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月曜日、盛岡の医大に行ってきた。沿岸部で被災した牧場主のいとこが見つかって、盛岡市内にいる親戚が盛岡まで連れてきてくれたのだ。いとこのHさんは骨折しているとのことで、滞在先の避難所から医大まで連れていってほしいと、その親戚に頼まれたのだ。歩くのが大変だということだったので、母が使っていた車椅子や毛布やクッションを車に詰め込んで向かった。避難所についてフロントに連絡すると、Hさんは奥さんに支えられながらロビーに降りてきた。被災してから2週間以上たってはいるものの、顔にはまだ青いあざが残っている。医大についてからは奥さんが受付や問診票の記入をしている間、Hさんから昨日までの話を聞いた。その日Hさんは仕事が休みで自宅にいたそうだ。目の前がすぐ海の自宅にいたところで津波に襲われて、波にもまれ流された建物や車やいろんなものに打ち付けられて腰と足首を骨折してしまったそうだ。それから6時間、流れてきた木のようなものにしがみついて水につかったまま漂っていたという。「もうだめだろうな・・・とあきらめたよ。骨折してて身体が動かないし、波にもっていかれてどこに流されるか分からないし。・・・でも助かった。なんで助かったのか不思議だよ。」「・・・守られたんだよ。助けられたんだよ、きっと。」牧場主が言った。そのあと岸辺のほうに流されたので、なんとか自力で岸に上がったのだそうだ。それから避難所に行ったが、怪我をしていたので病院に運ばれた。だけど、電気も何も止まってしまっていたために医師の診察で骨折していることが分かったが、簡単な固定をしてもらっただけだった。動けないが重症ではないと判断されて、病床として使われていた教室にダンボールをしいてその上に毛布をかけて足を伸ばして座っていた。そのスペースだけが自分に与えられた居場所だった。病人扱いだったために避難所の名簿にも載っていなくて、北海道に運ばれたとか盛岡で入院しているとかいろんな情報が錯綜して、誰もHさんのことを探せなかった。食事も朝におにぎりが2個とか、パンが3つとか渡されて「今日一日分です」と言われる。なんの味もついていない冷たいおにぎりを、限られた水やお茶で流し込む。お風呂にもずっと入れなくて、自衛隊さんのお風呂が来てくれたのもここにくるちょっと前だった。Hさんがいたあたりは道路も海路も寸断されていて、取り残されたようになっていたらしい。道路が使えるようになるのが早かった地域では、物資もいくらか早く届いていたようだが、Hさんのいた地域やきめられた避難所以外の場所にいた人たちにはなかなか物資が届かない現実があったのだ。最近では被災したスーパーや車が荒らされて、物やガソリンを抜いていく人もいるという。久しぶりに身内に会って安心したのか、ずっと胸のうちを聞いてほしかったのかHさんはいろいろ話してくれた。そして、診察とレントゲンに行った。聞いている私のほうが心が折れそうになった。6時間も自由のきかない身体で水につかって流されているなんて、どんな気持ちだったろう。そこにいなければ現実なんて分からないものだよね、と牧場主と話しながら診察が終わるのを待った。診察が終わってHさんが戻ってきた。骨折はしているものの、大きくずれてはいないので安静にしているようにということだった。腫れがひどくなってきたらまた受診するようにと言われたそうだ。「気が緩んで痛くなってきたんじゃないか?車椅子、持ってくるか?」と聞く牧場主にHさんは、「いやいい。・・・でも、肩貸して。」と言った。Hさんは牧場主の肩に身体を預けるようにして歩いていく。Hさんに合わせて牧場主もゆっくり歩いていく。二人の後姿を見ながら、これからゆっくり長くこうやって歩幅をあわせて肩を貸していくことが大事なのかもしれないと思った。「ほんとは早く戻って、かあさんを探してあげたいんだけど。」Hさんはぽつりと言った。「まず、ちゃんと治して少し身体を休めて、それからなんだぞ。」牧場主が言った。Hさんの話では、叔母もやはり自宅にいて流されてしまったらしいということだった。市内の避難所にHさん夫婦を送って、遠慮しないで不自由なことでも何でも言ってほしいと話して、うちの電話番号と牧場主の携帯番号をメモして渡してきた。「ありがとう」と、Hさんは私たちの車にずっと手を振っていた。心も身体も、これから本当に時間をかけてゆっくりと治していかなくてはならないだろう。住む場所も仕事もこれから探さなくてはいけない。だが今はせめて奥さんと二人、足を伸ばして暖かくして眠れるところでゆっくり休んでほしい。
