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前々からヘビメタ(ハードロック)ドラマーの何人かのスタジオ会員さんから、「ハイハットスタンドのところに左足のツインペダルが入りにくいなァ・・・」という話を聞いていました。通常のシングルペダルでは右足だけでペダルを踏んでバスドラムを叩くわけですが、ツインペダル導入して左足もペダルを踏んでバスドラをハイピッチで叩くことによってヘビメタ感を出そうとヘビメタドラマーのスタイルです。そのツインペダルの左ペダルをハイハットペダルの右横に置くんですが、通常のハイハットスタンドの固定の3本の脚が邪魔になって左ペダルが入りにくかったのです。実際、自分のツインペダルが簡単に入るハイハットスタンドを持参される会員さんもいらっしゃいます。実際私もどちらかと言うとディープ・パープルやバン・ヘイレン好きのドラマーなので、実際ツインペダルで演奏するとよく分かります。しかし要望は聞きますが、全て採用することは不可能です。そこはいくらリハスタは半分趣味?とは言え、半分はビジネスです・・・(笑)。採算を考えれば、要望を聞くのも「吟味」と「順番」です。そして今回、第2スタジオである「Bスタジオ」をオープンを機に、Bスタの新しいドラムセットはパール社製の「EXPORT」にしたことによって、ハイハットスタンドはツインペダルが楽に入るスィーベリングレッグ(脚部が回転するシステム)が標準装備でしたので、ついでに既存のAスタジオにも採用しました。これでAスタBスタとも、ヘビメタドラマーさんも満足できると思います。という事で、厳しいリハスタ経営をする中で、その範囲内で如何にお客さんに満足してもらうかが(マーケッティング的に言うと、CSを上げるか)、自分はドラマーなので先ずはドラマー目線で一つ一つ着実に問題を解決していく事が大事だと思います。そして同時に、ギタリストとベーシストの意見も一つ一つ取り入れていく・・・そんな経営をしていきたいと思います。もちろん、その他キーボードや管楽器の会員さんだけでなく、スタジオ会員さん全体を見渡し音楽系以外のダンサーの会員さんの要望を聞くのも大事なのは言うまでもありません。Aスタを22畳と広くした事によって、バンド以外の大人数編成のブラスバンドやビッグバンド、更にダンス系(フラダンス、ヨガ、ヒップホップ、タヒチアン、フラメンコなど)のお客さんも集客できた事によって、経営者に必要なモノゴトを多面的に捉える「複眼的思考」にプラスだったと思います。そしてツインペダルの優遇策の「裏の要因」が、実は私のボケ防止対策だったのです・・・(笑)。と言うのは、通常ドラマーは両手と右足(バスドラム)は忙しいのに、左足(ハイハット)はヒマだったのです。左足は大体ハイハットを踏みっぱなしが多いのです。空手(突き&蹴り&受け)もウインドサーフィン(スターボードタック&ポートタック)も左右均等の運動という観点から言うと,ドラムは均等の運動ではないので,ツインペダルを導入して左足も踏むことによって左右均等に使って老化予防(ボケ防止)に繋げようという魂胆です・・・(笑)。しかし,ドラマ-の中で「どんなけ”ヘビメタ指向”がいてまんねん?」とツッコまれそうですが・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.01.31
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予定通り2月1日より、弊社「スタジオ0724」の2番目のスタジオとなる「Bスタジオ」がオープンします。なので、もう既に2月のブッキング(予約)を受け付けています。オープンのメドが立った1月18日から、このブログとSNS(フェイスブック、ツイッター、ライン、インスタグラム)で本格的に告知活動をしていますので、予約もボチボチ順調に入ってきています。エンドユーザー相手のニュービジネスでもお金も掛からず、ピンポイントで簡単かつタダで宣伝なんて素晴らしい時代が到来したものです・・・今回のBスタジオの広さは、22畳のAスタジオの約3分の1の8畳です。8畳というのは一般的なリハスタの広さです。22畳というのは広すぎたのです。広すぎたと言うより、初めての音楽スタジオ起業の戦略でした。前提として「バンドだけでは集客できない・・・」というのを想定して、ダンス系とだんじり鳴り物も集客しようという22畳と広くしたのです(防音ドアは2尺5寸の大太鼓が入るようにドア幅を広げ別注した)。このBスタジオは元々15畳の広さのトランクルームの部屋でしたが、防音&防振対策の改造を施して8畳になってしまったのです。やはり120デシベルに達するフルバンドの爆音を外に漏らさないようにするためには、結局これくらいになってしまうのです。更にAスタジオと同じように、バスドラムの低周波振動を押さえるために「ドラム台」も作り、床とドラム台の2重の防振対策を施す事で低周波振動をシャットアウト出来たのです。これくらいの完璧な工事をすれば、近所に迷惑を掛ける事もありません。しかしスタジオ経営のキーポイントは実はココにあったのです。防音と防振・・・この難しい難題を完璧に施工しないと音楽スタジオの営業は不可能なのです。これは正に弊社の祖業であった織物製造業にも当てはまり、苦労して防音と防振をシッカリ押さえた事により24時間355日(年間)操業できたのです。当時2週間ほとんど寝ないで考えた甲斐がありました・・・(涙)。音楽スタジオと織物業・・・厳密に言えば音響防音と工業防音は違いますが、基本的な理論は同じです。織機の一回り大きい穴をコンクリート床下70㎝掘り、そこに鉄製の「防振架台」を置いてその上にバネでもう1枚台を置いてコンクリートを流し込み、その上に織機を置いてました・・・通常有名メーカーを採用すると1台100万掛かりましたが、弊社の場合性能は同じ専門メーカーで半額で済みました。それでも20台✕50万円で、防振対策だけで1000万円も掛かったのです(逆に1000万円節約出来た)・・・(涙)。しかし今客観的に考えると、織物業は恐ろしく設備に金が掛かる商売だったと・・・まァ織物業での防音と防振を経験していた事が大きな武器になっていたのです。その織物業での防音と防振対策は、若い頃の「オーディオ小僧」時代の経験と知識が役立ったのです。織物業とオーディオ・・・そして織物業と音楽スタジオ。何か、人生ってグルグル回ってますね・・・(笑)。昔学校の勉強と全く関係ない趣味の経験が、40年後に回りまわって仕事に役立ってきたのです。アップル創業者スティーブジョブスの名言「 点と点をつなげて線にする」 の通り、一見すると違う経験が後々別のところで役に立ちます。若い頃から将来を見据えて打算的に生きたり親の期待通りに生きるより、自分の好きなことを優先して生きる方が幸せな人生後半戦を送れる・・・という事でしょうか?学校の勉強も大事ですが自分の過去60年の人生を振り返ると、それより自分の意思を尊重して小学校からだんじり祭にのめりこみ(小2で宮入本番で大太鼓を叩く)、小学校からGSサウンドから色んなジャンルの音楽を聴き、人とは違った人生を歩みたいと都会への憧れも有り貝塚から進学が少なかった堺市の鳳高校オーケストラ部でトランペットを始め、、浪人時代に極真空手に入門しようと池袋の総本部道場へ(当時大阪にまだ支部道場がなかった)、結局関西外大体育会古武道部で林派糸東流空手を始めながらドラムも始めウインドサーフィンにものめり込み大学に学連加盟の同好会を創部し、家業の繊維とは全く関係のない建築建材金物メーカーに大卒後就職し、ウインドサーフィンで知り合った女の子と恋愛結婚し、31歳で何億も掛けた一世一代の新工場(織物)建設に踏み切る、田舎では常識だった親との同居(8年間)から妻とまだ小さかった3人の子供を連れて別居、そして2年間の狭いアパート住まいを経て35歳で自宅を新築・・・まァ、世間一般の常識や既成概念や旧習に囚われず、自分が「これだ!」と思った(好きな)事をして生きてきました・・・もちろん、その裏には経済的な負担や心理的な責任も伴いますが、それがベストな方法だと信じて突き進んできました。しかし空手にしてもウインドサーフィンにしてもドラムにしてもそれなりに一生懸命したのですが、結局中途半端に終わってしまいました・・・(涙)。当時は自分の才能のなさに落胆しましたが、「これから趣味として行こう・・・」と心の中にそっと仕舞いました。若い頃しか出来ないイロンナ事にチャレンジしてきて思う事は、行動力だけ付いたのか・・・というのがオチです(笑)。ウインドだけは夏だけボチボチ続けていましたが、空手とドラムは何十年か後に再開したのです。まァしかし、それで何回親や妻を心配させてきた事でしょうか・・・私が41歳の時に父親が亡くなってから更に輪を掛け、家業の織物業を廃業し、訳の分からないトランクルームなる商売を始め、父も天国で心配していたでしょう・・・更に世間体の良くない不動産屋も始め、親父の怒りもピークに達していたかも(笑)。更に更に音楽スタジオ、卓球場、自習室の3連打で、天国で呆れかえっているかも・・・(笑)。この辺が人生の面白さでしょうねェ・・・残り少ない人生をもっとオモシロくするために、ナニを仕掛けるか?・・・日々悩んでいます(笑)。という事で、Bスタジオが出来て2室になった事によって、これまで夕方から夜に掛けて予約が取り辛かったのが(機会損失)ある程度解消され、お客さんの満足度も上がると期待しています。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.01.28
