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音楽スタジオの部屋の広さは7,8畳~10畳までが殆どで、せいぜい15畳までといったところでしょうか。弊社スタジオ(貝塚市名越661 電話072-446-0798 トランクルーム貝塚 別館1階)は、平均的スタジオの約3倍の22畳とダントツに広いです。これには訳があります・・・当初の計画では一般的な7~10畳あたりを想定していたのですが、その広さだと音楽のバンドしか練習できません。音楽スタジオですから、そうなんですけど・・・計画前には、もちろん市場調査をしました。大阪市内は都会ですから東京23区と同じように「リハーサル音楽スタジオ(リハスタ)」は数えきれないくらい沢山あり、北摂や河内にも結構あります。ところが堺市から岬町までの泉州地区(大和川以南)を調査すると、堺市には沢山ありますが、高石市に2つ、岸和田市に1つしかなく、和泉市0、泉大津市0で、貝塚市以南(岬町まで)は0だったのです・・・「これはチャンス!」と直感しました・・・ビジネスの基本は中学生でも分かるように、「ニッチ攻略」に尽きます。ワザワザ競争の激しい分野に参入するより、競争相手が少ない(或いは、いない)分野(ニッチ)を探して参入する方が成功率が高いのは言うまでもありません。所謂、「100m走より800m走」です。しかし、ユーザーを冷静に分析してみると、1.スタジオの数は人口に比例する2.会社や学校(大学、高校)の帰りにスタジオを利用する3.バンドは複数人集まるので、立地条件は交通の便が良いところ4.泉州に音楽文化が根付いていないこれでは泉州の南部、所謂岸和田市以南の「泉南」地区(第9学区)に音楽スタジオがなかったはずです・・・これには、泉州の一音楽ファンとして情けないというか悲しかったですねェ・・・(涙)。大阪市内のミナミとキタの過去40年のライブハウスの浮き沈みを見ても、同様の事が窺えます・・・ミナミの客は泉州からも多く、ミナミはドンドン潰れていきましたが、京阪神や北摂の客が多いキタのライブハウスは結構残っています・・・まァ、需要がないところに起業するバカはいません。それでも、ヤリタイ・・・20代前半の頃のバンド活動のドラムが、どうしても忘れられないのです・・・では、どうすれば良いか???ビジネスはボランティアでなく、どんな事業でも赤字は許されません。そこで、何年も考えました・・・1.部屋を広くして、音楽バンド以外のダンスの潜在需要も取り込むと・・・2.ついでに、子供の頃から馴染んできただんじりの「鳴り物(お囃子)」の練習も出来るように、2尺5寸の大太鼓が入るように防音ドアの幅を別注で作る事にしたのです。そして、30畳の部屋(15畳2部屋)に防音&防振工事を施して22畳のスタジオに仕上げ、2枚の防音ドアの幅を80cmにしたのです。部屋を広くして大きなメリットが生まれました。これまで10畳くらいの狭い部屋で練習していると、互いに充分大きな音が出せない(遠慮して)というジレンマがあったのです・・・40年近く前、岸和田駅前のレコードヤングの2階の狭いスタジオで練習したものですが、6畳くらいの所に器材に囲まれて移動も出来ずに練習すると息苦しくて・・・という悪夢が蘇えります・・・(笑)。お客さんに、そんな事はさせたくないとの想いがあるのです・・・それが22畳と2倍以上に広がると、ライブ本番(発表会)並みの音が出せますし、パフォーマンスの練習も出来るのです。所謂、「ライブ感」が出せるのです。ジャズで言うスウィング、ノルっていうヤツです・・・ノッテくると、楽しくてタマリマセン・・・これが、バンドをやっている人間の醍醐味です。逆に、ノラないバンド活動なんて考えられません・・・これは、だんじりの鳴り物にしても、ダンスでも同じだと思います。この「差」は限りなく大きいと思います・・・しかも、22畳でオールタイム1500円/hと、大阪で一番安い!織物時代の「安売り体質」が身に沁みているのか、業界の相場に関係なく、どうしても値段に拘ってしまいます・・・(笑)。どんなに美辞麗句を並べても、「高品質・低価格」こそがユーザーに受け入れられ、企業が存続する最低条件だと思うのです。それを可能足らしめるのは、企業の財務体質でしかありません。弊社の様に、自社物件の建物でスタジオを自社運営、そして「無借金経営」というのが大きいと思います。多くのスタジオ経営者はそうですが、他人の建物を借りて銀行から借金してスタジオを始めるのとは、根本的に競争以前の問題だったのです・・・という事で、ただ安いだけでなく、エアコンや換気扇(ロスナイ)も完備し、設備もこれから充実させようと考えていますし、ホームページにも力を入れ、ライブハウスともコラボして、スタジオを利用して頂くバンドやスクールを影から応援しようと考えています・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2016.01.30
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このブログでスタジオ営業の告知をしてまだ2日しか経っていませんが、フェイスブックとLINEを中心に想像以上に反響が大きいのに驚きます・・・泉州にはスタジオが少なく、「待ってました!」という期待の反響に涙が出ます・・・自分の考えていた事が正しく、そんなに沢山の音楽を愛する人やファンが泉州にいてたのかという事に驚きます(ダンスも)・・・弊社リハーサル(練習)音楽スタジオ「studio0724」を、2月末までテストオープンとして無料開放します(貝塚市名越661 電話072-446-0798 トランクルーム貝塚 別館1階)。「タダ(無料)」でスタジオを使ってください・・・という事です。但し、1バンド(或いはチーム)2時間まで。個人練習も歓迎です(バンドとの重複は不可)。使って頂いて、良し悪し(評価)を遠慮なく言って頂きたいのです。どんな細かい事でも構いません。イヤ、ドラムの音が聞こえにくいとか響きすぎるとか、マイクがハウリングし易いとか・・・逆に細かい事をイロイロ聴きたいのです。イイ事より、率直に悪いところを聞きたいのです。もちろん、私としてはスタジオ経営というのは初めてのビジネスですし、何の保証もありませんから、正直不安でイッパイでした・・・音楽そのものは好きですが(愛好者)、業界人ではありません。トランクルームの時もそうでしたが(織物業からの転業)、全く異業種からの参入です・・・まァ、それを参考にして、今後の経営に活かしたのです・・・もちろん、音楽スタジオ経営に関して全くの素人ですので、ユーザーの意見を聞こうと思うのは当たり前の姿勢だと思います。経営ポリシーやスタンス(スタイル)、利用規約といった事は事前に決めていますし当たり前の事ですが、それが永遠に100%正しいモノとは限りませんし、どんなビジネスもそうですが、実際のお客さんが「何を望んでいるのか?」というのが最も知りたいところです。楽器や機材は、今のところドラムセット(パール)とパワードスピーカー(ローランド)だけですが、このテストオープン中に、お客さんに楽器機材を持ち込んで頂いて、弊社スタジオに合う楽器機材を決めていこうと思うのです。