March 30, 2011
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昨夜も今宵も、星がとてもきれいに見える。昨日の晩、枕もとの窓から眠くなるまでしばらく星を眺めていた。(なんて、ハイジみたいなことを言ってるが・・・)牛舎の上にオリオンが寝そべっている。冬になったばかりの頃は、朝方に牛舎の上にあったのだけど、季節は巡っているんだなあ。当牧場の真上に広がる星空は、いつもと変わらぬ輝きだ。漆黒の闇に映えて、細かい星までグラニュー糖をこぼしたようによく見える。最近は節電と品不足のためかスーパーやコンビニも早めに店じまいしている。「今だと夜の国道なんかも昭和50年代の夜の道みたいだ」夜にかんなくず(牛のおなかのしたに敷く)をとりに行った牧場主が言っていた。「ええ?じゃあ妖怪とか住みやすくなった感じなの?」「うん、今だば高速の下のあたりとかに立っていそうだっけ」ああ、夜のドライブしてみたい・・・と強烈に思ったけど、ガソリンを無駄にはできない。そうそう、子供の頃の夜道なんて暗くてほんとおっかなかったもんな。ずーーーっと暗くて、街灯がついてて、また暗くて、遠くの方にどっかのおうちの灯り。あの頃は、妖怪が確実にいた気がする。いや、いたな。明るくなりすぎて、しかも朝までずっと煌々と電気がついてる建物がかなりあって。妖怪も居づらい世の中になっただろう。今みたいに夜通し開いてる店もないと、暗いし不自由なところもあるけれど、なんだか自然に近くなったような。牛舎の外に出て、ぐるりと360度見渡してみる。灯りらしいあかりはほとんどない。いつもと変わらぬ、黒板にお砂糖を撒き散らしちゃったような、美しい夜空と星の光にじゃまにならない程度の、うすぐらい街灯がたっているだけ。暗い、あたりまえの夜があるだけ。
March 27, 2011
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「○○さん、いつまで寝てんの?」「ほら、起きて早くお風呂行こ」いつもの友人たちにたたき起こされて、布団のなかで、うーんと、ひとつ伸びをした。そうだった。わたし今日、結婚するんだった。独身最後の日を一緒に過ごそうと、友人たちと披露宴をあげるホテルに泊まって雑魚寝して、一晩中話して、温泉につかって・・・。そして今日、私は結婚する。みんなでワイワイと朝風呂につかって、ごはんを食べて。じゃあ、あとでね・・・と友人たちと別れて純白のドレスに袖をとおした。ノースリーブの、襟元から胸元にかけて白い花が沢山飾られている、背中もV字に大きく開いてるドレス。長くてうねうねの髪にも、白い花が飾られている。あたたかな光に包まれて、微笑む私。「今日から、わたしの新しい人生が始まるんだ」鏡の中の自分に言った。・・・・ところで目が覚めた。夢である。とてもあたたかくて、ここちよくて、しあわせな、夢である。ここのところ、夜中でもしょっちゅう余震があるせいか、夢を見ても重苦しいような夢ばかりだったし、うとうとしてたらもう朝だった・・・なんてことが多かった。こんな感じの夢を見たのは久しぶりだ。しかも結婚する夢なんて、記憶するかぎり見たことがなかった。でも不思議なことに新郎はまったく出てこないし、頭のなかにもまったくいない。ただ「新しく生まれ変わって生きていく自分」に幸せを感じているという夢。しかも夢だから、自分がめちゃめちゃ綺麗だ。20代でないととうてい着られないでしょ・・・というようなデザインのドレスで、新しい人生の入り口にたっている幸せオーラに包まれて輝いている。「生き方を見つけて自分の頭で考えて、足で歩き出すことを決めた自分」にでも、お嫁に行ったのかな。こんなときだけど、こんな夢を見てあきれて笑えるような普通の毎日がいいよな、と布団のなかで思った。追記:ほんとはもっとちがう、ちゃんとしたのを書こうと思ってたんですが、あと3行で完結するってところで まめ君(♂の子猫)に肉球でキーを押され、全消去となりました(泣)。その記事は、またこんど。
March 25, 2011
