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まあそれはいいとして、ふと気が付けば、不肖恥ずかしながら3週間前にもバンコクに来ているのである、というか同じ便に乗り、早朝、同じコンビニで朝からビールを買い、コンビニの前の同じシートでビールを飲んでいるのである、ダメじゃん。タイ航空だが、インドへの道は機内食もチャパティーセット。 ちなみに、帰りはバンコク屋台でバーミーナム。こんな小さい窓口ひとつのマクドは見たことないな。さすがインド、悠久の下僕。ドナルド、テイクアウトするか。バーに行く。ハッピータイムビール60とか書いてあったから、入ると、バドワイザーしかないという・・・仕方ないな。パンジャップ料理のベジタリアンに行く、というか通りがかり入った。パンじゃぷ料理はギー(バター煮詰め)を大量に使う。パンジャプ料理に有名なものはタンドールだね。ナン、パコラもパンジャプ発祥だね。ラッシーも頼むと、前の店で作ってくれる。ここはバナナラッシーで勝負だ。にいちゃん、バナナ剥いて手で触らないで欲しいな。20歳を境に舌が変わったなあ。結局トータル何か月かインドネパールに居て、毎日何食ってたのかよく覚えてはいないが、10代に最初にインドに行ったときは、コルカタのニューマーケとの中の1.5ルピー(25円)カレーを毎日食べていたが、カレーは刺激が強く辛かった。2週間ほど経過すると、もう香辛料で味付けしたものを食べたくなくなって、食パン(インドの食パンは大きさが日本の4分の1だった)に青玉ねぎ乗せて齧っていた。そして20代になって、1年半ぶりにインドに来てみたら、あれ?舌が変わった、むっちゃ美味い、どうなってんだ、大皿(ターリー)だ、ということになって、毎日がカレーであった。何度か、チャイを飲む。あとは寝るだけだ。キングズフィッシャーはいつの間にかインド最大のビールになった。昔はボンベイにしか売ってなかったような気がするのだが。あとはコルカタではゴールデンイーグルとか、日本じゃみたけど、タージマハルビールってのもあるな、あとはゴッドファーザーか。マオウは、スペインビールじゃねえか。やっぱり、残念ながらアウンサン将軍の娘というだけで、政治力はあまりなかったのではないか、残念ながら。あ、値段かいてある。何故か、TGでバンコクからインドへ向かう機内に入ったところ、日本新聞(読売)が3冊あった。スナック菓子買いに外に出る。ついでに、ビールも追加で頼みに行くが、10時前閉店間近であり、何か、ビールの本数が減り、ショーケースにアテンションと書いてある。何だよ、と思いながら1本購入すると、うわ、最初にかったときは大瓶60ルピー(150円)だったのに、閉店近くになって110ルピーに値上げしている!それでも、酔っ払いインド人が買っていく、商魂たくましいなあ。つまみ、うまい。しかし、本来、インドという国の飯は家庭料理にあるんだよねえ、だから、弁当配達屋も繁盛、外で食べるのはランクが下がるんだよねえ。さすがに、寝不足、途中で意識を失い、ビールを3分の1、スナックを3分の1残したところで撃沈し、気が付けば6時間を経過していた。朝だ。う、ラベル見たら、ディアデビルだった・・・敢えて悪魔する?マオウグループか、はっ?魔王? インドへ1。インドへ2。うんコ詐欺に会いにインドへ。インドgourmet drinkの旅。デリー観光シャルダーム寺院。30年前のデリー。パハールガンジ、ニューデリー駅前。デリーから帰国に向かう朝。バンコクトランジット。
2016.11.30
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兵庫大仏をついに見に行くことにした。一五時、何となく、空白の時間が出来たからである。その前に駅前のエビス神社に寄るが、エビスはえびすでも、ヒルコである。蛭子のほうかいな、とうことかいな。ところで、フィデルは2つのギネスを持っていた。国連で演説の持ち時間5分か10分を4時間半行ったこと(キューバ国内では7時間以上)と、暗殺されながらに死ななかったこと。CIAだけでも150回弱、実に600回以上命を狙われながら天寿を全うした。多分カストロは、先が見える人間だったんだろう。それ人間じゃねえ。だいたいあのちっぽけなグランマ号(全長18メートル)80人でキューバに上陸し、その日のうちに20人弱になりながら、革命を起こすこと自体、奇跡としか思えない。住宅街の中にあるのである。明治時代に訪れた外国人、兵庫大仏見に来ているんだよねえ、割とメインのところで、今のは新しいけど昔からあったみたいで、日本3大大仏だったとか、ほんまか。見ると、明治24年に最初の建立か。そういうもの見に来るのかねえ。初代の大仏は、戦時中に金属回収。ああ、初代だけが、日本3大大仏ね。まあ、奈良と鎌倉、あとひとつどこやねん、無理やり考えてる感あるわな。3つそろえたいのかい?寺伝では延暦時代に最澄により創建されたとされており、日本最初の密教教化霊場らしいが、ほんまか。平清盛所縁の寺としても知られているが、兵火で焼失。まあ、要は、平清盛が出家した寺ということで。本当は、平清盛の墓は不明。だから1200年か。昔から神戸港があったのか、最澄が唐から帰ってきた神戸で、寺建てたという。おお、ここもペルリだ。やっぱ、黒船で来たのは、ペリーではなく、ペルリだよ。おお、いい表情しているなあ。ゆるキャラ系である。大仏さんの裏にトイレつくるの?あ、裏手か、大仏の中かと思いました。兵庫県にも兵庫はある。福島県には福島市が、大阪府には大阪市が、京都府には京都市が、福岡県には福岡市が、新潟県には新潟市が、あるがたいていが県庁所在地であるが、兵庫県は違う。但し昔は神戸の中心は兵庫港のある兵庫県である。それが、中心が兵庫の東の神戸に移り、更に東の元町、そして現在社会ではその東の三ノ宮に中心が移っているんである。次は王子公園で降りて、横尾忠則をちょと見に行く。水道筋の入口、スリランカ料理、カラピンチャ、何度か食った。しかし、水道筋商店街を歩くのは、31年ぶりであった。何度か通った千疋屋もどこにあるか忘れてしまった。代が変わって存在すると風の噂できいていたのだが。大根が絶品だったな。どうやら筋が違ったようだ。水道筋商店街、まだ元気な商店街だなあ。去年、JR東海道線、灘と六甲道の間に、摩耶駅ができたが、シーン。何故閑散?ゴスペルチャーチ?どこが教会か、どこがゴスペルか、それは秘密です。18メートル君です。
2016.11.29
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ニューデリー駅前は、2010年に拡張されたようだ。もっと混沌としたイメージであったが。ここは、安宿街であり、メインロード(メインバザール)も拡張したといっても、6年ですでに印度化し、どこにも新しさのない状態になっている。確かに道幅が何か広がったのではないかと思っていたんだ。せれで脇道の路地は逆に狭くなったような気がした。やっぱり、インドはカルカッタから入るのが正しいと思う。あそこで、生死というものを感じてから各地を回るのが良いと思う、が今はどうなのかは知らない。パハールガンジに初めデリーに入ってやってきたら、これが雑踏のいわゆる予想通りのインドだなあ、と感激するかもしれないが、やっぱり観光地なのである。それはそれで楽しいのであるが。あのクリシュナカフェの景色よさそうだな、と思って行ってみようかと思ったが、窓側は西洋人で埋められていたのでやめ。まあ、全世界の商人がぼったくろうと襲ってくる感じではあるが、何も買わなければ問題ない。欲しいものないからね。さて、昔の記憶が戻ってきたかというと、忘れている。方向は覚えているのだが、さすがに29年前とは店も変わってしまった気がする。ふと、よく行っていた食堂もなくなっていた。英語のメニューは、壁に掛けてあるメニューだけで、外人が来ると、それを外して持ってきてくれるのだ、額縁にはまったままのメニューを見て、ベジカレーを頼むと、煮込んだジャガイモ一個がそのまま出てくるのだ。それをほぐして食らう。これは、角度と時間は違うが同じ場所だ、29年前と。そうだな、パハールガンジは、観光地だ。陳列棚だ。来年、あの宴会から30年だなな、ということのメールが入ると思う。初めてパハールガンジに泊まったのは、19歳、通り外れのドミトリー、屋上。確かに安かった。夜になると、屋上に板を張り、屋根を作るのである。雨というより、蚊の侵入を防ぐということなのだろう。泊まっている人はバックパッカーではなく、インド人。主人がおかま。1泊100円。夜中は、インド人の大鼾で寝られず、早朝から天井の板を外し始めて騒がしく、おかまの主人の猛攻が晩にも朝にも受ける。それで100円。さすがの貧乏なんちゃって旅行の俺も1泊で退散である。だいたいの地理的な場所は覚えているのだが、ホテル名も覚えてないし、随分昔の話だ。さすがに旅の終盤、あとは日本に帰るだけなので、3倍ぐらい払って個室に移るか、という気になり、1か月ずっとドミトリーだったが、遂に個室へ。それで行ったのが、たまたまだがボンベイロッジである、今は立派になってボンベイパレスになっている。その19歳のインドから帰る日に、パハールガンジで書いた日誌。日本へ帰るという朝、六時。最後に活発な朝の営みをもう一度、と道端に座り続けている。寒くて腰巻を体に巻きつけている。ちょうど、隣に台車を転がしてきたみかん屋が止まった。ここで営業するつもりらしい。早速おっちゃんにお金を渡す。朝一番の客におっちゃんは仰々しくお金を頭の上に挙げて目礼した。今日も一日やるぞ、という意気込みを感じた。目の前を、リキシャー人人人リキシャーオートリキシャー牛人人人。 犬二匹が喧嘩をおっ始めた。そこをゆっくり歩いていた牛が、突如犬目掛けて走りだし、喧嘩を止めさせた。犬の喧嘩の仲裁をしたことより、インドの牛が走ったことに驚く。 目の前にポンプがあり、人々が水を汲みに来る。そのおじさんもそういった人々のひとりであった。バケツに水を汲み、脇に置いて、もうひとつのバケツにポンピングして水を入れている間に、密かに牛が忍び寄り、ごくごく置いてあったバケツの水を飲んでしまい、しなやかに素知らぬ顔をして歩いていってしまった。そのおじさんが振り向いて、あれっという顔をして私を見る。漫画の世界か。 インドでもある薬用成分のある棒を歯ブラシに使う。次に来たおじさんは、得意そうに私を見ながら、にやけながら歯を磨いていたのだが、歯磨きに集中していなかったのか、棒を喉奥に突っ込み過ぎた。オエー。彼は吐いた。君はコメディアンか。 寒いのは続くので、暖かいティーを飲むことにして近くの掘立て小屋に行く。朝から数人座ることのできる店は繁盛している。そこに乞食かクーリー(苦力)か、無茶苦茶汚れた服を着た、垢か地か分からない真っ黒な顔をした男が、本当に大事そうに一杯のチャイを啜っている。ゆっくりゆっくりと。彼は、飲み干すと、汚れた小さな財布を出した。一ルピー硬貨が五、六枚見える。もし、これが彼の全財産なら、何てダンディな奴なんだ。彼は、一ルピーを渡して、雑踏の中へ消えて行った。昔、ルンギー(腰巻)で旅行し続けていたが、見ないねえ、都会だからなのか。(リンク先の持ち物にTシャツ2枚が抜けているね。) まあ、現在も、渋滞でなかなか前に進まないメインストリートであるが、路地も、バイクがバンバン走っている状態。つくづく、20代前後に感じた粗削りでみずみずしい感覚は消え、妥協と鈍感力が増進されただけだと感じる初老の男であった。それは仕方ないことであった。と弁解しつつも、悲しくも仕方ないことであった。ただ、懐かしさを感じなかったのは何故か。食事をしつつ、茶も飲みつつ、路地を右往左往2時間程歩き、すっかり夜となり、宿に戻ることとする。それにしてもパハールガンジとコンノートプレイスの間がこんなに分断されていたとは、記憶から消えていた。離れてはいるが、商店がずっと続いているという記憶であったが、それは違ったし、パハールガンジメインストリートを南下するほど、コンノートに近いと思えば、それも違った。駅からのほうが近かったのである。 もう場所は覚えていないが、アジア旅行すると、いつも生野菜サラダを食べたい感覚に陥っていたのだが、コンノ―トプレースのちょっとした貧乏旅行者には敷居の高い店で野菜採り放題の生野菜バイキングの店があって、さすがに大学3年ともなると、大学1年より何となく貧乏至上主義耐えてインド主義も消え、何人かでオートリキシャーに乗り、コンノートのその店まで行った。汚いのは俺ら外国人だけで、外国人は俺らだけである。草履の人もいないし、ましては、俺だけがルンギー(腰巻)であり、入り口で少々揉めたが、外国人特別枠で入れてもらった。今考えると、ほんと無礼で、他のお客さんに迷惑かけたと思うが、当時はごめん、生野菜食べたい、お金ある、という傲慢なものだった。(考えたらフィリピンでも地元高級ディスコで、ドレスコードあるのに、短パンサンダルでヘラヘラ出かけて、止められて、外人特別枠で入れてもらったなあ。勿論外人なんかこないエリアだよ。いやア恥ずかしい。一緒に行ったばっちり決めたフィリピン人が、こいつは外人のゲストで、旅行中なんでこの服しかないんだ!みたいなことを言ってくれて何だか、入れたんだよなあ。ごめんなあ) それで反省だけど、態度も悪くて、椅子の上に片足乗せてたら、インド人支給に怒られ、あ、ごめん、と足を下ろしたら、とても紳士的に、ベリーナイスと言われ、すんごく無礼な自分が恥ずかしくなったんだったなあ。その後もいろいろな小さなことが20歳代であって、少なくとも他人を不快にさせる態度はいけないなあ、という当たり前のことを学び、外見ごときで判断されないように、時と場所を選びなさいなということを学んだなあ。本当は誰でも内面を見てほしいけど、まず見た目で判断されるからねえ。見た目は普通にしとかないとねえ。(何が普通なのかはおいとくがね)そういえばさあ、トランプが決まった日に、カルフォルニアでマリワナ法律で解禁になったよねえ。日本だけが時代に遅れているが、かるフォルニア、その師匠が菊地さんだ。 インドへ1。インドへ2。うんコ詐欺に会いにインドへ。インドgourmet drinkの旅。デリー観光シャルダーム寺院。30年前のデリー。パハールガンジ、ニューデリー駅前。デリーから帰国に向かう朝。バンコクトランジット。
2016.11.28
