルコからウクライナへ物資を輸送、トルコ軍兵士150名もウクライナへ入る。 4月10日にウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領はトルコを訪れてレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領と会談、その直後にトルコの情報機関は「ジハード傭兵」を集め始めている。 その直前、4月6日と7日にはNATO軍事委員会委員長のスチュアート・ピーチ英空軍大将がウクライナを訪問、9日にアメリカは「モントルー条約」に従い、と政府へ自国の軍艦2隻が4月14日か15日に地中海から黒海へ入り、5月4日か5日まで留まるとると通告した。 その前にアメリカの軍艦2隻が4月14日か15日に地中海から黒海へ入り、5月4日か5日まで留まると通告されていたが、ロシアの反発が強いため、米艦船の黒海入りはキャンセル。 そうした中、ウクライナの国防大臣が辞意を表明し、その一方でネオ・ナチ「右派セクター」を率いるドミトロ・ヤロシュが参謀長の顧問に就任したと伝えられた。 6月28日から7月10日にかけてアメリカ軍を中心とする多国籍軍が黒海で軍事演習「シー・ブリーズ」を実施したが、これには日本も参加している。 シー・ブリーズに参加するために黒海へ入っていたイギリス海軍の駆逐艦「ディフェンダー」は6月23日にオデッサを出港した後、ロシアの領海を侵犯してクリミアのセバストポリへ接近。それに対してロシアの警備艇は警告のために発砲、それでも進路を変えなかったことからSu-24戦術爆撃機が4発のOFAB-250爆弾を艦船の前方に投下している。この爆弾は模擬弾ではなく実戦用。その直後にディフェンダーは領海の外へ出た。 当初、イギリス海軍は警告の銃撃や爆弾の投下はなかったと主張したが、問題の駆逐艦に乗船していたBBCの記者ジョナサン・ビールが周囲にロシアの艦船や航空機がいて、銃撃音や爆弾を投下した音を聞いたと伝えている。 6月24日にはオランダのフリゲート艦「エバーツェン」がクリミアへ接近したが、ロシア軍がSu30戦闘機とSu-24爆撃機を離陸させると、領海を侵犯しないまま、すぐに離れていった。 12月に入るとアメリカの偵察機が黒海の上空を何度も飛行、民間航空機の飛行ルートを横切るなど脅しを繰り返し、ウクライナ軍はアメリカ製の兵器を誇示してロシアを挑発している。その前にはアントニー・ブリンケン国務長官がロシアを恫喝、ロード・オースチン国防長官はウクライナを訪問していた。 一方、ウクライナの現政権は部隊をドンバスの近くへ移動させて軍事的な圧力を強めている。ゼレンスキー大統領は外国の軍隊が領土内に駐留することを議会に認めさせ、キエフ政権側で戦う外国人戦闘員にウクライナの市民権を与えることも議会は認めた。またCIAがウクライナ軍の特殊部隊を秘密裏に訓練しているとする情報も伝えられている。 しかし、2014年から始まったウクライナでの戦争はロシアの勝利で終わりそうだ。ドイツのシュピーゲル誌によると、同国のBND(連邦情報局)はウクライナ側の抵抗が7月までに終わ利、8月にはロシア軍がドンバス全域を制圧すると見通している。これはドイツの一般的な見方のようだ。キエフ政権の「国賊狩り」や為替相場の動きを見ても、この見方は正しいように思える。 これまでアメリカは自分たちが不利になると「話し合い」を持ちかけて時間を稼ぎ、反撃の態勢が整うと攻撃するということを繰り返してきた。アメリカの元政府高官から「いい加減にロシアは学べ」と言われるほど「お人好し」だったのだが、ここにきてやっとロシアは学んだ、あるいは米英とつながっている勢力の排除に成功したのかもしれない。
2022.06.22
6月29日から30日にかけてスペインで開かれる「NATO(北大西洋条約機構)」の首脳会議に岸田文雄首相は出席すると言われていたが、6月15日の記者会見で正式に出席を表明した。 日本はアメリカと1951年9月に「安全保障条約」を締結、アメリカの軍事的な拠点になった。1960年1月に結ばれた新たな「安全保障条約」で日米の軍事同盟は強化され、同時に締結された「日米地位協定」で日本がアメリカに従属していることが明確にされるが、この協定の問題は1995年9月に沖縄で引き起こされたアメリカ兵3名による少女暴行事件でも注目されている。その1995年は日本とアメリカの軍事同盟にとって節目になる年だった。 1991年12月にソ連が消滅した当時、アメリカの国防総省はディック・チェイニー長官を中心とするネオコンにコントロールされていた。その部下で、やはりネオコンのポール・ウォルフォウィッツ次官を中心に「DPG草案」という形で世界制覇プランが作成されている。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。 このドクトリンは旧ソ連圏の復活を阻止するだけでなく、潜在的ライバルの中国やEUを潰し、覇権の基盤になるエネルギー資源を支配しようとした。つまり中東もターゲットに含まれる。1990年代にアメリカの有力メディアが戦争熱を煽っていた背後にはそうした戦略があった。 そして1997年にマデリーン・オルブライトが国務長官に就任するとビル・クリントン政権内で好戦的な雰囲気が高まり、98年4月にアメリカ上院はNATO拡大を承認、その年の秋にオルブライトはユーゴスラビア空爆を支持すると表明する。そして1999年3月にNATOはユーゴスラビアを先制攻撃した。 ウォルフォウィッツ・ドクトリンでは日本もターゲットに含まれていたが、それと同時にアメリカの戦争マシーンの一部とも認識された。その日本で総理大臣を務めていた細川護熙は国連中心主義を掲げていたが、これはネオコンの戦略に反する主張。そこで1994年4月に細川政権は潰される。 その時、マイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベルを説得して国防次官補だったジョセイフ・ナイに接触、ナイは1995年2月に「東アジア戦略報告」を発表した。日本をアメリカの戦争マシーンに組み込む道筋を示した報告書だが、日本側の動きが鈍い。 そうした中、日本では衝撃的な出来事が引き起こされた。1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ、ナイ・レポートが発表された翌月の1995年の3月には地下鉄サリン事件、その直後に警察庁長官だった國松孝次が狙撃されている。 8月にはアメリカ軍の準機関紙であるスターズ・アンド・ストライプ紙に日本航空123便に関する記事が掲載された。その記事の中で自衛隊の責任が示唆されている。沖縄の事件はその直後だ。 1995年11月にSACO(沖縄に関する特別行動委員会)を設置することが決められ、96年4月に橋本龍太郎首相とウォルター・モンデール駐日米大使が普天間基地の返還合意を発表する。辺野古に基地を作る計画は1960年代からあり、それがSACOの合意という形で浮上したのだ。 1997年11月に日本政府は名護市(キャンプ・シュワブ)沖へ海上へリポートを建設する計画の基本案を地元に提示、2006年5月に日米両政府は「再編実施のための日米のロードマップ」を発表、辺野古岬、大浦湾、辺野古湾を結ぶ形で1800メートルの滑走路を設置すると発表している。 しかし、2009年9月に成立した鳩山由紀夫内閣は「最低でも県外」を宣言。ところが2010年になると前言を翻し、再び辺野古へ移設するとされた。 この間、アメリカはユーゴスラビアを先制攻撃して国を破壊、21世紀に入ると偽情報を撒き散らしながらアフガニスタンやイラクを侵略、その矛先はロシアへ向けられる。 2008年8月、北京で夏季オリンピックが開催される前日にジョージア軍が南オセチアを奇襲攻撃したのだが、その背後にはイスラエルやアメリカが存在した。この奇襲攻撃はアメリカとイスラエルが入念に準備した作戦だと考えられるが、ロシア軍に惨敗した。戦闘時間は96時間にすぎない。このケースではウクライナでの戦闘と違い、ジョージア軍は住民を人質にできなかった。 イスラエルの会社は2001年からジョージアへ兵器を提供、それと同時に軍事訓練を行ってきた。ジョージアのエリート部隊を訓練していた会社とはイスラエル軍のガル・ヒルシュ准将(予備役)が経営する「防衛の盾」で、予備役の将校2名の指揮下、数百名の元兵士が教官として入っていた。 イスラエルがジョージアを軍事面から支えてきたことはジョージア政府も認めている事実であり、アメリカのタイム誌によると、訓練だけでなくイスラエルから無人飛行機、暗視装置、対航空機装置、砲弾、ロケット、電子システムなどの提供を受けている。(Tony Karon, “What Israel Lost in the Georgia War”, TIME, August 21, 2008) 当時のジョージアとイスラエルの関係はジョージア政府の閣僚を見てもわかる。奇襲攻撃の責任者とも言える国防大臣のダビト・ケゼラシビリ、そして南オセチア問題で交渉を担当していたテムル・ヤコバシビリは流暢なヘブライ語を話すことができ、ケゼラシビリはイスラエルの市民権を持っていたことがある。 アメリカもジョージアの戦争準備に関係していた。アメリカの傭兵会社MPRIとアメリカン・システムズは元特殊部隊員を2008年1月から4月にかけてジョージアへ派遣し、「アフガニスタンに派遣される部隊」を訓練している。 また、攻撃の約1カ月前にアメリカの国務長官だったコンドリーサ・ライスがジョージアを訪問、奇襲攻撃の直後にもライスはジョージアを訪問している。 この直前までアメリカを「唯一の超大国」だと考え、単独で好き勝手に行動できると信じる支配者がいた。ネオコンは典型例だ。そのように考えに基づく論文も発表されている。 例えば、外交問題評議会(CFR)が発行しているフォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキアー・リーバーとダリル・プレスの論文では、アメリカは近いうちにロシアと中国の長距離核兵器を先制第1撃で破壊する能力を持てるとされていた。 アメリカが「唯一の超大国」でないことが判明した後、2009年1月にバラク・オバマがアメリカの大統領に就任、その翌年の8月に中東や北アフリカへの侵略をムスリム同胞団を主力とする武装勢力によって行うことを承認する「PSD-11」を出した。そして始まったのが「アラブの春」。2011年春にはリビアとシリアに対する侵略戦争も始まった。 その年の10月にはリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が倒され、カダフィ本人は惨殺された。その際、NATOがアル・カイダ系武装集団と手を組んでいたことが発覚する。 オバマ政権は兵器や戦闘員をシリアへ集中させるが、バシャール・アル・アサド政権は倒れない。そこでアル・カイダ系武装集団への支援を強化するが、それを軍の情報機関DIAは2012年8月に危険だと警告する。バラク・オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになると警告していたのだ。その時のDIA局長がマイケル・フリン。 その警告は2014年初頭、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)という形で現実になった。そのためオバマ政権の内部で対立が起こり、フリンは2014年8月に退役させられた。 この頃、オバマ政権は世界規模で戦争を仕掛けたようで、2013年11月から14年2月にかけてウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを実行、同年9月から12月にかけて香港で反中国運動、いわゆる「佔領行動(雨傘運動)」を行なっている。 こうしたオバマ政権の作戦は裏目に出て、ロシアと中国を接近させることになる。両国を接近させることになり、今では戦略的同盟関係にある。 オバマ大統領はフリンを追放した後、2015年2月に国防長官をチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ、9月には統合参謀本部議長をマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代させた。戦争に慎重な人物から好戦的な人物に替えたのだ。デンプシーが退役するのを待ち、ロシアのウラジミル・プーチン政権はシリア政府の要請に基づいて軍事介入、アメリカの手先になってきた武装集団を敗走させた。 この段階でアメリカ支配層の一部はヘンリー・キッシンジャーを使ってロシアとの関係修復に乗り出す。2016年2月にキッシンジャーはロシアを訪問してウラジミル・プーチン大統領と会談、22日にシリアで停戦の合意が成立している。 その年の大統領選挙ではヒラリー・クリントンが当選することが内定していたが、キッシンジャーのロシア訪問から風向きが変わる。ドナルド・トランプが台頭、選挙に当選するのだが、民主党だけでなく、有力メディア、CIA、そしてFBIから攻撃を受けた。 ネオコンはウクライナを拠点としたロシア攻撃の準備を進める一方、そのロシアと戦略的同盟関係にある中国への圧力も強める。日本はその手先だ。今年、アメリカはGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する戦略について分析、中国との関係を無視してアメリカの命令に従う国は日本しかないという結論に達したようだ。 しかし、日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約がある。そこでGBIRMを配備することは難しいため、ASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備に協力するという案を提示している。 2016年に自衛隊は与那国島、奄美大島、宮古島に施設を建設、23年には石垣島にも建設する予定しているが、そうした島々にASCMを配備させようとしている。そうしたミサイルで台湾海峡、東シナ海、そして中国の一部海岸をカバーできるというわけだ。 日本は1995年にアメリカの戦争マシーンに組み込まれた。そうした中、辺野古に基地を作るという話が表面化したわけだが、その後、状況は大きく変化した。ロシアや中国をアメリカは簡単に粉砕できるという前提は崩れ、ロシアや中国が保有する兵器の性能は格段に向上したのである。 アメリカ軍は辺野古への移設を好ましいとは思っていないだろう。アメリカの好戦派はロシアや中国の周辺にミサイルを配備し、いつでも核戦争を始められる体制を整えようとしている。与那国島、奄美大島、宮古島、石垣島の基地の方が重要なはずだ。 そうした態勢を整えつつある日本の総理大臣がNATOの首脳会議に出席するということは、ユーラシア大陸の周辺を支配して内陸部を締め上げるという19世紀から続くイギリス(アングロ・サクソン)の長期戦略へ日本が再び参加するということにほかならない。イギリスやアメリカの支援で成立した明治体制は琉球を併合、台湾へ派兵、江華島事件を引き起こし、日清戦争や日露戦争へ突き進んだ。
2022.06.21
ウクライナの20%をロシア軍が支配しているとウォロディミル・ゼレンスキー大統領は語っている。キエフ側の親衛隊が行ってきた住民を人質に取る作戦も限界に達し、ドンバス(ドネツクとルガンスク)のほぼ全域を現地軍やロシア軍が制圧、掃討作戦を展開しているようだ。 ドイツのシュピーゲル誌によると、同国の情報機関「BND(連邦情報局)」は7月までにウクライナ側の抵抗が終わると分析している。そして8月にはロシア軍がドンバス全域を制圧すると見通している。 そこで早急にHIMARS(高機動ロケット砲システム)やM270 MLRS(M270多連装ロケットシステム)のような高性能兵器を供給するように求める声が出ている。アメリカはHIMARSを、またイギリスはM270 MLRSを引き渡すとしている。両国はそれぞれの射程距離を約80キロメートルだとしているが、最大射程距離は約300キロメートルだ。 ゼレンスキー政権やポーランド政府のほか、アメリカのジョー・バイデン政権やイギリスのボリス・ジョンソン政権は軍事的な緊張を高めようとしているが、EUの内部にはそうした好戦的な方針を嫌がっている国もある。 本ブログでも繰り返し書いてきたが、現在、ウクライナで行われている戦争は短期的に見ても2013年11月から14年2月にかけてアメリカのバラク・オバマ政権がネオ・ナチを使って実行したキエフにおけるクーデターから始まる。 クーデターの前、ウクライナは経済的に厳しい状況にあった。新自由主義的な政策を続けていたひとつの結果だ。それを打開するため、ビクトル・ヤヌコビッチ大統領はロシアが提示した良い条件の提案に乗ろうとしたのだが、それをアメリカの支配層は許せなかった。そしてクーデターを仕掛けたわけだ。 ヤヌコビッチの支持基盤だったクリミア、ドンバス、オデッサなど東部や南部の住民はクーデター政権を認めず、住民投票でロシアとの統合(クリミア)、自治(ドネツク)、独立(ルガンスク)を決める。 そのうち重要な軍港があるクリミアの要求をロシアは受け入れたものの、ドンバスの要求をロシアは受け入れない。2014年9月に締結された停戦を定めた「ミンスク合意」で足れりとしたのだが、ネオ・ナチは無視。約束は守らないアメリカは加わっていない。2015年2月には「ミンスク合意2」が締結されたが、それでもキエフ政権側からの攻撃は続き、1万3000人とも1万4000人とも言われるドンバスの住民が殺されている。 そして今年2月19日、ウクライナの政治家であるオレグ・ツァロフは緊急アピール「大虐殺が準備されている」を出し、ゼレンスキー大統領がごく近い将来、ドンバスで軍事作戦を開始すると警鐘を鳴らした。 そのアピールによると、キエフ政権の軍や親衛隊はこの地域を制圧、自分たちに従わない住民を「浄化」しようとしているとされていた。ドンバスを制圧し、キエフ体制に従わない住民(ロシア語系住民)を「浄化」、つまり皆殺しにするというのだ。西側から承認を得ているともしていた。この作戦と並行してSBU(ウクライナ保安庁)はネオ・ナチと共同で「親ロシア派」の粛清を実行することにもなっていたという。 後にロシア軍が回収した文書によると、ゼレンスキーが1月18日に出した指示に基づいて親衛隊のニコライ・バラン上級大将が1月22日に攻撃の指令書へ署名、ドンバスを攻撃する準備が始まった。2月中に準備を終え、3月に作戦を実行することになっていたとしている。 3月に攻撃が実行された場合、ドンバスでは大多数の住民が虐殺されて証言することはできなかった可能性がある。ドンバス以外でもロシアを敵視しない住民は殺され、「死人に口なし」を利用して虐殺の責任を西側の政府や有力メディアはロシアに押し付けることになっただろう。こうした「浄化」作戦をキエフ側が実行する直前にロシア軍は動いたことになる。 これまでウラジミル・プーチン政権は話し合いを優先、核戦争を回避しようとしてきた。その背景には「欧米の民主主義」に対する盲目的な信奉があったのかもしれない。それでミハイル・ゴルバチョフは致命的な失敗を犯したのだ。 その結果、旧ソ連圏の庶民は塗炭の苦しみを見ることになり、欧米信奉から抜け出したようだが、ロシアのエリートは欧米信奉から抜けきれていなかったようである。 しかし、プーチンのブレーンとして知られるセルゲイ・グラジエフはウクライナでクーデターがあって間もない2014年6月、アメリカの行動を的確に見通していた。 ナチスの焚きつけられ、反ロシア感情を植え付けられた非常に強力な軍事機構、つまりアメリカ/NATOがロシアを狙っていると指摘、ウクライナ軍をロシアとの戦争へ引きずり込み、ドンバスを制圧した後にはクリミアへ矛先を向けると主張。またアメリカのビクトリア・ヌランドはオデッサでウクライナの手先に対し、クリミアを奪い取るため、50万人を投入してロシアと戦うことを期待していると語ったとしている。 アメリカの思惑通りに事が進むと「第4次世界大戦」が始まり、戦火はユーラシア大陸へ広がると見通す。グラジエフは「冷戦」が「第3次世界大戦」だと考えている。次の戦争でアメリカがターゲットにするのはロシアだけでなくヨーロッパや中国も含まれ、日本や朝鮮半島も戦争に巻き込まれると指摘した。 アメリカやイギリスの支配層は次の世界大戦も第1次や第2次と同じようにユーラシア大陸が主戦場になり、イギリスやアメリカは戦火に巻き込まれないと思っているかもしれない。ユーラシア大陸の人びとが互いに殺し合い、自分たちは無傷で生き残ると信じている可能性がある。 ロシアのエリート層の少なくとも一部は2014年6月の段階でこのように見通していた。実際、アメリア政府の政策はロシアよりEUが受けるダメージが大きい。 それにもかかわらずEUのエリートはアメリカ支配層の命令に従い、破滅へと向かっている。そうした様子を見て、プーチン政権はここにきてEUに見切りをつけたようで、EUの優先順位は高くないと明言、中国重視を明確にしている。ボリス・ジョンソン首相やリズ・トラス外相がロシアを倒し、屈服させると公言しているイギリスと交渉する余地はないともセルゲイ・ラブロフ露外相は語っている。 ジョー・バイデンは大統領に就任して間もない頃にルビコンを渡ったが、このギャンブルは失敗した可能性が高い。日本もアメリカやEUと運命を共にするのだろう。今の状態で次の冬を日米欧が乗り越えることは難しいという見方もあり、夏から秋にかけて何らかの動きがあるかもしれない。
2022.06.20