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牛舎の事務所でPCに向かっていると、はるか頭上でがぁがぁ声がする。声はいくつか絡みあいながら、牛舎の上を横断していく。白鳥のようだ。群れで帰っていくのだろう。外に出てみるともう白鳥の姿はない。裏山の向こう側に飛んでいってしまったようだ。と、ひときわ大きくがぁがぁと声がしてきた。見渡してみると一羽の白鳥が低く垂れ込めた薄いグレーの雲の下を、必死に飛んでいる。「待あってよお」とがぁがぁ啼きながら、バタバタ羽を動かしている。「早く来いよお」 「置いてくぞお」 「がんばれ~」先の集団の声が遠くから聞こえてくる。「気をつけて帰りなね」ちいさくなってくかげに声をかけた。今日も雪がちらついている。寒いし、ちらついていた雪は真冬みたいに真剣に降って来た。でもあの子たちは、ちゃんと知っているんだね。ほんの2ヶ月前、こんな風に冬枯れの田んぼにいてごはん食べたり、遊んだりしていたのに寒い風も雪も、まだまだ休んでいきなよって誘うけど実はもう季節は移っていくんだってこと春が来てるってこと
March 24, 2011
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ガソリン不足も手伝って、毎日家でじっとしている。いや・・・微動だにしないってわけじゃないけど。周りでは毎日どこかのスタンドに3時間くらい並んで給油してもらってる人も多い。でも、いかんせん、スタンドまでの距離が遠いため勇気がでない。給油のために並んで、整理券をもらって、あと数台のところで打ち切られて、帰宅途中でガス欠してJAFのお世話になった知人の話をきいてから、よけいに並ぶ勇気がでない。牛舎の仕事と、家事と、ウォーキングで用足しと・・・。なんとなくたまっていた事務仕事もこなしつつ・・・。それと、身辺整理をはじめた(って、おいっ!何する気だ!)どんどん増えていく本とか、CDとか。独身の頃に買った雑貨とか(って、どんだけ物持ちいいんだよ!)なんとなく整理しはじめた。今はガソリンが手に入りにくいので、エサやさんとか機械やさんとかも訪ねてこない。まだ雪があるので、外の仕事もない。毎日ちょっとずつ整理している。どうしてもこれだけは手放せないってものが、ほとんどない。42年生きてきて、結婚してからも13年くらいたってるけど。その間、いったい何をしてたんだろうってくらい。でもなんとなく毎日少しずつすっきりしていくのを見ていると、これからは信念ひとつぶらさげていけばいいのかな・・・なんて思えてくる。よけいなものは脱ぎ捨てて、いままでよりもうちょっとフットワークよく、心の根っこの命ずるままに動けたら、それが自分に合ってるのかもしれないな・・・。子供も、仕事の成果も、お金も(苦笑)なんにも残せなかったなあ・・・なんてときどきどーんと落ち込んだりしてたけど残さなくてもいいか毎日毎日、ただ自分の信じたことを悔いなくやって終わっていくそんなんでもいいじゃないか・・・なんて思えてきた。今日もまた、本を紙ひもでくくりつつ・・・。
March 22, 2011
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今日は朝からお天気がよかったので、ウォーキングで義父母に食料を届けてきた。もともと人気の少ないいつものウォーキングコースは、休日でしかもこのような状態のため、ますます車も人通りもない。静かだ。やわらかく淡い青空が頭上に、どこまでも広がっている。ときどき鳥が啼くのが聴こえる。陽の光に融けた雪が、道に、沢に、小さな水路に流れていく音が聴こえる。ひそやかに、でも確実に、春は近づいてきている。あったまってきた土の匂いと、雪の下から顔を出した笹や青草の匂いが鼻をくすぐる道を歩きながら、私は今こうしていられる自分を思った。光の柔らかさや風に混じる匂いに、季節を感じることのできる自分。少し遅かったけど、ほんとうにやりたいと思えることや、自分の心や身体が発する声を、聴くことができるようになったことや、心から尊敬したり、互いを高めあえるような人達と同じ時間を過ごしている自分。これから歩いていく道は、もっと自分の心の声に耳を傾けて大事にひとあし、ひとあし歩んでいこう。あの地震のあと、ほんとにいろんなことを考えさせられた。「知恵のあるやつは知恵を出そう 力のあるやつは力を出そう 金のあるやつは金をだそう 『おれには何も出せないよ』ってやつは、元気だそう」松山千春さんがラジオで言った言葉。日本中、自分が最大限にできることをやっていけばいい。「これならできるよ」「これならまかしとけ」ってことをやっていけばいいんだよね。それがきっと、手助けになり、手当てになるのだから。生かされている自分の今を、その日一日を大事に生きていくことだって大切なことであるはず・・・
