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ムアンとは町のことである。あら、ドンムアン村は、町の村かい?ワットムアン3終わって、次に言ったのがWATKAI。まだ行くのあなたと、タクシー運転手に呆れられながら、行くよ、マジに、ということである、そおは交渉であり、アユタヤ観光は別にいいよ、ということである(チャーター時間が余ったから3箇所ほど行ったけど)ワットカイのカイは、要は鶏である。カオパットカイのカイである。まずはオシッコ漏れそうでトイレ行くんだが。トイレと合体してて要は駄目なシト。まずはオシッコ漏れそうでトイレ行くんだが。駄目だけど、めくるめく快感。ギターだろ。 拷問系は私あまり好きじゃない。駄目だけど、めくるめく快感。挑み。やめろや。 生木にやちゃう?人口処置。好きなの?痛くない。痛くない。こりゃ失神やね系髄キック、さすが、ムエタイの国。ア、ピール!いっちょまえやな。首、いきすぎ。ア、おもしね! たぶン、カラオケ。 準備体操 そのわけの分からん舌何なの?舌共有?微妙だから?(それでも、無意味に大人しい猿がイッパイいます)暖まりにタイへ 久しぶりのタイへ ワットムアン続き ワットムアン地獄に急ぐ ワットムアン2 ワットムアン3 ワットムアん5 ワットムアン6 ワットムアン地獄以外 ワットカイ2 ワットカイ3 27年ぶりのアユタヤ 仏陀は開眼する オマケ涅槃 あまり画像 タイgourmetの旅 アユタヤ→バンコク バンコクチャイナタウン バンコクから帰国
2016.03.31
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アップの速度が加速度的にトロかったので、既に正月といっても、1年の4分の1を終了する勢いで光陰矢の如しである。トルコ イスタンブル イスタンブル空港で数時間待つだけ倶楽部。ラトビア リガ1ラッツ200円程度、(しまった、2,3年前にユーロに変更)空港→リガ市内 バス22番最終00:45。バス停は、到着ロビーから出て、そのまま駐車場を突っ切っていったところ。20分毎所要時間30分。スーツケースは追加料金要。小型バスはAirBalticのシャトルサービスで、Reval Hotel Latvija-空港間を30分間隔で運行、5ユーロ。タクシー(15−20分)。 ラトビア観光局 地球の撃たれ方、リーガ MOTOR MUSEUM BUILDING No admission fees Open only on working days, from 10.00 a.m. to 5.00 p.m.Address: S. Eizensteina Street 4 Riga, LV 1079, Latviaバルト諸国でも屈指の収蔵数を誇る自動車博物館。旧ソ連時代の車が、多数コレクション。ブレジネフが、交通事故を起こした時を模した蝋人形有。パウルス・ストゥラディンシュ医療史博物館Paula Stradina Medicinas Vestures Muzejs 11:00~17:00 木11:00~19:00 休業日:日、月、祝および毎月最後の金火薬塔・ラトヴィア軍事博物館 軍事博物館内の衛兵は蝋人形KGB Building in RigaBrīvības iela 69 (The corner of Brivibas and Stabu Streets, around 1 kilometre east of the Old Town)Monday, Thursday, Friday: 10:00 – 17:30Tuesday: closed Wednesday: 12:00 – 19:00 Saturday, Sunday: 10:00 – 16:00Museum of the Occupation of LatviaRaiņa bulvāris 7, Rīga, LV-1050, Latvijaドイツ フランクフルトルクセンブルグ ルクセンブルクフェンデル空港→市内 9番、16番、114番バス。1時間に約5本(日曜2本)、所要時間は約25分、2ユーロ。リヒテンシュタイン ファドーズリヒテンシュタインへの行き方リヒテンシュタイン・バス(LBA)|Liechtenstein Bus Anstaltチューリッヒ中央駅とクールを結ぶ途中ザルガンス(Sargans)駅からリヒテンシュタイン・バス11番が首都ファドゥーツ、シャーンの市街地を通り再びスイス領内のブックス(Buchs)まで運行。ザルガンス駅からファドゥーツ中心部までは約30分程度、ブックスSG駅からは約25分。ザルガンスまではチューリッヒ中央駅から乗り換えなしのICクール行きで55分、IRクール行きで1時間7分。 または、チューリッヒからオーストリアのインスブルック、ウィーン方面の国際列車→ザルガンス経由でブックス(約1時間10分)。ブックスからは郵便バスでファドゥーツまで約17分。このブックス~ファドゥーツ間が郵便バスの本数が、リヒテンシュタイン国内では最も多い区間。バスのチケットは運転手から購入可能。ザルガンス〜ファドゥーツはCHF5.80、ブックスSG〜ファドゥーツはCHF3.40。にスイスやリヒテンシュタインのバスは、「ポストバス」と呼ばれている。ファドゥーツ市街地|Vaduz バスでザルガンスかブックスからファドゥーツに入る場合に最も中心部にある停留所は郵便局前(Vaduz Post)。停留所からメインストリートのシュテットル通りに出ると、郵便局、郵便博物館入場無料、インフォメーションセンター、そして山の上のファドゥーツ城とみどころ全部が見えてしまうコンパクトさ。インフォメーションセンターでは有料(CHF3.00)で入国スタンプをパスポートに押してもらえる。スイス チューリヒ Bruno Weber Park Zur Weinrebe CH-8957 Spreitenbach (Zufahrt via Stadthalle Dietikon)火曜から金曜. 09.00 h - 12.00 h 冬季休みですやん。チューリッヒから電車でディーティコン(Dietikon) そこから303番のバスでBahnhof下車。 ホテル ドゥ グランド ラック エクセルシオール モントルーにあるスパホテルは 3km 圏内にモントルー カジノ、フレディ マーキュリー像、マルシェ広場、シヨン城などの見所。セルビア ベオグラード 1セルビアディナール=1.08円 100=0.82ユーロ空港では、ボッタくり防止として到着ゲート正面のタクシーサービスセンター(Taxi Info)でチケット購入。行き先と金額が記載されたチケット(ここではお金は支払わない)、係員と共にタクシー乗り場へ行き、ドライバーにチケットを提示。空港~ベオグラード中心地は、1,800ディナール=約15ユーロ。【シャトル バス — A1】乗り場 : 到着ゲートから外に出てすぐ左側 運行 : 20分間隔(早朝~夜間まで。夜間は便数減る) 停車駅 : ニューベオグラード — 鉄道駅 (ベオグラード) — スラビヤ広場(ベオグラード) 料金 : 300ディナール (バス内支払)所要時間: 30~45分。飛行機博物館 トルコ イスタンブル 以上、マトメ!(になってない!)2016正月ラトビア・ルクセンブルグ・スイス・リヒテンシュタイン・セルビア 日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.03.30
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東京ラブストーリーの舞台らしいで。しまった、忙しいのに、最後まで見てしまった!(暇か?30分22秒のところ)リカがカンチに別れの手紙出したポストとのこと。違う感じですなあ。何せ、バルブの頃だったからねえ。漫画(スピリッツ1988年)ではちょと見たが、ドラマは見たことない。それにしても、鈴木保奈美の顔忘れてたで。しかし、服装がなあ、バルブじゃないなあ。 あのときは、消費税なかったねえ。また上がるのかねえ。アベノミクスは、金融政策に手を出したところまではまだ良かったのだが、消費税アップが全てをだめにした。また財務省のいいなりで、上げるのかね。政府は嘘ついて、1000兆も借金あるから消費税上げナアカンって、ご冗談を。全部売り払えば200兆円ぐらいになるけど、そうしたら天下り先がなくなるからね。成長による増収狙えよな。あれから随分年月が過ぎ去り貧富の性激しくなった。一億総中流が馬鹿にされてた頃が懐かしいね。ちなみに、20歳以上で働いている人のトップ1パーセントって、1300万円、トップ3パーセントで800万、トップ10パーセントで600万円、うわあ、厳しいなあ。しかし、全体でいうとトップ1パーセントは1500万円、トップ4パーセントで1000万円・・・あれから日本人口も減少した。経済力も衰える一因だが、人口減少しても成長している国あるんだぜ。そういえば、政党もアレカラコロコロ変わるね、4年以上存続している政党、民主党しかないんだねえ。これじゃ、自民党に対抗もなんもできねえよなあ。2016年愛媛 宇和島(リンク) 内子 (リンク) 内子 飽きないと暮らしの博物館(リンク) 大洲 東京ラヴストーリー(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん2(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん3(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん4(リンク)
2016.03.29
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今も体は中年、思考は老人、精神状態は子供のまま、といえば、そうなのだが、おばあちゃんの葬式を姫路で終え、神戸の実家まで家族で戻る。運転するのは、私だが、車は、デミオかティーダか、ノートか何だかそういうやつである。いちいち覚えていないが、親父は新車に買い換えるのが趣味で、車検がくるたびに車を買い替えていたので、いつも何に乗っているのかさっぱり分からないという致命的な特徴がある。私は、20年ぐらい同じ車に乗っているような気がするが、多分15年ぐらいである。まあ、実家で黒ネクタイ外して、ビール1パッケージお土産に貰う。実家に行けば奪取せよじゃないが、勝手にくれるオートマチカリーシステムである。何のお土産やねんだが。 まあ、それで実家に行き(実家といっても、数年前に新たに購入した家だが)、皆を降ろしてフト見上げると、いつもの鉢伏山の展望台が見えた。ウムム、前に行ってから10年が経過しているので、更なる経過観察が近日中に必要とされるのではないかと思うのであった。ただ、懐かしみのためだけに。 何セ、小学校4年や5年の頃は、土曜日の昼からは、いつも山に行っていたのである、展望台に数百円持ってゲームしにな。毎週バイトもしないのに数百円溜まるのは、まあ、オヤパチしかない。財布ではなく、ジャリセンがいっぱい入っている箱があったのだ。罪深いことを今謝ります。多分、総額2、3万円ぐらい失敬していると思います。2、300円も2年ぱくれば300円×1年50週かける2年=3万円ですね。あー、お年玉も随分つぎ込んだ小学校中学年時代ですな。昭和50年代、テレビCMまでしていたんだぜ。ドレミファ噴水パレス。すげえ、華やかやな、山の上で。そういえば、よく音楽漏れてきてたな。最終公演で無料で初めて1回だけ入ったなあ。後年ミュージカルが好きになるとは思いもしなかったものなあ。小学校時代は、土曜日は午前中の4時間で終り、4時間目には、もう腹が減って仕方なかったような気がする。中学校、高校も土曜日は午前中で終りだったが、中高は午後は部活動なんで、まあ、そんなに嬉しかった記憶はないが、小学校時代は、ゲームしに行こうぜ、あの山頂へ、である。2つほど年下のガキ2人連れて(俺もガキだが)、アソビに行くのだよ。お前ら元気か?オレは普通。 半年振りぐらいにたまたま来る。というのも、仕事でこの近くを通ったときに、オレの実家の近くやな、ちょっと寄っていい?と聞きながら寄ってもらった。ちょっとこの風景みてくれ。「アレが明石海峡だが、昔はなかった。