イギリスのプリティ・パテル内務大臣は6月17日、ジュリアン・アッサンジのアメリカ移送を認める文書に署名したという。アッサンジが創設したウィキリークスは内部告発を支援する活動を続け、アメリカ支配層の怒りを買っていた。内部告発を支援する行為はジャーナリストの仕事に含まれ、そうした意味でウィキリークスのメンバーはジャーナリストだと言える。アメリカへ移送された場合、懲役175年が言い渡される可能性がある。 ウィキリークスが公表したアメリカ支配層にとって都合の悪い情報は少なくないが、そのひとつは2010年4月に公開された映像。アメリカ軍のAH-64アパッチ・ヘリコプターが2007年7月に非武装の一団を銃撃、十数名を殺害する場面を撮影した映像を公開したのだ。犠牲者の中にはロイターの特派員2名が含まれていた。 その情報源だったアメリカ軍のブラドレー・マニング(現在はチェルシー・マニングと名乗っている)特技兵は公開から間もなく逮捕され、スウェーデンの検察当局は2010年11月にアッサンジに対する逮捕令状を発行している。 2016年に実施されたアメリカ大統領選挙では次期大統領に内定していたヒラリー・クリントンの前に大きな障害が現れた。ひとりはバーニー・サンダース。そこでDNC(民主党全国委員会)はサンダースの足を引っ張る工作を始めるのだが、その実態を明らかにする電子メールをウィキリークスが明らかにしてしまう。そこでヒラリーたちが始めたのが「ロシアゲート騒動」だ。 2017年にはCIAの幹部やドナルド・トランプ政権の高官がアッサンジの暗殺について議論したという。その年、ウィキリークスはCIAが保有するマルウェア、ウイルス、トロイの木馬といったサイバー戦争用のツールに関する文書「ボルト7」を明らかにしている。 自分たちの悪事を暴く人びとを支配者たちは弾圧する一方、メディアを支配することで情報をコントロールしてきた。第2次世界大戦後にアメリカがはじめられた情報操作プロジェクト「モッキンバード」は典型例だ。 このプロジェクトをCIAで担当していたのはコード・メイヤーで、実際の活動を指揮していたのはアレン・ダレス、ダレスの側近だったフランク・ウィズナーとリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだとされている。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979) グラハムは第2次世界大戦中、陸軍情報部に所属、中国で国民党を支援する活動に従事していた。その時の仲間のひとりがヘルムズ。そのほか後にCIA副長官になり、CSISの創設に関わったレイ・クライン、グアテマラのクーデターなどに参加し、ウォーターゲート事件で逮捕されたE・ハワード・ハント、そしてさまざまな秘密工作に関与し、駐韓米軍の司令官を務め、WACL(世界反共連盟)の議長を務めたことジョン・シングローブも含まれる。 ワシントン・ポスト紙の記者として「ウォーターゲート事件」を暴いたカール・バーンスタインはリチャード・ニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。 その記事によると、1977年までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとバーンスタインにCIAの高官は語ったという。ニューズウィーク誌の編集者だったマルコム・ミュアは、責任ある立場にある全記者と緊密な関係をCIAは維持していたと思うと述べたとしている。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) CIAのメディア支配はアメリカ国内に留まらない。例えば、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出版、その中で多くの国のジャーナリストがCIAに買収されていて、そうした工作が危険な状況を作り出していると告発している。CIAに買収されたジャーナリストは人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開し、ロシアとの戦争へと導いて引き返すことのできないところまで来ていると彼は警鐘を鳴らしていた。 情報の伝達手段には新聞、雑誌、放送、出版などがあったが、いずれもスタートさせるためには相当額の資金が必要だが、インターネットの発展で個人、あるいは少人数で情報を発信することが可能になった。そのように時代が変化する中、ウィキリークスも生まれる。 アメリカの国土安全保障省は4月27日、「偽情報管理会議」を創設すると発表、事務局長にはニナ・ヤンコビッチが就任することになるが、その直後から反発が高まった。この人物はウィルソン・センターの「偽情報フェロー」でウクライナ外務省にアドバイスした経験があるだけでなく、ジョー・バイデン大統領と関係が深い。さすがに反発が強く、5月18日に彼女は辞任している。 アメリカの支配層がアッサンジを憎悪したのは、ウィキリークスが自分たちにとって都合の悪い事実を明らかにしたからであり、結果として既存の有力メディアが偽情報を流していることを人びとへ知らせることになった。 アッサンジはオーストラリア人であり、活動はヨーロッパが中心だった。今回のようなことが認められるなら、アメリカの当局は自国の法律に基づき、自分たちに都合の悪い情報を明らかにする全世界のジャーナリストを拘束、懲罰できるということになる。少なくともアメリカ、イギリス、オーストラリア、エクアドルは言論の自由を否定した。
2022.06.19
アメリカのFDA(食品医薬品局)とCDC(疾病予防管理センター)が共同で運用しているVAERS(ワクチン有害事象報告システム)への自主的な報告によると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」による死亡者数は6月10日現在、前の週より145名増えて2万8859名に達した。一般的にVAERSに報告される副作用の件数は全体の1%にすぎないと言われているので、これを適用すると「COVID-19ワクチン」による死者は300万人近いということになる。 この「ワクチン」が高リスクだということは明確で、当初から遺伝子治療だと指摘されていた。昨年10月にはバイエルの重役、ステファン・ウールレヒも「mRNAワクチン」は遺伝子治療だと認めている。 モデルナはmRNA技術について、コンピュータのオペレーティング・システムのようなプラットフォームを作ると説明している。同社の最高医療責任者であるタル・ザクスは2017年12月、遺伝子を書き換えて癌を治療する技術について説明していた。 つまり「ワクチン」というタグがつけられているものの、古典的な意味のワクチンではなく、新しい治療技術だ。しかもCOVID-19とされる病気に有効な薬が複数存在する。 COVID-19が出現したのは中国の湖北省武漢だとされている。2019年12月31日にSARS(重症急性呼吸器症候群)に似た症状の肺炎患者が見つかったとWHOへ報告されたところから騒動が始まった。 武漢で感染対策を指揮したのは中国軍の医療部門で生物兵器の専門家という陳薇。2002年から中国で広まったSARSを押さえ込んだのは彼女のチーム。インターフェロン・アルファ2bを試したところ有効で、速やかに感染を抑え込むことに成功した。西側で患者を隠しているとする話が流されていたが、これほど早く沈静化されるとは想定していなかったのかもしれない。中国の習近平国家主席はキューバのミゲル・ディアス-カネル大統領に謝意を述べたと伝えられている。 そのほか抗マラリア薬のクロロキンがコロナウイルスに対して有効だとする論文が2005年8月22日、ウイルス・ジャーナルというNIH(国立衛生研究所)の公式刊行物に掲載され、ヒドロキシクロロキンはクロロキン以上に安全で効果が期待できると言われた。 また、メキシコでは昨年12月28日から駆虫薬として知られているイベルメクチンがCOVID-19の治療に使われ、入院患者を大幅に減らすことに成功したと保健省と社会保険庁は発表している。 正規の手順を踏んで安全性を確認していない新しい治療技術の緊急使用を認める状況にはないのだが、FDA、CDC、あるいはWHO(世界保健機関)も高リスク薬を接種させてきた。遺伝子治療、あるいは遺伝子操作を推進したいのだろう。 FDAは6月17日、モデルナの「ワクチン」を生後6か月から17歳の子供に、またファイザーの製品を生後6か月から4歳の子供に使用することを承認した。
2022.06.18
ジョー・バイデン米大統領は大手石油会社のCEOに対し、石油や天然ガスの価格上昇を緩和させるように求める手紙を出したという。その責任はロシアや石油会社にあり、自らの政策は関係ないということのようだ。 コンピュータで管理されている現在の相場は人為的にコントロールされていると言われているが、それでも基本は需要と供給のバランス。需要はCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動で減少したが、バイデン政権がロシアとの取り引きを厳しく制限したことで西側諸国への供給が滞っている。 ロシアには中国という巨大なマーケットがあり、問題は大きくないのだが、EUは厳しい状況に陥った。天然ガスの生産量が最も多い国はアメリカだが、シェール・ガスやシェール・オイルに頼っている。この生産方法は環境を汚染するだけでなく、生産コストが高い。しかもEUへ輸送するにはLNG(液化天然ガス)の形で行うため、輸送コストが高くなる。 ロシア政府はアメリカに従属している国へ天然ガスを供給しないとは言っていない。そうした「非友好国」でも決済をロシアの通貨ルーブルにすれば売っている。 ロシアからEUへ天然ガスを輸送する場合、パイプラインが使われているが、その多くがウクライナを通過していた。バラク・オバマ政権が2013年11月から14年2月にかけてネオ・ナチを使ったクーデターでウクライナの体制を転覆させたが、その目的のひとつはそこにある。ロシアの天然ガス市場を奪い、EUの供給源を断つということだ。 ソ連が消滅した直後の1992年2月にジョージ・H・W・ブッシュ政権のネオコン人脈は国防総省はDPG草案という形で世界制覇プランを作成した。そのプランの作成で中心的な役割を果たしたのは国防次官だったポール・ウィルフォウィッツ。その時の国防長官はディック・チェイニーだった。 ライバルだったソ連の消滅でアメリカは「唯一の超大国」になったとネオコンたちは認識、他国に配慮することなく行動できる考えた。支配力の源泉であるエネルギー資源を支配するだけでなく、アメリカに従属する「友好国」も潜在的ライバルになった。そこで支配力の源泉であるエネルギー資源を支配するだけでなく、EUや東アジアを叩くことになる。 アメリカは第2次世界大戦が終わった直後、ヨーロッパを支配する仕組みとしてNATOを組織、その支配力は強まってきた。それでもまだ不十分だとアメリカの一部支配層は考えている。 それに対し、EUにもアメリカから自立する道を探っている人びとがいる。そして建設されたのが「ノードストリーム1」。これは2011年11月に開通した。それと同時に「ノードストリーム2」の建設が始まり、アメリカの妨害を乗り越えて21年9月には完成している。 しかし、ウラジミル・プーチン露大統領がドンバス(ドネツクとルガンスク)の独立を承認した翌日、つまり2月22日にドイツ政府は「ノードストリーム2」の承認手続きを中止すると発表した。 それでも「ノードストリーム1」は稼働しているが、ここにきて輸送量が大幅に減少した。このパイプラインは1日に1億6700万立方メートルの輸送能力があるのだが、6月14日にロシアのエネルギー会社「ガスプロム」から1億立方メートルに減少したという発表があった。その直後に輸送量は6700万立方メートルだと訂正されている。 輸送量が減少した理由は、コンプレッサーの装置をシーメンスが修理のために取り外し、カナダで直して戻そうとしたところ、アメリカ政府が行っている「制裁」で戻せなくなったためだという。アメリカ政府は「ノードストリーム2」だけでなく「ノードストリーム1」も止めたいはずだ。ちなみに、シーメンスはドイツの情報機関BNDと緊密な関係にあり、必然的にアメリカのCIAとも関係が強い。
2022.06.17
2013年11月から14年2月にかけてのクーデターで現在のキエフ体制は出来上がり、クーデター政権を拒否するドンバス(ドネツクとルガンスク)の住民との戦争が始まった。そのクーデター当時からポーランドがウクライナ情勢に深く関与している。 現在、苦境に立つウクライナをポーランドは呑み込むかのような動きを見せ、ポーランドにNATO軍は軍事的な基盤を築きつつある。ウクライナはクーデターの頃には経済が厳しい状況にあり、それを打開するためにビクトル・ヤヌコビッチ大統領はロシアが提示した良い条件の提案に乗ろうとした。 それを許せなかったアメリカのバラク・オバマ政権は配下のネオ・ナチを使い、クーデターを実行。東部地区や南部地区を支持基盤とするヤヌコビッチを排除することに成功した。ウォロディミル・ゼレンスキー政権もクーデター体制の中から誕生している。 クーデターの前にネオ・ナチのグループは軍事訓練を受けている。例えば、2013年9月にポーランド外務省はネオ・ナチ86人を大学の交換留学生として招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたって暴動の訓練をしたとポーランドで報道されている。 戦闘員や兵器はポーランド経由で運び込まれ流ようになり、今年2月24日にロシア軍がウクライナを攻撃し始める前からアメリカ/NATOは兵器をウクライナの西端、ポーランドとの国境近くにあるヤボリウ基地で一旦、保管していた。この基地では携帯式対戦車ミサイル「ジャベリン」などを使った軍事訓練が行われているとロイターは2月4日に伝えている。 その基地をロシア軍は3月13日に巡航ミサイルで攻撃。その後、したが、12日にはアメリカに対し、西側から運ばれてくる兵器は攻撃の対象になるとロシア政府は強く警告していた。ニューヨーク・タイムズ紙はヤボリウ基地がウクライナ軍と西側の軍隊とを結びつける場所で、重要な兵站基地であると同時に外国から来た戦闘員を訓練するセンターでもあるとしている。 中期的に見ると、アメリカのウクライナ攻撃は1990年代から始まっている。1991年12月にソ連が消滅した直後、アメリカの支配層は世界制覇に乗り出したのだ。そのプランは1992年2月にアメリカの国防総省がDPG草案という形で作成した。 当時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュだが、プランの作成を指揮したのは国防長官だったディック・チェイニー、書き上げたのは国防次官だったポール・ウィルフォウィッツ。そこでプランは「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。このプランに則り、まず旧ソ連圏の解体に取り掛かった。そしてユーゴスラビアへ軍事侵攻だ。 その間、アメリカは1991年からウクライナへ50億ドルを投入している。これは2013年12月に国務次官補だったビクトリア・ヌランドが米国ウクライナ基金の大会での演説で明らかにしている。1992年1月にウクライナはドイツと国交を樹立した。 しかし、2004年11月にウクライナで実施された大統領選挙で東部や南部を地盤とするビクトル・ヤヌコビッチが当選する。東部や南部はロシアから割譲された地域で、住民の多くは日常的にロシア語を話し、ロシア正教の信徒が多い。文化はロシアに近いのだ。それをアメリカの支配者は受け入れられず、介入してくる。 西側の政府や有力メディアが「不正選挙だった」という宣伝を開始、それと並行してデモを仕掛け、政府施設への包囲をはじめて社会を混乱させる。2004年から05年にかけて展開された「オレンジ革命」だ。そしてアメリカのコントロール下にあり、新自由主義者のビクトル・ユシチェンコが大統領の座を奪う。 ユシチェンコは金融界の人間。1998年にカテリーナ・チュマチェンコと再婚している。この結婚相手の両親は1956年にアメリカへ移住、カテリーナ本人は61年にシカゴで生まれ、87年にフロリダ州へ移り住んだ。 その後、彼女は国務省へ入って次官補の特別アシスタントを経験、ロナルド・レーガン政権ではホワイトハウス、ジョージ・H・W・ブッシュ政権では財務省で働いている。ウクライナが独立を宣言した後、米国ウクライナ基金の代表としてウクライナへ渡った。カテリーナがウクライナ国籍を取得したのは2005年。それまではアメリカ人だったということになる。 その「革命」が進行中、ユシチェンコの顔に異常が現れ、原因はダイオキシンによるという話が広まる。ユシチェンコ側はイホル・スメシコ治安局長やウォロジミール・サチュク副局長と食事をした翌日に腹部と背中に痛みが生じ、5日後にウィーンの民間病院で治療を受けたとしている。 イギリスやオランダの医師はダイオキシンが原因だと主張したが、実際に治療したウィーンの病院で主任医療部長だったロタール・ビッケはそうした説を否定している。2度診察したが、毒を盛られた証拠は見つからなかったという。ところが病院内部の何者かが「毒を盛られた」という話をリークしている。(The Telegraph, 27 March 2005) ビッケによると、ダイオキシン説を否定した3日後に病院の監督委員会から文書で主張を撤回するように要求される。さらに英語なまりの人物から電話で「気をつけろ、おまえの命は危険にさらされている」と脅迫されたと語っている。その後、ビッケは病院を解雇された。 2009年にスイスとウクライナの研究者がユシチェンコの血清から通常の5万倍のTCDD(ダイオキシンの一種で、ベトナム戦争でアメリカ軍が使った枯れ葉剤の中にも含まれていた)を検出したとランセットで発表しているが、最初からこれだけのダイオキシンが含まれていれば、すぐにわかっただろう。(O. Sorg, etc, “2,3,7,8-tetrachlorodibenzo-p-dioxin (TCDD) poisoning in Victor Yushchenko: identification and measurement of TCDD metabolites,” The Lancet, 5 August 2009) ユシチェンコが推進した新自由主義は欧米の金融資本やその手先を富ませる一方、大多数の国民を貧困化させていく。そして2010年の大統領選挙で再びヤヌコビッチが大統領に選ばれ、オバマ政権はクーデターで2014年にヤヌコビッチを排除した。 こうしたアメリカ支配層の工作に協力しているポーランドは歴史的に反ロシア感情が強い。20世紀初頭、ポーランドで反ロシア運動を指導していたユゼフ・ピウスツキは日露戦争が勃発した1904年に来日、彼の運動に協力するよう、日本側を説得している。1925年には「プロメテウス同盟」という地下組織を編成した。 当初、ウクライナの反ロシア派も同盟に加わっていたが、ポーランド主導の運動だったことから離反するウクライナの若者が増えていく。そしてイェブヘーン・コノバーレツィなる人物が中心になってOUNが組織され、それが分裂して強硬派はステパン・バンデラの周辺に集まってOUN-Bを形作った。 一方、ポーランドではピウスツキの後、ウラジスラフ・シコルスキーが反ロシア運動の指導者になり、イギリスへ亡命する。当時、ポーランド軍の大多数の将校がシコルスキーに忠誠を誓っていた。反ロシアということだ。 ポーランドとナチスの関係が悪くない時期もあり、1934年1月には両国の間で不可侵条約が締結された。ポーランドとドイツとの間には飛地の問題、いわゆる「ポーランド回廊」の問題があったが、これは話し合いで解決できる見通しが立っていた。 領土問題でドイツ側が出した案は、住民投票を実施してドイツへ回廊を返還する意見が多ければ返還、その際にドイツはポーランドに鉄道やバルト海へ通じる高速道路を渡すというものだった。 そうした条件で交渉はほぼ合意に達し、1939年3月21日にポーランドのジョセフ・ベック外相がドイツの首都ベルリンを訪問することになっていたのだが、姿を現さない。ロンドンへ向かったのである。その日、ロンドンではコントロール不能になったアドルフ・ヒトラーをどうするか決めるために西側各国の指導者が集まっていた。そして3月26日にポーランドはドイツに対し、回廊をドイツに返還しないと通告。これでドイツとポーランドの関係は決定的に悪くなった。 その年の8月11日にイギリスとソ連はドイツ問題で交渉を開始、ソ連の国防相(国防人民委員)と参謀総長はポーランドの反対が解決されれば、ドイツを封じ込めるために軍隊をドイツとの国境へ派遣する用意があると提案している。 イギリスのテレグラフ紙によると、部隊の規模は120歩兵師団と16騎兵師団だが、イギリスの代表は交渉する権限がないという理由で回答を拒否した。見切りをつけたソ連は1939年8月23日にドイツと不可侵条約を結ぶ。(Nick Holdsworth, “Stalin ‘planned to send a million troops to stop Hitler if Britain and France agreed pact’, the Telegraph, 18 October 2008) 1939年9月1日にドイツ軍がポーランドへ軍事侵攻、チェコスロバキア侵攻のケースでは黙認したイギリス、フランス、オーストラリア、そしてニュージーランドは9月3日に宣戦布告して第2次世界大戦は始まったとされているが、ドイツはそれから半年の間、目立った戦闘を行なっていない。イギリスやフランスもドイツとの本格的な戦闘を始めない。「奇妙な戦争」の期間だ。予定していなかった戦争を実行するための準備をしていた可能性が高い。 1939年9月17日にはソ連がポーランドへ軍事侵攻、その直後にイギリスとフランスはイラン、シリア、トルコから飛び立った爆撃機でソ連のカフカスにある油田地帯を攻撃する計画を立てた。パイク作戦だ。 大戦が勃発した後、ドイツ軍に占領された地域では数千人と言われるポーランドの知識人が逮捕、殺害された。一方ソ連はシコルスキーのグループを「テロリスト」だと見なし、ソ連占領地ではポーランド軍の将校など約1万5000人を収容所へ送る。ソ連軍に拘束された捕虜は翌年の4月から5月にかけての期間にNKVD(内務人民委員部)の手で処刑され、カチンの森に埋められたとされている。 そして1941年6月にドイツ軍はソ連へ向かって軍事侵攻を開始。「バルバロッサ作戦」だ。ポーランド東部のソ連軍を蹴散らして7月にはレニングラード(現在は帝政時代のサンクト・ペテルブルグに戻った)を包囲、兵糧攻めで多くのソ連市民が死亡した。 9月にドイツ軍はモスクワまで80キロメートルの地点まで迫る。ソ連軍は敗北し、再び立ち上がることはないと10月3日にアドルフ・ヒトラーはベルリンで語り、ウィンストン・チャーチル英首相の軍事首席補佐官だったヘイスティングス・イスメイは3週間以内にモスクワは陥落すると推測している。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015) ドイツ軍は10月2日からモスクワに対する攻撃を開始するが、12月に入るとソ連軍の反撃が始まり、モスクワ攻防戦は翌月の上旬にドイツ軍の敗北で終わった。 そして1942年8月にドイツ軍はスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まる。当初はドイツ軍が優勢に見えたが、11月になるとソ連軍が猛反撃に転じ、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲され、43年1月に生き残ったドイツの将兵9万1000名は降伏する。この段階でドイツの敗北は決定的になった。 この当時、ポーランドには1600年当時に存在した「ポーランド・リトアニア連邦」の復活を夢見る勢力が存在、バルト海とエーゲ海に挟まれた中央ヨーロッパにカトリックの帝国を作ろうという計画につながる。カトリック内部で計画されていた「インターマリウム」だ。これは「三海洋(バルト海、アドリア海、黒海)イニシアチブ」という形で現在も生きている。 ロシア政府はドイツとの戦いを忘れていない。ネオコンをはじめとする欧米の反ロシア派がウクライナで行っていることはウラジミル・プーチンらにとって「第2のバルバロッサ作戦」にほかならない。