トランクルームや不動産屋の開業時もそうでした。最初「こうしよう!」と当然決める訳ですが、やっているうちにイロイロと変えていくのです・・・そりゃそうでしょう・・・自分の思った事が100%世の中に通じるほど甘くはありません。経験を積み重ね、ユーザーの声に耳を傾け、然るべき方向に舵を切り、正しければそのまま進み、ダメならまた方向転換・・・それの繰り返し・・・そうやって自分の経営感覚を研ぎ澄ますのです・・・音楽スタジオも、またそうやって行くのでしょう・・・これまでとの大きな違いは、「音楽が趣味」だっていう事です。ある意味、危険との隣りあわせかも・・・(笑)。10年前のトランクルームオープン時は、泉佐野市から和泉市までの殆どすべての分譲マンションにチラシやパンフレットを配りながら、極力お会いした住人に御意見を聞いたものです・・・オープン当初は張り切ってカタログを5万部刷り、自家製のチラシを2万部刷り、約2万軒に3回配布したように思います・・・1日に3000部も配布すると、足が棒になりました。集合ポストに投函するのですが、目の前でゴミ箱に捨てられたり、不審者扱いにされて通報されたり、文句を言われたりとイヤな思いも散々しましたが、中には少数ながら感謝されたり・・・そんな肉体的アナログ的な努力をしても、殆ど反響がありませんでした・・・そういう意味で、今はネットやSNSといったデジタル的な頭脳戦略の重要性を強く感じます。しかし、今となっては懐かしく楽しい思い出です。不動産屋は何処にも修行に行かないで、いきなり未経験で独立ですから、こんな無謀な事はありません・・・幸い良き先輩に恵まれ、正にオンザジョブトレーニングで8年間ボチボチ営んできました。恥ずかしながら、未だに不動産仲介1本だけでメシを食える自信はありませんが、年々僅かながらボチボチ売り上げが上がっているのを見ると、経験と実績の積み重ねのビジネスであることをヒシヒシと感じます・・・この調子だと、70歳くらいでやっと1人前か・・・(笑)。過去10年でトランクルーム賃貸業と不動産屋という2つの新規事業を全く独りで立ち上げ、実際軌道に乗せるまで散々苦労しましたので、もう怖い事はありません・・・(笑)。今回の音楽スタジオも、立ち上げるにあたって恐怖とか不安は全く無かったと言えば嘘になりますが、楽しみの方が100倍ありましたので、そんなモノかき消されたのでしょう・・・(笑)。もうこの年になって、必死に儲けたいとか儲ける・・・嫌いな事やイヤな事をする・・・なんていう発想はありません・・・もう残された時間も限られますし、余計な事をせずに、ビジネスとか関係なしに、もっと「自分の腑に落ちる」文化的な事をしたいのです・・・自分の性に合ったというか・・・自分の本来ヤリたかった事をしたいのです・・・ただ、それだけの話です。幸い身体が丈夫で健康だから、こんな事も言えるのでしょう・・・・丈夫に産んでくれた母親に感謝しなければ・・・(涙)。という事で、前々からヤリたかった音楽スタジオですが、アイデアか妄想か分かりませんが、起きている間だけでなく寝ている時もイロイロ考えが湧き出てきます・・・(笑)。噴き出てくると言った方がイイかも・・・(笑)。よっぽど、嬉しいのでしょう・・・しかし、30数年前のウインドサーフィンブームだった頃を思い出し、ウインド仲間の多くがショップ経営に乗り出して殆ど100%潰れた過去が蘇り、自然と心にブレーキを掛ける自分がいるのです・・・「焦ってはイカン!」と・・・(笑)。ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2016.01.29
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ついに長年念願だった「音楽スタジオ(studio0724)」を始めました(貝塚市名越661 電話072-446-0798 トランクルーム貝塚 別館1階)!!屋号の0724は、昔の岸和田貝塚の市外局番です(studio0724.com はドメイン取得済み)。「何処で?スタジオをヤッテいるか」地元の人ならピンとくるからです・・・民間では貝塚市以南(~岬町まで)「初!」となる、本格的な完全防音のリハーサル(練習)音楽スタジオです(時間貸し)。10年前のトランクルームオープン時から、織物工場のコンプレッサー室を改造し「防音室」と称して売り込みましたが全く集客出来ず没になり、またその後イロイロと企画しては没になり、また企画しては没、実際工事を地元の大工さんと一緒に行っては途中で中止・・・途中、何度も何度も挫折の連続でした・・・苦節10年・・・やっと出来たというのが実感です・・・(涙)。しかし、これほど難しいとは・・・そして昨年秋に最終決断をして、別館1階の30畳の部屋を改造してダンスも出来る22畳の大型「リハーサル音楽スタジオ」にする事にしたのです(防音工事でスペースが縮小)。昨年12月、2週間のハワイ・ロングステイから帰ってきた翌日から改造工事を開始し、溜まっていた仕事も処理しながら、途中義父の葬儀、年末年始、えべっさん、新年会、シカゴ・ライブ、行者講やらでバタバタでしたが、やっと昨日工事を完了する事が出来ました。アっという間の2ヶ月でした。最後の最後まで地元の業者を使って自分が現場監督になって防音工事をするという事に拘りましたが、結局「餅は餅屋」と断念し、音響防音工事専門の「阪神防音」さんに最終的に任せました。その代り、頻繁に工事現場に足を運び、直接細かいノウハウを見たり聞いたりして凄くイイ勉強になりました・・・これも施主ならではの特権です。まァ、机上だけでモノを考える経営者ではなく、地に足がついた現場主義の経営者でないとダメですが・・・彼らのノウハウが詰まっていますので、一般の人間が見学出来るはずもありませんし、説明を聞かなければ何も分りません。この経験を活かさない手はありません・・・不動産屋として、これからの店舗物件やリフォーム物件に応用できそうです・・・織物時代は24時間エンドレス稼働の工場でしたので、機械(エアージェット織機)の防振&防音対策に苦労しました・・・(涙)。工場新設当初、思い通りに防音対策が進まず、悩みに悩んで2週間眠れぬ夜が続きました・・・防音が解決できなければ、24時間操業が出来ません。そうなれば、経営計画が大幅に変更せざるを得なくなり、1,2年で倒産・・・そんな悪夢が頭を過ります・・・そりゃ、眠れないのが普通の神経です。悩んで悩んで、悩み抜いて、捻りだしたアイデアが、何ていう事はありません・・・高校大学で趣味だったオーディオの知識(経験)です。芸は身を助けるか・・・(笑)。複雑な説明は省きますが、要は「防振ゴム」の活用です。これをあるところに挟むと、ピタッと振動(共振)が止んだのです・・・工場から100m離れた自宅の2階から聞こえていた「ウィ~ン・・・」という爆音(建物全体を「共振」させていた)が不思議と止んだのです・・・胸を撫で下ろしたというのは、この事を言うのでしょう・・・この時「自分に勝った・・・」と、自分のココロに強く感じたのを思い出します・・・(涙)。