March 20, 2011
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私は高校まで県の沿岸北部に住んでいました。そこは母の実家がある街で、やませの魚くさい霧につつまれた夏でも涼しいところでした。市街地をぬけるとすぐに潮の匂いがして、近くに海沿いの美しい景色が見えてきます。その街にはいまでも親戚や友人が住んでいます。地震直後から自分の電話や携帯が繋がらなかったせいもあり、その人たちの安否がわかりませんでした。関東にいる叔父にも連絡がつかず、大病を患ったこともある人なので心配していましたが、夕べようやく連絡がつきました。どんだけ混線していたものか、同じ内容の同じ時間に録音された留守電が8回、どんどん入ってきました。それでも今朝、実際に叔父夫婦の元気な声を聞いて安心しました。海沿いの街に住んでいる親戚はみな大丈夫で、しかも自分たちの暮らしは最低限なんとかなっているからと、被災地にボランティアに行っているようで、それで連絡もつかないんだそうです。混乱するから個人で勝手に動いてはだめ・・・と言われつづけていますけど、それでもその心意気に感動しました。高校時代の友人で、赤ちゃんを抱えているKちゃんも無事だとメールが入り一安心です。今、小さなお子さんを抱えている人たちはミルクやおむつが不足して大変だときいていたので、ほんと心配でした。でもさすがお母さん、母は強しだな・・・。うちの親戚にはまだ海の近くに住んでいる人たちがいます。牧場主の叔母は海辺の漁師のおかみさんで、数年前に叔父が亡くなったあとも息子さん夫婦と一緒に暮らしています。私も一度、「海のものもあげたいし、遊びにおいで」という叔母夫婦の言葉に甘えて訪ねたことがあります。漁師町なので、家の庭先に自家用車が止めてあるような感じで、海に舟がつないであるんだなあと思ったのを今でも覚えています。「舟に乗ってみるか?」と叔父に言われたんですが、止めてある舟が波にゆらゆら揺れているのを見て「い、いえ、いいです・・・」って言ったのを・・・覚えています。叔父のうちに行くと叔母が小屋でいろんな海産物のお土産を準備していてくれました。「なくなったら、またおいで」とビニール袋にいっぱいのお土産をくれました。その叔母といまだに連絡がとれません。ラジオやパソコンの安否情報を毎日いろいろ調べていますが、見つけられません。ダメもとで携帯や電話にもかけてみてはいますが、やはりつながりません。口数は少なかったけど、私と会うといつも「兄貴を頼むね」と微笑んでくれた叔母。どうかどこかで無事でいてほしいと、祈っています。ラジオ局やパソコンの安否情報はほとんどが、被災した自治体の職員さんがとりまとめした避難所ごとの名簿を、やはり被災地の一般の方が携帯のカメラなどで写して、それを放送したりアップしたりしています。その方々だって、同じように被災して寒い中、充分な食料もないなか、動いてくださっています。そのおかげで沢山の人たちが家族の安否を知ることができています。自分も苦しい状況に置かれているなかでも、そうして動いてくれる人がいる、善意がある。手をとりあって、みんなで立て直しましょう。みんながちゃんと考えて、自分のすべきことをしてくれたら、きっと大丈夫です。
March 17, 2011
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当県を含めた被災地のためにいろいろご心配いただいている方々、計画停電や救援物資、義捐金等ご協力いただいている方々、本当にありがとうございます。東北電力管内でも、日本海側の比較的被害の少なかった地域では、今日から計画停電をしていただけるみたいで、申し訳なく、またありがたい気持ちです。でも頼ってばかりではいけないな。今回の地震で停電になって、いかに自分が贅沢に慣れきってしまっていたかを思い知らされました。スイッチひとつで電気がついて、いろんなものが動いてくれる生活。