それと、この樫の木見てくれ、俺がガキの頃に良く登っていた木だが、いまや無残に切り刻まれながらも、小さくなって生きている。ここでオオクワ(大クワガタ)とったこともあるんだぜ」、などと言っていると、なんだか、幼少期の自分をパノラマ的に紹介している感じになってきて、「オレと付き合ってよ」、とかプロポーズの前提ね、みたいな感じになってきた感じがして、すんごく恥ずかしくなってきて、じゃ、戻ろうか、と何だか途中で切り上げるように車に戻り会社に戻る。「こんないいところで育ったんですねえ、いいですねえ~」とか言われると、余計に意味なく急速に恥ずかしくなり、オレ、何懐かしズムを語ってんだ?という恥ずかしい気分になるのであった。それでも、ここ宅地造成大林組、宅地開発事業主トーメン(今は合併によりなくなった商社)によって山を切り開きニュータウンにするまでは、鬱蒼とした森だったのだ。まさしく、ガキの探検地域。実際に山モモ、ヘビイチゴ、筑紫、セリ、椿の甘い蜜、自然の琵琶もあったなあ、そういったものを季節によって採りに行っていたので、まさかこれが後年市場で売られているとは、びびった訳だ。こんなのタダだろ?おやつだろ、と。でもあまり関心なかったので、いつの季節になったらこれできるなはなく、気がつけば、あ、生えてるジャンなっているじゃんであり、まあ春とか秋がメインであった気がする。 そういえば、スーパーでさえ、ヤマモモ、もう売ってるの見かけないよねえ。産毛のようなのが懐かしいね。山ももとかヘビイチゴはそのまま、その場で食い、芹とか土筆は何だか大量に煮て、ニガイ、美味くないなあ、と子供心に思った記憶がある。芹やつくしは親の命令で採りに言ってった~ナな。はかまと呼ばれる葉を手でいちいちそぎ落として、大胆に煮ちゃうんだよなあ。佃煮だよ。これが子供心に、まあ、イマイチ感満載だったな。だって量多いのだもの。(今食えば、絶対ウマイと思うな。)豆苗のニンニク炒めみたいな感じじゃね?台湾で食べるとうまいやつ、いや、違うなあ、土筆には苦さがあるからなあ。豆苗は、割と皆大人になると気に入る食材であり、台湾に行った時、俺が最初に頼むと、次回から誰かが、タマランから豆苗お願いしますと、また頼んでいたからねえ。でも考えれば、山が海に迫っていて、山人間海人間になれてよかったよ、そのくせ都会(でもないけど)、神戸100万人都会都市の一員だったからねえ。残念ながら、ただのいい人には育たなかったけど。いちいちそういうのに興味ないからね。適当に生きていけてお金貰って感謝だわ。努力せなあきまへんかね。鬱蒼とした森の時代、木のぼりの最初の枝に届くのは無理があったので、親父が、気の枝に足がかりを針金と廃材で作ってくれた。それで、十数メートル上まで登れるようになった。その樫の木が今、まだ小さくなって生きている。工事の人が、多分、公園造成のために、大木をいくつかチョイスしたのだろう。木は持ってくると、案外高いのである。案外というかかなり高額である。そこに生えている大木を埋め直すだけのほうが安価であり、それでも、かなりの金額になりそうだと思う。この木が元々、この森にあり、主であったと記憶する人間は、もう少数派であろう。同年代でも、誰も知らないのではないか、私も、初めコレを見たときに、ピーンと来たが、それは多分、同年代ではオレだけかも知れない。もしその記憶を当時大林組の施工者責任者と話できたら嬉しいだろうが、あれはもう30数年前、責任者はまず引退しているか、下手すればもう亡くなっているだろう。明日仕事やから早々に帰るよ。 久しぶりに従兄弟と会ったのにほとんど何も話しなかったような気がするなあ。従兄弟の嫁とも一言も喋らなかったし、じょせいのいとこ、旦那が来てなかったからかもしれないが、結婚しているのかどうかも分からなかった。全く、いとこの息子娘には、いとこは「いとこで海外に住んでいる人がいて、その兄は常にフラフラしている」と吹聴していると思われる。俺はフラフラしてない、もうこの葬式で休んだ日除いたら3月の中旬から会社休んでないんだよ、ピシーッやんけ。世間は3連休だったからな、おばあちゃんなくなって、まずいとこたちが思ったことは、「トイモイ兄ちゃん、3連休もあったら日本にいるはずがないわ。葬式来れるのか」ということだったらしいが、なまいってんじゃねーよ、3日とも仕事じゃい、である。不毛、不毛地帯である。産毛ではなく、おっさんのモジャモジャ毛である。
2016.03.28
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チューリヒ中央駅を出て、180度戻らないと宿に迎えないのだが、ここは直進である。 前に来たときにも寄った駅前コープに再度行き、ビールと夕食を購入。大きな声では言えないがクスクスである。リマト川が、駅前を流れる。飲み屋街ニーダドルフ通りを歩くが、前にも歩いたわ。スイスの美しさに、そのどす黒さが何となくムカつくんだよなあ。抜けろ、オーラ。 Fraumünster Church足のつま先が凍りそうだ。小学校の時、山の上で新年ご来光を見たとき、待っていたときの足先の冷たさを思い出すよ。 よく、日本に来た旅行者は、静かだ。という感想を見かけるのだが、ヨーロッパも十分静かに思う。日本が電車でも町でも静かなのは、あまり他人と関わりたくない、スマホに忙しいといった感じで、確かにクラクションなどの音はあまりなっていないが、変わりにどこもかしこも無意味なアナウンスが流れていて、あれは耳障りなのでやめたほうがよいと思うのだが。痴漢は犯罪です、やめましょう、みたいな痴漢が聞いても何とも思わない放送や、ドアに引きこまれないように注意とか傘をお忘れにならないように、とか、おせっかいというか、放送している人も、まじめに心配しているわけでもなく、責任転嫁というか、今までエレベーターの黄色い線を踏んでいて巻き込まれて、何で注意喚起の放送がなかったんじゃい!とクレーマーの餌食になったことがるのだろうか。あとは景観を害するポスターや立て札ね。アアいうのを見ると、日本は権力が強い国なんだねえ、と思うよな。無意味なことをやらせるのが権力だものね。大抵の国は、だまって列車は発車し、駅に着く時は何も言わないか、駅名しか言わない。 こういうのは、いきすぎると、怖いからね。風評被害なんかあったね、チューリッヒ、どうでしたか?どちらかとというとホテルに篭ってますね、これ他の国も同じですね。街に出ようキャンペーン張らないといけませんね。日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.03.27
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タイのワットムアンもシリーズ6回目にしていよいよやっとのことで終了である。喜ばし事である。ワットムアンについて、タイ国政府観光庁ホームページより(ちゃんと日本語向けででも紹介されている)アユタヤに隣接するアーントーン県の水田地帯にそびえ立つ、幅62・高さ93メートルの黄金の巨大仏像が目印の寺院。もともとアユタヤ王朝には、現在の場所に寺院があったようですが、ビルマ軍の侵攻で破壊され跡形がなくなってしまいました。1986年、後に初代住職となるルアンポー・カセームが修行のためここを訪れその静粛さが気に入ったとして、寺院を建立しました。16年間をかけてつくられた黄金の巨大仏像とともに、お釈迦様の一生を描いた壁画のある大きな本堂、そして地獄を描いたレプリカなどが有名です。Moo 6 Ban Hua Tapan, Wisetchaichan, Ang Thong アントーン市街から西へ約8キロメートル 035-631-556駐車場 オレのチャーターした車を紹介。まあ、ひとことでいえばドラエモン号で、どこでもドアで日本から来ました。誰もパスポルテチェックしないでくださいね、という奴である、考えたら戦争に行ったやつらパスポート関係ないねんね。ベトナム戦争、誰もベトナムのビザとってないよね。イラク戦争、誰もイラクのビザ取ってないよね。 トイレ。水の出るところがオサレ。 弱いものいじめ さて、やっと、次の場所(観光地)に移動。金のたまたま 金のうんち嬉しそうに写真撮る女性、既に拷問後ですか?ジーンズが破れキテマス。サイなら~、次なる地へ。ワットムアンでした。次回予告、え、また地獄かいな~。次回も地獄寺院である。またかよ、またなんです。暖まりにタイへ 久しぶりのタイへ ワットムアン続き ワットムアン地獄に急ぐ ワットムアン2 ワットムアン3 ワットムアん5 ワットムアン6 ワットムアン地獄以外 ワットカイ2 ワットカイ3 27年ぶりのアユタヤ 仏陀は開眼する オマケ涅槃 あまり画像 タイgourmetの旅 アユタヤ→バンコク バンコクチャイナタウン バンコクから帰国
2016.03.26
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2を掲載したのもちょっと間が開いた感じだね。黒扇風機の時代には生まれてはいないが。 特別席な感じの床屋にも言ったことはないが。 ガキノ頃、友達の家に遊びに行って、そこの親父が警察のえらいさんで、手錠持ってきて、手錠をかけてくれた。子供だから、手首や手も細く、するっと、抜くと、親父は、「あっ」といいビビッていた。 このような陳列の駄菓子屋はなかったが、駄菓子屋はあった。10円で物色するガキノ時代が懐かしいかというと、なんだ、飲みに行ってどんなけ金使ってるねん、それでお小遣い10円かい!って、まあ、インフレもあるから、100円かい!って世界である。さすがに、私の時代も5円台の菓子はなかった。10円だ。いやひとつだけあったな。ストローみたいなのが中にゼリー状なのが入っていて、それを1秒で飲んでしまう、あれ5円やったわ。ビスコは食べなかったわ。グリコだけや。縄か?大人のおもちゃか。コマ回し、わしらの時代は普通にあった。今は子供との接触がないので知らないなあ。 虫下し、さすがになかった。王将っていうアイスクリーム当たり棒(もう一本もらえる)が何故か右端奥に集中していて、3回連続して当たって、駄菓子屋の親父(ヒシヤ)に今度は交通事故にあうなよ、と諭された小学校低学年時代。野球帽かぶってたよなあ、小学校の時、12球団のマーク全部縫い合わせて通ったなあ。オマエ何ファンやねん、という批判にも耐え、そら帽子正面の阪神ファンやで、と答えていたが、当時から野球オンチで田渕しか阪神の選手は知らなかった。カケフだったかもしれない。アトムの時代は、私の時代ではないが、明るい未来像だったなあ。 カルピスの贈答品はあったあった。原液に5倍ぐらいの水を入れて氷ぶち込んで飲んだ子供時代。薄い?だって甘すぎるじゃろ、そのまま飲み方解説書読んだら。ダッダダーの時代だたんだぜ。 靴は靴屋にしか売ってなかったような。前ゴムやろ、わしらの時代。空気入れはあった。フーアーユーボタン屋というのはあった、確かに、オカンに何度も何の何という番号を渡されて何度もボタンを買った。今、シャツや背広のボタンが外れまくれ、何だかおかしな状態になっているが、そのうち縫おうかなとか思いながら気にしていないところが問題だ。マジンガーZの最後が酷い、グレーとマジンガー助けてだった。今じゃ放送できないな。だ。誤レンジャーはねえ、紅一点の始まりか。ピンクレディ009は、漫画だけだな、俺の時代いやはや昔はボインダーやビジンダーとか、今では問題になりそうなの、平気であったよねえ。マア、オレは何でもいいけどさ。2016年愛媛 宇和島(リンク) 内子 (リンク) 内子 飽きないと暮らしの博物館(リンク) 大洲 東京ラヴストーリー(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん2(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん3(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん4(リンク)
2016.03.25