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ついにこのブログがトータル200万アクセスを達成しました。この場を借りて、この私の拙いブログに訪問して頂いた方々に感謝の意を表します。本当に有り難うございました。200万アクセスと言うと、トータル200万人の方が私のブログを読んでいる訳ではなくリピーター率を考えると、ざっとこれまで世界中から100万人の方が読まれたと考えてもイイのでしょうか・・・100万人と言うと,貝塚市の人口の約11倍です。5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、自習室、不動産屋)でニッチなエリアマーケット戦略を展開している弊社にとって、その貝塚市というコアマーケット人口の11倍の方が私のブログを読んだ(読んでいる)という事実はマーケッティング的にも非常に重要なことだと思います。しかしブログをスタートしたのが2006年6月ですから、約13年も掛りました。13年間・・・実に長いことブログを書いているなァと我ながら感心します(笑)。13年前に織物業からトランクルームに転業したのをキッカケにこのブログを始めました。趣味でブログを書いている人が多いですが、私の場合はビジネスです。逆に言うと、仕事で書いているから13年も続けられたのでしょう。インターネット時代に合わせた零細企業経営者が発信できるツールとしてのブログは、非常に大きな効果をもたらしますから。まァブログを1人でも多く見ていただき、リンクしている各ホームページに誘導するという、WEB戦略として多くの人がやっている正攻法です。この楽天ブログと各ホームページと各SNS(フェイスブック、ツイッター、インスタグラム、タイムライン)をリンクさせる事によってSEO対策の強化を図っています。その中心となるのがこのブログで、如何にアクセス数を上げるかがこの13年間の課題だったのです。しかし13年間コンスタントに書き続けた訳ではなく、文字通り人生と同じで途中山あり谷ありです。特に最初の2年くらいは他社の織物工場に働きに行きながら宅建の受験勉強をしていた時期があり、殆どブログを書く時間がありませんでした。その後トランクルームに戻ってから、グーグルやヤフーのころころ変わるアルゴリズムを計算に入れSEO対策を考えながらブログをあるときは毎日書き、あるときはコンテンツを重視し週1回とか試行錯誤をしながら13年間コツコツと書いていきました。ビジネスでブログを書いているとは言え、あまりに商売的な事ばかり書くと見向きもされませんので、プライベートな事も小出ししながらイロンナ話題を書いていく・・・というのも大事です。ビジネスのオファーを頂いて、いざ面談する時点でお客さんは私のブログを既に読んでいるケースが多いので話が結構スムーズに運びます。私は全くお客さんの事は知りませんが、お客さんが私の事をブログ(新聞、テレビ、YOU TUBE)を見て知っているのです・・・(笑)。振り返ると,膨大な時間を費やしています。1話考えるのにトータル2,3時間は掛っているでしょうか・・・2200話超えましたので、トータル2200×2時間=4400時間(183日)も掛っている計算になります。その分バイトに行けば、時給900円として、約400万円稼いだ計算です。400万円稼いだ方が良かったのか・・・?イヤイヤ、そうではないでしょう。13年間書き続けたお陰で、それを見た大手メディアのディレクターや新聞記者から電話があり、これまで大手テレビ(NHK、読売テレビ、関西テレビ)計3本出演、大手新聞(朝日、読売2回)計3回掲載されました。やはり、見てくれている人は見ているんです。この影響は計り知れません。とても400万円どころではありません。恐らくその効果は10倍以上かも知れません。大口スポンサーは別として一般人は金を例え積んだとしても、NHKや朝日新聞や読売新聞は取材に来てくれません。彼ら大手マスコミやジャーナリストの使命は「国民が知るべき本物の必要な情報を、国民に知らしめる事」です。「これだ!」と思うところしか取材に来ないのです。大手メディアに取り上げられれば、その信用力から他の小さいメディアへの波及効果で何社も取材に来られました。この時ほど大手メディアの影響力の凄さを感じたことはありません。という事で、大手メディアに取り上げられるコツは「定期的に行われるグーグルのアルゴリズム更新をSEO的に考慮しながら、コンテンツのある内容をマジメに毎日(最低週1回)コツコツと何年もブログを書く・・・」という事でしょうか。特効薬や即効薬は何も無く、ただ愚直に当たり前の事を当たり前のように実行していく・・・まるで織物時代の委託生産(賃織り)のような地味な作業だったのです(笑)。結局、昔から言われている諺どおり「継続は力なり」でした。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.01.27
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中学1年で洋楽ロックに衝撃を受け、それまでの日本の歌謡曲やGSサウンドと違って「音楽とはナンと楽しいのか・・・」と心のよりどころとなった訳ですが、それを実際聴くだけでなく「楽器を演奏しよう」と行動に移したのが鳳高校オーケストラ部でのトランペット演奏です。洋楽ロックでも私の原点はアメリカのブラスロックグループ「シカゴ」です。シカゴなしには私の音楽人生は語れません・・・そのシカゴでも最も興味を持ったのが、ギターでもドラムでもないブラスのトランペットです。当時はどこの高校にもロックを演奏する軽音楽部なんてものはなく、鳳も音楽系はフォークソング部とギター部とオーケストラ部しかありませんでしたので、仕方なくトランペットの出来るオケ部に入ったのです。オケ部に入ってビックリ!みんな上手ではありませんか!貝塚三中にはブラスバンドがなく陸上競技部に入っていましたので、楽器経験が当然ゼロです。ところが当時の鳳には堺市の上野芝中学と陵南中学という全国的にも有名な吹奏楽部出身の者が多く、楽器経験者ばかりの中に放り込まれ完全に気後れしてしまいました・・・(涙)。バイオリンやビオラやクラリネット担当の女子でも、ほぼ全員ピアノもバリバリに弾いていました・・・素人がプロ集団の中に入ったように、完全に浮いてしまったのです・・・「エライところに入ってしまった・・・」と。それどころか、1年に入ったばかりの同じクラスの柔道部初段のクラスメートも教室にギターを持ち込んで、当時は流行していたサイモン&ガーファンクルを上手に歌っているではありませんか・・・(驚)。都会(堺市)のシティボーイやシティガールの勉強だけでなく文化レベルの高さと言うか、層の厚さにショックを受けましたねェ・・・海外旅行とは「言葉と通貨が通用しない場所に行ってショックを受ける事」と誰かが言ってましたが、当時の私は正にそういうカルチャーショック状態だったのです。勉強だけチョロッと出来てもダメで(逆にカッコ悪い)、何か他にも出来ないとダメ・・・というカッコ良く言えば文武両道みたいな、人生ってイロンナ事をやっていかないとダメというのをココで学んだような気がしました。平たく言えば、人生余裕を持って生きる・・・と言うことですか。悪く言えば、ノンビリ行こうや・・・みたいな(笑)。実際、鳳オケ部員は卒業すると大学のオケ部に入ったり、堺フィルハーモニーに入って音楽を続けるOBは非常に多いです。まァしかしコレが不幸の始まりで、言葉の壁もあり(ディープな貝塚弁が通じない?)、学業にも恋愛にも完全に後手後手に回ってしまったニガイ青春でした・・・(涙)。更にコレに輪を掛けて、オケ部の1つ先輩が「これからはジャズロックや!」とオケ部を飛び出して音楽愛好同好会を創り、当時全盛期だった私の大好物のアメリカのブラスロックグループ「シカゴ」のコピーをやり出し(同級生グループはキャロルのコピー)、私を除く中学時代から経験のあった同級生2人のトランペッターが先輩のバンドに引き抜かれました・・・(驚)。シカゴのコピーと言っても15分もある組曲(Ballet for a Girl in Buchannon)で、これがまた難しそう・・・(驚)。私を無視して(当然ですが)、隣の2人が引っ張られる・・・この悔しさは何と表現したら良いのでしょうか・・・?40数年前の事ですが、未だに思い出すと胸が締め付けられる思いです・・・(涙)。その時のフォークソング部から引き抜かれたドラマーが、その後親戚筋になるとは夢にも思いませんでしたし、今は一流企業の役員になっているとは、これまた驚きです。何年か前に親戚の法事で会ったら「あのときの鳳は何をヤッテも自由やったなァ・・・」と私と同じ事を言ってました。同級生のキャロルのコピーバンドでギターをやっていたK君が弁護士をやっているのにも驚き・・・2年前の学年同窓会の時に「キャロルを歌う弁護士ってオモロイで・・・練習でスタジオ提供するさかい、次回同窓会でファンキーモンキーベイビーやってくれへんか?」と彼に言うと、否定せずワロてました(笑)。