2週間も悩んで眠れなかったのは、人生初でした・・・命を賭けて、失敗すれば倒産覚悟で何億も投資をし、イザ工場稼働しようとした矢先にこのトラブル。これを解決しなければ前に進めず、倒産間違いなしでしたから・・・まァ、自分で考える一方、某有名メーカーの防音事業部に工場防音の見積もりも取っていたのですが、その額ナント「3000万円」にもなり、恐ろしくて親父にも報告できませんでした・・・(笑)。工場新設と織機一新で何億もかかり、その中で織機の防振工事代だけに既に2000万ほどかかってましたから(防音工事は別途)、言えるはずもありませんでした・・・(涙)。まア、こんな苦労した経験がスタジオ経営に役立ったのです。まさか、そんな事が役立つとは夢にも思いませんでした・・・工業防音と音響防音は厳密に言えば違いますが、基本は同じです。とういう事で、工事が無事終わり、完全な防音性能を持った音楽スタジオの「ハコ」としての完成です。ただのハコ、空間ですから、もしスタジオ経営が失敗すれば、最終的にトランクルームとしても貸せるようにしています・・・(笑)。苦節10年で、やっと出来たハコですが、これからが本当の苦労が待っています・・・民間は行政と違って失敗の事まで考えて事業を展開しないと、最終的に自分で責任を取らないといけませんから・・・まァしかし、一般的に苦労と言えば苦労かもしれませんが、それより「これからこのハコをどういう風に”展開”していくか(育てていくか)?」という、私の人生を変えるほどの100倍もの楽しみが待っていると思います・・・(嬉)。今後は、1.音楽バンドを中心に集客(個人練習も歓迎)2.大阪でも珍しい22畳と広いスペースですので、バンドでもライブ感あるパフォーマンスの練習も出来ますし、ダンス系(ヒップホップ、サンバ、フラダンス、よさこい、日本舞踊など)やヨガ、バレーなどの練習もできる3.だんじりの鳴り物の練習も可能(ドア巾が別注で80cmあり、2尺5寸の大太鼓も可能)以上3つを中心に集客を図ります。あと、・ツアーバンド(プロ)のリハーサル・来日アーティストのリハーサル(関空から近い)・バンドの長期貸切(合宿練習)・ブラスバンド・管弦楽団(オーケストラ)・自主レコーディング・ブラスバンドや管弦楽団の練習・合唱団の練習・各種セミナー、クリニック、ワンポイントレッスン(宗教的なものは不可)・モデルのウオーキング練習(ヒールカバー着用義務)・ダンスの振り付け練習・演劇やミュージカルの練習・結婚式の司会練習や2次会の余興練習・盆踊りの音頭や踊りの練習・和太鼓の練習・純粋に音楽を大音量で聴く(オーディオルームとして)・カラオケ・新体操のふりあわせ・着ぐるみショーのふりうつし・学園祭の出し物の練習・楽器スクール(ピアノ、シンセサイザー、ドラム、ギター、フルート、トランペット、バイオリン等)・ダンススクール(キッズダンス、ヒップホップ、ハウス、ディスコ、フラダンス、クラシックバレー、ベリーダンス等、タップダンスは不可)・カルチャースクール(ヨガ、ストレッチ、リハビリ、落語、英会話等)・ボーカルスクール・スタジオライブ(小規模)といったスタジオの活用の他に、スタジオの空き時間に楽器・音響器材のレンタル(ドラムセット、ギターアンプ、ベースアンプ、シンセサイザー、パワードミキサー、マイク、スピーカーセット)も考えています(ついでに楽器機材のトランポとして軽トラックのレンタルも)・・・音楽バンドは夕方から夜に集中しますので、ダンス系やヨガの主婦や年配の客層を取り込むことによって、実は音楽スタジオの「盲点」である朝~昼ゾーンを埋めるという「時間差」戦略も兼ねていたのです・・・そして弊社スタジオの最大の特徴として、「楽器保管庫」の併設にあります。殆んどの音楽スタジオではやっていないサービスです。15畳の保管庫がスタジオに併設して、スチールラックやロッカーに楽器などを保管して頂くのです。これだと家からわざわざギターやシンセサイザーを担いでくる必要もなく、非力な女性にとって涙の出るようなサービスです。スタジオには既にドラムセットを置いていますが、アンプやシンセサイザーはこれから器材を選考して置きますが、スネアドラムやシンセは自分のを使いたいものですから・・・オマケとして、私の「だんじり太鼓セミナー」も考えています。これは無料で、私のキャリア50年だんじり太鼓の叩き方のノウハウをお教えしましょうというボランティアです。というか、もう完全に私の趣味の世界です・・・(笑)。興味のある方は、このブログ左にあるYOU TUBE「オヤジのだんじり祭・大太鼓」をご覧ください。更にオマケとして、私自身の空手の稽古場として型くらい出来るかもしれません・・・将来的にはどうするかは未定ですが、その先には「沖縄空手 唐手道・止揚会」名越道場が出来るかもしれません・・・また堺市以南の泉州全域のライブハウスとの交流やコラボも考えていますし、既に一部とは話し合っています・・・互いにミュージシャンを紹介しあい、発表の場(ライブ会場)と練習場所の確保を融通し合い、泉州の音楽文化の発展と向上に向けて一緒にスクラムを組むのです・・・そうした小さな取り組みが、長期的には泉州文化の発展の一助になればと・・・値段的(時間賃料)にもトランクルーム同様、お客さんが最も重要視する事を考え、22畳としては「日本最安値!」です。音楽スタジオはトランクルームと違って、東京から借りに来られるのを想定していませんから、「大阪最安値!」の方がシックリします。22畳で1時間1500円(オールタイム)!勿論、税込み賃料で、個人練習(当日予約のみ)は1時間500円です。防音工事をしていない「ダンス専門スタジオ」ではあるかもしれませんが(改造費に費用がかかっていないので)、この広さで、これ以上に安い「音楽スタジオ」はありません。まアしかし普通、レコーディンやリハーサル「音楽スタジオ」を経営しようと思ったら、他人所有のビルを借りる事から始め(或いはフロアを借りる)、そこを防音&防振の改造工事だけでなく、内装工事や楽器機材関連を揃えなくてはなりません。それだけで数千万円から1億の費用がかかることも少なくありません。将来「撤退(廃業)」の事まで考えると、不動産契約では解約時には「原状回復」が基本ですから、元のスケルトン(何もない状態)に戻さなければなりませんから、それにも膨大な解体費用がかかります。そして、1番の問題が集客です。今はホームページを作るウエブ戦略が普通ですが、経営者のIT能力が無ければ業者に任せるしかありません。そうなれば、イニシャルコストだけでなくランニングコストが膨大になり、とても22畳で1時間1500円なんていう経営が成り立つはずもありませんし、そこまでシュミレーションすれば誰も音楽スタジオなんてやろうと思いません・・・だから一般的な飲食店と違って、参入障壁がべら棒に高く、リスキーなので誰もデキないのです・・・だから、私がこのブログで2年前から正式に「スタジオをヤルで!」と告知しても、実際これまで誰もやっていないのです・・・それより、最も大事な経営者が「音楽が好き!」でないと、ただ儲かるだけでは、なかなか継続しにくいのがこの「音楽ビジネス」だったのです。