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11月のインド北部の朝は、Tシャツ1枚では寒い。コンノートプレースからぶらぶら散歩しながら、ニューデリー駅に向かう。それも安宿街やメインストリートがあるパハールガンジとは逆側にである。朝からスモッグである。駅に近づいてくると、オートリキシャ軍団の出現。首都ニューデリー駅の前で体洗っている、これインドだねえ。昔、ニューデリーに行って、初めてオールドデリーというのがあることを知った。もう30分ぐらい時間があるからここからオートリキシャかリキシャでジャマーマスジッドかラールキラー、チャンドニーチョーク行ってみるかな、と思った。行ったのは、もう31年前である。デリーとニューデリーの違い。やっぱり、首都ニューデリー駅の前で体洗っている、これインドだねえ。あの頃はデジカメもなかったから、どこに行っても、カメラ出すと振り向かれた、ジャマーマスジッドも同じ。お、サドゥか。椅子が1つ空いているのをみたので、チャイを飲む。さて、ニューデリー駅からはエアポートエキスプレスが出ており、100円、20分でインディラガンジー国際空港(ターミナル3)に着く。渋滞がないので、タクシーの倍は早いのである。ただ、なかなか、駅に入るセキュリティの列で進まない。早々に空港に到着。インディラガンディーは私が初めて行った時にはすでにシク教徒に暗殺されていた。マハトマとは血縁関係はないが、ネルーの娘である。息子のラジブガンジー首相もタミル・イスラムに暗殺された。ちなみにハイデラバード空港はラジブガンディー空港と言われている。ラジブは政界に入る前にはインディアン航空のパイロットであった。インディアン航空は、乗ったかどうか忘れたが、今ネットで見ると、2007年エアインディアに経営統合され、2011年完全統合されているとのことだ。国際線も飛ばしてたと思うのだけどなあ。ちなみに関係けど、コルカタは、Chandlerボース空港である。チャンドラボースは、ベンガルではガンジー以上に人気がある。アチャー、インドで問題のギャラウシー7を堂々目立つところに宣伝、飛行機乗せられないのに。そういえば、タイ航空も機内アナウンスの一声目が、「ご利用ありがとうございます、サムスンギャラクシー7は当機に乗せることはできませんので、お持ちの方はお近くの乗務員にお声がけ下さい」、であった。何となく、インド非効率という印象があったので、2時間前には空港に到着(来た時も空港の外に出るまで1時間はかかった、あれ、アメリカより早いね)したので、帰りもそうかと思いきや、飛行機はまたもや空いているみたいですんなりチェックインし、イミグレを抜けるのに30分ぐらいかかったのみ。うっかり、1500円分ぐらいのルピーが余ったので再両替しようと銀行に行くと、金額が低すぎる!と拒否される。(結局バンコクでバーツに両替した)間席なの、いやだなーと思っていたら、たくさん開いていたので、席を移動。なんで、嫌がらせか?と思って勝手に移動したが、他にも乗務員が、キツキツのところに座っていた人を、あっち空いているからとばらけさしていた。タイ人優しいねえ。視界悪いね。インドさらば、だよ。日本までの続き。インドへ1。インドへ2。うんコ詐欺に会いにインドへ。インドgourmet drinkの旅。デリー観光シャルダーム寺院。30年前のデリー。パハールガンジ、ニューデリー駅前。デリーから帰国に向かう朝。バンコクトランジット。
2016.11.27
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やがて、パッキングも終了。パッキング時間3分。土産物買ったか?いいえ何も。荷物増えたか?擦り切れた下着捨てたので、荷物減った。草履の砂も、落とした。空港は見えているので、歩いて行けそうな気がするのだが、丘の上にまっすぐ行けない道路システム。今まで、空港まで歩いて行ったことあったかな。ジャマイカのモンテゴベイなら歩けそうな気がする。3キロほどだったんじゃないかな。国土交通省は国が管理する全国27空港について、2015年度収支の試算結果を公表した。滑走路などの基本施設事業(航空系事業)の営業収益は2014年度の約1048.25億円から約1071.61億円に増加。訪日外国人旅行者の急増による航空需要の拡大や、国際線着陸回数の増加、LCCの新規就航や増便などにより着陸料などの収入が増加。経常利益も前年度の約226.02億円から約289.75億円に増加した。旅客・貨物ターミナルビル事業等(非航空系事業)の営業利益は前年度の約321.67億円から約382.42億円増加。経常利益でも、前年度の約278.27億円から約339.94億円に増加し、営業利益、経常利益ともすべての空港で黒字となった。国際線乗降客数の増加やインバウンド消費の拡大などが、非航空系事業でも利益押し上げの好要因となっている発表されたEBITDA(利払前税引前償却前営業利益)試算によると、乗降客数がゼロだった八尾空港を除いた26空港のうち、航空系事業で黒字になったのは5空港で、前年よりも3空港減少。航空系事業で黒字となった空港のうち、最大のEBITDAとなったのは羽田空港の435.16億円、次いで新千歳空港の約51.17億円、小松空港の約2.6億円と続いた。トップ3のうち、羽田空港は前年と比較して約60億円増となった一方、新千歳空港と小松空港は前年を下回る結果となった。非航空系事業ではすべての空港で黒字。航空系事業と非航空系事業を合わせた試算では、黒字が18空港(前年同様)。非航空系事業でもトップは羽田空港で455.52億円。次いで新千歳の93.58億円、福岡の65.09億円、那覇の55.33億円となった。2016年11月8日航空ニュース。・・・18も黒字なの?私の認識では、黒字空港は、2,3しかないと思ってたけど。空港では、グアムにティーウエイが乗り込んでいた。韓国のうじゃうじゃあるLCC,チェジュ航空、ティーウェイ航空、ジンエアー、エアプサン、イースター航空、エアソウル、5社も日本に乗り入れている一方日本からはピーチのみである。台湾では、1年で早々にVエアが退散したように、5社はどうなんだろうなあ、まあ、韓国人の来日が昨年より100万人増えているからなあ。日本好きなの?この前のパククネ人気調査で、支持率5パーセント、若者に限っては0パーセント、0パーセントって・・・。あと1年半あるから辞任するんだろうなあ。しかし、野党議員は辞任要求を強く出していないのは、選挙に出せる人がいない、もう1年半なんだから選挙したくないってことなんだろうか。次の大統領はあれか?国連総長だった人か?ありゃ人選失敗だったね、国連総長は、他国に影響の少ないよわっちい国から選ばれなければならないよね。韓国は強すぎた。今、ポルトガル人で、苦々しいと思っているのはモザンビークぐらいかと。韓国人国連総長がえこひいきで韓国人っばかり採用したものだから、国連から日本人わりと辞めた辞めざる得なかったらしいね。こんな人がなっても、またろくでもないような・・・。トランスアジア航空(台湾)解散。落ちた次の日、台湾行って、事故現場見たなあ。その前にも落ちて、3つ先の知り合い(知らない人になるが)が墜落で亡くなった。11月26日 キューバ フィデル死去 90歳以上、自己都合より、今日はおしまいとしますが、画像がいっぱい余りました。ところで、今日初めてシマムラに行き、家着のスエット上下1000円を買いました。それから、今日初めてサンキに行き、家着のスエット下399円を買いました。30年ぐらい前に買ったジャージの下のゴムがゆるゆるになったので。それで30年ぶりに捨てました。
2016.11.26
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サイゴンの夜は更けていく。フライングもする。行ってもた。明日行くところを携帯地図で確認、ん、大雑把すぎか。サイゴン香港2時間半。早朝、チェックアウトするときに、ふとフロントの横にあった。香港1香港ドル =13.3901527 円広東語では大嶼山(ダーイユーサーン)と呼ばれている。昂坪360(ゴンピンNgong Ping 360)に乗るかと思いMTR 東涌(トンチョン)駅からすぐの乗り場に行くが、多くの人々が列をなしていたのでやめることとする。東涌駅から空港までは、バスまたはタクシーでの連絡となる。東涌(トンチュン)まで行けて、料金はS1は3.5ドル、S56バスなら3.6ドル、つまり50円弱で、10分に1本ぐらいある。ランタオタクシー(水色の車体)でもHK$55ほどだ。ロープウエイゴンピンに乗るのはやめて、タイオー・スティルト・ハウス(大澳漁村及棚屋)に行くこととする。東涌駅近くの、離島行バスのターミナル一番奥、緑の看板に「11 大澳」と書かれている。所要時間1時間である。隣はゴンピン行きのバス停。フェリーで東涌へ戻ることもできるようだが、詳細不明。所要時間30分。途中、空港のすぐ側を通るため、海の上から飛行機の離着陸を見ることができるようだ。東涌の船着場から東涌駅までは徒歩で10分ほど。しかし、往復2時間とバスの待ち時間を合わせると、不安になってきた。やめておこう、じゃあ、香港の中心部をぶらぶら歩きにいくか、そういうことになった。意味なくガリンペイロという言葉を思い出した。ブラジルアマゾンで金鉱を目指す人のことだ。香港といえば、学生時代、香港チケット買い組とバンコクチケット買い組がいて、アジアではこの2都市が格安チケットのメッカであったなあ。LCCもネットもない時代、いかに安く日本を出国できるか、がいつもの課題であった。勿論鑑真号片道2万円で上海行があって、そのくせビザ代金が1万円であったな。1997年7月1日、香港は、ちうごくに99年間の時を経て返還された。返還光景を皆で見に行かないか?私はそういうファックスを十何人に流したが、答えは、イイネ(いいえ)で終わったのであった。みんな行きたいかもしれないが、皆、忙しいのだ、忙しさとお金は自由いや、遊びに優先するのである。昔、ちうごくから香港に、豚の腸を浮き輪にして海に飛び込み亡命した時代があった。ああ、あの頃は、無法地帯九龍砦に行けばよかったのか。しかし、取り壊さずにせめて軍艦島みたいに観光地にすればよかったのにね。そういえば、台湾も金門島は厦門からほんの10キロである。台湾本土からはかなり遠い150キロほど離れた不思議な島である(グーグルマップで勝手に目測)。九龍砦写真集どこいったんだろう。部屋のどこかにあるはずなだけど。NH874 HKG15:20 KIX20:05 帰りは割と空いてて隣はだれもいない。2枚の写真を渡され、どちらを食べるか選べるシステムで、これは、いつも思うけどなかなかいいシステムだ。言葉いらないからね。18歳人生最初に乗ったタイ航空の最初の食事が「ビーフORオタテガイ」だったからね。なんだ、オタテガイだ!というと、ホタテ貝であった。あと、飲み物をビールと言ったら隣で、もう日本じゃない、ビアだといわれたなあ、え、あれ?18歳?アルコール良かったよね? シティエン公園1。空港から直行。シティエン公園2。シティエン公園3。シティエン公園4。サイゴンカフェ、アップサイドダウン。サイゴンナイト。べトナムあまり画像。香港経由で帰国。油麻地から尖沙咀まで歩く。尖沙咀から香港島へ。香港空港。バンコクサイゴン香港周遊旅行。
2016.11.25
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高雄空港は地下鉄で行けるありがたさよ。高雄駅まで、まー30分ぐらいかな。空港に関係ない人がいっぱい乗ってて割と混んでいたのだが、1,2駅前にドドーンと降りて、荷物ある人が、ポツンポツン状態となった。察するに、この人たちは旅行者で空港に向かうのだなと。察しなくても分かるか。寄り道したもので、70分ほど前にチェックイン。東京ソウル台北、大阪釜山高雄、第2の都市の意地か。何の意地だ。まあ、大阪、何も第2の都市じゃないんだけどね。まあ、首都圏以外なら第2になるかも知れないが、名古屋や福岡の人たちは多分、自分たちが第2の都市と思っているかもしれないね。まあ、大阪と言っても、京都神戸からは、何だかなあと思われているけど、何を隠そう、大阪の人は、奈良をなんだかなあと思っているが、奈良は大阪に憧れているんだから。なんだか、これ、ラスベガスみたいだねえ。今度は、離島にも行ってみたいねえ、特に監獄島に行きたいねえ。緑島。あとは、厦門すぐ近くの島、厦門から行ったほうが早いからねえ。ちなみに、iTaiwan(愛台湾)利用に必要なもの携帯電話とパスポートだけである。安心せよ。パスポートを旅客服務中心(旅客サービスセンター)で見せると、利用に必要なIDとパスワードを発行してくれる。名産品だそうですしかし、何でもいけど、LCCが出て、どんなけ1日台湾就航してるねん、って感じだよ。スクート、ピーチ、タイガー。トランスアジア航空(台湾)解散。落ちた次の日、台湾行って、事故現場見たなあ。その前にも落ちて、3つ先の知り合い(知らない人になるが)が墜落で亡くなったなあ。チャイナエアラインで帰りましたが、なんだか少し遅れてて、見ると、機内から掃除する人たちが出てきたわ。香港ないやん。北京、蘭州、西安、チェンマイ、バンコク、プーケット、ペナン、ホーチミン、マニラ、コロール、グアム、東京、小松、函館、ソウル、行きましたが、なんでその都市なの?高雄上空。西子湾。関西からじゃあ、沖縄と変わらないからねえ、15分ぐらい遠いだけかな、あ、高雄じゃ30分ぐらいは遠いな。そうやって、2時間半程度で、大阪に帰ったという近さよ。以上、トイモイ日記台湾マトメ。 台風超えて台湾へ、台湾抜かして日本へ。佛光山そのもの。佛光山 浄土洞窟1。佛光山 浄土洞窟2。佛光山 浄土洞窟3。佛光山 浄土洞窟4。佛光山 浄土洞窟5。佛光山記念館。左営駅 瑞豊夜市。高雄から隆田、麻豆代天府へ麻豆代天府 到着麻豆代天府 聖女の生贄麻豆代天府 天国地獄麻豆代天府 十八地獄前編麻豆代天府 十八地獄後編麻豆代天府から高雄に戻る。六合夜市。台湾gourmetの旅1。台湾gourmetの旅2。高雄 西子湾。高雄から帰国。
2016.11.24
