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今日は悠久山公園の続きです・・・この公園には。。。猿山があります。いるのはニホンザル・・・犬猿の仲などと言いますが、光君は興味津々です。。。またサルを見物している気になっておりますね。。。これなんか家で寝ている光君にそっくり!!「うん?、なんか言った?、僕はあんなだらしない寝方はしないよ・・・」(光君)あ~さいですか・・・このように、あちこち駆け回っているサルたちですが・・・一匹気になる猿が・・・子猿を抱いた母猿なのですが、この子猿、ピクリとも動かずぐったりしているのですよ・・・これ死んでるんじゃないの?・・・結局見ている間、まったく動かない子猿、母猿は動かない子猿の毛づくろいをしたり、心配そうにしております。きっと母猿は気づいていないのでしょうね、それとも気づきたくないのか。。。何が原因かは知りませんが、自然とは厳しいものですね。。。この公園には・・・なぜか熊がたくさんいます・・・アライグマ・・・アライグマも光君に興味津々・・・向こうは向こうで犬を見物しているつもりのようです。。。これはアナグマ・・・ダックスフントは本来このクマを狩るために改良された犬です、光君のようなミニチュアは、アナウサギを狩るために小型改良されたもの。グータラですが一応猟犬です。。。「うるさいね~、誰がグータラなのよ!!」(光君)今日はやたら出てきますね~・・・この公園にはほかに大きなツキノワグマもいますが上手く撮影できなかったので写真は無し・・・他には・・・狸・・・これは朱鷺の近縁種のクロトキとムギワラトキ・・・多摩動物公園から譲り受けたそうですよ。あとは・・・コハクチョウにカモ・・・孔雀もおります・・・まあそんなに珍しい動物はいませんが・・・無料で入れるミニ動物園ですね。。。今日は悠久山公園の動物たちのお話・・・光君は途中何度か出てきていますので・・・今日の〆は・・・コハクチョウさんに譲りましょうね。。。うんうん、光君より美しいですね~「ん?、なんか言った?・・・」いいやなにも・・・ではまた・・・
2013年05月31日
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長岡の悠久山公園に行ってまいりました悠久山公園は長岡開府300年を記念して市民の有志によって作られた公園です園内には国指定有形文化財の蒼紫神社があります昨年映画化された「明治浪漫譚 るろうに剣心」の江戸城御庭番衆「四乃森蒼紫」はこの蒼紫神社から撮った名前ですね。この映画の原作者、和月伸宏が新潟出身でこの漫画の登場人物の多くは新潟の地名から取られていますね、明神弥彦→弥彦神社・巻町操→巻町(現新潟市)・三条燕→三条市&燕市・柏崎念至→柏崎市とまあこんな感じ・・・ハッハッハ、私のブロ友さんは平均年齢高めだからこんな漫画を原作にした映画きっと見ない、知らない人がほとんどだったりして・・・御祭神は天照大神です。長岡市は長岡藩の本城があった城下町ですが戊辰戦争で焼失した後、廃城となった長岡城、長岡には当時の遺構を偲ぶものが何も残っていないのですね。この悠久山公園に僅かな記念碑と資料館があるだけ・・・以前戊辰戦争で新潟は会津ほど遺恨を残さなかったと書いたことがありましたが、遺恨は若干ありましてね・・・ここ長岡では北越戦争の敗戦のきっかけを作った新発田藩の寝返りを恨み、新発田に嫁は嫁がせられないといわれました(今はそんなことはないと思います)、今日はちょっと時間を遡って戊辰戦争について書いてみたいと思います、長岡藩は奥羽越列藩同盟の越後国の中核とはいえその石高はわずかに7万4千石、同盟の中核となった会津藩(23万石)、庄内藩(17万石)、仙台藩(62万石)、米沢藩(18万石)、盛岡藩(20万石)といった大藩と比べれば小さな藩です、小藩ではありますが長岡藩は河井継之助の指揮のもと藩政改革、富国強兵を行っておりその装備は最新式に更新された精鋭であったようです。当初新政府軍、奥羽列藩同盟軍どちらにも属していなかった長岡藩、継之助は武装中立、獨立特行 を主張し新政府軍と旧幕府軍の調停を行うことを申し出ましたが、交渉は決裂、以後長岡藩は奥羽列藩同盟に合流、奥羽越列藩同盟が誕生するに至ります。越後の地は海外からの武器調達が可能な新潟港を有し、同盟軍の武器弾薬の調達はほぼここで行われており重要な武器調達拠点であると同時に阿賀野川の川筋を抑えることにより庄内・会津への重要な防御拠点でもありました。奥羽越列藩同盟に参加した長岡藩は先に新政府軍が占領していた榎峠を奪回、世にいう北越戦争の幕開けです・・・長岡藩は小藩ながら最新装備の精鋭、新潟港を有する立地もあり当時日本に3門しかなかったガトリングガンを2門も装備していたそうです、長岡藩は新政府軍を大いに手こずらせ、与板藩の助けを借り奇襲によってようやく長岡城を落とすも、再びこれを奪還されます・・・新政府軍は一度落とした城を再び敵に奪われる異例の事態に指揮は混乱を極め迷走・・・、しかしながら数に勝る新政府軍、長岡藩はしだいに劣勢に追い込まれます、この時、新発田藩の裏切りにより上陸した新政府軍によって新潟港が陥落、日を同じくして長岡城も再び陥落、奥羽越列藩同盟軍は会津に撤退を余儀なくされます。この時通ったのが・・・現在建設中の国道289号線(現在は点線国道)、三条市から只見に抜ける八十里越・・・この撤退の途中、負傷した河井継之助が破傷風によって会津を見ることなく亡くなっております・・・、継之助の辞世の句、「八十里 腰抜け武士の 越す峠」・・・越後を守りきることができず会津に落ちる継之助の心情が表れておりますね。新潟港・長岡城の陥落によって・・・戊辰戦争の中でも激戦と言われた北越戦争は新政府軍の勝利で終結、越後国全土は新政府軍の管理下に置かれることとなります。戦略上重要な武器調達の拠点であり防衛線としても重要な要衝越後の陥落はその後の戦局に重大な影響を与え、力の差は広がるばかり、戦争は次第に一方的となり掃討戦の様相を呈していきます。激戦の北越戦争をへて長岡藩の戦死者は会津藩・仙台藩・二本松藩に次ぐ四番目の戦死者数、これは藩の規模を考えれば実に大きな犠牲であったと言えるでしょう、長岡藩は戊辰戦争の敗北により石高を2万4千石に減らされ、北越戦争で壊滅的被害を受けた上に財政的にも困窮し全国的廃藩置県に先立って廃藩、柏崎県に編入されました。この蒼紫神社本殿の脇に並ぶ霊廟が・・・歴代長岡藩主牧野家の霊廟・・・しかし、まだ戦力の拮抗していた北越戦争で滅んだ長岡藩はまだよかったのかもしれませんね(実質的廃藩は廃藩置県の1年前)、その後の会津の悲劇は皆さんもご存じのところ・・・戦後処理の問題もあり会津は大きな遺恨を残すこととなります・・・戊辰戦争の敗北により会津藩は23万石から3万石にまで減らされてしまいます、会津藩の石高は23万石ですが実際の内高は40万石を上回っておりました、移封され新たに立てた斗南藩は3万石ですが実際の内高は7千8百石にすぎません、実にその石高の98%を没収されたのです。戦死した多くの老若男女の犠牲者たちはその埋葬を禁止され遺体は鳥や獣に食い荒らされて異臭を発する、遺体はごみのように扱われ被差別部落民によって墓ではなく罪人塚に葬られる・・・この時の仕打ちが、薩長に対する恨みとなって長い間残ることとなるのですね。現在でも会津では薩長に対しては言い表しようのないこだわり、毛嫌いが続いているのですね(特に長州ね・・・)長い時間が過ぎ去ったあとで恨みというにはあまりに抽象的ですが・・・会津はその後の近代化の波からも完全に取り残され、「もとは逆賊長州の逆恨み、なぜに会津がこのような目にあわねばならないのだ」という心理が自然と刷り込まれているのですね。これも戦争が生んだ悲劇・・・これは北越戦争で死んだ河井継之助の碑・・・こちらは佐久間象山門下の2虎と言われた小林病翁の碑・・・長岡駅のあたりにあったという長岡の城、今はその遺構を垣間見ることはできません城下町の面影が残るものはただ城をかたどって作られた資料館のみ・・・過去の戦争の歴史など知る由もない光君は・・・広い公園でたっぷりと散歩を楽しんだのでした・・・今日は戊辰戦争のお話・・・ではまた・・・
2013年05月29日