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足の太さと長さが同じ女性が2人歩いているのか、大また女性が一人歩いているのか、それは記憶にない。寒空マイナス七度のところを歩いていると、薄着のマネキンが羨ましくもある。鋼鉄の処女じゃないか、惹かれて行ってみると、門は閉まっている、真っ最中なのだろうか。うまく、顔描けましたね。首離れてます。テラスで動きません。休み。ナイトショークラブか。フワフワ飛んでいる物体を見かけたんで、急いで写真に撮ってみるが、何だか分からぬ。日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.03.24
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●会館の親族控え室で、ひたすらマッサージ機に横たわり、マッサージを機械に施術される私であるが、告別式まであと2時間、そろそろ人は集まってくる、といっても、私は親戚でさえ、誰がどの方だか既に分からぬ状態であり、従兄弟の子供たちも初めて見るような気がしたが、気がしただけで本当に初めてであり、もう中学生というのに、やはり10年以上正月にも田舎に近づかないと浦島太郎というか、あら?今気がついたが、ガキどもにお年玉あげたことないぞ。そら向こうも覚えてないてか、知らない怖い寡黙なオッサン現るであり、傍若無人のガキ共も、オレには恐れをなして誰も近寄ってこない。 もとより、従兄弟らはガキに、トラベラーみたいなことを吹聴しているみたいだが、そんな職業内って。考えたら、オカンの妹に会うのも10年前におじいちゃんが亡くなって以来である。久しぶりやナア、といわれ、相変わらず、昨日まで会ったように、オカンの弟だけは、面白そうに話しかけてくる。オマエ、数珠の持ち方間違っているぞ、他で恥かくぞ、お、ほんまや、間違ってるやん、自分で今更ながら気がつき、力なく笑い、星月菩提樹の話となる。インドで見るのは、金剛菩提樹である。あと白いのが天竺菩提樹、さすが、仏壇屋一族である。まあ、おれは亜流も亜流、一切その仕事にタッチしたことはないが、というか、18歳インドに行って初めて菩提樹というのを知ったというか、ボダイジュとカタカナで知ったぐらいだ。といいながら、おれの持っている数珠は、まるで女性用、瑪瑙とか翡翠とかシロサンゴみたいな仲間の一種か、アイアンタイガーって・・・。石は数珠を切ってしまうからな。オカンの弟は警告してくれながらも、それ、いいな、とチョトダケ羨ましがっていたのが、可愛らしい。(ネットで調べるとオーストラリア産の石らしい。仏教関係ないじゃん)11時告別式は始まる。99歳であるから、とっくに現役引退であるが、通夜には200人弱、告別式には50人ぐらいが参列している。ここは、おじちゃんと同じところだったのかな、と思い始めるも、やっぱ違う気もしながら告別式は終了し、お棺を運ぶ一員となる。参加する親族の葬式は常に一員となる。でも6人で運ぶと、軽すぎて、これでいいのかなと毎回思う。葬儀場は5分で到着し、骨上げは2時間弱である。最後におばあちゃんに挨拶する。99歳、大往生だよね。皆、もう会えない哀しみを持ちつつ、何ていったらいいんだろう、長生きできてよかったね、なのか、ボケなくてよかったね、なのか、複雑な感情もあるんだねえ。最後のおばあちゃん、おじいちゃんとほぼ同じ顔だった。2時間弱の間に親族は、会館に戻り、食事があり、割と豪華な食事(豪華とは細かいのがイーパイあるてことね)があり、割とワイワイいいながら食べていたが、私は誰も知らないので無言で食す。オカンが出てきて、ビールを一人なんとなく飲んで、あんた今日運転か?あそう、ジャ駄目ね、と意味なく中便空けた。各自車で焼き場へ向かい、骨上げに立ち会う。さすがに99歳、焼きあがりも一般よりちょと早く、ウーン、いつもより骨なかったかな、どうかな、というところ、何度か昔、隣の骨上げ見て、若く死んだ人のは頭蓋骨が丸く残っていたり、あれは多分子供が死んだのであろうか、名前を呼びながら泣きながら父母が骨に走って行くシーンも見た。そういうシーンを見ると、こちらは、かわいそうに、若かったんだろうね、など呟く。こちらも寂しいがこちらは、規則的な死の順番だから。骨を潰しながら、足から順番に解説されながら、ちょとづつ骨を壷に入れて行く。順番も順番がなくなり、何度か骨を入れる。それが布に包まれ、終了である。次はお寺に行く。お寺さんはさすがに仏壇屋だけあるのか故意にしているところというか、この漆塗りから再演箱まで当社作成のものであった。10年前におじいちゃんが亡くなった時はインドの話をされたが、今回は、彼岸だったので彼岸の話をされた。仏教では、死の向こうを渡って到達するアッチの世界悟りの世界を彼岸といい、その反対側の現世の迷いや煩悩に満ちた世界を此岸(しがん)という。そして、パーラミータという言葉をお話された。アッチに至る過程というか道というかそんな言葉であった。 そのあと、皆さんで、本が配られ、大谷派の勤行集を10数分に渡って読み合わせる。こんな感じで、割と皆適当に共有していくのだが、こういうのは、トリップの世界だよね。 今日は急遽会社を休んだのでアるが、1時間ぐらいいろいろ早く終り、もう親戚一同集結もいいだろうということで、実家に戻ったのが5時か6時であった。なんだか昨日イギリスから来たから割とジェットラグ。ネット配信でブリュセルの空港や地下鉄がえらいことに。ワシントンDCに行くときに利用したよ。それで、まあ、最後バン飯でも食べるかと、回転寿司に行った訳。ほんま、オオトロ100円セールって、何回食べよるんじゃい!(オレは3回)オカンと妹は死ぬほど回。 それでクリスマスプレゼントとか誕生日プレゼントとか(妹の子供の誕生日、東北大震災の日)とか妹に詰められて、妹、ほんまアカン奴やなと思いながらトイザラスに行って何だかどんなけ買うねん、みたいな感じとなって、俺帰るわと全部金払って帰るわ。でも5歳だから微かな記憶残るのかも知れないなと幽かに思う私であった。5歳の子供、今日何があったか分かってんだか・・・おばあちゃんがいなかったら、あなたはいなかったのだよ。まあ、いいけど。まあいいけど、分かってないよねえ、分かるのは、ウーン、10年後?
2016.03.23
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特にすることがなかったので、夕方と昼間に行った次第。 全然関係ないのだが、急に、昔、ニュースステーション(古館の前ね)でダイオキシン、ダイオキシンと叫び、所沢で何だか大問題になったことがあったよねえということを思い出した。あれは何だったんだろう。結局ごみ焼却場は、そんなに火力の強いものじゃなくてもよかったとか、ダイオキシン、大騒ぎするものではないと分かっても、もう行政も業者も進んでいるから辞められない。国民の損得ではない。 そういえば、ペットボトル、良く燃えるからちゃんと一般ゴミに出している。リサイクルなんか嘘だろと思っている。よく燃えるから、ごみ焼却にいい。いいというか、マシ。どうせ有害物質多少は出るんだろうからねえ。まあ、出来るだけペットボトル買わないようにすることだねえ。(自分個人用には、まず買わないね、貰うか、ただか、企業用かだねえ。あ、100円1リットルコーヒー買ってもたこと何度もある!やっぱなんちゃってだ)足のつま先が凍りそうだ。小学校の時、山の上で新年ご来光を見たとき、待っていたときの足先の冷たさを思い出すよ。ドナドナドナウ~日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.03.22
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私にとっておばあちゃんはおばあちゃんだ。私が物ココロついたときには既に50歳代であり、あれから40年が過ぎ去り、聞いてはいたが、母より危篤の連絡が入った。元気だとは聞いていたが、ここ1,2年は耳が聞こえなくなり、無音状態になると、幻聴に悩まされていたということを聞いていた。旧に歩行困難にもなったようだ。2,3年前九州旅行に行って、登り坂をスタスタ上って行ったのだが、急にくるものなのだなあ。それ以外は、それは大きな問題であったが健康上は問題ないと聞いてはいたが、ここ1年半は母と母の妹が週に3回付き添って泊まっていた。多分、私が昨年12月ハワイに母を連れて行ったのも束の間の休憩で、行く先日も、帰った翌日もおばあちゃんのところに行ったと推測される。物心ついた頃には既におばあちゃんであり、既に、一線から引退していた。勿論何を引退か分からないが、子供の私にはそう思えたのである、ご隠居である。それでおばあちゃんは何事にも優しかった。一緒に出かけるということは滅多になかったが、一度神戸に帰るときに、姫路駅前ヤマトヤシキでお菓子詰め放題を買ってもらったのが、多分、40年ほど前。いやあのころは山陽百貨店という名称だったかも知れない。 危篤との連絡が入り、明日、最後の姿をみようと思い、仕事終わると出かける段取りをして寝たのだが、朝起きると母よりメールが入っており、朝4時20分に亡くなりましたとのことだった(私が生まれたのも4時20分だ)。1日なかった。息が荒くなってから24時間だったとのことだった。とはいえ、99歳は大往生なのだろう。おばあちゃんがいなかったら、勿論私はいないのだが、親しみはあるのに確かにもう何十年も挨拶程度の話しかしてなかったなあ、おばあちゃんも、おじいちゃんが亡くなり10年、いやそのずっと前から孫の結婚式なども出席しなかった。幼い頃、オセロゲームが流行り、おばあちゃんに挑むが、おばあちゃんはオセロゲームを見るのが初めてで、特によく分かっていなかったため、全部裏返しとなり、完全勝利してしまった。それは、長いオセロ人生、割と無敵だったのだが、さすがに色が一色になることはなかった。おばあちゃん、ゴメンと謝ったぐらいだ。 あと、おじいちゃんは、1960年代からインドとか台湾とか団体旅行であるが、海外旅行によく行っていたのだが、去年シンガポールに母を連れて行ったときに、おばあちゃんもシンガポールに知人がいて、ちょこちょこ昔は行ってたんだよ、と言っていた。へええ、ということである。(そういえば、10年ぐらい前に、妹のイギリスでの結婚式の帰りにパリを案内したのだが、そのときもカフェーでフランスパン齧りながら、そういえば、隣の家に住んでいた文(あや)ちゃん覚えてる?そうあんたの1つ上の、今、パリに住んでいるのよ、とのことを聞いて、へええ、であった。それ20年ぐらい前に引っ越していった田村さんちのことでしょ?) そういえば、何となくインドに行く前におばあちゃんに会いに行ったなあ。なんでだろ。 考えれば、父方のおばあちゃんの葬式にでたのは40年前である。最後の最後に父が貰い泣きしていたが、父の泣き姿はその1回限りであった。といっても、当時父は30代である。父の一番上の兄とは20歳ぐらい年が離れている。8人兄弟の7番目である。 それはさておき、亡くなってしまったので、急ぎ行く必要がなくなったが、母より、母の兄の長男一家、母の兄の次男一家、母の弟一家が、普段会うことないのに一同に会い、むっちゃ険悪なムードマックスになっているので(そんな言葉どこで覚えてん?)来ないで下さい、とのメールが入っていた。元々何が原因か知らないが、仲がえらく悪く、皆近くに住んでいるのに、嫁同士仲悪いとか、姑問題とか、子供問題とかで、常にいがみ合っているそうである。まあ、オレが仲が比較的いいのが。母の弟である。何回も離婚結婚したり、仕事をやったりやめたり、DVにあっていた犬を引きとったり、懲りずに繰り返しているが、その辺は適当である。専ら、無教養で憎めない自由人な感じである。10年前に数年ぶりに田舎に行った時に会った。彼は「お、ひさしぶり」と言う言葉は発せず、「おまえか。ビール飲もか」といって瓶ビールを数本出してきて、昨日も出会ったように世間話をしている。「それでよ、おまえよ、」と話に必ず枕詞が出る。彼は植木屋である。私の植木屋のイメージは(造園屋でもガーデナーでもない)昔、ヤク中から更生して、いまはのんびりやってるよ~ってなイメージだ。彼は、実家の仕事を手伝っていたのだが、1回目の離婚をきっかけに植木屋に見よう見真似でなった。母の兄の長男だか次男だか忘れたが、その結婚式昨日も同じテーブルになり、会った瞬間に、「おお、アラファト死んだなあ」といって少しびっくりした。が金持ちの家庭に生まれ事業に大成功した後に、パレスチナ解放のに身を捧げた30歳からずっと中東の中心人物、そらあの年代の人誰でも知ってるわな。母よりメール、明日イギリスから妹帰ってくるから、一緒に来てください。今からがお通夜、明日が告別式。