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福島空港から100キロ、1時間10分で到着したのであった性神の館。ヒワイな入口は、自動ドアとなっており、勇気をちょとだけ振り絞って入ると、自動的に館長の方が受付に出てきた。コースの説明である。「全10コースぐらいある中で、1コースだけなら100円、お試し5コースなら500円、全コース写真撮り放題なら1000円、この館のいいところ、よくないところのレクチャーを受ける。よくないところは、期待するほどえろくないということ」であった。はるばる関西からやってきたので、ここはでっかく1000円コースであり、最後まで館長のナレーション付である。「孝謙天皇に仕え、寵愛を受けたとされる道鏡、女性天皇を喜ばし、きょこんの持ち主という通説である。」まるで、ロマノフ王朝末期のラスプーチンである。なんだか、つかみどころのない、性的ギャグをかましながらも、館長は説明を快適に飛ばしていく。私は、ほう、はあ、へえー、と若干驚いたふりをしながらも、本当に、なるほどと感心するところもあったのである。1回だけだけど。それは、道祖神というか、ちんまん系のものは、数知れず全国津々浦々にあるということであり、それで、ぐぐってもぐぐても、いくらでも出てきたり、出て来なかったりなのか、ということであった。「こういったところは、どのくらいあると思いますか、栃木で74か所(いや違うか、忘れた)ありますよ、でも県別にみて多いわけじゃないんです」、と。「14位なんです」(だったかな)。「神奈川県が一番多いんですよ、おたく、どこですか、ああ、兵庫、少ないほうですね」、と。エー兵庫県、兵庫県、と分厚い資料をめくりながら、「この前9月18日に祭りがあったはずです、あーこれこれ(うわ、日が当たっている)」。そこはどこか、私も分かったが、ほー、私の実家近くですなあ、と返事する。「大島渚とか藤竜也とか愛川欽也とか来ましたよ、山本しんや監督に至っては、3時間も滞在されましたよ」、ということであった。「昔の埴輪にも、こーんな突起物のものが発見されて昔話題になりましたが、その後もイーパイ出てきて珍しくなくなっちゃったんだね」との説明。「豊穣、子孫繁栄、そういう意味あいで祭りがありますね。神奈川県でも、ほら、カナマラ神社では、おかまによる、エリザベスっていうんだけど神輿担ぎあるんですね~。」ああ、行ったなあ、面白かったと思いながら、ほうへーなるほどと、返事をする。「ネパールでも、カトマンズ中心のお寺でもこんなラン交したものが、レリーフであるんですね。」こりゃ、ダルバール広場じゃねえか!しかし、こんなん覚えてないな、ということであった。「中国ではお金の裏に結合を鋳造しちゃったりなんかしたんだけど、昔は自由だったんですねえ。」「ところで、こんなに、3ぴー4ぴーしちゃうって、それも神様が人間としちゃうって、インドではシバ神というのがいましてね、・・・(以下長い説明)」昔、インドに行ったとき、人気の神はシバとビシュヌ(ブラフマーあったかなあ)で、好きな神をインド人にきくたびに、シバシバシバ、破壊の神!であったなあ。「一夫多妻制であなく、多夫一婦制の地域もあるんですよ。男兄弟が一人の妻をめとるんですね。あ、さっきみたいに乱コーじゃないと思いますよ。」3か所ほど紹介された。女系社会だな、チベット系は多いな、男は出稼ぎにいってしまうからの考え出されたんだねえ。そいうえば、インドネシアのスマトラのミナカンバウ族も女系だったな。一夫多妻の説明もちゃんとしてくれて、「昔は、イスラムできたときに、戦争に男が駆り出されて、戦士するから経済的に裕福な男が戦争で夫を失った未亡人を救うシステムだったと。」何故か分からんけど、ムハムンドはクルアンかハーデスで定められた以上の人数の妻を持ってたんだよなあ。さすが預言者。か?「それで、コロンビアじゃあ、逮捕されるときでも、そのとき行為中なら終わるまで待て、という府立があるんですよ、だからピンチになったら、やれってことですよ、相手いたらですねえ。」「インドでも、あるんですよ、カジュラーホってとこが、私が行ったのはもう40年前ですけど。」というところで、遂に私も、「あー私も30年前に行きました」と言ってしまったのである。「そうですか、それで私はミトゥナ像を自分で作成しました、とのことであった。」すげえ。「これ、タイの土産物じゃあ、もう売ってませんからね」とのことであるが、確かにこんなの見たことない。大昔、こんなの売ってたのか!「歌麿も北斎も晩年まで売れなかったので、春画描いてましたが、歌麿は、キョコンで描いたんですよ。」ああ、だから、オーウタマロ~か。「それに対し、北斎は、女性のアッコもみっちり系で描写してたんですよ、でも見てください、女性が、皆さんオバサンなんですよ、お金なかったんですよ。」「博多人形も最初は売れんかったので、えろ系に走ってたんですよ。」「それで昔は10代、しょじょで結婚が当たり前、何をしていいのか分からないので、こうやって絵を娘に持たせたんですよ。」・・・後編に続くはず全国祭り期日。 2016年栃木 栃木へ(リンク) 栃木 精神の館1(リンク) 栃木 精神の館2(リンク) 栃木 生姜ミュージアム(リンク) 栃木 塚田さん(リンク) 宇都宮 大谷寺(リンク) 宇都宮 大谷ストーン(リンク) 宇都宮 餃子人間(リンク) 日帰り旅行失敗(リンク) その道訪問北海道 レトロスペース2札幌市洞爺湖の珍小島虻田郡洞爺湖町乳神神社浦幌町岩手県花巻温泉郷・金精長根花巻市コンセイサマ 遠野市福島県浄土松公園キノコ福島県郡山市新潟県金玉神社新潟市遊郭に泊まる・東光院・十上神社・岩屋山石窟佐渡島雲母神社関川村ほだれ祭1・ほだれ祭り2長岡市 雁田神社 上越市茨城県御前岩 那須川町栃木県門田縁切稲荷神社足利市性神の館・ 性神の館2宇都宮市日光東照宮横、輪王寺 観音堂 香車堂日光市群馬県迦葉山弥勒天狗寺沼田市縁切寺満徳寺太田市命と生命のミュージアム・ 命と生命のミュージアム2階・珍宝館 渋川市東京都オリエント工業1・オリエント工業2・オリエント工業3・オリエント工業4局部に宿る1・局部に宿る2・局部に宿る3・局部に宿る4渋谷区ロボットレストラン1・ロボットレストラン2・ロボットレストラン3・ロボットレストラン4・ロボットレストラン5・・ロボットレストラン6・ロボットレストラン7・ロボットレストラン8新宿区神奈川県金山神社祭り ・かなまら祭り2・かなまら祭り・かなまら祭り3川崎市静岡県最後のエンタメ系秘宝館熱海市伊豆極楽苑 ・伊豆極楽苑2 伊豆市まぼろしアート館1 ・まぼろしアート館2 ・まぼろしアート館3 ・まぼろしアート館4 ・まぼろしアート館5 ・まぼろしアート館6 ・まぼろしアート館7 ・まぼろしアート館8伊東市山梨県夫婦木大神甲府市長野県姥捨・澳津神社・岩鼻上田市愛知県間々観音小牧市高浜茶屋吉貴高浜市野間大坊 美浜町 大縣神社・田縣神社 犬山市石川県スッポン堂 加賀市和歌山県円月島・歓喜神社 白浜町京都府縁結び神社 ・縁切り神社・五条楽園京都市奈良県宝山寺、色町 生駒市大阪府バーレスク大阪1・ バーレスク大阪2・バーレスク大阪3・バーレスク大阪Ⅰ・ SMクラブ潜入 ・メイドカフェ潜入・滝井新地 ・松島チョンの間大阪市橋本遊郭跡 枚方市兵庫県 なぞのぱらだいす1・ なぞのぱらだいす2・ なぞのぱらだいす3 ・芝右衛門狸、キティ 兵庫県淡路島岡山県軽部神社総社市金勢大明神赤磐市金精神社 高梁市島根県玉造温泉の珍宝石さん、八重垣神社松江市香川県お花権現、林下寺1みよし町愛媛県 凸凹寺宇和島市広島県阿伏兎観音福山市喫茶伴天連東広島市山口県マラ観音長門市福岡県鬼塚観音 岡垣町縁切神社 福岡市不思議博物館1 ・不思議博物館2 那珂川市男根岩 八女市長崎県木花咲耶姫神・雲仙大仏別院いのりの里 長崎県雲仙市壱岐 男岳 男獄神社・壱岐 男岳 賽神社・壱岐 島沖の島壱岐島愛の駅諫早市佐賀県鏡山道祖神・太閤一里塚 佐賀県唐津市秘宝館 ・秘宝館2 ・秘宝館3 嬉野市大分県秘宝館 、秘宝館2 、秘宝館3大分市熊本県七郎神和水町 潮神社(おっぱい神社) ・賽神社(だんこん神社)湯前町柴立姫神社 球磨村弓削神社龍田町弓削法皇社弓削町おっぱい岩 ・おっぱい岩再訪天草市宮崎県鵜戸神社・鵜戸神社再訪1 ・鵜戸神社再訪2日南市陰陽石・陰陽石再訪1・陰陽石再訪2・陰陽石再訪3小林市鹿児島県子授け岩日置市三角関係岩ウエルカメ与論島小山神社屋久島韓国ラブミュージアム・ラブミュージアム2・ラブミュージアム3ソウル女郎街釜山 済州島ラブランド ・ラブランド2 ・ラブランド3 ・済州島 健康と性の博物館 ・健康と性の博物館2・健康と性の博物館3 ・済州島 ワールドエロスミュージアム 済州島タイスイスホテル裏バンコクシンガポールゲイラン地区デンマークエロティカミュージアム コペンハーゲンチェコセックスマシーンズミュージアムオランダソドム街飾り窓・ソドム街飾り窓2・セックスミュージアム・エロチカミュージアム ・エロチカミュージアム2 ・ソドム事情・2018レッドディストリクト
2016.11.23
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朝、ちょっと早めに伊丹空港に着いた。出発50分前である。最近感じるが、JALに比べANAのハンドリングが悪すぎる。素人状態になっている。発券カウンターが長蛇の列になっており、結局30分以上並び、福島行きの方手を挙げてください、となり、まあ随分近づいてはいたが、5人程抜かさせてもらって、席を貰ったのが13分前である。いや、まあ、カウンターの女性職員の方々、よく変わるんだよなあ。あまり面白くない仕事なんだろうなあ、まあアルバイトとか派遣なんだろうけど。前から仕事が早く、よくやっている人、人と言っても一人だけだが、昇進して、服が変わったんあだなあ。まあ、当たり前だが、向うはこちらのこと知らないだろうけど。とりあえず、2階のセキュリティも、はみ出てはみ出て長蛇の列であり、こりゃやばいな、と思うが、何か8時15分発までの方、列にお並びください、と言いつつ、8時10分なので並んだら、もう10分後出発だよ、こりゃ厳しいな、と思うと、3分後には8時5分発の方こちらに並んでください、と優先レーンに案内し、すぐに、8時10分の福島行きの方こちらに並んでください、とまたもや優先レーンに案内される。他の人、もっとあとの時間なのに、無視して並んでいたのね。それで順番を100人以上抜かさせてもらって、セキュリティを通過したのが出発3分前、これいけるの?しかし、後ろにも数人いたので、行けると思っていたが、定時に機内に入ると、あとからあとから10人以上入ってきて、マー10分遅れぐらいで出発である。まあ、だいたいたいがい疲れたので、うとうとするかと言えば、早起きもしたし、これから100キロ以上走るし、という体力的不安の中、うっかり読書と音楽に没頭、飲み物が来たのにも気が付かずであった。先月、機内放送のオールナイトニッポンが終了して、あーあと、思っていたが、今回、新たに矢嶋さんという劇団の人によるアラウンドざ80年代ポップ特集になっていた。聞こうじゃないか。みんなのうた、サザンオールスターズ、桑田は天才だと思うが、気がついたら、この曲で何も思い出さなかった。ライドオンタイム。山下達郎、友達から何故かシングルレコードを貰ったな。ブチブチ味のある音を鳴らしながら聞いたなあ、うちにあったステレオは、トリオと同じように低音やクラッシクに特異なサンスイであったが、まあ、あの頃のバカでかい音楽機器、味があったねえ。フレンズ、レベッカ。まあ、ノッコが俺の知り合いに似ていて、死んじゃったけど。フレンズが流れると、何か月か旅行するための資金をためるための森永チョコレートを作る徹夜バイトを思い出す。誰か、バイトがラジカセ持ち込んで流しているのだ。ファイハイセットはムカついたが、まあ、それは愛嬌だ。TMねっとわーく、なんとかWILD。あれ?あまり知らなかった。言葉にできない。まあ、オリジナルは古いが、ドラマじゃCMじゃ、何か知らんけど聞いたことのある世代は広い。もっと新しくヒットしたオフコースの曲は、その年代オンリーまもしれない、イエスノーとかさよならとか・・・恥ずかしいな。スイートメモリーズ、松田聖子、番組で、小泉きょうこにアイドルってなんですかね、とインタビューしたら、本当のアイドルは松田聖子さんです!といわれたそうな。この曲を聴くと、何か月か旅行するための資金をためるための正月の郵便局の年賀状仕分け徹夜バイト明けの朝を思い出す。悲しみがとまらない、アンズ、うーん、情景でてこないな。ゴールドラッシュ、じゃないわ、アイラブユーOkじゃないわ、時間よ止まれ、だね、熱狂的ファン以外はあまりよくわからず、熱狂的ファンの知り合いたちの顔が思い出される、特に、知り合いで一番早く死んだ友達、10代だったなあ。成り上がり、本が文庫本にされてすぐ読んでみたけど、面白かったな。バイク盗むやつ、放浪さんみたいなの、尾崎。これもオザキイストの友達たちの顔しか思い浮かばないなあ。初めて聴いたときも、バイク盗んだらあかんやろ、と思ったぐらいだ。自分で自分を傷つける痛めつけるさけどらっぐたばこまりわなだいえっときんよくはたらきずぎには他人に迷惑けかけないなら、そんなこと禁止するのに寛大な私であるが。とにかく、福島空港に音楽も一巡して到着したのであった。あ、写真の説明は栃木県のオオヤのことで、また近いうちに特集組むからお楽しみにしないでね。大理石、御影石、大谷石だからね、ほんまか。それにしてもの、本日(11/22)の地震である。3.11以来の小型ではあるが津波である。福島栃木である。 2016年栃木 栃木へ(リンク) 栃木 精神の館1(リンク) 栃木 精神の館2(リンク) 栃木 生姜ミュージアム(リンク) 栃木 塚田さん(リンク) 宇都宮 大谷寺(リンク) 宇都宮 大谷ストーン(リンク) 宇都宮 餃子人間(リンク) 日帰り旅行失敗(リンク)
2016.11.22
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魔界巣窟。チョンキンマンションって、超1等地にあるけど、建て替えられないのは、権利がもう複雑すぎて誰もまとめることが不可能状態ってことなのだろう。それに、誰もまとめる気もないかもね。これはこのままでいいじゃないかと。それでも変化し続けているのねえ。外国人と何故かばれてしまうのか、私以外には不動産散らし渡しているのに、私には渡さない。それにしても、この軍団すげえ、50人ぐらいでチラシ配っている。香港、毎年来ているような気がしたが、5年ぶりであった。半島ホテル尖沙咀鐘楼(旧九龍駅跡)6分フェリー香港島につくと、F1ならぬフォームラE(電気自動車)を公道でやっていた。「和製ドラゴン」の異名を持つ倉田保昭はブルース・リーの盟友であり、映画『ドラゴン怒りの鉄拳』撮影時にプレゼントしたヌンチャクが同作で使用されたことから、ヌンチャクブームが起こった。「ヌンチャクといえばブルース・リー、ブルース・リーといえばヌンチャク、彼のマネをするのはタブーなので、わたしがヌンチャクを使えなくなってしまった。プレゼントしたのはわたしなのに…」しかし彼は、まんざらでもない。俺ら小中学生の頃は、まあ、ブルースリーは、タイムリーではないが、まだまだ話題であった。 シティエン公園1。空港から直行。シティエン公園2。シティエン公園3。シティエン公園4。サイゴンカフェ、アップサイドダウン。サイゴンナイト。べトナムあまり画像。香港経由で帰国。油麻地から尖沙咀まで歩く。尖沙咀から香港島へ。香港空港。バンコクサイゴン香港周遊旅行。
2016.11.21