2022.06.16
アメリカのインフレ率がここ40年で最高の8.6%に上昇、その責任をウラジミル・プーチン露大統領にジョー・バイデン米大統領は押しつけている。ロシア軍が2月24日からウクライナに対して軍事作戦を始めたことに原因があるというわけだが、1月の時点で7.5%に達していた。すでにインフレは始まっていたのである。2月以降の上昇についても、バイデン政権のロシアに対する「制裁」が影響している。 インフレ対策としてFFレートを0.50ポイント、あるいは0.75ポイント引き上げるという話が流れているが、現在は0.75%から1.00%であり、インフレ率とは大きな差がある。これまでの政策も含め、「金融引き締め」とは言えない状態だろう。連邦準備制度理事会はインフレを抑えようとしていないと考える人も少なくない。 物価上昇で目立つのはエネルギーだが、これはバイデン政権がロシアからの購入を禁止したことで加速した。ドイツはロシアから天然ガスを輸送するために建設した「ノードストリーム2」を稼働させないと決めたが、これも大きい。 一方、ロシア政府はアメリカ政府の命令に従う「非友好国」が同国の天然ガスを購入する場合、決済は4月1日からロシアの通貨ルーブルに限るとロシア政府は発表、それに拒否すれば天然ガスを供給しないとしている。 食糧の場合、ウクライナのネオ・ナチは焦土作戦で穀物を焼却しているとロシア国防省は主張、キエフ側は港に機雷を設置して輸送を妨害しているとも伝えられている。穀物を供給する条件として兵器の提供を要求しているともいう。 バイデン政権が打ち出した「制裁」が自国やその従属国へ跳ね返ることをプーチン政権は見越し、穏健な対応にとどめてきたとも言われている。ロシアはアメリカの自爆を待っているというわけだが、その見通し通りの展開になっていると言えるだろう。 アメリカでは1971年8月にドルと金との交換が停止され、ドルが金と公定価格で交換できるとう前提で成り立っていたブレトン・ウッズ体制は崩壊して世界の主要国は1973年から変動相場制へ移行。ドルは金に束縛されることなく発行できるようになるが、金という裏付けをなくしたことから何も対策を講じずに発行を続ければハイパーインフレになり、基軸通貨としての地位から陥落する可能性が出てきた。 そこでアメリカの支配層は流通するドルを現実世界から吸い上げる仕組みを作る。ペトロダラーと投機市場だ。 ペトロダラーとは石油取引を利用したドルの循環システム。アメリカの支配層はサウジアラビアなど産油国に対し、石油取引の決済をドルに限定させた。エネルギー資源を必要とする国がかき集めたドルは産油国に集まり、それをアメリカへ還流させるのである。 ドル決済を強制させる代償としてアメリカが示した条件は国の防衛のほか、支配者たちの地位や収入の保証。産油国は集まったドルでアメリカの財務省証券や高額兵器を購入することで還流させ、オフショア市場へ沈め、投機市場へ流し込む。 投機市場も資金を吸収するシステムとして機能する。ドルが実際の世界に滞留すればインフレになるが、投機市場へ吸い上げればバブルになり、バブルは帳簿上の資産を増やす。投機市場へ資金が流れ込み始めると相場が上昇するからだ。 しかし、このシステムはすでに揺らいでいる。ロシアやベネズエラなどアメリカの命令に従わないエネルギー産出国が増え、サウジアラビアをはじめとする「親米」だったはずの産油国もアメリカ離れを始めている。 理屈の上では投機市場を無限に膨らませることは可能だが、すでにコントロールが難しい段階に達しているようだ。2008年のリーマン・ブラザーズ倒産は象徴的な出来事だった。その後、巨大金融機関に対する超法規的な支援が始まる。現在、アメリカの連邦準備制度理事会はそうした金融機関、その背後にいる富豪たちを救済するため、財務省証券などを買い取っているようだ。日本でも庶民の資金で債権や株式を買ってきた。 ドルを基軸通貨にし、その基軸通貨を発行する特権で世界を支配してきたアメリカだが、そのシステムが揺らいでいる。ロシアや中国に対してその特権を使った大々的な攻撃を始めたが、これはドルへの信頼度を低め、アメリカの支配力を低下させている。 欧米の支配層もこうしたことを熟知、WEF(世界経済フォーラム)の創設者であるクラウス・シュワブは2020年6月、COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)を利用して資本主義システムを大々的に「リセット」するべきだと主張した。欧米支配層の忠実な僕である岸田文雄首相は「新しい資本主義」なる旗を掲げている。
2022.06.15
ニューヨーク・タイムズ紙によると、ジョー・バイデン大統領に対する欲求不満が民主党の議員や幹部の間から噴出している。中間選挙で民主党が厳しい状況にあり、2024年の大統領選挙にバイデンは出られない可能性もある。79歳という年齢も問題だが、政策に対する有権者の批判が強い。 バイデンは大統領に就任した直後からロシアや中国に対する経済的、そして軍事的な緊張を高めてきた。アメリカやイギリスを支配する私的権力は世界を制覇するため、中国とロシアを屈服させようとしている。バラク・オバマ政権の政策を継承したのだ。 オバマとバイデンの間にドナルド・トランプがいる。トランプが当選した大統領選挙は2016年に実施されたが、その前年の6月にオーストリアで開かれたビルダーバーグ・グループの会合にジム・メッシナというヒラリー・クリントンの旧友が出席している。そこで2017年に大統領となるのはクリントンだと見られていたのだ。 しかし、2016年2月10日にヘンリー・キッシンジャーがロシアを訪問してウラジミル・プーチン露大統領と会談して風向きが変わった。2月22日にはキッシンジャーとプーチンはシリアにおける停戦で合意。そして大統領候補として浮上、当選したたのがドナルド・トランプだ。オバマ、クリントン、バイデンの反ロシア人脈をキッシンジャーは危険だと考えていた。 2014年3月5日、キッシンジャーのウクライナ情勢に関する論評がワシントン・ポスト紙に載った。ロシアは「キエフ公国」から始まったと指摘、ロシアにとってウクライナは特別な存在だとしている。 しかもドンバスを含む東部の地域はロシア革命後、つまり20世紀に入ってから割譲されている。クリミアの場合、1954年までロシアだった。当然、住民の多くはロシア語を話し、ロシア正教を信じている。ウクライナ語を話し、カトリック教徒が多い西部とは文化的に別なのだが、キッシンジャーもこの点を指摘している。ナチスと関係が深い「ウクライナのナショナリスト」は西部が拠点で、文化も言語も違う東部や南部の人びとを同じ「ネイション」だとは考えていない。 2014年2月にオバマ政権はネオ・ナチを使ったクーデターで東部や南部を支持基盤とするビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除した。クーデター体制がロシア語の使用を厳しく制限し、政策的にロシア語系住民を差別したのは必然だ。アメリカやクーデター体制はロシア語系住民を排除しようとしたと言える。パレスチナで行われたことがウクライナでも行われようとしたのである。そして内戦が始まった。 オバマ政権はウクライナ国民の意志を踏みにじり、自分たちの政策、戦略を押し付けようとしたが、キッシンジャーはウクライナに政治経済的な選択の自由を持つべきだと主張、NATOに加盟するべきでないともしている。ロシアから見るとNATO加盟は新たな「バルバロッサ作戦」に見えるはずだ。 しかし、アメリカやイギリスにはロシアを制圧し、アングロ・サクソンが世界の覇者になるという戦略を捨てない人がいる。その一部がネオコンだ。その戦略に基づき、ソ連が消滅した直後の1992年2月にアメリカ国防総省はDPG草案という形で世界制覇プランを作成した。そのプランの作成で中心的な役割を果たしたのは国防次官だったポール・ウィルフォウィッツ。そこでこのプランは「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれる。国防長官だったディック・チェイニーも重要な役割を果たした。 このプランによると、アメリカは旧ソ連圏を制圧するだけでなく、潜在的なライバルであるEUや東アジアを叩くとしている。また支配力の源泉であるエネルギー資源を支配するため、中東での影響力を強めることも重要なテーマになる。 しかし、アメリカ支配層の内部にも単独行動主義を危険だと考える人がいた。その中にはジョージ・H・W・ブッシュ大統領、ブレント・スコウクロフト国家安全保障補佐官、ジェームズ・ベーカー国務長官も含まれている。 また、「封じ込め政策」で有名なジョージ・ケナンもNATOの拡大がロシアを新たな冷戦に向かわせると1998年5月に警告していた。1997年1月に国務長官が反ロシア派でヒラリー・クリントンと親しいマデリーン・オルブライトに交代、98年4月にアメリカ上院はNATO拡大を承認している。反コミュニストのケナンでさえそうした動きは危険だと考えたのだろう。そして1999年3月、NATO軍はユーゴスラビアを先制攻撃。ウクライナでの戦争はここから始まるとも言える。 結局、ネオコンの好戦的な政策は推進され、ブッシュ・シニア、スコウクロフト、ベーカー、キッシンジャー、ケナンらの意見は封印されてしまう。その上で重要な役割を果たしたのが2001年9月11日に引き起こされたニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎に対する攻撃、いわゆる「9/11」だと言えるだろう。 しかし、ここにきてネオコンの戦略に対する批判が支配層の内部でも強まっているようだ。バイデンはウォロディミル・ゼレンスキー大統領やネオ・ナチを見捨てる動きを見せているが、こうした勢力がおとなしく従うとは思えない。アメリカとロシアを戦争させようとする可能性がある。ロシア殲滅戦に加わったポーランドでも不満が高まっているようで、欧州議会のメンバーで、ポーランドの外務大臣や国防大臣を経験しているラドスワフ・シコルスキーはウクライナへ核兵器を持ち込めと主張している。 欧米の反ロシア好戦派がいきりたつ中、ニカラグアのダニエル・オルテガ政権は緊急時や自然災害の際、法執行、人道的援助、救援、捜索などのためにロシア軍が同国へ入ることを認めると発言した。アメリカと同じことをするということだろうが、自分たちは特別だと信じているアメリカ支配層への刺激にはなるだろう。
2022.06.14
選挙で合法的に選ばれた政権を暴力的なクーデターで転覆させ、ナチズムを国中に蔓延させ、そのクーデターに抵抗する国民が住む地域を軍事攻撃し、破壊と殺戮を繰り広げる行為を黙認していた人びとが突如、「戦争反対」を主張し始めたとしたなら、その理由は何なのか。如何わしさを感じざるをえない。 ベトナム戦争の終盤、世界的に戦争反対の声が高まったが、テト攻勢があった1968年まで、そうした声はか細かった。1967年4月4日、マーチン・ルーサー・キング牧師はニューヨークのリバーサイド教会で「ベトナムを憂慮する牧師と信徒」が主催する集会に参加、「沈黙が背信である時が来ている」という訴えに賛意を示し、「なぜ私はベトナムにおける戦争に反対するのか」という話をしている。 大半のアメリカ国民はベトナム戦争の悲惨な現実から目をそらし、自分自身を欺いていると指摘、そうした偽りの中で生きることは精神的な奴隷状態で生きることを意味すると牧師は語り、ベトナム戦争に反対すると宣言している。 そうした発言をキング牧師の側近たちは嫌がっていたという。ロン・ポール元下院議員によると、キング牧師の顧問たちは牧師に対してベトナム戦争に焦点を当てないよう懇願していたというのである。そうした発言はリンドン・ジョンソン大統領との関係を悪化させると判断したのだという。これが「リベラル派」の発想なのだろう。彼らは決して心からの平和主義者ではなく、牧師には「公民権運動の指導者」に留まってほしかったのだろう。 1973年1月にパリで停戦協定が成立、ベトナム戦争は終結に向かう。本ブログでは繰り返し書いてきたように、歴史の流れから判断してベトナム戦争はアメリカの対中国戦争の一環。そのアメリカと中国は1971年7月にリチャード・ニクソン大統領の訪中で国交正常化に向かう。ニクソン政権にとってベトナム戦争を継続する意味はなくなっていた。中国と手を組み、矛先をソ連へ向けようとしたように見える。ベトナム戦争が終わってから再び反戦の声は小さくなっていった。 CIAは1973年にアフガニスタンで秘密工作を始めた。パキスタンのベナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールによると、その年からアメリカはアフガニスタンの反体制派へ資金援助しはじめているのだ。支援対象の選定はパキスタンの情報機関ISIのアドバイスに基づくとされている。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005) この工作にはひとつの障害があった。ベナジル・ブットの父親、ズルフィカル・アリ・ブットだ。ブット政権は1977年に軍事クーデターで排除され、ブット自身は79年に処刑された。クーデターを主導したムハンマド・ジア・ウル・ハクは陸軍参謀長だった人物で、ムスリム同胞団系の団体に所属していた。(Thierry Meyssan, “Before Our Very Eyes,” Pregressivepress, 2019) 1978年にアメリカのCIA、そしてイランのSAVAKというふたつの情報機関は大金を持たせたエージェントをアフガニスタンへ派遣、軍隊の中で左派の将校を排除し、人民民主党を弾圧するように工作している。(Diego Cordovez and Selig S. Harrison, “Out of Afghanistan”, Oxford University Press, 1995) アフガニスタンのモハメド・ダウド大統領はソ連から離れてインドやイランへ近づき、「死の部隊」を使って左翼、あるいはコミュニストのリーダーを次々に暗殺していくが、そうした粛清への反撃が間もなく始まり、1978年4月にダウド政権はクーデターで倒された。 そしてモハメド・タラキが革命評議会兼首相に任命され、新政権は女性のために学校を創設、貧困層でも大学へ進む道を作り、医療を無料にするといった政策を推進していく。(Martin Walker, “The Cold War”, Fourth Estate, 1993) ズビグネフ・ブレジンスキーたちはこのクーデターの背後にソ連がいると宣伝したが、証拠はなく、国務長官だったサイラス・バンスはその主張を冷戦の夢想だとして相手にしなかった。 反タラキ勢力は女性のための学校や大学を焼き討ちし、治安は悪化していく。タラキは旧体制の指導者たち約2万7000名を処刑したとも言われているが、国内を安定化させることに失敗した。反政府活動の黒幕はCIAだとタラキ政権は確信していたとも言われている。 CIAがタラキ政権を嫌った理由のひとつは、ヘロインの原料であるケシの栽培を厳しく取り締まり、その畑を潰していったからだとも言われている。(Paul L. Williams, “Operation Gladio,” Promethus Books, 2015) ベトナム戦争の終結で東南アジアでケシの栽培が取り締まられるようになり、CIAは新たな栽培地としてアフガニスタン、パキスタン、イランをまたがる山岳地帯に目をつけていたのだ。 タラキが実権を握って間もない1978年7月にアドルフ・ダブスがアフガニスタン駐在アメリカ大使に就任したが、この人物はリチャード・ニクソンのデタント政策を擁護していたことで知られ、ブレジンスキーとは対立していた。 ダブスはアフガニスタンにおける麻薬の生産と流通を制御しようとしたが、その一方でハフィズラ・アミンと友好的な関係を築き、アフガニスタンをソ連から引き離そうとした。1979年2月にダブス大使は殺害される。ダブスが拘束されていたホテルへ警察とソ連の顧問が突入した時にはすでに殺されていた。ブレジンスキーたちはソ連の責任を主張している。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) 3月にタラキはクレムリンへ出向いてソ連軍の派遣を要請するが、アレクセイ・コスイギン首相はこの要請を断わっている。軍事介入するとアフガニスタンの泥沼から抜け出せなくと考えたのだ。戦乱を避けようとしたダブスの政策が実行されたなら、ソ連軍も介入しなかった可能性が高い。ブレジンスキーたちにとってダブス殺害は好都合だった。 タラキがソ連を訪れた月にイランとの国境に近いヘラトで多くの政府高官や十数名のソ連人顧問が襲撃され、殺されている。その際にソ連人顧問の子どもや妻も犠牲になった。襲撃したのはイランの革命政府から支援されたアフガニスタンのイスラム勢力だという。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005) こうした流れの中、1979年4月にブレジンスキーはアフガニスタンの「未熟な抵抗グループ」への「同情」をNSCで訴え、CIAはゲリラへの新たな支援プログラムを開始している。 その年の9月に軍事クーデターでタラキは殺され、アミンが実権を握る。アミンはクーデター後にアメリカ大使館のスタッフと定期的に会っていたとされているが、その背景にはアメリカとのつながりがあった。 CIAが傭兵として使い始めたサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団がアフガニスタンを制圧した場合、ソ連へアメリカの傭兵部隊が侵攻してくることは不可避。それを迎え撃つかアフガンスタンで戦うかの選択を迫られたソ連は後者を選んだ。そして1979年12月にソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事侵攻してくる。 西側の有力メディアはストーリーをソ連軍のアフガニスタン侵攻から始め、サラフィ主義者やムスリム同胞団で編成された戦闘部隊に「自由の戦士」というタグをつけ、その戦闘員をソ連軍と戦わせた戦いを「正義の戦争」と呼んだ。 アフガニスタンへ戦闘員を送り込む仕事をしていたひとりがサウジアラビアの富豪の息子、オサマ・ビン・ラディン。この人物は1984年にMAK(礼拝事務局)のオフィスをパキスタンのペシャワルで開設。このMAKが「アル・カイダ」の源流だと考えられている。 イギリスの外務大臣を1997年5月から2001年6月まで務めたロビン・クックは2005年7月、CIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リストが「アル・カイダ」だと説明している。 1989年2月に軍隊をアフガニスタンから撤退させたソ連は1991年12月に消滅、アメリカは旧ソ連圏の解体作業に取り掛かり、1999年3月にアメリカ/NATO軍はユーゴスラビアを先制攻撃している。 そして2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃され、ネオコンに担がれていたジョージ・W・ブッシュ大統領は詳しい調査をしないまま「アル・カイダ」が実行したと断定、アフガニスタンを攻撃する。2003年には「大量破壊兵器」という嘘を振り撒きながらイラクを先制攻撃、中東から北アフリカにかけてを戦火で破壊してきた。 アメリカのジョーンズ・ホプキンス大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究によると、イラクでの戦争では2003年の開戦から06年7月までに約65万人が殺されたとされ(Gilbert Burnham, Riyadh Lafta, Shannaon Doocy, Les Roberts, “Mortality after the 2003 invasion of Iraq”, The Lancet, October 11, 2006)、イギリスのORBは2007年夏までに94万6000名から112万人、NGOのジャスト・フォーリン・ポリシーは133万9000人余りが殺されたとしている。 今回、西側の有力メディアはウクライナからの避難民を助けろと叫んでいたが、その理由は彼らの「目が青く、ブロンドのキリスト教徒」だからだとしていた。イラク人はそうでないので心を動かされなかったのだろうが、そうした発想をする人は「人種差別主義者」と呼ばれても仕方がない。ウクライナではクーデター政権が東部や南部に住む反クーデター派の住民を殺害しているが、そうした行為にも西側は心を動かされなかったようだ。