逆に好き過ぎてもダメですし、一歩引いた冷めた目で経営感覚をキープしながらバランスを取るのが「肝」でしょうね・・・studio0724の場合、私の「音楽大好き!」という大前提があり、他社と違って自社物件(建物)で自社運営です・・・更に既に「無借金経営」で、スタジオの為に新たに借金をする事も全くありませんでした・・・しかも、スタジオの為にわざわざスタッフを雇う事はせずに、私独りでトランクルームと不動産の仕事の合間を縫ってするだけです。カフェ「プロント」のような時間差を利用した2毛作経営を更に進化させ、「3毛作経営」ではなく、「3つ同時経営」と言えるかもしれません。長かった織物時代は、毎朝5時出勤の「早出専門」の工員をメインの仕事として、機械の修理工や機織りからタイイング(繋ぎ)、検反といった工場現場の全てをこなし、毎夜8時くらいまでは普通に仕事をしていましたし、毎週1回大阪の船場に営業も行っていました。特に工場新設後の最初の2年間は、男子従業員を雇っていませんでしたので、文字通り私独りでこれらを全てこなしていましたので、朝5時から夜の10時まで食事を満足に取ることも出来ないほど身を粉にして働いていましたので、今より7,8キロ痩せていましたねェ・・・(笑)。更に事務員を雇っていなかったものですから会社の固定電話にかかってきた電話を全て「転送」で私の携帯電話で受け、経理も1人でこなし、糸や織物の受渡しも1人でやって会社全体を全て把握して月産20万m(=ワイシャツ月産13万着換算)の織物工場を経営していました・・・この経営者1人の「生産性」を極力上げて20万mの規模の維持というのがミソで、他社と同じような10万mではダメだったのです。取引先の商社から紹介されて中国上海の公司から見学にこられましたが、この事実を話すと「日本の生産性は恐るべし!」逃げ出しました・・・(笑)。そんな四六時中「ひとりでどれだけの事が出来るか?」を常に考える経験を20年もすると、トランクルームと不動産とスタジオの3つを独りで「同時経営」するなんて事は、ごく普通の事だったのです・・・子供の頃から、親父がそういう風に「何でも自分でする」というスタイルで仕事をしていましたので、そんな後姿を見て自然とそうなったのでしょう・・・まァ、その辺の生産性アップのシステム作りのノウハウに、過去の経験が役立ったのかもしれません・・・しかしこれはもう、他社が数千万円かかるところ、こっちはタダでするようなものです・・・(笑)。だから、22畳でオールタイム1時間1500円という信じられない価格設定が可能でした。という事で、貝塚市以南(~岬町まで)の泉州地区では「初!」の本格的な音楽スタジオを運営する事によって、まだまだ北摂や大阪市内に比べて音楽文化的に遅れていると言われている泉州の音楽文化の底上げの一助になり、このスタジオから音楽とダンス、ひいてはダンジリ祭の鳴物の「文化発信基地」になればと切に思うのです・・・
2016.01.26
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9日朝から毎年恒例の地元の脇浜戎(えべっさん)に行き、夕方からグランキューブ大阪(大阪国際会議場)で始まるシカゴのライブにチョッと早いですが、昼過ぎからイソイソと地元ローカル水間電車に乗って大阪市内へ・・・(笑)。待ちきれないのは、まるで子供と一緒です・・・(笑)。時間がありますので、難波駅から心斎橋筋を通って本町まで歩いていきました。もちろん中国人だらけで、まるで正月のミナミのように混んでいました。もっと他に行く国がないのですかねェ・・・?日本とすればインバウンド需要が増えるのは嬉しいのですが、他の北米や南米、ヨーロッパ、オセアニア、東南アジア、アフリカといったイロンナ国からバランスよく増えて欲しいのです。こうして繁華街を自分の足で歩いて「今を感じる」のです・・・歩くと、イロンナ小さな発見があるものです。それが自分の感性にビビッときて、何かが生まれることを期待します・・・久しぶりのミナミで、勿論ところどころ変わっていますし、特に船場センタービルの外装が変わっているのにはビックリです。中国人がここまで北進していましたから、納得ですが・・・御堂筋線の本町駅から淀屋橋駅まで地下鉄に乗り、そこから歩いて2008年開業のまだ新しい京阪電車中之島線の大江橋駅まで歩いて行き、そこから終点の中之島駅で降りればグランキューブ大阪まで直ぐです。しかし、京阪電車中之島線の地下道はガラガラでした。土曜日にしても、私ともう1人しか歩いていませんでした・・大都会のど真ん中のキタなのに・・・木を中心にしたトテモ綺麗な地下道と駅なのに、採算的にどうなんでしょうか・・・?しかし、グランキューブも不便なところにありますねェ・・・ビルボードライブ大阪のように、周辺に洒落たレストランやバーが全くありません。もっとミナミやキタからアクセスが良ければ、言う事ないのですが・・・グランキューブには開場の1時間前についてしまい、2階のカフェではビールが置いていませんでしたので、仕方なく川を渡って周辺をウロウロする事10分。グーグルでは見つけられず、歩いている途中で、ついに見つけました・・・古いビルだけど、レトロっぽくてしゃれたカフェを。イーグルスといった70年代ウエストコーストミュージックが流行った時代に、アメ村の四ツ橋にあったパームスのような粋な雰囲気のカフェバーでした。そこで生ビールとナッツを出陣前に・・・そして、開場時間ジャストにグランキューブへ。いるいる・・私みたいな単独で来ている5,60代のオッサンがウヨウヨ・・・メインホールは収容人数が2700人程らしく、満席なので1500人くらいは、そんなオッサンで占められていました。70年代前半にロック好きの中高生や大学生だったんでしょう・・・(涙)。私と同じように、「未だにシカゴ大好き!」だなんて嫁さんや子供にも恥ずかしくて言えず、黙って来ているんでしょうか・・・(笑)。マイナーなシカゴのライブへ一緒に行こうなんて言える友達も、この年になるとナカナカいません。じゃ、何が何でも独りでイクで・・・というストーリーが多いでしょう。ウインドサーフィンや空手と全く同じで、もう廃れていそうですが、まだまだ同じ「志」を持ったオッサンが沢山いるなんて、何とも心強い話です・・・(涙)。シカゴは1969年デビューで、世界中でヒットした曲が数知れず、結成当初のオリジナルメンバーがまだ4人いて、47年間ずっと途切れず未だにバンド活動を続けているというのはローリングストーンズとシカゴくらいかというくらい非常に珍しい存在で、私もデビュー当初の中1から大ファンで、シカゴの影響で鳳高校のオーケストラ部でトランペットを始めたくらいです・・・シカゴと出会わなかったら、私の人生も大きく変わっていたかもしれません・・・開演前のTシャツやパンフレット売り場には、オッサン達の長蛇の列です。私も高校生に戻って、ドキドキしながら並んでTシャツを買いました。Tシャツ1枚3500円もしましたが、嬉しかったですねェ・・・今年一番の喜びか・・・(笑)。早々と予約席に着席し、まだかまだかと待っていました・・・その間、両隣の見ず知らずの人と3人で、シカゴ談議に花が咲きました・・・ひとりは滋賀県から来られた50代の男性で、もうひとりは京都からの30代の若い女性でした。