明るくて暖かくて、自分の足で歩かなくても車がどこへでも連れて行ってくれる生活。(あ、でもこれは田舎の山奥なんで、歩いてすべて用足ししてたら、日が暮れてしまう・・・)いつのまにかそれがあたりまえになってたんですね。停電になったとき、とにかく夕方になると真っ暗なので日中の明るいうちに集中して段取りして仕事して、終わったら暗いし寒いから布団に入るしかない・・・という生活でした。でも考えてみると、それが一番効率的で身体のリズムにもあっていて、自然なのです。電気が復旧したあとも、自然にそういう生活になっています。明るくなってきたら起きて仕事して、極力必要な分だけ電気を使う。それでなくても酪農は、仕事でかなり大きな電力を使うので、無駄をなくして生活しないと。そして、日中の明るいうちに集中力を高めて仕事をして、夕方の仕事が終わったらご飯を食べてお風呂に入って、布団に入る。微々たるものかもしれないけれど、そうしていくらかでも電力を節約できたらいいよなと。日本中で心がけて実行したら、それでもかなり大きいですから。それと今回助けられたのは、保存しておいた野菜とか食料です。うちは恵まれていることに初冬にお野菜を沢山もらいます。「・・・とても食べきれない。でも、腐らせたらもったいない。なんとかせねば・・・。」とあの手この手で保存しておきます。塩漬けにしたり、冷凍したり。去年はなぜか「解凍したらすぐに食べられるようにしといたらいいかも」と思い立って、いろんな大きさに刻んで、料理ごとにすぐ使えるようにしておきました。一日かかりました。でも結果的に、非常時にもすぐに使えて、まだそれで買い物にも行かずに食いつないでいます。うちにあるものでなんとかしのごうと思えば、無理に買い物しなくてもなんとかなってます。(あ、でもこれはあくまでもうちの話)うちの牛たちにしても、今自分の家で採れた牧草が9割くらいの食事になっていて、乳量も7割くらいに落ちてしまいましたが、実は身体に負担もあまりかかってないかもしれません。ただ、乳が沢山出るように改良に改良を重ねているので、草だけだと乳もあまり出ないし、身体も大きくなってきているので維持が大変になってしまっているのです。効率がよくなるのも、便利になるのもいいことだけど、なにかあったときに対応できなくなったりします。今回思ったのは携帯。うちはもともとが自宅が圏外なのでうちにいるときは携帯は使いません。・・・いえ、使えません。それでも今度のように停電になってしまうと携帯が頼りだったりするのですが、いよいよつながらない。基地局がダメージを受けて、被災地のほうでもずっとつながらない状態が続いていましたが、もうちょっと「つながる」っていう基本的な方向に目が向けられてもいいんじゃないかなと。(まったくの素人考えですけど)一台の携帯がパソコンぐらい機能的になって便利になるのもけっこうですが、私のような地域にいるものからしたら、所詮「首都圏」からものを見て、考えて、開発してるようにしか思えない。電波がなければ、なにもできないのだから。もう機能の充実はそろそろいいから、いっそこういう非常事態になったら電波がなくても、充電がきれても使える・・・みたいな究極の携帯を開発してくれないだろうか。不便も知恵をしぼって自分で「自分の生活でもできる効率のいい暮らし方」を作ってしまえば、そんなに苦ではないものだなと、実感として思いました。その分で本当に大変な思いをしている人たちのところに、電気でも食料でもまわせたら、それこそがほんとに効率のいい生き方じゃないかと思います。乗り切りましょう。乗り切れます、きっと。
March 16, 2011
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大地震から4日。当牧場の牛達もエサの制限や牛乳の廃棄を余儀なくされている。だけど被災地ではもっと深刻な状況があるようだ。地震がおきてからずっと、地元の放送局がラジオでいろいろな情報を流してくれている。病院や施設の利用者さんの状態や、安否の確認を呼びかける伝言板のようなこと。そして実際に局の人が被災地に行って現状や、今不足している物資等を見てきて、その情報を流したり。また被災地から内陸に物資や灯油やガソリンw調達に来た人たちが局に立ち寄って、なまの現状を訴えたりしている。電気が不通のあいだ、私もずっとその情報を頼りにしていたし、今も仕事のかたわら聞いている。