2022.06.13
ウクライナ大統領府で広報を担当しているオレクシイ・アレストビッチは2月24日から100日間にキエフ側の戦闘員が約1万人殺されたことを認めた。その前、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領の顧問を務めるミハイロ・ポドリャックはBBCに対し、ウクライナ軍の兵士はロシア軍/ドンバス軍との戦闘で毎日100名から200名が殺されていると語っているが、これに合わせた形だ。アレストビッチはロシア軍はキエフ側の5倍から6倍が犠牲になっているとしているが、状況から考えて信憑性はない。アレストビッチ発言のダメージ・コントロールをしているつもりなのだろう。 アレストビッチは西側諸国に対し、兵器を迅速に供給するように要求しているが、これはゼレンスキー大統領も同じ。5月31日に人権オンブズマンを解任されたリュドミラ・デニソワもより多くの兵器を西側が供給するようにロシア軍を悪魔化する偽情報、例えばレイプ話を流していた。 偽情報は西側の有力メディアが喜ぶストーリーだと言える。アメリカの一部支配層や有力メディアはソ連が消滅した直後から旧ソ連圏に対する軍事介入を煽った。その際にもレイプ話が「報道」されたが、事実ではないことが判明している。 そうした話の一例は、1992年8月にボスニアで16歳の女性3人がセルビア兵にレイプされたというもの。ニューズデーのロイ・ガットマンが報道したのだが、別のジャーナリスト、アレクサンドラ・スティグルマイアーやマーティン・レットマイアーらによってガットマンの話が嘘だとしている。 その当時、ガットマンはドイツのボンで支局長。つまりバルカンに常駐しているわけではなく、現地を取材したわけではない。ヤドランカ・シゲリなる人物から得た情報をそのまま書いたのだが、この人物はクロアチアの民族主義の政党HDZ(クロアチア民主団)の副党首を務めていた。しかもクロアチアの亡命者が創設したプロパガンダ組織CIC(クロアチア情報センター)のザグレブ事務所の責任者でもあった。こうしたことをガットマンが知らなかったとは考えにくい。 当時の状況について、ICRC(赤十字国際委員会)は全ての勢力が「不適切な行為」を行っていたとし、セルビア人による組織的なレイプが行われた証拠はない(Diana Johnstone, "Fools' Crusade," Monthly Review Press, 2002)のだが、シゲリは西側で人権問題のヒロインとなり、1996年にはジョージ・ソロスをスポンサーとする「人権擁護団体」のHRWが彼女を主役にしたドキュメント映画を発表、レイプ報道で脚光を浴びたガットマンはピューリッツァー賞を贈られている。 キエフ側はフランスから供与されたカエサル155mm自走榴弾砲でドンバス(ドネツクとルガンスク)の住民を6月6日から攻撃しているが、アメリカはHIMARS(高機動ロケット砲システム)を、またイギリスはM270 MLRS(M270多連装ロケットシステム)を今後、引き渡すとしている。両国はそれぞれの射程距離を約80キロメートルだとしているが、最大射程距離は約300キロメートルだ。 当初、アメリカ/NATOはウクライナへ持ち込む兵器をウクライナの西端、ポーランドとの国境近くにあるヤボリウ基地で一旦、保管していた。この基地では携帯式対戦車ミサイル「ジャベリン」などを使った軍事訓練が行われているとロイターは2月4日に伝えている。ロシア軍の戦車部隊が侵攻することを想定しての訓練だとしていた。 その基地をロシア軍は3月13日に巡航ミサイルで攻撃したが、12日にはアメリカに対し、西側から運ばれてくる兵器は攻撃の対象になるとロシア政府は強く警告していた。 攻撃後、ニューヨーク・タイムズ紙はヤボリウ基地がウクライナ軍と西側の軍隊とを結びつける場所で、重要な兵站基地であると同時に外国から来た戦闘員を訓練するセンターでもあるとしている。 この攻撃の後、ポーランドとの国境に近い場所でも正確に攻撃されることをアメリカ/NATOは理解したはずで、ポーランドの役割が重要になってくる。 ウクライナでの戦争は2013年11月から14年2月にかけてバラク・オバマ政権がウクライナのネオ・ナチを利用してクーデターを実行、東部地区や南部地区を支持基盤とするビクトル・ヤヌコビッチを排除したときに始まる。ゼレンスキー政権もクーデター体制の中から誕生した。 クーデターを実行したネオ・ナチの中核は「右派セクター」。2013年11月、「三叉戟」と呼ばれていた団体を元にし、ドミトロ・ヤロシュとアンドリー・ビレツキーらによって組織された。5月2日にオデッサで反クーデター派の市民を虐殺したグループの中心もこの組織。右派セクターを基盤にして2014年3月13日には「アゾフ大隊」が組織された。 クーデターの前にネオ・ナチのグループは軍事訓練を受けている。例えば、2013年9月にポーランド外務省がネオ・ナチ86人を大学の交換留学生として招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたって暴動の訓練をしたとポーランドで報道されている。
2022.06.12
ウクライナ軍の兵士はロシア軍/ドンバス軍との戦闘で毎日100名から200名が殺されているとウォロディミル・ゼレンスキー大統領の顧問を務めるミハイロ・ポドリャックはBBCに語ったという。 ウクライナ側の抵抗は7月いっぱいで終わり、ロシア軍は8月にドンバス全域を制圧できるとドイツの情報機関「BND(連邦情報局)」は分析しているとドイツのシュピーゲル誌は伝えているが、ほかの情報と照らし合わせても戦況はそうなのだと推測できる。 そもそもロシアとウクライナでは戦力に大きな差があり、ドンバスを拠点とするウクライナ内務省の親衛隊(ネオ・ナチ)が住民を人質にした理由もそこにある。ウクライナの東部は南部はクーデターで排除されたビクトル・ヤヌコビッチの支持基盤であり、住民の大多数はキエフのクーデター政権を認めていなかった。つまりドンバスの親衛隊は占領軍にほかならない。 ゼレンスキー政権の発表をかつての「大本営発表」と同じように「報道」し、それを信じている人びとは認めたくないだろうが、ロシアのウラジミル・プーチン政権は住民に犠牲者が出ないように配慮している。アメリカ軍の情報機関DIAもロシア軍が長距離ミサイルが攻撃している目標は軍事施設だと説明、住民が狙われているとする話を否定していた。 現在のキエフ体制はアメリカのバラク・オバマ政権やジョー・バイデン政権、あるいはイギリスのボリス・ジョンソン政権を担いでいる勢力が作り上げた。その目的はロシアの壊滅で、これは19世紀から続いている彼らの戦略だ。その戦略の中で明治維新は引き起こされた。 そのキエフ体制が厳しい状況に陥っている。そこでアメリカやイギリスは戦闘員の増派を図る一方、高性能兵器を供給しようとしている。アメリカはHIMARS(高機動ロケット砲システム)、イギリスはM270 MLRS(M270多連装ロケットシステム)を引き渡すとしている。 両国はそれぞれの射程距離を約80キロメートルだとしているが、最大射程距離は約300キロメートルだ。そうした兵器がウクライナへ持ち込まれて使われた場合、速やかに対応するとロシア側は宣言している。 持ち込まれた段階では反応しないということだろうが、これはプーチン大統領の慎重な姿勢が反映されているように見える。これを「弱腰」とアメリカやイギリスの好戦派は考えるはずだが、ロシア国内にも不満を抱く人がいるはずで、ロシアの不安定要因になっている。
2022.06.11
アメリカのFDA(食品医薬品局)とCDC(疾病予防管理センター)が共同で運用しているVAERS(ワクチン有害事象報告システム)への自主的な報告によると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」による死亡者数は6月3日現在、前の週より182名増えて2万8714名に達した。一般的にVAERSに報告される副作用の件数は全体の1%にすぎないと言われているので、これを適用すると「COVID-19ワクチン」による死者は300万人近いということになる。 「mRNAワクチン」については早い段階から、人間のDNAを書き換える「遺伝子治療」であり、「ワクチン」という表現は正しくないと批判する専門家が存在していたが、「ワクチン」接種を推進している勢力もそれを認めている。 例えば、ドイツの巨大化学会社バイエルの重役、ステファン・ウールレヒは2021年10月、「WHS(世界健康サミット)」で「mRNAワクチン」は遺伝子治療だと認めたのだ。その事実を知ったなら95%の人は反対するので「ワクチン」というタグをつけたということを明らかにしているのである。 また、モデルナの説明によると、彼らはコンピュータのオペレーティング・システムのようなプラットフォームをmRNA技術によって作るつもりだ。同社の最高医療責任者であるタル・ザクスが2017年12月にTEDXで行った講演で、遺伝子を書き換えて癌を治療する技術について説明している。
2022.06.11
ビル・クリントンが大統領だった当時、彼の特別顧問を務めていたマーク・ミドルトンが5月7日に死亡したという。アーカンソー州の農園で首を吊っていたのだが、その胸にはショットガンによる傷があったとされている。 この出来事が注目されているのは、ミドルトンがクリントンとジェフリー・エプスティーンを結びつけるキーパーソンだと考えられているからだ。エプスティーンはクリントン政権時代、ホワイトハウスを17回訪問しているが、そのうち7回以上をミドルトンが招待しているとされている。エプスティーンは未成年者を世界の有力者に提供し、寝室などでの行為を映像などで記録して脅しに使っていたと言われている。 フランスでモデル事務所を経営、多くのモデルを発掘したというジャン-リュック・ブルネルが2月19日にラ・サンテ刑務所で「自殺」した。この人物はニューヨーク、マイアミ、テル・アビブに事務所を持ち、エプスティーンから融資を受けていたという。 世界がCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動で混乱し、アメリカがロシアや中国との緊張を高める直前2019年7月6日にエプスティーンは逮捕され、8月10日に「メトロポリタン矯正センター」で死亡している。常識的に考えると、彼に弱みを握られている人びとの意向を受けてのことだろうが、証拠を全て回収できたかどうかは不明だ。 エプスティーンは首吊り自殺したとされているが、彼が死んだ房のシーツは紙のように弱く、首をつることは困難だという人もいる。しかも死の前日に同房者はほかへ移動、問題の瞬間における監視カメラの映像は利用できない状態で、エプスティーンが死んだ時に担当の看守ふたりは過労で居眠りしていたのだとされていた。エプスティーンのパートナーだったギスレイン・マクスウェルは2020年7月2日に逮捕され、裁判が続いている。 ジェフリーとギスレインが知り合ったのは1990年代の前半だとされているが、イツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めた経験のあるアリ・ベンメナシェによると、ふたりは1980年代の後半から知り合いだったとしている。(Zev Shalev, “Blackmailing America,” Narativ, Septemner 26, 2019) このふたりが行っていたことが問題になったのは、有力者へ提供されたするバージニア・ゲファーの告発があったからである。そのゲファーに対し、連邦判事のロレッタ・プレスカは証拠を「破壊」するように命じた。事実を明らかにするなということになる。 有力者とは巨大資本の利益に関わる政策を決める立場にある人びと。ドナルド・トランプ、ビル・クリントン、アンドリュー王子、ビル・ゲイツといった名前がエプスティーンの「友人」として名前が上がっているが、「顧客リスト」は明らかにされていない。 しかし、全くわかっていないとも言えない。2009年にエプシュタインの自宅から少なからぬ有名人(顧客)の連絡先が書かれた「黒い手帳」をある人物が持ち出し、手帳を5万ドルで売ろうとしたのだ。その時にエプスティーンが行っていた「ビジネス」に関する情報の一部が漏れている。ビル・ゲイツがエプスティーンと親しくなるのはその2年後だ。 未成年の男女を有力者へ提供したとしてエプスティーンは以前にも逮捕されたことがあった。2005年3月にフロリダの警察を訪れた女性が14歳になる義理の娘のエプスティーンによる不適切な行為について訴え、13カ月にわたって捜査、家宅捜索も行われている。 その時に事件を担当した地方検事がトランプ政権で労働長官を務めたアレキサンダー・アコスタである。アコスタによると、その時にエプスティーンは「情報機関に所属している」ので放っておけと言われたとしている。 この「情報機関」をイスラエルの情報機関「モサド」だと解釈する人が多いようだが、アリ・ベンメナシェによると、エプスティーンとギスレイン、そしてギスレインの父親でミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェルの3名はいずれもイスラエル軍の情報機関(アマン)に所属していた。(Zev Shalev, “Blackmailing America,” Narativ, Septemner 26, 2019) 結局、エプスティーインは有罪を認め、懲役18カ月の判決を受けた。通常、こうした犯罪では州刑務所へ入れられるのだが、エプスティーンはパーム・ビーチ郡の収容施設に入れられている。軽い刑だと言えるだろうが、2019年のケースは違う。ネオコンとイスラエルとの間に亀裂が入ったのかもしれない。 エプスティーンが逮捕されて間もない2019年7月31日、ニューヨーク・タイムズ紙は彼がニューメキシコの牧場で自分のDNAによって複数の女性を妊娠させる計画を持っていたと伝えた。著名な科学者をエプスティーンが招待していることから、優生学的な実験を行おうとしていたのではないかとも言われている。 5月31日にはコロンビア特別区(ワシントンDC)連邦地裁で陪審員はマイケル・サスマンに無罪の評決を出した。サスマンは2016年のアメリカ大統領選挙でヒラリー・クリントン陣営に参加していた弁護士で、虚偽の情報をFBIに伝えたとされていた。 この争いの核には「スティール文書」がある。クリストファー・スティールが作成した文書で、ドナルド・トランプとロシア政府に関する話が書かれていたのだが、問題は中身が事実でなかったことにある。スティールはMI6(イギリスの対外情報機関)の元オフィサーで、1990年から93年までMI6のオフィサーとしてモスクワで活動していた。 2016年の選挙キャンペーン中、ヒラリー・クリントン陣営やDNC(民主党全国委員会)の法律顧問を務めていたマーク・エリアス弁護士がフュージョンという会社にドナルド・トランプに関する調査を依頼、同社は2016年秋にネリー・オーなる人物にドナルド・トランプの調査と分析を依頼した。その夫、ブルース・オーは司法省の幹部だったが、その直後にブルースは司法省のポストを失い、フュージョンはクリストファー・スティールに調査を依頼することになった。(The Daily Caller, December 12, 2017) スティールの作成した報告書は噂を集めた代物で、根拠が薄弱なことはのちに本人も認めている。事実がひとかけらもないと言う人もいるほどだ。その怪しげな報告書に基づいて2017年3月に下院情報委員会でロシア疑惑劇の開幕を宣言したのがアダム・シッフ下院議員。そして同年5月にロバート・マラーが特別検察官に任命された。 マラーは2001年9月4日から13年9月4日かけてFBI長官を務めたが、長官就任から1週間後にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンにある国防総省の本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されている。この攻撃では詳しい調査が実施されていないため、事件の真相を隠蔽したとマラーを批判する人もいる。 このスティール文書を受け取った民主党はFBIへ携帯電話のメールで連絡する。その担当者がサスマン。つまりサスマンはクリントン陣営の代表としてFBIに接触した。そこから「ロシアゲート」は水面下で始まる。 その時点で民主党は困った問題を抱えていた。2016年7月にウィキリークスがヒラリー・クリントンの電子メールを公表、その中に2015年5月26日の段階で民主党の幹部たちがヒラリー・クリントンを同党の候補者にすることを内定していたことを示唆するものが含まれていたのだ。 民主党がクリントンを候補者に選ぶ方向で動いていたことはDNCの委員長だったドンナ・ブラジルも認めている。彼女はウィキリークスが公表した電子メールの内容を確認するために文書類を調査、DNC、ヒラリー勝利基金、アメリカのためのヒラリーという3者の間で結ばれた資金募集に関する合意を示す書類を発見したという。 その書類にはヒラリーが民主党のファイナンス、戦略、そして全ての調達資金を管理することが定められていた。その合意は彼女が指名を受ける1年程前の2015年8月になされている。 公表された電子メールは内容だけでなく、ヒラリー・クリントンが機密情報の取り扱いに関する法規に違反している疑いを生じさせた。捜査の結果、彼女は公務の通信に個人用の電子メールを使い、3万2000件近い電子メールを削除していることをFBIはつかむ。ジェームズ・コミー長官は彼女が機密情報の取り扱いに関する法規に違反した可能性を指摘、情報を「きわめて軽率(Extremely Careless)」に扱っていたと発表した。 この「きわめて軽率」は元々「非常に怠慢(Grossly Negligent)」だと表現されていたのだが、それをFBIのピーター・ストルゾクは書き換えさせられていた。後者の表現は罰金、あるいは10年以下の懲役が科せられる行為について使われるという。 コミーがヒラリー・クリントンの電子メールに関する声明を発表した5日後、DNCのスタッフだったセス・リッチが背中を撃たれて死亡している。警察は強盗にあったと発表したが、金目のものは盗まれていない。その発表に納得できなかったリッチの両親は元殺人課刑事の私立探偵リッチ・ウィーラーを雇った。 ウィーラーはDNC幹部の間で2015年1月から16年5月までの期間にやり取りされた4万4053通の電子メールと1万7761通の添付ファイルがセスからウィキリークスへ渡されたとしている。 ちなみに、ウィキリークスの創設者であるジュリアン・アッサンジは2012年8月からロンドンにあるエクアドル大使館に閉じ込められる形になる。そして2019年4月11日、イギリスの警察はエクアドル大使館へ乗り込んでアッサンジを逮捕、イギリス版のグアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所へ入れた。 ビル・クリントンはジョージタウン大学時代の1968年にローズ奨学生としてイギリスのオックスフォード大学へ留学、反戦運動にも参加したという。1969年にはモスクワを訪問している。 一見「左翼」だが、CIAの高官だったコード・メイヤーはクリントンがオックスフォードで学び始めた最初の週にCIAは彼をリクルートしたと語っている。ジョージタウン大学でCIAとの関係ができた可能性もあるのだが、それはともかく、モスクワ訪問の目的はフルシチョフの回想録を入手することにあったという。(Jeremy Kuzmorov, “There is Absolutely No Reason in the World to Believe That Bill Clinton Is a CIA Asset,” CovertAction Magazine, January 3, 2022) しかし、ビルより怪しげなのはヒラリー。マデリーン・オルブライトやビクトリア・ヌランドといった好戦派と親しく、本人も戦争ビジネスをスポンサーにしてきた。そのヒラリーの友人で1993年に大統領副上級顧問に就任したビンス・フォスターは同年7月20日に自殺している。