同じ趣味?を持った者同士ならではのシーンです。ウインドサーフィンでも、ビーチでは知らない者同士でしゃべるのも普通です。そこには、シカゴと一緒でウインドサーフィンに対する「愛」がありますから・・・こんな事、嫁さんにも言った事ないのに・・・(笑)。そして開演・・・Introductionで始まり、Does Anybody Really Know What Time It Is?、Beginnings、Questions 67 and 68、I'm a Man、Someday (August 29, 1968)、Ballet for a Girl in Buchannon、Wake Up Sunshine、Dialogue 、Saturday in the park、State of the Union、Just You ‘n’ Me、Feelin’ Stronger Every Day、Aire、Mongonucleosis、(I'VE BEEN) SEARCHIN' SO LONG、SONG OF THE EVERGREENS、Anyway You Want、If You Leave Me Now 、Another Rainy Day In New York City 、Alive Again ・・・数々のヒット曲のオンパレードです。これだけ世界中でヒットした曲を持っているバンドは、ビートルズとシカゴくらいか・・・?デビュー当時からシカゴは「レコードとライブが同じ音」と言われていましたが、オープニング曲のIntroductionで、正に実感。演奏技術の高さがうかがい知れます・・・途中20分の休憩を挟んで、約3時間の長期間ライブです。ボビーのボーカルを聴き、パンコーさんの元気なトロンボーンを聴き、リーさんのトランペットソロを聴くと、恥ずかしながら少し涙が流れてきました・・・3人とも70歳くらいです・・・元気で何より・・・ただ、テナーサックスのウオルターさんの代わりに、助っ人が演奏していたのが気がかりです・・・まァ、オリジナルメンバーの4人とも70歳ですから、体調不調を訴えてもおかしくありませんから・・・また、ビルチャップリンの代わりに入ったキーボードのルー・パーディニのボーカルの上手さに感動しました。ジェイソン・シェフのベースもボーカルも相変わらず、カッコいいですねェ・・・キース・ハウランドのギターも、故テリー・キャスの味とは違った魅力を感じます・・・アンコールの最後の曲は、もちろん25or6to4です。とにかく、とにかく、感動、感動、感動の3時間のライブでした・・・(涙)。オシッコが心配ですが、ビールをもう1杯飲んでいれば、もっとノリノリだったのに・・・(笑)。もう60にもなると、日頃感動する事も少なくなり、ウインドと同じようにマダマダ私に感動を与えてくれることに感謝、感謝です・・・(涙)。こんな感動出来る事なんて、1億円出しても買えませんから・・・(涙)。年取ってからウインドを始めたり、シカゴを聴き始めても、ここまでココロを動かされないでしょう・・・人間の心理とは不思議なモノで、子供の頃や若い頃に感動した事がいつまでもココロに宿り、それが何十年後に再度体験すると、再び蘇るんですねェ・・・ある意味、小中高の同窓会もそうかもしれません・・・(涙)。Questions 67 and 68では、ボビーが合の手を日本語で歌ってくれて、43年前の厚生年金のライブと同じようにパンコーさんの最後の感謝の挨拶で「オッキーニ!」「好きやでェ!」の大阪を愛する言葉に感動・・・来年はアース・ウインド&ファイヤーとのジョイント(コラボ)ライブを予定しているようで(アメリカでは以前からアースだけでなくドゥービーとかもヤッテいる)、これは絶対行かねばマダマダ死ねないと・・・(笑)。今年は年始から音楽で感動し、2日経ってもシカゴの余韻が続いています・・・「studio0724(ダンスも出来る22畳「大型」リハーサル音楽スタジオ)」オープンの目途もやっとつき、この調子だと、年末には本当のミュージシャン(或いは音楽業界人)になっているかもしれません・・・(笑)。まァしかし、音楽は人を幸せにしますねェ・・・(涙)。
2016.01.11
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先日、泉佐野スターゲートホテルで宅建協会泉州支部の新年互礼会でした。泉州の不動産屋が大集結といったところでしょうか・・・早いもので、今回でもう8回目の参加です。8年の間に、会員(経営者)の顔触れもだいぶ変わったように思います。高齢でインターネット時代について行けない会員さんが廃業し、代わって3,40代のヤル気満々の若手経営者が台頭してきたように思います・・・今年60歳の私にとって、時代についてイケないでは商売にならないので、更なるウエブサイトの充実と、貝塚市に絞った仲介という「狭く深く」というこれまでと同じ戦略をポリシーにガンバっていきたいと思います。そして、弊社がトランクルームもやっていて、建て替えやリフォームに使って欲しいというのも強力にアピールする事も忘れません・・・(笑)。1社でも1人でも多くこの事を知ってもらえれば・・・と。みなさん不動産の売買や賃貸や建売の販売に必死で、なかなかトランクルームの事を知っているようで知りません。もう8年も不動産屋を営んでいると知り合いの業者さんもだいぶ増えましたが、泉州支部には約400社も加盟していますので、毎回新年互礼会で「初対面」という業者も多いですから・・・前にお会いしたとしても、年1回しか会わなかったら「初対面」と勘違いし、恥をかいたことも・・・(笑)。宅建泉州支部の親睦旅行やゴルフコンペ等に参加すれば、もっと知り合いの業者が増えるかもしれませんが、時間的な制約もありコンサル会に参加するのが精一杯です・・・まァ、知り合いの業者が単に増えたからといって、それでメシが食えるほど甘くはありませんが・・・基本的に「自力本願」以外、商売繁盛はあり得ないと思うのです。その為に、オファーがあれば、1件1件地道に成約に向けて実務経験を積み上げていくだけです・・・ウエブサイトと地元の口コミで集客し、それが成約に繋がれば、口コミで伝わるというサイクルを期待しているのです。最後は信用という事です。いくらインターネット時代といっても、不動産は高額で命の次に大事なモノですから、やはり口コミの役割が非常に大きいのです。今回の新年互礼会も、泉州(堺市以外)の各市長や国会議員(秘書)、府議会議員が勢揃いです・・・その中で、一度頓挫した「泉州山手線」計画が復活するかもしれないという話が興味深かったです。泉北1号線が岸和田フタツ池交差点(府道40号線)で終点になっているのを、泉佐野の空港連絡道路まであと15キロ延伸しようという計画です。まァ、仮にそうだとしても、2,30年後の話なので、既に私はこの世にいないでしょう・・・(笑)。まァ、そんな夢みたいで他人任せの話は横に置いといて、足元を見つめ、今しなければならない事を冷静に考えてコツコツとヤッテいくだけです・・・という事で、8回目にして初めて、スターゲートホテル54階のバーの2次会に参加してきました。