当時は激しかった学生運動の反動(入学前の1971年に終結)で原付バイク通学OK、当時全盛だったフォークソングを校内のそこら中で歌っていた(集会では必ず「遠い世界へ」を合唱していた)、遠足は各クラス自由に決め私服で現地集合現地解散で帰りは遊び放題、美術の授業は大阪府一広い校内のどこで描いてもOK・・・と広々とした学内は自由な雰囲気に満ち溢れていました。都会の高校が羨むほど大阪府下で1番広い敷地面積で、校内には松林やブランコもあり、卒業まで一度も行けなかった「第3運動場」なるものがありました・・・(笑)。堺市でありながら田舎チックでノビノビとした環境がヨカッタのでしょう・・・貝塚三中時代は規制がありすぎたので、この自由で「本来の私」を目覚めさせてくれたのかも知れません。という事で、60オーバーになって思うことは、人生なんて順風満帆なんて人はごく一部で、殆どの人は浮き沈みがあるモノで、その中でも人生が沈んでいるときに(高校~浪人時代)にイロイロ見えるもんだと思います。その落ち込んでいるときに救ってくれたのが高校時代の音楽でした。部活のオーケストラ部でクラシックや映画音楽の集団演奏、家に帰れば洋楽ロックをガンガン聴く・・・勉強も恋愛も上手くいかず荒んだ高校生活を非行に走らずに済んだのが、正に音楽だったのです(涙)。鳳オケ部OGには、何年か前に映画化もされた「ビート・キッズ」で講談社児童文学新人賞など児童文学の新人賞を総なめにした児童文学作家の風野潮さんがいますが、ビートキッズのイメージはオケ部時代だったと語っています。東京や大阪に日本一のリハーサル音楽スタジオチェーン店(ダンススタジオやライブハウスも)を築き上げた音楽業界で超有名なベースオントップのM社長も、地元貝塚市の音楽業界の重鎮(スイングガイズオーケストラ主宰)で関西のジャズ界で有名なN氏も鳳高校出身なのも、鳳のそんな歴史的に自由な土壌が育んだのかも知れません。私も含め、今はそれのある意味恩返しだったかも知れませんねェ・・・そしてシカゴのドラマーであったダニー・セラフィンのスリンガーランド社製のドラムの音が頭にこびりついているのを見ると、やっぱりドラムがしたかったのか、才能が無かったトランペットをキッパリ辞め、数年後には結局ドラムを始めたのでした・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.01.26
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音楽スタジオの会員数が1100人近いですが、分母の会員数以上にリピーター率を少しでも上げる事がリハスタ経営をする上で重要です。その為にBスタジオ増設に伴い、スネアドラムをロックの名器と言われる「ラディックLM400」にAスタジオもBスタジオも買い換えました。やはりスネアドラムがドラムセットの要です。シビれる音が出るLM400を叩くことによって、ドラムの楽しさ倍増です。これによってドラムの個人練習のリピーター率が上がり、それに伴ってバンド練習にも熱が入りスタジオに行くたくなる・・・そんな好循環を狙っています・・・(笑)。ギターやベースやキーボードは自宅である程度練習できますが、「生ドラム」だけは自宅で殆ど100%練習できません。プロドラマーでもスタジオで練習せざるを得ないのです。ならば、一般アマチュアドラマーは自宅でどんな練習をしているか・・・?私が想像するに、70%くらいがゴムパットや雑誌を叩き、30%くらいのドラマーは「電子ドラム」で仕方なく練習しているのではないかと思います。実際、トランクルームでも電子ドラムが保管されているのが目につきます。電子ドラムはヤマハやローランドが自宅練習用に開発されたドラムです。※電子ドラムは電子的な処理で音を発生させ、演奏する仕組みの楽器のドラムで、叩く部分の振動をセンサーで受け、その電気信号により音源を鳴らし、アンプやスピーカー、またはヘッドホンで音を聴けるようになっています。生ドラムとは似て非なるモノです。ドラムセットの各パーツ(タム、スネア、シンバル)との距離がちがいますし、何より音が違います。実際のライブでは生ドラムを叩きますので、あまり電子ドラムで練習しすぎると本番で戸惑います。なので、プロやセミプロのドラマーは生ドラムしか叩かないのです。同じ「生ドラム」という意味で、だんじりの「大太鼓(和太鼓)」も正にそうです。私の大太鼓のキャリアは50数年ありますが、演奏で心掛けているのは「全身で感動を伝える」です。身体全身で思いっきり叩き、生の鼓動で聴く聴衆に訴えるのです・・・それが伝われば、ドラマー冥利に尽きます。ただそれだけです。あの「ドーン」という心の底まで響く祭りの和太鼓の音が忘れないのは、日本人である証拠です。残念ながら、電子ドラムではこれが出来ません。やはり生ドラムしかできませんし、ライブで聴衆に感動を与えるのは生ドラムでしかあり得ないのです。大学生以上特にシニアドラマーともなると、「マイ楽器」として自分のスネアドラムやペダルを持参するのは常識ですが、高校生ドラマーはキャリアも浅いですし経済的にも自分のスネアやペダルを持ってくるのは難しいです。しかし弊社スタジオ会員の半分が高校生なので、高校生にもドラムの名器に触れてもらって(叩いてもらって)、音楽の楽しみを更に深めてもらおうという事です。という事で、Bスタジオ増設を機にもう一つ、前々から何人かのヘビメタドラマーからの要望があった「ツインペダル対策」として左ペダルがスムーズに入るように、ハイハットスタンドにスィーベリングレッグ(脚部が回転するシステム)を採用したパール社製のH830をAスタもBスタも採用しました。これで安心してヘビメタに必要な両足のハイピッチでバスドラムを踏むことが出来ます。マイナーで細かいニーズも可能な範囲で吸い上げることも、マーケッティング的には重要です。これなんか電子ドラムでは絶対出来ない芸当ですし、学校や公共スタジオに設置しているドラムでは対応出来ないでしょう。また今回のLM400導入の意図は、実は物理的な側面もあったのです。スネアドラム(ツインペダルも)は結構大きく重くシニアにとって運ぶのも大変です。弊社トランクルームに保管するのも、ひとつの手(有効な手段)ですが・・・(笑)。いくら好きでも、毎回マイスネアを持参するのはシンドいというシニアドラマーの心理を突いて「良いスネア置いてますよ・・・」というアピールも兼ねていたのです・・・(笑)。これからもドラムに関して、「スタジオ0724で練習したい!」と思わせるようなライバルを想定した差別化の細かなアイデアをドンドン出していきたいと思います。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.01.25
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3月17日(日)に初のスタジオライブを開催することになって、イロンナ事を考える必要に迫られました。自分の全知全能を総動員して・・・何せ、初めてのことですから。これまで織物業からトランクルームに転業するときも、音楽スタジオや卓球場や自習室を始めるときもそうでした・・・今回のスタジオライブはニュービジネスではなく単なるイベントですから、それでメシを食っているィベンターほど真剣に考えなくてもイイのです。しかし、それなりに夢にまで出るほど考えてしまうのは楽しみがあるからでは無いでしょうか・・・(笑)。昨日の告知まで半年間くらいは一生懸命ネットで調べたり、他の仕事をしながら頭の隅に残っていたのか自分なりにズーッと考えたりしていました。そして昨日の告知。まだまだスタジオライブに関して不十分だと思います。そして昨日、イベントとPA経験のあるスタジオ会員さんから「楽屋と楽器保管はどうするんですか?」という指摘にピンときました。ライブイベントでよくあるのが、盗難と紛失トラブルですから。確かに小さめのライブハウスのビルボードライブ大阪やクラブクワトロや、ホテルでのパーティーでは必ずコートや手荷物を一時的に預かるクロークがあります。まァ、それは前から気になっていましたが「どうにかなるやろう・・・」とたかをくくっていたのです。言われてみて、実際を想像するとゾッとしました。ライブ会場のAスタジオ(22畳)で、結構かさばるギターやベースを持って最大40人も入れるはずはない・・・と。ならば、前々から考えていた「楽屋」と「楽器保管庫」を兼ねた、うちにはトランクルームがあるではありませんか・・・と。と言うか、弊社はトランクルーム2棟(171室)の中にスタジオが2部屋あるだけなのです。トランクルームは大阪府下最大級の171室もありますので、残念ながら全て部屋が埋まってません・・・その空室をライブ当日の楽屋と楽器保管にするだけです(もちろん無料)。これだ!これぞ正しく、他のライブハウスやリハーサルスタジオでは出来ない、日本で弊社しか出来ないサービスだったのです。1バンドに1部屋を提供すれば、安心して楽器を保管できますしライブ本番直前のチューニングも出来ますし、スタジオコスチュームに着替える事もできます。「ものは考えよう」・・・灯台もと暗しです(笑)。泉州の90%のトランクルームは「屋外型」コンテナですが、弊社のマイナーな「屋内型」トランクルームをこれまでに無かったこういう「楽屋」や「楽器保管庫」として使ってもらうというのは,実はトランクルームとは無縁の人への地道で間接的なプレゼンでもあったのです。という事で、まだライブ本番まで2ヶ月近くありますが、その間まだまだ考えられる細かい事が沢山あるように思います・・・「エエ加減にしいや!もっとトランクルームと不動産の仕事に精出して・・・」と家族の声が聞こえそうですが・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.01.24