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福島空港に近づくにつれて、霧で前が見えなくなってきたので、車の速度も出せない状態であった。こいつは、ちょっとヤバイナ、という予感がしたのである。かつて、スロベニアに朝着いたときに、霧の中を走り、タクシーの運転手に、「今日の1便目だったんだぜ、この霧で、その前までの便は全部キャンセルされたんだよ。」といっていたことを思い出しながら、レンタカーを返し、出発30分前にカウンターに向かう。「今、霧で、飛行機を着陸させようとトライしているのですが、難しいようです。どうしますか。」「え、やっぱり?とりあえず、発券してもらえますか?」「わかりました、あ、今、キャンセルになりました」「アチャー」「明日なんですが、朝便昼便はこの影響もあって満席となっており、同じ18時5分となりますが、どうしますか」「えー、福島って東京に出てますか?出てないですよね」「大阪以外は千歳ですね」「明日千歳から帰るとしたらどうなりますか?」「朝便で千歳、千歳発大阪行きは昼前になります」「そうですか・・・」というところで、荷物がぼとぼと戻されてきた。そして2階から乗客らしき人たちが戻ってきた。「街までのバスはあります?」「はい17時45分発です。5分後です」急いでバス乗り場に行くと、バスの運転手が「飛行機がキャンセルになってだいたい手続きなどなんだかんだで18時出発です」「そうですか、郡山までどのくらいですか」「40~45分です」乗り込んだが、一人であった。暫くすると、キャンセルとなった乗客が何人か乗ってきて、「18時半の新幹線なら今日中に大阪に帰れる、早くバスを出sてくれ」とバス運転手に詰め寄るが「ANAの職員が全員の代替解約手続きが終わるまで待ってくれと。まだカウンターに数名います」「困るやん」と大阪弁。結局、バスには17人ぐらいが乗り込み、30分遅れで出発。バスの中で、新幹線で東京に行ってそこから帰るコース、しかし、どう考えても、19時30分に乗っても羽田に着くのは21時半、最終便関空行は21時半である。成田のピーチ、全然だめだ。18時半なら21時に間に合うのだが・・・。しかし、バスが出たのは18時15分、郡山駅に着くのは19時である。だいたい、明日、奈良県で10時から打ち合わせである。それもトラブル発生で、急きょ5分前に、「明日10時からこの問題で打ち合わせすることになったから」との連絡が入り、意味なく、「え、10時!はあ、頑張って行きます」と言ってしまったのである。それがなければ、多少遅れても仕方ねえなとは思っていたのだが・・・。東京のホテルを探すが、どこも満室であったり、高かったりである。ちなみに、郡山も東横インは満室である。ちなみに、携帯バッテリーも駆使しすぎて、もはや数パーセントしか残っていない。バッテリーは持ってきたが、つなぐ線を持ってくるのをうっかり忘れた。ふと、バス運転手が大阪に夜行バス出てますよ、といったのを思い出し、郡山駅前に着き、高速バス窓口4番に行ってみると、バスありますよこれです、といいうことで、「おお、これに乗れば、21時発で明日の7時20分に梅田に着く!これだ!10時間バス、厳しいが、ここは老体に鞭うちゃるよ!」ということで、「1日1便福島からくるのだなあ、なるほど・・・今日の1枚下さい」「あ、はい、あっ、今日は満席です」「カックン」である。ホテルもバスもない。残る道は、空港で朝一便まで老体に鞭打って耐えることを決意。JRみどりの窓口に行くと、田舎なので本数が少ないが、19時42分のに乗って、ガタンごトン、と黒磯、宇都宮で乗り換えると、上野に着き、そこから空港行き最終便に間に合う!か、と時刻表とにらめっこするが、上野から浜松町行きの乗り換え1分でしないと最終便に間に合わない。19時42分って、あと15分後である。決断を迫られる。1分以内で広大な上野駅の番線を4番線もまたがって走ることは、かなりの賭けであり、そもそも、乗車時間が4時間である。4時間かあ。まあ、今からすることないから4時間でもいいんだけどなあ。まあ、そうだなあ、それなら新幹線で行くか、それなら22時9分まで郡山の夜を2時間半程堪能できるってものよ、別に堪能しないけど、倍の金を払って新幹線を使うことに決定。とりあえず、宇都宮餃子を立ち食いするが、箸がないじゃん。箸がないから手で食べる。手がべちょべちょになるので、カバンあさったら、タイ航空のお手拭きが出てきて、置いたら雨でさらにべちょべちょに。 郡山駅前は、まあ割と大きな歓楽街というか飲み屋街になっていることを確認しつつも、その前に、駅前に会ったヨドバシで携帯の線とコンセント差し込みプラグの2点を1500円ぐらいで購入。郡山駅前繁華街は、やたら呼び込み男が多く、女性のいる店も多そうだが、何だか最近こういうのしか働き先ないのかねえ。神戸も意味なく地震以降増えたような気がするんだよなあ。郡山も仙台に次ぐ東北の人口都市なので、賑やかさも多分2番目なんだろうかと邪推する。各通りを一筆書きコースで1時間ほどぐるぐる歩く。22時9分、ついに、出発。うしろ2両の自由席は満杯そうだが、指定はまあ、4割ぐらいの乗車率。東京行だが、意外と上野で降りないんだねえ。昔は上野が終点だったからなのか。上野東京間の特急料金220円なり。せこく上野で降りても良かったが、そもそも時間あったので、宇都宮まで普通電車で行ってもいいかなとか思ったものの、まあ、調べているうちに面倒になっちまって。死にかけだから、ズドーンと最後まで新幹線、まあ、そういうのに決定、東北新幹線もデビューってことでいいんじゃない?いや、欠航がすべての原因である。充電するために、スタバで1時間。飯は、最近、ウニいくら丼を出したなか卯890円。まあ食ってみた。まあリーズナブルか。あれ、ちっとも郡山名物ではないではないか。特産品なら多少高くても飲み食い買いするものだが。チェーン店の低価格競争はねえ。まあスタバ高いけど、いろいろ店見ながらコンセント探してらみつけたもので。そんなネットがつながらないと困るか、そう、困る旅行というか移動になってしまっているのであるよ。風の吹くままになら、12時間後に奈良まで行けないものでね。名産、クリームボックス、まあ、B級ばかりじゃねえ・・・。やがて、1時間20分で東京にあっという間に到着し、車内販売も一度だけしか来ず、酒に読書の日々だけで、あれ、もう着いちゃったの?の東京23時半であった。そこから最終モノレールに浜松町まで行き、国際空港に行くのである。24時間は国際空港だけだと思うのだが、国際空港駅で降りると、国内線に向かうモノレール内に何人もの若者がいた。国内線も夜が明かせるのだろうか・・・。24時間空港なのだろうか・・・。意外と、大きな荷物を持った旅行者は半数ぐらいで、あとは、身軽で女性も多く、多分、皆さん、空港職員なのだろうなあ、と想像された。それにしても国際線駅は降りたら、すぐに出発カウンターだったので、無茶便利というかラクちんですね、急いでないから関係ないけど。まずは、することがないので、空港をうろうろすると、1階にコンビニがあったので、ビッグサイズで酒を買い、近くのチャージコーナーで充電しながらダボのみする。ふらふらしないと眠れないからなあ。横で、英語が母語の女性がスカイプやっている。ラインかもしれないけど、とにかく、相手の顔ガドドーンと出ている。俺の飲んでいる間、ずーっとだぜ、まあ、西洋人も多いが、圧倒的にアジア人若者が多く、それは、ピーチ(MM)が夜中から朝方にかけて、ソウル上海台北に飛んでいるからであって、朝方、香港エキスプレスやチャイナエアラインズなどのチェックイン開始放送も流れているのを後から聞くこととなった。明日、速攻で家に帰って、10時までに目的地に行く時間をシュミレーションしたら、家での滞在時間は10分から20分しかなく、着替えや荷物積み替えしたら終わりであり、とてもシャワーする時間がないので、2階アライバルの横にある、シャワールームでシャワーすることに決定。背に腹は代えられない、大枚1030円(1080円でないところがミソか?)を払うとチェックイン!みたいな感じでカギを渡される、そういえば、チェックインには名前と連絡先を記入、混んでたら呼び出すシステムのようである。制限時間は30分、延長有料である。10分200円だったかな。ベッドはなく、洗面室にシャワー室のみ、タオル、バスタオル、シャンプー類であり、清潔に保たれている。カラオケボックスみたいな小部屋システムであった。シャワーを浴び、歯磨きして、充電もしながら、考えたら、ここ10年ぐらいで多分100回ぐらい国内日帰り旅行を繰り返しているが、何度もピンチにあいながらも、乗れなかった、失敗したという経験はなかった。100回目ぐらいにして初めての失敗である。たいてい、乗客数(前の便の組み具合も)や天候気温等は事前チェックしているのである。思い出のピンチは富山で最終便の前の便で帰るつもりが欠航、東京経由でぎりぎりスターフライヤー最終便に間に合った、とか、沖縄が台風で、やばい状態になったとか、仙台で渋滞に巻き込まれ、レンタカー屋に電話して、空港まで車取りに来てくれ、目分量でいいから多めにガソリン代払う!という交渉をして、出発13分前に仙台空港に到着し、そのままガソリン代1000円単位で渡し、ゼイゼイいいながら、すみませんとチェックインさせてもらったり、北海道の大雪で大ピンチだったとかあるんだよねえ。しかし、全部乗れたのだが、今回、あっさり、濃霧でダメだったんだなあ。まあ、30分もあれば、余裕だなあ、と思っていたら、どこか一瞬意識を失っていたのか不明だが、あれ既に29分だ!と気が付き、急いで着替えて、チェックアウト、OKです、と受付女性の方に言われ、隣のカフェで無料ドリンクチケット使って下さいね、とのことであったので、シャワー代はまあ、6~700円ということである。多分、必死のパッチでチェックアウトした哀れ中年男性をまあ1分ぐらい見逃したるか、ということであったと邪推する。いやはや、となりのカフェの込み具合は知れているが、ほとんどの客が目を閉じているように見えたのは気のせいかもしれない。しかし、座って寝るなら、寝て寝るほうがいいなと思い、充電にめどをつけ店を出る。とにかく、空白の10分があった。やばいな。しゅぱつまであと4時間ほど、そろそろ寝ないと明日の仕事に響くのではないか、まあ、昔、空港でよく寝たから慣れたものよ、あ、2年ぐらい前にマレーシアクアラルンプルからシンガポールに夜中について、朝便でシンガポール、チャンギでも朝まで過ごしているわ、若いころだけじゃないぞっと。5階が空いているかといってみるが、とりあえず、外に出ていると、雨が降ってなかったら、外で寝てもいいかな、いやちょっと寒いかなあ、という感じである。ぶらぶらしている若者も多いが、中年はおらんな。おお、ピーチが動いている。意外と夜を明かす人が多い。まあ、確かに5時とか6時の便はねえ。但し、ほとんどの皆さんがうまい具合に上段で寝ているので、床に寝ている人はたんまーにしかいない。全ての待合いの赤い長椅子も占領されている。24時間の店で粘るという手もあるのだが、座るよりは寝転んだほうが合理的だと思うねえ。2時を過ぎたのでそろそろ寝床を確保して3時間ぐらい寝るか。しかし、椅子と椅子、ソファというソファ、すべて占領済みで、白で囲った案内板の裏の死角の床で寝ることに決定。暖房も全体に効いているので特に問題ない。ぐっすり寝たかというと、まあ、そういうことではないが、はっと気が付くと1時間たっていたり、30分たっていたり、寝ているというより半寝で気を失う感覚で、時々、チェックインハジマリマシタアナウンス入る。台北のピーチの呼び出しが始まったあと、おやおや、誰もいなくなった。寝ている人。であり、まあ、面倒なので床で眠り続ける。5時に起き、ネットに(フリーワイファイ)につなぐと、おお、90分後だがチェックイン始まっているな、ということで、ふらふらしながら、1階に降り、無料1タミ2タミコクサイセンターミナルぐるぐる無料循環バスに乗る。4時台も3本あったが、5時からは4分おきにあるので便利だ。2タミに着いて、速攻で発券、そのまま、6時25分発であるが、5時50分に搭乗口に行くとまったく誰もおらず、充電しながら、寝てると、いつの間にかボーディングが始まり、寝てる場合じゃないぞ、と急いで機内に入り、不思議なことに、感覚的に10ふんぐらいで神戸に到着。あれ?飲み物サービスあったの?まあそんな感じで7時38分機内からでるが、40分のポートライナーに間に合わず、50分まで9分30秒待つ。うわ、神戸マラソンでランナーがいっぱいの光景を見る。2万人らしい。JR三ノ宮でもぎりぎり電車を逃し、7分駅で待つ。自宅ではひげを剃り、着替えて8分ぐらいで出発。10時4分前に到着し、早速、打ち合わせに入ったのであった。 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2016.11.20
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コンノートプレースから、2,3キロ駅に向かって、幹線道路沿いを何故か歩く。インドは州ごとの集まりなので、インド一周したらヨーロッパ一周した気分になるが、インドってなんだっけな。割と忘れたのだが、所謂、こんなことがある。帰りはニューデリー駅沿いにコンノートルレースに向かって歩く。ああ、多分、ここを昔リキシャ―で往復していたんだったかもなあ。30年前早朝、インドのオールドデリー駅を出ると、予定通り、駅前にたむろするリキシャーワーラー(人力車夫)が数人寄ってきた。外国人は外国人価格があるのも仕方のない。皆、結託談合して一律価格を口々に叫ぶのも、まあ、しようがない。その中で、一人高杉晋作似の若者が、ウインクし、ガムチャ(万能布)をフラリと肩に回した。皆の言値より一ルピー安く行くことをいとも簡単に承諾した。同業者の揶揄には、余裕の照れる様な笑顔で半分無視するのが印象的であった。明日のジョーの力石徹の様に目をつぶって口の両脇だけが上に上がった。ガムチャでサドルを拭き、「人の心をちょいっと揺さ振るコツは知ってるぜ」という様な顔をして、ペダルを漕ぎ始めた。四キロ離れたニューデリー駅で、私は交渉値に二ルピーをプラスして渡した。彼は「してやったり」とした笑顔で、お金を持った手を上に挙げた。列車は行き先によって、出発駅が違う。大都市では外国人は専用事務所で切符を取ることができるのだが、この時は、少しでも同化してやる、といった浅はかな意地を持ってして、列に並んだ。一時間並び、順番が回ってくる。「今日は満員で無理だな。あの列に並びなさい」あの列に並んで、約一時間。「そっち行きの切符は売ってない」「仕方ない、長距離バスで行くか」妙にあっさり引き下がった私は地図を頼りにバススタンドを目指した。が、道に迷い、二時間後、何故かオールドデリー駅前に来てしまい、早朝の振り出しに戻る。今度はオートリキシャー(三輪バイクのタクシー)で行くことにしたが、途中、交渉値と違うことをいいだし、喧嘩を始め、途中で降りて、そこまでの料金払う払わないで三十分間、言い合いをする。はっきりいってかなり疲労度が高まってきていた。どこで降りたか分からないが、見渡すと銀行を見つけ、そろそろ両替しなければならないことを思い出し、銀行に入る。こちらの銀行員は横柄な方を多数見かけるのだが、彼も例には漏れていなかったようだった。「現金は駄目駄目。トラベラーズチェックだけしか受け付けないけんね」といい、「おい、机の上にバナナを置くな」と注意され、「パスポート」と仏頂面で怒鳴られ、パスポートに挟んであった使用済み航空券の裏の広告をしげしげと眺め、「おい、この電気剃刀はいくらぐらいするのだ。おまえは持っていないのか」と質問され、「ところで、インドはいい国だろう。我々は何でも持っている。映画製作本数世界一だ。それに…」とお国自慢が始まった。「そうね。原爆だって持ってるもんね」と皮肉のひとつでもいってみたが、「そうだ」と逆に自慢され、オンステージを引き伸ばす結果に終わってしまっただけだった。結局、百ドル両替するのに一時間を要したのであった。そこからリキシャーに乗り(これは無事に)、バスステーションまで辿り着き、ラジャスタン州ジャイプル行きの窓口を見つけ出して切符を買おうとしたが、「うーん。その切符の販売は二時間後だからね」と優しくいわれ、その近くのベンチにへなへな座り込む。バスのクラクションがキチガイの様に、常に同時に鳴り響いていて、こちらも気が狂いそうになる。靴磨きセットを担いだ子供が何人か、お客を探してうろうろしている。そのうちのひとりが、新聞を読んでいた隣のおっさんの靴を勝手に磨き出した。おっさんは特に怒る様子もなかったが、一度も子供に視線をやらず、新聞を読み続けたままポケットから一ルピーを出して、子供の足元に落とした。次に子供は、私の足元を見たが、表情を変えず、また次の客を探して歩き始めた。私は、草履だった。二時間が経過し、窓口に行くと、担当が変わり「何だ。その切符は売ってないぞ」といわれる。デリーに着いてから八時間が経過していた。もう、笑うしかなかった。そして数秒は笑ってみたが、この状況を打破すべく、私は窓口で大きく宣言した。「ジャイプール行、スーパーデラックスシート一番高い奴、一枚」切符は難なくとれ、一時間後、指定された番線に行き、バスに乗り、余裕のまま、念のため、隣のインテリ風おじさんに切符を見せて確認すると、インテリ風おじさんは驚愕し、「これは違うバスだ」と大声で叫び、バス中が愕然となり、バス内の有志数人がバスを手分けして、手分けして探し始めてくれた。バスはあった。私は何度もお礼をいい、バスに乗り込んで、一分少々でバスは出発した。車内では、一人の女性を兄弟で奪い合うといった内容の踊りアクションありのインド映画が上映された。「インド映画は世界一面白い」といった銀行員の顔を思い出し、「私は貧しいインド人達に、束の間でも夢を与え続けているのよ」といったインドの名女優スリデビのことばを思い出していた。ピンクシティと呼ばれるジャイプルには夜遅く到着した。そういえば、インド大道商人(山田和)の本、家のどっかにあると思うのだが、あれは面白図鑑であった。インドへ1。インドへ2。うんコ詐欺に会いにインドへ。インドgourmet drinkの旅。デリー観光シャルダーム寺院。30年前のデリー。パハールガンジ、ニューデリー駅前。デリーから帰国に向かう朝。バンコクトランジット。