2016.03.21
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30年間物価が変わっていないようだが、コリャ待て、役所である。値上げしているのは。1980年代、アイスは100円台、今も100円台だが、パスポートは複数旅行券5年で8,000円(消費税未導入)、1次旅行券(1回だけ)が4,000円であった。忘れたが増補は1,500円ぐらいだったかな。 今は増補2,500円。新規パスポルテ10年が16000円、5年が11000円。増補は1回だけ。10年持つと、1回だけ増補なら18,500円。5年なら11,000円×2回(10年分)だから10年のがお徳か。2回増補できないから、10年で増補1回して足りなくなりとすれば5年のほうが得か。あら、昔は5年の数次パスポートと1往復だけパスポートだったよな(1次旅券)とにかく、途中から日本の出入国のスタンプで大変なことと(スタンプで埋まる)なるので、今は、国に指紋を売って、ページのセーブをしている。パスポートセンターに行ったら、増補の場合は翌日発行であったので、翌日行ってみると、ミニスカートにハイヒールの人がウロウロしていて、最近はお水系の人達も海外まめにいくからねえ、と思ったら役所職員だった。感想終わり。あ、それ感想じゃない。事のあらすじだわ。
2016.03.20
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タクシーは、ルーガン(鹿港)の外れから高速道路を走り、何もない新幹線台中駅に到着せんとす。ルーガンから新幹線台中駅まで、タクシー乗車時間は40分弱であった。 切符売り場では4分程度並び、空港のある桃園駅までの指定席を購入。発券が終わったのはしゅっぱつ3分前であり、そのままホームに上がると、すぐに新幹線がやってきた。台中までも昔は台北から国内線を飛ばしていたが、新幹線ができて廃止。桃園駅で下車、そのまま、改札を出て進行方向と逆側に歩いて外に出るバス停があり、一番手前が「705番」の空港行きでシャトル便のようでどんどん満席になっては出て行き、次のバスがドンドン来る。バスは、やたら飛ばし、15分で奥側の2タミを経由して1タミに。まあ、繋がっているんだけどね。地下のフードコートへ。台湾で、これに近い光景を見たことを思い出した。1986年の台湾空港のことである。しかし、あの頃は台北市内の松山空港なので、やはり空港とはどこにでもある風景なのだろう。手前の1タミ2タミをつなぐ無人ライナーがある。最後の写真参照。さきほど、食べたので、ほとんど食べず。しかし、何かの本で読んだけど、パイロットって客より随分前にこっくぴっとに乗り込んで、引きこもりになる。狭い部屋で、飛行機とばして、到着して、たまに、空港によっては降りていく人見て、「うわあ、おれ、こんなにいっぱいの人運んでたんだあ」とビビルそうである。身体感覚ないからね。てっきりコーパイと2人旅した感覚に落ちいていたわ、ということである。1時間50分である。預け荷物がないので1番に出て、往復券を買っていた梅田行きリムジンに乗る。パスケースの奥底開いたら12月の往復券の復券が出てきた、あっヤッパリ買ってたんだ、1週間離れると買ったかどうかさえ忘れてた。ちょと損した。人間は1,000円を得る少ない幸福感より、1,000円を失う失望感のほうが何倍も大きいのである。1年ぶりの台湾 良く分かる台中 南天宮入口 南天宮 十八地獄 1彩虹眷村 2 彩虹眷村 南天宮入口 鹿港貝殻廟 鹿港ルーガン 奇々貝々 台湾から帰国 台湾gourmetの旅 時差
2016.03.19
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夜中にラーメン食べたくなったら、散歩もしたよって話。 酔っ払って夜中に散歩に出かけ、河沿いに佇み、ポケーっとする。人々は住む。車買い替えるかな。ア、閉まってる。ラーメンだったよなって夜中の話。お参りして家路に向かう。胡椒舐めて、寝る。
2016.03.18
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いや、迷走したのは、都市ではなく、私である。10時チェックアウトにて、マイナス6度の外に7、8時間ほっぽり出される正月である。正月ゆえ、暖をとるところは、少なしと、彷徨先を調べるが、地球の撃たれ方、どうでもいいページが多いので、コピーをしてきたのだが、そこに皮肉にもセルビアと袂を分けたモンテネグロで泊まった宿の名刺が挟まっており、地図の上にコピーされてしまっていた。そういう苦難のもとにも、地図と照らし合わせながら、歩き先を慎重に緩慢に吟味する朝であった。 まずは、歩き出したのだが、この道からして予定から早速90度違う方向に歩き出していたことには、さすがにこの時点では気が付くはずもない。 気がつかずに、地図に照らし合わせながら、サテ右曲ったら駅やで。と右に曲がり、お、あれが駅かなるほど、と思う、まるで国会議事堂のような駅だな、と思っていたら、本当に駅ではなく国会であった。(Narodna skupština Republike Srbije) ニコル広場を通り過ぎ、またいつの間にかホテルの方向に向かっており、共和国広場に出て、ミハエロ王子像を眺める。ほう、出終り。反対側はベオグラード国際劇場ってことで。そんで持って昨日から何度も往復しているメインストリート、クネズミハイロ通りをまた歩いてしまう。それでセルビア大聖堂何故か、フランス大使館ぐぐっと、また南下して、バスステーションとその前の屋根がカラフルな市場 市場クローズまたもやあるいているうちに、セルビア大聖堂に戻ってしまう。そして、またバスステーション、1時間ぐらいかけて無限ループ状態。皆さんの流れに従って坂道を降りていく。世界中に下り坂は登り坂と同じ数だけある。ベオグラード駅、前から入って線路と構内みて、切符買わずに横から出る。セルビア鉄道本社外務省さて、ここから左折、クネズミネシュ通り、通常「空爆通り」、政府系、放送系建物が多かったからであろう。また国会議事堂、裏側に出てきてしまう。何をやってるんだ。足先が凍りそうだ。耳も取れた。遂に帽子の登場だ。手袋もな。もう4時間近く意味なく歩いているよ。また振り出しかよ。その数百メートル手前にはNATO空爆後の国営放送局。日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.03.17
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アジアで人口の大きい中国を除いて、在外日本人が一番多いのは、タイであり、4~5万人、多くがバンコクに住んでいる。yり近い韓国や台湾、便利そうなシンガポールより多い(この3カ国が3~5位だが)。都市でいうと、ロサンジェルス、上海、ニューヨーク、ロンドンに次ぐぐらいである。ちなみに、テレビは在外日本人は女性が取り上げられることが多いが、まあ男性駐在員とかも多いので、実際は、ちょとだけ女性のほうが多いね、程度のようである。あ、オレの妹も在外日本人だったわ、え、それとも国籍変えたのか?ん?二重国籍いけるのか?聞いてなかったなあ。参考資料。ぞうしてなんですか?ぞうしてか知りませんが、象は仕事でもない限り、1回乗れば、十分というのが、私の心、というか、え、そんな年まで象乗ったことないの?って感じ。まあ、象との愛称は悪くないがね。道端でばったり夜中に象と出会って、ベロベロに酔ってたので、チップ渡して餌買って食べさせて、鼻で頭なぜてもらってワッハハーのウッシシー。待て、あれは20数年前に行ったことのある遺跡だぞ、と気がついた。あ、待て、とは言ってないが。ちと道に迷ったらこんな人が、コンクリー出迎えてくれただけお墓ショップなんですが、何故見本で写真入っているんですか?これ過去の個人でしょ。あ、故人は、個人情報じゃなくなるんだよねえ、日本では、なるほどー。何が?鶏ねタイ文字ね。切り取ってコレだけ見たら怖いね。1月でもタイ、暑いぜ、というか、1年中暑いぜ。バンコク中央駅。(ファランポーン駅利用、学生以来20年以上の時を経て)意味のないホテルからの景色どのホテルもドリアン持込禁止なんだよねえ。さすがに学生時代もドリアン持ち込んだことないなあ。特にランブータン好きだったなあ。後持ち込んだのは、マンゴーとかパパイヤとかバナナ、スルメ、スイカ、ガヴァでしょ。マンゴスチンとかドラゴンフルーツ、スイカ、スターフルーツ、パッションなんとかとか、シュガーアップル、バナナ、でもでかいのでジャックフルーツはなないア、買ったことないわ。一時期ちょとだけタイ料理作ることがあって、カーをストックしてたなあ。それで要はパクチー、しょうが、タメリック、タクライ、クンチャイ(セロリだろ)、タマリンド、長青ネギ(トムホームっていうらしいよ)、いいねえ、カオパットに長ネギついてたら幸せ感じるねえ。ネギスキよ。関西人でよかった。白ネギじゃなくって。鬱陶しいなりにチェックインしたら、部屋が広くて、次回も泊まることにしたよ。ほとんどの地域はもう1回しか行かないけど、バンコクはあと死ぬまでに10回以上は行くからね。あらゆる経由地だしね。帰るよ。てか、1泊だったけど、帰るよ。名残おし感ないよなあ。ん、でも、リヒテンスタインもルクセンブルクも名残おし感ないなあ、また行きたいか、といわれると、経由地としてなら仕方なく行ってもいいよ、だからね。行った事にそれなりに満足した。あら、また行くよって国にもまた行くからって名残惜しいないよな。じゃあ、なんだんだ。その時の時期とか、誰と行ったかとか、ま、そういうことか。帰りは空いてる飛行機で帰ったよ、進撃の巨人、軍艦島で撮影やねんね。そういわれれば、そうだわ。改修中だったみたい2016.01アユタヤ 暖まりにタイへ 久しぶりのタイへ ワットムアン続き ワットムアン地獄に急ぐ ワットムアン2 ワットムアン3 ワットムアん5 ワットムアン6 ワットムアン地獄以外 ワットカイ2 ワットカイ3 27年ぶりのアユタヤ 仏陀は開眼する オマケ涅槃 あまり画像 タイgourmetの旅 アユタヤ→バンコク バンコクチャイナタウン バンコクから帰国
2016.03.16
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首都ファドーズの観光案内をするとせんなり、といいながら、実は1本道、バス通りを考えると2本道数百メートルで終了である。恐ろしき、バイタリティだぜ。人口3万7千人、160平方キロ、まあ、小豆島ぐらいである。愛称こまめじまでもいいが、小豆島である、あずきしまでもない。しかし、人口は3万人。 イヤもう少しいうと大阪市よりちょと小さいぐらいである(225平方キロメートルとのこと)。人口は260万人を越えているから、80倍ぐらいの人間がウジャウジャしているということである。ちなみに、割と知らない人は多いが、大阪府は都道府県別面積で香川県に次いで狭いのである。愛用するCIA ワールドファクトより国(植民地、旧植民地含む)別国土面積 ( )内は私の心情。コメントなしは既に訪問。 ジャジャーンの170位 ルクセンブルク(今回訪問) 171位 コモロ(アフリカ系はなかなかキビシナ) 172位 モーリシャス(アフリカ沖の島、セーシェルと併せて画策中) 173位 香港 174位 サントメ・プリンシペ(アフリカ、知らないなあ) 175位 キリバス(これら太平洋の小島も考えたけどなかなか厳しい) 176位 バーレーン 177位 ドミニカ国(ドミニカ共和国と違う。