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来る3月17日(日)に弊社「スタジオ0724」の第1回スタジオライブを開催しますが、参加者1人に500円しか頂かないもので予算的にスタッフを雇う費用がありません。MCを含めてすべて自分1人でライブを運営しますが、スタッフが1人でも2人でもいれば楽だろうなァ・・・と考えるようになりました。そこで、ライブ当日のボランティアスタッフを募集することにしました。万一ボランティアが集まらなかっても1人で何とかしますし、出演バンドメンバーもこれまでの付き合いでそれくらいは理解してくれるでしょう。スタジオライブの目的は「スタジオ会員同士の交流」です。スタジオライブで学校や学年や性別を超えて新たなバンドが生まれる可能性がありますし、軽音学部という狭い視野に囚われず将来のミュージックライフのプラスになれば・・・という想いです。という事で、今回の第1回目のスタジオライブが一体どうなるか?・・・という心配もありますがそれ以上にドキドキした楽しみでもあります。何とも不思議な気持ちです。60超えてこんな経験が出来るなんて、贅沢で幸せだと思います・・・(涙)。最後にボランティアの募集要項ですが「スタジオ会員であること」だけです。ミュージシャンでない一般の方がどうしてもボランティアをしたいというのであれば、会員登録(無料)をしさえすれば大丈夫ですよ。以上宜しくお願いします。連絡先: 072-446-0798 info@sasatani.com 笹谷までにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.01.23
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記念すべき第1回弊社「スタジオ0724」のスタジオライブを、弊社Aスタジオで3月17日(日)に開催します。今回は高校生の部です。以下要項です。 第1回スタジオ0724ライブ(高校生の部)要項○日時: 3月17日(日)12:30(全員集合) 13:00(ライブスタート)~17:00(解散)○場所:スタジオ0724「Aスタジオ」(貝塚市名越661トランクルーム貝塚「別館」)○参加資格: スタジオ会員の高校生(今春卒業生も可)○エントリー期間: 2月1日9:00 ~ 2月28日17:00 ※先着順で定数になり次第締め切り○応募バンド: 各高校1バンド(混成1バンド) 合計10バンド ※各高校の了解の元による(選抜や推薦)1バンドのみエントリー出来る。○応募方法: 参加バンドメンバーと演奏曲の明細をお知らせ下さい。 電話 072-446-0798 メール info@sasatani.com ライン ショートメール○持ち時間:1バンド20分(セッティング含め) ○参加費用:500円(1人) ※当日バンド単位で支払い○一般観客はお断りします(参加バンドメンバーのみ)○交流会&セッション大会 16:20~17:00○バンド代表者のスタジオ0724「スタジオライブ利用規約」の署名押印が必要○その他、ご質問やご希望などありましたらお知らせ下さい。以上宜しくお願いします。 連絡先:スタジオ0724 笹谷 072-446-0798にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.01.23
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毎年1月第3土曜に「行者講」の寄合い(飲み会)があります。昨夜行ってきました。「行者講」とは私の住んでいる名越(大阪府貝塚市)に江戸時代から伝わる、俗にいう宗教団体ではなくて、信者の心の赴くままに、女人禁制の奈良吉野の大峰山にお参りし、修行を行うという日本人古来の素朴な信仰心を今に伝える行事です。江戸時代の発足当時は本家と分家(泉州弁で母屋隠居)が1ペアになって30軒(15ペア)あったそうですが、それから150年経った今集まるのは10数軒程度に半減してしまいました。250軒くらいしか無い名越の小さい村には寺が2ヶ寺(浄土宗と浄土真宗)ありますが、行者講に参加しているのは不思議と浄土宗の檀家ばかりです。この辺にも、何か宗教的な臭いを感じます・・・最近は実際大峰山に登るのは5年に1回くらいになりました。名越から大峰山(奈良県)まで電車も車も無かった江戸時代や明治時代は、何日も掛けて歩いて行ったらしいです・・・(驚)。今はもちろん、麓の宿まで車です・・・(笑)。という事で、インターネットが全世界を駆け巡る世の中で、日本の第2番目の都市である世界の「OSAKA」でも、未だにこんな歴史のある行事が残っていて私もその当事者である事に誇りを感じます。そして、いつものように皆で般若心経を唱える時に、今回もホラ貝を吹きました。高校時代にやっていたトランペットのマウスピースの要領で吹くと、案外イケる自分にちょっと自信を持ちました・・・(笑)。そう言えば、名越の行者講(末吉講)が定宿にしている大峰山の麓の洞川温泉「花屋徳兵衛(創業500年)」のご主人は大のジャズファンで、10年前に行ったときに奥のリスニングルームでジャズの話で盛り上がりました・・・結局ナンヤカと言っても、先日の大阪宅建協会会長とブルースの話で盛り上がったように、結構「音楽」で思わぬ人と繋がりますねェ・・・音楽は人を幸せにする・・・という事ですかね(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.01.20
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人脈を広げることが仕事にプラス・・・と言われます。20代の建築建材金物メーカーの営業マンだったサラリーマン時代に、1年間に1000人と名刺交換しました。基本的には金物問屋や量販店のルートセールスでしたが、新規開拓で工具ルートや画材ルートを築きました。単に問屋や商社に卸すだけではエンドユーザーの事が分からないので、東急ハンズや大手家電店といった小売りも新規開拓をしていきました。とにかく、一旦父親にサラリーマン2年目で「織屋は継がない」と啖呵を切った手前、どうしてもサラリーマンで出世しなければと思い、夜討ち朝駆けでセールス活動に打ち込んだ結果、年間1000人も新規で会っていたのです。ただ、一生懸命セールスをしていると、朝礼に出ていると得意先に朝1番に着けないので欠席すると社内評価が下がったり(会社に貢献しているのに)、親戚の葬式で会社を休むと始末書を書かされたりと等々・・・理不尽さをだんだん覚える様になりました。自分の努力の方向と会社が望んでいる社員像とは違うのです。給料が高ければ多少の不満も表に出しませんが、これだけ会社に貢献しているのに安月給・・・10年先輩を見ても大した給料を貰っていない。働きの割に給料が安くて将来性もない。既に入社1年目でウインドサーフィンで知り合って学生時代から付き合っていた女性と結婚し翌年長女が生まれ、また翌年次女が生まれましたので、3人を養わなければなりません。迷っているヒマは無かったのです。これがサラリーマンの限界か・・・と悟るようになり、ちょうどその頃、織物業の取引先の部長から「息子はどうするの(継ぐの)?」という家業の進退を問われていて、結局父親に頭を下げて「家業を継がせて下さい・・・」と、4年間のサラリーマン生活に終止符を打ちました。振り返ると、サラリーマン1年目は研修期間が長かった事もあり、名刺交換は200人くらいでしたが、2年目から毎年1000人として、4年間で3000人以上の人と名刺交換したことになります。何も数を誇るわけではありませんが、昔から「量(数)が質を上げる」と言われているとおり、先ず量(数)を追うことが何より大事だと思います。このセオリーで、その後の織物業時代の大半は父親のビジネススタイルを継承して「1社依存」の委託生産(賃織り)でしたが、私が厄年の41歳の時に父親が急死し急遽私が代表になってからリスク分散という意味で、サラリーマン時代を思いだし繊維専門商社や紡績(合繊)メーカーへ新規開拓をドンドン進めていき1社依存の賃織りから脱却していきました。この父親の急死というのはそれまでの私の人生で最大のショックで、一番身近な親族であり仕事の上司の「死」によって、私は子供(専務)でいられなくなりました。親というのはこの世の中で唯一甘えられる存在でしたので、その父親の「死」の瞬間からあらゆるプレッシャーが私の双肩に掛り、甘えが一切許されなくなったのです。悲しむのは後にして、先ずは2週間だけ猶予のある小切手に押してある実印の所有者(代表取締役)を変えなければならい(役員会を開いて定款変更)という銀行員の事務的な言葉に従わざるを得ませんでした・・・(涙)。まァ何とかその父親の死(=会社の承継)という難局を切り抜けてきた訳ですが、この時ほどサラリーマンを経験してきて(他人のメシを食って)、本当にヨカッタと思いました。