2016.11.19
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立ちサーフィン割と多い。ただ浮いている人も多い。割と、ガラの悪い日本人イーパイ来る。まあ、いいんだけど、子供連れも多く、キラキラネームつけるような感じのファミリーもイーパイ来る。まあいいけど。ちなみに、アメリカだって、キラキラネーム時代の趨勢で負けちゃいない。まあ、当て字じゃないけどね。白人貧困層に多い名前は、アンバー(琥珀)、ルビー、クリスタル、ティファニー(宝石屋)、それからプレシャス、メサイヤ、キング・・・ああ・・・。ところで、グアムもいろんな店があるが、服装に興味のない私も、アバクロだったかホリスターだったかを着ているのである。2010年に閉店したルールスだったかも知れない。安売り屋に流れると核が落ちると、売れ残りを焼却する反エコなブランドである。そのくせ、自分のところでは、せっせとセールやっているのだが、割と高いんだぜ、ユニクロの3倍、H&MやGAPの2倍はするんだぜ。わざと擦り切れている感じを出して、作りがツーとも高級でないんだぜ。かつては、いけてる人はいけてる人を呼ぶから「いけてる男女を雇ってんだぜ、とCEOはその後、首になちゃったけど、服装とは残念ながら差別的なものだよねえ。確かに。自撮り多いよ。まあ、そんな感じで早々に日記は終わり。気にしないでね。朝から、リキッドブレックファースト(液体朝食=アルコール)だ。
2016.11.18
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地下鉄路線図をプリントアウトしたが、これが数年前の古いやつで、実際に駅に行ってみたら、2倍ぐらいには延長されていた。いったいいつの時代のを打ち出してきたんだろうか。少なくとも1990年には、インドに地下鉄はなかったように思う。カルカッタにできるぞという噂は聞いていたが。デリーでは、日本の技術で2002年に最初の開通があったようである。エアポート線は2011年に開通したようである。とりあえず、自動販売機は壊れていたんで窓口でトークンを購入。50円しないか。akushardham駅を目指す。2007年に「世界一大きなヒンドゥー教寺院」として、ギネスブックに掲載された寺院を目指すのであった。アークシャルダーム寺院に行くのであったタージマハルの22年には及ばぬものの、現在の技術で5年をかけて作ったものだ。ヤムナー川沿いにあり、地下鉄はヤムナー川を越える。駅を降りると、リキシャ―が寄ってくるが、まあ歩いていくことにしたら、まあ、遠くに見えていた感じだったが、入り口には5分程度で到着。しかし、アークシャルダーム寺院に入るには無料だが、カメラの持ち込みがダメで預けろボケっと表示があり、そうなんだ、とがっかりする。がっかりもしながら、画像もない。歴史も浅い、2000年代に建てられたのでまだ10年ぐらいである。まあ、アとらくしょンもあって、イッツアスモールワールドだよ。あとハヌマーン寺院に行こうとしたが、もう夕暮れである、ダメだ、時間がない。しまった旅行日程の組み方失敗、直接空港から行けばよかったわ。ハヌマンラングール(猿)のことを思い出したわ。猿学の本で、子殺し皆殺しするのである、新しいボスになった雄猿は、今育っている自分の血のつながっていない子ザルを皆殺しにするのだ。そうするとメス猿が発情期に入り、ボスざるの子供を孕むというシステム、だった、と、思う。(地域にもよるらしいが)道路で車止めたと思ったら。立小便ヤムナー川。これもガンジスの支流であり、デリー、マトゥラー、アグラを流れる。タージマハルの裏の河ね。シャージャハンは22年の歳月をかけて妃の墓、タージマハルを造ったが、その対岸のヤムナー川に自分の黒い派かを造ろうとしたが、タージマハル建設で国家は破たん、自分も死んでしまった。まあ、向き合って作る、てヤムナー川に背向けているけどね。仕方なく、宿のあるコンノ―トプレイスに向かうが途中市区京都のいや、シク教徒の寺院で降ろしてもらう、そこから歩いて今ノートに戻れる。Gurudwara Bangla Sahibまで、そうだねえ、オートリキシャでいくか、いくら?500!あ、そ、じゃあいいです。次、ちょとまったいくらだ!(うーん、空港からタクシーで400だったから)100だな、150でどうだ!(交渉できそうだったが、まあ、面倒なので)じゃあ、それでいくわ、と乗る。お前もパン(噛みたばこみたいなもの)食えといわれ、まあ、そうだねとパーンを口に含む。あらそういえば、パーン屋みかけなかったな、彼もなんかビニールでプレスされたインスタントなものから出してきたな。スパイス(メインは台湾とか太平洋の島にもあるビンロウ)と石灰と別の袋に入っていた。キンマの葉っぱはどこなだよー、まあそういう野暮なことは聞かない。暫くしてヤムナー川を渡り、運転手はトイレ休憩、ほんま、インドはマナーが悪くどこでも立小便する。(ルンギー男は座り小便、あれ?ルンギー男デリーで見かけなかったぞ、それに、インドはパンジャピードレスも多いがサリー姿がやたら減っている感じもした。というか、昔はコンノートプレイスで洋服きた女性を見た以外は全員、サリー(またはパンジャッピードレス)だったのに、どうなってんだ?時代はさすがに30年で変わったなあ)初めてインドに行った1986年、実は下調べも薄く、コルカタ空港から外に出ると、全員女性がサリーなのでびっくりした。コルカタについて空港で寝てたら、一度、女性が通りがかり、綺麗なサリー着ていたので、おかしいな、インドのなんかサービスなのか?と勘違いしたぐらいで、まあ、町中にでたらそりゃ綺麗じゃない煤汚れたサリーをきた人たちがイーパイで、金持ちは、腹ボデーンとさらけ出して、お金あるよだから太れるよ、みたいな感じだったのだが、うーむ時代は変わった。ただ立小便は変わらないな。グルドワラ(でかいシク寺院のこと)に到着し、裸足で歩き始めるぞ、というときに、運転手が150じゃない、450だとまた喚きだした。ご冗談を、お金まで胸ポケットに入れて返してくれる、何だ、ただか?お前は何を言っているのか、また時間の無駄である。450を3分たっても譲らないので、200ルピーにして(学生時代なら1時間でも2時間でもねばるつもり)、渡すが受け取らないので、無視して、椅子に置いて歩き出す。それでつっかかってきたら、本気のフリして(ちっとも本気じゃないけどインドだから、こういうことになるんだろうなーと思ってたけど)腕を上げる真似でもするかと思ったが、追いかけて来なかった。彼の演技も上手だったが、付き合ってられないのでねえ。こちらも80円も上乗せしてあげたんだよ、分かるかい?でも、こうなったらお互い気まずいからいやだな、これからは先に金を払うことにしよう。途中で止まるかもしれないけどね。外人乗せて、ここぞとばかりの稼ぐチャンスなんだろうねえ。バングラサーヒブ寺院、シク教徒デリーでは一番デカい寺院のようだ。インド人といえば、ターバン巻いたシク教徒かもしれないが、人口としては2パーセントであり、まあ、裕福なので海外に出るチャンスも多く、それでインド人のイメージがあるのかも知れない。実際にタイガージェットシンも引退後商売で儲けたらしいね。スポーツ選手格闘技選手は引退したらダメになるんだろうが、さすがシン、そういえば、シク教徒男性はほぼ全員シン(ライオン)だ。(女性はカウルだ)。人口の2パーセントといいながら宗教人口は世界で5番目に多いというから恐れ入るな。4大宗教の次かいな。とにかく、裸足で、頭にスカーフみたいなのいっぱい置いてあるので、それ頭に巻いて、入れってことですよ。異教徒ウエルカムですよ。 インドへ1。インドへ2。うんコ詐欺に会いにインドへ。インドgourmet drinkの旅。デリー観光シャルダーム寺院。30年前のデリー。パハールガンジ、ニューデリー駅前。デリーから帰国に向かう朝。バンコクトランジット。
2016.11.17
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地獄から出るのは、監獄の出口って感じなんだよね。巻いてるね。二重らせんだよ、ワトソン&クリックだよなんだよね。。見学を終了して、さて帰ろうか、人も沢山いるので、タクシーもすぐにつかまるさ、と思い、前の道をうろうろするが、あれ、一向にタクシーも到着しないし、通り過ぎもしないぞ。大通りに出てみるか、と100メートルほど進んで大通りで、ぼーっとしていると、これまたちーとも来ないんだよね。いよいよ、ぼやぼやしていると30分程たってしまい、こりゃ、ガードマンの人にタクシー呼んでもらおうかということになり、声がけすると、任せとけ!ということになった瞬間にタクシーが通りがかったので、乗ったんだよね。。いやー、そのうち、無人タクシー、無人車になるのも遠くない未来なんだろうなあ。そうなったら、移動中好きなことしておけるどころか、カーシェアも普通となって、まあ、タクシー自体がなくなって、開いている車を呼び寄せるってことになるんだよね。秋も薫る日本になってきたが、まだ台湾は暑いというか、また台北と高雄は違うのだよね。ちょうど亜熱帯と熱帯とのところになってんじゃなかったかなと思うんだよね。違うかも知れないんだよね。いやあ、暑い、タクシー待っているだけで直射日光浴びて暑いなんだよね。車っていえば、日本車が世界で覇権を握ったのは、まあ、車社会になって、公害モクモクになって、こりゃ無理だよ、って排ガス規制かけたら、何とかクリアした、それで、世界各国が同じように何年何十年も遅れて車のせいで空気が悪くなって、どうするんだ、クリーンぽい車開発するか、日本から輸入しちゃうか、まあ、どっちが安いねん、ってことだったのかもしれないんだよね。どうするねん、少子化日本ということなんだよね。少子化している国はあるけど、国力が下がるのとは別問題である。それでも、何とかできませんか、車の排ガス規制の例を考えるとですね、少子化、これでも科学技術を用いて、何らかのシステム、あるいは解決することできたら、まー、世界も人口爆発しているが、いずれ、どの国も少子化が始まる。そこで、システムを構築するより、日本を見習うってことができれば、こりゃ、いいじゃないのとおもうんだよね?高雄までは、今度は普通電車で行くと、105元1時間半くらいかかったのであったんだよね。割と混んでて、最初の30分ぐらいは立っていたんだよね。業務連絡だけど、今日は昨日より1000アクセス多くなっているんだよね。 台風超えて台湾へ、台湾抜かして日本へ。佛光山そのもの。佛光山 浄土洞窟1。佛光山 浄土洞窟2。佛光山 浄土洞窟3。佛光山 浄土洞窟4。佛光山 浄土洞窟5。佛光山記念館。左営駅 瑞豊夜市。高雄から隆田、麻豆代天府へ麻豆代天府 到着麻豆代天府 聖女の生贄麻豆代天府 天国地獄麻豆代天府 十八地獄前編麻豆代天府 十八地獄後編麻豆代天府から高雄に戻る。六合夜市。台湾gourmetの旅1。台湾gourmetの旅2。高雄 西子湾。高雄から帰国。
2016.11.16
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油麻地で降りる。天后廟まったり劇場。ここが各地にあるティンハウ廟の元祖なのかもしれない。昔赤柱(スタンレー)とその手前のレパルスベイの天后廟に行ったことがあるんだよなあ。山型蚊取り線香は寿命1週間。そんなに燻り続けるのか。白加士街(Parkes St.)、庇利金街(Pilkem St.)反射学で芳ばしいロウソク処置巣窟、しかし、実は怖くないチョンキンマンション、ただ、迷路になっていて、ややこしいだけだ。特定の部屋には特定のエレベーターを使うだけだ。 シティエン公園1。空港から直行。シティエン公園2。シティエン公園3。シティエン公園4。サイゴンカフェ、アップサイドダウン。サイゴンナイト。べトナムあまり画像。香港経由で帰国。油麻地から尖沙咀まで歩く。尖沙咀から香港島へ。香港空港。バンコクサイゴン香港周遊旅行。
2016.11.15
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特に何もしていないが、観光案内をさせていただくんです。映画館は、まあ、値段は日本の半額以下なので、暇なら行くのもいいかもね。学生時代は、行くほとんどすべての国で映画見に行きましたよ。働いてからは、ニューヨークでぐらいで見たぐらい。赤いシャトルバス、乗ったことあるよ。4ドルだよ、3回以上乗るなら1日乗り放題券のほうがお得だよ。サンセットクルーズ、ハワイではうっかり乗ったけど、グアムではないよ、100ドルぐらいするよ、飲み食べ放題魚釣りダンスパーティ付き・・・。ビーチでのBBQは5、6、70ドル。まあええ値段するね。エッグ安堵シングスとかもある。結婚もできる。実弾もある。日本食もある。マクドもある。指圧スパもある、コンビニもある。花はグアム島の花ブーゲンビリア。他にハイビスカス、プルメリアなどが見られます。まあ、ほとんど外来種。1時間も車に乗れば、だいたいどこでも行けるよ。タイ料理やベトナム料理もある。ビーチ沿いに並ぶホテルを紹介しよう。ホテルニッコー、ロッテホテル、ウエスティン、グアムリーフ&オリーブ、アウトリガー、ディシュタニ、ハイアットリージェンシー、ホリデーリゾート、フィエスタリゾート、パシフィックスター、パシフィックアイランドクラブ、ヒルトン、シェラトン、オンワード、サンタフェ。以上、参考になたでしょうか、グアム観光案内。ならないね。
2016.11.14
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天国地獄 麻豆代天府 十八地獄 後編麻豆代天府の奥には突入の続き。タータンチェックの人多いなあ。行進もみあげと舌伸ばしてみました。マトリックスや。飲茶カラフル地獄斧は動いているんだけど、もがいているんだけど、ああ、同じシーンになっちゃってるな。ハビベ!エエエェー!おわり。要は、死後裁判→閻魔裁判官から死刑判決速攻実行→残虐な刑→再度裁判→閻魔裁判官から死刑判決速攻実行→残虐な刑→再度裁判→・・・の無限ループ。日本地獄スリランカ地獄タイ地獄この前行った台湾地獄餅つき餅つき飽きたけど、首長いな君行事です 笑顔もある台湾版皿屋敷うらめしや針の山こいつの顔、一番すごいな。便所の蓋じゃないか臼って漢字、臼だよねえ。でべそ台風超えて台湾へ、台湾抜かして日本へ。佛光山そのもの。佛光山 浄土洞窟1。佛光山 浄土洞窟2。佛光山 浄土洞窟3。佛光山 浄土洞窟4。佛光山 浄土洞窟5。佛光山記念館。左営駅 瑞豊夜市。高雄から隆田、麻豆代天府へ麻豆代天府 到着麻豆代天府 聖女の生贄麻豆代天府 天国地獄麻豆代天府 十八地獄前編麻豆代天府 十八地獄後編麻豆代天府から高雄に戻る。六合夜市。台湾gourmetの旅1。台湾gourmetの旅2。高雄 西子湾。高雄から帰国。