2022.06.11
アメリカ海軍の空母「ロナルド・レーガン」を中心とする艦隊演習が6月2日から4日まで沖縄沖で実施された。アメリカの空母が参加する演習は2017年11月以来だという。その前、5月下旬にジョー・バイデン米大統領は韓国と日本を訪問、23日には岸田文雄首相と会談し、台湾を中国軍が攻撃した場合には軍事介入すると発言、リチャード・ニクソン大統領が1972年2月に中国を訪問して始まった両国の国交正常化を否定したと話題になった。 6月5日に朝鮮は8機の短距離弾道ミサイルを発射、アメリカと韓国は6日に同じ数の弾道ミサイルを発射。ウェンディ・シャーマン国務副長官が韓国を訪問した7日にアメリカのF-16戦闘機4機とF-35戦闘機を含む韓国の16機が韓国の東方海上で威嚇飛行、同時にアメリカのF-16戦闘機2機と自衛隊のF-15戦闘機4機が朝鮮半島と日本の間を飛行した。 そうした中、岸田文雄首相は6月29日から30日にかけてスペインで開かれるNATO(北大西洋条約機構)の会議に出席する予定。ウクライナや台湾の情勢に対応するため、アメリカやヨーロッパとの連携を強めることが目的だとしている。 アメリカはユーラシア大陸の東岸部に中国包囲網を形成しようとしているが、安定して協力的な国は日本だけだろう。2021年9月にアメリカはアングロ・サクソン系のオーストラリアやイギリスと「AUKUS」なる新たな軍事同盟を創設したと発表している。ロシア国家安全保障会議のニコライ・パトロシェフ議長はAUKUSについて中国やロシアを仮想敵とする「アジアのNATO」だと指摘していたが、その通りだろう。それでもオーストラリアが中国と訣別できる可能性は小さい。 NATOは1949年4月に創設された。参加国はアメリカとカナダの北米2カ国に加え、イギリス、フランス、イタリア、ポルトガル、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、ベルギー、オランダ、そしてルクセンブルクの欧州10カ国だ。 ソ連軍の侵攻に備えるという名目だったが、実際はヨーロッパ支配の仕掛けである。第2次世界大戦が終わった直後、ソ連はドイツとの戦いで大きな損害を受け、軍事侵攻できるような状態ではなかった。 ドイツ軍がソ連への軍事侵攻を始めたのは1941年6月のこと。「バルバロッサ作戦」だ。この作戦で東へ向かったドイツ兵は約300万人、西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人と言われている。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、アドルフ・ヒトラーがそれを退けたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001) 当初、ドイツだけでなくイギリスも短期間でソ連は壊滅すると考えていたが、モスクワでの戦いでドイツ軍が敗北すると流れは大きく変化した。1942年8月にドイツ軍はスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まるが、11月になるとソ連軍の反撃でドイツ軍25万人は完全包囲され、43年1月に生き残ったドイツの将兵9万1000名は降伏する。 この段階までアメリカやイギリスはドイツとソ連との戦争を傍観していた。アメリカのルーズベルト大統領はソ連に対して信教の自由を要求、それを受け入れれば助けると伝えていたというが、イギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連を敵視、敗北を願っていた。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015) この段階でドイツの敗北は決定的。そこで慌てたのがイギリスとアメリカ。両国は1943年5月にワシントンDCで会談、7月にアメリカ軍とイギリス軍はシチリア島に上陸した。ハスキー計画だ。ドイツ軍の主力は東部戦線で壊滅していたわけで、難しい作戦ではなかった。ハリウッド映画が作り出したイメージが刷り込まれている人びとはアメリカ軍がドイツ軍を敗北させたと信じているようだが、事実は違った。ロシアが隣国にナチズムの体制ができることを容認できないのはそのためだ。 ドイツの敗北が決定的になると、ナチスの幹部はアレン・ダレスなどアメリカやイギリスの大物に接触、ナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、雇用する作戦を開始する。 1945年4月に反ファシストのフランク・ルーズベルト大統領が急死、ニューディール派の力は弱まる。5月にドイツが降伏すると、チャーチルはソ連に対する奇襲攻撃を考え、軍事作戦を作成させた。 そしてできたのが「アンシンカブル作戦」。1945年7月1日にアメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始めるという内容だったが、参謀本部が拒否し、実行されなかったという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000など) こうした軍事作戦が放棄された別の理由もある。1945年7月16日にアメリカのニューメキシコ州にあるトリニティ実験場でプルトニウム原爆の爆発実験を行い、成功。この後、核兵器の時代に入る。 トリニティでの実験成功を受けてハリー・トルーマン大統領は原子爆弾の投下を7月24日に許可、26日にアメリカ、イギリス、中国はポツダム宣言を発表した。そして8月6日に広島へウラン型爆弾が投下され、その3日後に長崎へプルトニウム型爆弾が落とされている。 しかし、マンハッタン計画と統括していたアメリカ陸軍のレスニー・グルーブス少将は1944年、同計画に参加していたポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、その計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったという。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017) 少なくともアメリカやイギリスの一部支配層はナチスと緊密な関係にあった。その人脈が存在しているため、アメリカの司法省やCIAは大戦後にナチスの元幹部や元協力者を助け、その後継者を育成してきたのである。ウクライナのネオ・ナチもその一部だ。 本ブログでは繰り返し書いているように、この人脈はヨーロッパ各国を支配するため、秘密部隊を編成した。NATOが組織されると、その中に潜り込んでいる。その人脈はコミュニストだけでなく、大戦中、レジスタンスに加わっていたシャルル・ド・ゴールも敵視していた。この秘密部隊はフランスで1947年の7月末か8月上旬には実行に移す予定で、ド・ゴールの暗殺も目論んでいたとされている。(Daniele Ganser, “NATO’s Secret Armies”, Frank Cass, 2005) このクーデター計画は露見、首謀者としてアール・エドム・ド・ブルパンが逮捕された。フランス北部に彼の城では重火器、戦闘指令書、作戦計画書などが発見されたが、そのシナリオによると、まず政治的な緊張を高めるために左翼を装って「テロ」を実行し、クーデターを実行しやすい環境を作り出すことになっていた。イタリアの「緊張戦略」と基本的に同じである。 1961年にはOAS(秘密軍事機構)が組織された。その背後にはフランスの情報機関SDECE(防諜外国資料局)や第11ショック・パラシュート大隊がいて、その後ろにはイギリスやアメリカの情報機関が存在していた。 OASはその年の4月12日にスペインのマドリッドで秘密会議を開き、アルジェリアでのクーデター計画について討議している。会議にはCIAの人間も参加していた。 その計画では、アルジェリアの主要都市の支配を宣言した後でパリを制圧するというもので、計画の中心には直前まで中央欧州連合軍司令官(CINCENT)を務めていたモーリス・シャレをはじめとする4名の将軍がいて、1961年4月22日にクーデターは実行に移される。それに対し、アメリカ大統領だったジョン・F・ケネディはジェームズ・ガビン駐仏大使に対し、必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じている。CIAやアメリカ軍の好戦派は驚愕したとみられている。結局、クーデターは4日間で崩壊してしまう。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015) フランスのクーデターを失敗させたとも言えるケネディ大統領は1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。その葬儀にド・ゴール自身も出席している。帰国したフランス大統領は情報大臣だったアラン・ペールフィットに対し、ケネディに起こったことは自分に起こりかけたことだと語ったという。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015) ケネディ大統領が暗殺されてから3年後にフランス軍はNATOの軍事機構から離脱、翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出し、SHAPEはベルギーのモンス近郊へ移動する。 しかし、ド・ゴールは1968年5月の「五月革命」で追い詰められ、翌年に辞任。後任大統領のジョルジュ・ポンピドゥーはアメリカとの関係強化を推進、SDECEの局長に親米派のアレクサンドル・ド・マレンシェを据えた。この新局長はポンピドゥーの命令に従い、アメリカとの関係強化に邪魔だと見なされるメンバー815名を解雇する。 アメリカがヨーロッパを支配する仕掛けであるNATOをユーラシア大陸の反対側まで拡大させる意味は言うまでもなく、大陸の東部を支配することが目的である。それはその地域にアメリカに従属する国が少ないということでもあるだろう。 インド洋から太平洋にかけての地域でアメリカが最も期待をかけている国は日本だ。アメリカ国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」が2019年に出した報告書には、地政学的な争いの中でアメリカが行いうる手段として、ウクライナの武装強化、シリアのジハード傭兵への支援強化、ベラルーシの体制転覆、アルメニアとアゼルバイジャン(南カフカス)の緊張激化などが掲げられている。実際、行った。 そして今年、RANDコーポレーションはアメリカのGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する戦略について分析している。ロシアに対して行っているようなことを中国に対しても行おうというわけだが、中国との関係を無視してアメリカの命令に従う国は日本しかないと考えているようだ。 しかし、日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約がある。そこでGBIRMを配備することは難しい。そこでASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備に協力するという案を提示している。 また、ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、ロナルド・レーガン政権の内部には日本の核兵器開発を後押しする勢力が存在し、東京電力福島第1原子力発電所で炉心が溶融する事故が起こった2011年の段階で約70トンの核兵器級プルトニウムを日本は蓄積していたという。(Joseph Trento, “United States Circumvented Laws To Help Japan Accumulate Tons of Plutonium”) そのアメリカの勢力はCIAやNSAも黙らせることができる力があるのだが、1987年に議会がCRBR(クリンチ・リバー増殖炉)計画の予算を打ち切ってしまう。そこでその技術を格安の値段で日本の電力会社へ売ることにしたというのだ。そして兵器級のプルトニウムが生産された。 勿論、核兵器は弾頭だけでは役に立たない。運搬手段が必要だ。日本が開発していた「月探査機」のLUNAR-Aと探査機打ち上げに使われる予定だったM-Vがそれだと考える人もいた。月を周回する軌道に入った段階で母船から観測器を搭載した2機のペネトレーターを発射、地中約2メートルの深さまで潜り込ませることになっていたが、これは「MARV(機動式弾頭)」の技術そのもので、弾道ミサイルへ直接応用できる。こうした懸念が高まる中、2007年1月に計画は中止になったとされているが、どこかで生きている可能性もある。 自衛隊は2016年に与那国島、奄美大島、宮古島に施設を建設、23年には石垣島にも建設する予定だ。そこにミサイルを配備すれば、台湾海峡、東シナ海、そして中国の一部海岸をカバーできる。こうした島々は攻撃用のミサイル基地になるとも言えるだろう。
2022.06.10
ウクライナの軍、あるいは親衛隊が6月6日からカエサル155mm自走榴弾砲でドンバス(ドネツクとルガンスク)の住民を攻撃している。この兵器はフランスが供給したもので、射程距離は42キロメートル(ベースブリード榴弾)から50キロメートル(ロケット補助榴弾)。ドンバスからほぼ追い出されたキエフ側がドンバスを攻撃するためには長い射程の兵器が必要になっているが、それを西側は提供しつつある。今後、アメリカはMLRS(多連装ロケットシステム)などをウクライナに供給する可能性があるが、そうなると戦火はウクライナの国境を越えるかもしれない。 ネオコンをはじめとするアメリカの好戦派は1991年12月にソ連が消滅した直後に世界制覇プラン(ウォルフォウィッツ・ドクトリン)を作成したことは本ブログでも繰り返し書いてきた。その前から旧ソ連圏の解体工作は始まっていて、1991年6月にスロベニアとクロアチアが独立を宣言し、同じ年の9月にはマケドニアが続いた。翌年の3月にはボスニア・ヘルツェゴビナ、そして4月になるとセルビア・モンテネグロがユーゴスラビア連邦共和国を結成、社会主義連邦人民共和国は解体される。 その連邦共和国からコソボを分離してアルバニアと合体しようとアルバニア系住民は計画、それをNATOが支援した。この間、西側の有力メディアはセルビア人による「人権侵害」を口実にしてユーゴスラビアを攻撃するよう求めている。後にこの人権侵害話は嘘だったことが明らかになっている。 1992年2月にフランスのランブイエで和平交渉が始まり、セルビア側はコソボの自治権を認め、弾圧もやめることで合意、交渉はまとまりかけたのだが、それを嫌ったのがNATO。相手が受け入れられない条件、つまり車両、艦船、航空機、そして装備を伴ってNATOの人間がセルビアを自由に移動できるという項目が付け加えたのだ。(David N. Gibbs, “First Do No Harm”, Vanderbilt University Press, 2009) NATOが事実上、セルビアを占領するということ。独立国に主権を放棄し、NATO軍の占領を認めろと求めたわけだが、この条件をセルビア政府は受け入れない。これについて日本の外務省は「セルビアがNATO軍のコソボ展開を受け入れず決裂」したと説明している。 この当時、西側の有力メディアは軍事介入を煽る「報道」を続けていた。例えば、1992年8月にボスニアで16際の女性3人がセルビア兵にレイプされたとニューズデーのロイ・ガットマンは報道しているのだが、別のジャーナリスト、アレクサンドラ・スティグルマイアーやマーティン・レットマイアーらによってガットマンの話が嘘だということが判明している 当時、ガットマンはドイツのボンで支局長を務め、バルカンにいたわけではなく、現地を取材していない。ヤドランカ・シゲリなる人物から得た情報をそのまま書いたのだ。 このシゲリはレイプ被害者の知り合いだとされていたが、クロアチアの与党で民族主義の政党、HDZ(クロアチア民主団)の副党首を務めていたという側面があり、しかもクロアチアの亡命者が創設したプロパガンダ組織CIC(クロアチア情報センター)のザグレブ事務所で責任者を務めていた。このプロパガンダ組織がレイプ情報の発信源である。 こうした背景は無視され、シゲリは人権問題のヒロインとなった。ジョージ・ソロスをスポンサーとする「人権擁護団体」のHRWは1996年に彼女を主役にしたドキュメント映画を発表、レイプ報道で脚光を浴びたガットマンは93年にセルビア人による残虐行為を報道してピューリッツァー賞を贈られている。 ボスニアの戦乱で残虐行為がなかったわけではないが、ICRC(赤十字国際委員会)が指摘しているように、全ての勢力が「不適切な行為」を行っていたのであり、セルビア人による組織的なレイプが行われた証拠はない。(Diana Johnstone, "Fools' Crusade," Monthly Review Press, 2002) こうした大規模なプロパガンダが展開されたが、ビル・クリントン米大統領はユーゴスラビアを軍事侵攻しようとしない。そこで1993年9月にはボスニアへの軍事介入を求める公開書簡がウォール・ストリート・ジャーナル紙に掲載された。 その書簡に署名した人物にはイギリスのマーガレット・サッチャー元首相、アメリカのジョージ・シュルツ元国務長官、フランク・カールッチ元国防長官、ズビグネフ・ブレジンスキー元国家安全保障問題担当大統領補佐官、ポール・ニッツェ、ジョージ・ソロス、あるいはネオコンとして知られているジーン・カークパトリック、アルバート・ウールステッター、ポール・ウォルフォウィッツ、リチャード・パールなどが含まれていた。(Wall Street Journal, September 2, 1993) 1995年、クリントン政権は軍事侵攻に踏み切るが、この当時、ボスニアでは「ムジャヒディン」が活動していた。その中心的な存在がオサマ・ビン・ラディン。ジャーナリストのレナテ・フロットーによると、サラエボにあるイザドベゴビッチのオフィスで1993年から94年にかけてオサマ・ビン・ラディンを何度か見かけたという。そして1995年、クリントン政権は軍事侵攻に踏み切る。 ムジャヒディンはサラフィー主義者(ワッハーブ主義者やタクフィール主義者と渾然一体)やムスリム同胞団を主体とする戦闘集団。イギリスの外務大臣を1997年から2001年まで務めたロビン・クックも指摘しているように、CIAの訓練を受けたムジャヒディンの登録リストがアル・カイダ、つまりデータベースだ。訓練要員をリクルートすることがオサマ・ビン・ラディンの仕事だった。 現在、ウクライナでネオ・ナチのリーダー的な存在であるドミトロ・ヤロシュは1989年にネオ・ナチと見られるグループで活動を開始、ドロボビチ教育大学でワシル・イワニシン教授の下で学んでいる。この教授はKUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)の指導者グループに所属し、KUNはステパン・バンデラ派のOUN-B人脈によって組織された。 イワニシンが2007年に死亡するとヤロシュが後継者に選ばれ、このタイミングでヤロシュはNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われている。その年の5月にウクライナのテルノポリで開かれた欧州のネオ・ナチや中東の反ロシア・ジハード主義者を統合するための会議で議長を務めている。ネオ・ナチとムジャヒディンはともにCIAに雇われているのだ。アメリカが東ヨーロッパで戦争を始めた時からネオ・ナチとムジャヒディンは仲間であり、その関係は今のウクライナでも続いている。 クリントン政権がボスニア攻撃を決断する前、1993年2月にニューヨークにある世界貿易センターのノース・タワーの地下駐車場に仕掛けられた爆弾が遠隔操作で爆破されている。建造物で最も弱い地下が破壊されたのだが、ビルはびくともしていない。このビルは2001年9月11日、脆弱な構造の旅客機が衝突して崩壊したことになっている。 1993年の爆破工作を実行したのはラムジ・ユセフなる人物。爆弾製造に詳しいムジャヒディンだ。 ユセフらは1995年1月、12機の旅客機を爆破する「ボジンカ計画」をたてたが、PNP(フィリピン国家警察)に察知されて中止、2月にはパキスタンの情報機関ISIとアメリカのDSS(外交保安局)によってパキスタンで逮捕された。 この年の4月にはアメリカのオクラホマ州にある連邦政府ビルが爆破され、ティモシー・マクベインとテリー・ニコルスが逮捕、起訴されている。主犯とされたマクベインは2001年6月に処刑された。 オクラホマで爆破事件があった翌年、ニューヨーク沖でTWA800が空中で爆発するということがあった。公式見解は「事故」だが、複数の目撃証言からミサイルで撃墜された可能性が指摘されている。当時、ふたつの説が流れていた。演習中のアメリカ軍の艦船が誤ってミサイルを発射したという説と、イスラム過激派によるとする説だ。 西側の有力メディアが戦争熱を煽っていた頃、立て続けに大きな事件が起こっている。本ブログでは繰り返し書いてきたが、日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれたのも1995年だ。 国務長官がマデリーン・オルブライトに交代した1997年、アメリカ政府はユーゴスラビアへの軍事侵攻へ向かって進み始める。その翌年の4月にアメリカ上院はNATO拡大を承認、秋にオルブライトはユーゴスラビア空爆を支持すると表明した。そして1999年3月にNATO軍はユーゴスラビアを先制攻撃。この延長線上にウクライナでの戦争はある。 ウクライナは寄せ集め国家であり、東部地域と南部地域はロシアから割譲された。そこで住民は日常、ロシア語を話し、文化や宗教はロシアに近い。そのロシア色が濃い地域を地盤にしていた政治家がビクトル・ヤヌコビッチ。アメリカにとっては目障りな存在だった。 2004年の大統領選挙でヤヌコビッチが当選すると、アメリカは「オレンジ革命」(2004年から05年)を仕掛けて自分たちの手先で新自由主義者のビクトル・ユシチェンコを大統領の座につけた。 2010年の選挙で再びヤヌコビッチが大統領に選ばれると、2013年11月から14年2月にかけてネオ・ナチを使ったクーデターを仕掛け、再びヤヌコビッチを排除し、体制そのものを変えてしまった。そこから東部や南部の反クーデター派とキエフのクーデター体制が戦争を始めたわけだ。 クーデター後、アメリカやその属国はキエフのクーデター体制を支援し、軍事力を増強させてきた。その間もドンバスへの攻撃は続き、1万3000名以上の住民がキエフ軍の攻撃で殺されている。 そして今年3月、キエフ軍はドンバスへの大規模な攻撃を計画していた可能性があることは本ブログでも指摘してきた。その直前にロシア軍は動いて住民を救出、その住民はアメリカ/NATOが支援するネオ・ナチ体制の残虐さを証言している。