トランクルームに転業してからも「このスタイル」は変わらず、トランクルームに飽き足らず、宅建資格を取り宅建業も始め、昔のバンド経験を活かし音楽スタジオも始め、トランクルームの空室が目立ってきましたので「空室対策」として大学受験の浪人時代を思い出し自習室も始め、スタジオのお客さんが卓球台を置いて欲しい(卓球ブームを教えてくれ)というオファーで卓球場も始めたのです。今思うと、これら一連の30代から60代までの30年間のストーリー全ての基礎は、20代のサラリーマン時代の「たった4年」で築かれたのだろうと思います。如何に20代の行動が、後の人生に大きく影響を及ぼすのかと思います。という事で、人脈という意味で今年で70周年を迎える地場産業であった織物業界に加え、新しく始めた「トランクルーム」「不動産屋」「音楽スタジオ」「自習室」「卓球場」という5つのビジネスで、3市1町(岸和田、貝塚、泉佐野、熊取)というニッチマーケットでソコソコ5つの知名度が広がっていると思います。更に朝日新聞に2回、読売新聞に1回デカデカと掲載され、テレビ(NHK1回、読売テレビ1回、関西テレビ1回)に3回出演・・・と、各有名メディアに取り上げられた事によって、結構顔が割れました(笑)。これが目に見えないシナジー効果を生んでいるんですねェ・・・(涙)。ニッチマーケットを真正面から1つで攻めるのでは無く、左右や上下からも違う複数のツールで攻める事によって「何とはなしに、アレ知っているなァ・・・」とエンドユーザーに思わせるのです。ネットによるデジタル戦略とチラシや訪問によるアナログ戦略も総動員して、1年、3年、5年、10年掛けてジワジワと浸透させるのです。更に「ウインドサーフィン」「空手」「ドラム」といった趣味のネットワークも見逃せません。何故なら、ウインドサーフィンや空手やミュージシャン仲間やその子供さんが、トランクルームのお客さんやスタジオや卓球場や自習室の会員さんだったり、不動産の相談に乗ったりしていますから・・・このように3市1町という狭い泉州の南部エリアで、「トランクルーム」「音楽スタジオ」「卓球場」「自習室」「不動産業界」「ウインドサーフィン」「空手」「ドラム」といった5つのビジネスと3つの趣味をシンクロさせ、また先祖代々何百年も貝塚で住んでいますので3,4代遡れば泉州一帯に広がる膨大な数の親戚一族のネットワークも加えてシンクロさせる事によって、少々の事でも揺るがない強固な仕事の基盤を築いていきたいと思います。人脈を広げると言う意味で何年か前まで父親の代から長年地元の商工会議所や経済クラブに入っていましたが、費用対効果を考えれば無駄だと判断してスパッと退会しました。やはり、実際のビジネスで人脈を構築していくのが「正攻法」だろうと思いますし、たった1人で5つのビジネスを営んでいますのでヤレル範囲に限界を感じ(選択と集中)、これから遊びの時間(海外旅行や趣味)が多くなってきますし・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.01.17
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ユニーが総合スーパー(GMS)25店舗とコンビニ(サークル)を1000店舗を閉鎖するとか、セブン&アイもイトーヨカ堂(GMS)を20店舗閉鎖とそごう&西武百貨店も全国で何店舗が閉鎖するというニュースが昨年から日本を駆け巡っています。大手チェーンストアはブランドにモノを言わせて、最高の立地条件の土地を入手或いは借りてビジネスをスタートさせます。実際私の地元での不動産仲介でも、大手コンビニの出店条件は国道か県道の十字路の四つ角と相場が決まっています。正に羨ましい限りです。それでも長年経つと、ライバルが周辺に増えたり、道路事情が変わって車の流れや人の流れが変わったりして売り上げが激減して閉店というのが昨今の残酷なビジネス事情です・・・それでも、ビジネスのセオリーの最低条件は好立地条件なのは間違いありません。今日の読売新聞の関西経済「3000万人時代 訪日外国人」という特集で、「地方誘客へ 戦略に磨き」という記事が目に止まりました。大阪市内から電車とバスを乗り継いで4時間も掛かる和歌山県田辺市本宮町に、訪日外国人が10年で42倍に急増したそうです。理由は簡単に言うと、訪日外国人のターゲットを絞ったからだそうです。「不便なところでも、ターゲットを絞れば客が来る」という証明です。振り返って、弊社「トランクルーム貝塚」や「スタジオ0724」も同じ戦略だったのかと・・・思い当たる節があります。弊社(トランクルーム&音楽スタジオ)の立地は、大手から見れば最悪立地です・・・(笑)。確かにトランクルームも音楽スタジオのお客さんも、一様に皆さん、そうおっしゃいますし自分でもそう思います・・・(笑)。なんせ、これが大阪か?というくらいのかつて農村だった集落のど真ん中ですから・・・(笑)。名越を含めた木島地区は1300年以上前から集落が形成されているようで、トランクルームの所在地は150年前の江戸時代末期に曽祖父が2軒隣の本家(母屋)から分家した場所で、私の本籍地だったのです。4代前からの居住地(本籍地)で、未だに商売しているなんて、日本でも数少ないと思います・・・(笑)。当時は村の端っこだったのですが、150年も経つと周りは家だらけになってしまったのです・・・当時はもちろん車や耕運機もなく、牛車が通るくらいの道幅しかなかったのです。今は2トン車がギリギリ通れる道幅に広がりましたが・・・(笑)。という事で、トランクルームも音楽スタジオも「泉州エリアでは殆どライバルがいない」というニッチマーケットに絞ったから、お客さんが来てくれるのかと思います。卓球場もレンタル自習室も。そしてこのニッチマーケットに他社を新規参入させないように(出来ないように)、「日本最安値」「大阪最安値」という「低価格戦略」を前面に出しているのです。ビジネスでも喧嘩でもこちらの優位性を見せつけて相手のヤル気を失わせる(戦意喪失させる)事が、両者とも血を流さずに平和的に解決できる唯一の方法ですから。不動産屋だけは大阪府下で1万社もあり、大手が続々と参入するという全くニッチマーケットではありませんが・・・(笑)。ただその競合が多い不動産業界でも、貝塚市にターゲットを絞り事務所や倉庫といった事業用不動産仲介をメインとした「狭く深い」戦略をとっています。音楽スタジオに至っては、たった2年7ヶ月で文字通りゼロから1000人も会員さんが集まりました。この「わざわざ、こんなへんぴな所まで足を運んで来てくれている」という初心を忘れないように、これからもこの商いを続けて行きたいと思います。しかし昨夜は泉佐野のインド人経営のカレー屋さんに行った後で、その前の食品スーパーについでに寄ったのですが、関空に近いと言うこともあり、お客さんの3分の1が外国人です・・・(驚)。私が住んでいる隣の貝塚市では、こんな「現象」は未だありません。しかし、私の住んでいる名越の近所に外国人観光客が泊まる簡易宿泊所が2,3年前に出来てから、名越のメインストリート(だんじり小屋の筋)を中国人が写真をパチパチ撮りながら歩くシーンを最近時々見かけます。「何故こんな所を撮るのか?」と聞くと「チョット京都みたいだから・・・」という答えにビックリ。確かに、日本建築オンパレードの田舎だから・・・かも(笑)。ナンか、日本も足元からヒタヒタと観光立国に向かって走っているのかと感じざるを得ません・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.01.15
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大阪でも真冬になると気温が0℃近くなります。放射冷却によって車のフロントガラスが凍る現象もありますが、そんな時でも弊社の「屋内型」トランクルーム内は10℃近くありますので至って快適です。そして真夏は大阪でも35℃を超える日も珍しくありませんが、そんな時でも弊社の「屋内型」トランクルーム内は26℃と涼しいです。年間を通して10℃~26℃と温度差が少ないのが、「日本最安値」のキャッチフレーズを前面に押し出している弊社トランクルーム貝塚の「隠れた特徴」だったのです。別に空調を入れている訳でもありません。エアコンなんか導入すると、利用料金が2倍になってお客さんに迷惑を掛けてしまいますから。一体何故、年間の室温に差が少ないのか・・・?それは弊社トランクルーム貝塚は野晒しの鉄板1枚だけの「屋外型」コンテナではなく、「屋内型」の重量鉄骨造2階建ての元織物工場だからです。※泉州エリアのトランクルームの約90%は「屋外型」コンテナ。日本の織物は取引先から非常に高い品質を求められてきました。同じ規格の織物を受注しても夏と冬で(温度や湿度の変化によって)、「幅」が違えばクレーム対象だったのです。それを少しでも防ぐために、建物の壁にはALC100ミリを採用し(重量鉄骨造)、建物周囲を地上60㎝地下60㎝(合計120㎝)の「外断熱」を施工していたのです。夏は冷たい井戸水を利用し地下ピットを掘った全風量の空調機で、冬はコンプレッサーの高温低湿のクリーンな廃熱を苦労して考えた複数のダクトを使って工場全体に循環させ、工場内は年間昼夜を通じて27℃(±3℃)を安定的にキープして織物品質向上に努力していました。これが功を奏して、20年間クレームは殆どありませんでした。もちろん、織物の高い品質をキープするために、自ら現場に入って人道指揮を執っていたのは言うまでもありませんが。