自然が多いカリブの島国、行ってみたい国) 178位 トンガ(これら太平洋の小島も考えたけどなかなか厳しい) 179位 ミクロネシア 180位 シンガポール 181位 セントルシア(もう2回ぐらい、カリブ海アイランドホッピングしないと行けないな) 182位 アンドラ(次回、20数年ぶりにバルセロナ行けば寄る) 183位 パラオ 184位 セーシェル(アフリカ沖の島、モーリシャス、マダガスカルと併せて画策中) 185位 アンティグア・バーブーダ 186位 バルバドス(もう1回ぐらい、カリブ海アイランドホッピングしないと行けないな) 187位 セントビンセント・グレナディーン(もう2回ぐらい、カリブ海アイランドホッピングしないと行けないな) 188位 グレナダ(もう1回ぐらい、カリブ海アイランドホッピングしないと行けないな) 189位 マルタ 190位 モルディブ 191位 セントクリストファー・ネーヴィス(もう2回ぐらい、カリブ海アイランドホッピングしないと行けないな) 192位 ニウエ(これら太平洋の小島も考えたけどなかなか厳しい) 193位 クック諸島(これら太平洋の小島も考えたけどなかなか厳しい) 194位 マーシャル 195位 リヒテンシュタイン 196位 サンマリノ 197位 マカオ 198位 ツバル199位(これら太平洋の小島も考えたけどなかなか厳しい) ナウル200位(これら太平洋の小島も考えたけどなかなか厳しい、てか、この珍島行きたい。今、飛行機定期便ないんじゃないか?) モナコ 201位 バチカン しかし、やっと到着し、することがないので、土産物屋に入ったり、通りには中国人団体客が。ここまで来るか?とビビル。ニューズウィークに中国人団体客ヨーロッパ旅行に同行した記録がるので、抜粋しておく。まるで緻密に計算された弾丸ツアーより更に激しい弾丸コースである。宿泊先は郊外の安ホテルで食事は中華。10日間2,000ユーロツアー。ロンドンイン、1日目バッキンガム宮殿国会議事堂大英博物館、2日目AMウインザー城、午後オックスフォード。3日目早朝ユーロスターでパリ、セーヌ川クルーズ、午後ベルサイユ宮殿滞在1時間未満。4日目午前ルーブル美術館、午後ギャルリーラファイエット及びモンマントルの丘。6日目午前、プランタン、午後ディジョン近郊のモーテル。6日目午前スイス入り、ルツェルンで昼食中華。7日目ティトリス山、午後リヒテンシュタインの首都ファドーズ30分観光。夕方オーストリア入、インスブルック宿泊。8日目イタリア入り、ベネチア観光3時間、9日目フェレンツェ3時間観光。10日目早朝ローマ入り、急いでバチカン含めコロッセオなど観光して、そのままフィミチーノ国際空港、帰国。なるほど、通り道なので、まあ、とりあえず、リヒテンシュタイン寄るってことか。こんなところにボテロが。ところで、シャーリーンこんな意味だったかしら。日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.03.15
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余市のいわば、ラスト編であり、やっと終りである。永らくのご歓談ありがとうございました、あれ、そんな言い方ないぞ。飲めや作れやテスターの人って、酔っちゃいけないから、これはなれない職業なんですよね。この仕事が出来る人は、ストイックだと思う。匂い嗅いで、ちゅーっと口に含ませて、クチュクチュ、ペッ、だからねえ。まあ、クチュクチュまではできるけど、そのあとは誘惑に負けてゴクンだよ。普通。何が普通かというと、他人が普通なんだろうなあ、と想像することだけど。樽の紹介、ということである。ガマで樽の隙間を埋めるってことで、タガを外すのではなく、タガを埋めるってことである。ガキの頃、ガマってため池なんかで勝手に自生してたよなあ。雑木林みたいなところがなくなっちゃってね。ガキノ頃、裏の雑木林なんかたまに行ったりして、道なき道を登ると、一本の木があり、そこに墓があった。勿論ペットの墓であり、そこに挟まれていた紙を読んだ。ペットへの別れの悲しみが綴られていた。鬱蒼とした森の中で、見てはいけないものを読んでいる気がして、隠されている死を少し感じ、子供だったので、怖くなった。大人になってペットセメタリーっていうスティーブンキング原作の映画見て思い出した。子供時代は、不思議な記憶や怖い記憶がおぼろげに残されているが、大人になると酔いどれの失敗記録しかないというのが現状であり、カウンターに歩み寄る。サッカー基地外美女基地外のロッドスチュワート、何故かアイアムアセーリングみたいな曲もうたってたりなんかして、似合ってないねえ。あ、改めて聞くと、暗いねえ。歌詞。船出は黄泉の国行きだね。ゆうとくけど、ボブスギャッグスは聞いてないからな。初代あたりの007、典型的なスコットランドの人って感じ。ショーンコネリー。シブイ。学生時代、ウイスキーならなんでバーボンやったんかな。麦、甘かったカラなんかな、後輩の下宿で1ボトル空けたらさすがに2日酔いでだわな。朝、朦朧とした意識の中で、隅っこにベンゼン置いてあったのが見えた。中毒抜くためか?知らんけど。ヘロイン抜くためだったのかねえ・・・誰かこいつにメサドン処方したってくれや・・・、うとうとしながら思った。あ、博物館の説明なかったね、ソレも余興。2016余市 余市 宇宙館(リンク) 余市ウイスキー1(リンク) 余市drinkの旅(リンク) 余市ウイスキー工場細密(リンク) 余市シングルモルトの旅(リンク) 北海道gourmetの旅(リンク)
2016.03.14
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オフィス街を歩いていたら、ストレッチャーに乗せられた着物のような生地で頭からぐるぐる巻きにされた人が2人によって運ばれてきた。それを見ているのは一人。合計3人で、霊柩車ではないがハッチバックの車に乗せようとしている。ソレが運び出されてきたところが歯医者。歯医者で死者?失敗?え?見送り3人?これから告別式公民館のようなところに運ばれるのか?運ばれる前は棺おけに入れない?警察や医者の立会いもないか、あ、歯医者か?勤め人が多く歩いているのに誰もきがつかない?まさかその巻いたものが遺体だとは気がついていない。ご冗談を。考えれば、納棺ってどうなってんだ。葬儀会館まで運ばれるにはどうなっているんだ。家や病院以外で死ななかったらどうなっているんだ。 インドでは、数々の死体を見た。交通事故で死に、むしろから血が地面に流れてほって置かれているシーンを見た。隣のインド人が「フィニッシュ」と言った。死んだのではなく、終わったのだ。剥き出しの死が隣にあった。しかし、同時にちょと田舎のインドは、早朝恐ろしいくらいに鳥のさえずりでうるさい。溢れる生が噴出している。 オフィス街のストレッチャー脇を、忙し気に通り過ぎていくが、現代人、イソガシ病にかかっているだけで、昔の人に比べたらチートモ忙しくなかったわ。家電製品もなかったから子供背負って水汲みに行って、洗濯板擦ったりして、薪焚いて、炊事して、ヘトヘトである。忙しいから、モノを考える暇もなく、豊かになってからは、余計な悩みが増え、ストレスがたまり、挙句に鬱になる人も増大、戦争してたら、何故生きているのか、を考える暇もないので、鬱や自殺は今よりグーンと少ない。それに、何万年も飢餓と戦ってきたのに、ここ数十年で食えるようになったが、体は飢餓体質のままだから太るわ、ずっと何万年も田舎暮らし狩猟暮らしだったのが、ここ数十年で都市に住む人が人口の半分以上になってきたが、脳は田舎自然暮らし脳のままだから、適応できず病気になる人も多いってことだろう。(田舎暮らしは都会暮らしより忙しそうだし) とっころで、子どもが保育園の入所選考に落ちた不満を「日本死ね」と書いたブログだが(何とも品のない言い方で嫌な感じだが)、私も疎いので分からないことも多いのだが、少子化しているのに待機児童が多いって、どうしてかと思っていたが、共働きが増えて(それは、片一方だけでは食えなくなったからってことか)保育園の要望が増えたってことなんだろうねえ。おまけに保育士も少ないんじゃないか?なんせ、このような仕事はストレスの溜まる仕事なんだろうねえ。すぐ親から文句言われたりして、安い給料でやってられなーよ、ってことなんだろうか。まあ、知らんけど、私が子供のときは、周りに保育園行っている人いなかったし、従兄弟が歩いて1分ぐらいのところに保育園があったから通っていたので、てっきり金銭的余裕のある人が幼稚園行かせる前に保育園行かせているのかと、2,3年前まで思っていたぐらいだからねえ。それに幼稚園の続きが小学校と思っていたから、入園式以外は家から幼稚園に一人で通園していたし、2年行くのが普通だと思っていて、オカンがあんなの1年もいけば十分よ、といい1年しか行ってないけど、教育不熱心だなあ、と思っていたが、どうも、幼稚園も、そして保育園も目的は私の思っていた(教育のため)のとはちょと違うのだねえ、ということも知った。ところで、機会は平等であって欲しいが、運命は決して平等ではないからねえ。それにしても、昨晩は、何かよく寝た、7時間寝たので、7時前に目が覚めた。といっても、といっても、眠たいからではなく、おー、あーとか布団に入ったままで3分ほどすると、また眠りに入り、おきなあかんなと目が覚めたのは8時であり、もう少し大丈夫だよなというと、次に目覚めたら9時である。急いで出かけるのである。 運転中の高浜原発の稼動停止仮処分が下ったが、この山本善彦裁判官、もう出世できないのかな左遷更迭か、と思って心配になりちょっとぐぐってみたら、過去にもそういう事例がありますね。 ところで、この前、飲み会でジェノバ方面のイタリア料理を食べに行ったときに、「何カ国いきました?」って話があり、「99だねえ」というと、記念すべき100カ国目はどこですか、という話となり、まあ、その場はソレで終わったというか、皆さん特に意見もなく、自分もまあメジャー国家オーストラリアとか行ってないしねえ、というところで話は終わったのであるが、その夜、ツバルに行けよ、という夢をみた。ツバルは、確か週に3便ぐらいしか飛行機がなくって、無理じゃないの?えーっとかいいながら朝起きたら、二日酔いではなかったが、猛烈に昨日に胃袋が拡張されてて、腹が減って、昔風にいうとおなかと背中が引っ付きそうになっていた。起きて、早速温暖化ではなく人工的地盤沈下で沈んでいく首都フィナフィティ行を調べてみると、ナンディ(フィジー)から週3便しか飛んでいなくて、調べたら観光客を少なくするために意図的にチケット代を上げているなんか書かれていて、10万円以上する、というか、100カ国目がフィジーになるよ、って話じゃん。まあ、それならミクロネシアポリネシアで行きやすい行った事ない国って、日本から直行便があるのはエアタヒチだったわ。あれ、ちゃうわ、関空便なくなっとる。あ、10年前になくなってたんやった。ニューカレドニアのヌーメアが週3便飛んでるな。でも、ニューカレドニアは1カ国に数えるけど、植民地だからなあ。などなど・・・。2016年愛媛 宇和島(リンク) 内子 (リンク) 内子 飽きないと暮らしの博物館(リンク) 大洲 東京ラヴストーリー(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん2(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん3(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん4(リンク)
2016.03.13
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山間を抜け、やがて首都ファドーズに到着したが、それは地名で分かったわけで、閑散としているため、それが首都なのかどうかは、分からない。メインストリートは1本道、バス通りを考えると2本道、数百メートルで終了である。 駐車場から谷の反対側の山々。振り返ればファドーツ城、リヒテンシュタイン侯爵さんの家。住んでいるので見学不可。何もないけど寄って行ってください。コインとか、どうですか。3ユーロか3スイスフランで、パスポートにリヒテンシュタインのスタンプ押してあげる。さて、メインストリートを歩き始める。割と空いている。無料のポストミュージアムを見学した後は、ポストを見る。即席スケートリンク。リヒテンシュタイン宮廷ワインは、輸出されていないので、お土産に勧められる。 シティトレインで街中を巡り、全ての観光スポットと歴史、侯爵君のことが30分コースで網羅できるシステム。食事を入れて滞在2時間いらんな。まあ、団体旅行客よりは長く滞在。終点あたり。こちらは、反対側の終点あたり。リヒテンシュタイン国旗。歴史。1806年国家主権を獲得。1868年軍を廃止。1924スイスフランを公用通貨。1990年国連に加入。公用語、ドイツ語。標高430メートルから2599メートル。市町村11.面積160平方キロ。人口3.7万人。チューリッヒから110キロ。ミュンヘンから240キロ、ミラノから250キロ、おいでおいで。さて、チューリッヒに向かう。日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.03.12