2022.06.09
6月29日から30日にかけてスペインでNATO(北大西洋条約機構)の会議が開かれ予定だが、この会議に岸田文雄首相は出席する意向だという。ウクライナや台湾の情勢に対応するため、アメリカやヨーロッパとの連携を強めることが目的だとしている。 ウクライナ情勢に関し、NATOのイェンス・ストルテンベルグ事務総長は4月2日、ウクライナ全土を支配するために戦うと宣言する権利がウォロディミル・ゼレンスキー政権にあると主張。ドンバスやクリミアからロシア軍を追い出すことを目的にウクライナ政府が戦うことに彼は反対していない。 2013年5月から16年5月にかけてSACEUR(NATO欧州連合軍最高司令官)を務めたアメリカ空軍のフィリップ・ブリードラブ大将は今年4月7日、核戦争への恐怖がプーチンに対する適切な対応を西側はとれないのだと発言した。 ブリードラブの発言から2日後、イギリスのボリス・ジョンソン首相がキエフを訪問、それを境にしてロシア政府とウクライナ政府の停戦交渉は止まっている。戦争を継続しろと圧力をかけたとウクライナでは伝えられていた。 ストルテンベルグ、ブリードラブ、ジョンソンといった人びとはロシアを核戦争で脅しているつもりなのかもしれないが、この脅しは通用しない。相手国にアメリカは何をしでかすかわからないと思わせれば自分たちが望む方向へ世界を導けるとリチャード・ニクソンは考え、イスラエルは狂犬のようにならなければならないと同国のモシェ・ダヤン将軍は語った。 そうしたやり口を踏襲しているつもりなのだろうが、それはロシアや中国に通じない。アメリカ/NATOが核戦争を仕掛けてくると判断したなら、ロシアは動く。ヘンリー・キッシンジャーやアメリカの統合参謀本部はそうしたことを理解しているようだが、ジョー・バイデン大統領の取り巻きやNATOは突っ走ろうとしている。アメリカの統合参謀本部はNATOをコントロールしきれていない。 本ブログでは繰り返し書いてきたように、1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が発表されてから日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれた。1991年12月にソ連が消滅、アメリカが「唯一の超大国」になり、単独で行動できると考えた人は少なくなかった。ネオコンもその中に含まれている。 当時、国防総省はネオコンのディック・チェイニー長官とポール・ウォルフォウィッツ次官補を軸に動いていた。そのウォルフォウィッツを中心に「DPG草案」という形で世界制覇プランが作成されている。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。 それに対して細川護熙政権は国連中心主義を掲げていた。そこでこの政権は1994年4月に潰される。この時、最初に動いたのはマイケル・グリーンとパトリック・クローニンのふたり。カート・キャンベルを説得して国防次官補だったジョセイフ・ナイに接触し、ナイは1995年2月に「東アジア戦略報告」を発表したのだ。グリーン、クローニン、キャンベルはウォルフォウィッツやチェイニーと連携している。現在、キャンベルはアメリカのアジア政策を指揮している。 ウォルフォウィッツ・ドクトリンに基づき、最初に攻撃されたのはユーゴスラビアだった。2001年9月11日の出来事を経てアメリカは世界制覇戦争を本格化させるが、予想外のことが起こる。ウラジミル・プーチンを中心としたグループがロシアを曲がりなりにも再独立させ、ドクトリンの前提条件が崩れたのだ。 最初は軍事力で簡単に粉砕できると踏んでいたようだ。フォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキアー・リーバーとダリル・プレスの論文では、アメリカは近いうちにロシアと中国の長距離核兵器を先制第1撃で破壊する能力を持てるとされていた。言うまでもなくこの雑誌は外交問題評議会(CFR)が発行している定期刊行物。アメリカ支配層の考え方が反映されていると言えるだろう。 そして2008年8月、イスラエルやアメリカを後ろ盾とするジョージア軍が北京オリンピックの開催に合わせ、2008年8月に南オセチアを奇襲攻撃したが、ロシア軍の反撃で惨敗している。西側の有力メディアはロシア軍が軍事侵略したと伝えていたが、住民の証言でロシア軍に助けられたことが判明してしまった。正規軍によるアメリカの世界制覇は難しいことも明らかになった。 2009年からアメリカのロシア政策で中心的や役割を果たすようになるのはスタンフォード大学の教授だったマイケル・マクフォール。この人物はスタンフォード大学の学生だった1983年の夏にレニングラード大学でロシア語を学び、85年にはプーシキン記念ロシア語大学のセミナーに参加、91年にはローズ奨学生としてオックスフォード大学へ留学して博士号を取得している。そして2009年にバラク・オバマ政権に上級顧問として参加、「ロシアのリセット」を計画することになった。 ロシアを再従属させる上でウクライナの体制は重要な意味を持つ。そのウクライナで東部や南部を支持基盤とするビクトル・ヤヌコビッチが2004年の大統領選挙で当選、アメリカは「オレンジ革命」(2004年から05年)を仕掛けて新自由主義者のビクトル・ユシチェンコを大統領の座につけた。 しかし、新自由主義の実態を知ったウクライナ国民は2010年の選挙で再びヤヌコビッチを大統領に選ぶ。そこで2013年11月から14年2月にかけてネオ・ナチを使ったクーデターで再びヤヌコビッチを排除、体制そのものを変えてしまった。そこからヤヌコビッチを支持していた東部や南部の住民とキエフのクーデター体制が戦いを始めたわけだ。この戦いの目的はロシアの体制転覆以外の何ものでもない。 その間、2010年8月にオバマ大統領はPSD-11を承認、ムスリム同胞団を使って中東から北アフリカにかけての地域でアメリカへの従属度の低い体制を転覆させる工作を始める。そのひとつの結果が「アラブの春」であり、中東における戦乱は今でも続いている。 そして今、バイデン政権はユーラシア大陸の東側で軍事的な緊張を高めている。その火種に使っているのが台湾。アメリカの支配層は日本列島から琉球諸島、そして台湾へ至る弧状に並ぶ島々で中国を封じ込め、侵略の拠点にしようとしている。 明治政府は琉球併合、台湾派兵、江華島事件、日清戦争、日露戦争と侵略の道を歩き始めた。さらにシベリア派兵、「満州国」の建国、ノモンハン事件、そして1941年の関東軍特種演習までは中国からロシア/ソ連を支配するというアメリカやイギリス、より詳しく言うならば、両国を支配する巨大資本の戦略に合致した動きをしている。今、似た光景が目の前で展開されている。 アメリカは中国の航路をいつでも断ち切ることができる態勢を整えるため、インド洋からマラッカ海峡、そして南シナ海や東シナ海を海軍力で支配しようとしているが、それが「自由で開かれたインド・太平洋」だ。安倍晋三は総理大臣時代の2015年6月、赤坂にある赤坂飯店で開かれた官邸記者クラブのキャップによる懇親会で「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」と口にしたという。 好き勝手に行動できるインド・太平洋にしたいということだろうが、アメリカは2018年5月に「太平洋軍」を「インド・太平洋軍」へ作り替えている。日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点、そしてインドネシアを両海域をつなぐ場所だとされたが、インドとインドネシアはアメリカと一線を画している。明確に従属しているのは日本だけだ。 アメリカ、イギリス、オーストラリのアングロ・サクソン系3カ国は2021年9月に「AUKUS」という軍事同盟を結んだ。日本、アメリカ、オーストラリアにインドを加えた4カ国で「Quad(クアッド)」と呼ばれる軍事同盟を結んでいるが、インドは腰が引けている。 そして2021年10月4日(日本では5日)、バイデン大統領は岸田首相と電話で会談、尖閣諸島は日米安全保障条約5条の適用対象になる、つまり守ると明言、「日米同盟がインド太平洋地域と世界の平和、安全、安定の礎として重要な役割を果たしている」という。同じ日に岸田はオーストラリアのスコット・モリソンとも会談した。日本は確実にロシアや中国との戦争へ引きずり込まれつつある。 ロシア国家安全保障会議のニコライ・パトロシェフ議長はAUKUSが中国やロシアを仮想敵とする「アジアのNATO」だと指摘していたが、岸田首相のNATO会議への出席はこの指摘を裏付けるものだと見られても仕方がない。どの程度の日本人がロシアや中国と核戦争する覚悟をしているのだろうか?
2022.06.08
2019年12月31日に中国の武漢でSARS(重症急性呼吸器症候群)に似た症状の肺炎患者が見つかったところからCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動は始まる。国際ウイルス分類委員会は20年2月11日に病原体を「SARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)」と命名、そしてパンデミックが宣言されたのだ。 2020年の終わりに「COVID-19ワクチン」の接種が始まってから心臓発作で死亡するアスリートが急増している。アスリートは競技に参加する条件として「ワクチン」の接種が強制される上、心臓に負担がかかることも影響しているだろう。実際、試合中や練習中に倒れたアスリートは少なくない。 1966年から2004年にかけての39年間に心臓発作で死亡した35際以下のアスリートは1101名だったのに対し、2021年1月から22年4月にかけて心臓発作で死亡したアスリートは少なくとも673名に達すると報告されている。 例えば、アメリカの野球界では伝説的な人物であるハンク・アーロンは2021年1月5日に「ワクチン」を接種、1月22日に死亡。自然死だという印象を広めるためか、フルトン郡の検死官がアーロンの死と「ワクチン」接種は無関係だと語ったと報道した有力メディアは存在するが、ロバート・ケネディ・ジュニアが検死官に確かめたところ、検死していないどころか遺体を見てさえいないという。(Robert F. Kennedy Jr., “The Real Anthony Fauci,” Skyhorse Publishing, 2021) 日本のプロ野球では、「中日ドラゴンズ」に所属してい木下雄介が同じ年の8月3日に死亡。7月6日の練習中に倒れて救急搬送されて入院したのだが、デイリー新潮によると、その数日前に「COVID-19ワクチン」を接種している。この記事に登場する球団関係者によると、まず心臓周辺に問題が発生、その影響が脳に及んだという。 かつてプロ野球で活躍していた大久保博元の10月13日付けツイートによると、「約2ヶ月前に心筋梗塞で倒れ生死をさまよった」と書いている。その約2ヶ月前、8月16日には「2回目のワクチン接種」と書き込んでいる。倒れた後に「ワクチン」を接種したとは考えられず、「2回目のワクチン接種」をした直後、「心筋梗塞で倒れ生死をさまよった」ということになるだろう。 「COVID-19ワクチン」が心筋炎や心膜炎を引き起こすことは2021年4月にイスラエルで報道されていた。それに対し、アメリカのCDC(疾病予防管理センター)は「COVID-19ワクチン」と心臓の炎症に関連性はないと当初は主張していたが、5月に「ワクチン」のデータを見直すと言いだし、緊急会議を開催せざるをえなくなった。 そして6月23日、CDCのACIP(予防接種実施に関する諮問委員会)は「mRNA(メッセンジャーRNA)ワクチン」と「穏やかな」心筋炎との間に関連がありそうだと言わざるをえなくなる。 またアメリカのFDA(食品医薬品局)は6月25日、mRNA技術を使ったファイザー製とモデルナ製の「COVID-19ワクチン」が若者や子どもに心筋炎や心膜炎を引き起こすリスクを高める可能性があると発表した。 スペインのパブロ・カンプラ教授は2021年6月、「mRNAワクチン」の中に「酸化グラフェン」があることを電子顕微鏡などで発見したと発表した。有力メディアはこの発表に否定的な話を流したが、7月になると少なからぬ人が注目するようになる。 カンプラは11月、周波数の分析で酸化グラフェンが「ワクチン」に含まれていることを確認したと発表したが、その論文を読んだドイツの化学者、アンドレアス・ノアックは酸化グラフェンでなく水酸化グラフェンだろうと解説している。 ノアックによると、この物質は厚さが0.1ナノメートルの小さな板のようなもので、彼はカミソリの刃になぞらえていた。「mRNAワクチン」を接種すると、血管の中を小さな「カミソリの刃」が動き回るというわけだ。 8月下旬に日本政府は「モデルナ製ワクチン」の中に磁石へ反応する物質が見つかったと発表、160万本が回収されたと伝えられたが、酸化グラフェン、あるいは水酸化グラフェンだった可能性がある。 またモデルナの説明を読むと、彼らはmRNA技術によってコンピュータのオペレーティング・システムとのようなプラットフォームを作るつもりだ。同社の最高医療責任者のタル・ザクスが2017年12月にTEDXで行った講演で、癌を治療するために遺伝子を書き換える技術について説明している。 ドイツの巨大化学会社バイエルの重役、ステファン・ウールレヒは2021年10月、「WHS(世界健康サミット)」で「mRNAワクチン」は遺伝子治療だと認めている。それを知ったなら95%の人は反対するので「ワクチン」というタグをつけたということを明らかにしている。 「mRNAワクチン」については早い段階から、人間のDNAを書き換える「遺伝子治療」だと指摘する専門家が存在していた。ワクチンでなく「新薬」だ。 武漢でSARSと似た症状の患者が見つかった直後から中国では「インターフェロン・アルファ2b」が使われ、効果があった。この薬はキューバで研究が進んでいるもので、吉林省長春にも製造工場がある。 そのほか抗マラリア薬のクロロキンがコロナウイルスに対して有効だとする論文が2005年8月22日、ウイルス・ジャーナルというNIH(国立衛生研究所)の公式刊行物に掲載されているが、クロロキン以上に安全で効果が期待できると言われている薬がヒドロキシクロロキンだ。 また、メキシコでは昨年12月28日から駆虫薬として知られているイベルメクチンがCOVID-19の治療に使われ、入院患者を大幅に減らすことに成功したと保健省と社会保険庁は発表している。 リスクの高い「COVID-19ワクチン」を使わなくても有効な薬があるということだ。しかも「患者」とされた人の多くは「重症急性呼吸器症候群」でなく、病気と言えるかどうかもわからない。 COVID-19の感染拡大を演出するためにPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査が使われてきた。これは特定の遺伝子を増幅する技術で、増幅サイクル(Ct)値を増やしていけば医学的に意味のないほど微量の遺伝子が存在しても検出でき、また偽陽性も増える。 偽陽性を排除するためにはCt値を17まで下げる必要があるとする報告もあるのだが、そうなると感染が拡大しているという宣伝には使えない。35を超すとほとんどが偽陽性で、何を調べているのかわからなくなる。 「COVID-19ワクチン」は心臓発作だけでなく、帯状疱疹、⾎栓性⾎⼩板減少性紫斑病(TTP)、ギラン・バレー症候群による末梢神経の障害も早い段階から報告されていた。ウイルスを免疫細胞へ侵入させて免疫の機能を混乱させる「ADE(抗体依存性感染増強)」が引き起こされると懸念する専門家も少なくなかったが、実際、そうしたことが引き起こされているようだ。 免疫細胞のリンパ球が集まる小腸の主なエネルギー源はグルタミン。このアミノ酸は筋肉の約6割を占めると言われるが、激しい運動を行うと筋肉中のたんぱく質の分解が活発化して筋肉中からグルタミンが放出されてしまう。つまり、激しい運動を行うと免疫力が低下するという。言うまでもなく、アスリートは激しい運動をするわけで、何も対策を講じなければ、病気に感染しやすくなるわけだ。 スポーツ選手と同じように早い段階から「ワクチン」を接種させられた業種のひとつが旅客機のパイロットだ。アメリカの「エア・ライン・パイロット」誌の昨年10/11月号によると、パイロットの死亡者数は2019年が1名、20年が6名だったのに対し、21年は最初の9カ月で111名に達したという。 「COVID-19ワクチン」は人体に有害だが、「COVID-19対策」は社会を混乱させ、生産活動を麻痺させ、物流を停滞させている。少なからぬ企業の経営が悪化して倒産に追い込まれ、失業者、ホームレス、そして自殺者を増加させてきた。 そして現在、欧米の私的権力は「パンデミック」を口実として、WHOが全ての加盟国にロックダウンや「ワクチン」の強制接種などを命令できる「パンデミック条約」を締結しようとしている。WHOは私的権力に支配されている組織だ。 欧米の支配層がISDS(投資家対国家紛争解決)条項を含むTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)を成立させようとしたのはそのためであり、WEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブが昨年6月に打ち出した「資本主義の大々的なリセット」も目的は同じである。
2022.06.07