2016.11.13
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旧市街、もともと昔は、ペルシア、ゾロアスター教徒が多かったが、アラブ人がやってきて、それでトルコ系がやってきた。旧市街はイチェリ・シャハルと呼ばれ、干しレンガ造りの建物や入り組んだ小路といった伝統的な街並みが残されていて、やたらでっこみひっこみある建物が多い。2000年にユネスコの世界遺産に登録。そもそも、ゾロアスターが生まれたのは、アゼルバイジャンという噂もあるが、不明である。アゼルとは火のことである。ニーチェも「ゾロアスターはこう語った」という本を書いている。天に昇っていく意味で鳥葬、風葬だねえ。インドのパーシーの沈黙の塔。そういえば、フレディマーキュリーはザンジバル生まれのゾロアスター教だねえ。拝火教の頃は、大昔だが、統一国家があったようだが、ササン朝ペルシアやローマ、そしてカリフ時代のイスラムセルジュークトルコ、モンゴルからやられまくったが、遂にサフィービー朝で統一。しかし、ロシアとイランに半分ずつ支配され、一時的にロシアから独立かとおもいきや、ソ連に併合。ほもだち日本では、男ベック旅行があるけど、西洋人からみたら、ゲイに寛容な国だなあと映るんだよねえ。それにしても、ほんま、シーア派の国なんだろうか。という感じだ。トルコもたいがいイスラム臭低いが、もっと低いなあ。インドネシアぐらいか?隣国アルメニアとは強烈に仲が悪く、入国時にスタンプがあるだけで意地悪されるかと危惧したが、まあそれは大丈夫であった。GUAM(グアムじゃないよ。グルジア・ウクライナ・アゼルバイジャン・モルドバの4カ国による国家連合)というのがあって、ウクライナを支援している。日本ODAもグアムに協力している。ちなみに、スパイ、ゾルゲはアゼルバイジャン出身である。乙女の塔、まあ、これがバクー一番の観光地で、入場料も一流なのでやめとく。もともと拝火教の塔だ。もうゾロアスターって、あんまり残ってないよね、インドでパーシーが残っているけど、これが、またビルラ財閥やタタ財閥だものね。フレームタワー、まあ、目立つね。モディ(インド)首相、日本に来て安倍首相と会談してるけど、通貨無効大丈夫なの!本国じゃ、ツケが横行しているよ。(小さな商店、ツケばらいばかりにされて大丈夫だろうか)日本→モルドバ。ホテルキショナウ。キシナウ観光案内。キシナウ国立博物館1。キシナウ国立博物館2。キシナウ ナショナルミュージアム1。キシナウ ナショナルミュージアム2。モルドバgourmetの旅。モルドバ→アゼルバイジャン。バクーのザハ建築。風の町バクー。ヴァンダーカマーサウナ1。ヴァンダーカマーサウナ2。ヴァンダーカマーサウナの後。カスピ海は塩辛い。バクー世界遺産。アゼルバイジャンgourmetの旅。アゼルバイジャン→日本。
2016.11.12
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すっかり、忘れていたが、アメリカ大統領は民主党共和党基本的に交互になっているんだね。1993年ビルクリントン以降。ビジネスパーソンの大統領は、13億人のマーケットと1憶2,3千万のマーケットどっち選ぶのか。彼はディール(取引)好きだ。それにしても、日本でTPP通過させちゃってどういうことなんだろう。そんな急ぎか?ああ、トランプに喧嘩売るんかな。そういえば、この前、選挙期間中クリントンだけに会いに行ったね、某日本首相。昔某イギリスメージャー首相が選挙期間中ブッシュパパだけに会いに行って、クリントンに随分長い間、無視されましたなあ。ベトナムは、コーヒーの一大生産地であり、フランス植民地の影響もあってカフェ文化である、何か、プラスチックの入れ物に入れて飲んでいる人多いけど、まあそれも時代の趨勢か。チェーである。さて、戦争中ジャーナリストの巣窟でもあったマジェステックホテルに泊まったかというと、これ、かなり高いんだよねえ、手は出るが、手出しするほどでもないというのが、今回の(実はいつもの)旅行である。その5分の1ぐらいの値段の隣の隣のホテルに泊まるのだが、それも、サイゴン川同じのリバーサイドののホテルだ。クフレンチクラッシックなホテルで、まあそれより、それなりによさげで、まー30ドル、いいんじゃないか、文句ないよ、である。このあたりじゃ中年が泊まるには一番安いホテルに近かった。先ほどうちわもらったんですけどね。ホテルの隣もカフェ。まあ、それで、カフェ行くよ、ということで、すり寄ってきたバイタクに、このカフェ行ってくれ、え、遠い、5キロぐらいある?大丈夫2ドル払うから、安いなあ、大丈夫だよ倍払っているじゃん、ということで、出発である。あちこち寄ろうとするが、とにかく、行け行ってくれ、大丈夫大丈夫とドライバーを諭す。到着は、空港まで半分ぐらい来てしまったけど、アップカフェである。まあおされな感じで、女性店員でなく、オーナーのようなおっさんがわざわざ注文を取りきて、どっから来たの?と英語で尋ねられる。 ああ、ここまで来ても外国人来るのかなあ、と思いながら、コーヒーとビールの値段が同じぐらいだったので、迂闊にもビール、にしてしまう、だめじゃん、そうなんです、ダメなんです。そうやって韓国の何とかカフェみたいな感じになっちゃったんです。終わり。ネットにも接続。携帯電話渡して、パスワード入れてもらう。ところで、人工知能ブームでディープラニングというのが最近話題で、要は自己学習するやつね。それが2045年問題ってのにつながっていくのかね。人工知能が何でもできるようになったら、人間ってなんだ?人間らしさは、ショボーンとしたりやっかんだり悲しんだりと、まあマイナス感情が人間の特性ってことになるのかね。それも人工知能が持つのか?さて戻ろうとすると、先ほどのバイタクのおっちゃんがまだ居て、帰りも乗っていきなよ、ということで乗る。途中、ここのフォーはおいしいよ、ということを聞き、じゃあ、おごるから一緒に食べようと誘うが、外で待っているからと、固辞。ホテルの戻り、明日の予定はどうなっているんだよ、と聞かれるが、ごめん、明日香港行くから。とお断りするのであった。ところで、タイ航空からアンケート依頼のメールが来た。アンケートに答えたら航空券当たるかもね、だって。Dear Valued Customer,Thank you for flying THAI.In order to provide the highest standard of quality service, we would be grateful if you could spare a few minutes to participate the survey related to your travel experience with THAI on 11/03/2016 TG673 KIX - BKK on Economy Class. The survey takes a few minutes to complete on-line and it will be expired within 10 days.Your recommendations will be most valuable to THAI in meeting higher level of customer satisfaction in order to achieve services excellence in accordance with the Company’s Core Competency of "World Class, High Trust and Thai Touch". For further comment or suggestion, please send e-mail directly to customer@thaiairways.comYours sincerely,Executive Vice President, Commercial Department Thai Airways International Public Company Limited 飛行機チケット当たるかなー。メタンハイグレードで専門家青山さんなかなかいい質問だったねえ。 シティエン公園1。空港から直行。シティエン公園2。シティエン公園3。シティエン公園4。サイゴンカフェ、アップサイドダウン。サイゴンナイト。べトナムあまり画像。香港経由で帰国。油麻地から尖沙咀まで歩く。尖沙咀から香港島へ。香港空港。バンコクサイゴン香港周遊旅行。
2016.11.11
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前回「インドへの道」では、気が付けば、まだインドに辿り着いていなかったのである。横3席は空いているので、遠慮なくトイレに行けるので、ビールのお代わりも順調にしながら、機内食も、おお、チャパティーにカレー挟んでいる、ぞ、というものが出てきた。そういえば、ナンを初めて食べたのは日本のインド料理屋でであり、チャパティやプーリ、ローティであり、ナンの存在を実は、名前しか知らなかったし、実際にインドで見たことがなかった。焼く釜がないし、原価が高いからだったんだよね。未だに、インドでナンを見たことがない。未だといっても、ずっと行ってなかったけど。今回も19年ぶり、デリーに至っては29年ぶりである。飛行機はタイ上空をすぐ超えてビルマに入り、バングラを越え、インドに入る。かつて2度程インドネパール間を抜けた時に通ったラクナウ上空を飛ぶと、遠くにヒマラヤ山脈が見えた。最初は雲かと思ったが、いや、あれは世界の屋根である。 拡大すると確かに山である。サーダ河、やがて、ガガラ河につながり、ガンジス河に合流する。ムムム、デリー上空に近づくと、地上が見えなくなった。うわっ、凄いスモッグだ。一説によると、あの北京以上だという噂を思い出した。こりゃやばいな。ディーゼルエンジンや石炭火力発電所、産業排出物、大気粉じん、郊外の農場での刈り株の焼却、都市貧困層が冬に暖を取ったり料理をしたりするときのたき火などが急激な都市化の結果、年々、着実に悪化しているようだ。それに加えて、ニュースによると、最大級の祭りディワリの影響もあったようだ。【11月5日 AFP】まるでガス室。近年最悪規模の大気汚染問題に取り組むインドの首都ニューデリー(New Delhi)で5日、小学校約1800校が休校を命じられた。当局が明らかにした。 この措置は、10月30日の夜にヒンズー教の光の祝祭「ディワリ(Diwali)」が行われ、これを祝うために数百万発の爆竹に火が付けられ、街がスモッグに覆われたことによるものだが、公立小学校に通う90万人に影響が出た。 ニューデリー南部のある地区では、大気中の汚染物質の測定値が初めて、世界保健機関(WHO)の推奨値の10倍となる1000マイクログラムを突破した。ディワリでは家の掃除をしてきれいにして、お菓子を食べ、ハッピーディワリとちちくりあいプレゼント交換なんかして、爆竹を鳴らすといったものだ。ちょっと違うかもしれないが、まあクリスマスみたいなものだ。祝う神はラクシュミー、英語に直すと弁天さん、つまりジェニッコの神でもある。 さて、話を戻し、遂に29年ぶりに舞い戻り、確実に年を2.5倍近くとり、人生経験の貫録を携えて舞い戻ってきた雄姿と言いたいが、それ以上にインドは変わったはずである。機内を出ると、空港建物内まで、どことなく、スモッグが入り込んで曇っている、やばいな、これは。まずは、イミグレ横に見ながら、まっすぐ進み、アライバルビザコーナーに入る。なんだここは、日本人だけのためのコーナーなのに、仕切られ、ビザカウンターが10台もあるではないか。これは、簡単だと思ったものの、職員が誰もいない、そして、俺しかいない。暫くたたずんでいると、ビザ代金払いコーナーの人が来て、アプリケーションに必要事項書いて座って待ってろと言われた。その間に、日本人男ベックと、日本人カップルがやってきて、5人となった。日本人カップルの男性は携帯電話を取り出し、多分出口で待っている人に電話しているのだろう。「ビザコーナーに誰もいないんですよ~、ただひたすら待っているんですよ」とのことだった。そして、やがて15分程の歳月が流れ、2人のインド人がやってきて、私の番である(1番である)。これが、また質問攻めではないが、書類作成に時間を要し、10分が経過。後ろの4人の視線を感じながら、最後の人終わるの1時間後だねえ、私より5分程あとにきたのに、カワイソネーと思うのであった。やっとのことで、じゃあ、支払いしてきてくれというので、数メートル歩いて、クレジットカードで支払いを済ませると(何と、ビザ料金3000円超!)、またカウンターに戻された。写真に、指紋である。またこの指紋が何回やっても取れず、係員に落ち着けと言われるものの、落ち着いているけど、機械のせいでしょ、ということである。やっと、右左を終えたら、両親指である。違う違う、親指を平行に置け、と言われるが、カウンターが高いから平行に指おけないよ、後ろの女性かわいそうだなあ、台か椅子でも持って来てくれるのかな、と彼女の心配をする。何とか私もつま先立ちで、両親指を平行にできたのであった。よし、完成だ!既に20分近くの歳月が流れ、ビザが出来た。しかし、イミグレーションカード挟まってなかったので、ああ、返してくれ、というと、いやいや、もうこれはいらないんだ、付いて来いといわれ、付いていくと、長蛇の列のイミグレの横をすり抜け、お前も来い、と言われ、へ?いいの?といい通り過ぎる。何とビザと入国審査(スタンプ)がセットになっているのであった。ああ、じゃあ、時間かかったけど、イミグレで並ぶ時間も考えたら、外に出る時間そんなに変わらないかも知れないなあ、と思った次第。確かにビザを見ると、これは、ビザというか、入国スタンプにビザ番号書いているだけだねえ、という感じであった。ああ、これこれ、無駄に広い。簡単に外に出て、両替をする。1ルピーが29年前の10分の1になっている。(しかし、かつて路上でチャイを飲むと1ルピーだったが、今回10ルピーであり、円に換算すると変わらなかった。)さて、インドでは常に、交渉と勝負である、いや、トランプの言葉を借りると、ディールである。タクシー運転手と常に喧嘩する運命にあるのだが、何と、インドのくせに前払いタクシーがあり、でも、どうせチップよこせとかなんとかいうんだろ?まあ、そんな感じである。そんな感じであるが、料金を聞いてみると、600円ぐらい、1時間ぐらいで着くとのことだったので、じゃあ、それで行くということとした。表に出て、2列目のところに黒黄色の車が並んでいるからそこでこれ渡せ、といいうことで、外に出て、ボロボロのタクシー(バンだな、これは)に乗る。うわ、空気霞んでいるなあ。ニューデリーの米大使館ではこの1週間、PM2.5を含む汚染指数が「危険」レベルの300前後だったが、ディワリのあった30日夜には999に達し、31日昼まで異常に高い状態が続いたとのことだが、999てメモリの最後じゃないの?インドへ1。インドへ2。うんコ詐欺に会いにインドへ。インドgourmet drinkの旅。デリー観光シャルダーム寺院。30年前のデリー。パハールガンジ、ニューデリー駅前。デリーから帰国に向かう朝。バンコクトランジット。