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大船渡市大船渡市 大船渡市陸前高田市 陸前高田軌跡の一本松。2016年岩手 花巻へ(リンク) 遠野 コンセイ様(リンク) 遠野 河童ロード(リンク) 遠野 河童物語2(リンク) 大船渡 碁石海岸(リンク) 大船渡 陸前高田(リンク)
2016.03.11
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散歩するのは時間的、精神的余裕があるからであり、そういいうときにしか、偉大なこととしょうもないことは生み出されないのである、凡人にとって。忙しいだけでは、単純に忙しくて、考えたりすることがないのである、勿論、圧政者にとって、庶民が考えることは鬱陶しい。人民は忙しさに忙殺されて欲しいのである。暇になると、余計なことを考えるからである、余計なことだけだったらいいけど、よからぬことを考える奴もでてくるのである。 社会に対する不満分子のかけらである私も、日常の些細なことに忙殺されているんで、かけらでなくゴミになっていくのである。日本の会社では、政治経済宗教思想を開示でしてはならないのである、まあ、してもいいのであるがしたらツマハジキになされるわけで、会社ではノンポリになるのである。いや、違った、会社では仕事の話だけなのである。たまに飲みいったら、プライベートなことをチョトダケ開示しても、明日に影響がなさそうなら、と判断したら開陳するのである。まあ、因果関係なかったり、年下ならあまり問題ないんのであるが。そこは慎重路線の計画路線である。 んー、そんなことをいうつもりではなく、題目の話である。谷間に向かって進むのである。そこに何があるか、底は川が流れ、長閑な状態になっているだけある。嬉しいかな、悲しいかな、狂わんかな、叫ばんかな、であるが、これが、寒いだけなんで、気持ちいい散歩でもなく、足早にグルントといわれる谷底を歩き、早く暖かいコーヒーが必要だ、さむなくば寒くてもビールを暖かい店で飲まないといけないだろうといいう気になる、気になるが、ここ3んえんぐらいはヨーロッパも暖かい。2009年10年あたりは、マジメに寒かった。すぐにちょっとした店を見つけたら暖をとる状態であった。100メートル歩いてでもだ。 まあそれは、おいといて、谷間に下りつつ、ただ都会の中の森を歩く。携帯電話で時間を見ると、またもや市内を巡らす無料WIFIに繋がり、日本と事務的な更新をする。Total Eclipse of the Heart、気分はこの頃の時代だ、どの頃や。城塞都市ではなく、田舎町に来た感覚tなる。 2016正月ラトビア・ルクセンブルグ・スイス・リヒテンシュタイン・セルビア 日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.03.10
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記憶がないのか、すっかり管理されて変わってしまったのか、よく分からないのだが、自転車で遺跡の前まで横付けできたが、それがその遺跡だったか分からないし、観光客もそんなにいなかったような気がする。学生時代から既に純潔思想主義者でなくなってた。懐疑的で老人的な青春時代。そうか、バンコクアユタヤ間は自転車で11時間か。まあ、ママチャリやからね。まあ、とにかく、80メートルもある、少し郊外にあるワットプーカオトンには行ってないことは確かだ。 多分、屋根の奥にあるのが、学生時代に見た、ワットプララームだと推測される。 その他、田園風景の中、遠くに寺院が見える。寺院だらけ、ウギャーは、パガンであったが。自転車でタイを縦断していた。その記録にツッコミを。いつもの6時半に起床。アユタヤまでたったの32キロ。先日は、8時に小学校前を通りがかり、国歌が流れ、私も校門前で何故か運動場にいる生徒たち同様に、国歌が終わるまで直立不動にしていたが、その横の車も停まっていたのだが、今日はそういうのもなく、快調に飛ばすといいたいところだが、もう随分前に山岳地帯は通り過ぎたのに、おっちゃん豆腐屋自転車は喜々として進まない。やはり、荷物が35キロというのが悪いのか。昔はカセットテープ。50本以上装備し、おまけに数キロのラジカセ。ラジカセ鳴らしながら自転車颯爽、でもペダル重い、だったな。おまけに、トラックが30センチ横を暴走して抜かして行ったときに、麦藁帽子がフワフワと後方に飛んでいった。その後、ノロノロのトラックが通ったので、片手で後ろの荷台の端を持ち、引っ張ってもらった。土方のおっさんたちと昼飯。この記憶がないが、田舎では、コオロギのから揚げにメコンウイスキーおっさんらと言葉通じないが同席してよく飲んだ。 時速10キロで3時間で到着する予定が、休みもとらなかったというのに、4時間かかり、11時頃にやっとアユタヤに到着。宿に入る、イモリが鳴く。さて、この宿はどこだったのだろうか。川のほとりだったような気がするのだが、いくつかの断片的シーンしか思い出せない。しかし、自転者で時速8キロか、遅いではないか。1に才能、2に頭の良さ、それがあって3の根性が花開く・・・だよな・・・3時間昼寝。当時からあまり観光しないんだね。昼から3時間寝たら夕方やん。。 その後、仕方ない、遺跡でも見に行くかと、自転車を出すと、空荷の何とペダルの軽いことか、そういえば、ずっと35キロの子供を乗せてやってきたんだ。スイスイ進みすぎてハッピー度が増し、道順もあったものじゃない、遺跡が見える方向へ適当に進み、入場料20バーツに驚き、遺跡見学はやめ、4,5箇所の郊外遺跡を止まらず、一人、ヒュンヒュン、言いながら一人ニコヤカに走り去り、スコールになり、雨宿り。当時は1バーツ5円なので入場料100円やん。それでやめるか。多分。オレが見たのは多分コレだわ。 ホテルに戻り、ホテルの人と話をしていると、雨が止み、再び自転車を出してみる。意味なく、川の流れを見ていると、船着場にいかにも日本人です3人組青年が現れ、メシを食った。久しぶりにタイカレー。船着場、渡し舟か。彼らは青学のアイセック所属とのことで、彼らと比べると、かなり、自分が汚れているというか土着化している気がした。彼らは単純に純粋にいい奴らだった。いい奴らなのに、その純朴な奴らなのに、アイセックなんか入って理想高くいい青年たちだったのに、バミューダズボンにポーチベルトに手にカメラ・・・そういう私が失ったものが、懐かしかった?いやその理想主義が痛かった・・・いや、その清潔感が鬱陶しかった?・・・何かに嫉妬したのだろう、羨ましさなんかないのに。働くようになったら20代から50代までの人々と付き合うようになったが、経験以外、みなあまり変わらないね。偉くも寂しくもないね。暖まりにタイへ 久しぶりのタイへ ワットムアン続き ワットムアン地獄に急ぐ ワットムアン2 ワットムアン3 ワットムアん5 ワットムアン6 ワットムアン地獄以外 ワットカイ2 ワットカイ3 27年ぶりのアユタヤ 仏陀は開眼する オマケ涅槃 あまり画像 タイgourmetの旅 アユタヤ→バンコク バンコクチャイナタウン バンコクから帰国
2016.03.09
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大山崎はニッカ創業者の竹鶴さんのパトロンの別荘を朝日が買わされ、当時の社長の趣味で新館を新設(安藤忠雄のところね)。無駄な投資は役員の天下り先として活用されている。ちなみにサントリー山崎蒸留所を作ったのは竹鶴さん。鳥井さんは金を出した。竹鶴は職人なので理想郷を求め余市に旅立つ。しかし鳥井の方がマーケ力ありサントリーが売れニッカは売れず。竹鶴はウイスキーができるまで余市でりんごジュースを売った。日本果実なんとか会社の名前で。だからニッカ。このりんごを作っていたのが北海道に逃げた会津藩の末裔。だからいまでも会津市でニッカりんごブランデーがスナックの定番。ということである。家ではテレビが映らないので、勿論、マッサンも見てないし、NHKも見てない。NHKは、まあ、じっくり取材が出来るという意味で民放よりは出来栄えもいいと勝手に思うのだが、それでも税金みたいなもんですといって金を徴収するのはいけない。NHKは国営ではない。戦後日本に民放がなかった、唯一の半官半民テレビ機関であり、そのときこそ金とってナンボだったのかもしれないが、もうとうの昔にその役割は終えた。そうやって無駄に金徴収するなら、是非、スクランブルかけて欲しいものだ。それで解決する。(そんなことしたら潰れるか)。放送法何条とかいいながら(45条だっけ、32条だっけ)、双方合意契約でないものは、契約ではない。みなさまのNHKではないよ。ま、払うつもりもないし、一回も払ったことないけど。 ツアーに参加したのである。 リタということである。チコ&チャーリーじゃあるまいし。リサ&ガスパールじゃあるまいし。 今年は雪が少ないですねえということである。建物見えてますからね、とのことである。 一番古い貯蔵庫。 たがを外せ、はここから言葉きたんだねえ。タガの外れた人間になりたいですか?いいえ。 シングルカスクウイスキーって。それは、飲んだことないなあ。何だか飲みたいねえ。 ああ、このひとたち、イングリッシュじゃなかったのね。
2016.03.08
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5ということは、タイ、アントン県の地獄寺はパート4まで来ていて、次回誰も待っていないパート6で終わる予定であるので、喜んでください。週刊東洋経済(ビジネス)長年の懸案事項が、ようやく“離陸”のときを迎えようとしている。2月18日、日米当局間の航空交渉が合意に至り、昼間の羽田空港から米国行きの便が飛ばせるようになった。両国の航空会社は昼間(6~23時)に1日5便ずつ、深夜早朝(22時~翌日7時)に同1便ずつの運航が可能になる。今年10月末から始まる冬ダイヤをメドに就航する見通しだ。羽田のような混雑空港の場合、発着地がある2国間で、どこに何便を飛ばすかを事前に決めなければならない。2014年に羽田の昼間の国際線発着枠が増えた際、日本側は増枠分の一部を米国に割り当てようとした。だが、4年余りにわたって合意に至らず、交渉が停滞していた。現在、羽田の日米路線は、全8便が深夜早朝の発着。2010年に羽田の国際線が再開したときに決まった枠で、行き先は米西海岸とハワイのみだ。米東海岸は飛行時間と時差の関係から、出発と同じ時刻に現地に到着する。つまり、現行の深夜出発だと到着も深夜となり、到着後の移動や乗り継ぎが不便なのだ。実際、米アメリカン航空が羽田─ニューヨーク便を2011年2月に就航したが、旅客数低迷で2013年末に撤退。発着枠を返上した。今回の合意で、米国便に昼間の枠が割り当てられ、昼間に到着する東海岸便が可能となった。ニューヨークやワシントンDCなど経済や政治の中心都市が集積し、多くのビジネス需要が見込める。これまで東海岸へ向かうには昼間の便がある成田空港まで行く必要があったが、都心に近い羽田から飛べることで便利になる。地方からの乗り継ぎもしやすくなる。新たなドル箱路線にと、日米の航空会社は期待を寄せている。「非常に残念だ」──。日米の航空会社が軒並み今回の合意を歓迎する中、唯一不満をあらわにしたのが米デルタ航空だった。交渉の長期化は、同社が一貫して反対してきたことに起因する。デルタは成田発着では最も多くの日米路線を有し、アジアへの乗り継ぎ路線も飛ばしている。合併前の旧ノースウエスト航空が戦後、羽田に国際線を飛ばしていたが、1978年に成田を国際線拠点として開港した日本政府の意向に沿って、同空港へ移ってきた経緯があり、歴史は長い。