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仙台で有名な温泉というと秋保温泉というのがあります「あきほ」ではなく「あきう」と読みます、同じ宮城の鳴子温泉、福島の飯坂温泉と並び奥州三名湯と言われています、秋保温泉は仙台の中心街からでも車で30分ほどの距離にあり仙台の奥座敷として栄えた温泉地です同地区では最高のサービスを提供する地域として知られ、高級リゾート地としての地位を保ってきており数百台を収容できる駐車場、数百人を収容できるコンベンションホール、高級ホテルのスイートルームに匹敵する部屋、仙台圏のスイートルーム全87室のうち実に41室がこの秋保にあります。私はというと・・・このホテルの離れ 清流庵清風を借りて滞在、一泊84000円です・・・って冗談です、そんな高いとこ仕事で泊まれるわけないでしょうが!!仙台市内のビジネスホテルですよ、秋保には温泉に入りに来ただけ・・・上のホテル、秋保の「きよ水」というホテルですが、ここの別館のお風呂が日帰り入浴では人気の施設でしてね・・・タオル無1050円とちょっと高い・・・泉質はナトリウム、カルシウム-塩化物・硫酸塩泉です温泉成分分析表の掲載については法律上模範的な掲載ではないでしょうか?、ここまできちんと掲載してるところは少ないですけどね~湯は無色透明、まあ柔らかい湯ですね。名湯と言われる温泉は両極端で、道後温泉やこの秋保温泉のような癖のない柔らかい湯、刺激が少なく入りやすいということなのでしょうね、湯爛れや湯あたりも起こしにくいですしね、逆に草津温泉や有馬温泉は強烈な特徴のあるお湯、刺激が強く肌が弱いと爛れることもある強烈な泉質ですが温泉好きにはたまらない温泉ですね。私もどちらかというと「秋保」や「道後」のような穏やかな湯より「草津」や「有馬」のような湯の方が好きです。個人的な好みでいえばこの「秋保」より福島の「高湯温泉」の方が泉質的な好みには合っていますね、きっと私が選んだら奥州三名湯に入ることでしょう・・・(秋保も道後も温泉街に風情があり良い温泉地です、泉質もあくまでも私の好みの話です、癖はないけれど良いお湯ですよ)もっとも奥州は来る機会がないので奥州の温泉などほとんど知りませんが・・・湯の好みも人それぞれ、温泉ガイドや温泉番付で上位に選ばれなくとも好みにあった湯があるのもこれまた当然のこと・・・ただまあ、問題はそのような温泉は知る機会自体少ないということでしょうかね・・・まあ距離に関係なく奥州で行ってみたい温泉ということであれば・・・嶽温泉(青森)・酸ヶ湯温泉(青森)・恐山温泉(青森)・磐梯熱海温泉(福島)・いわき湯元温泉(福島)と言ったところでしょうかね~不思議と青森と福島しかありませんね、まあ知らないということですな。。。蔵王温泉(山形)・や銀山温泉(山形)も行ってみたいですが山側とはいえこの辺は奥州になるんかいな?この辺りは出羽かな?、いまいち国境が分からんですな。。。かつての奥羽越列藩同盟は越後プラス東北はほぼ全域ということになりますね、共に敗戦を経験した地域ということで新潟とは結びつきの強いのが東北地域なのですが・・・(一応新潟は東北じゃあないのよ~、東北6県は青森・秋田・岩手・山形・宮城・福島・・・)私はあまり行く機会がなくてね、公私ともに行ったことのあるのは福島・宮城・山形だけ、残りの青森・秋田・岩手には行ったこともないので・・・さてちょっと脱線しましたね秋保に戻りましょう・・・秋保温泉も歴史の古い温泉でその開湯は古墳時代に遡るといわれます。史料として確認できるのは第29代欽明天皇が小瘡に感染し、秋保温泉の湯を搬送させて沐浴したところ全快したという記録が残っています、以後、秋保温泉は皇室の御料温泉の一つとして位置づけられ「御湯」の称号をもらい、別所温泉(信濃御湯)、野沢温泉(犬養御湯)とともに日本三御湯にも数えられております、おぼつかな くものうえまで みてしかな とりのみゆけば あとはかもなし 代欽明天皇さて私の方はと言いますと・・・平日の中途半端な時間に来たのでがらがらで貸切状態、のんびりと入浴できる良い機会ではあったのですが・・・実はかなり無理やり寄ってましてね、帰り際にちょっと一風呂と寄ったので、この後新潟まで帰らねばならないのですね・・・まああんまりゆっくりもできないので、ちょっとだけね、仙台牛タンの旅はこれでおしまい・・・次はいつ来れるかわかりませんね、なんだかんだで結局「利久」に通っておりましたな・・・まあしばらく牛タンはいいかな?・・・ではまた・・・
2013年05月28日
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先日仕事で仙台に行きました、担当地域外ですのでずいぶんと久しぶりです、仙台と言えば牛タン、前回訪れた時の心残りでもあります。仙台と言えば牛タン、牛タンと言えば利久、仙台には利久という牛タンチェーン店がありここの牛タンがとても美味しいのです。前回は郊外に泊まったこともあり利久が見つけられず、別の牛タンチェーンに入ったのですが・・・うん?・・・、あれ?・・・なんかいまいち美味しくない。。。店では高い方の極厚牛タンを頼んだのだけど・・・これは私の味の好みが変わったのか、それとも牛タンが厚すぎて味に癖があるのか?・・・っと言うことで、利久で確かめてみましょう・・・頼んだのは前回別のチェーン店で食べたのと同じ極厚牛タン、利久では<極>という名前で通常より1.5倍くらいの価格の牛タンです。さてさて、味の方は・・・美味ち~!!、は~い癖なんか微塵もありませんね。。。やっぱ牛タンはこうでなくちゃね。さてこれは後日食べた普通の牛タン・・・厚みが違うんですね~、これは1.5人前ですが価格は大体同じ・・・高!!この普通の牛タンでも十分に美味しいので、酒のつまみにはこっちで十分かもしれませんね~まあ、仙台にはあまり来る機会がありませんからね、次はいつ食べれるかわかりませんので・・・っと、実は東京にも支店があります、どうしても食いたければ東京駅でも食べれたりして・・・これは前回のチェーン店と大体同じ味のテールスープ・・・これは利久のでもあんまり好きじゃない・・・結構くどい味の牛タンにスープまでくどい味。。。なんで牛タン屋ではテールスープなのかね~こっちは変わり種牛タンメンチカツまあ結局のところ牛タン屋なので、どっちにしろくどいことには変わりないのですな・・・このメンチは美味しいことは美味しいですが、メンチカツに無理に牛タン使う必要はないようです。こっちは牛タンカレー・・・私の妻は基本癖のあるものは食べませんので牛タンは微妙、カレーなら食べれるかな?と思ったのですが・・・これも美味しいことは美味しいですが、牛タンの旨味を引き出した料理かというと・・・炭火焼の方が美味いですね、お土産にする価値なし、この程度の味なら自分で作れます・・・利久の牛タンはとても美味しいので酷評するつもりはありませんが、牛タンは素直に炭火焼で食うのが一番良いようですね、餅は餅屋、牛タン屋でメンチカツやカレーの味を云々言ったところで詮無きこと・・・ちなみに妻は結婚当初は刺身もまともに食えなかったのですよ・・・海岸線の長~い新潟県民のくせにね~過去に失敗したお土産は・・・福井の焼サバ寿司、いや~見事に食えませんでしたね~これは息子も食べれなくて結局私が1本食う羽目に・・・、美味しいのにね~「へしこ」は最初から食えると思っていませんでしたがこっちはいけると思ったのですがね~見事に失敗・・・、富山の「ますの寿司」や「ぶりの寿司」は食えるのにね~鯖も似たようなものだと思うけれど・・・肉系だと・・・谷川のモツ煮は食えませんでしたね・・・(これは谷川岳PAのモツ煮定食)牛タンは食えない可能性大!!。。。牛タンスモークでも拒絶反応がありましたわ・・・利久で焼きたての牛タンならきっと食べれると思うのですけどね、お土産としては・・・ね。。。カレーやメンチカツなら食べると思いますが「これが仙台の牛タン!!」と言って土産にするのはちとためらわれますねまあどっちにしろ我が家の土産としては微妙ということで・・・今日は仙台牛タンチェーン店「利久」のお話・・・最後はさっぱりとサラダで・・・(カレーのセット品ね)ではまた・・・
2013年05月26日
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さて今日は万葉の藤を見た後に向かった五泉市のお話、目的地は五泉の牡丹園、なんだか藤と牡丹を交互に掲載しておりますね・・・でもその前に、ここで丁度お昼となりましたのでまずは腹ごしらえ。五泉市の「鳳龍飯店」に行ってまいりました、このお店は新潟市の広東飯店で修業された方が経営する食堂です、広東飯店はかつて新潟にあった名店食堂、ここのご主人が麻婆麺を考案したといわれております、中華料理店でありながらカレーの美味しい店としても有名でした、なぜ中華料理店でカレーかと言いますと、この広東飯店のご主人はかつて帝国ホテルに勤めており、若かりし日に東京オリンピック選手村のコック300人にえらばれた実力者、その時におぼえたというのがこの正統派、インドカレーです。で、この広東飯店の味を受け継ぐ五泉の「鳳龍飯店」、三条の「華園」でも名物はこのカレー・・・中華料理店のカレーとは思えないスパイスの効いた本格的なカレーです、ただし・・・かなり辛い!!・・・、メニューにもお子様には無理ですと書いてあります。。。で、こっちも名物・・・天津麺・・・しっかりした蟹の身と卵の白身で作った白雲がのっています。こちらは広東料理をベースとした料理ですがこれも広東飯店から引き継いだ味・・・新潟、広東飯店は新潟でも人気の店ではありましたがご主人が高齢になり、いつ職人仕事ができなくなるかわからないと、惜しまれながらも閉店、あの味が食べれなくなると泣いた客もいたとか・・・、まあ引き際をわきまえたご主人であったようですね。