2016.11.10
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それにしても、不正を行ってでもクリントンは大統領の座に着くと思われたが、マスコミに無視されていた支持層が多かったんだね。大丈夫かこの国?さすがに夜中の関西空港は待ち乗客ナッシン。グー。(残念ながらバンコク夜中便は、今年で長年の役目を果たし終了となる。予定組み易かったのにである。来年からは午前中の便に乗るか、羽田発のANAの乗るということとなる)カルカッタ(コルカタ)計画をしたのが、3,4日前である。情報筋(インド大使館HP)によると、今年の3月から4大都市(デリー、ムンバイ、コルカタ、チェンナイ)とハイデラバード、バンガロールはアライバルビザが復活ということであった。じゃあ、すぐ行けるじゃん、でも本当は再訪したいのはバラーナス、うわっ、TGのHPみたらバンコクから直接行けるやん!しまった、行きたい!そう思ったものの、今更ビザ申請に行く時間はないのであった。何と、E-VISAは結構な国で実施されているが、アライバルビザは日本人だけである。何故かは不明。不明だが、ブースがわざわざ作られたということは、どういうことだ。年間インドを訪れる日本人は、間違いかもしれないが20万人ぐらいだったと思う。ちと古い資料。1日、7~800人そのうちアライバルビザって・・・。しかし、トイモイトラベルエージェンシーによると、なかなかナイスな旅行日程が組めないのに合わせて、飛行機が取れないのである。実はカトマンドゥコースも同時に検討したのであるが、これはナイスなスケジュールができたのだが、飛行機が取れない。仕方ないな、ベナレス行きたいな、カルカタ・・・カトマンドゥ(ネパール)・・・デリーは?あ、空いてる、あ、旅行日程組み易い、あ、決定。前述3都市に比べると魅力愕然落ちではあったが、まあ、そこは15年ぶりのインド、まあ、久しぶりに空気感じようじゃないか、企画であった。 そんなに簡単に決めてもいいのか、いいのである、年も取ったし、すぐ帰って仕事せなあかんし、インターネットの時代安チケット氾濫の時代になり、昔に比べたら格段に安くなったのであるからして、いいのである。 1980年代、それはインドへの道への始まりであった。何故か、インド熱にやられはじめた私は、大学1年の秋頃からインド、インド、と言い出し、春の旅行はインドで決まり!みたいなことになって、バイトである。覚えているのが、一番安いチケットが、大阪香港バンコクカルカッタのエアインディアお値段16万円である。帰りもデリーバンコク香港大阪。そして1か月の滞在予算が、3万円。そこまでしか貯めることができなかったのである。しかし、インドで1か月3万円は移動費以外を500円以内に抑えれば十分に可能であった。当時の1ルピーは15円ぐらいであった。今は、1.6円ぐらいである。当時の路上のチャイ屋は1ルピーであったが今は10ルピーであり、20年前と変わらぬ、変わったのは当時は炭焼きの使い捨てコップか分厚いガラスコップであったが、今は紙コップになっている。確かに量は半分ぐらいになっているが、グラスを洗うのが面倒なのか。過度期はプラスチックもあったが、それは、紙コップの更に半分の量のチャイに今も使われている。あれは何だ、熱いので、ちょとずつ飲むとしても、3,4口飲んだら終わりである。学生時代前半いわゆるインド病にうなされていたことを考えるが、そういうことは、すっかり忘れていた。そういうことで、ビザオンアライバルでインドに行くことに決定。とにかくは、大きな声では言えないが、こそっというと、まずはバンコクに行くのである。バンコクタイ航空の関西発夜中便は今年で終わりである、そうすると、私は大いに困るのである。急いでANAの羽田発夜中便にのあないといけなくなrからである、あるが、今回それも検討した結果、家からとして家を出る時間が2時間ぐらい早いだけということに気が付いたのであった。ANAの羽田発も夜中の0時台なのである、但し、バンコクにはちょとだけ遠くなるので、鼻血が出るかもしれない。まあそれはいいとして、ふと気が付けば、不肖恥ずかしながら3週間前にもバンコクに来ているのである、というか同じ便に乗り、早朝、同じコンビニで朝からビールを買い、コンビニの前の同じシートでビールを飲んでいるのである、ダメじゃん。 そういうわけで、もう一度イキッていうが、19年ぶりのインドであり、デリーは、年がばれるとやばいのだが、いややばくもないのだが、29年ぶりである。19年とどこがちゃうねん、まあそうだな。 最後のデリーは、割と時間の余裕があって、パキスタンのラホールに行く便で、いろいろ話していたオートリキシャー(3輪車)で行ったのである。さすがに空港内に入れずに、空港敷地入口で降ろされたが。確かに今回メインのターミナル3と降ろされた空港とは明らかに違う記憶があり、ターミナル3はどうやら2010年ころにできたようなので、オートリキシャーで到着したのは、ターミナル1か2だったのだろう。さて、インドに向かう。おー、インド、やぱタイなら日本にほぼ帰ってきた感覚だが、インドは精神的に遠いなあ、だねえ、コルカタまで2時間半、ニューデリーまで3時間半、日本からよりよっぽど近いのだけど。でもインドは、何だか覚悟のいるやぱちょと遠い国だな。うわ、飛行機乗ったら、俺の後ろ誰もいない。(最終的にも誰もいなかった)さすが、ベトナムと並び、米を輸出する農業大国である。世界の果てまで連れってって・・・まあ、なんとなくヴィムベンダースの映画を思い出した。映画館で、疲れたのを思い出したのだ。作品については数シーンの断片しかない。確かにストーリーの意味が分からないね。ところで、昨日、インド大統領が急に「4時間後に500ルピー(800円)と1000ルピー使えなくなります。以後、新500ルピーと新2000ルピーに交換下さい」で大混乱に陥っている。1週ずれてたら、両替できなかったかもねえ。インドへ1。インドへ2。うんコ詐欺に会いにインドへ。インドgourmet drinkの旅。デリー観光シャルダーム寺院。30年前のデリー。パハールガンジ、ニューデリー駅前。デリーから帰国に向かう朝。バンコクトランジット。
2016.11.09
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高雄駅から南側を見る。高雄85。台湾で2番目に高い。熊本押し、地下鉄も熊本押しであった、地震応援か。西子湾は、高雄市の西側、壽山西南の麓に位置し、旗津半島も望める夕陽見物、天然の礁石、シーフードで有名ということで、高雄の宿屋のフロントのおばちゃんに、ここが、今高雄で一番旬よ、行ってきなさいと、○印を地図でつけられたので、まあ、空港に戻るまで1時間程あったんで、行ってみることにする。地図を見ると、こっち行けだ。まあ、行ってもいいけどいや、本当は1時間では何ともならない、マンゴーかき氷喰って、シーフード食って、フェリー乗って、ビーチでのんびりというのが正しい観光である。それをすべて省略してひたすらビール片手に歩いているのみである。かき氷、省略。シーフード省略。フェリー省略。旗津にいける。俺いかない。えらい、フェリーに乗るため人並んでたわ。ビーチ省略。おばちゃんは、地図に○印つけられた。観光地だなあ、そういえば、先日京都の錦市場をぶらぶら歩いて河原町駅に向かったが、まー外人だらけだな。店側も、呼び込みは日本語英語韓国語中国語を順番に繰り返しいいながら、店の人もここで食べるの?持ち帰るの?ぐらいの英語は話し、そして、どれにする?と写真を見せたりして対応している。あっちでもパクパク、こっちでもハグハグしている、割と値段もいい感じでちょっぴり高いが、ちょっぴり高級な感じであった。でも、ああ、楽しいだろうなあ。そんな感じの印象を受けた。そのあと、大阪に戻って、イタリア料理食べたのだが、そういえば、日本では何料理でも食べられる国だなあ、と思っていたが、最近どの国いっても食べられるようになってきているような気がする。それで、帰りに大阪駅のプラットフォームで電車待っていると、女性が寄ってきて「先ほど、おでん屋さんでご一緒しました?」といわれたが、おでんを食べた記憶も彼女と話した記憶も彼女を見た記憶もなかった。おれはやばいのか?俺は、さっきイタリアン食べてたよな?おでんという名のイタリアンだったのか? 台風超えて台湾へ、台湾抜かして日本へ。佛光山そのもの。佛光山 浄土洞窟1。佛光山 浄土洞窟2。佛光山 浄土洞窟3。佛光山 浄土洞窟4。佛光山 浄土洞窟5。佛光山記念館。左営駅 瑞豊夜市。高雄から隆田、麻豆代天府へ麻豆代天府 到着麻豆代天府 聖女の生贄麻豆代天府 天国地獄麻豆代天府 十八地獄前編麻豆代天府 十八地獄後編麻豆代天府から高雄に戻る。六合夜市。台湾gourmetの旅1。台湾gourmetの旅2。高雄 西子湾。高雄から帰国。
2016.11.08
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川沿いのホテルに泊まったら、そのままリバーサイドホテル。11月6日今秋初めて電気ストーブつけてみました。先週までtシャツに短パンだったんですけど。秋ないやん。間に海外挟んだけど。なかなかクラシカルな外観とロビー。ネットはパスワードなく接続。部屋からサイゴン川の向こうが見える。確か9年前にきたときには、反対側は単なる湿地帯だったように思うのだが。寝屋川高校書かれたバスが停まり、生徒がぞろぞろ出てきた。(イギリスのデイリー・メールは、アメリカで設立から27年間に渡って機体を保有しつつも就航ができない航空会社があることがわかったと報じた。社名はバルティアエアで、 1989年に設立。ミシガン州のウィローラン空港にボーイング747型機1機を駐機させており、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港に本部を置いている。ニューヨークとサンクトペテルブルクを結ぶ路線を運航することを計画していたものの、アメリカ連邦航空局(FAA)などの許可を取得できないなど、様々な問題を抱えているという。創設者兼最高経営責任者(CEO)が逝去し、最近になって機体すら失ってしまったという。ホームページはあるものの、予約は受け付けていない。フライト状況を確認するページはある。バルディアエアでは、アメリカとヨーロッパの主要都市間の大西洋横断航路でアメリカの大手航空会社になることが目標だという。)ぶらぶら歩いていて、ついつい歩きビール。やたら男も女もぽん引きが多く、あなたさっきも歩いてたじゃないの?と言われ、おれは、通りをジグザッグ歩いて散歩しているだけだちゅーの。散歩道だから。書道とか剣道とか極道と同じである。さんぽみちとは、偉くベトナムから遠く離れて。クリスマイケル、ゴダールらが作ったオムニバス映画だったな、いやあ、小田実のも同名のナガーイ小説があったな。サイゴンオペラ。ベトナム戦争時代は、議会になっていたが、1975年サイゴン陥落して、再び劇場となる。1980年代、90年代はまだベトナム戦争の残りがあって、タイ以上に書籍も出回っていて、タイ以上にベトナム関連の本を読んだものだが、さすがにベトナム戦争終わって40年なのか。いやー、日本で戦争終わって70年か。実際、そういえば、戦争で引き金引くのか?といわれれば、実際、できれば人殺したくないから引き金引かなかった人イーパイいるみたいだね。香港230ドルヤモリ9年前に泊まったホテル。あのときは空港で紹介してもらった。サイゴンには夜遅くに到着した。何とオープン3日目のホテルで、今気が付いた、あっ5月だったと。だから5月ホテルかい!と。あの頃に比べたら明るくなったわ、随分12時超えても夜は眠らないわだなあ(随分店は閉まるが)。20時頃はバイクもひしめいているが、2時ともなれば随分バイクもなくなる。ベトナム戦争の遺物。4大コロニアルホテルは、マジェステック、レックス、コンチネンタル、グランドか。【イスタンブール=佐野彰洋】ターキッシュエアラインズ(トルコ航空)は28日、関西空港―イスタンブール線を2017年2月1日から運休すると発表した。現在は週7往復の運航だが、今月30日から運休までの期間は週4往復に減らす。・・・こいつは痛い!サイゴンを落とした北側は、サイゴン腐敗しとる、ホーチミン爺さんの名をつけろ、あれ、つけたけど猥雑な都市のまま。サイゴン川とかサイゴン湾とかミスサイゴンとか残っとるけど。 シティエン公園1。空港から直行。シティエン公園2。シティエン公園3。シティエン公園4。サイゴンカフェ、アップサイドダウン。サイゴンナイト。べトナムあまり画像。香港経由で帰国。油麻地から尖沙咀まで歩く。尖沙咀から香港島へ。香港空港。バンコクサイゴン香港周遊旅行。
2016.11.07
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カスピ海は塩湖である。水をすくって口に含んだら、確かにおぼろげにしょっぱかった。カスピ海は海なのか、そうでないのか、これは、接する5か国で結構問題になっているのである。トイモウイ博士過去の記事参照。ところで、全然関係ないですが、いよいよ今週11月8日、嘘つき利権政治屋のヒラリーか、人種差別のトランプか、どっちか仕方なくましそうな方へ投票するか・・・後ろ向きの選択を強いられますな。まあ、マスコミがヒラリーを応援しているので、ヒラリーが勝つような誘導を行っているが、まだまだ分からんね。それに、トランプが負けても、不正選挙だ!と泥沼にはまっていく可能性もあるし。もういわゆる1パーセントが、クリントンに決めていると思うんでね。これまた関係ないけど、アマゾンやネトフィリクスがでてきて、タワーレコードもボーダーズもブロックバスターもあれよあれよと潰れた。新刊書店は、バーンズノーブルが大都市に1,2店舗あるだけになってしまった。日本も小さな本屋はどんどんなくなっているが、まだ大手書店はある。日本も年賀状とか手紙とかメールのせいでどんどん縮小しているが、もはやアメリカでは郵政公社が赤字累積の危機、土曜配達やめるよ、みたいなことになったのだが、こいつもアマゾンが救済、校舎と提携し、配達してあげるよ、みたいなことになってしまった。アメリカは広大な国だ、それを全国一律料金で手紙を届けるんだぜ!と建国時に決定したのだが・・・。郵政民営化を求めてきたどこかの国は自分の国ではそんなことになっちゃたんだよねえ。しょっぱいのは、流れていくる川はあっても、出ていく川はなく、蒸発していくのみだからである。面積は日本の国土ぐらいあって、水量は世界の湖の4割ぐらいを占めるとのことであった。カスピ海を3つに分けると、北カスピ海は、まー、水深が浅く水量は全体の1パーセントにもならないようで、これが中や南に行くと平均水深20メートルとなり、中には水深1キロ近くまでなるところもあるということだ。ここにベルーガ(チョウザメ)がキャビアかかえているわけだねえ。ちなみに、カスピ海に面する一番大きな都市こそバクーであり、アゼルの首都である。カスピ海みてびびったか?まあ、それは海と同じなので、びびらない。ラプラタ川と同じだ。自分がそこにいるということにストイックになるだけだ。ラプラタ河も川幅50キロ超えると対岸見えず、海だ。カスピ海も同じだ、カスピシーだ。カスピ海沿いにアゼルバイジャンタワーの建設が始まったので、見渡すが、見えず、どうやら随分向こう側だ。1050メートルというから世界一であり、今のブルジュハリファを200メートル近く抜いていくということだ。建設費は8兆円以上。着工したのか?ウキペディアって、政治的なこともどんどん修正や意見が加えられ、だいたい右も左もぶれない中間にいきつくみたいね。あれね、100人の顔合成したら美人美男子になるってやつと同じかな、いや、違うか。まあ、そんなことも思いながら、とにかく、海沿いで、ぼーっと暫く海を眺めているだけなのであった。 日本→モルドバ。ホテルキショナウ。キシナウ観光案内。キシナウ国立博物館1。キシナウ国立博物館2。キシナウ ナショナルミュージアム1。キシナウ ナショナルミュージアム2。モルドバgourmetの旅。モルドバ→アゼルバイジャン。バクーのザハ建築。風の町バクー。ヴァンダーカマーサウナ1。ヴァンダーカマーサウナ2。ヴァンダーカマーサウナの後。カスピ海は塩辛い。バクー世界遺産。アゼルバイジャンgourmetの旅。アゼルバイジャン→日本。