器(建物)と自分の努力(織物技術)の両輪で、20年間クレームほぼゼロを達成したのが自分にとって大きな自信に繋がっていたのです・・・(涙)。何でもそうですが、やり尽くして結果が出れば・・・これ以上の喜びはありません。しかし織物時代はファッション業界のマテリアル素材である「布」を織る仕事に特化していましたので(委託生産)、「末端(エンドユーザー)で何が売れているか?」なんて関係が無く、とにかく取引先(生地商社)の要求が全てでした。普通に考えればコレも可笑しな話で、ファッションブランドと「価格決定権」を自ら持っているイタリアの織物業者とは同業と言えどビジネスに対するスタンスが真逆だったのです。日本では「高品質&低価格」は当たり前で、更に多品種小ロットに対応しやり尽くしましたが結果が出ませんでした。これが歴史も流通も長い日本の繊維産業に見切りをつけた(廃業)キッカケになりました。織物時代にやり尽くしたけど結果がついてこなかった「苦い経験」が、その反動で転業によってノビノビと経営できているのか・・・(笑)。「人事を尽くして天命を待つ」の諺の通り、最善最大の努力をしてもダメな場合は転職や転業によって自分の世界を変える事が、仕事という小さい枠に囚われず、人生をマクロで見た場合「吉」と出る場合が多いようです。という事で、織物時代に建物に金を掛けた事によって(新工場を建設)、20年後のトランクルームへの「転業」で吉と出ました。古い織物工場のままでは、トランクルームに転業すら出来なかったでしょう。また単に織物業を廃業して建物を壊して更地にするだけで1000万円は掛かっていたでしょう。人生の岐路に立って、「どうするか?」「どっちにするか?」は非常に難しい選択ですが、その時に頼りになるのは自分の「直感」だけです。その直感を磨くのにどうするか・・・?これまた難しい問題ですが、日々の自分の行動の積み重ねとしか言い様がありません。昨晩、また悪夢にうなされました。夢でまたトランクルームから織物業に戻っているのです・・・(笑)。太い10番の糸を使った織物を受注して回転が速いので(直ぐに織り上がる)、現場がひっくり返るほど忙しく「ナンで、トランクルームをやめてまた織物業に戻ってしまったのか・・・」と泣きながら後悔しているシーンでパッと目が覚めました・・・(汗)。まだまだ織物時代の苦労が尾を引いているんですねェ・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.01.14
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私のスマートフォンのライン(無料通話&メールのアプリ)には約1100人が登録されています。プライベート登録が100人くらいにしても、残り約1000人が仕事関連です。シニアになると、そもそもスマホを持っていない人も多くラインは出来ません。シニアがスマホを持っていても、ラインしない人も多いです。単にスマホに入っている電話番号登録者数は2000人を超えています。では何故、ラインに1000人も登録されているのでしょうか・・・?それは音楽スタジオの会員数約1100人のうち50%が高校生だからです。その「波」に呑まれているのです・・・(笑)。高校生とラインは必須で、ついでに高校生とツイッターも必須です。お客さんの大部分が高校生なら、それに合わせるのがビジネスセオリーです。デジタル世代の高校生はアナログ世代のシニアより電話は苦手で何でもPCやスマホ(メール)という傾向がありますので、それはこちらが彼らに合わせる必要が絶対あるのです。なので、60オーバーのジイサンでも上手にラインとツイッターをこなしているのです・・・(笑)。そもそも1人で5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、自習室、不動産屋)をするなんて、最初から無理があります。事務所には事務員がいませんので、会社の固定電話にかかってきた電話はすべて私のスマホに自動転送されます。それでも、なかなか電話に出れない場合が多いです。PCメールもありますが、いちいちPCを開く必要もあり割と不便ですが、スマホのラインメールならそれより早く対応できます。しかもラインの電話やメールは無料です。ホント、イイ時代になりました・・・(涙)。よく、「60超えて上手にスマートフォンを使いこなしているなァ・・・」と感心されますが、こなすも何も、コレが無いと仕事になりませんから・・・よく海外旅行に行きますが、時差がありますのでイチイチ夜中に電話を受けていては熟睡できませんので(新規の国際転送電話だけ受けていますが)、ラインだと現地の朝に返事をすればいい訳です。海外とのお客さんとのやり取りもラインなら無料で、個人的に孫とのラインのテレビ電話(ビデオ通話)も無料ですから、これ以上のヨロコビは無いでしょう・・・(笑)。という事で、織物時代は「B to B」ビジネスなので電話とFAXで対応できましたが、今のトランクルームと音楽スタジオと卓球場と自習室の4つは10代から40代のエンドユーザー相手の「B to C」ビジネス(特に音楽スタジオは50%が10代)ですので、スマホ予約という弊社とお客さん双方にとって便利な素晴らしい時代が到来したと言えるでしょう。しかし不動産仲介業だけは40代以上がメインの顧客層なので、PCやスマホで十分対応できるまでには至っていませんが、それも時間の問題でしょう・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.01.13
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先日は関空前のスターゲートホテルで、毎年恒例の大阪宅建協会泉州支部の新年互例会でした。泉州の不動産屋が一堂に会したのです。今回も各市長、国会議員、府議会議員さんが選挙もあってか勢揃いです。総合司会は「ラヂオきしわだ」で以前同席したAさんだったのにビックリ。早いもので今回で11回目です。ホント、月日の早いことに驚きます・・・今回は加盟400社のうち出席は200社くらいでしょうか。今回の互例会に関して、前々から気合い十分です。ここ数回はただテーブルに座って呑んで食べて、同席の人と知り合いの同業者にチョット挨拶して回るだけでした。しかし、今回はある意思を持って臨みました。と言うのは、昨年9月の台風21号で泉州エリアが過去最大の住宅被害に合い(私の自宅も)、保険が下り始めた11月くらいから新築とリフォームの間トランクルームに荷物を保管したいというオファーが急増しました。不動産屋の集まりと言っても単に仲介だけで無く、新築(中古)住宅を販売したりリフォームも手がけたりしている業者も多いのです。私もそうですが、大きな台風被害を受けてもなかなか業者(建築業者、解体屋、大工、瓦屋、板金屋、足場屋、塗装屋)が来ないので、「いっその事、建物を壊して新築(大規模リフォーム)しようか!」と決断した人が非常に多いのです。そういった情報がこの会に渦巻いているのです。これは絶好のチャンスだと判断した訳です。それで事前に100枚の名刺をポケットにパンパンに詰め、この新年会に臨んだのです。計画では1人所要時間1分で、会の時間ギリギリ100分を費やそうと・・・そうなると楽しみだったテーブルでの食事とアルコールは時間が無いので諦めなければなりませんので、「腹が減っては戦が出来ない」と1時間前にパンを食べヘパリーゼも飲んで自分自身に気合いを入れました・・・(笑)。そして、イザ出陣。結果は50人くらいしか新規の名刺交換が出来ませんでした・・・(涙)。旧知の同業者と会うとトランクルームの売り込みもしますし数分も喋ってしまい、全力で初めての方と喋るとカラオケと同じように相当エネルギーを使いますので汗をかいて結構疲れます・・・疲れたらテーブルに戻って食事・・・それの繰り返しです。気力だけではなかなか回れません。体力も要るのです。まァ、年を取った証拠ですかねェ・・・(笑)。そして、「ピーッ」時間切れです。54階での2次会は仲の良い30代と50代の同業者とだけ喋りましたので、新規名刺交換は無しです。あと鳳高校の後輩で泉州エリアで最もパワーのある首長で有名な私と同じく家業が元織物業で元ウインドサーファーの辻和泉市長とウインドサーフィンの話で盛り上がり、「堺ジャズフェスティバル」や「堺ブルースフェスティバル」の陰の仕掛け人であるゲストで来られていた音楽好きの大阪宅建協会の阪井会長とブルースの話で盛り上がりました。大阪の不動産業界(大阪府宅建協会加盟数約8000社)のトップに立つ人と音楽の話で盛り上がるなんて、こりゃ大阪の音楽業界にとって将来楽しみです・・・(笑)。という事で、今回は不動産屋ではなく「トランクルーム屋」として不動産業界に潜入したと言った方が正しく、そんな切り口に変えるとナカナカ面白いセールス活動になりました・・・(笑)。宅建業者がトランクルームを副業で始めたケースはありますが、逆のトランクルーム屋(メインにしている)が宅建業者免許を持って、こんなセールス活動をするなんて日本で初めてでしょう・・・(笑)。しかし、他人がやらない(できない、したくない)事をするの(実行)に意義があるのです。そして、宅建協会泉州支部のメンバーの中心がもう完全に若手の40代に移っていることを強く感じました・・・(驚)。10年前に初めて入会したときは60代がメインだったのに比べて、隔世の感があります。やはり、ネット社会が他業界に比べて遅れていた不動産業界にも押し寄せてきた証拠です。60代以降の相当数の同業者は、ネット社会について行けず残念ながら脱落していったのでしょう・・・ネットによってエンドユーザーが業者と同等の情報を持ち始めたら、それ以上の仕事をしなければ不動産屋の存在価値は無いのは子供でも分かります。ネットが日本以上に進んでいるアメリカの不動産業界を見ていると、日本の業者が取るべき生き残りの方向の参考になるかも知れません・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.01.10