1次会は時間が限られるため、ソコソコの挨拶しか出来ませんでしたが、2次会では多少話ができたかもです・・・やはり、ビジネスに限らずプライベートでも、人と人との関係、人間関係というのは「どれだけ喋ったか?」に比例すると思うのです。ある意味、喋る、会話する内容の深さと時間の総量が、相手を理解する上でのバロメーターです。しかし現実問題、いろんな人と充分会話するのは時間的に不可能ですし、どうしても喋る相手を「選択」しなければならないのが残念です。その辺がナントも難しいですし、永遠のテーマかも・・・今回たまたま、ひょんな話で「音楽コラボ」の話が出ました。同業者の方がカフェバーを兼業していて、ライブハウスも併設したいとの事です。これから弊社が始める「リハーサル音楽スタジオ」とコラボすれば(共同企画したり、互いに紹介し合えば)、南大阪(泉州)の音楽文化の底上げの一助に繋がって、泉州全体が多少盛り上がってイイのではないかというイイ話です。不動産屋の集まりで、まさかこんな話が出るとは思いませんでした。今たまたま、別件でライブバーの物件のオファーがあって、この話がまとまれば、更にオモシロい話に繋がるだろうと思います・・・既に泉佐野のライブハウス「音楽倉庫」さんともコラボの計画がありますから、「新しいコトをヤッテいこう」という意味で、これからがトテモ楽しみです・・・やはり仕事だけに限らず、社会生活って、人間と人間との繋がりで成り立っていて、誰とでも話しないと分らないモノですねェ・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2016.01.10
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今年は年男で、ついにメデタク60歳になります・・・(笑)。同級生が集まると、多くがサラリーマンですので「定年」の話になってしまいます・・・どんな集まりでも数人が集まって酒飲んでワイワイ盛り上がればイイのですけど、同級生だけだとそんな話で盛り上がる訳がありません・・・「もう、そんな年か・・・」と感じざるを得ません。私の場合、会社経営といっても1人で動いていますので自営業者みたいなものですから、まだまだ頑張らねば・・・頑張ると言っても、気力も若い頃に比べると萎えていますので、そうウマく行く訳ありません。もう日々変わる気力や体調に「頼って」頑張るのではなく、デキる範囲で毎日のルーティンを決めて、それを淡々とヤッテ行くという事が肝要ではないでしょうか。落ちていく体力と健康を第一に考え・・・食事と運動に気を付け、早寝早起き・・・真面目すぎて、糞オモシロくありませんが・・・(笑)。出来もしない目標や計画を立てても、かえって自信を失うだけです。自信を失うほど怖い事はありませんから・・・まァ、残酷ですが、自分の「現在の能力」を冷静に判断するってことでしょうか・・・しかし世の中、起業や独立が若者の特権のように思われがちですが、周りを見ると案外40歳超えての起業が多いように思います。20代での起業は見た事ありませんし、せいぜい30代でしょうねェ・・・この辺がマスコミの報道に、チョッと疑問符を打たざるを得ないところです・・・(笑)。不動産屋に関しても、10年で80%が倒産廃業と言われますが、同数の業者が毎年起業(開業)しているのです。私の見たところ、40代の起業が最も多いように思いますが、5,60代の起業も少なくありません。だいたい、10年20年他社で修行を積んで「独立」というパターンが多く、私みたいに何の修行もしない「即独」は例外中の例外です・・・(笑)。私の場合、トランクルームが本業で不動産屋の方は副業みたいなものですから、何とか7年もやってこれましたが、全く未経験で不動産屋1本だと、殆ど100%ムリだったでしょう。という事は、「これまでの経験を活かす」事こそが、起業独立の極意ということでしょう・・・活かすと言っても、全く畑違いの分野ではリスクが高すぎます・・・これまで経験を積んできた分野(本業)+アルファ(近い周辺分野)でないと成功は難しいでしょう。という事は、いくら10年働いても、経験が積み上がらない職種とかパート・アルバイト、消化試合的な仕事では意味がありません。ニッチ分野を狙うというのはビジネスの鉄則ですが、特殊すぎる仕事(分野)はいくらキャリアを積んでも、起業独立のネックになるかもしれません・・・私の場合、50歳で織物業から全く畑違いのトランクルームに転業しましたが、全くゼロからのスタートではありませんでした。というのは、トランクルームに絶対必要なハコ、つまり工場という建物があったからです。この辺が、IT関連といったデジタル商売への転業なら、全くゼロからのスタートになり、ビジネス的には成功は非常に難しかったでしょう・・・トランクルームという、アナログ商売だからこそ、まだ何とかヤッテこれたのだろうと思います。一言で言えば、HPからの集客というデジタル戦略と、織物工場の活用(コンバージョン)というアナログ戦略をうまくミックスさせて、業者に頼らず自分でエンドユーザーを掴むという戦略が功を奏したのだろうと思います。裏を返せば、長年営んできたエンドユーザーを無視した業者間だけのアナログ的な織物商売(下請け生産)に限界を感じた反動でした・・・しかしその背景には、ウインドウズ95からパソコンを始めて一般人より多少は詳しかったり、サラリーマン時代の「飛び込み営業」で対人耐性を鍛えられたという経験も活かされたと思うのです。パソコンも過去20年で10台くらいは買い替えましたので、相当な出費です。最初に買ったシャープのノートパソコンは、3カ月待ちの40万くらいしましたが、殆ど活用できずにヒドク後悔したものです・・・飛び込み営業も年間1000人と名刺交換を目標に、新しい人とドンドン会ってきました。上場企業の社長から犯罪者に近い人まで・・・名もない中堅企業でしたからイイ思い出は少なく、名刺を目の前で捨てられたり、無視されたり、ドタキャンされたり、実際イヤな思い出が大半でしたが、今思えば不思議とイイ思い出に変るんですねェ・・・これが(涙)。そのサラリーマン時代の経験が、織物時代のバブル崩壊後の1社依存から数社に分散する新規開拓の「大転換期」や、トランクルームへの転業時の業者への売り込みに役だったのでしょう・・・また不動産屋開業時も、地元に先祖代々何百年も住んで親戚が地元貝塚を中心に岸和田や泉佐野や熊取に沢山あった事や、地元で長年織物業を営んでいた事が非常に助かりました・・・(涙)。私は何もしていませんが、父や祖父といった先祖の長年の信用という「無形の財産」を痛切に感じました。自分「単体」の能力なんて、たかが知れています。もちろん家族の無償の協力が第一で、親の七光りと言えば表現が悪いですが、そういった「周辺の力」を借りる能力もひとつの才能だと思うのです・・・新規に訪問して話をすると、何処かで不思議と繋がって、話が割とスムーズに行くんですねェ・・・(涙)。実は薄い親戚だったと「発見」した事も、多々ありました・・・(笑)。不動産屋で同業の「元織屋(或いは糸へん)」さんが多いというのは、そういう事だろうと思います。