トランクルーム貝塚のオヤジ奮戦記

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2018.08.22
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昨日の読売新聞に「繊維深化」というテーマのオモシロい記事が載っていました。

トランクルームの前は長年家業として織物業に携わって来ましたので、この記事を興味深く読みました。

社会人になって過去約40年間一般社会を見てきましたが、そう言えばこの記事に書いているように、上場繊維会社で倒産したのはカネボウ1社だけで、他の繊維会社は本業を変えたり分社化したり異分野や非繊維に進出したりして、シブトク生き残っています。

1番驚いたのは、ウインドサーフィン全盛期の1980年代の世界のセイル(帆)メーカーは100%海外ブランドでしたが、素材は日本の東レと帝人で世界シェア100%を二分していました。

他業界を見渡すと、家電業界やAV業界の惨憺たる状況や、自動車業界の再編や外資が入ってきたりしている状況を見ると、まだ繊維業界は「ヘンに安泰?」なのかと思うのです・・・

しかし、何故繊維業界がシブトク生き残っているのか・・・?

それは記事にも書いているように、日本の産業界で「最も早く不況に陥ったから」だと。

戦争直後の昭和20年代が全盛期で織機が1回ガチャンと動いただけで1万円儲けたと言うことで(誇張ですが)、「ガチャマン時代」と言われていました。

弊社は祖父と父親兄弟が昭和24年に創業していますので織物業界としては後発でしたが、当時の話を聞くと恐ろしく儲かったようです・・・



しかし、そういった「良き時代」も昭和40年代半ばをピークに、家電業界と自動車業界と入れ替わりに一気に下降線を辿っていきました。

所謂「日米貿易摩擦」です。

その先頭を切って1972年の「日米繊維交渉」で、沖縄返還の見返りに繊維製品の日本の自主規制を行なったのです。

自主規制とは確か1台25万円くらいで国が織機の買い上げをして、織物業者を減らしたのです。

ちょうど第一次オイルショックと重なり、これで60~70%くらいの同業者が廃業したでしょうか。

当時高校生だった私は、父親から「明日から風呂は2日に1回やど」「ジーパンは月に1回しか洗うな」と言われ、「この先一体うちはどうなるんや?」と不安で不安で仕方なく勉強や部活どころではなかった事を思い出します。

当時の話を2年前の読売テレビ「かんさい情報ネットten.」から取材を受けて放映されました。

早くから国から突き放され、グローバル化の波を1番最初に受けたのが繊維業界と言えるでしょう。

別の側面から言うと、繊維ビジネスが儲からなくなり業界が政治団体に献金出来なくなったのも要因の1つのようですが・・・(笑)。

泉州エリアでも岸和田市以南の山手地区は、農業と織物業が主力産業でしたから、補助金の充実などで国に長く手厚く保護されている農業と比べると、同じ町内でも織物業の衰退は目に余るものがあります・・・(涙)。

日本で最も織物業が盛んだった弊社の所在地である貝塚市山手エリアの木島葛城地区は、昭和40年代前半に150社あったのが今はたったの5社です。



同業の不動産屋、大規模病院、ショッピングセンター、貸しビル業、貸しテナント業、貸倉庫業、検品業・・・

もちろん廃業した90%のうち、倒産は4分の1から2分の1という厳しい現実がありますが・・・

言える事は、大手紡績も合繊メーカーも早く繊維から撤退し、織屋は早く織屋を止めれば止めるほど成功していますし、元織屋が集まって昔話に花が咲くのは決まって「早く止めてヨカッタ・・・」です(笑)。

グローバル化で更に斜陽産業になった織物業を早く止めることによって、傷が浅くてすみ「次へのステップ(非繊維への進出)」がし易くなるのです。

ただ資産に比べて借金が多すぎれば、銀行との交渉が難航しそうですが・・・



長かった高度成長期に資産形成だけで無く、地元や業界の人脈や金融機関との関係を築いて、金では買えない「信用」を築いたのが大きいと思います。

この資産と信用が無くならない内に、上手く「転業」できるか否かが勝負の分かれ目と言えるでしょう。

私の場合はちょっと長く頑張りすぎたかなァ・・・あと2年早く織屋を止めていれば、もっと新たな展開が出来たかも知れません・・・(悔涙)。

逆に2年遅かったら、リーマンショックの影響で倒産していたかも知れません。

サラリーマンの転職と同じで、正にタイミングこそが生死を分ける・・・という事です。

それと、繊維業界の中でも織屋は24時間工場稼働が普通の労働集約的な仕事で、弊社もそうでしたが賃織り(委託生産)は、親父からよく言われましたが「1メートル織ってナンボ?」という地味な商売の典型です。

この考え方、このDNAが身体に染み込んでいるのです。

今のIT長者のようなボロ儲け?が理解できないところが幸いして、地味にコツコツというビジネススタイルが「打たれ強さ」に繋がっているのでしょうか・・・(笑)。





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Last updated  2018.08.25 09:41:18
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