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テーマ: 戦ふ日本刀(97)
カテゴリ: 戦ふ日本刀

背水陣本部

 自分は、自動車の上に荷物を置いたまま、その部落に這入っていった。
東西を貫く道路があって、南北の土地はやや高く、そこに農家が並んでいる。
ようやく副幹部を探しあてた。貧弱な農家のそのまた物置らしい。
案内を乞えば西向きの一室の蓆を排して少佐の副官が現れた。
 自分は派遣証明書を出して、ただいま到着した旨を述べ、
部隊長には貴官から宜しく申し上げて下さるようにと挨拶した。副官は、
「一人ですね。御苦労様です。兵器部に行ってゆっくりして下さい。」
「ありがとうございます。大行李〔だいこうり〕の安蔵少尉が内地帰還中のところ、
自分と共に部隊を追及、黄河まで共に来ましたが、ついにはぐれました。
しかし、少尉の荷物及び内地より閣下宛の私物荷物は、
自分が黄河渡河点で発見ただいま持参しましたから、
それを運ばせるために、兵隊を二名ほどお借り致したいのであります。」
と申し入れると、直ちに当番兵を二名よこしてくれた。
 右側の小高いところ、短い急坂を登って土塀の間から這入っていくと、
つき当たりが兵器部事務室兼部長室であった。
自分がそこへ出頭していくと、薄暗い、物置のような室に卓子を置き、
そこに石井部長、大越部員、石井部員、岡島部員が会談していた。
自分は派遣証明書を出し来着の挨拶を述べると、部長は、
「よく来たね。今日はゆっくり休んでくれ。サァ暑いから上衣を取ってくれ。」
情のこもった物いいである。軍隊というような気がされない。
遠い地方の親戚へでも辿りついたという感じである。
 部長は一々自分を部の幹部に紹介してくれた。
 戸室准尉が、自分の居室の心配をしてくれる。どこにも室がない。
兵隊はみな野宿同様だという。
「病んでいる曹長の室に割り込んでもらいましょうか。二人の寝室に三人で寝て下さい。」
 本部の右袖にあたる棟の家で、入り口は西にある。
這入ってみると、農家の物置らしく、
東の窓際に、戸板のようなものを箱の上に並べて、アンペラを敷いたのが寝室で、
窓際には、釜田という曹長が、病名不詳の病気で床についている。
西隣に倉持という伍長と自分と二人で寝るのである。
その西の下の土間には、アンペラが敷いてあって、兵隊が六人寝るのだという。
壁は泥の荒塗り、天井には、 こうりやん のから、その上に土を置いて瓦が並べてある。
一隅には竹で編んだ大きな笊〔ざる〕様のものに土をぬった容器、
穀物貯蔵用のものが二つ置いてある。
 釜田曹長は、寝苦しげに体を動かして自分を見た。顔が蒼白でやつれきっている。
「何分よろしく願います。」
「不自由でしょうが我慢して下さい。食物は何もありませんよ。」
と曹長は細い声でいう。
 そこへ両ほほに虎鬚の生えた巨漢の倉持伍長が兵隊三名をつれて這入ってきた。
「曹長殿梅干しはどこにもありません。困りました。」
「そうか御苦労だった。」
 兵隊はまろぶようにアンペラの上に寝た。それなりですぐイビキをかいている。
部隊全員は、昨夜、夜通しで黄河渡河点の水につかって働いたのだった。
 自分はふと、北京の酒保で買ったパイナップル罐を一つ持っている事に気づいたので、
急いで雑嚢から出して、
「曹長、パイ罐はどうだね。」
「持っておいでですか。」
 自分は早速罐を切った。曹長は一切〔ひとき〕れを息をつかずに食べ、つゆを飲んだ。
倉持伍長もだ。伍長は三人を叩き起こして一片ずつ食わせた。
一人の兵隊は舌つづみを打って、
「これで死んでもいい。ああうまかった。」
 この時、忍び寄るようにして寄ってきた一人の特務兵が、入り口に突っ立った。
小柄な細い男だ。
「何だって、死んでもいいって、ほんとうか。何をペチャペチャ食っている。」
 そっと這入って来て覗き込んだ刹那、
「オー。」
 特務兵はうめくように一片を取るなり、
すばやく、実にすばやく口にふり込み、飲むようにして食った。
だれもかれも、動物園のペリカンが観覧者のやるドジョウを捕らえる瞬間のような態勢で。
残ったのは一片、自分は病曹長のためにそっと残した。
 兵隊たちの話では、ここ二十日間というもの、食物とてはただ麦飯と粉味噌とだけで、
一枚の菜ッ葉すら口に入らなかったという。
野草の、あかざの葉、柳の芽を塩うでにして食った部隊があると聞いてさえ、
みな羨ましがっているほどであったという。
 自分は、釜田曹長と話している間に、ここに高橋大佐のいる事を知った。
風采やら何やら聞いてみると、確かに高橋氏に違いないと思った。
氏と自分とは十数年も前から別懇であったので、
氏が出征しているという事はかねて聞いて知っていたが、
ここで邂逅できるとは思いもかけぬ事であった。
 早速道順を聞いて、◯◯へ出かけて行った。
もう夕景に近く、敵ははるか南方から猛烈に砲撃を開始して来た。
前の道を東に出ぬけて、右に這入ったところ、浅い谷の上の一端、
門前には部落の女子供が蝟集〔いしゅう〕半野宿している。
乳呑み児を抱えた三十ぐらいの女、半病人の娘を守る老夫婦、
小児二人を膝もとに眠らせて、皇軍から施された残飯を手づかみで食べている女、
そうした婦女子や老人がおよそ三十人あまり、地上にアンペラを敷き、
細い木のささえ柱に、これもアンペラの屋根をかけている。
 門の中はやや広い庭である。そこの南向きの家、室内に入ると、
ここも薄暗い一室で、部隊長は部下と合議をしているところであった。
「オヤ。」
 部隊長は目を見張った。
「ハハハ、おなつかしいですな。化け者ではありませんよ。」
 部隊長は部下に命じて、庭に椅子を出させた。
大きな桑の木が一本高く茂って、熟した実がパラパラ落ちている。
彼我砲弾の音がひとしきりすさまじい。
 部隊長と卓子を中に相対し、久しぶりでの対談を、
こうした弾雨下に交わそうとは、夢にも思わなかった。
部隊長は、水筒から冷やしておいたという日本酒をなみなみとついで出した。
「ただ一杯の酒、ただし肴はない。」
 千万無量の酒だ。氷のように冷たい。
 ドッヂャーン__砲弾が落ちてすぐ近くに炸裂した。門前の女子供が泣きわめく。
自分が、うま酒にのどを鳴らして、水筒の口をポンと置いたその刹那であった。
震動で桑の実が雨のように落ちる。
「いい風情でしょう。ハッハッハッ。」
 部隊長は高らかに笑った。
 夕景、再会を約してここを去った。
すぐ裏の道路の真ん中に大きな穴が開いて、通りかかった兵隊が二人立ち止まって眺めている。
今の砲弾がここに落ちたのである。
 その夜は、彼我双方の砲撃で寝つかれなかった。





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Last updated  2017年09月22日 04時50分49秒


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