ウクライナ情勢をめぐり、ドイツ政府の動きが注目されている。アメリカのジョー・バイデン政権は6月1日、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー政権に対してHIMARS(高機動ロケット砲システム)を含む約7億ドル相当の武器を追加供給すると発表したが、ドイツに対しても高性能兵器の供給を求めているのだ。 ドイツで議論されているのは防空システムに使われる赤外線追尾の中距離地対空ミサイル「IRIS-T SLM」だが、ドイツを訪問したウクライナ議会のロスラン・ステファンチュク議長は潜水艦を求めた。 IRIS-T SLMはウクライナへ引き渡すつもりのようだが、時期が問題になっている。ドイツの情報機関「BND(連邦情報局)」の分析によると、ウクライナ側の抵抗は7月いっぱいで終わり、ロシア軍は8月にドンバス全域を制圧できる。ドンバスでウクライナ軍が組織的に戦うことができなくなると、一気にドニエプル川までロシア軍は制圧する可能性があるため、早急に兵器を供給するようドイツ政府は求められているのだが、物理的な困難に直面しているようだ。 ウクライナ政府もアメリカ政府もロシアを弱体化、あるいは殲滅するために攻撃を続けることを隠していない。そうした集団が高性能兵器をウクライナへ持ち込む以上、ロシアを攻撃する意図があると考えなければならない。すでに供給されたT-72戦車がキエフの近くに集められていたが、それらをロシア軍は攻撃、破壊したようだ。 ロシア軍は2月24日からウクライナに対する軍事作戦を始めたが、アメリカ軍の情報機関DIAもロシア軍が長距離ミサイルが攻撃している目標は軍事施設だと説明、住民が狙われているとする話を否定していた。 アメリカの国防総省がウクライナに建設していた兵器クラスの危険な病原体を扱う研究施設もターゲットになったようだ。ロシア軍の核生物化学防護部隊を率いているイゴール・キリロフ中将は3月7日、ウクライナの研究施設で回収した文書から同国にはアメリカのDTRA(国防脅威削減局)にコントロールされた研究施設が30カ所あると発表。そうした研究施設で鳥、コウモリ、爬虫類の病原体を扱う予定があり、ロシアやウクライナを含む地域を移動する鳥を利用して病原体を広める研究もしていたという。 こうした研究施設の存在はウクライナのアメリカ大使館も認めていた事実で、アメリカの上院外交委員会では3月8日にビクトリア・ヌランド国務次官がウクライナの施設で研究されている生物化学兵器について証言している。 マルコ・ルビオ上院議員の質問を受け、ヌランドは兵器クラスの危険な病原体がロシア軍に押収されるかもしれないと語った。つまり、ウクライナの研究施設で生物化学兵器の研究開発が行われていたことを否定しなかったのである。 その後ロシア国防省が発表したスライドによると、アメリカの民主党が病原体研究の思想的な支柱で、その思想を実体化させる役割を負っているのが国防総省やCDC(疾病予防管理センター)を含む政府機関だという。 資金はアメリカの予算からも出ているが、ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団、クリントン財団、ハンター・バイデンのロズモント・セネカ・パートナーズ、ジョージ・ソロスのオープン・ソサエティ財団、ロックフェラー財団、エコヘルス同盟などもスポンサーだ。 そのほか、生物兵器の研究開発システムにはアメリカ大使館、国防総省の契約企業であるメタバイオタ、ブラック・アンド・ビーチ、スカイマウント・メディカル、そしてCH2Mヒルなど、またファイザー、モデルナ、メルク、ギリアドを含む医薬品会社が組み込まれ、ドイツやポーランドも関係している。 ウクライナの問題を語る場合、この国が「寄せ集め国家」だということを忘れてはならない。東部や南部の地域はロシアから割譲され、住民の多くはロシア語を使い、文化や宗教もロシアに近かった。そこで、選挙では明確に西と東で支持者が別れる。均一な「ウクライナ人」は存在しないのだ。 アメリカのバラク・オバマ政権は2013年11月から14年2月にかけてウクライナでクーデターを実行、東部地域と南部地域を支持基盤とするビクトル・ヤヌコビッチを倒した。アメリカ政府がクーデターの主力として使ったのがネオ・ナチのグループで、その中核が「右派セクター」だった。そのクーデターを指揮していたのが国防次官補だったビクトリア・ヌランドだ。 戦闘員の訓練などNATOもクーデターを支援していたが、2013年5月から16年5月までSACEUR(NATO欧州連合軍最高司令官)を務めた軍人がアメリカ空軍のフィリップ・ブリードラブ大将。今年4月7日、核戦争への恐怖がプーチンに対する適切な対応を西側はとれないのだと発言した人物だ。 ブリードラブがこのように発言した理由はウクライナの戦況が自分たちにとって良くない展開になっていたからだろう。もっとゼレンスキー政権を軍事的に支援しろと言っているように聞こえる。 ウクライナの治安機関でCIAの下部機関でもあるSBU(ウクライナ保安庁)は反クーデター派を誘拐したり、拷問したり、暗殺してきたが、元SBU将校のバシリー・プロゾロフによると、SBUには「死の部隊」がある。 ロシア軍によるマリウポリ制圧が見通されていた4月21日になると、ミコライフ州で知事を務めるビタリー・キムは「ウクライナ24テレビ」の番組で「全ての裏切り者を処刑する」と宣言、そのために秘密部隊を編成したとしていた。「裏切り者」とはウォロディミル・ゼレンスキー大統領の政策に同意しない人びとであり、かつての日本で「国賊」とみなされた人びとに重なる。「国賊狩り」の様子もメディアは伝えていた。マリウポリ空港の地下にはSBUの「図書館」と呼ばれる秘密刑務所があり、拷問も行われていたとする証言もある。 ロシア軍が攻撃を始めた直後からネオ・ナチはロシアとの話し合いによる解決を望む人びとを排除してきたが、4月になって「国賊狩り」のターゲットが一般市民に拡大、恐怖政治が強化されている。 最も早い段階でネオ・ナチの犠牲になったとみられているのは、ロシア話し合いでの解決を目指していたボロディミル・ストルク。3月1日に誘拐され、拷問された上で射殺されている。 3月5日にはロシアと交渉しているチームのひとり、デニス・キリーエフがキエフの路上で治安機関SBU(ウクライナ保安庁)の隊員に射殺され、3月7日にはゴストメルのユーリ・プライリプコ市長の死体が発見されている。ウクライナ全体では11名の市長が行方不明だともいう。 アントニー・ブリンケン国務長官とロイド・オースチン国防長官は4月24日にキエフを極秘訪問、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領と3時間ほど会談したと伝えられているが、その際、アメリカ側はさらなる軍事面や外交面の支援を約束している。4月25日にオースチン国防長官は支援の目的を「ロシアの弱体化」にあると語ったが、ロシアの現体制を転覆させ、ウラジミル・プーチン大統領を排除することが目的だと理解されている。 キム知事の発言から8日後、アメリカ国防総省のジョン・カービー報道官は同国がドイツでウクライナ軍の兵士に榴弾砲やレイダーの扱い方を訓練すると発表、30日にナンシー・ペロシ下院議長に率いられた議員団がウクライナを突如訪問、ゼレンスキー大統領に対してウクライナへの支援継続を誓った。そしてアメリカ議会はウクライナに対する400億ドル相当の支援を5月19日に承認。 核戦争への恐怖がプーチンに対する適切な対応を西側はとれないのだというブリードラブの発言から2日後、イギリスのボリス・ジョンソン首相がキエフを訪問、それを境にしてロシア政府とウクライナ政府の停戦交渉は止まっている。 スイスのダボスで開かれたWEF(世界経済フォーラム)の年次総会でも興味深い発言があった。民主党のジョー・マンチン上院議員はウクライナがロシアと何らかの和平合意を結ぶことに反対すると表明したのだが、同じ総会にオンライン参加したヘンリー・キッシンジャーは平和を実現するためにドンバスやクリミアを割譲するべきだと語っている。ロシアの破壊と世界制覇を目指しているネオコンやその背後にいる私的権力は怒ったようだが、キッシンジャーは遅くとも2014年からそう主張していた。 キッシンジャーは2014年3月、つまりクーデターの翌月にはロシアとウクライナの歴史的に特殊な関係にあることを理解しなければならないと指摘、オバマ政権が実行した暴力的クーデターを批判していた。 それに対し、ジョージ・ソロスは5月24日、ロシア軍の攻撃で「第3次世界大戦」が始まった可能性があるとし、「西側文明」は「生き残る」ため、できるだけ早くロシアを打倒しなければならないとWEFで主張している。米英金融資本にとって目障りな政権、体制を殲滅するのが彼の信条だ。 しかし、ソロスと親しいとされているコロンビア大学のジェフリー・サックス教授はロシアとの交渉を再開することがウクライナの利益になるとし、NATOをウクライナやジョージアへ拡大させることは無責任だということをアメリカ政府は理解すべきだとも主張している。 オバマ政権がウクライナで仕掛けたクーデターはNATOの東方拡大政策と結びついているが、ジョージ・ケナンは1998年5月にそうした政策を懸念する意見を表明している。ケナンは半コミュニストの外交官でソ連を敵視、「封じ込め政策」を打ち出したことで知られているが、そうした立場から見てもネオコンの政策は危険だと思えたのだろう。 西側支配層の内部で対立が激しくなっている。
2022.06.06
ウクライナ全土を支配するために戦うと宣言する権利がウクライナ政府にはあるとNATOのイェンス・ストルテンベルグ事務総長は主張している。ドンバスやクリミアからロシア軍を追い出すことを目的にウクライナ政府が戦うことに彼は反対していない。 しかし、アメリカ政府の高官を含め、ウクライナ軍がロシア軍に勝てないと考える人は少なくない。それが常識的な見方だが、アメリカやイギリスの支配層にはロシア軍を壊滅させたいと願っている一派が存在している。 例えば、4月7日にフィリップ・ブリードラブ元NATO欧州連合軍最高司令官(SACEUR)は核戦争への恐怖がプーチンに対する適切な対応を西側はとれないのだと発言。ロシアとの核戦争を恐れずに強硬策をとれということだろう。その2日後にイギリスのボリス・ジョンソン首相はキエフを訪問、それを境にしてロシア政府とウクライナ政府の停戦交渉は止まった。 西側ではウォロディミル・ゼレンスキー政権をウクライナの正当な政府だとして扱っているが、ドンバスやクリミアの人びとはキエフを拠点とする現在の体制を正当だとみなしていないだろう。 ウクライナを舞台にした戦争は2013年11月から14年2月にかけてキエフで行われた暴力的なクーデターで幕が上がった。その中心はネオ・ナチのグループだが、その後ろ盾はアメリカのバラク・オバマ政権。現地の司令部は例によってアメリカ大使館で、指揮していたのは国務次官補を務めていたビクトリア・ヌランドだ。 2010年の大統領選挙で勝利したビクトル・ヤヌコビッチ大統領はキエフのクーデターで排除され、ナチスのシンボルが街にあふれた。ロシア語系住民に支持されていたヤヌコビッチはアメリカやイギリスの支配層にとって好ましい人物ではなかったのだ。ヤヌコビッチの支持基盤である東部や南部の住民がクーデター体制を拒否したのは当然のことであろう。 反クーデター派の中で最も早く動いたのはクリミアだった。3月16日の住民投票を経てロシアと統合する道を選んだ。ロシア海軍の重要な基地があるクリミアの制圧にオバマ政権は失敗したということでもある。 4月12日にCIA長官だったジョン・ブレナンがキエフを極秘訪問、22日には副大統領のジョー・バイデンもキエフを訪れた。そして5月2日、重要な港があるオデッサでは反クーデター派の住民がネオ・ナチの中核だった「右派セクター」のメンバーに虐殺される。 5月9日にはクーデター軍がドネツクのマリウポリへ戦車部隊を突入させて住民を殺し始め、6月2日にキエフ政権はルガンスクの住宅街を空爆している。空爆の日、デレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りしていた。OSCE(欧州安保協力機構)も空爆があったことを認めている。この時からドネツクとルガンスク、つまりドンバスの住民はキエフのクーデター軍と戦い始めた。 ドンバス軍にはネオ・ナチから命を狙われていたベルクト(警官隊)の隊員のほか、ウクライナ軍の兵士やSBU(ウクライナ保安庁)の隊員が合流したと言われている。当初、ドンバス軍が優勢だった理由のひとつはここにある。 その後、アメリカ政府はCIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込んで兵士を訓練、「アカデミ(旧社名はブラックウォーター)」の戦闘員約400名をウクライナ東部の作戦に参加させたと伝えられている。また2015年からCIAはウクライナ軍の特殊部隊をアメリカの南部で訓練し始めたともいう。兵器も供給、戦力を増強させてきた。 ロシア軍は2月24日からウクライナへの軍事作戦を始めるが、その直前、ウクライナ軍がドンバスを攻撃して住民を虐殺するという情報が流れていた。2月19日にはウクライナの政治家であるオレグ・ツァロフは緊急アピール「大虐殺が準備されている」を出し、ごく近い将来、ゼレンスキー政権がドンバスで軍事作戦を開始すると警鐘を鳴らしていた。 そのアピールによると、この地域を制圧してからキエフ体制に従わない住民を「浄化」するという作戦で、ドンバスを制圧し、キエフ体制に従わない住民(ロシア語系住民)を「浄化」、つまり皆殺しにするというものだったという。西側から承認を得ているともしていた。 この作戦と並行してSBU(ウクライナ保安庁)はネオ・ナチと共同で「親ロシア派」の粛清を実行することにもなっていたという。住民虐殺の責任を西側の政府や有力メディアはロシアに押し付けるつもりだったのだろう。 戦闘が始まった後、ロシア軍はウクライナ軍が残した文書を回収しているが、それによると、親衛隊のニコライ・バラン上級大将が1月22日に攻撃の指令書へ署名、ドンバスを攻撃する準備が始まり、2月中に準備を終えて3月に作戦を実行することになっていたという。 その前、ロシア政府はウクライナを軍事的な支配地にしようとしているアメリカやNATOに対し、NATOの東への拡大を止めるように求めていたが、今年1月7日、ストルテンベルグNATO事務総長はロシアの要求を拒絶していた。 ウクライナでの戦闘についてアメリカ軍の内部からは事実に基づく情報も流れてくる。例えば、アメリカ軍の情報機関DIAは長距離ミサイルが攻撃しているターゲットは軍事施設だと説明、住民が狙われているとする話を否定していた。アメリカをロシアとの核戦争へ向かわせているのはNATOだ。
2022.06.05
アメリカのFDA(食品医薬品局)とCDC(疾病予防管理センター)が共同で運用しているVAERS(ワクチン有害事象報告システム)への自主的な報告によると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」による死亡者数は5月27日現在、前の週より220名増えて2万8532名に達した。 一般的にVAERSに報告される副作用の件数は全体の1%にすぎないと言われているので、これを適用すると「COVID-19ワクチン」による死者は300万人近いということになる。 COVID-19を引き起こす病原体は「SARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)」だとされている。2019年12月31日に湖北省の武漢でSARSに似た重篤な肺炎の患者が見つかったことからこのように呼ばれるようになった。全世界に感染が広がったとされているが、局所的にそうした患者が現れることはあっても、湖北省で見つかったような患者が世界の街にあふれたという話は寡聞にして知らない。 しかも、武漢における感染は短期間で治まった。感染対策を指揮した中国軍の陳薇は2002年に出現したSARSを押さえ込んだチームの責任者で、その時の経験から彼女はインターフェロン・アルファ2bを試したところ、2019年のケースでも効果が確認されたという。つまりCOVID-19に治療薬が存在することはWHO(世界保健機関)がパンデミックを宣言する前からわかっていた。その後、インターフェロン・アルファ2b以外にも有効な治療薬が見つかっている。 インターフェロン・アルファ2bはキューバで研究が進んでいる医薬品で、リンパ球を刺激して免疫能力を高める働きがあるとされている。吉林省長春にも製造工場があり、中国の国内で供給できたことも幸いした。今回の件で中国の習近平国家主席はキューバのミゲル・ディアス-カネル大統領に謝意を述べたと伝えられている。 パンデミックが宣言されると、欧米ではCOVID-19を口実にしてロックダウンが実施され、マスクの着用や「ソーシャル・ディスタンス」が要求され、リスクの高い「ワクチン」の接種が推進されてきた。全ての人間にデジタル・パスポートを携帯させる計画はCOVID-19騒動の前からあったが、この騒動を利用して推進しよう動きが出てきた。 武漢で重篤な肺炎患者が見つかる直前、2019年10月18日にコロナウイルスが全世界で流行するというシミュレーションがニューヨークで行われている。「イベント201」だ。主催者はジョンズ・ホプキンス健康安全保障センターやビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団。 また、2019年1月から8月にかけてアメリカ政府は中国でインフルエンザのパンデミックが始まるという想定の演習を実施、その年の10月18日から27日にかけて武漢では各国の軍人による競技会が開かれた。 競技団の一部は中国を訪れる直前、アメリカのメリーランド州にあるフォート・ビーバーで訓練しているが、この基地はアメリカ軍が生物化学兵器の研究開発拠点にしているフォート・デトリックから約80キロメートル、原因不明の呼吸器系の病気が流行したスプリングフィールドから10キロメートル弱の地点にある。武漢で選手団が泊まった「武漢オリエンタル・ホテル」は問題の海鮮市場から300メートルしか離れていない。 COVID-19騒動ではロックダウン、マスクの着用、公共施設などの入り口における体温の測定といったことが行われてきたが、2010年5月にロックフェラー財団とGBN(グローバル・ビジネス・ネットワーク)が公表した「技術の未来と国際的発展のためのシナリオ」の中でそうした「対策」は示されている。そのシナリオによると、2012年に新型インフルエンザのパンデミックが起こって全人口の20%近くが感染、7カ月で800万人が死亡、その多くは健康な若者だとされていた。 アメリカやイギリスの当局はWHOを巻き込み、「ワクチン」の接種を推進する一方、世界規模で監視体制の強化を図ってきた。パンデミックなど危機的な状況下ではWHOが全ての加盟国にロックダウンなどの政策を強制できるようにする「パンデミック条約」を締結しようとする動きもあるが、こうした動きに抵抗する人も少なくない。 そうした中、5月7日にイギリス健康安全保障庁(UKHSA)は「サル痘」の感染者を発見したと発表した。最近、ナイジェリアを旅行した人物だという。 その後ポルトガル、スペイン、アメリカ、カナダ、スウェーデン、ベルギー、イタリア、オーストラリア、ドイツ、フランス、オランダ、イスラエル、アラブ首長国連邦、メキシコというように感染が拡大しているとされている。 サル痘は1958年、ポリオ・ワクチンの製造過程で発見された病気。人間への感染が確認されたのは1970年、コンゴにおいてだが、世界へ広がることはなかった。2003年にアメリカで見つかるまでアフリカ以外で感染者は見つかっていない。その稀な病気が突如、流行し始めてワクチン接種まで言われ出した。COVID-19に続く新たな「悪霊」としてサル痘が扱われようとしている。 新たな「悪霊」の出現を「予見」していた人々がいる。昨年3月にNTI(核脅威イニシアティブ)とミュンヘン安全保障会議はサル痘のパンデミックが起こるというシミュレーションを行い、その年の11月に報告書が発表されているのだ。NTIはCNNを創設したテッド・ターナーらによって創設された団体だ。 その報告書によると、「ブリニア」なる国で2022年5月15日に感染は始まり、23年12月1日には2億7100万人が死亡することになっている。実際にイギリスでサル痘の患者が発見されたとされているのは5月7日。報告書が出た昨年11月、ビル・ゲーツは将来のパンデミックや天然痘を使った攻撃について語っていた。 ポルトガルの研究者が5月23日にNIH(国立衛生研究所)で発表した報告によると、サル痘の病原体は研究者の手が加えられているだけでなく、意図的に撒かれた可能性があるという。
2022.06.04
この時期になると、西側の有力メディアは「天安門事件」を話題にする。1989年4月15日から6月4日まで新自由主義を支持する学生らが中国政府に対する抗議活動を行ったのだが、西側では最終日に軍隊が学生らに発砲して数百名を殺したと主張している。6月5日、広場から引き上げる戦車をクローズアップした写真を使い、「広場へ入ろうとする戦車を止める英雄」の話を作り上げてもいた。 しかし、その時に天安門広場で学生が虐殺されたという話を否定する西側のジャーナリストや外交官もいる。例えば、6月4日に天安門広場での抗議活動を取材していたワシントン・ポスト紙のジェイ・マシューズは問題になった日に広場では誰も死んでいないとしている。広場に派遣された治安部隊は学生が平和的に引き上げることを許していたという。(Jay Mathews, “The Myth of Tiananmen And the Price of a Passive Press,” Columbia Journalism Reviews, June 4, 2010) 内部告発の支援活動をしているウィキリークスの公表した北京のアメリカ大使館が出した1989年7月12日付けの通信文によると、チリの2等書記官だったカルロス・ギャロとその妻は広場へ入った兵士が手にしていたのは棍棒だけであり、群集への一斉射撃はなかったと話している。銃撃があったのは広場から少し離れた場所だったという。(WikiLeaks, “LATIN AMERICAN DIPLOMAT EYEWITNESS ACCOUNT O JUNE 3-4 EVENTS ON TIANANMEN SQUARE”) 実際、治安部隊との衝突で死傷者が出たのは広場から少し離れた場所で、相手は新自由主義に反対していた労働者が中心だったと言われている。この衝突では治安部隊員も殺害されている。 イギリスのデイリー・テレグラム紙によると、BBCの北京特派員だったジェームズ・マイルズも天安門広場で虐殺はなかったと2009年に認めている。軍隊が広場へ入ったときに抗議活動の参加者はまだいたが、治安部隊と学生側が話し合った後、広場から立ち去ることが許されたという。(Malcolm Moore, “Wikileaks: no bloodshed inside Tiananmen Square, cables claim” The Daily Telegraph, 4 June 2011) 6月4日に天安門広場で学生が殺されたという話を流したひとりは抗議活動の指導グループに属していた吾爾開希。200名の学生が殺されたと主張しているのだが、マシューズによると、虐殺があったとされる数時間前に吾爾開希らは広場を離れていた。 北京ホテルから広場の真ん中で兵士が学生を撃つのを見たと主張するBBCの記者もいたが、記者がいた場所から広場の中心部は見えないことも判明している。(Jay Mathews, “The Myth of Tiananmen And the Price of a Passive Press,” Columbia Journalism Reviews, June 4, 2010) それに対し、西側の有力メディアは2017年12月、天安門広場で装甲兵員輸送車の銃撃によって1万人以上の市民が殺されたという話を伝えた。