っと言うことで腹も膨れたので目的地に・・・五泉の牡丹園は120種5000株の牡丹が植えられています、放射状に広がる円形の花壇です。新潟の牡丹園と言えばここが有名・・・さてさて弥彦牡丹園で雑学書きすぎたのでもうネタがありませんね~今回の牡丹はお花単独ではなくちょっと引いて撮ってみましたよ・・・私のブログの写真はフォト蔵を使っておりますが・・・ついに登録画像が3000枚を超えました。。。いや~、撮ったものですね~なんと光君の写真だけでも350枚もあるのですよ・・・いつも動き回って撮れやしない光君、光君の写真は後付ということが多いのですよね、車の中か家での写真が多いですね。基本的には時系列でアップしている私の日記ですが(ちょっと遅れがちではありますけどね・・・)場合によって若干、アップする順番は変わることがあります。ここ最近の日記・・・時系列で行けばまずは「燕市八王寺の白藤」→「弥彦牡丹園」→「燕戸隠神社春季例大祭」→「三条井栗万葉の藤」→「鳳龍飯店」→「五泉牡丹園」ですまあ大体時系列ということで・・・ちなみにそれぞれに添付されている光君の写真は・・・最後にまとめて撮影しておりますね。。。失敗作の多い光君の写真はそれぞれの写真を日記掲載潤に割り振った後適当に振り分けているのですね。いつもきれいに撮れるとは限らないですのでね・・・フォト蔵の方は下書きする段階で画像登録しますので、実際にはブログより数日早くアップされておりますね・・・先にフォト蔵を見られると次の日記のネタがバレバレになるのですがまあ良しとしましょう・・・掲載写真と内容があってるとも限りませんからね~今日は牡丹のお話はほとんど出てきていないし・・・(笑)基本的にネタはネットで調べて勉強し、ふくらませて書いておりますが意外と面倒くさいんですよ・・・っと言うことで今日はかなり手抜きでしたね・・・今日の光君はちゃんとこの日の帰り道の光君です・・・今日は五泉牡丹園と「鳳龍飯店」のお話・・・帰り道は眠いのよ~~ではまた・・・
2013年05月25日
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前々回の日記で燕の白藤を紹介いたしましたが、今度は三条の藤を紹介いたしましょう。万葉の藤です・・・燕の八王寺の白藤は藤棚の藤ですが、こちらは神社の境内の榎の木に絡みついた藤の古木です。この藤の花、昨年も掲載したのですが、それがご縁で知り合ったブロ友さんがおられます、またこの藤が咲く時期となりましたが今でもそのブロ友さんとは交流があります、縁とは面白いものですね。きっかけとなったのがこの説明文でしてね・・・ここには万葉集に出てくる井久里の森の藤とはこの藤であるというようなことが書いてあります。。。万葉集・和歌に詳しい方でこれに興味をひかれてお見えになったのがご縁・・・井久里の森も諸説あるようで、客観的にみるとこの三条井栗の藤は井久里の森の藤ではないようですね。この藤は三条市の特定天然記念物です、まあ井久里の森の藤かどうかは別にしてもかなり古い藤の古木であることは確かなようです。藤棚の藤と違い木に絡みつきのびる藤は妖艶な雰囲気を持っておりますね・・・藤は意外に生命力が強く時に絡みついた木が吸収するはずの養分を奪い取ってしまい、絡みついた木を枯らしてしまうこともあるそうですが、ここの藤は絡みついた榎を枯らすこともなく、仲良く共生しておりますね・・・八王寺の白藤と比べると匂いもかなり穏やかです、かすかににおう程度で、房も白藤よりだいぶ小ぶりですね・・・藤棚の藤と自然に木に絡みついて成長した藤、条件も違うのかもしれませんが・・・縁とは面白いものと書きましたが、実はこの万葉の藤、見に来たのは昨年が初めてなんですよ・・・例年は八王寺の白藤を見に行くのですが、昨年はたまたまその藤棚が壊れ、花の出来がよくないと聞いたので、なら別の藤を、と見に来たのがこの万葉の藤。今年は八王寺の藤棚も直り見事な花を咲かせました、今年の藤の花の出来は・・・八王寺の白藤に軍配でしょうかね・・・県内で他に藤で有名なところというと・・・北方博物館「伊藤邸」の藤棚でしょうかね。さてここで藤を見物した後次の目的地に向かったのですが・・・途中の山に藤が自生して見事な花をつけているところがありました。自生する山の藤・・・新津から五泉に抜ける山道の両側あちこちに、藤の花が咲いておりました。。。先の藤は観光地の藤、こちらは野草としての藤ですね。今日はちゃんと外に出れた光君・・・動くと眠くなるのもこれまた自然の摂理でして・・・ZZZZZ・・・・・今日はペット禁止じゃなくてよかったね~ま、聞いておりませんな・・・・今日は三条井栗、万葉の藤のお話・・・ではまた・・・
2013年05月24日
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弥彦の牡丹園に行ってきました・・・県内で牡丹の名所と言えば五泉の牡丹園が有名ですが、近年弥彦にも牡丹園が整備されております。弥彦の牡丹園は島根県、大根島より牡丹の苗木を取り寄せ、現在は2ヘクタールの園内に180種3300株の牡丹が植えられております、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花・・・芍薬のように風情があり、牡丹のように華麗で、百合のように清楚であることが美人の代名詞とされていますね。牡丹は大輪の大きな花をつけますね、百花の王の風格でしょうかね・・・牡丹の花は・・・蕾も大きいですね、この大きな蕾が春の暖かな日差しを受けて・・・徐々に花開いていく・・・牡丹の花は見頃が難しいですね・・・早すぎてはつまらないですし、遅すぎると・・・大きな花の花弁は腐り変色し何ともみすぼらしい・・・この日はちょうど見ごろ、花もほぼ開いておりますし、腐り変色した花もない、まさにベストな状態でしょうか・・・しかしこの牡丹園・・・昨年までなかった看板が一つ・・・「ペット散歩御禁止」・・・、まあ飼い主のモラルの問題なのでしょうが、こうあっちもこっちも立ち入りを禁止されると。。。困ってしまいますね。建物の中はもちろん、今は公園も入れないところが多くてね・・・キャンプ場でもペット禁止のところは結構あるんですよね。。。せっかく来たのに光君は散歩できませんね・・・残~念・・・ここは来年のお花見リストからは削除ですね・・・光君入れなくてはかわいそうですからね。。。それにしてもいろんな色がありますね~赤・ピンクと暖色系が多いですが・・・こんな黒っぽいのもあります・・・牡丹は中国原産の花で、中国ではとても人気のある花です日本には奈良時代に中国から伝わったといわれております、一説には弘法大師が持ち帰ったとも言われています・・・緋牡丹博徒お龍なんかでおなじみの入れ墨にも牡丹の花は使われますね、牡丹に唐獅子なんてのは聞きますが百花の王「牡丹」に百獣の王「獅子」、縁起の良い組み合わせなんですね~ちなみにイノシシ鍋のことを牡丹鍋などと言いますが、これは「獅子」にかけているのですね、まあ獅子鍋などとも言いますので・・・食肉の世界ではイノシシは牡丹・馬は桜などと言いますね。。。まあ食べ物系でいけば・・・棚からぼた餅の「ぼた餅」は牡丹の花に似ているからぼた餅「牡丹餅」・・・おはぎと似ていますがあれは萩の花に似ているから「おはぎ」似たようなものですが春のお彼岸は「牡丹餅」、秋のお彼岸は「御萩」です・・・さて実は牡丹の日記はもう一話予定しているのですが、牡丹雑学書きすぎて次のネタがありませんね・・・、まあ掲載までに何か考えておきましょう・・・お散歩できなかった光君は・・・退屈!!・・・まあ我慢、我慢・・・ではまた・・・
2013年05月22日
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久しぶりに実家に行ってまいりました、息子が中学に入学してからまだ行っておりませんでしたので・・・実家の菩提寺の藤が咲いたそうなのでついでに花見・・・ここが実家の菩提寺「安了寺」です、浄土真宗仏光寺派です、この寺の庭にそれは見事な藤の木がありましてね・・・思えば今日は父の月命日でしたな・・・、寺に来たのに顔も出さんと怒られてはかなわんので、先にお参りに・・・気まぐれにしか顔を出さん愚息であります。。。ここの寺の藤は見事な白藤、藤の花の甘い香りが辺りに漂っております、菩提寺の木ですので幼き頃より見慣れた藤ではありますが・・・一応・・・県指定特別天然記念物です・・・何が珍しいかと言いますと、この藤棚・・・一本の藤の巨木なんですね。樹齢は推定300年、幹回りは5.3mにもなります・・・まあ細かい説明は・・・看板でも読んでください、昨年この藤棚の一部が壊れ、花の付きがいまいちということで昨年は来なかったのですが、今年は見事に咲いたようです。藤の花の甘い香りに誘われて・・・大きな蜂が遊びに来ております・・・こりゃ、熊蜂か雀蜂ですね、こんなのに刺されたらさぞ痛いことでしょう・・・もちろん小さな蜜蜂もたくさん飛び回っておりますよ・・・花を見ているだけですからね・・・「敵」じゃないからね・・・、刺さないように!!地元では有名な藤の花の名所ですので、この時期に来ると・・・結構混んでおります。。。