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今年平成31年(2019年)は、昭和24年(1949年)に祖父が織物製造業を創業して70年周年になります。昭和24年と言えば日本が太平洋戦争(第2次世界大戦)に負けて4年しか経っていません。織物業は大阪南部(泉州)の昔からの地場産業で、大阪市の近くにあり大阪と取引上の密接な関係を有し,江戸時代の綿作の伝統から綿紡績・綿織物工業が発展集積してきたという歴史がありました。町内の親戚の分家が明治時代に町内の農家が閑散期に納屋で生機で織った反物を集め、それを牛舎に積んで大阪まで何日も掛けて売りに行っていた産元業をしていたという昔話を聞きました。その場所が、正に今の私の実家(生家)だったのです。そしてその売り先が、今の伊藤忠や丸紅だったのです。そんな泉州と大阪本町の関係から、弊社は長い間伊藤忠さんと取引をしていました(100%委託生産)。バブル崩壊まで織物業を順調に営んでこれたのも伊藤忠さんのお陰ですので、未だに感謝しているのです・・・(涙)。バブル崩壊後は大企業も零細企業も大きなグローバル化の波とインターネット普及で、世界中のビジネスが激変してしまい大きく影響を受けました。伊藤忠は繊維出身の岡藤社長が牽引し総合商社トップ3の座を確固たるものにし、弊社はエンドユーザー相手のビジネスに180度方向転換しました。創業から10年経った昭和34年に製作した「10周年記念アルバム」が家にありますが、その中の写真を見ると高度成長期(ガチャマン時代)の乗りに乗りまくっている親父たちの姿が残っています。私も集団就職で来た40人もいた若い女工さんらに可愛がられた記憶があります。いつも女子寮や社員食堂で入り浸っていた小さい自分がいました。更に父親の沢山の妹達(叔母さん)にも囲まれ、4,5歳にして「ここは天国か?」と錯覚したのと違うでしょうか・・・(笑)。その後イロイロあって、次男であった父親が社長になり笹谷家の後を継ぐ事になりました。祖父もまた次男でしたが、イロイロあって笹谷家を継いでいたのです。やはり後継者は、長男だからと言ってもヤル気が無かったりその資質が無ければ、その役は務まりません。私がボンクラだったら、たぶん妹が後を継いでいたでしょう・・・(笑)。曾祖父は三ツ松の「左甚五郎(岸上甚五郎左義信)」一族に当たる、水間の三重塔や名越・安養寺の前の本堂を建立した分家筋(名越の仁左衛門)の次男で生まれました。しかし養子縁組をして次男で産まれたにもかかわらず戸籍上は長男になり、日清戦争や日露戦争に行かずに済んだのです。曾祖父の父親が水間の楠右衛門(「お夏清十郎物語」のお夏の実家で水間の庄屋)から名越の仁左衛門に婿養子に来ていた関係で、楠右衛門の親戚で子供の無かった水間の笹谷吟蔵と曾祖父は合法的に養子縁組をして、名越唯一の士族(岸和田藩足軽)の石原家の娘(曾祖母)と結婚したのです。養子縁組をしなければ、次男でしたので戦争に行って戦死していたかも知れません・・・そうなれば、祖父も父も私もこの世に生まれていなかったかも知れません。故にうちの家訓は「名を捨て実を取る」です。そういった泉州の地場産業の織物業を長年営んできたわけですが、残念ながら私の代で13年前にトランクルーム業に全面的に「転業」してしまいました。これも「名を捨て実を取る」を実践した結果です。このままでは「ヤバい(倒産する)!」と危機感を抱いたためです。従業員と家族を守るためには、背に腹はかえられない・・・という苦渋の決断でした(涙)。幸い廃業でき、会社はそのままで定款を変えただけでトランクルームに転業できました。法的にはまだ「(株)笹谷繊維工場」のままで残しておいたのです。トランクルームに転業後、宅建業(不動産屋)も始めましたので、いずれ「セルフストレージ○○」とか「○○エステート」とかカッコイイ社名に変更しようと思っていましたが、バタバタしてしまいそのままに放っていました。しかし世の中にカタカナのカッコイイ社名が溢れかえったお陰で、逆に今となってはこの古くさい「(株)笹谷繊維工場」という社名が伝統あるイメージを浮かべ好印象に繋がると思い始めました・・・(笑)。祖父や父の思いと遺志を込めて、このままで行こうと・・・「トランクルーム貝塚」「貝塚不動産.com」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「レンタル自習室0724」とエンドユーザーに分かり易くするために、正式名の(株)笹谷繊維工場は前面出さずに各ビジネスは独自ドメインを取得した「屋号戦略」をとっています(家訓通りに)。見栄やカッコ良さを追究するとコストは3倍に跳ね上がりますから、客や売り先にそういったアプローチをしても、事業者がそんな事をしたら完全にNGです。という事で、70年間でビジネスの中身は全く変わりましたが、「祖父 → 父 → 私」と3代貫くポリシー(家訓)は「名を捨て実を取る」なので、10年後の「80周年」はまた中身が変わっている可能性が高いです。リアルなビジネスのトランクルームには全171室のうちプロやアマのミュージシャンのバンドの楽器や機材で30室くらい埋まり、自習室には受験生だけで無く新たにWiFi設備を活用したリラックス需要や事務所利用で連日満室で、リハーサル音楽スタジオは4室に増設してレッスン(ドラム、ギター、ボーカル)も充実し、卓球場も4室に増設しレッスンも充実しているかも知れません。民泊も併設してスタジオと卓球場は、夏休みともなると高校や大学のクラブの合宿で盛況かもしれませんねェ・・・私はロックバンドでドラムを叩いて、ちょうどその頃1960年代~1970年代にロックの洗礼を受けた世代が入居する老人ホームを慰問で回っているかも知れません・・・(笑)。そして不動産仲介業はアメリカがそうであるように、不動産コンサルティング会社に特化しているかも知れません・・・まァ、今日の妄想はこれくらいにしておきます・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.01.07
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4月1日に「新元号」を公表するそうですが(時間未定?)、3月31日23時59分までに「新元号」を予測して、それに「.com」ドメイン取得(登録)すると絶対高値で「転売」できるでしょう・・・これなら何の技術も要らず、単に発想だけで大金をゲット出来るでしょう。既に世界中の多くの方々が、水面下で動いているのは間違いありません。ドメインの一番人気の「.com」を取得したら(SEO的にも絶対有利)、ついでに日本で2番人気の「.jp」も取得することをお勧めします。くれぐれも発表後に動いても、既に遅しなのは言うまでもありません。発表前に「予測」して取得しとかないと全く意味がありません。このドメイン取得戦は特許と同じの「先着順」で、国も企業規模も男女も年齢も人種も全く関係のない、文字通りボーダーレス戦です。日本で何千万人も買っている「○億円」の宝クジを当てるより、よっぽど確率が高いと思います。だから、個人にヤル意味があるのです。日本を代表する大企業のトヨタ、パナソニック、キャノン、日本郵政、ソフトバンクさえウエブサイトの独自ドメインは「.jp」で、本田技研工業やNTTも「co.jp」です。明治ホールディングスは「.com」ですので、他社より先見の明があったのでしょう。ウエブサイトを作るときに、既に誰かが先に1番人気の「.com」を取得していた証拠です。世界で一番メジャーな「.com」ドメインを誰もが喉から手が出るほどの欲しいので、たぶん買い取りを申し出て交渉が決裂したんでしょうねェ・・・弊社はマイナーマーケットでビジネスしていますので、トランクルームも不動産もスタジオもいち早く「.com」ドメインを取得しました・・・(笑)。という事で、私も参戦したいところですが、そういったギャンブル?には全く興味がなく、あいにく1月はブログを書いている暇はあっても、家の改修工事(屋根と壁)とBスタジオ工事で、そんな事を考えている時間が全くありません・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.01.05