そのなかで今日、被災地からきて局に立ち寄った子供をかかえているお母さんが話していたこと。救援の物資は最低限届いてはいるものの、一日におにぎり1個から2個、それにわずかなおやつだけなので、お子さんがいるところはお母さんはほとんど食べていないという。紙おむつやミルクも不足しているし、毛布やストーブも充分ではないため、おなかをこわしたり風邪をひいてしまう子供達もいて、診てもらっても帰されているという。もっと重症な患者さんが優先だから。子供がいればおかあさんは我慢するもの。風邪ぐらいなら我慢するもの。毛布やストーブもあればいいと思わなくては。そういう人もいるかもしれない。でも、これから長い避難生活が続く中、お母さんが倒れてしまったら大変なのだ。子供達だって、風邪をこじらせたらもっと大変な事態になるだろう。ラジオを聞いていて、自分のところにある衣類や布団や暖をとるためのもの、食料なども持って行ってあげたいと思っている人達は沢山いる。「運ぶくらいならできます」とか「もって行ってくれるところがあれば協力したい」というリスナーの声もかなりある。私のところにも来客用の布団とか、防寒着とか、考えればいろいろ使ってもらえそうなものは沢山ある。だけどガソリンが不足しているうえに、緊急車両以外は入れない。もしかして県庁とかが窓口になって受け付けてくれて、県の緊急車両がとりまとめてもって行ってくれないだろうか・・・なんて考えて調べてみたけれど、いっさい受け付けていないとのこと。個人からの救援物資は、過去に汚れたままのものが送られたというような例があるからなのか、受け付けていない。でも、内陸から持っていくのは一番近いし、早いと思う。現に被災地から来ている人もいるのだから。今、必要なんだから。県や他の市町村も懸命に動いてくれていると思うけど、なまの声はどのくらい届いているのだろうか。いろんな事情もあるのかもしれないけど、もう少し臨機応変に動けないのかなと思う。長い目で見ることと、今必要なこと。その両方を見なければ。近くて遠い被災地を思うと、自分の無力さがもどかしい。でも、自分なりにできることを考えます。
March 14, 2011
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toughgirlです。ご心配いただきましたみなさま、ありがとうございます。地震直後から今日の夕方まで停電だったため、書き込みが今になりました。私がいる地区も立っていられないくらい大きな揺れがあり、これまでにみたことがないくらい牛舎も堆肥舎も揺れました。停電になってしまったので明るいうちに大急ぎで牛のエサを準備して食べさせました。地震があろうが停電になろうが、牛の世話に待ったはありません。あまりの揺れに牛は総立ちになり怖がって啼き、バタバタ暴れたり腰を抜かしたようにぐったりしたり・・・。水を汲み上げるポンプも動かないので水も飲めなくて啼き続け、夜もかなり大きな余震が続いたので怖がってまた啼き続け・・・。牛にとってもかなりのストレスです。いつものんびり寝ている猫たちも、揺れがくるたび右往左往し、足元にくっついてじっとしていたり、不安そうに顔をのぞきこんだり・・・。仕事が終わって服を着たまま横になっても、大きな余震が何度もあって眠れない。翌朝、近隣の酪農家さんから発電機をお借りしてようやく搾乳ができました。ただし、水がだせるのも発電機がある間だけなので、それにあわせてエサを食べさせ水を飲ませます。電気が来なくて夕方なんかは工事用の大きなライトをつけて、頭にもヘッドライトをつけて暗い中でも淡々と作業している自分。いつもと雰囲気が違って不安げな牛たち。一日仕事が終わるととりあえず家の中にあるものを食べてうとうとし、余震で目が覚める。こういう生活がいつまで続くのだろう。こんな調子で牛はもつのだろうか。エサだって限りがあるし、食べさせるものがなくなったら・・・。不安だけど、やはりいつもどおりの作業をしなくては・・・。牛が体調を崩しても、獣医さんにすら連絡できる見込みもない。そんな繰り返しが丸二日して今日の夕方、ようやく電気も復旧してテレビをつけて立ち尽くした。こんなことになっていたなんて。家が車がどんどん流されていく。町中が泥に埋まり、沢山の命が奪われた。停電の間、牛舎にある小さなラジオだけが情報源で、大変な状態であることは分かっていた。