藤まつりのお茶会もやっていたようですね・・・花見のついでではありますが、一応お参り客なんだけど・・・菩提寺が観光スポットだと墓参りも一回余計にできて亡き父も喜んでいることでしょう・・・なぬ・・・・「花見のついでにしか来やしない」と怒ってるって・・・ハハハ、そうかもしれませんね~、まあこの蜂に刺されなかったところを見ると・・・親父の機嫌は良いようでありますね。。。寡黙な職人、そんなによくしゃべる人ではありませんでしたよ。さてこれも実家に帰り母と話して気づいたのですが・・・この日は燕市の街中の神社、燕戸隠神社春の例大祭の日でした・・・まあせっかくなので行ってみましょう・・・昔より屋台の数も少なくなりましたね。祭り屋台の食い物が大好きな私ですが、祭りに来るといつも思うことがあります。それはね・・・高くなったな~と・・・私が子供のころはチョコバナナは100円、おでんなんか50円で売ってたのに・・・はしまきも100円くらいだったし、お好み焼きやたこ焼きだって300円くらいだっと思うけれど・・・今はほぼ倍ですね・・・いくら物価が上がっているとはいえ、倍にはなってませんよね・・・まあ無粋なことは言いっこないということで・・・結局「から揚げ」「豚たま」「お好み焼き」「はしまき」「スパボー×2個」「チュロス」買いました・・・はいこれで夕飯は食べれませんね・・・いつもこうなる・・・なんだか恒例となっているマンホールの蓋・・・燕市は燕でございました・・・ではまた・・・
2013年05月21日
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また松山に行きました今度のホテルも奥道後の引き湯をしておりましたが道後の温泉街も近いようでしたので行ってみました・・・道後温泉!!っと、今回も出張中なので古いカメラ、またピンボケ・・・な~んでこのカメラはボケるかね~、一応ニコン、ちゃんとしたカメラメーカーのカメラなのにね~弘法筆を選ばずと言いますが私は弘法大師じゃないのでカメラにも影響されます・・・道後と言えばやっぱりまずはここですね・・・道後温泉本館・・・ジブリの「千と千尋の神隠し」の油屋のモデルとなったことでも知られる道後温泉のシンボルですね、ここ共同浴場なんですよ・・・、料金400円(神の湯)とはいってもただの共同浴場ではなく、戦前に建設されたこの建物自体が国指定の重要文化財となっております、見学料込で400円と考えれば格安ですよね。。。道後温泉は以前紹介した温泉番付では通常西の小結となることが多いようです。ちなみに道後温泉本館は全国共同浴場番付西の横綱です、まあこんな共同浴場他にないですからね~1894年に建てられた道後温泉本館・・・約120年の歴史を持つ共同浴場・・・まあ他の追随を許すものではありませんね。ちなみに日本温泉協会が発行する雑誌に掲載されたこの共同浴場番付、東の横綱は・・・長野県の湯田中温泉大湯、まあここも古い温泉地ですね・・・泉質は単純泉、以前は消毒もなしのまんま源泉そのままだったようですが今は愛媛県の条例に従って塩素消毒しております、まあ仕方ないでしょう、道後温泉は有馬温泉・南紀白浜温泉を並び日本三古湯の一つに数えられる由緒正しき湯、その歴史は国内でもずば抜けて古く開湯は3000年前の縄文時代とも言われております。史実上記録に残る温泉としても最古級の歴史を持つ道後温泉、596年聖徳太子が病気療養のため道後温泉に滞在したことが伊予国風土記逸文に記されています。日本三古湯も先の有馬温泉に続いて2湯目、残すは1湯、こうなると「南紀白浜温泉」にも行ってみたくなりますが、さすがに和歌山はね~行く機会がない・・・温泉番付西の3役も同時に残すところ1湯、あとは城崎温泉ですね、これも行く機会無いな~・・・まあ温泉番付はその前に東の3役「那須湯元温泉」「諏訪温泉」が残っておりますね・・・道後の湯は単純泉、有馬温泉や草津温泉のような強烈な色や臭いといった特徴はありませんが穏やかな良い湯ですよ。さてホテルで引き湯していた奥道後温泉と道後温泉は違うのかというと・・・若干違います、奥道温泉は湯量が豊富でその湯の一部は道後にも引き湯しております、成分は硫黄分を含んだ単純泉、源泉によっては単純硫黄泉となりますね。四国には硫黄泉は少なく奥道後は珍しい湯ということになりますね。あ~道後に草津のテディ~ベアの妹がいました・・・道後の方が温泉地としての歴史が古いから「姉」かな?・・・道後の温泉街は古き温泉街の特徴を色濃く残していましてね・・・飲食店から風俗店まで同居する歓楽地、昔の温泉地の定番ストリップ劇場まであるんですよ・・・草津のロック座は閉店しましたしね・・・、道後のストリップは今も健在(ニュー道後ミュージック)・・・当たり前ですがストリップの写真はありませんよ(こんなこと書いてアップできるかな?)・・・女性のブロ友さん下品な話ですみません・・・(汗・汗)ではまた・・・
2013年05月20日
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都心部にお住いのブロ友さんには縁のないことかもしれませんが、水田に水が満ちる季節となってまいりました、そちらの田植えは終わりましたか?さて、今日は田舎の田園風景というものをご覧にいれましょう・・・棚田というものをご存知でしょうか?山の斜面に段々畑のように階段状に小さな田んぼが連なっている光景です・・・稲作民族である日本にはこのような田んぼがあちこちで見受けられました、しかしこのような光景も年々少なくなっていっております。これは日本の棚田百選に選ばれる下田の北五百川の棚田・・・見て分かるように小さな田んぼが段々に連なっています、このような田んぼは大型の農耕機械を入れることが難しく、水路も複雑になります、斜面にあるため地すべりもするし、管理が難しいのですね・・・こちらの棚田もあちこちに「もう稲作はしていないのだろうな」と思われる雑草の生い茂るかつては棚田であったのであろう場所があちこちに見受けられます。でもそれを責めることはできませんよね・・・棚田を維持するのは大変なのです、日本の原風景などと言ってもてはやしても、機械の入れられない棚田、人の手や小型の機械でしかできない作業も多いのですね。手間はかかれどその分高く買ってくれるわけでもなし、すたれていくのは仕方がないのかもしれませんね。。。カメラを構えながら、すでに使われていない休耕田をあちこちに眺め・・・「ああ、これが全部水田だったら、さぞかし見事な風景になるだろうな~」と思わずにおれませんね・・・日曜日の昼下がりこの日も農家の方々があちらこちらで農作業しておりましたよ・・・田舎の田んぼ道の一角に・・・八重桜が咲いておりました・・・ちょっと野暮ったい重なり合ったピンクの花・・・田舎道には不思議とよく合っておりますね。写真では伝わらないものもあります・・・田舎の空気、風、道路にこびりついた農作業の泥の感触、臭い・・・急斜面を上り渇いたのどを潤す冷たい水の味・・・今日はそんな田舎の風景を思いつくまま日記にしてみました。これもシリーズ化してきておりますが、こちらのマンホールの蓋にはひめさゆりが描かれておりますね、下田地区にもひめさゆりが自生しておりますので・・・ひめさゆりは分布地域がごく限られておりますので、知らない方も多いかもしれませんね・・・今日は北五百川棚田のお話・・・5月14日の日記「帰り道は眠い・・・」が「日帰り温泉・スーパー銭湯」の記事ランキング1位となりましたありがとうございます、ではまた・・・
2013年05月18日
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以前紹介したことのある(だいぶ前なので大半の人は覚えてないと思いますが・・・)道の駅がリニュアールしました・・・「道の駅 しただ」です、諸橋轍次記念館があり漢学の里となっているところですね、今回リニュアールしたのは記念館の方ではなく食堂の方・・・すっかりきれいになりましたね~この道の駅の椅子・・・遠目で見てもすぐわかる見覚えのある形・・・どこからどう見てもsnow peakのFDチェア!!って、分かりませんね・・・snow peakは高級アウトドアメーカーで昨年この下田に本社工場を移転したメーカーです、地元企業ですからね~座り心地は良いのですが収納性はいまいちですね・・・収束型の方がコンパクトにまとまりますね。おやつタイムは・・・サツマイモソフト・・・(バニラミックス)まあせっかく下田まで来たので・・・こちらは三条市の水源、大谷ダム湖・・・信濃川水系五十嵐川の上流に位置するダムです。ちなみに・・・「五十嵐」という字、「いがらし」と読むほうが多いと思いますが「いからし」と読みます、新潟では苗字でも「いからし」と濁らないことも多いのですね、これは「いからしがわ」・・・このダム・・・国道289号線の突き当りで、今のところここで行き止まり・・・現在この先の八十里越をトンネルで貫き福島の只見町につなげる工事を行っています。