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もう60歳オーバーにもなると、激しい運動を長時間続けるのは健康と残りの寿命を考えるとNGです。織物時代と違って、今はデスクワークも増え運動不足になりがちです。60歳以降の重要なテーマが「食事」と「運動」です。「食事」は朝食抜きの1日2食が自分の身体に合って、胃腸が調子が整い20年間患っていた花粉症もこれで完治しましたし、体重も許容範囲?に何とか収まっています。バランスを考えた食事で、GI値を考えた食べる順番と遅いスピードで食べる為に左手で箸を持つ・・・「運動」は「空手」「ウインドサーフィン」「ドラム」の3つをボチボチ続けていこうと・・・この年になって、新たな運動やスポーツは必要ありません。長年ヤッテきた3つの趣味をこれからも続ける事が1番イイのです。この3つで身体の上半身、下半身、表、裏を万遍なく使いますので、バランス的にはちょうどイイのです。ランニングは足腰と膝に負担がかかりすぎ(腰のヘルニア持ち)、ウオーキングは性に合いませんのでやりません。商売人の性分で、何もせずにただ黙々とブラブラ走ったり歩いたりするというのが勿体なくて・・・(笑)。パワーとスタミナとテクニックの3つ同時に養える・・・この「欲張った運動」が空手とウインドサーフィンとドラムだったのです。もちろん、これから加齢でパワーもスタミナも落ち続けます・・・テーマは「それなりにボチボチ」と「イージーに」です。「それなりにボチボチ」は、空手では基本と形を中心にして激しくて怪我が多い自由組手は避ける・・・ウインドサーフィンはボードをスピードの速いスラロームからもっとマイルドなフリーライドに買い替える・・・ドラムは元々それほど心拍数が上がりません。「イージーに」は、空手は毎週火曜日2時間のボランティア空手の週1回が身体に負担が少なくちょうどイイ・・・ウインドサーフィンは5月~10月の6ヶ月でマーブルビーチ・・・ドラムは毎朝スタジオの掃除がてらに30分~60分。そして、これらのベースになってくるのが約30年くらい続けている毎日の「早朝15分ストレッチ」です。もうこれをしないと、私の1日の1歩が踏み出せません・・・(笑)。それ程習慣化されているのです。旅行先でも、これをしない時はないのです・・・この「15分」というのがミソで、長年試行錯誤の上でこの時間を探り当てました。上半身、下半身、上下、腹筋運動、背筋運動、側筋運動の全てをこの15分の間にする訳ですが、これが10分だと短すぎ、20分だと長すぎるのです。20分だと毎日するのがおっくうになります。半年前に5年ぶりに既存の3分間を、スクワット30回と拳立て伏せ20回と蹴りに必要なインナーマッスル(腸腰筋)を鍛える両足の前後回転運動の3つの新しいメニューに入れ替えました。毎日のルーティンですので、仕事と同じように「常に何かもっと有用な(優れた)モノはないか?」という探究心がないと進歩はありません。15分なら「あっという間に出来るやろ・・・」という人間の心理を突くのです。まァ、「このベース」の上に空手、ウインドサーフィン、ドラムがあるのです。という事で、「空手」「ウインドサーフィン」「ドラム」をそれなりに60代になっても出来る幸せを噛みしめています・・・(涙)。空手は大学体育会で2年間毎日稽古したことが基礎になって、その後40代になってから20年くらいコナミスポーツとジョイフィットで松濤館流空手がベースになった格闘技スタジオエクササイズ「ボディコンバット」を楽しんだ事が、50代になって本格的に再開した沖縄空手のバックボーンになっています。ウインドサーフィンは大学に学連加盟のクラブを創部したりしましたが、結婚と同時に340㎝のオールラウンドボードに切り替えて、自我を抑えファミリー中心で15年間ボチボチでも続けた事が、その後40代後半に再びショートボードに割とスムーズに切り替えれたのだと思います。ドラムは20台前半に1年半しかしなかったものの、40代に半年間ドラムレッスンに通い、だんじりの大太鼓は毎年ずっと少しだけヤッテいたのと、音楽を聴き続けた事がリズム感を養えた?事が、35年ぶりにドラム再開出来たのかと思います・・・(涙)。3つの趣味言えることは、身体を壊すほどのめり込まなかった事が幸いしたのだと思います。あくまでも「仕事と家族が第一」で、ホドホド適当にヤッテきたのがヨカッタのです・・・(笑)。若い頃は自分なりに一生懸命しましたが、才能がなく芽が出なかった事が幸いしたかも・・・(笑)。才能があって努力して全国レベルになった人がその後、30代以降身体がガタガタになっている人を沢山見てきました・・・その「道」のトップレベルは別ですが、一般的には何でもヤリすぎは良くないと、変に納得している自分にニガ笑いです・・・(笑)。大学生当時は朝5時から家業の織物業を3時間手伝ってから片道2時間かけて通学し、夕方からは体育会古武道部で毎日空手の稽古をしていましたから、電車の中で本や日経新聞を読んだり冬はコートのポケットの中に手を入れてハンドグリップで握力を鍛えたり、椅子に座らず立ってバランス感覚を養い、駅の看板に何が書いているかを見て動体視力も養うというのが毎日のルーティンでした。とにかくまず家業を手伝わなくては大学も遊びもありませんでしたから、夏休みともなると夕方5時まで毎日12時間、工場内の室温40℃の中で汗とマシン油と風綿でドロドロになりながら働いたモノです。またその隙間を縫って、女の子とデートしたりディスコやライブハウスによく行っていましたから、本当に「忙しい青春」を送っていたのです・・・(笑)。今思えば、この頃に「硬軟両方」器用に頭と身体を切り替える訓練をしていたのか・・・(笑)。いずれにしても「空手」「ウインドサーフィン」「ドラム」の3つの趣味が生き甲斐でもあり、仕事を続けれるモチベーションになっている事だけは確かなようで、仕事が無ければ趣味もありませんし、趣味が無ければ仕事も無い・・・という切っても切れない私のライフスタイルかと思うのです。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.01.03
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明けましておめでとうございます。本年も「トランクルーム貝塚」「貝塚不動産.com」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「レンタル自習室0724」を宜しくお願い申し上げます。昨年秋くらいから卓球のお客さんが弊社「貝塚卓球センター」に殺到して、対応に苦慮しています。お客さんが卓球場を利用したいのに、弊社の対応がスムーズにいっていなくて卓球場を利用できないのです。需要に対して弊社の供給が完全に後手に回っているのです。誠に申し訳ありません。この場を借りてお詫び申し上げます。何しろ、日本は今卓球ブームですし、貝塚市は一昨年から日本生命野球部が貝塚市に本拠地を移したのを機に「卓球のまち」宣言しました(日本生命女子卓球部も同時に貝塚市に本拠地を移した)。別にブームに便乗した訳ではありませんよ・・・(笑)。たまたまトランクルームの部屋が空いて困っていたところに(11畳の3室を卓球場に用途変更しただけ)、偶然にもスタジオのお客さんから卓球台を置いて欲しいというオファーがあったのです。なにぶん一人で「トランクルーム貝塚」「貝塚不動産.com」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「レンタル自習室0724」の5つのビジネスを、年中無休で一人でこなしていますので多少無理があるのです。音楽スタジオだけで会員数が1100人近くいますから・・・そのしわ寄せが卓球場だったのです。エエ年こいて、チョット風呂敷を広げ過ぎたかな?・・・と反省しています(笑)。通常の卓球場の利用(初回)の流れは1.電話(メール)での予約2.会員登録3.利用開始初回だけ「1 → 2 → 3」という順番ですが、だいたい「今から利用したい」と卓球場の前まで来られているケースが多く、それに弊社が対応出来ていません。その時に別の仕事(接客)をしていたり、多忙で電話に出れなかったり(会社の固定電話から全て私の携帯に転送電話をしていますが)、電話に出れても他の仕事やプラべートな所用で外出していて卓球場に戻れなかったり・・・で、会員登録が出来ないケースが過去1年間で400~500人くらいでしょうか。全く勿体ない話です。「1 → 2」が上手くいってないのです。お客さんの卓球をされたい時間帯に私のタイミングが合わず、2の会員登録がスムーズに行かないのです。特にハワイロングステイの1ヶ月間は、新規のお客さんが全く利用できない状態で(会員登録出来ない)、いくら謝っても謝りきれません・・・(涙)。ビジネス的に言うと全くの「機会損失」で、経営者失格です。本当に申し訳ありませんでした。もちろん従業員を雇えばこの問題点を解消できますが、人件費というコストが跳ね上がり「1時間500円(6人まで)」という大阪最安値の利用料金が維持できません。お客さんのことを考えれば、この利用料金を絶対死守しなければなりません。今年10月からの増税でも、この利用料金は据え置きです(値上げしません)。故に、今後卓球場の利用希望者の方は先ず電話予約してから、会員登録を先に済ませることをお勧めします。会員登録さえ済ませれば、次回から割と自由にラインで卓球場の予約を取ることが出来るのです。とにかく、先ずお電話を下さい。連絡先: 貝塚卓球センター(笹谷まで) 貝塚市名越661(トランクルーム貝塚「別館」1階) 072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.01.01
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