また、米ユナイテッド航空と全日本空輸(ANA)、アメリカンと日本航空(JAL)は、それぞれ「スターアライアンス」「ワンワールド」という航空連合を組み、共同運航やマイレージ連携を進めている。一方、デルタが属する「スカイチーム」には、日本の航空会社がいない。ゆえにデルタは「より多くの枠をもらえなければ、公正な競争環境が保たれない」と主張してきた。米航空当局も「強い政治力を持つ」(国土交通省幹部)デルタの意向を酌んできた。だが、2015年11月のフォックス米運輸長官と石井啓一国交相の会談で、羽田の昼間帯に日米便だけ運航がないことへの懸念が示され、翌12月に当局間の交渉が再開。デルタ以外の米航空会社や業界団体も合意を望んだことから、「米国当局も全体的な利益で判断した」(前出の国交省幹部)。結果的にデルタが押し切られる形となったわけだ。ただ、これで一件落着、というわけでもない。次の火種となりそうなのが、日本国内での発着枠の配分だ。石井国交相は日本側の配分について「各航空会社の要望や『8.10ペーパー』の趣旨を踏まえ適切に判断したい」とする。8.10ペーパーとは、公的支援で再生したJALが公正な競争環境を阻害しないよう、同社の新規投資や路線開設を国交省が監視する旨を明記したもの。これに基づき、2014年の羽田国際線の増枠時にはANA11枠、JAL5枠の傾斜配分を行った。今回決まった日本側の発着枠6つのうち、新たに配分されるのは昼間1枠と深夜早朝1枠。仮に前回同様、枠数で差をつけるなら、2枠がANAに配分される可能性もある。ANAホールディングスの片野坂真哉社長が「(ペーパーに沿えば)発着枠を優先的にわれわれに傾斜配分するという理解」と主張するのに対し、JALの乘田俊明専務は「配分は当局の考えによる。われわれはコメントする立場にない」という姿勢だ。冬ダイヤの就航に間に合わせるには、5月の連休前が配分決定のタイムリミット。今後「非常に貴重な枠」(JALの植木義晴社長)をめぐる争いが過熱しそうだ。(「週刊東洋経済」2016年3月5日号「核心リポート04」を転載)週刊東洋経済(ビジネス)2010年に羽田の国際線が再開したときに、アジアを中心にアメリカは行き先は米西海岸とハワイの夜便みたいな感じであった。一応、私も偶然にもまだ羽田から国際線に乗ったことはないのだが、早晩乗ることになると思われる。ただ、ハワイは多分関空からハワイアンで行くことになろう。でもハワイは80歳になってもいけるからね、時差きついけど。日米の航空会社が軒並み羽田発着を歓迎する中、唯一不満をあらわにしたのが米デルタ航空だったというのはよく分かる。デルタは成田発着では最も多くの日米路線を有し、アジアへの乗り継ぎ路線も飛ばしている。日本にミール工場を持っているのはデルタだけだと思う。学生時代、20代会社員時代は、ノースウエストを利用していたものなあ昔は以遠権もアライアンスがなくて有効でマニラから日本に帰るのに、ノースウエストやユナイテッド乗ったものなあ。今は、ユナイテッANAのスターアライアンス、アメリカンとJALのワンワールドだが、デルタのスカイチームには、日本の航空会社がいない。私自身も数年前にサイパンで利用した以来使ってない。クレジットカードは、デルタシティバンクカードだけど。 航空業界も永らく戦後の系譜もあって、アメリカ有利にずっと進められてきた。アメリカの航空機だけは、成田がマズイときに、横田基地にダイバードする。(勿論降りれないが)散々、成田は遠くて羽田は便利と思っていたが、外国人には実はそうでもなく、30分や1時間程度遠くても1本で新宿や主な施設や駅に行ける成田のほうがよかったりするみたいですよ。便利なのは日本語が読めて乗換えが苦じゃない日本人だけのようですよ、確かに自分が海外いけば、そう思う。初めて来た国では1回の乗り換えも結局不便であり、すぐさま、戸惑っているうちに30分とかたっちゃうからねえ。ある程度何もなくても行けちゃうって3,4回以上行ってるとこじゃね?私の場合はマニラ、バンコク、ハワイ、フランクフルト、イスタンブール、シンガポ、サンフランシスコ、ソウル、タイペイ、グアム入浴あ、ニューヨークあたりか。 ワットムアンの話は?2016.01アユタヤ 暖まりにタイへ 久しぶりのタイへ ワットムアン続き ワットムアン地獄に急ぐ ワットムアン2 ワットムアン3 ワットムアん5 ワットムアン6 ワットムアン地獄以外 ワットカイ2 ワットカイ3 27年ぶりのアユタヤ 仏陀は開眼する オマケ涅槃 あまり画像 タイgourmetの旅 アユタヤ→バンコク バンコクチャイナタウン バンコクから帰国
2016.03.07
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サラリーパーソンなので、夏を除く間は、首輪をはめられているのだが、ネクタイも随分、ヘタッテしまったのも増えてきたんじゃないか、と思い、軽く捨てるか、と思ったのだが、マア、最後に俺の中だけの思い出として写真に収めておくのである。つまり、読者にとって何の有益な情報も価値もないアーカーブスなのである。(実は、普段のブログも、まったく価値はないのだが、そこは、さも価値があるように全世界の人々を騙し続けるのである。) いやいや、高校からもう既にネクタイマンだったのである。 しかし、ネクタイというもの、ついつい昼飯を食いに行ったり、夜飲みにいったりもネクタイしているので、うっかり、大人なので汁をこぼしてしまうこともシバシであり、できれば、大切なネクタイ、そんなメシ如きで汚したくないのである。汚さなくても、何度も使用しているうちに、布やシルクなので磨り減ってくる悲しい性なのである。だいたい、ネクタイは、大量に上に積み上げていくので、ぐいっとひっくり返さないと、年間、実際10種類ぐらいしかネクタイのバリエーションがない状態だったりなんかするので、たまには、入れ替えバージョンをしなければなるまい、と本日2,3秒反省するのである。ちなみに、ワイシャツは500円とか1,000円のものが大多数であるが、ネクタイは、もう少しイキリたいのである。時計もないし、靴も最下層品1足だけを使っており、自分自身の中身がないので、ネクタイアピールしてイチビルのである。見せかけ脅しなのである。それが、見せ掛けだけ人生なのである。勿論他には、靴下は韓国でブランド物の靴下を屋台で10足1,000円とかで買ったり、ワイシャツもタイの屋台でブランド物を1着700円で買ったりするのであるが、さすがに年を取ると、まわりからまさかこいつ年相応にニセモノなんか着てないやろと思われるのである。アルマジロも擦り切れるぐらいにまで使用されて、幸福な人生だったであろう。タイシルクのジムトンプソンも擦り切れるぐらいにまで使用されて、幸福な人生だったであろう。 うーん、どれが擦り切れてたかな。ちなみに、逃げるネクタイは、オレの人生を象徴している感じでお気に入りの1品である。 フェラガモも擦り切れるぐらいにまで使用されて、幸福な人生だったであろう。クロアタは、ネクタイ発祥。 ウンガロも擦り切れるぐらいにまで使用されて、幸福な人生だったであろう。 うーん、どれが擦り切れてたかな。ちなみに、エルメネジルドゼニアの象柄もお気に入りの1品である。 ロンシャンも擦り切れるぐらいにまで使用されて、幸福な人生だったであろう。 メトロポリタンミュージアムで買ったネクタイも擦り切れるぐらいにまで使用されて、幸福な人生だったであろう。 またメトロポリタンミュージアムで買ったネクタイか。あと、ブルックスブラザーズのネクタイも擦り切れるぐらいにまで使用されて、幸福な人生だったであろう。これも、多分ニューヨークのブルックスブラザーズで背広買った時に一緒に買ったような気がする。 エンリココベリのネクタイも擦り切れるぐらいにまで使用されて、幸福な人生だったであろう。 うーん、どれが擦り切れてたかな。ちなみに、ヘルメス群はお気に入りの1品である。 アンドリューズタイのネクタイも擦り切れるぐらいにまで使用されて、幸福な人生だったであろう。 これは酷い、ハンティングワールド、間違って洗濯してしまったんだった。不幸な人生だった。 さらに、オレは罪深き人で、ポールスミスに謝らねばなるまい。懺悔である。
2016.03.06
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ルクセンブルク駅前男性用公衆トイレ。これは立小便に囲いをしたものである。当然頭は出るが、背が高い西洋人なら胸も出るであろう。 どうやて、落書きするのだ、不屈の精神である。 蹴りたい象。 左右の違いは何でアルカ。腹の出方。 齧りかけのリンゴ禁止。花にオーラを与えること禁止。指輪禁止。 子供は地べたに座り込みダダをコネナサイ。 夜の8時まではボールアソビをして、それから朝の6時までは誘拐しなさい。オニーサン、サソビ?オボッチャン、アソビ? ルクセンブルク音楽隊。 ハンマーで叩きたくなるノーテンキ集団。 一歩間違えればアノニマス、ガイフォークス。合体せよ。 どこの国の人もすぐ顔にシール貼る。ヘッドショップ寄ったら、あらま、神の草じゃないですか。日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.03.05
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明日休みで特にすることがないぞ、という休みの前の楽しい夜、いつもの如く、むくむくと、明日どっか行こうかな、という欲望と、いかねばなるまい、という義務感に駆られながらも、でもいつもだが、いきなりいくところないんだよなあ、とJALやANAの公式HPを見ると、「石垣島イケルな。先週花巻(岩手県)行って寒かったから、少し暖まるのも悪くないな」と思いながらも、もう思い立った時間は午前零時であり、関空発8時55分ともなれば、7時過ぎの梅田発というこは6時15分ぐらいには起きたいところだな、と思う。人間は2種類あって、朝が苦手かそうじゃないかである。朝は仕事であってもアソビであっても、起きるか起きないかの格闘である。スヌーズ機能なんかやっている駄目な人間なのである。精力的に動いている人間に見られるかもしれないが、実は機械的に動いているだけなのである。 ソレで、石垣は何度か行っているので、更に行くとこアルカHPをいろいろクリックしながら、メモ帳に最後に書きとめるというか、パソコンにどんどん貼り付けて、携帯電話にデータを転送する作業を始めようとするのだが、もう一杯だけドリンク、とかいっているうちに、普段の疲れマックス状態で、座ったまま眠っていたのである。 少し寒いな、変だなと意識を取り戻したのは夜中の2時半であった。飛行機とレンタカーの空き状況は確認済みであり、メモも転送したか?と見ると、各種HPを開いているだけで、全て何の手続きも調べ物もしていないことが判明。どうやら、速攻で眠ってしまっていたようだ。人間は2種類あって、ぐずぐずするかすぱっとするかである。こいつは、やりたい、行きたいという強い衝動や思いつきが必要なのである。それで、すぱっと、明日は優雅に朝寝坊するか、ということに決定。決定されたのは、ぐずぐずしたあとだったので、4時半である。2時間睡眠でで行けっていわれれば行くが、それも2時間のフライト及び1時間の関空バスね眠れるという保証があるからである。しかし、そこは、涙を飲む前に、静かに寝床に入るのである。 3時間もしないうちに、通勤のために起きる目覚ましが鳴り、今日は休みだ、とスヌーズを一発で消し、速攻で寝ると、次に目が覚めたのは6時間後であった。そんなに時間たったか?と自分で驚きながらも、顔を洗おうとするが、マンションが断水していた。断水なんて、20年前の地震以来である。どうやら工事をしているようで、部屋から今日は出る予定もなかったのだが、いそいそ着替え、歯ブラシを持って、目の前のスーパーに行き、トイレにかけこみ用を足したあと、遅い昼飯でも食べるかと思いつき、店で読書し、コンビニに行き、そういえば楽天銀行に入金しておかないとまた残高不足で請求くるな、入金で無料になるのは3万円以上入金せよ、とHPで以前確認していたので、3万円を入金すると、残高が3万1134円となった。そっか、やはり0円ではなかったんだ。1年以上残高不足でなかったのは、ヤフオクで入金されていた金額が2万円ぐらいあったのだなと想像された。