八十里越というのは八里の区間であるのに八十里もあるかのような急峻・長大な街道であるためこのように呼ばれています、現在はまだ車が通れるような道ではないため点線国道・・・実は新潟と福島を結ぶ道には・・・、六十里越という道もあります、こちらはすでに車が通れる道で魚沼と福島県只見町をつなぐ国道252号線です、まあ通れるといっても豪雪地ですので11月中旬から6月中旬までは雪のため通行止め、実質通れるのは1年のうち。半分もないということですねこの八十里越が開通すると三条市と福島がダイレクトでつながることにはなるのですが・・・只見に出れてもね~・・・会津や福島・喜多方に出るのは素直に津川を通った方が早そうですし、どうなのでしょうね・・・さて・・・三条市の水源五十嵐川、大河津分水路より下流の信濃川水系の支流としては主要な支流のひとつで、その長さは38.7km、三条市の中心部を流れて信濃川に合流する川でその流域のすべてが三条市となります。三条市にはこの五十嵐川の伏流水を使った「五十嵐川」という日本酒があります(福顔酒造)まあでも・・・、あまり美味しくないからお勧めはしません・・・福顔酒造の酒は個人的には嫌いな部類に入りますね・・・地元三条市では唯一の酒蔵なのですが残念なことで。。。ダム湖というと・・・その底に町が沈んでいると想像しますが、この湖の底にも大谷集落という集落が沈んでいます、20年ほど前この集落はダムの底に沈み地図からその名は消え去りました、今はダムの名にその面影を残すのみ・・・今日は三条の水源、五十嵐川と「道の駅しただ」リニュアールのお話・・・ではまた・・・
2013年05月17日
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さて以前「諸国温泉功能鑑」というのを紹介いたしました、これは江戸期後期の資料ですがその後も同様のものが数多く作られました、明治期には・・・「大日本温泉一覧」という同様の温泉番付表が作られています、これらの番付表でほぼ共通しているのが・・・・東西最高位の温泉・・・どの資料でも東の大関(または横綱)は草津温泉・西の大関(または横綱)は有馬温泉となっております、当時は相撲の最高位は大関で横綱という地位はなかったのですね、その地位ができてからの資料でも大方この2湯の地位は変わらず最高位・・・東の横綱「草津温泉」には入りました、すると西の方も入ってみたくなるのが心情というもの・・・キャンプから帰った翌週たまたま四国出張が入りまして、帰りが遅くなりそうなので途中宿泊することにいたしました。「そうだ有馬温泉に行こう!!」っということで行ってきました西の横綱「有馬温泉」古いカメラなので若干ピンボケしておりますね・・・このカメラ暗いところは弱いのですよね~、まあ腕が悪いという説もありますが・・・建物の写真はホームページからにしましょう、今回訪れたのは有馬温泉 金の湯有馬には大きく2種類の泉質の温泉が湧き出ており、それぞれ「金泉」「銀泉」と呼ばれております濃い含鉄強塩泉の「金泉」、炭酸ラジウム泉の「銀泉」今回利用したのは「金泉」の方です、泉質は含鉄-ナトリウム-塩化物泉、掛け流しです。これもピンボケで見えませんが、驚くべきはその塩素イオン濃度・・・通常強塩泉と言われる塩化物泉でも塩素イオンの濃度は10000mgほどですがここ有馬温泉の塩素イオン濃度はなんと35400mg・・・鉄分を多く含む温泉でもありますが高い塩分濃度のため、透明の源泉はすぐに変色し、湯はこの通り真っ赤か、湯につけるとタオルが染まると言われる金泉、なかなかに強烈な色ですね、さ~て、では入ってみますか・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・・・・良いかも・・・、さすがは西の横綱と呼ばれるだけのことはありますね、有馬温泉は関西の奥座敷、日本三古湯の一つにも数えられ敷居が高いと言われますが、この「金の湯」の入浴料は650円(タオル無)まあいうほど高くはありません、有馬の湯が初めて文献に登場するのは・・・631年、舒明天皇が約 3か月滞在したと日本書紀に書かれております、その後奈良時代に行基が温泉寺を建立し、現在の有馬温泉の基礎を作ります。日本三大古湯の一つ、その歴史は実に古い・・・さてさてこうなると次は銀泉の方に入ってみたくなるのも心情というもの・・・まあそれは次回の楽しみ・・・ちなみに今回の目的地は四国松山、道後温泉の地ですね、道後も行こうかな?とも思ったのですが、たまたま泊まったホテルの大浴場も奥道後からパイプで引き湯しているということでしたので、道後の温泉街もまたの機会に・・・さて松山のお土産と言えば・・・はいこれ、一六本舗の「一六タルト」・・・明治16年創業の老舗菓子店で創業年の16年が店名の一六本舗の由来、名物は「一六タルト」四国名産の生柚子をふんだんに使った上品な餡をスポンジで巻いたお菓子で、口いっぱいに柚子の風味が広がります。タルトは、久松家初代松山藩主・松平定行公が、長崎から伝えたといわれておます、南蛮菓子タルトに魅せられた定行は独自に餡を使ったタルトを考案しその製法は後に久松家の家伝となりました、明治期にその製法が伝わり四国の名産となったのがこのタルト殿様を魅了したタルト、今は四国土産の定番品・・・まあとは言え一種類だけでは飽きるので詰め合わせね・・・こっちは「坂の上の雲」愛媛特産の伊予柑とミルクを使った餡を小説「坂の上の雲」の雲をイメージして焼き上げた焼き菓子どちらにも四国特産の柑橘類が使われておりますね、愛媛と言えばポンジュース、蜜柑の産地ですからね・・・今日は有馬温泉と愛媛一六タルトのお話・・・ではまた・・・
2013年05月15日
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さて我が家の湯めぐり紀行いい旅夢気分もこれで終わり・・・今日は番外編・・・本来帰り道による予定だった温泉を・・・ここです・・・苗場温泉 雪ささの湯・・・泉質はカルシウム・ナトリウム-塩化物・硫酸塩泉、掛け流し、源泉温度は48度、同じ新潟とは言え苗場は遠いので今回のキャンプの帰りにでもと思っていたのですが、まあこれは別の機会に・・・、猿ヶ京・水上湯めぐり紀行の旅も考えていますのでその時にでも・・・温泉には入りませんが足湯だけ使ってみました、なかなか良いお湯です。ちなみにここの湯は・・・茶色いです、白に緑に茶色、湯の色もいろいろですね。ここには・・・光君用の足湯もありますが、そもそもお風呂は嫌いな光君・・・こんな変なお湯には入らな~い、と逃げます・・・ただのお湯でも嫌いな光君、臭いのついた温泉はもっと嫌い。。。まあこんなのに入れたら足湯というよりお風呂ですが、まあそれでもせっかくなので・・・嫌がる光君を無理やりつけてみました、足湯も源泉掛け流しなんですよ~、わがまま言わずに入りなさい・・・まあちょっとだけね・・・帰り道に・・・新しい道の駅ができておりました・・・道の駅「南魚沼」南魚沼と言えば・・・まあコシヒカリの産地ですね、あとは雪国まいたけの本社があります。舞茸だけでなくエリンギやシメジ、もやしなんかも作っていますので食べたことのある方も多いかと・・・はいそれではみなさんご一緒に・・・「♪きのこの子の子、元気の子♪」ブナピーはホワイトブナシメジですよーってこんなのみんな知らないね・・・さてさて連日のキャンプで疲れ果てた光君は・・・ZZZZZ・・・・ ZZZZZZZ・・・・・ ZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・ぐ~~~・・・・・ ぐ~~~ぐ~~~~~・・・・・ ぐ~~~ぐ~~~ぐ~~~~~~~・・・・・・・・・・は~い爆睡・・・長かったキャンプ日記湯めぐりの旅もこれで終わりですが、次回も温泉の話・・・さて草津のお土産は・・・当然湯の花です、今日はキャンプ最終日、帰り道のお話・・・ではまた・・・
2013年05月14日