総合商社の伊藤忠や丸紅が100年以上前から泉州と繊維の商売で深く関わってきた歴史や、戦後30年間泉州の繊維産業が日本経済を牽引してきた歴史を考えればナルホドと思いますが・・・それが廃業できなくて倒産になっていれば、先祖の無形の財産も何もかも全て失い、転業どころか再起は殆どムリだったでしょう・・・日本はアメリカと違って中小企業経営者に連帯保証(個人保証)を求めますので、倒産は夜逃げ、離婚、一家離散につながりますし・・・最悪、自殺なんてのも普通にあります。それほど、日本では倒産というのは致命傷なのです。まァ、基本的にビジネスというのは、自分自身の経験値がモノを言い、経験値があればある程、新しい事をやろうと思ってもリスクが低くなります。50代は絶対2,30代よりも経験値が高いのですから、これを活かさない手はありません。起業や独立は、若者だけの特権では決してないのです・・・一般的にはよく「成功体験を捨てろ・・・」とか言われますが、そんな勿体ない・・・(笑)。その成功体験を「次」に活かすのです・・・頭を「パッ!」と切り替えてアレンジするのです。織物時代に古いシャットル織機から新しいエアージェット織機に買い替えたのですが、全く違う仕組み(システム)の機械で一見関係なさそうですが、実はシャットル織機での経験が役立ちました。機械の「経糸に横糸を絡める」という根本的な基本が同じで、工場環境がその機械を活かすか殺すかの大きな違いだと導入前に悟ったのがヨカッタのです。同業他社は工場の改造程度で大丈夫だろうと踏んでいたのですが、私は工場を新築して大がかりで金もかかりますが、地下ピットまで掘って空調をキチンとしないとダメだと親父を説得したのです。結果、正解でした。そのお蔭で他社より稼働率が上がり、これで土日休まずに年間355日24時間稼働を20年間続けたのです。本来なら技術力にモノを言わせて、朝8時から夕方5時まで稼働としたいところですが、残念ながら織物業界でそんな所は存在しません。殆んどの業者は時間で稼いでたのです。特に新しい機械を導入したところの殆どは24時間稼働で日曜だけ工場を止めていたようですが、弊社の様にエンドレス稼働(年間355日24時間稼働)を死守していたというのは聞いた事がなかったですねェ・・・しかし、日曜を止めるか動かすかが大きいんですねェ・・・率にして15%・・・単純に15%売り上げが上がる訳です。それに織機の稼働率を加えれば、上手くいけば他社より20%アップ・・・機械というのは一旦止めると「立ち上がり」が上手くいかない場合が多いですが、エンドレス稼働にすると、これが無いという副産物もあり、これで稼働率が0コンマ何%上がります。電気代もエンドレスの料金体系(ホテルと同じ)にすると、数%くらいは割得のようです。日曜の稼働を正社員に頼らず、私とアルバイトだけで稼働させていたのです。20年間、全く休みなしに・・・これで、ザッと25年分くらい工場を稼働させた計算になります。5年分、得したのです・・・(笑)。織機を中国に転売した時も、年式で得しました・・・(笑)。まァしかし、これはもう、絶対止めない!という「執念」以外何ものでもありません。親父から言われたとか、誰かにアドバイスされたとか、そういう事はなく、何故か?「工場を止める」という発想そのものがなかったのです・・・そりゃ、人間ですから「体調が悪いなァ・・」とか「シンドイなァ・・・」という頭に中の誘惑はしょっちゅうでしたが、そんな事を振り切って工場に足を運んだのは、借金がまだあったのと、子供3人を養わなければならなかったという物理的な原因があったからだろうと思います。やはり私も含め、人間は本来怠け者で、ある程度のプレッシャーがないと動かないものだと思います・・・ただ、そのプレッシャーが自分の器(能力)以上のものであったら、自分自身が壊れてしまいますので、その自分の器がどれくらいのものか?・・・これを知る事が何よりも大事でしょうねェ・・・これが、また難しいのですが・・・まァ、そうやって少なくとも20年間頑張ってきたからこそ、織物業廃業時には「借金ゼロ」になっていましたから、トランクルームへの転業もスムーズに行ったのでしょう・・・これが、借金があれば銀行とゴチャゴチャ揉めますし、廃業したくても廃業できませんし、転業どころではありませんでした。という事で、起業独立は、決して若者だけの特権ではなく、我々50代以降の経験豊富な年代のモノと言ってもイイのではないでしょうか・・・?それに60歳になれば、子供も成人独立している場合も多く教育費がかかりませんし、住宅ローンも完済している場合も多いでしょう。既に自分のライフスタイルを築いている奥さんにとっても、定年だからといって家で旦那にベッタリくっつかれるも、イヤなモノで気持ち悪いでしょう・・・(笑)。そう意味で、まだまだ元気な今年60歳定年を向かえる我々同年代ジジイにとってチャンスか・・・!?現実問題、40代で20年後を考えて起業独立の計画を練り、50歳から実際の準備をスタートさせ、60歳で起業独立スタート・・・なんてのが理想でしょうねェ・・・別に準備が早く整えば、55歳でフライイングしても構いません・・・(笑)。先日亡くなった義父は89歳まで現役のお坊さんとして精進されていました。既に住職を引退していましたが、サポート役に回り、趣味も楽しんでいたようで何とも羨ましい人生でした・・・私の場合50歳までアクセル全開で、50歳で急ブレーキをかけハンドルを切り(転業し)、それから9年間アクセルとブレーキを調整しながら、車体が出来るだけ長く持つように、時々ガソリンスタンドで休憩しています・・・(笑)。とにかく起業独立してエンドユーザーと直接ビジネスすれば、もう組織やイヤな上司など誰にも縛られず、下請け(委託生産)なら親会社や元請けから解放され、自由に張り合いをもって仕事が出来ますし、年金に頼らず収入があれば趣味も出来ますし、サラリーマン時代や下請け時代に比べたら別世界で天国ですよ・・・(笑)。
2016.01.03
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2016年が始まりました。皆様、本年もヨロシク・・・しかし、今年でナント還暦。事実はひとつ、考え方はふたつ・・・「まだ60歳や!」と前向きに考えるか、「もう60歳・・・」と後ろ向きに悲観するか・・・その辺は、本人の自由です。私の場合、あまりそんな事も考えた事がないのですが、何処かでそんなフレーズを読み、「あ~、確かにそうかもしれんなァ・・・」といった後付けで考えさせられました・・・自分が若いとか年寄りとか考える以前に、「これから何しよう・・・」という欲望が勝っているのかもしれません・・・(笑)。その証拠に、正月早々何を考えているのかと言えば、頭の中は今月9日に大阪グランキューブである「シカゴ」のライブコンサートです・・・(笑)。正に「シカゴ、シカゴ」で、車に乗っても、事務所でも、リビングでも、風呂でもシカゴ、シカゴの曲を・・・、自分のココロのモチベーションの頂点を9日のライブに持って行けるように準備をしているのです・・・(笑)。