この格安携帯電話の料金いったいどこから引き落とされていたのだろうか、と購入当時からちょとだけ気になってはいたのだが楽天銀行からだったのだなと鮮明に理解した。 まあ、財布に3万円も入っていることはないので、コンビニ行く前に、目の前の銀行で金を下ろしたのだが、コチラも平日だったので手数料は取られなかったが、ほとほと銀行に金を預けると損だ。金庫みたいなものだ。利子より引き出し手数料のほうが高くつく。日銀がマイナス金利出して、銀行はそれに反発するために、個人客にも影響を及ぼしかねないなんてデマを流しているが、預けて金利がマイナスになるなら、そらもう皆さん、全て箪笥預金にするでしょ。当座預金には金利がつかないが、現在日銀は各銀行が日銀に当座預金で預けている金に0.1パーセントのお土産金利をつけている。これを日銀はもうやめたい(やりはじめたのは2008年から)ので、マイナス金利やってんだろう。0,1パーセントったって、金融機関は100兆以上の金を日銀当座預金に預けているンだから、金利は1千億円以上だものな。なんだなあ。 まあ、なんだか感で、コンビニで、ついでにカフェラテも頼んで、フーフーいわせながら早々に家に戻るのである。今日はいつもの過剰撒き散らしとは違い、省エネの日となった。 最近のニュースより国土交通省はこのほど国が管理する全国26空港について平成23年度の(2011年)試算結果を公表した。これは企業会計の考え方を取り入れて、平成18年分から継続的に発表しているもの。それによると、収益面では、着陸料などの収入は全体で前年度の約636.5億円から約2%(約13億円)増加し、約649.3億円となった。羽田空港では前年度のD滑走路供用開始にともない増加したものの、その他の空港では震災による影響および使用機材の小型化により減少した。発表されたEBITDA(利払前税引前償却前営業利益)試算によると、東日本大震災の影響が残った仙台空港と乗降客数がゼロだった八尾空港を除いた24空港のうち、航空系事業で黒字になったのは9空港にとどまり、15空港では赤字となった。非航空系事業ではすべての空港で黒字。航空系事業と非航空系事業を合わせた試算では、黒字空港が18に対して赤字空港は6となった。 航空系事業で黒字となった空港のうち、最大のEBITDAとなったのは羽田空港で378億7900万円。このほか、新千歳空港が62億4000万円、小松空港が6億7400万円、鹿児島空港が4億1200万円、広島空港が2億8700万円。(小松はルクセンブルクの航空貨物便か)航空系事業で黒字となった空港のうち、最大のEBITDAとなったのは羽田空港で388億8900万円。このほか、新千歳空港も34億4400万円と高い実績を残した。非航空系事業では、同じく羽田空港が254億6600万円と最大となり、新千歳(57億9900万円)、福岡(47億6600万円)、那覇(38億6800万円)、広島(10億1100万円)と続いた。(広島意外だな、そんな土産物とかあるのか)
2016.03.04
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空港から5,60キロ走り、いよいよ遠野市に入った。遠いイメージがあったが、高速道路があり、1時間弱の運転状況である。2009年に行こうとしていたんだから結局ゆるやかな計画は7年ぐらい遅れたってことだ。感慨深いかというと、いやいや、光陰ぶ矢の如しである。さすがに40代は早はやい、50代は更に1.25倍の速さになるからねえ。(1/40年÷1/50年)脇に入っていく。スタットレスではあるが、軽自動車怖い。正規の駐車場なのか、何だかよく分からないが、イッチョ前に堂々の中央止め(に勝手になってた)ここから歩き。早速、男性のと女性のが出てくる。数分歩いてようやく到着。それが山崎金勢さま。境内の陰陽石については、雪に埋まり、分からず。(参考サイト:雪の無い季節。)賽銭箱の模様がオサレ例によって賽銭は入れないのですが。雨ニモマケズ、風ニモマケズ、雪ニモ夏ノ暑サニモ負けぬ、丈夫な体を持ち、欲は無く、いつも静かに笑っている・・・ということをリンガを見ながら思ったが、ストイックなまでにドーテイ人生を貫いたことと、何だか矛盾することにも気がつきつつあった。鎮座されておられます。そこそこお越しになられているのですね、最近は4日前に書き込まれてますね。それも皆さんマジメなんで、関西から遥々来た自分が情けなくなりました(嘘)。打ち捨てられていたのが寂しげでした。なんだか、省エネで歩いていたので地面すれすれにしか足を上げていないようで、もっと腿上げ必要かも知れませんが、帰りの下りでは、引きずっている感の足跡にならなかったので、上り下りを無意識のうちに最小限の力で歩いていることが分かりました。少なくともこのようには歩いてはいない。2016年岩手 花巻へ(リンク) 遠野 コンセイ様(リンク) 遠野 河童ロード(リンク) 遠野 河童物語2(リンク) 大船渡 碁石海岸(リンク) 大船渡 陸前高田(リンク) その道訪問北海道 レトロスペース2札幌市洞爺湖の珍小島虻田郡洞爺湖町乳神神社浦幌町岩手県花巻温泉郷・金精長根花巻市コンセイサマ 遠野市福島県浄土松公園キノコ福島県郡山市新潟県金玉神社新潟市遊郭に泊まる・東光院・十上神社・岩屋山石窟佐渡島雲母神社関川村ほだれ祭1・ほだれ祭り2長岡市 雁田神社 上越市茨城県御前岩 那須川町栃木県門田縁切稲荷神社足利市性神の館・ 性神の館2宇都宮市日光東照宮横、輪王寺 観音堂 香車堂日光市群馬県迦葉山弥勒天狗寺沼田市縁切寺満徳寺太田市命と生命のミュージアム・ 命と生命のミュージアム2階・珍宝館 渋川市東京都オリエント工業1・オリエント工業2・オリエント工業3・オリエント工業4局部に宿る1・局部に宿る2・局部に宿る3・局部に宿る4渋谷区ロボットレストラン1・ロボットレストラン2・ロボットレストラン3・ロボットレストラン4・ロボットレストラン5・・ロボットレストラン6・ロボットレストラン7・ロボットレストラン8新宿区神奈川県金山神社祭り ・かなまら祭り2・かなまら祭り・かなまら祭り3川崎市静岡県最後のエンタメ系秘宝館熱海市伊豆極楽苑 ・伊豆極楽苑2 伊豆市まぼろしアート館1 ・まぼろしアート館2 ・まぼろしアート館3 ・まぼろしアート館4 ・まぼろしアート館5 ・まぼろしアート館6 ・まぼろしアート館7 ・まぼろしアート館8伊東市山梨県夫婦木大神甲府市長野県姥捨・澳津神社・岩鼻上田市愛知県間々観音小牧市高浜茶屋吉貴高浜市野間大坊 美浜町 大縣神社・田縣神社 犬山市石川県スッポン堂 加賀市和歌山県円月島・歓喜神社 白浜町京都府縁結び神社 ・縁切り神社・五条楽園京都市奈良県宝山寺、色町 生駒市大阪府バーレスク大阪1・ バーレスク大阪2・バーレスク大阪3・バーレスク大阪Ⅰ・ SMクラブ潜入 ・メイドカフェ潜入・滝井新地 ・松島チョンの間大阪市橋本遊郭跡 枚方市兵庫県 なぞのぱらだいす1・ なぞのぱらだいす2・ なぞのぱらだいす3 ・芝右衛門狸、キティ 兵庫県淡路島岡山県軽部神社総社市金勢大明神赤磐市金精神社 高梁市島根県玉造温泉の珍宝石さん、八重垣神社松江市香川県お花権現、林下寺1みよし町愛媛県 凸凹寺宇和島市広島県阿伏兎観音福山市喫茶伴天連東広島市山口県マラ観音長門市福岡県鬼塚観音 岡垣町縁切神社 福岡市不思議博物館1 ・不思議博物館2 那珂川市男根岩 八女市長崎県木花咲耶姫神・雲仙大仏別院いのりの里 長崎県雲仙市壱岐 男岳 男獄神社・壱岐 男岳 賽神社・壱岐 島沖の島壱岐島愛の駅諫早市佐賀県鏡山道祖神・太閤一里塚 佐賀県唐津市秘宝館 ・秘宝館2 ・秘宝館3 嬉野市大分県秘宝館 、秘宝館2 、秘宝館3大分市熊本県七郎神和水町 潮神社(おっぱい神社) ・賽神社(だんこん神社)湯前町柴立姫神社 球磨村弓削神社龍田町弓削法皇社弓削町おっぱい岩 ・おっぱい岩再訪天草市宮崎県鵜戸神社・鵜戸神社再訪1 ・鵜戸神社再訪2日南市陰陽石・陰陽石再訪1・陰陽石再訪2・陰陽石再訪3小林市鹿児島県子授け岩日置市三角関係岩ウエルカメ与論島小山神社屋久島韓国ラブミュージアム・ラブミュージアム2・ラブミュージアム3ソウル女郎街釜山 済州島ラブランド ・ラブランド2 ・ラブランド3 ・済州島 健康と性の博物館 ・健康と性の博物館2・健康と性の博物館3 ・済州島 ワールドエロスミュージアム 済州島タイスイスホテル裏バンコクシンガポールゲイラン地区デンマークエロティカミュージアム コペンハーゲンチェコセックスマシーンズミュージアムオランダソドム街飾り窓・ソドム街飾り窓2・セックスミュージアム・エロチカミュージアム ・エロチカミュージアム2 ・ソドム事情・2018レッドディストリクト
2016.03.03
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機内で台湾モードオン! 夜の1時に台中着いて、腹ごしらえに2時頃に歩くが、どこもやってない。夜市もホテルのカウンターに置いてあるマップでチェックして見に行ったのだが、ノーモアである。 それで、仕方なくセブンイレブンで飲み物買ったので、あとは部屋に引きこもりテレビを見ながら、飲むか。ちょと寒いので暖房入れるか、と思いきや、暑い国なので、冷房しかない。仕方なく、部屋の中でも、外と同じ格好のままだ。これじゃあ、自宅と変わらないな。つまみあり。これつまみかなあ。3本買っておいた。水もな。ウイスキービールって・・・あ、アルコール度数ビール並みや。普通やん。明日の行き先をチェック。 あっという間に午前4時を越える。テレビも見てない、海外でテレビ見るのは主にコマーシャルである。 朝食は、豆乳にお粥にオカズお粥うま。お代わりしておく。タクシー運転手に鹿港の名物の肉まんの店に停めてもらうが、急いでいるので、そのまま行ってくれという。急いで空港戻ったら、しっかり時差1時間間違えてて、出発まで2時間半も時間できたので麺食う。それで機内食が1時間後に出るが、ビール以外ほとんど残す。あれ?タイワンで2食で終わった?どうやらそのようである。誰も気にすまい、自分含め。1年ぶりの台湾 良く分かる台中 南天宮入口 南天宮 十八地獄 1彩虹眷村 2 彩虹眷村 南天宮入口 鹿港貝殻廟 鹿港ルーガン 奇々貝々 台湾から帰国 台湾gourmetの旅 時差
2016.03.02
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タイ最初のの飯は、やっぱりカオパっである。列車乗る前にちょと立ち飲み、というか歩き飲みの不良外人。夕食は、ちょっと落ち着いた高級店で、ゆっくりビールを飲みながら、ゆっくり飯(ヤムフーセン=タイ旅行素人料理)を食う。店員が辛いよ、と注意するが、ファラン(外人)だからってカライの駄目って思われたのか、ウーン、まあ、いいよ、と涼しい顔をして、この店、実は割りとチリ要れまくりの店なのである(今日で3回目)。サテ飲み食い終わったので、飲みに行くか。梯子である。カウンターで携帯いじってたら、旅行無料WIFIに繋がって、距離感ないなあ。 さてスーパーでお菓子買ったので、あとは部屋に引きこもりテレビを見ながら、ビール飲むか。次に出かけるのは小腹が減ってきたからである。屋台は久しぶりの幸福感であった。バーミーナムを食う。ビール大瓶とね。 さて、帰ってから飲みなおし。あ、3時か。朝は、帰らないといけないので、本格的屋台コーヒーである。マシーンで入れる、だも、やっぱり甘い。甘いがいける。飲みながら駅を目指す。寝過ごしたのでカオトム食べる時間なし。(前に来たときにあった屋台群は、今日は休日なのかでていない)ま、次にメシ食うのは翌日帰りの飛行機の中ということである。 あれ?タイで2食で終わった?どうやらそのようである。誰も気にすまい、自分含め。暖まりにタイへ 久しぶりのタイへ ワットムアン続き ワットムアン地獄に急ぐ ワットムアン2 ワットムアン3 ワットムアん5 ワットムアン6 ワットムアン地獄以外 ワットカイ2 ワットカイ3 27年ぶりのアユタヤ 仏陀は開眼する オマケ涅槃 あまり画像 タイgourmetの旅 アユタヤ→バンコク バンコクチャイナタウン バンコクから帰国
2016.03.01
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