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今日はキャンプ最終日のお話・・・前日まで強烈な硫黄泉・酸性泉を満喫した我が家、キャンプ場で知り合った方に近くの「四万温泉」も良かったというお話を聞きました。読みにくいですが「よんまん」と書いて「しま」と読みます、四万温泉は草津から江戸に帰る途中に位置し、強烈な泉質の草津の湯、道すがら肌のお手入れをするために入ったとされるのがこの四万温泉や沢渡温泉・・・草津と違い穏やかな湯でこれを「草津の上がり湯」といいます、さてそんなにいいのなら我が家も「草津の上がり湯」を決め込もう、ということで急遽「四万温泉」で上がり湯を(普通上がり湯は長期滞在の湯治客が行うものでこういうのは上がり湯とは言いません)・・・四万温泉は通り道といっても車で10分ほど山に入ります・・・途中このようなダムが・・・発電ダムのようですね。中之条ダムというようです。なかなか見事なアーチダムなのでちょっと寄り道・・・ついでに・・・光君の散歩ね・・・四万温泉は四万川のほとりの温泉地で、ジブリの「千と千尋の神隠し」のモデルとなった温泉地の一つです、トンネルを抜けた山間にある温泉地そんな雰囲気ですね・・・この四万川を上流に進むと・・・四万川ダムがあります・・・まあここまで来なくても温泉地はもう少し手前ですけどね・・・この四万川ダムのほとりにも温泉はありますよ。まあダムも見たし引き返して温泉に・・・四万温泉 清流の湯です・・・泉質はナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物泉です成分は濃いということもなく穏やかな湯ですが良い湯です。草津の上がり湯として利用された四万温泉ですが、その歴史は古くその開湯には2つの伝説があります(最初から草津の上がり湯だったわけでもないので・・・)。一つは・・・源頼光四天王の一人、碓井貞光によって発見されたという説・・・四万温泉発祥の地は日向見温泉と言いますが、これは碓井貞光が日向守であったためと言われています、温泉名の四万温泉は夢で四万の病を治す霊泉と教わり名づけた名前であるそうです。もう一つは・・・坂上田村麻呂が蝦夷征討の際に発見したとする説・・・まあどちらにしてもかなり古くからあった温泉ではあるようですね。歴史ある温泉地で1954年に国民保養温泉地第一号に指定されています(他に酸ヶ湯温泉、日光湯元温泉も指定されています)で、この清流の湯は・・・その中にある日帰り温泉で料金体系が若干変わっています。2時間500円(子供300円)、4時間800円(子供500円)、1日1500円(子供900円)時間制の料金設定というのは日帰り温泉では珍しいですね。湯に入るだけの我が家は2時間もあれば十分ですね・・・当然500円で。。。この温泉は・・・飲泉もできます、整腸作用があるそうですよ、飲泉は結構不味いところが多いのですが、ここはまあまだましな方でしょう・・・まあ飲泉は味に期待するものではありませんね。鄙びた良い温泉地ですが熊さんも出るようです・・・まあ熊に遭遇して母熊かどうか確認している余裕は多分ありませんね・・・今回まわった温泉に共通して言えること・・・男湯は目張りが適当。。。まあ男湯なんかのぞく人もいないからということなのでしょうが、この四万温泉も万座温泉も男湯の露天風呂は外から丸見えですね・・・まあ四万温泉に限っては女湯の目張りも適当なようで、あれは立ったら見える、と妻が言っておりましたが・・・あまりがちがちに囲ってしまっては景色も見えなくなりますし、加減の難しいところではありますね。。。あ~忘れてた・・・温泉成分分析表・・・なに?、無理にいらない・・・まあそう言いなさんな。今日は草津の上がり湯、四万温泉のお話・・・ではまた・・・
2013年05月13日
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今回のキャンプ、観光のメインは草津、草津と言えば・・・・湯畑は絶対にはずせませんね、高温の源泉がたくさんの樋の間を通り抜け、滝のように落ちていく・・・こうして熱い源泉が冷まされていくのですね。この樋にこびりついた温泉成分の結晶が・・・草津名物の「湯の花」になっていくわけです。湯畑は湯けむりと硫黄の臭いが漂う草津の名物、ここを見ずして草津は語れませんね・・・さてこの湯畑、樋を通る前の温泉の中を見ると・・・木枠が沈んでいます・・・この木枠、八代将軍吉宗がこの木枠の中の湯を汲み上げて江戸まで運ばせたという木枠・・・名湯草津の湯はその祖先の家康も秀吉に勧められ、湯を運ばせて入っていたとか・・・これは湯滝・・・樋を通った湯はここで一気に下に落とされるわけです・・・この風景はいつ見ても圧巻ですね~温泉好きでなくとも一見の価値ありです!!さてさて・・・草津と言えば硫黄泉というイメージですが、この湯畑源泉もそんなに高濃度の硫黄泉というわけではないのですよ・・・温泉というのは地球が作り出したスープのようなもので、一つの材料だけ入っていれば美味しいスープが出来上がるわけではないのですね。硫黄・塩素イオン・硫酸イオン・炭酸水素イオン・鉄・ラジウム・二酸化炭素などなど・・・様々な成分が混じり合ってできています、硫黄分だけ入っていれば名湯になれるというわけでもないのですね・・・硫黄濃度だけでいえば、草津より濃い温泉はたくさんありますね草津が名湯といわれるのはただ硫黄分だけの話ではないということですね、万病に効くといわれる草津の湯・・・実際にはどのような病の人たちがここで温泉治療していたのでしょう?、それはね・・・らい病(ハンセン病)と梅毒・・・草津にはハンセン病の療養所があり多くの患者さんたちがここで湯治をしていました、それは太平洋戦争が終結しハンセン病の治療薬が日本に導入されるようになるまで続きました、らい病であったという豊臣秀吉の武将「大谷吉継」もここで湯治したそうですよ。まあ今の草津は湯治場というよりも観光地・・・湯を楽しむ人が集まっておりますね。近年草津の名物となっているオリジナルテディーベアの「草津テディー工房」・・・このくまさんと記念撮影するのが流行りなんですって・・・温泉街のにぎわいも時代とともに変わっていくもの・・・あ~!!ここのマンホールの蓋もちょっと変わっておりました・・・我が家の湯めぐりの旅も前回の西の河原大露天風呂でめでたく77湯目、喜寿を迎えました、現在のところ還暦-寿和温泉ドリームタウン、古希-咲花温泉佐取館、喜寿-草津温泉西の河原大露天風呂です次回は傘寿ですね・・・、名残惜しいですがそろそろキャンプ場に・・・ちなみにこんな明るいうちには戻ってはおりません・・・10時過ぎにキャンプ場を出発し戻ってきたのは夜8時(笑)出発前に夕飯のカレーを煮てから行きましたので・・・・あとは温めるだけ・・・翌日は帰り道の温泉による予定なので今回の草津観光はこれでおしまい・・・あ~また来たい・・・あ~そういえば・・・西の河原で光君を湧き出る温泉につけたら・・・ものすご~く嫌がりました・・・草津の湯は嫌いな光君です。今日は(も?)草津温泉のお話・・・ではまた・・・
2013年05月11日
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さてキャンプ日記と言いながらほとんど温泉の日記となっておりますが、今回はついにキャンプ場は出てきません・・・(次回はちょっと出る・・・)白根山を1000mほど下り、白根山の生み出した名湯にもう一度・・・この日2度目の温泉は草津温泉・・・前回の白旗とは違い今度は草津でも比較的新しい源泉万代鉱源泉を利用した西の河原大露天風呂・・・草津温泉というと硫黄臭お湯を想像しますが、それは白旗源泉や地蔵源泉のお話・・・草津で最も豊富な湯量を誇るこの万代鉱源泉や西の河原源泉に硫黄分はほとんど含まれておりません、泉質は酸性-アルミニウム-硫酸塩・塩化物泉・・・今回は草津でも硫黄濃度の高い白旗源泉と硫黄分のほとんどない万代鉱源泉の両方に入ってみたわけですね・・・さて・・・硫黄分が薄いから穏やかな湯かというとそんなことはありませんね・・・万代鉱源泉は成分が濃く酸性度が高い(ph1.7)源泉で肌の弱い人は湯ただれを起こすこともある源泉で、加水して使われることが多いですね。火山性の酸性泉にありがちな苦酸っぱい名湯、昭和に入ってから発見された源泉で硫黄鉱山の坑道から噴出する約90度の高温泉です。硫黄鉱山から湧き出ているのに硫黄分が少ないとは温泉の成分とはわからんものです・・・ここは西の河原大露天風呂のある西の河原公園・・・この公園を通る川の水は温泉・・・公園内のあちこちに温泉が湧き出ているのですね、この湧き出ている温泉が「西の河原源泉」です・・・公園の奥に行くと・・・もうもうと湯気を上げ高温のため立ち入り禁止となっている場所があります・・・この先にあるのが「万代鉱源泉」・・・とはいってももっとずっと山の中ですけどね・・・草津一の湯量を誇る「万代鉱源泉」を使った西の河原大露天風呂は・・・ものすご~く広いです、その広さ・・・男女合わせて150坪!!、下手な土産物屋3個分ほどですね・・・ちなみにここも・・・、洗い場はありません・・・・それと・・・、有料です、大人500円ね・・・お風呂が広すぎるため温度にはばらつきがあり湯出し口から離れたところはぬるい・・・、まあ自分に合った温度のところに入ればよいので便利といえば便利かもしれませんね(奥の湯出し口近くはすごく熱い!!)写真は温泉ではなくて公園の写真ね、露天風呂は撮影禁止です・・・この公園・・・「西の河原」「にしのかわら」と読みますが「さいのかわら」とも読めますね。。。「さいのかわら」と言えば・・・三途の川の河原、あの世とこの世の境界線・・・いたるところで湯気を上げ温泉が湧き出るこの河原・・・、水の色も温泉藻で緑色・・・確かに一種異様な雰囲気ではありますね。。。賽の河原は親より先に死んだ子が親不孝の報いで苦を受ける場所・・・親に先立って死んだ子供たちは親の供養のため河原の石を積んで塔を作ります・・・この塔を完成させると供養が果たされて成仏できるのですが、完成する前に鬼がやってきて塔を壊してしまします。。。。子供たちは報われない努力を永遠に続けねばならない・・・・かわいそう?・・・でもね、この子供たちを救ってくれる仏様がいるんですよ・・・そう、それが地蔵菩薩・・・お地蔵様ですね。お地蔵様は河原で鬼たちに虐められる子供たちを助け、救ってくれるのですね、水子供養など子供にまつわる供養にお地蔵様が登場するのはこのためですね。さてこの公園・・・園内には自然に湧き出た温泉がそこかしこにありますので・・・足湯で暖まったり、川遊びしたり・・・ちょっと変わった公園ではありますね・・・草津では湯畑に次ぐ人気観光スポットですね・・・この公園にはお地蔵様の他に・・・外人さんが二人・・・エルヴィン・フォン・ベルツ博士とユリウス・スクリバ博士、内科のベルツ・外科のスクリバと言われる医学博士で二人ともこよなく草津を愛しました。ベルツ博士は、「草津には無比の温泉以外に、日本で最上の山の空気と、全く理想的な飲料水がある」と世界に草津温泉を紹介した人でもありますね。今日は西の河原公園と西の河原大露天風呂のおはなし・・・ではまた・・・