いや、わかっていたつもりでいた。でも実際に目の当たりにすると、もう想像以上で胸がしめつけられた。高校まで沿岸で育った私にとっては、美しい海沿いの風景が一瞬にして変わり果てた姿になり、その海を見ながら毎日を紡いでいた人たちの生活が、命が、なくなってしまったことは本当に信じられなくて、心をえぐられるような思いです。この二日間で、いろんなことを考えさせられました。蛇口をひねれば水が出て、買い物に出れば必要なものがすぐに手に入って、お風呂に入って身体を暖め疲れを癒し、あったかい布団で眠れる。そんな「なにげない日常」というとても大きな幸せ。大切に想う存在と顔をあわせ、コトバを交わしたり、気持ちを通わせたりできる幸せ。本当はいまこうしてパソコンに向かっていることすら、あたたかい部屋にいることすら、被災地の方々に申し訳ないような気もしています。でも、今自分にできることは何か考えて、ささやかでも実行していこうと思います。被災地のほうから、私の住む内陸にまでいろんなものを調達にいらしている方々もいるとのこと。その方々にいくらかでも物資や食料やガソリンが届けられるように、無用な外出や買い物は控えようとか。自分の体調や生活や仕事をしっかり管理したうえで、力になれそうなことを探そうとか。まだまだこれからいろいろ考えてみようと思います。被災した方々にお見舞い申し上げます。そして、亡くなられた沢山の尊い命にせめて安らかにと祈っております。
March 13, 2011
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今日は、啓蟄。虫も土の中から出てきて、ようやく春ですよ~という日。当牧場付近は、吹雪。降ったり、止んだり、照ったりの一日。春はまだ遠いかぁ・・・って思ったけど、けっこう降った雪が積もらない。融けている。地面はあったまり始めているのかもしれない。
March 6, 2011
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今日、ふと思い出した。昔、デパートの食品売り場に、こまごましたお菓子を乗せてメリーゴーランドみたいにぐるぐる回ってた機械があってそこで1個か2個ずつお菓子を何種類も買うのが楽しみだった。もっともそんなに頻繁に、デパートなんて行けなかったから年に1回か2回、家族と行ったときにそこでお菓子買うのが楽しみだった。とはいっても子供の頃から、あまりお菓子は食べなかったのでほとんどが母と父のおなかのなかに消えていったのだったが・・・。まだあんのかな、あのメリーゴーランド。あるなら行って、また買ってみたいな。そこで買い込んだお菓子を広げて、友達とかとワイワイ、おしゃべりしながら食べるのもいいなもしくはそこで買ったお菓子を持って日が暮れるまで河川敷とか公園とかで、おしゃべりデートもいいよなあなぜか急に思い出した記憶の中でキラキラ光って回っているあのお菓子をいっぱいのせてたメリーゴーランド
March 3, 2011
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今日から弥生3月。春ですねえ・・・。・・・といっても岩手は今日から雪が降ってます寒いです・・・。まだ春は遠い感じの岩手ですが、ひとあし早く春を感じるときがあります。和菓子屋さんの店先で、これを見つけたときです。道明寺です。私は子供のころからどちらかというと甘いものが苦手でして。高校のとき茶道部に遊びに行って生菓子を頂くときも、いつも言い訳程度に口にしてあとは懐紙に包んで母のお土産にするような、若い婦女子にあるまじきタイプでした。そんな私が唯一食べたいなと思うのが、春まだ浅い時期に出てくるこの道明寺。このほんのりやさしい桜色、ちょっと塩気のある桜の葉、道明寺っていう名前。春がきたなあ・・・って思うんです。道明寺に限らず、生菓子やお干菓子も春めいた美しいものが沢山並びますよね。見ていて、幸せな気分になります。この国に生まれてよかった・・・と思いますしかも最近、ちょっとだけ甘味もいけるようになりました。大人になりました、私でも、40過ぎたら体重がおちにくくなる・・・ってときに目覚めていいものやら・・・
March 1, 2011
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