ちょうど宅建の受験勉強で、それまで9か月間毎日3時間勉強をしてきましたが、試験1週間前に仕事も雑用も全て止めて「毎日18時間」缶詰状態で集中的に勉強して、知識の頂点(照準)を試験日に合わせたのと同じです・・・(笑)。半分脳ミソの腐りかけた50のジイサンだったので、そこまでヤラないと無理でしたし、試験終了のベルと同時に殆んど忘れてしまいましたが・・・(笑)。そこには、もはや自分が60歳とか、ジイサンとか、そんな意識は全く存在しませんし、誰に何を言われようと気にしません・・・高校生と全く一緒です。初めてシカゴのライブに行ったのは、ちょうど高校2年になったばかりの4月でした。当時の音楽月刊雑誌「ミュージックライフ」と「ライトミュージック」は毎月本屋で熟読しており、情報も半年くらい前から知っていましたので、たぶん高1の冬休みくらいにチケットを買いに行っていたのだろうと思います。その情報を掴んだ瞬間から、今と同じように「シカゴ、シカゴ・・・」と頭の中はシカゴだらけで、勉強もあまり手につかなかっただろうと思います・・・(笑)。人間、性格は変りません・・・死ななきゃ治らないというのは、正にそういう事です・・・(笑)。しかし、当時S席3000円は高校生にとって大金ですし、一緒に行けるようなシカゴファンの友達もいませんでしたので、「じゃ、独りで行こう!」と決意したのでした。決意というのは、当時はプレイガイドもなく、チケットを買いに会場であった厚生年金会館まで行かなければならなかったのです。地下鉄に乗った事も無かったのに・・・(笑)。それほど行きたかったのです。泉州の田舎モンにとって、大阪の地下鉄はややこし過ぎます。人に聞いて行くのも邪魔臭いですし、結局難波駅から片道1時間かけて厚生年金まで歩いてチケットを買いに、ライブ当日も歩いて行きました・・・(笑)。今から思えば、ナント凄い情熱やなァ・・・と感心します(笑)。しかし、行ってヨカッタですねェ・・・行っていなかったら、一生後悔します。若い頃にヤリタイ事をやらずにいると、後で後悔するものです・・・熟慮して本当に「ヤリタイ!」と思った時が、正に旬です・・・その時を逃してはダメです。イヤ、若いとか年とっているとか関係なしに、人生、タイミングです・・・人生ってある意味、そのタイミングでの決断や行動で成り立っているのかも・・・まァ、自分のココロに正直に生きるというのは、正にそういう事だろうと思います。これまでの人生で、あれもやりたいこれもやりたい・・・と、しかし沢山の後悔もしてきました・・・まァしかし、日本人男性の健康寿命70歳、平均寿命80歳というのを冷静に考えると、これからヤリタイ事やヤレル事もおのずと限られます。今更、ジタバタしても仕方ありません。しかしシカゴも今年で、前身の1967年スタートの「ビッグ・シング」から数えて49年です。私もファンになった中1から数えて、47年もファンです。今でも忘れません。ちょうど中1の夏休みに、当時流行っていた深夜音楽ラジオ番組「ヤングリクエスト」で、ブラスロックグループのシカゴの「クエスチョンズ67&68」を初めて聴いて、頭にカミナリが落ちるほどの衝撃を受けたのです。レコーディング曲は衝撃的なダニーのタイトなドラムで始まり(ライブ曲はボビーのピアノ)、ブラスのパンコウさんのアレンジはジャズっぽく、唸るようなテリーのギターに脳天がカチ割られ、ピーターのシビレるようなファルセットボイスに魅せられ・・・「ナンや!この曲は!」言葉では表現しにくいですが、これまで聴いていた日本の曲は何だったのか?・・・と。当時は高校生や大学生が中心にヤンリクを聴いていたので、相当マセテいた中学生という事か・・・(笑)。しかし、その「前兆」はその3,4年前にあったのです。当時もっとも仲良く遊んでいた近所の友達の家に行くと、「兄貴のレコード聴くけ?」と。そして、友達の兄さんが留守の時に部屋に忍び込み、2人で聴いて驚愕しました・・・「何と、カッコええやん!・・・」・・・と。それが、当時若者の間で大流行していたベンチャーズの「ダイヤモンドヘッド」「パイプライン」「10番街の殺人」だったのです。人によってもって生まれた性質や才能や感性が違いますし、それに育ちや生い立ちによって更に違いがあります。別に私の両親は音楽が好きだったという事もありませんし、昔家にあったレコードと言えばクリスマスソングや演歌です・・・(笑)。チャンチキおけさや河内音頭は、幼稚園児くらいから何千回も家で聴いていました。それが、ベンチャーズのギターを聴いて小学校3,4年の私の胸が震えたのです・・・そして、シカゴのブラス楽器を伴ったロックサウンズを聴いて、私の13歳のハートはガタガタと・・・高校のオケ部でトランペット、大学生の時はバンドでドラムやボンゴ・・・もちろん、だんじり祭の鳴り物も立派な楽器で音楽なので、これは小学校1年くらいから太鼓を叩いていましたねェ・・特に中学3年の時は、何か?(思い出せない)の「全国大会」に向けて大太鼓を毎日放課後集中的に練習した思い出があり、そのお蔭で音楽の内申が3から5になりました・・・(笑)。という事で、シカゴのメンバーも多くは70歳を超えており、これからもうせいぜい数回しか来日出来ないでしょう。オリジナルメンバーも4人に減り、もちろん昔のサウンドは期待できませんが、ライブ当日高校生に戻って楽しみたいと思います。しかし、音楽業界もデジタルの進化によって、ユーザーは月1000円も払えば何万曲も聴けるイイ時代になりましたが、逆にアーティストも制作会社も儲からなくなりました・・・シカゴはその点、上手にビジネスを展開しています。今更新曲に力を入れても仕方がありませんし、彼らには過去のヒット曲が数えきれないくらい沢山あります。CDに期待できませんし、60代になってからアースウインド&ファイヤーといった他のグループとの「コラボ」ライブに力を入れ始めたのです。シカゴとアースの両方のオールドファン(40代から70代)が集まり(私みたいに両方のファンも)、それに感化された(つられた)20、30代も集まるという寸法なのです・・・ライブ会場では、記念品のTシャツやCDや書物といった副産物も飛ぶように売れます・・・ある意味、時代に匂いを敏感に感じ取って、デジタルからアナログへの転換です。さすが、ですねェ・・・日本のアーティストの中には、「この流れ」をいち早く悟って方向転換し、ライブ活動に耐えうる体力を養う為にジムに通っているアーティストも少なくないようです・・・(笑)。という事で、ライブ当日はビール2,3杯ひっかけて突入するでしょう・・・何の曲から始めるかは知りませんが、パンコウさんの元気なトロンボーンを見て、ボビーのまだまだ健在のボーカルを聴けば、そこに感動して泣いているオッサンがいるかもしれません・・・(笑)。最後に言いたいのは、音楽は人を幸せにします・・・ってこと。そして、同じ70年代に活躍したEW&Fやイーグルスやクール&ギャングやシャカタクが未だに、60代70代になっても現役でバリバリ活躍しているのは、若い頃の基本がキチンと出来ているんだなァ・・・と、我々のビジネスやアマチュアスポーツにも通じるのだとシミジミ思うのでした・・・
2016.01.01
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