2013年05月10日
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今日はキャンプ2日目のお話、の、前に・・・草津温泉から帰った後のお話・・・温泉に入り体もぽかぽかあとは寝袋にもぐって寝るだけ・・・ところが眠りについてしばらくすると・・・寒~い!!3年前にもこのキャンプ場を利用し、その時にはこんなに寒くなっかったと思うのですが、今年はえらく寒い!!それもそのはず、後で聞いたら夜中の気温はマイナス3度だったそうで・・・冬キャンプなどしない我が家の寝袋の使用適正温度は2度まで、だいぶオーバーしていますね。。。以前似たような高原のキャンプ場で寒くて寝れないということがあったので、フリース、ホッカイロ、アルミ蒸着シートなどは持っていたので何とかなりましたが、翌朝にはテントやタープの表面が凍り付いておりました・・・日中との気温差がかなりありますね~(汗・汗)やはり高原は侮れない・・・前日が洗い場の無い共同浴場でしたので、「まずはちゃんと洗い場のある温泉に行きたい!!」という妻の希望もあり、順番を変更してこのキャンプ一番の目的地に向かいます。草津温泉の背後にそびえる火山性ガスの吹き出る異様な雰囲気の山道を走ります・・・この道は草津から志賀高原に抜ける草津志賀ルート、冬場は雪のため通行できません、開通はGWの直前4月25日・・・雪と溶岩があちこちに・・・この道路・・・ところどころ危険な硫化水素ガスが噴出していますので車の駐停車が制限されています、その名も・・・「殺生ヶ原」・・・草木も育たぬ危険地帯がところどころに・・・途中観光地もあるのですけどね、まずは目的の温泉に・・・1時間ほど山道を走り(キャンプ場から)ついたのは標高1800mの温泉地、万座温泉です、通年自動車で行くことのできる温泉地としては日本一の高さにある温泉地です(下呂の濁河温泉と並ぶ)今回利用したのは・・・日進館という施設です、泉質は酸性・含硫黄-マグネシウム・ナトリウム-硫酸塩泉万座温泉のもう一つの大きな特徴・・・濃硫黄泉で硫黄濃度は日本一、硫化水素型の硫黄泉でお湯は真っ白に濁っています、湯花が漂うとかそういうレベルじゃない・・・湯につけた指先も見えないほど白濁しております、これがお湯の色・・・木造の浴室の床や湯船のヘリにはべっとりと湯花が付着し白く変色しております・・・ここで利用している源泉は苦湯源泉・姥苦湯源泉・ささ湯源泉・姥湯源泉、残念ながら万座一硫黄濃度の高い奥万座源泉は利用しておりません。とは言えどれも高濃度の硫黄泉であることに変わりはありませんけどね。ちなみに日本一の濃度をたたき出した奥万座源泉の最高記録は硫黄濃度300mg超え、これは2位の月岡温泉の記録の約倍、同じく高地にある濃い酸性硫黄泉、福島の吾妻高湯温泉の記録の2.5倍の濃度です。まあこれは次回の楽しみということにしておきましょう・・・最初は無難な人気施設からですね・・・マニアックなところは外すと痛いですからね~。。。日進館の良いところは浴槽が多く複数の源泉に入れること・・・本館の内湯・露天風呂のほかに・・・ちょっと離れたところに露天風呂がもう一つあります・・・一度服を着ないとならないところが若干煩わしいですが。。。さてこの万座・草津の名湯を生み出しているのが・・・背後にそびえる白根山です・・・標高2160mの活火山でところどころで危険な火山性ガスを噴き出しております・・・この火山性ガスが硫黄泉の源、硫黄泉独特の卵が腐ったような臭いのもとは火山性ガスに含まれる硫化水素、この高い毒性を持つ危険な気体が名湯の生みの親というわけで・・・帰り道は途中寄り道して白根山を見物・・・頂上付近に・・・レストハウスがあります・・・ここからさらに20分ほど山道を歩くと・・・白根山の湯釜が見れます・・・どことなく万座温泉の湯の色に似ておりますね・・・反対側の弓池は・・・まだ氷におおわれております・・・高地の春はまだまだ先・・・今日は万座温泉と白根山のお話・・・ではまた・・・
2013年05月09日
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今日からしばらくはキャンプの日記です。順番にまとめながら書きますのでゆっくりですが・・・とりあえず第一回はキャンプ初日のお話です・・・今回のキャンプ、行先は群馬県吾妻郡の暮坂高原オートキャンプ場です。遠いので行きは月夜野まで高速利用です、高速利用は当たり前じゃん!!と思われるかもしれませんが、我が家はめったに高速は使いません、去年の会津も下道でしたし、黒部や長野にも下道で行きますよ~まあ草津も下道でも良いのですが、時間的制約もあるので今回は高速利用です・・・関越自動車道で高速を利用すると・・・水代が浮きます(ミネラルウォーター代)というのも・・・関越自動車道、谷川パーキングエリアで谷川岳の名水を汲むことができます、もちろん無料・・・ここでポリタンクに水をつめてから行きます。ついでなのでここでお昼ご飯を・・・谷川パーキングエリアの名物といえばなんといってもこの「モツ煮定食」ですね。実はご飯の写真はこれ以降すべて撮り忘れていますので、今回のキャンプの食事の紹介はこれで終わり・・・ハッハッハ・・・月夜野で高速を下り、145号線に入りひたすら西走・・・この道路「日本ロマンチック街道」という別名があるのですが、走行途中にロマンチックを連想するような風景は途中のロックハート城のみであとはただ単純に田舎道(群馬の方ごめんなさい)で、このなんにもないロマンチック街道をひたすら走る・・・(笑)あ!!、なんにもないといいましたが途中温泉の看板がいくつかあります、最初に見えるのが「四万温泉」の看板・・・四万温泉は道をそれて10分ほど走らねばなりませんが、次に見える「沢渡温泉」はすぐ近くを通ります。実は群馬県は温泉天国で名湯「草津温泉」を筆頭に「伊香保温泉」「水上温泉」「老神温泉」「万座温泉」「四万温泉」「猿ヶ京温泉」と有名どころが目白押し、小さな温泉地も含めると一体いくつあるのやら・・・泉質もアルカリ性の単純泉から酸性硫黄泉まで様々、活火山の少ない新潟は海辺の塩化物泉ばかりですので羨ましくもありますね、今回は目当ての温泉があるので「沢渡温泉」「四万温泉」にはとりあえず目もくれず目的地に急ぎます、で、到着したのが・・・暮坂高原オートキャンプ場、早速設営開始です・・・良いキャンプ場なのですが若干区画が狭いですね、我が家のテント&タープだとギリギリ・・・(実はちょっと張り綱がはみ出してる・・・)こんな感じでドッキング・・・去年の増水避難事件で水辺のサイトはトラウマ気味ですが・・・小川沿いのサイトです(笑)まあ今回は天気だけは良かったので大丈夫・・・設営が終了したら休憩もそこそこに夕飯の準備・・・え~、写真はありませんがバーベキューね・・・急ぐのには理由がありましてね・・・夕飯後に温泉に・・・ここからさらに山道を30分ほど走ると・・・今日のお風呂です・・・まあ急がなくてもかなり遅くまでやってるんですけどね、ついでに観光もしたいしね~どこに行ったかといいますと・・・草津温泉です・・・言わずと知れた天下の名湯!!草津は共同浴場も良いと聞いたので今回は共同浴場を利用してみました、ここは草津の温泉街の中心湯畑のすぐ脇にある「白旗の湯」草津でも歴史の古い源泉「白旗源泉」を掛け流しで利用する共同浴場です、この白旗源泉は源頼朝が発見したといわれておりますね。泉質は酸性・含硫黄-アルミニウム-硫酸塩・塩化物泉、白濁する硫黄泉で臭いも結構・・・、驚くべきは・・・この共同浴場無料なんですね・・・、驚くことに草津にはこのような共同浴場が多数あり、その多くが無料で入れるとのことです。ただし、欠点がいくつか・・・一つ目は洗い場はなし、お風呂だけです、当然タオルもありません、石鹸類の持ち込み使用は禁止されています。2つ目は・・・熱い!!、草津の人は熱い湯が好きなのかとにかく熱い!!「白旗の湯」はまだぬるい方とか・・・3年ほど前に初めて草津を訪れ、その泉質と雰囲気の良さにまた来たいと思っていたのですが、今回再び訪れると・・・また来たくなるので不思議なもので・・・次は共同浴場を中心に回ってみるというのも一興ですね~全部で18軒あるそうで料金は無料・・・、草津温泉にはハマりそうな我が家であります。。。草津温泉の標高は・・・1156m・・・ここも高いですが翌日はもっと高いところに・・・今日はキャンプ初日のお話・・・ではまた・・・