2016.11.06
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バンコク トランジット5時間半の涙17時半に飛行機を降り、急いで外に出るのであった。国は喪中であった。まずは、2階のアライバルから、4階デパーチャー、チェックインカウンターに行き、地図を探すのである。うーん、あったあった、荷物預かり。PQチェックインカウンターの間の奥にあった。荷物を預けるといっても、5キロの荷物のうち4キロを預けるだけである、持って歩けや、といいたいところであるが、1日かも同じ値段だろうが、3時間で100バーツ(300円少々)なので、預けることとする。そして、地下1階のエアポートリンクに急ぎ、行き、18時の2,3分前の電車に乗るのである。料金はずばり60バーツである。行き先は、酒の名前に似たマッカラン駅である、20分か25分であり、そこからMRTに乗り換えである、ファランポーン駅方向のペチャブリ駅まで歩いて切符買って5分程度か、そこから5,6駅先のシーロムまで行くのであった。料金はずばり、16バーツだったか20バーツだったか20数バーツのまあ、100円台である。エアポートリンクでは、台湾地下鉄でも一押しだった九州紹介である。 シーロム駅を出て歩き始めたのが、18時50分であった。両替である。日本円のレートがいいタニヤストリート(日本人専門歓楽街)のレートの良い酒屋で両替する。どうせまた来るからと、でっかく5000円札である。まあ、その程度のお金なら、まあ、あんまり変わらないんだけど、まあ、通りがかりだからね。 さて早速、1時間コースでマッサージである。全身マッサージ330バーツ、まあ800円ぐらいである。前に一度たまたまいって、むっちゃ上手いおばちゃんがいたので、なんとなくそれを思い出して、。今回この店は3回目になってしまった。今回の人もまあまあ上手くて満足した。勿論会社員なので、チップを渡す。でもここ何年か凝って凝って仕方ないのは、肩以外に尻なんだよなあ。普段の生活で会社でも家でも椅子に座っているからな、それで、今回は、まー、オールエコニミーで尻が痛くて仕方ない。それで、髪の長い40代のぐらいのマッサージ師に尻の両脇を押してくれ、というのも憚れたが、足の皿で押してくれ、エルボーで押してもらったということである。そういえば、最近むっちゃ気持ちよかったのがサイパンナイトであったなあ。あれはグテングテンに酔っぱらっていたのに、普通、気持ちよすぎて寝るのであるが、寝ることなく快楽を享受したってわけよ。そういえば、インドネシアだったか、タイのビーチだったかでで初めてのスパしたんよね、高い値段払って、セサミスパだたかな、気持ちよすぎて、施術3分以内に睡眠。終わりましたよ~って起こされて、ムッチャ損した気分になったものな。寝たらあかん。本当にずっとやてくれてたの?不安になったのであった。まあそれはさておき、1時間後の20時にマッサージは終了し、次はバーかなんかでドリンクである。噂どおり、国王がなくなり、アドバタイジング看板も国王のものが多く、歓楽街女性陣も黒基調が多いのである。とりあえず、オープンエアの店に座り、ビールをオーダー。空いている席に座ろうとしたが、マネージャーか責任者のおぼちゃんが伝票集計していて、このテーブルに座りなさいよ、といわれたので、とりあえず座り、ビールを頼む。ビールは300円ぐらいである。暫くビール飲みに集中しながらも散漫に通行人などを眺めていたが、集計一段落したのか、マネジャー女性が、ゲームで勝負しようや、みたいなことをいわれ勝ったら100バーツ、負けたら何か飲み物おごるということで、勝負して、かつては誰とやっても五分五分だったのに、1勝5敗、うわあ、老化している・・・さすがに2回目以降負けた時は、ドリンク追加なかったけど、それは、最初に私が勝って、彼女がお金を払おうとしたのを、いいよいらない、と固辞したのが良かったのかもしれない。いやはや。20時25分、ドリンクタイムは終わりである。おごり合わせて600円ぐらいを散財したというわけなのであった。とにかく、繰り返しになるが、水商売のお姉さま方の服も、8割黒ずくめであり、露出度も低めに設定されていたのである。初めて見る光景であった。 さて、急いでスーパーマーケットである。スーパーマーケット滞在時間は、5分であり、あとは、屋台で急いで飯を食うということである。エアポートリンクのマッカラン駅出発は20時25分、38分、54分と降りた時に控えたが、あの駅までMRTに行こうと思えば、20分ぐらい見ておかないといけないが、既に、20時半である。 なんだか急ぎなのに、ブラブラ歩き、屋台では、カオパットかソムタムかと思いながら、バーミーナムにすることとした。カオパッの屋台が見当たらなかったのである。(時間かけたらなんぼでもあっただろうが)屋台のおばちゃんに、ちょとあそこのコンビニ行くから、作っとってな、と仕草をして、コンビニでビールを買ってきて、熱いバーミーナムをちべたいビールで流し込むんであった、なんせ時間ないよ、でも、旨い、熱い、ビールで口の中で冷ませの繰り返しである。旨い、熱い、ビールで口の中で冷ませ、旨い、熱い、ビールで口の中で冷ませ・・・。 20年前は屋台といえば10バーツ(1バーツ5円だったけど)、いくたびに、30バーツ、50バーツとなり、今回はぼられたかどうかは知らないが60バーツ、150円であった。 21時5分ぐらい前となり、デパーチャータイムまで2時間10分。屋台を出た瞬間にタクシーを停め、「インターナショナルエアポート、スワ何とか!」といい、ぶっ飛ばしてもらい、40分ぐらいで空港に到着し、預け荷物をピックアップ、なんだかんだといって、出発75分ぐらい前にチェックイン。 ゲートに到着したのは出発30分前であったが、まだボーディングしてなくって、ここにきてやっと無料WIFIがつながった。日本まで6時間イメージがあったが離陸からは4時間40分との表示があり、ほう、飛ばしているねえ、という感覚であり、寝てたらすぐに着くかな、と思っていたのであるが、最悪の真ん中席で、ちーとも寝ていなくて、映画2本見てしまい、迂闊に徹夜してしまう。ほぼ満席であり、この便はタイ人のほうが多く、というか右横も前も後ろもタイおばちゃん、唯一左横が日本人だったが、大きい人ですかさず肘を占領され、前の人が思いっきりリクライニングして、寂しい気分になった。というかムカついた。いや、正当な理由なんだが、俺は後ろに人がいたらリクライニングなんかしないのに、と思いながら、まあ、日本旅行で浮かれているんだね、優しい気持ちになりなさいよ、と自分も戒め、うわあ、6時15分に到着したわ、15分早い4時間25分のフライトであり、朝じゃないか朝帰り久しぶりやなあ(ヨーロッパ昼便発のように)、ということであった、というか本来はバンコク1泊して翌朝10時頃、つまり半日後のフライトで帰るつもりだったんだけどね。それすごく混んでいるからと1本早い便にしたのだが、結局この便もえらい混んでるじゃん、と気が付いたのは乗ってからである。パスポートコントロール手前で時間を確認すると、6時27分である。それでも6時35分のリムジンバスには乗れたのであった。税関も強化期間が終わったので、開けますよ、といったのに、いやいいですと税関員に言われたしなあ。空港大橋に朝日が昇る。私の目が閉ざされ始める。そんな訳で大阪には7時半に到着したのであた。アタタタタ~である。
2016.11.05
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麻豆代天府の奥には突入、しかし、受付のおじさん、寝ている。木の手錠振り返ると、また寝ている。40元の入場料受け取る、一瞬だけ起きたか。まあ、入場料は50元ぐらいだったかな。地獄だし、模型動くし。天国の施設は潰れ、もはや地獄しか残ってないんだよねえ。ロック!これ18回繰り返すの?下町の気のよさそうなおやじも、地獄行ですよ。痛くなさそうな虎というか、気持ちよさそう。あれ、ここだけお化け屋敷ウィラブポール何だか、ほんまもんの水に沈められてました。密かに、顔、カンナで削うるー。目は、いやだね。まだ第4地獄ですか?15地獄まで遠くないですか?遠いね、少し熱いね。今日はありがと、明日また会えるね~?口からマスコット、魚からダイオキシンぶら下がり健康法ハクい車に乗ってるね。しびれるね。台風超えて台湾へ、台湾抜かして日本へ。佛光山そのもの。佛光山 浄土洞窟1。佛光山 浄土洞窟2。佛光山 浄土洞窟3。佛光山 浄土洞窟4。佛光山 浄土洞窟5。佛光山記念館。左営駅 瑞豊夜市。高雄から隆田、麻豆代天府へ麻豆代天府 到着麻豆代天府 聖女の生贄麻豆代天府 天国地獄麻豆代天府 十八地獄前編麻豆代天府 十八地獄後編麻豆代天府から高雄に戻る。六合夜市。台湾gourmetの旅1。台湾gourmetの旅2。高雄 西子湾。高雄から帰国。
2016.11.04
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サウナとかマッサージとか終えて、それなりにすっきりしたあとは、まあ、喉かわくのが人の論理というか道理である。道理がないのは無理である。そういうわけでバーカウンターに行く。そうすると、最初に注文を受けてくれたパンク姉さんと、私にマッサージ施術した身長オーバー180センチ体重オーバー0.1トンの彼女がだべっていた。「ん、何か飲むの?水?」「いえいえ、ちべたいビールですよ」「何ビールにするの」「アゼルバイジャンビールでお願いします」すると、彼女は、違う男性を呼び、こっちこいとレストルームに案内された。ほれどうぞ、あれいくら?200円だ。レストルームには、むむむ、従業員たちが順調に眠っていた。まあ、それを無視して飲む。勿論レストルームもバンダーカマー状態である。ビールを置いたまま、店内散策である。過剰が大事である。いや同じような言葉で反対の意味でもある豊穣という言葉もあった。ベクトルは上向きである。過剰は下向き、そぎ落とし感がある。過剰は精神的な不安定を呼び込むが、豊穣は包み込んでしまう、まあ、そういったイメージというか概念だねえ。いやあ、過剰が大事である。ビール飲んだら、トイレトイレ、うわ、トイレもえらいこっちゃ、また戻ってカメラカメラ。落ち着いて出るものもでないかというと、落ち着きとは関係なしに、生理として、出るものは出る。以上、トイレでした。それからマルタです。それからマルkusuです。あ、バクーでオリンピックあったんだ。nainaiベネチアカーニバルに、見ざる聞かざる話せない猿笑顔もある天井にも張り付けられてます。別に見なくていいですが、前編別に見なくていいですが、中編さて、のんびりしたから、ま、じゃあ、出るか。こうして、ハマムは終了してしまったのである。 日本→モルドバ。ホテルキショナウ。キシナウ観光案内。キシナウ国立博物館1。キシナウ国立博物館2。キシナウ ナショナルミュージアム1。キシナウ ナショナルミュージアム2。モルドバgourmetの旅。モルドバ→アゼルバイジャン。バクーのザハ建築。風の町バクー。ヴァンダーカマーサウナ1。ヴァンダーカマーサウナ2。ヴァンダーカマーサウナの後。カスピ海は塩辛い。バクー世界遺産。アゼルバイジャンgourmetの旅。アゼルバイジャン→日本。
2016.11.02
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200メートルの巨龍が暴れる。あ、天国への入口、水晶宮が閉ざされている!天国への階段が・・・天堂も閉鎖中、厳しいのう。日本から2時間少々の飛行機と1時間少々の電車と15分のタクシーでやってきたというのに。197,80年代に完成して、随分、ぼろでてきてしまったのか。公式HPすげえ、アドレスが5god.comだ。twついてるけど。とりあえず、テッシュで気を持ち直すというか・・・ミニだ。台湾では、地震国家でもあり、2025年までに第4原発まである8基(稼働中3基)を撤廃するらしい。電源の14パーセントだそうだ。福島で、反原発の世論が高まっている中でであった。日本も、反対か賛成お互い全くかみ合あないわけだが、賛成の中も、核を持つ派、関係者従事者、コスト派安全派環境派仕方ない派みたいなのがあるのだろう。まあ、コストはどうみても高くなるのだが。反対派も、政治思想派、生活派、環境派安全派、懐疑派みたいなのがあるのかな。ところで、族、派、系、例外基本緩くなっていく順番か。隠ぺい体質がやはり不審の原因なのだろうが、何でもかんでも反対派に突っ込まれるのが嫌ということなのだろうか。多分、ヤバイってのは推進派も分かっているのだろうが、生活があるからねえ、ってことなのだろう。安全対策とらず安全神話にしがみつき、1000年に一度の想定外とかいって、おかしな嘘ついているものなあ。おまけ。最近の飛行機ネタ。ライアンエアー機に搭乗した男性、駐機場で脱糞 約34万円の罰金・・・ライアンエアはトイレを有料にしようと画策していた前科があるからねえ。キャセイパシフィックの”最上級会員”の男性、空港内で20匹の蟹を茹でさせたが、台湾に持ち込みできず・・・馬鹿だね。でも、これ違反なんだ。台風超えて台湾へ、台湾抜かして日本へ。佛光山そのもの。佛光山 浄土洞窟1。佛光山 浄土洞窟2。佛光山 浄土洞窟3。佛光山 浄土洞窟4。佛光山 浄土洞窟5。佛光山記念館。左営駅 瑞豊夜市。高雄から隆田、麻豆代天府へ麻豆代天府 到着麻豆代天府 聖女の生贄麻豆代天府 天国地獄麻豆代天府 十八地獄前編麻豆代天府 十八地獄後編麻豆代天府から高雄に戻る。六合夜市。台湾gourmetの旅1。台湾gourmetの旅2。高雄 西子湾。高雄から帰国。
2016.11.01
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