北京駐在のイギリス大使だったアラン・ドナルドが1989年6月5日にロンドンへ送った電信に書かれていたのを見たという話だが、これが事実なら死体の処理だけでも大変だっただろう。ドナルド大使は「信頼できる情報源」の話として伝えたのだが、その情報源が誰かは明らかにされていない。ただ、そのほかの虐殺話は学生の指導者から出ていた。 アメリカは軍事クーデターを仕掛ける時も労働組合などを使って抗議活動を演出する。こうした組織は幹部をコントロールできれば全体をコントロールできる。そうした工作を現地で指揮する人物はアメリカ大使館にいるのが通常だ。 1989年4月、中国駐在アメリカ大使としてジェームズ・リリーが赴任してきた。1951年にエール大学からCIA入りしたと言われている人物だが、大学時代にリクルートされた可能性が高い。この大学でCIAのリクルート担当はボート部のコーチだったアレン・ウォルツだと言われている。 リリーと同じ頃、ジョージ・H・W・ブッシュもエール大学の学生。父親のプレスコットがアレン・ダレスとウォール街仲間だったことは本ブログでも繰り返し書いてきた。大学ではウォルツと親しかったことでも知られ、ブッシュも大学時代にCIA入りした可能性が高い。 リリーは中国山東省の青島生まれで中国語は堪能。一方、ブッシュはカリブ海で活動した後、1974年から75年まで中国駐在特命全権公使(連絡事務所長)を務めている。こうした背景があるためブッシュとリリーは親しく、1989年1月にアメリカ大統領となったブッシュは4月にリリーを中国駐在大使に据えたのである。ちなみにリリーの前任者であるウィンストン・ロードもエール大学の出身であり、いずれも学生時代にスカル・アンド・ボーンズに所属していた。 中国は1972年2月にアメリカと国交を正常化させている。リチャード・ニクソンが大統領だった時代の話だ。ニクソン訪中を実現するために裏で中国側と交渉していた人物は国家安全保障補佐官を務めていたヘンリー・キッシンジャーだ。交渉の過程でキッシンジャーは周恩来に対し、日本の核武装について話したという。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、アメリカと中国が友好関係を結ぶことに同意しないならば、アメリカは日本に核武装を許すと脅したという。(Seymour M. Hersh, “The Price of Power”, Summit Books, 1983) 1980年9月には新自由主義の教祖的な存在であるミルトン・フリードマンが中国を訪問、同国でも新自由主義が浸透していくのだが、80年代の後半になると社会の歪みが深刻化、88年に実施した新自由主義的な「経済改革」は深刻なインフレを招き、社会は不安定化した。 中国政府は軌道修正を図るが、胡耀邦や趙紫陽を後ろ盾とするエリート学生は「改革」の継続を求めた。エリート学生は新自由主義で甘い汁が吸える立場にあったからだろう。学生たちは投機家のジョージ・ソロスともつながっていたが、学生の活動を指揮していたと見られているのはジーン・シャープだ。 しかし、学生の要求は認められず、労働者などからの不満に答えるかたちで軌道修正、胡耀邦は1987年1月に総書記を辞任、89年4月に死亡した。その死を切っ掛けに天安門広場で大規模な抗議活動が始まり、5月に戒厳令が敷かれることになる。 天安門広場での抗議活動が沈静化した後、学生の指導者たちは「イエローバード作戦(黄雀行動)」と呼ばれる逃走ルートを使い、香港とフランスを経由してアメリカへ逃れた。このルートを運営していたのはアメリカのCIAとイギリスのMI6(SIS)だ。
2022.06.04
アメリカのジョー・バイデン政権は西側の有力メディアを利用し、ロシア軍を悪魔化するキャンペーンを続け、その一方でウクライナからの「避難民」を暖かく迎える演出をしてきた。こうした宣伝でイメージの悪化したロシアは世界で孤立させ、経済戦争を仕掛けて締め上げる予定だったのだろう。 しかし、イギリスのガーディアン紙によると、その思惑は外れたようだ。アジア、ラテン・アメリカ、アメリカ、ヨーロッパの52カ国で行なった世論調査の結果、ロシアとの経済的な関係を断ち切るべきでないと考える国民が多数派の国は20カ国存在。断ち切るべきだとしたのは31カ国だが、そのうち20カ国はヨーロッパの国だった。 断ち切るべきでないとした国は中国のほか、ギリシャ、ケニヤ、トルコ、イスラエル、エジプト、ナイジェリア、インドネシア、南アフリカ、ベトナム、アルジェリア、フィリピン、ハンガリー、メキシコ、タイ、モロッコ、マレーシア、ペルー、パキスタン、サウジアラビアが含まれている。 アメリカの「経済制裁」、つまり経済戦争はロシアを弱体化させるという名目で行われているのだが、実際は「制裁」に参加した国々にダメージを与えている。COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動で麻痺していた経済活動に「制裁」は追い打ちをかけることになっている。特に食糧と燃料の問題は深刻だ。そうした事実にヨーロッパ各国は気づき始めたようだが、EUの執行機関である欧州委員会はアメリカ政府の政策を実行しようとしている。 ウクライナでの戦闘をアメリカのバイデン政権とイギリスのボリス・ジョンソン政権は長引かせようとしている。ジョンソンは2019年7月に首相となったが、その背景にはBrexit(EUからの離脱)があった。離脱に反対していたテレサ・メイに替わり、賛成のジョンソンが登場したのだ。ジョンソンは反ロシア感情が強く、アングロ・サクソンの同盟を望んでいた。 しかし、EUを動かしている欧州委員会は米英の支配層と連携している。その委員は加盟国政府が選出、一般庶民の意向が反映されているとは思えない。民主的とは言えず、富豪たちの意向で選ばれているのが実態だろう。真の民主主義国家は存在しないが、それにしてもEUは非民主的な組織だ。 EUは1993年のマーストリヒト条約発効に伴って誕生したが、その前身はEC(欧州共同体)。このECについて堀田善衛はその「幹部たちのほとんどは旧貴族です。つまり、旧貴族の子弟たちが、今ではECをすべて取り仕切っているということになります。」(堀田善衛著『めぐりあいし人びと』集英社、1993年)と書いている。 そうしたEUに一般の人びとが拒絶反応を示すのは当然だが、Brexitが導く先にはアメリカとイギリスの金融資本が支配するディストピアがある。そのディストピアを実現する障害になってるのがロシアと中国。2014年にネオコンが行なった力技はロシアと中国を結びつけ、今では「戦略的同盟関係」にある。その中露を中心にして、日米欧以外の国々が集まり始めている。
2022.06.03
アメリカのジョー・バイデン政権は6月1日、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー政権に対し、7億ドル相当の兵器を追加供給すると発表した。特に注目されているのはHIMARS(高機動ロケット砲システム)。射程距離は80キロメートルだとされ、ドンバス(ドネツクとルガンスク)を狙える。ウクライナ政府高官はこのシステムでロシア領内の目標を攻撃しないと約束したというが、何の意味もない。 CNNによると、ウクライナ政府はHIMARSだけでなくMLRS(多連装ロケットシステム)の供給も求めていたが、こうした兵器の供給はロシアが設定した「レッドライン」を超えることを意味するとクレムリンは警告、5月30日にバイデン大統領はロシア領を攻撃できるロケット・システムを提供しないとしていた。ホワイトハウスの内部で綱引きがあり、片方だけの供給で決着したのかもしれないが、ロシア政府がそれをどのように判断するかは不明だ。 アメリカのロイド・オースチン国防長官は4月25日、ポーランドでロシアの軍事能力を弱体化させたいと語り、投機家のジョージ・ソロス5月24日、ダボスで開かれたWEF(世界経済フォーラム)の総会で「第3次世界大戦」が始まったかもしれないと語った。大戦が始まれば西側文明は生き残れないかもしれず、西側文明を守る唯一の方法はできる限り早くプーチンを打倒することだと主張している。ロシア国内でのクーデターやプーチン暗殺を念頭に置いているかもしれないが、それに失敗すれば核戦争を始めるということだろう。なお、6月1日、ロシア軍がイバノボで核戦争の演習を行なっていると伝えられた。
2022.06.02
ウクライナの人権オンブズマンを務めていたリュドミラ・デニソワを同国議会は5月31日に解任した。この人物はロシア軍の兵士が捕虜になったウクライナ軍の女性兵士を拷問したり虐待したなどとロシア軍を悪魔化する話を流していたのだが、その主張には根拠がないことを否定できなくなり、そうした話はウクライナを傷つけるだけだとして解任したようだ。 デニソワの話を垂れ流していた西側の有力メディアは事実を確認する作業をしていなかったということでもあるが、そうした話はウォロディミル・ゼレンスキー政権の意向に沿うもので、それはアメリカ政府やイギリス政府が望んでいることでもある。 アゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)が拠点にしていたマリウポリを含むドンバス(ドネツクとルガンスク)はクリミアやオデッサと同じように、2014年2月のクーデターで暴力的に排除されたビクトル・ヤヌコビッチの支持基盤。住民の多くはロシア語を日常的に話していた。クーデター体制に弾圧されてきた地域でもある。 今年2月19日にウクライナの政治家であるオレグ・ツァロフが発表した緊急アピール「大虐殺が準備されている」、あるいはロシア軍が回収した文書によると、ゼレンスキー政権がドンバスに対する大規模な攻撃を準備していた。 ツァロフのアピールによると、この地域を制圧してからキエフ体制に従わない住民を「浄化」するという作戦で、ドンバスを制圧し、キエフ体制に従わない住民(ロシア語系住民)を皆殺しにすることが目的。それを西側は承認しているともしていた。この作戦と並行してSBU(ウクライナ保安庁)はネオ・ナチと共同で「親ロシア派」の粛清を実行することにもなっていたという。 ロシア軍が回収した文書によると、ゼレンスキーが1月18日に出した指示に基づいて親衛隊のニコライ・バラン上級大将が1月22日に攻撃の指令書へ署名、ドンバスを攻撃する準備が始まった。2月中に準備を終え、3月に作戦を実行することになっていたとしている。 3月に攻撃が実行された場合、ドンバスでは大多数の住民が虐殺されて証言することはできなかった可能性がある。ドンバス以外でもロシアを敵視しない住民は殺され、「死人に口なし」を利用して虐殺の責任を西側の政府や有力メディアはロシアに押し付けたことだろう。 実際、ロシア軍がウクライナに対する軍事作戦を2月24日に始めて以来、ゼレンスキー政権はロシアとの話し合いによる解決を望む人びとを排除してきた。 例えばロシアと話し合いで問題を解決しようとしていたボロディミル・ストルクは3月1日に誘拐され、拷問された上で射殺されている。3月5日にはロシアと交渉しているチームのひとり、デニス・キリーエフがキエフの路上で治安機関SBU(ウクライナ保安庁)の隊員に射殺され、3月7日にはゴストメルのユーリ・プライリプコ市長の死体が発見され、ウクライナ全体では11名の市長が行方不明だとも言われている。 また、4月21日にミコライフ州のビタリー・キム知事は「ウクライナ24テレビ」の番組で「全ての裏切り者を処刑する」と語っている。処刑を実行するための秘密部隊を編成、すでに作戦を遂行しているともしていた。キムにとって「裏切り者」とはゼレンスキーの政策に同意しない人びとであり、それはアメリカやイギリスの政府の政策でもある。 こうした「国賊狩り」が強化された理由はウクライナ軍の敗北が決定的になり、国民の離反を警戒してのことかもしれない。恐怖政策で国民を支配しようとしている可能性がある。 4月7日にはフィリップ・ブリードラブ元NATO欧州連合軍最高司令官(SACEUR)は、核戦争への恐怖がプーチンに対する適切な対応を西側はとれないのだと発言したという。ロシアとの核戦争を恐れるなということだ。その2日後にイギリスのボリス・ジョンソン首相がキエフを訪問したが、それを境にしてロシア政府とウクライナ政府の停戦交渉は止まったようだ。 マリウポリのアゾフ大隊はゼレンスキー政権から「玉砕」を命令されていたようだが、大多数の兵士が投降、人質になっていた住民が解放されて実態をカメラの前で証言、西側の有力メディアが展開していた「報道」が嘘だということが明確になっている。 そうした住民が証言する様子を撮影した映像を西側の有力メディアは避けていたが、ドイツの有力な雑誌「シュピーゲル」はマリウポリのアゾフスタル製鉄所から脱出した住民のひとり、ナタリア・ウスマノバの証言を3分間の映像付きで5月2日に伝えた。ところがすぐに削除する。ショルツ内閣や米英の政権にとって都合の悪い事実が語られていたからだ。(インタビューのロイター版と削除部分の映像:ココ) ゼレンスキー政権やその手先が発表した話を、どのような内容でも西側の有力メディアは垂れ流してきた。それで増長したのか、話は荒唐無稽になっていく。解放された住民の証言で嘘を隠しきれなくなり、ウクライナ議会はダメージ・コントロールを始めたのかもしれない。 追い詰められたゼレンスキー政権のネオ・ナチや米英支配層の好戦派はロシアへの直接的な軍事作戦を主張し始めている。核戦争で脅し始めたということだ。
2022.06.02
イギリスのタイムズ紙は5月30日付け紙面で、ウクライナ内務省の親衛隊に属す「アゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)」が記章からネオ・ナチのシンボルを除くと伝えた。その記章が「ロシアのプロパガンダ」を永続させるからだというが、アゾフ大隊がネオ・ナチだということは、その歴史を調べれば動かし難い事実だ。アメリカでは白人至上主義者に関する裁判でFBIの特別捜査官が2018年10月に提出した宣誓供述書で、アゾフ大隊はネオ・ナチ思想と結びつき、ナチのシンボル主義を使っていると認めている。 アゾフ大隊は2014年3月13日、「右派セクター」を基盤にして組織されている。2014年2月22日にクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ大統領が排除されたが、そのクーデターの主力はネオ・ナチであり、その中心は右派セクターだった。 その右派セクターは2013年11月、「三叉戟」と呼ばれていた団体を元にし、ドミトロ・ヤロシュとアンドリー・ビレツキーらによって組織された。東部地方と南部地方、つまりロシア語を話す住民が多い地域を支持基盤にしていたヤヌコビッチ政権を倒すことを想定、クーデターの主力になったわけだ。クーデターを成功させた後、2014年5月2日にオデッサで反クーデター派の市民を虐殺している。 ネオ・ナチの中心人物のひとりであるヤロシュをウォロディミル・ゼレンスキー大統領は昨年11月2日、バレリー・ザルジニー軍最高司令官の顧問に据えた。事実上、ウクライナ軍はネオ・ナチの指揮下に入ったと言えるだろう。 ヤロシュは1971年生まれで、89年にネオ・ナチと見られるグループで活動を開始、94年に三叉戟を創設、指導者になる。ウクライナの治安機関SBU(ウクライナ保安庁)の長官を2006年から10年までと14年から15年まで務めたバレンティン・ナリバイチェンコにも若い頃からつながっていた。ナリバイチェンコはクーデターの前からCIAに協力していた人物と言われている。 ヤロシュはドロボビチ教育大学でワシル・イワニシン教授の学生だったが、この教授はKUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)の指導者グループに属していた。 KUNはステパン・バンデラ派のOUN-B人脈によって組織されたが、ウクライナのネオ・ナチはOUN-Bの流れをくむ。バンデラは1920年代からOUNの幹部だが、この組織は41年3月に分裂、バンデラを中心に集まったグループはOUN-Bと呼ばれるようになった。 このOUN-Bをイギリスの情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーは雇うが、その一方、バンデラの側近だったミコラ・レベドはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入る。第2次世界大戦後、バンデラはMI6に守られ、レベドはCIAのアレン・ダレスに保護された。 イワニシンが2007年に死亡するとヤロシュが後継者になる。このタイミングでヤロシュはNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われている。その年の5月にウクライナのテルノポリで開かれた欧州のネオ・ナチや中東の反ロシア・ジハード主義者を統合するための会議で議長を務めた。その当時アメリカのNATO大使を務めていた人物がクーデターを指揮することになるビクトリア・ヌランドだ。 クーデター後の2014年3月、ヤロシュは声明を発表、その中でチェチェンやシリアでロシアと戦ったサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)などイスラム系の武装集団への支援を表明した。ネオ・ナチもイスラム系武装集団もCIAは傭兵として使っている。つまり雇い主は同じだ。 2014年2月22日のクーデター後、ヤヌコビッチを支持していた東部地方や南部地方の住民はクーデター政権を認めず、住民投票でロシアとの統合(クリミア)、自治(ドネツク)、独立(ルガンスク)を決める。重要な軍港があるクリミアの要求をロシアは受け入れたが、ドネツクやルガンスク、つまりドンバスをロシアは表立って支援しなかった。そこから内戦が始まるのである。 クーデターの直後、バラク・オバマ政権はキエフに誕生した新政権を支えるため、CIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込んだ。そのほか傭兵会社「アカデミ(旧社名はブラックウォーター)」の戦闘員約400名もウクライナ東部の作戦に参加したと伝えられていた。また2015年からCIAはウクライナ軍の特殊部隊をアメリカの南部で訓練し始めたともいう。 その一方、ウクライナにアメリカの国防総省は兵器クラスの危険な病原体を扱う研究施設を建設していく。言い換えれると、生物兵器の研究開発を行なっていたのだ。 ロシア軍の核生物化学防護部隊を率いているイゴール・キリロフ中将は3月7日、ウクライナの研究施設で回収した文書から同国にはアメリカのDTRA(国防脅威削減局)にコントロールされた研究施設が30カ所あると発表している。 ロシア国防省によると、ウクライナの研究施設で鳥、コウモリ、爬虫類の病原体を扱う予定があり、ロシアやウクライナを含む地域を移動する鳥を利用して病原体を広める研究もしていたという。 アメリカの上院外交委員会では3月8日、アメリカの上院外交委員会でビクトリア・ヌランド国務次官はウクライナの施設で研究されている生物化学兵器について語っている。マルコ・ルビオ上院議員の質問を受け、兵器クラスの危険な病原体がロシア軍に押収されるかもしれないと語ったのだ。つまり、ウクライナの研究施設で生物化学兵器の研究開発が行われていたことを否定しなかった。 その後ロシア国防省が発表したスライドによると、アメリカの民主党が病原体研究の思想的な支柱だと指摘、その思想を実体化させる役割を負っているのが国防総省やCDC(疾病予防管理センター)を含む政府機関だという。 資金はアメリカの予算からも出ているが、ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団、クリントン財団、ハンター・バイデンのロズモント・セネカ・パートナーズ、ジョージ・ソロスのオープン・ソサエティ財団、ロックフェラー財団、エコヘルス同盟などもスポンサーだ。 そのほか、生物兵器の研究開発システムにはアメリカ大使館、国防総省の契約企業であるメタバイオタ、ブラック・アンド・ビーチ、スカイマウント・メディカル、そしてCH2Mヒルなど、またファイザー、モデルナ、メルク、ギリアドを含む医薬品会社が組み込まれ、ドイツやポーランドも関係している。 ところで、2013年11月から14年2月にかけてのクーデターを指揮していたのは国防次官補だったビクトリア・ヌランドだが、ジョン・マケイン上院議員も体制転覆を扇動するためにウクライナへ入っていた。 CIAがウクライナ軍の特殊部隊をアメリカで訓練し始めた翌年、マケインはリンゼイ・グラハム上院議員とウクライナを訪問したが、その際、ペトロ・ポロシェンコ大統領や兵士に前にして、ロシアとの戦争を煽っている。ウクライナを勝利させるため、あらゆる支援をアメリカ政府に実行させ、ロシアに「重い代償」を支払わせるというのだ。その演説の様子を撮影した映像が公表された。 ジョー・バイデン大統領の軍事顧問で、2013年5月から16年5月までSACEUR(NATO欧州連合軍最高司令官)を務めたフィリップ・ブリードラブ大将はネオコン/シオニストと強く結びついていることでも知られている。このブリードラブは核戦争への恐怖がプーチンに対する適切な対応を西側はとれないのだと主張している。 この発言が明らかにされたのは今年4月7日のこと。ブリードラブはこの時点でウクライナ軍の敗北は決定的だと考えていたのだろう。現在、ゼレンスキー大統領は「あらゆる支援」をアメリカに求めているが、2014年以降、ウクライナ政府は核兵器に興味を示している。
2022.06.01
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