2013年05月07日
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ただ今戻りました、今回のキャンプは若干変更はしましたがほぼ予定通り草津・万座・急遽四万温泉を加え群馬県吾妻温泉めぐりキャンプとなりました、2泊3日のキャンプ中に温泉4回・・・ただ・・・温泉に夢中で料理関係の写真をほぼ取り忘れておりますね・・・まあキャンプ中に作ったのはバーベキューとカレーだけなので・・・キャンプのお話はまだ写真もまとめていませんので次回から・・・(といっても今回はキャンプよりも温泉がメインになるかもしれませんが・・・)今日はすでに下書きしてある日記をアップしますね・・・光君の日記です。お散歩中の光君は動き回って撮影できないといつも書いておりますが・・・懲りずに挑戦してみました・・・今回のお散歩場所は・・・しらさぎ森林公園です・・・では撮影開始・・・このくらいおとなしいとまだ撮影しやすいんですけどね・・・直ぐ走る・・・、まて~!!ほんとはダメなんですけどね・・・我が家以外誰もいなかったのでリードもなし・・・今日は学校行事で出かけられなかったので光君も退屈していたので夕方に散歩です。ドライブモードでちょっとずつ近寄る・・・寄りすぎると・・・飛びつかれる・・・やっぱり撮れやしませんね~・・・ここまでに400枚以上撮影してまともに撮れた写真なし!!だって動くんだもん!!ちょっとはおとなしくしていなさいな・・・ドライブモードで撮影中、お尻は向けるはおしっこはするは・・・お見せできない写真が山のように!!まあ今回も撮影は失敗ということで。。。せっかくなので・・・カメラとパソコンの機能で遊んでみました・・・カメラにマジックフィルターという機能がありましてね・・・ちょっと変わった写り方をするんですね・・・似たような写真でもだいぶイメージが変わりますね・・・ついでにパソコンの画像編集ソフトの機能も使って・・・すでに原形をとどめておりませんが・・・面白いけれど普段のレポートでは使えませんね~何が写ってるのかわからないし・・・どっちの機能も使いこなせれば面白いのでしょうけどね~まあでも使う必要のない機能もたくさんあるようですね・・・今日は光君のお話・・・追っかけ、コメントの返信と順次訪問をお多彩ますのでしばしお待ちくださいね。。。ではまた・・・
2013年05月05日
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新潟の桜もほぼ葉桜となりつつありますが・・・ちょっと山に入ればまだ桜は咲いているようで・・・下条川ダムに行ってまいりました・・・ここにはまだ桜が・・・桜の時期は短いですが、仕事先で見て地元で見て、出かけた先で見て・・・結構長いこと咲いているような気がしますね・・・現在日本に咲く桜は園芸品種を含め約600種ほどあるそうです・・・まあちょっと山に入って「この桜はなんという桜だろう・・・」などと考えてもとてもじゃないけど憶えられないということですね・・・さて桜の時期ももう終盤、世はゴールデンウイークの真っただ中・・・年中休みの引退組チームと休みがずれる客商売チームの方々にはなかなか実感の持てないところではあるかもしれませんが、行楽シーズンの幕開けというところでしょうか?・・・「食べる・買う・入浴する」この3つが日本人のレジャーにはつきもので、これが満たされるとたいして遠くに行かなくても行楽気分が味わえるそうです・・・美味い物食って・買い物して、温泉に入る、まあレジャーの定番ではありますが・・・人の感覚とは何とも単純なものでありますね・・・これを逆手に取ると・・・この連休は休みが取れないんだよね~、今あんまり金がなくてね~という場合には・・・とりあえず近くの温泉にでも連れて行って美味い物を食わせ(無理に泊まらなくてもよい・・・)帰りにその辺でショッピングでもして帰れば・・・2~3回はごまかせるかもしれませんよ~(笑)さてさて・・・私はそんなことでは騙されないわよ~という奥様方・・・以外にこれは侮れないもので・・・温泉に入ってリラックスする、普段と違ったものを食べて気分を変える、買い物をして興奮を得る、これで意外に非日常の感覚になるものなんですね~、日常やっていることと違うことをする、違う場所に行くというのが一つのポイントにはなりますけどね・・・遠いか近いかは・・・あまり感覚には影響しないんですね~宿泊するしないも・・・、意外に関係はしないんですよ~人間の感覚というのはね・・・脳に伝わる情報に対する反応ですので・・・より反応しやすい部分を重点的に刺激してあげれば。。。ね。。。。八重桜も咲いておりましたよ・・・さてさて我が家の連休中の予定は・・・これからキャンプです・・・まあこれも非日常ですね~道具さえあればお金もかからないし・・・近くに温泉のあるキャンプ場を選ぶのがポイントですねこれで「入浴する」というポイントも押さえられますしね~これで完璧・・・ここ数日気温が低いのが心配ではありますが・・・では行ってきますね・・・
2013年05月03日
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公園に出かけると色とりどりのチューリップを見かける季節となりましたね。ブロ友さんの日記にも庭のチューリップを掲載した日記も見受けられるようになりました、さて今日は庭のチューリップとも公園の花壇のチューリップとも規模の違うチューリップを紹介しましょう・・・これは五泉市のチューリップ畑のチューリップです、庭の花としてのチューリップならせいぜい数十本、公園の花壇やイベント会場のチューリップでも数千本から数万本がいいところですが、ここはチューリップの球根を生産するチューリップ農家のチューリップ畑ですのでその数は段違いに多く・・・こちらのチューリップ畑では約150万本のチューリップが生産されています、色とりどりのチューリップがまるでお花の絨毯のように地面一面を覆っています・・・チューリップの球根はそのほとんどがお隣富山県とここ新潟県で生産されています、全国に出荷される球根の実に98%が富山と新潟から出荷されています(富山県53%・新潟県45%)ホームセンターなんかで売っている球根にはオーストラリア産のものも多いですので一概には言えませんが、皆さんのご自宅の庭や公園を彩るチューリップも新潟か富山で生まれたチューリップかもしれませんね。新潟県と富山県では県の花がこのチューリップなんですよ・・・今回は五泉のチューリップ畑を紹介しましたが新潟には胎内市などにも同様のチューリップ畑があります。。。まあついでなので今日はチューリップの雑学をいくつか・・・チューリップが日本に伝わったのは江戸時代後期・・・しかし広く普及するには至らず、一般に普及し始めたのは大正時代、日本で初めて本格的な球根の栽培を始めたのが新潟市なんですね。。。そのため新潟市近隣のチューリップ農家たちは新潟市が「日本のチューリップ発祥の地」であると自負しており、その記念碑もあるんですよ(道の駅「花夢里にいつ」に・・・)チューリップ畑のチューリップ・・・この畑のチューリップは球根を育てるのが目的なので一定の時期で花は摘み取り・・・花ではなく球根に養分が行くようにします、こうして球根をより大きく育てるのですね。本来チューリップ畑のチューリップは花はおまけでしかないのですね・・・価値があるのは球根の方・・・それでも、花を摘み取られたチューリップはどこか寂しいものがありますね。。。摘み取った花を使ってこんなものが作られていましたよ、ただいまチューリップ祭りの真っ最中。。。さて次の雑学・・・チューリップの花言葉には「愛」に関するものが多くありますね、チューリップの花はね・・・仕事に夢中になっている間に恋人を失ってしまった悲しい男の血から生まれたのですよ。。。昔ある村にファルハドという青年がいました、彼は村長の娘シリンと恋仲にありました、あるとき村の井戸が枯れ、ファルハドは井戸を掘りました。彼はただ掘ることだけに没頭し、その間に恋人のシリンが亡くなってしまったことを知りませんでした・・・ファルハドの頑張りで村は再び井戸から水を得ることができるようになりました。井戸を掘ることに夢中になりその間に愛するシリンを失ってしまったことを知ったファルハドは、嘆き悲しみ、崖から身を投げて死んでしまいました。。。ファルハドの体は砕け、たくさんの血が流れました、そして流れ出た彼の血の中から真っ赤なチューリップが生まれたのです。。。チューリップの原産国トルコの伝説・・・今日は五泉市のチューリップ畑のお話でした・・・光君は・・・餌で釣るとおとなしい・・・ではまた・・・
2013年05月02日
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